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はてなキーワード: 広告業とは

2020-07-01

羽ばたく準備をしておこう

現代会社員はその気になれば、あるいはちょっとしたチャンス、タイミング転職することはあると思う。

先輩からはいだって飛び立てる準備をしておけ、と言われている。

良い機会だから、いまの自分役割スタンスを後輩の誰かに引き渡すときに伝える内容を纏めた。

・今持ってる事業は全部で6サービス事業ごとにP/Lがあるので、バランスは見つつも全体での達成を目論む。

・年度目標は基本は1つだけ(利益目標)、サービスKPI個人目標はなんら評価にならない。

実質的本部長が不在なので、場合によっては本部長的な役割を演じる必要がある。

評価観点でいうと減点主義。どんな事でもやって当たり前、やれてないのは準備不足。加点されることはまずない。

フィードバック的なものはないので、自分で考え、自分で決めて行動する。批判されても折れないメンタル絶対必要

スキルセットは、企画力プロマネ経験ロジカルさ、牽引力、機動力アウトプット力。特に重要なのはロジカルものを考え、アウトプットできること。

対外的コミュニケーション交渉、折衝で負けない、誘導すること。ボトムライン意識した交渉術。

・ある程度の「地頭の良さ」は必要だが部下が優秀であればなんとかなる(自分はそこまで地頭は良くない)

スペシャリストだと苦しむ。ゼネラリスト企画、開発、クリエイティブセールス、バックオフィス、人事)で、あらゆる職種でも偏差値55-60位は必要

個人としてやりたいこと、やりたくないこと、会社から求められてること、求められてないことの4象限で考える。

要件記述してみたら、思った以上にクソな内容だ。

だが大企業中間管理職としての要点は押さえていると思う。

業種は広告業管理職、勤続10年以上アラフォー年収は1200位だけど24H365Dが要求される。

休日休みの日じゃなくてゆっくり仕事ができる日という認識

田舎引っ越しゆっくり生活したい。

広告業がなんで儲かるのかいまだにわからん

と思ったけど広告に限らずあらゆる経済活動がどう成り立ってるのかさっぱりわからないわ

自分給与がどこから流れてきてるのかすら全然からない

社会ムズすぎる

2020-06-26

弁護士が非弁系広告業者に引っかかるのは,売上不足ではなく不安感が

っていう話を長々と書こうかと思ったのだけども,

第二東京弁護士会会報誌NIBEN Frontier2017年10月号「特集 本当に怖い非弁提携

https://niben.jp/niben/books/frontier/frontier201710/2017_NO10_19.pdf

の「4 非弁提携実態と末路(架空事例を題材に)」に非常に良くまとまっていたので,まぁいいや。

ポイントはこのあたり(強調引用者)。

 後日、Y社長会社を訪れたX弁護士は、Y社長の言う「協力関係」について、説明を受けました。

 この協力関係は、簡単に言えば、Y社長がX弁護士のために、広告営業をすることで仕事を、事務所サブリース場所を、事務職員の派遣人員を、コンサルティングによりノウハウ提供する、というものでした*28

 X弁護士は、勤務弁護士としての経験もあるので、一応、仕事のやり方は心得ていましたが、Y社長提供するという仕事場所ノウハウといったもの自分にはなく、これがあれば、経営していけるのではないか、と非常に魅力に感じました。

(中略)

 しかしY社長は、そんなX弁護士の心を見透かしたかのように、こう続けます。「ところで、先生の『保障』ですが、月額50万円、最初の1年6か月でよろしいでしょうか。その後は、増額するということにしたいのですが、まずは、これくらいでお願いしたいのですが。」

 Y社長によれば、実際の経費の支払はしなくてよい、赤字であっても、X弁護士の取り分として一定額(今回は月額50万円)の支払を保障する*30、だから事務所赤字生活費心配はいらない、とのことでした。

 あまりに虫のよい話に、X弁護士は少し不安になりましたが、Y社長は「(略)」と、いかにも勝算がありそうなことを言います*31。 X弁護士は、不安がなかったわけではないですが、これはチャンスだと思い、この話に乗ってみることにしました。

以下略

 

*30 最近の新型非弁提携典型である。経費は「発生」しているが、実際に支払わなくてよい、ということになっており、逆に現金弁護士に手渡しされるので、生活費にも困らない。しかしその実態は、発生した経費は支払を求められないだけで債務として積み上がっており、これは弁護士を縛る鎖となり、時限爆弾になっている。手渡しされる現金も、それ相当分は広告費やコンサルティング料金、サブリース料などに「盛り込まれている」のが実情である。要するに、借金生活をすることになるのである

