はてなキーワード: 引き起こしとは
話はかなりぼかすが、数年前に転職した。
直接の原因としては、社内での評価が長年芳しくなかったことと、労働環境の悪化と、最後にパワハラに遭い、仕事を干されたためと、転職先で提示された年収が前職を大幅に上回っていたからである。
前職では新卒でとあるIT系企業に入社し、あるスマホアプリの開発を行っていた。
5年ぐらい経過し、当初10人いたチームが退職やら他プロジェクトへの異動などで最終的に自分1人になり、サーバの管理からバグ修正、深夜の障害対応やユーザから来るわけの分からないメールや頭のおかしい人間からの電話の対応、売上を上げるための企画や他社との渉外も全部プログラマーである自分が1人でやっていた。会社の規模は拡大しており、それに伴い人をどんどん採用していたが、採用した人は全員新しいプロジェクトに割り当てられていったため、最後まで自分の環境が改善することは無く、残業時間だけが伸びていった。
最終的に、自分の人件費+サーバの運用費用がそのプロジェクトの売上を下回りそうになったためにプロジェクトは終了となり、サービスも終了した。
その後、自分は別プロジェクトへの異動を命じられたが、異動数日でそこでの上司の不興を買い、自分の運命は決定した。
原因としては、自分が原因でとある問題を引き起こしてしまい、自分で解決し、収束後に時系列でまとめた事態の経緯と、原因、そしてシステム的に再発を防ぐ手段を構築した旨をまとめて上司に報告したがそれを見て「二度とこのようなミスを起こさないように自分を律して頑張るという心構えが入っていない」という、IT企業としてそれはどうなの?という納得いかない理由で不興を買った。
最終的に上司から仕事を干され、何もすることが無い状態で何故か倉庫整理をしたり、「稼働が無駄だし、君に払う人件費を誰が稼いでるかとか考えて欲しい」と1ヶ月近く自己批判する文章を延々と書いては消し書いては消しと繰り返しており、エロゲのレイプ目のような状態で仕事をして、友人に相談しても「何もしないでお金がもらえるなんて羨ましい」と言われるだけで、最終的に心身ともに限界が来た(通勤中や定食屋で他人に八つ当たりして時に暴力沙汰になったり、ここには書けないような事をやったりした)のと、ちょうど転職話が来たので辞めた。
転職してから数年経ったが、環境が真逆で未だに困惑している。簡単に書くとこういうことだ。
朝鮮,朝鮮王朝(李朝)の高宗31(1894)年に起こった反侵略,反封建の農民戦争。東学党の乱ともいう。高宗1年,東学第1世教主崔済愚が,邪教を広めたとして処刑された。第2世教主崔時亨は東学の公認を求め,同 29年以降「教祖伸寃」の請願を教徒の大衆行動でしばしば行なった。しかし「教祖伸寃」という宗教的訴えは,かえって狡猾な地方官に農民収奪の口実を与えることになった。そこで農民たちの運動は貪官汚吏の処分など政治的要求へと変わっていった。反乱は同 31年2月全羅道古阜郡の民乱を契機にして始まり,一応の成果を得て解散した。その後政府派遣の按覈使(あんかくし)の不法弾圧に激怒した全琫準は,全羅各地に呼びかけ,5月古阜,泰仁で本格的な闘争に立ち上がった。全羅各地で蜂起した農民軍は白山に集結,大多数が農民で東学徒は少なく,指導者は東学接主であった。全琫準ら指導者は,農民軍を軍隊式に編成,四大綱領を発表し,反封建,反侵略を訴えて広範な農民層の支持を得た。農民軍は黄土峴,長城で政府軍を撃破し全州を占領した。閔氏政権はこれに驚き清国に出兵を要請する一方,農民軍の弊政改革案を受け入れた。全州和約後,農民軍の大半は解散したが,全羅道 53郡に農民軍の自治機関である執綱所が設置され,実質上の政権機関として機能した。日清戦争が起こるとまもなく,全琫準ら農民軍は再起したが,日本軍と政府軍の圧倒的な軍事力の前に敗北した。
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こうご‐のうみんせんそう〔カフゴノウミンセンサウ〕【甲午農民戦争】
1894年、朝鮮李朝末に起こった東学の信徒を中心とした農民の反乱。鎮圧のため李朝政府は清国に派兵を要請、日本も出兵して乱は鎮圧されたが、日清戦争を誘発する結果を招いた。東学党(とうがくとう)の乱。
李朝末期の1894年(甲午の年)に朝鮮南部で起こった農民反乱。圧政に苦しむ農民の間に広まった民衆宗教〈東学〉は1890年代には活動を公然化させるが,全羅道古阜で全【ほう】準(ぜんほうじゅん)に率いられた農民たちが同年2月郡庁を襲撃し,5月以降全羅道一帯に及ぶ蜂起に発展,閔(びん)氏政権の打倒と日本人の駆逐をかかげて各地を転戦した。
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1894年(甲午の年)に朝鮮南部でおこった農民反乱。李朝末期の朝鮮では封建的収奪に反対する民乱が続発し,とりわけ南部地方は開港後の外来資本主義との接触によって矛盾が激化していた。圧政に苦しむ農民の間に広まった東学は,1890年代に入ると活動を公然化するようになった。こうした情勢のもとで,94年2月,全羅道古阜の農民は,規定外の税をとるなど暴政を行った郡守趙秉甲(ちようへいこう)に抗議し,全琫準を指導者として郡庁を襲撃した。
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朝鮮で1894年(甲午の年)東学の信徒が主導した農民戦争。地方官の悪政に反対した全羅道の農民が蜂起したのに始まる。朝鮮王朝政府は鎮圧のため清しんに出兵を求め、清に対抗して日本も出兵、日清戦争の契機となった。東学党の乱。 → 東学
こうごのうみんせんそう
1894年(甲午の年)に起こった朝鮮の歴史上もっとも大規模な農民蜂起(ほうき)。この戦争をきっかけとして、中国、清(しん)の勢力を排除し朝鮮を支配することをねらっていた日本政府は、公使館警護と在留邦人保護の名目で大軍を繰り出し、日清戦争を引き起こした。
当時、朝鮮の民衆は、朝鮮政府の財政危機を取り繕うための重税政策、官僚たちの間での賄賂(わいろ)と不正収奪の横行、日本人の米の買占めによる米価騰貴などに苦しんでいた。それにまた、1890年代の初めには干魃(かんばつ)が続いて未曽有(みぞう)の飢饉(ききん)に悩まされていた。これに耐えかねた農民たちが、日本への米の流出の防止、腐敗した官吏の罷免、租税の減免を要求して立ち上がったのがこの戦争の始まりである。指導者には、急速に教勢を拡大していた民衆宗教である東学教団の幹部であった全準(ぜんほうじゅん)や金開南らが選ばれた。そのため東学党の乱とよばれたこともあった。5月初め、全羅道古阜(こふ)郡で結成された農民軍は、全羅道に配備されていた地方軍や中央から派遣された政府軍を各地で破り、5月末には道都全州を占領した。農民軍の入京を恐れた朝鮮政府は清国に援軍を出してほしいと要請した。ところが、ここで予期しないことが起きた。清軍の到着と同時に日本軍が大挙して朝鮮に侵入してきたのである。朝鮮政府は急遽(きゅうきょ)方針を変更して農民軍と講和交渉を行い、農民たちの要求をほぼ全面的に受け入れることで停戦した(全州和約、6月10日)。
全羅道の各郡には執綱(しっこう)所という機関が設けられ、農民たちの手による改革が始まった。農民戦争はこれで終わったかにみえた。ところが、朝鮮に上陸した日清両軍は、朝鮮政府のたび重なる要請にもかかわらず撤退しようとしなかった。それどころか、日本政府は朝鮮の内政改革を求め、朝鮮政府にこれが拒否されるや、1894年7月23日王宮を占領し、親日政府を組織させた。
清国がこうした日本の行動を批判したのを好機として始められたのが日清戦争である。日本政府は日清戦争と併行して朝鮮を植民地化する政策を推し進めた。この日本の勢力を追い出すため、朝鮮の農民たちは10月なかばになって再決起した。全準たちは東学組織を使って各地の蜂起を統一したものにしようとした。このとき立ち上がった農民は20万人を超えたといわれる。日本軍と朝鮮政府軍を相手にして農民軍はよく闘った。しかし、日本軍の圧倒的な火力の前になすすべはなかった。翌年1月農民軍は壊滅し、全準は3月末、ソウルで処刑された。[馬渕貞利]
