はてなキーワード: アンソロジーとは
いきなりですが自分は今回が同人イベント初参加だったのです。正確に言えばお○かけライブなんかには顔を出していたりしていたのですがあのイベントはグッズ参加だったりファンの交流会としての側面が強かったりしたので本を売買するのがメインであろう同人誌即売会への参加はこれが初めてということになります。
「分からねえ……分からねえよ! 自分には何が正解なんだかひとっつも分かりゃしねえ! いったいどうすりゃいいってんだ!」
このようなハラハラドキドキを抱えつつ準備を進めます。まずは小銭です。イベントでは300円や700円など100円玉硬貨があった方が支払いやすそうな価格の本が大量に並んでいそうなことは予想できました。ならば両替だ! と銀行に行ってぼそぼそとした陰気な声で「アノー……リョウガエタノンマース……」とか言わなきゃならないのか、憂鬱だな……とこの時点でコミュニケーション能力に難のある自分はテンションが下がりましたがここは快適な薄い本漁りまくりタイムのため、と銀行にて両替を敢行。無事に大量の100円玉と500円玉を入手するに至ったのです。
次はカバンです。カバンが無ければ本を入れられません。丈夫で大きいカバンの予備が無かった自分はその足で雑貨屋へと向かいました。ファッションセンスというものと無縁なので店員さんに勧められるままシャレオツっぽいものを買ってしまって「どうすんぞこれに合う服とかねーし! 合わねえし!」と内心焦りながら会計を済ませます。とりあえずなんとなく合いそうなものを近くの服屋で見繕いましたが終わった今となってはこのチョイスが正解だったのかどうか大いに疑問が残ります。やっぱ一人で買い物なんかするもんじゃねえや!
あんまり規模が大きいと迷っちゃうかもしれないし、だからって寂しいのもなんだかなあと優柔不断な自分は迷います。泊りがけという選択肢はありません。日帰りです。日帰りは決定事項なのです。仕方ないのでピクシブにてサンプル巡りをします。
「……二日目だな。これは二日目だな。というか他の日にあまりにも人が……気のせいか?」
この時点では配置図は出ていませんでしたが、気のせいではありませんでした。しかしこれはこれで多そうだなあ大丈夫かなあと不安になりつつサークルチェックを進めます。と言ってもナンバーが出て居なかったのでカップリング別にサークル名をメモしておいたぐらいだったのですが。
ゴールデンウィークなんだよなあ、自由席って空いてるかなあ、いざとなったらこだまに乗るぞ! 不安が頭をよぎるたび、自分はイケるイケるとそれを頭の隅に押しやります。不安いっぱいでは恐怖に駆られてせっかくの買い物も思うように楽しめないだろうからという浅はかな考えですが、そうでもしないとこのときの自分は夜も眠れそうになかったのです。
朝早くに起き下手なメイクを施し慣れないスカートを履き荷物をせかせか準備します。財布はイベント用と普通に使う用を2個持ち、なんだかファンシーなデザインの大きいカバンを肩に引っさげ、支度は整いました。朝飯代わりのウイ○ーインゼリーを胃袋に流し込み士気を高めます。
怖え……人いっぱい居るとこ怖え……でも! 行かないと、そこにパラダイスがあるから! 自分は行かなければならないんだ! このような寒いことを考えでもしないと冷静ではいられませんでした。引きこもりをこじらせるとこのようになるので皆さんも気を付けてください。要らぬ心配だとは思いますが。
市内電車に乗って新幹線が停まる駅まで向かい、駅に着くと切符を買ってそわそわしながら列車を待ちます。し、新幹線か、慣れてないからなあ。席空いてるかなあ。立ちっぱは辛い距離だよなあ。考えている間に列車は到着しました。中を覗くと若干の空席があるようでした。よっしゃ! などと言おうものなら不審者まっしぐらなのでここはぐっと抑え、乗り込みます。
乗っている間は携帯をいじったり腕を組んで妄想に励んだり携帯用固形食をかじったりするぐらいで特にどうということも無かったのですが、寝ると荷物をすられやしないかと神経過敏な自分は警戒し続けていたのであまり気が休まりませんでした。とはいえ一人なので寝ないのが当たり前と言えなくもない気がします。
名古屋駅に着くと、そこは未知の国でした。「……デカい!?」というのは規模に対しての感想です。名古屋ってどんなところだろう、味噌? 味付けが濃い? モーニングが豪華? 程度のにわか知識しか無かった自分は大いに驚き、迷いはしないかとビビりました。が、案内板通りに進むことで無事方向音痴の自分も乗り継ぎ切符を買い豊橋駅に向かうことが出来ました。今回は観光出来ませんでしたが、次に来るときは周囲を散策してみたいなと思っております。
豊橋駅に着くと外がなにやら騒がしく、ふらふらと声のする方へ向かって行くとイベントをやっておりパフォーマンスとしてよさこいらしきダンスを披露していました。そのままぼけーっと眺めていましたが、はっと腕時計を見るともうすぐ開場時刻! しかもここバス出るとこと反対出口! 気づいた自分は慌てて早歩き。「待ってろよST豊橋2、もうすぐ自分はそこに着くんだぞ! 逃げるなよ!」逃げねえよ、と思うだけの冷静さはもう既に頭から無くなっておりました。
早足で外に出るとYOUの案内板を持ったスタッフが見え、その方の指示する方向へ向かいます。この時点で同じ目的と思われる方々に取り囲まれていました。会話の内容から彼女たちが誰萌え、あるいはどこ校萌えであるのかが窺い知ることが出来なんだか暖かい気持ちになりましたが、同時に一人で歩く自分に対しどこか寂しい気持ちになりました。しょうがないですよね、ぼっちで来たんですから。
「バスが……立派だ!!」
第一印象がコレか、と思われるかもしれませんが立派でした。観光バスを借りるとは、……儲けてやがるな!? などと下衆な感想を抱きましたがそこは脳内で流して乗り込みます。既に車内には何人か待機しており、彼女らもまたこれから向かう会場に対しての予想などを並べ立てていました。なんせ地図で見た限りは倉庫でしたから、会場として機能するのか不安もあったのだと思われます。かくいう自分もその通りで、大丈夫かなあとぼんやり考えながらバスに揺られていました。さあ会場はもうすぐそこです。
「うわ外観めっちゃ倉庫やん!」まんまじゃねーか、な感想は置いておきます。手荷物検査を受けるとシールを渡され目立つところに貼っておくようにと念を押されました。流石にセキュリティは厳重です。なんだかピリピリした雰囲気だなあと思いながら入口から会場の様子を窺います。
そこに居たのは300スペース超のサークル参加の方々と、今日を楽しみに集まってきた一般参加の方々、その方々の熱気で構成された異空間、夢が形になった場所でした。ここにいる人たちは趣向の差はあれどおおむね同じ目的で参加しているんだなあ、そのことを実感し感動しました。生の空気というものはいいんだなあ。同人誌なんて通販で買えばいいじゃん、そのように冷めた気持ちが自分の中にあったことは否定できません、しかしこのときをもってそのような斜めに構えた気持ちは消え去ったのです。この熱を自分の肌で感じ、自然とそのようになったのでした。
ややまごつきながらパンフレットを買い、きょろきょろとあたりを見回しながら会場の隅に向かいます。パンフレットの配置図へ事前にチェックしておいたサークルをマーカーで引き、いざ出発! 果たして無事に買うことが出来るだろうか、そう思いながら横目で受付近くを見ているとなぜか地元の団体さんがはんぺんを配っていました。後で聞くとこのはんぺんは無料だったようで、というか放送でもそんなことを言っていたようで、しかも美味しかったという感想もあり、もらっておけばよかったかなあなどと今更現金なことを考えています。
目当てのCPの島に来ると当たり前ですが同じCPが固まっていて、そこで買い物をしている方を見て「あ、同じCPが好きなんだな」と思うとなんとなく嬉しく思いました。自分ではあまり買わないCPでもポスターやポップが来られているとついつい寄ってしまい「よし買いだ!」と買わせてしまう、そんな勢いや愛にも満ちていました。幸せな気分で今日一番の目当てだったサークルさんの所に足を運びます。無事に帰るだろうか、緊張しながらスペースに向かうと……。
誰も居ない。あれ、間違えたかな、と机に張り出されているナンバーとサークル名を見ました。間違っていません。すかさずツイッターで確認を取ります。今日になって急遽欠席が決まったようでした。しょぼくれましたが、気を取り直し他のサークルさんの元へ向かいます。ここで挫けてはいられません、目当ての本は他にもたくさんあるのですから。分かってはいても、やっぱり残念でした。またの機会があれば今度こそ、と思いつつ探索を続けます。
「おおう、やはり色がどこも派手だなあ。こういう彩のあるジャンルは見てるだけでも楽しくていいよね」
なんて他人事なコメントだと思われるかもしれませんが、現実の光景だというのに目の前で行われているイベントにリアルさを感じることが出来なかったのです。そこはさながら夢の国、すっごい遊園地。異世界でした。普通にレイヤーさんが歩いているのを見て○○が歩いてる……そんな風に茫然とするしかなかったのです。BGMとしてキャラソンがかかりまくり、人はごったがえし、そこらじゅうで普段は出来ないジャンルトークを楽しんでいる。夢のようでした。同人イベントっていいなあ、漠然と抱いていた憧れはここで実感に変わったのです。
コピー本コンテストに投票したり、同人誌なのにすごい厚いよ!? とアンソロジーを見て驚愕したり、「だって○○受けってここしかないじゃん……」とジャンル友達にぶっちゃけトークをしているのを聞いて複雑になったり、桃リコが可愛かったり、こんなCPあったんだーと驚いたと思っていたらいつのまにか買っていたり、委託本にも手を出したり、同じところをぐるぐる回って「へへへこのCPもいっぱいいるじゃんすげーじゃん」と悦に入ったり、……とにかく、普段では絶対に発散できない類の衝動を思いっきり発散できる場所であり、幸せが形になった場所でした。
「そういえば、このジャンルはしばらくイベントが開催できなかったんだよなあ……」
噛みしめます。無事に開催できて本当に良かった。これだけの人が喜びを分かち合える空間が壊されなくてよかった。どうかもう、中止などという悲しすぎることが起こらないように。改めて祈りました。
そろそろ会場を後にしなければ。腕時計を確認すると会場を出てバス乗り場に向かいます。クレープの屋台などが出ていましたが、どうも待ち時間的に食べられそうになかったので泣く泣く断念。ちくしょう、時間に余裕を持って行動しないとな。
バスに乗り込むとイベントの熱が冷めやらぬ人たちが熱心に語り合っています。これが公共の交通機関であれば眉をひそめられることなのでしょうが、ここはイベント専用の車内です。思う存分余韻を分かち合会えるこの空間もまた乙なものだなあと思いました。ただ、送迎用にバスを用意するなんて普通は無理だよなあとも思います。アフターがしたいならやはり2次会にしておいた方が良いようです。自分はぼっちなのでどうにもなりませんが。
バスから降りると、一気に現実に引き戻されました。もう夢は終わったんだ。でも、自分には思い出が出来ました。代えの利かない大切な思い出です。また行きたいな。今度もこのジャンル、いや別のジャンルか、ジャンル無しの大きいイベントにも勇気を出して行ってみようか。今までは恐怖が先立ちどうしても踏み出せなかった一歩をやっと踏み出したこの日、自分の世界は広がった気がします。今回のイベントに参加できてよかった。心からそう思っています。
最後に、主催のスタジオYOUさん、イベント開催お疲れ様でした! また次も頑張ってください、応援してます!
