はてなキーワード: 集合的とは
https://anond.hatelabo.jp/20220713095757
■やっぱりアベガーのせいじゃね?
https://news.yahoo.co.jp/articles/57ddc39041688a913772ff293aa609fa8ce51941
岸信介元首相も敵視か「宗教団体を日本に招いた」 安倍氏銃撃容疑者
これを読んでの話です。
※ごめんねn=1の話です。
最高偏差値75
妻子あり
持ち家建築中
座右の銘「人事を尽くして天命を待つ」「誰かが困っていたら 助けるのは当たり前!」
ちなみに母親からは、毎回自民党の誰それに入れてくれと連絡が来る。
最近(2018年くらいかな?)の教会と我が家のトラブルは前に増田に書いたところ250?300?くらいブクマしていただいた記憶。
あのときはテンションが高かったですけども。だってあてにしてた1000万円が消えてたんだから。
思い出したら腹たってきた。クソ。
まぁそんなこんなで、個人的にも教会への憎しみはそれなりにある。
そんなところを恨んでも仕方ない。
むしろ母親の世話をよろしく頼むというくらいなもんである。そのために教会の人ともしばしば話はする。
※母はまだまだ自活してます。仕事もしてるし。色々ガタがきはじめたけど。
そんな俺からすると、統一教会と安倍元総理の関係性なんて全くどうでもいい。
もちろん仲がいい?のは随分前から知っていた。
母親にも教会と安倍元総理の関係については聞いたことはある。世間話の一貫で。あんまり覚えてないけど。
だけど、岸信介氏が教会を日本にどうのとかなんて今回はじめて知った(以前も見たかもしれないけど記憶には残らない程度ということ)。
教会への恨みももちろんだが、本人がアベガーに近い属性だったからではないか。
教会幹部から安倍元総理に標的を同志諸君が喜ぶと思ったからではなかろうか。
なぜなら、山上容疑者ほどひどくは無いとはいえ、似た境遇で育ち、同じく教会ふざけんなと思っている俺が、教会への復讐に安倍元総理を標的にするとか、一ミリも理解できないからである。
ごめんねn=1の話です。(二回目
仮に俺が教会へ復讐するとしたら、何をどう考えても、母親を脱会させたあとで裁判という普通の流れ。
ただまぁ高齢者から信念とデイサービスを奪い取るのは得策ではないと思う(ので放置)。
もちろん、俺は家族に恵まれているということもあり、復讐にとらわれるなんてことはない。
まぁ俺的には、サバイブに失敗した酒鬼薔薇世代のアベガーによる暴走という風に見える。
恥ずかしい。
なお俺らくらいだともう氷河期も終わりかけなので、あんまり氷河期世代ヅラはしない。というかそう言われることに違和感。
余談というか個人的な感想だけど、自衛隊入ったのはいつかこうなる日が来ることを想定してたんじゃないかなと思う。
偏差値65以上で就職先に自衛隊がちらつくことってあるんかな?っていう単純な疑問。
少なくとも元同志社というだけで働き口なんていくらでもある中で、敢えて銃が撃てる場所を選んだっていうのは、まぁそういうことじゃないかな。
=== 追記 ===
ブコメより
「そんな俺からすると、統一教会と安倍元総理の関係性なんて全くどうでもいい。」お前はな。奴はそうじゃなかったんだわ。
→ うんまぁだから、そうなったのはアベガーの影響でしょっていう話なので。少なくともアベガーが発信し続けた情報を鵜呑みにしたんでしょってことです。
俺は右も左も極端なやつは嫌いだし、口が悪いのも嫌いなので、教会だからといってもアベガーの発信する情報は追いかけていなかったかな。
=== 再度追記 ===
目出度く「ゴルディアン・ノット」作戦こと21世紀型ABCD包囲網の打破を目指すロシアン真珠湾の概要が公表されたので訳す。なお註釈のうち文中のものはすべて英訳者により、数字のものは註釈ではない和訳者のたわごとである。例により和訳者は頭の悪いのと精神病質者が大嫌いだがまあ共産趣味者とかインテリゲンツィヤとかアリストクラットが労働者を"対象"と捉えるのは今に始まったことではないから特に後ろめたく考えてはいない。
第三次世界大戦は始まったようだ; 同僚たちはシャンパンの封を切っている[1] - イラン・米国間の戦争は核合意を阻害しロシア産原油のイラン産原油による置き換え余地を封じる。ホルムズ海峡の避けられぬ封鎖は原油価格をうなぎ上りにする。筆者は[ロシア・イラン間の]一般的には理解不能な合意がある可能性すら信じているが、裏付けるいっさいの事実は持ち合わせていない。
今日はただわれわれ[組織としてのFSBにとって、#WindofChange個別ではなく]の目から見て差し迫ったロシアの"出口"と、クレムリンの"廷臣"について伝えようと思う。(帝政における皇宮について言っている)
これは(実際の摘要の)"複写"ではないがきわめて正確な再話であり、いかように扱ってもかまわず、内容を伏せずに全文を転載してもよい。
この作業はまだ取り掛かったばかりであるので現在はまだ輪郭があるのみで、最終的な報告書は分量があり、詳細で、より堅固になる。今はイラン-米国紛争にかかりきりであるので、筆者はのちより自身の(この新計画に対する)意見をくわえる予定である。『ゴルディアスの結び目』は深く修正・適合される(イランが在イラク米軍基地へミサイルを発射しているため)。
