「集合的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 集合的とは

2021-06-23

フルエンゲージメントとは?

紛れもなく悪い上司、有毒な職場環境、困難な人間関係、そして現実危機があります。それにもかかわらず、私たちは通常認識しているよりもはるかに多くのエネルギー制御できます雇用主は私たちを1日長い時間捕らえますしかし、私たちが利用できるエネルギーの量と質はそうではありません。それは私たちの最も貴重な資源です。私たち世界にもたらすエネルギー責任を持つほど、私たちはより力を与えられ、生産的になります私たち他人や外部の状況を非難すればするほど、私たちエネルギーはより否定的妥協する可能性が高くなります。もしあなた明日もっと前向きに目覚めることができたら、それはあなた人生をどれほど大きく変えるでしょうか?仕事家族と一緒に投資することにエネルギーを集中した場合、それはあなた人生をどのように変えますか?リーダーおよびマネージャーとして、職場により前向きなエネルギー情熱をもたらすことはどれほど価値があるでしょうか?あなたが率いる人々がより前向きなエネルギーを求めることができるとしたら、それは彼らの相互関係と彼らが顧客クライアント提供するサービスの質にどのように影響するでしょうか?リーダーは、企業組織さらには家族においても、組織エネルギー管理者です。彼らは、最初に彼らがどれほど効果的に彼らのエネルギー管理するかによって、そして次に彼らが彼らが率いる人々の集合的な力をどれだけうまく動員し、集中し、投資しそして更新するかによって他人鼓舞または意気消沈させます個人的および組織的にエネルギーを巧みに管理することで、私たちが完全な関与と呼ぶもの可能になります。完全に関与するためには、それは私たち物理的に活気づける必要があります。それは、私たちの直接の自己利益を超えて、感情的につながり、精神的に集中し、精神的に目的と一致しなければなりません。完全なエンゲージメントは、朝に仕事に取り掛かることに熱心であり、夕方に家に帰ることも同様に幸せであり、2つの間に明確な境界を設定できることからまります。それは、仕事での創造的な挑戦に取り組むこと、プロジェクトで人々のグループ管理すること、愛する人時間を過ごすこと、または単に楽しむことであるかどうかにかかわらず、あなたがしている使命に没頭できることを意味します。完全な関与は、私たち生活様式根本的な変化を意味します。

2020-10-14

anond:20201014213837

私が言ってるのではない。全ヘテロ男性集合的意思がそう言わせてる

2020-09-12

【#表現規制津田太郎教授規制論法の小ズルさ

法政大学 社会学部メディア社会学科の 津田太郎教授

このようなtweetをした。

Shotaro TSUDA @brighthelmer

@tekidanhei 作品は常に批判に開かれています批判する自由もあれば、その批判さら批判する自由もあります批判を受けて変えるのも、変えないのも制作者の自由です(強制できないですし)

「つまらない」等々は許されるのに「ジェンダー描写違和感がある」という批判が許されないのはおかしくないですか? 2020-09-11 13:12:58

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1590878

ツッコむにも脱力するような、恥知らずレベル低い詭弁だ。

 

 

1.「つまらない」という批判と「ジェンダー描写違和感が~」という批判は同等か?

結論から言って、そんなわけない。

 

まず、つまらんという意見別に対応必要としない。

まらんというのは個人意見しかないことが明らかだし、他の人にとっては面白いかもしれないし、結局は売上次第だ。

(実写進撃の巨人がどんなにクソ脚本だと言われたって、興行さえ成功してれば町山さんは勝者の顔をしたはずだ。)

 

一方、性差別的だというクレームはそんな軽いものではない。対応強制される。

個人感想などではない絶対的善悪の話になり、企業クリエイター利益や名声やキャリアを脅かす。

 

 

自分の今回の「ジェンダー描写云々」のクレームをありふれた「つまらない」と同じようなものだったと自己弁護する津田太郎教授は、

本当にこの2者の扱いが同じでも満足するのだろうか?  

ジェンダー描写違和感が~」という批判が「つまんねw」という感想と同じように制作サイドから無視対応されたら納得し満足するのだろうか?

しないだろう?

  

 

2.攻撃に失敗すると「そう大した攻撃は試みてない」と言い出すやつ

津田太郎教授のように「ジェンダー描写違和感が~」という批判をする人は

自分のそのクレームを「つまらない」のような批判よりはるかに重大だと思っているはずだ。

 

 

今回の津田太郎教授だって

事前に期待した通りに賛同の声が集まってきていたなら、

「そうだろうみんな?これは大問題なんだよ!」と意気上がったはずだ。

 

  

だが不幸にも自分攻撃が失敗し、付けた火が逆流しかねない気配になってきたので、

「つまらないという感想と同じこと」「そんな大した指摘はしてない」と言い出してるだけだ。

 

 

余談だがこれは表現規制を目論む人にわりと共通仕草だと思う。

気持ち悪いショタコンに対し「小児性愛は生きてるだけで周りを不幸にする嗜好!小児性愛者は息をするな!」レベルまで突っ走っておきながら

火が逆流してきて自分達が批判の目に晒されてると気づいたら「twitterで大っぴらに書くことのマナーを注意しただけなのに!」となる。

 

形勢のまずさに気付いたとたん自分攻撃を後から大幅に割り引いて、

「こういう大人しいことしか言ってないのにすごい過剰反応された―」と汗まみれの顔で被害者ポジションになろうとする

これは小学生時代口喧嘩でよく見た仕草だが、いい大人が真顔でやるのはどうか?

  

 

3.強制意図しなかったのではなく、強制に失敗しただけ

小学生がその詭弁戦法を取れるのは口喧嘩なら言った言わないの地平に逃げ込めるからというところもあり、

ログが残るところでそれをやるのはある意味小学生より頭が悪くないだろうか。

  

  

津田勘太郎教授の今回の発言ログが全部残っている。

たとえばこうだ。

 

 

・「リメイク銀英伝に火をつけていっちょ手柄立てたるぞー」開始時の津田太郎教授

Shotaro TSUDA @brighthelmer

銀河英雄伝説リメイク。3期以降も続くのかな。

もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。

作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。2020-09-11 11:41:52

予想外に流れが悪くて釈明モード津田太郎教授

Shotaro TSUDA @brighthelmer

@tekidanhei 作品は常に批判に開かれています批判する自由もあれば、その批判さら批判する自由もあります批判を受けて変えるのも、変えないのも制作者の自由です(強制できないですし)

「つまらない」等々は許されるのに「ジェンダー描写違和感がある」という批判が許されないのはおかしくないですか?2020-09-11 13:12:58

「変更せざるを得んぞ!時代に許されんぞ!」って言ってたのに

「変えるも変えないも制作者の自由です」「強制できないです」って、嘘つけえ? 

 

「お?お?お前らこんな、新妻料理させるような性差別的な描写盛り込んじゃうの?

 今の時代にそんなの許されると思ってるの?

 世間が許さんぞ?炎上させちゃうぞお~~~~~?www」

ぐらいのノリだったくせによ。

 

強制されるべきでないとは1ミリも考えてなくて、単に強制する空気の炊きつけに失敗しただけでしょ?

