はてなキーワード: 散華とは
砂漠の逆光
潜入者の素顔
蝶を射つ!!
高度7000メートル
黒い肌の狙撃者
帰ってきた標的
俺みたいなソシャゲに課金しまくってる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
Twitter連携を切った場合はアカウント復元できない とか ご理解ください とか
ま、それが普通ですわな
it’a true wolrd.楽しそう これ、誉め言葉ね。
好きな音楽 緋墨戦で流れたりするやつ
なんつって冒頭からネタで申し訳ない。書き込みが本当に初めてなのに長文になるんでフランクに入りたかった。気を抜くと一層つまんなく、怨み節が詰まった文章になりそうなので。
タイトルの通り、天華百剣 -斬-(以下天華百剣)ってゲームのアカウントを失った件で、お話します。これから連携なんかを行ったり、他機種に移行しようという時、俺の屍をご覧ください。
投稿から半日後:本当に言いたいことが伝わりづらくなっている&散らかり過ぎなので情報をまとめた。この行以降書き直し。
ソシャゲ。原作は KADOKAWA 系列(電撃G'sマガジン)、運営は DeNA GAMES。ジャンルはアクションゲームで、刀の擬人化もの。
・運営窓口は忙しいかも知れず、見当違いの返答をされることもありえるので粘り強くお願いしたほうが良い
・そもそも、トラブルが起こらないようにアカウントはしっかり守ろう
・「こんな国、守る価値なんかない! 俺はもう銘治の人のために戦いたくない! 戦うなら勝手にやってくれ! 俺は隊長を降りる!」
・アカウントが凍結すると上のセリフみたいに気が狂うほど辛いということ
・運営への怨み(初版時あたりまで発狂してたものの、今は頭が冷えて、無茶言ってすまんと思ってる)
・ゲームがつまんないってこと(俺にはジャストフィットだった、いまでもすき)
アカウントの問題でトラブルがあった場合、連携の有無だけでサポート不可と判断されるケース多数。
他のゲームなどでは購入履歴が、本人確認、アカウント確認双方で非常に強力なソースなため復帰可能の是非に影響できるようだが、天華百剣ではその限りではない。課金の証拠は重要ではあるが、復帰のための切り札にはならない(筆者は今までで約80万の廃課金だったが……)。
連携数については多いほど良い。先日、Twitter の方で障害があり、後述する俺のトラブルと同じような状況になったユーザーがいた様子。
SNS 連携さえあり、変なことをしていなければサポートは正式な手順で対応をしてくれるだろうし、連携する気がなくても、例えば容量不足とかでうっかりゲームをアンインストールしても復帰できる。
上記の事から、SNS 連携は巫剣の命のように大切にするべき。
俺のようにアホなことしてないで、大切にしてください。本当に。
連携整頓でうっかり消したり、SNS アカウントそのものを消したりしないように。
少なくとも俺はとても気に入った良いゲームです。キャラゲーとしてはなかなか愛せる類かと。というか、良くなかったら課金しないし、今回の件でショックを受けない。
特に音楽が一推し。去年のコミケで販売されたらしいが、再販などはあるのだろうかと期待していた。
操作だとかバランスだとかには賛否あるが、開発側もテコ入れをしようと頑張っている様子で好感が持てる。
俺自身のしでかしたことがその中に何個か書いてありますが、それはそもそもアカウントを大切にしていれば回避できたこと。正直新しいものは得られません。
アカウントがずぼらだった人間がどうなるのが気になるようならお読みください。
⑤ 一度問い合わせるが、その時点で打つ手が無いと言われる
⑦ 旧端末でなら治せるかも、ということなので状況の詳細を伝える
⑧ ⑥が致命傷として確定
⑨ 禍憑と化す患者
天華百剣のアカウント管理は Twitter あるいは LINE を使った SNS 認証を使用している。これを使用することで他機種間への移行をセキュアに行うことができる様子。
ただ、これを行わなくともプレイ自体は問題なく可能。のんきな俺は SNS提携 を一年以上行わず楽しんでいた。
そんなある日、急に端末を変える必要が出たため、ちょっと急ぎ気味に各データを新端末に移行することに。
iPhone には iTunes などのバックアップツールがあり、これを使うとスムーズにデータを移植できる。一つずつ情報を入れ直すよりこれを使ったほうがどう考えても楽だった。
しかし、天華百剣ではアカウント管理の都合で、これによる移行は保証していない。しかし便利さには代えられなかったため、一回移植後、アプリのアンインストールで問題を解消させることに。