https://twitter.com/ChnConsul_osaka/status/1476387652563832843?s=20
ロシア大統領プーチンが言った。「ソ連崩壊は悲劇だ。ソ連は40%の国土、生産力と人口を失い、数千年の蓄えが幻となった。」その時、米学者フクヤマが「歴史の終焉」を作り上げ、米式資本主義が人類歴史の最終形態だとした。正に米国の冷戦勝利宣言かのようだ。
ソ連の崩壊で米国は集合的興奮に陥り、ベトナム戦争のトラウマが一掃され、「単極世界」を迎えた。しかし、30年後の状況を見て、米国も同じく失敗の運命から逃げられず、冷戦には勝者がなく、米国の失敗はソ連に比べ30年遅れただけだと分かる。
今日の米国は弊害にまみれ、とりわけ新型コロナ発生以来、米国のコロナ対策が大失敗、社会が引き裂かれ、「民主の灯台」はその輝きを失った。「米国は自信かつ断固たる足並みで、ソ連の古い道を歩んでいる」とプーチンが言った。
①思想の狂い
冷戦が終わってから、米国は自らの制度に対する反省を完全に捨て、盲目的な傲慢に陥った。まさに思想家ジャック・ルソーのいう通り。「選挙投票日その一日に限って民主的で、その後国民は奴隷になる」。
米国は自称「民主」だが、実は民主と選挙、多元と平等、問題提起と問題解決を混同している。国民に問題が解決されなかったことに気づかれたら、権力者を変えて同じことをもう一回繰り返す。
米国は自称「自由」だが、「ポリティカル・コレクトネス」が冷戦後の米国のあらゆる所に存在。米国は自由そのものを資本が巧に設計した遊園地に持ち込み、完璧な自由リアリティショーを毎日演じている。
米国は自称「市場経済」だが、「資本主義は真の市場経済でない。その特徴は独占、つまり反市場だ」と歴史学者ブローデルが言った。市場の本質は自由競争、公正取引だが、米式市場は利益第一、米国優先。米国の独占を守るため、手段を選ばず、貿易戦を起こし、国際分業を破壊する。
②政治の腐り
冷戦時代、米国はソ連の政治腐敗を攻撃し、自国の政治問題を棚上げしていたが、事態は深刻化する一方。元大統領ジミー・カーターは「世界は故障した民主政体を目撃している」と、米学者フクヤマも「米国は失墜しつつあり、政治的失敗は続く」と認めざるを得なかった。
「われらが仕事をする振りをし、彼らは給料を出す振りをする」というソ連を皮肉る昔の笑い話がある。今は主役が米国に変えてよかろう。「われらは投票の振りをし、彼らは政務を執る振りをする」。
政治の腐敗は結局エリートの腐敗。餓鬼偏執、政治献金、高額報酬、サヤ取り、ロビーグループ、受託収賄は既に米制度の不可分の一部となった。大統領バイデンは就任百日演説で、「55%の米国最大手企業が交付した連邦税はゼロ。タックス・ヘイヴンで税を免れている」と述べた。
悲しいことに、バイデンの訴えは多くの米国人にこれが世界中のエリートを引きつける米国の「ソフトパワー」と認識されている。米国は貧乏人とお金持ち、大衆とエリートが完全に隔絶し、価値が対立する「並行世界」、「二次元世界」になりつつある。
③経済の衰え
今日の米国のインフレ高進が激しく、大口商品の価格が大幅に上昇、経営環境が悪化する一方。米元財務長官サマーズとルービンは米国がすでにスタグフレーションに入ったと判断。今後の一時期、米国の景気回復の道筋は不確実性が高い。
米国をいわゆる冷戦勝利に導いた新自由主義、貨幣主義経済革命は結局大仕掛けのペテンにすぎないと多くの人が反省している。今年初、米財務長官ジャネット・イエレンが就任初日に財務省の全員への公開状の中、「米国は50年にわたって累積した経済危機に面している」と指摘した。
これは1971年、米国がドルと金の兌換を停止し、金本位制の貨幣体制を廃し、負債・貨幣増発・金融化、産業空洞化の後戻りできない道を歩んだことを指す。2008年金融危機から2020年新型コロナパンデミックまで、米国は問題解決のため無闇にドルを印刷し、病みつきになっている。
このように、米国は「金融マジック」で自らのバブルを膨らませ、他国の利益を奪い取ってきた。しかし、因果応報というものがある。来年、米国は第六回の利上げの圧力に直面している。金融危機のカウントダウンが既に始まっている。
④社会の分断
この30年、米国の貧富の分断は深刻になる一方。米国の家庭の財産はこの20年で増加しなかった。もっとも豊かな1%の米国人は43万億ドルの富を所有し、最下層50%の米国人の14.3倍に達する。目下、米国企業CEOの報酬は従業員平均報酬の320倍、歴史最高水準だ。
今の米国は南北戦争前の状態に似ている。社会の中流階級が萎縮し、左右両極分裂のポピュリズム社会になりつつある。赤い州と青い州の矛盾が激化し、52%のトランプ支持者と41%のバイデン支持者は米国の分裂を望んでいる。
1月の米議会襲撃事件は1933年ドイツ国会議事堂放火事件を想起させる。白人至上主義、軍産複合体、大金融資本集団というファシズムの三角が形成しつつあり、次回の大統領選挙でファシズムが復活するかもしれない危機的な状況だ。
ワシントンポスト、CNNなどの米主流メディア及び多数の米退職将軍は政治上の不一致によって米軍が二つの対立の陣営に分裂し、2024年大統領選挙後米国に内戦が勃発する可能性があると予測した。現在、米軍の中では既に動揺の兆しが出てきている。
フルエンゲージメントとは?
