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はてなキーワード: 宿命論とは

2024-01-20

anond:20240120113950

発達障害かどうかってのは多分関係ない。いわゆる健常者だってそういう言動をすることはよくある。自分欠点を、自分意志の欠如の結果ではなく、単なる現象として説明する言説を手に入れると、人はどうしてもそれを使ってしまう。なにせ責任を取る必要がないわけだから

意志責任はセットの概念で、自分意志で行ったのだからこそその責任を取らなければならない、というのがこの社会ルールになっている。でもまあそんなのフィクションなわけだ。人間はただの物理現象で、原子分子エネルギーポテンシャル坂道を転がった結果でしかない。とはいえ人間意志というフィクションを共有することで互いに関係することができている、というのも事実である。もちろん、人間は皆ただの物理現象であって自由意志なんてない、ということを合意することで回る社会というのもありうると思うが、少なくとも現状そうなっていない。個人意志を持って行動し、その結果を何らかの形で引き受ける、そういう形で人間社会は回っている。

しかし、能力不足だったり人格の形が社会多数派からズレていることによって、相当頑張らないとそのフィクションに乗れない人、あるいはそもそも不可能な人、というのが一定数出てくる。つまり意志責任物語にうまく参加できない人だ。でそういう人に対する一つの救済の道が、宿命論、つまり君は仕方なくそうなったのであって君に責任はないとする言説である。一番よく行われるのが医学化で、要するに「それは病気だ」とすることだ。これによって「患者」とされた者は責任自由ゲームから少しだけ降りることができ、心の平穏を得ることができたり、そういう形で社会に受け入れられることによってうまく生きていけるようなったりするわけだ。

問題はこのゲームからどの程度降りるのかということだ。本来はちょうど良い塩梅に降りるべきである。例えば自分の不注意に関してはADHDのせいだとしてしょうがないものとする。その一方で、自分能力範囲内では、意志責任を引き受けた方が良い。というのは、ゲームに真面目に参加している他の人間齟齬が生まれからだ。この増田が良い例である増田彼女ゲームを降りすぎており、その問題に気付いていない。彼女自分のことを「単なる自然現象だと見てくれ」と言っているのだ。自然現象人間はうまく関係できるわけがない。だからいまの増田自然現象をうまく操縦する人という役割になってしまっている。これが「理解のある彼くん」の正体だ。様々な理由によって、相手をただの現象だと思い、何が起こっても「雨に降られたようなものだ、仕方がない」と考えてしまう人のことをそう呼ぶのである

からこれから増田がしなければならないことは、彼女人間に戻すこと、つまり可能範囲ゲームに参加させること、ということになる。私は自由意志によってあなた関係したいと思っている、だからあなた意志によってそうしてほしいと理解してもらうことである。それができないうちに彼女結婚したのだとすれば、増田は雨の降る部屋で孤独人生を送ることになるだろう。

追伸(2024/02/09):ふと思い至って書いた文章想像以上に反響を呼んでいてびっくりしました。勢いで書いてしまったので重要論点が一つ抜け落ちていて、それが一部の人を怒らせてしまったようです。お詫びします。というのは、「増田自然現象になる」という道ももちろんあるからです。2人とも雨になったっていい。虹だって作れるかもしれない。わたし別に人間」が偉いとは特に思っていません。お互いにゲームから降りることによって成立する関係存在すると思います(それはそれで困難があるでしょうが)。しかしこれを書いていたときは、「彼女と互いに人間として恋愛したい増田」の視点に立っていたので、この観点を書きそびれてしまいました。

2022-02-02

LGBTテーマ漫画ってもはや押並べて駄作だと思うんだよな

テーマに手垢が付きすぎて作品としての驚きがない

ステレオ化されたLGBT象によって本物のLGBTに対して誤解を生みうる

素人の書いたBLみたいな展開しか存在しない

LGBT=鬱展開からハッピーエンドという凝り固まった作劇しか存在しない(他のやり方をするとポリコレ棒で叩かれて修正される)