[参照項目] | 日清戦争
出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例
【崔時亨】より
…92年から翌年にかけて東学の合法化をめざす教祖伸冤運動を展開。94年の甲午農民戦争では,東学本来の非暴力的な教化主義の立場から武力蜂起に消極的で,全琫準らの主戦論と対立したが,のちに農民軍への合流を教徒に指示した。農民軍の敗北後,98年に江原道原州で逮捕され,ソウルで処刑された。…
【朝鮮】より
…しかし,金玉均ら開化派が政権奪取をめざした甲申政変(1884)は内外の困難を克服しえずに挫折を強いられた。一方,民衆の反封建・反侵略変革運動は,壬午の軍人反乱(壬午軍乱,1882)を先駆として,甲午農民戦争(1894)に大きく花開いていく。甲午農民戦争こそ朝鮮社会の近代への移行の決定的転換点となる可能性をはらんでいたのだが,日本の侵略の意図に立つ軍事力の行使がこの可能性を破壊してしまったのである。…
【日清戦争】より
… 朝鮮では王妃の一族閔(びん)氏を中心とする親清派と国王の生父大院君派および金玉均独立派(開化派)が抗争しており,政治は乱れ,官吏の不正や日本商人の買占めで民衆の不満は高まっていた。1894年春,民間宗教東学を奉ずる農民は分散した民衆の不満を結びつけ,朝鮮南部を中心に汚職官吏の掃滅と外国人の排除を求める大規模な反乱を起こし,5月には各地で官軍が敗北するという重大な事態となった(甲午農民戦争)。朝鮮政府は日本に亡命中の金玉均らが農民反乱に呼応することをおそれ,上海に誘い出して暗殺した。…
※「甲午農民戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報
昔、とある会社のサイトに掲載されていたのに知らない間にページが無くなっていた。
この極意を肝に銘じ仕事をしていたのに残念。
4,5,6条が素晴らしい。
【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】
【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】
【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】
【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】
【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負】
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【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】
校正マンは何も信じてはいけません。一番信じてはいけないものは「自分」のこと。
校正には知識が必要です。だから、校正マンである自分は仕事の関係上、それなりに努力もしているので知識を持っていると思っている人が多いようです。そして自分の知識に自信を持っている人も多い。そういう人は、校正マンとして不向き!
自分の知識に間違いはないと信じて、いちいち調べて確認することを怠った者は、アシをすくわれてスッ転ぶだけ。知っていることも、いちいち確認するのは面倒な作業ですが、自分の知識を信じることなく、確認する労力を惜しまない人が、確認作業のプロフェッショナルなのです。
【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】
校正の仕事は、常に「疑う目」で見ることが必要不可欠。まずは、第1条で述べた通り、自分自身を疑うべし。そして確認するための工程で使用するアイテムも「疑う眼」で見なければなりません。国語辞典も出版社によって、編纂者によって、辞典の大きさによって(小事典・中辞典・大辞典)も内容が違います。どれを使っても大同小異、ほとんど同じだと思っている時点で確認にプロフェッショナルではありません。同じ言葉でも辞書によって解釈が異なる場合があることを念頭においておかなければなりません。インターネットでの検索も「疑う眼」で確認すること。情報が多く便利なアイテムですが、情報が多すぎることが問題のひとつ。ふたつ目の問題は、間違った情報も多いという点。確かな情報源を手に入れるまでに、情報の海に溺れてしまう時もあります。常に「疑う眼」で見ることを忘れずに付き合っていると、情報の海で土左衛門になる前にインターネットを情報の拠りどころとして使えるようになってきます。紙媒体やインターネット等、拠りどころは多いにこしたことはない!数値のデータは、最新のデータの方が良いし、旬の時事ネタを調べる場合にも、印刷物(書籍など)よりもインターネットの方が断然便利です。インターネットで情報を得る場合には、必ず複数のデータを調査し、公式サイトなどのデータを確認します。校正で大切なことは、信頼できる情報で確認すること!疑わしい情報で確認しても、それって確認作業にになってないし…(汗)。
【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】
職種によっては「慣れ」ることにでより技術に磨きがかかり熟練工としてして匠と称される場合も多々ありますが、校正のプロフェッショナルとしては「慣れ」は大敵でもあります。校正のコツを身につけ、経験を生かして間違いを予想して校正することもありますが、この場合細心の注意が必要です。「慣れ」は「思い込み」を生み出すきっかけとなるから…「思い込み」は校正マンの目を曇らせ、ミスを見落とすという最悪の結果を招きます。常に初心を忘れず「思い込み」を全て捨て去り“無心”の状態で校正に挑むのが、確認作業のプロフェッショナルとしての基本です。
「慣れ」と「思い込み」は命とり…これを肝に銘じて、集中力と根気をもって最初から最後まで校正することが何よりも大切です!
【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】
校正のお仕事は、その結果100点満点が当たり前!満点をとっても誰にも褒められることはまずないという、ちょっぴり寂しいお仕事でもあります。全てのミスを見つけ出すことがお仕事なのですから、当然といえば当然です(…が、たまには褒めてもらえるとうれしいのです。ブタもおだてりゃ木に登るぅ~ってな感じで、次回の校正への励みになりますし…)。満点以外の校正は、言葉が悪くお下品ですが(詫)、“クソ”と同じ…そんな校正なら、しない方がマシ(!?)時間の無駄使いをしてしまったと落ち込みます。致命的なミスを発見できれば、少々の校正ミス(=モレ)があっても実質的な損害を与えることにはなりはしませんが、お客様からの信頼は確実に減少するのは免れることはできません。校正の精度が疑われるような校正結果では、お客様に安心していただくことができません。皆さんも経験があると思いますが、試験で100点をとるために何度も見直して「完璧!」と提出した答案が、返却された時の点数は98点…なんてことはザラにあります。100点満点を目指すなら、200点目標の確認作業をしてトントン。校正マンは、200点を目指して、120点を目標として常に全力投球します。その結果の100点なので、満点で当たり前というわけです。
校正業務を開始する際に、体調などに左右されることも。なかなか集中できない場合もありますが〆切は待ってはくれません。どのような状況でも集中できる体制を即座に整えることができる…これがプロフェッショナルです。満点以外の校正はクソですが、集中力を欠いた校正作業はクソ以前の問題です…全身全霊をもって集中して校正に挑んでも、校正ミスの可能性はなくならないのですから。
校正作業が完了し、全責任を担うべく校正紙にサインをした後は、ヘトヘトになり暫しの間放心状態になります。校正は毎回が真剣勝負、全力投球ですから当然です…“この一球に悔いなし”!
