はてなキーワード: 育児日記とは
20分ほど固茹でしてすぐに殻をむいて
卵黄を取り出し、なおかつその卵黄の真ん中から
耳かき一杯くらいの量をお湯でのばして与える。
そして耳かき一杯という例え方は、
ただの卵黄が浮いた美味しくなさそうな汁を
嫌がることもなく口に入れていた。
しばらく観察していたが、特に変化もなく
すぐに病院に行かなければならないような
状況になった時、私はちゃんと行動できるだろうか。
未知の体験の繰り返しだ。
私なりに守り育てようと思ったところまで飛躍した
初めての卵記念日🍳
エッグゥ(; ̄O ̄)
一寿を抱っこしながら目が合うとニコッと笑ってくれて
ねぇかずと〜♩で歌うと爆笑していた。
感動は可愛さも量産してくれる。
2015年当時だとまだベビーモニターは海外ほど普及してなかったように思うけど、ジーナ式っていう寝かしつけ方法が話題になってたかな。
残念ながら添い乳に頼りっぱなしだった我が家では泣き声に耐えられず試すに至らなかったけど、当時から批判も少なく評判はよかったように思う。
もう「何ヶ月〜何歳頃は子供はどのくらいの大きさで、何をするようになったか」とかみんな忘れて曖昧になっちゃったな。
保育園に入るまで毎日書いてた育児日記とか保育園の連絡帳も辛すぎて見返したくなくて、倉庫にしまったまんまだ。
あの頃は1日1日があまりに長くて、何か新しいおもちゃを買ってあげても15秒程度遊んですぐに飽きられちゃうし、保育園のない土日は何をして遊んであげたらいいのかわからなくて、電動自転車で片道40分かかる隣町の大きな保育施設まで毎週連れて行ってた。その40分は自転車に乗って大人しくしてくれてたから。
たくさん育児の助けがあっても、今のお父さんお母さんもきっと大なり小なり同じだよね。みんな毎日頑張ってて本当にすごいと思う。トラバくれた増田さんも元増田&元ブログのお父さんたちも本当にお疲れ様です。
19歳から地元を離れて県外の大学に通っている。大学院に進学したため、一人暮らしは6年目を迎えた。
6年目にして、初めてホームシックになった。
小学生から不登校を繰り返して、高校も中退し、親との関係が安定してきたのはだいたい7〜8年前。
小学生の時からかなり自律神経がしっちゃかめっちゃかで、最近はプレッシャーを感じると何もできなくなってしまう。
11月にあった学外発表で無事に力尽きてしまい(発表前は60時間起きてた)、毎日18時間寝る生活になった。その後、修論に全く向き合えなくなり、バイトにも行けず、ゲームもできず、ただひたすらYouTubeと小説でやり過ごす日々。流石に指導教官から実家に連絡が行き、母親に帰ってこいと言われ実家に帰った。
私(長女)の経験を生かし、不登校に関するNPO法人を立ち上げたり、放送大学に通い心理学を学んだりと、母親が学び続けたおかげで関係が改善したと思っている。
そんな母のことは嫌いでない。好きだし、尊敬もする。
それでもこの歳になるまではとにかく家を出たくて、一人暮らしも楽しく満喫していた。
小学2年生から不登校だった。幼少期は引っ越し続きで、父は九州の田舎の亭主関白、母は全く周囲に頼れる大人がいない状況だった。その上、父は単身赴任(本社勤務とのことで家を買ったが、その後転勤が決まったらしい)。私と、弟たちを母1人で育てていくのは今思えば本当に大変なことだったと思う。
それでも、小学生の私にとっては、母が子育て等に不安を感じ続けている生活で不安を感じないわけがなく、学校で周囲と衝突し、家では激しい反抗期、とにかく攻撃によるストレス発散が多かった。
よく父に怒られて家の外に出されていたが、その時は泣きながらどうしたら死ねるだろうと、塀(といっても1m)から飛び降りるか迷っていた。飛びおりなかったが、人生で初めての自殺未遂は今でも鮮明に覚えている。
