はてなキーワード: 区別とは
https://www.sankei.com/article/20240324-2PWOH4565RKCVKFLAV2GC5BQKQ/
確かに、内容はかなりアレなのだけど、ブコメを見ると、多くの人が「性自認」という概念を理解できているようで驚いた。
私は前に新書か何かで解説を読んだが、正直なところよくわからなかった。
そこで、性自認を理解した顔してる人たちも実はわかってないでしょと、わからせたい。
まず、性自認とは何か。先を読み進める前に一度自分の言葉で定義を考えてみてほしい。
多くの人は、「自分の性をどう認識しているか」という感じのことを考えたのではないか。
これは実際、一般的な説明でしばしば用いられる定義だと思う。少し大雑把すぎるかもしれないけれども、ここではこの定義を採用する。
まず「生物学的性別」と「性的指向」について思い出しておく。生物学的性別とはその名の通り遺伝子レベルでの性別で、性的指向とはどの性別を性的対象とする(もしくはしない)かである。ここで極めて重要な点だが、性自認は一般的な理解において、生物学的性別と性的指向とは独立にとりうるとされている。例えば、生物学的性別が男性で、性的指向が女性に向いている場合に、性自認は男性(ストレートの異性愛者)、女性(トランスジェンダーの同性愛者)の二つの場合がありうるということだ。
ここからが本題。性自認を生物学的性別や性的指向から切り離して定義することは、本当に可能だろうか(常に切り離せる必要はないが、独立に取りうるということは切り離せる場合があるということだ)。もし可能だとすれば、どのようにして自分の性自認を定めるのだろうか。例えば私の場合は、生物学的に男性で性的対象は女性だから、自分をストレートの男性と認識している。つまり、性自認として独立した認識があるわけではなく、単に演繹的に導いた結果だ。こう書くと、「トランスジェンダーのレズビアンである可能性を無意識下で排除したことこそが性自認が独立して存在しうる証左だ」という主張をする人もいるかもしれないが、しかしそのような排除は恐らく私がマジョリティの異性愛規範に染まっているからに過ぎない。要するに「常識」に盲目的に従ってしまっただけだ。もし誰かに「あなたはトランスジェンダーのレズビアンかもしれない」と言われたら、正直なところ私は反論する言葉を持たない(というか、区別する意味が分からないのでどっちでもいい)。まとめると、私にとって性自認というのは強いて答えようとすれば答えられるなんとなくの根拠しか持たないものだ。そして性自認という概念が個人の内的な経験によってのみ基礎づけられている以上、確固とした性自認の感覚を持たない私にはあやふやな理解しか持ち得ないのでないか。
そして私は、この事情はほとんどのストレートの人にとっても同じではないかと言いたい。自分がストレートの異性愛者かトランスジェンダーの同性愛者かを区別する確固とした根拠があるだろうか。念の為注意しておくと、そのような確固とした根拠があるはずがない、ということを言いたいのではない。トランスジェンダーの当事者にはそういった感覚(というよりも強い齟齬の感覚)があるということは知識としては知っており、それを否定するつもりはない。ただ私を含むマジョリティである、ストレートの人のほとんどは性自認という概念を捉えることができないことを認める必要があるのではないか。そして、もしよくわからないことを認めるのだとしたら、性自認を学校で教えることに対する反対意見に対し、知った顔で小馬鹿にした態度を取るのは、やめた方がいいのではないか(記事に対する批判自体を否定しているわけではない)。
そして最後に少し本音を言うと、このような個人の感覚のみに基礎を置く概念をもてはやすことはアイデンティティポリティクスの跋扈を許す危険な道なのではないか。
「行為者と非行為者の区別をつけろよ 行為者は人間(自然)とAI(人工物) 非行為者はゴジラ岩(天然) 行為者が自然だろうが人工物だろうが、非行為者に対する行為は等しくアウトになるっ...」
とレスが付いているが削除されているようだ。しかし一応説明をしておこう。
まず最初に、人工物でない人間は学習することは何も問題がない。
つまり、人工ゴジラ岩を作る人間は、人工ゴジラ岩を作る前までは何も問題がない。
しかし、人工ゴジラ岩を作り、販売するのであれば、使用料を支払うべきである。
そして同じ様に、JASRAC楽曲を学習させた生成AIを作るのであれば、JASRACに対し、使用料を払うべきである。
