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はてなキーワード: 初等教育とは

2021-12-03

やっぱアメリカ人プレゼンうめえなあ

NBAコメンテーターとか完璧に枠内で完全な説明をしている

机をならべて本を朗読させる日本とは、初等教育からもうすでに違うんだろうな

2021-11-03

費用対効果

新自由主義以前のケインズ主義アメリカイギリスでは失敗してた。インフレだが、増加した需要自分たちがつかめないスタグフレーションになったからだ。負けた相手戦後復興したケインズ主義欧州日本であって新自由主義国じゃないけど。

なので、小さな政府に戻した。一つが費用対効果に立ち戻ることだ。

だけど、この費用対効果観測がとにかく近視眼だから効果が見えるのが先になってしまう基礎萌芽研究投資は「費用対効果がない」ということで削られる。

大学ファンド費用対効果を求めたために、実際の研究投資せず、海外投資するファンドになって「競馬で勝ったら焼肉をおごってやる」程度の代物になってしまった。気分がいいときにおごりでやる程度のものしかないってことだ。さら円安の原因になってる。

最近生産政府支出だとかい人間がいるが「生産的か生産的じゃないか」の指標が近視眼的な費用対効果である以上、基礎萌芽研究投資生産政府支出にはならないだろう。それは大学ファンド顛末をみても分かる通り。

他に教育貧困対策もある。教育初等教育の影響が出るのは20年30年後だ。貧困者も食い詰めたやつが一部京王線事件みたいに殺傷事件起こすことがあるからな。

マスとして一部べらぼうに効果があるというのを、せめて過去の実績から推計すること、さらいくら出せばいいかを推計していく必要がある。推計ができない状態なら感覚でばらまいたほうがまだマシということは言える。

2021-10-22

anond:20211022234720

今生きている世代から年金制度を創れないだろうか

字面が悪ければ”未来年金”というように希望を持たせる制度名にしても良いよ

年寄りを中心に、一定以上の年齢層から毎月お金徴収して、まだ生まれていない世代のためにプールする

その財源で学校や周辺の町のインフラを再建したり、保育や初等教育費用をまかなったりすると良いよ

さすがにこの内容で反対するお年寄り老害

2021-10-05

anond:20211005093327

>そうなんだ! 見てなかったけど、逆にその仕立てでよく「なぜ文革が起きたのか」が説明できたもんだな。

から、全くしてないんだよね。時間がないせいもあったのかもしれないけど、毛沢東独裁政治がずっと続いた、というストーリーの中にふわっとまとめて誤魔化していた。そもそも文革天安門事件で突如沸き起こった下からの群集的な運動中国社会の一面なんだけど、これが独裁政治とどう整合的に説明できるのかも全くない。他にもニクソン訪中などの外交や国際情勢についてもほぼ触れていなかった。最近NHK中国特集にはあまり期待してなかったけど、予想以上にひどかった。

そもそも毛沢東時代を暗黒化する歴史観も古くて、初等教育制度確立鉄道道路インフラの整備、感染症の撲滅などが急速に進み、その後の高度経済成長を準備した時代であったことも正当に評価しなきゃだめだろうと思う。

2021-09-09

anond:20210909105008

純粋投稿自体に関してだが




単純に、どこが悪いのかがぱっと見て取れない増田に対して、足が悪いという元担任の方が世間的に優遇されていると思っているのかな。自分の内情を誰も理解してくれないことにいらだって、同じように苦しんでいるけど支援を受けやすいであろう身体障害者逆恨みしていると思われる。

文章も要領を得ないのでかなり初等教育が欠落していると思うし、メール脅迫するくらいだから精神的にもかなり追い詰められているはずだ。

2021-08-30

anond:20210830015137

カタカナ名前は、大昔の男差別の名残なんですよ。

大事な跡取りの男児には、教養のある人に頼んで立派な漢字名前をつけてもらう。

女児適当

たまたま稲が見えたかイネとか。最後の子にする予定だからトメとかスエとか。

女児に高度な教育不要

「学のない女性でも自分名前ぐらいは書けるように」と初等教育で習うカタカナ名前・・・

2021-08-18

anond:20210818113812

結局は初等教育でどれくらい具体的かつ実践的に、男女平等生き方自由を教えられるかなんだろうな。保育士だとその辺で考えることもあるでしょ?言葉覚えたてくらいで既に「男らしさ・女らしさ」みたいな呪いが発生してるよね。

2021-08-01

anond:20210731195223

・その点はソシャゲがすごいとおもうのよ、500万文字シナリオにじゃぶじゃぶ新規絵つけてなげこんで末はアニメ化。そりゃ国民的になるわ。集約農業って感じ。

・あとはフラットになっているので、プラットフォーマあるいは雑誌編集者として「あなたのための物語」をつくる努力重要ディズニーチャンネルには抱き合わせマーベルナショナルジオグラフィックが入ってる。コロコロジャンプ、そういった昭和ガチだった「まとまり」が今は薄れているけれどあえて厳密に(なんでも自由やらせてみようと漠然とするのではなく身内に厳しく審査して)ターゲティングして「まとまり」をつくれるところが勝つようになってる。ソシャゲコラボでお互いに導線つくってるしな。

・結局「初等教育」の延長にあるものが最大手サークルなんだよなぁ

2021-07-10

増田

衆議院議員選挙が数ヶ月後に迫っているようだが、いい感じの投票先が見当たらない。

ならば被選挙権もあることだし、いっそのこと自分立候補するか?!とも考えたが、供託金300万円が高すぎて難しい。貯金もっとあるが、300万は大きな額だ。

現実には立候補は無理なので、かわりに政策集を投下しておこうと思う。投票する立場では、これらの考えに最も近い政党候補者を選びたいところだ。

タイトル増田党としているが、増田統一見解を示す政党という意味ではなくて、増田の一人が立てた架空の党だという意味だ。なお「mass(多数派)打倒」という意味ではない。

経済産業
税制
労働雇用
原発と電力

電力は国の最重要基盤の一つ。

福祉教育

資源の乏しい我が国は、知恵と技術、そしてそれを育てる教育こそが国の中心である

外交国防安全保障
法務人権
選挙制度
その他の課題への見解
ここに書いていない政策課題について

選挙タイミングで、それからの4〜6年間ほどの全ての課題議論できるはずが無い。今の国会議員選挙で選ばれたとき公衆衛生に関する論説を国民に向けてやった者がどれほど居るだろうか?