初期の頃ABと逆カプBAは同程度の規模かBAの人たちもリバが多くひょっとするとABの方が賑わっていたように思う
そんな中突如として奴が現れた
奴は兎に角筆が早く完成度の高い漫画を連日上げ怒涛の勢いでフォロワーを増やしていった
奴が作品を上げる度BAは増えリバ寄りだった人たちはBAしか呟かなくなっていった
ブクマ数も奴のログは軒並み4、5桁に乗り別キャラ推しからも「AとBならBA」と言われるようになった
ABを始めB総受け界隈はオフ活動をしている人が少なく、活動している人も半年に1度とかのレベル
だが奴はオフ活動にも精力的でイベントに出ては毎回必ず新刊を出し挙句アンソロジーやさまざまな企画を立ち上げている
ABの所属するグループではCDが一番規模が大きいカプにも関わらず唯一毎回壁に配置され毎回列を作っている
正直悔しくて仕方がない
奴がいなければABの方が栄えていたんじゃないか
何でABでは無いんだろう
奴の絵はその神絵師と比べても上手い訳じゃないのに
ウケの良いオールキャラもやっているから人気があるだけだと必死で粗を探しても悔しい事に奴の描くものは魅力的でとても面白い
私は恐らく奴の事が好きで仕方ないのだと思う
何でABにハマってくれないんだ
ABが無理ならいっそCBでもDBでもモブBでもいいからハマってくれ
それが無理なら消えてくれ!
バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさんは、最近「バーチャルのじゃロリ狐娘”元”YouTuberおじさん」と名乗っている。
以下この文では彼のことを「ねこます氏」と書く。あと「最近」は主観。ちょくちょく私見はさみます。
○チャンネル名変更
7月26日投稿の動画(https://youtu.be/6IPh2ggvdZ4)でチャンネル名変更を発表した。理由はこの動画と、同日投稿ブロマガの記事(http://ch.nicovideo.jp/nekomimi/blomaga/ar1605158)で述べられている。また、これに先立って5月4日にもブロマガ記事を書いている(https://ch.nicovideo.jp/nekomimi/blomaga/ar1514125)。
簡単に書くとやりたいこと(技術の習得)と求められていること(バーチャルYouTuberとしてのパフォーマンス)が違うのでやりたいことを優先するためにこれまでのような活動(個人の動画作成)を縮小して、チャンネルはVR技術(番組作成ツールとしてのVRとバーチャルタレント)の可能性を模索していく場の提供に転換した。
このことは一部視聴者からファンに対する裏切りという意見も出た。ねこます氏も自覚はあるようで、これに対する謝罪を予めブロマガ記事に織り込んでいた。
私見だが、5月4日のブロマガよりも以前から案件等で多忙であるとよくこぼしており、案件も受け付けなくなっていたにもかかわらず、案件動画しか出さないと文句を言われたり、案件以外の動画を出すことを要望されたりしており、さらにチャンネル登録者数に関連した煽り(いわゆるバーチャルYouTuber四天王問題)も度々あり、対応に苦慮していた様子が伺えたことから、この決断は単純にもう注目を浴びたくない、表舞台から降りたいという気持ちも大きかったのではないかと思う。
ともあれ、かくして彼は「チャンネル登録者数ゼロ人」を自称するようになった。
自己紹介も他己紹介も一切ない謎の「Vaんぐみ」(後述)司会者ラリーがバーチャル番組チャンネルの公式Twitterを運営している。チャンネルアイコンもラリー。
自前の動画以外に番組コンテンツを募集しているが、今のところ9月19日に行われた「VTuberチャリティーライブ」の放送とアーカイブ公開が行われたのみ。
○Vaんぐみ
バーチャル番組チャンネルで作成している、男性バーチャルYouTuberトークバラエティ番組。1クール番組で、10月13日に最終回を迎えた。
2017年12月~2018年1月の早期にデビューした個人バーチャルYouTuberのモスコミュール、天野声太郎、あっくん大魔王、さはな、霊電チアキがバラエティ番組風スタジオセットでテーマトークを行う。また万楽えねが1コーナー持っている。ねこます氏は出演していない。
Wright Flyer Live Entertainment(グリー子会社)、CyberV(サイバーエージェント子会社のCyberZの子会社)、upd8(キズナアイ運営のActiv8が運営するバーチャルYouTuber支援プロジェクト)がスポンサーとして紹介されている。そのためか、ゲスト(VTR出演)はキズナアイ、ミライアカリ、電脳少女シロを初めとしたバーチャルYouTuber界での大物が多い。このゲストによるVTRは「女神チャレンジ」というコーナーで使用されるのだが、最終回はねこます氏が登場した。
VR体験のためのVR技術ではなく、番組コンテンツ作成の道具(リアル世界でいうスタジオやセットなど)として使うことを意識した番組と思われる。VRChatが使用されている。後述のV-TVとともにTVの真似事との批判もある。個人的には、真似をする事自体が問題とも、真似をしているからつまらないとも思わない。
この番組の制作にねこます氏はほとんど関わっていないと思われる。PRも第一回投稿告知ツイートをリツイートして以降行っていない。
○VRoadCaster(V-TV)(https://www.youtube.com/channel/UC4NiGZqQQvpvNvwcJsm_EAg/)
最近始まったわけではないが、個人チャンネルがなくなった今、ねこます氏の(不)定期出演が見込まれる場として重要なので書く。
VRoadCasterは放送局名。雨下カイトが主体となって設立。「現実とバーチャル世界を結ぶ」「クリエイターが主体となって作り上げる」放送局を目指している。V-TVが番組名。V-TVは情報番組で、今後VRoadCasterはそれ以外の番組も制作していく構えだが、今の所V-TVしかないので、以下V-TVについて書く。
V-TVは5月5日に第0回が放送され、以後毎週日曜午後9時から生放送で提供されている。VRで番組制作を行うというあり方と可能性を示すものとして作られている。第17回を持って1stシーズンを終了し、現在2ndシーズンの準備中。公式サイトが用意されている。
KiLA(ライブカートゥーン)、MyDearest、PANORA、MoguraVR、VRChatが支援している。
VRChat内のバーチャルスタジオから、VR技術やVR機器の紹介、VRChat等のVRプラットフォーム内の出来事の紹介等々を行っている。スタジオはいわゆる「近未来的」装いで、エレベーターやVTR用等のパネル展開等ギミックも多い。BGMも自前。エンディングテーマはタイアップ(八月二雪の「夢幻」)と、作りはなかなか本格的。毎回ゲストコメンテーターを迎えている。ゲストはVR技術者の近藤義仁(GOROman)氏、ユニティ・テクノロジーズ・ジャパンの大前広樹氏、株式会社クラスター(輝夜月のライブ会場を提供した)の加藤直人氏等、非バーチャルYouTuberが多い。
ねこます氏はゲストとして出演するが、これは本来レギュラーメンバーのところ他のイベント等との兼ね合いで出演できないことがあり、不定期出演とならざるを得ないため。番組公式グッズにはねこます氏も入っている。他のメンバーは新川良、ミディ、Sig、phi16、ユニ、あかにん。バーチャルYouTuberと非バーチャルYouTuber混成。
ねこます氏は技術的には番組にそれほど寄与しておらず、本人が自虐的に語るように「客寄せ狐」(ただし視聴者を呼ぶだけでなく渉外担当として顔を使っていると思われる)の立場。
余談だが、第15回の放送は8月26日に行われた「バーチャルマーケット」(VRChat内で行われた3Dモデル展示即売会)の取材特集で、ねこます氏が現地でコメントする映像が流れた。同日の夜には「バーチャルカラオケ」というイベントも行われ、ねこます氏はそちらにも出演したのだが、この日バーチャルマーケットとバーチャルカラオケはどちらもTwitterトレンド国内1位を獲得した。バーチャルマーケットに関してはスタッフ参加でもサークル参加でもないとはいえ、これら両方に関わるというのが彼の立ち位置の特殊性を表している。もっとも、彼にとっては、バーチャルカラオケではなく、バーチャルマーケットにサークル参加もしくはスタッフ参加する(くらいの技術力を身につける)方が理想的であっただろう。このねじれが「シンデレラおじさん」の苦悩を端的に表している。
REALITYは前述のWright Flyer Live Entertainmentが提供しているVTuber専用ライブ配信プラットフォーム。
チャンネル名変更後、(不)定期放送をREALITYで行っている。配信タイトルは「ねこます雑談」。傾向から、おおよそ毎週火曜日が彼の担当と思われるが、例によって不定期。
スタジオ配信、自宅配信のテスト役を兼ねていた節がある。スタジオ配信のときにはREALITYのスタッフの手による改修が施されたモデルで登場し、トラッキングも自宅放送よりレベルアップしている。
現在ねこます氏に投げ銭できる唯一の場。ただし彼は投げ銭するならその金でVR機器を買ってVRChatやバーチャルキャスト等のVRプラットフォーム上で会いに来ることを推奨している。
REALITYはスマホアプリだけでなくPCのブラウザでも放送を見ることができる。ただしギフトは贈れない上、コメントもできずまたコメントを見ることすらできない。
○ねこますクロニクル(https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_MF00000080010000_68/)
ねこます氏原案、羊箱氏作の漫画。7月27日からコミックウォーカーとニコニコ静画で連載中。現在#12。
ねこます氏がクリエイター活動を始めてからバーチャルYouTuberになるまでをフィクションを交えて描く。
ねこます氏はみここアバター(バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさんとして活動するときに使用している狐娘アバター)の姿で描かれている。絵がめっちゃかわいい。
○イベント出演(参加)
4月のニコニコ超会議(それに先立って公式生放送が2月と3月にあった)以降、5月頭の「VTuber人狼」と8月末の「バーチャルカラオケ」というニコニコ主催のバーチャルYouTuberイベントに出演したほか、RAGE 2018 Summerに出演した。
8月11日の「電脳少女シロ 生誕祭」には祝辞VTRを贈った。
9月16日には「狼と香辛料」のVRアニメ化記念番組でホロと共演した。このときホロにハリセンで尻をしばかれた。
その他、バーチャルキャストの広報番組・イベントにかなりの頻度で参加している。
8月5日の「ねこます×みゅみゅ×MIRO - 実験放送」ではバーチャルキャスト立ち上げのきっかけの一つがねこます氏の第一回ニコニコ公式生放送であったことが明かされた。
9月8日に行われたINTEL GAMERS WORLD 2018内でのバーチャルキャスト体験会では女性ファンとのやり取りがごく一部で話題になった。
10月7日の「Vカツkawaiiコンテスト 決勝」では審査員を務めた。
今後については合同会社AKIBA観光協議会主催の「秋フェス2018秋」で10月18日~11月18日に行われるバーチャルYouTuberコラボキャンペーン、11月3日のニコニコ超パーティへの参加が決まっている。
ねこます氏は株式会社カバーの配信するアプリ「ホロライブ」にみここアバターを提供している。その関係かニコニコ公式生放送の経験者としてか、8月4日に行われたカバー所属のバーチャルYouTuberときのそらのニコニコチャンネル開設記念生放送にゲストとして呼ばれた。また同じくカバー所属のロボ子が8月25日に行った12時間耐久VRC配信にも最初の企画のゲスト兼お手伝いさんとして参加した。
8月3日と10日に東京MX「VIRTUAL BUZZ TALK!」(https://s.mxtv.jp/variety/v_buzz_talk/)にゲストとして出演した。
8月16日・23日に杉田智和とマフィア梶田がパーソナリティを務めるネットラジオ「アニゲラ!ディドゥーン!!!」に出演。
9月19日から音ゲー「グルーヴコースター 4 スターライトロード」で持ち歌の「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさんのうた」配信開始。
9月22日の東京ゲームショウ2018で今年中に配信予定のスマホゲー「禍つヴァールハイト」とのコラボが発表された。
その他バーチャルキャストを使用した放送に度々凸を行っている。VRChatにもこれまでどおり出没している。
○グッズ展開
多数。アニメイトで買える。
個人的おすすめはアンソロジーコミック。他のグッズと比べれば安価な上、この手のものとしては内容も面白いと思う(とはいえこの手のものの常で題材(ねこます氏)のファンであることは前提)。
○その他・今後の予想
動画は案件も含めニコニコ動画に上げるようになった。チャンネル名変更後4本の動画を投稿している。生放送も時々行っている。
未だイベント等の出演はあるが、動画作成を伴う仕事はおそらくほぼなくなり、Unityの勉強等に時間を割いている様子が伺える。露出は今後減っていくと思われる。REALITYでの配信は、契約次第だがいつなくなってもおかしくないくらいの覚悟をファンは持っておいたほうが良さそう。V-TVへの出演は番組が続く限り続くだろう。動画は技術成果発表の投稿に関しては今後も行われるだろう。
○朝食:なし
○昼食:牛丼
○夕食:カップヌードル
○間食:プリングス、ベビースター、チョコモナカジャンボ、チョコ
○調子
はややー。
が、もう歳なのかなんなのかわからないけど、腹を下してとても辛かった。
反省しよ……
遊びは、Kindleでたくさん漫画を買って、たくさん読んでた。
・サチのお寺ごはん 4〜5
お寺のイケメン三人とアラサー女子がイチャつきながら、精進料理を食べるお話し。
うーんこれはパワハラセクハラ男や、二股男などのダメ男に多数出てきて、男よりも女性の方に親愛を感じるシーンがあるため百合!
