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はてなキーワード: 小学五年生とは

2019-04-15

物心着いた頃から家に本はなかった。絵本もろくに買ってもらったことはないし、親もガラケースマホばかり見ていた記憶がある。小学生になって初めて友達の家に行って、世の中の人は本を読むということを学んだ。本屋にある本はみんな偉い人が読むものだと思っていた。だから私は今でも本屋に行くとここは自分のような者がいてはいけないと思う。学校で本を読むのは勉強から仕方ないと思ってた。私は本を読むのは勉強からまらないと思った。図書時間が嫌いでクラスで頭のいい女子がたくさん本を読んでいるのが嫌だった。男子かいけつゾロリの取り合いで女子男子子供だと思ってた。私は周りに合わせてそだねと言っていた。

小学五年生とき友達にこれエロいよって本を借りた。表紙が可愛いから中身を見てみたらすごくエロかった。女の子が男の人とエッチしてて、エロいことに興味があった私はその本を一気読みした。ホストと付き合って女の子が死んじゃう話だった。ホスト何だかよくわからなかったけど、悲しいと思った。だから泣けるねって友達に返した。友達はまた本を貸してくれた。わからない言葉が出てきたので親に聞いたら怒られてこんな本は読むなって捨てられそうになった。今思うと小学生ソープ嬢ってなあにとか笑える。それから中学になってガラケーを買ってもらって、毎晩こっそり魔法のiらんど野いちごエロい小説を探した。好きな小説恋愛小説と言っていたけど、本当はエロいことばかり考えていた。男の人のエロサイトも見てみたけど私にはよくわからなかった。私も真似をしてエロい小説を書いた。エロと言っても実際のSEXはよくわかってなかったのでキスと喘ぎ声だけで5ページとか使ってた。本を貸してくれた友達も書いていた。私は毎回コメントを書いていたけど、別の高校に入って疎遠になってそれきりになってきた。最近の子結婚して子供がいるらしいと聞いて昔のことを思い出したので匿名で吐き出してみた。今では順調に拗らせ喪女してます

2019-02-27

anond:20190227113732

アトラスゲームPSPペルソナ3vitaペルソナ4、真女神転生4とファイナルプレイしたことがありますペルソナ3と4は特に社会に馴染めない悩みを抱えた若者たちにより添い、共に歩んでいく弱い人間によりそうような優しさがあり、とても好きでした。こんな感情ゲームから得られるなんて思っていなかったので、本当にアトラスという会社はすごいゲームを作る会社だと、大好きになりました。プレイステーションの3も4も持っていないため、ペルソナ5プレイできていませんが、アニメは見ていて、同じような優しさを感じるので、やっぱり好きなだなぁと思い、vitaでこのゲームが出たので買いました。ですが、このゲームにはそういった優しさは一切感じません。同性愛者をただゲームネタセンセーションな一部として扱っているような感じと、製作者の偏見が全面に出ていて凄く残念です。

ここだけは納得できない。

特にペルソナ4は完二の扱いというかその恋心の表現がとにかく「ゲイに対する偏見から始まっていて不愉快だったよ。

ハッテンぼくのまちのアレは思春期特有深層心理から来ているだろうしステレオタイプで少し不快だったことはあれどまぁ許せなくはないんだけど、その後に出てきた直斗との恋愛とか、完二に対する周囲の扱いがとにかくゲイを笑いにしようという悪意に満ちていて不愉快だった。

例えば直斗は(登場当初は)少年として描かれていて、その頃から完二は直斗一目惚れたかのような描写があったんだけど、最終的に直斗が女だとわかって安心してるけど、この表現は今回のキャサリンの一件と対を為している描写じゃん。

自分ゲイじゃなくて安心する」って言う表現同性愛からすれば結構絶望的な描写だったぞ。

P3もP3で、(ファンからは色々言われている)P3Pでは女主人公小学五年生少年特別関係になったりと(P3の男主人公小学生女の子とは特別関係になれない)、性愛に関しては奔放にやってるアトラスから、そのノリと同じノリでP4の完二、キャサリンリンと描いてきてるわけだからアトラスいかけてて今更そこ?」って思ってしまう。

もちろん女神転生シリーズのYHVHだってどう考えても海外展開できないわけで、アトラスはいろんなものを「センセーショナルゲームネタ」にしてる。

からそういうのを喜ぶオタクに人気だし、それ以外の層から嫌われてるんだよアトラス

2019-01-05

本当の自分さらけ出すのが怖い

身バレ防ぐために、フェイク混ぜてます

学生時代を振り返ると、割とイケてる方だったと思う。

顔がイケメンなのかっていうと、よくわからないけど、少なくともブサイクではないと思う。

子供の頃から、足が速かった。

特に距離ではすごくて、小学校マラソン大会では毎年一桁台だった。

親も陸上関係でメシ食ってる両親で、俺の才能っていうよりかは、親の影響が大きかった気がする。

親父のジョギングに、保育園の頃からついていって走っていて、いつの間にか俺も走るのが好きになってた。

小学五年生ときマラソン大会で一位をとった。

俺は特に感動しなかったけど、周りの狂喜乱舞を覚えている。

俺にしてみれば、一位という結果は本当にたまたまだった。

周りが喜んでいるのを見て、俺も「自分がすごいことをしたんだ」と嬉しくなった。

そういえばその後、学校女子告白されたことがあった。

一ヶ月付き合って、なんかよくわからないまま関係消滅した。

まあそれは、そんなもんだ。

で、そのまま中学では陸上部入って、県大会まではいけた。

大会ではじめて挫折を味わった。

周りが全然俺よりはやい。

俺が全力で走ってるのに、周りがどんどん俺を離していく感覚を、生まれてはじめて味わった。

甲斐ない成績だった。

それでも家族部活の皆は優しかった。

でもその頃から、たぶん俺の心の中で、走ることに対して、迷いが生まれたんだと思う。

この挫折きっかけに、もっと速くなる奴が、きっとプロになったり、駅伝ランナーになったりするんだろう。

でも俺はたぶん違う。

14歳や15歳のガキでも、自分に対してそのぐらいのことはわかる。

俺は単に周りに褒められたくて、長い距離を走ってただけなんだ。

走ることそのものに、深いところで情熱を持てていなかった。

特に大会に出て、ホンモノたちに会ってしまうと、俺がいかダサい存在かはよくわかった。

親が何とか連盟の何とかさんだとか、そんなの関係なくて。

その親と5歳から近所のコースジョギングしてました、とか、関係なくて。

ホンモノは違うんだよ。

なんていうか、オーラでわかる。

正直スタートライン立った時点で、もうホンモノとニセモノははっきりわかった。

ニセモノだったのは俺だけじゃない。

俺の感覚だと、ホンモノなのは1割ぐらいの連中。

ほとんどはニセモノ。

俺はそっち側だった。

でも、もう、マジで感覚的に全然違うのがわかったから、どうしようもなかった。

その後、走り始めたら、自分感覚が正しいのがわかった。

努力? 才能? なんなの? 何が違うんだ?

マジでわかんないけど、全然違う。

仮に俺が途中でぶっ倒れてもいいから、全力ダッシュしたとしたら、

何人かは抜かせただろうけど、それでも抜かせない選手っていうのが、結構な数いた。

あいう奴はなんなの?

意味がわかんなかった。

いや、今もわかんないけど。

箱根駅伝とか絶対見ねーもん。怖くて。

実際その場で一緒に走んないとわかんねーよ。そういう奴らと走る感覚って。

まあその話はいいや。

で、俺は陸上の成績でスポーツ推薦をとれて、高校行くわけ。

地元ではかなりいい高校

普通に受験したら、俺の頭では間違っても入れないような私立高校

そこの陸上部入ったら、まあ、周りは全然したことなくて、すぐエースになった。

俺みたいに陸上スポーツ推薦だった奴いたけど、長距離は3人しかいなくて、俺以外の2人は全然ショボかった。

てか、このレベルで推薦とれるのか、って失望するレベルだった。

エース扱いで、相当チヤホヤされてたと思うけど、心の中ではどんどん冷めていった。

俺は県大で、自分のショボさを思い知って、自分限界を感じたのに、周りの奴らは俺を神かなにかみたいに崇めてるわけ。

なにこれ?

