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はてなキーワード: クラス替えとは

2024-03-13

学校でのいじめ問題なる度に思い返すこと。

学校では絶対自分の弱みを見せてはいけないんだよな。

例えば食べ物好き嫌い一つでも給食の時に、嫌いな食べ物を山程盛られると言ういじめを受けることになる。

そうして次は1人2人から手が出るようになり、それがクラス全体から学年全体に広がり、

進級してクラス替えが行われてもいじめ継続し続けることになる。

地元で進学したら情報は共有されるのでいじめから抜け出せない。

そこまで行くと精神ねじ曲がるので結局大学にいてもハブられるし、

会社に行っても良好な人間関係を築けない。

それ以前にコミュ障過ぎて就職もできない。

幼稚園の頃から他人絶対いかなる弱みも見せてはいけないって教育すべきだわ。

それくらいしないとまともな人間に育たない。

2024-03-07

境界知能っぽい奴の扱い方ってどうしたらよかったんだ

うちの高校私立偏差値60~位でどちらかといえばこの高校に来たくて来た人よりかはちょっといいとこの高校に落ちて来た奴が多い所だった

その中でも自分達のクラスちょっと特殊で3年間クラス替えがない所だった

その中で1人恐らく境界知能だな、って感じの奴が居たんだけど本人も凄かったし周りも凄くて嫌で自分高校辞めてしまった 適当に吐き出す

言い方悪いかもしれんけどそいつ(以下A)は顔付き見たらそっち系の人だなって察しはつくような感じだったし自分最初にこいつを見た時あーやってしまった、と思ったのを覚えてる

暴力を振るだとかTheいじめみたいなやつは無くてちょっと頭良い子特有のいじり(いじめ)が酷かった

Aは女への執着が凄くて、1年の最初からインスタの女を片っ端からフォロー勝手ストーリー宣伝したりDM送って速攻会おうとしたり、自撮り送ってきたり附属の中学校女子生徒に告白したりと最初からめちゃくちゃ暴れてた

そんな好き勝手やってたからたちまちそいつ有名人になって、同学年、先輩、そのうち後輩も全員知ってるような学校有名人になってた。

休み時間は毎度ドア前に先輩達がニヤニヤしながら集まってくるし、いじる為にわざわざ釣り垢を作って適当な所に呼び出したり、そいつ問題行動を面白おかし喧伝するインスタアカウントが出来たりしてた クラスの9割くらいはそんな感じだったので私はほぼほぼ友達は出来なかった

生徒側もまあヤバかったけどAもAでまあヤバくて釣り垢でイケメンだとか囃し立てたせいで行動はエスカレートしていくし、文化祭クラスTシャツを作る時に自分の案が採用されなかったからとクラスラインで長文ブチ切れお気持ち表明、授業中に何故かブチ切れて先生暴言を吐き出して教室から締め出すだとか、情報時間で何故か1人で勝手にサ終してるエクスプローラーを使って先生に苦言を呈されたところでブチ切れて授業を飛び出して戻ってこなくなったりと酷かった 周りの生徒は全員ニヤニヤしてるしなんかもう全部気持ち悪かった

自分は2年の時に高校辞めた 元々クラスが嫌すぎてそんなに授業出てなかったし成績だけはそこそこ良かったしさっさとあそこから逃げたかった 絶賛今ニート謳歌してる(勉強はしてるよ)

ここまでで自分は何にも悪いこと加担してません、みたいに書いてるけど実はそんなことなくて1回だけ興味が湧いて釣り垢作ってAのことフォローしたんだ

けどなんか罪悪感と他生徒達と同じことしてるっていう嫌悪感と、何よりこいつがもし性犯罪とか犯したら助長させた私達にも責任があるんだって思うと怖くなって会話を3ラリーくらいして投げ出してアカウント消してしまった

Aのインスタはいつも食ってる飯とかも投稿してたんだけど毎食全部フードコートうどんとかで多分親もそっち系なんだろうなって察して益々罪悪感で吐き気がした

Aの勉強態度は極めて勤勉ではあったけどトンチンカン質問をして先生を困らせたり、classroomで長文質問攻め、ノートはびっしり取るけど典型的勉強が出来ない奴のノートって感じだったし実際チラッと見た定期テストの結果は全部平均より十数点低いような点数ばっかだった

本人はめちゃくちゃ努力してこの高校に来て勉強してるんだろうと思うとなんとも言われぬ気持ちになった

けど私はずっと周りの行動を嫌だとは思いつつも結局Aを矯正させようと行動はしなかったし結局責任逃れをしてしまった Twitterでサワムロゲンキが話題になってたけどあれのユズちゃんのようになってしまうのが怖かった

あの時私はどういう行動を取るのが正解だったんだろう

Aが将来福祉に繋がれて矯正出来るようになるのを祈ってる、どうか犯罪なんて犯しませんように

2024-02-06

俺の実家は太い

実家が太い云々という増田を目にして、俺もつ自分人生について書きたくなった。

約30年前、俺は両親が医者の家庭に長男として生まれた。

医者というとなんとなく世間的にもお金持ちのイメージがあるだろうが、事実裕福な家庭に生まれたと今でも思う。

そんな俺だが、結局30も手前になって職歴なしどころか学歴すらない立派な引きこもりに成り果ててしまった。

まず前提として俺の家系は代々医者一族で、父方の祖父地元(と言っても俺の住んでいる市内)でおそらく一番大きい総合病院理事長をしていた。

その祖父思想が強く、医者でなければ人間でないと言わんばかりの態度を常に振り撒いていた。

母方の祖父母は確か医者ではなかったと記憶しているが、いつだったか父方の祖父母の家に連れて行かれた際、「あまりあっちのじいじ・ばあばと話をすると頭が悪くなっちゃうぞ」などと耳打ちされたことを今でも覚えている。

当時は家や身なりも立派で見るからに"偉い"祖父漠然尊敬していたためにその言いつけを守り、母方の祖父母とはほとんど口も聞いていなかった。

俺がそんなだからか、或いは母親か誰かがそんな祖父辟易したのかは知らないが、小学校の高学年くらいから母方の祖父母に会うことは無くなった。

そんな祖父プレッシャーのせいか物心がついた頃にはもう塾に通っていた。

習い事も多くさせられ、ピアノバイオリン空手水泳テニスを確か幼稚園くらいから習っていた。

これは気質もあるのだろうが、自分の意に反して何かをさせられるのがかなりのストレスのようで、あまりにも習い事に行きたくなくてよく体調を崩していたり、時には仮病を使ったりしていた。

また、センス問題なのかモチベーション問題なのか、どの習い事も全く上達せず、発表会や大会のたびに親に恥をかかせてはよく平手打ちをされていた。

ある夜、何かをしたくてリビングに降りた時、両親が俺が何もできない無能である事について真剣に話し合っているのを耳にしてしまい、眠れなくなってしまたこともある。

いつしか出来損ないのレッテルを貼られた俺は、それでもなんとか医者に仕立て上げなければならないという強迫観念を持った両親の元で家にいる間は四六時中机に縛られ、常に勉強をさせられていた。

朝起きたら強制的に机に座らせられ、親の指定する量の勉強をこなすまでは朝食すら取れないような生活だったので、朝起きるのが苦痛睡眠障害になってしまい、次第に学校にすら行けなくなってしまった。

勉強ストレスで常に吐き気がしており、食欲もなく、睡眠不足も相まって頭も余計に回らず、さらに両親に叱られるといった感じで完全に負の連鎖に入ってしまっていたと思う。

ネットテレビに触れなかったためか、「自殺」という概念が当時の自分の中になかったために踏み切ることがなかったものの、もしもその概念を知っていたなら、間違いなく自殺を選んでいたと思う。そんな精神状態だった。

そんな両親の下なので中学受験をさせられ、結果としてはそれなりの中高一貫校入学することはできた。

しかし、高ストレス下で勉強だけをさせられて育った結果、いつしか俺は著しいコミュニケーション障害を抱えていた。

小学生の頃に友達と遊ばせてもらうことができなかったせいか、両親に過度に気を使う癖が付いてしまったせいか、原因は今となってはわからないものの、とにかく友人とフラットコミュニケーションを取るということが全くできなくなっていた。

当然の帰結かもしれないが、イジメにあった。

と言っても育ちのいい生徒ばかりだったので、ドラマアニメで見るような苛烈ものではなく、ただ無視されるとか陰口を言われるとか、そんなレベルではあったが。

いずれにせよ学校に居場所をなくした俺は、いつしか不登校になっていった。風邪で休んでそのまま復帰できなくなったとか、そんなんだった気がする。

クラス替えというシステムがない学校だったため、一度不登校になってしまったら人間関係を取り返す術はなく、そのまま5年半ほど不登校を続ける形になった。

留年して再スタートすることも提案されたが、両親の面子を保つためか受け入れられず、(どういうシステムかは今思えば謎だが)とりあえずそのまま進級し、卒業を迎えることになった。

当然医学部を目指させる家庭方針だったため、塾・予備校には通わせられていたし、家でも小学校の時さながら机に縛られる生活だった。

しかしながら、反抗期を迎えたこともあり、また俺の体格が大きくなってきたこともあるのだろうが、小学校の時ほどは勉強強制されず、俺も次第に家の中でも部屋に引き篭もるようになった。

もちろんある程度独学はしていたものの、受験の結果は案の定ダメで、箸にも棒にもかからないような成績だった。

とは言ってもMARCHくらいなら合格できる成績だったのだが、医学部以外の受験は認められなかったため、全落ちのまま浪人生となった。

それ以降は特に語ることもないが、2浪、3浪とする中で、親の洗脳も次第に解けていった。そうすると、ただ親の意向のためだけに医学部受験をしていることの虚しさを目を向け始めてしまい、勉強にも身が入らなくなっていった。

そうはいっても医学部以外への進学を認めないという親の方針は変わらず、一応俺は10浪中ということにはなっている(と思う)。

が、2年前くらいかセンター試験(共通テスト)の出願すらもしないようになった。そのことに両親が気づいているのかもわからないが。

もちろん住む場所にも日々の食事にも何一つ困ってはいないのだが、俺はきっと社会に出ることはできず、ひたすらに自我と向き合いながら、この広い実家幽閉され続けるのだと思う。

もう30も目前となった今さらになって、軌道修正を図る気力も無いし、仮に何か行動したとて無意味なんだと思ってもいる。

そしておそらくは両親も、こうなってしまった俺をどうして良いのか、そして俺と、ひいては自分たちの過ちとどう向き合って良いのかがわかっていないんだと思う。

から今日も変わらず義務のように母親は俺の食事を用意し、父親は何も言わずに俺のボロいスマートフォン通信量を払い続けいてるんだと思う。

多分お互いに、行動を起こすのが怖いんだろうな。

から現状維持に甘んじて、昨日と変わらない今日を過ごすことで失敗から目を背けているんだと思う。

こうやって気づけば10年以上が経っていて、きっとそのまま老いて死んでいくんだろうな。

いつだったかネットで『5億年ボタン』のコピペを読んだ時に感じた、途方もない無の中に幽閉される恐怖。

思えば俺はその中に今居るし、ついぞ抜け出すことなどなくそのまま死ぬんだろうと思う。

とりとめもなく書いてしまって終わり方もわからなくなってしまったが、一旦この辺で終わりにする。

読んでくれてありがとう。これを書くことをコミュニケーションとまでは言えないだろうが、誰かに自分気持ちを表明する経験が無さすぎて、書きあげるとともに凄いカタルシスのようなものを感じている。

2024-01-19

自民党は「派閥解体するから許してヒヤシンス!」って感じだけど、それは「クラス替えするからイジメは無かったってことで!」くらいのクソどうでも良い対策なんだが

2023-12-28

小学4年生のとき友達二人が荒れた

もう20年以上前の話になる。荒れたと言っても、先生に歯向かう、言うことを聞かない程度で、今思えばかわいいものだった。



反抗したのはA君とB君。A君とは家が近く、1年生のころから仲良く遊んでいた。小さいころから剣道をやっていて、とても背が高く、足が速く、頭も良くてかつおしろい子だった。B君についてはよく覚えていない。学校では割と仲良く話していたが、学校外で一緒に遊ぶことはなかった。B君も割と体は当時から大きめだった。


小学3年生でクラス替えが行われ、私はA君・B君と同じクラスになった。担任40代くらいの男の先生で、特に問題なく1年間を過ごした。小学4年生になるまで先生に歯向かう児童を見たことが無く、荒れた様子もまるでなかった。