31 弁護士にとっては実感のあることではあるが、「不安を覚えている人間は、自信満々な人間を信用しやすい」という心理がある。非弁提携勧誘も、そういう心理が利用されている側面がある。からこそ、新人・若手だけの独立事務所を集中的に勧誘するである

つまるところ,狙われるのは売上げが低迷している弁護士ではなく,安定収入の見込みが無い弁護士です。

弁護士業というのは,新規仕事が来る「保障」が無い上に,顧問が増えるまでは月毎の売上の変動が大きい。

そのわりに,どちらかと言えば真面目に勉強してきた安定志向の人が多いので,収入不安定に対する不安感が人一倍強いのです。

この不安感を解消する手段として非弁業者提示するのが,高コストでも案件数を多くして収入を安定させるという戦略です。収入の「安定」は大数の法則により裏付けられるものの,安定した収入額が支出に見合わなければ,あっというまに大きな負債を抱えてしまます。そして支出構造を非弁業者に握られてしまうと,支出収入フィットさせることもできない。売上が大きければ非弁業者支出も大きくするので,収益は売上が増えても改善しない。

なので,独立時の不安感で一度非弁業者に引っかかってしまうと,その構造から容易に抜け出せなくなってしまうのです。

 

実は弁護士業というのは不安定なまま十分な売上・収益が上がるのですが,そういう話が意外と弁護士界隈でも自覚されていなかったりします。

非弁対策としての不安解消策としては,不安感へのケア大事だと思う次第。

2020-05-26

anond:20200526162859

くその通り。

欧米の有力新聞10年も前にネット主体に移行しちゃってるのに。

日本新聞宅配システム20世紀には世界に冠たるものだったけど、今更やめられない。

新聞販売店は大半が個人零細事業主新聞配達のアルバイト貧困学生とか障碍者とかを雇ってる。

販売店の利益の半分は折込チラシからからチラシ配布の広告業にでも転身できればいいけど、ITリテラシーも低いし血が流れるのは必至。

新聞インテリが作ってヤクザが売るといわれたもの

新聞本社インテリエリート)→販売店(零細企業)→バイト貧困層)→拡販勧誘員(反社チンピラ

新聞学生なんて蟹工船みたいな世界の下部構造の上に成り立っているのに、リベラルとか社会の木鐸とかなんてよく言えたもんだ。

新聞本社不動産をたくさん持ってるから記者を食わせていくのは全く問題ない。

てか食わせていける分しか記者は雇わない。

不動産収入記者を雇って新聞印刷する道楽者みたいな感じ。

2020-04-27

コロナ後の産業が見えてこない

新型インフルエンザの時のようにある程度は戻っていくのだろうが、仮に変異を続け、2,3年かかるとすると、次の産業構造が出てこないといけないと思われる。

Netflix契約数が伸びているとして注目されているが、ロケ在庫がなくなると新作はCGのものが主流にせざるを得ない。(2020年分は撮り終えているそうだが)

Appleアップルストアによるサポートや、高級感といったものを得られなくなる。

Amazon倉庫内は機械導入で捌けるようになるだろうが、ラストワンマイルは結局人に頼っており、全てeコマースに移行するだけの許容量があるか微妙だ。

(コインパーキング宅配ロッカーを置くなどすれば多少はマシになるだろうが。宅配ロボットもまだすべての地形に対応できているわけではない)


