はてなキーワード: エリザベス女王とは
結論から言うと、"黒人侍弥助"自体は叩くべきじゃなくて、面白ければよくない?という事が言いたい。
俺、海外の"弥助"が出てくる作品をチラッとだけど見たんだ。それで、面白いと思った。
だって、日本に置き直して考えればさ、日本が鎖国していたような時代に、海外で日本人の騎士がイギリスで暴れまわっていて、しかもそれがエリザベス女王に仕えてたとか、そういう話だよ?
そんなの面白いに決まってる!俺だったら絶対に創作のネタにするし、実際海外の人間は色々妄想したんだろう。
海を超えた向こうの創作者の頭の中では、いろんな日本があって、そこではいろんな"弥助"が活躍する。それって、とても良い事で、楽しい事だと思うんだ。
ここじゃない何処か、つまり海外って、アイディアの宝庫じゃない?例えばジブリだって海外(イギリスとかだっけか)を元にして魔女の宅急便を描いて、私達(日本)でも、海外でもない美しい楽園を創り上げた。そしてそれは、世界中何処でも評価されたんだ。自由な創作って、そういう物だと思う。
弥助も、きっとそうなれる可能性があったと思うんだ。例えば歴史上の坂本龍馬なんかは実際には色々あって最近では教科書から省かれたけれど、創作の中の"坂本龍馬"像ってのは残り続けるだろう。力のある創作物というのは、モチーフも何も失われても力を持ち続けるから。だから、今回の事件で"黒人侍弥助"という創作がおそらく無くなってしまうのが悲しい。
もちろん歴史学者の政治思想やら、UBIsoftがどうのとかはある。でもさあ、んなこと知ったこっちゃなくない!?いい例えが思い浮かばないんだけど、Fateのジャンヌの認識とかに対して色々海外から言われたとしても、うるせぇ!面白けりゃいいだろ!!!って言いたくなんない?UBIsoftも歴史学者も滅びろと思うけど、既におそらく海外で固まっていたであろう"弥助"概念を使おうとしていた創作者のことを勝手に考えてしまう。まあ全部妄想だけどさあ……
巴御前(「一人当千の兵なり」とまで伝えられるつよつよ女武将)
立花誾千代 (立花城城主。薙刀と鉄砲の名手。「女子組」という部隊を率いて敵軍と戦ってたらしい)
天皇家もそうだけど、日本はわりと女に家督を継がせるパターンはあるんだよね
戦国時代まではわりと歴史上活躍してる女はいたし、政治力や財力を発揮してた。
薙刀って武器は遠心力を使って下から薙ぎ払う性格上、非力でも扱いやすいし、小柄なほうが有利だったりする。
いざというときに戦うのは女の勤めでもあったわけよ
日本だけではなくヨーロッパ中世の遺跡からでてきた騎士団の遺骨に女騎士の骨も含まれていたとか言うし、洋の東西を問わずまれに戦闘力高い女っていて、それなりに活躍してたっぽい
20世紀になってからは普通に女性にも徴兵制度が採用されてる国も多いから、女軍人ってくくりだと普通にいるよね。
マリーアントワネットの首が歌うシーンが興味深かったから、意図をしりたくて、いろいろ読んだ。
具体的に言及はされていなかったから、はっきりとはわからなかったが、インタビューはどれも面白かった。
id:hazlittさんが教えてくれた、ラジオ番組からいろいろ読み始めた。
増田はフランス語は多少わかるが、わからないところは、DeepL先生に頼っているため、正確性は保証できない。
ホスト:昨日私たちは、コンシェルジュリーにおいて、革命の中、斬首されたマリーアントワネットがゴジラ(というパンクバンド)とマリナ・ヴィオッティと歌うというシーンを見ました。このシークエンスは、いったいどのような意図で書かれたのですか、ダミアン。
ダミアン・ガブリアック(監督):まず私は一人で書いたのではありません。すべてみんな(4人の中心人物)で書きました。そして理由は極めてシンプルです。私たちは、選手が進むルートに沿ってシークエンスを進めていくことにしていました。そして、ここではコンシェルジュリーです。マリー・アントワネットが斬首の前に幽閉されていた場所です。我々は自分たちに、これについては言及せざるを得ない、と言い聞かせました。ここで起きた歴史的なイベントは世界中が知っています。私たちはそこにエネルギッシュであることを求めました。だからゴジラです。そして、斬首されたマリーアントワネット、その両方。私たちは顔を突き合わせ、私たちが価値を見出していた(後述する)ロンドンのエリザベス女王とジェームスボンドを改めて思い起こしました。これだ、これだ、と。