自分のことを「賢い」と思っている人は、大バカ野郎!逆に、自分を「アホ」だと思っている人は、自分のことを「賢い」と思っている人に比べれば「賢い」人です。自分は「アホ」だから、間違うかもしれない!という思いを常に心の隅に常駐させつつ、そんな自分が他人様の制作したものに対して間違いを探したり、ミスを指摘したりするなんて恐れ多いコト…と、謙虚な姿勢で校正に対するのが、確認作業のプロフェッショナルです。その謙虚な姿勢が、いちいち確認する面倒な作業を怠ることを防ぐための防波堤の役割を担ってくれる上、確認する労力の源となるので、自らの間違いやミスの発生率が極端に減少するわけです。自分のことを「賢い」と驕っている校正マンは、いつか取り返しのつかないドツボに填まることになるので、今すぐに校正マンを廃業した方が賢明(…!?)です。
なお、自分は「アホ」だという自覚を持っているのにもかかわらず“あほミス(注)”をしてしまったら、それは本当の「アホ」…目も当てられない状態です。そんな状態に陥った「アホ」は、即効で校正マンを廃業すべし。
(注)あほミス…「アホちゃう!?」と叫びたくなるような“あほ”みたいなミスのこと。知識や能力の不足ではなく、不注意による誤り。SETでは「あほミス」と言いますが、一般用語では「ケアレスミス」のことになりますかね。ちなみに「ケアレスミス」は、careless mistakeの略語です。
【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負】
校正のお仕事は、実に意地の悪いお仕事です。制作者もプライドを持って全力で業務に勤しんでいます。「完璧だっ!」と渾身の制作物を校正するのですから、その作品の粗探しをする校正マンは、疎ましい存在なのでは…(涙)。しかしながら、ミスや間違いを発見するのが校正マンの使命ですから、そこのところは一歩も譲ることなく任務を全うすべし!粗探しという、一見、意地の悪い作業に誇りをもって、全力で挑まねば制作者に対しても失礼にあたります。制作社は、作品にケチをつけられたらカチンときたり、ミスを指摘されたら「クソォ~」と悔しがるのが当たり前。そんな感情が湧かない方がおかしい…湧かない場合は、制作作業に対して手抜きしてるからでは?ミスの指摘を受けて悔しがらない制作者は、問題あり…なので、そんな場合には一言苦言申し奉ります。「ミスは校正で見つけてもらったらいいや~」などという怠惰な態度は、校正マンに対する冒涜!制作者も、常に100%の完成度と誇りをもって全力で校正マンに挑んでいただきたい。分野は違えど、制作も校正もプロフェッショナル同士の真剣勝負なのですから…
校正病(笑)の一種に「文字パニック」という症状があります。日常の全てにおいて目にする文字がすべて疑わしくなる病気(!?)です。校正業務ではない日常の生活においても、辞書等で確認せずにはいられなくなる…それは読めない漢字や意味がわからない用語でなく、通常に使用している簡単な漢字であっても。その上、一度確認してもまた同じ文字が出てくるたびに辞書を引っぱり出している自分がいる。やめたいのにやめられない、辞書等で確認しないと落ち着かなくてパニくる…これが「文字パニック」。治療方法としては、休養することしかなく、目と体、そして心を休め落ち着いて回復を待つこと。あわてないことが重要で、確認作業のプロフェッショナルなら一度はかかる通過儀礼のようなものなので、自覚症状があらわれた際には、校正マンとして一人前になったのかなぁ~と喜ぶべき病気(!?)ということで、お赤飯でも炊いてお祝いしてください(笑)。
文字パニックとは別に校正マンがかかりやすい病気として「本が読めなくなる病」もあります。活字とにらめっこしている時間が多いため、もう活字は見たくないという原因をもつ場合と、本を読んでいても、無意識に誤植を探していて内容を楽しむことができなくなる場合の2種類があり、この病にも特効薬はありません。本人の意思と時間の経過により、体力と気力が回復すればそのうち治るでしょう。でも、貧乏ゆすりと同じでクセになってしまったら、なかなか治りません。私の場合、子供が学校からもらってきた学級便りやお知らせのプリントに朱入れしてしてしまう始末。町内の回覧板、広報誌やフリーペーパー等々、印刷物を目にするとダメですね。インターネットの画面では今のところ症状は抑えられますが、サイトの情報をプリントアウトすると、誤植探しをし、数値を重複確認してしまっている自分に気付く今日この頃です(汗)。
何事にも興味を持ち、広く知識を習得すべく心を開放しておくこと。自分には関係のない分野の話も、小耳にはさむ程度でもいいので気に留める寛容さが必要です。ひょんなことで、その知識が役立つことがあるからです。校正は、自分の知識で確認することはなく、調べて確認する作業です。この調べるという作業で、広く知識がある人とそうでない人との差があらわれます。校正ではさまざまなジャンルの文章を校正するため、歴史、社会、自然、科学、技術、産業、芸術など広い分野の知識が必要とされます。全ての分野で専門知識をもっているスーパーマンになることは、並大抵の努力では不可能です。用語の大よその意味が理解できていたり、見当がついていれば、調べるときに大変助かります。校正に費やせる時間は無限ではありません。校正マンは、校正だけできればそれでよいというものではなく、定められた納期を守って校正できることもプロフェッショナルとして当然のビジネスマナーです。限られた時間で、どれだけ正しい情報にたどりつけるか…校正マンとしての力量が問われるところです。
前条と内容が重なりますが、ジャンルを問わず知識を習得するための心得をもうひとつ。友達との何気ない会話、家族との日常、職場で流れているラジオ、テレビ番組やCM…等々、日々の生活は情報収集に事欠くことがありません。しかしながら、ただただ聞き流してしまうのか、ちょっと意識を持って聞いているかの違いで、情報収集の機会は雲泥の差を生み出してしまいます。「さぁ~情報収集だっ!」と意気込んで調べものをすることもありですが、日々の生活でのチャンスを逃す手はありません!いちいちメモして資料を残すなんてことは大変ですので、少し意識を変えるだけで充分です。人間の脳ミソは全く知らないコトを思い出すことは不可能ですが、一度でも耳にしたことは思い出せる可能性が0%ではありません。また、必要に迫られた場合や、自分が興味のある事柄は自ら情報収集することができますが、自分の頭の片隅にもないような事柄についての情報を収集することはできませんよね。不特定多数を対象に情報提供してくるラジオやテレビ、街中での雑談や目にする様々な媒体をちょっと意識するだけで、情報収集のきっかけは生まれるのです。
校正時での「疑問出し(注)」の巧拙に、期せずして校正マンの能力があらわれてしまいます。とんでもない見当違いの疑問出しをした場合、校正マンは赤っ恥をかくだけでは済まされず、校正の精度そのものに疑いがかかり「この校正マンで大丈夫?」という状況を引き起こしてしまうのです。「これで大丈夫ですか?」と指摘したのに、「オマエこそ大丈夫かい?」という展開に…(涙)そんな事態を招かないためにも、日々是情報収集は、プロフェッショナルとしての日常のあり方です。
(注)疑問出し…原稿の間違いや不備ではないかと考えられるが、調査してもはっきりとは間違いだと判断できない箇所を「これで大丈夫ですか?」と、制作者や先方様に確認するために校正紙に校正マンが鉛筆で書き込んでおくこと。
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痴漢の概念が曖昧だからじゃないですかね?満員電車内で密着状態になっても、別に痴漢しているのとイコールではないですし。ただ、そう感じる人もいるし、そう訴える人もいると。
萌えアニメやマンガでよく見る描写で、女性キャラが専ら自分起源の理由で裸やらパンツやらを好きな男性キャラに見せてしまう。あるいは胸などを触らせてしまう。というのがあって。この出来事の結果、大体女性キャラは真っ赤になって怒って、男性キャラに暴言を言ったり暴力を振るうんですよ。
この場合、女性が引き起こした行動の結果で起きている訳ですから、男性にはとばっちりでしかないのですが。こういうアニメの男性キャラは恐ろしく心が広いので本気で怒ったり絶交したりはせず、ニヤニヤ笑って「ゴメンゴメン!」と謝ったりするのです。