なので選挙ときには、その時点のホット話題についての候補者の考えを見聞きして、既知の課題だけでなく将来の未知の課題についても上手く取り組んでくれそうな人を推測するしかない。

増田には文字制限もあるし、他のトピックは推測してくれ。そしてもちろん、本物の衆議院議員候補政策も、そうやって読み、評価したい。

2021-07-05

ACって国民騙してるの?

死にかけの栄養失調児を映して見下したCM流してるし、ユニセフはとりあえず寄付しろしか言わない

衰退途上国日本なんてあっという間に足元救われるのでは?

Q:世界中の1歳児の中で、なんらかの病気に対して予防接種を受けている子供はどのくらいいるでしょう?

A:80%

Q:世界人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったでしょう?

A:半分になった

Q:現在低所得国に暮らす女子の何割が、初等教育を修了するでしょう?

A:60%

2021-06-29

anond:20210628015845

自分はよくVTuberを見るけど、ここで書かれているような学力の人が想像以上に多くて驚いたので、増田が書いていることはリアルなんだろうなと思うよ。

Vtuverもアイドル崩れとか声優の卵とかが結構いるけど、マジで

  

・二桁同士の足し算(15+23とか)に5秒くらいかかる

日本都道府県位置関係ほとんど把握していない。それどころか北海道本州四国九州位置関係曖昧な人もいた

太陽と月が別の存在ではなく、同じ物体だと思っている

英語については基礎の基礎からして全く無理

  

みたいな子がゴロゴロいる。これ全部別のVTuberからね。

上に書いたような子たちは「勉強が苦手」とではなく、そもそも何らかの理由初等教育からドロップアウトしたとしか思えないいんだよな。

 

VTtuberっていう職はかなりハードみたいで早々にリタイアする人も多いし、そもそもブームがどれくらい続くかも解らないし、いわゆる「中の人」のキャリアにもならない。

彼ら彼女らがどういうところからやって来て、今後どこに向かうか考えると確かに暗い気持ちにはなる。

2021-06-17

国語文章喚起するべきイメージをないがしろにしてはいませんか?

国語辞典ブリタニカのような写真ではなく字が主体百科事典動植物あるいは衣服等の説明は分かりづらいものです。

あれはそもそも現物を見たことがあることを前提にしているような解説になっているようにみえます

辞書の主な使い方の一つとして、文章に出てくる具象名詞がどういうものか分からいから引いてみることがありますが、この場合現物を見たことがないことも多いはずです。

ですから解説写真を用いないならば実物と相違ない像がありありと浮かんでくるような文章説明されていなければある意味本末転倒なのです。

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試みにあなたが知らない植物を何か一つ引いて、その説明を読んで図に描いてみてください。そしてネット画像検索比較してみてください。

いかに実物からイメージがずれていたかかると思います

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今はAIがありますからより科学的に辞書事典記述妥当性を検証できると思います

写実的な絵を描くことに定評がある人達から同じ植物の絵を集めて、模範的な絵として学習させたら、同じような人たちからその植物をまだ知らない人たちを選出し、辞書説明だけを頼りにその植物の絵を描かせます

次のパターンとして、絵は全くの素人という人たちに実物を見せてその絵を描いてもらったら、既に学習させた模範的な絵との比較で、両パターンの近似度の平均をそれぞれ算出します。おそらく全くの素人が実物を見て描いたものの方がまだ高い近似度を持っていることでしょう。

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広く捉えればこれは国語教育問題かもしれません。つまり国民全体において辞書から正しいイメージが得られないというのが平均的な水準として示されるならば、それは個人によつ勉学の怠慢という自己責任ではなく、教育制度側の過失といえることになります

PISAではごく単純な論理パズルのような説明文を読ませて正答を導かせるようなことを行ってきていますが、一度、文章からそれが示す物体やその配置に関する図を選択させる問題も出してみるべきだと思います

数学には取って付きのマグカップドーナッツを「同型」とみなすようなトポロジーという学問がありますが、そのような緩い制約の下ですら構造的に異なるような一群を選択肢としても、なお正解を選べない人がごまんと出てくる結果となるかもしれません。

そうだとすれば小説の情景描写もまたまともに機能していないかもしれません。自覚のないあきめくらが読者かもしれませんから

しかし読者にその責任はないでしょう。

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本をたくさん読めば読解力が身に付くという考えが横行しています。この根性論のような考えも問題です。

PISA等で国民文章からイメージ自分の頭に形成する力の低下が判明したら、文章とそれが一般的に指し示す図の対応ということに焦点を当てた学習法をぜひ初等教育に取り入れるべきでしょう。

やみくもに本を読んでれば読解力が上がるというのは、読書に慣れるとか、知らない単語発見することで知識を埋め合わせる機会が得られるということが考えられるのである意味で正しいですが、しか言葉イメージ還元する力の育むに際しては根本的に、原理的に無力だと思います

我々の脳よりもはるかに高い処理能力を持つAIでさえも、一部の学習に際してはフィードバックという一定の手順を必要するのです。

我々が文章から正しいイメージを得るようになる過程についても同じことが言えると思います

「そのイメージで合ってるよ」「そのイメージは間違ってるよ」と教えられることによるフィードバックがなければ、自分の読みが修正される機会がなく、何かを読んでもトポロジー的にすら間違ったイメージを展開していくようになるでしょう。

あるいはそれは教育されなかった「ヒト」としての自然な姿なのでしょうけども、それはそれとして。

話を戻せば、するべきことは、文と図との基礎的な対応表を作って、九九のように叩き込ませることです。

これは一見根性論めいているかもしれませんが、無計画多読よりも遥かに効率的でしょう。

基礎的な表がクリアできたら、もう少し複雑な文や文章でも作成しておいた対応表へと移行していけばよく、方式としても構造化されていて明快です。

結局これは数学において基礎をおろそかにすれば応用問題で容易につまづくようなこと、たとえば掛け算ができなければ割り算はできないとか、微積分の原理が分かってないのでは微分方程式は解けないということと同じです。数学に取り組むのとある意味で同じ態度で国語学習にも臨まれるべきだと思います

