現在マネーフォワードでフルタイムRubyコミッターとして働いている卜部昌平氏が
https://twitter.com/shyouhei/status/847811474735079424
年680万なのかというと、夢がないなと思ってしまう
彼のトランペットの音は木管楽器のようだった。張りがあって鳴り響くというより、アンティークな雰囲気を思わせる、コトコトと響くような、そういう音だった。
彼のことが好きだった、そして彼もわたしを。
彼は透き通るように肌が白くて、キメが細かくて、茶色くて深い目の色をしていた。もちろん他校にはファンクラブがあった。肌のキメの細かさをわたしが知っている理由は、何度となく彼に触れたから。何度も。
大学の先輩と後輩の関係から、自然に話すようになった。自然に。休みの日に2人で出かけるようになった。ただ喋っているだけ。渋谷のあの、真ん中にピアノが置いてあるドトールで、何時間も話をした。お互いの家族の事、今まで歩んできた道、これからのこと。「思っている事が思っている通りに伝わる」相手だった。何時間でも一緒にいられた。彼は文学少年ではなかった。表象を、学ぶ学生だった。当時のわたしに「表象」を理解しようとする余裕はなかったけれど、彼の言葉の選びかた、表現のしかた、惹きつけられるものがあった。気取っているわけではないのに、彼の言葉と音には、確実な鈍みのある輝きと重さがあった。
どうしてこんなに楽しいのだろうね、と彼にメールをした。自由が丘にケーキを食べに行った帰りに。彼からの返信は、「もう付き合った方がいいんじゃないかと思うよ」だった。でも彼のその返信は付き合うきっかけにはならなかった。
ある日の夜、わたしの身の上にひどく悲しいことがあった。どうしようもなく家族が壊れてしまいそうな出来事だった。彼の顔が浮かんで、そうしたら彼がやってきた。ハーゲンダッツのアイスクリームを持って。わたしたちは何も話さずに、朝までただ部屋に座って過ごした。字の如く、彼はただそこに居てくれた。
わたしの自宅に変な電話がたくさんかかってきて、夜中の変な時間に男の人が訪ねてくるようになったときに彼はいった、しばらくうちにいてもいいよ、と。彼はお兄さんと暮らしていたので広いお家に住んでいた。彼のおうちで一緒にエントリーシートを書いた。2ちゃんねるのフラッシュ紅白を見ながら。35歳を過ぎてもお互い独身だったら結婚しようか、という話をしながら。ベッカムは試合のときに奥さんのパンツを履いているらしい、という話をしながら。ふと浮かんだどうしようもない事柄についてずっと話を掘り下げていくのが好きだった。そうしながら、わたしたちはお互いが大好きであることを確認しあった。
20歳そこそこだったわたしたちは、お互いの「好き」を疑いもなく異性としての愛情だと信じていた。でも少しずつ違和感を覚え始めた。我々は彼氏と彼女になるべきだろうか、という話し合いがその後数日続いた。男性、としてとらえると何かが違う気がした。大好きなのに、違う気がした。どちらかが前向きになるとどちらかが後ろ向きになって、彼と意思がずれる瞬間はその度にとてもわたしを苛立たせた。
それから彼とは会わなくなった。会えなくなった。メールはするようになったけれど、我々がどうあるべきかについては問わなくなった。様々なSNSが流行るたびにわたしたちは必ず繋がっていたけれど、ときおりお互いの近況にコメントをしたけれど、でもわたしたちが会わなくなった理由に言及する事はなかった。
数年後、彼は文章を書く仕事に就き、わたしの知らない人と結婚し、そして東京を離れることになった。いよいよ東京を離れるときに、わたしたちは会った。薄暗い、カフェだった気がする。渋谷の。
彼に最後に会ってから10年が経とうとしている。メールはする。Facebookでも繋がっている。彼はいま3人の子供がいて、わたしも結婚した。とても幸せ。
わたしの誕生日は彼がとても人生で重きを置いている出来事が起こった日でもある。彼は仕事を通じてもそのことを掘り下げている。でも彼はその日には決しておめでとうとは言えないことをわたしは知っている。でもどうか、どこかで頭の片隅に浮かんでいればいいなという期待をしてしまう。毎年の夏に。
いつか彼にまた会う事があったらあのときの若い2人のことについて話してみたい。我々の正解はこれであったのだろうと、彼と合意をしたい。ドトールでコーヒーを飲みながら。そして言い合える日がくればいい、いまも大好きだと。
同人でホモが好きという話と、LGBTとは全く違う話なのに、ホモが好きだからLGBTに理解があるとか、
最近はアンケートで男性女性それ以外の3択性別になったことについて上から目線で「よしよし、あの運営はジェンダーについて理解があるぞ」と言ってみたりする人を見るのが辛い。
タイトルだけの増田を読みたいとか、もうちょっと便利に読みたいなと思って検索した。
でも、
http://blog.bokuweb.me/entry/masudaapp
とか
とか
なんで??