は?

お前らはバカ

偏差値xxあって何を見てるの?

とか思ってた。

当時俺みたいな中途半端な奴って学校結構いて、自然とそういう連中とつるむようになった。

特待生学校入ってきたけど、周りのレベル低すぎてうんざりしてる優等生とか、

すげーサッカー上手かったのに部活顧問とか先輩とかと合わなくて帰宅部になった奴とか、そんな連中。

高二になってからは、そいつらといるのがとにかく楽しくて、練習サボって遊ぶくらいになった。

マラソンってくだらなくね?」

とか俺に向かって言っちゃうような奴らだった。

はじめて聞いたとき、本当に新鮮だった。

だって家族友達で、陸上否定する人間なんて、それまでの人生で会ったことがなかった。

陸上=すばらしいは当然の感覚で、それで15年間生きてきた。

いろいろ悩みながら陸上部を続けてきた俺だったが、遂に決意する。

「ごめん。陸上部辞めさせて」

家に帰って、俺は親に言った。

親が買ってくれた、1万円以上するランニングシューズエナメルバッグに入れたまま。

スポーツ推薦で部活辞めると色々大変で、揉めに揉めた。

けど俺の決意は固かった。

たくさん説教された。

俺の陸上の才能を認めてくれて、もったいないって言ってくれる人もいた。

それが一番心が痛かった。

でも俺はもう決めていた。

本当の自分で生きたい、って思っていた。

陸上は、俺が本当にやりたいことじゃないんだよ、親父、お母さん、先生

そんなことを何回も言った。

陸上の成績でスポーツ推薦を決めた奴が、陸上辞めるなんて前代未聞だろうな、と思っていたが、それはそうじゃなかった。

スポーツ推薦で入っても、挫折する奴は結構いる。

心が折れなくても、ケガでそのスポーツ続けられなくなる奴も多い。

から、俺の陸上辞めるという選択で、退学になるようなことはなかった。

俺はそこから、本当にやりたかたことにうちこむようになった。

俺が本当にやりたかたこと。

それは音楽だった。

あるとき、いつもつるんでる友達から、「バンドやりたくね?」と言われた。

最初冗談みたいだったが、いつの間にか皆楽器を買っていて、本気でやることになった。

俺はボーカル

休みの日に、皆で県で一番賑わってる駅のスタジオに行って、死ぬほど練習した。

スタジオの人がいい人で、ホントは2時間料金なんだけど、何時間でも練習させてくれた。

これが本気で楽しかった。

陸上とは全然違った。

あ、これだ、って思えた。

陸上がつまんない、っていうことはない。

だって、それなりに走るのは楽しかった。

でも、心のそこから楽しんでるか? と言われたとき、即答はできなかった。

親の影響でやってるんじゃないのか? 自分が脚速くなかったら続けてたのか?

長距離走について、そんな質問をされたら、俺は答えれないと思う。

音楽は違う。

親は音楽なんて聞かなかった。

俺は特に歌がすごく上手いわけじゃない。

それでもめちゃくちゃ楽しい

時間でもやっていたい。

どんどん上手くなりたい。

俺の他にもっと上手い歌手がいても、そいつよりも上手くなりたい。

どうして県大会とき、こんな感覚になれなかったのかは、今でもわかないけれど。

たぶん、陸上をやってる俺は、本当の自分じゃなかったんだと思う。

親が望む、自慢の子供を演じていた。

親に褒められるのはたしかに嬉しかった。

けど、俺が本当に嬉しいことじゃなかった。

俺は親の喜ぶ顔で喜んでただけだ。

音楽は、俺に直接喜びをくれた。

最高の友達が、楽器演奏する。

全員初心者からミスも多いし、リズムだってひどいもんだ。

けど、その三人が生み出すグルーヴの上に、俺の歌を乗せる。

それで曲が完成する。

時間にしてみれば、ほんの数分。

それまで長距離を走破してきた俺にしてみれば、ほんの一瞬だ。

その一瞬に、陸上の何倍もの喜びがあった。

で、忘れもしない文化祭

俺の高校文化祭は、応募制の野外ライブというのが何年か前からあった。

軽音楽部とかフォークソング部とかのバンド演奏するステージだったが、

他にも教師が組んだバンドとか、有志で組んだバンドとかが応募して、出演していた。

俺たちもそこに出ることにした。

はじめてのステージだった。

その頃になると、もう俺たちの演奏レベルもかなりのものだった。

実際その後、ドラム叩いてた奴は音楽関係に進んで、今は有名ミュージシャンのバッグで叩いて飯を食ってる。

結局そいつが一番すごかったのかも。

野外ライブで、俺らの番が来た。

バンド名はさすがに恥ずかしいので秘密だが、司会が俺らのバンド名を呼んだときちょっと肌が粟立ったのを覚えてる。

ここから将来ミュージックステーション出たり、紅白出たりしたらめちゃくちゃカッコいいな、と一瞬思った。

観客は結構集まってた。

ボーカルを俺がやっていたので、陸上とき同級生・後輩が結構いた。

ギターサッカー部の人気者だったので、それ目当ての女子結構な数いるのが見えた。

けど俺は全然ビビってなかった。

自信があった。

後輩も、もしお前らが俺を尊敬してるとしたら、単に足が速いか尊敬してるだけだろ、

でも、これから音楽を通じて、尊敬してくれ、と本気で思っていた。

それまで偽りの自分評価を得ていた人間が、本当の自分で戦うのは、本当に気持ちいいものだった。

MCで何を喋ったかもよく覚えてるが、これはマジでイタいことを言ったので、敢えて記載はしない。

四人で目を合わせて、軽く頷いて、ギターイントロを弾いた。

演奏してすぐに、違和感に気づいた。

俺が想像していた観客の表情ではない。

なんか笑いをこらえているというか、笑ってる奴もいる。

俺が想像していたようなステージじゃなかった。

当時はビジュアル系全盛期で、俺たちが選んだ曲は、L'Arc~en~Cielの『花葬』だった。

俺はHydeに全力で心酔していた。

ていうかHydeよりカッコいい人間は今でもこの世にいないと思っている。

けど俺はHydeじゃなかった。

俺の裏声は、皆の失笑を誘った。

俺はそれまで自分のことを正直カッコいい部類だと思っていたが、Hydeではなかった。

結局演奏微妙な感じで終わった。

バンド活動も、それをきっかけに終わってしまった。

それから俺は、高校卒業して、親のコネがあった地銀就職した。

数年前に結婚して、あと何ヶ月かで子供生まれる。

今年はじめて箱根駅伝を見た。

もうずっと長距離は走っていないから、落ち着いて見れた。

駅伝CMで、バンプの『ロストマン』が使われていた。

それで内心「うわああああああああああ」となったが、嫁に気取られることはなかった。

俺は生まれてくる子供に、何を伝えたらいいだろう?