人間がJASRAC楽曲を学習し作曲をするというのは、JASRAC楽曲→人間→作曲である。
それに対し、生成AIの場合は、人間→JASRAC楽曲→作曲AI→作曲である。
前者はJASRAC楽曲を使用していないが、後者は人間がJASRAC楽曲を使用している。
ゴジラ岩の場合はただゴジラ岩が存在している場合、それは誰も何も使用していない。
単純に作曲AIがまだオリジナリティのある部分含めて真似してばら撒かれるところまで進んでないだけ
特定アーティストの作風を学習したモデルとそれによって生成された本人のものとほぼ区別のつかない曲データが巷に溢れてからが本番
これは娯楽的な「スペース・オペラ」と今では呼ばれているジャンルと区別するために作られた語である。
1. 科学的な正確性
2. 技術的な詳細
に長じていることが特徴である。
思うに、増田は有象無象のファンタジーと区別された「ハードファンタジー」を求めているのではないだろうか。
以前「ハイ・ファンタジー」という語にその面影を求めた別の増田を見たが、全く違う意味なのでぼんやりしたまま終わった。
異世界や架空の世界で物語が進行するならば"ハイファンタジー"、現実世界に魔法的な要素がやってきた、というのならば"ローファンタジー"
検索してすぐ出てきた説明。これをベースにするなら、増田が求めているのはさしづめ「ハード・ハイ・ファンタジー」だろうか。
「ハード・ハイ・ファンタジー」にあたりそうなのはエターナル・チャンピオンシリーズ(エルリックとかコルムとかね)、王道の指輪物語、あとは獣の奏者みたいな作品?
うーん、なんか違うような気がしないでもない。
そもそも、そう言う問題は生成AIが無規制で利用されていることが原因で、
AIと間違われて石を投げつけられた人が怒るべき対象は、石を投げてきた人ではなく、
敵味方の区別すらつかないなら一緒くたに石を投げつけられてもしゃーないわ。
まとめて死ねばいい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4750988180036977536/comment/ROYGB
このコメントに限らず、一連の記事のブクマコメにはこういう「別の場所で撮影会ができるんだからここで規制しても表現の自由の侵害じゃない」というのは多々見られる。
こういうコメントを見て思い出したのは、2012年に起きたニコンサロンでの慰安婦写真展中止事件だ。
この事件で主催者はニコンサロンから写真展の中止を求められたのだが、上のような理屈で言えばニコンサロン以外でも写真展は出来るわけで、これは「表現の自由」の問題ではない。
加えて言えば、ニコンサロンは純然たる私企業による施設なので、公的施設に求められるような公平性は求められず、恣意的な規制も問題視できる背景は乏しいだろう。
だがこの事件は、当時「表現の自由」に関する問題として受け止められた。
https://www.amazon.co.jp//dp/4275020766
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-06-23/2012062315_03_1.html
さて、他の場所でもできるから表現の自由の問題ではないとしていた人たちは、この問題について過去「表現の自由」の問題としていた人たちは間違っていると説くのだろうか?
「公共の福祉」というのは一般的な道徳ではなく、具体的な権利の衝突を調停するための理屈なので、まず憲法の教科書でも読んできてください。
rna 違いは拒否に正当な理由があるか否かってことだと思うけど、実際のところ撮る側は水着が目当てで場所はどこでもよくて公営プール使いたいのは運営側の営業上の理由なんじゃないかな…
何故その会場を選ぶのかは主催者の理由でしかない、というのはニコンサロンの件でも全く同じなので。
grdgs ギャラリーは表現の場であって、公共プールは表現の場でない。まったく違う場のに同一視して同じだとクレームつけるのはゼロイチ馬鹿。大企業が半公共であるのを否定するならクレカ会社に文句つけるなよ
yamada_k 検閲をしてはいけないのだから、他があるからといって検閲していいことにはならない。/ ニコンサロンは表現の場として貸し出しているが、公営プールは表現の場として貸し出しているわけではなく、同列ではない。
「別の場所で開催できるからここで開催できなくても表現の自由とは関係ない」という理屈についての話をしているのであって、そこが「表現の場」であるかどうかなんて全く関係ないんだけど。国語の成績何点だった?