 

 

4.もし今回の攻撃が上手くいっていたら

撤退モード津田太郎教授の 

批判を受けて変えるのも、変えないのも制作者の自由です(強制できないですし)」や

「つまらないというのと同レベル他愛ない感想じゃないか」のような言い逃れ

端的に言って恥知らず大嘘だ。

  

今回のこの「アニメ銀英伝性差別的な作品だ、有害作品だ」という叩きの流れに上手く火が付いていれば

制作会社は謝罪文章を出さざるをえなくなり

監督謝罪をしたうえで身を守るためにSNS等を全部ロックして自閉モードに移行し

すでに放映開始してる作品スケジュールを大幅に変えて作り直しになり大損害を出し

もちろん出来ているものを捨てて作り直すための予算もかかり

プロデューサー監督の今後のキャリアは暗いものになっただろう。

   

ここには明らかに強大な強制力とカタストロフィがあり、自由などない。

そしてこんなことは素人講釈されずとも

法政大学社会学部メディア社会学科の津田太郎教授自身が良く知悉するはずだ。

 

なのにこんなくだらない詭弁言い逃れを書いた。

自覚的に明らかな嘘を吹いて誤魔化そうとした。

心の底まで真っ黒ってことだ。

  

 

5.規制論者のノーリスク撤退を許さない方がいいのではないか

津田太郎教授による炎上アクション理想的にうまくいった場合について、

差別コンテンツ作成者として告発を受けた側の制作陣の破滅的に暗い運命は上で書いた。

 

そんな制作陣の不幸と裏腹に、

銀英伝炎上謝罪&作り直しをさせた「功労者」として、

えびす顔で手柄を受け取ったのはもちろん津田太郎教授だったはずだ。

仲間の界隈で地位が高まり、そちらの方面から取材も増え、講演や原稿の依頼も来て、法政大学学内でのプレゼンスも上がる。

 

もちろん自己顕示欲自己肯定感や全能感と言った精神的な報酬も大きい。   

今の時代ネットで派手に騒いで表現規制を仕掛けるインセンティブ豊富にあるのだ。

とても栄養価の高い海が広がっていると言ってもいい。

 

特に自分正業や実生活実存の部分が不調な人などにとって、

世間の人気作や大きなプロジェクトにこの種の炎上を仕掛けて大火事にして頓挫させその主役になるというのは

かなり抵抗が難しい魅力を見せているのではないだろうか?

 

失敗しても低いリスクコスト撤退して何度でもチャレンジできるとなれば、既にこのチャレンジ常連層もいる。

黒子のバスケ脅迫魔が逮捕されないための小知恵を付けたような感じの存在

彼等彼女等がそんな放火常習犯のような不毛な行動を習得した原因として

放火行為の初回にそのリスクコストを感じなかったから」という要素を否定しきれるだろうか?

 

 

6.津田太郎教授まとめ

とにかく津田太郎教授という人のtwitterでの立ち回りは全般的な「小ズルさ」が最も目につく。

Shotaro TSUDA @brighthelmer

@magicaltina 昔のものはもうしょうがないのですが、これから作るものについて「作り手の本意ではないところで」摩擦を生まないというのは割と大事なことではないでしょうか。

そのさいに何が摩擦を生むのかを知っておくのは大事なことだと思います

徹頭徹尾第三者風の口ぶりだが、

ヤンユリアンとフレデリカという単なる3者のキャラ付けと掛け合いに

「変更せざるを得ない」「今の時代にそぐわない」として摩擦の存在を主張し

盛んに大声で叫びまわったのは津田太郎教授本人なのである

 

他のファンいくら「そうは思わない」「この3人がこうなだけ」「そもそも現代の話じゃないぞ」と反論があっても「いいや摩擦はあるのだ!」と頑張る。

まり、「何が摩擦を生むのか知っておく」とは、津田太郎教授の御教示を受けるということでしかない。

 

これはマナー講師と全く同じ論法ビジネススタイルだ。 

仕事能力関係ないところで評価を下げられないために正しいマナーを知っておくのは大事なことです」

と言って、ほとんどの人が気にしてない・知りもしない・下手したら当人が作ったマナー常識を教える商売

  

 

Shotaro TSUDA @brighthelmer

@higenomorita もちろんそれは、個人感想です。ただ、集合的価値観というのは存在しまし、変化もします。

多くの人によってかつては問題なく受け入れられていたものが、時代が変わったことで大きな反発を呼ぶということは当然にありうることです。

それを踏まえて、これは今だとしんどいだろなと判断した次第です2020-09-11 13:56:28

自分違和感を感じた≠その描写はまずい」と指摘されての応答。

個人感想だと認めた直後に集合的価値観」「大きな反発を呼ぶ」のようなクソワード・クソ論法を駆使し

自分の主張が多くの人間に支持されている風に匂わせるという典型的詭弁披露

もちろんエビデンス等無し。

 

 

社会学は随分楽な学問のようだし

表現への火付けは簡単出世の道である

 

 

追記

deztecjp 言葉が強いので確認したいが、津田さんの使ったような規制論法は「してはならない」レベルの話だと思っているのか、「言論の自由範疇だが、この逃げ方は小ズルい、と批判しておきたい」くらいの話なのか。

2020/09/12 リスト yellowyellow

質問ありがとう

 

津田さんの使ったような規制論法」がどの部分を指してるのか正確にわからないんだけど

表現を強く批判すること自体ダメなわけはない。この増田読んでもらってればわかるよね。

 

ただ、「お前は表現差別助長をした」とか「お前は表現セクハラをした」という重い罪状ダウトを掛ける時はこれは戦争だろ。

そのダウトが通れば相手を殺すんだからダウト不成立ならお前が死ねよ?ぐらいには思ってる。

  

差別とかセクハラというのは一発アウトなことじゃん。

それを相手がやったって主張するのはよっぽどのことじゃん。

社内で同僚のAさんについて「あの人はセクハラをした!」っていきなり社内中に触れ回ったら、

それが事実ならAさんが死ぬ(当然!)し、もし間違いだったら触れ回った奴が死ぬよね?

 

そういう当たり前の道理を身に着けてほしいわけ。

殺すか殺されるかの覚悟もなく自分の主張の責任取る気すらなくやってんならなんでそういう殺す言葉を使っちゃうの?って思うわけ。 

  

「どこが差別なの?」「セクハラという言葉定義すら無視するの?」みたいな反論に再反論できなくなったら

「ただの感想を言う自由もないのか―」「もうちょっと気を使ってと言っただけなのに過剰反応された―」って、

当初の重い告発から大幅に割り引いて軽いボヤキを言っただけみたいにすり替えて逃げを打つじゃん。毎度

当初は心臓刺しに行ったくせに。

 

津田太郎教授の喋り方も全編にわたってそういう、

自分相手心臓狙って刺しに行くけどそれは自分がやってるんじゃなくて

集合的価値観だの社会だの時代だのがそう言ってるんだという言い方になってるんだよね。

 

それで自分安全に逃げ道を確保しながら一方的に刺しまくれると思ったわけじゃん?

そういう小ズルい計算通りにはさせねーから

決闘を吹っ掛けた以上、みごと相手を殺すかもしくは自分死ぬかどっちかにしてもらうから

自分が不利になった途端「いやいや決闘なんかじゃないですよ?」って誤魔化しながら決闘場出て行こうとしてる奴の肩を掴んで引き戻す話。

 

本当に許せん表現だと思うなら規制を唱えることだって全然ありだと思いますよ?

でもそれは、きちんとした殺す顔をして返り討ち死ぬ覚悟も用意して取り組むことじゃないの?