旧端末で Twitter を使用した連携を行って、さあ、新端末を起動だ。
この時点で、しでかしと、しでかし候補を一つずつ作った。
・新端末のアプリを消し忘れて起動
新端末で「Twitter 連携が完了していない」というエラー表示で進めない。
嫌な予感がして旧端末を開くと「セッションのチェックサムが不正」とタイトルで表示され、こちらも進めなくなった。※
この時点で嫌な汗が出る。Twitter には連携しているという情報があるので、こちらは一旦保留としつつ、新端末の方を何度も叩く。三回ほどタイトルをロードし直すと、ようやくタイトル下のボタンが選べるようになった。今回はここから『お問い合わせ』を選択。旧端末と新端末で出ている症状、iTunes を使ってしまったということなどを可能な限り詳しく書いて送信。
次の日の昼、返答が届く。読んだのは夜。
「iTunes のようなツールを使った場合、サポートはしかねる」というだけの返答で、この時点で事実上の死亡宣告だった。
手が震えた。
※実は5/12時点でセッションのチェックサムが不正と出るトラブルが通常で出る場合があったらしいが、こちらの症状はこちらの手順が原因の障害だったととりあえず思っている
震える手で、まだ手があるんじゃないか、どうすれば回復できるのかともがく。新端末にゲームを入れ直しても駄目だった。
少し落ち着いてから、「メールの返答は残念だった、旧端末すら動かず突然の別れになって納得もできず辛いが、本当に打つ手がないのなら仕方がない。今までありがとうございました」という意図のメールを送る。
返答は期待せず、いち早く心の整理ができるように過ごす。
しかし諦め切れない。色々とさらにいじったとき、そういえば Twitter 連携を切れば認証が昔の形式に戻るのでは、と考えた。この時点まで錯乱は続いていたと思う。次の日の仕事では大丈夫だったろうか。
返信を行ったさらに次の日の昼、その返答が届いたようだった。できればすぐに読みたかったが、やはり夜に読むことに。
旧端末が動かないということを二度目の連絡で拾ってくれたようだった。返答はまたしてもコピペ感が強く、そのコピペもミスがあったが、こちらの願いが伝わったのだと大いに喜んだ。
だが、そこには
それを見て、また手が震えた。
やってしまったことは仕方ないと思い、できうる限り、確認に必要な各種情報を可能な限り集めて送る。
まさか認証の有無でしか復帰する方法がないわけがないだろう。開発側なのだし、そういうケースバイケースだって蓄積しているはず。情報として虎の子の課金履歴なら馬鹿みたいにある。多分明日以降、土曜日か日曜日に返答があるだろう。焦らずに待とう。
そのようにそわそわと待っている間、もしかしたら直してくれるのか、直すだろう、課金情報は復帰の情報として強力だと聞いたし、旧端末のデータだって消してない。いや、これだけ情報を送ったのだから必ず直してくれるはずだ、明日には直る、と都合のいい妄想が膨らんでいった。
土曜日の夕方、「認証を削除した場合、復元は不可能」という返答が届いた。読み返しても、今までの文章より明らかに短い。
地獄に糸が垂れたと思ったが、登っていたら切れた。蜘蛛の糸の悪党なら、堕ちた後は反省しただろうか。俺はしないと思う。彼なら自分のことを棚に上げて周囲と糸とを怨みに恨んだだろう。俺はまさにそのような感じだったと思う。
運営には返答に怨みがこもった慇懃無礼な答えで返し、掲示板などでは結果報告という名の毒を吐いた。
おまけに初めての増田で長文まで書く始末。このような苦痛を他の人にはさせたくないという変な使命感で、滑りまくった文章を書きまくっていた。※
その間、巫剣のことは考えなかった。もっと何か手が打てただろうと運営を詰り続け、掲示板では極力短く毒を吐かないようにとしながらもどうしても長文化し、己自身の失敗はこの程度誰でもするだろうと棚に上げて、いかに運営が手を尽くさないように感じたか、いかにシステムの融通が効かないと感じたか、いかに対応が冷たく感じたかを書こうとするのを抑えながら文章を作っていた。
褒められない代償行為。同様の被害者候補のためにという出所不明な大義名分だけが動力で、天華百剣がゲームだったということも一時的に忘れていた気がする。
※今でも何らかの緊急措置はあったほうが良いと思ってはいる。俺のような人間を見かけたらあと二十人いると思えみたいな
夜明けまで禍憑のごとく掲示板などで暴れ回った。六時ぐらいにようやく人の心を取り戻した、気がする。
外に向けての感情は今はあまりないが、誰に向けるべきか分からない申し訳無さが強く内側に残っている。
二度と会えないだろう俺隊長の巫剣に?
