はてなキーワード: 水資源とは
安心してちょうだい元増田ちゃん。あなたは死ななくていいわ。誤解なのよ。
あなたがどういう道筋でその“正しいヴィーガン”にたどり着いたのかはわからないけれど、私の知る範囲で(倫理的)ヴィーガンの主張のなかにその結論を肯定するものは無いわ。早まらないで。
功利主義に基づく倫理的ヴィーガンの観点から、あなたの誤解についてお答えするわ。
功利主義的には「苦痛の総量を減らす、または苦痛と快楽の収支がプラス(快楽が苦痛を上回る)になる」のが倫理的に良いことなのね。最大多数の最大幸福。
細かく言えば「苦痛と快楽」とは別の指標を用いた功利主義もあるけれど、動物倫理の場合はもっぱらこれ。
したがって、畜産において“飼育、屠殺による動物の苦痛”が、人類の得る利益(快楽または苦痛の低減)を上回る場合、“畜肉を食すべきではない”と判断できるわ。
逆に、動物の苦痛が人類の利益に比して十分に小さい場合、それは倫理的に許容されうるわ。
同上
ただし、たまごや乳製品はそれ自身が苦痛を感じる能力を持たないため、畜肉と比べると倫理的ハードルは低いわ。
例えばジャイナ教は非暴力が重要な教義の一つなので必然的に菜食主義だけれど、苦痛を与えずに絞った乳は飲むわ(ラクト・ベジタリアン)。
同上
衣料品の場合、動物を苦しめずに済む代替品が豊富にあるならば、あえて動物性の衣服を着るのは倫理的に肯定しがたいわね。
医薬品の場合、主に動物実験に関する問題ね。この領域は動物倫理的にかなりホットよ。
功利主義的な動物倫理においては、動物実験は必ずしも否定されないのよね。まあ論者にもよるけど。
動物実験における動物の苦痛と、完成した医薬品による人間の苦痛の低減。これの比較で後者が十分に大きければ正当化され得るってわけ。
もたらされる苦痛や死が“意思に反して”いるかどうかは、功利主義的には必ずしも重要ではないわ。
“意思に反”することで、苦痛がより増えるのであれば考慮に値するといった程度かしら。
例えば、糧を得る唯一の方法が狩猟であり、それをしなければ(人が)死んでしまう場合、狩猟による動物の殺害は倫理的に正当化され得るわ。
植物は(少なくとも痛みが神経系によって発生するという生物学的知見を踏まえれば)苦痛を感じないため、功利主義的には道徳的考慮の対象ではないのよ。
ちなみに、倫理的な考慮の対象となる立場を「道徳的地位(Moral standing)」と言うわ。
「何が道徳的地位を持つのか」というテーマは分野や論者によって異なっているわ。功利主義の場合、「苦痛を感じる能力を持つ」ことが道徳的地位を持つ条件ね。
厳密に言えば動物でも苦痛を感じない、例えば海綿動物(きわめて原始的な動物群。神経を持たない)、も功利主義的には道徳的地位を持たないと言えるのね。
また、道徳的地位は持つ/持たないの2択ではなく、強弱も存在しているわ。功利主義なら苦痛を感じる能力の程度ね。
例えばエビ1匹を殺すより、ヒト1人を殺した方が倫理的に悪いと判断できるわけ。
これは個々の人間にも適用でき、健常な成人を殺すより新生児や重度の知的障碍者を殺す方が倫理的に悪くない(もちろん両方悪いが、比較すればそうなる)。
功利主義者がリベラリスト(の一部)、特に障碍者支援者などから嫌われるのことが多いはこれが理由ね。
同上
命を奪うかどうかにこだわってるようだけれど、功利主義的に重要なのは苦痛よ。死は苦痛の一形態たり得る資格を持つというだけ。
自然破壊につながる水道水やミネラルウォーターを飲むべきではない わかる
んー?ここら辺は倫理的ヴィーガンよりも環境主義的ヴィーガンの主張に似てるかしら。
でも環境主義的ヴィーガンの場合、畜産や養殖(の一部)による環境負荷を語ることが多いから、ヴィーガンの主張としてはあまり見ないわねこれ。
水資源の利用による環境破壊はあるにせよ、この書き方だと曖昧過ぎるのよねえ。元増田ちゃんもうちょっと具体的にお願い。
なお、功利主義的に答えるなら、その営為で発生する苦痛が人間の快楽(または苦痛の低減)を上回らない限りOKってことになるわ。
地球温暖化に寄与している二酸化炭素は化石燃料などの地下資源由来で、地上で吸って吐いてした分はほぼ無関係よ。
陸上の炭素循環は(長期的に見れば)収支が釣り合っていたのだけれど、地下に封印されていた(炭素循環の外側にいた)分の炭素が放出されたことで、プラスに傾いちゃったわけ。
家計で言うなら年収200万円(手取り)で年間支出が200万のご家庭に、月々1万円の副収入が加わって年12万円の余裕ができましたって話よ。呼吸は年収に含まれ、支出は炭素固定(主として光合成による)で、化石燃料が副収入。