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他人の心をおしはかること。
goo辞書より
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他人の心をおしはかるなんてことは、アスペにも発達障害にもできません
じゃあどういう人ができるのか?
http://gigazine.net/news/20161202-every-story-is-the-same/
”「映画や小説のストーリーは全て同じルールに従っている」理論”
”ハーモン氏は、Hero's Journeyの円を4等分し、「1.YOU」「2.NEED」「3.GO」「4.SEARCH」「5.FIND」「6.TAKE」「7.RETURN」「8.CHANGE」という8つのポイントを定めました。物語は「1.YOU」から始まり時計回りにポイントをたどり最後の「8.CHANGE」を経由して出発地点に戻ってくるとのこと。”
「1.YOU」 かばん /家が建てられない/ライオンにいつも負ける/ PPP
「2.NEED」 何のフレンズ?/小屋を建てる/橋をかける/戦争ごっこに勝つ/コンサート
「3.GO」 ちほーの出口/としょかん/みなと/
「4.SEARCH」 1.2-10話
「6.TAKE」 (代償)
「7.RETURN」 島一周
「8.CHANGE」
相当ブラックな零細だったなら笑い話でそういうの話す奴いるけど
単に自分がその大企業より上の存在だと信じたいだけなんだと思う
Social Juctice Warrior?
これアニメファンが言ってるんだからラディフェミとかあんま関係なくない?
表現上の問題として「女性がエロティックに/かわいく/女性的に描かれているのは日本だけ」っていう話をしてるんだから関係ないでしょ。
まず、好きな人が出来た。すごく久しぶりだった。何年振りか忘れたくらい。
仕事に対する姿勢とか、考えとか、すごく素敵な人だなと思った。人として、尊敬できる人だった。
次に仕事で会う時、自然と目で追ってる自分がいた。あんまり話す機会がなかったり、相手の態度を過大解釈して、一喜一憂してる時、あれ、もしかして好きなのかもしれないって思った。
自覚したら一瞬だった。
その時一回世界は変わった。LINEなんてめんどくさくて好きじゃなかったのに、向こうから連絡が来るたびに例えようがないくらい幸せな気持ちになれた。
返事を待ってる間、そのことばかり考えてしまうようになった。仕事で会わない時は、会ってた時のことや、LINEでの会話を気づいたら考えている自分がいた。
今まで何を考えていたのか忘れてしまうくらい相手のことを考えるようになった。
週に会えるのは1回か2回。LINEは1日多くて10往復くらい。
世界がもう一回変わった。相手に会えない日は「会いたい人に会えない日」、LINEをしていない時間は「相手からの連絡を待っている時間」になった。全て。
今までは、仕事をして、自分の好きなことをして、自分のことだけを考えていたのか時間が、何かをしつつも「相手のことを考えている時間」になった。
これが、良いことなのか、それとも悪いことなのかわからない。ただ、正直最近ちょっと焦っている。仕事でやりたいこともある、叶えたい夢もある、考えなきゃいけないことはいくら時間があっても足りないくらいあるはずなのに、「あの人に会いたい」ということを考えていると時間が過ぎる。
良い歳なのに、初めて恋をしてる気がする。相手のことで頭がいっぱいになって他のことが手につかない、なんて本当はもっと早く経験しておかなきゃいけないことだったんじゃないかって思う。
こんなに大切に思えて好きだって思える人に出会えて、恋人という関係になれているなんてこれ以上無い幸せだと思ってる。
でも、今までの人生とあまりに日々の時間の過ごしているときの感覚が違いすぎてて、今までの自分を構築していた何かを無くしてしまったんじゃないかって不安になってしまう。
幸せなのは間違いない。満たされてる、とも思う。でも本当にこのままで良いのかなって時々心配でたまらない。
こんなに他人のことばっかり考えていて、自分自身の人生はちゃんと進む?上手くいく?もし相手を失ったら今のその時間はどうなる?好きになる前の世界に戻る?
