http://syakkin-dama.hatenablog.com/entry/20170224/1487937935
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最初ブコメとして書こうとしたが,100字制限の下では意図が正確に伝わらない恐れが大きいのでこちらへ。
これに加えて,ブコメでは,
の問題までごちゃ混ぜにしようとしている。
この文章では,「効率と弱者救済の問題」に限定して,単純化された思考実験を以て,元記事の問題点を明らかにしてみたいと思う。
1人が1日暮らしていけるだけの給料がもらえる仕事量を1とする。
全員が,元記事で言う所の「強者」,すなわち定時(8時間とする)内に1の仕事をこなせるのであれば,残業禁止でも誰も困らない。
だがここで,なんらかの理由(発達障害に限らない)で,1の仕事をこなすのに9時間かかる人が居たとする。
それは「弱者切り捨て」だから問題だとして,1時間までの残業は認めることにする。
(実はここで,正しくは,2つのケース=その1時間に対して残業代を支払うか否か,に分岐するのだが,それを考慮しなくてもこのやり方が破綻することを示せると思うので,このまま進める)
さて,すぐにわかるように,1の仕事をこなすのに10時間かかる人も居るだろうということは容易に考えられる。
その人を救済するためには,2時間の残業を認めなければいけない。
以下,この数字がいくらでも増えていくことは,容易に想像できる。
例えば,1の仕事をこなすのに25時間かかる「弱者」も中には居るだろう。
そういう人は,このやり方では救えない。
この思考実験で言いたかったのは,「残業を禁止しなくても全ての(効率の悪い)弱者を救えない以上,残業禁止は(効率の良い)強者の論理だから間違っているという非難は成り立たないのではないか」ということである。
結局,この問題は,「残業という仕組みで,どこまで(効率の悪い)弱者を救うべきか」という問題に帰結されてしまう。それが0時間/日なのか,何時間/日なのかは,バランスの問題であって,all or nothing で是非が決まるものではない。
現在の日本社会においては,労働の長時間化が,消費=需要の減退→物価の低下→賃金の低下→労働のさらなる長時間化→...という悪循環が引き起こしているのではないかという推定がある。また,単に短期的な影響だけでなく,労働の長時間化が中長期的な少子化をもたらし,それによるさらなる需要の減退という悪影響が生まれることも懸念されている。
ならば,この悪循環を断ち切るために,労働時間を短くする方向へ規制をかけるというのは,マクロの「バランス」を考えると間違った考えではないと思われる。
他方この政策が,一定数の「暮らしていけない弱者」を生むのもまた確かだろう。
それらの人々を切り捨てるのは,人道的のみならず,経済を回していくという点からも正しくない。そもそも,人口減少を避けるための政策なのだから,切り捨ては本末転倒である。
ただしそれらの人々は,「残業許容」ではなく,別な方法(例えばBIのようなセーフティ・ネット)によって救うべき,というのが今の流れなのではないだろうか。