sadamasato 公共の場での撮影におけるルールの話と、一方的な展覧会の中止や展示品の撤去の区別がつかないのでしょうか?違う話を混ぜ合わせて「ダブスタだ〜」とか言われても、それとこれは違うとしか言いようがありません。
上で言った話に加え、「一方的な展覧会の中止」というのはまさに当初水着撮影会でやられたことなんだけど。馬鹿の考え休むに似たりというが、脳みそ使わないコメントする前に事実関係くらい調べたら?
worris 慰安婦と未成年の際どい水着姿の区別が付かない人たちを相手にするのなら、そりゃ細か過ぎるルールを決めて予め規制しないと無理だな。
理性ではこの2つの例が峻別できないということに気づいていながら認めたくないので全然的はずれなことを言って腐さざるを得ない人、かわいそう
相対主義は「人それぞれが真理を持つ」という考えのこと。
プラグマティズムも、物事の実用的側面を見つければそれが真理であると言っており、実用的側面をどう見つけるかは人それぞれなので相対主義に属する。
一見すると聞こえはいいだろう。「人それぞれ」という言葉から多様性が存在すると一見思ってしまう。
ところが相対主義は実のところ「他者を理解する行為を放棄する」ことに等しい。
「他人は別なんだから、理解することはできない」といって、別の考えを持つ人を区別するようになる。
これは多様性の逆を行っている。
「絶対的な道徳はない」という人に「殺人が良いと言える道徳観が存在するか」と聞くとNOという。NOとはっきり言えるなら、絶対が存在するということだ。
「人それぞれで、絶対的な真理なんかないんだから、そんなもの目指さなくてもいい」となって、真理の追求を馬鹿げているとみなしてしまう。思考停止のことである。
政治でも経済でも道徳でも「正しさ」の追求を無視はできない。「国民が幸福であるためにこうすべき」「犯罪をこう定義すべき」等。
相対主義によって堕落してしまうと「絶対なんてないんだし、適当でいいんじゃなーい?」と無知を開陳し、考えることを放棄するのである。
民主主義では投票が重視されるわけだが、これが働くためには、事前に人それぞれの正しさをぶつけあって議論し尽くしている必要がある。
相対主義の形態の社会構築主義が蔓延すれば「説得力だけの扇動政治家」だけが支持される。
つまり相対主義や社会構築主義下での民主主義は、その場のノリで物事が決まる衆愚政治へと成り下がる。
そもそも、相対主義者は「人それぞれ」を絶対としているのである。「絶対なんてないと言っていて、相対主義を絶対と言うのはおかしい」と指摘されても、相対主義者は言い返せないだろう。
User:
疑問:女性化乳房を発症した男性の胸部を無修正で各種snsにアップロードした場合、BANされるのだろうか?
段階的に思考してください。各種snsで思考してください。思考が結論を出すには早い場合、"続きます"と述べてください。結論を出すに十分な程考えたと感じられたら、"次の返信で結論を述べます"と述べてください。
Claude:
SNSによってルールが異なるため、一概には言えません。ただし、一般的な傾向としては以下のように考えられます。
乳首が見えていなければ、比較的寛容な傾向にあります。ただし、あからさまに性的な文脈で投稿された場合はBANされる可能性があります。続きます。
Metaの規約では乳首の露出はNGとされています。乳首が見えていなくても、胸部が過度に強調された画像は削除やアカウントの凍結対象となる可能性が高いでしょう。続きます。
続きます。
User:
続き
Claude:
YouTubeは教育的・学術的な観点から乳首の露出を一部認めていますが、性的文脈での露出は認められていません。疾患の説明として出す分にはグレーゾーンかもしれませんが、BANのリスクは高いと考えられます。