この場合、女性キャラは男性キャラに好意を持っており、それ自体が大事になる事は少ないのですが。現実では、図らずも…って事が色々発生して、客観的に痴漢かどうかは判断しがたいのでは無いかと。
http://anond.hatelabo.jp/20170516141639
ハイヒール問題って議論の前提がまちまちなせいで混乱することが多い気がする。「ヒール」という言葉で何をイメージするか結構違ってる気がするんだよね。
なので、ある人が「ヒール靴で就活してる人なんてほどんど見ない」といえば別の人は「フラット靴で就活してる学生なんて見たことない」と言うことになる。
一部の人は、9センチのピンヒール(SATCでキャリーの履いてるルブタンみたいな)しか「ハイヒール」と認識していないし、別の人は、2センチでもヒールがあればヒール靴と呼んでいる。
ブコメだと、「パンプス」という言葉なんかも定義がまちまちのようで面白い。
1.ヒールの高さ。
・完全にフラットなもの。ソールの厚みがあるので、1センチヒールみたいな表記のことも。
2.ヒールの形状
・フラット(つま先とかかとに高低差なし)
・チャンキーヒール(最近の流行。太目のヒール。何年か周期で流行ったりダサくなったりしてる気がする)
・ピンヒールよりは太いけど、チャンキーよりは細い、一般的なヒール
・ウェッジソール(つま先とかかとに高低差はあるが、ヒールが分かれていない)
3.つま先の形
・ポインテッドトウ(とがったつま先)
・ラウンドトウ(丸いつま先)
・スクエアトウ(四角いつま先)
他にもいろいろあるけど、とりあえずこの三点でだいたい分類できる。たとえば、バレエシューズはたいていフラットでラウンドトウだけど、ウエッジソールやピンヒールで2-3センチの高さのヒールがついていることもある。不二子ちゃんが履いてそうなハイヒールは、9センチのピンヒール、ポインテッドトウ。
この分類でいうと特に1のヒールの高さについて、どこから「ハイヒール」というのかは定義がまちまちな気がしている。ヒールをはかない人(多くは男性)は、高ヒールのピンヒールしかハイヒールと認識してないし、一方履くことが多い女性は、1センチでも高低差があれば「ヒール靴」と言っている気がする。これは、少しでもヒールがあると履き心地が全然違うからかな。
見た目についてはともかく、では、実際ハイヒールがどのような身体的な問題を引き起こしうるか。
・まず、つま先が圧迫されることによって痛くなる。痛いだけならまだいいが、長く履き続けると関節が変形して外反母趾、内反小趾になる。こうなると、靴を履いてなくても痛い。裸足で立ってるだけで痛い。なぜ「マナー」のせいで一生ものの障害を負わなければならないのか。
・それから靴擦れ。靴と足の形によるが、つま先、甲、かかとに靴擦れができる。皮がはがれて痛い。動くたびにその皮がはがれたところがぐりぐりえぐられる。拷問かな。
・さらに全身にも影響をおよぼす。「ヒールに慣れてるから、フラットだと歩きづらい」という人は、アキレス腱が固くなってしまっている。ヒールじゃないと歩けないっていうのも障害だよな、と思う。
(一方で、ヒール靴だと骨盤が自然と前傾するので、姿勢が良くなるという効果もある)
これらの傷害に加え、行動も制限される。どんなに履きやすい靴でもヒールがあると、歩くのは遅くなる。歩幅が狭くなるから。とっさの動きもしにくいから危険。疲れやすくもなる。(まあ、高いところに手が届くようになるのはメリットだけど。)なので、あなたの周りの女性社員が、たらたら歩いていたり、いらいらしやすかったり、動作がのろかったり、すぐに疲れてたりしてたら、それはヒールを履いているせいかもしれない。
ということで、第一に、身体を傷つけ、障害を与える。第二に、動きを制限し、危険にさらし、体力を奪う、というのがヒール靴。
実際に大いに生産性を下げる可能性があるので、ビジネスの場では「禁止」でいいのではないかと思う。マナーとかドレスコードって、よほど強い圧力がないと変えていけないっていうのはその通りで。夏場のネクタイが駆逐されたのも、「省エネ→光熱費削減→クールビズ」という圧力があったから。「ビジネスの場に動きにくいヒール履いてくるとか、ふざけてんの?」くらいにならないと変わらないのかな、とか思う。
もちろん仕事以外では好きな恰好すればいいと思うの。でもミニスカとか、オフショルとか、キャミとか、ミュールとか仕事で着ないでしょ、っていう。
とはいえ、今日、明日何を履いて生きていくのかという問題は今この瞬間にも突きつけられてるわけで。ローヒールでもかかとが細いとヒール靴っぽく見えるし、ミドル~ハイヒールでも、かかとが太かったり、ウェッジだったりすると安定して歩きやすいしさらにストラップがあればつま先の負担軽減できるし、一般的にラウンドトウよりポインテッドのほうがヒール靴っぽくみえるしスーツにも合う、とかあるので、なるべく「それっぽくみえる」靴を探して履くしかないのかな、と思う。
あとは服との関係。服がかっちりフォーマルなスーツだと靴は多少カジュアル(たとえば一センチヒールのラウンドトウ)でも気にならなかったり、逆に多少カジュアルな服でも高いヒールのポインテッドとかだと全身ではきちんと見えたりするので、そのあたりで調節するとか。
昨日もまた誰か線路に逃げてたな。
まあ、コート捨てて逃げたドジなやつ以外誰もつかまってないみたいだから
今現状でも逃げるが勝ちなのか。案の定ネットでもそんなことが言われまくっているみたいだ。
一応言っておくが、俺とて本物の痴漢は嫌いだし奴らが逃げるのには気分はよくない。
が、痴漢冤罪食らったらおそらくこれしか対応法がないのは今現時点でも泣けるほど厳然たる事実だ。
結果的に「痴漢冤罪食らったら逃げるしかない。」という弁護士発言までたたき出したのは、
あんたら鉄道会社及び警察・裁判所までの冤罪作成チームの活動及び冤罪対策への不作為と怠惰が引き起こした当然の帰結。
あの弁護士が言わなくても別の誰かが言って結局同じことになっていたはずだ。
逃げてる人が冤罪の被害者か痴漢かなんて逃げた人のみぞ知るだろうが、問題は逃げたのが誰かじゃない。
「痴漢冤罪食らったら逃げるしかない。」という共通常識を生み出したことそのものだ。あんたら鉄道会社に大いに責任がある。
まあ案の定その事実を認めずガン無視し反省の色ゼロでこの期に及んで被害者面してるみたいだが、あんたら無策の報いを受けてるだけで別に全然被害者じゃないから。
あの弁護士発言をあんたらが引き出したもんだから今や痴漢も痴漢冤罪も猫も杓子も線路に逃げるって話になってもうどうしようもない。
そもそもあんたら及び警察・裁判所まで全然信用されてないから最近時折聞く「冤罪の時はちゃんと冷静に応対しよう(苦笑)」みたいな火消しが馬鹿にされるだけで事態をむしろ悪化させてるってことに気づけよ。
誰も信じてないぞあれ。俺だって一応少しは信用してあげたいんだぜ?無理だけど。むしろ火消どころか信用できねーの大炎上でも起こして冤罪被害者を線路に誘導したいのかな?
信用してほしかったら今までの冤罪推奨体制が何でできてしまったのか少しは公に反省したら?
少なくとも痴漢冤罪だの痴漢だのの問題は今となってはドラスティックに物理的に完全に男女を分断するしかもう解決以前に対応策そのものがないだろ。(むしろ冤罪怖いから完全に分断してください。)
よく対策として言われる防犯カメラだってないよりは全然ましかもしれんが満員電車では効果は相当限定的だ。
そもそも防犯カメラで絶対に痴漢できない位置にいたのが明確な無罪の証拠映ってるのに有罪という事例すらあったし。
男性専用車両だって今や1両2両じゃ全然足りないだろ?女性専用車両とやらは昔空いてるとすらニュースになっていたが、男性専用車両の1両程度では逆に男が殺到して乗れないとかいう泣けるニュースになるのが目に見えている。
(ぶっちゃけ10年前にこの二つ及び多少の冤罪対策をやってれば全然状況は違ってたしそれなりに有効な効果があったはずだが…な。あの冤罪は逃げろ発言を生むレベルまで状況悪化した以上もう手遅れだと思うが。)
もっともあんたらは未だに1%の対策すらしてなかったりするわけですがね。
※東京一極集中をやめて解決とかいう人もいたようだがそれいつになるかわかんねえ。出来れば確かに対応できる方法といえるが、東京五輪なんてもんで人金かき集めてるしこれから東京にさらに集中することはあっても地方分散はまずそもそも起こらないしな。
http://anond.hatelabo.jp/20170508105254
増田を眺めていたら、精神病患者の措置入院に関する法律が話題になっていた。