ちなみに、畜産による温室効果ガス放出(主としてメタン)への寄与はけっこうな割合(確かCO2換算で全体の約14~18%くらい)。あなたが牛ならゲップをやめるのは倫理的かもしれない。
全部わかる
あら?もしかして徳倫理学の方だった?功利主義は結果主義の一分野なので“気持ち”なんてほとんど関係ないもの。
徳倫理主義は、雑に言うと「動機が善ならば善」というもので、良かれと思ってやれば善であるっていう素朴な倫理なのよね。
最近は見直しが進んでるって話だけど、あまり勉強してないから詳しくないのよ。この分野。
呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る者は悪魔だ
みんな死のう
死なない者は悪魔だ
功利主義からはまず導かれない結論なので、やっぱり徳倫理主義なのかしら。
でも、良かれと思って“呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る”なら、徳倫理主義的には善なのよね。
ここまでは功利主義の観点から答えてきたけれど、やっぱり本人の倫理的観点も考慮しなきゃ片手落ちよね。
でも困った。元増田ちゃんがどんな倫理的基盤でヴィーガンになったのか、わからないわ。
最初の方の考えは倫理的ヴィーガンに対するよくある誤解またはジャイナ教当たりの非暴力主義とPlant thoを混ぜこぜにした感じ。中盤は環境主義っぽいけど問題視する部分がズレてるし不明瞭、後半はさっきも言ったけど徳倫理学っぽいけどなんか違う。
うーん、ネットからいろんな主張(誤解や曲解を含む)を集めてきてパッチワークした感じなのかしら。
ヴィーガンへのバッシング目的で書かれたなら「藁人形乙」で済むけれど、真剣に悩んでいるなら誠意ある回答が必要よねえ。
けっきょく“正しいヴィーガン”が何なのかはわからなかったけど、変な結論から脱却するための私的おすすめ方法を3つほど挙げてみたわ。
良ければ死ぬ前に試してみてちょうだい。チャオ!
辛いならヴィーガンなんてやめちゃっていいと思うの。割に合わないわ。もし心苦しいなら減肉食主義(Reducetarian)くらいから始めてみたら?
私も環境主義的観点(スパイスとして功利主義も一振り)からSemi-vegetarianやってるけど、あまり縛り無いから楽よ?
ヴィーガンからは偽善だなんだ言われるかもしれないけど、まあいいじゃない。自分が納得すればいいのよ。
(2) 勉強する
ヴィーガンやるなとは言わないけれど、何かしらの倫理的または論理的支柱がないと厳しいと思うの。
元増田ちゃんの考えを見るに、あまり一貫した基盤を持っていなさそうだし、環境問題についても詳しくなさそう。体系立てて学ばないと混乱して変な結論にたどり着いちゃうものよ。
いろんな視点、論者ごとに調べてみて、自分に合う立場のものを探してみるといいわ。まずは模倣からよ。
おすすめはピーター・シンガー。「すごいなあ。ぼくにはとてもできない」ってなるわ。
(3) 食生活的ヴィーガン(Dietary vegan)になっちゃう
食事だけヴィーガン。健康目的が多い。一番気楽なタイプのヴィーガン。動物倫理とかうっちゃってる(またはつまみ食い)。毛皮のコートも着ちゃうかも。時たまニセ科学に両足突っ込んでるから注意。
やめたいときにやめられるし、始めたいときに始められる。亜種として一時的ヴィーガン(Part-time vegan)なんかもあるわ。
「ちょっと一週間くらいヴィーガンになるかー」とかできちゃう。「それヴィーガンなの?」という気持ちに蓋ができるならおすすめ。
JR東海:リニア中央新幹線 静岡県の同意なく着工を検討 - 毎日新聞
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新しく掘ったトンネルから水が湧いているのなら同じ分だけ地下水が減っている。それを川に戻さずに下水道か何かで海に流せばトータルで利用可能な水資源の量は減る。こんな簡単な算数もできない連中がドヤ顔で静岡県を叩いていてイヤになる。
b:id:keisuker まー減った分はポンプで戻してもらわないとね、静岡がんばれ、と思ったら違った。「今より川の水を増やせ!」と言ってる。相変わらず静岡は意味わからん。
https://anond.hatelabo.jp/20170817030800
まず中国で水資源の枯渇が間違いなく起きる。これはもう既定路線ですね。水濾過のブレイクスルーが起きて今よりずっとコスト低く海水を淡水に濾過できるとか起きない限り水の枯渇が起きる。逆に発電に関しては太陽光発電が今のまま効率良くなると40年後にはタダ同然になります。現在ですら民間向けは7年程度で元が取れるようになってきてる
