はてなキーワード: デジタル大辞泉とは
確率で発生することが「期待される値」であって「期待の度合い」では無いという認識で、後者として使われていると雰囲気で言葉を使う人なんだなと思っていた。
観測数が増えている気がして、期待値警察でもやろうかと思って調べた。デジタル大辞泉にだけは後者も載っているようだ。ええ…《1から転じて》とのことだが、転じていなくないか。
なんとなく納得がいかなくて、大辞泉の何版から載ったのか図書館に調べに行こうかと思った。しかし辞書の版違いが棚に並んでいるのを見たことが無い。
もしかして版ごとの違いって、辞書が出る度に買っている変わった人にしか調べられないのだろうか。そりゃ買うわな…。
思えば意味が複数あるときの 1 2 .... も何と呼ぶのか分からない。項だと単語を指しそうだ。
子供の頃は辞書を読むのが好きだったし、いくつかの YouTube チャンネルのおかげで辞書の面白みを知ることができた。でも自分は辞書のことも意味の調べ方のことも全然知らないのだな。
俺は20代後半のアニメゲーム漫画オタク。オタク差別意識、被差別意識の話を言語化したい。友達にこういう話をするのは俺が面白くないからお前らにするね。
地方の郊外に生まれてあんまりオタクとしての差別みたいなのを実感せずに生きてきたので俺の話から地方の農村部に関しては盲点があるよ。
「特定の分野・物事にしか関心がなく、その事には異常なほどくわしいが、社会的な常識には欠ける人」(広辞苑)と
「ある事に過度に熱中し、詳しい知識をもっていること。また、そのような人」(デジタル大辞泉)
の二パターンがぱっと出てきた。他にもあったら教えてください。
比較的年齢の高い人は前者の「その事には異常なほどくわしいが、社会的な常識には欠ける人」を強調して使うし、当時あったコミケに対する偏見のある報道とかを念頭に話をしてる気がする。
また、当時は実際に偏見が社会の大半を覆っていただろうことは想像に難しくなく、いまもその世代における人間関係ではその偏見や差別が保存されていると思う。
だから、差別されていないって話をすると猛烈に反発をする。実際問題、そこに差別があるから。また、当時としてオタクカルチャー(と2021年にくくられる)趣味を楽しむことはすなわち生き方としてオタクであることを強いられてきたと思う。なのでこの定義を強調することは自然だと思う。
それに対して、比較的年齢の低い世代においては後者の「ある事に過度に熱中し、詳しい知識をもっていること。また、そのような人」の方を強調して使ってる気がする。少なくとも俺はそう。
インターネットの発達で、絶対的に「詳しい知識をもっていること」へのハードルが下がりソーシャルゲームやVOCALOIDの発展によってコミックマーケットに集まるような趣味(どっかの大学のコラムに書いてあった言い回し)が社会通念上好意的に受け入れられるようになった。
漫画の広告が地元の在来線の中吊り広告に乗ってたりするし、ややガラの悪かった同級生と久しぶりにあったときはマンガアプリの名前がいくつか出てきてソシャゲに熱中してる話をきいた。 無料期間で数十巻全巻読破しちまったぜーとガチャに爆死したみたいなやつ。
つまり、それがコミックマーケットに集まるような趣味であったとしても「ある事に過度に熱中し、詳しい知識をもっていること」に当てはまる人がどの層にも多いように思う。昔であれば数十巻読破してる人はなかなかのもの好きになる情報量じゃない?