わからない。
恋って怖い…。
かばんちゃんの特異性が描かれていたので、別に違和感はなかったけどな。
他のフレンズたちは色んなちほーを回ったりしなかっただろうし、関係性を結ぶという行動をしなかったから、
ちほーを越えて多くのフレンズと関係性を結んだかばんちゃんを助けるという行動に出たのだと思う。
あの人数のフレンズと関係性を持てたフレンズがかばんちゃんだけであり、その他のフレンズはがんばっても全滅とか退却せざるを得ない頭数しか群れを成し得なかったのだろうと思う。
外国人「日本にはフェミニズムが無いから女キャラが女らしい」 日米のアニメの比較が話題
http://www.all-nationz.com/archives/1063119592.html#QFiQ5ZH.twitter_tweet_count_m
元スレ読んでないから集めたコメントに恣意性がないかどうかはさておき、
性的・女らしいというのは果たして何なのかを定義してないので全く無意味なテキストになっている。
ペルソナとオーバーウォッチのハッカーにしても容姿だけであって、オーバーウォッチのハッカーに欲情しない人間がいるかと言えば欲情する人間はいるだろう。アレでポルノを書かれたら俺は割と抜ける。
カートゥーンでもグラフィックノベルでも女性として性的に魅力のあるキャラクターはいくらでもいる。そしてそれを人間じゃなくてもいいと暴露してしまったマイリトルポニー: フレンドシップイズマジックがある以上、日本がどうとか語る意味はない。人間型だって80-90年代にシーハルクがエロくてヤバイみたいな話はあるわけだし。
最近のカートゥーンの人間型キャラも、グラビティフォールズだのアドベンチャータイムだの色々エロく感じるキャラは居る。極力性的なもの(大きい乳房とか露出度とか)を排除しながら性の臭いが非常に強いキャラクターを描くスティーブンユニバースみたいのもある。
日本においても胸を極力薄くしたり、女性としての可愛さをアピールしながらなるべくエロく感じられないよう細心の注意を払っているアイカツやプリキュアでさえ女性のエロさを醸し出してしまっている。
日本産の虚構のキャラクターはエロを大胆に表現している、US/EUはそうじゃないっていうの、ものすごく「そうであってほしい」という意図を感じる。そんなこたねえだろ、と言えるし、表現においてどうしてもエロスというものはにじみ出ざるを得ないと思っている。
表現をすることが産業になっている国では、自分の中に生じている性的な魅力というものがどうしてもでてしまう。それは規制があってもそれをくぐり抜けて出してしまう。日本は幸せで、ポルノ表現の規制が少ないから直接的な表現で「変態だなあ」と思われるだけであって、実際はUSでもEUでも規制に合わせつつ自分の好きな性的表現をどうにかしてやってるんだよ、と考えたほうが良い。
>naka_dekoboko 悪魔バスター スター・バタフライを見ろ、以上、終了
スターバタフライって思春期の恋愛をかなり複雑に描いているし「以上終了」で終わるかな。なにをもって終了してるのかわかんない。スターバタフライはワンピースという女性的な格好はしてるけど決して女性としての性役割は働いてないけど、その部分をもってして「カートゥーンの中で容姿と性役割は区別されてないので終了」ってことなのかな。
https://togetter.com/li/1026123
”脚本の基本”
1・なんか問題がある
2・解決する!
3・超楽勝モードだわこれ~
6・繰り返す
8・なんとかしてハッピーエンド!
9・完!!
けものフレンズには3、4はない模様
今までセルリアンに食べられたフレンズは他にもたくさんいただろうに、
そのときはみんなあそこまで必死で助けようとはしなかったんだろうね
目の前でセルリアンに食べられた仲間を見たフレンズは助けようとしたかもしれないけど
それでもあんな泣きそうな声で「返してよ!」って叫んだり
島中から助けに来たりはきっとしなかったよね
人間に作られた存在であるラッキービーストが人間しか助けようとしないのは仕方ないけどさ
結局「人間は特別! 人間は他の動物とは違う! だから人間だけが助けてもらえる価値がある!」って言ってるようにしか見えないんだよね
とある若手俳優の出待ちを、もう三年間している。茶の間の期間を合わせたら、五年をゆうに過ぎた。現場にはすべて通い、プレゼントを山のように渡し、稽古場にも、プライベートな場にも顔を出している。彼の高校時代の友人や、芸能スクールに通っていたときの友人、仲の良い俳優、演出家、プロデューサー、繋がれるものは何でも繋がった。最初は驚いていた彼も、今はもう驚かない。「ああ、お前か」そんな顔でわたしと話す。毎月ある舞台に、稽古場。入り待ち出待ち。少なくとも月に十回以上話すのだから、致し方ないことだろう。
