はてなキーワード: 不利益とは
なるべく多くの人間に影響力を持ち、実際には存在しないインターネット世論を誘導した上でどこまで現実に影響を及ぼせるのか?
まえがき
増田やSyamuなどインターネット汚物が国会にまで持ち込まれるようになり、アラブの春の後始末すらまだ終わっていない現代社会において、SNS上での衆愚の扇動が安全保障上のリスクになることは自明であり、かつてアカがサボタージュつまり働かない労働者によって生産性を下げる攻撃という概念を持っていたように、インターネット上にフェイクないしある方向に誘導する情報を撒き散らすことによってインターネットの利便性を下げる攻撃や世論を誘導する攻撃という概念が生まれている。
白人至上主義を煽るアメリカ大統領戦や嫌韓感情を煽る自民党への囲い込みなどに実際に実用されているがここではご家庭で簡単に始める衆愚扇動のやり方と大規模な攻撃への発展アイデアを紹介したりしなかったりする
従来の方法としては専門の業者に依頼することやインターネットの有象無象に依頼することなどが挙げられる(例 クラウドワークスで文字の流れる動画を作るように依頼する、自民党ネットサポーターズクラブ、火消し業者、ネットに強い弁護士)これらはいずれも金銭がかかり、また効果に疑問点がある。これらを発展させたものが前述の大統領選や囲い込みであり、方法としてはカルトの手口を併用したものである(この手口は非常に洗練されており、インターネットサロンやプログラミング塾など様々な場面で活用されている)。これらには社会的弱者を狙い、参加への誘因として憎悪を使い集団への帰属感を与えた上で孤立させるという倫理的に悪影響がある手法を用いるうえ参加者一人ひとりの質に問題があるため二次拡散に期待できず(せいぜい彼らの狭い交友範囲内で、それもこの手法の過程で消える)頭数のみが重要な場合にしか価値がない→集金、選挙など 金を絞れればいい=生存していればいい ひらがなで候補者名がかければいい=初等教育を受けていればいい ために汎用性に欠けてしまう。
これらの従来の扇動方法の弱点を解決するためには、ターゲットとして
・一般ユーザー 友人とのやり取りや好きな話題を話すアカウントを持つ(複数の場合もある) /実際の世論形成を担う
・パワーユーザー ツイ廃など依存症的な人々 POSTの大半を占める /扇動内容の二次拡散を担う
・文盲 三語文が読めない感情的な人らまたはお気持ちの人 (神が絶対でそれとの距離は個々人で差はないという論理が起点となっている平等主義と相対主義でしか働かない近代的理性は相性が悪くて、平等の完全な実現に伴って相対評価の理性から絶対評価のお気持ちの時代になるためお気持ち勢は増える) /社会の多数派 頭数や実弾はここから湧く
・インフルエンサー ダークウェブで買った人は含まない /ネットのおもちゃ
を含める必要がある。
またゴール地点として「予め設定した枠の中でしか議論をしなくなる」ということを設定する。
成功例:中国政府の言論統制は自国への批判は許すが自国への行動は許さない。体制の揺るがない範囲での体制批判を許可している。また人民は海外メディアにアクセスする必要があるという発想をそもそも持っていない。
では何をするべきか?前提としてダークウェブ↔ウェブよりウェブ↔ウェブのほうが断絶していることに注意する必要がある。通常のおおよそ全ユーザーに到達するウェブコンテンツとしてはネットニュースがある(これは各サイト、サービスが配信またはキュレーション//死ね//という形で再配布するため)この分野ではオールドメディアが依然強く、また権威つけあるいは盲従するためのハードルを下げる手段として有力である。 これに載るためには犯罪者や自然風物になるという方法もあるが扇動のコントロールが難しく、再現性が低い。また扇動者が現実に露出する必要があり、リスキーである。それでは有名人になった上で何かをする芸能人枠かネットの意見なるもの枠を取ることが現実的であろう。虚像の芸能人の成功例としてゆるキャラやVirtualBeing、初音ミク等などがあるがこれらは地域PRの手段とかロール、インターネット集合知のためのキャンバスといった色合いが強く(VBはよくわかんない、ごめんね)自分からアクの強い意見を発信したり誘導を仕込むことには向いていない。これは各政党のゆるキャラの名前を私が知らないことからもわかる。
SNSでインターネット世論などという汚泥のレンガみたいな概念を焼成してオールドメディアに取り上げてもらいそれがネットニュースで配信されることで(インターネット蝗が多ければi.e.よく燃えていればPVとPRが上がる、この点でももともとの火力は大事)各層に浸透、一定割合が仕込みの終わったSNSでよくわからんことをよくわからんままに自分の意見として話し合ってくれれば成功というのが筋が良さそうだ。
これのモデルケースが「幼稚園落ちた日本死ね」ではないか?扇動者がいたかどうか知らないがこれは可燃性の高い話題が溜まった憎悪を焼き固めてこれを拾ったオールドメディアは国会まで打ち出したという構図に見える。 (三次元物体は視点の違いで違う形に見えるのでここに対する批判は致命的なもの以外許して)
ポイントとしては
弱小、個人アカウントにはDMを多用し優しくする,マシュマロ等利用する
可燃性は最終的に的にする場合以外下げる
話題にはのる
ここで文章自動生成とかを使うと戦略兵器になる 普段はネット定形構文のおもしろネタとトレンドへの言及をしつつ誘導、イベントや祭りの発生時に扇動 数で勝負できる
しらない 詳しい人かいて
周りのすべてが一定の枠組みの中の視点しか持っていなければ一般人は前提を疑わないために容易に思考を囲い込むことができる。現実での多数派を囲えれば十分世論は枠にはめられるので一般ユーザがアクセスしうる範囲だけ誘導できればいい。実践としては検索結果一ページ目とSNSのトレンドとSNS上の各知的社会的階層からそれぞれ賢そうに見える人らで十分だ。あとは勝手に拡散していく。
検索結果一ページ目はフェイクサイトやらまとめサイトやらで埋めればいいのではないですかね ある健康食品だったたかサプリメントだったかがWikipediaから解説サイト、体験談などなど全部フェイクのサイトたくさん用意しててすごいと思ったみんなも真似しよう わかりやすいのはヨーグルト関係、腸内細菌とかまともに調べられなくて困っちゃうわー
SNSのトレンドにはわかりやすい正義とわかりやすい攻撃手段を作って喧嘩させれば良い まずツッコミどころのわかりやすい的を作ってそいつに暴れさせて、その後適度にわかりやすい武器を配れば勝手に燃やしてくれる 異常者が全面に出るように小さなコミュニティを的にするのが合理的(異常者を演じる、あるいは操作する際に少ない人数で大きな割合を占めることができる また支援者の絶対数が少ないため横槍が入りにくい)この過程で視野を狭め議論の枠組みを狭めることができる
SNSの賢そうな人らには「売出し中でフォロワーを増やしたいと思っているアカウント」に見えるアカウントを用意する(このアカウントは誘導したい方向と逆かあるいはジャンル違いのアカウントにする。一般的なフォロワーを増やす過程で前者なら過激な方向へ誘導しつつ意図的に意見に穴を開けておき、後者なら誘導したい方向へ偏らせるか誘導方向と逆の方へ過激な発言をそれぞれ不利益の無い程度に行っておく)
過激なアカウントかつ誘導方向と逆向きであれば失礼な発言から無理筋な議論へと持って行き自分とフォロワーないしファンネルを焼いてもらい、その後改心宣言か狂犬として噛み付いて回る
温和なアカウントかつ誘導方向であれば話しかけてフォロバしてもらうそれ以降は穏健な交流を行い人の流動性を高める 最終的にはこのジャンルならこの人というポジションを確立する(彼らの思考の外部委託先となる)
以上3つが達成できればあとは何もしなくても世論は形成される。
これらの行為は普段からインターネット上で盛んに行なわれているためそれぞれが少しずつ意図する方向に向かうよう仕込むのが一番楽だろう。具体的にはその誘導に囚われることで何かしらの利益を他人に与える仕組みを考える。例えばある特定の意見に偏向したサイトを作ると儲かるとか特定の意見をSNS上で発信すると気持ちいいといった誘因を作ればいい。うまくいっているのが婚活とか恒心とか
まとめ
飽きた
最近も主に考え方などの違いで気分が悪くなるような争いがある。
状況的には
・その際、母と仲の良かった母兄弟と離婚について諍いなったようで、30年近く音信不通。
・数年前、母兄弟の住む地方で災害があり、それをきっかけに、うっすら連絡をやり取りするようになる。
・現地最終日、母兄弟と連れ合いは、方々のお礼や所用に車を出してくれて付き合ってくれた。親族でなくなった父の見舞いにも立ち寄り、お見舞金と共に、母兄弟が連れ合いに内緒でお金を渡してくれた。
・不満を訴える。
・それを諭すと「離婚後の大変な生活を知っているのか!私の兄弟がどんな人間か知らないくせに!話はここまで!」キレられた。
よく言うと思う。
母親は自分が望んで離婚したのだから、大変になっても仕方ない部分があるではないか。
事の始まりは、自分の決断からはじまったことで、誰かが強いたわけではない。
何も知らないくせに!と言うが、そちらこそ何も知らないだろう。
就活期間は両親がいる前提で話されるので、面接受けるたびに落ち込んだ。
小学生から大人になるまで行き来があり、親友に近い友人に、親が離婚したことを告げると連絡が来なくなり、非常に傷ついた。
雪の降る夜。高熱を出したため、車を出してくれるよう頼んだ父に無視をされ、往復30分程度の行程を1時間かけて歩き、薬を買いに行った。
この時は本当にやばくて、薬局から帰る途中、足に力が入らずひっくり返ってしまった。
しばらく、人も車も行き来のない歩道に転がって、静かに雪の降る空を見ていた。起き上がる力がなかったから。
何かあるたびに、報告はしたものの「しかたない。あきらめろ」としか言わなかった。
慰めの言葉さえかけてくれない。
この人は、子に対してはそんな態度をとるくせに、逆の立場になると、何でもかんでも文句を言ってくる。
自分は頑張ったのに!