パトリック・ブシュロン:そうですね、まず私たちがやった、みたものは、完全に、楽しく、集合的であったと考えています。そしてそれは全く同じく、議論するつもりがないことです、正確に。議論するつもりはないのです。私たちが見たものはまさに、さきほど述べられた通り、似ているのです。この多様性の物語、これが私たちのあり方だと、私たちが、大胆に主張している、複雑さと。それらは、あの歴史的なモニュメント(コンシェルジェリー)と、その美しさ、威圧的であることを望まない美しさ、私たちを勇気づける過去と一緒に示されました。私たちは誇りを回復しました、国家はアイデンティティではなく、あくまで政治的プロジェクトなのだ、という誇りを回復しました。私はそれらを若者に見せることができてとてもうれしいです。私の娘もコースでそれを見ました。あの悲痛なものを見たのです。それこそが全てです。シンプルです。私たちは、わずか数分の間にバスティーユを奪還したのです。
(中略)
ホスト:ダミアン、実際にこのセレモニーは、世代間的でもありましたね、だれにとっても自分事であるような感覚、ミュージカルレベルでもそうですし、サウンドトラックはすばらしかった。ダリダもあったし、クラシックもあった。とてもエモーショナルでした。とても美しかった。そして、話を変えるが、橋の上でのクィアたちとの最後の晩餐。かれらと一緒に生きているというシーンでしたね?ダミアン。
ダミアン:その通り。クィアはいた。でも付け加えるなら、フランスのすべてがあった。背が高い、低い、太っている、痩せている、黒人、白人、アラブ人、みんな違う衣装で、同じプレイリストを踊ったんだ。グアドループ(カリブ海)の音楽、オーヴェルニュの音楽、ヨーロッパの音楽を、同じ時にね。
トーマス・ジョリー監督に選ばれたパトリック・ブシュロンは、このセレモニーに寄せられる期待や懸念さえも承知の上で、「私たちに似た」物語を望むと改めて表明した。 「私たちはバカバカしいことや傲慢にならないように努めます。それをやったら、とんでもなく長い道のりになってしまうよ」と冗談を言う。
(中略)
「最初のシーンには、『エミリーパリへ行く』シリーズを観たアメリカ人などが期待する、パリで見られるものをすべて詰め込みました。きっと反応は「ありきたりなだな」だろうけど、それは違う。少し忍耐が必要です。所要時間は 3 時間 45 分です。紆余曲折があるでしょう。次に、これらのイメージは正反対の方向に進み、スノードームが転がるように、私たちはエッフェル塔(私たちが期待しているもの)を目にするでしょう 。私たちはすべてを揺るがすでしょう。違うものが出てきますよ。 」
(中略)
共同執筆者たちは、過去の開会セレモニーを研究しました。そして、アテネの謙虚さと、ロンドンの自虐性を継承することとし、北京の誇張されたナショナリズムを拒否することにしたのです。
「ディベートの仕方を知っている国に生きることはとても大きなアドバンテージです。おそらく、(この国に暮らす)外国人たちが我々にもたらしている、楽しい面のカオス、それには多くの憤りと尊敬が同居していますが、私たちはそれを見せなければならないのです。」
開会セレモニーの原点は、セーヌ川の流れとともに進む、という点である。
「私たちが見せる、このゆっくりとした流れるイメージ、この空想上のパレードは、パリが示すべき力の中にあります。このステージは軍隊のデモンストレーションパレードではないのです。フランスはもはやー私は全く望んでいませんがー世界に対して、我々の歴史について講釈を垂れるような立場ではないのです。私たちは、持っているもの、信じているものでやるしかないのです。我々が込めたメッセージはシンプルです。言葉で、あるいは映像で、伝わればうれしいですが、そうです、それは、”すべてがある、それでも私たちは一緒に生きていける”ということです。」
パリの歴史から離れて、歴史家は、パリジャンの通勤のあり方についても、言葉を用いずに示すつもりだといいます。
