はてなキーワード: 初等教育とは
大学受験一発逆転組。
初等教育、中等教育で常に一定の成績を取り続けることが出来なかった人を排除する仕組みが必要。
日本ではなぜか一発ペーパーテストを過度に尊重し、日頃の成績を軽視するどころか馬鹿にする風潮まである。ちなみにペーパーテストを無意味だと言っているのではない。アイビーリーグの学部生たちもペーパーテストは受験する。
大学受験一発逆転組が大学で全く勉強に打ち込まないことは大学職員や教員の間では既に知れ渡っている。
世の中には「小中高と全く優れた成績を取らず、大学受験期のみ猛勉強して大学に進学し、大学進学後も講義には全く出席せずに学外活動に力を入れてきた」という経歴を辿った上で実社会で活躍する者は多くいるが、彼らが活躍するフィールドは起業やビジネス、芸能界においてであり、ならば大学に進学させる必要はない。時間は有限なのだから大学で彼らの言う無駄な時間など過ごさせずとっととビジネスや芸能の世界に進ませれば良い。学術分野においてはそのような人物は少ない。もちろんゼロではないが。
G7において日本の大学の論文引用数は最下位である。ドイツやフランスにおいて「(日本の)小中高(に相当する教育機関)と全く優れた成績を取らず」という人間はその時点で高等教育から排除されている。
よく「推薦入試や内部進学組は勉強ができない」ということが言われるが、これは全くの間違いである。だいたいこういうことを言い出すのは大学教育に全く関わったことのない人間だ。慶應義塾大学を例に出す場合、文理、学部に限定されず成績、学力の最底辺は内部進学組であるが頂点も内部進学組である。学部からの外部生はその間に分布しており、どちらかと言えば最底辺の内部進学組に近い。
うちの高校は普通科しか無かったし(今は国際情報とかあるんだったかなあ。しらん)
大学も文系学部のみだったんで授業の選択の幅全然無かった。経済みたいな理系文系の学科も無いから授業も無い(初等教育が算数の授業やってる程度じゃないかな)
まあ流石に語学は色々選択出来たから面白かったけど、ラテン語とか取る勇気無かったし
そもそも入ってから「国文じゃなかった。社学の方が良かった」って思った。社学の授業受けたら明らかにこっちが面白いと思った
かと言って学部変わる程の熱意も無かった
基本やる気も無かったのでゼミは近現代という体たらく。これが漢文や中古とかだったらまだ格好つくけど
近現代の作家で卒論書いて大学出て後の人生の何の役に立つというのか
ご指摘には一理あると思いました。確かに、文化的な背景や他のカリキュラム量などから他国の教育を同様に取り入れることは難しいでしょう。
一方、初等教育であえて情緒的な作文技法に誘導する必要があるのでしょうか。いくら文化的に相性が悪い可能性があるとは言えいずれはロジカルな作文が求められる彼らに対して、他国よりもレベルは落とすにしても初等教育の段階でその素地を作る必要があると思います。
勘違いしないで欲しいが、ロジカルライティングやその教育が不要だと言いたいわけではない。
むしろよく使う業界なので、教育できるならやってもらった方が良いと考えている。だが、
(1)言語は文化と密接に関わっているため、他国の教育がそのまま適用できるとは限らない
(2)日本語で必須となる漢字教育などカリキュラム量に大きな差がある
(3)その中での「初等教育の一例」を理由として、文章力の低下の原因とするのは無理がある
と言いたいんだ。そういう帰結をするのなら、小さい頃からロジカルライティングをやっているはずのアメリカで
https://anond.hatelabo.jp/20230712112116
この「完全にお局様と化してつらい」って話で思い出した事がある。
はてブで『管理職でも無いのに部員の進捗管理したり仕切ったりするな。』っていう、例によって、はてブらしい優しくも厳しすぎるコメントに星が大量についていたが、これについてだ。
話はこうだ。うちの娘はアメリカで小学校に通っている。幼子の頃からいるのでコミュニケーションの問題等はないのだが、娘からすると教室でちょくちょく他の生徒がうるさ過ぎると感じるらしい。(はっきり言って娘だってめちゃくちゃうるさい方なのだが)
