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はてなキーワード: 文芸作品とは

2019-10-24

anond:20191024202704

コミケ最高峰はいろいろ売れるごった煮だけど

地元クリエイティブマーケットでIC工作手芸

地元同人誌即売会漫画作品

あとフィギュアづくりができそうならワンフェス

文芸作品なら文フリなど文芸同人誌専門など

いろんなジャンルがある

自分に合った山を探して登れ

なんでもいいからやりたいだけなら母校文化祭にでもOB参加してろ

2019-09-04

柳美里さんと週刊ポスト韓国なんて要らない」と表現の自由

表現の自由で人を傷つけてきた柳美里さんが、「表現の自由といえばどんな表現も許される」ことが間違いだと気づいてくれました。週刊ポストの見出しへの抗議です。

週刊ポスト』の「10人に一人は要治療 怒りを抑制できない 韓国人という病理」という見出しは、人種差別憎悪を煽るヘイトスピーチです。

柳美里さんは、時間は掛かっても人は変われることを示してくれました。

柳美里さんの一作目の小説 石に泳ぐ魚にかかわる訴訟の経緯

実在女性モデルとして、国籍出身大学、専攻、家族の経歴や職業をそのまま描写し、顔の腫瘍を陰惨な表現描写した小説石に泳ぐ魚をその女性に無断で雑誌に発表した。 その女性出版差し止めの願いを聞いていたのに、それを無視して単行本化した出版差し止め裁判で、柳美里さん側の敗訴が最高裁判所で確定するが、確定後、柳美里さんと新潮社は、単行本出版を強行した。そんな柳美里さんと新潮社の主張。

「石に泳ぐ魚」裁判経過報告

Aさん側の「『朴里花』の存在作品から完全に削除せよ」という要求は、作品根底から崩壊させるものであり、表現の自由からしても、了解することはできない。なぜなら、「石に泳ぐ魚」は、あくまでも文学作品であり、著者・柳美里氏が、現実存在する人物、状況等に想を得たとしても、作品自体は、柳美里氏の文学的感性によって抽象化されているかである
(略)
この小説文芸作品であり、一般読者が実在人物作品登場人物を同一視しながら読むことはない。この小説現実から想を得たにせよ、実在人物の行動や性格デフォルメされ、現実事実意味価値をことにするものとして表現されている小説主題は「困難に満ちた〈生〉をいかに生き抜くか」という人間にとって普遍的かつ重要ものであり、被告側が「朴里花」に贈った生の賛歌である表現の自由は、憲法の定める基本的人権の中で優越的地位を占める

プライバシーを暴いたうえで陰惨な表現をした相手に、止めてといわれても、それは生の賛歌だと言い訳する姿は、愛と勘違いして暴力をふるうDVと取られかねません。

週刊ポスト石に泳ぐ魚類似点

表現の自由からしても、了解することはできない。表現の自由は、憲法の定める基本的人権の中で優越的地位を占める。

週刊ポストには報道の自由がある。内容は、韓国精神健康医学会調査をもとにした、中央日報の記事に沿っていて、本当のことである

石に泳ぐ魚」は、あくまでも文学作品であり、著者・柳美里氏が、現実存在する人物、状況等に想を得たとしても、作品自体は、柳美里氏の文学的感性によって抽象化されている。この小説文芸作品であり、一般読者が実在人物作品登場人物を同一視しながら読むことはない。

週刊ポスト記事あくまでも事実をもとにした報道医学統計を基にしており、個別韓国人の疾患と同一視することはない。

柳美里さんによる統計の初歩的間違い

柳美里さんは、「10人に一人は要治療、(略)家族親族10人います10人のうち一人は、治療必要?」と尋ねていますが、初歩的な間違いが2つあります

1つは統計に対して一例で否定していることです。統計の初歩すら理解できていません。

もう一つは、確率1%のガチャを100回引けば当たるはずなのに、と同じ間違いです。

10人いるときに要治療になる人がいない確率は、それぞれが独立な時、(1-0.1)^10 = 0.3486... 約34% あります週刊ポスト記事が正しいときに、柳美里さんの家族親族場合が起きるのは、ままあります。(もし遺伝性疾患であれば、要治療の人は特定家系に偏るので、国内統計結果に対して、親族に要治療者がいない確率は、もっと高くなるでしょう。)

間違った理由非難することは、相手を不当に貶めるものなので、普通は慎みます常識のある人なら、すぐに訂正し、相手謝罪するでしょう。

柳美里さんのAさんへの謝罪は?

自由の名の下の表現であっても人を深く傷つける表現をしてはならない、と柳美里さんが気づいたことは、四半世紀と時間はかかりましたが、非常に素晴らしいことです。

人を傷つける表現という点で、週刊ポスト石に泳ぐ魚は同じです。週刊ポストはこの件について、すぐ配慮が欠けていたと謝罪しましたが、柳美里さんは、最高裁判決確定後ですら、表現の自由を盾にしてAさんを傷つけ続けました。柳美里さんが最低限の常識を持つ人ならば、新潮社とともに自らの過去反省し、彼女への深い謝罪を今後公にされるでしょう。

2019-08-06

会場の警備、海外観光客の誘致、交通整備など様々なところで税金が使われてるかと思いますが。なんなら同人誌自体申請すれば助成金もらえるわけですし

https://b.hatena.ne.jp/entry/4672598644092735426/comment/nunnnunn

会場の警備

自腹だそうだが

https://togetter.com/li/1139197

海外観光客の誘致

国が金出してコミケ外人呼んでんの?初耳なんだけど

仮に呼んでたとして別に呼ばなくても成り立つからコミケ側としてはどうでも良いと思うんだが

なんなら同人誌自体申請すれば助成金もらえるわけですし

はい尻尾出した

どうせこれのこと言ってんだろ?

https://www.google.com/amp/s/nlab.itmedia.co.jp/nl/amp/1804/04/news096.html (同人誌印刷製本費を助成!? 名古屋市制度、どんな同人誌対象なのか市役所に聞いてみた)

で、指摘されて慌ててググってタイトルしか読んでないんだろ?

