レイシストになる自由はあるか?社会学者・明戸隆浩氏が語る「ヘイトスピーチ規制論」
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1110136
リベラルな人たちや憲法学者らは、基本的にそういう観点から、「表現の自由」を規制することに反対しているわけですね。戦争の経験という意味ではドイツと同じですが、結果として向いている方向は逆になったということだと思います。
ドキドキワクワク!→インクのシミのように広がる不安→絶望・諦念。
そんなオレにも今ならオンライン対戦がある!
って意見もあるけど、これに限らず、友達とか家族とかで同じ場所でわいわい言いながらやる楽しさってのは何者にも代えがたいんだよね。
絶対に代わりがきかないし、必ず存在し続ける。
横から失礼するが
「過酷な労働」の定義を「最も多く価値を生産する義務を負う存在」
っていう形で定義すれば、市場原理主義型資本主義を前提にしても
一応正しいっちゃ正しいんじゃねーの。
大企業型、あるいはアジア型の資本主義に於いては馴染み深いものだと思うけれど。
この定義に強い違和感を感じるのは「資本主義」を共産主義の側のロジックから
「過酷な労働」なんて定義の難しいことを研究する人間は資本主義陣営にはまずいないから
おそらくどの本にも直接おなじことは書かれてないと思うけれど
「株式の自己所有ゼロの代取とか、要するに経営者と労働者の奴隷だよね」
って言い換えれば納得できるんじゃねーかな。
てすとwwwwwwwwwwwwww
てすと
なんだかなあって感じだった
文学的であるということは、弱者の側に立つ、という姿勢・態度のことである。立つフリをする、と言い換えてもいい。偽善も善である、という考え方に立てば、その二つは同じものだからだ。
例えば近年の村上龍の文学的評価が低いのは、彼が強者の側に立っている(ように見える)からなのかもしれない。
みたいなことをお風呂に入りながら考えました。まる。
いや、君ができない理由が書かれていないのだが。
彼女「大好きだよ」
おれ「嬉しいな!」
彼女「今度何する?」
おれ「彼女の好きなことしよ!」
おれ「早く寝た方が治りやすいよ」
彼女「何作ってほしい?」
おれ「腹減ってるし何でもいい!」
おれ「何か機嫌損ねることした?」
彼女「伝わってこないよ」
おれ「どうしたら信じてくれるの?」
彼女「別れたい」
おれ「別れたくない」
彼女「なんで?」
おれ「ごめん悪いところあったら直すよ」
(実話です)
彼と初めてホテルに行ってきたけど、
正常位ではどうにもこうにも痛くて怖くてこれ以上入らないもう無理!
ってなって拒否ってしまった。
彼からは少しずつ頑張っていこうって言われたけど、
あまりにも申し訳なくて、苦痛を和らげる体位はないかと調べてみた。
足をガバーッと広げるのに抵抗あるのと、あそこが下向き?っぽいので、
伸長位と寝バックが良さそうだなと思った。
今度お願いしてみることにする。
てすと
椎名林檎に皆で楽しもうみたいなの期待してるわけじゃなし、ああいう方向で彼女に依頼を出したNHKの考え方が危ういんではと。
ジャスティスボーイ真
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11314836
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12230795
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13010742
最終回の前中後編
http://anond.hatelabo.jp/20140615221926
この人は、悔しがってる選手たちの目の前でも同じことが言えるんだろうか。
この人もそうだし、渋谷で騒いでた人たちもそう。
結局他人ごとなんだよね。
ただなんとなくの雰囲気に流されてるだけ。
土俵の外側で生きてろよ。
東京大学は美人が多いけどブサイクのふりをしているか美人はあまり表舞台に出ないようにしているんだよ
まだのうのうと生きてるんですね