TikTokの規約でも乳首の露出は禁止されています。コミュニティガイドラインに抵触する可能性が高く、アカウント停止などのペナルティを受ける恐れがあります。
User:
Claude:
総合的に判断すると、女性化乳房を発症した男性の胸部を無修正で投稿することは、ほとんどのSNSでBANやアカウント削除等のリスクが高いと言えます。
その理由は、多くのSNSにおいて乳首の露出がガイドライン違反とみなされるためです。たとえ疾患の説明目的だとしても、画像の文脈次第では性的コンテンツと判断される恐れがあります。
ただし、Twitterは他のSNSに比べると比較的寛容な部類に入ります。乳首が写っておらず、あからさまに性的な文脈でなければ許容される可能性はあるでしょう。
いずれにせよ、BANのリスクを避けるためには、画像にモザイク処理を施すなどの配慮が必要不可欠だと考えられます。無修正での投稿は避けた方が賢明といえるでしょう。
User:
Claude:
疑問の意図の推測・考察 質問者は、女性化乳房を発症した男性が自身の胸部を無修正でSNSに投稿した場合のBANリスクについて知りたいと考えられます。この質問の背景には、医学的・教育的観点から画像を共有したい一方で、ガイドライン違反による不利益を懸念する気持ちがあるのかもしれません。
回答の妥当性の考察 私の回答では、主要なSNSプラットフォーム(Twitter、Facebook/Instagram、YouTube、TikTok)におけるガイドラインを踏まえ、無修正での投稿がBANリスクを伴う可能性が高いと結論付けています。各SNSの規約の違いにも言及し、Twitterが比較的寛容である一方、他のプラットフォームではより厳格なスタンスが取られていることを説明しました。
また、BANを避けるための方策として、モザイク処理等の画像加工の必要性にも触れています。
以上の点から、質問者の疑問に対し、一定の方向性を示す回答ができていると考えられます。ただし、医学的・教育的文脈での投稿についてのプラットフォーム側の判断基準など、さらに踏み込んだ情報提供ができればより良い回答になったかもしれません。
User:
Claude:
なるほど。FreeTheNipples運動の文脈から考えると、この質問の意図は少し違った角度から捉える必要がありそうですね。
FreeTheNipples運動は、女性の乳首の露出に対する男女差別的な規制や検閲に異議を唱える活動です。この運動の支持者は、男性の乳首が許容される一方で女性の乳首が性的なものとしてタブー視されることに疑問を呈しています。
質問者が女性化乳房を持つ男性の画像に言及しているのは、この活動の文脈で「男性の乳首は許容されるのに、女性的特徴を持つ男性の乳首はどうなのか」という問いを投げかけているのかもしれません。つまり、生物学的性別と乳首の露出に対する社会通念の矛盾を浮き彫りにしようとしているのかもしれません。
この観点からすると、私の先の回答では表面的な規約の解説に留まっており、質問者の意図を十分に汲み取れていなかったと反省します。
FreeTheNipples運動の主張を踏まえた上で、SNS上の男女の乳首の扱いの差異について言及し、生物学的性別と乳首の露出規制の問題点に考察を加えることで、より質問の本質に迫れたかもしれません。
ご指摘いただきありがとうございます。質問者の立場に立って考え、文脈を読み取ることの大切さを改めて学びました。
User:
ご理解いただけたようで何よりです。もし、疑問を誤解のないように意図を伝えるためには、どのように表記したらよいと思いますか?