多分全部に向けてのものだと思う。
長い夢を見ていたようでもある。一年間のプレイはもしかするとただの夢だったのかもしれない。
問題から三日ほど経ったが、旧端末でのタイトルの向こうは俺が持っていた巫剣が顔を出すだけだ。
キャラクターの顔をずいぶんと久々に見た気がする。起動は何回もしていたのに、エラー文言とお知らせのボタンしか睨んでいなかった。そこでゲームの中身のことを忘れていたことに気づいた。そういえば切り替え前に、イベントがそろそろ終わるから大詰めしたいと思っていた。それができなければ普通は悔しいだろうが、はて、どんなイベントだったか。何が報奨だったか。
個別エピソードは溜めるタイプだから未読が多かったし、これから育てていきたい巫剣だって多かった、はず。コレクター気質があった上にシャナは好きだったから、これからのコラボイベントも楽しみだった、と思う。
何やら他人事のような気持ちになっている。いや、辛いんだろうけど、疲れてるんだろう。多分明日頃には実感も出てくる。もうちょっと元気があった頃はまだ復帰できるようならしたいと思ってたが、色々やっているうちにやる気を全部使い切ってしまったようだ。新規プレイは、いくらゲームが好きだからといっても辛すぎる。
もし運営が返信してくれたら、一連のことを謝って、対応はもういいと答えよう。
運営として応対してくれる人は別に開発メンバーでもないだろうし、その人そのものが権利を持っているとはとても考えられない。向こうには向こうの都合があっただろうし、先日の Twitter トラブルで忙しかったかもしれない。そんな中で忙しくも言葉を拾って、欲しそうな情報をこちらに送ってきたのかもしれない。そもそも内容自体は利用規約のそれと離れていない。そもそも向こうは散々ゲーム内外で警告をしていた。そんなふうに考えるともう、自分には何をする権利も無いような気がする。
何かただ、大きいものをなくしただけの三日間だった。
アカウントだけではなく、もっと言葉にできない、取り返しの付かないものをなくした。
数日前、アカウントをもっと大切にしていれば、もう別人と言える過去の俺が望んでいたかもしれない未来があったかもしれないのに。
アカウントさえ無事にあったなら。
https://anond.hatelabo.jp/20170618222039
【映画】「俺は、君のためにこそ死ににいく」 : bogusnenews
石原慎太郎製作総指揮のもと、太平洋戦争末期「体当たり特攻」の真実を描く、感動のノンフィクションドラマ。公開前から多方面で話題を呼んでいる注目作で、あまりの人気から都内の金券ショップも前売券を一枚100円で売るなど対応に追われているほどだ。
「君のためにこそ死ににいく」の「君」とは、もちろん
「天皇」
のこと。劇中では天皇のため、まったく自発的に命を捧げようと名乗り出た若者たちが、鬼畜米兵を倒すべく美しく散華してゆく姿が描かれる。景気づけに葉っぱをキメて特攻機に搭乗する主人公学徒兵役に窪塚洋介。役作りは完璧で、今にもマンションから飛び降りるのではないかという迫力をひしひしと感じた。
また、特攻隊創設者の富永恭二陸軍中将役で石原慎太郎氏が特別出演。
と訓示を垂れたあと温泉地に向かい、暴飲暴食で自決しようとするシーンは、都知事のふだんの執務姿勢と重なって見え、血税を払う都民にには涙なくして観ることのできない名場面だ。
「犬死」という意味の言葉を理解するには、これ以上の教材はあるまい。都教委は現在、公立小中学校での上映開催を検討中とのことだ。
http://bogusne.ws/article/41732444.html
2007.5.13