2021-06-04

ニュージーランドにおける教育について

ニュージーランド教育個性尊重した自由スタイルだということでこれを絶賛する日本人がとにかく多いのだが、個人的にはこの国の教育は、少数のできる子供と驚くほどに学力の低い大多数の子供を量産し、この大多数の子供たちはひたすら頭の回転が鈍く、機転を利かせることもできず、教科書通りにしかできない、しか自己主張だけは異常にするようになる。主張が見当違いであってもお構いなしだ。こういった駄々っ子のような大人を量産するニュージーランド教育システム果たして日本人理想なのか、ということを今回は書く。また、日本人教育スタイルとの相性の悪さについても書いていく。

ニュージーランドでは、初等教育では「みんなで集まっていろいろなアクティティをしながらいろいろと学んでいく」というスタイルをとっており、時間割というもの存在していない(教員の間では何かしらあるとは思うが)。そのため、子どもたちの文房具はすべて学校で預かっており(これについては忘れ物がなくなるのでいいと思う)、子どもカバンの中は基本的には弁当水筒おやつしか入っていない。あとは男子場合はなぜか拾ってきた石や枝が入っていることもある。

算数についてはなぜか2+2とか4+4みたいな式ばかりをやってテストはしていないようだ。そのため子供たちにとって足し算は2+2や4+4であり、5+3や8+2ではなくなるという不思議現象が起こる。1の塊が10個集まってというような教え方をしているようには見えない。みんなでテレビ番組を見てそれについてどう思うかの意見を述べるとか、プレゼンテーションをやることもあるので、人前で話す度胸のようなものはついていく。

学校にはデジタルデバイスが完備されており、子どもたちは思い思いに絵をかいたり、ゲームをやったり、本を読んだりしているのだが、これもいつしか「それだけ」になっていく。要は読み書きと変なそろばんの使い方以外は「これだけ」という子供になっていく。日本学校では子供たちが好むと好まざるとにかかわらず一通りの教科をやるし、宿題も出る。いろいろなことも覚えなくてはならない。ニュージーランド教育ではそういった物事を覚えるよりもものすごく浅いレベルで「こういうものがある」くらいで終わっているように見えるが、この結果、掛け算九九もできない大人が量産されていく。掛け算九九すらもできないことがいいことか悪いことかは各人の思いがあるだろうが、私はかなりまずいと思っている。

中等教育に行くと子供たちは選択授業を行うようになる。この選択制というのが日本人とすこぶる相性が悪いと思う。日本人は「中学校から選択制なんて進んでいる!子供たちの個性に合わせた教育!」と大絶賛するようだが、子どもたちの個性などガン無視社会の肥やしを育てている一面があることにあまり気づいていないのかもしれない。

ここでニュージーランド教育制度について少し書いておくと、ニュージーランドは「今年何がしたいか」ではなく「去年何をしたか」を重視する。なので例えば今年は数学をやって、来年音楽をやるというような好奇心に基づいた選択を続けると、最終的に「1年生のまま卒業した子供」になっていく。もちろん大学に進学することはできない。

これは、各科目ごとに設定されたレベルによる。例えばレベル2の科目を選択するには、その科目のレベル1をクリアしていること、という条件が設定されている。なので、いきなりレベル2になることはできない(学校によっては試験をやってパスしたら認める程度の柔軟性はあるようだが)。そして、高校年次に入ると、この「前提条件」が複雑になる。物理を取るのであれば、数学レベルいくつ以上、科学レベルいくつ以上を良好な成績(meritやexcellent)でパスしていることというようになっていく。これの意味するところは、「中学校になったら子供たちは将来の進路をある程度決めておかなくてはならない」ということだ。この目標に合わせた授業選択、というもの理解できないと単に個性尊重されて終わることになる。

例えば中学校の年次では「将来機械工になりたいのでそのための選択をする」とやって起き、高校1年次で「難しすぎた、進路変更したい」というときものすごい困難が子供たちを襲うことになる。例えば、配管や大工といったある程度関係がある進路であれば、多少差分を埋めることで進路変更ができたりそのままスイッチすることもできるが、例えば、ペットテイマーになるとしたらもう不可能差分を埋めるためのすさまじい努力必要になる。そのためニュージーランドでは20歳くらいまで高校生をやることも珍しくない。

ニュージーランドでは、高校までは義務教育だが、日本でいう高校の年次からは進学するかどうかを選択することができ、中学校までの課程で終わる子供たちが多い。彼らに聞くと「学校意味を感じなくなった、社会に出てしまったほうが早いと思ったから」という人がちらほらいるのだが、これはニュージーランドの硬直した教育制度が影響しているようにも見える。

一方日本ではどうだろうか?

自分達が行く高校は割とぎりぎりまで保留できるし、高校でも科目は幅広い。理系文系選択が2年生になって始まるが、オーバーラップする部分も大きい。

大学も結局受験の時まで自分たちがどれだけ努力してきたかしかない。どの科目を選択たか、ということは問われない。現実的に考えて自分偏差値と照らして入れそうか、しかない。

試験に受かりさえすればそれでいい、社会に出るときもそうで、学歴と全く関係ない仕事を選ぶこともできる。大学在学中に趣味で何かをやってきてそれを仕事にしたいと考える自由日本にはあるし、日本人はそれを前提にするので、この「中学校に入るころにはある程度の方向性を決め、高校に入ったら確定的に学んでいく」というスタイル理解できないかもしれない。理解できないがゆえに「個性尊重の素晴らしい教育スタイル」というように見えるかもしれないが、個人的には日本のそれよりも地獄感が高い。中学校に入った時点で10か年計画を立てろと言われるのだから

就職活動をしていると「この学部出てないならダメ」と言われ、大学受験をすると「これらの科目をパスしていないかダメ」と言われ、高校では「前年にこの科目をパスしてないかダメ」といわれるのだ。これがニュージーランド教育システムだ。

次に、なんでニュージーランド人がこうも石頭なのかというと、この教育制度のせいで「深く考えるよりは試験パスする」ということを重視するからではないかと思っている。ニュージーランドでは毎年行われるNCEAという試験合格し続けないと大学に行くことはできない。そのため、何か一つの科目を恐ろしいレベルで数年間突き詰めるということはできないし、趣味として何か別のことをやって知見を広めるということもできない。選択授業であるがゆえに、その科目の試験もそれなりに難しいらしいからだ。効率よく勉強できるとか、お金があって塾や家庭教師を雇える、学校に多額の寄付金を支払って充実した学校に通うことができる富裕層の子供はその限りではないが。