彼は出待ちが嫌いだった。ふつうに話しているくせに、他のファンに申し訳ないという気持ちが強かったらしい。彼女にわたしという出待ちのことを愚痴っているのを聞いたとき、悲しくなったりもした。最初はたくさんいた彼の出待ちは、塩対応に耐えかねて、どんどんいなくなった。
それでもわたしは彼が好きだった。全通し、たくさんのプレゼントを渡し、最前に入り、ファンサを求めた。何度も何度も喧嘩をした。わたしは客なのに、どうして喧嘩をするのか意味がわからなかった。三か月間、入りも出もシカトされたこともある。泣いて、わめいて、理解を求めた。
泣きながら舞台を観て、何も楽しくないまま全通したこともたくさんある。
すべての現場に足を運び、祝い花を出し、プレゼントをしているのはわたしだけだった。わたしは意地になっていた。どうして一番お金を使っているのに優しくしてくれないんだろうか、という自己中な悩みを抱え、暗い気持ちで劇場に行っていた。
それでもわたしは、彼が好きだった。どんなに辛くても、彼の隣を歩きたかった。
朝、彼の姿を見ると世界がきらきらして見えた。どんな人込みの中にいてもわかったし、彼が乗ったタクシーですら感覚でわかった。どんなに遠い稽古場でも行ったし、何時間でも待った。一目見たくて会いたくて、どんな場所でも遠征した。どんなに出番が少なくても、会場にかけつけた。彼が舞台上に立って、輝いているのが大好きだった。どんなに嫌われても、大好きだった。
「どうして?わたししか出待ちいないからそう思うんでしょう?」
「平等?それ、本気で言ってるの?お金使ってる子が偉いのは当たり前じゃない!平等なんて求めてないって何度も言ってるよね?しかも、ちゃんと平等にできているなら、ファンの子揉めたりしてないよ」
彼は押し黙った。彼のファンは全体的にお花畑で、掲示板やツイッターがよく荒れているのは周知の事実だった。わたしは泣いた。それで、その日はおしまいになった。
一か月後、久々の舞台初日で出待ちをした。はじめて稽古場に行かなかったので、本当に久々に彼と話した。彼は喧嘩が嘘のように饒舌だった。わたしは面食らい、訊いた。
「…もう出待ちしていいの?」
「あー…」
「すごいしゃべるからびっくりした」
「俺もいろいろ考えたんだけどさ」
「うん…」
「お前来んなって言っても来るじゃん」
「来るね」
「え…」
「だからいいよ」
「…あのね、わたしも一か月いっぱい考えたの」
「うん」
一か月お互いのことを悩んでいたことに笑った。わたしは嬉しかった。ようやく、言葉が届いたような気がした。喧嘩をしたくないと言われたのも、わたしのことで悩んでくれたのも嬉しかった。
話してもいい日、彼は自らわたしの元へ近寄ってくる。わたしもダメなときに無理やり話しかけることをしなくなった。電話をしていても「ごめん、折り返すわ」と言って切ってくれるようになった。ほかの俳優に断ってわたしと帰ってくれたり、去り際に「さみしい」と言ったら戻ってきてくれたこともある。個人イベントで、同厨の中で息苦しくなったわたしを気にかけてくれた。こっそりファンサをくれることも増えた。仕事のことも教えてくれるようになった。プライベートのことも、向こうから話してくれるようになった。遅刻ぎりぎりで二人で走ったり、迷子になって笑ったり、オタクからのリプライを読んでいないって教えてくれたり、喫煙所で偶然会って笑ったり、たくさんたくさん思い出を作った。
そのたびに好きという感情が溢れた。わたしはどこまでもただのファンで、どこまでもガチ恋だった。
「付き合ってください」、そう、うっかり伝えてしまったことがある。隣にいた彼は驚き、「落ち着け」と言った。「落ち着け、今はまだ無理だ、まだ早い」わたしは驚いた。付き合う気なんかないくせに、なんていう回答をするのだろう。そしてわたしが本気であることも理解している。
クリスマスイブに舞台があった。帰り道、二人でイルミネーションの中を歩いた。わたしは再度告白をした。彼は曖昧に答えをぼかす。きらきらのイルミネーション、隣を歩く愛しい人、単純に泥沼だった。返事は先延ばしにされた。わたしは安堵した。どうしてだろう。
最近、「好き」というと、彼が身構える。わたしはそのたびに悲しくなる。
どんなに関係が深くても、それは変わらない。
でも、それでも、オタクをやめられないだろうな、とも思う。
同厨が知らないたくさんのことを知っているわたし、肯定と承認欲求。嫌になる。
下手に彼が優しいせいで、わたしはガチ恋をやめられない。彼のせいにしないと、わたしは自己を確立できない。不安定だ。付き合いたい付き合いたい付き合いたい付き合いたい。
終わらない。
わたしはどうしたらいいんだろう。