はてなキーワード: フォークソングとは
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。
ベタなE、Em、それに7thが入るとどうなるか、みたいなのは個々人の感覚で馴染んでもらうしかない
ちょっと間抜けな演奏がしたいと思ってE7を選ぶ、という演奏はない気がするんだけど
まあ、自分は正規の教育受けてないのでなんとも言い難いんだけど、違和感が…
そもそもダイアトニックコードがあって、いわゆる3コードがあって、
3コードと代理コードちょっとあれば、簡単なフォークソングとか弾けるよね、と
長渕剛だったか、C、F、G、Amさえあれば作曲できることが分かったのがスタートラインだったと言ってたし
そこにノンダイアトニックコードが加わって、そこで7thも登場してくるし、
それから、C7、F7、G7みたいなブルース、ロックンロールみたいなのも瞬間的なメジャーとマイナーの転調というか、
メジャーとマイナーのスケールをフラフラ行ったり来たりする浮遊感がブルースらしさというか、
あと、7thコードからディミニッシュコードを見つけてみると、それがブルースとかの合間でいい感じに響く
"Welcome to the Jungle"にも含まれてるけど、そういうのをコードから発見したり
あと、Eメジャーは明るくて、Emは暗いとか悲しいとか、一般論としてはそうなんだけど、
それがコード進行の中で必ずそうかと言うとそんなことはなくて、
Eメジャーが寧ろ暗さを醸し出したり、Emが爽やかに感じられることだって有り得ると思うんだよなあ
まあ、音楽理論はゴチャゴチャ理屈とか文章読むより、弾いた後に納得するのが普通だから、とにかく弾けとしか言えないんだよね
よく偉そうに音楽理論を学びたいなら楽典を読めみたいなアドバイスする人がいるけど、
そういう本を選択した方がいい
やたらに難しい本をアドバイスする人は自分よりレベルが上か、もしくはハッタリの可能性さえあるから(プログラミングも同じで
あと、音楽理論の本だけ読んで理解するものではなくて、寧ろ楽譜をコピーしたり耳コピして、
音が聴き取れなかったら今はGoogleしてみると、できる人やプロの作曲家がブログで解説していたりもするから、
そういう総合的なものを活用して、とにかく弾いて理解するのが音楽理論であって、
今思い出したんだけど、大学時代に理系の大学なのに座学オンリーの音楽理論の授業あったわ
ずっと寝てたわ…
前半
https://anond.hatelabo.jp/20210104090522
グループ自体はジブラの娘がラップしてることしか知らなかった。流行ってるらしい。
驚くほど歌詞が単純なんだよな。「聴き手を笑顔にしたい」ってことしか言ってない。でもその直球の励ましが却って洗練された仕事に感じる。あどけない女子が直向きに踊って歌って「元気出して」って言ってる、アイドルって結局それで十分なんじゃないか。
こういう応援ソングが受けるのも不安な世相を反映しているのかなとも思ったり。
なんか全体的に見てNizi Projectってラブライブ!ぽい。ラブライブもそんなちゃんと見たことないから大それたこと言えないけど。パフォーマンスのバックストーリーとして青春群像ストーリーを展開してるとことか、わりとパフォーマンスの方向性がべたな「カワイイ系」の日本のアイドル像ぽかったりとかなんとなく雰囲気が似てる。単純に9人組だからそう錯覚すんのかな。
出で立ちとかパフォーマンスは日本人好みにチューニングされてる感じだけど、曲自体はJ-popであまり見られない作りだったのがヒットした一要因かもしれない。あんな一定のリズムやテンションでサビまで流れ込む曲は「サビで爆発する」J-popにはなかなかなくて、それを幼さが残る可愛らしいアイドルが歌う新鮮さがあった。
まあなんだかんだいってもNiziUが売れた最大の要因はJ.Y.パークのマネジメントセオリーが注目されたことだと思ってる。
ドルチェアンドガッバーナはNHK的にセーフか否かで一部盛り上がりましたね。
オーソドックスなフォークソングのスタイルを下地に、R&Bとかレゲエのエッセンスをなんの疑問もなく混ぜ込む、このバランス感覚は今どきの若者だからこそだろうなと思う。どこまで意図したかはわからないけど結果として長渕とか井上陽水を聴いて青春を過ごした中高年から、SpotifyやTikTokに浸る今の学生世代にもしっかり刺さる名曲ができてしまった。
「香水」みたいな同じリフを繰り返すタイプのアコギの弾き語りってエドシーランとかがやってるのと同じアプローチで、エドシーランはヒップホップとかとのミクスチャーのつもりで意図的にやってるんだよね。
ヒップホップ感覚で聴けるポップスがヒットしたことに時代の変化を感じる。
「ヒップホップは歌えない」って曲も出してるけど意外と瑛人はフリースタイルとか出来ちゃいそう。
当たり障りないけど誰にも一度は経験ありそうな普遍的なシチュエーションにLINEやドルガバなどの固有名詞を放り込む詩世界も素敵だ。
Perfumeもとうとうメドレーを求められるような境地に入ったのか。来年も紅白で見たい。
せっかくの別スタジオだからライゾマティクスに期待しすぎてしまった。
Perfumeに続けてベビメタが出るのは紅白出演者の世代交代のつもりだったりとか…じゃないよな流石に。
テレビ出演してないとまだまだ認知度も比較的低いのかともに見ていた母は認知していなかった。母はあまりにも情報量が多すぎてぽかんとしていたが曲タイトルだけは「そのまんまじゃんw」と笑っていた。
今回の紅白は無観客だったり別撮りだったりでカメラワークの制限が少ないから寄りのショットやボーカルでないメンバーを抜いたショットが多いかもしれない。
サポートメンバーは博多華丸の娘さんらしい。個人的には鞘師里保に出てほしかったけど、かっこよかったね。
筒美京平追悼メドレー。
なんかちょっと背中が丸まってて流石に郷ひろみも歳とったなーなんて思ったり。ベテランはそれが味だよな。
ヘアスタイリングはあれでよかったのか?スネ夫みたいになってた。
冒頭の司会とのやりとりからして癖が強い。立ち姿からして唯一無二。こんな奴見たことない。
こんな声が裏返ってたっけ?
