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2020-07-03

anond:20200703022327

大阪新御堂筋幹線道路)は一日数十万人が利用するが、

20メートルくらいのデカい「ゴン太」の看板がある。

これは理由があって、「ほねっこ食べてぇ~♪」のサンライズ社の本社大阪にあるからである

いうまでもなく、20年前のユーモラスなゴン太のCMで大ブレークした会社である

ゴン太がもたらした収益は数百億円であろう。だからその写真永久にかざっているのである

そんな大阪人を俺は大好きだ。

なおゴン太はじつはメスらしい(笑)

2020-06-30

道路を走るとき集団ストーカーに用心して下さい

道路を走る時は、集団ストーカーに用心してください。

集団ストーカーに、大きい車乗りはあおり運転冤罪でっちあげられます

小さい車やバイク自転車あおり運転をされます

ニュースでは、被害者役と逮捕役と通報役としか報道されませんが、実際は他にも一般車を装った仲間が、2、30人か、もっとます

もちろんでっちあげで逮捕されて裁判にかけられるので、やってないといっても無駄です。

あおりあおりじゃない人を逮捕しているだけなので、あおりあおりを訴えても捕まりません。

幹線道路沿いのポスターに、「あおり運転ご用心見たら110番」という看板がありますが、インターネットで調べると、あおり運転被害者警察に追い返されたという書き込みが多いです。

鉄道オタク迷惑行為批判したりDQN非行に物申すと家の近くの道路ヤンキー車や街宣車が群れを成して騒音運転して威嚇させられたり、見せしめに近所で迷惑沙汰を起こされたりします。

車社会への悪口ネットに書くと電車痴漢しかけられたりして移動の邪魔をされたり、差別でっち上げられたりします。

スポーツ選手韓国人記者マナーの悪さに物申したら街宣車騒音トラブルを仕掛けられたのは有名な話です。

2020-06-11

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに分けられる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 どんな記憶忘却可能性を含んでいて、それがいか尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである

 とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるものだ。例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類だ。

 これから話す記憶は――意外だと思われる人もいるかも知れないが――恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は(少なくとも僕にとっては)、一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。

 あるいは、死んだ猫の重みを人生最後まで引きずっていく人もいるのかもしれないけれど、僕がこの世界からいなくなる時に、多分、死んだ猫の記憶は僕の傍にはいない。


 人生というのはタフなもので、多くの場合予断を許さない。例えば、猫は前触れなく死んでしまう。そこに救済は存在しない。

 猫は突然死ぬ

 重要命題である

 だからこそ、我々はタフにならなければならない。タフな(きつい)人生に耐える為には、我々自身精神的にタフにならなければならないのである

 して、タフな人生を生き延びるために重要資質とは何だろうか?

 僕が思うに、恐らくそれは一種判断能力である。つまり重要もの重要でないもの区別する為の判断能力である

 この世界において、重要もの重要でないもの比較すれば、前者は圧倒的に少なく、後者は圧倒的に多い。これは考えるまでもなく当然のことである重要ものが我々の前に際限なく溢れ返っているのであれば、我々の人生もっと救済に満ちたものになる筈だからだ。でも、現にそうなってはいない。人生における重要事物は泥の中の砂金と同じである。それは、恐らくは多くの人が感じていることだろうと思う。

 そう、我々が人生を全うする為にもっと重要能力は、数少ない重要物事出会った際に、その重要出来事を迷わず掴み取る能力なのである

 タフな人生を本当に生き切る人間に備わっている素質は、恐らくはそれだ。彼らは汚泥の中の砂金を迷わず掴み取り、幸運の女神の前髪を毟り取らんばかりに握る。僕も、そういう人間になろうと日々心掛けてきた。この世界に溢れ返る物事の中に、ほんの僅かに存在している、かけがえのない事柄。あるいは、溢れ返る人々の中に存在している、かけがえのない人々。そういう人(もの)に出逢えば、できるだけそれを失わまいとしてきた。

