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2024-03-16

桐朋高等学校、78期卒業生答辞に賛辞やまず

「愛してんぞ、るしあ」構文によく似てる。今のガキって言葉遊び好きだよね。俺もう文章読むのもダルいわ、チカチカしちゃって

2024-03-14

答辞が素晴らしいだぁ?どうせ実家劇太クソガキの言葉遊びなんだろ

下らん

読む価値なし

2023-06-04

我が子と合わない

追記

久しぶりに覗いたらたくさんの方が反応をくれていた。

自分を良い様に書きすぎてると言われ改めて読み直すと本当にその通りだなあ、と思う。

少しでも「分かるよ〜それはしんどいよね。辛いよね」って言ってくれる味方が欲しかった。

でも皆さんはそれすら見抜いて客観視してくれていてとてもありがたい。


夫について何も書かれていないのが怖いと言及された方もいるようだが、私と子供問題だと思って書かなかっただけで存在はしている。

夫について書くと、

激務でほぼ家にいない(1ヶ月に1日休みがあればいい方)

結婚して1度も喧嘩したことがないくらい穏やか

趣味家族 と言っていて1日しかないお休みゆっくり休んでいて欲しいのに何かと家族を喜ばせようと企画してくれる。

勉強面で言うと大学地方国立理系

基本寡黙だが、ボソッと話す一言面白い

飲み会等で端っこにいる。でもなんか居心地が良くて人が集まっちゃうような。

クラスにいたら、地味に好きな子が多いタイプ

私と子供緩衝材のような人で、私をイライラさせたことも一度もないし、子供の突拍子もないことも全て受け入れられるおおらかさをもった人

ただ家にいない分怒る役割をしてくれないので私が常に鞭役で飴役ばかりしてずるいなーとは内心思っている。口には出せないけど。

この人がいるからなんとか親子関係が保てていると思う。

夫がいる日は家庭が和やか。

くらいだろうか。





以前ここに書いてから自問自答して、問題子供じゃなく自分の方にあるのだなと気づいていた。

ただどうしたらいいかからなくて相変わらず扉は静かに閉めよう、靴は揃えましょうなど自分にとっては当たり前だと思うことを今日まで言い続けてきた。

皆さんのコメントを読んで、子供にとって私の小言は生きていく上でどうでもいい事だと思われてるから響かないのだと気づいて目からウロコだった。

いつか必ず伝わる日が来ると思って言い続けていたから。伝わらないという前提がなかった。衝撃。

根底から覆された気分だ。どうしたらいいのだろう。

違う星の生き物同士みたいだ。またこから手さぐりで相手に伝わる言語を探し始めなければいけないのだろうか。

子供が大切に思うことを私も尊重できる母親になりたい。今は好いていてくれてるがこのまま小言を言い続けて本人からしたらどうでもいいことで抑圧しすぎたら嫌になる日が来るだろう。

仲良くはなれなくとも嫌われたくないな。

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【本文】

同じクラスにいたら友達にならなかったタイプだと思う。

とことん気が合わないというか生活する上で大事にしてる部分が違うというか、何故こんなことも伝わらない?!と毎日しんどい

どう働きかけたらいいのか教えて欲しい。

◾︎自分◾︎

小さい時から1度注意されたら同じことは繰り返さない子だった。

お願いしたことは守り続ける(ドアを閉める際はゆっくりかに閉めて等の当たり前のこと)

何も言わなくても宿題、お風呂学校の準備、習い事練習をやる子。

好き嫌い一切無し。

学校先生から1度も悪い所を言われたことがない。

大学受験の時以外塾に行ってないが学年10位以内には入っていたのでほとんど勉強で苦労したことがない。

学校代表、送辞答辞系全て打診される(答辞だけやった)。

自分世界に入り込んでいて本を読んでいる時に話し掛けても聞こえていない。(上記全て親の談)

よく言えばもの静か、悪く言えば根暗。(高校から改善され友達と話すようになる)

