安倍首相や現政府の動向、またそれに対する社会の反応を見ても、日本の右傾化は否定のしようも無いものと言える。20−30年前なら安倍首相や稲田大臣の数々の放言は毎回政権をひっくり返してもおかしくなかったようなものだが、今は保守化した社会とそれにともなう高い支持率のおかげでまったく安泰である。
こういった日本社会の右傾化の原因を探る記事は多々あるが、多くは日本の社会構造の変化、国民の気質の変化にその原因を探っている。控えめに言っても、的はずれとしか言いようがない。なぜなら右傾化・保守化・国家主義化・排他化は全世界の先進国で並列に同時に起こっているからだ。イギリスのブレクジット、アメリカのトランプ、今回当選はかなわなかったがフランスのルペンの台頭。その他の国でも国民は保守化しており、あきらかに世界的な流れである。その世界的な状況を無視して国内だけの事情を説明できたとしても、単に場当たり的な後付理論以外にはなりえない。
それではこれらの国を同時に襲った共通の事情とはなにかといえば、2008年以降の経済の停滞である。リーマンショックによる一時的とはいえ壊滅的な被害を受けた後、どの先進国も2000年前後のような高成長率に戻ることは叶っていない。一人一人が保守化する原因は多種多様だが、国民全体が一度に保守化するのは大概において経済的な行き詰まりが原因である。第二次大戦前にドイツやイタリアがファシストの台頭を許したのも、本邦が軍国主義化したのも、経済的な苦境という背景が大きな役割を追っている。70年台に不況に入ったアメリカは保守化しジャパン・バッシングを始めとする排他主義に陥ったのは日本人ならば記憶に遠くないところであろう。今回の低成長もそこまでとはいかずとも世界的な保守化を引き起こしているのだ。
したがって、先進国がなぜ軒並み保守化しているのか?という問いは、なぜ先進国が低成長に陥っているのかという問に還元されるべきである。
そしてこの問への解はシンプルだ。世界の成長余力が新興国に移っているのだ。この十年も世界経済の成長率は極端に落ちたわけではないが、先進国の寄与度は明らかに減っている。たとえば、こちらのページに世界成長率への各国の寄与度のグラフが載せられている。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4505.html
これを見れば先進国の寄与度が落ち続けており、特にこの10年ほどは先進国全体で中国一国にさえ遅れをとっていることがわかる。
ここまで読んで、「なんだなんだ。なんでも中国のせいだというのか。まるで風が吹けば桶屋が儲かるという類の与太話ではないか。」と呆れられた方もいるかと思うが、中国は単に今もっとも目立っている国ということで出てきただけであり、経済力の先進西側諸国から新興国への移動は全世界的な潮流で、たとえ中国をなんらかの理由で止めたとしても全体の方向性が変わるわけではない。例えばインドの名目GDPは今のところ約10年前の中国の水準でありしかも成長率は7%前後を維持している。中国の成長が止まれば、インドや他の新興国が経済成長の中心となり、旧先進国は常に蚊帳の外である。
では今後我々はどうすれば良いのか。どうすれば経済を安定成長に戻し、極端な排他主義のさらなる台頭を防ぐことができるのか、というのが次の問になる。
方法はない。
我々は甘んじて低成長を受け入れねばならず、民族主義の広がりを黙って見つめ、あるいは自分もその中に身を投じていくことになる。
この経済力のシフトは単に経済のグローバル化に伴い隠れていた成長余力が表に出てきているだけであり、経済のグローバル化は有史以来、いやそれ以前から続いてきた不可逆な流れであり、それを止めるにはローマ帝国の崩壊、中国王朝の崩壊、といった歴史的転換点に近いカタストロフィレベルのイベントが必要になる。しかもそれさえも流れを一時的に止めるだけであり、しばらく後にはグローバル化はまた進みだす。一国、又は狭い地域でグローバル化を無理やり止めれば自由経済主義の国々に遅れをとり、状況はさらに悪化する。その中で自分の身を守るためにさらなる排斥主義が広がり、先進国からは寛容性はなくなっていく。
しかしそれは終わりではない。それは、これまでの先進国が後進国化し、これまでの発展途上国のなかから次の先進国が生まれる、というだけの話である。その時現ヨーロッパ、アメリカや日本は、偏狭で旧来の古臭い価値観をもつプライドばかり高いが文化的に劣った国々と見られるようになっていることだろう。