 人物だけではない。記憶に関しても同様の態度を取ってきた。

 我々の心の中には無数の記憶存在している。その多くは、断言するに無意味記憶に過ぎない。病院記憶体育館記憶商店街記憶――はっきり言って、その殆ど無駄記憶だ。重要記憶というものは一握りしか存在していない。

 我々の人生には限りがある、その限られた人生の中で、無意味記憶無意味な情愛を注ぐことだけは避けなければならない。情愛を注ぐべき人を選び、情愛を注ぐべき記憶を選別すること――自分にとって重要ものを、重要でないものの中から選び抜くこと――それが本当に大切なことなのだ。だから、我々は、警戒しなければならない。一見重要であるように装っておきながら、実際には全く我々の人生無意味事物……そういうものへの執着を捨てなければならないのである

 書いていて思うが、幾分このような視点には屈折の気配がある。勿論、それは自分でも分かっている。でも、やはり我々の人生は貴重なものであり、貴重でないものと触れ合うことで、その輝きを鈍らせる必要はない――そういう視点が一抹の正しさを備えていることも、また事実なのだ

 はっきり言おう。

 これから語る記憶は、決して僕の人生重要ものではない。むしろ、どうでもいいものなのだと。

 

 大した記憶ではない。

 道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からなかったが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っていた。既に絶命していた。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの運転手ゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を自転車に乗って通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見ていた。

 通り過ぎる。

 川沿いの道を走り、こじんまりとしたアパートに辿り着く。駐輪場自転車を停め、アパートの裏手へと回り込むと、階段を上った。

 階段を上る度に、カンカンと乾いた金属音がこだまし、やがて僕は二階の自室の前へと辿り着いていた。

 鍵を開け、扉を開け、自室へと体を滑り込ませる。

 薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時にも猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に轢かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。猫の頭部がごろりと動いた。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く夥しい血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、たまに、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車だった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンへと戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が死んだ猫の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし、それはあくま一般的な教訓に限っての話だ。僕個人の、個人的な教訓に関しては、少しばかりはあるかもしれない。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタルな――欠くことのできないほど重要な――部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタルな部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

2020-06-10

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに大別できる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 記憶というもの原理的に忘却可能性を含んでいて、それがどんな尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである。とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるのだ。

 例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類の記憶だ。

 これから話す記憶は、恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は、恐らくは一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。


 タフな人生を生きようとする人間功罪の常で、僕は重要記憶とそうでない記憶峻別することができる。多くの場合その判断は極めて正確だ。

 僕は自分にとって重要物事とそうでない物事を多くの場合峻別できると思っているし、何よりも、自分にとって重要人間とそうでない人間峻別できると思っている。そこが功罪なのである人間自分にとって重要人間とそうでない人間並置し、比較し、時に冷徹判断する。いざという時に切り捨てることのできる人物と、そうでない人物を頭の中の整理棚に分類する傾向がある。とは言え僕は冷酷な人間を自認してる訳ではなくて、基本的に分け隔てなく親切に接することをモットーにしてるのだけれど。それでも、自分にとって大切な人物とそうでない人物は分けて考えなくてはならないと考えている。

 さて、そんなこんなでこ記憶は恐らく僕の人生においてそこまで重要記憶ではないと、僕ははっきりと峻別している。


 大した記憶ではない。道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からないが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っている。既に絶命している。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの車はゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見た。

 さて、帰宅する。薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時には猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に引かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、偶に、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車であった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンに戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が猫の死体の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし僕自身にとっては多少の教訓と呼ぶべきものはある(どっちだよ)。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタル部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタル部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