「英雄的物語の反対にあるもの」を語る、というこの歴史家が大量のインクを費やしてきたフレーズにおいて、彼は、その立場を明らかにした。「私たちはしゃべりすぎです』と彼は笑う。宣言も挑発もない。オリンピックゲームは、包括性、平等性、多様性という価値観に基づいています。セレモニーはそうでなければならない。私は歴史家だから、ナポレオンの話をしなければならないなら、どうすればいいか知っているし、そうするつもりです!しかし、それだけではありません。絵画(Tableau)ではより完全なものになります。私たちは何も削除していないのです。追加しているんです。セレモニーは軍事パレードではないが、謙虚でないのに謙虚なふりをするつもりはない。その一方で、私たちは互いの違いに連帯感を示すことができる。誰もが楽しめるものになるでしょう。」
少し考えた後、彼はこう付け加えた。
「私に、世界(の見たくないもの)に対して目をつむることを期待しないでください。パリに世界を迎えるのであれば、ありのままの世界、ドラマなども含めて歓迎します。オリンピックは原義的に政治的なものですから、政治的なものを排除するということはありえません。しかし世界の最も公正な感覚の中にあってほしいとのぞみます。」
彼は微笑みながら、「こんなに複雑なものに参加することになるとは思ってもみなかった」と話した。
(増田はルモンドやリベラシオンに課金はしていないので、まとめ記事が助かった)
(略)
ジョリーと4人の作家が2022年末に共同の冒険を始めたとき、ルートはすでに決められていました。
東のアウステルリッツ駅から始まり、ノートルダム大聖堂、マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリー、ルーブル美術館、 ガラスのドームが特徴のグラン・パレなど中世の遺跡を通り過ぎ、エッフェル塔のふもとで終わります。
「私たちはダウンジャケットを着て、アウステルリッツ橋からエッフェル塔 までボートで川を上下しました」とジョリーはル・モンドに語った。
「私たちはパリの歴史の一部であるあらゆるものを見ました。通り、記念碑、広場、彫像。文学的な書簡、映画、ミュージカルも調べました。」
彼らは何度もブレインストーミングした後、約9か月間秘密裏に執筆を続けた。
フランスのカルト映画「アメリ」やアメリカのネットフリックスシリーズ「エミリーパリへ行く」の夢のようなパリに引き込まれることを警戒し、 彼らは「常套句やアメリカ流のフランス解釈についても、茶化さずに扱わなければならない」とわかっていたとジョリーは語った。
彼らはショーを12の絵画(セーヌ川沿い、セーヌ川の上、さらにはセーヌ川から出る)に分割し、約90隻の船に乗ったアスリートのパレードと掛け合わせた。
3,000人を超えるダンサーや俳優が岸壁や橋の上でパフォーマンスを披露し、それぞれの絵画は、パリのシンボルと、過去と現在の両方について呼び起こすものを描いており、世界をパリの歴史と建築の旅へと誘う。
例えば、ノートルダム大聖堂は、ゴシック様式の記念碑であり、19世紀の作家ヴィクトル・ユゴーとのつながりであると同時に、猛烈な地獄でもあるなど、人によってさまざまな意味を持っています。
「世界が最後にテレビでノートルダム大聖堂を見たのは、火災のときでした」とブシュロン氏は言う。「誇りと壮大さの物語だけではなく、感動の、再建の物語でもあるのです。私たちが演じたかったのは、どんな困難にも負けずに共に生きていこうとする粘り強く創造的な意志の物語です。」
自らを「現代を愛する歴史家」と称するブシュロン氏は、式典はできるだけ多くの人々に語りかけるものでなければならなかったと語る。
「パーティーを開いてお気に入りのプレイリストをかけるのとは違います。世界からフランスへ、そしてフランスから世界へ語りかけるものでなければなりません。私たちはただ、人々が共感できるように、当時の状況を描写しようとしただけです。」
(略)
エマニュエル・マクロン大統領は、セレモニーでは1789年のフランス革命から1948年の世界人権宣言まで、「解放と自由の偉大な物語」を提供すると述べた。
セレモニーの詳細は秘密のベールに包まれているが、フランスの価値観が何らかの形で讃えられると推測されている。フランス系モロッコ人の小説家であるレイラ・スリマニは、パリが集合的であろうとする努力に価値を置いていることーそして力を合わせることで考えられないようなものを生み出せるーを高く評価している、とル・モンド紙に語っている。
4人の作家は、自分たちの物語に寛大な精神を持たせたかったという。