担当者によると、助成対象となる出版物は「文芸作品」または「名古屋郷土研究」を内容とするもの文芸作品とは小説評論、詩、短歌俳句川柳などです。漫画同人誌助成対象になるのか聞いたところ、ここ3年間には前例がなく明確な回答はできないとのことでした。

これ読んでたら「なんなら同人誌自体申請すれば助成金もらえるわけですし」なんて言葉出てこないよな?

2019-07-11

三体の論評

話題につられて珍しく三体というSFを読んでみたが作品を名乗るのもおこがましい愚書悪書だったので騙されて買わされた鬱憤を晴らすべくいかに愚劣にして悪辣か書き並べる。購入を検討している人に端的に警告するとハリウッド映画によくある知的弱者を喜ばせるための頭の悪い定型表現が嫌いな人は拒絶反応が出るだろう。また実際の人類理論及び種族的進歩を顧みず作者の浅薄無知蒙昧な妄想から逆に進歩をを後退させており極めて愚劣にして悪辣である買ってはいけない。以下解説

2019-05-10

本が読めなくなった自分が再び本を読めるようになった話

 本が読めない。

 読書家が人生において遅かれ早かれ直面するところの事件である

 本が読めない。


 特に文学小説が読めなくなった。


 当方二十代後半の男であるが、今より遡ること十八年ほど前にラノベブギーポップは笑わない)と出会い、それ以降文芸における視野国内外純文学文芸作品へと広げ、様々なジャンルにおける読書体験を営みながら、これまでの人生を生きてきたのである

 そして、その読書体験の勢いと呼ぶべきものを二十代の前半辺りにまで持続させ、さてこれから人生においても長い付き合いになりそうだなあ、などと呑気に構えていた時分、不意にその能力消失したのであった。


 読書能力消失

 何故なのかは分からないけれど、突然本が読めなくなったのだ。

 書物との別れ。


 何故なのだろう?

 当方通勤に一時間以上を費やす難儀な民であるため、通勤時間中は心を半ば無にし、脳の活動を極低状態にまで抑え、死んだ目で通勤していたのが仇になったのだろうか。
(皆さん、覚えておいてほしいのだけれど、通勤時間20分を上回るようになると脳の鬱傾向が加速するというエヴィデンスがあるそうなので、通勤時間はできるだけ短縮するようにしましょう)

 でも、俺に関して言えば未だに通勤時間は二十代の前半から変わっていない。むしろ職場の変更から伸びたくらいであって、つまりその移動距離は未だに脳に対して厄介な負担を掛け続けているということになる。


 まあそら本も読めなくなるわな。

 考えてみれば当たり前の帰結である


 とにかく去年の夏に至るまでの数年間、俺は本を読むことができなかった。


 読みたい本はたくさんあった。それこそ山のようにあった。かつて、若き日の盛りに大阪へと日帰りの小旅行に行った思い出があるのだけれど、それは梅田存在する某超大型一般書店に立ち寄るためだけに計画された小旅行なのであった。そんなこんなで、俺はその超大型書店へと赴き、そこで購入できる限りの本をわんさと買った後で、地元へと帰還したわけである。無論、それらの本の内の殆ど積ん読ルートを辿り、今も尚本棚一角を占めその存在感を俺にアピールし続けている。

 まるでそれは十字架だった。

 俺の、購入した時点で尽き果ててしまった、知識に対する独占欲好奇心に対して釘を打ち付けるかのような、それは罪悪感を俺に植え付けるための十字架だった。

 何故なのだろう。

 何故我々は本が読めなくなってしまうのだろう?


 ここに至る理由には色々あると思うのだけれど、第一に思い浮かぶ理由といえば加齢である


 残酷な、そして受け入れがたい真実――加齢は脳を萎縮させる。

 人間の脳は部位によっては三十代を超えてもなお成長し続けると一般に言われているが、しかし厳然として人間の肉体は二十代の半ばを境に衰え続けるのも事実である。というか、どちらかと言えば成長よりも衰退の方を意識せざるを得ないのが殆どではなかろうか、と思う。我々は衰退している。というか、我々の脳は衰退しているのである。衰退しました。
 ――つまりは、我々は一度読書能力を失ってしまうと、よっぽどの克己心を持たない限り――あるいは、そのような驚異的克己心を持たない限り――そのような超人的克己心に基づく人格改造なり人体改造を経ない限り――再び読書能力を取り戻すことは、難しいということなである

 残酷な、そして、受け入れがたい真実

 俺もそうであった。

 読書能力との別れは辛いものである

 それは、まるで一人の気のおけない友人との別れにも似ている。


 結論から言うと、俺は再び読書ができるようになった。


 ぶっちゃけると何でなのかは分からない。でも、確かにできるようになった。

 復活した。アーメン



イースターの季節ですね)

p.s.このテキストを書いたのは4/22です)