小学4年生になり、担任先生が替わった。30代半ばくらいの女性先生だった。割とハキハキとしていて、怒るときには物おじせずにしっかりと怒るタイプだったが、今思えば「口うるさいお母さん」みたいな先生だった。若めの女性であったこと、体罰がなかったこと(当時はもう体罰時代遅れ、という雰囲気だった)、お母さんみたいなタイプだったことが、周りよりも少し早く成長期を迎えた二人の反抗心を呼び起こしてしまったのかもしれない。


最初に反抗したのはA君だった。最初きっかけはわからない。注意をする先生に口答えをする、歯向かう、無視する、言うことを聞かないといった、まさに反抗期男子母親に歯向かうそれに似ていた。その様子を見たB君も同様の行動をとるようになり、いつしか二人はその学校問題児となった。二人が問題児となって以降も、先生はめげずに立ち向かい続けていたが、いかんせんアプローチ方法最初から変わらないため、特に改善兆しが見えないまま月日は流れていった。なお、期中に二人が校長室に呼ばれ鉄拳制裁をくらう(最初にB君が殴られ、それを見ていたA君はよけることができたらしい。A君とB君が逆かもしれない)こともあったらしいが、その二人の態度が変わることは無かった。

二人とも似たような行動をとっていたが、どちらかというと主犯がA君でB君が追従者といった印象だった。A君はもともと芯のある人間で、自らの考えで主体的に反抗している印象があり、そこには当時の彼なりのフィロソフィーがあったと感じた。一方B君にはそのような印象が無く、なんとなくむかつくからA君の真似をしていた、程度の印象だった。これは卒業以降の二人の歩む道の伏線でもあった。

二人が問題児となって以降も、クラス運営は(ほかの児童目線では)問題なく続けられていた。二人は担任先生に反抗するだけで、授業の邪魔をしたり他の子いじめたりといった周囲への妨害がなかったかである。というか、その二人を含めクラス男子基本的にみな仲良く1年間を過ごしていた。そのため、その二人の反抗をスルーすればクラス運営機能していたように思う。

ただ、みな仲が良かったこともあり、同じクラスの他の児童特に男子)へは悪い影響を及ぼしていた。二人のような表立った反抗はしないものの、先生の話を話半分で聞き流す、誰かが怒られていると別の子が「短気は損気~」なんて歌をわざと先生に聞こえるように歌う、など男子を中心にうっすらと先生に歯向かう雰囲気が醸成されていった。なお、女子集団には特にそうした雰囲気は感じられなかった。

前述の通りこれまで先生に歯向かう友達学校内で見たことが無く、私はそれまで、先生学校側)=絶対的存在とみなしていた。先生に反抗するなど夢のまた夢と考えており、そのためこの二人の行動は衝撃だった。そんな私も周りの雰囲気に流され「この先生むかつくな」など軽い反抗心を抱いてはいたが、一部の友達のように反抗を匂わせる行動はついに最後までとれなかった(びびっていたのである)。


小学5年生になり、クラス替えが行われた(このタイミングでのクラス替えは例年通りである)。私はA君と同じクラスになった。B君は別のクラスになった。4年生の時に担任先生は他の学校へ異動となった。私とA君のクラスには、新たに別の学校からきた男性教諭担任に就いた。当時40代半ばで中学教諭経験しており、背は低いながらも厳しい先生であった(なお、この先生が私の父親同級生であることが後日判明する)。B君のクラスにもおそらく男性教諭があてがわれただろうが、よく覚えていない。


5年生になって以降、A君とB君は急におとなしくなった。今思えば、この男性教諭はA君への刺客だった。A君とB君がお互い離れ離れになったこと、それぞれ厳しめの男性教諭担任になったことで反抗的態度をとりにくくなってしまったのだろう。5年生以降のA君の様子はむしろ優等生寄りで、赴任時にかなり身構えていたであろう男性教諭は拍子抜けしたかもしれない。そして特に問題を起こすことなく、二人はそのまま小学校を卒業し、私とその二人は地元の同じ中学校に進学した。

中学生になってからの二人はまったく別々の道を歩んだ。先にB君について話すと、いわゆる「不良」になった。数世代前にめっぽう荒れた中学校で、不良自体は当時もまったく珍しくなかった。引き続きB君とはたまに話をするくらいの間柄だったけど、がたいがよくたまに人を殴っていたので「殴られたら怖いな」と思い内心びびっていた。中学卒業後の進路についてはよく知らない。高校に進学したのかどうかもわからない。

A君は、小学5年生の「更生」路線中学でもそのまま続けていた。引き続き頭がよく成績も優秀、さら生徒会に入りついには地元進学校に推薦で入学してしまった。中学時代も引き続き仲良くしていたしB君みたいに周囲を怯えさせるような人でもなかった。普通の「いいやつ、おもしろいやつ」で、もし中学から友達が彼の小4時代の話を知ったら多分びっくりしていたと思う。本当にあの1年間だけだった。たぶん、早く到来してしまった反抗期とあの先生が悪い意味でうまく組み合わさってしまったんだと思う。


私はA君とは別の高校に進学し、それから連絡もとっていないため彼のその後についてはよくわからないが、高校卒業後は東〇電力に入社したらしい。てっきり大学受験をするのかと思っていたため、少々驚いたのを覚えている。B君についても詳しくは知らないが、中学同級生結婚して子どもがいるらしい。


思い出話はここまでである特にオチが無くて申し訳ない。年末帰省準備をしていてふとA君のことを思い出し、書きたくなってしまった。A君はいま何をしているのだろう。芯のあるしっかりした人間で柔軟な思考も持ち合わせているから、問題無くやっているとは思う。もしA君がこの文章をみたらすぐに自分のことだと気が付くと思う。書き手についても大体察しがつくだろう。

今の彼にとって、あの1年間とその1年間が彼のその後に与えた影響をどう考えているんだろう。中学時代話題に出したことはあるけど「あの先生がうざかったからね~w」くらいの話をした記憶しかない。30歳を過ぎた今なら、その「総括」もできているんじゃないだろうか。私個人勝手な考えだけど、あの1年間は彼の精神成熟に多大に貢献したと思う(当時の先生不憫に思うが)。彼がいまどのように感じているのか、一度話をしてみたいものである

2023-11-14

十年以上会ってもない一人が消えてくれない

これは初恋の話なのだが、いや、恋と呼べるのかすらわからないのだけれど。

いまだに夢を見るのだけど勘弁して欲しいとおもう。

会ってもないと書いたが、まじで会ってないどころか連絡ひとつも取ってない。連絡先すら知らない。

そもそも親しいというわけでもなく、付き合ってたとか告白だとか、そういう甘酸っぱいものもない。

小学生中学生の頃の話で、高校は別ですっぱり縁は切れたのにだ。

自分でもまじで?って半笑いしかならないのだが、一眼見た時から多分好きだと、思った。

友人が恋だとか誰が好きだとか、そういう気持ちはわからなかったけど、その人を一眼見た時から好きだなって思った。

謎。マジで謎。顔がもろタイプだったんか?多分そうなんだけど。

付かず離れずのクラスメイトで、小学生などは人数も多くもなかったのでクラス全員それなりに仲の良く、遊びはしたが、それ程度。

特別感情を抱いているなど、恥ずかしかったので、一切表にも出さなかったし、それに後悔などもしていない。

今更会ったとしても、絶対どうにかなろうとも思いはしないのだけど、

その人だけを覚えていて、いまだに時々夢に出てくる。

いい加減にしてくれ。

いや、うんざりしているわけではない、目が覚めた時、うわーまたか。とか、まだ。とか思うのだ。

誰にも言ったことはないし、夢日記などと言った見た夢をメモるなども、したこともない。

意識的にしないようにしてるのがダメなのか、わからないけど、十年以上経った今でも、忘れられないのは、いかがなものか。

代わり映えがない日常のため、幼少期とも言える時代記憶を引きずり続けているのか。

消えてくれとは、書いたが、消えて欲しいわけではない。

もう一度会いたいとは思わない、がっかりしたくもないしね。

特別印象的な思い出というものもなく、ただ、学校に行くたびに、好きだなとぼんやり思ったり、

クラス替えのたびに同じクラスにして欲しいと願ったりはしていた。

恋などしたくないし、結婚などもってのほか。誰か特別を作りたいとも思っていないから、いまだにその人だけを、忘れられないのか。

その人とどうにかなりたい訳ではない。

他の人と同じように、思い出のように溶けてくれない。

溶けて欲しいような、溶けて欲しくないような。

きっとまた、その人の夢を見るのだろう、忘れた頃かも知れないし、今夜かも知れないけれど。

フィクションなら綺麗な話になるのだろうけど、現実だとすこしだけ、自分うんざりする。

2023-10-18

選択子無しというか子を持ってはいけないと思ったから産み育ててない

本当は子育てはしてみたかった。

けれど、私は子を持ってはいけない側だと8歳の時から感じているから、子供を持つことを諦めた。

「子を産み育ててはいけない」と自分に言い聞かせすぎて、35歳を過ぎるまで、「自分子育てをしてみたかったのだ」ということにすら気づけていなかった。

私は自分感情について、とことん鈍かった。何かをしたいと感じたことがなかったから、自分子育てをしたかったなんて夢にも思わなかった。

子をもってはいけない側だと感じた理由は多数あるけどまとめるとこんな感じだ(まとまってない)

【① 障害を持った子や「育てづらい子」が生まれたら育てる自信がない】

自分発達障害ADHDASDはグレー)で周りから非常に浮いていて(でもどうしたら浮かないかはわからなくて)生きづらかった。母親兄弟もそうだし、親族にもちょいちょい自閉症だったりASD傾向が強い人が多く(奇声を発したり走り回ったり、幼い頃は癇癪を起こしてノートをめちゃくちゃにしたり、大人になっても言ってることの意味がわからなかったり)、遺伝すると思ってしまう。兄弟はかなりひどい障害なのだが、それ以上酷い(相手暴力を振るうとかのパワー系)子が生まれ場合は無理だ。菩薩のように過ごせる自信がない。

引きこもり不登校ニートになってしまった場合に、一生面倒を見なきゃいけないのが辛すぎる。見捨てることもきっとできない

・生まれから病気障害を持った場合も辛すぎる(自分で痰を出すことができないような子を育てていく自信がないです。親も本人も何も悪くなく運悪くそなる子がいる)

【②自分メンタルが弱すぎる】

発達障害のせいも多分にあるとは思うが、人から言われたことに傷つきすぎる。自責志向が強く、自己受容感も自己肯定感も皆無なので、そういう人間に育てられる子がかわいそう

・周りの友人たちや世間女性で「子育てしてて子供ぶっ〇したくなることなんてあって当たり前。それでも子供は育つ」とかみんな言うんだけど、私はそんな感情自分の子供に抱く自分自身を許せないと思う。自分の子なのに「こんな奴ともう一緒にいたくない」と思ってしま自分は許せないと思う。最初から素敵な母親にはなれるものではないと分かってはいるけれど、自分自分を許せそうになかった

から言い訳ばかりの私みたいな女は母になれなかったのだ、仕方ないのだと自分に言い聞かせているけれど…

【③そもそも自分が人付き合いが下手すぎる】

女性の中で全然うまく立ち回れなかったかPTAやママ友などと上手くやれそうにないし、そもそもまり他人に興味ないからその人達と仲良くできる自信がない

・親子にも相性があると思っている。私は両親にも家族にも感謝してやまないが、実家にいて心が休まるときはなかった。誰も悪くはなくただ相性が悪いのだと思う。

自分は超田舎出身なのだが人が少なすぎてクラス替えがなく小学校6年間いじめられていた。自分の子いじめられっ子になったら心がつぶれるほど辛いし、もしくはいじめっ子側に回った時にはその神経が全く理解できなくてそれ以降育てたくなくなる。

【④そもそも自分人間に生まれてよかったと思えたことがない】

・瞬間瞬間楽しいことがあるにはあるが、生きててよかったと思わないし、何かをしたいとかも思えない。生きていてやることがないなと感じるが、子に先立たれるのは辛かろうから親の葬式を出すまでは何とか生きなきゃと思えてはいる。が、両親が死んだら夫が死んだら夫の両親が死んだら、本当に生きるのがしんどいので何をモチベーションにしようと思ってしまう。両親義両親夫の葬式出したら、秒で死んでもいいし、その責任ないなら今すぐ消えてなくなりたいくらい。死にたいんじゃなくて、生きていたいと思えない。ずっと昔から