苦労したのに!
と。
教育を与えられ、奨学金を使わずに済んだので、何の負債もなく社会に送り出してくれたことは感謝している。
父が倒れても自分がどうにかねばならず、誰かと分担することさえできない。
幸い、関係各社の責任者は、事情を知って同情もしてくれて、色々な事柄に猶予を作ってくれた。
父の住まいはタバコの匂いがきつく、とても宿泊には使用できないので、宿も取らねばならない。
その全ては、私が望んだことじゃない。
でも「相談できるかもしれない誰か」の存在は、いるだけで心強い。
年を経るごとに、父は丸くなり、自らの過去の態度を悔いるようになった。
父は、両親に素っ気なく扱われたこともあり、自分はもらい子だと思っていたようだ。
母兄弟がお見舞いに来た時、父は感極まって泣いていた。
「◯◯は立派だ。心配しなくてもいい」と慰めてくれたのだった。
それに引き換え、母は外に外にと怒りをぶつけるようになった。
私の子供の頃は、そんなことは一度もなかったと言うのに。
あの頃は大変だった。誰も助けてくれなかった!…と訴える。
でも、私も同じだ。
誰も助けてはくれなかった。困った時、あなたは何と言った?
しかたない。
諦めろ。
私にはそう言ったよ。
私には忍耐を強いてきたではないか。
母兄弟が本当のところ、私にどんな気持ちを抱いているかはわからない。
体面を気にする人たちなので、よく思っていなくても仕方がないと思っている。
ただ、子供の頃は本当に行き来が多く、母の兄弟姉妹の中では、一番親しく感じる人たちだった。いとこ兄弟とも年齢が近く、よく遊んでもらったものだった。
みんな色々なことで傷ついて、苦しんでいるんだよ。
でも、そう言う気分の悪さを乗り越えて、みんな繋がり続けているんだよ。
いざとなれば私に頼ればいい。
借金する人は大っ嫌いだと言ったね?
お金がない時は、シーツや枕カバーが破けても買い替えないで、必要なところにお金を回した。
私はどこまでも母兄弟に頼るつもりはないよ。
何とかできるはずだと気持ちを新たにする。
そうして、どうにかこうにかやろうとしている時に、何でこの人は、いつもこうなんだろう?
母には、母兄弟に似て、何を考えているかわからないと言われたことがある。
あなたみたいに、誰彼構わず牙を剥くほど私は考えなしではないし、人の痛みには敏感でいるつもりだ。
あなたは自分たちの離婚で、私が不利益を被っていたことなど知らないだろう。
相手ははっきりと言わないが、様々な場面で嫌な思いをしたし、それで結婚も諦めた部分もある。
私が受けた様々なことを知らないで、母兄弟を悪し様に罵るようなことを言われても、その真偽がわからない以上、私は、それに素直に頷くことはできない。
様々な人たちとの関わりの中で、私は自分の見たものを信じ、他人の語る悪評は言葉半分に受け止めることにしている。
それがもし、子供として薄情だと言うなら、私は薄情でもいい。
本当に疲れた。
けれど、私は大人になっていたし、母親のことを考えたら、それを反対するのは人間としてどうかとも考えたから、表向き賛成したのだ。
それなのに、今の旦那さんの頑固なところに辟易して悪口を言う。
私は、今の旦那さんは会ったことがないし、あんまりいいイメージを持っていない。
でも、この人は何を言ってるんだろうって思っていたよ。
完全な中年になった私は、自分が死んだ時、いかに処理をしてもらうか本気で考えている。
誰にも頼れないのだから、できる限りのことを考えて、やっておく必要がある。
もう疲れたよ。
美食やタバコ酒etcなんかは、まあ愚行権というか、それで不利益被る範囲は当人の健康とかだけど
令和はジェンダーギャップのない時代に。男女ともに本音で生きられる社会について考える
以下、本文から(太字は原文で太字の部分)
男性の育児参加とか、家事をやる・やらないみたいな話題って、よくあるじゃないですか。
でもそれはあくまでも表面的な話でしかなくて、本当は根っこの部分で「男性が女性に心を開いていない」状況が、問題の核心にある気がするんですよね。
というのは、もし本当に心を開いていたら、困っているパートナーをなんとかして助けようという気持ちが、もっと湧いてくると思うんです。
今回の座談会で「男もつらいんだよ」という声がひしひしと聞こえてきて、考えさせられました。
白岩
でも、それを全面に押し出すのはダメだと思うんですよ。
石戸
そのとおり。
白岩
女性の方がずっと抑圧されて大変な状況にいるのは事実で、それを差し置いて「男だって、つらい!」と声高にいうのはおかしい。ただ、互いのつらさに耳を傾けずに、男対女の戦いで傷つけ合って溝が深まっていってしまうのは、やっぱり悲しいじゃないですか。男だけ/女だけの問題としてではなく、たまたま違う性をもって生まれた同じ人間の問題として捉えて、ともに乗り越えていけたらいいんですけど
なめとんか
ホンマなめとんか
言うたろか 今日は言うたろか
何がジェンダーフリーだ。結局いつもの「男のせい。女は大変だから尽くせ」じゃねーか。
いい加減にしろよ。「女性のほうがずっと」じゃねーよ。「声高に言うのはおかしい」?それがジェンダーロールの押し付けでなくて何だ?
「男性が心を開いてない」?そりゃそうだろ。こんな風に「女が!女が!」って押し付けられる状況で誰が心を開ける?