融通が効かないのでどれだけ忙しい日でも自分で決めたルーティンはやる→過労で熱を出す

オシャレに目覚めたのは高校生。それまでは親が買ってきた服を適当に着ていた。

羞恥心が強く、他人からどう思われるか気にしすぎて失敗した発言のことを何年も繰り返し思い出したりする。

◾︎子供◾︎

したらダメだと言われたことは、その場でもう1回やらないと気が済まないし次の日には繰り返す。

お願いしたことで守られたことの方が少ない(ドアはバンと閉めない、食事中肘をつかない等その都度注意するが全く治らない)

何も言わなければ永遠に宿題等の当たり前のことをやらない。

好き嫌い多い。

学校先生から勉強クラスの真ん中より下くらい」「人を待たせても平気らしく好き勝手の子と話してて友達を困らせています」と言われた。

自主学習が出来ないので塾に通わせているがあまり意味が無さそう。

小さい頃から毎日読み聞かせしていたが自分では全く本を読まない。

常に喋っている。誰かがトイレに入ったりお風呂に入っててもついてきて外でしゃべり続ける。ちょっと黙って、とかなり強く言っても5分と黙っていられない。

すぐ学校習い事休みたがる。

小学校低学年からオシャレに目覚め、着るものに強いこだわりがある。

全く羞恥心がなく人前で突然踊ったり歌ったり、こちらが(そんなこと言ったら友達いなくなる!)と思うようなことも平気で言う。そしてそれを覚えていない。

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そんな感じで本当に自分の子か??と思うくらい全然性格が違う。私は静かに本を読んだり手芸をするのが趣味だが子供がいる日中にそんなことをしようものなら今がチャンスとばかりに喋り倒される。今は集中したいから黙って、とお願いしても5分も経てば話し掛けられしたいことを達成できた日がない。

小学校低学年の時、ほかの親子に雨の日の家での過ごし方を聞いた際「𓏸𓏸がゲームしてる横で私は本読んでるかなあ」と言われ、そんな穏やかな時間があるのか!と衝撃を受けた。子供ゲームをしている時も常に話し掛けられ、ゲームやってる間に𓏸𓏸しちゃうね!と離れてもゲームをやめてついてくる。

子供友達も多く、私から見たら強すぎる発言もするがとても人気者で所謂パリピになりそうな人種だ。

外では常に喋ることはないようで、でも発言権はかなり強く中心人物だとは思う。

先生からは注意されることもあるが、いじめられっ子も仲間にしたりとクラス問題解決するそうで、そういう面ではクラスにいてくれて有難いと言われた。

たぶん楽観的な性格的にも人生を楽しく生きられるのは子供の方だが、その人生が安定したものになるかは不明だ。

できれば我が子には不幸な目に遭わないで欲しいが不安しかない。

日々の当たり前の暮らしについて毎日毎日散々注意しても守られず、かなり強く叱っても(もはや怒鳴るレベル)その一瞬は直るが次回には同じことが繰り返される。

一度実母に「どうやって子供を育てればいいのか教えて欲しい」と聞いたら「ガミガミ言いすぎなのかもよ?何も言わずに見守ってみたら?」と言われ1週間見守った結果、宿題は全くやらず次の日学校で友だちに写させてもらい、忘れ物多々で学校に届けに行く日々、唯一お風呂はオシャレのためか入っていたがいつもの時間より3時間ほど遅い入浴時間だった。

このままでは本当に危ういと思ってまた注意する生活に戻ってしまった。

紙に書いて貼ったり、アレクサに時間になったら通知してもらうようにしても何も改善されない。

小学校低学年の頃になにか発達に問題があるのかと検査にも行ったが引っかからなかった。

毎日子供が帰ってくる時間休日苦痛で仕方がない。パリピなので土日のどちらかは遊びに行ってくれるが、自分で言うのはなんだが親のことも好いてくれていて一緒に過ごす日も必ず取りたいらしい。

でも私のことが好きなら、最低限のことを守って欲しいと考えてしまう。毎日注意されまくりなのに一緒にいたいと思える気持ちがわからない。こっちは、今日もいっぱい注意してしまった……と凹むのでしんどい