2020-05-30

年収2000万(弱)のリアルを教えよう

anond:20200530164357記事年収1000万のリアルが書かれていて、中身を見て確かにそこからそんな変わらんな…と思い、

マウンティングしたいとかそういうことじゃなくて、色々現実を教えたく書いてみました。2000万だってしたこと無いぞ。

家賃について

家は持ち家(マンション)なので、ローン返済。

年収1000万弱台の時は家賃わたし都心1DK14万弱でしたが、今は関東圏(都心40分程度で出れる)のマンション3DK。

都心にずっと住んでたけど、住みやすいのはやっぱり郊外だった。

ローン返済額的には管理費入れて同じぐらい。35年ローン組みましたがまぁ既に1/3ぐらいは返済です。

住宅街エリアで、複数路線が通ってるターミナル駅が最寄り。

いわゆる3人ぐらいの家族向け住宅で70平米ぐらいかな。幹線道路沿いなので多少うるさいですが、わたしは気にしないのでOK

普段食事について

料理が好きなので、多くは自炊をしてます

(特に今の時期はコロナで自宅業務なので。)

仕事が忙しいと、ご飯は作れないので適当コンビニです。たまにUber Eatsとか頼みますが。

飲み会などの食事について

ここは年収1000万の方と近い…けど、まぁお店は普通じゃないかな?