はぁ?こいつの言うとおりだとすれば、男は心を開いても負担が増すだけじゃねーか。
まるで宗教じゃねーか。「信じればおのずから帰依する」みたいな。
実際には、女性への思いやりなんてのは男性が心を開いて正直になればなるほど失われていく。
タイトル通り、大学院進学希望者が、進学先を決める際にした方がよいこと、すべきことについて助言を書いた。
既に巷に溢れている記事ではあるが、様々なところで進学先の失敗談を聞いて、改めて書こうと思った。主に博士進学を考えているものを念頭に書いたが、修士で就職する人にも参考になるかもしれない。
当方は現在ポスドクで、大学院時代はそこそこ上手くやってきた方であるとは思っている。もちろん、相応の努力はしたが、それだけではない。上手くいった大部分は指導教員、ひいては研究室選びで良いスタートを切れたことによるのだが、修士課程に上がった当時は、右も左もわからず、たまたま見つけた研究室に進んだ。つまり、運が良かったのである。
今だからこそわかることもある。また、諸所で指導教員とのトラブルの話を聞いていると「それは下調べさえしていれば避けられていた・・・」と感じることが多い。
そこで、大学院、特に博士進学まで見据えて考えている人に、今自分が学部4年、あるいは修士2年次であればこうするであろうというTipsを述べたい。
当然、部分的には当たり前であったり、逆に分野によって文化の異なるところもあるかもしれない。なので、納得のいく箇所があれば適宜参考にしてもらえれば幸いだ。
・研究室を探す
まずは自身の関心のある分野の研究室を探さないと始まらない。研究室の探し方は人それぞれで、どうしてもその時々の巡り合わせに左右されてしまう。なので、ここでは私の経験を書く。
私の場合、学部の研究室のテーマからは変える予定であった。具体的ではないにせよ、方向性を決めたのは学部3年生の頃で、大学にその分野の研究室がなかったのだった。仕方がないので、その分野で有名と思しき研究室を調べ、いくつか候補とした。
候補となる研究室は、学部時代の指導教員に当該分野のある大学を聞いたり、学外の研究会に出席することで知った。また、見学に行った先の教員から教えてもらうこともあった。ようはとにかく、行動することだ。
ただ、私の場合は、結局最終的に行き着いたのは学部2年生の頃受講した講義で知った研究者だったので、この点は運がよかったとしか言いようがない。
学会などは、学部生が無料の場合もある。絶好の機会なので参加するとよい。学会にいけば、シンポジウムで当該分野で目立っている研究者の顔ぶれを知ることもできるし、ポスター発表会場で直に会って、実働隊として研究をしている大学院生やポスドクと会話することもできる。「知識もないのに聞いても迷惑ではないのか」と不安かもしれないが、心配はいらない。大部分の研究者は、意欲的な学部生が聞いてくれることを喜んでくれる。邪険に扱ってくる者がいれば、その人の問題なので、気にしなくてよい。
研究室の見学には必ずいった方よい。大学院説明会というのもあるが、可能であれば個別にアポを取って見学にいく方おすすめだ。そちらの方が平常運行の状態の研究室を見ることができるし、個人的な質問や相談ができるチャンスが多いからだ。
多くの研究者は研究室や大学のウェブページに自身のメールアドレスを公開している。そこからコンタクトを取ればよい。大抵の場合は、返信をくれる。メールを書く際には、件名に「研究室見学のお願い」と、要件を必ず書くこと。
メールの文章例を載せる。この例以外にも、「研究室見学 メール」などとググれば文例はいくらでも出てくるので、自身に合った書き方を真似つつ、丁寧かつ、要件が明快なメールを送ろう。
ポイントとしては
といったところだ。
例1
————————————————————————————
○○先生
hogehoge大学hoge学部hoge年の○○と申します。
私は大学院進学志望でhogehogeに興味があり,○○先生の研究室を見学したくメールをさせていただきました。
もしお時間があれば研究室を訪問させていただきたいのですがいかがでしょうか。ご連絡お持ちしております。
[ここに名前]
[ここにメールアドレス]
————————————————————————————
例2
————————————————————————————
○○ 先生
突然のご連絡失礼いたします。
hogehoge大学hoge学部hoge年の○○と申します。
○○先生の研究室を~~~~~~~~~~をきっかけに知り、是非見学させていただきたく、メールを差し上げました。
私は現在~~~[現在の状況]~~~~~で、進学先の進路を模索している最中にあります。
それを考えるにあたり、○○先生の現在のご関心や今後の展望について一度伺いたいと思うに至りました。
つきましては、入試などでお忙しい中大変恐縮ではありますが、2, 3月中に訪問の時間をいただけませんでしょうか。
[ここに名前]
————————————————————————————
修士学生ならともかく、学部生は教員にメールを送って見学にいくのは、(他大学だと特に) ハードルが高いかもしれない。しかし、繰り返しになるが、研究室見学には絶対にいくべきだ。相手に無駄な時間を取らせてしまうかもしれないと恐縮する気持ちもわかるが、大学院に進めばあなたは少なくとも2年、場合によっては5年かそれ以上の時間をそこで費やすのだから。
さて、首尾よく研究室見学に行けたとする。何を話し、聞くべきか。こちらから聞かずとも、概ね先方が紹介してくれると思うが、必須な項目を述べておきたい。
・目下の研究について聞く
研究室は大きくなればテーマが多様であることも多いし、先端の分野であるほど研究の流行り廃りは激しい。従って、未来の指導教員が今、現在、何に関心があるのかは率直に聞くべきだ。
とはいえ、下調べは忘れずにしておくの忘れないように。具体的には、見学にいく研究室の直近の論文には目を通しておこう。目安としては、最低5年分はざっと読んでおくとよい。全部理解できなくてもよい。むしろ、理解しきれなくても「面白い」と思えればそれを実際に会ったときにぶつければ会話が弾む。これを面倒に感じるなら、そもそもその研究室はあなたに合った場所なのか考え直すべきだ。
実際に会って話すときは、回りくどい言い方はしなくて構わない。ストレートに聞きたいことを聞けばよい。
「最近の論文、例えば去年のhogehogeに掲載された研究は○○についてでしたが、今後もそのテーマは継続されるのでしょうか?」
「今後5年間では、どのような題材を扱おうとお考えでしょうか?」
「まだ実現していなくとも、先生自身が今後着手したいテーマや注目している現象などがあればお聞かせください」
など。
この手の質問への回答が、あなたの琴線に触れるかどうかが一番大事だ。指導教員が自分と明後日の方向を向いている状態で博士課程を生きるのはかなりつらい。「乗るしかない、このビッグウェーブに!」と思えることがまず重要なのだ。
自分がその研究室に進んだとしたら、どういうことをやりたいのか、興味がどこにあるのかを伝えよう。相手もあなたが何者で、何をしたくて来ているのかわからない以上、何を話せば楽しんでくれるのか探り探りなのだ。博士課程に進むつもりなら、その旨も伝えた方がよい。
興味関心を伝えれば、何を話せばいいのかも明瞭になるし、場合によっては「それを扱うことができない」ときっぱり伝えてくれて時間を無駄にしなくて済むかもしれない。
そうであっても、場合によっては当該分野の研究者を紹介してくれる可能性もある。相手は業界人なのだ。頼りまくって構わない。私自身、それで別の研究室に見学に行かせてもらったことがある。
特にまだやりたいことが明確でない場合、そう伝えればよい。ただ「○○を面白いと思った」といった、どの辺りに関心を持って見学に来ているのかは伝えよう。テーマを決めかねているのを恥ずかしく思う必要はない。多くの教員は「一緒に考えていけばいい」「今日見せたものなら何が面白かった?」「実は君が面白いと言ってくれた○○は今後こうしようかと思っていて・・・」と話を広げてくれるだろう。