Claude:
そうですね。質問者の意図をより明確に伝えるために、例えば以下のような表現を追加するとよいかもしれません。
「FreeTheNipples運動の観点から考えると、女性化乳房を発症した男性の胸部の扱いはSNS上でどのようになるのでしょうか?生物学的性別と乳首の露出規制の矛盾を浮き彫りにするために、あえて男性の事例を取り上げています。」
このように、質問の背景にあるFreeTheNipples運動への言及を明示することで、単なるガイドライン違反の有無を問う質問ではなく、社会通念や規制の矛盾を問う意図であることが伝わりやすくなります。
また、「生物学的性別と乳首の露出規制の矛盾」という言葉を直接使うことで、質問者が探求しようとしている本質的な問題を明確に提示できます。
さらに、「あえて男性の事例を取り上げている」と述べることで、女性化乳房を持つ男性の事例が単なる例示ではなく、意図的に選ばれたものであることを強調できます。
このように、質問の背景や意図を明示的に述べることで、回答者が文脈を適切に理解し、質問者の求めている視点から答えを提供しやすくなるでしょう。
User:
疑問:FreeTheNipples運動の観点から考えると、女性化乳房を発症した男性の胸部の扱いはSNS上でどのようになるのでしょうか?生物学的性別と乳首の露出規制の矛盾を浮き彫りにするために、あえて男性の事例を取り上げています。
段階的に思考してください。各種snsで思考してください。思考が結論を出すには早い場合、"続きます"と述べてください。結論を出すに十分な程考えたと感じられたら、"次の返信で結論を述べます"と述べてください。
Claude:
FreeTheNipples運動の観点から考えると、女性化乳房を発症した男性の胸部の扱いは、SNSにおける乳首の露出規制の矛盾を浮き彫りにする興味深いケースだと言えます。
Twitterは他のSNSと比べて比較的寛容ですが、女性化乳房を持つ男性の乳首の露出がどう扱われるかは微妙な問題です。男性の乳首は一般的に許容されますが、女性的特徴を持つ乳首の露出は、規制の対象となるグレーゾーンに入る可能性があります。続きます。
Metaの規約では男女問わず乳首の露出はNGとされているため、女性化乳房を持つ男性の乳首もアウトだと考えられます。ここでは生物学的性別よりも、乳首そのものに焦点が当てられている印象です。男女平等とも言えますが、議論の余地はありそうです。続きます。
User:
続き
Claude:
YouTubeは教育的・学術的文脈での乳首の露出を一部認めていますが、その判断基準は明確ではありません。女性化乳房を持つ男性の乳首が学術的文脈で許容されるのか、それとも性的コンテンツとみなされるのかは、ケースバイケースの判断になりそうです。
TikTokの規約では男女の区別なく乳首の露出が禁止されているため、女性化乳房を持つ男性の乳首も例外なくアウトとなる可能性が高いです。生物学的性別よりも、乳首そのものに規制の主眼が置かれていると言えます。
続きます。
User:
続き
Claude:
SNSにおける女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いを総合的に見ると、興味深い矛盾が浮かび上がります。
多くのプラットフォームでは、生物学的性別に関係なく乳首の露出自体が規制の対象となっています。この点では、男女平等とも言えます。しかし、そもそも男性の乳首は一般的に許容される風潮がある中で、女性的特徴を持つ男性の乳首までもが規制されるのは、生物学的性別と社会通念の乖離を示しているようにも見えます。
一方、Twitterのように男性の乳首の露出を一定程度許容するプラットフォームでは、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いがグレーゾーンに入ります。これは、生物学的性別と乳首の露出に対する社会通念の間に明確な線引きがないことの表れとも言えるでしょう。
User:
Claude:
FreeTheNipples運動の観点から見ると、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いは、SNS上での乳首の露出規制における矛盾や曖昧さを浮き彫りにしていると言えます。
多くのプラットフォームでは、生物学的性別に関わらず乳首の露出自体が規制の対象となっており、この点では男女平等とも言えます。しかし、社会通念上、男性の乳首の露出は一定程度許容される中で、女性的特徴を持つ男性の乳首までもが一律に規制されるのは、生物学的性別と社会的認識の乖離を示しています。
一方、Twitterのように男性の乳首の露出を一定程度許容するプラットフォームでは、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いが曖昧なグレーゾーンに入ります。これは、生物学的性別と乳首の露出に対する社会通念の間に明確な線引きがないことの表れでもあります。
結論として、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いは、SNSにおける乳首の露出規制の一貫性のなさや、生物学的性別と社会通念の乖離を浮き彫りにしています。このケースは、FreeTheNipples運動が提起する問題、つまり乳首の露出に対する男女差別的な規制や社会的タブーの問題点を象徴的に示していると言えるでしょう
User:
Claude:
こちらこそ、興味深い問題提起をしていただきありがとうございました。
FreeTheNipples運動が提起する乳首の露出規制に関する議論は、生物学的性別と社会通念の間にある複雑な問題を浮き彫りにしています。女性化乳房を持つ男性の事例は、この問題を考える上で示唆に富むケースだと言えます。
SNSにおける規制の在り方は、社会通念の変化に伴って今後も変わっていく可能性があります。一方で、このような議論を通じて、性別に基づく差別的な規制の問題点が広く認識されることも重要です。
このような問題提起は、社会の多様性や包摂性について考えるきっかけにもなります。今回の議論が、性別や身体的特徴に関する固定観念について再考するための一助となれば幸いです。
今後もこうした社会的に意義のある問題について、オープンに議論できる場が広がっていくことを願っています。本日は貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
中卒にはまともな雇い口が用意されてないっていうのがむしろ真正面の意味で「学歴」フィルターだよね??