セットに囲まれて360度カメラがぐるっと回り込むのは無観客ならではで感心した。
この人高橋真梨子みたいにこれからちょくちょく出演するんだろうな〜
山崎育三郎は安倍なつみの前でもあんなキザな顔をしているのだろうか。
視聴者がこの件で一番期待していたのはおそらくGreeeenの顔出しじゃなくて"岩城さん"が歌う「イヨマンテの夜」だった。
3曲メドレーそしてうち1曲はフル尺という破格の待遇だが、国内トップクラスの人気を持つグループなのは間違いないし、歴代の紅白司会者かつ東京オリンピックテーマソングを歌う歌手という功労者であることは拭い去りようがないので、これもまあ妥当な扱いだろう。
昨年と同じく新国立競技場からの中継。「カイト」の合唱は広いグラウンドの真ん中で5人だけで歌っていた昨年からここまで歌が世間に浸透したんだという感慨があってよかった。でもバック映像がちょっとくどかったかなー。テロップでポエム流すのとかちょっと寒かった。
Cメロ部分をまるまる口上にしていた。普段はこういうのファン以外は喜ばないからやってほしくないと思う達だけど、今回はこの瞬間だからこそわざわざいう必要があったしいい演出だったと思う。
こういういかにもアイドルっぽい曲調の応援歌を投入してくるところにサービス精神を感じる。
NiziUでもそうだけど今ニーズがあるポップスってやっぱ応援歌なのかもな。
オリンピック関係で求められる「カイト」、自分たちが世間へのエールとして歌いたい「君のうた」、自分たちの代表曲の一つで大衆に求められている「Happiness」で、3曲披露する意義をそれなりに示してた。
さまざまな記録を提げ鳴り物入りで登場。
舞台セットが累との戦いのイメージだったり背景映像が日頃見かける紹介VTRでは見ない映像だったり。スタッフがちゃんとリサーチして作ってるのか、そこまで「鬼滅の刃」が世の中に浸透しているということなのか。なんかわからないけどディテールが凝った演出。
去年もそうだったけど紅白だとすごく歌いづらそう。PAに嫌われてんのか?
管楽のサポートメンバーイントロしか出番ないじゃんと思ってたら合いの手とかハンドクラップもやってた。
ギターも出番少ないなこの曲。
去年までは音像とか音色とかの上物は洋楽に寄せてその代わり大枠はJ-popのセオリーに従った構成で大衆性も獲得するヒゲダンとかKing Gnuみたいなのが売れるタイプだったけど、
それとは真逆で、音やフレーズは従来からあるJ-popやフォークなのに、曲のアプローチそのものは現代的な洋楽のそれに肉薄してる「夜に駆ける」や「香水」が大ヒットしたのはパラダイムシフトかもしれないな。
真ん中のアリーナステージも上手いこと使ってたね。
歌い終わりにけん玉リレーが追いついてないの一番残念なパターンかもな。
CDを出さない。ネットでは普通に露出してるしバラエティ番組にも頻繁に出るけど音楽番組は避ける。曲もそうだけど活動自体に斬新さがまだまだあると思う。
この曲って一聴するとaccessとかfripSideとかの昔からあるザJ-popって感じのシンセポップぽいんだけど、基本的にベース部分はA♭→Gm→Cmの繰り返しで、そこにB♭やE♭のコードを場繋ぎとして差し込んだり細かい細工をして展開を作ってるんだよね。それでドラムパターンも一定でクラブとかで流しても違和感なく踊れるような作りになってる。
最後のサビで半音さがるっていう転調を行ってるんだけど、コード進行がシンプルなおかげでそこがすごく目立つ。やっぱ転調は肝心なときしかやっちゃいけない技だよ。
やっぱメインボーカル2人ともいなくなるのは痛い。
いろんな曲のフレーズが散りばめられていたけど世代的になんとなくわかっちゃう。伊達に16年前からやってるバンドじゃねえわな。
この時期に阿波踊りしてるの見せられてもなんとも変に思わない歌手は椎名林檎だけだな。
最後のウィスパーボイスセクシーだな。「母親か」ってすげえツッコミだなおい。
ゆずの曲をフルオーケストラで聴く機会なんてないからこれは面白いものを見た。
篠笛の人が妙に目立ってた。刺客みたいになってた。
おじさんのあいみょん好きは本当に謎。いやいい曲だけど。
吉沢亮が出ててあいみょんが主題歌の映画なんてあったっけ?と思って調べたら、吉沢亮って「空の青さを知る人よ」の生霊の役やってたんだ!観てたのに全然気が付かなかった。流石だわ。
「マリーゴールド」のイントロのギターのフィードバック音とか「裸の心」のぽんぽん鳴ってる音とか、これよく聞くと歌が始まってもずっとループで鳴り続けてる。普通のポップスって顔しながらこういうブレイクビーツぽいのを密かに延々と鳴らし続けてるのラナデルレイみたいでかっこいい。
We Are The World的なドリームチームをさくっと作っちゃったYOSHIKIのパフォーマンス。
ロサンゼルスと中継だとタイムラグがあるだろうによくオケに合わせてピアノ弾けたな。
凄いスケール感だったけどやっぱりこの曲はまだ歌われる時期ではないような気がする。
バロック調でのオーケストラアレンジは何回も聴いた「愛をこめて花束を」に新しい解釈ができて楽しかった。
普段のでっかい花束を抱えてくる様なパワフルなパフォーマンスもいいけど、ボッティチェッリのプリマヴェーラの様な軽やかを携えたこのバージョンも好き。
自分が歌いたいマイナーな歌を歌って見ている側にも響くものがあるのが凄いな。ミスチルというブランド力だな。
モノトーンで無機質なんだけどどこか暖かみがあるセットがちょっと丹下紘希ぽい。「IT'S A WONDERFUL WORLD」から「I ❤️U」の頃が僕にとってミスチルが一番身近だったのでなんだか懐かしい気持ちになった。
ギターはアンプ直刺しでドラムセットも簡素。サポートメンバーもストリングスとピアノにかぎっていて(コーラスは被せ?)、機材がなるたけシンプルなのが潔い感じでかっこいい。
1番の終わりのコードがマイナー調で暗いのが大サビの後で暖かい響きのものに変わってるのがベタだけど良いな。
いつもの「天城越え」だけど冒頭のピアノのアルペジオが繊細な印象。
当然のように上手い。
思うことは色々あるけど、「期せずしてYOSHIKIの「Endless Rain」へのアンサーになった。」ということだけに留めたい。書ききれない気がする。
メイク濃くなってから観月ありさと見分けがつかなくなってきてる。
「どうなっちゃうんでしょうね」
この曲カバーしてる人何人かいるけどかわいくみせてやろうって衒いがあるんだよね。本人は流石にすっきりしてる。
合唱やる人多すぎてここにきてなんか見飽きだしてたから、冒頭の演出で「またか」とはやとちりした、すまん。
「守ってあげたい」は名曲。カバーだと鬼束ちひろバージョンが好き。
20分くらいまえから時たま怒号が聞こえてた気がするけど、玉置浩二のスタンバイでなんかトラブルあったのかな?