YouTuber人口が増えたとして、YouTubeが国に変わって参加する全てのYouTubeに対して生活できるだけの再分配を行うとは思えない。

そもそも広告業なので、物やサービスが売れないと広告費が削減される。

またTOP YouTuberになるとチームで動画制作を行っていたのが既に破綻している。


家内制手工業に戻れるかというとできないのではないだろうか。

アメリカのようにガレージがあれば、多少大きくても生産性のある機械をおけるだろうが、日本場合は置く場所が無い。

ビットコインマイニングGPUASICを家に置いた事例があったが、あれですら特殊事例だった。

住宅地区では音を出すことは許されず、保育所すら許容されない、DIYも許容されない日本だと、家の中で音を出さないで生産活動できるものに限られ、選択肢がより狭い。


飲食業宅配やお弁当で逃げ切ろうとしているが、お酒で稼いでいたところと、立地や室内装飾で高級感を売りにしていたところは苦戦している。

既存使い捨て弁当ケースに入れた時点で、コンビニ弁当の上位版という立ち位置となってしまい、セントラルキッチン大量生産される価格帯と勝負をしないといけなくなる。

日本には、おせち料理という万円を出す特殊弁当があるが、フランス料理弁当に入れて万円の価格帯を維持できるかも微妙だ。

富裕層やインスタグラマーからすると、お店と料理写真を撮って自身ステータスを向上、もしくは維持できていたものができなくなる。

家の中にメディア露出用の写真写りの良い場所を作ることはできるだろうが、毎回同じだと見る側の常に新しいものを求めるのに応じられなくなっていく。


今は短期のため、イベントがなくなるなどで、高級志向インカムアウトカムも多いインスタグラマーにも、クラウドファンディングなどでお金は集まるだろうが、

長期になってくると、自分達より良い生活をしている推しになぜお金を出さないといけないのか、という雰囲気になっていく。


Webトラフィックは増えているが、Webライターを増やせるだけの余力はない。

書籍などの出版社新人教育を放り投げて、そこから独立した人材で成り立っていたり、コロナ後も広告頼みは変わらない。

イラストについては、個人の家でも作業はできるが、現時点でお金が回る仕組みにもなっていない。


転売微妙だ。

中国への越境EC国内在庫を抱えたとき保険をかけつつ、複数人で申し合わせて、サイトを作り、同時に店舗在庫を買いあさり

在庫がなくなった時点で店員在庫がないか声をかければ、店頭によく売れているとPOPが張り出され、転売グループ以外の人が買う波を作る。

転売での売上とサイト広告費で稼ぐとして、今ですら参入している人口が多くて目をつけられている。

2020-04-25

anond:20200311165317

広告業は昔も今も漁業自分ゴミだと思っても獲物が釣れるならそれは良い餌よ。

2020-04-20

グーグル未来は無い

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292386.html

検索エンジンとしては、今やグーグルは断然トップというわけではない。他の検索サイトも、

グーグルと同じようなアルゴリズム採用して精度を上げているし、日本ではヤフーページビューグーグルのほぼ2倍だ。

グーグル検索結果は、ノイズが多く日付順ソートもできないので、最近は私はRSSリーダーテクノラティなどを使うことが多い。

グーグルビジネスモデルも、しょせん(GDPの)1%産業といわれる広告業にすぎないから、限界が見えてくるのは意外に早いだろう。

まさしく卓見のものの論考。

グーグルノイズの多さは呆れるし、ヤフーの牙城は当分崩れないだろう。

テクノラティ現在、洗えるマスクを紹介しててすごいと思った。

2020-03-21

100ワニのアレ。

アレ。

別に電通案件でも何でも自分自身は正直どうでも良いんだけど、かなり悪手だってのは分かる。

まず仮に最初から電通案件だった場合最初から映画を作る事を前提としてるなら、それを隠した宣伝案件なのでPRタグが付いてないとヤバい

漫画を基礎とするメディアミックスの結果だとしても、どちらにせよTwitter個人事業主である制作者が宣伝するなら兎も角として企業が絡むなら「Twitter広告枠を買わず宣伝した」事になるので、利益を逃したTwitter社が今後の漫画投稿制限する可能性が有るのでヤバい

次に、途中から電通やら諸々が絡んだ通常の書籍化&メディアミックス案件だとしても、これはこれで普通にタイミングが悪すぎる。100日目まで溜めてから各種発表するのは無駄邪推を生むので良くない。

もし仮に今回の炎上最初から想定した上で行ってる場合は更にヤバい

Twitter使って漫画をUPしてる人は常にPRでないかどうか疑心暗鬼になるので、今後は同じ手が使えなくなる。つまり次回以降(世代交代等でほとぼりが冷めるまで)自らも同じ手を使えないという焼畑農業だ。

もっと言えば似たような手を使う場合漫画家への説明として「Twitter社や読者の追及を躱すために」という理由で本契約にせず口約束扱いにし、宣伝効果が見られないなら切り捨てる……とかも考えられる。

ここまで黒い事をされるとクソすぎるが大体そういう漫画家の多くは売れない弱者なので、口約束では動かないようにするのも難しい。なのでジャンプみたいな専属契約を結ばない限り専業の商業漫画家は良いように使われる。専属契約を結ぶのも会社に縛られる可能性が高いのでリスクだらけだ。