俺が人生で学んだ人生訓は、「本当の自分とか言ってねーで、人から褒められることをひたすらやっとけ」だった。

でも、そんなこと子供に言う訳はない。

願わくばの子供が、ホンモノの才能を持っているか、ニセモノの自分に何の疑問も抱かないウスノロのどちらかでありますように。

こんな中途半端ダサい存在は、俺だけで十分だ。

2018-09-22

anond:20180922013853

私の職場には48歳で精神年齢小学五年生の人がいますが、上手くやっておられるので増田さんも大丈夫だと思いますよ。

2018-08-02

上手な生き方

今までの人生を振り返ってみて、やはり最初に思うのは「失敗だった」ということです。何が失敗だったか、どこからが失敗だったか。色々と考えてはみますけれど、明確に何が、どこからが、というのはわからず、強いて言うのであれば最初から、何もかもが失敗であったと思います

幼稚園に通っていた頃、私は1人で遊ぶのが好きな子だったそうです。みんなが仲良く遊んでいる中、1人でいたのだと。そのような記憶自分にはありませんが、今考えれば納得はできます。私の社会性の無さというものはその時点で明確に顕れていたのだと思うのです。

小学生の頃の記憶はあまりありません。あったとしても、嫌な思い出ばかりです。途中まではそれなりに、上手くやっていたかもしれません。私の社会性の無さ、性格の歪み、それらを隠すことが出来ていました。しかしそれらが露呈する出来事がいくつかありました。

一つ目は、小学五年生の頃だったかと思います。転校してきた男の子に、何故か好かれました。私も小学生でしたから、好かれていると思うと、相手が気になります。それが恐らくクラス女子の気に障ったのでしょう。色々なことを言われました。一番言われたのは、男好き、ぶりっ子などという言葉です。

私は、クラス女子のように、教室の隅に集まってコソコソと話すのが好きではありませんでした。外に出て、ドッジボールバスケットボールをするのが好きでした。だから男子と遊んでいました。それだけです。そこに男子に好かれたいなどという気持ちは一切無く、ただ自分のしたいようにしていただけなのです。それでもやはり、男好き、ぶりっ子と言われます。ですから言葉遣いを男子のようにしました。今思えば、くだらない反抗心のようなものだと思います。勿論無駄でした。

二つ目も、小学五年生の頃です。クラスに虐められている子がいました。クラス女子ほとんどが加害者でした。ほぼ傍観者であった私と2人を除いて、無視をしていました。その件は、クラス女子全員が、被害者の家へ直接謝りに行くことで収束していきましたが、その時私はとても白けた気持ちになったことを覚えています。私がもしその子だったら(勿論私はその子ではないので勝手な推測でしかありませんが)、自分を虐めてきた相手が家まで押しかけてくる、なんて状況には耐えられません。この人達ドラマか何かの見過ぎなのではないか、この一連の状況を映画のワンシーンだとでも思っているのではないか。この頃から私は、心の底からクラス女子を見下すようになりました。しかし、どんな理由があろうとも、こうやって他人を見下すこと自体性格が歪んでいるのです。それに、最近まで気づくことが出来ませんでした。

中学生になり、女子校に進学しました。勉強をしていなかったため、第1志望中学不合格でしたが。

中学一年生の夏、知り合いの、特に付き合っていない男子に、セックスがしたいと言われました。断ったら嫌われると思い、了承しました。けれど、直前になって怖くなり、何も言わず約束を破りました。嫌われてもいいから、逃げたかったのだと思います。そこまでは良かったのですが、それを母に知られました。私が学校宿泊行事に行っているあいだ、携帯メールを見られたのです。妊娠してるのではないかと泣かれました。あの時のことは、今でも鮮明に思い出せます。もちろん私がすべて悪いのですが、それ以降、なんとなく家族距離を置くようになりました。

もともと小学生の頃、塾での成績が悪く、そもそも勉強していなかったことに対し叩かれたり、怒鳴られたり、やはりそれも私がすべて悪いのですが、そういったことがあったために家族とはそこまで仲がよくありませんでしたし、正直苦手でした。

話が逸れましたが、中学高校はとても楽しかったのです。人生ピークだったように思います。私が私が友人だと思っている相手に友人だと思われているか。そういったことはここでは考えないようにします。中高と、友人に恵まれていました。

ただひとつ失敗があったとすれば、高校二年生のときです。ある人と付き合いました。その理由は、今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけです。そんな理由ですから、勿論振られました。振られて、精神病みました。私が悪いにもかかわらず。病みたいのは相手の方だったでしょう。そのとき私は死のうと思いました。けれど死ねなかった。ここで死ななかったのが、最大の失敗です。

暫くして大学生になり、新しく異性の友人ができました。その友人と付き合うことになりました。これも今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけの理由です。何度も喧嘩して、頼み込んで復縁して。それを繰り返していくうちに、本当の終わりが来ました。思いの外すぐに立ち直り、1人でいるのも意外と良いものだと思いました。その過程で、今までの自分がどれだけ他人を傷つけ、苦しめ、依存し、時間を奪っていたのか、自覚しました。もう人と付き合うのはやめよう。そう思っていた矢先、別れた相手から連絡がありました。復縁したいという旨の連絡です。

その頃には私は自分にはなんの価値もないのだということが理解出来ていましたから、断るつもりでした。しかし、断ったことで相手不快にさせていいだけの価値も、私にはありません。ですから曖昧な返事をし、気づけば付き合うことになっていました。

相手のことは好きでした。一緒にいると、幸せでした。

けれど相手にはもっと相応しい相手がいます。私といても幸せになれません。ですから、思い切って別れを切り出しました。

あっさり別れられた時点で、自分価値を再認識しました。

そして、4月から社会人になりました。私は仕事ができません。心も弱いです。他人が耐えられることに、耐えられないのです。

何より辛いのが、無価値自分が、何も出来ない私が会社にいることで、他人迷惑がかかっていることです。

私さえいなければ、上司気持ちよく仕事ができるのに、私がいるせいで、注意をしなければいけない。ヒヤヒヤしなければいけない。余計な時間を使わせてしまう。

ここまで書いて、何を言いたいのかわからなくなってきました

ただただ私は、消えたいだけなのです。こういった場所にこういったことを書けば、じゃあ消えろ、死ねメンヘラと言われることはわかっているのです。全て分かった上で書いています

女に生まれたくなかった。男に生まれたくもなかった。

迷惑をかけるくらいなら、生きていたくない。けれど死ぬのは怖い。

人と付き合いたい。誰かひとりに愛されたい。けれど付き合えば必ず不幸にする。私の心に問題があるから

親孝行をしたい。けれどできない。私は結婚も出来なければ、幸せそうな顔を繕えるほどうまく生きられる人間ではないから。

親孝行もできず、付き合えば相手を不幸にし、働けば他人迷惑をかけ、挙句の果てにはこうやってインターネットにどうしようもない文章を放り込む。

もっと書いてすっきりしたいことはあったはずなのですが、思い出せません。これだけ長々と書いて、言いたいことはこれだけです。

どうすれば、うまく生きられるのですか。

2017-10-08

ドラえもんの異世界転生エピソード

現代の道具を原始時代に持っていけば神になれる!→ラジオ電波がないので役に立たない、缶詰を持っていったが缶切りが無い、身体能力で劣るのび太は結局バカにされてしまった

今の知識を持ったまま生まれ変われば天才になれる!→最初神童扱いだったが努力を怠った結果、小学五年生になる頃には普通以下の子扱い

日本誕生原始時代自由に生きていこうとするが別の未来人がいた

まだあるかな

2017-07-14

小5の女の子二人

近くの公園で、妻のママ友の子供(小学校低学年男子)が遊んでいたら、ボールが転がってきたので蹴ったら、小学五年生自称する二人組に「あんた、なに人のボール蹴ってるのよ」と因縁をつけられ「立ってろ」と立たされ、挙句裏に連れて行かれて殴る蹴るの暴行を受けたらしい。

一発殴られて「痛かった?」と聞かれてどう答えたらもう殴られないのか考えてもわからず、「ふつう」と答えたら「反省してんの?」とさらに殴られたらしい。

証拠を残さないようにしているのかボディを狙って殴ってくるようだ。

小学生同士なので、怪我をするほど強くはやられていないようだが、その子の心には大きなダメージが残り、一人で公園に行けなくなってしまったそうだ。

被害にあったのは、あまり押し出しの強くない大人しい子で、他にも同じような大人しい子が被害にあっているらしい。

ひょっとしら常習なのかもしれない。

最近小学生怖いな。

表立っても書けないから、ここに書いておく。

2017-03-23

満足できる恋愛SLGが減った

初めてやったのはギャルゲーときメモ(SFC版)だった。

まだ小学五年生で、パラメータの調整の方法とか、イベントをどう起こすかなんて考えず、ひたすら清川望ちゃんを落とし続けた。

(清川さんは他キャラを落とすとき爆弾魔だが、普通に落とす分には簡単に落ちてくれる)