ご飯を食べなくていい、と父に子供部屋に閉じ込められたこともあった。内開きのドアの前に重たい家具を置かれて、ドアノブを紐で繋いで開かないようにされ、水も飲めないトイレも行けない状況で一晩を過ごしたこともある。
大喧嘩した時、私がダイニングテーブルをひっくり返して破壊したこともある。15万くらいするかっこいいデスクトップpcも壊したことがある。
流石にいいところも書いておく。
ピアノを小学1年生から始め、2年生の時には100万の中古のグランドピアノを買ってもらった(欲しいとは言ってないけど)。水泳やそろばんなど、習い事をたくさんさせてくれた。クリスマスや誕生日には欲しかったゲームをくれた。高校では50万の管楽器を買ってくれた。行きたいと言えば海外研修にも行かしてくれた。母は料理が上手(だと思っている)で、3食手作りしてくれたし、時にはお菓子も作ってくれた。裁縫もうまい。父も農家出身で未成年喫煙するような不良だったが、国立大学に行き20代で1000万プレイヤーだ。
やりたいことをやらせてくれる家庭だったと思う。
今は母も穏やかになり、自分のやりたいことを見つけて人生を楽しんでいる。父も亭主関白はなりをひそめ、週末は単身赴任先から帰ってきていろいろ料理をする。私が帰省するとリクエストを聞いてくれる。私がお金の心配をしなくてもいいのは絶対に父のおかげだ。
とにかく小学2年生から5年生までは攻撃的な子どもだったし、両親だった。家庭内の情緒が最悪であった。(1番の被害者は弟たちだと思っている)
私は部屋に閉じこもり、昼夜逆転生活を送り、どうしたら死ねるかを考え、なぜ生きているのか悩み、母が書いてくれた私の0ヶ月から1歳半までの育児日記を読んで母の愛を確認していた。こうして振り返るとかなり寂しい子どもだと思う。
中学生になってからは、かなり落ち着いたと思う。母が支援に繋がれたことが大きい。
そんな家庭で、形や中身は変わりながら高校まで過ごしていた。
大学はとにかく県外に出たかった。高校中退で学歴コンプレックスがあったし、弟たちがいるので国立しか視野になかった。将来の夢があり、養成の名門と呼ばれる大学を目指した。
5年半、ずっとホームシックになることはなかった。
一人暮らしは本当に楽しい。自分のペースで生活できること、家にいる限りだれも私のことを知りようがないことがよかった。今でもそう思う。
それでも、ホームシックになった。
実家から帰る日、予定があったのでどうしてもその日に帰らなければならなかった。帰ろうと朝起きて、起きた瞬間涙が止まらなかった。8時半くらいに起きたと思う。18時まで泣き続けた。結局予定はキャンセルした。
18時に、今帰らないとずっと帰れない、と覚悟を決めて帰る準備をした。泣きながら準備をした。
それを見ていた母に、抱きしめてもらった。頭を撫でられながら、がんばってるね、えらいねと褒めてもらった。頑張りすぎなくていい、いつでも応援してると慰めてもらった。
1、2分だったと思う。
そのあと、やっぱり泣きながら車を運転して帰った。
母が持たせてくれた沢山のご飯を食べながら生きている。ジップロックに書かれた母の文字を見ては泣いている。
修士論文にはまだ向き合えていない。
就職が決まっている。
なにもできない日々を過ごしている。
ちぃ、おぼえた
弱気を出すとは? | けんとはるの育児日記 - Amebahttps://ameblo.jp › nagachakogane › entry-12534290854
2014/11/16 — 「父ちゃんは弱気だして!」 と言われる。 ... 「父ちゃん、弱気出してやって。」 とお願いされる。 ... 「本気出さないで。」 ... 「言葉の使い方間違ってるよ ...