1回行ったら1万ぐらいが基本です。別に何でも美味しいければいいと思うよ。

串カツ田中とかも好きです。個人経営バーかに行くのも好きですけど。

コンビニスーパーでの買い物

ほしい物を買いますが、価格品質が見合わないものは安いほう買いますよ。っていうか昔からそこら辺は変わらない。

ただ違うかなーと思うのは、買う時の合計値はあまり気にしません。

からコンビニで買い物すると、飲み物だけほしいとかそういう時を除くと毎回1000円以上払ってるかな。

ファッション

海外出張した時にまとめて買ったり、後はアウトレットに行ってまとめて買ったりしてます

っていうかファッションとか難しい。なんかスタイルに合ったものをそれっぽく着れればいいと思う。

女性関係について

あんまり興味も無いし、いい思い出もあまりないので特に遊んでいません。

年収2000万にもなると、遊べる人は結構遊べると思いますが…

とはいえ1000万の方も書いていましたが…なんかみんなが想像してる豪遊は2000万クラスでも全然居ないと思いますもっと上かな。

まぁ女性デート行くなら全部自分持ちなのは変わらず。まぁそのぐらいは別にね。

車について

東京都内ではないので、車は持ってます。でもめっちゃ大衆車です。

車の運転苦手なので、バックモニタとか安全装置MAX新車を250万ぐらいで買いました。

そしたら車の運転楽しくなってきたので、今度車買い換えようかなとか思ってます

仕事周りについて

収入は基本が額面100万よりちょい上あたり(残業代や各種補助込み)です。

そこからボーナスとか時間外労働の超過分、あとは若干の副収入や株の利益等。

お金について

上みたいな感じなので、毎月そうですね…50万ぐらいは最低でも貯金できてるかな。

趣味お金も投じてますが、でもそれも毎月5万ぐらいなのでこんな感じ。

追記

ちゃん言及元入れたつもりなんだけど、あんまりいたことないので書き方ミスってるのかも。やりかた教えてください…。

で、なんかみんな学歴とか書いてるのでそこはちゃんと書いておきます

学歴について

わたし学歴でいうといわゆるFラン大学出身です。

ただ、大学入学後の大学での成績はいいです。今なら趣味として楽しめます学生の時にあの勉強内容は全くと言っていいほど実学じゃなくて楽しくなかった。

大学社会人になってから、いわゆるお金や知見になりそうな勉強はずっとしてます

なんかみんな学歴収入が決まってると思うなら、それは違うと思うよ。

ちゃんとやってればこのぐらいまでたどり着けます。ここから上は正直わかんない。

もしくは企業家側行くとかね。お金がほしいなら方法はいくらでも…とは言わないですが、戦略はいくつかあります

資産について

土地建物、有価資産現金をざっくり足すと8000万ぐらい?かな。

30代でこれぐらい用意出来たのは良かったかな。

仕事について

ざっくりですが、IT系です。でもこの記事言及に入ってるN○○コムとかそういうところじゃない。

転職結構してますよ。転職給与を上げる作戦の一つでもあります

助っ人外国人のような感じで異動先で成果を出せば上がるで。

あと、稼げてる背景に時間外労働も多いのでまぁなんだろ…みんな稼いでる人遊んでるって思ったら間違いだと思うよ。

稼げてる人って、自分とかへの投資(時間お金)が多いです。例えばグロービスとか大学院、MBA取る…とか。趣味側でもお金かかる趣味を敢えてやるとか。

2020-05-12

数年ぶりに町内歩いた

コロナ禍で自宅にいることが多くなったせいで生活リズムが夜型になった

これはまずいと思ってネットで昼型の生活リズムに戻す方法を探していると午前中に日光に当たってるとメラトニン作用して〜とか書いてあってとりあえず外に出て見た

普段車乗るのと使わない道通らなくなったのもあって小学生のころに遊んでた脇の道とか全然見なくなってた

たぶん最後にこの辺見たの4年ぶりかな

歩きで見るのはもっと久しいか

新しい家とかある一方で変わんない家のあって、それは変化の寂しさと変わらないつまらなさが同居してる感じでむず痒い

あと近所は白黒の猫が多いんだけどこの辺は三毛猫かいてかわいーって思ったり

目的公園の隣に自分小学生の頃からある、というか覚えてる限りずっとある個人商店があって少し覗いたらまだやってた

店の表にある自販機ラインナップを見るとコカコーラエナドリがあるところを見るとこの自販機もまだ現役らしい

少し眠たくなってきたしこの自販機缶コーヒー買って今、公園日記を書いてるんです

ここの公園そばにでかい幹線道路ができたり、その対岸じゃ工場建設で騒がしかったりしてだいぶ様変わりしたなー

今日は気温高くてだいぶ汗ばんできたし某商店で朝食でも買って帰りまーす!

2020-05-05

ブラジルノーガードでまったく耐えきれてないんだがw

4日に始まった一部の幹線道路封鎖(午前7~9時、南部レイラギマランエス大通り北部サントス・ドゥモン大通りなど)は隔離率を高めるため。一部の閉鎖区域では混乱も生じたが、5日からバス専用レーン以外は通行禁止となる。隔離率が上がらなければ、道路封鎖の箇所は増える見込みだ。

 感染拡大抑制のため、サンパウロ州は4日、7日以降、路上などの公共の場所を歩く場合マスク着用を義務化する事を決めた。バス地下鉄タクシーやUberの乗員と乗客は4日からマスク着用が義務化されている。

2020-04-01

変な夢見た

会社から早退しようと思い(経緯は失念)退社。なぜかコートの代わりに毛布を被っている。夢の中でもおかしいと思ったが捨てる場所もないので被ったまま駅に向かう。

向かう途中で忘れ物気づき忘れ物が何かは失念会社に戻ることにした。手に家で食べようと思っていた苺とバナナを持っていたので食べながら歩く。(これも捨てる場所ないし、とか夢の中の私は思っていた。)

途中でやっぱり前職の会社に向かうことに気が変わった。なお、リアルの今の会社と前の会社は同じ駅にはないし、ちなみに夢の中の光景幹線道路が近くにある坂の多い住宅街という架空場所だ。

まあそんなこんなで前の会社オフィスに着く。後輩が迎えてくれて彼女や同期やらと話し込む。私の後に転職した人がもっと素晴らしいところに転職したらしい。だから私はダメらしい。それから異動の話など。(ここだけ今の時期を反映してる)

あと私が人を殺しただか死んだかだかの噂が社内であったらしい。なんでだ。

そこそこ時間が経ち帰りがけに嫌な元上司に遭遇したりしながらも前の会社を出る。迎えてくれたのとは違う後輩がバルコニーから踊りながらお見送りしてくれた。嬉しい。

まだ忘れ物を回収してないのでやっぱり今の会社オフィスに向かうことにする。

心臓破りの坂に疲労困ぱいだ。そこからさらに超巨大歩道橋階段を上がりきり橋を渡る途中で道間違えてることに気付いた。慌てて戻って降りようとした階段がガタガタ揺れる梯子に変わっておりまじで無理、、、と思ったあたりで目が覚めた。