「喜び、模倣、動き、興奮、輝きがなければならない。フランスが時に自信過剰に見せたがる伝統的、哲学的、価値観だけでなくね。」
(略)
一方、昨年9月にパリで開催されたラグビーワールドカップの開会式は、「反例となった」とブシュロンは言う。
『アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダンが、ベレー帽にバゲットという出立ちで、1950年代のフランスの村々を再現した模型を自転車で巡り、ミルク絞りの女性やダンサーに手を振るというこのショーは、多くの批評家から、時代遅れの陳腐なフランス表現だと非難された。そして、非常に内向きなフランスだった。
「ただの古臭い過去のイメージや、現在の単純な賞賛ではないものでなければならない。歴史は揺らいでいるもので、国家はアイデンティティではなく、政治的プロジェクトであることを忘れてはならない。だから未来を語るのです。だから、私たちはセーヌ川を大旅行し、みんなを巻き込もうとしています。」
ブシュロンは、最も感動的なショーとして、ジャン=ポール・グードによる壮大な舞台美術を伴った、1989年のフランス革命200周年記念式典を挙げている。
当時20歳だったブシュロンは、それを見て歴史家になろうと決意した。
「それは歴史を痛感した瞬間でした。1989年、ソ連、中国(天安門広場の抗議活動)など、世界では多くの出来事が起こっていました。当時、私たちは多文化フランスと呼ばれていたものの価値を声高に明確に宣言することができました。それはより困難になり、ある種の幻滅感もありますが、私たちは怯んではなりません。」
数週間前、フランスでは議会選挙後に極右政党「国民連合」が政権を握るかもしれないという懸念が真剣にあった。その場合、ショーは「ある種の抵抗のセレモニーに変貌していただろう」とジョリー氏は語った。
結局、マリーヌ・ル・ペン氏の党は好成績を収めたが、セレモニーの書き直しを必要とするほどではなかった。
「私たちは、切実に、いたるところで起こっている暴力から離れて、平和の瞬間、止められた瞬間を共有することを必要としています」とスリマニは言った。
「私は本当に、7月26日にみんなが流れに身を任せてくれることを願っています。私たちの中の子供の部分、発見する楽しみを思い出してほしいです。今では本当に珍しいものになってしまいました」
と思っていたけど、セーヌ川、コンシェルジュリーが先にあることがわかった。ルイ16世でない理由もそこにある。またマリーがサン・キュロット版のア・サ・イラをうたい上げた後に上がった数多くの血しぶきは、その後のコンシェルジュリーで数多く処刑された人々のものであろうとも思う。なぜなら、マリーはすでに断頭済みだから。そして、ガブリアック氏、ブシュロン氏のコメントから、別に完全に誇っているわけでもないこともわかりました。やるしかねぇな、と言っているのですから。またブシェロン氏はdéchirer(悲痛な、引き裂かれる痛み)という言葉を使って、あそこで起きたことを示しており、歴史家である彼は当然革命期のその後の悲劇を知っているわけですから。それでもなお、彼は「バスティーユを奪還した」といい、国家は終わるもので、政治的プロジェクトに過ぎないのだ、ということを「誇って」いるという点が印象的でした。右派が怒ることなども承知の上でしょう、なにしろ、「ディベートの仕方を知っている国に生きている」のですからね。
開会式全体に込められたメッセージから判断すると、別にキリスト教を揶揄はしていないんでしょうね。挑発はしているかもしれませんが。クィアは存在する(キリスト教がないものとみなしている)ということを目ぇ開いてしっかり見ろ、ということが言いたいのでしょうから。真正面からね。
要は、暴力やクィアなど、みたくない、特にオリンピックにおいて、というものも当然パリは包摂してるぜ、外国人問題とかもカオスだけど、でもちゃんと一緒に生きてるんだぜっていうメッセージと受け取ったね。論争が起きるのとか、まさに狙い通りでしかないんじゃないですかね。
タウザー(Towser、1963年4月21日 - 1987年3月20日)はスコットランドのクリーフ近郊にあるウイスキー蒸留所、グレンタレット蒸留所(英語版)で飼われていた雌のネコである。