「弱気を出す」よりちょっと本気 | けんとはるの育児日記https://ameblo.jp › nagachakogane › entry-12534291627
2017/11/13 — 「本気を出さない」とか「手を抜く」という意味で使われている。 この「弱気を出す」という表現については、3年前にもブログに書いていて、.
単に自分の器が小さいという話なのだが、胸のモヤモヤが未だに晴れないので吐き出すことにした。
細かいところはフェイク入れたりうろ覚えのまま書くので、もし特定できたとしても突っ込まないでいただきたい。
「推し」というほど熱心ではないが応援している男性Vtuberがいる。メンバーシップに登録してなければスパチャを送ったこともなく配信にコメントすらしない身で何だが、回りくどいので以降、彼のことは「推しVtuber」と表記する。
「1〜2週間ほど多忙になるため配信が出来なくなる。その代わりに、期間中は録画しておいた動画をアップするので見てくれると嬉しい。多忙の理由は終わった後に配信で話すよ。」といった内容の配信であった。
①結婚報告
告知配信がどうにも思わせぶりで匂わせの気配を感じ取ったので、恐らくこれだろうと思った。言葉ではなく雰囲気だけなので確証は無い。でもそんな気がする。
推しVtuberはネットリテラシーが高く、私が知る範囲では恋人の有無および既婚・未婚の言及も匂わせも無かったし、仲間内の配信者やVtuberがそれに言及することもなかった。
まあ、彼の全配信を見ているわけではないのでどこかで言及していたのかもしれないが、少なくともツイッターは全ツイート読み返しても出てこなかった。(※別にストーカーするつもりはなく、ツイート数があまり多くなく全ツイート遡れてしまっただけだ)
私はただのファンでありガチ恋勢でも夢勢でもない。推しVtuberのファンになったのは彼の人柄に依るところが大きかったので、あの人柄で恋人いないわけがないんだし、発表したらお祝いのコメントでもしようかと構えていた。
推しVtuberはとある創作活動をおこなっており、それ関連の準備のため多忙であるという説。
以前にも大型の合同企画があった際、企画公表前の配信頻度が減っていたという前例がある。そのときは告知などなく、最近配信しないなあ〜忙しいのかなあ〜と思ってたら企画が発表されたって流れだった。
前述した匂わせの気配が自分の気のせいだったのなら、こっちだろう。推しVtuberの創作物も大好きなので、それならそれで楽しみだと思った。
③出産報告
正直これは大穴だと思っていた。正解だったけどな。
だって既婚か未婚か公表してないのに、いきなり出産報告する?芸能人だったら炎上案件だよね?いやVtuberなんてほとんど一般人だから当てはまらないだろうけど。
そもそもネットリテラシー高くてそこのところきっちり隠してきた人が、いきなり出産を機にオープンにするだろうか。いやでも赤子の声が配信乗るかもしれないから、するかもしれない。うんまあでも出産報告は順番が違うから結婚報告だなうん!