 去年の夏頃からその能力は突如として再生した。昨年から現在に至るまでの読書量は、読書能力が失われていた時代を遥かに超えている。ここのところお硬い文学小説にばかり目を通しているのだけれども、ここ一年間くらいで読んだページ数は5000頁を優に超えた。これまでの読書量を遥かに凌駕するレベルである(待っててくれプルースト

 正直なところ、何かを意識して自己改革したという記憶殆どない。強いて言うならば、当時スマートフォン通信制限喫緊重要課題と成り果てていたため、そのデータ通信量を節約するという実情に迫られて、通勤手段である電車に乗り込んでから本を読むようになったのがその理由と言えるかもしれない。


 行きに十ページ、帰りに十ページ。

 それを毎日

 仮に、一ヶ月の間に通勤期間が二十三存在するとすれば、行きに十ページ帰りに十ページを繰り返すのであれば、一ヶ月で我々の読書量は460ページに到達するということになる。

 猿でも分かる(猿には分からない)計算である


 とは言え、まずはそういうレベルから始めるのが得策であろうと思われる。人間は恐らく一日の間に二十ページ以上の本を読むことはできないのだ――特に文学小説のような対象相手取るのであれば、僕らの克己心は我々の想像する以上に貧弱なのである

 さて。


 これは正確に言うとライフハックではない。

 電車の行き帰りで、それぞれ十頁ほどの時間読書に費やすようになった男が存在している、というだけの話である

 そう、キーワード電車だ。脳ミソと通信量のダブルダメージを避けようと、不意に読書人生途上で――つまりはレールの上で――再開しただけの、それだけの話なのである


 参考になったであろうか?

 恐らくは、なるまいと思う。

 とは言え、かつて存在しその後に失われてしまったところの能力が、突如として復活するということは有り得るのだと――俺はただただその事だけを――伝えたかったのだ。今日を生き始めたものけが、かつての息吹に再び胸をなでおろすことができるようになるのである

 皆さん、本を読みましょう。

 魂を取り戻すために。

2019-04-23

本が読めなくなった自分が再び本を読めるようになった話

 本が読めない。

 読書家が人生において遅かれ早かれ直面するところの事件である

 本が読めない。


 特に文学小説が読めなくなった。


 当方二十代後半の男であるが、今より遡ること十八年ほど前にラノベブギーポップは笑わない)と出会い、それ以降文芸における視野国内外純文学文芸作品へと広げ、様々なジャンルにおける読書体験を営みながら、これまでの人生を生きてきたのである

 そして、その読書体験の勢いと呼ぶべきものを二十代の前半辺りにまで持続させ、さてこれから人生においても長い付き合いになりそうだなあ、などと呑気に構えていた時分、不意にその能力消失したのであった。


 読書能力消失

 何故なのかは分からないけれど、突然本が読めなくなったのだ。

 書物との別れ。


 何故なのだろう?

 当方通勤に一時間以上を費やす難儀な民であるため、通勤時間中は心を半ば無にし、脳の活動を極低状態にまで抑え、死んだ目で通勤していたのが仇になったのだろうか。
(皆さん、覚えておいてほしいのだけれど、通勤時間20分を上回るようになると脳の鬱傾向が加速するというエヴィデンスがあるそうなので、通勤時間はできるだけ短縮するようにしましょう)

 でも、俺に関して言えば未だに通勤時間は二十代の前半から変わっていない。むしろ職場の変更から伸びたくらいであって、つまりその移動距離は未だに脳に対して厄介な負担を掛け続けているということになる。


 まあそら本も読めなくなるわな。

 考えてみれば当たり前の帰結である


 とにかく去年の夏に至るまでの数年間、俺は本を読むことができなかった。


 読みたい本はたくさんあった。それこそ山のようにあった。かつて、若き日の盛りに大阪へと日帰りの小旅行に行った思い出があるのだけれど、それは梅田存在する某超大型一般書店に立ち寄るためだけに計画された小旅行なのであった。そんなこんなで、俺はその超大型書店へと赴き、そこで購入できる限りの本をわんさと買った後で、地元へと帰還したわけである。無論、それらの本の内の殆ど積ん読ルートを辿り、今も尚本棚一角を占めその存在感を俺にアピールし続けている。

 まるでそれは十字架だった。

 俺の、購入した時点で尽き果ててしまった、知識に対する独占欲好奇心に対して釘を打ち付けるかのような、それは罪悪感を俺に植え付けるための十字架だった。

 何故なのだろう。

 何故我々は本が読めなくなってしまうのだろう?