余談だが、実を言うと、具体的なテーマが決まっていない方が受け入れ側からすると「楽」な場合もある。なぜなら、学部や修士の学生が独力で思いつくテーマは大抵面白くないのが現実であるからだ。なので、「こういう方向に興味があるが、具体的にはまだわからない」くらいの方が楽しく議論しながら研究を具体化できるので、指導する側からすると気が楽であったりする。最悪なのは「絶対にこれをやりたい」と熱意にあふれているが、そのアイデアがつまらない学生だ。下手に折ると熱意が萎えてしまいかねないが、そのまま受け入れると研究のリソースの無駄になってしまう恐れがある。そのため、気を遣いながら方向修正していく必要があるからだ。
研究には設備が必要だ。自分のやりたいことがある程度決まっている場合、必要な設備も自ずと定まってくる。それが研究室にあるかどうかは、確認した方がよいに決まっている。マウスの研究室でショウジョウバエの研究をしたいと言っても苦笑いされるのが関の山だろう。
また、使いたい設備がわかると、そこから指導教員と会話が広がる可能性もある。どういう方法論に興味があるかがそれで伝わるためだ。
自分が使うかもしれない設備については、研究室の人数に対して適正な規模になっているのかを見ておくとよいかもしれない。例えば解剖スペースが学生数に対して小さすぎると、なかなか自分が使えないといった事態もありうるかもしれない。これは数年の生活では結構なストレスになるので、快適に仕事ができるかどうかは十分に見ておくとよい。
また、実験設備以外にも、共用の院生室などの充実具合も確認しておいた方がよい。
作業机は個人ごとにあるのか、共用であれば十分な広さであるか。私の知っているところだと、二人で一つの机を共用で、曜日ごとに融通し合わなければいけないところがある。キャンパスに通うモチベーションがガクッと下がるのは言うまでもない。
さらに驚くべきことに、ゼミの資料の印刷費が自費という研究室も存在する。学費を払って大学院に来て、さらに雑費まで払わされるのだ。
余談だが、私はコーヒーが好きなので、研究室に上等なコーヒーマシンが置いてあったのはかなりQOLを高めてくれた。
とにかく、見学した際に、自分がそこで生活するイメージが湧くか考えてみよう。
博士院生は金銭に頓着しない人間が多いが、生きていくだけの金銭が確保できるのかはよくよく検討した方がよい。金銭というのは、あまり多くても心理学的な幸福を増加させてくれないが、ないと一瞬で人を鬱にしてしまうのだ。
学振が取れればそれでいいが、問題は修士課程と、博士で学振取れなかった場合だ。
具体的には奨学金、RA (research assistant)、TA (teaching assistant)、学費免除の制度について尋ねよう。研究室によってはRAで学費が実質的にタダであったり、そもそも博士課程に学費がかからないところもある。
一方で、無償でTAをやらせたり、年々あれこれ理由をつけて学費をジリジリと上げている研究科も、私は知っている。
博士課程であれば、学生が非常勤講師をどうの程度しているのかを聞いてみるのもよいだろう。ツテがあれば、非常勤の枠を斡旋してもらえ、収入源となるだけでなく教育歴もつく。
また、日本学生支援機構の奨学金は通常ただの学生ローンであるが、大学院生かつ、一種 (利子なし) の場合、免除制度がある。その研究室ではどの程度通っているのか聞いてみるとよいだろう。
これらのことも、率直に聞けばよい。
のように。
興味がある教員の肩書きが「准教授」である場合、博士号の主査になれないことが多い。
その場合、通常は名目上、その研究科の別の教授に主査になってもらうことになる。その際に不利益が生じることがある。
例えば
真っ当な良心を持っている人には何を言っているのかわからねー部分もあると思うが、私にもわからない。とにかく、現実にあるのだ。
ただ、そのようなことがないかを確認するのは、入学前だと極めて困難であるのが実情だ。
少なくとも、そこの准教授の学生がきちんと学位取得まで学生を育てているのかはよくよく確認した方がよい。
これは博士で、特に学振DCを取る人向け。大学によっては研究費の執行システムがかなり厳格なことがある。研究費不正をなくすためという高邁な精神は清く、正しいのだが、その結果大部分の研究者にとってはただただ煩雑であることも少なくない。将来的にDCを狙う場合は、聞いておいて損はないだろう。
まぁ、「事務は研究者にsupportiveですか?」とか。学生が聞いてきたらちょっと気味が悪いかもしれないが。
研究室の雰囲気というのは面白いもので、実際に脚を運べば必ず漂っている。アクティブな研究室は活気に溢れているし、停滞している研究室には淀んだ空気が流れている。学生が働いている様子を見れば、自分がそこに加わりたいか、実感を持って考えることができるだろう。
気の利く教員なら向こうから、所属している大学院生を紹介してくれる。そうでなくとも見学に行った際には「所属している大学院生と話がしたい」という旨を伝えるとよい。よっぽど後ろめたいことがない限りは、快諾してくれるはずだ。
日本の刑事訴訟では無罪推定の原理が働く。その辺を歩いていて警察に突然連れてこられた全く事件に関係ない人間でも、被害者が確信的にこの人ですと連れてこられた人間でも、同じように裁判を受け、同じ権利を擁する。(尤も、逮捕の要件は厳格なので前者である場合は違法だが)
自分が突然お前は犯罪者だ裁判にかけるなどと言われたら理不尽が過ぎるだろう。言われもない罪でいきなり犯罪者扱いを受けるのだ。これは立派な人権侵害だ。
仮に、全くの関係ないところからではなく何かしらの事件現場の近くを通りかかっていて、それでいて何らかのの手違いで逮捕されたとする。そして裁判が行われた。裁判の時点ではこいつは罪を犯していない、それが前提となる。無罪ではなく、犯した罪を確定させるには証拠が必要だ。しかしその証拠というのも明らかなものでなくてはならない。この場合にお前は犯行直後の現場にいた、という証拠が出される。およそそれは事実である。だが近くにいたというだけで犯人扱いされたらたまったものではない。だから“たまたまそこにいただけではないか“,“呼び出しを受けたのではないか“,“本当に犯行の直後だったのか“など、その証拠に疑問があるのならその証拠は根拠としては弱いものになる。「疑わしきは被告人の利益に」、その証拠に疑問がないと言えなければ、被告人にとって有利に働かせなければならない。もちろんただ近くを歩いていただけで、犯行の目撃者がいるだとか証拠から指紋が採取されたなどの証拠もない。立証はできなかったので、そのまま無罪になる。何もしてないのだから当然といえば当然だ。
だが現場の近くにいた、その証拠だけで認められたらどうなるか。言われもない罪を与えられ不利益を受けることになる。何もしていない人間が罪を与えられる。それは刑事罰だけではない。ひとたび報道がなされれば私刑にも近い社会制裁だって加わる。世間はどうみるか。仕事は、生活は。これで後から無罪でしたなどと言われそう認められて、賠償等の形で補填がされたところで周囲の目や生活が元通りになるわけではないし失った時間は手に入らない。受けた評価は消せない。
そしてなにより、刑事訴訟、刑罰というのは公権力が個人に対して罰を与えるというものなのだ。何よりも慎重にならなければならないものである。公権力が際限なく個人を罰せられるようになることの恐ろしさは戦中をみれば分かるだろう。罪刑法定主義というのはここからくる。刑法というのは、もちろん国民がこういうことをしたら罰せられますよという罰の品書きであり、それにより犯罪を抑制する効果等もあるが、一方で国家公権力はここに書いてあること以外のことで国民個人を罰してはいけないという、公権力に対する抑止力としても働いている。