そうすると、痴漢をしてしまう人というのは、もしかしたら病気なんではと思い、10分くらい調べものをしてみた。
すると、やはり、最新のDSM5では、病気として、以下のようなモノが定義されていたのである:
Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%83%E8%A7%A6%E7%97%87)より適宜抜き出し
窃触症(せっしょくしょう英語: Frotteurism)とは同意していない他者の体を触ったり、自らの身体をこすりつけることに性的興奮を感じる性的倒錯である。
A. 少なくとも6カ月間にわたり、同意していない人に触ったり、身体をこすりつけたりすることから得られる反復性の強烈な性的興奮が、空想、衝動、または行動に現れる。
B. 同意していない人に対してこれらの性的衝動を行動に移したことがある、またはその性的衝動や空想のために臨床的に意味のある苦痛、または、社会的、学業的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
同じページには、薬物療法もあると載っていて、ホルモン剤の投与も書かれている。何のことはない、これは、所謂「化学的去勢とよばれるもの」をしているのだ。
精神障害者は危ない、病気だから薬を飲ませて、入院させなきゃというのなら、全く同じロジックで、6ヶ月以上継続する痴漢は病気だ、薬を飲ませて去勢しなきゃが成立する事に、もうなっているのである。
6ヶ月以上継続するということの立証は凄く難しくて、まあ無理なんだろうけど、仮に「やっちゃいけないと分かっているのにやってしまう」ことで苦しむ痴漢がいるんなら、サポート出来る世の中にはなってほしいと思うのであった。
安倍首相や現政府の動向、またそれに対する社会の反応を見ても、日本の右傾化は否定のしようも無いものと言える。20−30年前なら安倍首相や稲田大臣の数々の放言は毎回政権をひっくり返してもおかしくなかったようなものだが、今は保守化した社会とそれにともなう高い支持率のおかげでまったく安泰である。
こういった日本社会の右傾化の原因を探る記事は多々あるが、多くは日本の社会構造の変化、国民の気質の変化にその原因を探っている。控えめに言っても、的はずれとしか言いようがない。なぜなら右傾化・保守化・国家主義化・排他化は全世界の先進国で並列に同時に起こっているからだ。イギリスのブレクジット、アメリカのトランプ、今回当選はかなわなかったがフランスのルペンの台頭。その他の国でも国民は保守化しており、あきらかに世界的な流れである。その世界的な状況を無視して国内だけの事情を説明できたとしても、単に場当たり的な後付理論以外にはなりえない。
それではこれらの国を同時に襲った共通の事情とはなにかといえば、2008年以降の経済の停滞である。リーマンショックによる一時的とはいえ壊滅的な被害を受けた後、どの先進国も2000年前後のような高成長率に戻ることは叶っていない。一人一人が保守化する原因は多種多様だが、国民全体が一度に保守化するのは大概において経済的な行き詰まりが原因である。第二次大戦前にドイツやイタリアがファシストの台頭を許したのも、本邦が軍国主義化したのも、経済的な苦境という背景が大きな役割を追っている。70年台に不況に入ったアメリカは保守化しジャパン・バッシングを始めとする排他主義に陥ったのは日本人ならば記憶に遠くないところであろう。今回の低成長もそこまでとはいかずとも世界的な保守化を引き起こしているのだ。
したがって、先進国がなぜ軒並み保守化しているのか?という問いは、なぜ先進国が低成長に陥っているのかという問に還元されるべきである。
そしてこの問への解はシンプルだ。世界の成長余力が新興国に移っているのだ。この十年も世界経済の成長率は極端に落ちたわけではないが、先進国の寄与度は明らかに減っている。たとえば、こちらのページに世界成長率への各国の寄与度のグラフが載せられている。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4505.html
これを見れば先進国の寄与度が落ち続けており、特にこの10年ほどは先進国全体で中国一国にさえ遅れをとっていることがわかる。
ここまで読んで、「なんだなんだ。なんでも中国のせいだというのか。まるで風が吹けば桶屋が儲かるという類の与太話ではないか。」と呆れられた方もいるかと思うが、中国は単に今もっとも目立っている国ということで出てきただけであり、経済力の先進西側諸国から新興国への移動は全世界的な潮流で、たとえ中国をなんらかの理由で止めたとしても全体の方向性が変わるわけではない。例えばインドの名目GDPは今のところ約10年前の中国の水準でありしかも成長率は7%前後を維持している。中国の成長が止まれば、インドや他の新興国が経済成長の中心となり、旧先進国は常に蚊帳の外である。
では今後我々はどうすれば良いのか。どうすれば経済を安定成長に戻し、極端な排他主義のさらなる台頭を防ぐことができるのか、というのが次の問になる。
方法はない。
我々は甘んじて低成長を受け入れねばならず、民族主義の広がりを黙って見つめ、あるいは自分もその中に身を投じていくことになる。
この経済力のシフトは単に経済のグローバル化に伴い隠れていた成長余力が表に出てきているだけであり、経済のグローバル化は有史以来、いやそれ以前から続いてきた不可逆な流れであり、それを止めるにはローマ帝国の崩壊、中国王朝の崩壊、といった歴史的転換点に近いカタストロフィレベルのイベントが必要になる。しかもそれさえも流れを一時的に止めるだけであり、しばらく後にはグローバル化はまた進みだす。一国、又は狭い地域でグローバル化を無理やり止めれば自由経済主義の国々に遅れをとり、状況はさらに悪化する。その中で自分の身を守るためにさらなる排斥主義が広がり、先進国からは寛容性はなくなっていく。
しかしそれは終わりではない。それは、これまでの先進国が後進国化し、これまでの発展途上国のなかから次の先進国が生まれる、というだけの話である。その時現ヨーロッパ、アメリカや日本は、偏狭で旧来の古臭い価値観をもつプライドばかり高いが文化的に劣った国々と見られるようになっていることだろう。
このツイートに端的にまとめられているが、北朝鮮からのミサイルは10分ほどで着弾するので、発射から30分以上も後に停止したところで既に現場は火の海である。
ミサイル被害の最小化を目的とするなら着弾前に止めなければ意味がなく、今回は情報を確認できた時点で既に着弾予想時刻を過ぎていたことから、止める必要はなかった。
もちろん、ミサイル発射報道を確認した時点で第二射、三射を想定して念のため止める、という判断もありだろう。
しかし、その目的であれば10分で運行再開は早すぎる。十分な停車時間をとり、次弾の可能性は少ないと政府発表で確認できてからの再開にすべきだ。
もし次弾を想定して止めたのだとすれば、「次弾の可能性は十分少ない」ことをたったの10分でどう判断できたのか、ということが疑問になる。ここも不可解な点だ。
今回の運行停止が遅すぎた理由は、J-ALERTが発動せず、報道が起点の行動になったからである。
現在のところ、ミサイル着弾までの10分以内に確実な情報として受け取れるのは唯一J-ALERTであり、J-ALERTが発動しなかった時点で民間でできることはもうないと言っていい。報道から判断したところで間に合わない。
不確実で遅い情報を起点に行動してしまうと、偽のミサイル発射情報を流す→テレビ報道→運行停止で大混乱と、北朝鮮の思いのままになってしまう可能性も考えられる。
不確実な情報で惑わされ、パニックを引き起こしてはそれこそ安全保障上の問題になる。マニュアルがそうなっているのであれば、J-ALERT以外の情報は使わないと改めるべきだ。
元増田です。
私は妻帯世襲反対派です。
1:日本の現状として仕方がない
2:日本の戒律は大乗菩薩戒(梵網戒)だから不邪淫戒は不倫をしないということで結婚は大丈夫
3:明治5年の太政官布告「僧侶の妻帯勝手たるべし」に由来する
まず(1)は寺門興隆の為とか何とかいいます(建前)が、それで興隆するのは家門(本音)です。これは「寺=私有財産」と考えられていることに関連している言い訳だと思います。