なんかまとまりがないけど書き疲れたので終わる。

子供が家を出ていくまでこの状況に耐えるしかないんだろうか。

2023-03-07

かい春の日差し

小学校6年の卒業式でやった「呼びかけ」をまだ覚えてるな。

かい春の日差し

まぶしい朝

今日ここに集った

ぼくたち

わたしたち

もう流行らなくなったのかな。

子どもたちは普通に送辞答辞だった。

2022-08-05

夏は昔の恋を思い出す

誰にも明かしたことはないけれど、恋多き人生を送ってきた。10代の頃はそれはそれは惚れっぽく、けれどお付き合いの具体的なイメージが沸かないから、すべての恋を胸に埋めて大人になった。大人になると途端に恋は人間関係と結びつき、恋人になるなり、失恋するなり、別れたり復縁したりと暮らしに影響を及ぼすようになった。

けれど、ただ胸の中にアルバムをこしらえて、目が奪われ体に火がついたような一瞬を大切にスクラップし、眠れない夜や開放的な歌を耳にしたときついページをめくってしまうような、眩しく淡い恋はあの頃で終わっている。そして夏が私にそれを思い出させる。

入学したときぽっちゃりした坊ちゃんみたいだった佐野くん。実はピアノが上手くてプログラミングにも長けていて、卒業する頃には背まで伸びて花より男子に出てきそうだったのに、おっとりと優しく人を立てる性格がずっと変わらなかった。

クラス替え自己紹介で将来の夢を聞かれて、低い声でぶっきらぼうに「DJ」って答えた佐伯くん。全く意味がわからなくて、大人っぽすぎてドキドキした。家に帰って辞書で調べて、ラジオディスクジョッキーのことと理解して、その夜はラジオから佐伯くんの声が流れ出るのを想像した。

ずっと一匹狼だった小山くん。いじめスレスレのいじりが起こるとすっと話題を変えていた。先生含め全方位につれない対応だったのに、裏表のない態度が一目置かれる存在だった。同じ小学校から進学してきたユカちゃんと話すとき笑顔けが特別だった。

ロッカーが隣で、ふっと中を覗かせてもらったら、ぴしっと教科書が整列していた坂上くん。ゲラゲラ笑う大胆な人なのに几帳面なんだ!と驚いて、自分ロッカーを見られないようにあわてて閉めたら目があってニヤッとされた。扉の裏にコピーした時間割がまっすぐ留めてあった。

くるくる天然パーマキュートだった加藤くん。ずっと冴ちゃん片思いしていて、冴ちゃんが誰と付き合ってても視線の熱が変わらなかった。一度男女混ぜこぜで鎌倉花火大会に行ったとき、一番はしゃいで盛り上げてくれたことを思い出す。あのときちゃん彼氏の呼び出しで早く帰ってしまい、それでも続く明るいトークには抱きしめたくなるほど痺れた。

その花火大会の日に家に寄せてくれた吉住くん。浮いた噂一つない柔和なカタブツで、誰にも平等に接するフェアなところを尊敬してた。ご両親とのやりとりも穏やかでユーモラスで、その後何度もみんなで家に通わせてもらった。高校柔道部に入ってあれよあれよと体が分厚くなり、人懐っこい熊のようだった。

眉毛一生懸命整えていた竹内くん。今思えばきっとノンバイナリーな人だった。男子グループに上手く馴染めていなかったけど、料理部に入って人は人自分自分って感じに対処していた。ミステリアスで目が奪われた。

バスケ部永田くん。学校ではまるで話したことなんてなかったけど、偶然電車で会ったとき、家のことや好きな本の話など、横浜藤沢まで楽しくおしゃべりできた。クラスメイトの陰口など一切言わなかった。鞄の角がすり切れていて、でも持ち手はきれいにしてあって、ものを大切に使うんだなと感心した。

テニス部藤本くん。華やかな容姿で人目を引いたのに、結局誰とも付き合わず、いつも友達とふざけているか本を読んでいた。一度バスの中で何を読んでいるか聞いたら水滸伝だった。読書するとお小遣いもらえるんだよねと言っていたけど、きっと本当に本が好きだったんだな。

藤本くんの親友で、ある日突然私に現国を教えてと持ちかけて水木くん。勉強なんてしてこなかったけれど、医学部に行くって決めたからと言っていた。弟の病気を直せる医者になりたいってそんな漫画みたいな‥と思ったけど、全力で学ぼうとする姿勢にはむしろ教わることばかりだった。卒業生総代になって、答辞添削を任せてもらえたときは胸が詰まった。

