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2021-03-31

VTuberの“BL同人誌朗読”、BL以外の同人誌だったら「炎上」しなかった

BL同人誌の内容をVTuberであるさくらみこさんと宝鐘マリンさんが配信内で「朗読」したとして「炎上」した件ですが、当初から腐女子界隈とVTuber界隈の抗争の様相を呈しており、一方を装った愉快犯が現れたり、誤情報拡散されたりと、見るに堪えない状況です。

そこで、BLVTuber両方が好きで、腐女子界隈とVTuber界隈いずれにもつながりのある私が、できるだけ客観的彼女たちの「炎上」の経緯を整理しようと思いました。

以下では、この「炎上」の背景にある腐女子界隈の不文律としての「掟」や、一次情報であるVTuberの元配信について言及しつつ、実態を伝えられたらと思います

また、そのうえで、百合VTuber本人などBL以外の同人誌であれば「炎上」しなかったという考えの根拠説明します。

やや長めですが、3日前の「作戦会議」の配信から経緯を把握している方も、後半部分には目を留めていただけると幸いです。

BL同人誌までの経緯

元となった配信は、3月28日(日)13時から10時間以上にわたって行われた、『ときめきメモリアル2』というギャルゲーの実況配信です。

この日は前日同様、オフコラボで、さくらみこさんと宝鐘マリンさんは同じ一室にいて、ゲームを実況したり、サプライズプレゼントを贈ったりしていました。話題となったBL同人誌も、サプライズプレゼントとして贈られたものでした。

配信内でのサプライズやドッキリは、突発的なものではなく、事前にリスナーとともに作戦が練られたものでした。

この日の3日前にはみこさんが、2日前にはマリンさんが、それぞれ土日のオフコラボへの「作戦会議」と称した配信をしています

これらの配信は、オフコラボ相手へのサプライズ案をリスナーに募る内容でした。そして、みこさんの「作戦会議」のなかで、リスナーからBL同人誌冷蔵庫に入れてプレゼントする」というサプライズ提案されたのでした。

なぜ「BL同人誌」なのかというと、マリンさんがBL好きであることを以前から公言していたためです。

この件においてBL同人誌は、あくまサプライズプレゼントの一つとして、みこさんがマリンさんのために用意したものでした。

同人誌朗読スパチャを稼いだ」という意見拡散されていますが、配信の主目的あくまギャルゲー実況にありました。

BL同人誌が登場したのは、そのなかでの「サプライズプレゼント」のゆえであり、配信内で同人誌自体あくまで脇役でした。(ギャルゲー実況配信10時間以上ありましたが、BL同人誌への言及は数分間で、それも「スパチャを稼ぐ」ためではありませんでした)

VTuberによるBL同人誌の「朗読

さて、「BL同人誌冷蔵庫に入れてサプライズプレゼントする」という作戦は、みこさんのマリンさんへの、冷蔵庫飲み物を取ってきてという言葉から開始されます

そうして、マリンさんは冷蔵庫なかにBL本を発見することとなり、その遠回しすぎるシュールな渡し方に爆笑しながら部屋に戻ってきます

Twitterなどでは、BL同人誌の内容を嘲笑しているとの意見もありますが、あくまサプライズプレゼントとしてのBL本の「奇抜な渡し方」に対しての笑いでした。

続く笑いも、内容そのものに対してではなく、作品タイトルや2つの台詞の奇抜さに対してのものです。

陽キャオタク創作嘲笑した」という構図に見立て意見Twitter上にありましたが、両名とも二次元好きで、そもそもこの配信自体ギャルゲー実況です。

では、二人は、このBL同人誌の内容をどのように「朗読」したのでしょうか。

この後、VTuber二人は作品タイトルと2つの台詞言及します。

作品タイトルは、躊躇いながらもマリンさんが部分的に伏せつつ発音し、続いて裏表紙にある「シャトルの発射まで時間がある」という台詞をみこさんが低い声で発音、そして「中に出せよ」という台詞強気受けによる命令形であることに着目しつつマリンさんが発音します。

作品タイトルは、ガン●ムの登場人物名前を奇抜にもじったもので、それが二人の笑いを誘います。二人はBL本の「奇抜な渡し方」の時点からほぼ休みなく笑っており、ツボが浅くなっている状態です。

シャトルの発射まで時間がある」という台詞は、ガン●ムをある程度知っている人ならばわかりますが、印象に残る強烈なものなので、二人は笑います

BL同人誌の「朗読」の一部始終は、以上の通りです。

当然のことながら、作品タイトルと2つの台詞を発することが「朗読」に該当するかどうか、VTuber界隈から意見が上がります

それに対して、腐女子界隈では、元配信を視聴していないこともあり、事実とは異なる「朗読」という伝聞やそこから憶測拡散され、「炎上」が拡大していきます

当初、BL同人誌の「朗読」は(二次創作物であっても)著作権問題だとして批判されていました。

しかし、実際には「朗読」ではなく、著作権上も問題ないことが切り抜きなどからかめられ、法的な問題でないと明らかになります

そうして腐女子界隈の一部でも「朗読」でない点を認める意見が現れるようになるのですが、それでも否定意見はやみません。

朗読」ではないとしても、腐女子界隈の基準では問題があるということです。

以下では、腐女子界隈に特有規範について触れていくのですが、その前に「朗読」という認識形成過程確認しましょう。

いったい、なぜ、「朗読」したとして「炎上」したのでしょうか。

朗読」という言葉とともに拡散、「炎上

作品タイトル部分的に伏せられていたとはいえ配信内容から作品特定され、エゴサを経た作者さんがTwitterにて言及することになります

ツイートの内容は、「私の本朗読してスパチャ貰われてる」という報告に、「ぶいちゅばって何でこんなに人気なの……??」とVTuber自体への批判を含んだものでした。

朗読」という単語は、おそらくエゴサから引用したのでしょう。作者さんも「~っぽい」と表現を用いていたので、元配信確認したわけではなかったようです。

しか結果的に、この投稿は、腐女子界隈とVTuber界隈で急速に拡散され、腐女子界隈では次々と「朗読」が話題になり議論が紛糾する一方で、VTuber界隈では「朗読」は拡大解釈だという意見が上がります。また、「何でこんなに人気なの……??」という表現からVTuberのものを貶められたという認識が広がります

いずれの界隈にも感情的意見を書き込む層はいもので、決して一部とは言いがたい数の人々のあいだで、誹謗中傷の投げ合いにまで発展します。

作者さんは、まとめサイトへの対策などからTwitterアカウントに鍵をかけ、これが双方にさらなる邪推を生んだりもします。

作者さんのbioを見ると「早急に事態収束するよう祈ります」「訴訟しません」「キレてません」と記載されているのですが、争いは作者さんを置き去りにしてエスカレートしていきます

それから朗読」という言葉腐女子界隈の広範で用いられ、「min_retweets:500 朗読」とTwitter検索すると確かめられるように、「朗読」についていくつもの投稿拡散されていきます

伝聞が伝聞を呼び、人々の感情を逆なでし、「朗読配信という憶測ばかりが、噂の伝言ゲームのように一人歩きしていったのです。

それに対して、VTuber界隈では「朗読」というデマ拡散されているとして一次情報(元配信)の確認を求めます。ですがこの時点ですでに元配信は削除されていたので、一部の人々は切り抜き動画を視聴することになりますTwitter上でも切り抜きが投稿され、拡散されました)。

しかし切り抜き動画もまた文脈が省略されているために、あらぬ誤解を生み出すことになりました。

切り抜きを観ると、「朗読」の誤解は解けますしかし「BL同人誌が晒されて嘲笑された」ように受け取れることから、そのような認識腐女子界隈に広がっていきます

実際には、先述したように、VTuber二名作品嘲笑したわけではありませんでした。

このように、「朗読」による「炎上」は、もともと「朗読」だとして著作権的な問題とされていたのが、作者さんを置き去りにして、「晒されて嘲笑された」問題にすり替わっていきます

そうして、「朗読ではないとしても、読み上げたことが問題」「逆カプ表記をしたのが許せない」「影から引きずり出して明るみに出したのが許せない」という主張がなされるのです。

腐女子界隈特有規範が背景にある

朗読ではないとしても、読み上げたことが問題」とは言いますが、VTuber界隈をはじめとして、腐女子界隈以外では、作品タイトルや一部の台詞を読み上げたところで批判対象にはならない傾向があります

例えば、Twitter上で自分の入手した同人誌写真を、「戦利品ゲット!」という気分で投稿したとしても、問題視されることはありません。

しかし、腐女子界隈では、これは大問題です。にわかには理解しがたいかもしれませんが、作品を公の場に明るみにするのは事実上の禁忌とされる傾向があるのです。

同人誌写真のみならず、作品タイトルも、作品内容も、直接的な言及は控えられています

ですから配信内などでBL同人誌を取り上げるのは、以ての外ということになるのです。

こうした傾向は、女性オタク文化のなかでも特に腐女子界隈に顕著で、百合作品異性愛作品の界隈ではあまり見られません。

腐女子界隈はさまざまな事情から村社会化しているがゆえに、ほかにも数多くの特殊な掟があります。「逆カプ表記」もそうした禁忌の一つです。

件の配信内でも、BL同人誌について、あまりBLに詳しくないみこさんが「逆カプ」だと勘違いし、マリンさんが訂正する場面があり、Twitterでは「朗読」と併せて「逆カプ表記」が批判されていました。

結局のところ、BL同人誌サプライズプレゼントとしたみこさんとマリンさんは、このような腐女子界隈での規範に従っていないととらえられたがゆえに、作者さんを置き去りにして「炎上」につながったのでした。

ですが、そうは言っても、法的には問題のないことに対してまで、法律をさし置いて界隈独自規範によって判断するのは、あまりに強権的ではないでしょうか。

他の界隈にまで独自規範を遵守させようとする姿勢は、自国の法を他国内部にまで適用させようとするも同然の姿勢ではないでしょうか。

百合界隈であれ、異性愛作品の界隈であれ、またVTuber界隈であれ、配信内で同じ出来事があったとしても、批判は集中しなかったでしょう。また、BL同人誌でも、海外の界隈であれば同じく批判されることはなかったでしょう(海外の界隈では「逆カプ表記」が許されているなど、界隈としての特殊性はあまり見られません)。

以上より、本件は、腐女子界隈の特殊規範存在を前提に成立した「炎上」として理解できます

VTuber界隈の文化的感覚BL同人誌を取り上げたことこそが問題として「炎上」につながったのです。

この出来事は、VTuber界隈と腐女子界隈の文化性の相違による、ディスコミュニケーションだったと言えそうです。

(ところで、本筋から離れるので深入りはしませんが、「逆カプ」がだめということになっているのは、そもそもBL文化男性表象を用いた異性愛表現からです。BLは、男性同性愛者の作り手が極端に希少であることからも明らかなように、実際には男性表象を用いて異性愛を語り直す表現なのです。受け攻めは女性男性対応し、だからこそ受けの発言行為も表情も女性的に描かれているのです。