「田園」だからベートーベンの「田園」をモチーフにしてるのか。Superflyのときも思ったけどオーケストラアレンジもいつになく拘ってたよな。
良くも悪くも星野源と対照的なパフォーマンス。星野源が月なら福山雅治は太陽みたいな人。僕みたいな日影者はなんか感覚が合わないな。嫌いじゃないけど。
まだ13回しか出てないのなんか意外だわ。
今剛は一瞬しか映らなくてもすぐわかるな。今剛とJマスシスぐらいだろそんなの。
MISIAは鼻腔共鳴が半端なさすぎてたまに何言ってるのかわからないときがある。でもそんなこと気にならないほど歌が上手いからなんとかなってる、圧巻。
サブちゃんの「今の若者は世界を歌ってる」っつうのは的確なコメントだったと思う。ただコメント全体的に長かった。
ジャニーズ多かった。2枠をJO1とDISH//に譲るべきだ。
優勝旗ってどこに保管されてるんだろうね。
顔がイケメンなのかっていうと、よくわからないけど、少なくともブサイクではないと思う。
特に長距離ではすごくて、小学校のマラソン大会では毎年一桁台だった。
親も陸上関係でメシ食ってる両親で、俺の才能っていうよりかは、親の影響が大きかった気がする。
親父のジョギングに、保育園の頃からついていって走っていて、いつの間にか俺も走るのが好きになってた。
俺にしてみれば、一位という結果は本当にたまたまだった。
周りが喜んでいるのを見て、俺も「自分がすごいことをしたんだ」と嬉しくなった。
まあそれは、そんなもんだ。
周りが全然俺よりはやい。
俺が全力で走ってるのに、周りがどんどん俺を離していく感覚を、生まれてはじめて味わった。
不甲斐ない成績だった。
でもその頃から、たぶん俺の心の中で、走ることに対して、迷いが生まれたんだと思う。
この挫折をきっかけに、もっと速くなる奴が、きっとプロになったり、駅伝ランナーになったりするんだろう。
でも俺はたぶん違う。
14歳や15歳のガキでも、自分に対してそのぐらいのことはわかる。
俺は単に周りに褒められたくて、長い距離を走ってただけなんだ。
特に県大会に出て、ホンモノたちに会ってしまうと、俺がいかにダサい存在かはよくわかった。
その親と5歳から近所のコースジョギングしてました、とか、関係なくて。
ホンモノは違うんだよ。
なんていうか、オーラでわかる。
正直スタートライン立った時点で、もうホンモノとニセモノははっきりわかった。
ニセモノだったのは俺だけじゃない。
ほとんどはニセモノ。
俺はそっち側だった。
でも、もう、マジで感覚的に全然違うのがわかったから、どうしようもなかった。
努力? 才能? なんなの? 何が違うんだ?
仮に俺が途中でぶっ倒れてもいいから、全力ダッシュしたとしたら、
何人かは抜かせただろうけど、それでも抜かせない選手っていうのが、結構な数いた。
ああいう奴はなんなの?
意味がわかんなかった。
いや、今もわかんないけど。
実際その場で一緒に走んないとわかんねーよ。そういう奴らと走る感覚って。
まあその話はいいや。
普通に受験したら、俺の頭では間違っても入れないような私立高校。
そこの陸上部入ったら、まあ、周りは全然大したことなくて、すぐエースになった。
俺みたいに陸上のスポーツ推薦だった奴いたけど、長距離は3人しかいなくて、俺以外の2人は全然ショボかった。
てか、このレベルで推薦とれるのか、って失望するレベルだった。
エース扱いで、相当チヤホヤされてたと思うけど、心の中ではどんどん冷めていった。
俺は県大で、自分のショボさを思い知って、自分の限界を感じたのに、周りの奴らは俺を神かなにかみたいに崇めてるわけ。
なにこれ?
は?
お前らはバカ?
偏差値xxあって何を見てるの?
とか思ってた。
当時俺みたいな中途半端な奴って学校に結構いて、自然とそういう連中とつるむようになった。
特待生で学校入ってきたけど、周りのレベル低すぎてうんざりしてる優等生とか、
すげーサッカー上手かったのに部活の顧問とか先輩とかと合わなくて帰宅部になった奴とか、そんな連中。
高二になってからは、そいつらといるのがとにかく楽しくて、練習サボって遊ぶくらいになった。
「マラソンってくだらなくね?」
とか俺に向かって言っちゃうような奴らだった。
はじめて聞いたとき、本当に新鮮だった。
だって、家族や友達で、陸上を否定する人間なんて、それまでの人生で会ったことがなかった。
いろいろ悩みながら陸上部を続けてきた俺だったが、遂に決意する。
「ごめん。陸上部辞めさせて」
家に帰って、俺は親に言った。
親が買ってくれた、1万円以上するランニングシューズをエナメルバッグに入れたまま。
けど俺の決意は固かった。
たくさん説教された。
俺の陸上の才能を認めてくれて、もったいないって言ってくれる人もいた。
それが一番心が痛かった。
でも俺はもう決めていた。
本当の自分で生きたい、って思っていた。
陸上は、俺が本当にやりたいことじゃないんだよ、親父、お母さん、先生。
そんなことを何回も言った。
陸上の成績でスポーツ推薦を決めた奴が、陸上辞めるなんて前代未聞だろうな、と思っていたが、それはそうじゃなかった。
心が折れなくても、ケガでそのスポーツ続けられなくなる奴も多い。
だから、俺の陸上辞めるという選択で、退学になるようなことはなかった。
俺はそこから、本当にやりたかったことにうちこむようになった。
それは音楽だった。
あるとき、いつもつるんでる友達から、「バンドやりたくね?」と言われた。
最初は冗談みたいだったが、いつの間にか皆楽器を買っていて、本気でやることになった。
俺はボーカル。
休みの日に、皆で県で一番賑わってる駅のスタジオに行って、死ぬほど練習した。
スタジオの人がいい人で、ホントは2時間料金なんだけど、何時間でも練習させてくれた。
これが本気で楽しかった。
あ、これだ、って思えた。
陸上がつまんない、っていうことはない。
でも、心のそこから楽しんでるか? と言われたとき、即答はできなかった。
親の影響でやってるんじゃないのか? 自分が脚速くなかったら続けてたのか?