ここまでは何もしていないのに疑惑を投げかけられた人間を例にとってきたのだから、当然の話をしているようにも思われる。
だが、こうした手続きや前提の話はある程度容疑が固まっている相手でも同様なのだ。仮に自白していてもそれだけが証拠になることは無い。
また証拠があったところで刑法に書かれた罪名と要件が揃っていなければ不当な権利侵害に当たる。
条文にあるから必ずしもそうなるとは限らない。例えば窃盗罪の条文は「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし(10年以下の懲役又は50万以下の罰金に処する)」要は人のもの盗んだら罪になるよという話だ。では、他人の財物とは何か、窃取とはか何か、というのが条文の解釈の話になり、要件にあたる。
ここの条文の文言がどう要件に当たるのか、それは長年法学者や法律家が常に議論している問題である。おおよその基準は最高裁判所が判断した基準が用いられる。(最高裁じゃなくても下級審で決めた判断が使われることはままある)。
未遂罪なども行動のどこからが未遂なのか、学術議論は尽きない。その中で裁判では基本は裁判例が基準になる。
そして基準となるその要件、判断の中に該当しなければその罪には問えないのだ。窃盗でいえば物を盗んだからと言って必ずしも窃盗罪になるとは限らない。もちろん他の罪に該当することだって大いにある。
盗んだのなら窃盗でいいじゃないか、罪をやったと本人が認めているなら有罪でいいじゃないか。
これは違う。司法がアバウトな基準で判決を出したら、それは公権力による不当な権利侵害になってしまうのだ。世論がなんと言おうと、司法は国家権力である以上決められた裁量以上のことはできない。法律ではこうなっていてそのためにはこういったことが必要で、満たしていないけども被害者が可哀想だからお前は有罪だ。
あるいは、どう頑張っても今の法律、司法制度のもとでは無罪だから無罪にしたけど、世間がうるさいからやっぱり有罪にするね。
これは一番やってはいけないことだ。
この間、秋田県警が条例の条文上の“公共の場で“という文言に校内が当てはまらないとして立件を見送った。
立件とは裁判以前のことだ。裁判を起こしても無罪になってしまう恐れが高いのなら前述の通り裁判を起こすことにはデメリットが多い。
ここでずっと例として罪がないのに裁判がされたらという仮定を書いてきたが実際は相当の証拠がない限りは起訴はされない。勿論、今回のように全くのシロって場合は少ないだろうし、不起訴理由は証拠がないから以外にも有り得る。そういった件については課題でもある。
最近頻発する性犯罪被害とその裁判における無罪判定。これに怒りを覚える人々がいてもおかしくはない。犯罪が行われ被害者が精神肉体的苦痛等の不利益を受けていながら刑事罰がなされない。納得いかないのも当然だ。
ただ、裁判の中身もみず、裁判に関する前提を無視してに性犯罪が無罪=不当であるという短絡的な批判をしている人もいるのではないか。過度に感情的な批判もあるような気もする。過度な批判を見ると、性犯罪は全て有罪にしろ無罪判決は取り消せとでも言うような意見すら散見される。
様々な論点や批判はあって当然であり、知識がない人間が口を出すなという問題でもないだろう。
ここまで知ったような口で色々書いてきたが私自身法律を多少かじった程度に学んでいる人間だ。
だが、学者や専門家も論じているようなものを、経緯や前提をも知りえないで批判するのは論点や方向性が違ってきてしまうのではないか。
小林弁護士のツイッター発言が批判されているが、私は彼の発言内容を否定できない。
多分法的知識や前提を丸無視した感情論だけの批判を見ていれば嫌気もさすし、勉強もせず法について語られれば専門家からしたら悩ましいことだろう。
だが、過度な感情論から起こる一部の行動を目にして発したのが自身も感情に任せた言葉を選ばない表現だったのはよくないと思う。
生物学も化学も理解してない一般人が、1歩間違えば命に関わる民間療法を提示して、医師や医学知識あるものが科学的根拠をもってそれを制しようとするのを、これを認めないのはやぶ医者だ、医者にとっては知られたら医者が儲からないから止めてくるんだ、あいつは知識が遅れている、等の批判をしてきたらもう知ったことじゃないとも思うだろう。
だからと言ってじゃあせいぜい病気になってくださいねなんて嫌味を言うのは大人げのないことだろうし、死んでくださいなんて不謹慎なこと医者は言うべきではない。
弁護士だって法律知識があるからと言って、法を知らない人相手に上から目線になっていいわけではないだろう。
全てが全て無罪になることはなければ、全てが全て有罪になることも無い。また特定の犯罪にだけ忖度がかかっているということもないだろう。当然、処罰規定が甘いだとか、要件に疑問があるという声は上がるべきだ。しかし本気で考えていくならどうしてそういう規定になっているのか、どういう背景なのか等を調べるのは自然なことだと思う。
犯罪者に人権は要らないとかって真面目に言うならちゃんともたらす結果についてとか、何故憲法が保障してるのかとか調べるのも大切だと思う。
刑事罰が認められるのは他にも有責性と違法性が必要なんだけど今回は割愛。
あと刑事はそういう証拠を認めさせるのが厳格なものだから認められないことがあっても、民事では両者間のやりとりで事実が認められればいいだけなので勝てることはあること。
ここまで書いておいて色々間違ってたらごめんね
同性愛者として存在するだけでどれだけの時間を悩み、希死念慮に苛まされてきただろう
これが普通の片思いとなればピュアで可愛らしいと、奥手で一途な恋心と表されるだろう。
しかし高校時代からの友人に、ノンケの彼に、親友といえるような存在に私が恋を
してしまったとなればそれはピュアでも奥手でもなく呪いにしかならない。
6年間多くの時間を彼と共に過ごしてきた。
夏と冬には旅行に行き、彼が休みの日には県外に飛び出す事も多々あった
朝は眠いと目をこすりながら目的地に向かい、昼は美味しいと評判の店に飛び込む。
夜は互いに今日の感想を言い合いながら帰路につく、そんな幸せな時間を彼と共に過ごしてきた
何を食べて何が楽しかったか、あのときどう思ったか何を喋ったか、すべて記憶している。
私の中で彼はなくてはならない存在であった。依存だと思われるかもしれないがその通りだと思う。
彼が喋る事すべてが愛しかったし、彼の支えになれるような人生を送りたかった。
彼は優しい、途轍もなく。不器用で口は悪いし頑固者だけど自分をしっかり持って
いて尊敬できる人だ
そんな彼の大切な今を未来のない自分が奪っていいのだろうか?田舎において男二
人だけで遊ぶことは彼まで同性愛者のレッテルを貼られるということはここ数年で分かってしまった。
遊ぶ回数を減らせばいいと思い減らしてみたり等してみたが解決しそうにもない。
自分が異性愛者に恋をするのではなく同性愛者に恋をすべきだと努力をしたが徒労だった。私が好きなのは、愛していたは彼であり他の男に魅力を感じることなど無かったのだ。
なのでもう終わりにしようと思う。
これから先の人生、私が残せる物などは何もなく、彼と交流することは間違いなく
彼にとって不利益な物になる。
彼がどう思おうが周りがそれを許さないのだ。
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第22条(分離可能性)
本規約の規定の一部が法令に基づいて無効と判断されても、本規約の残りの規定及び一部が無効又は執行不能と判断された規定の残りの部分は、継続して完全に効力を有するものとし、無効とされる部分が必要最小限となるように読み替えて解釈するものとします。
この記事からもわかることだが、現代日本において「女性」というのはリスク要因だ。
なぜか。考えなくてもわかるだろ?