紛れもなく悪い上司、有毒な職場環境、困難な人間関係、そして現実の危機があります。それにもかかわらず、私たちは通常認識しているよりもはるかに多くのエネルギーを制御できます。雇用主は私たちを1日長い時間捕らえます。しかし、私たちが利用できるエネルギーの量と質はそうではありません。それは私たちの最も貴重な資源です。私たちが世界にもたらすエネルギーに責任を持つほど、私たちはより力を与えられ、生産的になります。私たちが他人や外部の状況を非難すればするほど、私たちのエネルギーはより否定的で妥協する可能性が高くなります。もしあなたが明日をもっと前向きに目覚めることができたら、それはあなたの人生をどれほど大きく変えるでしょうか?仕事や家族と一緒に投資することにエネルギーを集中した場合、それはあなたの人生をどのように変えますか?リーダーおよびマネージャーとして、職場により前向きなエネルギーと情熱をもたらすことはどれほど価値があるでしょうか?あなたが率いる人々がより前向きなエネルギーを求めることができるとしたら、それは彼らの相互関係と彼らが顧客やクライアントに提供するサービスの質にどのように影響するでしょうか?リーダーは、企業、組織、さらには家族においても、組織のエネルギーの管理者です。彼らは、最初に彼らがどれほど効果的に彼らのエネルギーを管理するかによって、そして次に彼らが彼らが率いる人々の集合的な力をどれだけうまく動員し、集中し、投資しそして更新するかによって他人を鼓舞または意気消沈させます。個人的および組織的にエネルギーを巧みに管理することで、私たちが完全な関与と呼ぶものが可能になります。完全に関与するためには、それは私たちを物理的に活気づける必要があります。それは、私たちの直接の自己利益を超えて、感情的につながり、精神的に集中し、精神的に目的と一致しなければなりません。完全なエンゲージメントは、朝に仕事に取り掛かることに熱心であり、夕方に家に帰ることも同様に幸せであり、2つの間に明確な境界を設定できることから始まります。それは、仕事での創造的な挑戦に取り組むこと、プロジェクトで人々のグループを管理すること、愛する人と時間を過ごすこと、または単に楽しむことであるかどうかにかかわらず、あなたがしている使命に没頭できることを意味します。完全な関与は、私たちの生活様式の根本的な変化を意味します。
このようなtweetをした。
Shotaro TSUDA @brighthelmer
@tekidanhei 作品は常に批判に開かれています。批判する自由もあれば、その批判をさらに批判する自由もあります。批判を受けて変えるのも、変えないのも制作者の自由です(強制できないですし)
「つまらない」等々は許されるのに「ジェンダー描写に違和感がある」という批判が許されないのはおかしくないですか? 2020-09-11 13:12:58
つまらんというのは個人の意見でしかないことが明らかだし、他の人にとっては面白いかもしれないし、結局は売上次第だ。
(実写進撃の巨人がどんなにクソ脚本だと言われたって、興行さえ成功してれば町山さんは勝者の顔をしたはずだ。)
一方、性差別的だというクレームはそんな軽いものではない。対応を強制される。
個人の感想などではない絶対的善悪の話になり、企業やクリエイターの利益や名声やキャリアを脅かす。
自分の今回の「ジェンダー描写云々」のクレームをありふれた「つまらない」と同じようなものだったと自己弁護する津田正太郎教授は、
本当にこの2者の扱いが同じでも満足するのだろうか?
「ジェンダー描写に違和感が~」という批判が「つまんねw」という感想と同じように制作サイドから無視対応されたら納得し満足するのだろうか?
しないだろう?
津田正太郎教授のように「ジェンダー描写に違和感が~」という批判をする人は
自分のそのクレームを「つまらない」のような批判よりはるかに重大だと思っているはずだ。
事前に期待した通りに賛同の声が集まってきていたなら、
「そうだろうみんな?これは大問題なんだよ!」と意気上がったはずだ。
だが不幸にも自分の攻撃が失敗し、付けた火が逆流しかねない気配になってきたので、
「つまらないという感想と同じこと」「そんな大した指摘はしてない」と言い出してるだけだ。
余談だがこれは表現規制を目論む人にわりと共通の仕草だと思う。
気持ち悪いショタコンに対し「小児性愛は生きてるだけで周りを不幸にする嗜好!小児性愛者は息をするな!」レベルまで突っ走っておきながら
火が逆流してきて自分達が批判の目に晒されてると気づいたら「twitterで大っぴらに書くことのマナーを注意しただけなのに!」となる。
形勢のまずさに気付いたとたん自分の攻撃を後から大幅に割り引いて、
「こういう大人しいことしか言ってないのにすごい過剰反応された―」と汗まみれの顔で被害者ポジションになろうとする
これは小学生時代の口喧嘩でよく見た仕草だが、いい大人が真顔でやるのはどうか?