長距離走について、そんな質問をされたら、俺は答えれないと思う。
音楽は違う。
親は音楽なんて聞かなかった。
俺は特に歌がすごく上手いわけじゃない。
それでもめちゃくちゃ楽しい。
何時間でもやっていたい。
どんどん上手くなりたい。
俺の他にもっと上手い歌手がいても、そいつよりも上手くなりたい。
どうして県大会のとき、こんな感覚になれなかったのかは、今でもわかないけれど。
たぶん、陸上をやってる俺は、本当の自分じゃなかったんだと思う。
親が望む、自慢の子供を演じていた。
けど、俺が本当に嬉しいことじゃなかった。
俺は親の喜ぶ顔で喜んでただけだ。
音楽は、俺に直接喜びをくれた。
けど、その三人が生み出すグルーヴの上に、俺の歌を乗せる。
それで曲が完成する。
時間にしてみれば、ほんの数分。
それまで長距離を走破してきた俺にしてみれば、ほんの一瞬だ。
で、忘れもしない文化祭。
俺の高校の文化祭は、応募制の野外ライブというのが何年か前からあった。
軽音楽部とかフォークソング部とかのバンドが演奏するステージだったが、
他にも教師が組んだバンドとか、有志で組んだバンドとかが応募して、出演していた。
俺たちもそこに出ることにした。
はじめてのステージだった。
その頃になると、もう俺たちの演奏レベルもかなりのものだった。
実際その後、ドラム叩いてた奴は音楽関係に進んで、今は有名ミュージシャンのバッグで叩いて飯を食ってる。
結局そいつが一番すごかったのかも。
野外ライブで、俺らの番が来た。
バンド名はさすがに恥ずかしいので秘密だが、司会が俺らのバンド名を呼んだとき、ちょっと肌が粟立ったのを覚えてる。
ここから将来ミュージックステーション出たり、紅白出たりしたらめちゃくちゃカッコいいな、と一瞬思った。
観客は結構集まってた。
ボーカルを俺がやっていたので、陸上のときの同級生・後輩が結構いた。
ギターもサッカー部の人気者だったので、それ目当ての女子が結構な数いるのが見えた。
自信があった。
後輩も、もしお前らが俺を尊敬してるとしたら、単に足が速いから尊敬してるだけだろ、
でも、これからは音楽を通じて、尊敬してくれ、と本気で思っていた。
それまで偽りの自分で評価を得ていた人間が、本当の自分で戦うのは、本当に気持ちいいものだった。
MCで何を喋ったかもよく覚えてるが、これはマジでイタいことを言ったので、敢えて記載はしない。
俺が想像していた観客の表情ではない。
なんか笑いをこらえているというか、笑ってる奴もいる。
当時はビジュアル系全盛期で、俺たちが選んだ曲は、L'Arc~en~Cielの『花葬』だった。
俺はHydeに全力で心酔していた。
ていうかHydeよりカッコいい人間は今でもこの世にいないと思っている。
けど俺はHydeじゃなかった。
俺はそれまで自分のことを正直カッコいい部類だと思っていたが、Hydeではなかった。
それから俺は、高校を卒業して、親のコネがあった地銀に就職した。
今年はじめて箱根駅伝を見た。
それで内心「うわああああああああああ」となったが、嫁に気取られることはなかった。
俺が人生で学んだ人生訓は、「本当の自分とか言ってねーで、人から褒められることをひたすらやっとけ」だった。
でも、そんなこと子供に言う訳はない。
願わくば俺の子供が、ホンモノの才能を持っているか、ニセモノの自分に何の疑問も抱かないウスノロのどちらかでありますように。
最近のトレンドというか盛衰をいえばエセファンクとメロコアのリバイバルって感じ?
official髭男dismとかsumika、04 limited sazabysはまあもうちょっといけるかもね。
夜の本気ダンスなんかは微妙な存在になっちゃったな、もうちょっと早くデビューできていればsuchmosじゃなくてこのバンドがきてたかも…
僕はバンプって構造的にフォークソングをアレンジ重ねて昇華していると思っていて、
曲に対するアプローチとか各メンバーのプレイスタイルに際立った個性はないから、ムーブメントめいたものとは無縁のバンドだとみなしていたわ。
バンプは藤原基央の佇まいと詩世界を肉付けするための存在だから基本的にやってることは全然変わってない。それでもRAY以降、転調や同期やドラムの手数なんかが明らかに多くなって比較的ポップスよりになったなぁなんても思うが。
野田洋次郎とか米津玄師は藤原基央と比べられたり同じ系譜として揶揄されることがあるけど、基央と比べたらもっと尖った存在だよね。
米津玄師は、宇多田とか、もっと言えばFrank OceanとかChance the rapperに近いニーズがあんのかな。自分の部屋にこもって延々曲作っててマスメディアと断絶してるみたいなイメージ(あくまでイメージ)で支持されてる感。
そんなカリスマ関係なしにつべでMV公開してBandcampとiTunesとSpotifyで売ればいいわー、レコも打ち込みも自分でやりゃいいじゃんってな具合にどんどんミニマルになっていってる気はする。
平成に入ってからだと思うけれど、以前島唄という沖縄民謡の作法に則って作られた歌があって、結構売れた。
内容はよくよむと反戦、侵略された側のための内容だ。同じシングルのB面もそんな感じ。
でもまあ、本来の沖縄歌謡の人からは最初、沖縄出身でもないし本来の沖縄民謡でもないから受け入れがたいと嫌がられたんだけどね。
島唄はネットの幼いおばかさんたちに分類させればサヨクの歌、愛国心がない歌と分類されるんだとおもう。
同じく、こないだのあれも愛国心のある歌、ありすぎる軍国的なウヨクの歌と分類されるだろう。
歌にできる個人の思いなんてその場限りのもの、揺れ動いて当たり前のものなんだ。
「みんなの思い」なんてものは幻想にすぎない。あるのは「思惑」くらいだ。
歌を政治的主張(自衛隊をどうするかとか憲法をどうするかとか)で
自説補強につかえる(けどそんなことはさせないゾ)というのがそもそもウヨク、サヨクの思い込みにすぎないよ。
愛国心なんてものはそのときのレッテルにすぎない。(それをうまく歌に落とし込めてないならそれは歌としての問題にすぎない)
逆に目立つから自分のもやもやイライラした気持ちのぶつけ先に利用できると考える、本来の右翼でも左翼でもない人たちならたくさんいるけど。
(もしなるというのなら災害救助を受けている人はみんなせっせと歌うだろうね)
自衛隊なり警察なり救急車なり、国や人を守る制度を動かすのは国会で決まった予算だ。
バカバカしい話だ。
つまり本当の愛国心はお金だ。税金を払う人は愛国心がある、なら言ってもいい。
歌を歌ったところで「愛国心」で救われた人や村や田んぼなんかビタイチ増えないよ。
ただ歌で気持ちよくなってCDを買う人がたくさんいればアーティストが所得税をおさめて「愛国心」を証明できる、てのはあるだろう。
そのためにアーティストはだれかをなるべく気持ちよくさせるような歌をつくる。
それだけのことだ。
1000年経ったら島唄もあれも平成百人一首の中に同時期の歌の例としてならべられてる程度のものだよ。
まあ、歌としてできがよければ、の話。
手がかりは「やわらかいトゲ」「今ごろ…痛い」であり、ウチワサボテンの一種と推定される。「金烏帽子」「白桃扇」などだろうか。ウチワサボテンには柔らかく短いトゲがたくさん付いているものがあり、触れるとそれが刺さりっぱなしになってしまい、ふとした時に痛みを感じる。