・球場三食
うーんこれは野球が好きな女性が野球が好きなわけじゃないリア充男への不快感を示すシーンがあるため百合!
・天国大魔境
・CITY 5巻
明らかに百合をテーマにしたパートもあるのだけれど、それ以外の部分からもかほりを感じさせられる。
うーんこれは女性が男性によらず一人で人生を謳歌することは百合以外の何物でない百合!
うーんこれは真面目女子高生とギャル女子高生の凸と凹があれば百合なのは明白なので百合!
どれもとてもとてもよかったが、あえて一編だけ選ぶなら。
長代ルージュさんの「ここにおかえり」です。
うーんこれは百合!
うーんこれは女性が女性に親愛を感じるシーンはないため、百合とはいえないかもしれないが、
男性が女性よりも何かを優先するのは、ある種の女性性の解放を描いているので、もうこれだって百合の形でいいじゃないのさ。
アイドルの女の子が空手でピンチを乗り越えたり乗り越えられなかったりするお話。
個人的にはオルベリク編でグレイグとホメロスの幻影に悩まされまくったからド11クラスタとかにはやって欲しいんだが
ゲーム全体の感触としてはフィールドの操作感はスターオーシャン、戦闘・ジョブなんかはブレイブリーデフォルトって感じ
ただし自由度はそれぞれ上の2作に遠く及ばない
どこか懐かしさを覚える昔のRPGの要素が組み合わさって、全体として受ける印象はなんとなくアライアンス・アライブって感じだ
アラアラも懐古を目指したゲームだったので、当然っちゃ当然か
ちなみにアラアラは途中で投げた、だいぶ後半になってやる元気がなくなった(そういうことはよくある、FF13もオーファンズ・クレイドルまで行ってクリアしなかった)
シナリオはそれぞれ主人公ごとにある感じで、8人はパーティーにはなるものの直接の利害関係になく、物語は「彼らひとりひとり」に焦点が当たっている
言うなれば彼らの旅はアンソロジーであって、昔ながらのJRPGのように仲間が出会いひとつの状況に巻き込まれひとつのストーリーを織り上げていく、というスタイルではない
おのおの目的のために世界を回り、その時々で光が当たっていない別のパーティーメンバーは(特に利害関係はないが)それに付き合っている、という感じになる
それぞれのシナリオは台詞回しに違和感が少なく、入り込んで楽しむのを妨害しない
街の人々にもそれぞれ裏設定があり、フィールドコマンドに対応してそれらのテキストを楽しむことができる
そのテキストもなかなか読み応えがあり、ライターの力量を感じさせる
ただしそれらを貫き作品をまとめる一つの軸が見えてこない、なんとなく世界や個人に散逸した面白い物語を収集してひとつのゲームに納めた、という感じだ
そういう意味でアンソロジーと言った(とはいえアンソロジーには大抵テーマがあるのだが)
素材はいいので、そこから想像を広げていくのが楽しいかどうかは個人の趣味嗜好によりけり、となるかな
小学生の頃に父の寝床にあったミステリ短編アンソロジーのひとつ。
小学生の頃にはこれに恐怖しながら頁を繰っていたものだが、そんな感性を持っていれば読書は楽しくて仕方ないだろうと思う。
作者もタイトルも覚えてないので、もう二度と会えない作品でもある。
ネタバレも糞もないけど以下あらすじ。詳細はたぶん色々と違ってるはず。
ビジュアルのよい若い女性である事もあってマスコミは色めき立ち、連日週刊誌やワイドショーで引っ張りだことなる。
当人のキャラクターと裏腹に作品の内容は重く暗いものだたが、選考委員を唸らせるだけの内容のあるものだった。
狂言回しの編集者はマスコミに出る女子大生の軽い言動と作品の乖離に違和感を覚える。
一方、彼女が写ってる写真や取材の映像で高頻度である男が背景に写り込んでいる事に気付く。
そんな事をしているうちに、彼女は受賞後第二作を発表、これも受賞作ほどではないが高い評価を得る。
このペースで内容の伴う作品を連続で書くのはベテランでも無理だろう、
何かあると調べて行くと、文藝マニアの知人が、彼女の二作品と戦後まもない頃にデビューして注目されつつも病か何かですぐに姿を消したある新進作家の作品との類似点に気付く。
その作家のデビュー作はそれなりに注目されたため巻頭で近影が掲載されたが、その顔は彼女の背景に写り込んでいる男の顔そのものだった。
そこに辿り着いた時点で、彼女が交通事故に遭い意識不明の重体とのニュースが飛び込んできた。出版社に第三作の一部を届けに行く途中の事故だった。
同僚の担当編集と共に彼女が搬送された病院に行き、ICU前で彼女の家族から聞いたその作品の内容は前二作と文体も内容もかけ離れたものだった。
「ある文学部に通う女子大生が授業のレポートで、何の気なしに戦後の頃のあまり知られてない作家を取り上げてみる事にした。
それから暫くしたある日、彼女の元に差出人不明で手書きの古びた原稿用紙の束が届く。どうやら文芸作品のようだ。
原稿と一緒に「これを世に出して欲しい」とのメッセージも入っていた。訝しんだが文芸方面で名のある出版社に投稿すると、その女子大生の素性も相まって大々的に売り出される事になった。
そこからしばらく、差出人不明で礼を述べる手紙等が届き、次に発表する用の原稿も届く。
女子大生は世間からちやほやされて浮かれてたが、送り主から「メディアに出過ぎるな」「露出を控えろ、喋り過ぎるな」と警告されるようになる。
彼女は常に監視されている事に恐怖を覚え、この事を世間に発表しようとする。」
話はその書き掛けで止まっていた。
そんな事を編集者たちが考えていると、ICUの扉が開き、そして告げられた。
「彼女が息を引き取りました」
ほりいゆうじはすごいよな、やっぱ!
