はてなキーワード: 帰省とは
こんな馬鹿な俺を笑ってほしい。
30半ばにもなって彼女も居らず、毎日9時から17時の工場勤務。一日誰とも口を利かずに終わる日なんてざらにある。
元々趣味なく、これまで何かに熱中するようなことがない人生だった。今ではパチンコが唯一の趣味と呼べるのかもしれない。
かといって大勝ちしたところで使い道はなく、ソープ行って居酒屋で一杯するのが関の山だ。
今年に入ってから一度、驚くほど勝てた日があった。
その日もソープに行った。土曜の夕方。馴染みの店だった。指名したのは一番若い子。初指名だった。
くつろぐようにと案内された黒革のソファで待ち、並びには50近くに見えるスーツ姿の男と、大学生ぐらいのカジュアルな格好をした青年が居た。
ようやく俺の名前が呼ばれると立ち上がり、迎えに来た嬢が一瞬眉をしかめる。俺はそれを見逃さなかった。
こちらへどうそ、と嬢はにこやかに俺を案内する。俺の一歩前を歩き、手は握りらない。踵は少し擦り減っていて、俺の靴と同じように。
靴を脱いで部屋に入ると嬢は俺に抱き着いて来る。キスをすると、洗い場に向かい、体を洗うために衣服を脱ぐ。
俺を担当する嬢にはいつも刺青がある。それは顔に彫り込まれ、”笑顔”という刺青を俺は絶えず目に入れる。
嬢は俺を座らせ、身体を洗いながら「どんなお仕事をしているんですか?」と聞いてくる。
俺は適当に嘘をつき、嬢はそうなんですね~と頷く。
ここの女は大抵の男を馬鹿だと思っており、俺も大抵の女を馬鹿だと思っているので、ちょうど釣り合いがつく。
だからときどき俺は自分というものを見失いそうになる。挿入し、快楽に浸るその瞬間でさえ俺は自分のことを俯瞰するように考え、すべてが馬鹿らしく思えることがあった。まるで彼女の刺青が俺の肌にまで浸透してきたかのように。
年齢のせいかもしれない。
地元の駅に着いたのは昼頃で、家までそれほど遠くないので歩くことにした。
遠くない、といっても徒歩で1時間ほどは掛かり、それでも町の様子が変わっていないか確かめて歩くのも悪くないなと思えたのだ。
彼は(Aとしよう)記憶のままの顔をしており、今も裸眼で、当時の面影を深く残していた。
Aは俺だとすぐに気づいたようで、声をかけてきたのは向こうからだった。最初、親し気に近況等を話しながらも何処かそわそわした様子を見せ、一段落つくと口を閉じた。一間を開け、勢いをつけて口を開けると本題と言わんばかりに「そういえばさ~」とAはにやけながら言った。
え?と口に出した。そんなことは知らない。
俺に構わずAは片手の指で輪を作ると、もう一方の手の指をその輪に通し、それを繰り返して見せた。
その様子をAの隣で観ていた青年が戒め、すみませんと俺に言った。彼は眼鏡をかけた青年で、面識はなく、そのことに気付いたのか「Aの弟です」と彼はそのあとすぐ自己紹介をした。
失礼なことをしてすみません。そう言いながら弟は含み笑いを持たせ、軽く頭を下げ、それから俺たちは別れた。
実家の前に着くと俺は家に入るのを躊躇った。その場で行ったり来たりを繰り返していると家から姉が出ていて「何してんの?」と言われた。
数年ぶりの再会だったがの姉の印象は記憶通りで、40前にしては若々しく見えた。
俺は姉の目を見れなかった。どうかした?と聞かれ、最初は答える気にはなれなかったが根負けして「Aに会った」とだけ伝えた。
姉は「ああ…」とだけ言い、それから二人とも黙り込んだ。実家の前の道路で、しばらく二人で立ち尽くしていた。
ここに居ても仕方がないから、と姉は家に入るようにと促してくる。
渋々俺は姉の後に続いて家の中に入ると両親は縮こまったように見え、リビングは昔よりも広々と見えた。がらんとしていて、実際に物もなくなっている。
自分の部屋に行ってみると家を出た時のままで、時代に取り残されたように変わっていなかった。
このうち、壊すから。いつの間にか姉が戸口に立っていて、俺にそう言った。動揺の同様の色を見取ったのか、建て替えるってことだからと姉は言う。
だから、この部屋の物もどうするのかちゃんと決めといて。どうでもいい。と俺は言った。
居場所がないように思えて俺は散歩に出かけた。行く当てはない。ぶらぶら歩いていると一軒のパチンコ屋が目に入った。ずいぶんと昔からある店舗だった。