ですからこの場合、受け攻めの反転である「逆カプ」は、男女の反転同然であり、そのような意味合いにおいて「地雷」だとして非難されるのです。

しかし、いくら地雷」だとしても現在BL自体異性愛ジェンダーロールを同性愛に持ち込む点で、「強制的異性愛」一歩手前でLGBTQ的にグレーな行為ですし、また感情基準禁忌定義することは感情で法を定めるような危うさを含んでいます。あらかじめ論理性を劣位に退け、情動性を優位に配するのですから

「逆カプ」について、「地雷」だから言及禁忌とする規範は、盲目的に「好き」だけを肯定し「嫌い」を徹底して排斥する、同一性称揚かつ多様性全否定である点も見逃せません。

この点については、腐女子界隈の内部から批判もあるのですが、全体として賛成多数となっており画一的で抑圧的な趨勢は変わっておりません)

おわりに

VTuberさくらみこさんと宝鐘マリンさんが配信内でBL同人誌を「朗読」したとして「炎上」したこの一件は、そもそも朗読」という伝聞が拡散され、感情的憶測を次々に引き起こしたという、事実に基づかない「炎上」でした。

事実に基づいた批判であれば、VTuber界隈からの反発もこれほどまでに大きくならず、腐女子界隈とVTuber界隈による衝突の様相を呈することもなかったでしょう。

「min_retweets:500 朗読」などでTwitter検索すると、一次情報を知らずに噂に便乗した投稿が何件も拡散されています事実確認もせず、濡れ衣を着せることも躊躇わず、伝聞をもとに憶測から感情を爆発させられればそれで納得できてしまうのだろう――との印象を、VTuber界隈に広げることになっています

さらに、切り抜きなどを経て「朗読」という誤解が解かれたかと思いきや、被害者意識の先行か、「晒されて嘲笑された」と悪意的に読解し、またも事実とは異なる憶測で「炎上」を加速させていきます

そのうえ、作品への言及自体腐女子界隈独自規範に反しているとして、非難するようになります

しかし、界隈のルールを、界隈の外側にまで求めるのは、自国の法を他国にまで適用しようとするも同然の行為で、あまりに強権的です。他の界隈ではありえません。

それに、無知からとった行動が、たまたま界隈の規範に反するものだったとしても、悪意的にばかりとらえるべきではないでしょう。

この件でVTuber本人は、BL同人誌プレゼントとして用意し、サプライズのために冷蔵庫に入れ、そうした渡し方や作品タイトル台詞の奇抜さによって笑いを引き起こしたのでした。

そこに悪意は見られませんでした。

しかし、にもかかわらずTwitterを中心に、「朗読」という伝聞から悪意的に解釈され、事実とは異なる感情的憶測拡散され、切り抜きからも悪意的に誤読され、誹謗中傷を投げられるという被害を、VTuber本人が強いられることになったのです。

このような構図では、Googleアナティクスの仕様から台湾言及しただけでVTuber本人が大陸ネットユーザーから攻撃を受けた、昨年9月の一件と重ねてしまます(詳細は、「ホロライブ 台湾」などで検索してみてください)。

前々から気になっていたことですが、腐女子界隈は、この件に限らず、伝聞や憶測で悪意的に解釈するのではなく、事実に基づいて慎重に意見することが必要です。

事実とは異なる憶測や誤解で非難すれば、それは単なる誹謗中傷となり「ネットリンチ」につながります

続き:https://anond.hatelabo.jp/20210331233146

2021-03-21

anond:20210321005812

田舎モール内でバイトしてた時、その手の変質者が出ることがあって、男性だったら男性スタッフ巡回警備員に引き継ぐ・無理なら二名以上で対応するみたいなルールができた

10年近く前の話

2021-03-13

腐女子懺悔

懺悔したいことがある。

私はもうすぐ今の部署を去るので、これをきっかけに書いておきたい。

実は私はこの部署にいる間、ずっとナマモノ妄想していた。

ターゲット二名はどちらも妻子持ちだが、とにかくイケメン高身長、そしてかなり仲が良い。

お互いがお互いをリスペクトしていて、ライバルだが助け合うような関係性だ。

とあることをきっかけに、この二人をモデルBL小説を書いたら面白いのではないかと思い、毎日ではないが仕事の行き帰りにスマホで書き始めた。

ネタは社内に行けば転がってはいるのだが、一人は基本内勤、一人は外回りが中心なので

、二人が揃う早朝、そして夕方~夜にかけてはネタの拾い時だ。

きつい残業をしていても、素敵な会話や小ネタを拾えたときは本当に幸せだった。

本当に、自分は何て気持ち悪い人間なのだろうという自覚はあるが、あれほど素晴らしいナマモノ出会えることは今後ないだろうと思うと少し寂しくもある。

本当に、数年間仕事モチベーションになってくれてありがとうございました。

因みにクソクソクソ上司モブキャラとしてひどい目に合わせてストレス発散してました。ごめんね。

2021-02-27

どうでもいいのに言わずにおれないこと。

子供授業参観があり、その後保護者懇談会があった。そこで次年度のPTAクラス役員決めがあったのだけど、定員二名のところ、五名の立候補者があり、立候補者達でじゃん拳をして役員を決めることになった。

立候補者の中には、クラスで最悪に評判の悪い、イジメ親玉男子母親がいた。彼女はじゃん拳に負けたので、役員にはなれなかった。彼女果たして自分の息子がクラス女子や体力のない男子いじめまくってしょっちゅう泣かせているのを知らないのか、それとも、自分の息子が迷惑をかけ続けているのを知っていて、せめてPTA役員という面倒事を皆の為に引き受けようとしたのか、どっちなんだろうな。

……という話を、夜、夫に話そうとしたら、途中で遮られて、話を曲げられた。小学校PTAクラス役員は、六年生で受けると面倒だからって争ってでも五年生までにやりたいという人がいるが、あれは罠だ。一度役員を引き受けてしまうと、本部に「あいつは押せば断れない」と思われて、次は地区役員本部役員PTA副会長、そして旦那会長にと、次々に押し付けられる。そして会長までやってしまうと中学PTA会長も否応なしにに引き受けることになる。

夫が言いたいのは、嫁が馬鹿だと旦那は末の子中学卒業するまでずーっとPTA会長をやらされ続けることになるのだ、ということだった。

そして夫の持論は続く。うちの子供の小学校児童の人数が多いから、馬鹿な嫁を持たない限りはPTA会長という貧乏くじを引かされることはないが、俺の実家の学区小学校だと、児童の人数が少ないので自主的PTA会長をやろうという人はいない代わり、男は地元の生まれ育ちの奴が多いので、PTA会長職は地元の繋がりで信頼されている奴が頼まれてやるのだと。一種名誉職のようにPTA会長を言う。

俺もあのまま実家にいたら、きっと先輩からPTA会長を頼まれて大変だったと夫は楽しそうに言う。私は「ないよ。」と答えた。

夫の実家に住み続けていたら、私は今頃生きてないよ。子供を生む前に首括って死んでたわ。そしたらお前の家族、お前含めて誰も私をお前んちの墓に入れたいと思わないし、私の両親もそう思わないから、きっと今頃私は故郷祖父母と一緒の墓に入っている。

こんな、余計なことを話して夫の機嫌が悪くなんないはずはないので言わなきゃいいんだが、たまに言わないと気が済まなくなる。

言っちゃってから気づいたが、私が仮に死んでたとしたら、夫は今頃別の女と結婚して実家に住み、嫌々だというていで楽しく小学校PTA会長をやっているのかもしれないな。

私と私の子供達には関係のない未来だ。夫にはその方が楽しいのかもしれない。

2021-01-27

緊急事態宣言下のカツカレー

週に何度かの出勤日を終え帰宅する途中、ふと駅前とんかつ屋張り紙が目についた

「夜限定カツカレー 1200円 豚汁おしんこ付き」

限定?このご時世で8時までしか営業できないことと関係あるのだろうか?でもとんかつ屋カツカレーにしたって客の滞在時間は変わらないよな。等と思いながらも限定の二文字とんかつ屋カレーがどんなものか気になり来店

過去に一度来た事があるが相変わらず古く、ボロくもあるが老舗の空気も漂わせるいい雰囲気カウンターキッチンテーブル席が3つほどの小さな店だ。

こんな時期だからか一人客なのに四人掛けのテーブル席に通される。他の客は二名。一人は奥のテーブルで二本目のビールをあけている。たった一人で瓶ビール二本。そこらの飲み会で騒ぐためにビールを飲み、ビールしかアルコールを知らないオッサンどもとは違う、正真正銘ビールが好きなオッサンなんだろう。もう一人はちょうどカツカレーを頼んで待っているところだった。安心しろ。俺もすぐ行く。

慣れた雰囲気カツカレーを注文し茶飲みながら待つ。こういう時にちゃんと湯呑で茶が出てくるのがいいよな。あとおしぼりに紙で包装された割り箸。経費削減と効率化が進んだチェーン店では出てこないサービス

カツを揚げる音を聞きながら前座豚汁キャベツおしんこが運ばれてくる。カツカレーでも千切りキャベツを別で出してくるのはとんかつ屋矜持か。

そしていよいよカツカレーと対面だがなんと深みのある給食っぽいカレー皿で出てきた。なんか店で喰うカレーって平たい皿のイメージだったから驚いたな。まあ食えば一緒か。

カツは前と変わらず標準的品質。特段旨いわけじゃないが文句もない。揚げ立ての衣は文句なし。カレーの方は…意外と個性がある。既製品ではないのか?デミグラスソースっぽい香りでもあり、カツのせいか金沢カレーの親戚のようでもある…こんなところでこんな洋食っぽいカレーが出てくるとは!好奇心で頼んでみたが正解だったな。

カツを一枚、カレーを食い、千切りキャベツリセットしてお茶一口。そしてまたカツを食い…たまに豚汁とんかつ定食のサイクルをカツカレー再現…だがここで一つ問題が浮上する。おしんこだ。本来なら白米-豚汁-おしんこラインが完成したところがカツカレーではカレー自体が白米を自己完結させるので出番がない。カツに対応するサッパリ枠もキャベツ占有している。だいたいカツカレーにも福神漬けが乗ってるのにこのおしんこはどうすればいいんだ……とりあえず適当なところで全部食っちゃうか…

などととんかつ定食作法で出されたカツカレーを楽しんでいる自分の背後でガラガラと戸を開く音が鳴る。新しい客だ。

「いらっしゃい、ご注文どうぞ」「うーんちょっと迷ってて…」気弱そうな男性の声。お前もカツカレーか?成人男性が夜にカツカレーを食うことにためらいがあるのか?

一人客なのにこんなところで外面を気にしやがって、そんなだからとんかつ屋にも堂々と入れないんだ。

カツカレーなんですけど、カツだけ上ロースにできます?」

なんだと!?

「できますよ!200円増しですけど」

即答!?