『さんかれあ』という漫画がある。とても面白かった。面白い物を読んだら、その面白さについて語り合いたい。だけど俺にはそんな気の利いた友達は居ないから、いつもはネットで他の人の感想文を読んで満足することにしている。だけど、『さんかれあ』については、ちょっと検索した程度では語っている人が見つからない。だから俺が書くことにした。増田に。この感想文を読んで、一人でも多くの人が、この作品を手に取ってくれたらいいな。
では早速『さんかれあ』の魅力を語って行きたいのだが、ネタバレなしで語ることはできないので、そういうのが気になる人は先に『さんかれあ』を読み終わってから続きを読んで欲しい。
などと言うだけで本当に本が売れるなら苦労はないので、まずは立ち読み感覚でこの物語を紹介をしようと思う。
主人公はゾンビが大好きな男子高校生。死んだ飼い猫を生き返らせようと、廃墟で夜な夜な怪しい書物を元に蘇生薬を調合していた。その夜も薬の調合に精を出していると、同じく人に言えない秘密を抱えたヒロインと出くわす。ヒロインは良家のお嬢様なのだが、父親の偏狭的な愛から来る過度な束縛と、性的虐待ともとれる行為に打ちひしがれ、しかし誰にも相談できずに、ただ古井戸に向かって内心を叫ぶことで心のバランスを保っていた。彼女も主人公の作っている蘇生薬に惹かれ、二人は薬を作るため深夜に密会するようになる。それを知ったヒロインの父は二人の仲を引き裂こうとするが、逆に不慮の事故から彼女を死なせてしまう。だがなんと、主人公の作った蘇生薬を飲んでいたおかげで、彼女はゾンビとして生き返ったのだった。これは人の道を外れ、やがて腐り果てる体となりながらも、ゾンビとして刹那の人生を楽しもうとするヒロインと、その期望を叶えながらも、彼女を救う道を模索する主人公が織りなす、ボーイ・ミーツ・ガールな、ちょっとラブコメで、だいたい妖艶にエロくて、けどちょっと物悲しい、そんな青春物語──
さあ、続きが気になるなら即Amazonでポチろう! アニメにもなってるからDVDもいいぞ!
では、以降は『さんかれあ』を読み終わったことを前提にして語っていこうか。この物語は難病系の一種である。サナトリウム文学って奴である。俺は『世界の中心で、愛をさけぶ』とか『イリヤの空、UFOの夏』とかも好きだ。我ながら分かりやすい消費傾向である。パターン一緒じゃん。けど好きなのだから仕方がない。
しかしその二つと違って、『さんかれあ』は読んで号泣してしまうような物語ではなかった。端的な表現をするならば、読めば自然に目に涙が滲んで、でも流れない。そんな物語だった。思うに、これは登場人物に感情移入できないことが理由ではないか。だって俺はゾンビっ娘に萌えないし、好きな人を食いたくなって葛藤することもないし、千紘にも礼弥にも感情移入は難しい。だから、自分事ではなく他人事として物語を眺めることになるし、きっとどこか遠い世界でこんな美しい物語があったのだろうかと思うと、憧れや寂しさが複雑に混ざり合って、心臓の裏側と背骨の間にシンシンとした冷たい痛みを感じるのである。ああ、たまらない。
ひとまずは物語の全体の流れを振り返ってみることにする。『さんかれあ』は全11巻の物語で、展開はわりとはっきりしている。序盤はヒロインの家庭関係における悩みが原動力になって物語が進み、一応の決着を得る。中盤はいよいよ難病物の顔が現れてきて、主人公たちの奔走も虚しく終盤に悲劇が訪れる。
各巻ごとにもうちょっと詳しく展開を追うと、1巻目は起承転結の起で、千紘と礼弥の出会い、礼弥のゾンビ化という物語の中核を担う事件が起こり、暗に陽に物語の今後の方向性が示される。2巻目ではこの作品におけるゾンビの設定を読者に紹介しつつ、ヒロインの父親と対決し、勝利する。3巻目ではダリンからゾンビの運命が告知される。4巻目で礼弥に症状が発症し、5巻目で奇跡的な回復から小康状態を楽しみ、呑気にラブコメなんてやって、ずっとこのままでいられるかと思わせておきながら、6巻目ではばーぶを使って、千紘に生な体験としてゾンビの宿命と礼弥の未来の姿を見せつける。7巻目から8巻目でZoMAに出向いて謎の巨大な組織との戦いを経験しつつ、新たな希望を提示して、9巻目から10巻目で残っていた謎に説明を着け、その間にも礼弥の病状は深刻化し、ついに日常は崩壊し、11巻目でバッド・エンドかと思わせながら、どんでん返しでハッピー過ぎないハッピーエンド、となっている。