なんでちょっと形勢が悪いぐらいで「そんなこと言ってませんよ?」って逃げていくの?そんな軽い気持ちでやってんの?

 

 

津田太郎教授が言いたかたことが本当に「ただの感想」なら(それがだっせえ逃げ口上卑怯な嘘であることを我々はみんな知っているが)、

相応の注意を持って、誤解される余地なく「私はこういう描写の方が良かったな」「私はこういう感じで見たかったな」という言い方をとればなんでも言えただろ。

自分趣味自分感想として何かいときはそういういい方すりゃいいだけ。

「私は嫌いだ」「私にはつまらんかった」という言い方なら何言ったって勝手

けど津田太郎教授はそういう言い方じゃなかったよねえ。

2020-07-27

anond:20200727141458

勘違いしているようですね。

優れた自己他人を尊ぶために社会があるのではありません。

集合的な智や美を尊び、維持するために無私のコミットをしてくのが社会なのです。

その点で、社会とは前者的なシステムで成り立ってるんだ勘違いしてしまやすSNSなどは有害です。

あいう在り方で成り立つのは実社会のごく一部でしかありません。

Webサービスで言うのなら、wiki編集者のような在り方が、より社会大勢表現しているでしょう。

2020-06-15

anond:20200615120011

男性向けの萌えカルチャーはもはやマスと化して多種多様な嗜好で均されているのに対し、女性向けの萌えカルチャー女性人口全般には膾炙していなくて、まだまだ「根暗趣味」とされがちな雰囲気があるんじゃないか

に対して「いや女性向けの方がマス向けとして幅広い所に露出してるしそれで許されてるだろ」って意味で書いたんだけど

BLではないただの二次元イケメン集合的作品も、もう「根暗趣味」ではなくごく普通の人が普通に楽しんでる扱いで

特にオタク向けではない一般マスコミでもそういう雰囲気で取り上げられたりするけど

オタク向け美少女動物園がそういう雰囲気で取り上げられる事はまだまだ少ないよね

2020-05-21

https://anond.hatelabo.jp/20200424123040

11

あの日、この国のリーダーは、世界が二度ともとに戻らないことを宣言した。緊急事態宣言の解除。それが新しい時代の合図だった。

彼は“新しい生活様式”という言葉を使った。今後も人との適切な距離を取ること、通勤や通学をなるべく控えることを人々に求めた。

サタはその“号令”を聞くまで、この国がまた元の不合理な世界に戻ることを懸念していた。そのせいか彼女はやたらと胸を踊らせてその言葉を聞いていた。私たちはこの国の盛衰を見てきた。サタの懸念も当然だった。

工業分野で一度成功を収めたこの国は、その後、情報通信分野で他国に後れをとっていた。その理由はいくつもある。成功体験を手放せなかったとか、政治家特定産業癒着のせいだとか。権力者たちが発想のバージョンアップを怠ったせいだとか。

しかし本当のところは、工業分野での成功をもとに社会システムが構築されたため、新しい分野を受け入れる余地がなかったためだ。

たとえば子どもたちが義務教育間中に学ぶのは、国語算数だけではない。集団として生きていく術の習得さえ、教室という閉じた空間に一任されていた。彼らはやがて満員電車通勤し、この国の経済に貢献することを期待される。これが古いシステムバックボーンだった。

集団を前提とした教育から労働までの一貫した流れ、それに特化したかたちで社会システムは構築されていた。これまでの経済的な成功には、集団での活動が不可欠だった。

そこにリモートワークやオンライン授業が介入すればどうなるか。このシステムの、“集団での生産活動”という基本理念崩壊することになる。つまり“それ”にとって、その手の技術障害しかなかった。通勤や通学ありきで敷かれた公共交通無駄になってしまう。

本当は、誰もがその集団を前提とした古いシステムに疲れていた。柔軟性のなさに飽き飽きしていた。もっと本質的なところで効果的なやり方があるはずだと、みんなうすうす気づいていた。

しかし(本当の意味で)より合理的システムに作り変えるには、既存のものを一度壊さなければならない。壊すということは、そこ(特定産業など)に深く携わっている人が犠牲になるということを意味する。

安定を好むこの国の人々にとって、その選択は難しかった。誰かに起こる悲劇自分にも起こりうる。明日は我が身。共感性の強い人々のそういった思考習慣が、それを阻んでいた。そしてそれは、最終的には、為政者政治判断に反映される。

政治家特定産業癒着や、国家予算といった表面的な問題のその底に、この国に住む人たちのそのような集合的意識がひっそりと流れてた。ほとんど気づかれることなく。

実は一度、この古いシステムを再構築する試みがあった。しかしそれは犠牲を生んだだけで、何の成果も得ることなく中断された。多くの求職者自殺者を生んだだけだった。

失敗の理由は明白だった。それぞれの人間の思惑が介入しすぎたためだ。古いシステムには当然のことながら、長年のしがらみが複雑に絡みついているが、新しいシステムの構想もまた、一瞬にして誰かの思惑に取り込まれる。

そして中途半端に壊れ、(一部の人意図に沿って)中途半端機能する、中途半端システムが完成した。完成したと言っていいのかすらわからないが。

ともかくこの国の人々は、その生殺しシステムの上で、前にも後ろにも行けずに30年、止まった時を彷徨うことになった。

それに終わりを告げたのがSARS-CoV-2だった。そこに人間の介入はない。ただ、自然の摂理、あるいは不可抗力共存するためのシステムモデル、そして本当の意味での合理性の追求があるだけだ。

それだけが、完全なる破壊遂行できた。特定意図の介入を阻むことができた。

破壊の後の自由の上で、それぞれの技術本来能力を発揮することを許された。呪縛は解かれ、初めてリミッターが外された。為政者たちは、もう古い理念、古い技術による古いシステムに場を提供し続ける必然性がなくなった。逆に言えば、それらを護るために新しい可能性は制約されていた。

場は、新しい技術に明け渡され、ウイルスやその他の脅威から人を護るため、都市全体の空気清浄化するシステムや、生体情報管理調整を担うウェアラブルデバイスの開発が加速した。

