はてなキーワード: Big Hero 6とは
日本で『ベイマックス』と呼ばれている映画の原題が『BIG HERO 6』なのはもっと知られていいと思うんだよね。
実際に観てみると、6人(5人と1台)組の戦隊ヒーローという感じで、ロボットを通して絆を知る感動ストーリーというよりかは笑いあり涙ありの読み切り少年漫画といった雰囲気。日本ではヒロとベイマックス(とタダシ)以外の4人が広告でハブられすぎて悲しい。
アメリカでは「人間はいかにプログラムに過ぎないロボットに感情移入できるのか?」ということがテーマの一つとしてピックアップされているにもかかわらず、日本では「ベイマックスは心優しいロボット」って宣伝やってるのがなあ。ベイマックスはまだドラえもんやアトムのような「心を持ったロボット」には程遠い、彼らよりもっと近い未来で作られたといった感じのロボットだと思うんだよね。惜しい。
あと、正式なテーマソング『Immortals』を歌ったFALL OUT BOYはもっと有名になってよかったと思う。(一応ベイマックスが話題になって数か月後、スッキリ!に一回だけ出たけど)AIの『STORY』が嫌いなわけじゃないんだけど、やっぱりImmortalsのほうが世界観にちゃんと合ってるんだよね。
ONE OK ROCKのコンサートでFOBが対バンになったとき、自分の目の前にいた観客が、「フォールアウトボーイ?誰それ」ってなってたのが辛い。お前らが目当てに来たONE OK ROCK含めいろいろなロックバンドに多大な影響を与えたロックバンドのひとつだよ。
これの意味の解釈が自分とは違う人が結構多いのかなと思ったのでこれについて少し感想文書きます。考察じゃないよ感想文だよ。押し付ける気はないけど自分の考えを喋ってみたくなったよ。
結論から先に言うと「ベイマックスのAIが持つ人助けの本能みたいなものはタダシ自身が持っていた本能的な部分の生き写しであり、タダシという人間の持っていた本質的部分はベイマックスの中で生きている」って話ね。
そもそもなんでベイマックスが生まれたのかっていうと、タダシが科学オタクであると同時に、人は誰かの役に立つべきだと考えて生きているお節介さんだったから。苦しんでいる人やどうすればいい分からない人がいたら救ってあげたい側にいてあげたいっていうのがタダシという人間の在り方。ロボットバトルの会場から弟のヒロを助け出して説教しているシーンやヒロを明るく導いていくシーン、そして命がけで教授を助けに行ったシーンにそれは現れている。
そしてベイマックスに治療法や行動パターンを組み込む時にその気質は十分に受け継がれた。痛いという声を聞いたら飛び出していったり、もう大丈夫と言われるまで離れられないっていうのはタダシの人柄そのもの。ベイマックスが「親しい人の死を乗り越えるためのプログラム」として周りの人と悲しみを分かち合う事を推奨し、それからそっと抱きしめたシーンがあったけど、もしタダシがいたらきっと同じことをしたんだろうなと思う。実際タダシの友人たちはヒロにメッセージを送ってきているし、抱きしめてあげたいと語っている。あの時ヒロの事を抱きしめていたのはベイマックスであると同時にベイマックスの中で生きているタダシの優しさだったんだよね。
そしてベイマックスが「タダシはここにいます」と語りながら動画を見せたシーン。あそこでベイマックスがあの動画を見せたのは、もし親しい人と別れた誰かがいたらこうしてあげたいとタダシが考えた治療法として、その人の動画を見せるという手段を考えついた事がまず起因になってるわけ。つまりさ、あそこで動画を見せているのはベイマックスであると同時にベイマックスにそういうプログラムを組んだタダシでもあるってわけ。タダシの肉体はもうそこにないし、動画もただの過去の映像であってヒロに語りかけてはくれないけど、自分の死を乗り越えようとしてるヒロを救う助けになりたいっていうタダシの気持ちは間違いなくあそこにあったんだよ。そしてそれはベイマックスという肉体を通してヒロにはっきりと向けられていた。だからさ、あのシーンでベイマックスが言っていた「タダシはここいにいます」はかなりの部分で本当のことだったんだよ。確かにあそこにタダシはいた。悲しんでいる誰かの助けになりたい一緒に側にいてやりたいっていうタダシの思いは、本当にあの場所にあって、ヒロのすぐ目の前に立っていたんだよ。