小学生がその詭弁戦法を取れるのは口喧嘩なら言った言わないの地平に逃げ込めるからというところもあり、
ログが残るところでそれをやるのはある意味小学生より頭が悪くないだろうか。
たとえばこうだ。
・「リメイク銀英伝に火をつけていっちょ手柄立てたるぞー」開始時の津田正太郎教授
Shotaro TSUDA @brighthelmer
Shotaro TSUDA @brighthelmer
@tekidanhei 作品は常に批判に開かれています。批判する自由もあれば、その批判をさらに批判する自由もあります。批判を受けて変えるのも、変えないのも制作者の自由です(強制できないですし)
「つまらない」等々は許されるのに「ジェンダー描写に違和感がある」という批判が許されないのはおかしくないですか?2020-09-11 13:12:58
「変更せざるを得んぞ!時代に許されんぞ!」って言ってたのに
「変えるも変えないも制作者の自由です」「強制できないです」って、嘘つけえ?
「お?お?お前らこんな、新妻に料理させるような性差別的な描写盛り込んじゃうの?
今の時代にそんなの許されると思ってるの?
ぐらいのノリだったくせによ。
強制されるべきでないとは1ミリも考えてなくて、単に強制する空気の炊きつけに失敗しただけでしょ?
「批判を受けて変えるのも、変えないのも制作者の自由です(強制できないですし)」や
「つまらないというのと同レベルの他愛ない感想じゃないか」のような言い逃れは
今回のこの「アニメ銀英伝は性差別的な作品だ、有害な作品だ」という叩きの流れに上手く火が付いていれば
監督も謝罪をしたうえで身を守るためにSNS等を全部ロックして自閉モードに移行し
すでに放映開始してる作品はスケジュールを大幅に変えて作り直しになり大損害を出し
プロデューサーや監督の今後のキャリアは暗いものになっただろう。
ここには明らかに強大な強制力とカタストロフィがあり、自由などない。
法政大学社会学部メディア社会学科の津田正太郎教授自身が良く知悉するはずだ。
自覚的に明らかな嘘を吹いて誤魔化そうとした。
心の底まで真っ黒ってことだ。
津田正太郎教授による炎上アクションが理想的にうまくいった場合について、
差別コンテンツ作成者として告発を受けた側の制作陣の破滅的に暗い運命は上で書いた。
そんな制作陣の不幸と裏腹に、
えびす顔で手柄を受け取ったのはもちろん津田正太郎教授だったはずだ。
仲間の界隈で地位が高まり、そちらの方面からの取材も増え、講演や原稿の依頼も来て、法政大学学内でのプレゼンスも上がる。
もちろん自己顕示欲や自己肯定感や全能感と言った精神的な報酬も大きい。
今の時代、ネットで派手に騒いで表現規制を仕掛けるインセンティブは豊富にあるのだ。
とても栄養価の高い海が広がっていると言ってもいい。
世間の人気作や大きなプロジェクトにこの種の炎上を仕掛けて大火事にして頓挫させその主役になるというのは
かなり抵抗が難しい魅力を見せているのではないだろうか?
失敗しても低いリスクやコストで撤退して何度でもチャレンジできるとなれば、既にこのチャレンジの常連層もいる。
黒子のバスケ脅迫魔が逮捕されないための小知恵を付けたような感じの存在。
彼等彼女等がそんな放火常習犯のような不毛な行動を習得した原因として
「放火行為の初回にそのリスクやコストを感じなかったから」という要素を否定しきれるだろうか?