変化は、テクノロジーだけではなく、人々の精神においても加速した。今まで科学社会通念の“外”にあるとされていた物事が、“内”に組み込まれることになった。

2020-05-09

anond:20200509215719

我などというものはもとより存在しないが、あえて言うなら、

我に返った瞬間というのは集合的頭脳統合される、すなわちシビュラシステムに組み込まれる瞬間のことを言うのだろう。

2019-02-26

anond:20190226044419

しか

あるときおかかが丘に寝そべり、空を見上げていると、なんともいえない不安気持ちになってきました。

そして、空の彼方から何か巨大な物体が迫ってきたのです。

迫りくるのを見つめていると、その形は徐々に明瞭になっていきました。

それは金色に輝くおよそ丸い物体でありました。

それには取っ手と口とがついていました。

それはまさしく、やかん、だったのです。

そして中には、熱い湯がはいっていたのです。

やかんから容赦なくおにぎり村に熱湯が注がれました。

おにぎりたちは熱湯に弱い。

たちまちおにぎり村のすべての住人はどろどろに溶けてしまいました。

しかし、今やおにぎり村の人々は一つの粥になったのです。

おにぎり人たちのそれぞれの意識

今や一つの集合的統一された意識となりました。

おにぎり村の人達はそれまではそれぞれのおにぎり族という共同体のなかのアイデンティティをもちながらも、自他の区別という概念に苦しんでいました。

しかし今や奇跡は起こり懊悩は去りました。

おにぎりであることから解放され、一の粥となった彼らは、かつていかなる種族も達しえなかった理想的境地へと跳躍したといえるのです。

めでたしめでたし

2018-12-09

「逆に言うと」と「言い換えると」 

どっち使えば良いのかいつも迷う。

逆に言う事は言い換えるに含まれから集合的には 逆に言う∈言い換える

って事になるのか。

言い換えるとに統一しようかな。

2018-08-03

anond:20180803102018

住み込み家政婦集合的番組に出ていたベテラン家政婦さん達の月収軽く四十万超えてた記憶がある

まずそんなセレブ住み込み家政婦募集しているのに当たるのが難しそうだけど

それに雇い主と365日24時間一緒なのはとても大変そうだ

2018-01-07

国語総合」の現行学習指導要領解説文部科学省

https://anond.hatelabo.jp/20180105123031

への補足

科目の目標

国語を適切に表現し的確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や

想像力を伸ばし,心情を豊かにし,言語感覚を磨き,言語文化に対する関心を深め,国語を尊

重してその向上を図る態度を育てる。

教育内容についての解説抜粋

伝統的な言語文化国語特質に関する事項〕

(1) 事項

(1) 「A話すこと・聞くこと」,「B書くこと」及び「C読むこと」の指導を通して,次の事項

について指導する。

伝統的な言語文化に関する事項

(ア) 伝統的な言語文化への興味・関心を広げることについての事項

(ア) 言語文化特質我が国文化外国文化との関係について気付き,伝統的な言語文化

への興味・関心を広げること。

言語文化特質」とは,我が国言語文化独自性格やその価値のことであり,微視的には,

作品一つ一つに表れた個性価値,巨視的には作品集合的にとらえた時代全体の特質さらに現

代につながる我が国文化全体の独自性のことである。ここでは主に古典を教材とした指導を通し

て,生徒がそれに気付くことを求めている。

我が国文化外国文化との関係」を取り上げているのは,我が国文化理解するに当た

って,中国など外国文化との関係重要となるからである我が国中国文化の受容とその変

容とを繰り返しつつ独自文化を築き上げてきた。その経緯を踏まえ,古文漢文の両方を学ぶこ

とを通して,両文化関係に気付くことが大切である。古来,我が国は,文字書物媒介にして,

多くのもの中国から学んだ。その結果,漢語漢文訓読文体が,現代においても国語による文

表現の骨格の一つとなっている。漢文古典として学ぶことの理由はこの点にもある。

ここで,

外国文化」としているのは,高等学校では,近代以降の言語文化視野に入れて幅

広く伝統的な言語文化について扱うこと,また,我が国文化は,近世以前においても,南蛮渡来

といわれたヨーロッパ文化の影響もあることなどを踏まえたものである

伝統的な言語文化への興味・関心を広げる」ためには,古文漢文だけでなく,古典に関連す

近代以降の文章や,伝統芸能年中行事など,多様な方面からアプローチすることが大切である

現在我が国は一層の国際化に向かい進んでいるが,その中にあって我が国伝統的な言語文化

独自性価値を知り,それを尊重する態度の育成は,これまで以上に重要になっていることを認識

する必要がある。

(イ) 文語のきまり訓読のきまりについての事項

(イ) 文語のきまり訓読のきまりなどを理解すること。

(内容の取扱いの(5))

イ (1)のアの(イ)については,読むことの指導に即して行うこと。

生徒は,古典を読むのに必要言葉のきまりの基礎的な事項について,中学校学習している。

ここでは,それを踏まえて指導する必要がある。

文語のきまり」には,文語文法のほか歴史的仮名遣いなども含まれる。特に現代語と異なる古

特有のきまりに重点を置いて,仮名遣い活用の違い,主な助詞助動詞などの意味用法,係

り結び,敬語用法の大体などについて指導し,古文を読むことの学習に役立つようにする。

訓読」とは,元来中国文語である漢文を,国語文章として読むことである

訓読のきまり」とは,訓読必要な返り点,送り仮名句読点などに関するきまりをいう。これらのきまり

についての指導は,教材の訓読必要範囲内で適切に行う必要がある。なお,訓読は,おおむね

文語文法に沿った読み方をするが,普通文語文法では扱われない訓読特有伝統的な読み方もあ

ることに注意する必要がある。

なお,内容の取扱いの(5)のイに示しているように,文語のきまり訓読のきまりについては,

詳細なことにまで及ぶことなく,読むことの指導に即して扱うとする考え方は従前と同様である

したがって,文語のきまりなどを指導するために,例えば,文語文法のみの学習時間を長期にわ

たって設けるようなことは望ましくない。漢文訓読のきまり指導場合も同様である

(2:52 解説より追記)

古典を読み味わうためには,古典理解するための基礎的・基本的知識及び技能を身に付けて

いなければならないことは言うまでもない。しかし,従来その指導を重視し過ぎるあまり,多くの

古典嫌いを生んできたことも否めない。そこで,指導においては,古典の原文のみを取り上げるの

ではなく教材にも工夫を凝らしながら,古人のもの見方,感じ方,考え方に触れ,それを広げた

り深めたりする授業を実践し,まず,古典を学ぶ意義を認識させ,古典に対する興味・関心を広げ,

古典を読む意欲を高めることを重視する必要がある。そして,そのような指導を通して,古典を理

解するための基礎的・基本的知識及び技能を身に付けさせていくことが大切である

(ク) 我が国伝統文化に対する関心や理解を深め,それらを尊重する態度を育てるのに役

立つこと。

(ケ) 広い視野から国際理解を深め,日本人としての自覚をもち,国際協調精神を高めるの

に役立つこと。

(ク)及び(ケ)は,国際化への対応考慮した観点を示している。我が国伝統文化に対する関心

理解を深め,それらを尊重することは,我が国郷土を愛する態度を育成することになる。また,

それは異文化理解の基礎を培うことにもなる。日本人としての自覚をもちながら世界の中の日本

立場役割を考え,国際理解を深め国際協調精神を養うことは,世界視野に立って国際社会

貢献しようとする態度の育成につながる。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2010/12/28/1282000_02.pdf

2017-12-13

anond:20171213151128

人々の集合的意識というか「空気」そのものと考えると割と納得感がある。

2017-11-02

https://anond.hatelabo.jp/20171102014051

真面目な返答は少ないのでそれだけでありがたいね

まあ、理論理解するが、現実への適合に疑問だという事かな? http://otoimi.net/theory

ほとんどの人間本音はそれだろう。おそらく分かるが、そんなはずがないと考えている。


母音の数がもっと多い件について

現に英単語がそう分析されるという現実がある。http://otoimi.net/prefix 日本語説明にもなる。

他の言語は調べてないが、おそらく複合した音として分析できるのだろう。


>子音もたとえば英語のthのθにその考え方は対応できるの?