ついでに言うと今回の案件同人漫画家にも割とダメージ大きくて、今後こういう宣伝無料でやってる一次創作同人作家は全て疑心の目で見られる事になる。なので最初から「これは次の夏コミで出します!!」とか同人専用だと宣言しないとヤバい

まり結果的同人関係市場も地味に縮小しかねない。更にヤバい

宣伝に限らず商売ってのは市場を見れないとダメで。

市場の流れに沿えて三流、市場を育成できて二流、市場を新たに作り出せて一流だと俺は思ってるんだけど。

電通関係者は何も考えずにテレビのノリで100ワニという市場を別個に作ろうとしたのかもしらんが……それは漫画市場という中の一つでしかなく、漫画市場は今でも少ない牌を奪い合う状況なのに漫画市場自体を縮小させるヤベー事をしてるってのが今回の流れだと思う。

もう少し厳密に言えば……宣伝関係者は何でも宣伝すれば売れると思ってるが、この宣伝で買う層というのは言うなれば無党派層みたいなモンで、こういうのは宣伝という誤情報を流すと無思考でそっちの方向に傾くだけなのだが。

しかし、こういう層は本来の購買者層ではない為、宣伝が途切れると同時に波が引いていくのが常だ。その中の作品内容なり何かが刺さった一部が市場に足されるが、それは得てして微々たるものしかない。何故なら宣伝宣伝の域を超えず、作品自体の魅力が上がる訳ではないからだ。下手すると嘘を吐かれて怒り狂い、その市場から去る人間すら出る。

なので宣伝関係者は自分達が市場を作ってると考えているが、実際には宣伝で動く層を右から左へと動かしているだけなのが実態であり、結果として市場が荒れるだけに終わる場合が多い。テレビ局を断る店なんかは大体こういう一時的需要被害者だ。

こういった市場が荒れて縮小すると客層を掴めた会社以外はボロボロになるので、日本全体の経済自体が縮小する。そうなると広告で動く層それ自体も減る。バナナ納豆を買い占める無思考人間を作るのが、広告業の仕事ではないのだ。

広告業とは本来、今や未来世界必要な物を客に知らしめる誇りある仕事である。そうあるべきだ。

まり一流の広告業というのは戦前でいう八木アンテナみたいな「知られざる世界的に売れる物」こそを売るべきで、そういった見えない需要を把握してこそ新市場は開拓される。その為には、広告業の上層は経済を含む全学術知識や、幅広い観点を持ったエリートによって構成されるべきだ。これは広告業でなく社長クラスなら当然の事だ。

なので今回のような生きる死ぬといったテーマ性の高い作品を広く知らしめるのは、その点に限れば観点としては悪くない…………だが現状、やり方が不味すぎる。

これが広告業の習慣から来るミスなのか、営利的悪意的なモノなのかは分からないが。何にせよ担当者は今回、広告市場的な立ち位置について深く深く反省すべきだと思う。

(20:50改稿)

anond:20200321000620

マジレスすると、別に商業展開も何も悪いわけではない。ただ、商売にする人が、全員、作者自身も含めてワニを悼んでいないことが反感を生んでるんだと思う。

「悼む」というのは、この場合、ある人の人生やその死に対して、真摯な思いを抱いていることを意味する仕草であり、そういう態度表明のことである。ワニの死をいま「悼んで」いる人々は、言い換えれば「100日目に死んでしまうのだろうか…」と心配しながらその物語を見つめ続けていた人だ。ワニを身近に感じ、共に泣き、笑い、あるいは儚い存在としての自己投影してきた人々だ。そういう人に対して、その関心の持ち方自体がすでにゲスいだろ、という批判散見されるが、それを言うなら当然それを商売にするのはもっとゲスいことになってしまうので、批判への批判としては意味がない。そういう人を批判できるのは、「そういうゲス漫画最初から読まない」というスタンスをとっていた人だけだ。

したがって、「悼んでいる」人から見れば、「悼んでいない」作者、商業展開に関わる広告業者、出版社の人々はみな、心情的に同志ではない。なぜなら、彼らはワニを「悼んで」いないからだ。たとえば葬式の場で遺産の話をあけすけにし始める親戚のようなものだ。彼らは「悼んで」いない、それが、それだけが感情的反発をもたらす。「どうせ貰うんだから一緒でしょ」「所詮フリでしょ」「タイミング逃したら大事な話(商業展開)ができないっしょ」……等のもろもろは、確かにその通りだとしても彼ら遺族の不興を止める根拠にはならない。彼らの感情的批判を止める種にはならない。