また、数学では電卓使用許可される。「計算間違いで減点される日本数学不条理すぎ!ニュージーランドは素晴らしい!」という人もよく見かけるが、日本数学教育は「問題理解して、間違えないように計算する」ことが求められるが、ニュージーランドでは「問題理解してそれに合わせて正しく電卓を利用する」が求められる。初等教育では足し算は2+2や4+4であるというのは要はここにあると思う。電卓を正しく使えれば足し算は間違えようがない。

これの恐ろしさは「電卓がなければ計算がまるっきりできない」ということだ。つまり電気のないところに住むことはできない。日本人の中にはたまにものすごい田舎に住むようなことをする人がいるが、これは「電気がなくてもどうにかなる程度の知識スキル自然に身についたものとしてある、多少の計算は手と頭でどうにかできる」ということでもある。西洋人のやるアウトドアアクティティが異様に近代的なのもこれが理由かもしれない。

よく言われるのが「西洋人はお釣り計算ができない」というものだ。

例えば$15.20会計に対して$25.20を支払った場合店員の反応は$5.20を突き返してお釣りを$4.80返してくるか、意味が分からなくてしばらく固まる。レジ会計を打つ前に支払いが間に合うと、$5.20を突き返してきて$20レジを打つか、まれにいるその通りにレジを打った店員はお釣り$10になることに感動する。日本人はこの計算が一瞬でできる。

また、ニュージーランド人は自分で考えるよりはガイドラインに従うことを選ぶ。そしてガイドラインの間に落ち込んだ事象はすべて無視される。子供の時からとにかくルール通りに動くことが要求されるからだし、のちにどんな問題が起ころうとも「自分ルールに従っている!」というためだろう。たとえ問題に気づいていてもスコープ外なら無視ができる。だが自分たちに火の粉が降りかかると容赦しない。ひたすら人のせいにし続ける、自己主張をする。交通ルールを破って怒られても平気で逆切れする。こういう人々を量産するのがニュージーランドといってもいいかもしれない。

そういうわけなので、自分の子供が将来について13歳くらいか戦略的に考えられ、家庭にもある程度のお金がある、給料の良い仕事に就けるのであれば、子ども人生が有利に転がるかもしれないが、ニュージーランド移住する人にそういう人はなかなかいないと思うので、やはりニュージーランドへの移住お勧めしない。

2021-05-18

これは自分理系(の中でも数学とかの理論系)だからなのか、具体的に説明されるよりも抽象的に説明される方が絶対にわかやすいんだよな。

冠詞の話もそうだけど、英語教育とか全体的にそう思う。例文をいくら並べられてもわかんないんだって。それよりまず一般論を教えて欲しい。もちろん自然言語から例外があるのはわかるけど、例外を後から覚える方が自分にはわかりやすい。

でも学校(初等教育)だと「具体的に説明しなければわかりやすくない」というルール蔓延しているのが辛かった。最初に具体的な説明から入って、後から「実は~~」という種明かしで抽象的な説明に移行するよりも、最初に「これが答え」とズバッと抽象的な説明をして、後から一つ一つの具体例を見るという授業をしてくれた方が、自分にとってはよかった。(多くの人にとってはそうではなかったのだろうけど。)

まあ、「個別特性に合わせて指導する」という目標自体最近になって議論され始めた概念だと思うので仕方ないんだけど、願わくばこういう経験談が今後に役立って欲しい。

要するに、一般的に「大学レベルで難しい話」とされていることが自分にとっては簡単な話で、逆に一般的に「中学レベル簡単な話」とされていることが自分にとっては大学レベルで難しい話である、ということがよくある。

2021-05-17

https://anond.hatelabo.jp/20210516225443

 これは科学検証可能性反証可能性についての議論ではない。

 「権威」という言葉に納得できないのであれば、われわれは、ある話題について、誰を、どの程度まで信じることができるか、という「実践感覚」を持って生活していると言い換えてもよいだろうか。

 われわれは義務教育教科書に書かれていることは概ね正しいと認識している。義務教育で教える内容はいわゆる「定説」として確立されたものであり、すでに複数専門家による批判検証を経て正統な保守本流知識としての共通認識が成立したものである理解しているためだ。初等教育過程で学ぶ知識の体系はほぼ権威による学びである。もちろん理科であれば実験をおこなうことによって、社会科であればフィールドワークを行うことによって、学んだことを経験によって確認する機会は設けられている。しかし学ぶ知識のすべてについてそのような検証を行うわけではない。教えられる知識検証可能であることを示し正当性担保するためと、検証する方法論を学ぶためである

 われわれは新聞TVというメディア情報が概ね信頼できることを知っている。しか100%信頼できないことも知っている。各メディアごとに信頼度は異なり、同じメディアの中でも話題や分野によって信頼度が異なるという感覚も持っている。BBCCNNのいうことは信頼できるがスプートニク大紀元トンデモだとか、岩波書店の出す書籍の内容は信頼できるが幻冬社の本は紙くずだとか、われわれはこのような無数の相場感覚実践感覚を日々の生活で養いつつ、またそれを以って触れる情報の真偽のグラデーション判断しているのだ。ここで見落とすべきでないのはそれら相場感覚実践感覚あくまでも「感覚」であって客観的基準ではないということである

 元増田への反論論文査読再現可能性、反証可能性を持ち出すのは筋違い議論である。それらは原理的な主張としては正しい。しかしわれわれは全ての情報についてそのような判断をしているわけではない。例えば「SARS-CoV-2は空気感染する」という言説を聞いた時、それを主張する論文に当たり、誰が書いたものか、査読は誰が行ったか、それぞれの研究者の業績等を調べて真偽度を判定するというのは「原理的には」可能であるしかしそのようなことをあらゆる情報について行うことは余程の暇人でなければやっていられない。多くの場合はその分野の権威とみなされる研究者論文信頼性があると判断した(あるいは信頼性がないと判断した)という事実をもって自身判断の参考にするだろう。すなわち権威による判断である