マジでさ、作家としての両親があったらマストで避けるべきテーマだと思うわけよ。

やってることはいつも一緒なのに、どこかでLGBTが「また僕らの象が歪んで伝わっていく」と悲しんでるわけ。

そのくせ世の中のポリコレ中毒は「素晴らしい。これぞLGBT。これぞ正しい社会」とか抜かし続けて調子に乗るの。

何が酷いって作品として展開に意外性を一切もたせられないか必然的に先が読める予定調和だけになるってこと。

もうスタート段階で「ふーん。つまりコイツホモ(言っておくがレズホモからここでいうホモは♂♂も♀♀も意味するからな)なんでしょ?」でオチが分かってしまう。

できの悪いAVのように全ての流れが登場人物を見ただけで分かる。

全てが決められたレールの上を進むだけのベルトコンベア製の宿命論

こんなものを出しておきながら「考えさせられるでしょ?」だなんて顔をするのが信じられない。

もうとっくに議論は終わった景色無限に焼きましているだけじゃないか

ネガを使いまわして額縁だけを必死に別のものに変えていくだけ。

それでも「オナニータイム今日もいつもながらのマスターベーション安心してシコシコしよう!」と出てくるなら、そういった「餌」として受け入れられる。

でもそうじゃなくていつもいつも「なんと驚き。今回の作品主人公性自認普通と違うのです!」とわざわざ見せびらかしてくる。

見飽きた手品

ミスディレクションタイミングもどっちの袖からカードを出し入れしてるのかさえもう誰もが知っている。

アンパンマンでさえ最後に殴り飛ばすのがアンパンマンなのかぐらいは終わるまでわからないのに、LGBTショーはそのレベルでもいつも役柄が固定だ。

聞き飽きた課題曲

最初に奏でた誰かの楽譜キレイになぞれるかどうかの競争

ドレミちゃんと読めるかな?指はついていけるかな?それだけを評価しろと言わんばかりのレディメイド

くだらんよ。

駄作だ。

駄作として良作な作品は数あれど、あくま駄作として素晴らしいだけ。

健康に良くて味もいいジャンクフードがあっても、それがジャンクであることを誰も否定できない。

それなのにLGBT作品自分たちこそが高尚だといつまでも言い張る。

そういうルールのロールプレイなんだから仕方ないが、私はそれをとてもつまらない見世物しか感じられない。

2021-09-16

anond:20210916090518

子供ガチャガチャ定義的にない。

ガチャ子供にとってガチャを回さず生まれてこない選択肢はないけれど、

子供ガチャは親はガチャを回さな選択ができたし、宿命論の支持者でなければ、子供ろくでなしになるのは親の遺伝子子育ての失敗の帰結

2021-05-24

anond:20210524191601

>とにかく、子供を育てない人間非道徳的である、という観念からは、いくらリベラリストが種の保存がどうとか反発しても、逃げられないと思うんだな。

日本でも他国(たとえば中国インド)でも、つい最近まで「子どもを過剰に産む人間非道徳的である」という観念一般的だった時代があるんだよ。結局、社会的リソース多寡人口推移という2つの文脈しだいで、そんな「観念」は真逆にだって振れるわけ。君がひとりで「逃げられない」という宿命論をふりかざすのは別に構わないけど、100年先なんてタイムスパンで語るには、あまりにも今という時代視点が拘束されてる感じがするね。

あとね、何かをすることが「道徳的であるからといって、何かをしないことが即「非道徳的」になるわけじゃないんだよ。たとえば、寄付をすることを道徳的だと思っても、寄付をしない人間非道徳的だと非難されるわけじゃないだろ? そういうとこが雑なんよ、雑。

2020-06-05

anond:20200605184654

なんでそれが突然出てきた?

それは既に書いた通り、「想像して遊びたい人」と「地に足つけて批評したい人」のすれ違いだと思うよ。

  

あと重要なのは未来予知

その部分はよくわからなかったのでとばしてしまった。メインなのか。ならちょっと頑張ってみようか。

第三者の力で嘘が禁じられた世界で誰かが発言したとき、それが真実であるとすれば、ある二名が互いに矛盾した結果を口にした途端パラドクスが発生するので成立しない

それ=発言内容かな?確認のため私なりに書き直すと、

「ある二人が互いに矛盾する内容を口にし、なおかつ両者がともに真実を語っていた場合パラドクスが発生する」ということかな?

まず、未来予知話題限定するので、ここでは「まだ起こっていないことについて話す」場合を想定するね。

私は発言という行為自体に介入して嘘を禁じることを前提に考えていたから、そもそも二名が互いに矛盾した結果を口に」する状況を想定してなかったなあ。掘り下げると「未来事象をも含むアカシックレコード」的な、あるいは宿命論的な存在を前提にしているね。むしろその前提ぬきに「嘘をつけないようにする第三者としての機能」を発想できなかった。設定の粒度の荒いファンタジーだけど、「嘘がつけない」という大本のお題の時点でそのくらいの粒度の話だと思ってはなしてる。