それほど時には凄い騒ぎになるようだ。それが気になるらしく娘は皆に先生の話を聞こうなどと注意していたらしい。
これを聞いて皆さんはどう思いますかね?創作に良く出てくる委員長タイプの人間なんだなとか思う人も居るかもしれないが、基本的には娘は「良い子」だねって事になると思う。
ところが娘はこれを先生に怒られたそうなのである。曰く、「子どもを注意するのは先生の仕事なので、あなたはやってはいけない」ということであった。
これを聞いて俺はすごく教えられたと思いましてね。まだ大学を出たばかりのような若い先生だったけど、ここまでビシッと言えるのは凄いと思った。そんな騒がしくなるくらいなので、先生もあまりやる気がないのかと思っていたんだけど線引きが違っただけのようだった。
それ以来、俺も同僚や職場のことには意識して世話を焼きすぎないようにしている。皆で助け合うことは良いことだけど、職場やあるいは教育現場の中にはまず第一に根底に契約や役割がある。
なので先のブコメに今は同意なんだけど、俺のようになかなかそこから抜けれないことは多いと思う。それは元を正せば、一般的な日本の教育現場の中では色々な責任が曖昧になっているから。
日本の初等教育、中等教育は素晴らしいんだが、その辺りの責任関係の曖昧さは先生の過剰負担とかにも繋がってくる課題だと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230712112116
この「完全にお局様と化してつらい」って話で思い出した事がある。
はてブで『管理職でも無いのに部員の進捗管理したり仕切ったりするな。』っていう、例によって、はてブらしい優しくも厳しすぎるコメントに星が大量についていたが、これについてだ。
話はこうだ。うちの娘はアメリカで小学校に通っている。幼子の頃からいるのでコミュニケーションの問題等はないのだが、娘からすると教室でちょくちょく他の生徒がうるさ過ぎると感じるらしい。(はっきり言って娘だってめちゃくちゃうるさい方なのだが)
それほど時には凄い騒ぎになるようだ。それが気になるらしく娘は皆に先生の話を聞こうなどと注意していたらしい。
これを聞いて皆さんはどう思いますかね?創作に良く出てくる委員長タイプの人間なんだなとか思う人も居るかもしれないが、基本的には娘は「良い子」だねって事になると思う。
ところが娘はこれを先生に怒られたそうなのである。曰く、「子どもを注意するのは先生の仕事なので、あなたはやってはいけない」ということであった。
これを聞いて俺はすごく教えられたと思いましてね。まだ大学を出たばかりのような若い先生だったけど、ここまでビシッと言えるのは凄いと思った。そんな騒がしくなるくらいなので、先生もあまりやる気がないのかと思っていたんだけど線引きが違っただけの違ったようだった。
それ以来、同僚や職場のことには意識して世話を焼きすぎないようにしている。皆で助け合うことは良いことだけど、職場やあるいは教育現場の中にはまず第一に根底に契約や役割がある。
なので先のブコメに今は同意なんだけど、俺のようになかなかそこから抜けれないことは多いと思う。それは元を正せば、一般的な日本の教育現場の中では色々な責任が曖昧になっているから。
日本の初等教育、中等教育は素晴らしいんだが、その辺りの責任関係の曖昧さは先生の過剰負担とかにも繋がってくる課題だと思う。
モラトリアム期間に慣れ親しんだオタクコンテンツから離れて早10年。久々に時間ができたので話題の「ぼっち・ざ・ろっく!」を見ました。
驚きました。面白い。