まだあるのかと感慨深くなり、中に入ると安堵感がどっしり現れた。俺は日が暮れるまで打った。最終的には-1kで終わり、少し歩くと明かりが見えた。
それはブックオフだった。学生の時と比べると俺は本をまったく読まなくなっていた。漫画すら読まず、気になる漫画があればYouTubeで調べ、そこで得られる情報だけで十分に満足していた。
だから本を売っている場所を訪れること自体が本当に久々なことだった。どうして入ったのか?なんとなくだったと思う。
店内を歩いていると一冊の本が目に入った。
それはエミリーディキンスンの『続自然と愛と孤独と』という本だった。
俺はエミリーディキンスンなんて全く知らないし、手に取るまでこれが詩集であることさえ知らなかった。
それでも気付くと俺はこの本を持ってレジへと向かっていた。まるで俺に残された唯一の良心がそうさせたように。
定価1100円と書かれている本を俺は1000円で買い、それから暗くなった夜道を歩いて帰った。
リビングに入ると両親の姿はなく、テーブルの上には料理だけが置かれている。ちょうど姉がお風呂から出てきたようで頭にタオルをかけて歩いてきた。
おかえり。どこ行っていたの?と聞かれたので俺はブックオフと答えた。
ブックオフ?珍しい。と姉は言った。
テーブルの一角にあぐらをかくように座り、頭のタオルを撫でるようにして髪を拭いた。
とうさんとかあさんはもう寝たから。ごはん、まだでしょ?と姉がいい、俺は頷いた。
じゃあ一緒に食べよっか、と姉がいい、俺は頷いた。
食事が終わり、自分の部屋に入り、自分のベッドで久々に横になると俺は買ってきた本を袋から取り出した。
仰向けに寝そべり、適当にページを開いた。111ページ。そこにはこう書いてあった。
私はあなたと暮らせない
これが人の世というもの
そして「人生」はあちら側の
俺は本文を読むのも忘れて、あの嬢のことを思い出していた。俺は酔っていたのだ。
嬢の笑みが脳裏に浮かび、その顔が一瞬、姉になった。
俺は本を閉じ、横に置くと、深く深呼吸をした。目を閉じ、祈りたかった。
しかし誰かを救うために祈るには、俺はもう歳を取り過ぎていたのかもしれない。
おそらく今年のGWは帰らないだろう。
俺はもう駄目かもしれない。
小学4年の春休み、爺ちゃんの骨を墓に納骨するため家族で田舎に帰った
俺には初めての帰省だった
田舎では親戚の家に泊まった
次女は、ショートヘアーで少し陽焼けした丸顔のくりっとした目の可愛い系
とにかく美人の3姉妹で、子供ながらにかなりテンションが上った
俺の1歳違いの妹だ
妹は同い年ということもあって次女ちゃんとめちゃくちゃ仲よくなった
年の近い異性のきょうだいなんてどこもそうだと思うけど、子供の頃、俺と妹は毎日のように喧嘩していた
次女ちゃんと2一人だけで喋っているところを見つかりでもしようものなら、妹に弱みを握られることになる
同じ屋根の下で寝起きし、飲食も共にしているのに、近づくことさえできないのは酷すぎる
俺は悶々としながら日々を過ごしていた
そんなある日、妹が次女ちゃんと近所の高台にある神社に行くから増田兄(にい)も付いて来きてと言い出した
今日は長女さんも三女ちゃんもいなくて、次女ちゃんと私と2人だけだと危ないし、頼りないけどいないよりマシだからと妹は言った
相変わらず失礼な奴だし、妹が俺と行動を共しようとするなんてあり得ないし、きっと何か企んでいると思った
しかし、次女ちゃんと話ができるかもしれないという誘惑には勝てなかった
南国の3月は午前11時を回ると少し汗ばむくらいだったが、鬱蒼とした木々に覆われたその高台への階段は思いの外ひんやりしていた
階段を上る途中、妹は突然駆け始め「ちょっと先に行ってるから」と言った
思いがけず、次女ちゃんと二人きりになり、俺は舞い上がってしまいドギマギして、思うように言葉が出なかった
神主も巫女もいない無人の神社で、お参りする人も俺たち以外にはいなかった
立て札を読むと、ここには龍神様が祀られていて、龍神様は縁結びの神様でもあると書かれていた
あまりの偶然、そして半分願いが叶ってしまっていることに驚き、俺はお参りしながら龍神様にこっそりお礼を言った
3人でお参りを終えると、妹が写ルンですを取り出して、「あ、フィルムが1枚だけ残ってる」と言った