「じゃあそれで」

カツカレー上ロース1400円で一丁!」

なんて奴だ…あいつはカツカレーを頼むことに躊躇していたんじゃない、メニューのどこにも存在しない上ロースカツカレーを狙っていたんだ…

気弱そうな声のくせになんて豪胆にして創造的なやつ…俺の負けだ…

しか差分を払えば別のカツカレーができるなら、同じくメニューにあるミックスフライでもいけるのか?ミックスフライカレー…いやなんかダメそうだ、字響きからして通らなさそうな気がする。第一別に食いたくねえし。

等と思いながらカツカレーキレイに完食して退店。外では相変わらず居酒屋断末魔のような値段の飲み放題宣伝している。

結局コロナウイルス蔓延して緊急事態宣言が発令された時でも、たった一人でとんかつ屋に来てメニューに無いけどギリギリ常識的上ロースカツカレーを頼めるような男が時代を作っていくんだろうな。

俺はしょせん既製品に乗っかって安牌を引き続ける男よ。まあ旨かったからいいんだけど。

2021-01-12

中学生の頃、詩を書いて2ch投稿していた

 中学の頃、2chの専門板である「詩・ポエム板(以下詩板)」に俺は入り浸っていた。今から十六年ほど昔の話になる。というか高校三年間を含めて四年以上俺は詩板に入り浸っていた。高校時代には文芸部に入っていたんだけど、自分の書いた詩について発表するのは年に二回刷られる部誌が発行される時に限られていたから、専ら俺は2ch自分の詩情を解き放っていた。

 当時詩板で有名だったコテハンの数人は覚えている。underbar。アルファ。後誰だっけかな。やっぱあんまり覚えてねーわ。とにかく、詩板には詩情においてセンスを認められた何人かのコテハンがいて、そいつらが話題の中心になっていた。特に人気だったのが上記二名だ。underは毒舌他人の詩をバッサリ切って捨てる芸で人気だったし、一方でアルファは丁寧に他人の詩を読んで論評を上げるので人気だった。

 当時2chの詩板で人気だったスレは、「君のセンスを五段階+αで評価するよ」ってスレだ。

 簡単に言えば、自作の詩を発表して、不特定多数の有志によってE-からA+の十五段階に短文を添え評価してもらうというスレだ。当時は凄まじい人気で、とにかくポエジーリビドーを腐らせた何人もの人間がひたすら詩をスレに書き連ねていた。つまりは俺もそんな連中の内の一人だった。スレの主旨は評価漏れゼロにすることで、投稿した詩は必ず一回は評価される。未評価の詩はテンプレ欄に随時更新されていた。

 どちらかと言えば詩を評価するよりも詩を投稿する方が人気で、評価する作業は詩板の中でも勤勉で責任感の強い連中が持ち回りでやっていた。

 まあ御託を並べたんだけど、何で俺がこんな文章を書いているかと言えば、つまり、当時と同じことをやろうとしているってわけだ。

 俺は今から、俺が十五歳の頃に書いた詩を以下に載っけるので、是非それを増田たちに、E-~A+のアルファベットと、短文によって評価してほしいってことなんだ。

 ついさっき、スマホをいじってたら何故か当時のスレ過去ログスクショした写真が見つかったもんで、その写真の中に、当時書いた詩が収められてたんだね。

 参考までにテンプレを載せておきます

1名前はいらない2007/03/26(日) 21:50:08.32ID:gXbMg/db

ランクを目指して詩を書き込もう。

皆さん、ガンガン評価しましょう!


A:プロ並み。出版社にもってけ。

B:言葉狩人

C:光るモノを感じる。

D:素人

E:まずは日本語勉強を。

 では早速ですが書きますタイトルは。


 ◇


マグロブルース


走って行く

離れてくんだ

必死に追いかけてるけど

走ってるから


仕方ない、って、言い訳はしない

でも、死んじゃうんだ

歩くとさ

走ってないとさ

腹をてらてら光らせて

仰向けになるわけにはいかないのさ


あぁ走って

離れてく

もう声は聞こえない


2021-01-05

RIZINボクシングって比べられるんですかねぇ?

anond:20210104202958

えーっと、ツッコミどころが多すぎるのでまずボクシングから

井岡vs田中と比嘉vs小林の方がRIZINの全ての試合よりも数段面白かったよね(中略)田中選手の強さは素人にも良く分かる位

力強くて田中選手の方が強いんだろ?って思ってしまった位だし

よくこの視聴レベルRIZIN批判できたなって思う。

まず井岡vs田中戦において井岡が手を出さすに中間ラウンド程度まで見に徹したことも見抜いていない。確かに田中選手アグレッシブで後半井岡をぐらつかせているが、右ガードをしつこいくらいに徹底しつつアウトボクシングすることで、外から若干オーバーハンド気味に飛んでくるフックの隙間を縫ってコツンとあててカウンターをとることに専念していた。実際これで前半立て続けに2ダウンを奪っている。これについてはボクシングショップのTomitさん動画が詳しく解説してらっしゃるので見てみたらいいと思う。

個人的な所感として田中選手はたしかに押していたが、クリーンヒットが少なくポイント優性で勝利を狙っているのかと思っていた。なぜなら田中選手スタイルは打ち出すときにやや半身になり、構えも若干前に突き出すヒット重視の構えだったから。実際ヒット数では田中選手が多かったと思うし、審判の印象も良かった。

ところがRIZINなにあれ?五味選手なんて、バテて動けてもないじゃん。朝倉海選手とかYoutubeで遊んでる暇あったら練習したらいいよ。弱すぎじゃん。

背景を知らなさすぎ。五味隆典はPRIDEエースであったし、それだけで看板になり得るスター性がある。そして総合選手キック選手が戦う、しか総合側の体重を重くした状態、という条件をつけて勝敗予測をわかりにくくしている。視聴者的に皇治選手技術普通しかないのはキック界ですら周知の事実だし、五味隆典のテクニック今日総合と比べると低いのもまた事実。そのうえでスター二名が戦ったらどうか、というところに面白さを感じるわけで。元増田の言うようなボクシングと比べたらレベルが低い、なんて話は誰もしてない。

朝倉海選手に関して、これ兄貴未来共々言ってることだが、Youtubeやってるから練習が疎かになるほど時間は削られていない、と語っている。実際彼らは格闘技Youtubeだけで生計を立たているドル箱スターで、その点でバイトしながら減量するボクサー立場は変わらない。というよりむしろクレバーと見るべきだ。

シバターってYoutuberでしょ。素人に毛が生えてるだけじゃん。知名度と注目度があれば、競技性のない試合を見せても問題ないの?

正直それを言うならこいつにダウンを奪われたHIROYAにいうべきなんだが。それにシバターThe Outsider試合を見る限り瞬殺KOも数多く出していて、実は案外とちゃん総合ができることを皆知らない。知らなかった時点で格闘技視聴者として半端なこと言ってるのがよく分かる。

競技性の違いを語っておきたい

総合格闘技ボクシングテクニックはショボイ、という意見があるならそれ単体では正しい。しかし、総合格闘技という場面においてボクシングを愚直にやるやつは馬鹿だ。朝倉海ですらダッキング、ウィービングなどのテクニックは使ってない。当たり前だろう。総合格闘技タックルという武器がある。ボクシングの前傾姿勢と間合いで戦えば第三の打撃と言われるタックルを食らって早々にテイクダウンされ、あっという間に腕十字が決まってタップすること請け合いだ。

井岡vs田中試合朝倉海vs堀口の試合を見比べればわかることだが(というか常識過ぎて見比べる意味すらない)、総合選手の間合いは遠く、ボクシングでは中間距離と言われる間合いでも総合では近距離扱いとなる。これはタックルを警戒するためだが、そうなってくるとパンチテクニック自然と変化する。最も当てやすパンチタックルと見せかけつつ身を沈めてオーバーハンドフックすることであり、かつてヒョードルなどが好んで使ったこからロシアンフックの異名も持つ(命名の由来は違うかもしれないが)。

ジャブも大きく踏み込んで打たなければならず、スウェーバックでなくローとタックルを切るために体ごと移動する。ボクシンググローブがないためガードテクニック通用せず、せいぜいヘッドスリップ程度しか使えない。このこともあって体重移動のほうが重要になる。ローキックキックボクシングムエタイのようにアップライトすぎる姿勢は維持できないため、牽制程度になる。

こんなにも違う競技を持ち出して上下を決めるなんて実にくだらないし、そもそも何もわかってないと告白してるようなもの

つっても谷川モンスター路線では?

正直スダリオ枠とかはそうだし、五味vs皇治もそう。しか一般人を吸い込むためにもこういう試合必要。実はRIZIN大晦日以外の通常試合のほうが技が細かい選手が多くて、技術的には見ごたえがある。特に斎藤裕vs摩嶋一整戦ではお互いのグラップリング能力の高さがそれこそ素人目にもわかるレベルだった。

RIZINでもボクシングやればいいのでは

日本ボクシングコミッションはめちゃくちゃうるさい。ああいうところにはだせてもらえない。京口紘人選手榊原社長コネをつけるために直談判しに行ってるが、ふわ~っと流されただけでインタビューが終わった。

2020-11-25

襲っきている二名のうち、ニトリ云々と書いた増田はすでに空洞化

あと一人であることを祈るが

本当にあと一人だと思う

2020-11-05

ATSUGIタイツ騒動におけるイラストレーターの罪

なんか攻撃的なタイトルでごめんね!

今回の件、ほとんどがイラストは綺麗とか、場が相応しく無かっただけで、イラストレーターさんは悪く無い!とか意見を多く見かけた。


分かるよ、昨今の萌絵に対する炎上見てると、好きな作品とか、イラストレーターさんが悪く言われるし、

オタク文化の事に口出すなよ・・・って食傷気味だ。


でも今回の事ってオタク文化の話じゃないしね。

https://note.com/yamako_k/n/nec26b8324113

ここにかいてある事がおおむね炎上した理由適当かなーと思ってる。


その上で私は滅茶苦茶怒っている。

企画したATSUGI全面的に悪いのは当然として、加担してしまったイラストレーターさん(以下長いので作家さんとする)にだ。

あと、反論(?)としてフェミさんが騒いでる〜とか、私女だけどエロく感じ無い〜とか、全く見当外れな事で火に油を注いだ外野にも。


下取り止めもなく書いたんで、長文だし読みにくいよ、

途中口も悪くなるんで覚悟して読んでね。


最初自分がどんなオタクか紹介する。

性別は女、結婚してる。

ノーマル百合BL感性に合えば何でも読む。

18禁も読むし、同人誌で言うなら男性向け18禁の本の方が女性向けより多く持ってる。

女性向けの同人誌ギャグが多いかな。

可愛い女の子の絵が好きなので、自然男性けが多くなった感じ。

一時期はLOも所持してたが、流石に結婚前に処分した。(夫が持っていると間違われたら困るので)


こんな感じで、男性向け文化を楽しませて貰ってる一人だ。

あくま男性向けなのを楽しんでる女性という自覚があるので、作品がどんなに女性を酷く扱うような作品であっても、

勿論抗議なんかしないし、わざわざ公共の場に持ち出して、

「見てーこの作家女性を食い物にしてますよー性的消費ですよーフェミ団体さん、この作家しましょう〜」

なんて事絶対にしない。

だって男性向けに作っている物をこっちが勝手に読んでるだけなんだもん。

それを勝手女性の言い分で良し悪しを言うのはおかしい話でしょ。


じゃあなんで、今回そんなに怒ってんだよって。

こっちが男性向け文化に口出さないのと一緒なんだよ。

女性商品に対して男性目線を持ち込むなって話なんだよ。

そしてそれを作家が全く気づいて無い事なんだよ。


タイツストッキングエロ、エモ、その他感情を持ってるのは当然知ってるよ。

でもそれを目の前の女性に向かっては言わないよね?言ったらどうなるか分かるよね?