それがありふれているからオタクという属性で差別される気がしない。オタクカルチャーを楽しむ人であることとオタクであることはあくまでグラデーションでそこに断絶があるとは思えない。オタクと呼ばれたとき「社会的な常識には欠ける人」の意味を含んでいる気がしない。
「社会的な常識には欠ける人」への差別やその救済の話をオタクカルチャーに対する諸問題への反応に含んでいることが比較的若い世代の困惑の原因かなと思う。
この話に確実にある盲点はwebで参照した辞書の定義の発行年数を確認していないので編纂時期にずれがあるかもしれないこと、上の年代への話があくまで推測であること、社会通念上受け入れられるってなんやねんってこと、そしてn=1をクソでか主語で語ってることなのであくまで俺の意見の言語化にすぎないことだ。ここは何を参照すればいいのかわからんかったから、はてなの長老たちにお任せするよ。
読んでくれてありがとう。俺は満足した。
週刊少年ジャンプ2021年30号掲載の『ONE PIECE』第1017話で、衝撃の事実が明かされた。
それは、12年前、ゴムゴムの実が「政府の船」で「護送」されていた、というものだ。
ここからシャンクスやその他のキャラに繋げて与太話のような考察……というか憶測が飛び交っているが、
ここでは確実に拾える台詞だけを抜き出して、この真意について書き記したいと思う。
[第1話]ONE PIECE - 尾田栄一郎 | 少年ジャンプ+
物語の後半で、赤髪海賊団のベン・ベックマンは、山賊ヒグマにこう言う。
「ウチと一戦やりたきゃ」「軍艦でも引っぱって来るんだな」
軽く読み飛ばしてしまいそうな一言だが、違和感はないだろうか?
一般人の口語であれば、そんな定義を明確にはしないだろう。だが、これは漫画で、作者、(アシスタント)、担当編集、編集長と、複数のファクトチェックが入る。
「軍艦」「戦艦」「艦隊」……いくつもの言い換えができるが、この文脈で言いたいのは「個ではない戦力」のはずだ。
それならば、より攻撃的なイメージを持つ「戦艦」を使うべきではないだろうか。
日本大百科全書(ニッポニカ)では「軍艦」をこう定義している。
“「一つの国の軍隊に属する船舶で、当該国の国籍を有する船舶であることを示す外部標識を掲げ、当該国の政府によって正式に任命されてその氏名が軍務に従事する者の適当な名簿またはこれに相当するものに記載されている士官の指揮下にあり、かつ正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されているもの」”
長ったらしいが、要するに“一つの国の軍隊に属する船舶”を軍艦と呼ぶ、ということだ。
デジタル大辞泉では“海軍の艦艇で、戦闘力をもつものの総称。”とある。
「軍」艦、である。『ONE PIECE』世界を考えるなら、「海軍の戦力」と読むべきだろう。
「うぬぼれるなよ 山賊………!!」
一騎当千の赤髪海賊団(他の四皇と比べて「高い懸賞金アベレージを誇」ると評されている)と
戦うには数が足りない、それなら船でも持ってくるんだな、山賊だけど、という煽りであれば、
なおさら「戦艦」と言うべきだろう。「軍艦」を持ってくることなどできないのだから。
――つまり、ベン・ベックマンは、ヒグマが「軍艦」を「引っぱって来」られることを知っていたのだ。
話は第1017話に戻る。
政府の護送していた、CP9の乗る船で、ゴムゴムの実を護送していた。
行先はマリンフォードか、エニエス・ロビーか、インペルダウンか、マリージョアか。
いずれにせよ、海軍以上の組織の手に渡るはずのものだったのだろう。
ならば、それで終わるだろうか。海賊の襲撃に遭ってロストした、で納得するだろうか?
見せしめとして当時CP9だったフーズ・フーは投獄された。しかし、それは「解決」ではない。
政府直属の諜報機関サイファーポール、あるいは海軍といった組織が、奪還に動かなければおかしい。
ヒグマの懸賞金額は「800万ベリー」だ。また、「56人殺した」と言っている。
つまり、この手配書は偽物だったと見るべきだ。殺したのは、CP9として、だ。
「軍艦を呼べて」「殺人が許されている」……ヒグマはCP9であるとしか思えない。
「ウチと一戦やりたきゃ」「軍艦でも引っぱって来るんだな」
違和感がある。ヒグマがCP9であることを知っていたのなら、「軍艦で来い」と言うはずだ。
「引っぱって来い」……。
海軍から権限を譲渡されたCP9が「軍艦」を「引っぱって来」ることといえば――
つまり、ここの“煽り”というのは、「山賊は戦艦を用意できない」ではなく、
「CP9ですらバスターコールが発令できない」という意味だったのだ。
それは、四皇であるシャンクスに喧嘩を売る以上に、ゴア王国がガープの故郷だからだ。
四皇と海軍の英雄、両方に泥を塗れないだろう、という煽りだったのである。
命だけは助かりたいから? 否。フーズ・フーを見ていれば、お咎めなしにならないことは自明だ。
ゴムゴムの実は、政府が護送するほどに重要な悪魔の実だったのだろう。
来るべき時、来るべき者が口にするために、命を賭してでも――
https://resonacollaborare.com/compliance/17090406/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E9%80%9A%E5%BF%B5
裁判や法学に関する文章などでは、「社会通念」という言葉は民事法の世界では「慣習」や「取引通念」などと同義に使われ、刑事法の世界では「常識」と同義に使われる傾向がある。
http://www.tama5cci.or.jp/hp/yanagida/?p=5291
「社会通念」という言葉を辞書で調べると、次のように書かれています。
大辞林 第三版
社会一般に行われている考え方
社会通念とかいう言葉が法令に登場した時点で、「裁判官の個人的な偏見に従って判決を決めます」以外の何かはなくて、裁判官次第で判決は変わるし何なら裁判官が生理中だったら厳しめの判例が残る可能性とかあるわけだろ?