とにかく津田正太郎教授という人のtwitterでの立ち回りは全般的な「小ズルさ」が最も目につく。
Shotaro TSUDA @brighthelmer
@magicaltina 昔のものはもうしょうがないのですが、これから作るものについて「作り手の本意ではないところで」摩擦を生まないというのは割と大事なことではないでしょうか。
ヤンとユリアンとフレデリカという単なる3者のキャラ付けと掛け合いに
「変更せざるを得ない」「今の時代にそぐわない」として摩擦の存在を主張し
他のファンがいくら「そうは思わない」「この3人がこうなだけ」「そもそも現代の話じゃないぞ」と反論があっても「いいや摩擦はあるのだ!」と頑張る。
つまり、「何が摩擦を生むのか知っておく」とは、津田正太郎教授の御教示を受けるということでしかない。
「仕事の能力と関係ないところで評価を下げられないために正しいマナーを知っておくのは大事なことです」
と言って、ほとんどの人が気にしてない・知りもしない・下手したら当人が作ったマナーや常識を教える商売。
Shotaro TSUDA @brighthelmer
@higenomorita もちろんそれは、個人の感想です。ただ、集合的な価値観というのは存在しますし、変化もします。
多くの人によってかつては問題なく受け入れられていたものが、時代が変わったことで大きな反発を呼ぶということは当然にありうることです。
「自分が違和感を感じた≠その描写はまずい」と指摘されての応答。
個人の感想だと認めた直後に「集合的な価値観」「大きな反発を呼ぶ」のようなクソワード・クソ論法を駆使し
自分の主張が多くの人間に支持されている風に匂わせるという典型的な詭弁を披露。
もちろんエビデンス等無し。
deztecjp 言葉が強いので確認したいが、津田さんの使ったような規制論法は「してはならない」レベルの話だと思っているのか、「言論の自由の範疇だが、この逃げ方は小ズルい、と批判しておきたい」くらいの話なのか。
「津田さんの使ったような規制論法」がどの部分を指してるのか正確にわからないんだけど
表現を強く批判すること自体がダメなわけはない。この増田読んでもらってればわかるよね。
ただ、「お前は表現で差別助長をした」とか「お前は表現でセクハラをした」という重い罪状でダウトを掛ける時はこれは戦争だろ。
そのダウトが通れば相手を殺すんだから、ダウト不成立ならお前が死ねよ?ぐらいには思ってる。
それを相手がやったって主張するのはよっぽどのことじゃん。
社内で同僚のAさんについて「あの人はセクハラをした!」っていきなり社内中に触れ回ったら、
それが事実ならAさんが死ぬ(当然!)し、もし間違いだったら触れ回った奴が死ぬよね?
そういう当たり前の道理を身に着けてほしいわけ。
殺すか殺されるかの覚悟もなく自分の主張の責任取る気すらなくやってんならなんでそういう殺す言葉を使っちゃうの?って思うわけ。
「どこが差別なの?」「セクハラという言葉の定義すら無視するの?」みたいな反論に再反論できなくなったら
「ただの感想を言う自由もないのか―」「もうちょっと気を使ってと言っただけなのに過剰反応された―」って、
当初の重い告発から大幅に割り引いて軽いボヤキを言っただけみたいにすり替えて逃げを打つじゃん。毎度
当初は心臓刺しに行ったくせに。
自分は相手の心臓狙って刺しに行くけどそれは自分がやってるんじゃなくて
集合的な価値観だの社会だの時代だのがそう言ってるんだという言い方になってるんだよね。
それで自分は安全に逃げ道を確保しながら一方的に刺しまくれると思ったわけじゃん?
決闘を吹っ掛けた以上、みごと相手を殺すかもしくは自分が死ぬかどっちかにしてもらうから。
自分が不利になった途端「いやいや決闘なんかじゃないですよ?」って誤魔化しながら決闘場出て行こうとしてる奴の肩を掴んで引き戻す話。
本当に許せん表現だと思うなら規制を唱えることだって全然ありだと思いますよ?
でもそれは、きちんとした殺す顔をして返り討ちで死ぬ覚悟も用意して取り組むことじゃないの?
なんでちょっと形勢が悪いぐらいで「そんなこと言ってませんよ?」って逃げていくの?そんな軽い気持ちでやってんの?
津田正太郎教授が言いたかったことが本当に「ただの感想」なら(それがだっせえ逃げ口上の卑怯な嘘であることを我々はみんな知っているが)、
相応の注意を持って、誤解される余地なく「私はこういう描写の方が良かったな」「私はこういう感じで見たかったな」という言い方をとればなんでも言えただろ。
自分の趣味、自分の感想として何かいうときはそういういい方すりゃいいだけ。
11話
あの日、この国のリーダーは、世界が二度ともとに戻らないことを宣言した。緊急事態宣言の解除。それが新しい時代の合図だった。
彼は“新しい生活様式”という言葉を使った。今後も人との適切な距離を取ること、通勤や通学をなるべく控えることを人々に求めた。
サタはその“号令”を聞くまで、この国がまた元の不合理な世界に戻ることを懸念していた。そのせいか、彼女はやたらと胸を踊らせてその言葉を聞いていた。私たちはこの国の盛衰を見てきた。サタの懸念も当然だった。
工業分野で一度成功を収めたこの国は、その後、情報通信分野で他国に後れをとっていた。その理由はいくつもある。成功体験を手放せなかったとか、政治家と特定の産業の癒着のせいだとか。権力者たちが発想のバージョンアップを怠ったせいだとか。
しかし本当のところは、工業分野での成功をもとに社会システムが構築されたため、新しい分野を受け入れる余地がなかったためだ。