からこそ二次絵やAV風俗とかで夢みるんでしょ?

エロく見てるのは知ってる上で、加害が無ければ勝手エロく見てろよって思いながらタイツはいてるよ。


からこそかな?描いてる作家さんも、勝手エロく見てごめんなさい、タイツ姿素敵ですねって

心で思いながら描いてるもんだと思ってた。

まさか作家が、女性タイツ姿はエロいのが当たり前だから、それを公の場で言っておかしく無いって

そんな感覚麻痺してるって思わなかった。


ATSUGI公式から熱烈なラブコールを受け、企業案件だし舞い上がったのかもしれない。

しかし、そこに女性に対する配慮は無かったのかな?

ATSUGIや他読者からのよいしょで、自分達が勝手エロく見てるっていう前提忘れてない?

大袈裟に言うなら、タイツはいて見せてくれる女性に対してのリスペクト無いよね?

タイツを履いた足を物でしか見て無かったよね?

勝手作家女性リスペクトさせてごめんだけど、それで食ってる以上リスペクトして欲しい)


ATSUGI公式が以前RTしていたとある作家さんの画集宣伝

明らかにエロ目的の絵が数点あって、ATSUGI自分会社の購買層を知らないんかと震えたよ。

その作家さんとATSUGIの対談もあって、タイツを通してこの二名相思相愛なのは別にいいんだ。

ただ、作家さん的にはATSUGIコンタクトをとって来た瞬間に、自分普段描いてる物がATSUGIの購買層から見たらどうなのか?

ATSUGIの購買層が一番作家さんが描いてる物を見せちゃいけない相手だって気づかなかったのかな?


あれかな?タイツ好きでタイツ描いてたら、タイツ大手企業から声掛かっちゃって、自分勝手エロく見てるって認識すっ飛ばして、

タイツ業界から認められた!になっちゃったATSUGIの購買層が自分の読者になると思った?

ASTUGIのお客さんに、タイツ履いてる姿エロいですね〜って言ってる事に気づいて無かった?


本当気づいて欲しかった、ATSUGIから声掛けられた時点で、ATSUGI中の人の裏アカで繋がるとか、

性的な内容を含めない別名義のアカ作るとか、やりようはあったでしょ。

その上でタイツの絵が認められて嬉しいけど、ATSUGIのお客さんには自分普段作品は見せれませんとか、

暴走していたATSUGI止めれたのも、その作家さんだったと思う。

依頼したATSUGI100%悪い、でも一緒に暴走したようにしか見えなかった。


特定作家さん出して申し訳ないけど、#ラブタイツで性的な絵を描いた作家さんはみんな同罪だと思うよ。

企業案件PR、金払いも良い上に、知名度が広がるチャンスなのは間違えないけど、自分普段描いてる絵が、

果たして依頼者の為になる絵なのかは、プロで、それでお金を貰っている以上考えないといけない。


実は私自身も細々とイラストデザインお金を貰っている身である

依頼があってまず考えるのは依頼者のお客様だ。

広告であれば、誰に、どの層に、どう思って欲しいかを考えながら制作していく。

PR広告である以上、依頼者は私のイラストお金を払うのではない、

私が作ったイラストから得られる広告効果に対してお金を払うのだ。

エンドユーザーを考え、こうすれば効果的ですと提案する事もある。

もちろんその分、自分が作る広告効果が上がるので仕事の値段も上がっていく。


最近は手軽にネットに絵を上げれるし、そこそこ有名になれば企業から声が掛かかる事もあるし、

若いうちに仕事が貰えて、こういった広告勉強をせずに来た子が増えたと思う。

気軽に依頼が来るようになったからこそ、自分を、表現の自由を守る為にPR広告勉強をして欲しい。

自分の絵の使い所を知っていれば、適切な場所知名度は広がって行く。

明らかに自分に合わないと思ったら断っていい、断ってもちゃんとした依頼者なら、信頼出来る作家としてまた仕事を回してくれるし、

変な依頼者であれば、依頼を受けた所で今回のような事故に巻き込まれるだけだ。


散々既出だと思うが、一連のイラスト群はATSUGIPRで無ければ、どれも可愛く素敵な作品だったと思う。

それこそ作家さんが個人的企画として#ラブタイツをやっていれば、こんな炎上にならずに、私もいいねを押しまくったし、

作家さん達も好きなタイツイラストを描く事が出来ただろう。

(まあATSUGIいいねしまくって、フェミさんに目をつけられる事に変わりは無かったと思うけど、ATSUGI自爆で済むし・・・

イラストに罪は無い、ただ、広告として一般的にどう見られるのかを、自分イラストアピール場所を考えられなかった作家無知に、罪はあると思う。


私より短く分かりやすく優しく中村さんが言ってくれてるけど、こういう事。

アップされてた絵はどれも本当に可愛かったし、綺麗だったので、広告をもうちょっと勉強して、

また描き続けていって欲しいです。いつも素敵な絵達をありがとう


#ラブタイツの中でも、性的な感じがしない、タイツはい女性を溌剌に、綺麗に描いたイラスト複数存在していたので、

これらの作家さんは、ちゃんATSUGIの購買層を意識してるとしてプロモーション効果も高く、今後もPR案件が舞い込むんじゃないかなーと思っています!!



■火に油を注いだ外野

特にリプライに、エロいですとか、これが性的とかフェミさん何にでも湧くなとかさ。

ダブスタやんけ。

同一人物が言うてないとしても同じリプ欄に並んでるだけで破綻してんねん。

炎上の一部はお前らのせいや。誰に向けられたPRか考えて発言しいや。

作家さん、例え自分性的な物描いてるつもりなくても、普段性的な物描いていればリプ欄に性的な目を持った人がワンサカ湧きます

本当に案件は選ぶか、垢分けして無駄事故無くしましょう)

あと何でも、フェミさんは何言っても通じないで逃げるな。問題矮小化すんな。宇崎ちゃんの時と一緒?全然ちゃうわ。

フェミ不快に思ってる女性区別位つけろ。萌絵に文句言う女性フェミって構図やめろ。まじで。


私女だけどイラストが素敵でタイツはいてみようと思った〜、私女だけどタイツエロさ感じないし絵も素敵〜とかとか

待って、タイツはいた事ないの?何歳?

あれだろ、君らもうとっくに成人してるけど、(服装子供っぽいから)中〜高校生位の年齢かと思った〜って言われるのを真に受けるタイプだろ?

タイツ履いてて性的目線で見られた事ないなら良かったね。

一度は性的な目で見られた事あれば、あのPRはどんなに絵が綺麗だろうと気持ち悪いしか言えないんですよ。


大体外野が変に擁護しようとすればする程、ますます当事者が叩かれる事態になるので黙ってた方がいいと思う。

見当違いの擁護で好きな作家さんが傷ついてるの見てられないです。

2020-10-22

gotoeatしてくら寿司店員に多分嫉妬された

くら寿司二名で予約を入れた。一歳の子供とディナータイムくら寿司に行って、子供には食べさせる必要がない時間だったから(うちは大人子供ご飯タイミングバラバラ)2000円分母親である私が一人で食べた。タイミングによって一歳の子供にはくら寿司茶碗蒸し卵焼きを食べさせたりすることもある。

会計とき店員の態度がおかしかった。「二名様でお間違いないですよね?」と聞かれた。

gotoeatで乳児は予約の数に入らないが、幼児は人数に入れられる。店員にはうちの子くら寿司メニューが食べられないような乳児に思われて、確認のために聞かれたのかなーと思った

ここの時点ではまだ店員言動共感できる

お金を払うときに全額gotoイートのポイントで払うためにQRコードを出したら店員に「全額これで払うんですか!?」と言われた。

ここは店員共感できなかった。gotoイートのQRコード見せて払う態度出してるのに「全額払うんですか?」って聞いてどうする。私のほうがびっくりしたわ。そこは感情を殺して淡々仕事をするべきだろう。

くら寿司店員は私に嫉妬したんだと思う。嫉妬じゃなくて困惑軽蔑かもしれないけど。

一歳児の母親という立場を利用して2000円分も一人でタダで食べるなんてズルいと。私が店員ならそう思う。くら寿司gotoeatしようとしたらぼっちだとできないんだよ。不平等だと思う。

くら寿司若い店員さんが私に嫉妬するのはわかるけどプロとして感情は出さずに仕事淡々としてほしい。他の店員はいつも普通に会計してくれてるのに。

くら寿司ボックス席に通してもらったらベビーカー置きやすいし、オムツ交換台もあるし、行きやすくて助かる。ファミレス雰囲気あるよね。金曜日の夜も旦那と一緒に三人で食べに行く予定

うちの子くら寿司メニューを食べれそうに見えなくて困惑して、私に嫉妬軽蔑かしたのかわからないけど普通に会計はしてほしい…店員立場気持ちを考えたら申し訳ないけど

普段は100円皿を食べることが多いけどgotoeatのおかげで普段は食べてない200円皿とか特上うなぎ丼とか食べれておいしくて楽しいシャリコーラ、こんな場合でもなければ頼まない商品なんだけど、おいしかった。ランチメニュー天丼海鮮丼が食べてみたいからまたくら寿司に行かせてください。

2020-10-21

https://note.com/teren_mikami/n/n8a5f3e4c53b7

ストーリーはともかく(主さんの主張はあながち間違いとも思わない)。

以下は個人的感想

百合姫って雑誌カラーを知らないので正しいかはわからない。

2017年度表紙担当、べにしゃけ先生

落ち着きすぎているけど、春号なのでいいんでしょうか。少々地味すぎる気も。

2018年度表紙担当フライ先生

個人的にはこれが一番安定してる気がします。しっとりした水のイメージと二人の距離感もいいし、配色と白地の清潔感も手に取りたくなる要素。

2019年度表紙担当白身魚先生

こう言うとあれなんですけど、面々の中で一番描けてないかなって。

背景の密度バランス、立体感。どれも他のイラストレータに比べるといまいちです。

その空間の出せない感じを派手なパースで補って上手に見せようとしてるのはわかるんですけど、それだけですね。

ちなみに自分のことは棚に上げてます

2020年度版1月号の表紙、うるあ先生

圧倒的にこってり。ただ正直厚塗り系でこの感じはイラストとしての押しが強すぎて表紙を飲んでしまってる感が否めず。デザイナーさんがこのくどさに合わせてトリッキーで尖ったデザインを施していますが、それでも浮いてる感じがします。主張が強すぎです。

4月号(同氏?)