それがシナリオ的、物語的なものでなく、ゲーム的な意味なら、プログラマの中村光一を褒めるべきでは? とほんの少しだけ思ったが、まあ中村光一の功績は全てクルーザーで帳消しになってるからどうでもいいか。
あーあ、こうしんまるみたいに中村光一のクルーザーも炎上するぐらいの「もってる」感がないのが、今のチュンソフトのありようの象徴だよなあ。
そりゃ炎上したら悲しいし悲劇なのは間違いないから、揶揄うもんじゃないんだけど、芸能人として「もってる」感がすごいもん。
もうありありと、炎上するこうしんまるの上でバイオハザードを楽しんでる絵が浮かぶもん。
以下、こうしんまる炎上並みにスパイクチュンソフトが「もってる」感を出せる架空のニュースの例。
ジニアス・ソノリティがドラクエGOを作り大ヒットする。
パワポケゴルフが再評価され、続編が発表される。(タイトルが明らかに間違えているが、もう思い出せないしググる気力もわかない)
トリックロジックシーズン3が発表されるも、こるもの、円居辺りが暴走してFGOアンソロジーみたいになる。
大好きな作家がいた 私はその人を傷つけた気がする その人はコミケにはしばらく来ていない プロとしての仕事が忙しいだけかもしれない 確かにアレやコレで時々名前は見る しかし自分の存在があるからこそコミケに来ないのかもしれない このアカウントでツイートされないのかもしれない 全て自分のせいではないか、そんなことをここしばらく考えていた 今考えるとその人に対してずいぶん気持ち悪い行動をしたと思う その人がかつて運営していたサイトでイラストをかき集めた それから数年後にコミケまでその人に会いに行った その人のイラストを使って作ったものをプレゼントした 失礼なこともしたと思う メールでその人に対する熱い思いを語ったつもりだった DMで感想を伝えたつもりだった 返信がない以上その人は自分のことをうっとおしく思っていたのではないか 私は明るく振る舞うその人のツイートが眩しかったのだろう、だんだん敬愛すべき作家なのか昔の思い出にすがってるだけなのかわからなくなってきた 気がついたらミュートしていた もっと交流すればよかったのに、出来なかった ただその人の絵は美しい 漫画だってとても上手く、面白い それだけは私の心に確かに焼き付いている もう15年ほど前のことになるだろうか パソコンを買ってもらって1、2年ほど経過した頃、私は例によってオタクだったのでアレやらナニやらいろんな作品の同人サイトを巡っていた 当時は年齢が年齢なので18歳以上は云々のサイトに入れないはずだが、ギンギラギンの性欲を持つ厨房がそんな文言にたじろぐはずはない まぁどうせ作者も厨房工房である 悪影響といえばファックしたりされたりしているキャラクターが原作漫画やアニメで見るのが恥ずかしくなった程度である まぁとにかくいろんなサイトを巡った 掲示板やメールでの交流はしなかった 長ったらしい文章を書くのがクソ面倒だったしネットに疎い親がメールを教えるなだのなんのかんのうるさかったためである まぁ私自信もメールアドレスで住所割られたらどうしようとか考える程度にネットに疎かった イラストサイトの閲覧はダイヤルアップというのだろうか、パソコンの横にぶっ刺すカードのおかげでクソ遅かったのもあるし恥ずかしいのもあってあまりしなかった 代わりに様々なテキストサイトを巡っていた 私が当時手にとっていた紙の本とは違い、拙いながらも熱を感じるめくるめく官能の世界が繰り広げられていた それはそれはすごかった 今読むと素人もええところだなオイと思うだろうが当時はそれで興奮していた 正直今も興奮する そんな中、当時あるゲームに夢中になっていた私はいわゆるリンクだかリングだか同盟だかでとあるサイトに出会った イラスト・漫画サイトだった そのサイトでは少しマイナーなキャラを中心に取り扱っていた 見る 絵がめっちゃきれい 線、構図、色使い、その他諸々、私は絵に詳しくないが非常に美しいと思えた 漫画もこれまた面白い ギャグからシリアスまでなんでもありのストーリーセンス! 遅い回線の中、イラストのダウンロードさえ待つのが楽しみだった 後でわかったことだが当時そのサイトの作者は高校生だったようである 私はあっという間にそのキャラが大好きになった そして当時はそういうのが流行りだったため、裏ページなんてのもあった 見た 更にすごかった SMから四肢切断に女体化まであらゆる責め苦がそのキャラクターを襲っていた しかしそれでも崩れることなくその人の筆使いや話の運び方には熱が入っていることがありありとわかった 掲示板には感想などは書かなかった 今考えると一言二言書いといたほうが良かったと思う その人は同人活動もしていた 本の中ではWeb上を超えた更なる甘美で耽美な世界が繰り広げられていることは間違いないだろう しかしその人は主に東京国際展示場辺りで開かれるイベントに参加しているようだった 当時の私はどうにか親をごまかしまくって年に1回か2回、御茶ノ水あたりの損保会館とかいうところまで行くのがギリギリだったので会うことは叶わない それ以前に厨房の肉体でエロ本下さい☆なんて言えるほど豪気ではない なら通販はどうだろうか 親に何を買ったかの説明責任が存在する 住所を知らん人に教えてこれまたあーだこーだ言われるのも嫌だ 仕方ないから諦めた 少し後に秋葉原のどっかの同人誌取り扱い書店で年齢を聞かれずにエロ同人誌を買えたことをここに告白する 店員が悪い そのうちサイトは更新されなくなった 日記を読む限り専門でいろいろやったとかどっかの会社に就職したとかそんな感じだったと思う 後にインターネットアーカイブで読んでみたところとあるゲーム会社に就職したようである もう潰れたけど そして私は堪え性がないのでまた別のゲームや漫画に飛んだりしていった たまにその人のことは思い出していたがその後の動向がわからないのでどうしようもない でもある日サイトを見に行ったらエンターページは残っていたもののトップページは消え去りブログになっていた 記事はあまりなかった 例のゲームの同人誌出すとか書いてあった気もするけどもうよく覚えていない 気づいたときにはかなり前の日付で、もはやその作家の本を買う方法は存在しなかった 書店委託もしてないし通販を頼む方法だってあったはずだが親が親なのでやめた 結局その作家への愛なんてその程度なんだと思ったよ その辺りだろうか、せめてその人のサイトのイラストを出来る限りアーカイブしようと決めたのは 今考えると気持ち悪いことをしたもんである こんなもん作家に見せたら卒倒するわ サイトアドレスを残してたりイラストを上げっぱなしにしてた作家もインターネットアーカイブも悪い 改めて見てみるとこれが本当に美しい HTMLとか文章とかはもうめんどくさかったのでひたすらイラストのみを保存していった そしてCD-Rに焼いた 今はHDDにはなぜか残っておらずロムもどっか行った それでいいんだろう そして2011年である 私には地獄のような苦しみが絶えず襲ってきた 正直思い出したくもない 書くけど まぁなんやかんやあって熱は冷めてきたものの例のゲームのオンリーイベントがあったので行ってみた 秋頃だっただろうか 会場内でうろうろしていたところ、上記の作家が入れ込んでいたであろうキャラクターのアンソロジーが発行されていた こいつも大きく取り上げられるようになったなぁ、なんてすこしほっこりした ふとその作家を思い出し、主催者っぽい人に冗談半分でその作家のことを聞いてみた 「この本に描いてますよ」 「そちらの方のスペースに合同誌がありますよ」 耳を疑った すぐさま私はそのアンソロジーを買った そしてすぐ横のスペースでテーブルに並べてある本をすべて購入した 読む 見つけた! この人だ! 絵柄は多少変わってはいたがキレッキレのギャグセンスは間違いなくその人のものだった 合同誌も同様だ えらいものを手にしてしまった もはやあの日々から長い年月が経ったというのに この辺からおかしくなってきた アンソロジーにサイトURLや現在のペンネームが載っていた 早速アクセスする 極彩色のイラストが私の眼前に広がった 相変わらずその人の絵はすごかった 仕事内容を見て更にびっくり、詳細は省くがとにかく驚いた あんたこんなデカい仕事してたのか、と 冬の祭典コミックマーケットの季節が近づいてきた頃、その人のサイトが更新された コミケには当然サークル参加するという 絶対行こう、あわよくば色紙も描いてもらおう、差し入れも持ってこう、いろいろ考えながら当日を楽しみにしていた とはいえいろいろ回るところはあったのでその人のサークルに着いたのは昼も大きく回った辺りだった スペースに人がいる あの人だろうか、ドキドキする、本を買う、〇〇さんはいらっしゃいますか? 「あぁ、今買い物に出てます」 まぁそんなもんである 他のところをうろついて数十分後、再びサークル前に戻る 別の人が座っている 先程買った本を見せ、〇〇さんですか? ビンゴだった 差し入れを渡す そして、 「先日☓☓のアンソロを買ったんですけど、数年前に☓☓のサイトを運営されてた〇〇さんですか?」 その人はひどく驚いた顔をしていた ビンゴだったのだ 本人に会うことは予定事項だった しかし私は固まった 敬愛するその作家が目の前に現れたのだ 正直何を話したかもはや思い出せない ただガチガチに緊張し、どうにか色紙を頼み、受け取ったときそこには美しい筆致で例のキャラクターが存在しており、最後に握手をした それだけだった そのコミケでは他に、自分を勇気づけてくれた漫画を描いたある作家に会いに行ってサインもらったり握手したり、また別のある作家に大好きなキャラの色紙を頼んだところ、ものの2、3分で色紙を仕上げるというような曲芸じみたことをやってもらえたりもした 地獄のような2011年は奇跡のような思い出で締めくくられた 当然のように次の夏コミに行った 思い切ってその人に当時発行していた本の在庫があったら売ってくれないか聞いてみた 了承してくれた 震える字でメモに自分の住所と名前を書いた もはや親はいないので通販など自由だ ひと月くらい経ち、郵便物が届いた 可愛らしいテープで封がされており、漫画で使われているものと変わらない字がそこにあった 数冊の同人誌が入っていた メッセージも添えられていた 何が書いてあったか忘れたが、嬉しさで床をのたうち回ったことを覚えている その日のうちにメールを送った その人に出会ったきっかけや応援メッセージを書いた 今見たらゲロみてぇなこと書いてあんだろうなと思ったが思ったほどではなく安心している とはいえヘッタクソな文であることは間違いない 返信は来なかったからだ しかしどうやって料金を支払えばいいのか? 郵便小為替とかそういったものが頭から抜け落ちていた自分は次の冬に会った時に支払いをしよう、ついでに冬で悪くなりにくいだろうしちょっといい菓子でも持っていこうか、なんて思っていた 念のため言っておくが封筒にはその作家の当時のものであろう住所と本名が書かれていたものの、突撃するとか年賀状を送るとか、そんな恐れ多いことはとてもじゃないが出来なかった 以前ワンフェスでガレキ買ったとき部品が一個足りなくてディーラーにメールを送ったが、送られてきた封筒には一つのパーツとディーラー名以外何も書かれてなかった 私ごときに自分の名前も住所も書く必要ないんだよ、今になって思う 次の冬コミ、例によってその作家のサークルへ向かう もはや優先順位はトップクラスになっていた 差し入れの菓子を渡し、その人に同人誌送付のお礼と感想を述べ、料金について尋ねた 昔のものだし別にいい、そんなことを言われた なんだかものすごく申し訳ない気持ちになった 絵も漫画も良ければ人間性もいいのか まさに「神」だった この辺から記憶が曖昧になっている 毎度のようにコミケではその人のサークルに行き、本を買う それだけである その程度の距離感のほうが良かったのではないか、今になって思う その人は別名義でこれまた別のジャンルでも活動していた 当人のPixivかなんかに書いてあった 本のほかにグッズかなんかも頒布するらしい 初めてその人に出会った冬コミの一ヶ月後くらいのオンリーに参加するとのことだった コミケでは「必ず行きます!」