これは余談になるけど、事件が全部終わってからもヒロ達がヒーローとして戦い続けているってのは彼らの中にヒーローへの憧れがあったというのもあるんだろうけど、同時に一連の出来事を通して人助けの心に目覚めたってのもあると思うんだよね。その最初の火種を作ったのは、ベイマックス。戦いを始めたのはヒロだけど、後半になるまでのヒロはやり場のない悲しみと怒りをぶつける為にカブキ男を追っているだけでまだヒーローとは呼べない存在だった。途中までヒロのいいなりみたいな状態ではあったけど、ベイマックスの中には確かな「人の助けになりたいという強い気持ち」が間違いなく燃えていた。皆がまだどこか面白半分でヒーローになりきっていた頃にもベイマックスの中には人出すけの本能が燃えていた。そのベイマックスと行動をともにすることで少しずつBIG HERO 6は本物のヒーローになったんじゃないかって自分は考えてる。あのチームのリーダーはヒロなんだと思うけど、あのチームの象徴はやっぱりベイマックスであり、そのベイマックスの中ではタダシという人間の決して消えることない残り火がいつまでも暖かく燃えているんだろうなって、俺はそう思うんだよ。感想文終わり
「ベイマックス」の原題はBig Hero 6で、日本の感動主導のPRには問題がある!という意見を見る。
しかし、マーベル・コミックスに馴染みのないナイーブな日本人には限界のPR方法なのだ。
ディズニーの施したローカライズは実に巧妙で、とても良く考えられている。
大量の批判があるのを承知のうえであえて単純に言えば、マーベルヒーローは近親者の死がヒーローを生む構造が多い。
その為、Big Hero 6というヒーローモノを観に行って近親者が死んでも、米国ではそういうものとして受け止められる。
スーパー戦隊シリーズ好きやプリキュア好きの親子で観に行こう!とヒーローを全面に押し出して、
映画館に親子でやってきて、仲の良い兄弟のアニキがハッキリと死ぬシーンを描かれて、後半ついていけるだろうか。
未だに、鳥人戦隊ジェットマンの衝撃が語られるように、基本的に日本では人の死はとてもナイーブに受け止められる。
……まあ、世界に冠たるディズニーが、となりのトトロを観に来た母娘が火垂るの墓を観て茫然自失となったエピソードを知らないはずも無かろう。
映画全体として、兄タダシの死を乗り越え成長する弟ヒロの姿が描かれているので、
CMを観て感動モノかなと思って観に行った人は十分満足して帰宅できるレベルにある。
が、それだけでは無い。
主人公である14歳の天才少年ヒロは、兄タダシの友人達と共に、兄の死に関係がある犯人を捕まえようとヒーローにバージョンアップする。
勢いのあるカーチェイス、迫力のある戦闘シーン、そして過激な女性も可憐な女性も、それぞれの長所を活かして活躍する。
だから、戦隊好きは勿論、プリキュアが好きな女の子にもオススメできる映画なので映画館に行こう!
軽くネタバレすると、ヒロとタダシという兄弟の両親は、ヒロが3歳の時に亡くなっている。
今は、キャスおばさん(叔母か伯母かは不明)に引き取られて生活している。
当然、兄のタダシが死んでしまって、弟のヒロは、ショックを受ける。
劇中、キャスおばさんは、ヒロの前では一度も悲しい顔を見せない。
他の人物もそうだ。
人のつながりがそこには間違いなくある。
アナと雪の女王で有名になったが、ディズニーは単純な和訳を行って吹き替え版を作成したりしない。
劇中に出てくるパーソナル・ヘルスケア・コンパニオンであるベイマックスというロボットは、
米国版では、「I cannot deactivate until you say, You are satisfied with your care.」と言う。
日本版では、「『もう大丈夫だよ』と言ってくれないと離れられません」と言う。
他にも細かいセリフのニュアンスが違っているが日本版は「タダシの死を乗り越える」部分に焦点が当てられている。
「I'm satisfied with my care.」というセリフと
その為、ロボット工学者についてのみ、字幕版での鑑賞をオススメする。
ベイマックスは、「I cannot be sick. I am a robot.」という様に、徹頭徹尾ロボットとして描かれる。
ロボットが自分のことを人間だと考えたり、自らの存在意義に悩んだりはしない。
ベイマックスは、最初から最期まで、ヒロのパーソナル・ヘルスケア・コンパニオンとしての使命を全うしようとする。
ロボットをロボットとして描き、人間とは異なる存在として描きながらも尚、人間との触れ合いを描く。
心の痛みへの対処法すら学んでみせたロボットの「Your health is my only concern.」というセリフや
「Are you satisfied with your care?」と言うセリフには、限りないロボットへの愛情が込められている。
治療法の詰まったディスケットにTadashi Hamadaと書かれている事の意味を、重く受け止められるだろう。
自分の研究室をWelcome to the nerd lab.と言えるロボット工学者は、映画館に行こう!
全方位隙無く万人にオススメできる映画ベイマックスは、是非映画館で観よう!