そして、うるあ先生の表紙デザインとしての問題は個々にも出てる気がします。押しが強くくどいのに、テーマや造形が至って普通という安牌をきってる点ですね。尖り方が足りないか大人しさが足りないかのどっちでもない。中庸というよりどっちつかずです。なにかビビってんでしょうか。2013年辺りまではもっと尖った人がいたもんですが。

5月号(同氏?)

これ、僕も好きです。80年代サブカルチャー的な文字とポップな女の子の髪の色、化粧崩れと、どれも正面から挑まず斜めにずらしている感じがかっこいいしかわいい。

9月

そこまで心に止まらないというか、趣味ではないのでノーコメント

11月

押しの強さの割に普通、という印象が全く変わってません。なんでこの人はこんなに変わった雰囲気であるように見せかけながら極めて普通なんでしょうか。教科書からくどさを学んだような印象と言ったらいいのか。

10月

うまいですね。空イラストごまかしがききやすいので手を抜きがちですが、キャラクター左上部に目線が集中するように渦を誘導し、キャラクター二名の頭上から線を引くと台形、右側のオブジェクトと併せてみるとVの字が形成されるように描かれています。構図がかなりしっかりしてる。こうすることによってVの字の終端であるキャラが向いている方向へも意識誘導することができています。また、魚眼により空間が広がっています

まあ、noteの主さんとはまるで関係のない感想ですが。

2020-10-04

庭のゆずが大量になった

最初街角ジオラマが実り始め、段々と人影が現れ始める。

そのうち噴水を型どり始めると、そこに二名デュオが現れる。

ああ、ゆずの季節かあ、と思う。

ゆっくりゆっくり下ってく~

という涼しい歌声が鳴り響く。

今年も大量のゆず

まあむしろくだらないですけどね。

2020-09-28

黄泉がえり」のメインキャストの一人が亡くなったことが衝撃を寄せてるけど

他のメインキャストのうち二名逮捕されたのも衝撃的すぎる

2020-09-19

君はこの会社未来幹部候補

と言われて、同期の二名名前もあがった


その同期たちがガチムチラガーマン

かたや私はガリ勉タイプ

一緒にされたくないし、幹部にもなりたくない

(金がほしいだけ)と思ったけど三人ともビッグマウス共通点なのかな

幹部になりたくもないと思ったら

その同期と並べられることとか競争心とかどうでもよくなった

という備忘録

猿山ボスなんざ私には興味ないのさ

2020-08-30

[]登場・未登場人物

楠永玉秀(くすながたまひで):元居戸家家臣。ある意味主人公武威戦国トリックスター武威ノ本中の忍びから監視されている。

小鯨白姫(こくじらはくき):おほHoIおほHoIと外交をになう昇国の惣領兵科は槍折人。

馬場阿茶局(ばばあちゃのつぼね):昇国家老。居戸家家臣団の乳母役。

桜桃みやこ(おうとうみやこ):居戸家家臣。いつも三百人役(石高一万あたり兵三百を動員)で領民に優しい。

虫愛軽路(むしめづけいじ):居戸家家臣。釣り野伏の囮役が得意。

古田三目(ふるたさんもく):居戸家家臣。佩用する臑当てが左右で異なる。

鈴木神楽(すずきかぐら):居戸家家臣。トリガーハッピー鉄砲大将

地弥呼(ちみこ):幌生家足軽大将。東南の風を吹かせる。春画絵芝居を嗜む。

澪生狼(みぶろ):幌生家足軽大将トリックスターを楠永玉秀と争う。

凹田米国衛門(へこだこめくにえもん):幌生家足軽大将。兎耳形兜を着用する。

カルロス・某(かるろす):南蛮商人。楠永玉秀の乱後、幌生家の御用商人に収まる。

犬縣某(いぬあがた):楠永の家来。一説によれば一門衆とも。

愛宕縁(あたごえにし):最初戦国大名人外自称する。

蟐娥光圀(じょうがみつくに):為力家の副将軍二名の同僚を伴って諸国を漫遊する安国寺恵瓊武威ノ本における外交僧のこと)。飢饉に備え、領民雑草の食べ方を知らしめる。

深紅龍(しんくりゅう):元居戸家家臣。楠永と共に出奔したが、その後は距離を置いている。

蘇祝媛(そのほぎひめ):昇国組下大名。怪力の小兵。

留守麗(るすれい):幌生家足軽大将合戦時、床机の横に打つためのかまぼこ板を置くことから、板武将と呼ばれる。家中を強力に掌握している。

義原鰭(よしはらひれ):為力家の郎党。その胴間声は敵味方を震撼させる。

松杉衿(まつすぎえり):為力家奉公衆。火計を得意とする。

舞農庫(まいのうこ):為力家一領具足。火計を受けるのが得意。

天使香取(あまつかかとり):為力家陰陽師。「遅参つかまつった!」が口癖。

縷々美大(るるよしひろ):為力家先手大将。酒を注いだ盃に蜘蛛が落ちてきた際、鬼にその盃を干させた逸話を有する。

野良猫(のらねこ):為力家家猫。

用語

酸茶(すいティー):荘園などから兵に徴発させた兵糧のこと

 以前、馬場阿茶局を居戸家の家老と書き申したが間違いにて候🙇

楠永玉秀の謀略

https://anond.hatelabo.jp/20200823175138

株兎の屈辱

https://anond.hatelabo.jp/20200825185224

赤備えロンダリングゆめうつつ

https://anond.hatelabo.jp/20200830143411

この増田フィクションです。実在仮想人物団体などとは一切関係ありません。

2020-08-20

イベント名と参加日をユーザ名に含めてる奴

自分イベントに行くのが楽しみで毎日、毎時間イベント名でSNS検索している。

引っかかるのは大体譲渡投稿ばかりだが、自分が参戦予定の日付もつ検索条件に含んでしまった。

現時点で私と同日に参加予定の人は二名いると把握している。汝隣人を愛せよとは良く言ったもの

たまたまチケットを手に入れたであろうそ人物オワコンと呼ばれる連載も終了した作品アイコンにして、売上も然程高くないであろう乙女ゲーの実況を行っていた。

連投に次ぐ連投。検索結果が彼女アイコンで埋まる。

イベント名を自分ユーザ名に設定する浅ましさ、ジャンルを固定しない不埒さ。色んな物が気に食わなくて

同じ会場にこいつがいるのだろうか、と複雑だ。

まあ、自慢したいんだろうな。会場入りしたら、きっと推し世界一愛しているかのように勘違いするんだろう。そしてきっとすぐ忘れる。それまでの辛抱だ。

2020-08-15

男性差別には男性が声を上げろ」という奴はクズ



黒人犯罪率が高いから、うちの会社黒人は全員クビにしろ

こう発言したら明確な差別だ。アメリカなら暴動すら起こるだろう。

ところが、これの黒人」を「男性」に置き換えた事件が実際に日本で起こってる


ベビーシッターサービスの「キッズライン」は、男性シッター二名

保育中の子供にわいせつ行為をした、という理由により、

犯人以外の男性シッター全員を「一時利用停止」にしたのだ。


これが差別でなくて何が差別だというのだろう。

「一時」利用停止などというのは全く言い訳にならない。

男性シッター生活がかかっているのだから


ところが事件から2ヶ月が経とうというのに、これで原因で暴動が起こるどころか、

知ってる限り炎上すら起こっていない。もちろん、はてなでもたいした話題にならなかった。


そう、男性というのは、そのジェンダーに縛られ、

たとえ生活がかかっているレベル差別を受けても集団で声を上げたりできないのだ


タイトルにある「男性差別には男性が声を上げろ」という奴はクズ、というのはこういう事だ。

これはジェンダー故に声を挙げられない状況に追い込まれている男性に向かって、

「声を上げなければ見捨てる」といっているのと同義からだ。


ここ数日、フェミニズム関連の話題複数はてなホッテントリ入りしており、

そこでは「男性差別には男性が声を上げろ」というコメが人気コメ入りし、

中には「フェミニストは君らのママじゃない」んだから性役割前提で煽る差別まがいのコメントすらあった。


「声を挙げられないやつが悪い」というなら、私もセクハラにあってる女性を見かけても、

声を挙げない限り見捨てる

セクハラと絡めるとイラっとくる?でもあなた生活がかかったレベル差別

「声を挙げなかった」って見捨てたでしょ。

2020-08-09

GReeeeN「星影のエール」のMVがすっげぇ変な刺さり方したので考察した

NHK朝ドラエール」の主題歌「星影のエール」のMVが先日公開された。

曲も映像も素敵で、ストーリーも素晴らしいような気がして初見で泣いてしまった。Youtubeコメント欄でも泣いたファンは多かったようだ。

それで立て続けに何回も観たが、見れば見るほどストーリーは分かるようで分からなくて、考える余地がたくさんありひどくハマってしまった。ストーリー重視のMVはたくさんあるけど、こんな刺さり方をしたことはなかったので、妄想したことをひたすら書いていきたい。

星影のエールMV、まだ観ていない人は観てみて。

https://youtu.be/wqxs8k5OudU

まず私について簡単に。

しがない社会人。かつてはこういうコンテンツに興味があって勉強をしていたこともあったし、なんならそういう職に就いていたこともあった。

くじけてそうじゃない職に移ってしまい、いまはただの消費する側になってしまった落ち武者。仕事しんどいと思いながら虚無になる前にコンテンツを消費することで救われている多くのうちの一人。

少しだけ作る側の現場や状況を知っているので、そのことに思いを馳せて敬意とか羨望とかを織り交ぜながら楽しませていただいています

GReeeeNの明示的なファンではないけれど、めっちゃ有名な曲とかはスマホに入れてて、星影のエール朝ドラ主題歌なんだーと思って買ってた。

星影のエール作品世界考察しながら、MVリピートしまくっているところ。

〜〜〜〜

まずはMVの流れから確認

イントロ

回想シーンを使ったタイトル

宇宙航行する宇宙

〜1番〜

泣いてる赤ちゃんと見つめているロボット

歩く赤ちゃんと世話をするロボット

光る星と遠ざかる青い惑星

〜2番〜

青空の絵を見ながら訝しがる少女

ロボット喧嘩する少女

星空を見つめるロボット

Cメロ

浜辺。流星群を見つめる男女

宇宙船内。眠っている老婆

それを見つめるロボット。窓外に青い星

大サビ

畳み掛ける走馬灯のような映像

意を決するように胸のスイッチを押すロボット。激しい光があふれる

倒れるロボット

青い惑星に落下する大きな流星

地上。青空、眠っている赤ちゃん、微かに動くロボット

構成は「段階的に年老いていく女性」と「段階的に老朽化していくロボット」の変化が主軸。1番サビではロボット庇護される赤ちゃん笑顔、2番サビではロボット少女喧嘩対置されている。怒っている少女はこの作品の芝居の中では最も感情が発露されるアクション上のピークだが、その直後には宇宙船内から回想へ移る展開の落差が用意されている。流星郡や星空を含め無数の星が描かれている作中で「誰よりも私には輝く星」の箇所では、青年はそれらの一切は眼中になく少女を見つめているのが印象深い。そのあとは老婆とロボット宇宙船の行く末という作品の山場に雪崩れ込む。