できる。「空間における集合的もの」と「要素を含むもの」だ。thinkなど。


>口の中の調音の位置に由来する科学的なことがら

発音の際に物理的にどう震わせるかが分かることと、この意味論は何の関係も無いだろう

2017-11-01

http://otoimi.net/ 罵倒でも何でも良いので感想が欲しい。


私が個人的発見した「音と意味関係法則性」で英単語語源をおぼえようという趣旨サイトです。

法則として厳密かはともかく間違いなく関連性はありますし、その上で精度も相当に高く、英単語暗記に役立てるぐらいなら十分なものです。

ただ音の意味というのは、その音が使われる全ての単語にあてはまるくらいに広い意味なので、文字列から直接的にその単語意味を弾き出したり、その単語意味から直接的に文字列を弾き出す事はできません。

しか英単語をおぼえる際の実感には繋がりますし、実感があれば英単語暗記も今よりは無味乾燥ものでは無くなるはずです。

以下の表が皆さんの英単語学習に彩りを添える事になれば嬉しいです。


音の意味一覧


A.「集合論意味する音」

d 集合

g 集合に含まれもの

n 要素

h 要素を含むもの


B.「フローチャート意味する音」

m 条件

l 選択肢

z フローチャートにおける動き

y フローチャートにおける動き


C.「A+B、空間意味する音」

k 地点/存在

t 空間における集合的もの

b 場/路

s 動き

p 動き

w 動かされ得るもの


D.「母音、A・B・Cにおける意図

a 意図の集中

e 意図拡散

i 情報

o ポインティング

u 区切り/終止


E.「複合した音」

f (hu) :空間における「要素を含むもの

q (ku) :質/実態

r (lu) :空間におけるフローチャートフロー

v (bu) :強調された場/路

c (ky) :空間におけるフローチャート(地点/存在

j (zy) :フローチャートにおける動き

x (ks) :「地点/存在」+動き


twitterアカウントhttps://twitter.com/otoimi_gogen 著者としてはこのアカウントフォローして学習の参考にするぐらいがオススメです。

http://otoimi.net/theory 実際は画像メインなんで踏むのを推奨する。


A.集合論意味する音

まずdは集合論の集合、gは集合に含まれもの、nは要素、hは要素を含むもの意味します。

※dとh、gとnは同一であるように見えますが、gとhは関係を表しているので違います

要素を含まない集合があり得るという意味で「集合」と「要素を含むもの」は違いますし、集合に含まれない要素があり得るという意味で「要素」と「集合に含まれもの」は違います

※ここで集合と要素の質的違いについて説明します。

例えば「男」という集合があったとして、その集合にはこの世界のあらゆる男が要素として含まれるはずです。

その内の一人がいなくなったとして、「男」という集合は「男」という集合のままです。

これはつまり、集合は要素の集まりでは無いという事です。

「男」という集合の定義は、この世界の男を全て集めたもののような、ゴチャゴチャしたものでは無いです。

そして「男」という集合は、要素を無限に含み得ます

その意味で「要素」と「集合に含まれもの」はイコールではありませんし、だから「集合に含まれない要素」もあり得るという事になります


B.フローチャート意味する音

集合論とは別の種類の論理として、フローチャートがあります

mがフローチャートの条件、lが選択肢意味します。

そしてzとyが「フローチャートにおける動き」を意味していて、zが肯定否定や呼びかけなど、yがORや呼びかけなどを意味したりします。

※私はこの図のようにzが前提寄り、yが結果寄りだと考えているんですが、肯定否定目的に適うかどうか、ORを条件から選択肢とすると、この逆だと考える人いるかもしれません。

しかし前提から選択肢からこそ目的に適うか問われるという考え方もありますし、ORは選択肢から結果だという気もしますし、何より逆だとj(zy)が分からなくなります

ただどちらにせよ背中合わせの関係を持っていて、表記ではどちらも「フローチャートにおける動き」というだけなので、好きなように考えれば良いと思います

肯定否定、OR、呼びかけなどは、例えば連続的でなくフローチャートなのでステップだったりして、動きと呼ぶべきかは分かりませんでしたが、それに当てはまる言葉が無かったので単純に「フローチャートにおける動き」としました。


C.A+B、空間意味する音

Cでは動きに関する音を多く扱いますが、「動く何か」が成立するにはフローチャートの条件・選択肢肯定否定・ORなどでは足りません。

また存在集合論だけでは足りません。集合論は「〜だ」というだけで、空間における他との区別を持たないからです。

なので「動く何か」を考えるには集合論フローチャートを合わせる必要があり、それがこのCだという事になります

まずkが地点/存在、tが空間における集合的もの、bが場/路を意味します。(tは唯一画像として用意できませんでした)

上に書いたように、存在は地点の区別必要します。

またフローチャートは神経の反射のようなものなので、「動く何か」を持ちませんし、だから地点もありません。地点も存在必要します。

まり存在と地点は表裏であり、それを表す音がkという事になります

空間におけるkの地点/存在に対して、tがそれらの集合的もの、bが動きの場/路を表しています

ちょうどt,k,w,b→d,g,n,hの関係を持っていると考えれば良いと思います

次にsとpが動きを意味しています

wが動かされ得るもの意味しています

※wの「動かされ得るもの」とはつまり空間における普通の「もの」の事です。

対するkの「存在」は存在というより地点と紙一重の存在以前のようなもので、理論上それぞれただその座標一点にしか存在しないので、当然動かし得ません。


D.母音、A・B・Cにおける意図

※「意図」とは何か。

そもそも我々の意識は集まったり広がったりするような性質を持っていて、集合論でもフローチャートでもありません。

ここでの「意図」とはつまり、「集合論フローチャートにおける意識のあり方」を指します。

aが意図の集中、eが意図拡散で、これらは集合論における意図を表しています

iが情報同一性)、oがポインティングで、これらはフローチャートにおける意図を表しています

uが区切り/終止を意味していて、これはおそらく空間における意図を表しています

※始まりには意図の集中であるa、真ん中の存在における動きには情報であるiやr(lu)が使われます


E.複合した音

その他の音は、今までの音が複合したものとして分析できます

fがh(要素を含むもの)u(区切り/終止)で空間における「要素を含むもの」。

qがk(地点/存在)u(区切り/終止)で質/実態

rがl(選択肢)u(区切り/終止)で空間におけるフローチャートフロー)。

vがb(場/路)u(区切り/終止)で強調された場/路。

cがk(地点/存在)y(フローチャートにおける動き)で空間におけるフローチャート(地点/存在)。

cがkyというのは発音ルールhttp://mymeet-up.com/?p=762)と英単語意味から判断しました。

jがzyでフローチャートにおける動き。

xがk(地点/存在)s(動き)で、kに動きを合わせたようなものを表していますスケールもkぐらいです。

2017-09-29

保毛尾田保毛男について、各ニュースサイトコメント欄を調べた

話題になっている保毛尾田保毛男について、

このニュースに対しての有名ニュースサイトで人気のコメント比較してみた。

それぞれのサイトユーザー層がはっきりと見える気がする。

まず、はてなブックマーク

同性愛差別はもちろん良くないのだがフジテレビバラエティ番組担当の偉い人の感覚28年前から一歩も進んでいないことが残念。

『 0年代ゲイコミュニティ研究してたけど、保毛尾田の表象が当時のゲイやMSMに与えた影響は絶大で、これが自己嫌悪抑鬱自殺未遂などのきっかけになったと色々な人から聞いた。本当の集合的トラウマだったのです。 』

デブ不細工バカもいじっていいのにゲイだけ聖域なのがよくわからん。 』

とんねるずだのがこういうことに関してどうしようもなくクソバなのは仕方ないし、たけしなんかは逆に全部分かってて勝ち逃げしてるからだけど、誰もこれが出るのを止められなかったのが何故なのかは気になった。 』