・おとなしくていい子だったら欲しい育てたい、一緒に過ごしてみたい…何万回もそう思ったけど、自分兄弟みたいなのや、それより酷い子を育てるのは無理だという結論になる。そもそも周りの人たちも疎むと思う。兄弟連れて歩いていつもキモイとか言われてきたけど、辛くて私が泣いても誰も助けてはくれず、人間本質はそんなものかもしれませんが、当時から私は大部分の人にウンザリしていたのだと思うし、でもそれが残念ながら大半の人間なのだと思い、個人的にはそんな生き物なら人間もう特段要らないっしょと思ってしまう。

【⑤ 特段人間が存続すべきと強く思えていない】

地球環境のためには人間なんて必要いか別に人間これ以上増えなくていいんじゃないしか思えない。

少子化は何とかしてあげたいが、人が増えればいいというものではないと思っている。日本が「少子化改善のために子育てを」と言っているのだって、「健常者で、素直に言うことを聞く、一定以上の知能を有する人材」が欲しいだけで、障害を持っていたりするような不出来な人間は要らないってほぼすべての人が思っているだろうから、そんな無茶言うような人間別に存続しなくていいよと思ってしまう。無理ですそんなの。

・こんなだからなのか、自分遺伝子を残したいという発想になったことが一秒もない(けれど夫を父親にしたかったとは思うし、夫みたいな人に育てられる子は幸せだと思う。けれど夫は私以外と結婚したくないらしいのと、病気で29歳の時からもう子を持てないから今から離婚しても意味がない)

今の世の中、人間というものに求められるハードルがめちゃめちゃ高くなっていて、自分には子を持つ資格はないと感じてしまう。

ただ次世代を生み落としそのままでいいなら子を産みたかったし、何なら子供のころから草になりたかった。一年草になりたかった。種だけ撒いて自分は枯れる。光合成をして自身エネルギー生み出せる。素晴らしいと思う。感情なんていらないから私は今すぐ秒でなれるなら草になりたい。

子供かわいい、いとおしい、将来の希望だ。そんなこと痛いほどわかっているし今だってそう思っている。

けれど、責任が取れない。

私も温かい家庭を築きたいと思ってみたかった、自分の子が可愛くて愛らしいと思ってみたかった。素直に幸せ未来を信じていたかったし、家庭というものが安らぎであると思いたかったけれど、私にはできそうになかった。

から自分は「選択子なし」と言っている。

不妊治療もできなかった。でも子を要らないとは言えない。

今辛い。子育てをした方が良かったのかと感じてしまう。自分のために生きるのが飽きてしまった。何もしたいことがない。

何かの役に立たねばと感じるけれど、子育てが世の役に立てることと思いきれない。自分がそんな高尚な人材を育てられる自信がない。税金だけでも納めなきゃと仕事だけはするけれど。仕事以外の時間をどうしたらいいのかわからない。

そんな勝手に子を付き合わせられない。でも今何かがしんどい。どうしたらいいのだろう。これからどうやって生きていけばいいのだろう。

2023-09-11

恐ろしい夢を見た話

増田大学2年、女。

昨日の夜から今日の朝にかけて、恐ろしい夢を見た話がしたい。

どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。

夢の内容は

高校時代の友人と数年ぶりに会って現在自分生活高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。

その友人との関係性を加味しなければの話だが。

・・・

その友人はみらい(仮名)という名前だ。

元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。

自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。

すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホントわたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。

第一印象は「綺麗だな」だった。

二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。

どこをとっても絵に書いたような美少女だ。

◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。

その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。

その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。

その日から臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。

初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。

そして学力もほぼ差が無かった。

得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。

その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。

まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。

すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。

こんなことってあるのかと思った。

それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。

臨時休校が明けて登校が始まると私達はさらに仲良くなった。

それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた

初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任からしかけられた。

増田新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」

担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。

「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」

とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。

こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実歓喜した。

しかし、その数日後私は地獄を見た。

その日、授業が終わると担任ロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。

その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。

その担任第一声が

「ごめん。新川増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」

だった。

信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。

だって私は重い一重まぶたで背も彼女ほど高くはない。

それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。

きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。

担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。

そこで私は気付いてしまった。

私がおかしいということに。

普通人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。

どう考えてもおかしい。

他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。

もう手遅れだった。

その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。

私とみらいはいつもそばに居た。

休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。

その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。

それが私にとっては至上の喜びだった。

クラスメイトが

「みらいちゃんかわいい〜」と言うと

みらいは

「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。

そんな彼女自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。

だってはいつも彼女の影だったから。

彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。

私をかわいいと言ってくれる人はいいから。

当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。

決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。

それでも私は彼女と一緒にいた。

二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。

それから数カ月後、修学旅行が始まった。

もちろん全ての行動を共にした。

一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。

みらいも私も暗い場所は苦手なのでドキドキしながら入館した。

手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。

私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、

「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。

その次の日は班別活動で某県の某洋館へ向かった。

私がお土産を見繕っていると、みらいが

「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。

彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。

美しい曲線と精緻彫刻

まさに私の求めるもののものだった。

凄く綺麗……とつぶやく

「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。

私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色香水瓶を選び二人でレジへ向かった。

その日の夜食ホテルレストランで食べた。

なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。

すると彼女の方から

「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。

それで終わると思いきや、デザートミニケーキの二種盛りがやってきた。

私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。

そして

「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。

私はうんと言おうとしたが、

私の食器フォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。

手で食べるのははしたないしと逡巡していると

はい、あ〜ん」

と私の方に彼女フォークで刺したケーキ差し向けてきた。

同じテーブルの生徒の視線彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。

いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。

修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。

「なんかみらいちゃん増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。

今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。

その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。

念のため言っておくと、私は普通の女だ。

小中学生の頃は普通男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。

でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。

あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。

から高校女子校を選んだ。

中学時代仲の良かった先輩から

女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死勉強して女子校入学した。

女子校は先輩の言う通り生きやす空間だった。

秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。

彼女存在けが想定外だった。

今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。

1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感おかしい。

最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。

でも、やめてとは言えなかった。

だってそうされている時だけは自分特別だと感じられたから。

2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワード教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田勝手に思っている)出来事が起こった。

2学年最後模試だ。

その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。

その記述模試ではあの教科は二人仲良く同点だった。

最後模試マーク模試だった。

2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。

毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。

習っていない範囲もあったが自分勉強してカバーした分自身はあった。

3月、結果が出た。

私はその教科で全国一桁の順位を取った。

模試順位掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。

しか偏差値には20程の差があった。

私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。

トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると

「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。

その日は話しかけてもどこか上の空だった。

次の日、彼女は休んだ。

心配休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った

すると数分後

明日は行ける。心配かけてごめん。」と返ってきた。

こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。

次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。

結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。

3年になるとクラスが離れた。

前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は

嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。

しかしその思いはすぐ覆された。

一つがクラスメイトの私に対する反応だった。

2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。

3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると

素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。

そこで私は気付いてしまった。

結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。

みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。

彼女友達が多い。

私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。

けれど彼女にとっては大勢友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。

から私は彼女抜きで特別になると決めた。

2月模試の結果が私の背を押してくれた。

私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。

それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。

その成果は存外早く出て6月模試では早速学年1位に躍り出た。

この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。

それをあしらいながら只管勉強した。

7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。

夏休み日中学校勉強するよね?

良かったらうちの部室くる?」という内容だった。

彼女美術部の期待の星で、大学も某美大を目指していた。

3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。

彼女には夏休み特別に部室の一角占領する権利顧問からもらったらしい。

私はその誘いにあっさり乗った。

彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。

夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室図書館勉強をする日々が始まった。

部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。

正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。

他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。

そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。

それもそのはず、彼女は推薦と一般美大受験するため、画塾に通うだけでなく面接練習なども必要になったからだ。

私はただ勉強していった。

この頃には志望校偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。

冬がやってきた。

去年のクリスマス彼女と一緒に過ごしたのに今年はひとりだ。

そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。

みらいだ。

素早くスマホに手を伸ばし電話に出た。

「ねえ、受験終わったら卒業旅行行こうよ。

修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」

みらいは電話越しにそう言った。

私が

「うん、絶対行こう。約束

と言うと

「うん。約束。」という言葉最後電話が切れた。

突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。

そして迎えた共通テスト

かつて無い手応えを感じた。

自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。

私は私大1本だったか2月受験は終わった。

みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたか3月にならないと結果は出ない。

祈るような気持ち2月を過ごした。

3月の頭、卒業式があった。

式が終わってもみらいの元へ向かった

「◯◯、待ってた」

そう彼女は言った。

写真撮りたい」

そう言うと彼女は私にカメラを向けてきた。

自分顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女スマホを借りてツーショを撮った。

その後は卒アル落書きをし合って別れた。

案外あっさりした別れだった。

そのときはそれでいいと思っていた。

だって卒業旅行に行こうと彼女は言ったから。

その日、LINE彼女スマホで撮った写真が送られてきたのを最後彼女からLINEが送られてくることは無かった。

みらいは志望校合格したら連絡すると言っていた。

彼女志望校合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。

整形をする決意を。

幼い頃から親に「醜い顔で産んだから形代は出すよ。ただし、高校卒業したらね」と言われていた。

今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。

私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。

大学が始まってからもみらいから連絡が来ることは無かった。

私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。

二重になってから人生難易度体感20レペル下がった。

大学同級生とはすぐに仲良くなれた。

それこそみらいが高校時代同級生から言われていたように

かわいい」なんて言われるようにもなった。

高校時代までの私からしたら信じられないほど環境が変わった。

やっぱり美は正義だなと感じた。

前期は友達遊んだテストレポートと格闘している間に過ぎ去っていった

夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。

そして私からLINEを送った。

時間後、数日後、数週間後。

待てども待てども返信が来ない。

それどころか未読無視をされている。

プロフィール画像などは変更されているかLINEを見ていない訳では無いだろうに。

つの間にか私は彼女LINE確認しなくなっていった。

しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。

例えば鏡で自分の顔を見るとき

いつだっただろうか。

私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。

卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると

私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。

そう、違っていたのは目だけだった。

私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。

今の私と彼女双子のようにそっくりなのだろう。

今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。

そんなことを、私は鏡で自分の顔を見ると考えてしまう。

・・・

今日見た夢は

みらいと数年越しに会って食事なんかしながら

近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。

美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、

「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。

本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。

起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女LINEを開いたがやはり既読はついていない。

午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。

その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う

「みらい!最近どう?元気?」

見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。

それを見て息を呑んだ。

そこに表示されていたのは

「1年前の今日の日付」だった。

こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでもいかけている自分が心底恐ろしい。

という話。

2023-06-20

初恋不登校プライドの話

僕が初めて不登校をしたのは中学1年生の時だった。

小学校までは男女隔てなく仲良く遊んでいた同級生達が中学に上がると、学ランに黒ズボンを履いた男子と、ブレザーにスカートを履いた女子に別れ、以前と全く違う人物かの様に急に振る舞い、お互いの間に透明で重厚な壁を立てた事がまず一つの原因だったと思う。

そしてまた別の理由は初めての恋。

仲の良かった女子恋愛相談に乗っていて、彼女が好きな男子に振られると急に手の平を返して僕に好意を打ち明けてきた。その心変りの早さに僕は内心軽蔑した。

しかし、その頃物事を深く考えていなかった僕は、彼女好意ロマンティックにも応える事にした。

放課後誰も居ない教室に二人きり、夕陽が窓から強烈に差し込む真っ赤に染まった教室の中で彼女に「付き合おう」と応えた。

顔は太陽と同じ様に真っ赤に染まっていたのに、その時の心情はただただ寂寥であった。

それは多分、自分自身でも心の内の声に気付いていたからかもしれない。

初めての彼女ができたものの、僕は具体的には一体何をすれば良いのか分からなかった。

恥ずかしさと面倒臭さで彼女と一緒にする登下校も拒否していた。

すると、どうしてそうなったのか直接的な原因は知らないが、彼女は一度告白をして断られた以前の男子といつのまにか付き合っていた。僕はその事を周りの同級生から人伝手に聞いた。

彼女と付き合う事を口言したわりに具体的な行動を示さなかったのは自分だ。

から振られてしまっても仕方が無いのに、僕は自分でも驚くほどその事実にショックを受けていた。

気が付いたら学校に行くのが嫌になり不登校をし、家に居るのも何なので近所の空き地で身を隠して一日の大半を過ごしていた。

どうして自分彼女に振られてショックを受けたのかをその時にじっくり考えた。

自分でも気付かない内に彼女の事をとても好きだったのだろうか。

彼女と付き合ってから変に意識し過ぎてよそよそしい関係しかならなかった。

しか彼女と付き合う前は本当に楽しかったのだ。

彼女の好きな男子の話しを聞いて軽く意見を述べたり二人で盛り上がったり。

彼女の話を聞く為に交換日記まで使って日々やり取りをするほど異様な時間を共に過ごした。

どうして僕はあんなにも心が躍っていたのだろうか。

そんな事を考えたり、空き地で飽きたら周りの人にバレない様に近所を散歩していた。

そしてある日いつも通り空き地漫画本を読んでいる時に気付いた。

その時持っていた漫画女友達に借りた少女漫画だったが、その中の主人公女子と同じ様な感覚が、初彼女と共有していた感情にとても似ていた。

それは漫画の中では恋と呼ばれるものだった。

カッコイ男の子を見てドキドキして、彼と話したくてでも話せなくてそんな状態ハラハラする。

漫画登場人物感情移入をする様に、彼女を通して僕は恋をしていたのだ。

そこまで考えて愕然とした。

僕はあの男子が好き?