仮に科学的エビデンスを揃えて提出しても、そのエビデンスを読んで理解できる奴が裁判の場に被告以外いなけりゃ「社会通念上、太陽は地球の周りを回っている」とかが肯定されうるわけだろ?
こんなもんに従って人が何年牢獄に入るかとか最悪殺すかとか決めてるってさすがに愚かすぎじゃねーの?
言いたいことは分かるよ。でもそれは「信仰」という言葉の定義の問題であって、多くの日本人にとって信仰という言葉の意味はこんな感じなんだよ。
しん‐こう〔‐カウ〕【信仰】[名](スル)《古くは「しんごう」》
1 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「信仰が厚い」「守護神として信仰する」
しん-こう《名・ス他》神・仏など、ある神聖なものを(またはあるものを絶対視して)信じたっとぶこと。そのかたく信ずる心。(Oxford Languages)
な?
国語辞典における「意味」というのは、「世間一般でのその語の使われ方」がベースになってる。だから、あんたが個人的に「信仰」という語をライトに使用するのは自由だけど、世間一般的にはそれはあくまで「信仰と呼ぶにはゆるい/ライトなもの」であって、日本人の多くは自分の宗教観、宗教的態度を「信仰」と呼ぶのはちょっと大げさだよねー、という感覚を共有してるってことだよ。まあ、将来あんたのような人間が多数になれば「信仰」って言葉の意味が変わる可能性もあるっちゃある。ただ、それは単に物事の捉え方、表現の仕方の問題であって、「自分を『信仰』的立ち位置に置きたくない」という日本人の宗教トラウマは、まだしばらく続くと思うなー。
同人誌:同人誌(どうじんし)とは、同人(同好の士)が、資金を出し作成する同人雑誌の略語。(ウィキペディアより)
同人雑誌:主義・目的・傾向などを同じくする仲間が集まって編集・発行する雑誌。同人誌。どうにんざっし。(デジタル大辞泉より)
つまり、本来の定義では同行の士が集まって作る事が主体であり、単に個人が自分の想いを綴るぶんにはそれは「SS」や「二次創作作品」に過ぎません
もちろん、「本来の定義に当てはまらない物は同人誌ではない」とは言いません
表現のために本を作る人、仲間のためにイベントに合わせて本を作る事を主にする人のどちらががいても構わないと思います。ただ、二つを比べればむしろ同人誌の活動としては後者の方が本道に近いと言えます
女と子供。とるにたりない意や、足手まといになる意で引き合いに出されることが多い。「女子供にもできることだ」
① 女と子供。しばしばとるにたりない、足手まといになるという意を含めて用いられた。
女ってだけで馬鹿にされる。
耐えられない。
無理、ほんと無理。
なんでこんな言葉が生まれて今まで問題視されずに使われてきたの日本。
ほんとこの国どうかしてる。
キモチワルイ。
そして極めつけはこういう主張をすると大げさだの考えすぎだの極一部の男にとって都合のいい反論持ってきて有耶無耶にされること。
もう死にたい。嫌だよ。
なんで女ってだけで馬鹿にされなきゃいけないの。