今思えば何故か根拠の無い自信で、これは無いだろと思い込んでいたのが自分でも不思議である。
そして告知配信から1〜2週間後、『そこそこ重大なお知らせ』と題した配信の予告が発表された。サムネはよくある重大発表の感じで、そこから内容を推測することは難しい。
しかし予告の数日前、推しVtuberはツイッターで何か良いことあったんだろうな的な匂わせツイートをしており、裏で事情を知っているのであろう仲間内の配信者・Vtuberから祝福のリプライを複数貰っていた。私は③の予想をしていたことなど忘れ、やっぱり①で確定だなとタイムラインを眺めながら思っていた。
時間の都合が悪く、重大なお知らせ配信はリアタイすることが出来なかった。配信が終わったであろう時間帯にどれどれとツイッターを見に行き、驚いた。配信終了のツイートと共にアップされていた差し替えサムネには『赤ちゃんが生まれました!』の題字と共に、推しVtuberが赤子を抱き抱えるイラストが描かれていた。
お、おおお…そうか…③だったのか…そうか…おめでとう。どうしてか素直に祝えなかった。胸の内がモヤモヤする。何でこんな気持ちになるのかわからんが、恐らく自分の器が小さいからなのだろうと自己嫌悪に陥る。
それからしばらく、私は重大なお知らせ配信のアーカイブを見ることが出来なかった。たぶん見ることで推しVtuberを応援できなくなってしまう可能性があったからだ。
そのうちだんだん、このモヤモヤする気持ちを誰かに聞いて欲しい気持ちが湧いてきて、それならちゃんと配信を見た上で話をしなきゃフェアじゃないと思い立ち、ようやくアーカイブを見ることが出来た。
推しVtuberは普段穏やかな人柄で、重大なお知らせ配信でも特に浮かれはしゃぐ様子もなく、ほぼいつも通りの雰囲気だったので何となく安心した。モヤモヤがちょっと薄くなった。思えば、マタニティハイで性格や人柄が変わってしまった人を見てきたことがあったせいだったのだろう。推しが豹変してやいないか不安だったのだ。
コロナ化での出産は色々大変だっただろう、配信を休んでいた間は病院に通い詰めだったんだねお疲れ様、母子ともに健康のようで良かった、おめでとう推しVtuber。そんな気持ちでアーカイブを見終えた。たぶんこれからも私は推しVtuberを応援できるだろう。ちゃんと見て良かったな、と少しスッキリした。
しかし、胸のモヤモヤが全て晴れることはなかった。そこから数日モヤモヤし続けて、ようやくこのモヤモヤを言語化出来たので以下に書いていく。
出産報告って『重大なお知らせ』って改めて配信しなくちゃいけない報告?
最初の『今後の配信について』で多忙の理由として話しちゃダメだったのだろうか。「奥さんの出産予定が迫っているのでしばらく配信できません。無事に出産が済んだらまた報告するね。」で良かったのではないだろうか。
交流のある配信者・Vtuberには事前に全部話していたらしく、その上で発表があるまで全て伏せて貰っていたそうだ。同業者には話すけど視聴者には発表まで伏せる。何だか出産が配信の企画みたいになってるような気がするのは、私の考えすぎだろうか。
第一子ということもあり、推しVtuberの人生にとって大変嬉しい出来事であることは当然だろう。皆に伝えたい気持ちもわかる。皆に祝って貰いたい気持ちもわかる。
でも正直、思わせぶりなサムネにドラムロールのSEと感動的なBGMで自己演出した上での出産報告は、後から思い返してちょっと引いた。たぶんそれくらい推しも浮かれてたんだろうけど。こっちの器が小さくて申し訳ない。
あと自分は思っていたより推しのネットリテラシーが高いところに好感を抱いていたらしい。
出産報告の翌日以降、推しVtuberのツイッターから滲み出る生活臭が以前と比べてすごい。じわじわと育児日記化しつつある。前は生活臭なんて時々あるオヤツ報告くらいだったんだけどな。
考えてみれば、今まで推しVtuberに対してネガティブな感情を抱いたことが無かった。