(2)少し専門的ですが確かに梵網戒(ぼんもうかい)は、不邪淫を説くだけで具体的なことは述べていません(梵網戒は日本仏教の中では最も依拠されているもの)。解釈も時代によって大きく異なっていますが、現代のように「不倫しない」というのは、「なんで僧侶なのに妻帯しているの?」と聞かれる頻度が増した現代的な解釈だと思います。しかし宗団が依拠する経典を読むと「性交渉」そのものを禁止しているので「不倫しない」は現代的に都合のいい解釈かと思います。「経典<解釈」という現状がここで浮かび上がります。
以上のことから、私の意見としては「僧侶として結婚をして子どもを産んで育てて世襲させる根拠はない」です。
余談ですが、必ず引き合いに出されるチベットやタイのお話です。
彼らと接して話をした上で分かった程度の知識です。
それは短い期間でも出家することが親孝行という一面があるからです。
僧侶になったのに還俗するということは、ある意味で棄教とも取れる側面があるので、それはそれで問題かと思います。
厳密に戒律を一生守る僧侶は日本と同様に極めて少ないと言っていいと思います。
また全ての戒を守るわけではなく、多くの戒律の中からの自分の守れそうなものを選択して僧侶になります。
次にチベットですが、戒律復興運動が起きて「根本摂一切有部」という戒律に則っています。
しかし、この戒律復興が問題を引き起こしまして、チベット仏教が誇る「性ヨーガ」が戒律と矛盾する状態に陥りました。
そこで実際の性交渉を避けて「頭の中で性交渉を思い巡らすんだ」という修行法が制定されて、それが現代の主流になっています。
仏教その他のオールド宗教だって、成長過程では社会との様々な軋轢を経験してきた。
キリスト教だってテロどころか大虐殺や、国家間の戦争も引き起こしてきた。決して「安全」な教えではない。
ユダヤ教からみれば、キリスト教もイスラム教も、同系列の新興宗教だ。
ただ彼らオールド宗教には、「どうにかこの社会とそれほど揉めずに折り合いをつけてきた」この数百年の歴史がある。
そこが、たかだか100年以内の歴史しか持たない新興宗教との違いだ。
宗教は、人に、既存の社会システムとは異なる原理を与えることで、そこから零れ落ちる思いや悩みを救済する側面がある。
だから、社会にとって危険でないものは宗教ではないし、あるいは、宗教と社会システムが結びつきすぎると、社会自体がヤバい方向に行く。
両者は、仲良くできないものなんだ。
成熟して社会と折り合いをつけることは、見ようによっては宗教の「堕落」かもしれない。
だが「堕落」してない宗教は、社会的には危うさをはらんでいるんだ。
文章量が多いので、文字数制限の都合から前編と後編に分けて転載した。
北朝鮮と韓国が戦争状態に突入すると、その二国だけが被害を受けるならともかく、実際は日本やアメリカ、そして後述するようになんと中国やロシアまでも思わぬ被害を受ける事になってしまいます。
戦争になると、北朝鮮と韓国は誇張ではなく「双方の国が亡びる」事になります。
日本は北朝鮮自身が「有事の際には日本もミサイル攻撃する」と宣言しているので全然対岸の火事ではなく、ミサイル攻撃だけでなく国内にいる北朝鮮工作員達による様々な形のテロも起きて被害を受けるでしょう。
ミサイル攻撃については、核が搭載されているか、まだ実用化されていないかはわかりませんが。
アメリカの場合は、北朝鮮のミサイルはまだ届かないと思いますが、日本と同じく全米各地にいる北朝鮮の工作員達が一斉にテロをやってきたり、北朝鮮から出港した潜水艦でアメリカ本土を直接ミサイル攻撃してくるという事も起こり得るでしょう。
朝鮮半島有事は、「北朝鮮と韓国の当事者国は双方が亡びるし、関係国も甚大な被害を受ける」という、まったく誰の得にもならない事態を引き起こすため、何があっても戦争になるのだけは絶対に回避しなければいけません。
北朝鮮自身が日本への攻撃も宣言しているので、「日本は対岸の火事」だと未だに思っている人はその認識を改めるべきでしょう。
それぞれの国が被害を受けないようにするには、我々は一体何をしたらいいでしょうか?
朝鮮半島にアメリカの原子力潜水艦や空母を常時配備したり、韓国に核ミサイル基地を設けて『武力による抑止』をもって戦争を回避するという案もあるとは思います。
ただ、武力による抑止は、抑止としてきちんと機能するうちはいいですが、逆に緊張をより高めて戦争状態に突入させやすくする事にもなりかねません。
「武力による抑止」をやるかどうかとはまた別に「情報による抑止」もあらかじめしておいて、戦争を回避しようとすべきではないでしょうか。
「情報による抑止」は、今この文章を読んでいるあなた方もそれに簡単に協力できる事です。
『情報による抑止』とは、北朝鮮と韓国の双方の人間に、「戦争状態に突入すると、どちらの国も必ず亡びる事になる」という『必ず起こる事実』を繰り返し認識させ、何があっても戦争しないように仕向ける事です。
実際に戦争状態になると、誇張ではなく北朝鮮も韓国も双方の国が亡びる事になります。
「片方の国は被害が軽微」という事は絶対にありません。確実に北朝鮮も韓国も双方の国が亡びる事になります。
「それがわかっていてもなお、あなた方北朝鮮と韓国はまだ対立を続けるのですか?もう和解するべきでは?」と、突きつけるのです。
しつこいくらい繰り返し、繰り返し。
また、実は後述するように、『もっと洒落にならない事態を朝鮮戦争では引き起こしてしまう』というのがあります。
こちらの方がインパクトはより大きい。
<各国が受ける被害>
まず北朝鮮はアメリカが戦争を短期で終結させようとして、核攻撃も辞さないで本気で総力をもって攻撃し、北朝鮮は壊滅するはめになります。
一方、韓国は北朝鮮の攻撃でソウルが開戦まもなく火の海になり、他の都市も北朝鮮の熾烈な攻撃を受け、莫大な数の死者が出て、おまけに韓国経済も壊滅するでしょう。
朝鮮有事は、「北朝鮮と韓国の双方が亡びる」という事につながり、その点だけでも北朝鮮と韓国の人間はどちらも「何があっても戦争にならないよう、もう対立はやめて対話を選ぶ」と改めて認識すべきです。
いまだにお互いがお互いの国を非難しあっていますが、その先には「双方の国の破滅しかない」という事にいい加減両国の人間は気づくべき。
実は北朝鮮と韓国の被害はそれだけには留まらず、もっと洒落にならない事態を引き起こします。
「戦争状態になると、北朝鮮の核処理施設や韓国の何十基もある原発が攻撃を受けたり、あるいはまともに管理されなくなり、チェルノブイリや福島原発事故をはるかに上回る量の放射能放出が起きてしまい、朝鮮半島の大部分を強い放射能汚染で人が住めない地域にした上で、周辺国のロシアや中国、東南アジア、日本などにまで汚染が広がる」と、世界各国の研究機関が『朝鮮半島有事の際にはほぼ確実に起こりえる事』として想定をしています。
原発の存在をすっかり忘れている人も多いようですが、北朝鮮にも韓国にも数々の核処理施設や原発があり、おまけに北朝鮮は2015年にも「有事の際には韓国各地の原発を攻撃する」とはっきり宣言しています。
ミサイル攻撃以外にも、戦争時に南北の軍事境界線が大きく動くと施設から人間が逃げ出し、停止させた原発も送電施設や発電所がやられてしまうとまともな管理者達が逃げた状態では原子炉や燃料プールのメルトダウンを引き起こします。
福島原発事故では燃料プールのメルトダウンはなんとか防げましたが、北朝鮮と韓国の戦争では人が逃げ出してしまいそうはいかなくなります。
燃料プールのメルトダウンまで起き、放出される放射能の量は福島やチェルノブイリ事故とは比較にならないほど莫大な量になる、と世界各国の研究機関で試算されています。
北朝鮮と韓国が本格的な戦争状態に突入すると、朝鮮半島の多くの地域がひどい放射能汚染で人が住めない地域になってしまうのです。
ロシアや中国、東南アジアや日本などその他の国々にまで汚染は広がり、周辺の海までもひどい汚染を引き起こす。
逆に言えば、この事実をもっと広く知らしめる事が、北朝鮮と韓国の双方の人間に戦争を思いとどまらせるための『大きな大きな抑止力』になりえます。
そのためには、北朝鮮と韓国の双方の国に対して、「戦争状態では原発や核処理施設が攻撃を受けたり適切な管理が行えなくなり、チェルノブイリや福島原発事故を大幅に上回る量の放射能汚染を引き起こし、朝鮮半島の大部分を人が住めない地域にした上、ロシアや中国、東南アジア、日本などにまで汚染が広がってしまう。戦争だけは何があっても回避しないといけない。」という緊急の声明をIAEAや国連が繰り返し出すのです。
IAEAや国連はそのような事態を回避したいと本気で思うなら、今すぐにそういう声明をきちんと出すべきです。
そういう事にならないようにするのがIAEAや国連の本来の役割でしょ?