文明レベルについて

宇宙船のデザインロボットデザインレトロフューチャーなのであまりカッチリ考えてもというところではあるが、楽しいしその後の考察の手がかりとして重要なので考えておきたい。

まり近未来か遠未来かという点だが、ロボット人格精神を転写したり、恒星宇宙船を建造できるくらいには未来、ということになると思う。

宇宙船は、メインの舞台になっている広間の「大窓」がイントロカットでも確認できるので、居住区を回転させて遠心力で擬似重力を得るタイプではなく、狭い範囲重力制御とかを実現しているのかもしれない。

また、ラスト事実上船員がいなくなった宇宙船をオートバイロットで着陸させられる程度に進んだ科学技術がある。

光速航行は実現していない、重力制御はできる遠未来、と考えたい。

ロボットについて

眉間の間に指を持ってくる謎の仕草をたびたびするが、これが回想に登場する青年と同じ癖であることが描かれる。このことからロボット青年は深い関わりがあると考えられ、「ロボット化した青年」もしくは「青年精神人格を引き継いだロボット」だと考えられる。この差はSF的には重要で繊細だけれど、これ以上判断材料提供されていない。ひとまず設定上の同一人物として扱っていいと思う。

青年ロボットになった理由はなんだろう?宇宙船は恒星航行ができるが、超光速ではない。生身の人間は保たない。だがそれでは「少女ロボットではない」理由にならない。

作中、そのボディは徐々に劣化していく。記号的にボロにしているといえばそれまでだけどあえて考えてみる。宇宙船内だけで活動している場合、こけて塗装がはげるくらいは起きるだろうが、大袈裟にへこむことは考えづらい。赤ちゃんの世話だけでなく、船外活動など宇宙船のハード的なメンテナンスも多いに請け負っていたものと考えられる。大型の飛来物は宇宙船を操作して避けるだろうが、小型の飛来物は当たってしまうのだ。天文学的確率で。(あたったらへこむどころでは済まないんですが、そこは主人公補整)

女性について

冒頭で産声を上げ、時にはロボット喧嘩をし、回想後にはカプセル内で眠っている老婆。これらは同一人物として見ていいと思う。その後、ロボットトリガーした謎の発光により、再び赤ん坊へと再生する。歳を重ねてから赤ん坊へ戻る仕組み(能力)の詳細は不明だが、トリガーロボットボタン女性が握った星型のアイテムにある。

回想の中で登場する女性と同一人物かどうかは分からない。ただ、別人と考えた場合、回想の男女のうち男性はその後ロボットになったのに女性が描かれない、ただ数秒登場する男性恋人ということになる。その二人の子供が冒頭の赤ちゃんだと考えてもいいが、それだと母親は乗っていないのか、乗っていないにしてもロボットだけで行けばいい(お子さんは連れて行かなくていいんじゃ?)という話にもなるので、そのすじは想像を膨らませすぎというか、素直に回想の女性宇宙船の女性と考えていいと思う。少女時代の姿もとても似ている。

星形のなにか

GReeeeNらしい緑色の星。作中たびたび光の強さが変わるが、冒頭は光っていない。赤ちゃんが嬉しそうに持ち上げている時にぼんやり光り、ロボット少女喧嘩した時には光が弱まった。回想には登場しない。終盤、ロボットが胸のスイッチを押すと激しく発光し、女性の体が薄く透けていく様子が確認できる。

このことから女性生命の様子に深く関係し、影響を与える(具体的には身体を若返らせる)。

また、ロボットと二人の関係に影響を受けることが分かる。若返り発動が「女性が星を握る」「ロボットスイッチを押す」という両者のアクションで発動した(女性ひとりのアクションで発動しない)ことからも、星は両者に関係して動くのだと考えられる。

感情に感応する・若返り効果を発揮するといった現象が、登場する二人だけに生じるのか、人類全般に対して生じるのかは不明だが、「互い照らすその意味」を司るアイテムだと考えたい。

若返り(転生)について

終盤、老婆になった女性が、ロボットスイッチを押した途端発生した光により赤ちゃんへと若返る。途中、老婆の手が透けてうっすら星が見えることからコナンくん的に身体が縮むというよりは、もっとファンタジックなものだと思う。なのでやっぱり、若返りというよりは転生という語が適当だと考える。

船員はこの女性ロボット二名で、ほかの船員は描かれない(最初はいたのかもしれないが、空間に余裕のある船ではなさそうだし、二人だけだと思う)。となると、出発時点で赤ちゃんだということは考えづらいので、MV開始時は「旅路の途中で、女性が老婆から赤ちゃんへ転生したあと」ではないか

なので、MVクライマックスで描かれる発光と転生はMV開始時点で最低一回は行われていることが分かる。そうなると問題になるのは回数だ。何度もできるならロボット最後に「意を決するように」押す必要もなく、気軽に押せる。おそらく回数制限があるし、多分MVラストのそれが文字通り最後だったのだと考えられる。

冒頭、転生直後のためか星は光っていなかった。ラストでは淡く光っており、ロボットすら転生する様子はまさしくキセキということだと思う。

流星群

回想シーンでは、夜空に流星群が飛来している。GReeeeNのキセキでも同様のモチーフ使用されていて、同MVYoutube登録されたのは2010年7月のようなので、ほぼちょうど10年ということになる(10年前でももう少しグラフィカルな合成はできたと思うのでMV制作の厳しい予算ことなんかを考えてしまった。このフルCGアニメは仕上がり通りの潤沢な予算で作られていてほしいと流れ星に祈るなどした)。

流星群と言っても放射点がない?ので、この呼び方適当かはわからない。

流れ星には「良いことの前兆」「悪いことの前兆」両方の伝承があるようだが、今回はどちらだろうか。流星の色、宇宙船内の星形のアイテムの色をみると、両者に関係があると考える方が自然で、もっというと両者は同一物だと思う。

悪い物を持ち込んで旅をするのは苦しいし、実際転生のアイテムでもあるので、ここは吉報の方の流星だと考える。カタストロフ前兆を描いたものではない。

そんな特殊ものが降っていると考えると、自然現象としての流星ではなく、人為的な何か(人工物は降っている、または軌道上にあった人工物が飛び散って降下している)ではないかという妄想も膨らむ。

旅の理由旅路

そろそろまとめていきたい。

流星が飛来し、それに祈る女性とその女性にみとれる男性がおり、二人は姿を変えてすごく長い宇宙の旅に出かけた。その理由はなんだろうか。

彼女は、流星として降ってきた何かの作用を受けて、若返ることができる。ロボットはできない。では男性は、同じことができただろうか?

20xx年、宇宙から飛来したものに、一部の人類の身体を転生させる効果があることがわかった。

そして、なんらかの理由でそれを多量に行使する必要が出てきた。収穫するために、宇宙を渡る旅に出なければならない。

なんらかの理由とは、やはり人類が滅びるようななにかではないかと思う。その着想はYoutube考察コメントで見かけたものだが、細かい理由MV内に描かれていないしなんでもいいのだけど、このご時世、どうしても強大な病原体による感染症を考えてしまう。

そして男性は、その牙から逃れられなかった。

人類が滅びに向かう中、かつて流星群で飛来した物体特殊作用があることが分かる。それは使用回数に制限のある消費物で、できればたくさん欲しい。

一方で転生に耐えられるのは人類の全員ではなかったのだと思う。なので、適性が見られた彼女が、星を摘みに行くミッションを担うことになった。

男性は病魔に屈する(または、転生の適性がなかったのでやばいことになった、という想像もできる)が、ロボットとして彼女サポートし続けることを選ぶ。

SF恒星航行といえば冷凍睡眠だが、設備が大きく収穫物を積むスペースはできるだけ確保しなければならない。冷凍睡眠設備は搭載されなかった。その意味でも、転生可能人材はこのミッションに適切だったし、それをサポートできる誰かが必要だった。

一人と一機は地球のために旅立った。

どれくらいの旅路だろう?

「昔々から ほら 1000年もその前も」


回想で高らかに歌われる歌詞普通に考えて2020年現在からみて星座を眺めた数千年前(ギリシャ時代とか)を指した歌詞に違いないが、ここは妄想の翼を広げたい。この歌詞流れる瞬間が千年前の出来事作品が描いている時間と、回想とで、1000年程度の開きがあるという妄想だ。

片道500年以上の旅だ。光速の何パーセントの速度が出るのかはわからないが、計画の時点でわかっていた数字だと思うと絶望が深い。

宇宙船建造時点でも、現代より進んだ科学で人の寿命は伸びていると思う。それでも何度となく転生が必要だ。

MV内で描かれた赤ちゃん少女、老婆は、それぞれが通しではなく、転生した時々の一コマコマであると考えたい。転生する度にロボット喧嘩をしたかもしれないが、孤独な旅に耐えるために、おそらく女性感情抑制する精神改造か何かが必須だっただろう。喧嘩なんて起きない、そんな中での感情の発露。あの衝突は、数ある転生の中でもほとんど起こらなかった、非常に珍しく尊いといえるような出来事だったのではないか

窓の外の星はどうだろう。冒頭、大窓の外には青い星が見え、子供が歩き出すころには遠ざかっている。

出発地・地球から遠ざかっている、と見ることもできる。

ただ、最低一度は転生を実行し、新たに産声を上げたにしては、地球が近い気がする。また、赤ちゃんの一人歩きは1歳三ヶ月で80%とのことだが(ググった)、それだけの期間が経過したなら、青い星はもっと遠ざかっていてもいいのではないか。冒頭に環のある惑星が写っているが、土星軌道から見た地球であれば遥かに小さいはずだ。

ふたつめの理由については、推進剤を節約するためにスイングバイしていたと考えることができる。

ひとつめの理由については、「出発時点=赤ちゃん」はSF的な筋立てを思い浮かばないのでここでは支持しないのだが、そうするとMVが描いているのは「行き>回想>帰り(到着)」ということになり、作品としての納まりはなんとなくいい。そうでない場合、あの星は地球ではなく目的地の星だと設定できる。MVは「帰り>回想>到着」という流れで、こちらは描かれているものの背景の勘ぐりとしては納まりがいい(と思っている)。冒頭の環のある惑星も、目的近傍土星ではない巨大ガス惑星だと考えると辻褄が合う。

最後の転生は、女性が自ら動けなくなるほど老いから行われた。転生の回数券がいよいよ最後だと判明し、可能な限り老いから実行することになったのだろう。目的の星での収穫物を使えればいいのだが、察するになにか使えない理由があったのだろう。

「時に私の後ろに光る星」

老婆とカプセル、その向こうにうっすら見える地球

それまで暗い星空で埋め尽くされていた大窓には、いま青い星が大きく見渡せる!