石油みたいに大した資源と思われていなかった水は急に貴重品になります
ちなみに石油が資源として認められてたった30年で世界的な石油資本のネットワークが生まれています
儲かるならそれくらい早く資源の経済っていうのは確立できるっていうこと
今現在も中国は水資源への対策はしてるけどあの行政状態なので実質まともに動いてない。まともに動いていても需要は全く満たせない
水は石油くらい貴重になって水のある国に目が向きます。というか今でも水より石油の方が安いことあるからこれは簡単に想像つきますよね
ちなみにこの時点で世界的な食糧難が起きていて金も食料もない国から餓死者が出まくって紛争が一気に増える
東南アジアも日本も水を売ることを目論むけど失敗します。なぜなら水は高くなりすぎたから。水が枯渇してるのは中国だけじゃないから。中国はもっと直接的な方法に目を向けます。軍事力と金はあるけど自国に特定の資源がない国。どこかで聞いたことがあるような
太平洋戦争も結局はイデオロギーでも狂気でもなく日本が資源を求めるための戦争でした
武力はあるけど資源のない国と資源はあるけど武力では心もとない国
とはいえ中国は侵略が上手で最近でも自国より弱くて国際批判が集まりづらい国を取りに行ってるので、もし戦争起きるとしたら先に東南アジアだと思います
この2つが豊かなおかげで農業生産性が高く、大人口を養えて、そこから文明が発達するんだから、
その証拠に、大文明が滅んだ地域は大抵森林資源の枯渇や砂漠化を引き起こしてる。
日本も江戸時代後期には人口3000万人を養いながら寒冷期に突入して禿山を増やしてた。
化学肥料の発明がもう少し遅れてたら今の日本はなかったかもしれない。
平野の少なさも農機のない時代にはそれほど大きな障害じゃない。
そもそも開拓に必要な余剰労働力がないと開拓できないし、そっちがネックになることの方が多かったはず。
労働力を増やすには農業生産性の改善が必要で、農具の刃に必要な鉄鉱石も、鉄の生産に必要な大量の木材燃料も日本は豊富。
自然災害は確かに多いけど、山がちな島国だから旱魃は比較的少ないと思う。
こういう感じで前近代までの農業事情は相当有利で、前近代まではほぼ農業生産高で国力が決まる。
地球の表面積としては確かに水が大部分を占用するが、ボリュームに占める割合として、水は実はわずかなのである。
地球が1.3メートルの大玉だとしたら、海の厚みは1ミリにも満たない。
その上、毎日100トンとか言う単位で土砂については地球に補充され続けている。にもかかわらず水はほとんど補充されない。
宇宙開拓に持って行く水をどこから工面するか、と言う話しである。
地球の水は限られた量が循環しているとして、逆に考えれば上手に循環させればいくらでも水の使用は可能と言うことでもある。
しかし、外部への持ち出しになると、単純に純減となる。
水は減る一方。膨大な量の水持ち出しは地上の人類滅亡のきっかけになり得る。
巨大な宇宙船であれば同種の循環システムが備えられたとしても、最初の種水がどうしても地球上から失われる。
宇宙空間の真空度は高く、水素原子の一個にさえも出会わない空間が延々と続く。
氷の彗星でも利用できればいいのだろうが、兎も角、宇宙に浮く鉱石的物質から水を精錬するエネルギーは労力がでかかろう。
となるとやはり人類の本格的な宇宙進出というのは水資源を追って行かざるを得ないだろう。
そうなるといいが、当面は『宇宙に持ち出した水分は必ず全量を地球に戻す』ルールの策定が必要かな。
※ブコメを受けて少しだけ追記。
地球を出ると水はどこにもないよ⇒×
地球を出ると水の確保は苦労するよ⇒○
という前提の上で、地球から宇宙船で人が飛び出すとき、例え液体としての水を持っていなくても、一切の水分を持ち出さないことは不可能なので、まあ宇宙開発が進むと水は地球から減ってくるね。
そして、可能かどうかではなくて簡単に利用できるかが重要であるというシンプルな考え方を持って宇宙開拓は進むかな、と言うお話でした。
そう思うんならそうなんだろう。おまえの中ではな。
寝なきゃダメなタイムリミットはわかってるんだけど、どうしても過ぎちゃうんだよなあ。だらだらと。
時間の使い方がよくないんだよね。
人生は有限だから、メンテナンスと体調維持に十分な時間をかけて、
昼間の活動時間帯は質の高いコンディションで過ごせるようにしたい。
有限なものなのに、まるで無限かのように錯覚した態度で向き合ってしまっていることって、
時間もそうだけどそれ以外にもあると思う。
水少ない地域なんかはたとえ旅行者であってもホテルでアホみたいにシャワー流していると怒られるらしい。
それは電気の使い方なんかも同じ。
甘えた人間関係なんかもそれに近い。