たとえば子どもたちが義務教育期間中に学ぶのは、国語や算数だけではない。集団として生きていく術の習得さえ、教室という閉じた空間に一任されていた。彼らはやがて満員電車で通勤し、この国の経済に貢献することを期待される。これが古いシステムのバックボーンだった。
集団を前提とした教育から労働までの一貫した流れ、それに特化したかたちで社会システムは構築されていた。これまでの経済的な成功には、集団での活動が不可欠だった。
そこにリモートワークやオンライン授業が介入すればどうなるか。このシステムの、“集団での生産活動”という基本理念が崩壊することになる。つまり“それ”にとって、その手の技術は障害でしかなかった。通勤や通学ありきで敷かれた公共交通も無駄になってしまう。
本当は、誰もがその集団を前提とした古いシステムに疲れていた。柔軟性のなさに飽き飽きしていた。もっと本質的なところで効果的なやり方があるはずだと、みんなうすうす気づいていた。
しかし(本当の意味で)より合理的なシステムに作り変えるには、既存のものを一度壊さなければならない。壊すということは、そこ(特定の産業など)に深く携わっている人が犠牲になるということを意味する。
安定を好むこの国の人々にとって、その選択は難しかった。誰かに起こる悲劇は自分にも起こりうる。明日は我が身。共感性の強い人々のそういった思考習慣が、それを阻んでいた。そしてそれは、最終的には、為政者の政治判断に反映される。
政治家と特定の産業の癒着や、国家予算といった表面的な問題のその底に、この国に住む人たちのそのような集合的意識がひっそりと流れてた。ほとんど気づかれることなく。
実は一度、この古いシステムを再構築する試みがあった。しかしそれは犠牲を生んだだけで、何の成果も得ることなく中断された。多くの求職者と自殺者を生んだだけだった。
失敗の理由は明白だった。それぞれの人間の思惑が介入しすぎたためだ。古いシステムには当然のことながら、長年のしがらみが複雑に絡みついているが、新しいシステムの構想もまた、一瞬にして誰かの思惑に取り込まれる。
そして中途半端に壊れ、(一部の人の意図に沿って)中途半端に機能する、中途半端なシステムが完成した。完成したと言っていいのかすらわからないが。
ともかくこの国の人々は、その生殺しシステムの上で、前にも後ろにも行けずに30年、止まった時を彷徨うことになった。
それに終わりを告げたのがSARS-CoV-2だった。そこに人間の介入はない。ただ、自然の摂理、あるいは不可抗力と共存するためのシステムモデル、そして本当の意味での合理性の追求があるだけだ。
それだけが、完全なる破壊を遂行できた。特定の意図の介入を阻むことができた。
破壊の後の自由の上で、それぞれの技術は本来の能力を発揮することを許された。呪縛は解かれ、初めてリミッターが外された。為政者たちは、もう古い理念、古い技術による古いシステムに場を提供し続ける必然性がなくなった。逆に言えば、それらを護るために新しい可能性は制約されていた。
場は、新しい技術に明け渡され、ウイルスやその他の脅威から人を護るため、都市全体の空気を清浄化するシステムや、生体情報の管理調整を担うウェアラブルデバイスの開発が加速した。
変化は、テクノロジーだけではなく、人々の精神においても加速した。今まで科学や社会通念の“外”にあるとされていた物事が、“内”に組み込まれることになった。
しかし
あるとき、おかかが丘に寝そべり、空を見上げていると、なんともいえない不安な気持ちになってきました。
迫りくるのを見つめていると、その形は徐々に明瞭になっていきました。
それには取っ手と口とがついていました。
それはまさしく、やかん、だったのです。
そして中には、熱い湯がはいっていたのです。
おにぎりたちは熱湯に弱い。
たちまちおにぎり村のすべての住人はどろどろに溶けてしまいました。
おにぎり村の人達はそれまではそれぞれのおにぎり族という共同体のなかのアイデンティティをもちながらも、自他の区別という概念に苦しんでいました。
おにぎりであることから解放され、一の粥となった彼らは、かつていかなる種族も達しえなかった理想的境地へと跳躍したといえるのです。
https://anond.hatelabo.jp/20180105123031
への補足
科目の目標
国語を適切に表現し的確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や
想像力を伸ばし,心情を豊かにし,言語感覚を磨き,言語文化に対する関心を深め,国語を尊
重してその向上を図る態度を育てる。
(1) 事項
(1) 「A話すこと・聞くこと」,「B書くこと」及び「C読むこと」の指導を通して,次の事項
について指導する。
(ア) 伝統的な言語文化への興味・関心を広げることについての事項
(ア) 言語文化の特質や我が国の文化と外国の文化との関係について気付き,伝統的な言語文化
への興味・関心を広げること。
「言語文化の特質」とは,我が国の言語文化の独自の性格やその価値のことであり,微視的には,
作品一つ一つに表れた個性と価値,巨視的には作品を集合的にとらえた時代全体の特質,さらに現
代につながる我が国の文化全体の独自性のことである。ここでは主に古典を教材とした指導を通し
て,生徒がそれに気付くことを求めている。
「我が国の文化と外国の文化との関係」を取り上げているのは,我が国の文化を理解するに当た
って,中国など外国の文化との関係が重要となるからである。我が国は中国の文化の受容とその変
容とを繰り返しつつ独自の文化を築き上げてきた。その経緯を踏まえ,古文と漢文の両方を学ぶこ