私はそれを知らずに素手で植え替えをしてしまい、夜中チクチクと痛みに悩まされることとなった。ホームセンターなどで広く販売されているので、触れる際には気をつけるべきだ。不意に軽く触ってしまっただけでもトゲが刺さっている場合がある。
手がかりは「君がそだてたサボテンは小さな花をつくった 春はもうすぐそこまで」「この長い冬が終わるまでに」と冬に花を咲かせる品種であるのが明示されていること。と言うわけで、シャコバサボテン(ジャコバサボテン。間違えていた。コメントより。ありがとう。以降は修正済み)である。サボテンと名は付いているけれどトゲはなきに等しく、多肉植物や観葉植物と言ったほうがピンとくるかもしれない。広く販売されている。冬に花を咲かせるサボテンはこれ以外に知らない。
冬に花を咲かせる多肉植物としてはリトープスやコノフィツムなどのメセン類があるが、これをサボテンと誤認していたとは考え難いので、やはりシャコバサボテンが正解だろう。
(追記)冬に咲くサボテンとして「マミラリア類」があるとブコメで指摘頂いた。ありがとう。確かにこちらの方がイメージに近い。
手がかりが「サボテンに花が咲いたとか 小さな幸せ 数えるんだ」という部分しかなく、判別不能。「小さな幸せ」であることから、花が咲きにくい品種でないことはわかる。花が咲きにくい品種だったら大きな幸せだからだ。
「灼熱の太陽と 風が乾ききった砂漠の ど真ん中で叫ぶサボテン トゲを持ち夢の花を守れ」という部分から推察するに、砂漠にそびえ立つ大型の柱サボテンであると推測される。
手元ある『サボテン・多肉植物ポケット事典』(NHK出版)によれば、該当しそうな品種としては「武倫柱」「大鳳竜」「亀甲柱」「ネオブクスバウミア・マクロケファラ」などがある。ちなみにタイトルの「覇王樹」は品種名ではなく、サボテン自体の別名。
「僕はサボテン 見かけよりはすごくやさしいよ」という部分しか手がかりがなく、特定困難。「見かけよりは」と言っているということは、「金鯱」のようなトゲの激しい品種であると推定される。
「トゲトゲが伸びてつらくなってきて」とあることから、トゲの長い品種であろう。そして「歩く」とタイトルにあって擬人化されているということは、縦に長い柱サボテンであることが推測される。前掲書によればそれに該当しそうなのは「近衛」「錦鶏竜」「金城丸」あたりだろうか。
歌詞に「トゲ」とあるので、トゲのないサボテンではない(つまり「兜」「ランポー」「老楽」などではない)ことはわかるけど、それ以上は手がかりが少なくてわからない。
■『レッツゴー!サボテン』サボ
歌詞に「砂漠」「トゲ」とあるので、砂漠に自生するサボテンであり(つまり「シャコバサボテン」ではない)、トゲのないサボテンではない(上のももクロの曲参照)というところまでしかわからない。
(追記)サボさんを見た。全体的な形状とトゲの長さ・少なさから判断するに、これは「墨こけし」で間違いない(https://greensnap.jp/post/311512)。特定した。
(追々記)墨こけしは3年くらい育てているけど花は見たことないなぁ。
歌詞中の「あなた」が何らかのサボテンをプレゼントしてくれた以上のことはわからない。(追記)たまに園芸店でハート型のサボテンが売られているが、それかもしれない。
「さむいのはにがてなんです」と歌い出しにあるが、サボテンは意外と寒さに強い。私は北関東に住んでいるが、育てているサボテンは冬でも外に出しっぱなしにしてある。但し、寒さに弱い品種があるのも確かである。幾つかは冬に枯らしてしまった。従って、ここで歌われているサボテンは寒さに弱いタイプの種類であると推測される。おそらくたくさんあるので特定は困難を極める。
■『サボテン』VIXX
「棘の先に華やかに咲く花」と歌詞にあることから、サボテンではなく多肉植物ユーフォルビアの一種であると推測される。具体的には「紅彩閣」あたりだろうか。
トゲのようなものを持つ多肉植物が幾つか存在するが、サボテンとの見分け方は「トゲの根元に綿みたいなものが付いているのがサボテン」と言われている。ユーフォルビアの「紅彩閣」にはトゲみたいなものはあるものの、綿みたいなものはないから多肉植物である。
で、その「トゲみたいなもの」は実はトゲではなくて「花座」と呼ばれるもので、季節になるとその先端に黄色い花を咲かせる。一方、サボテンのトゲは葉っぱが変化してできたものであり、棘の先に花を咲かせることは私の知る限りない。サボテン本体から蕾が出てきて花が咲く。
―追記―
「サボテンが赤い花を付けた」ことから赤い花を咲かせる品種であることはわかるものの、赤い花を咲かせるサボテンは結構たくさんあるので特定は困難を極める。今日、育てている「ランポー」が鮮やかな黄色い花を咲かせたので、ランポーではない。
歌詞中の手がかりが少なくて判別できない。「緑」というキーワードがあるので「(白い)ランポー」「老楽」「月世界」あたりではないと思う。
(追記)PV見た。ぷっくりとした美しい形だった。知る限りあの形に一番近いのはユーフォルビアの「大正キリン」かと思うが、断定はできない。
■『孤独のRunaway』B'z
「サボテンが街を笑い」とあるので街を笑うことのできるサボテンであることは確かだが、街を笑うことのできるサボテンは寡聞なので誠に遺憾だが判別できない。
あまりにも唐突な台詞であり、リアリズムと言うよりはメタファーであると思われ、品種を特定するための手がかりが少なすぎるので特定には困難を極める。(追記)画像を見るにこれ(https://www.iris-gardening.com/leaf/33_01.asp)に似ている。ただ、名前がわからない。わかったら書く。わかる人いたら教えてください。
―追記2―
「変な形してるのに 可愛い花咲く」が手がかりとなると思われるが、サボテンは厳しい環境を生き抜くために殆どが変な形にデザインされているし、変な形から比べると殆どが可愛い花を咲かせるので一般的な情報を越えない。
また「力一杯 握ってごらんよ」の部分からトゲがそんなに鋭利ではない種類であると推測される。鋭利なものだったら「力一杯」握ったらスプラッターと化すからである。これ以上のことはわからないものの、敢えてあげれば「金烏帽子」などのウチワサボテンあたりが妥当かと思われる。
■『仙人掌哀歌(サボテンエレジー)』二階堂衝(CV:織田優成)
ヒントが少なくて品種の特定は困難である。「仙人掌」とはサボテンの異名。
ちなみに、歌詞中に「仙人掌はただ見つめてた 君の勇姿とあふれる夢を」とあるが『植物はそこまで知っている』(ダニエル・チャモヴィッツ、河出文庫)によれば「植物は、あなたが近づいてくるのを知っている。あなたがそばに立って、見下ろしているのを知っている。青いシャツを着ているか、赤いシャツを着ているかも知っている」とある。つまり単なる擬人化ではなく「仙人掌」は少なくとも「君の勇姿」はきちんと見ていた(モニタリングしていた)と考えられる。
「ここにサボテンを植えよう 花が千年に一度咲く」とあるけれど、千年に一度花を咲かせるサボテンは寡聞である。サボテンではないが、たまにニュースで見かける「スマトラオオコンニャク」は「7年に一度2日間」しか花を咲かせないらしい。
また、これもサボテンではないが、砂漠で千年以上も生き続ける植物としては「奇想天外」がある。2つの葉っぱが延々と伸び続けるだけという奇特な植物で、成長は遅く、「種子が発芽してから種子をつけるまでに、25年ほどもかかる」との情報がある。これをサボテンと誤認した可能性がなくはない。