好きだから彼女と彼が付き合う事にショックを受けた?

もし僕が彼を好きだったら、僕は同性愛者なのかもしれない。

少女漫画によく出てくる男と男の行為

そういった行為が異常だという事は子供の頃からテレビや周りの人の反応で何となく認識していた。

なのに自分が異常と呼ばれる人間になるのかと思うと正直戸惑ってしまいよく分からない。

考えれば考えるほど自分同性愛者なのでは無いかと疑問が湧いてくる。

それを確かめる術も同性愛という世界に対する知識を得る手段も何も無い。

男は女を好きになるものだ。それが当たり前とされてきた。

中学校の体育教師も「男は男らしくあれ、女は女らしくあれ」と、それがお前の遺言であれと思うほどに皆んなの前で説教していた。

そしてその言葉に何故か心がモヤモヤしている事にまた戸惑う。

学校へ行かなくなってからすでに2週間が過ぎていた。

どうしても暇な時は午後から学校に顔を出す時もあった。

周りの同級生達はアホ面を下げて遊んでいる。

その中の一人がすれ違いざまに「どうしたん?学校嫌になったん?」と声をかけて来た。

そして教室に入ると振ってきた彼女が何か言いたそうに暗い顔をして僕を見ていた。

その彼氏は僕と目を合わせない様にしているのが分かる。

僕が学校に来なくなったのは二人が原因だと彼等や周囲に意識されるのが癪で、負けず嫌いな僕は意地でも学校に行く様になった。

学校には行くし授業は真面目に受けるし周りの同級生とも普通に話していた。

でも心に虚無感を抱かない日は無かった。

同級生と下らない話の笑いに付き合えば付き合うほど、作り笑顔が上達すればするほど、心に抱えた虚しさは膨らみを増し、日に日に腹の中で闇が深まるのを感じた。

一連の出来事があった彼氏彼女とは学年が変わりクラス替えの為すぐに離れ離れになった。

彼と毎日クラスで会わなくて済む事に僕は心底救われた。彼もまた彼女に振られたようだ。

そんな彼に意外な言葉をかけられたのは冬のある日だった。

教室にあるストーブで温まっていた僕の隣に静かに彼が腰を下ろした。

その頃には挨拶程度は交わすものの会話という会話は避けていたので僕は気が気では無かった。

厚着の制服の下で沢山の汗をかいた事を覚えている。

最近好きな人できた?」

彼が唐突しかも軽い調子で話しかけてきた。

僕は何を言われたのか一瞬分からなくて答えに窮した。

それから彼は部活の話とか、教室流行っているカードゲームの話を僕に振ってきた。

何となくどもらずに答えられた気がするが細かい会話の内容はハッキリとは覚えていない。

話している内に変にテンションが上がった僕達は他愛も無い話でバカみたいに盛り上がった。

いつしか女子に対する内容に会話が移っていた。

彼の好きな女子の話は聞きたくないし、誰が誰を好きとか興味も無かったので僕は急に静かになった。少しの沈黙があって彼が小さな声で、でもハッキリとこう言った。

「お前が女だったらな」

…一瞬、頭が真っ白になった。

しばらくの沈黙の後、僕の頭の中に浮かんできた言葉はこうだった。

(俺は女じゃ無いし)

何故か怒りの様な感情が湧いた様な気もする。

それから僕達がどういう会話をして、その後どういう行動に移ったのかよくは覚えていない。

ストーブの熱のせいで頭がボーとしていた。

暖かくて明るい教室雰囲気の中で僕の心だけが冷え冷えとしていた様な気がする。

そんな事があって僕は彼を意識せずにはいられなくなった。

そして自分感情に蓋をして深く考え無い様にするしか術は無かった。

クラス替えをしてからは仲の良いクラスメイトに恵まれて楽しく過ごしていたし、1年生の頃の苦い思い出も自分に芽生えた小さな疑問も一先ず考え無い様に努めた。

こうやって自分を少しずつ殺していく日々が始まった。

自分を少しずつ取り戻していく日々の話はまた別の機会に。

#PRIDE月間

2023-06-13

生きるのに向いていない自分が思ったことそのまま

本気で仕事ができない入社4年目なのに

全ての依頼に締め切りがある、それはわかる

スケジュール立てなければならないのも当然 

スケジュール立てようとすると数時間消える

スケジュール立てている間に締め切りが来る手遅れになる

やっているうちにどんどんわからないことが出る

見落とす 誤った資料を外部に出す トラブル起こす

やり直す 

見直しても気付けない

上司は懇切丁寧に教えてくれようとするが最近もうやっておくからと言うようにもなった

皆の前で叱られる ほぼ毎日 今年の新人の前でも

他の部門から要件あって班に訪ねてくるが自分には訪ねてこない聞かれてもわからない

ただ有能な上司のお陰で関わりのない部門からは何故か優秀だと思われているらしい

よく関わらない人からは褒められる

頑張っているねと言われるが成果はない

ほとんど上司がやったこと 

「あの人が上司なら安心だな」と言われる

面談でも君は大丈夫だよなみたいな感じ

資料作る 提出する ダメ出しくらう

上司がいう文章自分が書いた文章消して書き直していく

他の人は適当資料作って通っているのにレイアウトから文言まで懇切丁寧に教えられる 修正する

ありがたいと思っている 自身の為だろうなと思う

締め切りが守れないことを叱られる

上司と話そうとするだけで言葉が詰まるようになった

もっともな指摘を受けるだけで涙が止まらなくなる

「変なこといっているか」「泣いたら俺が虐めているみたいじゃないか

指導してくださりありがとうございます感謝しています本心から言っていた

「もうそういうのいいから」といわれた

行動で示さなければ当然だろうと思った

感謝していますと言わなくなった 多分言っても言わなくなっても苛ついていると思う

逆の立場なら少なくてもそう

そんな上司は数倍以上の仕事をこなしている

隣班の定年間際でやってきた人から指さされて笑われる

話を遮られる

いや聞いてくれある人がいても自分で話すうちに支離滅裂になって訳わからなくなる

雑談ができない

なにもしらない

休日家事して寝て終わる

テレビは苦手でもらったテレビも線ぬけたまま

アニメも元々見ていないし流行物見ようとしても気力が続かない事多い

鬼滅の刃も見られていない 水星魔女はとりあえずみた 

とりあえずニコニコを流している

シンクは洗い物たまっている 

最近太ってきた

まり記憶力のなさにアルツハイマーを疑った

精神科は調べてみたがどこも遠い 

予定を入れるという行為自体がきつい

正直食べられるし眠れるし起きられるし仕事皆勤している 精神病ではないだろう

小学校の頃から皆勤賞だった 

1日空いただけで話題について行けなくなるのが怖かった

そもそも行くものだと思っていた

校則は破ったことがない

中学までは成績も優秀ないい子だった

高校から赤点とりつつ問題は起こさなかった

大学は成績優秀な人と過去問を集めてくる人望厚い人と近くにいたおかげで成績優秀になり就職有利な研究室には入った

卒論はやった 頑張ってはい

8月くらいで根本的なミスに気が付いて3ヵ月の研究無駄にした

もう大学で何を学んだか何を研究していたかほぼ覚えていない

クラスで話す人はい

クラス替えするとそれきりだった

友人はい

ネット上 数年前にDV恋人から自分が救った形になってから慕われている

なんだかとても尊敬してきている 

救った当時はもう少し自分面白い人間だったのかもしれない

もうよくわからない 何をみているのだろう

その友人自体は色々な人に囲まれて優しくて気配りのできる人 知識も深い

その人がいるから「自分が死んだらあの人が悲しむかも」とは思う 

でも死んだらその人は沢山悲しんで、他の人に慰められて立ち直っていくのだろう

別に死にたいとは思わない

自分は好き

こんな自分自分が愛さないと誰が愛すんだみたいは気持ち

多分自己中心的言動もここからきている

こうやって書く間にも仕事スケジュール立てたり風呂入ったりすればいいのに

そういうところなんだよ結局

夜のコンビニ前で車にのってぽちぽち

気軽に生きろとか言うけれど

こんな真面目にやっているつもりなのに抜け多くだらけていて無気力消極的もの向けの言葉ではない

真面目系クズと聞いたな

ろくに文章もかけない

箇条書きもどきバラけた分

どうすればいい どうすれば

2023-04-27

娘が「いじめ加害者」になったけど、マジで納得いってない

うちの娘がクラスメイトいじめたとのことで担任教師から呼び出された。

親の自分としては、マジで納得していないし、娘はいじめなどしていないと本気で思っている。

先方の言い分は、娘がクラスメイト女の子1名に対して仲間はずれや物を盗むなどをした、とのこと。

担任教師から一方的説明を受け、こちらが意見する場もなく、反論余地すら与えられず、今後の注意と指導を受け、謝罪させられた。そして、どうして私が怒られるのと泣く娘をなだめつつ帰宅した。

うちと同様に「いじめ加害者」とされた子どもクラスの半数近くいた。ほとんどの女子加害者とされていたらしかった。

いじめ被害者」の女の子は今年の1月に転入してきたばかりで、最初の頃は娘や他の子たちも仲良くしようとしていたが、色々あって(後述)すぐにクラスメイトたちから距離を置かれるようになった。そして本人はいじめられているのだと傷つき、担任教師相談したようだった。

いじめ被害者の子が言う「仲間はずれにされた」というのは、今まで仲良くしていた子たちから遊びに誘われなくなったことなどを指していた。

今年の2月頃、「いじめ被害者」の女の子とその他数名がうちに一度遊びに来たことがある。

その日「いじめ被害者」の女の子は、家に入るなり「なんか変なにおいがするね。お父さんの靴のにおい?水虫なんじゃない?」と言い放ち、冷蔵庫勝手に開け作り置きの料理を見て「こんなの食べてるの!?」と爆笑し、パントリーに保管してあったお菓子を無断で食べて「あんま美味しくないね」とゴミ箱に捨て、目を離した隙に他の部屋(夫婦の寝室と長男の部屋)に入って漫画を持っていき、何度言っても帰らず夜8時まで居座った。

ようやく帰らせた後、娘にはもう二度と連れてくるなと言いその子出禁にした。

その夜は娘がとんでもねえクソガキと友達になってしまった…と憂いていたが、後日、その子とは距離を置くようになったと娘から聞いて随分と安心したのを覚えている。

の子の家に行ったときにも同じようなことをしたり、学校でも非常識デリカシーのない行動を続けたためにどんどん人が離れていったそうだ。それを本人は仲間はずれにされていると感じるようになったのだろう。

正直、こちらとしては「仲間はずれ」というよりももはや「正当防衛」だと認識しているのだが、担任教師からしてみればそのような経緯は関係ないのか全て「いじめ」に見えるようだった。

また、いじめ認定されたもうひとつ行為の「物を盗む」というのも濡れ衣で、むしろこちらが被害者だと思っている。

いじめ被害者」のその子は気に入った他人の物を「それかわいい!ちょうだい!」と奪い、返してくれと言っても聞かないらしい。

少し前に娘もお気に入りの下敷きとボールペンを奪われ、家で泣いていたことがある。

私が、奪い返せ!とアドバイスした通り、娘は本人がいないうちにコッソリと取り戻したようだったが、その時のことを担任教師から「盗んだ」と表現された。しんどすぎる。盗んだのはどっちだよ。