そんなところに急に色々降ってきたもんだから、こっちもちょっと混乱しているんだと思う。
これからも推しVtuberのことは応援していきたいと思っているので、まずはツイッターを覗く頻度を減らしたり、見る配信を厳選したりと一旦程々に距離を置いて、少しずつ推しの変化を受け入れられたらいいなと思っている。
ちなみに昔のスペックは以下の通りです。
姉:小学校で学年1~3位。中学校では280人中10~30位くらい?地理などに強かったりいろいろと気がきくため、母はいつも頼りにしている。運動は苦手。
妹(私):姉の3歳下。小学校で学年1位。中学校では280人中1~7位。県のテストで400点満点をとったり、県で7位をとったりした。姉が頼りになりすぎて、母から頼りにされない。運動は得意。
まあ、田舎の小中学校なのでレベルはたかがしれているが、それでもコンスタントに一桁台をたたきだすのはなかなか難しかったのではなかろうか…と思うのだが、姉が姉だったので、あまり評価されず。というか、90点のテストを持ち帰ると褒められるどころか「10点はなにを間違ったの?」と聞かれるような感じ。
以前、母が笑いながら教えてくれたのだが、私たちが大人になってから押入れを整理してたら、70点台のテストが出てきたので「絶対に妹のテストだと思って名前をみたらお姉ちゃんだったからびっくりした」と言われた…。成績とか数字だけを見ると確実に私の方が成績がよかったのだが、母の中ではそういう認識ではなかったことがよくわかるエピソードである。
高校は姉も私もおなじA高校に進学した。全国的に見ればレベルは高くないが、近隣では一番の進学校だった。
私が入学してしばらくしてから、先生がなにかの拍子に「私さんはもうすこしで新入生代表になるところだったんだよ。…わかるね?」と言い、私は「ああ、入試の成績が2番だったんだなぁ」と思った。
もう何十年も前の話なんですけどね。
今日は母とお昼ご飯を作りながら、なにがきっかけか忘れたけれど、昔の成績の話になった。「姉と私とふたりともA高校に行ったのはすごかったよね」みたいな感じだった。
そこでふと思い出し、「私はA高校の入試が2番だったんだよねー」と言ったら、母は「そう、1番じゃなかったんだよねぇ。中学の先生に1番で入れるかも、って言われてたのにね」と言った。同じ流れで「すごかったね」と言ってくれるものだと思っていた私はショックを受けた。でもそうじゃなかった。母は褒めてはくれなかった。むしろ「残念だったね」とでも言うかのように「1番じゃなかった」と言った。もう、本当にがっかりした。とっさに「なんでそういうことをいうの!」と怒ったし、夜になって思い出して泣けてきた。
もう万事そんな感じ。
育児日記を真面目にこまめにつけていたら、母に「そんなもん細かく書くな」と言われた。育児もちゃんとしてたのに。数か月後に「お姉ちゃんは子どもがいつ頃どんなことができたか、記録してあるんだって。すごいよね」と言われた。私の育児日記は否定したのに、姉は褒めるんだな…同じことをしているのに。
同じことをしても、私がしてたら「余計なこと」で、姉がしたら「素晴らしいこと」になるらしい。
「お姉ちゃんはさすが」という台詞はよく聞くが「妹はさすが」とは言われたことがない。少なくともここ10年は言われたことがない。
どんなに勉強をして成績がよくなっても、母の中では私はずっと姉よりも下なのだ。勉強はすればするだけ成績があがってゲームみたいでおもしろかったが、今振り返ると、もし姉が姉じゃなかったら、私の自己肯定感はもっと高かったのかな…と思ったりもする。
「勉強の成績」ではなく「賢さ」でいったら、たぶん姉の方が確実に上だろう。そういう点で、母は私の方が下だと思っているのだとは思うが。でも、こと成績に関しては褒めてくれてもよくない?
夫に昔の成績の話をすると「勉強はできたのかもしれないけれど、賢くはないよね」と言われたことがあり、「ああー、賢くないのかぁ」と思ったりもしたが、4教科で400点満点ってすごくない?