ただ、たぶん作者、広告業者、出版社の人々もそんなことは分かっているのだろう。そして、そうしない理由はただ「多少の不興を買って炎上しても結局は儲かるからいいだろう」なのだろう。いや分かってる。彼らのお客さんはただ「流行りに乗りたい」人々だけだからだ。「なんか話題になってるんだっておもしろそー。」って理由で本を手に取って「うわー、泣けるー」って言ってくれる(チョロい)人々だ。決して、ネットポチポチ毎日無料SNS無料広告漫画を見続けてきたファンではない。彼らにとってファンとは、ただ話題を作るだけの存在だ。作者、広告業者、出版社から見れば、話題を広げてくれる物好きなボランティア、言ってみれば読ませてやる代わりに無料で使える下働きなのだろう。彼らにとって「読者」とは、実際に小銭を出して何かを購入してくれる「お客様」のことなのだ。そして、「悼む」仕草は前者にのみ効き、後者には効かない。だから彼らは「悼まない」。分かりやすい話だ。何ならこれまでもさんざん繰り返されてきた構図だ。

この問題の背後にあるのは、「作品は誰のものか」という古くからあるテーマだ。

作者、広告業者、出版社は、全て「作品は俺(たち)のものだ」と思っている。俺(たち)が作り、俺(たち)が計画し、俺(たち)が煽り、俺(たち)が成功した、その結果だと思っているのだろう。だが、それは正しくない。「読み手のいない物語」というのは「誰にも解読できない言葉」と同じで、そもそも意味がない。すべての「物語」は「誰か」に向けて語られるものであり、その前提でなくてはいかなる物語存在しない。いかなる孤高の作家であろうとも、自分の書いたものを「読む人」を想定して作品を書かない人はいない。この、想定される読み手のことを「(作品に)内在する読者」と言ったりする。

一方で、作品には、更に大きな意味一種社会現象としての側面がある。ある時代タイミング社会に送り出された作品は、そういう「文脈」をもって読まれ、受け止められることを避けることはできない。たとえば、KAN皮肉のつもりで作った「必ず愛は勝つ」が皮肉でない意味流行したが、この場合作品の「正しい読み」は皮肉なのだいくら作者が叫んだところで、意味がない。この場合、多くの人がそう受け止めたという事実があるのであって、多くの人のその受け止めが「間違っている」ということにはならないのだ。その原因を作品内部に求めることは、全く不可能ではないだろうがあまり意味がない。多くの人に受けたという現象がその作品歴史に残すのであって、内在する意味が残すのではない。これは「外在する読者」ということになる。

これらの考察から分かることは、作品は「誰か特定の側のものではない」ということだ。そして、一定の読者を想定して作者、広告業者、出版社うつキャンペーンは、それ自体として作品の一部であり、かつまた、それらの行為によって「外在する読者」自体も変化する(新たなファン流入する)という形で、両者は相互に影響しあうということだ。何なら、「旧来のファン文句をつける」という行為まで含めて、それは作品の一部なのだ。ある作品評価するなら、それを全て含みこんで論じる必要があるだろう。

今回の作品やその展開は、革新的だと褒める人もいるが、使用した道具が新しいだけで、特に手法として新しいわけではない。このようなメディアミックスによる話題作りは、明治の終わりころから新聞小説などでもよく見られた手法だ。何なら、広告宣伝というものが世に生まれたそのときから普通に行われてきた手法だ。彼らがみたところ「節操がない」のは、今に始まった話ではない。広告宣伝に関わる人は、自分自身のそういう性質を十分理解しているから、そういう批判を全く気にしないのだから批判者も、今更彼らに良心など期待しない方がいい。

ブックマークお気に入りに入れてるid:lady-joker氏がよく似たエントリを上げていて面白かった。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217

いや、まあ大体そういうことなんすよ……。

2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-03-11

私は広告制作現場を辞めて、広告屠殺する現場転職をした



私は広告業界10年ほど広告制作仕事をしていた。最初総合代理店で、最後半年WEB広告代理店で。

そして昨年末をもって退職に至ったので、退職エントリではないが、なんとなくWEB広告の実情について

広告業界の人たちにも話したかったので文章にまとめることにした。


私は広告業を一つの文化」だと思っている。

そう考えるのは広告従事者の奢りだ、と言われがちだが

私はそれは、奢りではなく、むしろ戒めだと考えている。

なぜなら広告会社は、そういった矜持自戒の念を込めて持っていないと、

簡単ゴミ製造する工場へと成り下がってしまうからである




私は新卒とある広告代理店入社し、そこから10年ほど制作担当することになった。

大手というわけではないが、時々全国規模のTVCM制作も手がける、そこそこの代理店である

そこは、今となっては「働き方改革」の標語ひとつで一蹴されてしまうような、徹夜休日出勤を繰り返す昔ながらの制作現場だった。


なぜそこまで業務時間が長くなるのか?