私にとって毎日勉強運動をし、清川さんとのデートを楽しみ、たまに伊集院家のクリパを楽しみ、そして迎える告白とき、という流れはとても楽しいことだった。

他のギャルゲーも手をつけたけど、最終的にはときメモに戻っていった。

そのうちに、乙女ゲーにも手を出すようになった。

ネオロマを中心にいろいろやったが、やっぱりときメモGS版へと手が伸びていった。

パラメータを上げ、好感度を上げていく過程が本当に好きだった。だんだん好意を持ってくれるのが好きだった。

時は変わり、コンシューマ系で恋愛SLGが出るのがほぼなくなった。というかときメモも4で終わってるし、GS版も3で終わっている。

恋愛系のゲームスマホへと移っていった。

ときレスも一時期燃え上がってプレイをしていた。

他の乙女ソシャゲもやった。あんスタもやった。夢100もやった。有名どころはまあまあやったし、無名のよくわからんゲームもたまにやった。

でも物足りないのである

ソシャゲには過程がない。「今」しかない。

好感度というシステムはある。あるものの、好感度関係なくイベントでデレデレしている。

好感度を全く上げていない俺様キャラがいきなり主人公に惚れているような発言をしたりする。

ストーリーチケット制で好感度付きのソシャゲだと余計にその違和感が強くなる。

好感度が低いキャラストーリー上突然照れてくるとか意味がわからない。

シチュエーションじゃないんだよ、シミュレーションがしたいんだよ。

もちろん現実とは違うのはわかっている。

でもかつてのときメモのように、地道にパラメータを上げて、ゆっくりキャラ好感度を上げて、盛り上がったところで告白されたい。

好感度の低いキャラに冷たい態度であしらわれたい。

私はモテモテになりたいんじゃない。「好き」の過程を楽しみたいのだ。

かいいつつ、コンシューマで出ることはないのでソシャゲ今日もやるのだ…。

2017-03-14

オナニーのことを覚えていますか?

ぶっちゃけ、僕は全く覚えていません。

男性オナニー経験の平均年齢は11~15歳とされ、僕のオナニー処女卒業日が小学五年生であるところの10歳で、遠い昔の話であるという事も影響しているのでしょう。

故に、僕は初オナニー記憶がありません。これまで生きてきた中で思い返したこともなく、過去を振り返らないスタイルオナニーライフを続けていました。

しかし、今日ふと思い至ったのです。初オナニーってどういう感じだったっけ?と。

トイレで致した気がしますが、それ以外の記憶が全くと言っていいほど皆無なのです。

しかすると、男性の初オナニー記憶というものは何らかの組織によって消去されてしまうといったような事が秘密裡に行われているのではないでしょうか。いや、まあ、ないんですけど。

皆様は初オナニー記憶、ありますか?

2016-10-08

一家心中をはかる父親と夜通しの会話

スポットライトという映画をみた。

見終えたあと思ったのが、ずいしょさんが言っていた「複雑な世界」のお話だった。

宗教が生まれて数千年も続いていることから考えるに、人間が生きて行く上で不可分な領域なのだと思う。

からといって、作中のような行為が許されるわけではないけど、短絡的に宗教廃止していいわけもない。

どこかで折り合いをつける必要はあるけど、単純に0か100かにはできないんだなあ。


とかなんとか綺麗事を書こうと思ってたんだけど、

途中で眠くなって寝たら、とびきりの悪夢を見てしまった。

小学生の頃に義理の母にオチンチンを触られたことを振り返る夢だった。

夢だけど、本当にあったことなので、ただただ思い出がフラッシュバックしただけなんだけど、

ただただ気持ち悪くなってきた……

こう、昔の記憶が蘇ると連鎖的に色々思い出してくる。

ただ、この連鎖の終わりは、結局いつものアレになる。

いい感じに眠れないし、匿名日記だし少しだけ書いてみよう。

僕が小学四年生の頃。(小学五年生ときに両親が離婚して、その原因になった事件がこれだから、という推測)

まだ生物学上の父親母親と弟の四人で暮らしているときの話だ。

未だに事の始まり因果を知らないけど、どうやら父親商売がうまくいっていなかったらしい。

はいえ、2016年の今でも商売が続いているので、この話の後なにかしらの巻き返しがあったのだと思う。

はっきりいって興味がないので、誰かに尋ねた事はない。

(断片的な会話で、父親母親(僕から見たら祖母)が土地を売って何とかした、的なことを聞いた記憶があるので、そのおかげかもしれない)

いまいまの話はともかく、当時はうまくいっていなかったらしく、父親はとにかく荒れてた。


それが遂に爆発した。

何月のことかの記憶はないんだけど、

休み祖母宅でも父親は荒れていたこと、

正月休み祖母宅でこの事件母親父親を見切り離婚の話をしたこと、

から推測するに、夏休み冬休みの間の出来事だったと思う。

おお、つまりしかすると、ちょうど今頃の出来事なのかも、なんか気持ち悪いなあ。


で、なにがあったかだけど、

夜中に父親が酒を飲んで暴れ出して、

家族全員を車に押し込んで「もういい全員で死ぬ」と言い出したのだ。

一家心中というやつだ。

弟はまだ4歳で、よくわかってないし(誕生日付近から5歳かも、ってか僕と弟は誕生日が三日違いなのだけど、もし上の推測があっていてこのぐらいの時期だとしたら、兄弟誕生日付近にあった出来事可能性があるのか……)

母親暴力を振るわれたせいでもう茫然自失だった。

というか、この二人はこの車に押し込まれた後、特に登場シーンはない。


なぜか、僕が助手席に乗せられ、弟と母親は後部座席に、

そして父親運転飲酒運転だが今はそこをつっこまれても困る)を始めた。

父親は、その当時気に入っていた「山師が使うナイフ」(何を言ってるのかわからないが、今でもよくわからない、なぜか山師が使うナイフ収集していたのだ)を取り出し

「お前たちをこれで殺してから、俺は崖に向かって車で飛ぶ」的なことを言い出した。


そこからは、ただひたすらに、父親を説得するために喋り続けた。

会話が止まると本当に殺されるのだと思って、ずーーーーーーっと喋り続けた。

どれぐらいずーーーっとかというと、途中休憩所によりながら、

住んで居た三重県から、なんと四国に車で渡るまでの間、ずーーーっと喋り続けた。

いやおまえ、心中しようとしてるときに、なに悠長に休憩所よってるんだよって感じだけど、

その休憩所の間も含めて、朝になって四国に渡るまで、とにかく喋り続けた。

ちなみに、なぜ四国に行ったか理由は覚えてない。

とにかく何かしらの会話を続けるのに精一杯だった記憶しか今はなくて、

きっと何かしらの流れで四国に行くことになったのだろう。

具体的に何を話したかは、これまで書いた「出来事」とは違い、

父親との「会話」のため、あまり記憶に残っていない。

よく体験談とか過去の思い出話で「会話」を鮮明に覚えている人がいるけど、あれはすごい能力だと思う。

なんていうか、僕にとって会話は瞬発力がいるうえに、相手の考えとか理屈も加味しないといけないから、脳内再現ができないんだよね。

その、自分が喋ったことはまだ思い出せるけど、相手が何を喋ったかは、絶望的に思い出せない。

ただ「相手が何を喋って、自分が「どう思ったか?』」は思い出せる。

から、耳で聞いた音声ファイル再生はできないけど、僕の脳みそ解釈した相手の言い分みたいなもの自分言葉として再現できるかなあ。

あれ、なんか話が一般的な話になってきたから、戻すけど。

とにかく

「死にたくない」こと

「なにかしたいことがある」こと

など、とにかく自分の話をひたすらにした記憶がある。

今にして思うと、自分のことしか考えてない自己中人間のような気がするが、

小学生が、父親商売がうまくいっていない話を聞いて啓蒙かませられるわけがないので、しょうがなかったのかなあ。

この「なにかしたいこと」というのが何だったのか、今ではあまり思い出せないけど、

後の記憶から推察するに「プレイしたいゲームがある」と「読みたい本がある」の二つは最低でも伝えたのだと思う。

うーむ、僕は変わらないなあ。

で、橋を渡る頃には、父親は酔いも覚め憑き物が落ちたようだった。

そこで、朝ごはんだか昼ごはんだかわからない食事をして、そこの近くの商店で、たまごっちみたいなドラクエスライムおもちゃを買ってもらった。

メニューをなぜか覚えているな、卵焼き定食かいう、だし巻き卵とご飯と味噌汁だった)