わりと平和な部類の変な夢でよかった。

2020-03-22

この三連休コロナ相当広まった気がする

都内幹線道路沿いに住んでるけどさ、ここ数週間週末本当に車の量が少なかったのよ。

でも今回はいつもより多いくらい。

みんな完全に気が緩んだよね。

自粛要請早すぎたんじゃないの。

2020-03-02

anond:20200302083356

バイク保有者は東京が1位みたいだけど、原付保有者は東京は下から数えた方が早い。原付は都会の移動にはあまり向いてない、電車が混んでる以上に道路も混んでるし。毎朝、都会に繋がる幹線道路渋滞してるよ、ほとんどが物流系のトラックとか。

金持ちが多いか趣味で二輪を持ってる人は結構いるんだろうね、ロードバイク趣味とかと同じで通勤に使うもんじゃないし。

駐輪場もないしあっても高い。駐輪場場所くらい作れるだろと増田は思うかもしれないが、駐輪場よりもっと稼げる利用方法いくらでもあるからバイクのためには使われないんだよね。

2020-02-23

anond:20200223074832

昭和パン屋はみんなパンガラスケースに入っていたのに、いつのからか客がトングで取るようになったよな

オレ、幹線道路沿いのパン屋で買うヤツの神経がわからない

2020-02-22

新型コロナウィルスてさ

今おもったんだけれど、単に新しいだけで、実は致死率は風邪レベルなんじゃないの?

確か、武漢交通の主要幹線道路が集まった場所だよね?単に、喘息患者が多いとかではないのかね?

N1H1インフルエンザの時と同じなんじゃないの?

2020-01-19

anond:20200119134327

去年、内幸町の貸会議室を利用したとき路地裏でタバコ吸ってるリーマンいたけど、まあ歩きタバコではないか…。

世田谷区住んでるけど幹線道路沿いの道ではわりと歩きタバコ族いるんだよな。

2019-12-06

[] 令和生まれが知らないこと

10年後くらいに令和生まれの子供に、

「昔々、DVDCDレンタルするお店があったんじゃよ。」

解説することになりそう。

それくらいの勢いでDVDレンタルCDレンタルが減ってる。

本屋が本だけ売っても儲からない、とは昭和の頃から言われていて。

その結果として商店街の中にある個人経営書店の衰退。

代わって現れたのが郊外幹線道路沿いの郊外書店

書籍雑誌販売だけでなく、ビデオレンタル(後にはDVDレンタル)とCDセルレンタルを併設し、それを集客収益の柱に。

CDが売れなくなってからDVDレンタルはまだまだ好調で、業態は安泰に見えたが。

ここ数年、地方においても動画配信サービスが普及してきたようで。

郊外書店経営も怪しくなってきたっぽい。

書店まるごと閉店も多いが、DVDレンタルCDレンタルのコーナーだけ閉鎖するパターンが増えてきた。

空いたDVDレンタルCDレンタルのコーナーの跡はリサイクルショップになったり、玩具を売ったり、デュエルスペースを備えたトレーディングカードショップになったり。

これといった決定打はないっぽい。

リサイクルショップ併設した書店は後に結局まるごと閉店してしまった。

2019-11-27

anond:20191126223429

30万人規模の地方都市だけど、いい大人歩いてるのは駅周辺の半径50mくらいかな。

幹線道路沿いとかでもし30~40代大人が歩いてたら(自転車もかな?)、かなり奇異な目で見られる空気はある。100%車を持ってるのが前提だから

歩いてるのは登下校中の生徒とかカートを押してるお婆さんを疎らに見かけるくらい。

2019-11-23

納車!