歌詞に「紺碧の仙人掌」と出てくる。「サンタマリア」とはポルトガル語で「聖母マリア」のこと。「紺碧」とは「やや黒みがかった青」とのこと。
「やや黒みがかった青」っぽい色のサボテンには例えば「豹頭」などがある。また、サボテンではないが多肉植物として黒っぽいものには「黒法師」がある。いずれにしても特定は難しそうだ。
―追記3―
「棘」「砂漠」というキーワードがあることから、上に挙げたようにトゲのない品種ではなく、「シャコバサボテン(湿度が高めの森林地帯に自生する)」でもないことはわかる。自己防衛のメタファーとして「棘」と表現されているらしいので「金鯱」のような棘の鋭いものをイメージして書かれていると想像される。「金鯱」は丸く成長するので(つまり柱サボテンではない)、歌詞中に描かれる主人公が落胆してうずくまっているような様子とも合致するし、かなり大きく成長するので擬人化も容易そうだ。
「荒んだサボテンは 世界を敵に回すほど トゲを伸ばしたんだ 喉が渇いてSOS」なので、砂漠に生えてトゲの長い種類であることはわかる。柱サボテンであれば『歩くサボテン』(奥田民生)のところで挙げた「近衛」「錦鶏竜」「金城丸」あたり、丸いサボテンなら「金鯱」あたりがイメージに近そう。「金鯱」の汎用性の高さ。
歌詞が見当たらないので全く見当がつかないが、汎用性の高さからすると「金鯱」あたりが妥当かと思われる。
クライマックスで「サボテン持って」といきなりサボテンが登場する。サボテンを持ってどこかに出かけるつもりのようだから、携帯に容易な品種であることは確実で、間違っても直径30cmの「金鯱」でないことはわかる。
「サボテンの花さいてる 砂と岩の西部」とあり、曲はアメリカのフォークソングであるようなので、アリゾナ州あたりに自生する何らかのサボテンであると思う。
玉でピンを倒すやつのことを「ボーリング」と書くと,「地質調査かよ」などの突っ込みが入る
しかしほかの単語で「オウ」と「オー」の違いが取りざたされることはほぼない
「ブラックホール」(hole)に対して「玄関かよ」(hall)とか
「コールドスリープ」(cold)に「呼ばれたら寝られないだろ」(called)とか
「フォークソング」(folk)に「何を突き刺すんだよ」(fork)とか
「コードを書く」(code)に「奏でろよ」(chord)とか言われることはない
ボウリングのほかはオウンゴール(own),魂のソウル(soul),弓のボウ(bow),調理器具のボウル(bowl)くらいではないだろうか
なお,タイトルから区別に批判的のように思われるかもしれないが,私はむしろボウリング以外も「オウ」「オー」を区別するべきだと考える過激派である
ほかにも例えばmainは「メイン」であるべきだし最近はやりのecho chamberはチェンバーでもチャンバーでもなく「エコウチェインバー」と書かれるべきだと考える
SupersonicとWonderwallはいい曲だと思うけど、
バンドとして総括的に見ればフォークソングをオーバードライブかけたギターでまとめてもっさりさせたようなバラードばっかり。
なんというか極寒の港町にある飲み屋で、若い漁師がカラオケで歌いそうな曲。
Oasisってそういうこてこてのバラードをひたすら量産してノエルが飽きて行き詰まったバンドじゃないの?
Youtubeとかで聞いてると「そのやり口しかないんかい」って思っちゃうよね。
似たような曲でもキラーチューンをいくつも出せたあたり、有象無象のブリットポップとは違ったのかもしれないけどさ。
野暮な例え方をするなら、亀田兄弟がGLAYの曲歌ってるようなバンドじゃん、Oasisって。
イギリス人からすればBELOVEDとかBE WITH YOUみたいな感じでしょ、Oasisの曲って。
ロキノンの洗礼を受けたようなアラフォーのおっさんのドンルク好き率を冷ややかに笑いながらそんなことを思うけど、
なぜかたまにSupersonicは聴きたくなるんだよな。
まあ僕は断然Blurの方が好きなんだけど。
主にギターの弾き語りで使われるコード譜というものがある。歌本とも呼ばれる。五線紙におたまじゃくしが泳いでいる楽譜ではなく、歌詞の上にCとかFとかF#m7とかのコード(和音)が書かれているものだ。これとギターが一本あれば、絶対音感やコード理論の知識がなくても、弾き語りができる。フォークソングが流行していた頃には、重宝されたのだろう。昔は流行っている曲のコード譜を載せた雑誌が毎月出版されていた。「月刊歌謡曲」(ゲッカヨ)をはじめ「ソングコンング」「歌BON」などがあった。今はすべて休刊している。月刊誌ではなく歌手別や年間ヒット曲を集めた書籍としての歌本は今でも残っているようだ。
これらの出版物は、電子書籍に移行することはなく、今ではウェブで無料で見れるものとなった。速報性や検索性に加えて、カポタストを使った場合の転調に対応できる点も有利なのだろう。
代表的なサイトがJ-Total Musicだ。2002年から続く老舗である。
他に楽器.me、ChordWiki、U-フレットなどがある。
同様のサイトにコードスケッチ(ttps://chordsketch.com/)がある。U-フレットと見比べてみると、新着にまったく同じ曲が並び、コード進行も一致する。
楽譜.me(ttp://gakufu.me/)というサイトがある。「当サイトはディープラーニングによる楽曲分析を行うための実験サイトです。」と書かれているが、生成方法は謎でコード進行は正しいものとは思えない。サイト名は楽器.meとの誤認を狙っているのだろう。
これら二つのサイトは、Google AdSenseのIDが一致(ca-pub-9885680373061782)する。
コード譜は、耳コピにより作成される。コードを聴き分けて書き起こすのだ。そしてその解釈は一意ではない。
例えば長渕剛の「乾杯」のような元々ギターだけで弾き語られる曲であってもそうだ。
http://music.j-total.net/data/021na/001_nagabuchi_tsuyoshi/005.html
http://gakufu.gakki.me/m/data/DT08823.html
https://ja.chordwiki.org/wiki/%E4%B9%BE%E6%9D%AF
http://www.ufret.jp/song.php?data=943
イントロや「君に幸せあれ!」の部分が異なる。採譜者の耳や感性によって変わるのだ。初心者が弾きやすいコードが選ばれることもある。
歌詞には著作権があるが、JASRACをはじめとした管理団体に委託されていて、利用するのは容易だ。そしてコード進行には著作権は適用されないというのが定説だ。料理のレシピと同じである。パクリOKなのだ。
コードの採譜には能力と労力が必要であり、無償ではない。昔は紙の本の売上で制作費を賄っていたが、今はネット広告収入で運営されるものとなった。違法でないからといって、他人の成果を横取りして利益を得ることは認められるものではない。
カラオケが広く行き渡りDTM環境が充実する現在でも、手軽で自由度が高くシンガーソングライターへの入り口でもあるギター弾き語りの愛好家は多い。この文化が廃れないことを望む。
ピコピコ音とかが好きっていうのもあるけど演出?っていったらいいのかな?