その後本屋さんに行くぞ、と本屋さんを探し出したんだけど、徳島では本屋が見つからず、さっさと本州に戻った。

唐突徳島ディスることで、cider_kondoさんのブクマを誘いたいわけではない。当時はスマホもナビもなかったから仕方ない)


とまあ、記憶を辿るとこんな感じだ。

この後小学生徹夜はきつかったらしく、ぐっすり寝てしまい、そこから特に記憶に残っていない。


うーむ、こうして文章に書き出すと、冷静に見れるんだけど、

やっぱり、自分気持ちとしては、いまだに決着がついていないのかもしれないなあ。

別に今更父親謝罪して欲しいなんて気持ちは一切ないし、なぜああなったのか? を聞くつもりもないから、

自分自分のためにこの思い出に何かしらの点を打たないと、すっきりしないのかもしれない。


ただ、なにをどうしたら、この思い出に点がつくのかさっぱりわからないなあ。

冒頭のずいしょさんの言葉じゃないけど、

この複雑さを抱えて生きていけるよう頑張るぞいやなのかなあ……

はややんむきゅむきゅはてなにちわですわ。

2016-05-04

[]5月4日

○朝食:なし

○昼食:チューハイ

○夕食:ビールカツカレーハムタマサラダ

調子

ちょっと面倒なことに巻き込まれてた。

小学五年生気持ちを察するのはさすがに無理です。

ゲームしたいなあ……

2016-03-18

今までの人生を振り返るよ

わたし1995年まれで、今年からついに就活生という称号を手に入れてしまった。

わたし人生を、誰かにずっと聞いて欲しかったんだ。

長くなってしまったし、性/的/虐/待表現もあるから、注意してね。

わたし保育園のころ、親が離婚した。母はわたしと二つ下の弟を捨てたらしい。だから父親に引き取られた。父親にはわたしの母以外にも家族がいたらしい。よく分からんよな。わたし達を引き取った父がどこでどうやって私たちを育てたのかは良く聞けていない。その家族の元で育てたのか、それとも1人で育てたのか。それとも、母と暮らしていた家で自分の親と子育てをしたのか。

とにかく、結果的わたしと弟は、父にも捨てられたようだった。育児がままならず、このままではわたし達がまともに育たないとの結論だったようだ。当時のシングルファザーに対する風当たりは冷たかったろう。他の子供もいるのだから私たちが近くにいなくても寂しくはなかったんだろうな。

そしてわたし達は母にもう一度引き取られ、母方の祖父母の家で暮らすこととなった。わたしが覚えている記憶はこの家からだ。

祖父母の家には、伯母もおり、伯母も子どもを連れて帰ってきていたのでわたしと弟は従姉妹と共に4人で育った。伯母もかわいがってくれ、祖父母も孫を平等に愛し、叱り、育ててくれた。楽しいものだった。母は夜の仕事をして私たちを育ててくれた。父は養育費をくれなかったみたいだった。

小学校の頃に、母が再婚した。新しいお父さんはわたし達を本当の子供のようにかわいがってくれた。かわいがるだけでなく叱ってもくれたし、わたしはお父さんには本当に感謝しているし、尊敬もしている。母は水商売をやめ、事務員になった。

そのうち弟が生まれ、妹も生まれた。わたしは4人兄弟の長女になった。弟妹はみなかわいかった。二つ下の弟とは歳が近い分やはりよく喧嘩をした。わたしの方が口が上手く、弟はよく理不尽に言いくるめられていたようで、反省している。

わたしはお父さんというものにずっと憧れており、やっとできたお父さんに本当によく懐いていた。お風呂も一緒に入ったし、膝の間にもよく座った。お父さんのベットにもよく潜り込んだ。小学五年生のある日を境にベットに潜り込むのを止めた。

察しがつくかもしれないが、お父さんはわたし性的な目で見ることもあったようだ。前から体をまさぐられる事はあったが気にしていなかった。わたしも多少、エッチなことに興味があり、お父さんを放置したことも悪かったと思う。とにかくその日、わたしはお父さんに処女を奪われたのだった。エッチ気持ちいいと思ってたのに痛くてびっくりして、その瞬間にわたしは何てことを許してしまったんだと後悔した。わたしはいつも寝たふりをしていたから、お父さんは寝ているであろうわたしにごめんなと声をかけて、やがて寝た。

翌朝はお父さんと上手く話せなかった。でもわたしの元来の、忘れっぽく、大雑把な性格と、母が手に入れたこの幸せな家庭を壊してはいけないという思いから、あの夜を忘れお父さんとも普通に接した。いつの間にか普通に接することが当たり前になっていた。

挿れられたのはあの一度だけだったが、中学生二年生の頃にリビングで寝こけていたらやはり体を触られた。翌日メールで昨日みたいなことはやめて、そう送った。分かった、ごめんなさい。そう返事が来た。でも、高校一年生の時にまた触られた。クリトリス執拗にいじられて痛かったことを覚えている。その日からわたしは決してリビングで寝こけないようにした。それ以降は触られていない。初めて挿れられたのも、なめられたのも、指を挿れられたのも、全部お父さんだ。仲のいい友達にも彼氏にも、もちろん家族の誰にも、誰にも、言っていない。

でもわたしは性行為トラウマにならず、セックス大好きである毎日したい。話が逸れた。

まぁ、そんなことがあったけど、お父さんとわたしは、仲良しだし、わたしはよその子を育ててくれた父を尊敬しているし、ユーモアのあるお父さんのことが好きだ。評価できない部分があることも、もちろん理解しているんだ。でもわたし家族の手前、お父さんと仲良しな娘でいなければならなかった。日常生活で思い出すこともなかったからそれでよかった。過ぎたことはもういいんだ。

ここで突然だが、母の性格を書いておく。母はプライドが高く、完璧主義者で、人にもそれを押し付ける部分がある。本当に最近改善されてきた部分もあるが、まだまだ自分にも他人にも厳しい。叱るだけでなく、自分の怒りに任せて怒鳴ることもあったし、今振り返ると一歩間違ったら虐/待なんじゃないかなってこともあった。閉じ込められたりごはんを抜いたり殴ったりはしなかったけど、言葉暴力は二日に一回は必ずあった気がするな。

まぁとにかく、わたしと二つ下の弟は、よく母の言葉サンドバッグになっていた。弟は気が弱く、そこが母の気に障るようでわたしよりも当たられていた気がする。今のわたしなら庇ってあげられるのに、当時のわたしは庇ってあげられなかったなあ。 怒鳴られていたピークは小学生までだと思う。

中学生の時は私も弟も尖っていた。家の空気はギスギスしてた。いつの間にか落ち着いたけど、本当に空気は重かった。高校生になってから楽しい仲良し家族だったなあと思う。たまに喧嘩もあったけど。

さて、わたし大学生に上がってからのことだ。二つ下の弟が部屋で首を括って死んだ。前から患っていた病気と、受験のことが重なってのことだった。家はめちゃくちゃになった。多感な時期の弟妹には辛い思いをさせた。弟妹には自殺という事実はまだ伏せてある。母は特にボロボロだった。母の自殺騒動も起きたが、半分本気、半分は悲劇のヒロイン気分になった構ってちゃんだったんだろうな、なんて冷めた目でしか見れなかった。悪い娘である。でもそういう人なんだ。

母が親と絶縁したり、お父さんのお金遣いが荒くなったり、私に彼氏が出来たり、当時一緒に住んでた祖父ストレスから弟妹をいじめたりいろいろあった。自分で言うのもなんだけど、私のがんばりで家族は立ち直ったと思う。祖父から弟妹を救うのは親の役目だったと思うんだけど、私しか気付かなかったから私が始めに動いて父母も巻き飲んで解決した。辛かったな。

今は母に怒鳴らないで教育しなきゃだめだよって諭してるところ。弟妹が、死んだ弟のように追い詰められないように私が弟妹のフォローをしている。弟が自殺したのは別に母のせいではないけれど、弟の性格を作ったのは間違いなく母だから

まぁこんな感じ。

私の癒しである彼氏とは遠距離になった。続くかわからない。遠距離最悪。

そして私はシューカツ生の一員としてがんばりはじめたところ。

私はがんばって生きていくよ。みんなも、できる範囲でがんばって生きてね。

自殺は、できれば、やめてほしいな。

ここまで読んでくれた人ありがとう

誰かに知って欲しかったし、同情して欲しかった。私は結構辛いんだよな。

明日も同じ日本で生きていこうな。がんばろ。がんばる。

2015-06-28

播磨屋商品レビュー

霞ヶ関を激ヤバトレーラーで走り回ることでお馴染みのおかき屋である播磨屋

http://blog-imgs-51.fc2.com/j/y/o/jyouhouwosagasu/hamariyaokkai120301.jpg

トレーラーは凄いけどおかきは美味しい」

商品に同封されてる社長から手紙自衛隊クーデター薦めてるけどおかきは美味しい」

政治的なことはともかく商品の質に関しては高評価です。

今回、お試しセットといくつかの商品を買ってみたのでレビューします。

朝日あげ・華麗満月 90点

朝日あげは塩味の揚げ煎餅、華麗満月カレー味の揚げ煎餅です。

見た目は普通なんですが、味付けが凄く良いです、これは美味い。

売上げトップと自慢してるだけあります

のりおかき 80点

おかきに青のりが入っていて香りが良いです。

味は良いのですが、商品の紹介ページになかなかぶっ飛んだことが書いてあります

四万十川の青のりを入れておかきを作ってください。四万十川日本最後の清流と言われて、私たちの自慢の川なんです」

本品は、高知県四万十市小学五年生女の子から、こんなうれしいお便りを頂いて生まれました。

天然青のりの深く豊かな香りと味を、どうぞ存分にご堪能ください。

もう20年も経って時効でしょうから白状します。高知県四万十市小学校五年生の女の子から届いた手紙がもとで、

こののりおかきが誕生したというのは、実は私播磨屋助次郎の創作です。いえ正確には、小学校五年生の女の子という設定だけが作り話なのです。

事実は、高知県在住のとある主婦の方から、そんな手紙が届いたのでした。それでは話として余りおもしろくなく夢もありませんので、

いろいろ考えた末に小学五年生女の子に落ち着いたのです。どうも誠に申し訳ありませんでした。

主婦からこんな手紙が来ても、商品物語としては何も面白く無い。そりゃそうなのでしょうが

創作でしたと認めておきながらも、引き続き小学五年生の話を取り下げない社長は凄いです。

淡味ごのみ 20

いくらなんでも味が薄すぎます

助次郎 60点

面白い食感ですが、まぁ正直いって普通です。

童げんこつ 80点

硬めで小粒のおかき、美味しいです。

おかき皇 70点

電子レンジを使った新製法というおかき。そのおかげなのか風味が良いです。

しかしまぁこの商品の紹介ページにも香ばしいことが書いてあります

個包装の袋デザインに関する秘話です。弊社京都店は京都御苑下立売御門の真前にあります

その下立売御門を入って左手へ少し歩くと、土産物を売る売店があります。その売店で私播磨屋助次郎は新発見をしたのです。

売られている饅頭せんべいの包装紙すべてに、皇室の御紋章である十六弁の菊花紋が、いかにも仰々しく印刷されていたのです。

菊の弁数を何回も数え直してみましたが、確かに十六弁でした。私は思いました。こんな使い方をしてもよいんだなと。

さてそこでおかき皇ですが、皇は天皇の皇の字です。私はちゅうちょすることなく、十六弁の菊花紋を大小こきまぜた

菊花散らしの小袋デザイン制作し発売したのです。

ところがしばらくして、宮内庁からクレームが入ったのです。菊の御紋章菓子袋に使うのはいかがなものかとです。

私は即座に先の京都御苑土産物の話をして反論しました。それから8年余りになりますが何の音沙汰もありません。

因みに今は十七弁に修正しています無用の争いは、私の好むところではありませんから

無用の争いは、私の好むところではありませんから」とさらっと言う社長が素敵です。

はりま焼き 70点

おいしいですが、これをわざわざ買わなくてもおにぎりせんべいいいんじゃないか?

と思います

御やきもち 60点

豆がたっぷり入ったおかきですが、豆が好きかどうかでかなり好き嫌いが分かれます

柚子せんべい 60点

柚子好きなので柚子せんべいにも期待していたのですが、食べてみて確かに柚子香りがしっかりするもの

せんべいとはそんなに合わないなということが分かりました。

手延素麺 80点

1.5kgで1836円という値段を考えるとかなり美味しいです。

ただいくらなんでも多いので、普通に揖保の糸を小売りで買ってきても良い気がします。

母のそうめんつゆ 40点

可もなく不可もない普通そうめんつゆです。

点数が低いのは事前に期待しすぎていたのかもしれません。

また、自分が創味のそうめんつゆが大好きであのしいたけの出汁の風味に慣れていたので

オーソドックスなこのそうめんつゆがイマイチに感じたのかもしれません。

有明の海苔 100点

これは最高です。

海苔は好きでデパ地下高級スーパーの海苔、はたまた場外などで買ってきたのですが

この値段で、この味と風味高い海苔は最高です。

何もつけずにそのまま食べても美味しい海苔です。

感想

総じて美味しかったです。

こういう社長なんだなということは良く分かったので

美味かった商品特に朝日あげと海苔はまた購入しようと思いました。

お試しセットは送料(160円)のみの負担でおかきセットと社長手紙が送られてくるので

はてなの人も一度買ってみてはいかがでしょうか。面白いです。

http://www.harimayahonten.co.jp/

2015-01-28

小学五年生の息子と話をしていて、何かの経緯で北陸地図を書くことになったんだが、

福井石川富山の位置、自分で書けないことにびっくり。石川は南半分、「うまって」たんだね。

なんでこういう微妙場所が、加賀百万石とか、北陸の中心のひとつであるのか、誰か教えて。

2015-01-19

包茎手術

子ども包茎手術、させた方がいいのかな……

ママ友の間では結構話題

うちの子小学五年生バリバリ包茎っす

2014-10-15

おばあさんの新聞

一九四二年に父が亡くなり、大阪が大空襲を受けるという情報が飛び交う中で、母は私と妹を先に故郷島根県出雲市の祖父母の元へ疎開させました。その後、母と二歳の弟はなんとか無事でしたが、家は空襲で全焼しました。

 小学五年生の時から、朝は牛乳配達に加えて新聞配達もさせてもらいました。日本海の風が吹きつける海浜の村で、毎朝四十軒の家への配達はつらい仕事でしたが、戦争の後の日本では、みんながつらい思いをしました。

 学校が終われば母と畑仕事。そして私の家では新聞を購読する余裕などありませんでしたから、自分が朝配達した家へ行って、縁側でおじいさんが読み終わった新聞を読ませていただきました。おじいさんが亡くなっても、その家への配達は続き、おばあさんがいつも優しくお茶まで出して、「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれよ」と、まだ読んでいない新聞を私に読ませてくれました。

 そのおばあさんが、三年後に亡くなられ、中学三年の私も葬儀に伺いました。隣の席のおじさんが、「てつんど、おまえは知っとったか?おばあさんはお前が毎日来るのがうれしくて、読めないのに新聞をとっておられたんだよ」と。

 もうお礼を言うこともできないおばあさんの新聞・・・。涙が止まりませんでした。

岩國 哲人(78歳) 東京都渋谷区

http://www.pressnet.or.jp/about/recruitment/essay/works.html

2014-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20140811065132

俺は見ないけど、小学五年生の息子が見るだろうな。

子供もたくさん見てるから、質のいいのを頼む。

2014-07-21

それではここで友人の事例を見てみましょう

以下、おっさんの書く嘘だから安心してほしい。

友人は司書だ。司書はいっても、主たる業務は棚の整理。入ってきたのを戻して、乱れているのを治す。一冊は軽いが、それが束になってかかってくるのだから、重労働だ。そして彼のつとめていた図書館は棚が高かった。耐震性にうるさい今では考えられないだろう。

髙い棚の本をとるために、踏み台やら懸架梯子などが用意されていた。それを使えば本に手が届く。

そう、たとえ小学五年生女の子でも。

その時彼女は背伸びをして、手を伸ばし、なんとかそのまま本をとろうとしていた。たまたまそれを見た友人は、その本を取ってあげた。

本当に、きっかけはその程度だったらしい。

小学生とつきあうのはなかなかむつかしかった、と今となっては笑いながら話してくれるが。

おっさんの書いた嘘なので、こんなことは現実にはありえない、と重ねて申し上げて筆をおく。

2013-09-01

娘を愛するとあるお父さんのツイート推敲してみた

TLに流れてきた娘を思うツイート紳士的な意味で胸に来たので、文章を推敲してみた。

娘の可愛さ書かしたら140文字ってあっという間なのかテストしてみようと思う。マジレスするとうちの娘はマジ可愛いえるたそ幼児版をイメージしてもらえればいいと思う。幼稚園の青い服着せたらマジそっくりだから。将来はぜったいえるたそみたいな可愛い女の子に育ってくれると思ってる。えるたそがパパーってくるんだぜ?想像しただけで昇天してしまうよね。まじで。高校生までいかなくても最近小学生結構大人びてるから小学五年生くらいからでも結構美人に育つんじゃないかんと思ってる。まぁ大きくならなくても今のままでも幼女ならではのムチムチ感と小ささがたまらなく可愛いわけだが、その可愛い娘を好きな時に抱きしめたり抱きかかえたりお風呂に入ったりプールに入ったりできるって最高ですよね。幼女幼女言ってる人はみんな結婚して女の子作ればいいと思う。二次元とか道行く他人の幼女なんて目じゃないくらいよホント。沢山書いたけどこれ女の子の親はみんな思ってるから。おわり。

これをこうしてみた。

我が娘のかわいさをたかだか140字程度で表すなど不可能であろうが、試しに書き綴ってみたいと思う。

娘は、本当に可愛らしい。あたかえるたその子供の頃のようだ。なお「えるたそ」とは、氷菓に登場する千反田える愛称である

娘に幼稚園の青い服を着せると、本当にえるたそにそっくりだ。きっと将来はえるたそのような女の子に育ってくれるだろう。えるたそが「パパー」と呼んでくれるのを想像するだけで、天にも昇る気分だ。昨今の小学生は大人びているので、娘が小学五年生ぐらいになる頃にはかなり美人に成長しているのではないだろうか。

尤も、成長していない今の娘も幼女特有の張りと小ささが堪らなく可愛い。その素敵な彼女を、好きな時に抱きしめたり、抱きかかえたり、一緒にお風呂に入ったり、あるいはプールへ連れていくことができるのは此れ至上の喜びである幼女幼女と申している者共は、早く結婚して女の子をもうければよいのだ。血を分けた実の娘は、二次元、あるいは通りすがりの余所様の娘など比較にならないほど可愛いである

書き連ねてみたが、やはり140字で思いを書き表すことはできなかった。

女児の父親は皆このようなことを考えているのだ。一部の方はこの文章に失望の念を抱いたかもしれず、そのことについては大変申し訳なく思う。だが、これが私の偽らざる思いなのである

2012-04-29

阪神淡路大震災から震災遺児支援のボランティア活動に細々関わっていて、昨年の福島にも休日を利用して出張っていたりした。

夏になり、仕事が繁忙期に入ったのと、現行の活動内容に一定のめどが立ったのもあって、しばらく活動から距離を置いていた。

そして少し前、福島での活動を通じて知り合った人から、よければ手伝って欲しい事があるとメールが来た。

事情あって今は福島へ通う余裕が無いと返答したら、いや福島へ行く必要は無い。あなたのお住まい(相手は俺の住所を知っている)からそれほど時間がかからない場所だと。

それならば話だけでも伺いますと返事したら、紹介したい人がいると返事があり、会うことに。

とりあえずA氏としておく。彼とは喫茶店で合流し、そして俺に説明した。

端的に言えば、震災保護者を失った子供達をこの近く(この近辺では一番大きな市)に呼び、レジャーランドに招待したり一緒に食事会を開いたりして親睦を深めようというもので、A氏が主催をつとめるボランティア団体がそれを取り仕切る、というものである。「会員制のあしながおじさんみたいなもの」とAは言った。

当然だが子供達の交通費、食費などは会員が払う会費から捻出される。食事代は顔なじみの店に話がついており、まとまった人数が見込めるのでリーズナブルでそれなりに贅沢な内容に出来る、と。

ボランティア歴がそこそこ長いので、こういった寄生虫のような連中は嫌と言うほど見てきた。ワードかエクセルで作られたようなパンフレット最初の1、2ページを見た時点で断る気満々で居たら、Aはその空気をかぎ取ったのか、俺に別の紙切れを見せてきた。

『第一回親睦会』の参加予定者の名簿なのだが、全て小学生中学生とおぼしき女児で、顔写真とセットで名前と年齢が記載されており、備考欄に「千円くらい」とか「1万円」などと書いてあった。

そしてAは声を細めてこう言った。

最近の子供というものは色々と入り用なようで、『お小遣い』などを欲しがっている子もいますし…」

「一応、『食事会』は20時までという事になっていますが、迎えのマイクロバスは翌日にもう一度来ますので…」

秘密は厳守しますのでご安心ください」

『名簿』の中には俺が見知っている子もいた。当時小学五年生で、震災で父親と弟(妹だったかも)を自宅もろとも失った子だった。ただ、名簿の名前は別名だった。

『会費』の額が額なのでちょっと考えさせてくださいとだけ答え、見せられたパンフレットを受け取り、Aとは喫茶店でそのまま別れた

『名簿』も要求したが「今はこれ一部しかありませんので」と渋られたため、入手は出来なかった。

以上を洗いざらいぶちまけたつもりだったが、生活安全課の職員の反応は淡々としていた。

情報提供ありがとうございます」「調査いたします」とだけ。

この顛末を冒頭のメールを送ってきた人に伝えると、涙ながらに謝ってきた。

「そんな事をする人だとは知らなかった」「子供達をとんでもない事に巻き込んでしまった」と。

知っている限りの人にこのことを伝えてくれと言い、そのまま電話を切った。

後日、パンフレットに載っていたボランティア団体の住所を訪れてみた。空きテナントだった。

あれから新聞ネットニュースをチェックしているが、Aの名前は今のところ見ない。次会ったら死なす。

2010-08-10

その学校では週に一度、給食時間にタッちゃんがやってくる。

養護学校のおばさん先生と一緒にやってくる。

タッちゃんは毎回、かならず暴れる。

小5の男の子が本気を出すと、既におばさん先生より強い。

 

私は転校生だった。初めてタッちゃんを見た時、怖くて怖くて、クラスのみんなのように黙って着席していることなんて出来なかった。

暴れているタッちゃんは、とても人間には見えなかった。一瞬でパニック状態に陥り、身体が逃げだしていた。

タッちゃんは逃げる私を追いかけ、背中を拳で殴った。衝撃で呼吸が止まった。恐怖で目の前が白くなったり黒くなったりした。

私を殴り終えたタッちゃんは、きちんと着席している他の子たちの背中も次々に拳で殴った。勢いをつけ体重をかけ全力で殴った。

殴られた女の子の半分くらいが泣いた。私も無意識のうちに泣いていた。男の子はみな黙って我慢していた。

給食時間が終わるとタッちゃんは、おばさん先生と一緒に養護学校に帰って行った。

 

その学校では、それは仕方のないことだった。

その学校小学五年生たちに漂っていたものは、諦めだった。

逃げたり、怖がって騒いだりするのは転校生である私だけで、他の子たちは週に一度殴られる環境に「適応」していた。

親が転勤族だったのでその小学校からは半年で転校したけれど、今でもあの恐怖感は深く私の心に残っている。

追いかけられて背中を殴られた痛みと恐怖も、おとなしく着席しては殴られているクラスメイトたちの諦めの表情も。

 

あの場では、タッちゃんこそが一番の強者だった。

タッちゃんは「かわいそうな子」なので、「かわいそうでない」私たち健常の子供先生たちに対して、何をしても良かった。

健常者にタッちゃんを殴り返す権利は無い。それどころか避ける権利すら無い。なぜならそれは「差別」だから。

私は「社会的に認められた弱者は、強者になるんだ」ということをそこで学んだ。

 

高齢者女性在日部落うつ病人格障害アスペルガー

社会的に認められた弱者」がどんどん広がっている。

弱者の特権」を欲しがる醜い人々。

タッちゃんが増えていく。

 

タッちゃんなんて生まれてこなければよかったのに

2010-08-05

その学校では週に一度、給食時間にタッちゃんがやってくる。

養護学校のおばさん先生と一緒にやってくる。

タッちゃんは毎回、かならず暴れる。

小5の男の子が本気を出すと、既におばさん先生より強い。

 

私は転校生だった。初めてタッちゃんを見た時、怖くて怖くて、クラスのみんなのように黙って着席していることなんて出来なかった。

暴れているタッちゃんは、とても人間には見えなかった。一瞬でパニック状態に陥り、身体が逃げだしていた。

タッちゃんは逃げる私を追いかけ、背中を拳で殴った。衝撃で呼吸が止まった。恐怖で目の前が白くなったり黒くなったりした。

私を殴り終えたタッちゃんは、きちんと着席している他の子たちの背中も次々に拳で殴った。勢いをつけ体重をかけ全力で殴った。

殴られた女の子の半分くらいが泣いた。私も無意識のうちに泣いていた。男の子はみな黙って我慢していた。

給食時間が終わるとタッちゃんは、おばさん先生と一緒に養護学校に帰って行った。

 

その学校では、それは仕方のないことだった。

その学校小学五年生たちに漂っていたものは、諦めだった。

逃げたり、怖がって騒いだりするのは転校生である私だけで、他の子たちは週に一度殴られる環境に「適応」していた。

親が転勤族だったのでその小学校からは半年で転校したけれど、今でもあの恐怖感は深く私の心に残っている。

追いかけられて背中を殴られた痛みと恐怖も、おとなしく着席しては殴られているクラスメイトたちの諦めの表情も。

 

あの場では、タッちゃんこそが一番の強者だった。

タッちゃんは「かわいそうな子」なので、「かわいそうでない」私たち健常の子供先生たちに対して、何をしても良かった。

健常者にタッちゃんを殴り返す権利は無い。それどころか避ける権利すら無い。なぜならそれは「差別」だから。

私は「社会的に認められた弱者は、強者になるんだ」ということをそこで学んだ。

 

怪我人。障害者病人高齢者女性在日部落うつ病人格障害アスペルガー

社会的に認められた弱者」がどんどん広がっている。

弱者の特権」を欲しがる醜い人々。

タッちゃんが増えていく。

 

タッちゃんなんて生まれてこなければよかったのに

2010-02-22

限りなく白に近いグレーれす

ツイッターで「小4のみっちみちのおみゃんこでぼくのちくわぶ頬張ってほしいお(うろ覚え)」という発言が問題となってる件についてつらつらとかくれす。

http://d.hatena.ne.jp/nadegata/20100220とかhttp://anond.hatelabo.jp/20100221181313とかhttp://twilog.org/nadegata/date-100220を念頭に。

  

・自らをガチロリと称しつつ「小四の子宮でぼくのオタマジャクシを来年カエルになるまで育ててほしいお(うろ覚え)」をセクハラとこき下ろすってのはつまりネット上にいていいのは綺麗なロリコンだけってことれすよね。
・綺麗なロリコンはセーフってのはどこのルールなんれすか?というのは置いときつつも、自分は「三次もイケちゃうガチロリなんだぜ」と公言するのは、小学生とっては恐怖と嫌悪を抱かせるのに十分だと思うのれすがどうして配慮しないんれしょうかねえ。セクハラかどうかはともかく配慮を求められても仕方がない案件れしょうに(従えとは思わないれすよ、勿論)。
・まあ「言われた奴が傷つくとかが問題じゃねえ言い方が問題なんだよ」ということなんれしょう。
・で、直接言ったわけじゃない以上特定の人間に向けたのが問題、つまり当事者性の問題なんれすかね?
・しかし繰り返しれすが、二次ロリはともかく三次ロリ宣言もリアル少女に「欲望される私=当事者」と想起させるのに十分だと思うのれす。公の場で自分性的嗜好をひけらかすのは相応に露骨れすよ。想像力ないんれすか。
・ちゅうか、ネット上の人格にたいするセクハラってどこまでが有効なんれしょうね?実名/匿名の問題を鑑みるシームレスに扱うものじゃないと思うんれすが。
マイルールとして「ネット上のお前はお前じゃねえ!キャラだよ!」という考えれすので、今回の「小学四年生の蕾の如きコブクロをここにしか咲かない花を孕むまでぬっぽぬっぽ永遠にともにいじめヌキたいお(ネタ切れ)」は黒に近いグレーというかネット上の諸々は全部グレーじゃね?というのが所感なんれすよね。
・そもそもロリコン発言がカジュアルに使われててどうかというのと同じで、今回のセクハラというのも随分カジュアルな使われ方れすよね。あと、セカンドレイプとかももちょーカジュアルに使われていますけど、いいんれすかね、アレ。ヘイトスピーチっていうべきなんじゃ?っていつも思うんれすが。
閑話休題。何が一番言いたいのかと言うとれすね、白に近いグレーが黒に近いグレーを叩くのもいいれすが、自分がグレーだってことわかっていらっさる?ってことれすよ。

余談。

ロリコン背徳と結び付けるのは「成人女性嗜好=健全な奴ら=常識に性嗜好を飼い馴らされた豚が!」みたいなのが裏側にありそうでなんかいやれす。
・「相手は生身の女の子なんだよ!」は短いセンテンスに奥深い矛盾があって歴史に残る失言だと思うのれすが、それと同じものを今回の件にも感じたのれす。えー生身て言っちゃうんれすか、的な。
・このエントリの発言はおそらくあのルール上だと立派なセクハラになるっぽいんれすが、どうすればいいれすかね?
・実はあっし小学五年生の膜付き美ロリなんれすよ、と言えばどうにかなるれす?まあ、嘘れすけどね。
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