ちょっと扱いを間違えたら「セクハラ」「metoo」で社会的死が待ってるし、しかも地雷の位置すら定かじゃない。
何もしてなくても「女性差別」「悔い改めよ」ってボコられる。さらには「何もしてないことが罪」とまで言われる。
電車内では常に「痴漢」と指される恐怖に脅えてる。証拠もなしに連行されたり金取られたり、ムショに入れられ前科もつく。
趣味を楽しんでるだけなのにそれも「女性蔑視。規制しろ」、人気あるコンテンツを広告に使っても「不愉快だ、撤回しろ」。
代わりに何が得られる?言っちゃなんだが穴だけだ。
こういうこと言ったらまた「人間扱いしてない」って言われるんだろうけど、逆だよ。
「人間扱い」(ここでは性的に見ないことを指す)すればそれだけ上記のリスクのほうが際立つ。
友情だけなら女である必要なんかないんだよ。リスクにリターンがあってない。男同士には↑のリスクないもん。
で、こういう状態になんでなったかっていうとこれはもう、インガオホーとしか言いようがない。
自分たちの利益、リスク回避やお気持ちを考えて騒ぐのは大変結構なんだけど、男たちの不利益やリスクを考えなさ過ぎたんだよ。気持ちもね。
こういったらまた、「あって当然の権利で今までがおかしかった」っていうのかもしれない。
違うんだよ。ノーリスクで男性を葬れる権利なんかあって当然の訳がないんだよ。
あと、これも言うと思うから念のため書いとくね。「すべての女がそうじゃない」って。
でも君たち、「すべての男がそうじゃない」ってのを聞き入れなかっただろ?
http://lty.hatenablog.com/entry/2018/09/23/083000
こういうブログが書かれたんよ。
ここで批判されてるのと同じ人な。
要約すると、
「表現規制派は『エロはダメ』『キモいものは迫害していい』『俺/私が不愉快だから規制しろ』とは言ってない。もっと深いことを言ってる」
こういうことらしい。
本文読んだ?
バカだろ。同じじゃん、言ってること。長くしてるだけ。
メンドクサイけど、阿呆がなんか言ったつもりになるのも癪だから一応潰しとくね。
・「暴力としての性的表現が作中で肯定的に描かれていたり、被害者側がそれを受け入れていたりする表現は、現実社会(読者、視聴者の現実認識)に悪影響を及ぼす」
証明してくれ。
・「ゆえに暴力性や加害性を含んだ性的表現は慎重に扱う必要があり、少なくともそれが肯定的に描かれているものはゾーニング/レーティングすべきだ」
あとゾーニングもレーティングも、真綿で首を締めるような表現規制だからな。
理由は?君の不快感?もし違うというなら説明アンド証明してくれ。
・「人または擬人として描かれたキャラクターが、人間性や尊厳を欠いた性的オブジェクトや加虐オブジェクトとして描写されていると気持ち悪くなる/不愉快だ」
誰も不愉快にならな表現などないし、誰もオブジェクトとして描写しない表現もないぞ?
要は君の好みだろ。
・ 「特に自分が含まれる属性(性別等)がそのように扱われる作品について、それが社会全体に受け入れられているのは不安だ/恐怖を感じる」
その恐怖が他人の表現の自由に優越し、人権を奪えるに足るものだとする根拠は?
「○○のための場所じゃない」「不必要なまでに○○だ」の基準は何?
君の好みの問題だろ。
そして君のその不快感が他人の表現の自由に優越し、人権を奪えるに足るものだとする根拠は?
そのお気持ちが他人の表現の自由に優越し、人権を奪えるに足るものだとする根拠は?
やなこった。
なんで当たり屋に配慮しなきゃならんの?君らは他人に配慮してるの?
取り急ぎ、自分の好きな表現を「規制しろ」「隠せ」と言われて傷ついてる俺らに配慮してくれ。
当然できるんだよな?
あー、めんどくさ。
結局、「エロはダメ」「キモイから迫害する(隠せ)」しかいってねーじゃん。
なんの根拠も証明もない。ただ己の不快感だけを相手に押し付けて人権奪おうとしてるだけじゃん。
これ、なんか反論になってんのか?
その途中の説明や議論を直視せずすっ飛ばしてるのはどっちだよ。
少なくとも、Twitterで一部のオタクからフェミニストとして認識されてるような人ら(フェミを自称してる人は僅か)は、そこんとこちゃんと何度も説明してるよ。
理由なし、根拠なし、人権意識なし、相手への敬意なし、聞き入れるメリット無し。おまけに筋も通らぬダブスタ三昧。
次なんか言ってくる前に、もう一回以下の3点を考えろ。3点だけだ。簡単だろ?
・もし感情だとするなら、それが他人の人権に優越するに足る理由があるのか?根拠があるのか?
男が楽になってるわけじゃない、と感じる理由には以下のものがあるのではないか、と愚察いたします。
要するに超資本主義の過激な進展における労働者の悲しみと、特権だと思ってたものが誰かの不利益に基づいたアンフェアなものだと強制的に気づかされたタイミングが同じだってのが、現代の男性が置かれた不幸だとは思う。
書かなきゃいけない気がしたので書く。
1年目 入学
2年目 留年確定
3年目
4年目 休学(1年間)
5年目 復学
6年目
7年目 卒業
9年目 就職
今 生きてる
周囲がウェイウェイガヤガヤしている中で自分が孤立しているのは確かに辛い。
だが周囲をもっと注意深く見回してみろ。孤立してる奴はお前だけじゃないはずだ。必ずいる。お前が孤立しているように俺も孤立していた。ぼっちは遍在する。お前はぼっちかもしれないが、一人ではない。
だから何だと思うかもしれないが、「一人ではない」ということは「同じような悩みを抱えた奴も一人どころではない」ということだ。それはつまり「相談窓口がある」ということだ。
構内のビラ、掲示板、大学のウェブサイト…注意深く見てみろ。「相談室」「保健センター」「保健室」そういう類のワードだ。大抵の大学にはこういうサポートが存在する。
この手の窓口はまず間違いなく無料だ。たっぷり時間をかけてカウンセラーと話せ。気後れするかもしれないが、安くない学費を払ってるのだからそれくらいやってもらわないと困る。主に俺のような奴が。
ところで、カウンセリングは全てを解決しない。だがカウンセリングを、他者との会話を通じて見えてくるものはある。例えば「自分が何を辛いと思うのか」だ。漠然と「辛い」と思うより具体的に「◎◎が辛い」と掘り下げた方が対処しやすい。
例えば「ぼっちなのが辛い」にもいろいろあって、「ぼっちであることで不利益を被るのが辛い」と「ぼっちであること自体が辛い」とではそこそこ違いがある。
前者を更に掘り下げると「休んだ回のノートを借りられない」とか「試験の情報共有ができない」とかだ。ここまで具体的な事象に落とし込めばぐっと対策が立てやすくなる。例えば「教員に参考文献を聞いて自学自習する」「オフィスアワーに教員に直接聞きに行く」「ネットの掲示板やTwitterで検索する(大規模な大学・学部であれば有効)」などだ。教員は友人ではないが、基本的に味方だ。
後者の場合は少々厄介だが、手がないわけではない。人間は本質的に孤独だが、他者との交流を持つことで孤独感を和らげる生き物だ。ならば他者との接点を増やして交流への足掛かりを築こう。
大学2年生であれば他者との接点は「講義」「アルバイト」「ゼミ・研究室(3年次からが多い)」「サークル」「SNS」「学外のコミュニティ」が主軸になるだろう。前2つについては申し訳ないがアドバイスできることが殆どない。何故なら奏功しなかったからだ。これは俺の限界でもあるが、自分の限界を認識しその範疇でできることをやることも大切だ(自己弁護)。
ゼミ・研究室についてだが、増田が今2年生ということは学部・専攻によってはゼミや研究室の話が出てくる頃合いだと思う。少人数ゆえに距離は近いが、同期や先輩との相性に加えて指導教員との相性もあるので、合わない人は合わない。中には一生ものの友人と出会う人もいるが、合わなければさっさと割り切っていくしかない。自分は後者だった。あっ、これも奏功してないな?