マジで担任教師は何を見て、何を聞いて、何をもって判断しているんだろう。

いじめ毅然とした対応をする学校」を自称しているけど、毅然とした対応でもなんでもなくて、ただ被害者の言い分全部鵜呑みにしてるだけなんだが。まじでクソ。

親でも教師でもいいから、あのクソガキを躾けてくれよ。あんなのと仲良くするなんて、菩薩でもない限り無理でしょ。娘とクラスの他の女の子たちがかわいそうで仕方がない。

こんなんで「いじめ加害者」にされたらたまったもんじゃないよ。どうすりゃいいのさ……。


追記

こんなとこに愚痴書いた自分が一番悪いけど憶測適当なこと言われててなんだかなという感じ……。娘のケアも、学校への連絡も、ちゃん対応するよ。

その場で即抗議できなかったのは情けないけど、娘は泣いてて何も言わないし、担任はなんか圧が凄いし、自分も頭の回転早くないからとっさの対応は難しかった。

あと上には書かなかったけど、娘も陰口とか悪口とかは言ってたんだよね。。こちらとしてはそりゃあんなクソガキ悪口言われてもしゃーないやろという感じなんだけどそういうわけにもいかないよなぁ。

まだ4月なのに、先が思いやられるスタートしんどい。これから1年、クラス替えまでなんとかうまくやっていけるといいんだけど……。

子育てって難しいわ、ほんと。


追記

念のため書いとくけど「いじめられる側に原因がある」の論はこの件とは関係ないと思っているので。


追記ブコメに返信

id:tateru 参考までに、何年生での出来事なのかを書いてほしい。。

子どもは小3。家で無茶苦茶されたのは学年上がる前なので小2の頃。

警察がどうとか法的にどうこうとか言ってるブコメあるけど、1桁年齢の子どもに対してそこまでできないだろ〜と文句言いたくなる……。

2023-03-03

元カレ浮気相手は、女子高生だった。

 あるよく晴れた、暑すぎる夏の日だった。

 高校3年間と半年ほどを共にした恋人から、別れの電話を受け取った。本気の声だったけど、嘘を言っているのがわかった。たぶん、別れたい本質的理由はそこじゃないのだろうと思ったが、どうせ別れる相手だと思って何も言わなかったし、言えなかった。何となく最近の振る舞い方から別れを切り出されるのはそう遠くないと思っていたし、辛かったが現実として受け止めるにはそう時間もかからなかった。幸せになってね、と一言だけ伝えて電話を切った。

 それから1年が経ち、また暑すぎる夏がやってきた。共通の友人だったひとから聞いたのは思いもよらぬ衝撃的な事実だった。

 「元カレ浮気してたらしいよ。」

 え、あ。

 へえ〜。

 はあ、そっか。

 言葉が出てこなかった。普段感情言語化するのが得意な私だったが、この時ばかりは空気みたいな言葉しか出なかった。

 友人は面白がってるのか、私が嫌な思いをするだろうとか考えもしなかったのだろう。笑いながら、「そんな人どうせ幸せにならないって!」と言う。そうか、そんなもんか。まあそんなもんかと思うしかないよななんて自分が傷付かないために、心にある色々なブレーキを精一杯かけた。まあ高校3年間は楽しかったし。あの人のおかげで成長できた部分もあったし。何度も言うけど楽しかったし。正直、悪を正当化させるのに事実なんていらなかった。ただ「そう思いたい」という気持ちのみが、間違いではなかったと言い聞かせる材料になるのだ。

 そんな衝撃的“事実”を聞いてからまた少し経ち、春が来ようとしていた。新しい恋人も出来て、私も私で幸せに生きていた。もちろん浮気をされていたということが色々な気持ち弊害になっているのは確かだったけど、何とか新しい恋人を信じ切ることもできるようになっていた。順風満帆に見える人生だったが、不幸は突然やってくる。

 元カレと、新しい彼女……浮気相手だったという子のプリクラを、本当にたまたま見てしまった。SNSアカウントも、何なら新しい彼女がどんな子かも知らなかった。なのになぜか嫌なものは回ってきてしまう。

 

 女の子は、私と彼の出身高校制服を着ていたのだった。

 あの日卒業式で一緒につけた青い花のブローチをつけて。

 それを見て、それが何かをきちんと理解した瞬間、私の心のブレーキは一気に効かなくなった。突然、何もかもが見えなくなるような気持ちになった。

 こんな簡単言葉にしたくはないけれど、辛かった。本当に辛かった。私は浮気相手になってしまった子と同じ高校に一瞬でも通ってしまっていた。私と一緒に作った思い出は、浮気相手と話を盛り上げる手段になってしまった。私が彼と過ごした数年間で彼を作ったものが、浮気相手しか女子高生と恋に落ちるための序章になってしまった。

 

 きっと彼女とは卒業旅行に行くだろう。私とは感染症予防で行けなかったディズニーに行くだろう。そして私と行った3泊4日の金沢旅行なんて忘れてしまうだろう。他にも、一緒に過ごしたあの高校での思い出も、彼女と言う存在に塗り替えられて、私と出会った場所ではなく、彼女とを繋ぐ場所になったのだろう。

 もう彼のことは好きじゃない。それでも、許せなかった。これはもう浮気をされたひとにしか絶対にわからない。本当に許せなかった。年上がタイプで甘えられる人が好きなんて言っておきながら、年下で自分に甘えそうな、鼻の低い一重の女に乗り移ったのか。

 浮気相手のことも許せなかった。女がいるかどうかくらい、わかってくれ。何より、年上ってことを利用するような男なんかに、本気にならないでくれよ。てか女子高生から見た成人男性なんてカッコイイに決まってるだろ。そいつじゃなくたって良いだろう。

 何より貴女が恋に落ちたそのひとは、私のものだったんだよ!!

 そう、私のものだったんだよ。

 高校1年生の春、初めて出会った部室。お前、すげえ無愛想だったよな。なんて呼べば良い?って聞いたらすっごい空いて、中学の時のあだ名を教えてくれたよな。本名とか知らなかったよ。でも名前漢字がすごく美しくて、由来が両親の好きなゲームだったんだっけ。もう両親は不仲で家では何も話してないって、よく不満そうに言っていたよな。

 高校1年生の夏、みんなで頑張った部活練習暑かったよな、冷えピタとか貼ってバカみたいな顔してた。練習が終わっても夕方の冷えた風が吹くまで一緒に喋ってたよな。あの頃はまだ一緒に帰っていなかった。お前の家と私の家、そういえば逆方向だったし。

 高校1年生の秋、初めて勇気を出して誘った放課後喫茶店。お前はキャラメルカフェオレを飲んでいた。飲むスピードがびっくりするくらい早くて笑ったよ。そういえば食べるのはすごく遅かったのに、何であんな飲むのだけ早かったんだろう?確か、そこにものがあったら飲んじゃうって言ってたよな。それ病気らしいよ気をつけてね。

 高校1年生の冬、勇気を出して渡したバレンタイン本命って気づいてくれるかななんて思って渡したけど、私があまりにも無愛想に渡すもんだから義理チョコと思われてたんだっけ。馬鹿野郎義理チョコあんな丁寧な手紙同封するわけないだろう。それから1ヶ月して告白して付き合って、その日は初めて手を繋いで、顔が痛くなるまで笑った。人に好かれるのって、それを伝え合えるって幸せだねってよく話してた。

 高校2年生の春、クラス替え一緒にならなくて悲しかったよな。一緒のクラスになったらダンス一緒に踊れるはずだったのに。結局お互い誰と組んだんだっけ?覚えてないなあ、私、お前の衣装姿が可愛くてかっこよくて、今でもなんか思い出せるよ。私は紫で、多分お前は青だったよね。似合ってた。体育祭、3年生の頃はなかったかあの日のことすごい鮮明に覚えてるわ。

 高校2年生の夏、一度別れた。何で別れたんだっけ。なんかショックすぎて覚えてないな。返しそびれたCDを返したいとか言って久々に会ったよね。あの時普通に楽しく話せて、また戻れるんじゃないかなあって思ったよ。あの日の緊張、今もどんなだったかわかるよ。

 高校2年生の秋、もう部活もしなくなって本当は会えるわけないのに、私が前みたいに色々なところ無理やり誘って一緒に遊びに行ったよね。なんか映画とか見た気がする。お前最初から最後まで興味なさそうだったけど、今思えば何で着いてきてくれたの?友達いなかったのかな。その後パンケーキ食べたよね。甘くて食べきれなくて、気持ち悪かったよ。その日たまたま月が綺麗で、夏目漱石気持ちを強くわかったな。

 高校2年生の冬、クリスマスイブの日にカラオケでまた付き合った。イコラブの制服クリスマス歌って、「大人になって今日この日を、僕は思い出すだろう」って、なんかなぞる気持ちだったよ。あの日久しぶりにキスをして、嬉しくて泣いた。カラオケに入るまでは友達、出た後は恋人って、雑魚スカイツリー広告だよね。多分広告なんて興味ないだろうから、何言ってるか分かんないだろうけど。

 高校3年生の春、コロナ流行って学校に行けなくなって、会えなくなった。でもお互いの家のちょうど間くらいの場所公園があって、なぜか誰もいなくてよくそこでマスクしながら会ったよね。たまにデカい犬の散歩してる爺さんが来てた。そこから見えるいつもいっぱいの駐車場には一台も車がなくて、ふざけて「コロナでみんな死んだ後の世界だね、二人きりだね」なんて笑った。私、正直それが本当になったら幸せだなあって思ってたよ。

 高校3年生の夏、コロナの影響で全然夏休みとかなくて、しか受験勉強でなんか全然記憶ないな。でも二人が一緒に高校で過ごせる最後の夏だって思うと、妙にワクワクした。これから一緒にずっと過ごせても、高校生の夏は一生来ない。お互いどうしようかって思ってたけど、私は美大に、君は文学部に行くって決めたね。国語読書が大好きな君が、大学で何をするのかすごいワクワクしてたよ。

 高校3年生の秋、私はひと足先に進学先が決まって、そこからずっと君の受験応援した。確か塾に行き始めて、金銭的に英語の授業しか取れないって言ってたけど、君は記憶力も悪くないし国語は得意だし、それさえ伸ばせればきっと良い大学に進めるんだろうなって思ってたよ。私の方が英語得意だったのにいつの間にか私に教えてるくらい成績よくなってたよね。すごいよ。ほんとに。

 高校3年生の冬、2月ごろ確かお互いようやく進学先が決まって、もう残すは卒業式だけだった。高校生活最後の日、サイゼリヤでどれだけ食べられるかって隣駅のサイゼリヤまで行った。途中から吐きそうなくらいしんどかったような気がする。間違い探し全部見つけた時の達成感、めっちゃ面白かったなあ。卒業式の日は一緒にプリクラ撮って、観覧車乗って、キスして、本当に3年間ありがとうって泣いた。本当に大好きだよって言った。ずっと一緒にいようねって、言った。

 

 でも、お前浮気してたんだな。バイト先の女子高生と。妹と同じ年齢の女の子に。私に言った全ての言葉を嘘にして、彼女と手を繋いだんだね。

 選ばれなかったという事実が、貴方と過ごした日々は全て無かったことになってしまったということが、もう一生戻れないということが、私は辛いよ。苦しいよ。

 

 また二人にしか通じない言葉で笑おうよ。子どもが生まれたらなんて話す時につまらないキラキラネームを言って本気にならない会話をしようよ。公園で一緒にハンバーガーを食べながら桜を見ようよ。興味のない映画に着いてきてよ。顔の大きさが全然違うプリクラ爆笑しようよ。私はピアノを弾くからその優しい声で楽しそうに歌ってよ。将来私が作る晩御飯リクエストしてよ。私の飼い犬を可愛いなあって笑いながら撫でてよ。その黒い髪を私の手で梳かさせてよ。カラオケで一緒にaikoを歌おうよ。ハグで全部分かった気になろうよ。

 

 もう一度好きになってよ。

2023-01-06

anond:20230106012749

逆に人の名前ってそんなに覚えられないもん?

出欠とる授業ならすぐ名前も顔も一致するし、自社内は接触頻度で自然と覚えるし、他社は名刺交換すれば覚えない?