 初等教育で学ぶ知識の体系に照らして真偽を判断するということは可能であろう。しか初等教育で学ぶ知識の体系というのは権威による学びであったことを忘れるべきではない。その知識の体系全てについて実験などによる経験として検証したと主張できる人は少ないだろう。(あとで、検証することが原理的に可能であるとしても)我々はそのように<権威によって>「定説」として与えられたものをもとに真偽を判断し、その真偽の判断が他の人の言説にどのように現れるかを以ってその人に対する信頼度評価し、その信頼度においてその人の言説に現れた事象の真偽を評価するのである。そのような信頼と評価の積み重ねから真偽のグラデーション判断する実践感覚が生まれているのだということ、多くの生活の場においてその感覚依存しているのだということを忘れるべきではない。

2021-04-18

anond:20210416120237

習熟度別クラスなど、むしろ肯定的区分していくべき時期ではないだろうか

みなが大学に進学する可能性がゼロではないからといって、勉強する環境が整ってない子供にとって例えば四則演算を大幅に超える高度な数学勉強させられるのは苦痛しかない

ケーキが切れなくたっていいじゃない

初等教育は、社会生活を営む上での最低限の読み書きソロバンの原点に戻るべきだと思う

中学受験したい層は自己負担でやればいい

出身によって階層が固定されると批判されるけど、底辺校でも周囲の評価によって勉学に向いている子をピックアップして奨学金含め対応してあげるのは難しくないと思う

平等尊いけど、ほかのすべてを犠牲にしなければならないかどうかは疑問の残るところ

もちろん差別はあってはならない

2021-04-03

「どうして勉強しなきゃいけないの?」に対する大人の答えがクソおもんない理由を教えてやるよ

「どうして勉強しなきゃいけないの?」と子どもに聞かれて俺はこう答えたという内容の増田が先日ホッテントリに上がっていた。読んだ。クソおもんなかった。

 とはいえあれを書いた増田だけを責めようとは思わない。「どうして勉強しなきゃいけないの?」に対する大人の答えはいだってクソおもんないからだ。

 この話題ネットではたびたび繰り返されるが、そこでなされる答えは往々にしてフワッフワしていて説得力に欠けクソおもんない。

 その理由ぶっちゃけはっきりしている。嘘をついているからだ。

 なぜ嘘をついてしまうのか。そもそも勉強しなければいけないというのが嘘だからだ。にも関わらず、勉強しなければいけない理由を無理矢理にひねり出すから、そこで語られる内容はフワッフワして説得力に欠けるものしかならない。

「俺は今の仕事学校で習ったことが役に立ってる」と言う奴がいる。そらそういう人もいるだろう。しかし、例えば学校医学法律知識を教えれば将来医者弁護士になる人にとっては確実に役に立つにも関わらず一般的高校までのカリキュラム医学法律勉強は入っていない。一部の職に就いた場合に直接的に学んだ内容が役に立つというのは子ども勉強しなければならない理由としてはあまりにも弱すぎる。だいたい、役に立つかどうかでいったらゲーム遊んだ漫画を読んだりすることすら役に立つのだ。そういう経験は将来特に年代の人との間で共通話題となりコミュニケーションを円滑にする場合が数多くある。エンタメ業界で働く人にとってはもっと直接的に職業上役立つ経験となるだろう。どんなことだって何かしらの形ではその人の糧となるのだ。

勉強をすると想像力が養われるのだ」と言う奴がいる。「優しくあるためには勉強する必要がある」と言う奴すらいる。じゃあたくさん勉強してきたであろう高学歴の人たちを見てください。悪口になるからこれ以上は控える。

 そもそもの話として勉強というのは誰もが適応して付いていけるものではない。方程式はおろか九九すらままならないような人だってたくさんいる。だけどそういう人たちが生きていけてないということは全然ない。勉強に付いていけなかった人たちもその人なりのやり方で立派に生きている。そういう現実がありながら勉強しなければいけないと言うことにどれだけの説得力があるだろうか?

 ではなぜ大人たちは「別に勉強しなければいけないなんてことはない」ということを認められず、勉強しなければいけない理由を無理矢理にでもひねり出そうとしてしまうのか。

 ひとつ理由は実際に勉強して高い学歴を得ることは収入社会的地位といった点で人生を有利にするからだ。大人からすると自分の子ども(や甥や姪)には有利に人生を歩んでほしい。だから勉強してほしい。だけど、それを勉強しなければいけない理由として語るのは利己的な動機すぎてあまりにもあんまりに思える。だからなんとか勉強しなければならない理由として美しいものをひねり出そうとしてしまうのだ。

 そしてふたつめの理由大人子どもたちに勉強させなければならないからだ。

 こう書くと「いやお前今さっき勉強しなくていいって言ったばっかじゃん!」というツッコミが入るだろう。違うのだ。「子ども勉強しなければならない」と「大人子どもたちに勉強させなければならない」は全く話が違うのだ。後者は正しいが前者は間違っている。そしてここを混同してしまうがゆえに「勉強しなければいけないなんてことはない」ということに違和感があり認めづらいのだ。

 何が違うのか。「勉強しなければいけない」というのは個々人レベルの話だ。個人として勉強した場合利益やしなかった場合不利益がどうかという話になり、勉強することによって得られる利益放棄たからといって生きていけないというわけではない以上別に絶対勉強はしなければいけないものではない。

 一方で「子どもたちに勉強させなければならない」というのは社会レベルの話だ。「勉強させなければならない」という言い方に強制ニュアンスが混じるのに違和感があるなら「勉強する機会を与えなければならない」に言い換えてもいい。

 初等教育が充実していてほぼすべての人が読み書きや基礎的な計算をこなせる社会とそうでない社会比較した場合、前者の方が豊かで力があることは明らかだ。そして初等教育から中等教育高等教育接続される子どもが多い社会ほど、より高度な人材が育ち、豊かで力のある社会になるというのもこれまた明らかだろう。

 教育の本当の受益者教育を受ける子ども個々人ではなく社会全体なのだ

 日本国憲法四条には教育義務について書かれているが、そこに書かれている文言は「国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」だ。子ども勉強する義務があるなんてことは書かれていない。書かれているのは大人子ども教育を受けさせる義務があるということだ。ここまで俺がしてきた話とぴったり一致している。

 まとめると、「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問い自体そもそも微妙と言える。間違った問いに沿って考えると不毛な議論しかできない。