サッカー部で副キャプテンをしていたのに、引退試合の直前で怪我をしてしまい、試合には出れずコートから大声で指示を出していた榎木くん。試合終了が近づくともう何も声を出すことなく、ただ制服の白シャツがはためいていた。

回転ドアの向こうに、自転車の後ろ姿に、夏の朝夕、暑さが残る淡く眩しい光のなかに男子学生を見かけると思い出す。みんな素敵だった。私恋ばかりしていたけど、それは当たり前だった。

2022-05-02

anond:20220502123823

たわわのアンケートサーベロイドのモニター登録してまじめに協力する層が対象なんだから、完全に無作為twitterにいる人に聞いたのとはまた違う偏りが出るでしょ。

そもそも母体ポイント欲しさに個人情報渡して面倒なアンケートに答えるのが平気な人たちなのだから基本的企業活動に関していちいち批判的に見るような性格ではないわな。実利があれば面倒なことは考えない穏健な人々対象アンケートでしょ。面倒なツイフェミモニター登録するとは思えない。 そんな母数の中で2割が反対っていったら結構大きいよ。

選挙電話アンケートの結果が保守に偏るのもそうで、勝手にかかってきた自動アンケートに真面目に答える人だから性格的に保守支持が多くなる。

よくあるオンライン性格テストも途中で飽きて回答辞めるタイプ被験者から漏れから、「日本人は真面目で勤勉な性格の人が多く自由人は少ない」みたいなことになってる。

2020-03-31

東大生答辞学習院答辞の差

学習院のイキり答辞まだ読んでない奴は読んだ方がいい。コロナで暇でしょ。

厨二病全盛って感じでマジで痛い。

んで武漢話題になってたか東大答辞見たのよ。

出てきたの武漢の方じゃない文系のやつだけど、よかった。ググれば出てくる。

なんか斬新なこと言ってるわけじゃないんだけど、コロナで喚いてる奴に読んで自省してほしい。あと学習院答辞書いたやつ、知性が違う。

2020-03-26

学習院答辞若さの発露ではない

あの答辞を読んで「若者の将来へ幸あらんことを」も、「若さの発露に冷笑的な態度で接するほうが恥ずかしい」も、「年取ると、猛烈に恥ずかしくなると思う」も彼女を不当に貶めるコメントだと思う。

私は、大人というのは、「自分の行動に責任を持つ人」だとおもう。彼女答辞としてあの内容を述べることで予想される批判を真っ向から受けるつもりで述べただろう。そういう意味で、彼女ネットではまれに見るような立派な大人だ。

たぶん、彼女のことを「若者」とかいう人にとっては、「大人」というのは、「空気を読み、周りの人への思いやりがある人」とかなんだろう。「空気を読み、周りの人への思いやりがある人」が首相になったら、どのような国になるか、私たちは良く知っている。

彼女のような人を対等に見ることも、素直に尊敬することもしないで、「今の自分とは違う人」枠に入れる人が、今の首相を支えていると、私は思う。

2019-06-08

これ一文単位引用反論増田じゃないの?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/yamaguchihiroshi/20190603-00128641/

上野千鶴子答辞の件で大量に湧いて出たのと同じで、枝葉にネチネチ反論している。

全体を通して会長が本当に伝えたかったメッセージを読めていないのでは。

2019-04-15

anond:20190414185523

弱者の中にそりゃ強者に救われた奴もそりゃいただろう。だから、少しでもいるほうが良いとは言えるから答辞は正しい。

最近強者自分感情の赴くまま弱者蹂躙したら理想社会になる!みたいな方向に行き過ぎた。

まあ、強者強者会社に行くし、そこの方針にまずは従うことを求められるから大学祝辞とやらがそこまで深刻な意味は持たないと思うが。

ああ、あと、弱者蹂躙するのは弱者であることが多いよ?むしろ弱者ちょっと自分より弱い役者をいたぶって強者としての自己尊重欲求を満たし、強者にほこが向かないように誘導からな。