中高生ときクラスメイト名前を覚えるのに1年掛かってた気がする(やっと覚えたと思ったらクラス替えリセットされるので永久に覚えられなかった)。

高校クラスメイト名前苗字ね。名前は無理)で今思い出せるのは10人くらいな気がする。

自社内で関わりの深い人はさすがに覚えるけど、関わりが途切れると忘れるね。

名刺交換しただけの人は全く覚えられない。人の顔を記憶認識する能力全然ダメなので、名刺ほとんど意味をなしてない。

髪型似てる人が同時に2人いると区別つかなくなって間違えて会話して恥かくとか普通にある。

2022-11-14

三十路女の恋愛遍歴

「女の恋は上書き保存」などと言われるが、私はこれまで好きになった人たちの誕生日すら忘れていない。

30年間で12人。片思い失恋ほとんどだが全て良い思い出だ。

今更誰かに話せるようなものでもないが、自分の中だけに留めておくのも勿体無いのでここに放流しておく。

1人目 K.D.くん

幼稚園年中〜年長のころ

幼稚園で同じ組の子

一人称が「オレ」なのがかっこよくて好きだった。

小学校に上がる際、親の転勤でどこかへ行ってしまい、好きと伝えることはなかった。

2人目 K.Y.くん①

小学校1年生〜4年生のころ

同じクラスの子

顔がかっこよくてスポーツ万能で、いわゆるカースト上位の男の子だった。

小学校2年生の頃に仲良しの女の子に彼のことが好きだと内緒の恋バナをしたところ、翌日には本人にバラされてしまいとても嫌だった思い出がある。

そのときは「もう好きじゃない」などと言って誤魔化したが、結局クラス替えで離れるまでずっと好きだった

3人目 K.Y.くん②

小学校5年生のころ

同じクラスの子

小柄で顔立ちが整っている、可愛い男の子だった。

クラスで1番可愛い女の子も彼のことが好きで、どうやら両思いのようだったのでそのまま好きでいることがつらかった。

このころ、自作ホームページに彼をキャラクター化した絵を載せていた黒歴史がある。

4人目 I.M.くん

小学校6年生のころ

同じクラスの子

ガキ大将タイプで少し粗暴な、学内カーストトップ男の子だった。

小学生なのに「女子」ではなく「女の子」と言うところが好きだった。

このクラスではくじ引き席替えをしていたのだが、先生のくじの作り方のクセを見抜き毎回必ず隣の席か同じ班になるようにしていた。しかしそれで仲が深まるということは特になかった。

高校生の頃、風の噂で彼が薬物か何かで少年鑑別所に入ったことを知り、少し切ない気持ちになった。

5人目 M.T.くん

中学1年生〜2年生のころ

隣のクラスの子

背が高く文武両道で人気者の男の子だった。

ある日廊下あくびをしている姿を見かけた時にキュンと来て好きになった。人生で唯一の一目惚れだった。

とにかく人望があり良い話ばかりを耳にするので、その度にどんどん好きになっていったが、ほとんど会話をすることもできないまま「憧れの人」で終わった。

6人目 T.N.先生

高校1年生〜3年生のころ

担任先生

同級生とは違う大人の落ち着きや優しさに惹かれて好きになった。

先生に気に入られたい一心毎日勉強をして、定期テスト模試は常に学年トップだった。

勿論この恋が成就することはなかったが、たいして進学校でもないのに難関大学合格することができたので、人生を変えてくれた恩人だと思っている。

7人目 F.T.くん

大学1年生〜4年生のころ

サークルの同期。

とにかく話が面白く、顔が筋肉痛になるほどずっと笑わせてくれる人だった。

趣味も合いとても仲が良かったが、友達以上になる方法が分からず、彼氏がいる期間を除いてぼんやりとずっと片思いをしていた。

大学4年生の頃、クリスマスバレンタインを二人で過ごせたにも関わらず何もすることが出来ずに終わり、ようやく諦めがついた。

8人目 H.S.くん

大学2年生のころ

ネットで知り合った8つ上の社会人

はじめてできた彼氏だった。

付き合って4回目のデートTシャツから胸毛と背毛がはみ出ているのを見て、さーっと冷めてしまい別れた。

当時は「未成年女子大生を狙う社会人男なんて気持ち悪いし別れてよかったよね!」などと思い体毛ごときで冷めた自分正当化していたものの、4回デートしてもキスすらしなかったのでそれなりに誠実な人だったんだろうなと今となっては思う。

9人目 T.J.くん

大学2年生〜3年生のころ

ネットで知り合った1つ下の大学生。

この人には私がいないとダメだ、と思わせるようなところが好きだった。

1年間付き合ったものの、色々なことがうまく噛み合わずお互いに疲れてしまい別れることになった。

納得して別れたつもりだったが、かなり引きずった。食事ほとんど喉を通らず、風呂も入らず、歯も磨かず、毎日泣いていた記憶がある。半年ほどで落ち着いたが、未だにほんのり未練がある。

今ならもう少し上手く付き合えただろうなあなどと思ってしまう日がたまにある。

10人目 H.K.くん

社会人1年目のころ

会社の同僚。

かなり変わった人だったので告白をされてから少し悩んだものの、見た目が良かったのと猛アタックしてくれるのが嬉しくて付き合った。

愛情表現をたくさんしてくれるので私も出来る限り尽くしていたものの、日々重くなる愛に辟易し1年と経たずに別れた。

その後少ししてからメンタルを病んでしまったらしく、長期休職後に退職していた。私も原因のひとつだったのかもしれないと思いやや責任を感じている。

11人目 M.U.くん

社会人1年目〜3年目のころ

会社の同僚。

頭が良く明るいので会話が楽しく、一緒にいて居心地が良かったので好きになった。

付き合ってから徐々に相手気持ちが離れていくのを感じ、それを繋ぎ止めるのに必死だった。

結局1年ちょっとで振られたものの諦めがつかず、その後も1年ほどセフレの座に甘んじていた。

本気で婚活をしようと思い立ったタイミングでようやく断つことができた。

12人目 夫

社会人4年目〜今

婚活パーティーで知り合った。今の夫。

婚活を始めてからは「恋愛」よりも「結婚のための条件」に重きを置いて出会いを求めていたが、結局好きになってしまったのでふつう恋愛をした。

同棲するとなったときにお互いの個人情報を共有したところ、仮に「結婚のための条件」だけで相手を選んだ場合でもきっと夫を選んでいただろうと思うくらいの人だと分かった。大好きな人オマケで好条件までついてきて、私は大変運が良かったと思う。

夫との恋愛最後にすると誓ったので私の恋は12人で終わり。

ここからもう増えることはないと思う。

2022-10-15

anond:20221015183535

シングルマザー家庭の部屋中にカビが生える

仕事で忙しい母親の代わりにカビを毎日除去して回る苦労人であり家事マニア三白眼男子高校生爆誕

クラス替えで気になるあの娘と同じクラスに、浮かれた三白眼男子は前方不注意、小柄なツンデレ極振り女子廊下でぶつかる

運命出会い、圧倒的ラブコメの予感

2022-08-26

中学の時にハブられてた話を成仏させたい

中学生の時に、いわゆる「ハブ」にされていた。

原因は自分にあったとは思う。とても自己中心的だったし、調子こいていたから。

ハブの子は順番に回ってきていた。

クラス女子は元気なグループ(ここに所属していた)、おとなしいグループオタクグループとざっくりわかれていて、

元気なグループハブられると、オタクグループに受け入れてもらう流れができていた。

今思えば本当にバカバカしい。

元気なグループで最も声が大きい(物理)のがA。面白い子だが、ハブをするのに一番積極的だった。

ハブにされると、元気なグループの子たちは必要最低限しか話してくれなくなる。

休み時間グループに寄ろうとすると「なんか要らない人がいるんですけどー」。

判分けをするときに「これで人数ぴったりだね!」と壁を作られて入れてもらえない、とか。

学校に来るとわたし椅子だけ机の上にのっていたり、首の取れた人形が置かれていたりもした。

教科書を隠されたこともあるけど、元気なグループの中で良識のある子に相談するとこっそり取り返してくれた。

いじめられている…と誰かに相談することができなかった。

親や先生に助けを求めるのは恥ずかしかったし、暴力をふるわれるとか害を被ったわけではないし

「私は傷ついてませんけど?」とできる限り涼しい顔でやり過ごすのに精いっぱいだった。

大人になった今なら、教室でひとりで過ごしたり、グループに執着せずにほかの子と居ればいいだけのことだけど

当時は教室の中がすべての世界で、どうすることもできなかった。

私と話したり一緒にいる子がいると、Aがその子を連れていったり、

私と一緒にハブられるかもしれないから、みんな私を遠巻きにしていた。

クラス女子の中で圧倒的弱者となり、虫けらのように扱われ、

おとなしいグループの子オタクグループの子も、私へのあたりはきつくなっていった。

しかけようとしたら睨まれたり、「わたしたち●人組で最高だよね!」と肩を組んでブロックされたりしたwひどいなー

一番覚えているのは文化祭

クラスの出し物は、準備も当日の運営先生に怒られない程度に最低限手伝いをした。

当日、たまたまクラス女の子が一人で居たから、「一緒に回ろう?」と声をかけたらダッシュで逃げられた。

わずメートル走って追いかけてしまったw

文化祭を一人で歩いている」というのを他のクラスの子や学年の人に思われるのが嫌で(誰も思わないのにね)、

演奏ステージをしている体育館の隅の隅で座り込んで文化祭が終わるのを待った。

人生で最も屈辱的で悲しい瞬間だった。

そのハブも翌年のクラス替えでAと離れて、無事終了する。

私をハブっていたAをはじめとする元気なグループのみんなとは、ほぼ全員別のクラスになった。

しかしたら先生も私を取り巻く環境をわかっていたんじゃないかと思う。

その後Aは、元気なグループからおとなしいグループ属性チェンジする。

ネルギッシュでギャーギャー言っていた彼女が、急激にしおらしくなっていった。

なるべくAには関わらないようにしていたし、関わりたくなかったのだが、必要なことがあればAも私と話すようになった。

心の中では「どの面下げてしかけてんだよ」と思う一方で、完全にトラウマとなりAを怖いと思う側面もあった。

ハブられた半年間で私は傷ついたけど、残りの学校生活は優しい友人たちと楽しく過ごした。

卒業してから十ウン年たつが、中学友達とまだ会っている。

先日ふとAの話になり、友達が「Aって途中でカツラになったよね」と言った。

私は知らなくて驚いた。

どうやら病気なのか、体質の関係かで髪の毛が抜け落ちてしまったらしい。

へぇー」でその話は終わったのだが、その日寝る前、私はベッドの中で色々考えた。

女の子思春期の多感な時期に髪の毛が抜けてしまうのはつらかっただろう」と良いヤツな私は思った。

ざまぁwwwwwwwww私の呪いじゃwwwww」と悪いヤツな私は思った。

因果応報ってあるんだなと、初めて思った。

いじめハブなど、人格否定する行いは絶対に許されない。

いまでも夜中にフラッシュバックで涙が出てきたり、ハブられていたときの癖で食事早食いが直らない(早く食べないとみんなが私を置いてどこかにいく)。

ふとAを思い出して、憎んで、何とか復讐できないものかとGoogleTwitter彼女名前検索することもあったw

あと、なんとなく友達他人100%心を開くことができなくなった。

クラス孤立しているとき心臓がスーッと地面に落ちるような、体の中が冷たくなるような感覚は忘れられない。

いまいじめをしている人がいるなら、くだらないからやめろと言いたい。

ネガティブ感情に動かされて執着するより、好きなことややりたいことに時間を割いた方いい。

一緒にいるのが嫌な人がいるなら、無理に仲良くする必要はないが、周りを巻き込んだり人格否定してはいけない。

そして他人にした嫌なことは絶対自分に返ってくるぞ!

学校ハブいじめにあっている人、卒業たらみんな疎遠になるし(なれるし)、

今はつらいかもしれないが、長い目でみれば学生生活なんて一瞬だ。

クラスけが世界じゃない。学校外にも習い事サークルアルバイトなどいくらでもコミュニティはある。

クラスでひとりでも堂々としていればいい。

あ、暴力とか暴言とかカツアゲとか晒しとかガッツリいじめられているなら

今すぐまわりの大人相談して。親や先生に言えなかったらホットラインとかあるし。

証拠集めて弁護士に依頼してギッタンギッタンにやっちゃってください。

わたし証拠さえあればAを社会的ボコボコにしたかったけどなー録音とかしておけばよかった。

職場や別のところでいじめられている人は…ちょっとからないけど

とにかくそコミュニティから離れるのが一番。そこにいなければいけない理由ってあるの?