とを通して,両文化の関係に気付くことが大切である。古来,我が国は,文字,書物を媒介にして,
多くのものを中国から学んだ。その結果,漢語や漢文訓読の文体が,現代においても国語による文
章表現の骨格の一つとなっている。漢文を古典として学ぶことの理由はこの点にもある。
ここで,
「外国の文化」としているのは,高等学校では,近代以降の言語文化も視野に入れて幅
広く伝統的な言語文化について扱うこと,また,我が国の文化は,近世以前においても,南蛮渡来
といわれたヨーロッパの文化の影響もあることなどを踏まえたものである。
「伝統的な言語文化への興味・関心を広げる」ためには,古文と漢文だけでなく,古典に関連す
る近代以降の文章や,伝統芸能,年中行事など,多様な方面からアプローチすることが大切である。
現在,我が国は一層の国際化に向かい進んでいるが,その中にあって我が国の伝統的な言語文化の
独自性と価値を知り,それを尊重する態度の育成は,これまで以上に重要になっていることを認識
する必要がある。
(内容の取扱いの(5))
イ (1)のアの(イ)については,読むことの指導に即して行うこと。
生徒は,古典を読むのに必要な言葉のきまりの基礎的な事項について,中学校で学習している。
「文語のきまり」には,文語文法のほか歴史的仮名遣いなども含まれる。特に現代語と異なる古
文特有のきまりに重点を置いて,仮名遣いや活用の違い,主な助詞・助動詞などの意味・用法,係
り結び,敬語の用法の大体などについて指導し,古文を読むことの学習に役立つようにする。
「訓読」とは,元来中国の文語文である漢文を,国語の文章として読むことである。
「訓読のきまり」とは,訓読に必要な返り点,送り仮名,句読点などに関するきまりをいう。これらのきまり
についての指導は,教材の訓読に必要な範囲内で適切に行う必要がある。なお,訓読は,おおむね
文語文法に沿った読み方をするが,普通の文語文法では扱われない訓読特有の伝統的な読み方もあ
ることに注意する必要がある。
なお,内容の取扱いの(5)のイに示しているように,文語のきまり,訓読のきまりについては,
詳細なことにまで及ぶことなく,読むことの指導に即して扱うとする考え方は従前と同様である。
(2:52 解説より追記)
古典を読み味わうためには,古典を理解するための基礎的・基本的な知識及び技能を身に付けて
いなければならないことは言うまでもない。しかし,従来その指導を重視し過ぎるあまり,多くの
古典嫌いを生んできたことも否めない。そこで,指導においては,古典の原文のみを取り上げるの
ではなく教材にも工夫を凝らしながら,古人のものの見方,感じ方,考え方に触れ,それを広げた
り深めたりする授業を実践し,まず,古典を学ぶ意義を認識させ,古典に対する興味・関心を広げ,
(ク) 我が国の伝統と文化に対する関心や理解を深め,それらを尊重する態度を育てるのに役
立つこと。
(ケ) 広い視野から国際理解を深め,日本人としての自覚をもち,国際協調の精神を高めるの
に役立つこと。
(ク)及び(ケ)は,国際化への対応を考慮した観点を示している。我が国の伝統と文化に対する関心
や理解を深め,それらを尊重することは,我が国と郷土を愛する態度を育成することになる。また,
それは異文化理解の基礎を培うことにもなる。日本人としての自覚をもちながら世界の中の日本の
立場や役割を考え,国際理解を深め国際協調の精神を養うことは,世界的視野に立って国際社会に
貢献しようとする態度の育成につながる。
http://otoimi.net/ 罵倒でも何でも良いので感想が欲しい。
私が個人的に発見した「音と意味の関係の法則性」で英単語の語源をおぼえようという趣旨のサイトです。
法則として厳密かはともかく間違いなく関連性はありますし、その上で精度も相当に高く、英単語暗記に役立てるぐらいなら十分なものです。
ただ音の意味というのは、その音が使われる全ての単語にあてはまるくらいに広い意味なので、文字列から直接的にその単語の意味を弾き出したり、その単語の意味から直接的に文字列を弾き出す事はできません。
しかし英単語をおぼえる際の実感には繋がりますし、実感があれば英単語暗記も今よりは無味乾燥なものでは無くなるはずです。
以下の表が皆さんの英単語学習に彩りを添える事になれば嬉しいです。
音の意味一覧
d 集合
n 要素
h 要素を含むもの
m 条件
l 選択肢
z フローチャートにおける動き
y フローチャートにおける動き
k 地点/存在
b 場/路
s 動き
p 動き
w 動かされ得るもの
a 意図の集中
i 情報
o ポインティング
u 区切り/終止
E.「複合した音」
q (ku) :質/実態
v (bu) :強調された場/路
j (zy) :フローチャートにおける動き
twitterアカウント:https://twitter.com/otoimi_gogen 著者としてはこのアカウントをフォローして学習の参考にするぐらいがオススメです。
http://otoimi.net/theory 実際は画像メインなんで踏むのを推奨する。
まずdは集合論の集合、gは集合に含まれるもの、nは要素、hは要素を含むものを意味します。
※dとh、gとnは同一であるように見えますが、gとhは関係を表しているので違います。
要素を含まない集合があり得るという意味で「集合」と「要素を含むもの」は違いますし、集合に含まれない要素があり得るという意味で「要素」と「集合に含まれるもの」は違います。
例えば「男」という集合があったとして、その集合にはこの世界のあらゆる男が要素として含まれるはずです。