ストーリーやギャグの魅せ方が上手い。作画もクオリティが高くて、何より音楽が良い!これが現代アニメか……(「Hot knows...」 や「私の恋はメガラバ」みたいな二次創作が見当たらないところにも時代を感じました)。もちろん手放しで礼賛できるコンテンツなどこの世にはなく、作品独特の違和感・矛盾は存在します。それらのほとんどは「脱臭」の一言に集約され、きらら系コンテンツの宿命か、すでに論考がいくつも転がっていたので論をそれらに譲るとして、私がここで語りたいのは曲中歌の歌詞。メロディーラインや編曲のクオリティの高さはリョウ先輩が天才だからで済みますが、ぼっちちゃんが悩んだ末の自分らしさにしては歌詞の踏み込みが足りない。経験に裏付けされたリアリティがない。フレーズがふわっとしていて、今の流行りにおもねったファッションみを感じる。真のぼっちは、ロックは、孤独は、そんなものではないはず。
久々に孤独に浸りたくなったおじさんが、酒に酔った勢いで自分の好きなぼっちな曲を残します。おじさんは自分語りが宿命なので仕方ないね。なぜ全てボカロ曲か? 10年前の孤独なオタクは友達がいないのでロックを知る機会がなく、ボカロしか聴かないんです(偏見)。
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/25096.html
作詞:nyanyannyaさん
ぼっちちゃんがぼっちをこじらせてリスカしだしたら書きそう度:★★★★
さっそくロックではない曲から紹介。ほぼ同名の梨本Pの曲とは別です。どっちも知らない? 10年前寝てました? ぼっちは精神が崩れるし、不健全なオタクなので、自分の気に入った自傷フレーズをメモして歌詞に並べてしまいます(偏見)。厨二病感あふれる歌詞の中で最高に孤独を感じる一節が
『生まれる以外何か悪いことした?』
彼女(彼)は自分なりに他人に迷惑をかけないように人生をかけて頑張って、努力して、その終点がこれだったのでしょう。作者の生き様が透けて見えるところがお気に入りです。「善いことをしてきたはず」というエゴが、最高に孤独ですね。
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/25140.html
作詞:Neruさん
作者のNeruさんは「ロストワンの慟哭」や「脱法ロック」が有名なのでみなさんご存知ですよね。知らない? 初等教育受けました? ぼっちは常に厨二病で、人から見られることを気にする自意識過剰な異常者なので、人生を劇場に例えがちです(偏見)。人生の一番底感あふれる歌詞の中で最高に孤独を感じる一節が
『教室の隅で読書をする 凛とした長髪のあの子は 僕が恋してると囃し立てられて いじめに遭いました』
歌詞は基本的に抽象的・婉曲的なのに、ここだけリアリティが突出しています。これ絶対作者の体験談だろ。いじめた方かいじめられた方か、傍観者か。ぼっちは社会と無関係でいることすら許されない。他人が傷つけられて自分が傷つき、孤独を深めていくところが最高に孤独ですね。容姿端麗な作中のぼっちちゃんは絶対に書かない歌詞ですが。
https://w.atwiki.jp/utauuuta/pages/3300.html
ここでいきなり重音テト(≠ボカロ)曲を紹介。UTAUはジェネリックボーカロイド? 死にたいようだな? ぼっちは常に社会的弱者で、虐げられているのに反抗できない精神的弱者なので、いじめエピソードに事欠かない(偏見)。色とりどりのヤンキーヘイトの中でも最高に孤独を感じる一節が
『法律が許すのなら 何度だって殺してやる 大げさに聞こえるなら 君は今も理解ってない』
「怒ってない」から「許されてる」わけではないのは作中の歌詞のとおり。前段だけなら「ファッション孤独」でしょう。後段の独特な凄みがこの歌詞の真骨頂。加えて1:36からの歌詞はとても辛くてとても好きな歌詞なので、ぜひ動画で確認してください。
結局のところ作中のぼっちちゃんは設定上、いじめや「病み」と無関係な美人さんなのでこんな歌詞は書かないでしょう。ただ、歌詞はもう少し、作詞者の「ぼっち」な実体験、言ってしまえば「こじらせ」がにじみ出た方が好みです。私の。ちなみに私が結束バンドに10年後に歌って欲しい曲は「ナンセンスの塊」(はるふりさん)です。
https://w.atwiki.jp/utauuuta/pages/3699.html