安堵もある、悲しさもある複雑な美しさに目眩がする。

地上300〜400km程度の低軌道で、降下は始まっていただろう。時間がない。最後の転生の光に包まれながら、宇宙船を地上へ降りていく。

二人を迎えてくれるのは、二人を、あるいはほかの多くの収穫者たちを打ち出したかもしれないマスドライバー発射台人類の残り時間が少ない中、限られたリソースで建造されたそれは、いまは朽ちて鉄骨を晒している。(そうではない頃に作られた灯台は、長らく無人状態でもメンテナンス機構が行き届いているようだ)

地上に着いてすやすやと眠る赤ちゃんだが、誰一人迎えには来ない。滅びかけの人類は、おそらく地上設備では可能だった冷凍睡眠を実行し、ミッション成功とともに目覚めるのだろう。

青空の絵について

女性ロボット喧嘩する前、空の絵を見ていた。その次のカットでは引きの絵になるが、反対のページにはほとんどなにも描かれていない。おそらく商業的な画集などではなさそうだが、船内スペースが貴重な中で持ち込まれものなので、とても大事な、プライベートな冊子だと思われる。

絵には青空・雲・海・浜辺に立つ女性、が描かれている。

明日はきっといい天気/青き春もまた そうであれ」

白紙物語に/何を描くのか/誰と描くのか」

青き春の時代に、白紙状態から、誰と物語を描いていくのか、考えながら描かれた絵。回想に登場する二人にまつわる品、もっというと青年にとっての「輝く星」である女性を描いたものだろう。流星群を見る前の昼間か、「夜明け前の空」を見たあとの絵だ。そう考えると、右ページに見えるスケッチが回想に出てくる帽子に見えてくる。

そんな思い出の絵なのに、少女は空のみに注目して、暗い星空と見比べる。

ロボットの手を払いのけて、少女は怒りながらなんと言っただろうか。たとえば「こんな空を一体いつになったら見られるのか」。

ロボットは困った仕草で答えない。

自分が描かれていることには気づかない……転生しても、記憶は引き継がれないのだ。いま怒っている彼女は、だから青空は見られない。

答えられるわけがない。

ロボット献身ふたりの悲哀に残酷ささえ感じるが、それでも困難を乗り越えて互いに照らし続けた二人が、数百年の航海を終えてのちには青空の下で安らかに眠っている。

〜〜〜〜

だいぶ書きたいことは書けた気がする。

ここで明示しておきたいのだが、「公式はこう考えて制作したに違いない!」と当てようとしているわけではない。むしろ、私はここでこう考えたが、全く違う考えで作られていたのならその方が面白い。そうあって欲しい。

残念ながら、設定を徹底的に練りきった上で作られた作品なんて、それこそ恒星航行デブリにぶつけられるくらいの低確率で、どんな作品も多かれ少なかれ作りながら決めた・変えたことが無数にあり、特に理由もなく決めたことも無数にある、ということを私は想像してしまう癖がついている(そういうナイーブさはないけど「考えてなかったけど結果的に筋が通って見える」みたいになってる箇所には、謎のかっこよさを感じたりする。このMVにもそういう箇所があったら楽しいなと思う)。このMV制作間中には緊急事態宣言とか自粛とか、ままならないことがあったと思うし、その意味でも、隅々に渡って「ここはこういう考えで作られたに違いない」という考察態度でいることは難しい。

いや、そのあたりはなんでもいいけど、とにかく妄想捗る作品出会えて嬉しいってことです。

ありがとうGReeeeN

ありがとう映像制作スタッフの人たち。

監督の森江康太さんは、ヨルシカAmazarashiMVもやってるひとっぽい。探したら観たことあった。

顔を出してない歌い手MVをよく手がけているのかもしれない。

同じく8/7に公開が始まったドラえもんポスターにも名前が載ってる。

誰にいうでもなく自前の発表の場があるでもないので、初めて匿名ダイアリー使ってみた。

誤字とか見つけたら直します。

(「地球を滅ぼすようななにか」の所ですが、SFに興味がある方は「天冥の標」(小川一水)を読んで思い浮かべるといいと思います

2020-07-10

放課後ていぼう日誌という不遇な作品

コロナ放送延長され、九州地方の大雨でテロップ余儀なくされる。

先輩二名すごくツボなんですが。ぐいぐい押されるんですが。

2020-06-11

anond:20200611001824

どうしても、自民党のせいにしたいんだね。そういう司令?

どうしたら日本共産党反省するのだろうか。

 

そもそも社会党バリバリ拉致はない」的な発言してるよな。

 

社民党機関誌月刊社会民主』(平成9年7月号・北川広和「食糧支援拒否する日本政府」)。

拉致疑惑根拠とされているのは、つい最近韓国国家安全企画部(安企部)によってもたらされた情報だけである」「産経新聞掲載された元工作員証言内容に不自然な点がある」。従って「拉致疑惑事件が安企部の脚本産経の脚色によるデッチあげ事件との疑惑が浮かび上がる」。「二〇年前に少女行方不明になったのは、紛れもない事実であるしかし、それが北朝鮮犯行とする少女拉致疑惑事件は新しく創作された事件というほかない。……拉致疑惑事件は、日本政府北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出された事件なのである

 

日本共産党の不破委員長国会拉致について、

問題提起するときに、疑いがある段階で提起しても、これは門前払いだと。つまり、その点をしっかり足場を固めないまま今ずっと交渉を進めようとしているところに、私は日本政府交渉態度の一番の問題点がある。」と質問

総理(当時)に、「それじゃ拉致問題交渉すべきではないということになってしまうのじゃないでしょうか」との発言までさせていますよね。 

 

どうなんだろうね。

これでも、自民党が悪いというのは文字が読めないか理解力が低すぎるのか、頭が、、、

ちな、俺は自民党支持者じゃないから、自民党悪口言われてもなんともないんだけどな。

 

 

<第150回国会 国家基本政策委員会合審査会 第1号 平成12年10月25日

不破哲三君 日朝交渉の中でいわゆる拉致疑惑問題というのは非常に重要ですけれども、外交交渉としては非常に難しい問題なんですね。それで、そのことについての森発言以来のこの六日間の政府対応の慌てふためきぶりを見ますと、どうもこの難しい外交交渉を本当にやり切れるんだろうかという心配が絶えません。

 それで、少し角度を変えて伺いたいと思います

 まず、政府北朝鮮側に提起しているいわゆる行方不明者の問題ですが、三年前の与党代表団として訪朝された際に、行方不明者のリスト相手側に渡されていると聞いています。何名のリストをお渡しになったんですか。

 

内閣総理大臣森喜朗君) 私は、この会談リストを渡したというのは、私が入っておりました会談で知る限り、そういうようなリストを渡したという事実はなかったと思っています

 ただ、この議題になりましたときに、これをそれぞれ担当しておりましたので、中山団長から担当された立場の中で、北朝鮮側に対しまして、我が国政府拉致の疑いがあると判断している七件十名について、その具体的な名前を挙げて解決中山議員から求めた、このように承知をいたしております

 

不破哲三君 私がその参加者から伺っている話だと、三十二名リストを出されたと伺っているんですね。

 それで、もう一つ伺いますが、今政府北朝鮮側に提起している行方不明者の数というのは、今言った七件十名ですか。

 

内閣総理大臣森喜朗君) そのとおりでございます

 

不破哲三君 そこら辺でも随分日本からの提起のあやふやさというものを感じるわけですね。

 それから、私、非常に心配しますのは、この七件十名について政府国会説明するのを伺いますと、例えば、外務大臣国会で、北朝鮮による拉致の疑いがあるという判断ができるのは七件十名ですという言い方をされていますそれからまた、別の場合には、拉致可能性がある事案が七件十名だというふうに言われています

 それで、国内捜査問題ですと、こういう疑いがあるからそういう方向で捜査するんだというので済むんですよ。しかし、国家間の外交交渉場合に、どういう根拠でこの問題を提起するかというのは、これは随分違ってくるんですね。それで、特に拉致というのは、相手の国が国家として国際犯罪を犯したということを言うわけですから、よほどの足場を固めていないと問題提起できないはずなんです。

 一体、七件十名という事件の中で、捜査当局として、もう結論が出た、これは北朝鮮による拉致だと結論が出た、それからまたその証拠もある、物証もあるというように判断されているケースはどれぐらいあるんですか。

 

内閣総理大臣森喜朗君) 我が国政府といたしましては、捜査当局において総合的に検討した結果、北朝鮮による拉致の疑いがあると判断している七件十名、こういうふうにいたしておるわけでありまして、日朝国交正常化交渉におきましても、拉致問題としてこの七件十名についての解決を求めているというところでございます

 今、別のリストが云々というお話がございましたけれども、これは私どものそういう会合の中ではそういう資料というものはございませんでしたし、それから、これは警察当局において総合的に検討した結果ということでありますから、そのことを私どもとしては判断することが大事だ、そのことを私どもとしては信頼することは当然だろうと思っています

 この平成九年版の警察白書にもそのことが明確に書かれておりますし、私どもとしては、これ以上のことは詳細に調査をしたり把握をすることは、今の段階では私は必要ではないというふうに考えております

 

不破哲三君 森さんは今警察白書を引かれましたけれども、この警察白書も、「北朝鮮による日本人ら致の疑いのある事案」それからまた「北朝鮮にら致された可能性のある行方不明者」、全部その表現ですよ。私どももこれは非常に心配になりまして、外務省関係者から警察庁の関係者からもずっと伺っているんですけれども、やはりどれも結論は出ていない、結論が出ているものは一件もないという答えが返ってくるので、私たち非常に心配になるんです。

 つまり国内ではこの疑いがあるがという説明をするならわかりますよ、相手の国に対して、疑いがある話がこれだけあるんだと言って外交交渉をするという例は、世界ほとんどないんですね。それからまた、専門家に聞きましても、例えば、国際司法裁判所がある、国際司法裁判所問題提起するときに、これは外交交渉ではないのですけれども、問題提起するときに、疑いがある段階で提起しても、これは門前払いだと。つまり、その点をしっかり足場を固めないまま今ずっと交渉を進めようとしているところに、私は日本政府交渉態度の一番の問題点がある。

 それで、ずっと七〇年代に起こった事件で、二十年たってそれ以上捜査が進まないなら、それが到達点であるなら、やはり疑惑だという段階にふさわしい交渉の仕方と、疑惑だという段階にふさわしい解決の仕方があるはずなんです。それからまた、問題が、結論が出ている、明確で、こんなに証拠もあるじゃないかというものがあるのだったら、それにふさわしい交渉のやり方と、それにふさわしい結論の出し方があるはずなんですね。

 ところが、どうも今の交渉というのは、それを全部ひっくるめて、拉致問題だ、北朝鮮側に言うときには行方不明者だといって、大ざっぱに交渉しているんだが、その肝心の中身は定かでない。この点、私は非常に心配しているんですけれども、いかがですか。