 ここに至る理由には色々あると思うのだけれど、第一に思い浮かぶ理由といえば加齢である


 残酷な、そして受け入れがたい真実――加齢は脳を萎縮させる。

 人間の脳は部位によっては三十代を超えてもなお成長し続けると一般に言われているが、しかし厳然として人間の肉体は二十代の半ばを境に衰え続けるのも事実である。というか、どちらかと言えば成長よりも衰退の方を意識せざるを得ないのが殆どではなかろうか、と思う。我々は衰退している。というか、我々の脳は衰退しているのである。衰退しました。
 ――つまりは、我々は一度読書能力を失ってしまうと、よっぽどの克己心を持たない限り――あるいは、そのような驚異的克己心を持たない限り――そのような超人的克己心に基づく人格改造なり人体改造を経ない限り――再び読書能力を取り戻すことは、難しいということなである

 残酷な、そして、受け入れがたい真実

 俺もそうであった。

 読書能力との別れは辛いものである

 それは、まるで一人の気のおけない友人との別れにも似ている。


 結論から言うと、俺は再び読書ができるようになった。


 ぶっちゃけると何でなのかは分からない。でも、確かにできるようになった。

 復活した。アーメン



イースターの季節ですね)


 去年の夏頃からその能力は突如として再生した。昨年から現在に至るまでの読書量は、読書能力が失われていた時代を遥かに超えている。ここのところお硬い文学小説にばかり目を通しているのだけれども、ここ一年間くらいで読んだページ数は5000頁を優に超えた。これまでの読書量を遥かに凌駕するレベルである(待っててくれプルースト

 正直なところ、何かを意識して自己改革したという記憶殆どない。強いて言うならば、当時スマートフォン通信制限喫緊重要課題と成り果てていたため、そのデータ通信量を節約するという実情に迫られて、通勤手段である電車に乗り込んでから本を読むようになったのがその理由と言えるかもしれない。


 行きに十ページ、帰りに十ページ。

 それを毎日

 仮に、一ヶ月の間に通勤期間が二十三存在するとすれば、行きに十ページ帰りに十ページを繰り返すのであれば、一ヶ月で我々の読書量は460ページに到達するということになる。

 猿でも分かる(猿には分からない)計算である


 とは言え、まずはそういうレベルから始めるのが得策であろうと思われる。人間は恐らく一日の間に二十ページ以上の本を読むことはできないのだ――特に文学小説のような対象相手取るのであれば、僕らの克己心は我々の想像する以上に貧弱なのである

 さて。


 これは正確に言うとライフハックではない。

 電車の行き帰りで、それぞれ十頁ほどの時間読書に費やすようになった男が存在している、というだけの話である

 そう、キーワード電車だ。脳ミソと通信量のダブルダメージを避けようと、不意に読書人生途上で――つまりはレールの上で――再開しただけの、それだけの話なのである


 参考になったであろうか?

 恐らくは、なるまいと思う。

 とは言え、かつて存在しその後に失われてしまったところの能力が、突如として復活するということは有り得るのだと――俺はただただその事だけを――伝えたかったのだ。今日を生き始めたものけが、かつての息吹に再び胸をなでおろすことができるようになるのである

 皆さん、本を読みましょう。

 魂を取り戻すために。

2018-10-14

うる星やつら視聴者オタク扱いされてなかった

めぞん一刻も。みんな普通に見てた。ルパンも。ガンダムもだ。日本昔話なんかもそう。

大人子供も見てたんだよ。

ダーティペアとかミンキーモモとかそういうのに熱を上げてる奴らが白眼視されてただけで、普通アニメ普通文芸作品として扱われてた。

アニメオタクだけのものにした犯人オタク自身じゃないのか?それで「キモオタ差別すんな」とか勝手過ぎる。

今はさあ、そういう大人も見れるようなアニメが無くないか

アニメを幼稚なものにしたのは誰だ。もっと大人ラブロマンスを描いてもいいし、戦争を描いてもいいんだ。

本来日本テレビアニメを取り戻せよ。

2018-10-09

社会学の件

個人的にはこちらも衝撃を受けた。

社会学論文文芸作品でもあるのか。

某氏記事議論中にひたすら個人体験談感想が書かれていた理由がこれで理解ができた。

論理ではなく相手感情を揺さぶることで勝敗の決まる分野であるのならばあのような書き方になるわけか。

そもそも議論勝敗を決めるものではないのだけれども)

ついでに言うと、小保方さんへの反応の違いもわかってきた

当時理系が「捏造だ!」と騒いでいる中、一部の文系の人たちは「コピペだ!」と騒いでいた。

ある種の文芸作品であるとするならばたしかコピペは重罪だろう。

理系にとっては論文報告書だ。

オリジナリティを出すべきは研究考察に関してだ。文章オリジナリティを出すのは嫌われる。文章はなるべく短くシンプルにわかやすく。

当初コピペ発見された箇所が method の部分であったこともあり、理系コピペへの反応は薄かったと思う。

業界ごとに決まっている定型文も多いし、装置の設定なんてたまたま一致してしまうこともあるだろう。

これが後に小保方さんの使っていない装置だったと判明、つまり捏造ということで一気に炎上した。

理系は大体こんな流れだったように思うけれども、文系の方は一貫して「コピペだ!」と言い続けていた印象がある。

理系にとってコピペが「信号無視」だとすると捏造は「殺人レベルの重罪だ。

当時一部の文系の人たちの反応に違和感があったのだけれども、今回の件で理由がわかってきた気がする。

社会学科学とは違う学問分野なのだろう。ちょっと冷静に見ないといけないな。

2018-07-14

芥川賞候補作「美しい顔」の謝罪に対する岩下尚史意見賛同する

5時に夢中という番組で「美しい顔」の盗用問題に対する作者の謝罪コメントについて、作家伝統文化評論家岩下尚史氏が次の意見を述べた。「この作者は"想像力の力でもって被災地の嘘になるようなことを書いてはいけない考えた"というが、本当は想像力の力でもって被災地の"真実"を書くのが小説だと思う。事実でなく、いかにもありそうな話(真実の話)に仕立て上げることが大切である。」 