字幕版を観た人は吹き替え版を、吹き替え版を観た人は字幕版も観に行こう!
一応お伝えしておくと、現在ペットロスで療養中の人にはオススメできない。
物語の共通点 | ベイマックス | イノセンス |
---|---|---|
主題は都市である | サンフランソウキョウ(奏京) | エトロフ経済特区 |
2つのスタイルを二重写しにした都市である | サンフランシスコ×東京 | チャイナ×ゴシック |
以上。
って感じなんだけど、他も思いついたので書く
ドラマの共通点 | ベイマックス | イノセンス |
---|---|---|
人に快楽をもたらすロボットがいる | ケアロボット「ベイマックス」 | セックスロボット「ガイノイド」 |
人に快楽をもたらすロボットはなめらかである | マシュマロボディ | 球体関節人形 |
人に快楽をもたらすロボットが暴力をふるう | ベイマックス赤チップ | ガイノイド「ハダリ」の戦闘モード化 |
黒幕は企業体と個人の妄執の複合体である | クレイテック社×カブキマン | ロクス・ソルス社×キム |
黒幕は都市から海で隔てられた場所に本拠地を持つ | QUARANTINEなポータル島 | ロクス・ソルス本社戦艦 |
未熟者が消えたメンターを追うことがドラマの主軸である | ヒロ:タダシ | バトー:素子 |
消えたメンターはロボットの中に顕現する | 緑チップ | 素子ガイノイド |
物語とドラマの隙間を引用で埋める | MAKE、マジンガー、ニンジャ、みつを、フランケンシュタイン映画... | 孤独に歩め云々 |
原作はレイプするもの | MARVEL「BIG HERO 6」 | 士郎正宗「攻殻機動隊」 |
クソ素晴らしかったし、以上の観点から号泣ポイントはベイマックス追っかけ→カーチェイス→初飛行シーンの三連コンボなわけですが、シュガー・ラッシュからの流れ、レオパルドン返り咲きもあって、我々はこの愛にどう応えようか、応えられるのか、ということを考えています。あとカブキマンの演技(首と肩)がいちいちケレン味しかなくて最高。あとGo-Goの太ももが説得力あってめちゃシコ。
ところで「FEAST」、被写界深度&ホコリ(空気遠近法)描写が技術的にすげえ所まで来たなあ、という感じでしたが、どう考えてもあの犬、子どもたちが大人になる前に寿命なんだよな……というのがキツかったです。
ベイマックスの胸のカードスロットから「HAMADA」と書いたメモリーカードっぽいものが出てきたとき、増田を読んでいる人なら気付くと思う
気付くでは無いな、ほぼ条件反射で「バックアップを取らなきゃ」と、ど・ストレートに
他の人が書いているように、日本では「ベイマックス」、アメリカでは「BIG HERO 6」で、その違いに付いて
「BIG HERO 6」では女性に受けないから、というのは当たっていると思う
じゃあ、何が好きかと言うと「丸くて、柔らかいもの」 抱きしめると、ムギュっとするもの
そこらを日本の興行会社が考えて「ベイマックス」にしたのだろう
子供と女性層を取り込まないと、この冬休みは妖怪、アイカツ、仮面ライダーに勝てないもの、根こそぎ客を持って行かれる
大切な人が不可解な死に方をして、その謎を探るうちに、大きな陰謀を知り、それを止めるために立ち上がる、とはありきたりのストーリーだ
主人公とベイマックスが街中のテレポーテーション装置に突っ込んで、教授の娘を助けに行くのだけれど、これもお約束、ギリで全員助かるのだろうと思っていた
しかし、ベイマックスはケアロボット、自分を置いて主人公を助ける。なんかインターステラ―という映画で同じようなシーンがあったな
ケアロボットだけに、何が何でも主人公をケアする、つまり命(ロボットに命がどうのということはこの際、)に代えて守るわけ
自己犠牲というやつですね
お子様に自己犠牲を見せていいのだろうか? 「最後まであきらめずにがんばる」と教えるのが大人の良心、義務だと思う
自己犠牲は人として人らしい行為で美しいのだけれど、残される当事者としては一生背負わなければならない十字架だ
子供に自爆テロをさせるのと同じこと、とは考えが飛躍しすぎだろうか
映画では、残されたベイマックスの手のひらから、先のメモリーカードが出て来て、主人公は十字架を背負わなくて済んだのだけれど
アメリカの正義の味方の映画は「チーム」と「信じる」がベースとなっていると思う
チームとしなけばならないのは、マジョリティとマイノリティの混成チームにしないと、広く観てもらえないどころか、反発をくらう
だから、白人、黒人、東洋人、その他、といった編成になってしまう
そこで必要なのは信じること。友情とかでもいいと思う。人種混成チームは信頼がなければ成り立たない