これって結局、資本主義が賞賛する能力主義から来ているのかもしれない。
自分も能力があるかないか(それと同義の金や地位)にものすごく気を取られリソースを割いて生きてきた自覚がある。
器用でない、うまく生きられない人間を能力がない、努力する能力すらないと、さげすむ世の中になっている。嫌だ。
スタートが違うのだからそういう人たちも救ってあげましょう、というのも違う。
うまいやつ下手なやつがいるのは当たり前だし、狩りが下手な獣がなかなか餌にありつけなくて痩せていくことも現実にある。でもそれは存在としての価値、生きたことの意味には何も関係ない。
生きるのが下手くそな(能力がないとされる)人間はバカでも恥でもない。誠実さ、直向きさがあればそれだけが生きるに十分に値する。値しすぎるほどだ。生きることへの必死さに優劣はない。その当たり前のこと、当たり前の敬意がなくなっている。
うまく生きることがこんなに求められる時代って後にも先にもないんじゃないか、 不器用なりに生きるってことがこれほどまでに無価値にされて、高いハードルに必死ですがりつかない...
これって結局、資本主義が賞賛する能力主義から来ているのかもしれない。 自分も能力があるかないか(それと同義の金や地位)にものすごく気を取られリソースを割いて生きてきた自...
わかる 「普通」のハードルは上がってるのに「普通じゃない」ことへの風当たりは強まる一方