また、盗用問題について次の意見を述べている。「文芸作品は必ず前の作品があって書けるものから、そうやかましく考えなくても良いと思う。オリジナリティというものを非常に神経質に考える世の中になっている。自分一人で1から10まで考え出すことはないのだから表現というのは。私だったら誰かに真似されたら嬉しく思う。」 

私はどちらの意見にも賛同する。フィクション現実世界を作者の心の目を通して主観的に描くものだと思うし、人間情報処理を仕組みを知ればオリジナリティなど存在しないことがわかる。私は今まで岩下尚史氏を気難しい中年オカマぐらいにしか思っていなかったが、この人は創作本質をよく理解していると思う。しかし、「オリジナリティ幻想である」という主張は商売上都合が悪いので、このような意見コンテンツビジネス生計を立てている人たちから黙殺されるだろう。

今回の問題についていろんな人がいろんな意見を述べているが、結局は金の話だと思う。誰かが時間をかけて作ったものを利用して金儲けをする人を許せないと思った。ただそれだけの話である

2018-06-24

ある短編が忘れられない

小学生の頃に父の寝床にあったミステリ短編アンソロジーひとつ

小学生の頃にはこれに恐怖しながら頁を繰っていたものだが、そんな感性を持っていれば読書は楽しくて仕方ないだろうと思う。

作者もタイトルも覚えてないので、もう二度と会えない作品でもある。

今読んでも、作品のアラを見つけてしまうだろう。

ネタバレも糞もないけど以下あらすじ。詳細はたぶん色々と違ってるはず。

ある文学新人賞をある大学文学部に通う女子大生が受賞した。

ビジュアルのよい若い女性である事もあってマスコミは色めき立ち、連日週刊誌ワイドショーで引っ張りだことなる。

当人キャラクターと裏腹に作品の内容は重く暗いものだたが、選考委員を唸らせるだけの内容のあるものだった。

狂言回し編集者マスコミに出る女子大生の軽い言動作品乖離違和感を覚える。

一方、彼女が写ってる写真取材映像で高頻度である男が背景に写り込んでいる事に気付く。

そんな事をしているうちに、彼女は受賞後第二作を発表、これも受賞作ほどではないが高い評価を得る。

このペースで内容の伴う作品連続で書くのはベテランでも無理だろう、

何かあると調べて行くと、文藝マニアの知人が、彼女の二作品戦後まもない頃にデビューして注目されつつも病か何かですぐに姿を消したある新進作家作品との類似点に気付く。

その作家デビュー作はそれなりに注目されたため巻頭で近影が掲載されたが、その顔は彼女の背景に写り込んでいる男の顔そのものだった。

そこに辿り着いた時点で、彼女交通事故に遭い意識不明の重体とのニュースが飛び込んできた。出版社に第三作の一部を届けに行く途中の事故だった。

同僚の担当編集と共に彼女搬送された病院に行き、ICU前で彼女家族から聞いたその作品の内容は前二作と文体も内容もかけ離れたものだった。

「ある文学部に通う女子大生が授業のレポートで、何の気なしに戦後の頃のあまり知られてない作家を取り上げてみる事にした。

それから暫くしたある日、彼女の元に差出人不明手書きの古びた原稿用紙の束が届く。どうやら文芸作品のようだ。

原稿と一緒に「これを世に出して欲しい」とのメッセージも入っていた。訝しんだが文芸方面で名のある出版社投稿すると、その女子大生の素性も相まって大々的に売り出される事になった。

そこからしばらく、差出人不明で礼を述べる手紙等が届き、次に発表する用の原稿も届く。

しかし、彼女とその送り主との良い関係は長くは続かなかった。

女子大生世間からちやほやされて浮かれてたが、送り主からメディアに出過ぎるな」「露出を控えろ、喋り過ぎるな」と警告されるようになる。

彼女は常に監視されている事に恐怖を覚え、この事を世間に発表しようとする。」

話はその書き掛けで止まっていた。

これは恐らく、志半ばで倒れたある作家復讐なのだろう。

そんな事を編集者たちが考えていると、ICUの扉が開き、そして告げられた。

彼女が息を引き取りました」

2018-01-24

自称アクション映画から感じるマッチョ気取りの痛々しさ

90年代映画

現在コンサバティブボリウッド映画

シュワちゃんだのイーストウッドを狂信的崇拝してる人ってアレだよな

「漢らしさ」「アクション満載」っつう単なる映画の一ジャンル

まるで自分、あるいは世界映画界を覆うべき全アイデンティティ勘違いしてる

 

アンチ文芸作品

アンチアカデミーゴールデングローブであれば

なんでも尻尾を向くのだろう

 

その点で、一見マッチョ映画であり

実際はウィットに富んだマッドマックスは斬新だった

彼らにしてみれば、あれはコンサバティブ映画ということなのだが

 

あいう手合は無頼漢気取りだが、

そのくせ実際合ったら

根暗モテないモヤシナードなんだろうなと思うと

ちょっと憐れみを感じる

 

もはや駆逐されるだけの弱い立場の側が

ひたすらにマッチョさを信仰する

イギリス人並みの皮肉

2018-01-02

2017年投稿した増田ブクマランキング

1位 大器晩成意味 668ブクマ

anond:20170629234043

2位 新元号なにが良いか? という街頭アンケート 553ブクマ

anond:20170116031452

3位 いいじゃねえか。学級委員女子432ブクマ

anond:20170612133003

4位 頭の悪さが一定以上の人は選挙投票できるのか 340ブクマ

anond:20170612013603

5位 だれしもが個性的になれるわけではない 318ブクマ

anond:20170802034853

6位 左右に曲がるときの新しいやり方 184ブクマ

anond:20171217003624

7位 逆無人島に何持っていくか問題 179ブクマ

anond:20170605013958

8位 無詠唱時代魔法少女について 162ブクマ

anond:20170814135350

9位 邪馬台国九州説をとる文芸作品が多いのはなぜか 116ブクマ

anond:20170703063117

10野球ルールを知っている人に質問です 55ブクマ

anond:20171203144623

おわりに

いつも当意即妙コメントありがとうございます! 今年もどうぞよろしくお願いいたします!!