今でさえ福島原発事故によって原発に対しては世界的に風当りが強くなり、東芝の倒産寸前になるほどの莫大な損失でもわかるように原発業界は斜陽産業になっています。
もし朝鮮半島で戦争が起き、想定されていたとおり大規模な汚染が実際に起きると、もう世界中で原発に対する大きな拒否感が出て、今以上に終わるのは確実です。
IAEAにとっては非常に望ましくない事態を招く事になります。
IAEAはそういう事態を回避したいのなら、今のうちに緊急の声明を北朝鮮と韓国の双方にきちんと出して、絶対に戦争が起きないようにすべきです。
また、youtubeで「朝鮮半島有事の際には、大規模放射能汚染が確実に起こる」という内容の動画をアップロードするという手もあります。
ピコ太郎氏がPPAPの動画一つで思わぬほどの莫大な富を得た事がありました。
インパクトのある動画なら信じられないほどの再生数を世界で叩きだし、広告収入もすごい事になります。
「朝鮮半島有事の際には、放射能汚染により朝鮮半島の大部分を人が住めない地域にしてしまう」というのは、相当インパクトのある話です。
そういう内容の動画をアップし、多言語向けの字幕バージョンもきちんと作れば、今朝鮮半島情勢が緊迫している事もあって、世界各国での再生数がすごい事になるでしょう。
また、その動画は北朝鮮と韓国の緊張が高まるたびに繰り返し紹介され再生数は今後もずっと伸びていきます。
残念な事に万が一戦争状態に突入して朝鮮半島の放射能汚染が現実の物となってしまった場合も、「事前に放射能汚染を警告していた動画がある」という事で世界中で次々と紹介され、再生数がものすごい事になってしまいます。
youtubeで動画をアップロードしている方や、3DCGでリアリティのある映像を作れる方は、以下のような感じの動画を作ってみてください。
「朝鮮半島で戦争状態に突入すると、戦争開始からまもなく周辺国で放射能が漏洩しているのが検知される。北朝鮮の核処理施設や韓国の原発から放射能漏洩が起きているのが判明するも、もう止める事はできなくなり、汚染は朝鮮半島を中心に広がり、朝鮮半島の大部分が人が住めない地域になった上、ロシアや中国、東南アジア、日本などのその他の国の一部にまで汚染は広がってしまう。だから戦争になるのだけは絶対に回避しないといけない。」という内容の動画を。
普段から映像制作の仕事をされている方、日本の方だけでなく海外の方でもいいので、どうかそういう動画を作ってyoutubeにアップして拡散していただきたい。
あなたが作ったその動画が世界中で話題になると、北朝鮮と韓国の双方の人間に思いとどまらせて戦争状態に突入するのを回避でき、ひいては日本が被害を受けるのを回避するのにつながります。
おまけにPPAPほどではないと思いますが、再生数に応じた広告収入で結構洒落にならない額の金が入ってくる事になるでしょう。
私と違って動画を作るスキルを持っている方は、今目の前に転がっている「大金を手に入れるチャンス」をどうかお見逃しないように。
後編はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20170412123845
どうしてガンダムにこだわるんだよ、って肯定派から言われそうだけどさ、その言葉そっくりそのまま返したい。
同性愛について語るなというわけではない。ただ、まるでこちらが本筋の話のように持ち上げられるのがおかしい。
(脚本家にとって)魅力的な敵役にフォーカスを当てるなとは言わない。でもなんで2期から出てきたぽっと出をまるでメインポジションに据えるのかがわからない。
ガエリオvsマクギリスって構図って美しい!とか盛り上がったんだろうな、主人公は誰だよ。
結局、脚本側からすればすでに鉄華団側は魅力のないもの(自分で作った癖に)で、ラスタル陣営書いているの楽しい!真の主人公はガエリオよ!とか思ったんだろうなって。
三日月の子供が暁!すごいいいアイディア!とか思ったんだろうなって。
もちろん男性キャラだって魅力的だけど、ほかのアニメよりもたくさんの女性キャラがかっこよく魅力的なのがガンダムの魅力の一つだと思う。
でもあとは、全面に立ってかっこよく戦う女性(ジュリエッタはMSに乗っていただけで、ラスタルの側近でしかなかったわけなので論外)がとても少なかった。
まあクーデリアも1期で、追われている身にも拘わらず衛生状態がーとか言ってのんきに買い物行くとかいって面倒ごとを引き起こしたわけだけど。
あと、歴代ガンダム作品に対する敬意的なものが一切感じられなかった。
どっちかというと、ファーストガンダムの最後のアムロとシャアの決闘でヘルメット同士ぶつかったシーンに対して「めっちゃラブラブじゃん!」みたいな感想しか持ってなさそう。
ガンダムかそうでないか抜きにした感想の一つに起承転結もおかしかったことも挙げられる
これが終了直後の感想。
公共の電波で「痴漢被害者が痴漢を引き起こしている。被害者ぶるな」とセカンドレイプができてしまう日本。それが「正論」と言われて何千RTもされる日本。
「痴漢防止運動をしている超ミニスカ女子高生」のコラ画像が何万rtもされる国日本。この国にはナチュラルに、デフォルトに、セカンドレイプ思想が根付いている。
日本人女性が海外で殺されると女叩き、被害者叩きの嵐になる国。
にもかかわらずネットどころかメディアまでもが女尊男卑女尊男卑と言い出した国
こんな国が他にあるだろうか?
こんな国は早く滅ぶべきだ。海外に日本の異常性が知れ渡るべきだ。
なんでこんな国に生まれてしまったんだ。発展途上国ですらない。だってもう発展しないんだから。ネットで若い人にミソジニーがどんどん根付いてきてどんどん悪くなってくるそういう国なんだから。
昭和の時代やイスラム国に生まれたほうがまだ楽に生きられたと思う。だってあっちにはネットの女叩きがないし、明らかな男尊女卑をみんなが問題視してくれるからこれから良くなる希望が持てる。女尊男卑ガーで溢れた日本社会とは違う
女叩きする男どもにはどんどん生きやすく過ごしやすい天国のような国になるだろうね。だってこの国は女叩きに支配されるんだから。女叩きする男が議員や裁判官になって女を苦しめるんだ。そうなるに違いない。もうそうなってるかもしれない。
でも女叩きする男はどれだけ恵まれようが図に乗って女尊男卑ガーと難癖つけてわめきまくるに違いない。
ああ、もうこの国どっかのテロリストが滅ぼしてくれないだろうか。
公共の電波で「痴漢被害者が痴漢を引き起こしている。被害者ぶるな」とセカンドレイプができてしまう日本。それが「正論」と言われて何千RTもされる日本。
https://twitter.com/_auel/status/793758629773979648
「痴漢防止運動をしている超ミニスカ女子高生wwwこりゃ痴漢がなくならないわけだわwww」のコラ画像が何万rtもされる国日本。「夜中に出歩く女はレイプされても文句言えない」と日本会議の女たちが言う日本。この国にはナチュラルに、デフォルトに、セカンドレイプ思想が根付いている。
共通してみられるのは「被害者ぶるな」という言葉(被害者だというのに)。これは「レイプは露出が多いから起こる」というレイプ神話や自己責任論のほかに何か関係しているのではと思えてならない。
クロロホルム自体は実際には多少吸引しても気を失うことはなく、
クロロホルムには麻酔性があることは事実であるが、これを発現させるためには相当量を吸引させなければならない。
他方、過度の吸引は腎不全を引き起こし、死に至らしめる可能性が高く、
麻酔として用いるためには吸引量と全身状態を管理された状態に置かねばならない。
すなわち麻酔としてクロロホルムを用いるためには、かけられる側にも「麻酔される意志」が必要であるということである。
2013年10月8日放映の『有吉弘行のダレトク!?』(フジテレビ)では、
慈恵医大の麻酔科の准教授が「クロロホルムを嗅いで一瞬で気絶することは絶対にない。
大量に染み込ませたハンカチなどを口に当ててゆっくり大きく何度も深呼吸をして
5分間くらい続けないと通常は気絶しない」と解説をもとに、
また、クロロホルムが肌に触れると、状況によっては爛れを発生させ、一生消えることのないキズをおわせることにもなりうる。
ホルマリン=ホルムアルデヒド(化学式:CH2O)の水溶液のこと。
人体へは、濃度によって粘膜への刺激性を中心とした急性毒性があり、
蒸気は呼吸器系、目、のどなどの炎症を引き起こす。
この2つが豊かなおかげで農業生産性が高く、大人口を養えて、そこから文明が発達するんだから、
その証拠に、大文明が滅んだ地域は大抵森林資源の枯渇や砂漠化を引き起こしてる。
日本も江戸時代後期には人口3000万人を養いながら寒冷期に突入して禿山を増やしてた。