 そこで問いを「どうして社会子ども勉強させなきゃいけないの?」に変化させると、視点が変わり、より本質的議論ができるようになるだろう。

 最後残酷なことを少し。

 多くの人が「どうして勉強しなきゃいけないの?」に対して「自分勉強してきたおかげでこんないいことがあったよ」というような個人経験ベースの答えしかできていないという事実は結局勉強なんて期待されるほど人間を賢くしないということを示唆している。

 俺は知性の働きとして特に重要もの自分というものを相対化できることではないかと考えている。だから知的人間には「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いについて考えるのであれば我々と異なる国や時代では勉強というものがどのように扱われているのかであったり、現在教育制度がどのように形作られたのかであったり、そういったものを気にしながら考えてほしいと願っている。自分で答えは出さずにそういったもの子どもに調べさせる、考えさせる、というのもいいだろう。

 だけど多くの人はそのような発想はせずに自分経験の中から答えを出そうとしていた。人生の早い時期に勉強からドロップアウトした俺のような人間がそういった思考アプローチに思い至っているのに、俺よりもはるか勉強してきたであろう人たちがそんなんであるというのは、つまるところ勉強しても人はそんなに賢くならないという残酷事実を示しているように思えてならない。

2021-04-02

anond:20210402100011

取り上げられるのは総合順位だけだし、それは政治とか経済が低すぎるからだろ

医療初等教育問題にする人は見たことないが

2021-03-16

anond:20210316113352

本当に女性差別が激しい国だと「女だという理由で殺される」んだけど

それは性犯罪より軽いってこと?

でもそういう国は下層男もそれはそれで殺されまくってるわけだが

日本の常識世界を見ちゃいかんよ

あと医療とか初等教育日本は満点とか言ってるのもいるけど、それ先進国なら満点で当たり前

日本はここが優れている!って言ってる事柄は大体そう

当たり前の事が出来てたって差はつかない

2021-02-24

福岡教育大学の初等の副免について

ここでは、福岡教育大学初等教育教員養成課程(幼児教育選修は除く。以下、初等とします)の副免について、書いていきます

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福岡教育大学の初等は、小学校教員養成に重点を置いています

初等では、原則として、中学高校教員養成はしていませんので、注意をしてください。

普通の国立大学の教員養成大学では、初等でも中・高の免許を取れるはずですし、初等から中・高の先生になることは、よくある光景です。

しかし、福岡教育大学の初等は小学校教員のみの養成に特化している、ちょっと特殊大学です。

数年前の初等専修制では、普通の国立大学の教員養成大学と同じでしたが、改組により、初等は小学校教員養成のみとなりました。これは、寺尾学長独断による改革の結果です。現在飯田学長も、その方針を堅持しています


中学高校先生になりたい人は、中等教育教員養成課程(以下、中等とします)に進学してください。

なお、初等に進学した後に、中等に転課程すること(課程を移籍すること)は、制度上はそういうことは可能とされていますが、基本的にはおこなえません。

どこの大学でも、転課程はきわめて難しいと考えてください。


初等の学生は、小学校教員教育職員免許の取得を前提にしています

初等で得られる免許小学校一種)は、主免(しゅめん)といいます

主免とは、卒業時に主として取得する免許(必ず取得できる免許)のことです。

したがって、初等の学生小学校一種が主免になります

中等の場合、主免は、中学校・高等学校一種免となります


この主免以外に、他の授業を履修することにより、与えられる免許を、副免(ふくめん)といいます

まりオプションとして取得できるものが、副免です。

初等の学生は、幼稚園一種・二種)、中学校(一種・二種)、高校一種)が副免になります


話はそれますが、教員免許の種類について、わかっていない人が多いので、簡単説明します。

教員免許の「一種」「二種」は、取得単位数の違いによって区別されています

二種は短期大学卒業程度の取得単位一種四年制大学卒業の取得単位になります。大多数の先生が持っているのが、一種になります

ちなみに、高校免許には二種は存在しません。したがって、二種の場合は、高校先生にはなれません。

高校先生になりたい人は、一種を取る必要があります

また、県や市の教員採用試験では、取得した免許の種類によって採用差別されません。中学二種の免許で、県や市の中学校に採用されている人もいます

ただし、二種の場合は、一種を取得するための努力義務付けられています。そのため、教育委員会の研修や講習に参加しなければいけなかったり、給料に差がついたりします。


話をもとに戻します。

福岡教育大学の初等では、中学高校免許、つまり副免は、取ることが難しいです。

なぜなら、小学校先生養成に重点を置いている課程が、初等だからです。


「初等に入ったけれど、中学高校免許も取って、中学高校)の先生になりたい」

という人は、残念ですが、それは諦めて、小学校先生になられることに専念してください。


福岡教育大学の初等は、小学校教員になる教育に重点を置いています

初等では、中学高校)の教員になる教育は、標準的提供していません。

中学高校先生になりたいのなら、中等に入るべきでした。

「それでも!どうしても!」というなら、中退して中等の試験を受けるか、他大学に入り直す(転学・編入する)か、一旦卒業した上で、働きながら通信制大学放送大学など)で不足分の免許必要単位を修得する、ということしかありません。


福岡教育大学公式ホームページに「福岡教育大学で取得できる教員免許状について」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/files/bgeditor/other/H28menkyo.pdf)との文章が公開されています

これによると、初等では、小学校一種は主免です。

幼稚園中学高校免許は、

卒業要件を満たし、さらに所定の単位を修得することで取得も可能となる免許状(副免)」、「副免のうち、人数制限や修得する単位が多い等の理由により、特に取得が困難な免許状」とされています

この文言をよく理解してください。

「取得も可能」=努力すれば取れるかもしれません、「特に取得が困難」=取るのはとても難しいです、ということです。

初等で副免を取ろう、という人は、かなりの努力を要すること、楽には取得できないことを、よく理解してください。安易に手を出すとヤケドをします。

よく聞くのが、副免の取得に熱心なあまり、主免の単位を落としまくって、副免は取れるけど、主免が取れず、留年する、という話です。


初等の学生が、副免で取得する講義などは、原則として中等の学生に向けて提供されている講義に、初等の学生が「参加させてもらう」ものです。

もし、その講義や演習などが、人数を制限する場合や受講制限がある場合は、中等の学生が優先されます

中等の学生に向けての授業なのですから、そこに「参加させてもらう」初等の学生立場が弱くなることは、おわかりいただけるでしょう。


初等の学生が、副免を取得したい場合は、まずは担任先生相談してください。

といっても、担任先生も、副免のことがよくわかっていない先生もいます

学生支援課の「学生なんでも相談窓口」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/data_ex/pdf1421305397_0.pdf)に相談することが、てっとりばやいです。