失敗作

STAP細胞2017 anond:20171219220717

2017-10-13

アベノミクスインチキ成果

★サギノミクスのインチキ成果★

インチキ株価上昇

円安により割安になった日本の株に外国人投資家の買いが入った。

 2012年12月28日日経平均10395円、85円/ドル。円は第二次安部内閣発足時より40%程度毀損している。

 10395円×0.4=4158円、少なくとも4000円程度の上昇分は円の毀損による株価の上昇。

円安による家計から企業への所得移転により企業の売り上げが増えた。

《1ドル80円の場合トヨタの売上と家計負担

トヨタの売上          20兆円(80円)

家計エネルギー・食料費 ▲20兆円(80円)

《1ドル120円の場合トヨタの売上と家計負担

トヨタの売上          30兆円(120円)

家計エネルギー・食料費 ▲30兆円(120円)

円安によりトヨタの売り上げが10兆増えたとしても、それは家計負担増が為替市場を通じ移転されたに過ぎない。

③将来の財政破綻による銀行券の大量発行を見越し投資家に買われた。

  アルゼンチンジンバブエなどにおいても財政破綻時は著しく株価は上昇した。

日銀ETF買い。

結論】サギノミクスによる株価上昇は、①円安により国民負担を増加させ、かつ、それを

為替市場を通じて企業利益移転させた。②ドル建てで割安感の出た外国人投資家

日本株を買った。③日銀によるETF買い。④将来の財政破綻を見越し投資家の買いが入った。

デフレ脱却お題目企業に値上げを促し、それによって家計所得企業移転させた。

ことによるものである企業が強くなったものでは全くなく、国民を苦しめた結果生じたものである

インチキGDP

吉野家の牛丼価格280円→380円

原価率7割として原価200円、利益80円。付加価値が80円から180円になった(225%増)。

GDP牛丼一杯あたり225%も増えた。これがサギノミクスによるGDP増の正体。

デフレ脱却お題目意図的企業に値上げを促し、その結果、効用(満足)は変わらないのに物価けが上がり、

国民を苦しめたことにより達成されたGDP増がサギノミクスのGDP増。

企業利益になるくらいなら、その利益分を消費税増税で税収として徴収し、国民福祉

(教育行政効率化を促す投資)に回したほうがよっぽど良かった。

安部自民消費税増税の時に散々値上げを促していたが、企業利益のための値上げと

消費税増税による値上げをいっぺんにやったら、物価は急激に上がり消費が落ち込むのは

明らか、結果、個人消費の落ち込みは想定以上になった。あの対応馬鹿しか言いようがない。

増税しつつ、企業には値上げを促すべきではなかった。

結論】サギノミクスによるGDP増は国民を豊かにした(財産などを与えた)のではなく、国民を苦しめ、

国民財産企業移転させたことによって生じたものである。これは貯蓄率などからも伺える。

★サギノミクスのインチキ成果★

インチキ雇用

円安企業の売り上げを増やすための意図的な値上げで貧困層が増え、

  今まで働いていなかった主婦が働かざるを得なくなった。

円安企業の売り上げを増やすための意図的な値上げで年金だけでは

  生活できなくなり、今まで働いていなかった高齢者が働かざるを得なくなった。

③ 今まで大手正規社員だった夫や家族非正規になったため、賃金が減り、

  主婦が働かざるを得なくなった。

高齢者の増加で医療介護需要が増え、それを賄うための雇用が増えた。

円安により国力を弱めた結果、外国人観光客が増え、それに伴う観光業雇用が増えた。

  国力を弱めれば外国人観光客が増えるというのは後進国などを見れば自明

資格取得など教育に関する補助金などにより、教育関連の雇用が増えた。

円安により製造業が強くなったというのは全くの出鱈目。雇用ほとんど増えていない。

     雇用者製造業 宿泊観光 医療介護 教育支援 公務員 (万人)

  2011  5459   998   314   647    267    222

  2012  5461   981   311   677    267    224

  2013  5514   991   321   706    273    229

  2014   5560   990   324   727    274    235

  2015  5610   988   325   753    278    231

  2016  5696   999   334   778    282    231

 増減    237     1    20   131    15      9

http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/

結論】サギノミクスによる雇用増加は①高齢者の増加。②円安による国力低下(国民貧困化と外国人観光客増)。③財政支出(公)により需要を創出した(バラマキ)。の結果生じたものである