もっと孤独を感じたいので、みなさんの好きな孤独な歌詞があればジャンルに関わらずどんどん教えて下さい。「生きてる」を実感しましょう。
https://www.afpbb.com/articles/-/3455010
男女平等かつLGBTQ解放の観点からの解決策は、スポーツにおける性別情報の取扱の禁止だと思います。つまりあらゆるスポーツにおいて男女LGBTQ混合で行いますが、守旧的な「混合」、つまり「男子2女子2」とかそういう意味ではありません。真の意味で性別無関係に、いかに競技で勝つか、もしくは、いかにスポーツを楽しむか、だけが目的となるでしょう。
女子サッカーなんて、「女子」だなんて、いかにも伝統的価値観だしな。ダメです。
ただし新しい価値観の定着には時間がかかりますし、現時点の女子トッププロ選手のキャリアを破壊してしまう可能性があります。これは良くない。
ただ、スポーツは、20代後半〜長くても40代くらいまででトップクラスとしてのキャリアを終えることがほとんどと思うので、他の職種と比べてターンオーバーが速いというメリットがあります。
まずは初等教育において全ての体育科目や部活を男女混合とすることから始めて、小学一年生から男女混合でやっている世代が入っていくごとにその競技を男女混合にしていくではないでしょうか。
ところでそれをする上で、更衣室やトイレはどうしましょうか。と、このことを考えること、それも、教師、生徒、そして社会がちゃんと参加した議論で決めていくことで、社会としての男女平等やLGBTQへの国民の態度の取り方がきちんとしていく、ということではないでしょうか。
ただし、現時点の女子トッププロ選手のキャリアを守るために変革のスピードを緩めると、現時点のLGBTQスポーツ選手が苦しむということがあり、この点をどうすれば良いのか、識者のお考えを教えてください。
Willy OES@willyoes
Willy OES@willyoes
毎週小テストやるけど、与えた7?8問の問題すら解いて来ないのが米国の大学生。もちろん本人は「勉強したのに点が取れない!」とのたまう。
Willy OES@willyoes
RT @ken_math: アメリカの大学生の自己申告ほど当てにならないものはない。教科書を開いただけで徹底的に勉強したと言う。
Willy OES@willyoes
学部上級以上の統計のクラスでは、学生に一人一人、オリジナルのプレゼンをさせる。しかし、創造的なプレゼンをするのはほとんど博士課程の学生だ。創造性は、豊富な知識量と論理的な構成力から生まれる。
Willy OES@willyoes
米国の初等教育なんて崩壊してるよ。なんで4歳から英語の文章話し始めて3年しか経ってない上に、土日は完全日本語で過ごしてる娘の英作文力がクラスでトップクラスなのさ。
Willy OES@willyoes
もっとも、米国の私大などは、一生懸命勉強して学力付けた子に「無理に学力つけた(stretched)子供はいらない」とか不条理な事言って落としてるわけで、それよりは日本の方がまし。
Willy OES@willyoes
日本の子供が勉強しなくなったって言うけど、そもそも親も社会も子供に勉強させようとしてないよね。「ガリ勉はもう古い」とか「野球やサッカー」してる方が子供らしい、みたいな価値観を植え付けてるのは大人の方。
Willy OES@willyoes
Willy OES@willyoes
初等教育の現場にいるんだが、たくさんの子どもたちを見てて思うのが結局子どもって親の真似をしながら成長していく。
親の言ったこと、親の行動や価値観を自分の中にDLして、それを駆使しながら社会と関わっていこうとしてる。
だから叩く親の子は叩くし暴言を吐く親の子どもは暴言を吐く。それでそういった行動を基本に周りとの関係を築こうとするんだな。
先生は子どもたちの成長のサポートはできるけど、何かあって先生が注意してもピンとこないことがままあるが、親が言うと効果てきめんだ。特に低学年層。
あとさ、人間として基本のきでも教えるという作業を省略しては何事も身につきにくい。