バックサウンドの装飾の選択肢がロックとかクラシックとかより圧倒的に自由度あるじゃない?
もう使えるやつは何でも編集して使っちまえ感がすごい、音の宝石箱やぁ~!!!
とにかく新しい曲は聴いてて次は何が待っているんだろうかとワクワク感がすごい
邪道とか何とか言われるかもしれないが、そこだけは譲らないプレイヤーとしての真剣さが伝わってくる
クソアーティストが作るネタ系のヒップホップみたいに斜に構えてティーンズにウケ狙いのような曲もテクノやニューウェイブにもあるかもしれないけど
基本的にそういうのはこのジャンルでは売れないかちょっとヒットして時期が過ぎると終わりで長期的に売れないので主流じゃない
アドレナリンが出て興奮しているのが分かる
それに比べてフォークソングとかクラシックとかはもう前後の曲調が分かりすぎていて
どれだけ音が綺麗だとしても全く感動がない、全部予定調和の中に納まってる
「え!え!え!そこそうなっちゃうの?う、うおお…うおお…俺をどこに連れていくつもりだ…」みたいな感想には絶対ならない
綺麗かもしれないけどそこに感動がない、未知の体験がもはやそこにはない
ジャズとかカッコつけていて動きが激しいのかと思ったら単にテンポが速いだけで他はド安定の曲調だった
アレはまるで冒険性がなかった、ダンスの練習したおっさんが忘年会でダンス披露するくらいの冒険
クラシックでも同じような感動を味わえればいいんだけど自分からテンポをぶっ壊したりできないし
音源にしたって使える楽器は限られてるだろうから独自性を出すのとか難しいんだろうなと思う
だってこれらのジャンルの曲の目指すところって期待の上を行くとかじゃなくて「上手く演奏する」でしょ?
昔は音楽ってだけで無条件で楽しませていたかもしれないけど今は音楽なんてそこらへんにあるしいくらでも上手い演奏を何回でも再生できるわけで
文化的にも小奇麗にまとまるのを目指すから何かいかに正確に演奏できるかの名人勝負としか見れない
というか複数の奏者からの多重奏で作る音の厚みが強みだって分かってんなら奏者100名規模でのコンサートとかも企画したらいいのに
もちろんライブのような体全体での体感型アミューズメント空間のコンテンツ的価値は認めるけどあれにしたって上手い演奏を聴きに来ているのとはまた違うわけで
いまいち回答になっていないのでは。
その問題意識(負の要素が世界が閉鎖されたまま解決を見ないのは問題ではないか)自体には「どうあるべきか」という行く先が提示されておらず「何が仰りたいのかいまいちピンときませんでした」とありましたので、特にhttp://anond.hatelabo.jp/20120701150515を踏まえながら「こう解決されるべきではないか」という解答を提示したのがhttp://anond.hatelabo.jp/20120703143205になります。
フォークソングが「解決」作品足り得たのはひとえに
>日本人が皆同じだったとは言いませんが、似たような経験をした人がたくさんいて、全体の中で「訴え」を体感的に受け取れる人が多かった
ためであると考えられるが、ボカロ曲が構造的にそれを欠いているとしたら「このように解決されるべき」というモデルとしてすら機能しない。
フォークソングを享受した「世間」なる層を「ニコニコ動画サイト利用者」に書き換えるだけではダメなのはもちろんで、それは元増田も「当事者」や「その環境を用意した世代」について言及しているけれども、それならばなおのこと、「そもそも解決されるべきか」という話に立ち返ると「いいんじゃないの解決しなくて(つーかできねーし)」という話になって問題が消失する。
余談だがこの「いいんじゃないの解決しなくて(つーかできねーし)」はボーカロイド楽曲の性質そのものの一端でもある。
問題を解決する、障害と対決するのではなく、問題に適応することを試みる、できなければ死ぬという方向性。
>今回提起された問題に関して言えば、作詞者の世界が狭過ぎるから、現実が辛くても、辛いという自己認識が無かったり、あるいは自己認識があってもそれは仕方ないことだと思ってしまって、解決策をなんら提示できなかったりするんじゃないですか
辛いという自己認識があり、かつそれを仕方がないことだと受け入れなければ、解決策を必ず提示できるとしたらそうなのだろうが、実際には必ずしもそうではない。
認識があって抵抗意志を持てたとして、それで初めて出来ることとは誰かに助けを求めることだけだ。
で、個人的な印象なのだが、ボーカロイドにハマる層はルーツとして「助けを求められない」「求めたけれど助けられない」という経験を実体験として持っているか、
そうした経験談に対して深く共感し、肯定してしまう性質があるのではないかと考える。
「自分なら助けてもらえないかもしれない」「自分なら助けないかもしれない」と。
だから「助けてもらえなくて自力でもがく(けれども失敗する)」歌や、或いはメタ化された「理想のともだち・理想の恋人」の歌に二極化するし、かつ前者の方が(彼らにとっては)リアリティがある分ウケるのでランキングに反映されたり口コミされたりしやすいのではないか。
彼らに解決策ソングをひねり出せというのは酷というかお門違いのような感じがしてしまう。
最初の議論がどこから出発しているかというと、ボカロ曲の多くで捻れとか歪みとか悲しみとか、そういった負の要素が歌われているにも関わらず、それが負であるという面について何の問題意識も持っていない、ということでした。
その問題意識(負の要素が世界が閉鎖されたまま解決を見ないのは問題ではないか)自体には「どうあるべきか」という行く先が提示されておらず「何が仰りたいのかいまいちピンときませんでした」とありましたので、特にhttp://anond.hatelabo.jp/20120701150515を踏まえながら「こう解決されるべきではないか」という解答を提示したのがhttp://anond.hatelabo.jp/20120703143205になります。
歌の中でつらい現実とか、閉鎖的な現実自体を問題視しないことは別に私は悪く思っていませんし(ひとつ現象があることと、それをどのように解釈するかは全く別の話で、現象だけが発信されていても私は別に構わないと思います)、世間に公表するものがミクロであることも、フォークソングの例を引いて問題視していないことを明らかにしています。ただ、今回提起された問題に関して言えば、作詞者の世界が狭過ぎるから、現実が辛くても、辛いという自己認識が無かったり、あるいは自己認識があってもそれは仕方ないことだと思ってしまって、解決策をなんら提示できなかったりするんじゃないですか、という趣旨の論でした。歌の中で問題だけを浮き彫りにしているのではない、ということは「そしておそらく、当事者の方々にはそのことについて何らの問題意識も持っていないということも、行間から感じ取れました」という一文から明らかだと思います。