インチキ有効求人倍率

① 若年労働人口の減少(求人は圧倒的に若い労働者に対するものが多い)。

  ■労働力人口の推移

     15-24歳 25-34歳 合計

  2011  525   1291   1816 ▲57

  2012  514   1261   1775 ▲41

  2013  518   1239   1757 ▲18

  2014  518   1214   1732 ▲25

  2015  516   1191   1707 ▲25

  2016  539   1180   1719  12

高齢者の増加による医療介護求人が劇的に増えた。

政府に有利になるように数字操作している可能性もあり得る。企業が偽りの求人を出したとしても統計でそれを省くことは不可能

結論】サギノミクスによる有効求人倍率改善は、少子化による若年労働人口の減少と高齢者の増大

による医療介護求人の増大によるものである金融緩和政府経済政策によるものではない。

 そもそも安倍自民が優れた行政集団であるならば、あらゆる分野(医療介護製造業飲食など)で生産性

効率化させたはずであり、そうなれば雇用者数は減っているはずである

 それでも家計が窮することのない豊かな社会を作り、余剰労働力もっと知的生産活動(科学文芸など)

に投入され、科学音楽映画ゲーム文学などの分野において、もっと優れた作品技術革新

生み出されたはずである

 だが、現実正反対あり、世界賞賛されるほどの文芸作品技術革新ほとんど生み出されず、

貴重な労働力介護飲食観光業などの低劣な労働従事させて、奉仕という従属精神を植えつけ

自尊心を著しく損なっている。これは成果ではなく弊害

2017-10-01

anond:20171001141600

差別ノスタルジーとして扱われても困る

文芸作品のそれはテレビという影響力の大きいメディアもない時代だし、主題でもないし笑いとして書いてたわけでもない

あれが偏見助長すると言うより、偏見が未だに消えていないか問題なんだ

淫夢かめちゃくちゃ子供に影響与えてる

大人だって未だに「同性愛生物学的に……」とか言ってる

2017-08-07

教養のない人だなあ

それがたとえ大衆音楽歌詞であったとしても、文芸作品解釈には、広く共有されている価値観時代性といったコンテクストを利用する必要があるでしょうよ

それを妄想だの勝手解釈だのと断言できるほどの無教養ぶりには呆れるわ

そこにあるテクストだけですべてが判然とするのは、物語ではなくて説明文ですよ

2017-07-03

邪馬台国九州説をとる文芸作品が多いのはなぜか

タイトルほとんど言いきってしまって本文で言うことが特にないのだけれど、

邪馬台国所在地として畿内説をとる学説は、昨今優位を占めている。考古学的にも文献史学的にも。

日本歴史の論争史の特集でもそうまとめられていたはず。面倒だからソース出さんけど。

一方で、九州説をとった文芸作品がめちゃくちゃ多い。

いつかガチ畿内舞台にした邪馬台国物語を読んでみたい。

2017-06-15

https://anond.hatelabo.jp/20170615014551

極論には極論で返しただけ。

本音のところロリショタレイプトラウマに近いし見たくないと思ってる(非人間的かどうかはご勝手ラベリングして結構)けど、これは論として酷過ぎるからね。

>誘発させると思った。

 それは貴方主観ですよね? 私の挙げた文芸作品や数多の思想報道に誘発の可能性は全くないとでも?

>~影響があるのであれば~

 そう、問題はこれ。ずっとこれが分からいか議論が続いてる。

>~賛成派になったのは~ネトウヨ

 影響のあるなしが問題なのに、反対派(の一部)が気に入らないか転向? 冗談言ってもらっちゃ困るよ。左翼にも反対派はいるしオタク(と呼ばれている人達)にも規制はいる。この人ははどれだけ文献に当たったの? 論文は何本読んだ? その果ての懸念表明ならまだしも、ネトウヨおかしいか規制して影響を与えた漫画家責任を取って辞めるべきだって

 これこそ単なる感情論であって、子供被害を防ぐ事とは少しも繋がらないよ。問題矮小化して「あの漫画さえなければ」って考えはどんな思想作品にも通じる。

から私は吐き気がするほど嫌いな凌辱同人にもペドレイプにも何も言わないでいる。自分が嫌いだから規制しろなんて我儘過ぎると思ってね。だけど、この意見にはそれすらないでしょ? 嫌いだからではなくて、擁護している連中が嫌いだから、なんだよ? 真面目に返答をするべき意見かどうか、もう少し吟味して「非人間的」と断じて下さいな。


 そうそう、余談だけど私は"個人的に"は、史上最も多くの人に影響を与えて今でも多くの殺人の一因になってるのがキリスト教救世主で、その次がイスラム教預言者だと"思ってる"。戦争の原因は、多分お互いに相手規制しようとしたから。人間的な増田さんはその辺りはどう思ってるのか、ぜひ聞いてみたいな。

2017-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20170406160154

出版社タイアップすると資金調達やすいからとどっかで聞いた

宣伝もしてくれるしね

でも漫画原作とは限らんよ

小説も多い(ラノベとは限らず一般文芸作品も多いし、時代劇なら時代小説だったりする)

原作付きと見せかけて「映画に合わせて出版されたノベライズである事もあるけど

2016-05-27

神話を失ったひとと失ってないひと

 つまりマイナス自尊心と言うべきなんだろうけれど、いわゆる「神話」みたいなものを持っている人は多数派であり、そして自分のように「神話」を失ってしまった人間というのは少数派なのだと思っている。

 つまり神話というのは誰かにとっての信じるに足る世界なのであり、自分自身根拠裏付けみたいなものなのであり、つまり自分世界価値存在すると信じられるだけの証拠みたいなものなのであって、そういうもの殆どの人は持ち続けているような気がするのである