最後に。

学生の時にスマホがなくてよかったー!と心から思う。想像しただけで怖い。

2022-08-07

anond:20220807000644

高校入学したとき一番がっかりしたのは、クラス可愛い子が一人もいなくて

2年生になってクラス替えをしたらむしろ状況は悪化して。

うちのクラス、ブスばっかだな。。とクラス男子同意見だった。

ブスだなと男子同士ではいっていても、クラス女の子と気軽に口を聞く習慣も勇気もなかった。

共学なのに、ただ一緒にいるだけ。

でも性への関心だけは異常なくらいあったので、好きなアイドル写真をみては

こんな子、うちの学校におらんかな、いたら告白するのになー、と嘆いていた。

そして3年生の修了式前、最後の授業が終わったときのこと。チャイムが鳴って

やった、これで卒業だと解放感で自然笑顔になった。

ふと、隣の席をみると、隣の女の子も満面の笑顔で、自然に目があった。

終わったね! 終わっちゃったね。高校生活。

の子が話しかけてきた。

ばんざーいって感じだよ、と

返事をした。

あっという間だったね。高校。なんか終わっちゃうとさみしいね

の子が続けた。

んーそうなんだ。

と返したあたりで、ふと気が付いた。


初めて隣の子としゃべったということを。

そして、しゃべって初めて、その子の表情、瞳の輝き、目じりの、口元の動き、そして言葉が、

すべて一体となって形作る笑顔のさわやかさに気が付いた。

学校かわいいはいないと思っていたけど、

学校最後の日に、みつけたのは、

の子可愛いということだった。

背が低くて、太目で汗っかきで、鼻がまるまっちくて、ボブっぽい髪型女の子だった。

2022-08-05

夏は昔の恋を思い出す

誰にも明かしたことはないけれど、恋多き人生を送ってきた。10代の頃はそれはそれは惚れっぽく、けれどお付き合いの具体的なイメージが沸かないから、すべての恋を胸に埋めて大人になった。大人になると途端に恋は人間関係と結びつき、恋人になるなり、失恋するなり、別れたり復縁したりと暮らしに影響を及ぼすようになった。

けれど、ただ胸の中にアルバムをこしらえて、目が奪われ体に火がついたような一瞬を大切にスクラップし、眠れない夜や開放的な歌を耳にしたときついページをめくってしまうような、眩しく淡い恋はあの頃で終わっている。そして夏が私にそれを思い出させる。

入学したときぽっちゃりした坊ちゃんみたいだった佐野くん。実はピアノが上手くてプログラミングにも長けていて、卒業する頃には背まで伸びて花より男子に出てきそうだったのに、おっとりと優しく人を立てる性格がずっと変わらなかった。

クラス替え自己紹介で将来の夢を聞かれて、低い声でぶっきらぼうに「DJ」って答えた佐伯くん。全く意味がわからなくて、大人っぽすぎてドキドキした。家に帰って辞書で調べて、ラジオディスクジョッキーのことと理解して、その夜はラジオから佐伯くんの声が流れ出るのを想像した。

ずっと一匹狼だった小山くん。いじめスレスレのいじりが起こるとすっと話題を変えていた。先生含め全方位につれない対応だったのに、裏表のない態度が一目置かれる存在だった。同じ小学校から進学してきたユカちゃんと話すとき笑顔けが特別だった。

ロッカーが隣で、ふっと中を覗かせてもらったら、ぴしっと教科書が整列していた坂上くん。ゲラゲラ笑う大胆な人なのに几帳面なんだ!と驚いて、自分ロッカーを見られないようにあわてて閉めたら目があってニヤッとされた。扉の裏にコピーした時間割がまっすぐ留めてあった。

くるくる天然パーマキュートだった加藤くん。ずっと冴ちゃん片思いしていて、冴ちゃんが誰と付き合ってても視線の熱が変わらなかった。一度男女混ぜこぜで鎌倉花火大会に行ったとき、一番はしゃいで盛り上げてくれたことを思い出す。あのときちゃん彼氏の呼び出しで早く帰ってしまい、それでも続く明るいトークには抱きしめたくなるほど痺れた。

その花火大会の日に家に寄せてくれた吉住くん。浮いた噂一つない柔和なカタブツで、誰にも平等に接するフェアなところを尊敬してた。ご両親とのやりとりも穏やかでユーモラスで、その後何度もみんなで家に通わせてもらった。高校柔道部に入ってあれよあれよと体が分厚くなり、人懐っこい熊のようだった。

眉毛一生懸命整えていた竹内くん。今思えばきっとノンバイナリーな人だった。男子グループに上手く馴染めていなかったけど、料理部に入って人は人自分自分って感じに対処していた。ミステリアスで目が奪われた。

バスケ部永田くん。学校ではまるで話したことなんてなかったけど、偶然電車で会ったとき、家のことや好きな本の話など、横浜藤沢まで楽しくおしゃべりできた。クラスメイトの陰口など一切言わなかった。鞄の角がすり切れていて、でも持ち手はきれいにしてあって、ものを大切に使うんだなと感心した。

テニス部藤本くん。華やかな容姿で人目を引いたのに、結局誰とも付き合わず、いつも友達とふざけているか本を読んでいた。一度バスの中で何を読んでいるか聞いたら水滸伝だった。読書するとお小遣いもらえるんだよねと言っていたけど、きっと本当に本が好きだったんだな。

藤本くんの親友で、ある日突然私に現国を教えてと持ちかけて水木くん。勉強なんてしてこなかったけれど、医学部に行くって決めたからと言っていた。弟の病気を直せる医者になりたいってそんな漫画みたいな‥と思ったけど、全力で学ぼうとする姿勢にはむしろ教わることばかりだった。卒業生総代になって、答辞添削を任せてもらえたときは胸が詰まった。

サッカー部で副キャプテンをしていたのに、引退試合の直前で怪我をしてしまい、試合には出れずコートから大声で指示を出していた榎木くん。試合終了が近づくともう何も声を出すことなく、ただ制服の白シャツがはためいていた。

回転ドアの向こうに、自転車の後ろ姿に、夏の朝夕、暑さが残る淡く眩しい光のなかに男子学生を見かけると思い出す。みんな素敵だった。私恋ばかりしていたけど、それは当たり前だった。

2022-07-05

性欲抜きで好きといえないとダメ

その点おれは小学生のころから性欲ありで好きだった

高校クラス替え一目惚れした子は笑顔がすきというきっかけだったがのちにおっぱいがでかいことをしってから性欲もまじってしまった

ぜーーーーーーーーーーーーーーーーんぶきたない

人間滅びろしね消えろゴミクズども

2022-06-10

河田くんの思い出

引っ越し断捨離してたら、河田くん(仮名)のことを思い出した。

ただ、なんだったんだろうと言うだけの話だけど、寝る前に書こうと思う。


小学校同級生だった河田くんは、背が小さくて痩せていて、少し外斜視の目がエキゾチック男の子だった。

ちびまる子ちゃん野口さんみたいな雰囲気で、無表情かニヤッと笑っているかの2つしかたことがなかった。

河田くんは女の子が苦手で、かといって男の子友達も多くなく、よくひとりでいた。

私は彼のことが気になってよくちょっかいをかけていたし、私の母と彼の母がPTAで親しかたこともそれに拍車をかけていた。

川沿いにある薬局の2階にあるお家にも行ったことがあった。

河田くんは4人兄弟長男で、狭い和室にぎゅうぎゅうに置かれた2つの2段ベッドの右下1段が彼の唯一パーソナルスペースのようだった。

枕元に派手な色のカエルぬいぐるみ星新一小説が置かれていた。

カエルの首を掴んで「こいつかわいいだろ」と言っていたのを覚えてる、その小さなベッドの上は河田くんのお城に思えた。

なんだか私だけは特別存在だと全く誰も羨んでいないのに優越感を感じた。


でも、河田くんと私はそれからたいした友達にもならずにクラス替えやら成長期を挟み疎遠になったまま小学校卒業した。

河田くんは女の子が苦手だから男子校に進むんだとお母さんに聞いた。

川沿いの薬局は駅を挟んで反対方向で、わざわざ見に行くこともなかった。

話に登ることも思い出すことも滅多になかった。

次に聞いた河田くんの近況は、亡くなったというお知らせだった。


それは母から聞いた。

亡くなった理由は分からなかった。

葬儀は2人で行くことになった。

葬儀場には同級生らしい学ランの子たちが沢山いて、並んでいる間チラホラ小学校同級生も見かけたけど、どれも河田くんじゃなくて河田くんのお母さんと付き合いのあったような顔だった。

棺の中の河田くんの傍にはあのぬいぐるみカエルが寄り添っていて、一度だけ行ったお家のことを思い出して、なんだか目の焦点がうまく合わなくなった。


お葬式のあと、お食事をしていって下さいと言われて、嫌だったけど母が「こういうのは礼儀から」っていうから案内された席に着いた。

油っぽくて味のしない天ぷらを食べてると、隣で河田くんの高校同級生と思われる男の子が何人かで話していた。

「どうする?明日

告別式?は12時に終わるんでしょ?さすがに一旦帰るよ」

思い出話じゃなかった…と思って意識天ぷらに戻そうとした瞬間、信じられない言葉が聞こえた。

今日こんなキツいのに、明日はサカタの通夜とかキツすぎるわ」


え?と声に出てしまったと思う。

箸を持ったまま彼らの話を聞き入ってたけど、私の知りたかったようなことは、もうとっくに話し尽くしたみたいだった。

明日彼らはもう1人同級生を見送ること。

彼らはサカタくんとほとんど話したことがないこと。

結局、河田くんは自殺だったということ。

わかったことはそれだけだった。

声をかけようかとも思ったけど、そんな野次馬みたいなこと亡くなった2人に失礼なんじゃないかと思って声が出なかった。盗み聞きしてるくせに。

それに、訃報を聞いたようにいつかお母さんが誰かから真相を聞いて、私に教えてくれるかもしれないとも思った。

結局すこしの天ぷらだけ食べて、最後河田くんのお顔をみて家に帰った。

なんで河田くんはあんなに弟思いだったのに、とか、誰にも相談できなかったのかな、とか、河田くんとサカタくんは友達だったのかな、とか、答えの出ないことをぐるぐる考えてうまく眠れなかった。


結局今日に至るまで、お母さんが「そういえば…」ってその話をしてくれるなんて都合のいいことは起きなかった。

何もわからないしわかることもないまま、高校卒業して就職もして今引っ越ししようとしてる。

私は河田くんのことを何も知らない。これから新しく知ることもないと思う。

あの部屋の小さな河田くんの世界の記憶けが鮮明で、お別れのこともフワッとしか思い出せない。

私が知っている12歳の河田くんは、5年間でどう変わっていったんだろう。

なんかまとまらなくなっちゃったけど、もっと河田くんと話してみたかった。

川沿いのお家も薬局今はもうない

2022-04-19

anond:20220419093532

ワイはホワイトデーのお返しのセンスが良いと言う噂が立ってしまい、中学の頃クラス女の子ほぼ全員からチョコを貰っとったで

クラス替えで別のクラスになった子からももらったし、なんなら男からももらってた

そんなんだからホワイトデーの出費がとんでもないことになってしまい、泣いて親に土下座しながら事情説明して毎年融資してもらってた

まぁ、そのせいで、そこそこのもの買えるようになってさらに「義理チョコあげるなら増田くん」運動拍車がかかってしまったのだが

2022-04-09

PTAをDXしようとして挫折した話 ※追記しました

去年から妻がPTA仕事をすることになり、仕事でDXをやってるんだったら手伝ってよ、ということで半年から手伝い始めた。

主な課題は2つ

両方ともエクセルを使って実施してるらしいのだがエクセルを使える人が居ないので困ってるとの話だった。

ちなみに妻もエクセルは使えない(編集ぐらいならできる)。

名簿更新作業

現状

PTAの名簿は「PTA名簿(学年).xlsx」というファイル管理されている。

6年生なら「PTA名簿(6年).xlsx」のファイルがあり、そこに各学年の児童名前保護者名前役割などが書かれている。

4月になると6年生のファイルは削除し、5年生のファイルを6年生にリネームする。

更に5年生のファイルに入っている各児童の学年・クラス・出席番号を変更する。

変更が終わればそれぞれの行を「切り取り」「挿入」することで出席番号順に並び替える。

これを全学年行う。1年生は新規ファイル作成する。

変更するときに参照するのは学校から紙で貰う児童名簿で、始業式当日までは厳秘なので絶対に貰えない。

始業式の翌週には役割分担を決めるくじ引きがあるのでだいたい2,3日で名簿を更新する必要がある。

これが凄い大変、ということだったし、もう10年近く同じ作業が行われてきたらしい。

提案

そもそも学校から名簿をファイルで貰えませんか、と聞いてみたがやはり無理だった。

印刷したものは渡しているか印刷前のエクセルファイルUSBメモリに入れてくれればいいですよ、と伝えたが

USBメモリ?」

という感じだったので諦めた。

次に、PTA側に対してエクセルファイルを一つにまとめましょう、という提案を行った。

ファイルは一つにして6年生、5年生のシート毎に分けましょう、という提案だ。これはすんなり受け入れられた。

そして6年生から1年生までを一つのシートにまとめましょう、という提案を行った。

学年の列を追加してそこに6とか5とかを入れておき、フィルターで6だけ選べば6年生だけ見れますよ、ということを提案した。

詳細は後にするがこれは却下された。

最後クラスと出席番号だけ入力して並び替えをすれば「切り取り」「挿入」という作業必要ないということを説明した。

実演もしたしデータが壊れないことも説明した。

だがこれも却下された。

原因

エクセルファイルのA列には「役割免除」「委員免除」などの文言が書かれていた。

例えば会長などの役員を1年務めた人は兄弟がいたとしても永久に何か役割を割り当てられることは無い。

そのため、児童の列の右側に書かれている「2018年 役員」などの情報を元に、当年度の役割免除かどうかを判断し、A列に役割免除記載を行う。

これだけなら簡単自動化できるが、役割免除判断方法は非常に複雑になっていた。

例えば役員をやっても〇〇委員だけは別で役員免除期間は3年となる。

また〇〇委員になった人は△△委員永久免除されるが、□□担当は当該児童に関してのみ免除され、兄弟に関しては免除されない。

こんな具合で複雑怪奇情報PTA規則という名のWordファイルビッチリ書かれている。

これらの情報を踏まえた上で一番左の列に「役割免除」の文言記載しなければいけなかった。

1ヶ月ほど妻と議論しながらそれを読み解き、エクセルファイル上で管理できるようにした。

当該児童2017年の列に「××担当」などと書いておけばいろいろと判断して「役割免除」と勝手に入るようにした。

(ちなみにこれは非常に大変な作業で、子供に紐付く役割情報と親に紐付く役割情報を分けて管理し、整合性を保てるようにVLOOKUPなどを作る必要があった)