みたいなことを言っていた しかし後から見直すとこのグッズ類が結構いい値段している まぁどうせ相手も自分の顔なんか覚えてないだろう、そもそも自分はこのジャンルに触れたての人間なんだからそこまで深いところに行く必要はなかろうよ、なんて思っていた クズである 正直今は後悔している 実際にオンリーに行ったところ、確かにその人は来ていた こっちからその人を伺う形になってなんか申し訳ない気がした 結局その人のところには行かなかった とはいえ向こうだって約束した人が病気かなんかで来られなくなることがあることだってわかるだろう その人が私の姿を見ていない限りは 心にそんなしこりを残したまま、その後のオンリーに赴き、その人の新刊を買う日々が続いた まぁこれがエグい 当時サイトで見た性癖と変わらないものがそこにあって感動した それでも美しいんだこれが スペース前で軽くおしゃべりする程度で茶を飲みに行ったりだとかそんなことはない 自分自身コミュ障を患ってるのでそんなことはしないほうが正解だとは思っていた しかしその沈黙は破られた あるオンリーの日、例によって新刊を買った私は何を思ったのか 「ツイッターのアカウントフォローしていいですか?」 なんて抜かしていた 「いいですよー」 当然ながらフォローするもしないも当人の自由ではあるがなんかその人に対しては遠慮していた 鍵垢だからどんなことが書かれているかわからない、いつも来やがるあの野郎また来やがった畜生め、みたいなこと書かれていたらどうしよう、などと考えていたが、了承するということは相手にすべてのツイートを見せるというわけで、そんなこと書いてたらそもそも「え…ちょっと…」という話になるじゃないですか だから問題はない 帰ってその人に申請する 許可が来た アカウントの中には太陽のように眩しい世界が広がっていた ネガティブなものなど一つもない、生きとし生けるものに愛を注ぐようなツイートが溢れていた なんかもう自分がみじめになってきた この文を書いている今も まぁでもさ、人間、現実世界では悲しくとも、せめて電子の世界では気を確かに持って元気よく行こうよ、なんてことをする人もいるじゃないですか だから気に病む必要なんてなかったんだよ 話を戻すが、さっそく交流を図った ポップでキュートで元気なリプライな送られてきた 自分はなんと返信したらいいのかわからず、当たり障りのないことしか書けなかった なんて自分は愚かしいのだろう、不器用なのだろう、申し訳なくなった 漫画と同じくらいその人のツイートは面白かった 追随して自分もなんかリプライ送ってみようってなった しかし恥ずかしくなってすぐに消すこともあった 別の人へのリプライはさっさと返してるのに自分だけ遅いこともあった この辺は相手が交流が深い人だから距離感もわかってるのだろうが、自分なんて最近話し始めた人間だからどんな感じで返したらいいのかわからないんだろう、少し考えればわかることである だいたい親しき仲にも礼儀ありとはいえ、ツイッターなんてある程度適当な交流でも許されると、今になって私は理解している 当時の自分はそれが出来なかった 相手が相手だからというのもあるだろうが だからサークルにいつも行くだけの人、という立場になっておけば良かったのだ その翌年辺り、あることを思いついた その人が描いた好きだというキャラのイラストを使って何か作って、それをプレゼントしてみよう、と 詳細は伏せるがまぁいい感じに出来たんじゃないかと当時は思った 本人の誕生日から数ヶ月過ぎていたが、オンリーが少なかったり仕事が忙しいのか本人に会う機会がなかなかなかった そしてオンリー当日、その人にプレゼントを渡した ついでにそのうちお茶しましょうとか調子乗ったこと言った 夜、リプライが届いた 来客用に使うと喜んでいたようで嬉しかった また、ツイート上ではその日にもらったプレゼントなんかも紹介していた 私のものはなかったがまぁ私以外と繋がっている人などその人のフォロワーの中にはいないだろうし仕方ないだろう 正直この辺りから不安になってきた この人私のこと嫌ってんじゃないだろうかと 私自身も現実世界でいろいろあり頭がおかしくなってたので余計に不安感が増して妄想が激しくなっていったのかもしれない お茶しようと数カ月かけてようやく決めた日の少し前、その人に会うのが急に怖くなり、私は腰をやったと嘘をついて約束をフイにした 今考えてもまともじゃないよ、こんなこと 気がつけばその人は別ジャンルに移行し、新しくアカウントを作ってそっちでわいわいやっているようだった ファンとして私はその人のアカウントを追いかけるべきだったのかもしれない しかし自分では触れようとも思わないジャンルだし、もしその人が本当に私のことを鬱陶しく思って私が今もフォローし続けているジャンルのアカウントから姿を消したのだとすれば、その人の健康上に良くない 私はそれ以上追いかけることをやめた とはいえPixivは定期的に見て本は買いに行っていた キャラのこととかよくわからないがその人の絵が見られるだけで満足だった しかし本を買いに行ったときのその人の反応はどうもよそよそしく思えた これやっぱ来ないほうが良かったんじゃないか、そう思わざるを得なかった オンリーではなくコミケの、その作家にとっての表ジャンルとでもいうんだろうか、そちらでも引き続き新刊は出し続けていたが、私は遠くからその人の存在を確認し、買い物に行っているときなど、その人がスペースにいないときに本を買うようになっていった とはいえいつも来ているし、売り子と作家が「あの人また来てたよ」「マジかよ…」なんて会話を繰り広げている可能性だってある それでも私はそんな妄想上の反応を振り切って、その人に会いに行くことはあった 本を買って「いつも応援してます! じゃあまた!」それだけである 気がつけばその人がコミケに出る機会は少なくなっていった やはり私が来るからだろうか? でも、表でのツイッターアカウントを覗いてみると、ちょこちょこと様々な仕事をしているようだった 就職したという会社は潰れる前に抜けてフリーになっていたようだった つまるところ仕事が忙しいのか、あるいは病気でもしたのか、ならばコミケに来るのは難しくなる 私はそうやって自分を納得させ続けていた もうリプライでもDMでも「お誕生日おめでとうございます!」というメッセージは送っていない 私のアカウントを目にすることがなくたっていい だがそれでも私はその人の活躍を祈り続けている 表に名前が出ない仕事をしている可能性だってあるし、病気などをしているのかもしれない しかしその人は素晴らしい作家であることは間違いない 15年に渡って自分の心にその人の存在が刻まれ続けているのだ 絵で食べていくという選択をしたのだから、苦労だってあるのだろう ツイッター上で明るく振る舞うのはいわゆる空元気なのかもしれない だが、せめて、祈らせてくれ あなたに幸あらんことを、と
書店(あくまで一般的な大手書店)で好きな漫画の絵が表紙に描かれている「公式アンソロジー」とやらを見かけ
思わず手に取り、同人誌というものの存在を知らされてしまった世代といえば、心当たりのある方もいるかもしれない。
当初は晴海に足を運び、会場が変わってからはビッグサイトに足を運び、ナントカ会館等で開催される小規模なオンリーで
コピー本を携えてサークル参加デビューを果たし、当時は割と楽しく活動していたと記憶している。
その後、活動していたジャンルの衰退、進路云々という人生の選択等も重なり、自身が創作してイベントに参加することが
自然となくなった。友人スペースの手伝い程度。それも楽しかった。
ここまでお読み頂いて「もしやこれは中年の懐古を元にした愚痴なのではないか」と思われた方。
恐らくそうなので、何か違うと思ったら閉じて頂いて構いません。
■とあるジャンルで同人の世界に戻ってきたら面倒なことになっていた
2010年代に入り、個人的には転職をして少々生活が落ち着いた頃、とあるジャンルで創作活動をしてみたくなった。
そこで遭遇したのが下記の面倒事だった。
慣れ合い、擦り寄り慣習
情報発信の手段としてTwitterが主流になりつつあったので自分も登録して同ジャンルの人々をフォローしたのだが、
・創作者同士による「え〜〜◯◯さんの方が上手ですよぉ〜〜」的社交辞令
こういうことを言い合う人たちはだいたい心の中では自分の方が上だと思っている
・壁や誕席に配置される創作者(一部商業作家を含む)へのあからさまな擦り寄り
その時のジャンルには商業BLへの進出を狙う野心家も多かったため、奴らは必死だった
・良配置を得た創作者の「はわわわ〜〜私なんかがこんな配置を〜〜!!何かの間違いです〜〜!!!
当日は私は無視してください〜〜〜!!!」という心にもないムダ謙遜
本当に無視したら今度はすねて「どうせ私なんか…やっぱり実力もないのに…」って構ってネガするくせに
正直な話、あなたのツイートが面白くてフォローしているけれどあなたの創作物が欲しいわけではない、という相手もいる
こういうことを書くとだいたい「じゃあ付き合いをやめればいい」という意見が出るのだが、一度繋がってしまったものは
それこそジャンルごと変えるでもしない限り安易に切りにくい、という事情もある。もちろん私自身の性格起因もある。
そこはどうしても平行線議論になるので、いろいろな意見もあるよね、に留めておきたい。
どちらかが正しいということではないと思うので。
ありがたいことに何年か活動を続けているうちに、個人的な繋がりのないところから私の創作物を気に入ってくれる人が出てきたり
BLであったにも関わらず男性の読者さんがついてくれたりして、それなりのやりがいも感じられていたのだが
あるイベントの終了後、急激に「なんか疲れたな…」という気分に襲われ、フェードアウトする形でそのジャンルでの活動をやめた。
どうでもいい話だが、そのジャンルには大学在学中にデキ婚出産した当時20代前半の専業主婦創作者がおり、
何かにつけて「大学では◯◯を専攻していて〜就活も本当は△△(大手)を目指してて〜〜」などの「私はバカじゃない」主張や
そうかと思えば「あたしおかあさんだから」的ツイートで既婚子持ちマウントを取ろうとしてくるので、非常にうざかった。
彼女には嫌いな創作者がいて、何かにつけてはその相手をディスり「だから◯ちゃんで叩かれるんだよ…」などとツイートしていたが
彼女自身もまた◯ちゃんで叩かれていた。二人とも今頃どうしているだろうか。もう30代のはず。正直どうでもいい。
■別のジャンルで数年ぶりに同人の世界に戻ってきたら気味の悪いことになっていた
さて、それから数年、本当に何の創作にも関わらずにただの漫画アニメオタクをしていた私に、また新たに興味を持てるジャンルが現れた。
久しぶりに「沼に落ちた」という表現が出来るほどのジャンルに出会った私はそのジャンル専用のTwitterアカウントを作り、
同じジャンルが好きな人達と繋がり、たまに自分で描いた絵をツイートに貼り付けては一般人にふさわしい数のRTやいいねを頂いて
楽しくやっていたのだが、ここでもまた面倒なものが目に入るようになってきてしまった。
慣れ合い、擦り寄り慣習
以前いたジャンルよりもさらにひどい(※個人の感想です)ものだった。