 だからこそ、そういった人々は無邪気に生きていて、自分自身存在価値あるものであると思うことができて、大体今のまま生きることを望んでいる――そんな気がするのである

 勿論、これは歪んだ自己認識であり歪んだ世界認識であるわけで、つまり偏見なわけだけど、でも、そんな気がするのである

 自分に関して言えば、「神話」を失ってしまったのは僕が十五歳くらいの時で、確かその時くらいか阿呆みたいに文章やら文芸作品やらを書き始めていたと記憶している。その二つが完全にリンクしているわけでは無いにせよ、ある意味ではそれはシンクロしていたし、ちょっとした引き金のようなものになっていたのではないかと思っている。いずれにしても、僕にとってその時神話は失われてしまっていて、じゃあ神話が失われてしまった後の世界にはもう神話と呼ぶべきものは何一つ存在しないのかと言えばそうではなくて、新しく選ばれるのを待っている神話の気配がそこには息づいていて、でもそういうものに関しては僕は殆どの部分で拒否していて、ちょくちょく受け入れたりはするものの、基本的にはかつて存在していはしたものの今となっては失われてしまった神話回復と復権だけが生きる目的になってしまっていたわけで。というわけで、現在僕の世界には古い時代神話が少しだけ息を吹き返していて、そのお陰で僕は少しだけ安心して昔みたいな世界を生きることができているというわけなのであった。

 思うに、若いから今にかけてまともな恋愛ができなかったというのは、その所為もあるのかもしれない。つまり恋愛とは一種の「物語」の共有であると僕は思っているのだけれど、つまり、お互いが信じている何らかの価値とかそういうものを擦り合わせて、「あ、大体自分達の『物語』は同じっぽいぞ」というテレパスを感じた時点でまともな(世間では「まともだ」と思われている)恋愛というのが始まるということではないかと思っている。で、僕はそういう誰かと共有するべき物語というか神話というか何というかを持ち合わせていなかったので、どうにも自分の隣に立っている女の子が異星人か何かのように思えたりして、それでどうにも上手くいかなかったのではないか。いや、たくさんの女の子を愛したのだ。愛だけはたくさんあったのだ。僕の中には、新しく息づこうとしている神話が幾つか生まれつつあったのだ。でも、それは女の子たちが持っている物語とは全く違ったものだった。女の子が求めている物語と、僕の持っている神話というものは随分違ったものだったのだ、結局のところ。

 まあ僕が恋愛下手であるというそれ以上の結論存在しないんだけれど、それでも、同じような物語をお互いに「持っている」と感じることができたのであれば、その恋愛は割と上手くいくものなのではないか、とそんなことを思う。


 というわけで、僕は誰かと共有するあてのない物語を書き続けている。

 何かを失ったり、何かを手に入れたりする人々の話を書き続けている。

 それらが日の目を見ることはひょっとしたら無いのかもしれない。

 それでも、僕は書き続けている。

 それらの物語を、他の、誰かと共有するために。いつの日か、自分にも価値があったんだと思うことができるようになるために。


 神話を失っていないひと達へ。

2016-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20160520115932

雑魚ナメクジとはひどい言い草だな、と思ったが、イマイチ盛り上がりにかけるカクヨム文芸作品を集めたい

はてな村民だと思ったら、なんだかツンデレっぽく見えてきた

2016-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20160426181634

純文学ってどれだけ自分の持論やら実体験を小説というフォーマットにまとめられるかということ

ぐぐったら「純粋芸術性を目的として創作される文芸作品」ってあって、そんな定義どこにもなかったけど

火花純粋芸術性を持ってるかっていうと違うんじゃねとは思う

2015-11-19

せっかくの「下町ロケット2」がなんだか読む気にならない

枯れた作品メディアミックスwによってみずみずしく息を吹き返すことで定評ある池井戸せんせーの最新作

下町ロケット2」はドラマと同時進行で連載が更新される、という画期的な状況

……なんですけど、どーにも読む気になれなくて。という事実を認めようと思います

理由はかんたん。

朝日新聞の土曜と日曜の朝刊全15段で連載されてるんですが

レイアウトを含めて、これがいかにも「広告局の企画」っぽいんですの(ホメてない)。

ちら見はできても、作品を読む姿勢になれない。

その自分ココロネを見出しときに思ったのは

うわっ...私の頭、固すぎ...?

新聞連載小説文芸作品の発表媒体として意義あった時代は既に終わっている・と思っていたので

広告の体裁で/ドラマ放映に連動させるタイミング更新していく、というスタイル

チャレンジングで良いんじゃね。と思っていたのに

文章がまるで頭に入ってこないっていうのはこれ、私ひとりの問題なんですかね。

出版社テレビ局新聞社、という旧メディアによるこの試みが

後追いを生みそうなほどの話題になれていないあたりは、果敢な失敗事例として

記憶の底にしまいこまれることになるんでは感でいっぱいなんです。

2015-10-23

「本」を文芸文学意味で使うの

やめろって。「本好き」「読書」「本とか読むの?」で想定される本ってなんで文芸作品限定なんだよ。おかしいだろ。新書技術書しか読まねえんだよ。

「あー…それも一応本は本だけどーwそういうんじゃなくてー(プークスクス)」みたいな感じを出すな。だったら最初から文芸とか文学とか小説って言え。

さすがに「マンガも本です!ISBNだってついてます!」とか読書時間男子中学生みたいなことまでは言わないからよ。頼むよ。

 
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