何かしてもらってありがとうって言うとかさ。時間を守るとか。あとルールを守る・・・例えば道で飛び出さないとか校内では上履きをはくとかそういうのでも。
そういうのなんとなくでは身につかないんだよ。やっぱり親が「何かしてもらったらありがとうっていうんだよ」とか一つ一つ明言して教えないと。
平 裕介 @YusukeTaira
弁護士(東京弁護士会所属)。研究者→https://researchmap.jp/7000001277。大学で授業(行政法等)を担当(非常勤)
表現/言論の自由というのは、国や自治体という公権力の介入を受けないことという問題に「限定」すべき、という考え方は、法学をよく知らない大人(特に法学以外の領域の専門家)が陥りがちな誤解。そういう考え方は初等教育か中等教育までにしてほしい。現代国家における表現の自由の問題はもっと広い
当アカウントにつき表現の自由戦士アカであり公権力に対する表現の自由等には無関心と思っている方もいるようですが、そんなことはないのでよろしくお願いいたします
つみたてNISAとか政策として違和感はあるんだけど貯蓄とか投資とかしておいてくれないとその個人が困るからやっておきなさいというまあおせっかいな親といった感じの話としてはまあ意味がなくもないかなあとは思う。
ただ国として投資を促して景気を刺激しろっていうマクロな話になると全く意味わからん話に思える。超富裕層向けなら持ってる総額それなりにあるからわかるよ?でもたかだか年収が1千万円もいかないような層が一生懸命貯金を投資に回したところでマクロじゃまったくインパクトないでしょうよ。
投資する者として国内最強なのはアホほど安い金利で潤沢に借りられる者、つまり国です。
たいていのギャンブルって上振れ引くまで倍プッシュで賭け続けてトータル勝った瞬間に逃げれば勝てるんで、倍プッシュし続けられる資金力があればほぼ確実に勝てる。しかもいわゆるちゃんとした投資って期待値が概ね1超えてるんですよ。まず勝てるでしょ。国なら。
財政再建したいとかいうなら他人に賭けさせてその利益から税をとろうとかぬるいこと言ってんじゃないよ。国債発行して投資に突っ込めばいいじゃない投資にプラスのリターンがあると思ってるならさ。投資のあがりで国債返せるでしょ簡単に。増税なんぞせんでもいいでしょ。
それができないっていうなら今の投資しろ政策って、「勤め人は資産を株式で溶かして失え、そして手数料を金融機関に渡せ」って政策にすぎないじゃん。不幸しか増えないじゃん。そんなんされるぐらいだったら今とってる税金を直接金融機関に渡してよ。
「おかね借り屋」として最強だっていう自覚が国にないのマジで奇妙なんだよな。「おかね借り屋」として国内最強だってことはギャンブラーとして国内最強だってことで、つまり投資家として国内最強なんだよ。しかも寿命もないから回収までめちゃくちゃ長くても待てるし、相続もないし、儲けても税金とられないし税金とっても自分に入るんだぜ?
株に投資する、不動産に投資する、これらは普通のヒトよりも気長に待てるしとんでもない資金力で押し切れる。もうこれ絶対に儲かる。なんなら企業が技術に投資して特許で稼ごうなんてのは国がやったらもっと大規模にできるし、そのために初等教育の時点から投資することすらできるんだよ?はちゃめちゃ儲かるはずよ?
小学校の先生ってことは早稲田の教育ー教育ー初等教育だろうと思うけど
あそこって小学校の免許必須だし、「とりあえず免許取る」ってノリではないんじゃないのかと。
法学部の滑り止めで受けるなら、教育ー社会ー公共市民あたりではって感が。
それとも、教育学部生は選考を通った一部の学生だけ中高免許とは別に小学校を追加できるからそれをやったのだろうか。
3年生にも4年生にも教育実習にいかないといけなくてつらそうで、「とりあえず」の人たちではないように見えたが。
まあ大学からうざいぐらい小学校を検定で取れとメールくるし、とりあえず勢は資格の1つとして取るのだろうか。
追加でやったのなら高校の教育実習にも行ってるはずだし、あの先生が朝日高校の教育実習でどのようなことを思ったかとか考えると面白そう。