「世界一ネズミを捕ったネコ」としてギネスブックに登録された[1]ことで有名である。
タウザーとネズミ
タウザーは、スコットランド最古の蒸留所と主張するグレンタレット蒸留所のウイスキーキャットとして活躍していた。「ウイスキーキャット」とは、主にネズミや鳥などの害獣からウイスキーの原料である大麦を守る為に蒸留所で飼われる猫の総称である。この習慣は他の蒸留所でも一般的な事であったが、タウザーはその生涯で28,899匹のネズミを捕獲し、ギネスブックに記録された[1]事によって一躍脚光を浴びることとなった。
この「28,899匹」という記録の集計は、タウザー自身による自己申告によるものである。 もちろん、口頭で申告した訳ではなく、タウザーはネズミを捕獲すると蒸留所のスタッフに見せに来るという習性があったので(ちなみに猫には捕らえた獲物を主人に見せるということがよくある)、ある時期からスタッフがその数を書き留めるようになり、やがてそれは膨大な数となり、記録を始めた時点から数えて28,899匹となったのである。
タウザーとエリザベス2世
タウザーの誕生日は4月21日であり、偶然にも女王エリザベス2世と同じ日であった。このことから、1986年のタウザー23歳の誕生日には蒸留所のスタッフによって、エリザベス女王の下へ「同じ日に生まれたグレンタレット蒸留所ウイスキーキャット タウザー」とタウザー名義でバースディカードが送られた。これを受けたエリザベス女王は「(タウザーを人間の年齢に換算して)161歳の誕生日おめでとう」との旨が記された返事を送った。
タウザーの死後
グレンタレット蒸留所2代目ウイスキーキャットを継いだのはアンバーという名の猫であるが、ネズミの捕獲に関してはさっぱりであるとのこと。衛生上の問題からウイスキーキャットへの規制が行われたことも伴い、蒸留所のマスコットとして蒸留所を訪れる人々に愛嬌を振り撒いているとのことである。
しゃあ!
バーフバリは面白かったので全く情報を仕入れずにナートゥをご存知かだけで観にいった
三時間確かに面白くみたけど、RRR面白くないと思う人間は人間にあらずぐらいの絶賛が多くみうけられていたので、それほどかなあ?とは思った
私にはバーフバリのほうが見せ場ありロマンスあり爆笑あり無茶苦茶ありのスペクタクルを感じ面白かった
エリザベス女王が亡くなったときのインドの人たちの感想を思い出して、ちょっとだけなんかひっかかったので純粋に楽しめなかった
とにかくバーフバリのつもりでみにいったので「内容かなり重いけど!?両国の歴史を詳しく知らない自分が娯楽として消費していいのか?」がファーストインプレッションだった
途中までは楽しく見てたんですよ、いきなりのティ・チャラの死の喪失感から始まってタロカン帝国の壮大さ、シュリをはじめとして活躍するのはほぼ女性キャラ、こんなに充実していていいの?というくらいのフェミニズム描写
キルモンガーの登場や、復讐心を乗り越えて前に進もうとするシュリには感動した
それがずっこけたのはスタッフロールの途中で唐突に出てきたナキアの息子
最初は養子の可能性も考えたが、残念ながらティ・チャラの実子で間違いないらしい
まさか「女の王は中継ぎ!男系男子こそが正当な後継者!」なんて話をフィクションの中でまで見せ付けられるとは…
つい先日イギリスのエリザベス女王が惜しまれつつも亡くなった記憶が新しいのに、なんで映画の中で今更こんな古臭い描写?
作中でも女性が王になる事への反対意見とかがあった訳でもなく、みんな当たり前のように女王を受け入れていたのに
スタッフロールをぶった切ってこの唐突な男系男子至上主義描写。
ていうかナキアがティ・チャラの子供を産んで、ティ・チャラもそれを承知でハイチでナキア一人で育ててましたって
父親が甥を見捨てた事に憤ったティ・チャラとも思えぬ無責任さ。
育児放棄のクソ親じゃん…
恋人に子育てを全部任せて、母親や妹には王位の面倒なところを押し付けて、自分と同じ名前の息子が正当な王位継承者ですって?
ティ・チャラ役のチャドウィック・ボーズマンって確か、結婚はしてても子供はいなかったと思うけれど、彼に対してもあまりに失礼じゃないだろうか?
ラストの「ブラックパンサーは帰ってくる」って、ティ・チャラの息子を指しているとしか思えないし
要はシュリは正式なブラックパンサーじゃなくて女王は中継ぎに過ぎないって事だよね?