まり、保毛尾田保毛男に否定的意見スターが集まっている。

次にNewsPicks

『 僕は保毛田が大好きですww

当時、かなり笑わせてもらい」 』

以下600字くらいの文章が続く。

批判承知で言うと、こういうヤツラが」 』

以下300字くらいの文章が続く。

『 そのうちイケメンも出演禁止に」 』

以下100字くらいの文章が続く。

まり、長くてめんどくさい。

次に、ヤフーニュース

『 なんかネタキャラでもクレームつくからテレビ側も作るの大変だな。文句あるなら見なきゃいいのに。」 』

批判する方がおかしい。こんなことに目くじらを立てていたら、表現の自由がなくなってしまう。」 』

時代が変わってしまった。

世間テレビを変えていく。

もうあの頃のバラエティが見れないのは寂しい。」 』

まり、保毛尾田保毛男に肯定的意見が多い。

しかも、そう思うボタンいいねみたいなボタン)のクリック数が30,000以上に対して、そう思わないボタンクリック数は4000くらい。

はてなスター数が150くらい、NewsPicksが30くらいなので、日本大衆意見は、ヤフーニュースコメント欄を見ればいいんだな。

2017-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20170314165853

今開いた本に信頼されたければ信頼しろと書いてあった。努力してみたいと思う。


自然言語は俺たちが意識するあらゆるものを扱えなければならない。

扱うにはフォーマット、つまり形式共通していなければならない。

そしてその形式とは俺の考えでは○と→だ。

空間時間もそうだし、俺たち人間も形であると同時に動きだ。リンゴもそうだし、何でもそうだ。


○には内側と辺と外側がある。

内側は要素で、辺がそれ自体。この二つは集合論だ。

外側は厳密には集合ではない。○の外は動きの領域だ。


収束って何? 拡散って何?

それを踏まえて、収束拡散は○の成立以前の要素だ。

収束して○になり、拡散して○じゃなくなる。


>なんで「そうか」が「外側」と関係があるのか

「そうか」は「そうだ」や「そうな」と似て集合的だ。

選択肢のようなニュアンスもあるが、「この」とか指差す時に使うのでこの位置ではないかと推測した。


ちょっと時間が開きすぎてるのでここで一旦区切る。

2016-08-04

シン・ゴジラ」 大絶賛の謎(ネタバレ)

23歳になってようやく、10歳頃から慢性的疾患であるところの厨二病が治りかけてきたと思っている。

 

中二病にも、邪気眼系、暗黒微笑系、尾崎系等色々種類はあるが、ここでは、

 「俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは

 今日クラスの会話

 あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか

 ま、それが普通ですわな

 かたや俺は電子砂漠死体を見て、呟くんすわ

 it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。

 好きな音楽 eminem

 尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)」

的類いのものと捉えてくれていい。

 

2016年6月の終わり頃、Twitterトレンドに乗じて、「上半期に観た映画ベスト」なるものを自分も投稿したのだが、1位は、「ズートピア」とした。「ディズニーを敢えて1位として褒める、一周回って「アリ」」みたいなひねくれた気持ちでなく、これは純粋に、1位だと思ったからだ。

なので、先日公開された「シン・ゴジラ」も、事前の絶賛感想、また、「庵野…俺の負けだ…」という島本和彦氏のアツいツイートなどを見て、本当に愉しみにしていた。わざわざIMAXの席を取り、また一刻も早く観たいので平日の夜に、そして、若き日の庵野氏が登場する「アオイホノオ」も復習せねば、と息巻いていたくらいである。

という具合に、完全に、自分も、後でツイッターに、「シン・ゴジラ素晴らしかった!!」と書くつもり満々で(観てもないうちから…)、わくわくしていた。

が。

観終わったあと、驚いた。全然からないのだ。

どこもかしこも大絶賛の理由である。先程の中二病云々の前置きを入れたのは、これは決して、「流行りに反発する俺カッケー」的精神で言っているのではないという但し書きである

特に不思議なのは、日頃、人権意識の高かったり、リベラル寄りの人も、「日本の戦い方というのを見せて貰った!!」みたいな論調で褒めていることだ。

いいのかそういう着地で?

多数の有名人たちが登場する中で主役として据えられているのは、内閣官房副長官である矢口」(ハセヒロ)という人物である

会議会議で誰もビシっと決断出来ない割にはその会議は最初から想定内」の結論ありきな形式的ものにすぎないという悪しき日本の慣習に侵された人物が多数を占める中、この矢口という人物だけは、最初から、巨大生物存在(後にゴジラと名付けられる)の可能性を指摘し、会議と、国民の反感や国際社会から非難を怖れた日和見政府が迅速な対応が取れなかったことを悔やみ、

派閥争いとか出世から外れた異端者たちを集めたチームや、石原さとみ演じる米国大統領特使(「意識の高いルー大柴」とか書かれていて笑った)と交渉、根回しすることで、何とか、米国などの言いなりの帰結としての「最終解決法」――「原爆投下」――日本にとっては三度目の――を阻止した上で、ゴジラ被害を食い止めるための解決策へと動く。

これは重大そうで重大でないネタバレだが、私が、ごく少ない素晴しい点だと喜んだのは、中盤あたりで、総理大臣(とその他閣僚数名)が躊躇なくあっけなく死ぬところだ。やな奴だと思っていた総理大臣が、突如矢口に、「君のことは、本当に買っているんだ…」みたいなことを言い始めたり(※補足:これはあくま死亡フラグの例えで、別に私も劇中で嫌な奴だったとは全然思っていません)、「俺、この戦いが終わったら娘の結婚式に…」みたいな死亡フラグメロドラマもクソもない。あれ、死んだ?程度のタイミングで死ぬ。

「新しいリーダーがすぐに見つかるのがこの国の良いところだな」という劇中の自虐じみたないしは皮肉めいた台詞にあるように、この全然劇的でない死亡劇は、映画の一つのテーマともリンクしていて、国のトップである総理大臣でさえこの国にとっては唯一無二でないところは、しかある意味では強みになり得るという着地だ。

 

超越的なカリスマ性や能力を持った人物のみの力で成り立っていたり、「その人だけにしか出来ない事」を抱えた人物が各々バラバラにいる組織は、リーダーや、「その人」がいなくなった途端崩壊してしまう。だから、組織や集団の恒久的な存続の為には、「その人だけにしか出来ない事」「その人でなければならないこと」といった唯一無二性を特定の人物に集中させない仕組み作りが重要なのであり、総理大臣が死んでも替わりがいるというのは、逆に言えば、そうした仕組みが機能しているからこそとも言える。

 

ゆえに本映画や主人公たる矢口は、徹底して「独占」を否定する。まず通常であればフィクションにとってかなり重要と思われる<キャラクター>の独占の否定。総勢300何人だかのキャストということで、ナントカ大臣とかかんとか色々次々に出てくるが、実質的には3つか4つくらいしかキャラクター存在していない。誰が文部大臣で誰が防衛大臣でというのはこの映画にとってはどうでもいいことで、口調等微妙にキャラ付けされてはいものの、「大臣」という一つの役割と行動原理と台詞が、10何人に与えられているに過ぎない。(多分普通の映画だったら2、3人にセリフをまとめるはずである) 