化学肥料の発明がもう少し遅れてたら今の日本はなかったかもしれない。
平野の少なさも農機のない時代にはそれほど大きな障害じゃない。
そもそも開拓に必要な余剰労働力がないと開拓できないし、そっちがネックになることの方が多かったはず。
労働力を増やすには農業生産性の改善が必要で、農具の刃に必要な鉄鉱石も、鉄の生産に必要な大量の木材燃料も日本は豊富。
自然災害は確かに多いけど、山がちな島国だから旱魃は比較的少ないと思う。
こういう感じで前近代までの農業事情は相当有利で、前近代まではほぼ農業生産高で国力が決まる。
http://syakkin-dama.hatenablog.com/entry/20170224/1487937935
http://b.hatena.ne.jp/entry/syakkin-dama.hatenablog.com/entry/20170224/1487937935
最初ブコメとして書こうとしたが,100字制限の下では意図が正確に伝わらない恐れが大きいのでこちらへ。
これに加えて,ブコメでは,
の問題までごちゃ混ぜにしようとしている。
この文章では,「効率と弱者救済の問題」に限定して,単純化された思考実験を以て,元記事の問題点を明らかにしてみたいと思う。
1人が1日暮らしていけるだけの給料がもらえる仕事量を1とする。
全員が,元記事で言う所の「強者」,すなわち定時(8時間とする)内に1の仕事をこなせるのであれば,残業禁止でも誰も困らない。
だがここで,なんらかの理由(発達障害に限らない)で,1の仕事をこなすのに9時間かかる人が居たとする。
それは「弱者切り捨て」だから問題だとして,1時間までの残業は認めることにする。
(実はここで,正しくは,2つのケース=その1時間に対して残業代を支払うか否か,に分岐するのだが,それを考慮しなくてもこのやり方が破綻することを示せると思うので,このまま進める)
さて,すぐにわかるように,1の仕事をこなすのに10時間かかる人も居るだろうということは容易に考えられる。
その人を救済するためには,2時間の残業を認めなければいけない。
以下,この数字がいくらでも増えていくことは,容易に想像できる。
例えば,1の仕事をこなすのに25時間かかる「弱者」も中には居るだろう。
そういう人は,このやり方では救えない。
この思考実験で言いたかったのは,「残業を禁止しなくても全ての(効率の悪い)弱者を救えない以上,残業禁止は(効率の良い)強者の論理だから間違っているという非難は成り立たないのではないか」ということである。
結局,この問題は,「残業という仕組みで,どこまで(効率の悪い)弱者を救うべきか」という問題に帰結されてしまう。それが0時間/日なのか,何時間/日なのかは,バランスの問題であって,all or nothing で是非が決まるものではない。
現在の日本社会においては,労働の長時間化が,消費=需要の減退→物価の低下→賃金の低下→労働のさらなる長時間化→...という悪循環が引き起こしているのではないかという推定がある。また,単に短期的な影響だけでなく,労働の長時間化が中長期的な少子化をもたらし,それによるさらなる需要の減退という悪影響が生まれることも懸念されている。
ならば,この悪循環を断ち切るために,労働時間を短くする方向へ規制をかけるというのは,マクロの「バランス」を考えると間違った考えではないと思われる。
他方この政策が,一定数の「暮らしていけない弱者」を生むのもまた確かだろう。
それらの人々を切り捨てるのは,人道的のみならず,経済を回していくという点からも正しくない。そもそも,人口減少を避けるための政策なのだから,切り捨ては本末転倒である。
ただしそれらの人々は,「残業許容」ではなく,別な方法(例えばBIのようなセーフティ・ネット)によって救うべき,というのが今の流れなのではないだろうか。
本来、三大命題の二つ目を書きたかったところだが、こちらの問題を先に論じさせてもらう。
この論考は以下のURLにたいする一人の若者からの反論である。
https://togetter.com/li/1080097
以上の新聞記事で、上野女史は「経済を犠牲にしてでも、平和国家として衰退すればいい」と主張している。
この主張にたいする批判等は、本職の社会学者に任せるとして、ここでは私の純粋なる反感について述べていきたい。
上野女史は無邪気にも、戦後日本を「平和国家」としてとらえている。
この考えはまったくの見識違いといわざるをえない。
そもそも、戦後日本の社会体制は1940年代の「総力戦」体制を「経済最優先」の形として再編したものである。
扶養控除、源泉徴収、終身雇用制、護送船団方式のすべてが元々「戦争を想定して」造られたものだ。
1950~60年代には、「高度経済成長」の美称の裏で、世界でも稀にみる学生運動、市民運動、社会不安が吹き荒れていた。
70~90年代にかけては、家庭や企業に社会体制のガタが入り、人々を「死へと誘う」システムへと変貌していった。
これが少年非行やいじめ、過労死などの狂気的な状況を引き起こした。
戦後日本とは、世界的にも稀にみるただの「ゆたかな社会」である。
まったく「平和」でも「民主的」でも「自由」でもなかった。ただただ「ゆたか」だっただけである。
しかも、「ゆたかな社会」は90年代~2011年にかけて完全に崩壊した。
最後に、原発事故とともに社会の安全神話が吹き飛んでしまった。
この事実について語らない者はすべて、今の時代にたいして不誠実である。
それはギデンズやバウマン、ジョッグ・ヤングなどを見てもらえば分かるが「流動的、効率的」である。
企業におけるセーフティーネットが「生産性や自己実現の神話」の名のもとに縮小され、
政府が担っていた安全保障は「構造改革」の名のもとに縮小され、
監視カメラやSNSの監視なしに、人々は安心して生きることができない。
不誠実な脳科学や認知神経科学、AI研究によって人間という「私」の特権性が失われ、
人々は常に失職と人間的尊厳の消失を心配するようになっている。
そして、このような多様な人々が同じ町で同じように暮らしている。
このように、後期近代社会とは
当たり前だったものがすべて崩れ去り、人間を永遠の虚無へと投げ出すのである。
このような状況では、人々は二つのレベルの不安を抱えることになる。
である。
人生の多くを占める活動である仕事にふさわしい「対価」が支払われなくなってしまった。
一方、ただ一日中、パソコンを見つめて投資とやらというギャンブルをするだけでも「対価」を得られる人々もいる。
「不当な地位にいる!」
「ふさわしい金額、敬意をもらっていない!」
という相対的剥奪感を抱かせる。
また、後期近代の社会はいわゆる「コミュ力」の高い人々が成功する。
軽薄に仕事にたいする敬意なく、強者に追従する人々が「評価」され、グローバルエリートとして出世していく。
そして、仕事に真面目ながらも報われない弱者は常に「自己批判」と「変革」を迫られる。
二極化する現実に人々は「私は人間らしい扱いを受けていない」という存在論的不安を抱かせる。
そして、人々はつねに不平不満をもらすのだ。
「私はこうなれたのに……」
「私もこうしたかった……」
ここでは深く述べないが、この可能性としての私=‹他我›にたいする深い怒りの感情が現代の社会不安の核心にあるように思う。
上野女史は「みんな貧しくなる」ことによって、この怒りを無くせるなんて無邪気にも思っている。しかし、それは不可能である。
この感情こそが永遠の虚無において、私を生きることのできる唯一の鍵だからである。
――常に人々に嫉妬を抱かせながら、その嫉妬を用いて欲望を加速させる。そして、その嫉妬を全身に受ける者は高笑いしつづける。
このような後期近代のグロテスクさに最初に抗議をあげたのが赤木智弘だった。
彼はある論考で「夢は戦争」とドゥルーズ的な集団自殺の理論を主張した。
今や「戦争」こそが「富裕層」を富ませ、「貧困層」を殺すことを知っているからだ。
加藤智大、植松聖などの社会的自殺者は、情報として処理され資本となる。
そして、情報となった「自殺」は「貧困層」による社会転覆の不可能性を解き、
後期近代において、「自殺」こそが「富裕層」へのもっとも積極的な「支援行為」なのだ。
防ぎようのない「天災」によって、
この瞬間を心の底から待ち望む。
109が崩壊し、秋葉原が灰塵に帰し、大手町のサーバーがダウンし
白金の御婦人たちが焼け出され、お台場の子どもたちが押しつぶされるとき、
そのときに来るのが、
東のいう変質したファシズムなのか
知ったことではない。
相対的剥奪感や存在論的不安に晒されることなく嗤いたいのである。
そして、私は嗤いながら確信する。