副免を取得したい学生は、希望する科目の「教科基礎学力テスト」を受験し、A・B・Cの判定のうち、B判定以上を取る必要があります

C判定(不合格)では、副免の授業の履修は認められません。

なお、この教科基礎学力テストは、不合格のC判定であっても、来年度も希望すれば受験できます

もし不合格であれば、それを謙虚に受け止めて、勉強し直して、再受験をするか、もしくは副免は諦めるか、という二つの選択肢になります


例年、教科基礎学力テストは5~6月に実施されます。2020年はコロナ禍のため、8月に実施されました。

日時や、テスト範囲などは、大学内の掲示板掲示されます

教科基礎学力テストの結果は、遅くても夏休み中には告知されます

B判定以上の学生は、後期から副免の授業の履修が可能になります

そのため、前期の期間か、夏休み期間にテスト実施され、結果も後期の授業が始まる前にはなされるはずです。


教科基礎学力テスト過去問は公開されていません。

テストでは、解答用紙とともに、問題用紙も回収されますから受験したことのある先輩に過去問を見せてもらうこともできません。

問題用紙の回収は、過去問を見ることができた人間が有利になる/見ることができなかった人間が不利になることを防ぐ、公平性を確保するためです。


出題範囲難易度は、教科によって変わります

高校入試の問題がそのまま出た、センター試験共通テスト)のレベルだった、国立大学二次試験レベルだった、など、さまざまな噂がありますが、出題範囲は示されるので、その範囲内の勉強をよくしておく必要があります

とりあえずは、高校での履修内容の範囲内で出題されるはずですから大学受験勉強と同じような勉強しておけば良いでしょう。


この教科基礎学力テストを課す目的は、中学高校)の基礎学力を備えているかをチェックするものです。

この基礎学力がなければ、副免の授業に出ても、単位の修得は難しいです。

教員から見れば、基礎学力のない初等の人間が、中等の授業に出てくると、レベルが保てず授業に支障をきたします。

いくらやる気があったとしても、身につけておくべき基礎的な知識がないと、授業で先生の言っていることが理解できませんし、単位の修得は難しいです。

やる気のある無能な人は、周りに迷惑をかけるだけです。そういう人が、中学高校の教壇に立つことが許されるはずがありません。

中学高校教員にとって、何よりも求められるものは、学力です。


「やる気はあるが、学力の低い学生に、再教育をしてくれ」「大学は、意欲のある学生に学び直しの機会を提供すべきだ」と主張する人がいます

しかし、高等教育機関である大学では、「中学高校の復習をしましょうね」という「復習の時間」はありません。

高等教育機関である以上、そのような「学び直し」の授業で単位を出すことは、制度的にも許されていません。

福岡教育大学Fランク大学ではありません。

そもそも、そんなに「やる気」があるのならば、学力が低いはずはありません。

そんなに「学び直し」をしたいのであれば、自分で好きなだけ勉強すべきです。

それでも学力が低いままならば、予備校などに通うしかありません。

高等教育機関である大学に「学び直しの機会」を要求することは筋違いです。


福岡教育大学の初等の学生の特徴でもありますが、文系偏重しており、理系の分野は不得意のようです。

教科基礎学力テストでも、その傾向は明らかで、英語国語社会受験者数は例年、とても多いです。

受験者数が多いことは、ライバルが多いということになります。したがって、C判定をもらう学生は多くなります

各教科ともに、合格者を百人単位で出すことはありません。

というのも、中等の学生向けの授業は、少人数を想定したものが多いため、そこに初等の人間が大挙して押し寄せると、中等の学生への教育の質が保証できなくなってしまう、との理由もあります

たくさん受け入れてあげたいのはやまやまだが、合格者はなるべく少ないに越したことはない、と大学側は考えているようです。

中等の授業では、学力の低い人に、中高に遡って教え直してくれることもありません。初等の学生からといって、評価の水準を下げることはできません。

先にも述べましたが、副免の授業は、中等の学生向けに設けられたものが多いので、そもそも初等の学生が授業に来ることを想定していません。

中等の授業で、初等の学生が多くなってしまうと、中等の学生学習の機会を奪ってしまうことになります

このようなことから合格者は、受験者の10%ほどの合格率が多く、教科によって50%あたりのものもあるようです。

おおよそですが、教科基礎学力テストで7割あたりがボーダーラインで、8割以上取れていれば、ほぼ安心していられる、と言われていますが、これも受験者数や教科によりばらつきはあるようです。場合によっては8割以上の得点であっても、不合格ということはありうるでしょう。


狙い目の教科があります

理系の科目です。数学理科そもそも受験者数が少ないようですし、その割に合格率は高めのようです。

かにも、美術や保健体育、技術や家庭なども、合格率が高いようです。

中学高校教員になって、運動部顧問をしたい」という人は、保健体育を選ぶべきでしょう。


小学校にも「教科担任制」が22年から導入されます。既に北九州市では教科担任制が導入されています

小学校の教科担任制とは、小学校でも、高学年からは専門教科の先生が、その教科については教える、という制度のことです。

中学校の教科を思い出してください。中学校では、既に教科担任制ですよね。

中学校のように、小学校でも、高学年からは、教科の専門の先生がいて、その教科を教えるのです。

導入される科目は、算数理科英語、です。

これらの科目の中学高校の副免を持っていると、その教科の専門に強い先生として、小学校の中で教えることができるようになるでしょう。

経費節減のため、公立でも小学校中学校を一貫にしているところが多くなっています(小中一貫)。そういうところは、小学校先生でありながら、中学免許を持っている先生採用したいはずです。