「はみ出し者の集まり」とされる、ゴジラの正体究明班だってそうで、「学者っぽいないしはオタクっぽい探究心でゴジラについて調べる人たち」という一つの役割を4人くらいで分担しているだけである。(多分これも通常であれば一人にまとめられる)

これは、多数の人物たちが台詞を次々に言うことでテンポ感を出すという演出上の意味もあるだろうけれど、「チームで一つの役割」を持つべしという価値観の現れでもあろう。

更に、情報や知識の独占の否定矢口は、本来ならば国の重要機密として扱われるであろう、ゴジラ細胞データサンプルなどの情報を様々な機関や国にばらまくことで、問題の早期解決を導く。三人寄れば文殊の知恵、これは自分ないしは自分たちだけが知っていると独占機密化することで情報価値を上げるよりも、広く共有することでなるたけ沢山の協力を集めた方が得策である、という姿勢だ。

<超越的>存在であるゴジラ対峙した時、この国を救うのは、同じく超越的な存在や飛び道具ではない。目標を同じくする協力集団であり集合的知識であり、つまり<集合>こそが<超越>を「超える」

でもこれって前半あれだけ揶揄していた、「日本には決定を下せる人がいない」っていうのと紙一重であるから前半部の否定統合性が取れていないし、

むろんこういうのは、思想的な好き嫌い価値観の問題で、私は所謂ネット上ではブサヨと呼ばれる方の考えに近いから、ともすれば個の否定に繋がるような着地点に、なんだかなーと思ってしまうわけだけれど、問題なのは、というより、問題だと思うのは、「シン・ゴジラ」は、単なる、「集合バンザイ」を主張しているわけではなく、ともすればっていうかともしなくても命に関わる「有事」に遭遇した際について描いているという点である

 

矢口は、一刻も早いゴジラの正体究明に必死になっているチームメンバー達が、カップラーメンのみで食事を済ませ滅多に家に帰らず連日泊まり込み、また帰ったとしても翌朝早く来る様子を見て、満足げに、

「この国もまだまだ捨てたもんじゃないな」

とか微笑み(正直、これだけで元・社畜の自分からしてみれば、けっっっっ、って感じなんだけど)

ラストシーン近く、ゴジラを倒す最終的な作戦の前に、自衛隊その他に向けた、

 「今回のヤシオリ作戦遂行に際し、

 放射線流の直撃や、急性被爆の危険性があります

 ここにいる者の生命の保証はできません。

 だがどうか実行してほしい!

 わが国の最大の力は、この現場にあり、

 自衛隊はこの国を守る力が与えられている最後の砦です

 日本未来を、君たちに託します。」

っつー半ば特攻精神的とも取れる演説。(でほんとに作戦決行中戦車みたいなのが幾つかバカスカやられているような)

そして、国連(だっけか)で決定された、「ゴジラには核落とせ」という判断を、何とか食い止めるための水面下交渉について、アメリカ人(のたぶん偉い人)が発する台詞、

まさか日本がこんな狡猾な外交手段を取れるとは、危機は日本でさえ成長させるのかもな」(詳細は違うと思うがこんな感じ)

映画の素晴らしさは「共感」にあるわけではない。だからこれが、「完全なフィクション」であれば、私もうるさく言わない。

ファンタジーであれば――たとえば、『進撃の巨人』での出撃前の演説、「心臓を捧げよ!」は確かにアツいシーンである

しかし、「シン・ゴジラ」の場合は、完全に、フィクション世界観にあるフィクションの人物の行動原理として切り離すことはできない。明らかに、現在の日本を物語に取り込みそして、あるべき日本の姿を提示しているものからである

繰り返すが、断っておくと、これはあくま個人的価値観の問題である

しかし私としては、リベラル寄りの人までも、結構絶賛しているのがよく分からんのだ。

もちろん、放っといたらもっと大勢の人が死ぬっていうのは分かるけど、それでいいじゃないか。それでいいというのは大勢の人が死ねばいいということではなく、多くの命が失われるのを防ぐための方法を、という行動原理で十分じゃないか

それが、いや、登場人物が内閣とか政治家とかだから仕方ないかもしれないが、国のためとか国民のとかこの国はとかやたらと、まあーーーーうっるさい、しつこいのだ。

 

国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観

いいのかそれが「これぞ日本の戦い方」で飲み込んで

っていう些か判断や解釈の分かれる思想的な話の他にも、単純にひとつ作品として、映画やプロットの作りとして、鼻につくポイントは少なくないと思う。

これは多くの人が指摘するように、「シン・ゴジラ」の欠点ないしは一部の人にとっては美点の一つは、

「たぶん(本来怪獣映画を喜びそうな)小中学生が見ても分からない」

ことであろう。

 

次々に入れ替わり立ち替わり出てくる人物、やたらと専門用語政治用語を並べ、理解させる気あるのか?というくらい早口の会議、応酬、ゴジラを倒すというよりメインは政治劇

「会議が冗長でなくムダがない」「予告では、おっさん達がやたらと会議して退屈そうだと思ったがいざ観てみたら会議もっとってなった」という内容の感想をよく目にするが、

そうか?

前半部の会議会議会議は勿論、指示手続き実行までのリアリティを出すためとかこれだけのプロセスを踏むことの提示とか必要な部分もあるが、社会的風刺になっているシーンも幾つか存在している。主人公が指示を出すと、「それどこの部署に言ったの?」と返されるタテ割り行政とか、とりあえず識者を集める時間の無駄とか、直前までスーツだったのに記者会見を前にして、総理「防護服を持ってきて」というあざといわざとらしさとか、面白いものもあるけれど、風刺したいなら、別に、それだけで、つまり、そういう戯画化したシーンを見せれば十分ではないか

 

が、本作では、<その上で>、また、「この国では~」とかいちいち誰かが台詞で言うのだ。これもしつこい。

いや、分かったよ、わかるよ。だって、それさっき見たって。

「難しくて分からないだろうな」とは言うが、わざわざ台詞で補足してくれているところも結構あって、中途半端に親切なのである。その半端な親切さが観客の理解を助けるという方向ではなく、「この国ではあの国ではうるせえ!!」って感じに作用している。自分は、筒井康隆なんかが好きなので社会風刺物はむしろ好物な方なのだが、こういう見せ方はぜんぜん、スマートではないように思う。

更に、後半の最終作戦までの会議やり取り部分は、もっと無駄なような気がする。

物語として分解したときに、小難しい専門用語でなんか凄いものを観た気にさせるないしは(本当はよく分からないが分からないというとバカだと思われるので)褒めておこう!という方向に感想を誘導させる効果しか持っていない。

というのは、2時間映画の構造基本には、

「小・トラブル」と「大・トラブル

そして、「まやかしの勝利」、「から喪失

が組み込まれていることこそが、フィナーレのカタルシスを呼ぶ。

小・トラブルとは、物語の世界観を示したり、人物たちの関係性を深めるためにプロット上に用意される障害だが、「根本的に解決されねばならない」問題は別にある。物語として最後に乗り越えるための壁が大・トラブルであるまやかしの勝利、から喪失とは、今まで向き合ってきた、そして倒して喜んでいた障害が単なる「小・トラブル」で、大・トラブル別にあることに気付いてしまったり、大・トラブル解決したないしはできそうだと一旦は歓喜するものの実は全然間違っていたり、