私がそのジャンルに落ちた時、既にそのジャンルが盛り上がり始めてから一年以上が経過していた。
その間に何が起きていたかを察するに、
1.元作品の発表当初から二次創作をしていた人が「偉い」という風潮
2.「偉い」人の創作しているCPで新たに創作をしたければそいつに気に入られなければやっていけないという空気
3.そもそもその「偉い」人の創作物を皆が好きで当たり前という空気
1.元作品の発表当初から二次創作をしていた人が「偉い」という風潮
私もジャンルに足を踏み入れた者としてはド新参なのだが、創作者を中心にあちこちの古参に「私など新参ですから」と
謙遜して回らなければいけない雰囲気が蔓延していて、辟易するのに時間はかからなかった。
全体的なジャンルの雰囲気としては「ご新規様歓迎!あなたもこの作品を見てください!」という呼び込みも多いのだが、
創作者に目を向けるととにかく新参が頭を垂れている様を目撃する。
そのジャンルには商業作家はあまりいないのだが、「偉い」人は「先生」などと呼ばれて崇め奉られているのだ。
気味が悪い。
2.「偉い」人の創作しているCPで新たに創作をしたければそいつに気に入られなければやっていけないという空気
ジャンル内で「偉い」とされている創作者の中でも、一番の人気CPで活動している一番「偉い」とされる創作者が存在していた。
一番の人気CPなので、後からハマって創作を始める人の中にもそのCPで活動したい人が多い。
・その「偉い」人をまずフォローし、
・「以前から拝見していました!ファンです!!」という挨拶で忠誠を示し、
という、もはや偉い人の宣伝媒体となることによってそのCPでの活動領域を得るということだった。
気味が悪い。
3.そもそもその「偉い」人の創作物を皆が好きで当たり前という空気
1および2から、「偉い」彼女の創作物は「読みたいから読むもの」というよりも「礼儀として購入し、読んだら褒めちぎるもの」という
気味が悪い。
だが、「偉い」人の創作物は正直あまり好きではない。もっと言うと、その「偉い」人自身が好きではない。
知り合いなの?と聞かれれば、いいえ違いますということになる。
知り合いでもないのに嫌いなの?と聞かれれば、「あなたにもいませんか?知り合いでもないけど好きではないなと思うタレントとか」と
いうことになるが、とにかくその「偉い」人の発言の端々に自分とは合わないものを感じてしまい、受け付けないのだ。
ただ、推しCPが推しCPである以上、どうしてもTLにRTやいいね、さらには空リプまで含めて彼女を崇め奉る空気が蔓延する。
そこで私は彼女のアカウントID、ペンネーム、「先生」という単語まで含めて、彼女の影がTLに現れないように徹底的にミュートした。
それでもイベントが近づけば彼女の新刊に関連すると思しき新たな単語がTLに発現するので、それをミュートする…ということを
繰り返している。もちろんはじめからフォローもしていない。信者からすれば、私は不心得者だろう。
これもどうでもいい話だが、ここまで崇め奉られる◯◯先生とやらはどんな人なんだと思ってググってみたところ、
見事に◯ちゃんで叩かれていた。なんだ、皆が皆崇めているわけではないのだなと思うと同時に、表向きは信者に見えるあの人やあの人も
心の底ではどう思っているか分からないのかもしれないな、と思い、そっとブラウザを閉じた。
そんなこともあり、私は現在身をおいているジャンルではある意味中途半端な創作を続けている。
たまに描いた絵をツイートに貼り付けてみたり、ある程度まとまったらpixivに載せてみたり、それで満足だ。
心優しい人からはイベントに出てほしい、本を読みたいと声をかけて頂けることもあるが、上記の気味の悪い風習がなくなるか、
偉い先生とやらが去るまでは御免被りたい。
先生とやらは自己顕示欲と自己高評価と承認欲求の塊のようなお方とお見受けするので、ジャンルが盛り上がっていて
適当にキャラクターをセックスさせて崇め奉ってもらえるうちは去ることはないだろう。
昨今、同人誌の価格設定や創作活動における人間関係に疲れる等の記事が拡散されているのをよく目にする。
私はそうした疲れを感じたくはないので、今のままでいようと思っている。
※BLに関する話です。
人に読まれることをあんまり前提として書いていないのだけど、吐き出しをさせてほしい。私怨に見えたら私怨なんだろうなと思ってほしい。
支部はいいところだと思う。自分もよく使う。特に自分は二次創作の小説を読むのが好きで、特にカップリングものを読むのが好きだ。
この度、いわゆるBLに分類されるCPを好きになってしまった。元々雑食だったけど、BLのCPを本格的に好きになるのは初めてだったから、半年ぼんやり様子を探りながら、自分の好きな傾向がABであることを知り、けれども色々と探るうちにBAの話も読めることに気付いた。関係性萌えってやつだった。
で、なんですけれど、自分の中ではABとBAは絶対的に違っているんですよ。左右の差はそれだけ大きかった。もう、パスタを食うのにフォークを使うかか箸を使うかかくらい違っている。二人の距離感も価値観も全然違ってくるんですよ、個人的には。ABとBA、どちらも読めるけど、全然雰囲気が違うまた独立したCPだと思っている。
このあいだ読んだ話。ABタグで引っかかった話だったから、ABなんだなって思って読んだ。話の内容は本当の本当に最高だった。世界よありがとうと思った。
けれどもキャプションにこう書いてあった。「そういう描写はないのでAB・BAどちらでも読めます」よく見たら、AB・BAタグどっちも付いていた。
いや違うんだよ、分かってくれ。貴方が両方で読めるとしても、自分は読めない。そういう描写がないから両方で読めるとかそういう話じゃないんだよ……関係性も距離感も違ってくるんだ……お願いわかって欲しい。
なかなか複雑な心境でいたら、件の話を書いた方がもう何作か投稿しているのに気付いた。全てBAタグのみがついていた。
いや……貴方の中でその二人はBAなんじゃん。なんでABタグを付けて投稿したんだ?純粋によく分からない。もやもやする。とか言って、もやもやしているうちに件の方はBAアンソロジーに参加することになっていた。ええ……
どっちでも読めるから〜と言ってAB・BA両タグをつけるのはやめてほしい。貴方のなかでそこの二人はBAなのに……関係性が決まっていないならABA・BABタグをつけたりしてくれればいいのに。もやもやしすぎて、全ての両タグ付きの作品が読めなくなった。
ちなみに両タグを付けている作品は避けるようになってしまったけれども、作者がABタグの作品とBAタグの作品どちらもあげていたりするのは全然読める。その作者のなかでも、ABとBAで距離感から関係性まで違っているんだろうなって思えるから。
※長くなるし、まとまってないし、ただの独り言です
私は雑食でそれもリバ厨だ
なんでもおいしい
絵柄、内容、作風、どれかにヒットすれば、いや、ヒットしなくても好きなジャンルの話なら読んでいた
地雷という言葉がはびこる世界で、地雷を理解しているつもりでいた
どちらの意見も
地雷です!って言う方の気持ちも、地雷地雷うるせぇー!って言う方の気持ちも
私にも好みじゃないものがあった
だけど目に入っても手に取らないそれだけのもの、だった
そう、過去形
とても苦しい
その気持ちわからんわ〜という人は理解する気すらないのだからわかるわけがないし、
例えば身内とか、友人とか真剣に寄り添いたい人への気持ちでも30%もわかってあげられない
自分が同じ立場になった時、あの時全然わかってなかったと絶望すら感じる
同じ立場の人への理解度はそれでも50%あればいいところだと思う(これは地雷以外のことでも)
だから、地雷地雷うるせぇー!自衛しろ!って騒いでる人たちをみるとこの人は地雷を理解してないんだよな…って気持ちになる
地雷ですってぎゃんぎゃん騒いでる人の気持ちも私は理解しきれないのだけど
やっと本題に入ります
そう、私は地雷なしいや、地雷があっても反応しないという立場から地雷あり、反応してしまう立場になってしまった
前のジャンルでA×B好きの人はB×Aを読むけど、B×A好きの人はA×B好きの人を先行ブロックしてるって話を聞いてゲラゲラ笑って大変だなーとか言っていたのに、地雷持ちになってしまった
原作は映画で公開されたばかりということもあり二次創作をしている人が少なかったからその作品の絵を描いてる人をツボにはいれば大抵フォローした
私はA×Bというカップリングにはまった
作品の評価が高まってファンが増えると劇場でのマナーの悪さが目立つようになった
あまりのファンのマナーの悪さに劇場へ行くことをやめた、作品を嫌いになりたくなかったから
そこで出会ったマナーの悪いファンはBとCのカップリングが好きな人ばかりだった(B×Cか、C×Bなのかまではわからない。あまり見ないようにしていたから)
ツイッターでえ?と思うような発言をしてる人もBとCのカップリングが好きな人がおおくて私の中でモヤモヤした気持ちがうまれていった
ここで地雷が発動したのだろう
叩かれるようなことを起こすのは大抵BとC好きの人たちだった
何か起こるたびにまたか…またBとC好きか…そんな気持ちになった
そのジャンルで同人活動をしている商業作家の方がそこに寄稿することになった
その方はB×C好きで、でも絵が好きでフォローしていた
もともと私はアニメよりも少女漫画、BL漫画が大好きでほぼのお金は単行本を買うことに使っていた
商業作家が大好きだったし、同人活動するぐらいすきならきっと素敵なものを描いてくれる!と思うタイプの人間だった
だけど、B×C好きの商業作家が公式の仕事をすると知った時、とてつもない嫌悪感を抱いた
絶対B×C描くやん、抑えてるつもりでも心の奥底で溢れる想いは無意識に出てまうもんやで
そう思った
結果やはりめちゃくちゃB×Cだった
あ〜私めちゃくちゃ地雷発動してる…くそ…自分くそ…BとCが悪いわけちゃうやん…悪いのは頭のおかしいファンやん…
頭ではわかっているわかっているけどどんどん嫌いになっていく
そんな中で続編決定や、雑誌にSSが載ったりなど公式にも動きがあった
グッズ展開も増え、BとCはセットで売られたりすることも多くなった
BとCのカップリングはジャンル最大手ぐらいのカップリングになった
一方私の好きなAとBは自分でいうのも悲しいがドマイナーだった
AとBがドマイナーなのは全くもって意味がわからないが人気キャラ同士のBとCのカップリングが人気なのは仕方ないことだと思う
仕方ないとわかっていながらも、ちっと舌打ちしたい気持ちでいっぱいだった
だけど、待てど暮らせどpixiv投稿数は0のままであまりにも悲しくて初めてSSを人目のつく場所に公開した
そんな日々を送っていると続編の公開が決定した
歓喜した打ち震えた
みろ!これが逆転ホームランというやつじゃかいか!すごい!公式が味方だった!公式が味方強すぎる!!!
実にバラ色の人生!そう!始まるの!と思われていたがそうでもなかった
AとBの組み合わせはめちゃくちゃ貶された
顔カプ、余り物コンビ、なんであの2人?
そんな言葉が飛び交った
いやいやいや、お前ら作品みた?本気で言ってんの?
私はそんな気持ちでいっぱいだったけど、何もできないし、貶す言葉は止まらなかった
作品の中で一言も言葉を交わさないし、目線も合わないキャラのカップリングでさえそこそこの人気で、それこそ顔カプなのに何も言われず
体に触れ、名前を呼び合い、目線もがっつりあってるAとBが顔カプ扱い…?
特にBとC好きの人が貶していた
顔カプ、余り物コンビ
BとCなんて同じ場所にいただけなのに
Cには恋い焦がれてる憧れの存在すらいるのに
そっちのほうが!人気キャラ同士でくっつけたそっちのほうが!顔カプじゃん!!!