ずっと欲しかった新ロードバイクがようやく納車された。

キャノンデールのTOPSTONE(トップストーン)105(完成車21万)の初乗り。大阪奈良行ってきた。

トップストーンは「グラベルバイク」というジャンル。要は「軽いダートなら走れるロードバイク」だ。

太いタイヤと軽いギア比が特徴。

そのお陰で通常の走行でも、歩道に乗り上げたり、ちょっと気になる坂道のあるルートを選んだりできる。

そんな家事でナビを頼りに寄り道しながら清滝峠を超えて行ってきた。

ロードバイク幹線道路をかっ飛ばすスピードバイクなら俺のトップストーンは裏道を走破するダートバイクだと思った。

いつもなら段差の衝撃や坂道で足が弱々になるところを助けてくれる感じのギアタイヤ

100km200kmを走破するならロードバイクが一番いいけど70kmくらいをまったり走るならトップストーンが相性いい。

帰りは輪行で帰ってきたがちょい重いので大変。

ロードバイクとは違うストリートな感じのかっこよさのロードなのでカスタムしがいもある。

とりあえずバーテープボトルゲージ・ボトルを替えて見ようと思った。

フレームバッグとフロントバッグで積載量増やしてもいいかもしれん。

ホイールタイヤを650にしてみるのも考えてる。

とにかく長い付き合えいになりそうな良いロードバイクだ。楽しみ!

ここに自転車やってるやつが居るかわからんけど皆も安全で良い自転車ライフを!!!

2019-11-03

何だこのチキンレーサー共は

巨乳幹線道路を歩くな」という事か?司法行政書士による「ゾーニング」論

https://togetter.com/li/1425451

女体だーい好き!こそオタクとこの社会本音である

https://arrow1953.hatenablog.com/entry/2019/10/23/102625

すげーな。

もう祭りが終わって、いい加減に後片付けを始めようとしている時にまた意味不明フェミが突っ込んで来た後、その後オタク自称する何かが書いたあの記事から共産区議行政書士が、何を思ったのか自ら油被って火に突っ込んでくるとか狂気の沙汰も最高にイカれているとしか言いようがなくて笑える。

しかも後から突っ込んできた奴等の言い分が全員オタクは日陰者だから、当時みたいに嵐が過ぎるまで机の下に隠れていろよ、そして黙ってフェミ様の言う事を聞いていろと言う事を妙に上から目線でほざいた結果、当のオタクに切れられて、ボコボコにされまくっているのも更に面白い所。

何でこうもわざわざ自分から玩具になりにくるのか、ちょっと理解できない。

しかしここまで言い分が同じだとどこかから指示でも出ているのかなと邪推してしまうね。

あの党ならやりかねないしなー。

2019-10-26

祖母認知症

80代の祖母は数年前から認知症が始まった。

物忘れが増えるようになり、ここ1年ほどは足が悪いのに一人で勝手に出歩くようになっていた。

両親が老人ホーム検討しだした矢先に事故にあった。

何を思ったのか、横断歩道でもなんでもない幹線道路に飛び出して、軽自動車と衝突したのだ。

ドライブレコーダーも見せていただいたが、運転手の方には何の罪もないのは明らかだった。

信号から数十メートルということもあり、減速していたために咄嗟ブレーキが利いたようで、祖母怪我は軽かった。

鎖骨と足首を骨折しただけで済んだのだから不幸中の幸いといえるだろう。

しろ被害者である私たち家族のほうが罪悪感がひどかった。

監督不行き届きがゆえに、人様を加害者にしてしまったのだ。

父は、祖母の無事を確認したその足で警察に向かい運転手の方とその奥さん担当警官たちに涙ながらに土下座した。

翌朝には運転手の方の勤務先にも向かい、彼に一切の非はないこと、どうかクビにはしないようにお願いしますと土下座を繰り返した。

自分たちが身内だから決断先延ばしにしたせいで、人様の人生を狂わせてしまった。

私も父も、その事実に押しつぶされそうだった。

幸い、軽傷であることや、被害者側の我々が嘆願を続けた甲斐もあって、運転手の方は不起訴が決まった。

もし打ちどころが悪く、祖母が亡くなっていたら、私や父の気持ちも今とは違っていたのかもしれない。

けれど少なくとも今回は、徘徊放置したがゆえに人様に迷惑をかけてしまたことに対する罪悪感と、相手方人生を滅茶苦茶にしてしまうかもしれない恐怖のほうが圧倒的に強かった。