さて、この過程で各学年毎のシートに分かれていると兄弟のいる親の管理が複雑になるため、1つのシートにまとめた。

入力場所管理方法も整理し、今後はこのシートを使ってはどうかと提案した。

が、結果しては却下された。

理由はいろいろあるが、「ルールが合っているかどうか分からない」からが主要因だった。

まりPTA規則は実は誰一人として理解しておらず、こちらで作ったエクセルが正しいかどうか分からない、とのことだった。

ちゃんルールに従っているので今後はこのエクセルで良いと伝えたが、そもそもPTA規則が正しいかどうか分からないと言い出した。

例えばクラス以外に各地域での役割があるのだが、それらがどのようなルールになっているか地域によって違うし、その場合役割免除も誰も分かっていなかった。

まりエクセルファイルにはただのメモ書きとして残しておくだけであって、判断は別途行う、という運用だった。

また、クラス替えときエクセル並べ替え機能を使ってはどうか、という提案却下された。

元のエクセルファイルは一部のセルが結合していて並べ替えができなかった。

よく見れば結合には意味が無く、解除すれば並べ替えできる、と伝えたが

「何か意味があるかもしれないから変えないでほしい」

とのことで並べ替えは出来なくなった。

くじ引きによる担当の決定

現状

各学年毎にPTA役割を決める必要があり、4月くじ引きが行われる。

くじ引き校長教頭立ち会いの下で役割を一つ一つくじ引きして決めていく。

この模様は録画されて証拠として残される。

くじは各学年・クラス毎に1ch × 30cmほどの紙が用意され、それを束ねてPTA会長が持ち、教頭先生が引いていく。

委員役割によって免除される人が違うため、同じクラスでも複数のくじが用意される。

黒板に各学年の役割を書き、くじを引いたらその人の紙を貼っていく。

このくじ引き作成が非常に面倒だと言うことだった。

A3用紙に先ほどの名簿を印刷し、裁断機で1cm毎にカットしていく。

これを6学年×3クラス×役割数だけ準備するのでとんでもないことになる。

ゴムで止めて付箋を貼って保管しておくらしいのだが、これをクラス替え発表の後に1週間以内で準備しなければならない。

ちなみに全部作った後に、不備がないか一つ一つ確認作業も行う。

「深夜まで作業していることがある」

と言っていた理由が分かった。

提案

そもそもくじ引きなどせずにエクセルランダムに選出できるということを伝えたが速攻で却下された。

そこで提案したのが割り箸くじだ。

といった提案だ。我ながら名案だと思った。DXは関係なくなったが。

当初はこの案で準備が進んでいたが、結果としては採用されなかった。

原因

まず根本的に勘違いしていたのだが、全ての役割くじ引きでは決まらないということだ。

前年の2学期が始まるときに各家庭に「来年役割希望について」というプリントが配られて各家庭で希望を募る。

そのときに「過去に行った役割」や「兄弟で行った役割」を記載してもらい、それを10月頃に受け取って保管しておく。

ちなみにその情報を元にしてエクセルファイル保全も行っていた。

「変な役割を押しつけられるぐらいなら希望を出そう」という人や、前任の人と仲が良くて引き継ごう、という人がいるので20%ぐらいは希望があった。

希望があった場合、先ほどの「役割免除」のところに「〇〇担当希望」という文字列が入る。

なんと、この文字列が入るとそのセルは赤くなるようになっているのだ。条件付き書式だ。素晴らしい。

そして、この赤いセル印刷したときにグレーになる。

1cm × 30cmのくじを作って束にすると、くじを引く側はエクセルでのA列になるのだが、そこがちょうどグレーのセルになるのだ。

くじを束ねても先端部分の色でグレーなのか白なのかを判別できる。

そのため、くじ引きをするとき教頭先生はグレーの紙を優先的に引くことができるのだ。

希望者が複数いる場合もあるのでくじ引き絶対にしなければならない)

希望者がいる場合はその人達だけでまずは割り箸くじ引きをする、などを提案したが、逆に準備や運用時間がかかることが分かり、元のやり方に戻された。

また、ファイルに分かれていたのもその紙の印刷をやりやすくするためであり、全てが紐付いていた。

A列には手書き免除文字が書かれることもあり、それを引いた場合はもう一度引く、といった具合だ。

非常に複雑怪奇になっていたので完全に手を引くことにした。

ルールの明文化

最後に、これらのルールが明文化されていないのが大きな課題から文化したらどうか、という提案をしたが却下された。

PTA総会での議題決議になり、まぁ想像しなくても大変そうだろうなぁと思った。

そんな決議を取るぐらいならいっそのことPTA解散するという決議の方がいいかもしれませんね、という話をしたら会長は苦い顔をしていた。

ITに対する不信感

この数ヶ月にわたってPTA教職員達と触れ合ってきたが、普段相手にしているそれなりの企業人達と違ってITに対する不信感が大変に大きかった。

一部、中小企業ワンマン社長などが似たような感じではあるがその比では無かった。

エクセル自動計算してくれるということを説明しても計算結果を信用しないだけでなく

「そんないい加減なやり方だとダメ」「怠けるのは良くない」

といった反応が多く、日本テレビドラマでたまに見かける

ITで楽してた人が非常時に役に立たず、経験と勘に頼った人がヒーローになる」

というのを目指している感じだった。あの手のドラマが売れる理由がよく分かった。

もちろん、ネットでは見聞きしたことはあったのだが、2022年の現代で、しかも同世代人達でも同じような感覚の人が多いというのは衝撃だった。

また、例えば同姓同名保護者がいて、それぞれに兄弟がいた場合は今のシステム破綻するので各保護者エクセル上で番号を振ってはどうか、という提案をした。

想像の通り、個人番号のように管理するのは如何なものか、というお手本通り拒絶反応を示された。

思えばあの辺りから不信感が大きくなったようにも思う。

最後

これは皮肉ではなく、この半年ほどだったがPTAのDX化(?)に関われて本当に良かったと思う。

資料やそこに書かれた数字として、ITリテラシの低さや地方自治体でのIT化の遅れなどを知ってはいたが、実は分かっていなかったのだ。

ITリテラシエクセルの使い方などの前に、そもそも「楽をして生きよう」という人が少数派なのだと思い知った。

そして民主主義を貫く限り、多数派意見に勝つことは無いのだ。

政治家が時にはバカ政策を立ち上げて、全く効率的で無いことがバカにされるが、実はあれは正しかったのだと思う。

企業活動は「楽をして生きよう」の精神があるにも関わらず、大企業になるほど非効率になるのは同じところに原因があるように思う。

自分自身がこのような視点を持てたことは大きく成長できた部分であり、感謝している。

追記

たぶんこの手の話をみんな大好きだろうから伸びるだろうなぁと思ったらやっぱり伸びた。いろんな人に知って貰えて素直に嬉しい。

いくつかコメントに返信しておきたい。

二重投稿になってたので修正しました。

ネタ扱いしている方へ

もちろん完全に本当の話ではなく身バレを防ぐ為にフェイクを混ぜているが9割は真実だし「本当に?」って思うところは真実だ。

例えば紙のクジは真実なんだ。残念ながら。

USBメモリ?」

の反応はちょっと端折りすぎたかもしれない。実際には

USBメモリ、ああ、USB、ね。ハイ。そうですね。でも、多分使えないんじゃないですかね?容量とか。そういうのが」

という感じだった。

その後もいろいろ話したが、結果的には印刷物をスマホ撮影してExcelに取り込む方法を使ったので業務はかなり楽になっている。

ちなみにUSBメモリセキュリティ観点結構から多くの企業禁止されていることもあって、意外とこういう反応は多い。

会社若い人に「USBメモリ持ってる?」と聞いてみるといい。恐らく持ってないし、使ったことも無い。

エクセルでワンクリック品を納品されても困る

別にやろうと思えばAWS上にReactでWebシステム作って納品してやっても良かったんだが、

仕事でもこういう問題は多々あるので自走できるように配慮する、というのはかなり気を使ってやった。

そもそもエクセルを使って解決しようとしたのもそれがあるからだし、割り箸くじも同じだ。

加えて、例えばExcelも一つのセルに式を押し込むのではなく、複雑怪奇ルールをそれぞれの列に分割したりした。

最低限VLOOKUPは理解して貰う必要があるが、それ以上に高度なことはしていない。マクロVBAなんてもってのほかだ。

PTAから逆に「結果だけ出して欲しい」と言われたが、そうすると引き継ぎ時やルール変更時に困るから、という理由でそこは死守した。

それでいて、入力するところはこの部分、というのをメモ付きで残すなどの配慮はしたのだが、結果は書いた通りだ。

密室会議不正方法で決めたいのではないか

途中でこのような不信感が募ったのだが、正直密室会議で決めるほどの権力名誉も無い役割なので違うと思う。

ただ単に新しいルールを取り入れることへの恐怖のようなものが背景にはあると思っていて

誰かがやり始めたのでそのまま続けるしかなくなっているのが現状だと思った。

許可を得ないで勝手にやる

これは恐らく真実で、自分会長立候補して「変えます」と宣言していたらやっていたと思うし、役員だったとしてもやっていたと思う。

PTAをやっているのは妻で、その手伝いという微妙立場だったのでこんなやり方になってしまった。

規約にも書いてないか勝手にやってしまえば良かったかもしれないが、そもそも動機

「妻が土日にいないと困る」

ぐらいだったのでそこまでやる気は無かった。

子供達の作業が1mmもない

これはその通りでPTA役員会の仕事の9割はPTA維持のための仕事である

ただ勘違いしないで欲しいのはPTAのもの業務というのはいろいろあって、それなりに必要とされている。

まぁ、必要とされているかどうか怪しい仕事もあって、例えばベルマーク集めとか校庭周辺の草むしりなどである

ベルマークは未だに集めているし、なんなら今はWebベルマークなんていうのもある。詳しくは調べて欲しい。

その辺りの業務お金解決できる、という話は度々上がるらしいが、実施されることはない。

名簿作りやくじ引きを見直せ

これはもちろんそう思ったのだが、受け入れ可能な形での提案をするのも大事だとは思っている。

思惑としては割り箸くじをまずは導入してもらい、効率化という意識を高めてもらってから根本的な改革、という流れが良いかな、とは思った。

一般的企業とは違って劇薬は思わぬ副作用を生むのだ。恐らくだが。

また、根本的な話をするとPTAの是非を問うことになるし、実際に会長には伝えたし、来年度以降にそれをやってもいいとは思った。

周りの学区でもPTA廃止されているところは増えてきているし、2,3年後にはうちも無くなりそうだとは思った。

とはいえ教師負担が大きくなった結果の悪影響は未知数だし、ボランティアベースでの活動にも限界があるだろうから何かしらの強制力必要なのではないか、とも思う。

2022-02-25

男子ってあいさつしないよなanond:20220225123346

クラス替えでも入学式でも女子挨拶するのに。


近所の奥さんやオバちゃん挨拶するのに。

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