そして、「そうだ、撮ってあげるから、2人でそこに並んで」と言った
動揺したのと、後で妹にその写真で強請られると思った俺は「いいよ、俺がお前と次女ちゃん撮ってやるよ」と慌てて言った
すると妹は、「私は、この前ここで、次女ちゃんとは撮ったからいいの」と言った
前にも来たのにまた今日も来たのかよ、もしかしてこいつ、好きな男でもいるのかと思った
俺と妹のやり取りを見ていた次女ちゃんが「私が2人を撮ってあげるよ」と言った
妹が「ああ、それは無理。次女ちゃん、せっかくのチャンスじゃん、早く早く」と次女ちゃんを急かし
そう言われて次女ちゃんを見ると、顔を少し赤らめ下を向いていた
次女ちゃんに申し訳ないと思い、妹の言葉に従って俺は横に立った
妹が「はい、2人ともこっち見て、増田兄顔が怖い、笑って、次女ちゃんも笑ってー、はい、チーズ」と言ってシャッターを切った
写真を撮り終えた妹は、「私、トイレ行ってくる」と言って、また俺と次女ちゃんを残して、公衆トイレの方へ走っていった
2人だけで所在なく高台を降りる階段に座り、何を喋っていいかわからず無言でいると、次女ちゃんから話しかけてくれた
唯一共通の話題である妹のことを話しているうちに、いつの間にか学校やテレビの話で盛り上がった
木々の葉の合間からキラキラと陽が差し、たまに吹いてくる海風で微かに葉擦れの音がするくらいで、本当に静かで世界が二人だけになったようだった
夢中で話していると、ふと気づくと、30分も経過していた
急に妹のことを思い出し、心配になった
次女ちゃんは、「あ、そうだね。私、見てくる」と言って立ち上がった
俺は「いい、次女ちゃんはここで待ってて。何かあったら人を呼んできて」と言うと立ち上がり、トイレへ走って向かい、外から妹の名前を大声で叫んだ
「何してたんだよ!」と俺が怒ると
「もう、うるさいな。あっちのベンチで海見てたのに。あれ、もしかして私のこと心配してくれた?」と俺をおちょくるように言った
癪だったのと腹が立ったのとで、「心配なんて全然してねえよ」と俺が言い、「あっそっ」と妹が言い返し、いつもの口喧嘩になりそうになった
すると次女ちゃんが横から「増田くんって、妹想いの本当にいいお兄さんだね。妹ちゃん、今日は本当にありがとうね」と言って頭を下げた
次女ちゃんの言葉に完全に毒気を抜かれ、2人ともバツが悪くなって喧嘩をやめた
「あそこから海見ると、本当にきれいなんだよ」と言うと、次女ちゃんは1人ベンチへ向かった
「鈍感男!」と妹が言って睨みつけ、俺を残して次女ちゃんの後を追って行った
そこから望むと、木々の葉の濃い緑の向こうに雲一つ無い青空と紺碧の海が広がっていた
その絶景を見ていると、さっきまで妹と喧嘩していたことなんてどうでもよくなった
さらに強さを増しつつある陽射しと、海からの涼風を同時に感じながら、しばらく3人で無言で海を見つめていた
次女ちゃんが「本当楽しかった。2人ともありがとうね。もうすぐお昼ご飯だし、そろそろ帰ろっか」と言った
妹が「うん、お腹空いたから私先に行ってるね」と、また一人で先に階段を駆け降り始めた
次女ちゃんと2人だけでまた話すことができた俺は、この時だけは妹に感謝した
結局、次女ちゃんとゆっくり話すことができたのはそれきりだった
大阪の家に戻った翌日の日曜日、妹が写真を1枚持ってきて「これあげる」と言った
写真には、嬉しさ半分困惑半分でぎこちない顔の俺と、はにかんだ次女ちゃんが写っていた
妹が冷やかしの言葉でも言って来るかと身構えたけど、何も言わずに行ってしまった
その時、俺ははようやく全てを悟った
あれ以来、俺は妹から「鈍感男」と呼ばれている
原裁判所は2月1日において、原告が直接、民事2部に来所し、そこに必要なものをすべて出している。それにもかかわらず、原裁判官が、一週間後等ではなくて原告が帰省した後に
2月15日という2週間後に疎明資料の要請をする資料を郵便で送付すること自体が不合理という他ない。
それ以外にも原裁判官は、原告の収入が推測できないというが、前記の要求の送付の仕方もおかしい上、原告の収入状況は用意に推測できたと認められる。
コミュニケーションにおいてお土産というものは効果を発揮すると経験的に体感している。