からどうということはない。

ただ、今後はこういう話がどんどん増えていくだろう。

この投稿が、認知症が始まったらどうするか、ご両親や、あるいはご子息ご息女としっかりと話し合う機会になれば幸いである。

2019-09-17

anond:20190917103417

台風15号に関する備忘録その4

幾つかの幹線道路は原状でも二次災害の倒木で、道路が寸断される寸前である

君津高速道路につながる幹線道路の一部でまだ危ない場所があった。

職人さんが一生懸命木を取り除いている。

再度インフラが吹き飛ぶ可能性も十分ある。

ボランティアに行くとき自分も追加で被災することを前提に多めの食料などを持ち込む必要があった。

当然、自動車ガソリンは常時満タンで臨む。

2019-08-29

anond:20190828234629

田舎木造アパートだが音なんかほとんど聞こえないぞ

たまにテレビの音が聞こえるくらいと飲み会してたら騒がしいくら

都会の鉄骨時代幹線道路沿いで窓も開けれんし全然ましだ

最近コンビニ業界が感慨深い

20年以上前の話になるんですが、学生時代環境問題に興味があって、そういうディスカッションに多く参加してたんですね。

時代感としては京都議定書があり、リベラルな人たちが多くそちらに流れていた頃でした。ドイツでは緑の党が大躍進していたり。

今も同じかもしれないけど、環境問題にはディープエコロジスト(生態系を守るためなら、人類が停滞または全滅してもかまわない)という思想と、

シャローエコロジスト(環境問題対応することが、長い目で見れば人類(含む経済活動)にとって有益である)という思想があります

私はシャロー側の人間で、世間一般でいうエコっていうのもこっち側だと思います

たとえば、エンジン燃費を上げることは同じガソリン量で長く走れるわけなので、シャロー側ではエコだし、ディープ側ではそもそも車なんかに乗るんじゃねぇという話になるわけです。