悲しくて悲しくて、だけどどうしようもなかった
そっちはそっち、こっちはこっちでほっといてくれればよかったのに
AとBのカップリングを貶す人が目につけばブロックか、ミュートした
BにはCしかいないという発言にすら気持ち悪さを覚えてブロックか、ミュートした
地雷は加速し、B関連のカップリングA以外は全部嫌になって、フォローをどんどん外していったし、ミュートした
地雷があるのでA×Bしか受け入れられないともプロフィールにも書いたし、ツイッターでもつぶやいた
だけど、例えば赤と青のカップリングの名前が赤青だとしたら、かーあおとか伸ばし棒つけて呼び出すのでミュートワードに引っかからなくて意味なかった
なんで伸ばし棒にかえんだよ
そんな中で私ひっそりとSSを書いていた
嬉しかった
ブックマークをしてくれる人のホームに飛んでツイッターを見に行った
…C×B好きだった
同じことを繰り返した
わかったことは私の作品を読む人はBとCが好きな人だということ
絶望した
どうしたらいいのかわからなかった
そして続編が公開された
公式がAとBを大プッシュしていて、公式が大手すがて私の心が復活した
とても心強い
余り物コンビ、顔カプと呼んでいた人たちもこれには認めざる得なかったみたいで、AとBいい!という発言にかわっていった
もちろん貶したり、見なかったことにされたりもあったけど
せやろ
そう言いたくなった
なぜ、なんで、わからん
だけど、BとC好きの方だった
嬉しいけど素直に喜べないし、フォロバもできなかった
私のことをリストに入れてる人もBとC好きの方で気持ち悪くてブロ解した(この気持ち悪いという感情を理解できる人とできない人がいると思う)
何度ブロ解してもリストに入れられる
そのうち諦めたのかフォローされた
A×B好きを増やすためにこういうことしようかな!?と呟くと真似されるBとC好きの方に
心底気持ち悪かった
そんな日々で監督が
「BとCは別に仲がいいってわけじゃなかったけど、ファンの方の意見を取り入れて絡ませました」
顔カプが腐女子の力で原作にまで影響を及ぼすなんて吐き気が止まらない
BとC好きで私のことフォローしてくれてる人は申し訳ないけどみんなブロ解した
鍵もかけた
時は過ぎていき、イベントでたまたまB×C好きの人と仲良くなった
その人がいい人だったのでB×Cに対する嫌悪感は薄れていった
地雷MAXの時はBとCの応援カラーが並んでるだけでも吐き気をもよおしていたのに
今も地雷は続いているし、グッズ展開の媚び媚び商法を見るたびにおぇ〜って気持ちになる
だけど、だいぶまっしだ
そんな今になってこのブログを書いたのか
私は前のようにブックマークしてくれた人のツイッターを見に行った
ブロックしていた、私が
フォローしてないのに鍵開けたらすぐいいねくれるから怖かったし、BとC好きだからブロックした
覚えてる
申し訳なかった
その人は私の作品を評価してくれているのに、私はブロックしているのだ
私が地雷もちなばかりに、もしかしたら、私の知らないところで誰かを傷つけているかもしれない
何も感じてなければいいけど、もやもやさせているかもしれないし、私がファンのせいでBとC地雷持ちになったように私のせいでA×Bを嫌いにさせてしまうかもしれないと思うと怖い
私がされた立場ならこの人地雷もちだからか〜となんとも思わないかもしれないけど、感じ方は人それぞれなわけで
他ジャンルで相互フォローになった人が急にB×Cの話をめちゃくちゃするようになってリツイートやら、絵も描くようになったのでそっとフォロー外したらめちゃくちゃ貶された経験もあるのでなんとも言えない
あ〜私が傷つくのはまだいいけどA×Bを嫌いになられるのはやだなぁ
某アイドルユニットの中でもっとも人気のなかったCPが紆余曲折をへて王道CPになって今はそのCPしか考えられないってなってるどんでん返しが現実で起きたみたいにA×Bも王道CPになるって私は信じてるんだよ!!!
いや、私が傷つくのも傷つけるのも嫌だけどさ…はぁ…まとまらないし、答えが見つからない
こんな気持ちになるなら二次創作やめた方がいいのかなーとも思う
かくことは好きだからやめないけど、このジャンルをさったり、公開をやめた方がいいのではと思う
でも私がかくことをやめたら悲しむ人がいることも知ってる
どうやったら地雷ってなくなるのかな
地雷CP好きな人に自分の作品読まれてるってみんなどんな気持ちでどう受け止めてるの?
逆に自分の好きなCPのこと地雷って言ってる人の作品をどんな気持ちで読んでんの?
私が地雷なしの時は自分の好きなCPのこと地雷って言われてもその人の各作品が好きだったら何にも思わず作品読んでたけど、雑食だったから強いこだわりがなかっただけなんだよな
今ならA×B地雷の人がかいた他のCPなんて絶対読めないしブロックしまくるよ
あ〜ここまで書いたけど答えが見つからない
AとBが原作で付き合えばいいのに
同人活動やめようかな、という迷いの話
タイトルも含めて、とりとめなく自分の同人活動を振り返ったり脱線したりするだけの話です。
ありきたりな前置きですが本当にまっとうな思考の人間による文章ではありません。
小中学生の頃は、好きな作品に触発されながら、毎日のようにノートやコピー用紙に絵を描いていた。多いときは週に10作品以上ビデオ録画をしてアニメを観て、絵を描いていた。
当時SNSがあったのか知らないけれど(それこそ2chしか記憶がないし、2chはSNSではない)、とにかく今のようにSNSが当たり前の時代ではなく、また家族にも友人にも、誰にも披露するわけでもないのにアニメの感想やゲームレポをイラスト付きでたくさんかいていた。多少、「アニメディア」や「ファンロード」の影響があった。
はじめて二次創作の本らしきものを作ったのは中学2年の頃だった。鉛筆で描いた漫画をコピー用紙に印刷して、ホチキスで留めただけのもので、しかも複製せず一冊しか作らなかった。
次に本を作ったのは高校1年の頃で、友人3人と合同誌を作った。その時はペン入れしたりトーンも使ったりしてアナログ原稿を作った。オンデマンド印刷本だった。はじめてイベントに出て本やラミカを頒布した。
ほぼ同時に、その頃から徐々に界隈に広がりはじめたデジタル原稿にも挑戦して、これもオンデマンド印刷ではじめての個人誌を作った。
どちらも、自分の漫画はネタも作画も本当に拙くて酷かったのを覚えている。
漫画を描くのは普通にイラストを描くよりも、何倍も難しかった。
それからしばらく受験や何やらで忙しくなって、本は出さなかった。暇を作ってはイラストを描いたり、鉛筆描きの短い漫画くらいは描いていた。
高校を卒業したあたりからpixiv、Twitterを始めて、二次創作の世界を広がりを感じた。自分はpixivにらくがき程度のものを少量しかアップせず、ほとんど見る専と言ってもよかった。
大学生になり、大きなジャンルにハマって、描く量が一気に増えた。人生で最大級に大きなハマりっぷりで、グッズにも相当お金を使ったし、それまであまり買っていなかった同人誌もたくさん買うようになった。大学生で時間もあったのか、熱に浮かされたようにずっとそのジャンルのことを考えていたし、ずっと絵を描いていた。Twitterの二次創作アカウントも作り、大学2年か3年のあたりだったか、ついにそのジャンルで本を出し始め、イベントにも出はじめた。
大学院に入ってからは、1年目はびっくりするほどイベントに出ていた。2~3ヵ月に一度はイベントに出ていた。これは自分にとっては驚くべき頻度だった。ジャンルがとても盛り上がっていたこと、また院生の研究生活がわりと孤独だったことも大きな要因だったと思う。いろいろなご縁をいただいて、アンソロジーに寄稿させていただくことも何度かあった。
この頃——というよりずっと昔からだったが、自分は本当に締切が守れない人間だった。個人誌についてはそれが顕著で、新刊を落とすか、割増入稿をするか、常に二択だった。
ただ本当にだらしないせいだと思うけれど、病気か?と本気で疑いたくなるくらい、ギリギリになるまで原稿に手をつけなかった。心を改めるどころか、年々それは酷くなっていった。
さすがに研究論文の執筆が佳境を迎えたころは同人活動を控え、修了までの1年間は本を出さなかった。イラストはたくさん描いていたけれど。
社会人になってから、以前よりずっと絵を描く時間が減った。社会人になってからの同人活動は大変だと聞いてはいたものの、身にしみてそれを感じた。社会人1,2年目は本は出せないだろうな、と学生を終える前にも思っていたけれど、いざその状況になってみると、それでも本を出したい、という思いが湧いてきた。同人活動をしばらく抑えていた反動だった。
久々に本を出した。……酷かった。
全然時間が足りず、というよりは原稿計画がしっかりしておらず、後半の作画は目も当てられなかった。ストーリーも読み返すと良くなかった。
かなり、後悔した。
それでも買ってくれる人や、感想を送ってくれる人がいて、とても励みになったし、次は頑張ろうと思った。
わりと昔から自分の作品を貶したくなる癖があった。癖というか、実際本当に、自分は話作りが下手だったし、それを補うほどの努力もできていなかった。
それでも、見てくれる人、買ってくれる人がいる中で自分の作品を貶すのは失礼だと思って、なんとかこらえてきた。
また新しい本を出した。
……前よりもっと、酷かった。
あんなに前回後悔したのに、まるで活かされていない。反省できていない。明らかに時間をかけられなかった。努力できなかった。
イベントから日が経つほど心は冷え冷えとしてきて、多少通販もしたが、これ以上世に出すのが耐えられない、と感じて、早々に打ち切った。
最低限、きちんとした本——手抜きせず、自分が納得できるもの——を出すことができなくて、自分の所業ながらただただショックだった。
「何がなんでも出さなきゃ」、という思いだけがあまりに強かった。
納得できないならどうして無理矢理出してしまったのか。落とす、という選択肢はなかったのか。いつもすべて過ぎてから、後悔が襲ってくる。
今はかなりマイナーなCPを描いていて、こんな自堕落ぶりで同じ界隈の人にも申し訳なくなったし、自意識過剰かもしれないけれど、CPのイメージが悪くなるのではないかとまで思っている。それでもまだ、好きだから描きたいという思いはある。
しばらく、休んだほうがいいんじゃないかと自分でも思う。実質最近は大きな仕事を任されていて、同人活動は休止状態に近い。
でも今までの休止期間以上に極端に絵を描かなくなっていて、それが少し怖い。
もしこのまま、絵が描けなくなってしまったらと思うと、漠然とした不安が頭を埋める。
絵を描くこと、同人活動をすることは、自分の人生においていつの間にかとても大事なことになっていた。10年くらい前は、なんとなくいつかは絵を描くこと、同人活動をやめる日が来るんじゃないかなと思っていた。「こういう職に就いてこういうことをしたい、それに打ち込みたい」と、自分の創作とは関係しない夢を当時は持っていて、同人活動の時間が自然に淘汰されるのだろうという予感があった。けれど今になって、これからもしばらく同人活動を続けていきたいと思ったし、その終わりが見えてしまうのが怖くなった。
同人活動は趣味に過ぎないと思う。つらいなら、できないなら、やめてしまえばいいと思う。
休止じゃなくて、……本当にもうやめてしまおうか?