シン・ゴジラ」の場合、自衛隊が次々に攻撃することが小・トラブル、そして米軍がやってきてダメージを与えられたように見えるのがまやかしの勝利のように見えるが、そうではない。っていうか見えるがって書いたが見えない。

だってあれ見て、誰も「米軍やってきたやったー勝てる」とは思わんだろう。

突き詰めると日本は最終的に日本が守らなきゃねって映画なんだしっていうのがなかったとしても、

根本的なプロット上の問題として、主人公矢口とそのチームが、比較的最初の方で、最終的解決方法ほとんど気が付いてしまっているのである

ゴジラの動力源が核融合であること、そのために生まれる熱を放熱するために冷却が必要なこと、おそらく血液の循環が冷却として作用しているので、血液を固めてしまえば、ゴジラ活動を停止するのでは……

っていうのが主人公サイドから割と早めに示されてしまって当初は矢口プランとか呼ばれている以上、

観客は、フィクション鑑賞のルールとして、

「これが正解なのだな」

と思う。思ってしまう。

から、どんなに自衛隊とか米軍とかミサイルとか出てこようが、それでやっつけられるわけはない。それだと主人公が出てきた意味がない。

これは我々に組み込まれてしまった、フィクション鑑賞時のルールである

故に、制作者は、その予定調和思い込みを覆さねばならない。むろん、米軍が出てきて解決しちゃいましたチャンチャンという方向でなく、だ。

小・トラブルまやかしの勝利⇒喪失⇒大・トラブル解決

というプロット構造に則って言えば、ゆえにこの、当初気付いた解決策は後半部で本来、「覆される」べきなのだ主人公ないしは主人公サイドは、「解決策」を握り、幾つかの妨害無理解そのほかに合いながらも、なんとか実行直前ないしは実行に漕ぎつける。やった!!というつかの間の悦びを得るが、そのうち、それが無意味不正解、根本的解決ではないことを悟り、絶望に陥る。

で、

からの。この、「で、」からが、ラストに向けた助走なのである

 

これが、例えば、当初は主人公たちは全然別の方法を思いついてしかし失敗、再度のなんとか成分がとか原子構造がとか動力源がとか分析のアイディアの出し合いにより、「血液固めればいいんじゃね」ということに気づく…とか、苦労してバトルして血液凝固剤注入したけど無駄でした⇒博士の残したデータの解析⇒凝固だけじゃ足りないのかもとか注入方法の工夫が足りないとか試行錯誤して最終決戦、

など少なくとも順番が入れ替わっていれば、

専門用語を並べ立てた応酬、会議会議、チーム内の協力…の配置が、物語に機能していると言えるし、純粋に映画としてのカタルシスと、内容を理解できる者にとっては、そうだったのか!と、謎解き的、知的カタルシスをも生む。

しかし最初に、後半の最終作戦までの部分は、もっと無駄、と書いたように、実際はそういう構造ではない。

主人公たちが序盤の方で気付いた最終解決策がほぼそのまま最終作戦なのだ博士の残したデータの分析で抑制剤がプラスされはするが大方まあ正解なのだ。そしてちょっとやられたりはするが成功しちゃうのだ。

だったら後半部の、なんとか成分がとか原子構造がとかなんとか博士の分析が云々という難しげなやり取り、本当はいらないじゃん。だって序盤に示された正解が正解ということを補強しているだけである

まりほとんど、「米国核爆弾落としちゃうかもヤバい!どうする!」という物語の都合上、(間に合わないかも!)という時間稼ぎに配置されているだけだが、そんなの、間に合うのは分かる。フィクション鑑賞時のルールとして。

ラストの作戦がショボい、という感想はちらほら見かけるが、本当は、作戦がショボいことがカタルシスを生んでいないのではない。ほぼ最初に示された正解通りのまま終わるから、あれ?となるんである。かつ、人物たちの早口の分析から判明していく真相に、なるほど、そういうことだったのか!という知的快楽も得られない。

以上の理由から、「難しいか子どもには面白くないかも~」と言っている人こそ、本当に理解しているのだろうか、煙に巻かれているだけじゃないの、という感じだが、

「小難しい」というだけで、煙に巻かれて何か凄いものを観た気になる一部の人間、ないしは、凄いものを観た、観客に媚びてない=芸術的作品価値が高い と「思いたがる」(言いたがる)(だってつまらないと言ったら理解できなかったと思われる、バカだと思われる)類いの鑑賞者にとっては、演出上の効果はあるのかもしれない。いや、あった。

けれど、

 

やれ家族の絆恋愛だお涙頂戴だ感動だの分かりやすい浅い作りにしなくても、クリエイターが作りたいもの大衆に媚びずに作っても、観客はちゃんと素晴らしいもの評価できることが~

みたいな、自分が一番「一般人」(こういう言い方をする映画マニア、てめえもただの一般人だろって感じだよなマジで)を馬鹿にしている上から目線物言いで、無邪気にキャッキャッと、ハリウッドに勝ったとか邦画も捨てたもんじゃないとか喜んでいる場合だろうか。いまだに。

分かりにくいことが、「深い」証拠である保証はない。

同時に、分かりやすいことは必ずしも、「浅い」ことを意味しない。

 

しろ、近年、「マッドマックス」とか、「ズートピア」のような、戯画化によって現在蔓延る社会問題の構造を鋭く炙った作品でありつつ、かつ、子どもでも純粋に楽しめるくらい映画として高いエンターテイメント性を持った作品海外から出て話題を呼んだ中で、

 

まだ、大衆に媚びてないか一般人は難しくてついてけないだろうけど~チラッチラッ みたいなことを言ってはしゃいでいる段階って、それこそ完全に「敗北」だと思いますけどね。

2016-07-03

失敗した集合的知性体としての増田

http://anond.hatelabo.jp/20160702225507

ブコメスターランキングや、ブックマーク数によるホッテントリシステム

WEB2.0集合知を実現した事例としてしばしば取り上げられるが

それらに比べて増田

同様のポテンシャルがあるにもかかわらず

特定テーマに沿った議論が発展することも無く、

稀に有意義怪文書・良くできた作文が単発で投稿されるのを除けば

うんこ漏らしたなどという小学生並みのネタ跋扈する場に甘んじている。

仮に記事同士のリンク・関連付け・カテゴリ参照や、

記事評価システムユーザへの記事コメンドなどの機能がもう少し充実していれば

今とは違う増田の姿があったのでは無いかと思うと不憫でならない。

そして、日々増田ブックマークに励み

不完全ながらもそれら機能不足を補わんとする増田三銃士達には

ここに敬意と賞賛を贈りたい。

2015-10-03

主人公.comのアレ

はてブユーザー集合的キュレーションをある程度信頼して

ホッテントリポータル代わりにしてる身からすると、

暮らし」は元々そういう場だと思ってるので気にならないんだけど、

エンタメ」だとイラッとしてブクマで慣れ合うなって感情が湧く。

バズったバズった喜んでる野球関連の記事なんか

今までのはてブの傾向からすると

閾値以上のブクマが付くような内容じゃないはずだ。

そんでもって、ポジティブブクマしてる連中を見ると

高知のアレのフォロワーみたいなのばっかりで

どうせお前らたいして野球なんか興味ないだろってうんざり

今は邪魔追従広告がついたと思って、

エンタメ」のホッテントリで見かけても触らないようにしてるけど、

眼に入るたびにヘイトは溜まっていたんだろう。

炎上とか言ってもざまぁしか思わなかった。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん