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はてなキーワード: 母親とは

2024-03-19

  時間帯や一定形式にはまった時間の中でみているときは、83-152の自宅を、このかたちの中でみているとも言えなくはないが、延岡なんぞバカしかいないようなところで

  自宅をそういうふうに見ている者は想像できない上、仮に、ここを自宅としたとしても、誰も住んでいない空き家のような感じであり

    うちの母親存在する場所を、警察が見ているような形の中で見たことはないし、そんなことをしようとしたら、オカン光殺法で殺されるので、うちの1階に降りたときにそういう風にみたことはない。

   あるときに、この形の中で動くと、犯罪者悪魔が動かしているテクノロジー恩恵を受け得られないともいえないが・・・  富美山南区において、そのような状態になることは

  極めて難しいと言わざるを得ない。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

金にも成功にも興味ないし貧乏は嫌

というシンプル理論なんだよ。

なんでそれを政治家や世の中に影響力を持つ奴はわかってねえんだよ。

成功も金稼ぎもリスキリングにも興味ないし何者かになろうともしてないし個性だの自由だの求めてねえよ!

俺が求めてるのは!

大学卒業して!

終身雇用年功序列会社入社して!

自分もこなせるほどほどの仕事して!

なすぎでも多すぎでもない給料を毎月もらって!

ボーナスも貰って!

結婚して!

子供2、3人持って!

家かマンション買って!

子供大学卒業させられるくらいには稼いで!

仲良い同僚とかと上司や部下や仕事政治文句を言いながら新橋で昼飯食って!

65あたりで定年して!

定年したら退職金厚生年金企業年金金持ちでもないけど不自由もしないほどほどの生活を送って!

病気になったら保険診療で質の良い医療が受けられる!

そんな世の中を生きたいんだ!

とりあえずそのスタートラインには入れたんだ!

親のおかげで私立大学奨学金使わず卒業した!

年功序列終身雇用で得意分野はがっしり抑えてるけど規模を拡大させるのは大嫌いで総合職男性のみ事務職女性のみ(寿退社した分だけ新卒採用で欠員補充し勤務中は制服着用)で飲み会も多くて人間関係も濃くて普通に楽しい俺好みの会社総合職入社できたんだ!

から

ほどほどに仕事してほどほどの家をローンで買って定年後は確定申告シーズン税務署バイトとかしつつ基本は厚生年金企業年金で何不自由ない暮らししてる俺の親父と母親みたいな人生を送りたい!

医療制度社会保障制度改革はいらない!

外国人もいらない!

多様性もいらない!

AIもいらない!

ベンチャースタートアップもいらない!

今のままの社会の中で人生を終えられるように政治家たちは努力してくれ!!

2024-03-18

  18時現在、発砲された弾丸が頭部に命中し、2階で寝ているところを頭がぐちゃぐちゃになっている模様ですが、佐藤リモコンで作り直すため、21時頃には復旧するらしいということです。

    1階に住んでいた母親も、頭がぐちゃぐちゃになっていますが、明日の朝には元に戻る予定であるということです。

anond:20240318175902

それだってカネ要るだろw

貸し腹の人が母親としての権利を主張してはいけないことになっている、

しろまれ子供母親探しする可能性が高い

anond:20240318104642

女をあてがえの是非はともかく、弱者男性だって自分たちの生きづらさを主張することは重要だよ。

それこそフェミニストのやり方を参考にすればいいんじゃないの?

長時間労働過労死、遺族年金男性差別親権母親優遇など改善するべき問題は山ほどある。

はじめてのおるすばん

小一の時、学校から帰ったら誰も居なかった

母親仕事で兄はクラブ活動

部屋には私だけだ

冷蔵庫には何も無かった、テレビを付けようかと

思ったけどこの時間は好きな番組がやってないし

つける気は起きなかった。その頃、我が家貧乏ゲーム機なんか無かったし暇を潰す様なおもちゃあんまり無かった。仕方なく天井を眺めていると、誰かがこちらを見てるような気がして

目を逸らした。目を逸らして気がついた

その静けさに

そうだ、ここには私しかいない

時間どこを歩いても私しかいないのだ

途端、外から聞こえる足音が怖くなった

台所で水が垂れた音が自分に近づいてくるみたいで震えてしまった

どうしよう、どうしようと自分のにおいがする

毛布を引っ張ってきてその中に身を隠した

だけど変わらず周りは静かで

静かで

静かすぎて不安だった

もう寝ようと思ったけど、こんな時にねむれない

目をつぶっても誰かが私を襲ってくるんじゃないか知らない内にとそう思うとねむれない

そうだ、テレビをつけて気を紛らわそうと

毛布を出ようとしたが、誰もいない部屋と目が合ってやっぱり出られなかった

すきま風が私を凍らせようとしていた

から足音とか車の音とかしたけど

毛布の中は冷えていくばかりで

涙が止まらなかった

気づいたら母親が帰ってきていて

毛布の上に掛け布団がかかっていた

それでもまだ涙が出てくるので

しばらく毛布に隠れていた私である

これが記憶にある中で一番ふるいおるすばん

記憶

互いに歳を取ってしまって悲しい

この前、久しぶりに母親と会って

何か作ることになったから残りご飯チャーハン作ったんだよ。チャーハンっつても卵とご飯チャーハンの素を混ぜて炒めた簡単チャーハン

自慢するわけじゃないけど出来は最高やった

ひとくち自分で食べてみたけどおいしかったし

これなら母親も喜ぶだろうなと思いきや

半分ぐらい食べたとこで休憩しとるんや

なんや美味しくなかったんかなと思ったけど

歳を考えてはっとしたわ。よく考えたら私も茶碗一杯が限度になってきとるし

互いに歳とったなぁ…って半分のチャーハン

見るの辛なった

anond:20240317234009

俺の親とか未だにアニメ漫画見ようとしないけど、よく分からん現実版なろうみたいな恋愛ドラマ見てるの意味分からん



私の母親もそうである

観察:




推測:

というのも、ハリウッド映画などを見ていると、叫んだり息を呑んだりするのだ。「見ていられない」シーンや、痛ましい負傷をするようなシーンで。

多分、母はブレードランナーインセプションを見ても、訳が分からないだろう。ロイ感情入れ子舞台を読み解けるようには思えない。


今日結論:

カスみたいな筋書きの実写ドラマでキャイキャイやってる層というのは、テレビのそれが廃れないのを見ると、かなり厚いのだろう。

おそらく普遍の理であるGREEとかセックス・アンド・ザ・シティ流行った人間社会の中では。

2024-03-17

母親ユーミンを下手だと評しながらそれでも聞き続けている

いったい何をしたいのかよくわからない

    警察官はいかに邪悪な者であれ東京大学法学部主催にかかる組織であるので、いざというときは、東大法卒で開成高校卒、司法試験等3冠の佐藤もぐらや

    東大法学部学部チームで分からないように働いている森脇進一の母親の知っている事情制御されて職務をしなければならないが、門川市加草のコンビニエンスストア

    買い物をしている黒そうな男は必ずしもその見解制御されているとは限らないから。

anond:20240317150310

母親と娘の双方と性的関係を結ぶこと

父親ホモセックスしても親子丼にならないのか?差別だろ

anond:20240315115546

親子どんぶり

加熱調理した鶏肉鶏卵でとじて、丼ご飯にのせた料理

競馬の同じレースに同じ馬主、もしくは同じ厩舎の馬が2頭以上出走していて、レースの結果それらの馬で1、2着を独占した場合

母親と娘の双方と性的関係を結ぶこと

anond:20240317132032

産み落とされて母親不明な人にはきつすぎる

秘密質問って考えたやつも採用するやつもバカなんか?

そもそも質問項目が全然秘密じゃねえだろ

母親旧姓って少なくとも両親は知ってんだろ

パスワードが一番の秘密だよ

兄が面倒くさい

兄は大人になっても未だに自分の喋りたいことを延々と話すタイプ

発達障害の診断は受けている。自分発達障害からお互い様で適度に流すようにはしているんだが、どうにも耐えられない時がある。

遊戯王の新しいカードとか目新しいインディーゲームの話をしている時はまだ良い。

なろう系小説美少女ソシャゲにひたすら文句をつけている時が本当にきついし面倒くさい。しかたまたまランキング名前が出てきたからとかCMが流れただけでスイッチが入って三十分くらい文句悪口を言い続ける。しかもその時はトイレに行こうが風呂に入ろうが扉の前までついてきて喋りかけてくるのでしんどい

そういうの聞きたくないって言うと「あんな安っぽくて低俗もの肯定するのか!」ってキレてくる。嫌になって無視すると「誰も僕の話なんて聞いてくれない」と被害者面。アンチスレでやれ。

家を出ようかと思ったこともあるけど、自分が家を出たら母親がこれに晒される羽目になることを考えるととこっちで止めておいた方がマシだなと思う。母親なんて自分より長く兄に付き合わされてる訳だし。

発達障害って根本的に本人が困りごとを感じてないと対処とか改善かに進まないし、兄は自分が困ってないか全然変わろうともしないんだよな。

こっちも無自覚迷惑かけてることあるだろうしある程度は我慢するけど、それにしたって兄は面倒くさい!

anond:20240317065222

それもあるだろうけど、条件付きの愛で子供を縛る毒親の原因も大きいだろ。

努力して強くなることを愛の条件にし、弱い子を貶す母親の下で育つと、他の弱い子を貶す子になるんだよ。

2024-03-16

anond:20240316213859

かと言って仕事趣味もやらず子供全集中して子供しか生き甲斐がなくなり子供に執着する母親毒親扱い

まあ、「子育てくらいしかやる事ない感じになりつつ子供に執着はしない」というバランス感覚が求められてる感じはする。

まり特に何もやりたい事とかないですねというこだわりの無さを子供に対しても発揮しろという話。何にもこだわらないのが大人とされてると思う。

anond:20240316212219

子供がいると仕事すら満足に出来なくなるけどね

子供放置仕事趣味にかまけてる母親ネグレクト扱い

かと言って仕事趣味もやらず子供全集中して子供しか生き甲斐がなくなり子供に執着する母親毒親扱い

何やっても叩かれるんだよな

anond:20240316171154

リスクを背負わされることにダメージがある

実際リスクに晒されたらそれもダメージがある

結婚してやると言っても相手がそれを望んでいるとは限らない。

責任を取るというのなら結婚しなくても、子供母親が働かなくても多少の贅沢して暮らせるくらいの金を出すのが最低限だよ。

強制的人生奪ったんだから

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