俺は何かと戦う姿を書いた物語が好きである。戦うとは、今の自分の境遇を少しでも良くしようともがき苦しむことである。結果として自分も人も傷つくかもしれない。だが止めるわけにはいかない。そういう、どうしようもない衝動の事である。
『さんかれあ』には主に二種類の戦いを描いた物語である。一つは自分を取り巻く周囲の人間関係との戦い、そしてもう一つは死別という生命にとって避けられない運命との戦いである。物語の始めから終わりまで、一貫して千紘は死別と戦っている。普通の難病物では、死にゆく人を死なせないために戦うのであるが、この物語では既に死んだ人を取り戻すために戦うのが、オリジナリティであり哀愁を誘う仕掛けである。一度死んだ者に仮初の生を与え、やがて失う事の決まっている仮初を、どうにか逃すまいともがくのである。生きる者は全て死ぬ。その絶対的な運命を一度回避してしまった代償に、二度目の死別はより悲劇的で凄惨な物として描かれている。
この戦いの周囲を彩るように登場人物の様々な戦いが描かれる。礼弥は父の強すぎる愛情と戦い、わんこは恋敵と戦い、ダリンは父の気を引くために戦い、じーちゃんはあらゆる死別と戦い、戦い、戦い疲れて引退している。
面白いのはこの物語に描かれたぞれぞれの戦いは、全部バラバラに並列に起こっている戦いであり、基本的に全員が自分の戦いは自分でケリを着けているところである。千紘は他の登場人物の戦いに巻き込まれはするものの、せいぜい手を貸すといった程度で、最終的な幕引きは必ず本人が行っている。例えば序盤に大きなウェイトを占める礼弥とその父との戦いだが、千紘は父側に拉致されたために巻き込まれる形になったが、本人が積極的に散華邸に乗り込むようなことは無かった上に、父の妄執を断ち切ったのは礼弥自身である。千紘が能動的に行動するのは、自分がゾンビにしてしまったばーぶや礼弥に関してのみである。これらの戦いがその時々で出たり引っ込んだりして、作品全体の緊張感を一定に保ちながら物語は進行する。
分析してみると、俺はこういう、死別と戦う話が好きなんだなぁと改めて思った。
さて、物語の骨格を分析してみたけれど、ちょっと理屈っぽくて退屈な感じになってしまったから、今度は物語の肉にあたる部分を見ていこう。いくらご大層なテーマがあっても、作品に魅力が無ければ読まれやしない。この物語を読者に読み進めさせる魅力は、やはりヒロイン、散華礼弥がとびっきりかわいいからだ。壮絶に色気を醸している。まじやべえ。
彼女は死のメタファーである。第1話の1ページ目からして腹から腸はみ出させている。まじやべえ。次の登校中の登場シーンではありきたりな、つまらない美少女キャラかな? と思うが、千紘が蘇生薬の調合なんつー怪しい作業をしている雰囲気の中で再び現れ、傘から死んだような顔をのぞかせて、何をするのかと思えば井戸に向かって大声で愚痴を叫びだす。この落差にくらくらする。静から動の変化。死から生への変化でもある。しかも、実の父親に裸の写真を撮られているらしい。アブノーマルで背徳的で、ひたすらエロい。エロいが見た目は清純キャラだ。というか彼女はエロくない、ただの被害者だ。同情すべきだ。だがしかし、劣情をかきたてられるのは、いたしかたない。
そんで、胸チラしながら千紘と一緒に蘇生薬を作りたいとか言い出す。死体をゾンビとして生き返らせる薬なんて、イケナイ物を作る作業を、一緒にやりたいとか言うわけだ。背徳的だ。こんなの絶対に二人だけの秘密だ。美少女と誰にも言えない秘密を共有? たまらんがな。優越感と自己肯定感をかきたてられる。羨ましいな!