もちろん、どこかに遊びに行って…という形でお土産を渡していいのだがそれにはひとつ問題がある。
それはお土産を渡した人に、「こいつは何処かへ楽しく旅行してきやがったんだ」ということへの妬みの感情を引き出してしまうかもしれないからだ。
世の中、孤独な人は多い。
私自身も10数年前までは一人ぼっちで人生を送ってきて無駄に他人を妬むことが多かった。
そして、そのことに自分では気づけない。
そういう人は私以外にもいるだろう。
「いやあ親が帰ってこい帰ってこい孫の顔見せろとうるさくて」
みたいな雰囲気(あくまで雰囲気、実際に言葉にするわけではない)を醸し出し義務としての帰省を消化した、その副産物としてのお土産ということにしたいのだ。
ただ、この方式の欠点はたまに私のイマジナリー田舎と同じ出身地の人に接するときだ。
一応、現地には実際に行ったことがあるし日々情報を仕入れて(いっときは爆サイなどもチェックしていた)知識をアップデートしている。
それでも不意をつかれるとボロが出かねない。
原決定の理由を次の通り訂正する。
(1) 法6条1項による受給者 → 基本事件は、生活保護受給者の
(2) 原裁判官は、令和3年6月9日のケース診断会議で101万8877円の預貯金があるが、これ以降の時代の預貯金の推移が分からないので疎明資料の提出を要請したが
回答がなかった。 →
受給者は、令和4年6月8日にアパートに転居し、その際に、敷金礼金引っ越し費用などを自ら支出した影響で、令和5年に入ってから、前記のように、
101万円~115万円を推移していたのははるか昔の話で、SNSの記録などによって明らかであり、本件裁判官は、諸般の事情から、原告の預貯金が既に、39万~53万円の
間を推移していることは明らかである。このような状況下に疎明資料を求める必要性はないという他ない。原裁判官は、原告が支払えるかどうかの可能性が分からないというが、
推測できているはずで採用できない。疎明資料の提出は、原告に徒労を求めるもので、不合理であって認められない。
(3) このほかに、原裁判所は、 原告が帰省している間に、誰かの命令で、回答書を意図的に送付している形跡があり、極めて悪質である。この点からも認められない。
本件の令和6年(行ク)第27号と呼ばれる書面は、その主催者が極めて残酷な集団によってなされ、その集団およびそこに記載されている内容について、暗に多くの者によって
燃やされているのが現実であり、美しくないものは死すべきと言う独善的な考えによって作成されており、一般人はおよそ記載されている内容を信じていないから、検討する価値を見出す余地はない
付言するに一件記録によると、申立人が疎明資料を提出できなかった経緯は次のとおりである。
① 申立人は、2月10日に、新幹線で、宮崎県延岡市に一時帰省し、郵便物を受け取ることができないような状態にした。
② 当裁判所は、2月15日、2月29日までの回答で、3月14日に再度、回答書を送付したが、申立人は、遠隔地にいるため、これらの郵便物は、配達されないか、もしくは
③ 当裁判所は、 3月25日付で、申し立ての却下決定をしたが、申立人は、本件決定がなされた当時、延岡市の自宅におり、3月9日、3月16日に門川市で女性に会うなど
し、3月25日は、同市方財町231の16番地の所在する、令和5年9月27日付で、佐藤まりんに貸していた3万円の取り立てに行っていた日と認められる。すなわち、
申し立て人の3月25日における行動は、その夜間に、まりんの母親に会い、これと話をした後に、懐中電灯で付近の海岸を照らしていただけという事実が存在する。
④ 上記において使用していた懐中電灯は、 申立人がした3月27日にした演説に激怒した、 大貫町5丁目に住んでいる今井雅之が、28日午前2時に、窃取し、
⑤ 申立人は、3月30日に、上記の女性と今一度会った後に、4月4日に電車で東京に帰ることに決定し、4月4日、23時12分に東京駅に到着し、 5日、0時12分に、東京の住所に徒歩で到着した際に、当裁判所が送付した書類一式が郵便受けに入っているのを発見し、中身を確認したと解される。
⑥ 当裁判所が要請を求めた疎明資料の一部は、板橋区蓮根に存在するセブンイレブンから当裁判所に送付されている。今回、当裁判所が特別送達郵便で送付したのは、