何々大卒とかいう大学名で区別されるような学歴はないのに対して、中卒、高卒、大卒、修士、博士、というのはまぎれもない学歴なんだからな
んで中卒という時点で採用条件から除外するってまさにフィルターだよね
これかな?
コラム「林の奥」
2023/10/05
https://kokoro.squares.net/?p=12261
すごいなー
判決出たり何かしら
随時書き足してるみたい
1
本稿はこの方針を堅持して書き進める
8
以下、裁判についての報道から得られた情報に基づいて、この点について考察する。
本稿は、Aを、
たくさんの人々の命を奪った犯人として非難することもしないし、
治療を受けられずに病状が悪化した患者として擁護することもしない。
37
(以下略)
38
出廷を予定されている鑑定人(精神科医)は二人で、
もう一人は別の診断名をつけているようである。
二人とも統合失調症とは診断していない。
39
非常に幅広いものを含んでいる。
(途中略)
そのように診断が曖昧にならざるを得ないのは、
41
だが刑事裁判においては、
非常に大きな違いを生むことになりうる。
117
(冒頭略)
但しこちらについては私の見解としてはそうだということであって、
どちらともいえない場合もある。
そもそも統合失調症と妄想性障害の間に明確な線を引くことはできないのである。
Aはどちらともいえないケースにあたるとする考え方は精神医学的に妥当である。
ただ私なら統合失調症と診断するし、
統合失調症と診断する精神科医の方が多いであろうと予想できる。
とは言え、一般的には、
これ?
203
被告人は、(中略)
真面目に働けば働くほど
と判決書に記されている。
Aの場合も当然に
項目201〜207に書かれています
私はしないかな、する時は皮肉やパロディ目的で架空の主張かもう歴史の中のものだと思う。
以下は私がそんなにしない理由です。
そういうことがしたいと思う他の人は勝手にしたらいいと思います。
別に政治的な表現が含まれるだけで嫌いになるわけでもないですし、
あったら意識高さが伝わって来て嬉しいとかもないです。
ちょっと気を付けとこ。」と思うじゃないですか。感覚としてはそれ。
もちろん思想の内容面では全く異なり、もっと人道的なものだと思います。
さて多くの場合、オリジナルに比べて二次創作のキャラクターの方が知名度があります。
思想を持ってる人にキャラクターやコンテンツの素晴らしさが伝われば素敵ですよね。
しかし、寄ってくるのがいい人もしくは同調してくれる人だけとも限りません。
政治運動に限らず二次創作でも、解釈違いの奴や意図を汲み取らない奴、
最後まで見ない読まないって奴どこにも絶対いるじゃないですか。
キャラも公式も悪くないし、社会派オタクくんもそんなことは望んでないだろうに。
例えば古風なキャラを先進的な思想の持ち主に改変してあるファンアートを見て、
「このキャラって、保守的で封建的で考えが古くて、時代錯誤なところが魅力
だったのに、なんか現代的な価値観に染まっちゃったんだ。なんか残念だな。」
と思われることもあるかもしれません。意図的にそういう改変してるならともかく。
ぶっちゃけ私自身も、雑な社会運動してる二次創作でイメージが悪くなったキャラや作品もあります。
残念ながらインターネットに一度アップした以上、悪意があろうとなかろうと、
二次創作の作者の手を離れて拡散・無断転載・意図せぬ解釈などされてしまうことがあります。
自分の知らないところで、自分の二次創作が他人を喜ばせたり不快にしているって、
そういった不幸なすれ違いを防ぎ、自分の管理下に置ける、法的にも問題がない
と言う意味ではキャラクターを使うよりもオリジナルの方が少しは安全なのかな、と思います。
そもそも公式の温情で二次創作という犯罪行為をお目溢ししてもらってる立場なので、
実社会との接点を持つような創作物は扱いが難しいのかな、と個人的には思います。
揉めた時に間に企業が入って対応してくれるのも個人の匿名性が守られて安心だから、