サークルについてだが、それなりの規模の総合大学であれば「サークルリセマラ」が利く。都市部であればインカレサークルもありだろう。なんとなく興味を持ったサークルにふらっと寄って、なんとなく雰囲気が合うなとか、話しやすい人が多いなとか思ったら残り、そうでなければフェードアウトする。新参が一人来なくなったところで誰も気にかけないので、こちらも気にしないことだ。コミュニケーション能力を高めるより、自分のコミュニケーション能力でも溶け込めるサークルを探した方が話が早い。相性もある。あとは試行回数。
自分語りで恐縮だが、俺が大学生活で最も長く在籍したサークルは2年生になってから入ったところだった。集まることは集まるが、互いにさほど深入りしすぎず、孤独とゆるく付き合っているような人が多かったのが俺には合ってたのかもしれない。休学中もサークルには時折立ち寄るなど、サークルの存在は立ち直る上で非常に大きかった。
何が言いたいかというと、一つで十分なのだ。何か一つ自分の居場所を確保するだけでかなり違うということだ。俺は講義でもゼミでも孤立していて、教室の前まで来たのにどうしても入れずにそのまま帰ったり、アルバイト募集に電話をかけられず断念したり、そういう学生生活を送ってきたわけだが、サークルの片隅に居場所ができたおかげでなんとか致命傷で済んだ。
しかし、例えば増田が地方の単科大学に在学中だとしたらサークルリセマラはちょっと難易度が上がる。学生数が少ないとサークルの数も少ないからだ。そこで「SNS」「学外コミュニティ」も有力な接点となってくる。今はインターネットで同好の士を探しやすい。自分の学生時代はmixi全盛期でクローズドなコミュニティが多く辛かったが、今主流のTwitterはとてもオープンだ。何より大学の外の人たちは自分の視野を大きく広げてくれる。視野とはつまり「なんとかなる」という感覚だ。
大学というある種閉じた場所で孤独と向き合うばかりだと、周囲とのギャップで自分がひたすら惨めに思えてくるものだ。だが世の中には孤独とうまいこと付き合いながらそれなりに楽しくやってる人たちが実は沢山いる。サークルやSNSや学外コミュニティでそういう人たちと出会うことで孤独に耐え得る価値観を知ること、そして「孤独でも案外なんとかなるんだ」という感覚を知ること、それがつまり「視野の広がり」なのだと俺は思っている。価値観は柱だ。柱は多い方が頑丈なのだ。
これは鬱の初期症状の可能性があるので早めにカウンセリングや心療内科の受診が望ましい。上述した通りまずは学内カウンセラーに相談の上で受診を検討した方がよいだろう。
休学についてだが、積極的にはおすすめしない。休学は基本的に「問題の一時的な凍結」でしかないからだ。それでも心身が休養を要するのであれば一つの選択肢になり得る。ただし、カウンセラーや医師や家族と相談して慎重に決めるべきだと思う。例えぼっちでも学業面に問題がないのであれば休学しないに越したことはない。
俺が休学を決断したのは自宅から出られず引きこもる日が増えた頃だった。学業や生活に支障をきたすようになったら一つの目安かもしれない。だがいずれにせよ、自分一人で決めるべきではないというのは間違いないだろう。
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いまいちまとまっておらず乱文乱筆で申し訳ない。一連の話はあくまで自分の生存バイアスを通したものでしかないのも重々承知している。人にはそれぞれの地獄がある。ある人にとっては何てことなくこなせることでもまたある人にとっては地獄の苦しみだったりする。
だからここに書いたことが全てお前のためになるかは分からないし、保証もできない。何故なら俺はお前ではないし、お前も俺ではないからだ。
でも、これはいくつかの意味でおかしいと思う。この記事は、多くの人がワクチンを摂取するべきであり、そうしないのは不道徳である、という考えに基づいて書かれている。だが、私にはそれが自明の前提とはどうしても思えない。
そもそも、自分の身体に何を入れ、何を入れないか、決めてよいのは自分だけだ。自分の身体は自分だけのもの。当たり前だろう。これが身体にペニスを挿入してよいかという問題であれば、ほとんどの人がそれを決める権利は自分にしかないと答えるはずなのに、どうして同じ理屈がワクチンでは通用しないのか。
公益のために注射針を刺して弱毒化された抗原を身体に入れろ、なんて、他人に強制してよいこととはどうしても思えない。毒であることが問題なのではない。私はそれがほとんど無害であり極めて低い確率でしか副作用は起こらずおおむね安全であることを知っている。そうではなくて、自分の身体に何を入れるかを他人に指図されるべきではないということだ。
今回はワクチンにすぎないかもしれない。でも、次が行動監視用ナノマシンだったら? 治安の良さは公益だ、やましいところがなければ入れられるはずだ、公益のためのナノマシン接種拒否は不道徳だ。そう言われたらどうする?
自分の身体に何を入れるかを決めてよいのは当人あるいはその親権者だけだ。それを他人に強いるのは不道徳である(もちろん、説得はしてよい。ワクチンの安全性を説き、公衆衛生の重要さを熱弁するのは自由であろう。相手の自由を損なわない範囲においてだが)。
(この立場は、アメリカの反ワクチン運動を紹介しているWIREDの記事でも紹介されていた。私はニセ科学に傾倒した反ワクチンはばっかじゃねーのと思うが、「政府は自分たちの子どもの体内に入るものを強制すべきではない」という主義主張は自由主義者として大いに頷ける)
それでも、そのような自由は公益のために制限されてもよい、という主張もあり得るだろう。では、ジョセフ・ヒース氏の住んでいる国ではどうだか知らないが、我々が住んでいる日本という国においてその理路は成り立つだろうか?
自由を制限し、義務化するのなら、当然その負担は最低限にまで低減されなければならない。だが現実にはどうか。インフルエンザワクチンの接種は自由診療であり、無料でないばかりか保険すら利かない。風疹ワクチンの未接種が話題になったが、ある世代の男性に限っては無料になったとはいえ、多くの人にとってそれは保険外診療として打つものである。
公益のために義務で打てというなら、その負担は最低限のものであるべきだ。高い診療費を払ってわざわざ病院の診療時間に打ちに行く手間とカネを惜しんでいったい何が悪いのか。保険診療にすらなっていない現状で接種は道徳的義務なんてちゃんちゃらおかしい。
公益のために自由を踏み躙るなら、当然それによって被る不利益は最低限度であるべきだろう。高い代償を払ってこれこれのことをしろ、そうしなければお前は反社会的な行動をしていることになるのだ、道徳をわきまえた市民ならばこのくらいの代償は払えるはずだ、などと恫喝してくる国家や社会は、正直かなり胡散臭い。
それでも、ワクチン接種費用程度ならたいした実害はないじゃないか、という反論があるかもしれない。なるほど、もしもあなたが貧困層でなければ、確かにちょっと痛い出費程度で済むだろう。だが、問題はその「義務」はどこまで拡大されるのかということだ。今あなたが遵うべきだと言っているその「公益のための義務」が、いつの間にか「兵役」になっていなければよいのだが。
そして我々が住むこの日本国は、経済的自由主義の名の下に医療費を着々と削っている。小泉純一郎以来この国の福祉は自由主義の旗の下で掘り崩され、削られてきた。このような状況で「道徳的な義務」などというものが持ち出されることには警戒した方がよい。国家が市民の生活に対して負う義務を年々縮小しながら、市民に対して「公益」を根拠に負担を迫ってくる。冗談ではない。なぜもらえるかどうかわからない年金を払い続ける人びとが、そんな「公益」とやらを慮って差し上げねばならないのか?