アフリカ系の人達ってなんだかんだで異性愛至上主義かつ男尊女卑の保守的な人が多そうだから、その辺の人達に受け入れられるようにした結果なのかね。
異性愛なら普通にリリのポジションを年頃の男性キャラにして、シュリの婿として迎えられて二人の子供が後継…みたいな感じじゃいけなかったのかねえ
とにかく絶対に男系に拘りますとでも言いたげな製作陣の態度に、秋篠宮妃が突然第三子を妊娠した時の事を思い出したわ
もうシュリはネイモアと組めばいいんじゃないかな…ネイモアの言う通り、マジでシュリが孤独で気の毒になった
対等な友達になれそうだったリリも結局出て行っちゃうし、愛する兄は自分達に内緒で子供を作っていた事が明らかになるし。
こりゃあ闇落ちしても仕方がないわ
https://ja.asayamind.com/squanto-true-story-native-american-behind-first-thanksgiving
(和解後)
両者は彼らの関係について批判を受けた。エックフォードはナイーブまたは寛容すぎると非難され、ブライアンは偽の日和見主義者であると非難されました。
彼女は特に、何年にもわたって人種差別の顔であった後、彼女が和解の顔であることに憤慨した白人から批判を受けました。
エックフォードは、ブライアンが本来あるべきほど自分の過去を所有していないと信じており、彼女があまりにも注目を集めているのではないかと疑い始めました。
何も和解できてなかった。
友情は育まれなかったし、許すことも無ければ許されることも無かった。
安倍晋三元大臣の国葬が日本武道館に置いて粛々と執り行われたことは、世界史に残る記念すべき事柄として、後世に伝えられるものと思われます。
しかしながら、その神聖な儀式の最中において、国葬を妨害する行為が、一部の野党や客共団体に扇動された形で行われたことは、極めて遺憾なことであり、嘲笑の対象であるばかりで無く、安倍晋三元総理大臣の御霊を穢す行為でした。彼らの行為には、その破廉恥ぶりに、むしろ憐れみを禁じ得ないものでした。安倍晋三元総理大臣が、悲願として達成しようとした事柄は、自主憲法制定による日本人による日本人のための政治の確立、日本国に流れる清明心を、日本人自身が受け継ぐことの確立、真の国防意識の滋養と国民皆兵の実現、真の民主主義の確立、国際社会に於ける日本国の確固たる地位の確立などでした。安倍晋三元総理大臣は、世界情勢を俯瞰する鋭い感性で、突出した比類ない外交努力を展開された世界的政治家でした。しかしながら、その粉骨砕身のご努力は、暴漢による凶弾によって一瞬にして終了させられるという無念極まるものでした。そのような政治家の国葬に対して、反対を表明した個人や団体に、政治の奥深い真髄などが理解できるものではありません。
その意味でも、今こそ、不世出の大政治家であり、国守であられた安倍晋三元総理大臣の面影を永久に後世に伝えるべく、氏の在りし日の面影を挿入した新たな紙幣(参万円札)を発行し、法制度によって、国民の間に永久に通用させることが必要と思われます。英国のエリザベス女王がその面影を英国のポンド紙幣に永久に残しておられるように偉大な足跡を持つ日本国民の恩人を、永久に顕彰していくことは天の理に適うことであります。以上の趣旨をもって、安倍晋三総理大臣記念紙幣の新規発行を目標とする設立の活動開始をここに 恭しく宣言いたします。
令和4年9月27日
「安倍晋三記念紙幣発行推進国民会議」設立趣意書設立準備委員会
あと、客共団体って何だろう。
俺は見てない。
法的正当性、予算・業者選定の不透明さ、一部の国葬賛成派の論理(テロリストの凶弾に斃れた偉大な安倍元首相を盛大に送りたい、こんな時くらい静かに死者を悼め等)に全く納得できなかったからだ。ガースーの弔辞も「お友達が何かエモいこと言って感動的な雰囲気を演出してんだな」くらいで原文も読んでないんだわ。あとシンプルに葬式に興味がない。エリザベス女王のそれもスルーしてた。
でもそれちょっと後悔してんだよなあ。
国葬に反対するからこそちゃんとウォッチして公平な評価を下せるようにするべきだったんだ。
実施前ならともかく、国葬批判するなら(的外れな批判をしたくないなら)そこに至るまでのプロセスだけでなく本番もちゃんと見ておくべきだったんだよな。