私は就職氷河期の一番ひどかった世代で、就職に失敗している。夫は「昔の栄光にしがみつかなくても」というが、私にとっては中学時代が一番輝いていた。だから、母には「すごかった」と褒めてもらいたい。姉よりも褒めてもらいたい。でも、母はけっして私を褒めない。
今もいろいろがんばっているが、褒めてくれることはほぼない。もうこれからもないんだろうなぁ。寂しいなぁ。泣けてくるなぁ。
だから、誰か、「すごい」って言ってください。
承認欲求なのかなぁ。そういうのを他人に求めるのではなく、自分で自分の価値を認めるようにしないと、自分で自分の首をしめるのかな。でも母に対してだけなんだよね。褒めてもらいたいの。
件の記事【http://anond.hatelabo.jp/20160622100234】の増田本人です。
ちょっとした日々の愚痴のつもりがわりと反応を頂いていてびっくりしています。あまりにも賛否両論というか、迷惑をかけてしまった、不快に感じられた方もいるようなので、少しだけ補足させて下さい。
タイトルの付け方や、アドバイスなどという言葉を使ったことにより、同人既婚者代表みたいな書き方に見えてしまうように感じる方もいるようです。配慮が足りず申し訳ないです。あくまでも私のしくじり体験愚痴日記であって、思うことがあったり共感を感じるような方には同じしくじりをすることがないといいなぁ、位の気持ちで書きました。
文章が長いのは、そもそも誰かに読んでもらうことを意図してなく勢いで書いたからです。でも思ったより多くの方に読んで頂き、結婚にマイナスイメージを植え付けてしまったのは自分でもよろしくなかったと反省してます。
増田が伝えたいことを3行で書いてくれた方もありがとうございます。嬢の崩壊日記と受け取った方もいれば、趣味の極振りで身を滅ぼした話と受け取った方も、結婚の失敗談と受け取った方もいるようです。私がこれまで何も考えず人に迷惑ばかりかけて生きてきたメンヘラなのは事実なので何も言えません。これからは反省して同じ過ちを犯さないように努力するしかないです。
ただ、私個人としては、人生の懺悔と共に、強すぎる承認欲求や評価への依存、これは自分が思ってる以上に根が深いから、自覚のある方は考えたほうがいいかもよ?ということが言いたかったのだと思います。自分でもよくわかりません。多少夫への恨み節も混じってますし。(笑)
経済的DVという意見に関しては、ちょっと違うと反論致します。これはむしろ主人の金銭感覚を信用して管理して頂いてる行為であり、私自身自分の金銭感覚がぶち壊れている自覚があるので全く問題ありません。問題があるのは私です。風俗は金銭感覚壊れますね。
あと、母親は子供を最優先すべき、という部分に対しての反論も重く受け止めました。私の母親があまりにも私を蔑ろにしたのがそもそもの承認欲求の拗らせ原因なので、自分はもし子供を持つなら子供を一番だと思いたいが故のただの個人的意見です。しっかり子供に愛情を注いだ上で、さらに大切なものを持っている方を悪く言う意図ではありません。申し訳ございませんでした (母親への想いに関しての記事もそのうち増田として供養したいと思います。)
沢山の意見やトラックバック、コメント、Twitterに至るまで目を通させて頂きました。何か感じて意見してくれた人、皆さん全員にありがとうございます。怖い思いをさせた方は本当にすみません。
ちなみに、増田の主人にもこの文章を読んでもらいました。お前自伝出してみればいいんじゃないの?って一言言われただけでした。あとお前俺のこと相当信用してるけど何かの拍子で全部お前の人生周りに言うかもしれんぞ?とも。もしそうなったら客と結婚した私が悪いよ、って返事したら、金銭感覚ぶち壊れてる風俗嬢と結婚した俺も悪いなって言った後ゲス極の両成敗口ずさんでました。ちょっと泣いた。
どうでもよさそうだけどせっかくの質問頂いたので気が向いた部分に追記
○何の仕事やってたのか気になる→2時間で10万円を頂くような高いお風呂屋さんです。金銭感覚という点ではやばいことになりましたが、自分の頂く対価を真剣に考えるという意味では良い勉強になったので、永遠の28歳の鬼講習も交えてそのうち書きたいテーマです。
○漫画にしたら?→今回の記事が話題になり身内の意見まで目にしちゃったんですが、どんなに仲の良い友人でも切り離して他人の人生になった瞬間批判の対象になるのだなー、と思ったので身バレこわいのでやりません。秘密にしとくことで守れるものもある。
○リミットつけてお願いしてみては?→真剣に打開策考えてくれてありがとうございます。インターネットで公表する分には全く文句は言われないので、オフは諦める、というのが私の中の結論です。
○どうして俺と出会わなかったんだ→笑いました。来世で会いましょう。
○とりあえず嬢と結婚できるのはわかった→吹きました。頑張って。
以上です。またしても長々と失礼しました。