青森県津軽地方の老農家の夫婦。年齢は100歳近いが、自分たちで立てた家を守り、2人暮らしを続けていた。
大きな病気はあったものの、それを2人で乗り越え、暮らしている。
団塊の世代に当たる3人の子どもは、高度経済成長を続ける東京に向かって送り出した。当時はそうするのが当たり前で、地方が発展から取り残されていると思ったからだ。
そうして子ども達は首都圏で家を持ち、子を産み、後期高齢者にさしかかるくらいであった。コロナ禍もあって、最近は帰省もなくなっていた。
りんご農家はそれなりに収入を得ることができるし、お得意様もいる。出来るうちはやっていこうと夫婦で決めていた。
そんなある日、なんと孫夫婦が青森県で暮らしたいと言い出した。勤めている会社にて異動が認められ、青森県に越してくる事になったと言う。
さらに、二人のひ孫が、なんとりんご農家を継ぎたいと言い出した!?
もう、後は自分たちが暮らす分だけをやっていけばいいと思っていた夫婦だったが、ひ孫になんとかりんごの圃場を残したい
そんな思いに答えるように、夫婦が始めて植えた木の生き残りに、金色に輝くりんごがみのる。
それを食べた夫婦は、何と新婚当初(21歳と17歳)に若返っていた!?
大学を休学し農業大学校に通い始めた上のひ孫と、地元の高校に入学したひ孫の2人もやってきて、若返った夫婦は地域を巻き込んで大騒ぎ!
しかし、どうやら上のひ孫が農業継ぎたいと言い出した理由は、どうやら純粋に農業をやりたいと思ったからではなさそうで……?
今、80年ぶりの青春がはじまる
先日帰省した際についに実家のPCと、両親のスマホにadblockを入れてきた。
事件があったのは少し前。両親とはよくやりとりをしていたので、たまに電話がかかってくることはあり、そのときもいつもどおり電話がかかってきた。「パソコンがおかしくなった」なるほどまたか……。で、話を聞いてみると
あーこれは完全に詐欺ですわ。これは詐欺である、お前は詐欺に引っかかった、というようなことを説明し
を伝え、パソコンは電源をぶち抜いて次に俺が行くまで放置させた。
ややこしいのが、パソコンを買った段階ではMcAfeeがプリインストールされていた。見慣れたものなので、疑いもせず更新してしまった。ただし、この事件があった段階ではプリインストールのMcAfeeのライセンスは切れていたはずなのだが、そのことは忘れていたらしい。
これはもう潮時かということでadblockをインストールしてきた。
親がどんなサイトを見ていたのかは知らないが、それにしても昨今のインターネット広告は70越えた老人にフィルターなしで見せられるものではなくなっている、と思う。
adblockを使っていると、「広告表示を許可してください」のようなadblockブロッカーをいれているサイトにたまに出くわす。が、そのサイトが広告収入で成り立っているアピールされても、そんなことはどうでもいいんだよ。表示される広告が危険なのでブロックしているのであって、許可してほしいなら「表示される広告をちゃんとチェックしていて、有害な広告が表示されないので」というレベルまでやってくれないと、信用できたものじゃない。だって結局アドネットワークで配信されるものだから、何が表示されてるかなんてサイト管理者も知らないわけでしょ?それで詐欺に引っかかるわけだから、自衛するには全部ブロックするしかないわけですよ。
これが表示されるサイトは、今回みたいな詐欺広告がでる可能性もあるので、もう存在しなかったものとして即刻立ち去れ、と言い残してきた。そもそも自分でadblockを入れたわけでもない親が、ページ別にadblockを解除できるはずもないが。
40代1馬力年収700万で世帯貯蓄5000万はかなり優秀だなあ。
もっとも、子供がまだ小学生みたいだからこれから大きな支出があるけど、それでも貯蓄が半減することはないだろう。
運用を継続すれば子供が独立結婚する時点で同額程度を維持できるんじゃないか。
ワイ40代前半のときは1馬力年収900万で世帯貯蓄は1500万ぐらいだったけど、それから約10年で倍になった。
旅行は家族旅行が年1回、一人旅が年3回。家族旅行はそれなりの宿に泊まるけど、一人旅はYHや車中泊。夫婦ともに親なしだから帰省費用ゼロ・将来の介護費用ゼロというのが地味に効いてる。