書いていなかったので書き添えますが、フォークソング自身は積極的に自己肯定をする歌で、最近で言えばボカロじゃありませんがKOTOKO「サイダー」なんかもそういう部類の歌だと思います。こういうのが「明るい曲」(暗い現実を克服した、明るい世界)という表現になるんでしょうか。
増田でレス付けるのは初めてなんで、これで付いてるのかよくわからないんですけど、そんな前置きはさておき。
一人で作っていることは、当然世界観が「狭いことの理由」にはなっても、根本的に世界観が「狭くていい理由」にはならないと思うんですよ。
この論におけるボカロ曲と同様のものに、恐らくフォークソングが上げられると思います。ただ、フォークソングとは「背中合わせ」のもので、背中だけは引っ付いてる(同質である)けど、向いてる方向は真反対ですが。
私自身は、生活者として自分の世界を円滑に運営していくミクロな世界の中心主体としての自分と、社会人(これは社会に参画する人という意味で、労働者という意味ではありません)として社会を円滑に運営していくマクロな世界の参加者としての自分は、あくまで別でなければならないと思っています。当然、音楽を作って世間に公表する以上、一定程度「マクロな世界」のことを考慮しなければなりません。
しかしながら、フォークソングは概して一個人の話です(南こうせつ「神田川」、かぐや姫「赤ちょうちん」など)。ただ、フォークソングにはマクロ性がちゃんとあって、それは、フォークソングが世間の多数のミクロな生活実感に直接訴えていた、というところにあります。日本人が皆同じだったとは言いませんが、似たような経験をした人がたくさんいて、全体の中で「訴え」を体感的に受け取れる人が多かったんです。
他方最近のボカロ曲は、作詞者がミクロな一個人の世界を描いている点までは一緒なんですが(これは最早事例を挙げるまでも無いと思います)、そのミクロな世界観が世間で共有されているかというと、そうではない。フォークソングで言えば「お金は無くて苦労したけど、今から思えばああいうのも良かったなぁ」みたいな世界ですが、結局聴き手側のミクロな世界を考慮することなく、誰かの持ってる何某かのミクロな世界を世間に向かって発信してしまうから、聞く人が聞けば「世界が狭い」とか「根が暗い」とか、そういった印象になるんだと思います。それに加えて、これは最近のオタク文化全体の傾向ですが、時間的な奥行きが欠落していて、一つの桃源郷を提示して「こんな世界があったらいいなぁ」というところで止まってしまっている。先にあげたフォークソングの例だと「ああいうの」自体が時間的な奥行きを持っているわけですが、そういうのはボカロ曲に無いですよね。
こういう見地から見るならば、「仰りたいこと」というのは作詞者全体に対する一般的な問題提起になるのではないかと思います。
仮に歌詞のある曲を作りたいのなら、現代社会にある何かしらの現象を自分自身の生活の上で解決して、それをもっと一般化して、最終的に言葉にして曲に乗せる、という作業をするべきだと思います。それを経ずに「こういう世界っていいよね」っていうのは、いろんな意味で反則だと思います。
なんかもう、お前フォーク好きなだけだろ、みたいな文章になっちゃいましたが、「いまいちピンと来なかった」部分にお答えできたのではないかと思います。
俺は小3~4と中2以降学校に殆ど行っていなかった。
小学校時代は小さい頃から住んでいた伯父が仕事の関係で家を出て行き、寂しくなったのと親父の独立が多分あったんだと思う。
けど小5からは学校が楽しくて楽しくて、中1の終わりまではそんな苦痛じゃなかった。
しかし、中1後半からうっすらうっすら勉強についていけなくなり、部活もサボり気味になり
中2の春に風邪で1週間ばかり休んで久々に学校に行こうとしたらその行く途中で気持ち悪くなり、それから毎朝学校に行くのが苦痛で布団から出てこなかった。
布団の外では、親が罵声と物が少し飛んだ音がした。
小学校の恩師が心配してフリースクールに行くようになり、ネットでも友達が以前より増え、ひきこもりと言われる人物に該当するようになったが
地元の人と色々出会い、それが恵まれて外出出来るようになったが学生の多い時間帯はどうも苦手でその時間帯だけは避けてた。
そのころから、親父の会社は不景気で毎年4月になるのが不安だった。
うちは住宅設備会社。公共事業も少しずつ入ってくるようにはなったが個人・法人のお客様が中心
18歳からこの業界にいて、仕事が趣味という親父には色々な人が助け船を出したり、逆に親父をだましたりしているのを後から周りの噂を聞いた。
だけど、うちの親父は『だますならだまされろ』という変なポリシーの持ち主。俺も今更ながら尊敬する
社員は親父とおふくろ以外は、常に2~3人で回してあとは外注という本当に零細企業
心配性の母親をよそに、親父はコツコツ石橋をたたいて渡り気がついたら14年目に入っていた。
俺は途中から親と距離を置くためにカウンセラーの勧めで、上京してWeb制作会社に一年務めたが何回も無断欠勤し親や職場に迷惑をかけて辞めた。
次の仕事は新聞配達の住み込みで、これが意外に良い仕事だった。そこからはなかなか休みも取れなかったし、金もかかるので一年に一度帰れればいい方だった。この仕事は思いのほか長く続き4年目で一度アルバイトを退職し、別な仕事に就いたが辞めてしまい、半年で出戻ったが周りは温かく迎えてくれた。その職場も出戻ってから長引く景気の影響もあり折込が減り、新聞購読を辞めるお客さんも増えてきて先がないと思い先日退職した。
今はGSでアルバイト勤務をし一か月になる。まだまだわからなくて覚えきれなくて困っている日々だけどそれはそれで楽しい
そんな中で親父の会社とはHPを更新する以外関わりがなく今どんな社員さんがいるかもわからない状況。多分もう3年くらい事務所に行っていない。
今日ネットサーフィンで親父の会社の評価サイト(?)なるものが出てきた。
ここ2年分の売り上げや損失、建設業界の評価?みたいなのがあったが思いのほか赤字がなくてびっくりした。
おふくろは大変だー大変だ―と騒いでいるが、親父はそんななかでも苦労しながら頑張っているのだと思った。
昔は折り合いが合わなくて大変だと思ったけど、今の不景気の中、色々とイベントやらアイディアを振り絞っている親父を見ると
尊敬してしまう。俺の頭では出来ない事をやってのけるんだから。
今度実家に帰省したら、ゆっくり酒でも飲んで親父が好きなフォークソングでも一緒にカラオケで歌おうかと思っている。
俺に出来るのはそれぐらいだ。