一方であなたは、発言の後に試行されて結果が出る、より現実的世界を前提にしていて、そこで「嘘がつけない」という設定を実現するには「言霊的なものを想定している?いや違うよなあ」と混乱したのだと思う。この「言霊」的な「嘘抑止」もおもしろいね。話したこと現実になるので嘘がつけない。たしかあなたの言う通り、この場合パラドクスが発生するね。

  

下の箇条書き部分は、嘘をついている状態がいずれかなら「嘘である」と増田によって認定されるか、という意味

なるほど。実は最初の返信(https://anond.hatelabo.jp/20200605155258)の時点で「1. 神の視点」と「2. 発話者認識」に分けたのはまさにこの分類が念頭にあったからなんだ。「「嘘である」と増田によって認定されるか」ではなくて、禁じられるか否かについての分類だけど、たぶん答えになるはず。

  • 当人が本当の話をするつもりで本当の話をする。

正直者!

1. においては禁止、2. では可能

  • 当人が偽るつもりで話をしている際に嘘をついてしまった(嘘と認識しつつ、嘘をつく)

1. 2. ともに禁止

  • 当人が偽るつもりで話をしている際に本当の話をしてしまった(嘘をついているつもりで本当の話をしてしまっている)

1.では可能、2. では禁止

2015-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20151213233602

その通り。それを運命論または宿命論という

それに気付いたら人生結構楽しく生きられる

2014-04-16

家族を捨てることにした。

キング小説に出てくる殺人ピエロペニーワイズのモデルとなったジョン・ウェイン・ゲイシーは父親から常に完璧を求められ、少しのミスでも罵倒され続けた。

それでも彼は父を愛しており、父が求める完璧アメリカ人になれば自分を認めてくれるだろうと思い、幾たびの挫折を乗り越え必死努力して成功した。

福祉施設などを慰問し、子供たちの人気者になり、地元の名士としての地位確立する。

だが父が自らの事を認めぬままに死んだとき、彼の精神破綻し、33人の少年殺害し、アメリカ歴史シリアルキラーとして不朽の名を刻むことになる。

前置きはさておき、家族と30云年つきあってきてさすがに疲れた

ここ数年間、精神科アルコールの手を借りてまでどうにかしようとしてきたが多分もう無理だ。

距離的に、二度と会わずに済む場所で今仕事を探している。

近いうちに何も言わず引っ越し電話番号も変え、名前も変えようと思う(こういう時に外国人みたいな変わった名前であるというのは許可がおりやすくてラッキーだ)。

うちの両親が悪人なのか?と聞かれればいささか戸惑う。

彼と彼女は一個人としては極めて優秀な能力をもった人間であり、社会的地位年収も僕とはくらべものにならない。

貧乏な状況から必死努力し、這い上がった人間である

そしてこのタイプ人間の多くに見られるように(ワタミが典型例)自分自身の相対化というものがなく、自分ができることは他者もできるものであり、そうでないのは努力精神力がたりないから、という風に考えている。

そして子供立場からすると最悪なことだが、起きた出来事=その人間人格として考える、「状況だのなんだのいうのは甘え、自分人生はすべて自分責任を負うべき」という思想がある。

「部屋が汚い」→なんでこんな当たり前のこともできないのか。お前らは狂っている

といった具合に。

こういう親とずっといると子供も同じ思想に染まってしまうが、すでに罵倒され続け自尊心というものを奪われているので、ゲイシーのような一部の強者を除けば両親のマネをして成り上がろうとするも失敗する=自分存在意義全否定になる為にたいていの場合努力するのが怖くなり、逃げてしまう→俺は両親があたりまえにできたこともできない屑という風になり自尊心デフレスパイラルに陥ることになる。そしてそれをみた両親はまともに努力もできない屑と見て(以下略

僕と兄はずっとこの状態だった。

必死努力しようとしても怖くて仕方がなくなり、手がつかず「それでもあんな両親みたく立派になるんだ」などと愛情を抱いていた。

兄は勉強で頑張ろうとしたが、失敗し、ネトウヨになり、両親の代わりに関係ない在日に対して憎しみをぶちまけ続けた。

その後はヤのつく自由業になって成功し、今度は「金こそすべて」という価値観に逃避した。

そして生まれ子供に対して「こいつは俺が完璧に育てる。最高の教育を受けさせて海外で働けるような完璧人間にする」と、かつて自分自身が親にされたのと同様の事をやろうとしている。

僕は普通に働いていたが、数年前から不眠症アルコール依存、鬱を発症し、精神科やらカウンセラーのお世話になった。

そこで、起きた出来事=自分自身人格な考え方(典型的アル中うつ病人間の発想らしい)を指摘され、初めて自分自身のゆがみに気づき修正していくようになり、だいぶ回復した。