そしてこの短いやり取りの中に「死んで別の人間に生まれ変わりたい」「実験台になってくれよ」「私がゾンビになったら」などと不穏なセリフが散りばめられている。第1話の最後のページも、可憐な笑顔と不吉なモノローグが対比して、どえらい色気なのである。なぜだろう。スイカに塩をかけると甘くなるのと似た原理かもしれない。うん、やっぱ影のある美少女っていいよね!
もーこれだけでもノックアウトなのに、第2話もエロかわいい姿を見せてくれる。特に千紘にゾンビとして生き返らせてくれと頼む時の表情はたまらない。何かを思いつめているわけだが、一度死んでゾンビとして生き返る、なんて眉唾であまり気分の良い話じゃないものを真剣に頼む様子に、やはり死のイメージを感じる。紫陽花で作った蘇生薬をばーぶに飲ませるが、生き返らなかった。そこには静かな、ただただ静かな死が表現されている。そして夜出歩いていたのを父に見つかり、自宅での軟禁生活が決まった彼女は、その夜、涙を流しながら紫陽花の毒で自殺を試みるのだ。なんともいじらしい。
そしてついに事は起こり、彼女は崖から転落死する。そのシーンがまた凄い。彼女は落下の途中に腹部を木の枝に引き裂かれ、血まみれになりながらも立ち上がり「責任取って…下さいね…」と来るのである。言うまでもなくこれはセックスを暗示する。しかも処女喪失である。暗示されているのはセックスなのに、しかし実際に描写されているのは腸のはみ出た死体である。ここで脳の認識野が多少の混乱をきたす。この混乱の結果生まれるのが、ゾクゾクするような壮絶な色気である。今まで丁寧に積み上げられてきた描写が、この血まみれの満面の笑みに集約して、散華礼弥というキャラクターを固定する。読者は完全に恋に落ち、もはや彼女から目が離せなくなる。
こうして『さんかれあ』という作品の最大の魅力が作られたというわけである。ゾンビになった彼女はむしろ生き生きとして、短くてもいいからささやかな幸せを楽しみたいと言う。いい娘すぎる。いじらしい。かわいい。それでいて、意識の混濁したゾンビとして、欲求に素直な妖艶な姿を見せたりする。たまらない。また、この表現は楽しい時間が限られている事を否応なく読者に思い知らせ、切なさを一層かきたてる。この思いは彼女の体に、癒えることのない傷が増えていくに従って強くなる。彼女は必ず失われるのだ。ああ、悲しい。切ない。彼女と一緒にいる、今この時が尊い。
もちろん魅力的なキャラクターは彼女だけではない。千紘の幼なじみにして姉さん女房役のわんこは、生のメタファーである。ゾンビとなった礼弥とは対称的な存在である。生きた生身の女なのだから当然である。それだけでなく彼女は千紘や礼弥が落ち込んでいたり、物語の分岐点で、彼らを引っ張り上げる役割をする。死の世界から救い出してくれるのである。
ダリンは患者に病状をつきつける医者の役割をする。甘い事を一切言わない恨まれ役でもある。だが間違った事も言わない筋の通った人間である。
じーちゃんもまた、いい味を出すキャラクターである。最初に蘇生丸を調合し、全ての物語の元凶となった人物。一番最初に礼弥を見た時、彼女を貞と呼び、「わしが悪かった」と謝っているが、後になってこのような細かな伏線がきちんと回収されるのが心地よい。普段はボケているのに時折見せる鋭い視線にも魅せられる。いくつもの死別を乗り越え、傷つかなくなっているのではなく、傷を飲み込み共に生きる事を覚えた成熟した男を思わせる。最期に元妻のゾンビと一緒に逝くシーンは思わず涙ぐむ。
書ききれないが他にも魅力的なキャラクターが満載である。このキャラクター達が魅力的な物語を作っているのである。
さて、長々と語ってかなり満足した。『さんかれあ』面白いからみんな読むといいよ! ああきっと、紫陽花を見る度にこの物語思い出すんだろうなぁ。