内閣総理大臣森喜朗君) 不破議員のそういう御指摘も一つの考え方だろうと思いますが、少なくとも我が国としては、北朝鮮の国に対して、拉致問題につきましてきちっと根拠を明確に説明をしていると私どもは承知をしています

 警察当局においては、裏づけ捜査も行い、関係機関と密接な情報交換などを行うなど、一連の捜査の結果を総合的かつ入念に検討した結果、七件十名の事案について北朝鮮による拉致の疑いがある、このように判断するに至ったものというふうに私どもは承知をいたしておるわけでありまして、少なくとも日本の国としてこのことについて北朝鮮側に示している以上は、責任を持ってこの問題解決を求めているというのは当然なことであって、不破さんのそのお考えからいうと、不破さんのそういうお気持ちも私はわからぬことはないですよ。そういうお気持ちはわからぬことはないですが、それじゃ拉致問題交渉すべきではないということになってしまうのじゃないでしょうか。

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに分けられる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 どんな記憶忘却可能性を含んでいて、それがいか尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである

 とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるものだ。例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類だ。

 これから話す記憶は――意外だと思われる人もいるかも知れないが――恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は(少なくとも僕にとっては)、一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。

 あるいは、死んだ猫の重みを人生最後まで引きずっていく人もいるのかもしれないけれど、僕がこの世界からいなくなる時に、多分、死んだ猫の記憶は僕の傍にはいない。


 人生というのはタフなもので、多くの場合予断を許さない。例えば、猫は前触れなく死んでしまう。そこに救済は存在しない。

 猫は突然死ぬ

 重要命題である

 だからこそ、我々はタフにならなければならない。タフな(きつい)人生に耐える為には、我々自身精神的にタフにならなければならないのである

 して、タフな人生を生き延びるために重要資質とは何だろうか?

 僕が思うに、恐らくそれは一種判断能力である。つまり重要もの重要でないもの区別する為の判断能力である

 この世界において、重要もの重要でないもの比較すれば、前者は圧倒的に少なく、後者は圧倒的に多い。これは考えるまでもなく当然のことである重要ものが我々の前に際限なく溢れ返っているのであれば、我々の人生もっと救済に満ちたものになる筈だからだ。でも、現にそうなってはいない。人生における重要事物は泥の中の砂金と同じである。それは、恐らくは多くの人が感じていることだろうと思う。

 そう、我々が人生を全うする為にもっと重要能力は、数少ない重要物事出会った際に、その重要出来事を迷わず掴み取る能力なのである

 タフな人生を本当に生き切る人間に備わっている素質は、恐らくはそれだ。彼らは汚泥の中の砂金を迷わず掴み取り、幸運の女神の前髪を毟り取らんばかりに握る。僕も、そういう人間になろうと日々心掛けてきた。この世界に溢れ返る物事の中に、ほんの僅かに存在している、かけがえのない事柄。あるいは、溢れ返る人々の中に存在している、かけがえのない人々。そういう人(もの)に出逢えば、できるだけそれを失わまいとしてきた。

 人物だけではない。記憶に関しても同様の態度を取ってきた。

 我々の心の中には無数の記憶存在している。その多くは、断言するに無意味記憶に過ぎない。病院記憶体育館記憶商店街記憶――はっきり言って、その殆ど無駄記憶だ。重要記憶というものは一握りしか存在していない。

 我々の人生には限りがある、その限られた人生の中で、無意味記憶無意味な情愛を注ぐことだけは避けなければならない。情愛を注ぐべき人を選び、情愛を注ぐべき記憶を選別すること――自分にとって重要ものを、重要でないものの中から選び抜くこと――それが本当に大切なことなのだ。だから、我々は、警戒しなければならない。一見重要であるように装っておきながら、実際には全く我々の人生無意味事物……そういうものへの執着を捨てなければならないのである

 書いていて思うが、幾分このような視点には屈折の気配がある。勿論、それは自分でも分かっている。でも、やはり我々の人生は貴重なものであり、貴重でないものと触れ合うことで、その輝きを鈍らせる必要はない――そういう視点が一抹の正しさを備えていることも、また事実なのだ

 はっきり言おう。

 これから語る記憶は、決して僕の人生重要ものではない。むしろ、どうでもいいものなのだと。

 

 大した記憶ではない。

 道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からなかったが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っていた。既に絶命していた。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの運転手ゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を自転車に乗って通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見ていた。

 通り過ぎる。

 川沿いの道を走り、こじんまりとしたアパートに辿り着く。駐輪場自転車を停め、アパートの裏手へと回り込むと、階段を上った。

 階段を上る度に、カンカンと乾いた金属音がこだまし、やがて僕は二階の自室の前へと辿り着いていた。

 鍵を開け、扉を開け、自室へと体を滑り込ませる。

 薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時にも猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に轢かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。猫の頭部がごろりと動いた。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く夥しい血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、たまに、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車だった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンへと戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が死んだ猫の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし、それはあくま一般的な教訓に限っての話だ。僕個人の、個人的な教訓に関しては、少しばかりはあるかもしれない。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタルな――欠くことのできないほど重要な――部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタルな部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

2020-06-10

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに大別できる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 記憶というもの原理的に忘却可能性を含んでいて、それがどんな尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである。とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるのだ。

 例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類の記憶だ。

 これから話す記憶は、恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は、恐らくは一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。


 タフな人生を生きようとする人間功罪の常で、僕は重要記憶とそうでない記憶峻別することができる。多くの場合その判断は極めて正確だ。

 僕は自分にとって重要物事とそうでない物事を多くの場合峻別できると思っているし、何よりも、自分にとって重要人間とそうでない人間峻別できると思っている。そこが功罪なのである人間自分にとって重要人間とそうでない人間並置し、比較し、時に冷徹判断する。いざという時に切り捨てることのできる人物と、そうでない人物を頭の中の整理棚に分類する傾向がある。とは言え僕は冷酷な人間を自認してる訳ではなくて、基本的に分け隔てなく親切に接することをモットーにしてるのだけれど。それでも、自分にとって大切な人物とそうでない人物は分けて考えなくてはならないと考えている。

 さて、そんなこんなでこ記憶は恐らく僕の人生においてそこまで重要記憶ではないと、僕ははっきりと峻別している。


 大した記憶ではない。道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からないが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っている。既に絶命している。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの車はゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見た。

 さて、帰宅する。薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時には猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に引かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、偶に、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車であった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンに戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が猫の死体の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし僕自身にとっては多少の教訓と呼ぶべきものはある(どっちだよ)。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタル部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタル部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

2020-06-05

anond:20200605184654

なんでそれが突然出てきた?

それは既に書いた通り、「想像して遊びたい人」と「地に足つけて批評したい人」のすれ違いだと思うよ。

  

あと重要なのは未来予知

その部分はよくわからなかったのでとばしてしまった。メインなのか。ならちょっと頑張ってみようか。

第三者の力で嘘が禁じられた世界で誰かが発言したとき、それが真実であるとすれば、ある二名が互いに矛盾した結果を口にした途端パラドクスが発生するので成立しない

それ=発言内容かな?確認のため私なりに書き直すと、

「ある二人が互いに矛盾する内容を口にし、なおかつ両者がともに真実を語っていた場合パラドクスが発生する」ということかな?

まず、未来予知話題限定するので、ここでは「まだ起こっていないことについて話す」場合を想定するね。

私は発言という行為自体に介入して嘘を禁じることを前提に考えていたから、そもそも二名が互いに矛盾した結果を口に」する状況を想定してなかったなあ。掘り下げると「未来事象をも含むアカシックレコード」的な、あるいは宿命論的な存在を前提にしているね。むしろその前提ぬきに「嘘をつけないようにする第三者としての機能」を発想できなかった。設定の粒度の荒いファンタジーだけど、「嘘がつけない」という大本のお題の時点でそのくらいの粒度の話だと思ってはなしてる。

一方であなたは、発言の後に試行されて結果が出る、より現実的世界を前提にしていて、そこで「嘘がつけない」という設定を実現するには「言霊的なものを想定している?いや違うよなあ」と混乱したのだと思う。この「言霊」的な「嘘抑止」もおもしろいね。話したこと現実になるので嘘がつけない。たしかあなたの言う通り、この場合パラドクスが発生するね。

  

下の箇条書き部分は、嘘をついている状態がいずれかなら「嘘である」と増田によって認定されるか、という意味

なるほど。実は最初の返信(https://anond.hatelabo.jp/20200605155258)の時点で「1. 神の視点」と「2. 発話者認識」に分けたのはまさにこの分類が念頭にあったからなんだ。「「嘘である」と増田によって認定されるか」ではなくて、禁じられるか否かについての分類だけど、たぶん答えになるはず。

  • 当人が本当の話をするつもりで本当の話をする。

正直者!

1. においては禁止、2. では可能

  • 当人が偽るつもりで話をしている際に嘘をついてしまった(嘘と認識しつつ、嘘をつく)

1. 2. ともに禁止

  • 当人が偽るつもりで話をしている際に本当の話をしてしまった(嘘をついているつもりで本当の話をしてしまっている)

1.では可能、2. では禁止

anond:20200605165821

たぶん正体くらいのつもりだよね?

いや、主語のほうが近い。何指してんのかわかりにくい。

「嘘をつけないようにする第三者」としての機能

最初からこう書けばよかった。単純に文章体言止め多用で読みにくい。

例えば「明日は雨が降る」と言おうと試みる。言えたなら雨は降るだろうし、言えなかったらふらないだろう。

未来予知になってない。そもそも第三者の力で嘘が禁じられた世界で誰かが発言したとき、それが真実であるとすれば、ある二名が互いに矛盾した結果を口にした途端パラドクスが発生するので成立しない。もしそうした魔術的な、言霊としての嘘がない世界(すなわち口にすれば現実化する)を仮想してないなら発言される内容には意図しないハズレが必ず存在することになるので、未来予知になるはずもない。この増田の言ってることはおそらく後者だろうから未来予知にはならない。

そして乗っ取りの件だけど、乗っ取られることすら察知できる機械経済について話す前に、ここで乗っ取られる危険性が云々言い始める理由不明思考実験テーマから外れすぎてる(素っ頓狂な印象を受ける)。

その通り。だから「嘘をつける」。「嘘をつけない人々の中で自分だけ嘘をつける」という大きなアドバンテージが手に入る。

いま時点では言葉のあやとしか言いようがない。なぜなら

  • 当人が本当の話をするつもりで本当の話をする。
  • 当人が本当の話をしている際に嘘をついた気持ちはない(事実としては嘘である
  • 当人が偽るつもりで話をしている際に嘘をついてしまった(嘘のつもりで嘘を言う)
  • 当人が偽るつもりで話をしている際に本当の話をしてしまった(嘘をついているつもりで本当の話をしてしまっている)

といういくつかの状態がわからいから。何について「嘘」定義しているのか当増田と一歩手前の増田には認識のズレがある。

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