なんだかんだでこの数年間で学んだのは「人間は結局全てを背負う事なんてできないし、色んな状況で成り立っている。そしてすべてが自分責任という発想は宿命論を呼び込んで物事に対する選択肢を奪い、改善余地もなくし、他者自分自身を許そうという発想も出てこない」というごくごく一般的なことだった。

まあ先の例でいうなら

「部屋が汚い」→「俺は屑だからできない」

から

「部屋が汚い」→「動線の確保はできているかごみ箱を増やしては?本は電子化ルンバ購入して楽しよう」

といった具合に変化したわけだ。

で、先日そのことを両親に伝えたところ「いろいろつらい思いをさせてすまなかった」・・・などということはなく「お前は自分自身責任を負わず、親に責任転嫁しようとしている。そういう甘ったれた考えだからアル中や鬱なんかになる」「精神科医なんてのは責任をそらして甘やかすのが仕事。お前はそれに洗脳されている」などと言われた。

特に「お前は6歳の頃、勉強をやれと言って課題を与えてもやらなかった。俺はそれが信じられなかった。そういう無頼な生き方が現状を招いたのにそれを他人のせいにしようとしている。うちは普通の家庭なのにおまえらけが異常だった。普通の子供なら親にやれと言われたことはやる。我々は普通の子供が欲しかった」と言われたとき家族を捨てることを決意した。

僕と兄が育ったのは普通の家庭ではなくたった一つの事で六歳のガキんちょに異常者のスティグマを張るような家庭であることにようやく気付いた。

子供のころから特別に優秀な人間になって両親に認められたら幸せになると思っていたが、結局僕の幸せは「家族と関わらず、静かに日々の生活を送ること」なのだろう。

収入が下がるのは痛いがこのままこれを続けると遅かれ早かれロード・オブ・ジョン・ウェイン・ゲイシーに乗っかる予感がする。

から家族を捨てる。

長々と駄文にお付き合いさせてごめんなさい。

結局一言でまとめるとこういう事になる。

「我々は一見して家族のようであったが、残念ながら異なる惑星の住人だった」

追記1

部屋の掃除のたとえが誤解を招いたようですいません。

両親とは就職して以来、近所ですが別居です。

追記2

反響がとても大きくて驚いています。おそらく僕の文章云々ではなく、家族との関係に悩まされている人が想像以上に多いのだろうと思います

釣りだとおっしゃってる方もいらっしゃいますが、本当に釣り宣言でもできたらどれだけ楽かと思います

ジョン・ウェイン・ゲイシーの例は自身投影というよりも、自尊心を奪われた人間の行動の一つの極北として記しました。

自尊心を傷つけられ続けた人間に残る憎しみというのは消すことができないし、それは兄やゲイシーのようにまったく無関係人間に向けられるか、僕のように自分自身に向けられるかの場合ほとんどであるように思います

残念ながら自分を傷つけた人間に返して、謝罪なりされて許してハッピーエンド、といなるのはなかなか難しいのではないでしょうか。

あと、ブコメ欄で舞城王太郎の「奈津川サーガ」に触れていた方がいらっしゃいましたが、僕自身がうちの家庭や自分普通ではないのではないか?

疑念を抱いたのが、この本の元ネタになった村上春樹翻訳した「心臓を貫かれて」だったりします。

内容はこれまた殺人犯ゲイリーギルモアの家庭について弟がしるしもの虐待を受けた親がそれを子供にそのままぶつけ、子供たちは自分自身にぶつけるもの無関係人間を殺したり、みんな一様におかしくなっていく様を記したもの我が家に似ている部分が多々あり非常に衝撃でした。

まあ三十年以上問題がある家族と過ごした身としていえることは「対話による解決は難しいだろうし、まず逃げ出すことを考えた方がいい。」ということでしょうか。

時間が解決することもあればしないこともありますが、こういう生活は常に毒を飲み続ける生活に似ていますし、どんな人間でも毒に対する耐性には限界があります

そしてその貯めこんだ毒は自分自身のみならず、周りにも向けられるものでもあるのです。

僕は自分自身家族をつくったとして、その毒が子供や伴侶に向けられ、その子供が家庭をつくってさらに毒の拡大再生産をするような事態に一番怯えています

表題の「家族を捨てることにした。」というのはそういう意味では今ある家族のみではなく、将来家族を作るという選択肢放棄するという意味でもあります

さて最後暖かい意見をいただいた方も厳しいご意見の方も、ろくでもない我が家の家庭事情にお付き合いいただいた全ての方に感謝を。

ありがとうございました。

 
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