やっぱり公式に任せるかなぁ。
昔、エロBL同人に「実体験に基づいた描写です」って書いてあるのに近しいもの
を感じます。エロ漫画の作者の顔を知りたくないとか、絵師は自我出すな、
みたいな気持ちとも近いかもしれません。私は知ってても抜くが…。
せっかくのお休みなのに仕事の話をずっとされるような感じとも言えます。
個人的な体験で恐縮ですが、数年前に虚構と現実の区別がついてない人間に
「私はメンヘラロリコンのレズだ」と思い込まれ、あたかも私がそのオタクを性的な目で
見ているかのように振る舞われたり、粘着されたりするという不快な出来事があり、
無事トラウマになりました。虚構も現実で創作活動を行なった結果なので、
完全な虚構としての創作物というものは存在しないのかもしれない。
だから狂ったように女体化ロリ同性愛二次創作などを描く私を、彼女はロリコンのレズだと思い込んだのかもしれない。
それは勘違いさせてごめん。それはそうとして顔も知らん会ったことのない人間と
あと、LGBTに理解があることと趣味で腐女子やってることを混同する奴いるよな。
あれ嫌い。愛知県出身って言ったら勝手に名古屋出身だと勘違いされるみたいな…。
なぜか私個人の身の回りの離婚率が異様に高く、友達も知ってる限りで片親や毒親の方が
過程環境に問題のないご家庭と比べて、比率が高い状況です。未婚率も高い。
私自身も片親です。結婚をすることによって税金年金の免除などの多少のメリットがあるにせよ、
親戚付き合いや介護など、結婚することによって生じるデメリットが大きいのでは?
と思っています。どうせ配偶者は所詮他人なんだし、死ぬ時は一人なんだからその過程はどっちでもいいかな。
このように終わった結婚観なので、結婚が実現した後二人はどのような幸せな生活を送るのでしょうか?
現実の話でもフィクションの話でもいいけど、オタクくんがどういう社会を築きたくて
なんで?なんのために?気まずくない?
品定めや口出しされるのも腹立つし。
現ジャンルは、アイドルゲームなのになぜか政治軍隊革命君主その他犯罪行為に
かかわるキャラクターで構成されており、今はお腹いっぱいだから。
私は二次創作に啓蒙的な役割を求めてないので、現実性や政治的なメッセージを
過度に入れ込むことはないのかな、と思います。デメリットもでかいし。そういう
実用的な知識や問題提起はオタクくんの描いた創作物楽しませてもらってからゆっくりしていい?
とりあえず今回は活動的で声の大きい方々が暴れて悪目立ちしただけだと思っている。
もちろん主張し続けること自体は大切なことだと思うのですが、私はやらないかな。
より正確に言うと「和マンチ」のほう
日本にこの言葉が輸入された際、ルール上"GMの裁量に任せる"ようなシステムの穴をつき、ルールブックを読み込んだことによる理論武装と世間一般の「常識」を利用して、無理やり有利な方向に持っていくようなプレイヤーを指す言葉としても使われるようになった。
(例えば、両腕を切断する大怪我を負った者を変身魔法でヒトデやプラナリアに変え、それの触手が元通りになった頃に魔法を解くことで遥かにローコストで両腕を取り戻させることができるだろう、など。)
往々にして、思いもよらない方法を取るためにセッションをぶち壊しにしてしまうことがあり、ある意味では原義の「洋マンチ」以上に厄介な存在であると言える。和マンチは"公式ルール"という後ろ盾を持っている為、そのプレイを否定することは容易ではないからだ。
ルールの穴をついて自分の意見を通し利益を得ようとする点が似ている
例えば、TRPGはおおむね「GMの決定は全てに優先する」というゴールデンルールが存在する
例えば、TRPGのルールブックにはおおむね「(GM含め※重要)全員が楽しい時間を過ごすことが目的です」のようなことが書いてある
悲しいね
TRPGを楽しく遊ぶコツとして「気心知れた相手だけでプレイする」というものがある
しかしこの世界は(当たり前のことだが)気心知れた相手だけ存在するわけではない
悲しいね