同級生や友人との飲みは月1回。
車は15年20万キロ乗って、オーバーホールを推奨されたら乗り換えている。いまは軽自動車。
住宅ローンは意図的に60歳まで払うようにしている。条件はあるけど稼げなくなったらローン支払い免除なので、借りているほうがメリット大きいと考えた。
・(自己認識では)絵に書いたような中流階級。困窮はしていないが、決して上流階級ではない。
・都内に家は買えないので、ベッドタウンにローンで一軒家を買う。
・物心ついた頃から、毎日ニュース7を見る、比較的(多分)ニュースには関心がある家庭。
・両親とも完全なネット音痴ではないが、スマホより本の世代の人。LINEやGoogle Map、食べログを中心に使っており、SNSはやっていない。
※俺は、もう社会人になってしばらく経つが、一人暮らしなので、新聞は取っていない。
本題の通りだが、この前実家に帰省したら、新聞の購読をやめていた。
結構衝撃だった。まあ、改めて思えば家族で時事ネタを議論するでもなし、仕事でニュースが必要なわけでもなし、確かに新聞なんて読まなくても全く困らない生活はしている。
でも、スペックに書いたとおり、ニュースを日常的に確認するのが当たり前だった実家で、新聞がないというのは、かなり新鮮だった。
理由を訊いてみると、なんとなく朝日新聞の報道の質が、年々下がっているような気がしていて、遂に購読料金を払うに値しなくなってきたと思ったから、だそうだ。
輪をかけて衝撃だった。両親とも、スマホは使うものの、簡単な調べ物程度で、Twitter(X)もやってなければ、当然増田なんて読んでるわけもない。そんな両親が、購読をやめたのだ。
ちょっと、俺自身は、もうしばらく朝日の紙面を読んでないから詳しいことは言えないけど、ちらほら記事を見かけるに、ぶっちゃけ別に相変わらずじゃないか?って気もする。
もちろん依然イデオロギーは強いが、それは、もう朝日のカラーであって(俺は好きではないが)、新聞とはそういうものだと思うし、「報道の質が下がった」というほどのことではない気がする。
正直、俺は別に、新聞に対して、公正無私な報道を求めてるわけじゃあない。もちろん、限度はあるが、通信社のようになってもらっても困るし(役割が違う)、党派性が出て然りだと思うしね。
ただ、強いてこの感じを表現するならば、なんというか自己認識が歪んでるというか、過去の高級紙としての栄光を捨てきれず、党派性結構強い紙面なのに、自分たちが公正で正統だというブランディングをしてる感じがする。
質が下がっているかはともかくも、信頼度が下がっているというのは、肌でも感じる。
https://square.umin.ac.jp/massie-tmd/nonewsppr.html
まぁあと、もちろん、少なくとも報道の質が上がってきているという雰囲気はないし、朝日は定期的に、やってはいけないレベルの誤報を繰り返している。
https://www.financepensionrealestate.work/entry/2023/07/09/115839
ここでもわかるとおり、朝日は、事業規模ベースならともかく、営業利益ベースでは、本業が不動産デベロッパーになりつつあり、もちろん発行部数減少については自覚しているだろう。
ただ、やばいのは、そもそも「朝日新聞」というブランドが、傾いていることだと思う。経営陣は、それに気づいて、本気で対策を打ってるだろうか。
出羽守みたいであれだが、英米の新聞は、もうそもそも、党派性がある前提でみんなが購読してる気がするし、だからオンラインでも成功してるところも多いんだと思う。
その党派性の範囲内で、専門性を際立たせて、調査報道とかも組んでる感じするし。地方紙は軒並み死んでるけどね。
そういえば、高校生のとき、社会科(政経)の先生が「五大紙全て購読し、可能な限り毎日、全てに目を通している」と言っており、自分も将来はそういう「知識人」になりたいと思ったことを、今書いていて思い出した。けど、社会人になった今、そもそも新聞を取ろうと思いさえしない。時間に余裕がないからとかではなく、そもそも新聞媒体にそこまで魅力を感じてないなと思う。