ネトウヨ韓国がー女がーなんて言ってるのがその典型じゃん?ネオリベ的に弱い奴はそのまま強い奴に従え!ってのもな。

2019-04-05

天皇陛下崩御されたとき記憶

答辞は中1だったけど、あんまり覚えてない

深夜に一人で起きてテレビを見たら、NHK24時間天皇陛下状態テロップつけて放送してた

雨がふってる黒い画面だったような記憶だが、これは多分記憶イメージの断片から作られた記憶だろう

2018-02-26

卒業

明後日卒業式に向けて、みんなは浮き足立っていた。仲のいい子とわあわあ騒ぎながら、下足箱へ向かっていく。私は一人、ポツンと空き教室先生を待っていた。

明日卒業式の予行練習がある。体育館紅白幕やらパイプ椅子の準備やらで人が溢れて、慌ただしくなる。答辞を任されている私は、全体練習後にも個別作法指導がある。きっと忙しい一日になるだろう。

そんなことを考えながら、答辞担当してくれる先生が来るのを待っていた。ふと奉書紙を手に取る。ところどころ掠れた字で、私の考えた、私だけの答辞の文が綴られてあった。

何だったのだろう。私の三年間は。

分厚い奉書紙を何度もめくりかえす。それは確かに年末から一生懸命に考えた内容であった。どこを開いてもいい加減に考えた部分などなく、私が持てる力を出し切って書いたはずの、答辞。それが今になって、どうも疑わしいものに見えてくる。

私は本当に、この学校が好きだったんだろうか。

3年間、ずっと頑張り続けてきた。

生徒会立候補したり、部活部長を務めたり、プレゼンテーション大会に出たり、文化祭実行委員担当したり。人と何かを一緒につくりあげるのが大好きで、生きがいだった。組織の一員でいることが好きだった。だからクラスメイト学校も、「みんな好きだった。」

はずだ。

夕日がガラスから柔らかく差し込み、机の上を滑る。日が暮れるのもだんだん遅くなり、春はそう遠くない。別れの時が近づく。なのに。


待ち遠しさでも寂しさでもない。この感情は、なんだろう。

ガラス戸の向こうに、先生の影が写った。先生が待った?と優しく聞いてくれたので、私は笑って、いいえと答えた。先生手際よく奉書紙をまとめ上げ、糊付けをし再び私の手に返す。いよいよね。緊張する?

私はまた笑って、いいえ、と返事した。


帰りの電車に揺られて、私は遠くの方を見つめていた。なんとなく持ち歩いていた友達SF小説も、今は読む気になれなかった。

長く連ねた奉書紙を思い出す。「何度も挫けそうになったけど」「先生友達のおかげで」「乗り越えることができました。」「お父さんお母さん」「いつもありがとう。」「そしてみんな」「辛いことも笑い合える仲で」「本当によかった。」「ありがとう。」「これからもよろしく。」「私たちは」「未来を見据えて」






そんなもんじゃない。


私の高校生活はそんな綺麗事じゃなかった。




声の大きなあの子にいらいらして、些細な先生の注意にひどく傷ついて、話の合わない同級生ばかりでも寂しさを我慢するより何倍もましだって言い聞かせて、寂しさの埋め合わせをするようにいろんなことに挑戦して、本音誰にも言えないまま、心はいだって孤独なまま、ここまでやってきてしまったんだ。


それでも私はあの学校が好きだったと言えるんだろうか?