そう思う時もある。でもそれがやっぱり怖い。
自分の不甲斐なさで好きだったことがつらくなって、自滅以外のなにものでもなくて、本当に馬鹿だなあと思う。
いい年になりつつあるが、浮いた話もとくにない。結婚というのも、同人活動をやめるきっかけとしてよくあることなのだろうか。知り合いでは結婚しても同人活動してる人がたくさんいるけれど。
仕事をして、日々が、月が、年が過ぎていく。仕事は嫌いではなく、むしろ好きだ。でも絵を描かない日々は、少しずつ自分の心を色褪せさせている気がする。
これからどうするかは、まだ決められていない。
「同人活動続けようよ、あなたの作品は素敵だよ」と言ってくれる人よりも、「あなたの作品はこういうところがダメ。活動姿勢もダメ。改められないなら、つらいならやめてしまえば?」と言いきってくれる人がほしい。
でもそれも独りよがりで、続けるきっかけ、またはやめるきっかけが他人からほしいだけなのだと自分で思う。方向はどうあれ、背中を押すか蹴るかしてほしいだけなんだと思う。
よしなしごとは、以上です。
弱気なこと、不安なことを言える機会がなかったので、ついここにしたためてしまいました。
読んでくださりありがとうございます。
これは、典型的な「自分でやっていない、なにやら盛り上がっている作品を、気に食わないと上から目線で批判する文章」だ。
本文は『月姫』と『Fate/stay night』のネタバレを含む可能性がある。特に『Fate/stay night』原作を未プレイで、劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel]』の続きを楽しみにしている人は、ネタバレを含むため読まないでほしい。
私が奈須きのこの作品と出会ったのは2003年。月姫、月姫PLUS+DISC、歌月十夜の3作が収められた『月箱』であった。いわゆる型月ファンとしてそれほど古参というわけではない(型月における古参とは、竹箒に連載されていた時代の『空の境界』読者――とまでは言わないものの、最低でも2001年には『月姫』に触れたレベルを指すものだろう)。当時『ONE』『Kanon』『AIR』に心酔する所謂「鍵っ子」であった私は、もちろん月姫の噂は聞いていたものの、手を出すきっかけを掴みかねていた。月箱が頒布されたのは、そんなときである。歌月十夜まで一揃えで化粧箱に収められたそのパッケージは、初めてのTYPE-MOONとしては最適であった。同時期、彼らが商業へと移行し、次回作「Fate」は商業ゲームとしてリリースすることを発表したことも背中を押した。群雄割拠のエロゲ界についに鳴り物入りで乗り込んでくる新進気鋭の代表作を、体験しておかねばならぬと考えたのだ。
『月姫』は衝撃であった。連綿と積み重ねられてきたビジュアルノベルや恋愛アドベンチャーゲームの文法に沿っていそうに見えながら、しかし決定的に異なる「それ」は、私に新しい刺激を与えてくれた。私はシエル先輩が好きになった。この文章を打っている2018年に至ってなお、人生のオールタイムベストはシエル先輩だと胸を張って言える。もちろんそれだけではない。ファーストインパクトとなったアルクェイドが醸し出す寂しさを、そして、ひまわり畑で微笑む琥珀さんの愛おしさを、今なお昨日のことのように思い出せる。
月姫の魅力のひとつに、不思議なノスタルジーがあると思っている。あの文章とグラフィックと音楽には、懐かしいナニカを思い出させるものがある。去り行く少年時代を描いた作品だからだろうか。遠野邸の遠い記憶がそうさせるのかもしれない。
PLUS+DISC、歌月十夜まで一気にプレイした私は、そのまま『MELTY BLOOD』も楽しんだ。シエル先輩を動かせるのが楽しかった。弓塚さつきの話が出ると抜き身のナイフのようになる志貴を思うと切なくなった。琥珀さんが楽しそうで涙が出た。G秋葉でゲラゲラ笑った。
したらばのTYPE-MOON板にも入り浸った。それまで葉鍵板が主戦場であった自分が。当時、すでに「月厨」は鬱陶しい存在として認知されていた。私は努めて無関係な場ではTYPE-MOONの話をしないようにし、型月板でその分、目一杯、楽しんだ。たくさんのアンソロジーコミックにも手を出した。武梨えり、佐々木少年、磨伸映一郎……(そういえば特に好きだったこのお三方はみな現在も商業作家として活躍中であり、同時に、シエル先輩ファンであった。当時、武内崇は「シエル先輩が好きな作家さんは漫画力が高い人が多い」というような趣旨の発言をしていた記憶がある)。
だが。不思議なもので、このとき私は『空の境界』にはハマらなかった。もちろん原作は読んだのだが。当時、マルチシナリオ形式のビジュアルノベルに未来を見ていたためか。あるいは、純粋に趣味に合わなかっただけなのか。後年、空の境界はアニメ映画化され大ヒットを飛ばすことになる。
2004年、ついにTYPE-MOONの商業作品第一弾『Fate/stan night』がリリースされる。もちろん発売日に予約して買った。事前の雑誌での情報を見ていて、藤ねえがお気に入りだった(まさかあんなことになるなんて)。ライダーさんはビジュアルだけ見て絶対にアサシンだと思っていた。体験版の段階でクオリティが大幅に上がっていることは明らかだった。心が躍った。世界が変わる瞬間が、目の前にあった。
魔術師と英雄が跋扈する本作を終えて、私は思った。私は優秀な魔術師でも高潔な英雄でもなく、なんでもない、取るに足らない、醜い人間が好きなんだと。だから私は、間桐桜と衛宮士郎の物語が好きになった。
桜は魔術師ではあるが、本作においては魔術師としてよりも、もっと違う存在として描かれる。衛宮士郎もまた、魔術師ではなく魔術使いとして描かれる。そしてラストシナリオである桜ルートでは、桜は家族の呪縛から解き放たれて人間として生き始め、士郎は正義の味方に憧れたロボットからひとりの人間に生まれ変わる。魔術師と英雄が闘い続けた果てにたどり着いたのが、ふたりの人間の、人間としての歩みであったことは、とても感動的で、同時にこれが、奈須きのこが幻の弓塚さつきルートで実現しようとした未来なのではないかと想像した。
そして絶望する。ご存じの通り、桜ルートは批判された。当時の型月板は荒れた。セイバールートと凛ルートが絶賛されるとともに、桜ルートは徹底的に批判されたのだ。
イリヤスフィールの物語とオーバーラップして主題が分かりづらいという主張には一理ある(一説にはイリヤルートを作るリソースが間に合わず、桜ルートに混ぜた、と言われている)。描写不足であるという批判も、ある意味では仕方ないだろう。だがそれ以上に、ファンたちは、「多くの人間を殺しながら幸せなエンドを迎える桜」と、「正義の味方であることを諦めてセイバーを犠牲にした士郎」を批難した(正確には、彼ら2人に対してというより、そのようにある物語を避難した)。私は憤慨した。衛宮士郎の、何を見てきたというのだ。
正直に言うならば、私はセイバールートや凛ルートの衛宮士郎が嫌いだ。凛ルートの遠坂凛も苦手である。はっきりと言ってしまえば、物語として楽しみながら、登場人物たちに対しては苦々しい思いを抱き続けてプレイした。そんな彼らが、桜ルートで丸ごと好きになった。桜ルートでは、みな、人間として生きている。それが愛おしかった。
同時に、TYPE-MOON作品のふたつの側面のうち、ファンに望まれる側と、望まれない側が見えた気がした。考え過ぎかもしれないけれど、私がより好む側は、望まれていないように見えた。
これ以降、私はTYPE-MOON作品と少しずつ距離を置くようになっていく。厳密に言えば『Fate/hollow ataraxia』は心から楽しんだ(アンリマユとカレン・オルテンシアの物語はとても好みだ)。だが、『DDD』は未読、『Fate/Zero』は同人誌として頒布された際に1巻だけ読んで断念、『Fate/unlimited codes』『Fate/EXTRA』には手を出さず、期待した『魔法使いの夜』はプレイしたものの、それほど心惹かれなかった。この間、各種メディア展開で楽しんだものは、佐々木少年による漫画版『真月譚 月姫』のみであった。パスタ先輩のことは一生許さないよ。
時は流れ、2014年7月27日。もうTYPE-MOONに何の期待もしなくなった私は、それでも「Fate Project 最新情報発表会」をニコ生の中継で見ていた。そこでUBWのテレビアニメ化や『Fate/strange fake』の正式出版化に並んで、ひとつの新作が発表された。『Fate/Grand Order』。通称FGO。ついにソーシャルゲームをやるのか、と私は冷めた目で眺めていた。むしろ発表会本編終了後のサプライズ、Heaven's Feel の劇場版制作決定の発表の方が魂が震えた(今でもあの瞬間の、観客席からの絶叫と、涙を流しながら挨拶をする下屋則子さんの姿をよく覚えている)。
私はソーシャルゲームをほとんどやらなかった。手を出してみたことはあるが、純粋に楽しみ方が分からなかった。というよりそれ以前に、私はいわゆるオンラインゲーム全般が合わなかった。だからFGOが楽しめるかどうか不安だった。2015年、サービス開始に合わせてダウンロードし、序盤をプレイした。だめだった。まったく合わなかった。どう頑張っても楽しむことができなかった。私はFGOをアンインストールし、Twitterのタイムラインに流れてくるFGOプレイヤーたちの悲喜こもごもを眺めるだけになった。年を重ねてしまった、と感じた。
やがて、現実の人間関係の中でも、FGOの話題が上がることが増えてきた。2016年末のイベントの様子はTwitterでも見ていたが、彼らはとても熱っぽくFGOがいかに面白く、衝撃的で、とてつもないかを語った。私は羨ましかった。もうTYPE-MOON作品でこんなにも熱く語れることはないだろう。そう思った。
私はFGO本編をプレイしていない。いろいろと明かされたアレやソレを、なんとなく知識で知っているだけだ。そうした立場で評価するのは御法度であろう。それでも私はFGOが気に食わない。これは負け惜しみだろうか。それともただの老害でしかないのだろうか。私が好きだった奈須きのことTYPE-MOONの描く取るに足らない人間たちの物語は、もしかするとFGO本編でも繰り広げられているのかもしれない(琥珀さんルートや桜ルートが好きで、かつFGOのシナリオがそれと同様に面白い、という人がいたら、ぜひ魅力を語ってほしい。皮肉ではなく、ぜひ知りたい)。だけれども、数多くの英雄がスマートフォン上で戦い続け、それをプレイするファンたちが嬉々としてお気に入りの英雄が引けたことをTwitter上に報告する様子を、どこか冷めた気持ちで眺めてしまう自分に気付く。私がTYPE-MOONに求めていたものは、これだったのだろうか? 幾度となく繰り返されてきた、単に自分が望むような創作から外れていってしまった存在を寂しく思うという、これはきっとただそれだけのことなのだ。つまり、八つ当たりと取ってもらって構わない。
劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel] I.presage flower』は、公開初日に映画館に観にいった。素晴らしかった。須藤友徳監督の、間桐桜と桜ルートに対する圧倒的な「理解」に目眩がした。アバンで桜と士郎の「それまでの日々」をたっぷり描いた時点で、完全に勝利だった。FGOで得た利益でこんなにも素晴らしい映像作品が作れるのなら、FGOに感謝すべきであろう、などと思った。第二章も楽しみだ。
聞くところによると、FGOの世界には死徒二十七祖(という概念)は存在しないそうだ。私が好きだった奈須きのこワールドとは違う世界がそこにあるのだな、と改めて思った。繰り返すが、これはただの八つ当たりだ。
2017年末も、FGOは盛り上がっていた。きっと酸っぱいに違いないと、私は新年からこのような文章を打っている。2008年4月、月姫リメイク制作決定が発表された。今年、ついに発表から10年が経過する。優先順位があることくらい私だって理解できる。だからもう「月姫リメイクはよ」とは言わない。そのようなファンに耳を貸す必要だってない。FGOを楽しむ人々に向けて頑張っているスタッフの皆さんに、おつかれさまです、と声をかけたい(年始メンテおつかれさまです)。FGOという作品を批判する気もない。そもそも批判できるだけの素地すらない。何しろ、プレイしていないのだから。本当に申し訳ない。
結局のところ、私はTYPE-MOONが、奈須きのこの世界が好きだったのではなく、ただ『月姫』という作品が好きだっただけなのだろう。あるいは、月姫が生まれた、あのころが。
公式が黙認している間は、閉鎖的なコミュニティに留まるしかなかったが、
運よく公式がその活動を公認してくれた結果として、同人アンソロジーが日の目を見ることになったのは喜ばしいこと。
…と思いますけどね。
原理原則から行くと、普通の同人誌がとらのあなやめろんで売られている現状のほうが問題かなって思います。
良く買いますけど。。