で、こういう議論をしていくと、ワークショップやらパネルディスカッションやらでは、大体いつも同じオチになります

たとえば、「若い世代への教育重要だ。」

たとえば、「効率主義(=新自由主義)に飲み込まれない社会をつくるべきだ。」などなど。

大体、何度か参加すれば金太郎飴であることがわかるので飽きてきます

で、同じくよくあるオチが「我々のライフスタイルを変えていく必要がある。」みたいなやつで、

この現代的なライフスタイルを支えているインフラは何かといえば、コンビニであるという話だったんですね。

そのため、大量消費・大量廃棄のシンボルであるコンビニの今後はどうあるべきか、というのがよくディスカッションテーマでありました。

で、ディープな人たちはそもそもコンビニ自体が悪なので、江戸時代に戻れとか言って、お話にならなかったのですが、

シャロー同士の議論でも、いくつかの論点がありました。

その当時よく言われていたことは、コンビニ24時間店を開けていることが(経済的にもエコ的にも)効率なのだという話です。

多くの電力は冷蔵庫冷凍庫に使われており、電源を入れたり落としたりできないので、そうであるならば開けていた方が得だという話でした。

このあたりの細かな数字は忘れましたが、とあるコンビニ大手の人も来てくれて、正確な数字を出してくれていたように思いますし、

夜間の需要がどれだけあるのかも数字で見せてくれました。

個人では、大都市近郊の、または地方都市の主要幹線道路沿いのコンビニではそれが成り立つのはわかるけど、

日本全国すべてのコンビニが開けておいた方が効率であるという言説は懐疑的でした。

すったもんだがあり、金太郎飴議論にも飽き、就職後はこの手の議論からさっぱり遠ざかってしまいましたが、

当時あれだけ難しかったコンビニを変えようという議論が、どちらかというと労働者問題フランチャイズ問題から動いていることは

驚くばかりです。業界の王であったセブンイレブンが近年これほどまでにヘイトを集めるなど想像もできませんでした。

当時の環境論者が視野狭窄ではなく、これらの問題を扱う人たちと手を取り合っていたならば、

もっと早くコンビニ業界を変えられたのではないかと思います

2019-07-11

anond:20190710225820

すでにそういう人いても痴女には分類されないとおもう

2年位まえに真っ昼間に幹線道路を車で走ってたら歩道に人がゆっくりあるいてるんだけどなんかヘン

服がおかしい?

わかめをまとってるみたいにボロボロヒレみたいなのがぶらさがって

それが揺れてるのがわかるくらいゆーっくり歩いてる

足も裸足

顔だけは白っぽくて若い女っぽかったけどほんま怖かった

あれ多分虐待されてるとおもう 

強姦直後かなとおもったけどそれにしても病んでる雰囲気

被害うけたら即そのへんの家にかけこんで110番なり119番たのむだろうってのは徹底的犯罪被害にあったことない人間思い込みなのかなあ? 

路面店個人宅がたくさん並んでる通りだったけどダレも声かけてないのも不思議

警察通報しようかとおもったけど

車の流れが早くて位置特定もなにもできなかった

2019-06-29

自転車乗り俺が今までに見たヤバイ自転車を書く

最初は肩慣らしから。

まぁここら辺は当たり前。トラックに巻き込まれろとは常々思ってるけどね。

以降ヤバイ自転車

幹線道路を50mにわたって逆走&横断

まぁ言ってしまうと246なんだが、なんとママチャリが横断、しかも逆走というダブルコンボを決めてきやがった。自分の命をなんとも思わないその勇気を称賛!潔く死んでくれ。

陸橋を走行

目の前の自転車なんか第二車線入ってるな...→陸橋突入路側帯なんて1mmもない上に斜度もきつい、車通りが多いなんてもんじゃない道に突っ込んでいけると思ったその根拠は何なのか。ぜひ聞かせていただきたい。ちなみにそいつはそのあと交差点を右折レーンから右折していった。

きっと彼は今も陸橋を渡っているのだろう。生きていれば。

激坂高速ダウンヒル逆走お母さん

とある坂がある。そこは結構激坂で、斜度は10%くらいは確実にある。そんな坂を上っている俺の目の前に現れたのは逆走自転車しかしただの自転車じゃない。なんとママチャリで後ろに子供をのっけて、高速で下ってくるのだ。時速40kmは確実に出てたね。後ろに乗せられていた子供安全を願っていません。

道路の一番右側で2ケツしてるクソガキ

見出し読み直してほしい。右側ですよ?ママチャリに二人乗りしてるクソガキが一番右車線のその右端を走ってやがった。バイク外国人ガチギレされてたので、後ろに止まれサイン出しながら「こっち来い」って叫んだら拗ねながら歩道に戻っていった。二度と自転車乗るんじゃねえぞ、俺との約束だ。

歩道から急に出てくるクソ野郎

急に歩道から車道にノールックで出てくるクソチャリはほんとに多い。お前後からバイク来てたら死んでるぞ?

無灯火&逆走コンボ

日本にはよくある、車が通ることしか考えていない道を夜に通ってて、照明の位置的にちょっとまぶしいなーって思ってたら隠れてた逆走無灯火自転車が急に出てきた。ここまでくると俺の責任はどうやっても問えない気がするのでむしろ事故って慰謝料搾り取ったほうがよかったかもしれない。

もっとやべーのがいた気もするが思い出せない。みんなは違法自転車がいたらどんどんクラクションならしていこう!!!!!!

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