しかった時間は嘘じゃない。

つくりあげるまでの過程も、結果も、無駄にはならない。

でもそれは、この学校じゃなくたって、できたことなんじゃないかと思えてしまう。

私が好きだったのは結局、この学校の人たちじゃなくて、「他人ひとつ目的を達成すること」だったんだ。




虚しいな。

電車が最寄駅でゆっくりと止まる。

明後日卒業式である

2014-06-30

ラブライブ2期最終話を見て

ラブライブ2期が終わった。劇場版の公開も決まった。

俺がラブライブにはまってはや半年。正直アニメが好きなだけでそのほかのコンテンツにはあまり興味がないからラブライバーを名乗れないと思う。

1期は始まりから逆境に立ち向かっていって、どんどん仲間が集まり、誰かのためではなく自分のやりたいことのために頑張るようになる、というのがコンセプトだと思う。

2期は1期の続きで9人全員そろっており、1期で果たせなかったラブライブ出場、3年生組の卒業、μ’sというグループ意味、夢への前進というのがテーマになってきた。

そのなかで9人の成長、助け合い青春過去の払拭という1期から続くラブライブ的お決まり事というか水戸黄門暴れん坊将軍のように組み込まれてきた。

1話でもういちどラブライブに出場、3年生組の卒業という2期のテーマが示された。OPEDもなにかしらクライマックス感や終わりを感じさせるような曲調だった。

Snow halationというラブライブプロジェクト(?)発足当時の曲も再度アニメーションが作られ、無事ラブライブ出場決定、3年生の卒業と同時にμ’s解散と12話まで完璧な流れできたと思う。

12話終了時点においてラブライブでのライブも終わり、作中時期は3月、いよいよ残すは卒業式のみとなった。

そして今日、13話を見た感想。ああ、やはりラブライブは良くも悪くも俺の予想の斜め上をいくなあと思った。

1期の最終話も超展開といえる感じであり、それでも上手くまとまって大団円、ああ面白かったと思えた。

そして2期13話も大体同じ感想を抱いた。

にこの母役にエヴァンゲリオンでおなじみの三石琴乃さん、卒業式での「愛してるばんざーい」、EDテロップに「oh!lovepieceラスト楽しい感じの新曲

ストーリーの流れもしんみり系ではなく明るい感じだった。そして最後劇場版決定。

ただ俺個人としてはちょっとなあと思った。いや面白いんだけど、泣けたし、すっきりしたけど。

俺が13話に予想していた展開、というより期待していた展開はまずOPをなくしてテロップを流しながらアニメを始める。

卒業式の前に3年生組がそれぞれ卒業直前の心情吐露みたいな感じで卒業式前の前戯卒業式で穂乃果が送辞、絵里答辞。μ’sは全員うるっと来てる。

卒業式を終えて学校を回りながら色々あったね的な会話をする。最後に屋上にいって1,2年生で3年生を送るために歌を歌う。皆号泣。校門、神田明神などおなじみのスポットに行きながらμ’sに会えてよかったみたいな会話。最後は皆すっきりした表情でサヨナラ。穂乃果が学校に走りながら登校してきてジャンプして終わり。1期ラストみたいにEDにこれまでのシーンを統括。

というのを期待していた。このいくつかはその通りになったし、アニメの展開に異論はない。本当に面白かったと思う。

ただ、これまで12話かけて色々準備してきた。

卒業を全面に押し出してきて、μ’sの解散宣言もしたし、ラストライブという話もあったし。

それをまた先延ばしにするというのはどうかと。12話までに少なからず泣いた話があった。それは作中において終わりが迫っているんだというのが明白に感じられていたから。

でもこうやって劇場版につなげて、今までの感動を置き去りにするのはなにか違うと思う。

まあでもラブライブ面白かったことは違いないし、劇場版も楽しみにしてる。

制作陣の皆さんまた俺の予想を裏切るような素晴らしい劇場版をよろしくお願いします。

そしてできれば今度こそμ’s終了でもこれまで楽しかったよありがとう前を向いて生きる的な展開を入れてくれればとてもうれしい

2009-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20090226132651

そんな馬鹿げた企画でも後になれば笑って思い出話にできるもんだと思うけどな。

俺は自分高校と兄弟の卒業式で三回分の卒業式を見たが、どこもそれなりに悪ふざけがあったよ。女装答辞とか。俺のときの歌なんて半分失恋ソングみたいな曲だったし。兄貴の場合は地元のよくわからないアイドル?(男の人ね)が歌ってたよ。実際どこでもあるんじゃないか?話題にならないだけで。

2008-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20080622190658

うちの大学(学部)では総代は成績の平均点(GPA)が一位の人だった。ちなみに俺。

後は二位、三位と答辞とかなんか別の役を割り振られてた。

大学院だと、研究業績を褒め称えてとかなんとかで、なんかの賞をあげてた。

そっちの判断材料は具体的にはなんだったのかは知らない。受賞者の人は何か聞いたと思うけど。

 
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