経済的自由主義で公的サービスを縮小するのなら、民間の自由も拡大させなければ筋が通るまい。もちろんそこにはワクチンを接種しない自由も含まれる。逆に民間の自由にある程度制限を加えようとするならば、失われた自由に見合うだけの大きな政府を実現してもらわねば困る。
感染症にかかった人間が不用意に出歩いてウイルスが拡散され、流行が広がってしまう。なるほど悲劇だ。だがそういう悲劇が起こる度に、公衆衛生を錦の御旗のごとく掲げる人びとは、大元の罹患者に向かってバイオテロだのと心ない言葉を浴びせかける。彼もしくは彼女もまた、病気の犠牲者であることを忘れ去って。
たとえば敵国の社会を壊滅させることを狙ってウイルスや炭疽菌を散布するような意図を持ったテロリストは、道徳的な非難の対象となって当然だろう。だが、不幸にも病気にかかってしまった状態で不用意に歩き回ったという、ちょっと迂闊だった程度の人が、患者が、そこまで非難の対象とされるのは絶対に間違っていると考える。それは犠牲者非難とかいうやつじゃないのか。犠牲者非難を許してはいけない。
病気は人間の意志を超えたところに存在し、運やら体質やらの本人にはどうしようもない状況に付け込んで罹患させる。そのような感染症の患者を、運悪く感染し不用意な行動を取ってしまったという理由で、バイオテロだの加害者だのと責めるのは道徳的に間違っている。そして、道徳的に間違っている主張をしている人間の言うことに従わない人間がいることは当然である。
少なくとも私は、このような言説を振りまく一部の反・反ワクチン派の醜態を見て、風疹ワクチンは絶対に打たないと心に決めた。政策の失敗によってワクチン接種の機会を失っただけの、なんの責任もない特定世代の人びとを加害者呼ばわりする連中に腹が立ったからだ。風疹の流行をめぐって吹き荒れた犠牲者非難の言説は本当に醜悪だった。あれを見てしまった以上、風疹ワクチン接種に加担することはできない。
以上、反ワクチンが必ずしも道徳的に間違っているとはいえず、むしろワクチン接種の強制こそが道義に反していることを示した。自由主義者として、そして犠牲者非難を憎む者として、私は反ワクチン主義にも聞くべき理があると主張する。なるほど彼らは科学的にデタラメなことを信じ込んでいるのかもしれない。だがそれは、彼らにワクチン接種を強要する側の道義的な正しさを裏付けるものではないのだ。むしろその強要こそが、反ワクチン論者に三分の理を与えているのである。
あっ反知性主義者だ
こういうトラバが速攻でつくわけだろ? こういう言説を(たとえ自分宛てのものじゃなくても)見る度に、絶対にワクチンは打たないぞという決意を固めるよね。
権利と他の権利は常に対立するもので100%の正義は存在しないところではあるが、我々は武装する権利や他者を傷つける権利を行使することはできない。
他人を傷つける権利を行使できないというなら、身体に注射針を刺すことを強要することはできないという結論になるはずでは。医者の行為も傷害罪の構成要件に該当することはご存知ですよね? 正当業務行為だから違法性が阻却されるだけで。そして医者にかかる患者は医療を受けることに同意しているわけですが、ワクチン接種を拒否する人たちの身体にワクチンを打つことを強要しようとしたら当然彼ら彼女らの身体への侵害となります。他人を傷つける権利を行使してはいけないというならまずワクチン接種の強要をやめるべきでしょう。
そもそも感染症を他者にうつしてしまうことは基本的に他者への加害ではないわけで。それを加害と呼ぶのなら人より感染症への抵抗力が弱く生まれついた人間としては全力で抵抗せざるを得ないですね。そのような言説を振りまく人間の言うことに従わないという消極的抵抗を今後も続けていきたいと思います。基本的にめんどくさがりなのでデモとかも意義は認めるものの参加したことはないのですが、これはコストのかからない良い抵抗方法だと思うので加害者呼ばわりバイオテロ呼ばわりに憤る人たちにオススメです。
現代社会の差別なんてのは昔の白人社会とかがあまりにも非人道的なことやってたから腫れ物扱い化されている文化を『差別』と呼んでるだけで、
結局そんな言葉遊びしたところで人間なんてあらゆる要素で差をつけられて排除されるなんて当たり前なんだよな。
例えば新卒採用時の適性試験なんてめちゃくちゃ学習障害フィルター化してるから今その手の障害持って生きてる人にとってはこの上ない迫害で差別だと思うし、
ブサイクな人間はあらゆる人間から薄く広く差別されてるからモテないわけで、
大体の人はいろんな差別の恩恵も不利益も両方享受しながら生きてると思う。
無能を解雇できない日本式の経営が世界的には馬鹿にされてるけど、
無能とわかった時点であらゆる企業が無能を即解雇しまくるアメリカ文化の話を外資のお偉いさんから聞いてて俺思ったもんだわ。
「あ、人種差別にはこれだけ厳しいアメリカ社会でも無能にはこれだけ直接的に差別迫害しまくるんだ、よかったアメリカ人の無能に生まれなくて」って。
エマ・ワトソンの「性差別はいけません。男性も男性らしさの束縛から開放されましょう」みたいな尤もらしい演説聞いてて思ったもんだわ。
「あんた男らしさの象徴みたいなハンサムとばっか恋愛しててよくそんなこと口にできるな」って。
差別されて苦しいのなんて、有能な黒人でも無能な白人でもハンサムじゃない男でも同じだろうに。
俺はLGBTの人や黒人が理不尽に社会から排除されるような社会はあってはならないと思う。
でも自分はどんなに内面がよくても顔面偏差値30の人間とは恋愛しないし、
適性試験で学習障害として検知されるような人間と一緒に働くのは正直イヤだ。
ただポリコレの人たちが自分を「私は差別しない人間です」なんて自分のことを清廉潔白に思ってると思うとどうにも気持ち悪くてたまらない。
また男性の不利益で戦わない、ある意味で女々しい男性をバカにしてる人が何か言っているけど
男性社会に適応できずにいじめられた人間どっちにしろ男性のホモソーシャルなんて苦手で、
右翼だろうが左翼だろうが仕事以外ですら上限関係で他人を従わせるくらいなら仕事で食い扶持だけもらって孤独に生きたいと思う。
もしもそういう場面が起きたときに「令和にもなって何を言ってるん?」と言うだけでよいセリフ集にする。
キレたいだけとも言う。
理系を目指すとなったときに親に反対されるという不可解な現象もさることながら、理系かつ女性であることをやけに取り上げんのやめろ。
お前の「リケジョゾウ」というのは100歩譲って理解できたけどいや理解できないわ。
突然断定されても日本語でお願いします、会話してくださいとしか言えないです。
お前はあれか?文系男子?ってやつ?なの?それは何?大学ではどういった研究をされていらっしゃったの?どういった論文を書いたの?その研究するに至った動機は?
まずそれ聞かないと「お前の個人的なブケダンゾウ」がわからないから「お前の個人的なリケジョゾウ」の理解が深まらない。
パーティに、操作確認中で謎の動きするようなプレイヤー(赤ちゃん)入ってきたのに
カバーしようとしないって何?
お前何しにきたん?
「僕は順応する能力ゼロのヤバ人間です」って言ってるってこと?
なんで「変わった妻」が他人事なん?
お前はどうするん?
とりあえず結婚しておかないと自分の作り出した世間の目に耐えられなかったん?
人と人とがコミュニケーションをするときに、お前を喜ばせるために作られた作品を持ち出さないでくれ。
目を見て気持ちを伝え、相手の言うことに耳を傾け、道を確認しながら前に進んでくれ。
人間はウンコするし風邪もひくし肌荒れにもなるのだ想像に難くないはずだお前も人間なんだから。
汚れた手を相手の皮膚で拭くな。汚い。
ティッシュ箱を腹の上に置くな。冷たい。
そんなところに手を置いて内臓が潰れたり骨が折れてもいいのか?
お礼に口移しで飲ませてあげようとしたら全力で逃げたよな???
…互いに情報交換をしよう。
「(自分が巨乳が優れているという宗教に入っているため貧乳の女性はみな劣等感を抱いていなければならない。だが、自分は素晴らしい人格の持ち主なのでお前が人より劣っていても構わない。だから)貧乳でもいいよ。」
自分の国に帰って。
「(自分が巨乳が優れているという宗教に入っているため巨乳であるお前は絶対に得をしており、不利益を被っていることは認められないので)巨乳羨ましい。」
自分が巨乳になったら何をしたいかの話から始めるといいのでは。
そうだったとしてそれが何?
そうだったとしてそれが何?