採用する側も、算数理科英語の教科に強い先生は欲しいところです。

したがって、狙い目の科目は、算数理科英語になります

しかし、英語は、例年、副免の希望者がとても多いので、英語の力がよほどないといけません。

ちなみに、英語で求められる学力は、英検二級レベルと考えられます英検二級は、高校卒業程度のレベルと言われているからです。

そう考えると、数学理科は、狙い目の科目になります


福岡教育大学の初等の学生で、副免を取りたい、という学生が多く、また副免に関して、学内外で、根拠のないデマが流れたりしたので、このような文章を書いてみました。


初等で副免をとる学生は、小学校先生だけではなく、中学高校先生としても通用する、確かな学力を身につける必要があります

そのために、よく勉強をしてください。

しっかり勉強をし、学力を高めることが、あなたから教わる児童生徒のためになります

2021-02-02

anond:20210202001738

初等教育が叩かれがちなのも女性教師が多いからってのありそう

保護者側もPTAなんか勿論袋叩きだし

全面的に女の世界から

逆に男ばっかの工学系は全面肯定

2021-02-01

anond:20210201125425

初等教育/中等教育/高等教育

小学校教育/中学校教育/高校教育/大学教育

って並べるべきであって混同するのは誤解の原因になる・・と思ったけど

これだと高専やら短大やらどうすんのって言われるんかな

2021-01-13

求められる教員

教員養成系課程の大学四年。

元々私は保育士志望なので初めから教員には全く興味がないが、卒業条件なので取らざるを得なかった。

一・二年まで受けてきた講義はどれも初等科教育学演習。

おもんない。

そういえば小学校時分ではそんなんやったな~とか、そういう意味合いがあったんだなと懐かしさもあって随分気楽に受けていた。

三年は幼児教育系の講義が多く、初等教育から随分離れた。

四年になって急に「副免」なるもののおかげさまで小学校へ実習。

おもんない。

元々こういう閉鎖的な空間押し付けられる価値観と考え方の風潮が合わない。

小中高とロクに学校生活を送れている気がしない。

しかも今年はコロナ関係児童たちとのかかわりも最低限で、実習生は横で突っ立って授業を見るだけ。

模擬授業実習生の間でだけ行われるという無味乾燥さが砂漠

果てには後期に教員養成講義があり、「教員とはかくあるべき」といったご立派な教師像を突き付けられる。

リフレクションには不祥事絶対起こさないという決意を書けなどどいう。

何を言ってるのだろう。この方たちは。

どうやって言葉を尽くし、教材研究を行い、児童・生徒たちを導くのか。

このこと自体は非常に面白いと思うが、学級経営基本的な指針が腐っている。

子どもたちの能力ややる気を伸ばすだとか思考力がどうだとか言っているが。

面白いか?勉強

俺はそう思えん。

なんならギムナジウム的にしてしまえとすら思ってる。

早いでしょその方が。

一対多でどれだけ効率よく子供たちを六年ないし三年いなすか、そんなことしか考えてないように感じる。

加えて、教師像が精練聖人かを作るべきだとでも思ってんだろうか。

イイじゃん人間臭い教師がいても。

宿題?やってきたのえらい!」

宿題忘れたの、じゃあ成績は下がるだけだねえ」

これでええやん、もうはっきりと言えばええねん。

先生悲しいよ」とか「~のため」とか言うとる場合か。

何故この教育の皆さんは自己責任と言ってやらないのだろう。

無論そんなことが分からんような子どもに行ったって無駄からそれをしろと言ってるんじゃない。

「○○のため」

「みんながそうしてる」

「決まりから

この文句が本当に嫌い。

その言葉の裏に見える「俺はめんどくさいことしたくない」という言葉が見え隠れして嫌い。

本心で話せや。

言い方で何とでもなるでしょう?こんなものは。

言わせたい言葉を引き出すような言い方止めろ。

はっきりと、何を主張したいか、言え!!!!!!!!

あーダル

2020-11-25

anond:20201125075648

その研究開発、R&Dでイノベーションガー!内需ガー!インフレガ―!ってのは

大和46cm砲ガー、我々シャー◯が1兆円投じた境工場デー、トヨ◯はガソリンエンジンロマン運転する喜びや感動への共感デー、コロナにはワクチンデー、痛みを伴う改革ガー、経済対策にはMMTデー

っていうのと並列でなんも変わらねー感じじゃん

そら金刷って国家総出で教育未来への投資に正しく投資されればちょっとはマシかもしれんけどお前本気でこんな国民たちでそんなこと可能になると思うか?

初等教育やら産ませる前時点でマインドセット環境整備で教育からやり直さないと土台無理なんじゃないの?大人には全国民VRヘッドセットでも支給して強制的毎日時間洗脳教育でもしてさ。

でもそんなことやってたらこの先150年あっても足りねーよ。東ローマだって150年も猶予与えられてたらまた持ち直してたんじゃねーの?MMTって50年もやれるのか?無い国消える国は消えてしまったあとの皮算用をしてもしょうがないだろ。

だいたいこの国は先の大戦で負けた時点から国体として存在してないまであるわ。だから大方アホに見える日本エリートから底辺までそこらじゅうによくいる刹那的生き方してるやつのほうが分析力高くて合理的生き方してるまであると思ってる。

いや俺だって横軸として新自由主義に対しては批判側だよ?

でも縦軸としてそういうお題目万能主義思想は大っきらいだわ。

からってどうなるわけでもなくもうこの国はすでに終わったと思ってるしお前も含めて嫌いなタイプ人間が多いか種族としての日本人は滅んで個としてかつて日本だった属性を背負って子孫たちが細々と生きてくくらいで丁度いいんじゃないのって思ってるけどさ

2020-10-31

anond:20201031115720

反応ありがとう

日本小学生について性差と科目を結びつける圧力がどのぐらいあるのかは、コミュニティにも依存しそうでちょっと判らない。個人的には、特に上位層に関係しそうなコミュニティではあまり違いを強調する育て方はしていないように見える。少なくとも、中学高校以降で見られるような何らかの選別(理数コースとか)があるというシステムにはなっていないように思う。

また国際的に見ても初等教育時点での能力差はあり(小学校は見つけられなかったけど15歳の参考↓)、特に算数の上位層では男子の優位性が顕著になるという傾向はあるように見える。逆に国語女子能力が高いが、その差は下位層で顕著であり、上位層になるにつれて減少する。

参考:Gender Gaps in PISA Test Scores

http://ftp.iza.org/dp6338.pdf

(なお上記の資料では、母親から娘への社会的影響重要という結論になっている)

あるいは、理由はともかく小学生でこれだけ顕著な差が現れているなら、対策をするならその段階以前から取り組むべきであり、大人職能集団レベルでなんとか辻褄を合わせろという圧力不毛だと思う。

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