その内の一人がいなくなったとして、「男」という集合は「男」という集合のままです。
「男」という集合の定義は、この世界の男を全て集めたもののような、ゴチャゴチャしたものでは無いです。
その意味で「要素」と「集合に含まれるもの」はイコールではありませんし、だから「集合に含まれない要素」もあり得るという事になります。
そしてzとyが「フローチャートにおける動き」を意味していて、zが肯定・否定や呼びかけなど、yがORや呼びかけなどを意味したりします。
※私はこの図のようにzが前提寄り、yが結果寄りだと考えているんですが、肯定・否定を目的に適うかどうか、ORを条件から選択肢とすると、この逆だと考える人もいるかもしれません。
しかし前提から選択肢だからこそ目的に適うか問われるという考え方もありますし、ORは選択肢から結果だという気もしますし、何より逆だとj(zy)が分からなくなります。
ただどちらにせよ背中合わせの関係を持っていて、表記ではどちらも「フローチャートにおける動き」というだけなので、好きなように考えれば良いと思います。
※肯定・否定、OR、呼びかけなどは、例えば連続的でなくフローチャートなのでステップだったりして、動きと呼ぶべきかは分かりませんでしたが、それに当てはまる言葉が無かったので単純に「フローチャートにおける動き」としました。
Cでは動きに関する音を多く扱いますが、「動く何か」が成立するにはフローチャートの条件・選択肢、肯定否定・ORなどでは足りません。
また存在も集合論だけでは足りません。集合論は「〜だ」というだけで、空間における他との区別を持たないからです。
なので「動く何か」を考えるには集合論とフローチャートを合わせる必要があり、それがこのCだという事になります。
まずkが地点/存在、tが空間における集合的なもの、bが場/路を意味します。(tは唯一画像として用意できませんでした)
またフローチャートは神経の反射のようなものなので、「動く何か」を持ちませんし、だから地点もありません。地点も存在を必要とします。
つまり存在と地点は表裏であり、それを表す音がkという事になります。
空間におけるkの地点/存在に対して、tがそれらの集合的なもの、bが動きの場/路を表しています。
ちょうどt,k,w,b→d,g,n,hの関係を持っていると考えれば良いと思います。
※wの「動かされ得るもの」とはつまり、空間における普通の「もの」の事です。
対するkの「存在」は存在というより地点と紙一重の存在以前のようなもので、理論上それぞれただその座標一点にしか存在しないので、当然動かし得ません。
※「意図」とは何か。
そもそも我々の意識は集まったり広がったりするような性質を持っていて、集合論でもフローチャートでもありません。
ここでの「意図」とはつまり、「集合論やフローチャートにおける意識のあり方」を指します。
aが意図の集中、eが意図の拡散で、これらは集合論における意図を表しています。
iが情報(同一性)、oがポインティングで、これらはフローチャートにおける意図を表しています。
uが区切り/終止を意味していて、これはおそらく空間における意図を表しています。
※始まりには意図の集中であるa、真ん中の存在における動きには情報であるiやr(lu)が使われます。
E.複合した音
fがh(要素を含むもの)u(区切り/終止)で空間における「要素を含むもの」。
rがl(選択肢)u(区切り/終止)で空間におけるフローチャート(フロー)。
vがb(場/路)u(区切り/終止)で強調された場/路。
cがk(地点/存在)y(フローチャートにおける動き)で空間におけるフローチャート(地点/存在)。
cがkyというのは発音のルール(http://mymeet-up.com/?p=762)と英単語の意味から判断しました。
jがzyでフローチャートにおける動き。
話題になっている保毛尾田保毛男について、
このニュースに対しての有名ニュースサイトで人気のコメントを比較してみた。
『 同性愛差別はもちろん良くないのだがフジテレビのバラエティ番組担当の偉い人の感覚が28年前から一歩も進んでいないことが残念。
『 0年代にゲイコミュニティ研究してたけど、保毛尾田の表象が当時のゲイやMSMに与えた影響は絶大で、これが自己嫌悪、抑鬱、自殺未遂などのきっかけになったと色々な人から聞いた。本当の集合的トラウマだったのです。 』
『 デブも不細工もバカもいじっていいのにゲイだけ聖域なのがよくわからん。 』
『 とんねるずだのがこういうことに関してどうしようもなくクソバカなのは仕方ないし、たけしなんかは逆に全部分かってて勝ち逃げしてるからだけど、誰もこれが出るのを止められなかったのが何故なのかは気になった。 』
つまり、保毛尾田保毛男に否定的な意見にスターが集まっている。
『 僕は保毛田が大好きですww
当時、かなり笑わせてもらい」 』
以下600字くらいの文章が続く。
以下300字くらいの文章が続く。
以下100字くらいの文章が続く。
つまり、長くてめんどくさい。
『 なんかネタキャラでもクレームつくからテレビ側も作るの大変だな。文句あるなら見なきゃいいのに。」 』
『 批判する方がおかしい。こんなことに目くじらを立てていたら、表現の自由がなくなってしまう。」 』
もうあの頃のバラエティが見れないのは寂しい。」 』
しかも、そう思うボタン(いいねみたいなボタン)のクリック数が30,000以上に対して、そう思わないボタンのクリック数は4000くらい。
はてなのスター数が150くらい、NewsPicksが30くらいなので、日本の大衆の意見は、ヤフーニュースのコメント欄を見ればいいんだな。