普段長時間労働と縁のない企業の方からすると不思議だと思う。

私はこれは、他ならない「文化からの転落への恐怖」に起因していると考えている。


基本的に、広告公共空間公共電波を使ったゴミである

もし広告クライアントの言われた通りのものを作れば、

タレントは不自然に微笑み、手放しで商品を褒める怪しいコピーで溢れかえり、

最後自己満足キャンペーン応酬お茶を濁す

お金をもらって公共空間を1枠使って汚す「ゴミ」が完成する。


からこそ代理店制作者は、1ミリでも多く、見る者の目を楽しませる努力をする。

広告の枠を超えて世の中全般を動かせるような言葉を発信できないか苦悶する。

ゴミ」と「文化」の間に横たわる深い河を、靴一足分だけでも超えられないか

というギリギリ闘争クライアントと繰り広げる。


だって自分人生をすり減らしてゴミを作ってる、とは思いたくない。

自分文化を作っているんだ、と言い聞かせたい。


そんなミリ単位のこだわりを爆発させていくうちに、時間外労働は積み上げられ、

残業休日出勤オンパレードとなっているわけである

ホントにダラダラやってるだけのヤツもいるんだけど)


私は土日の撮影徹夜プレゼン準備が反吐が出るほど嫌いだったが、

ういういい歳こいたおじさん達が、1ミリでも良い物を作るために

わがままを通そうとする姿を見ているのは嫌いではなかった。


情熱大陸とかプロフェッショナルでは、プロ達は綺麗なオフィスキラキラ仕事している場面ばかりだが、

現実プロ達は深夜の制作会社会議室で、ボロボロになりながら臭い鼻息を撒き散らして仕事に食らいついている。

繰り返されるのは、誰かが「もうこの辺で辞めにしませんか?」と言ってしまえば終わってしまうような脆弱会議である

しかし「少しでも良いものを作らないと俺たち生きてる意味ないよな」という不文律が全員の頭の中に共通して存在するから

「もう辞めよう」と口にする人は一人もいない。そして1ミリだけ良くなった企画書を持って徹夜明けでプレゼンに挑む。

その情熱大陸が映さないような種類の、リアルな感じが好きだった。


まぁ、そういうおじさんおばさん達の見えない闘争が積み重なって、

広告文化」と心の中で思っていても怒られないくらいの社会風潮は出来たのではないかと思う。

美大メディア学系の大学広告論の授業があったり、

過去の名作広告をまとめて本や番組が作られるくらいなのだから、一応文化と言っても差し支えはないだろう。




その会社で9年働いた後、私は縁あってWEB広告代理店転職することになった。

これが同じ「広告代理店」を冠しているが、とても同じ広告を作っているとは思えないような職場だったのである

ここが広告という文化を殺して食べる、屠殺現場のような場所だった。



WEB広告とそれ以外の広告の、一番の違いは何か。

それは「数値化」だ。

WEB広告を作る、ということは、制作物の全てを数字に置き換えることができる、ということなである

この広告が何秒見られたのか、どんなクラスターの何%が見たのか、何%が商品を買ったのか、広告コスト効率はいくらか。

広告の全て数字で語ることができるのがWEB広告独自性であり、実際私が居た会社はその強みを最大化するような戦い方をしていた。


すると何が起こるか。

全ての広告を、数値をベースに作るようになるのである


たとえば、必ず視聴率クリック率が高く出るような広告をつくる。

それはどういうヤツかというと、始まってすぐに「お得なキャンペーン」とか「今だけ何%ポイントキャッシュバック」といった数字を画面に大きく出すようなアレである

誰もがあれに反応するわけではないが、一定層そういう数字に反射的に反応する人種の人たちがいる。だから結果的に数値はわかりやすく上向くのである


たとえば、広告コスト効率が高い広告をつくる。

コスト効率を上げる方法は2つしかない。前よりも大きく結果を出すか、制作費を削るか、である

そういうわけからWEB広告代理店では撮影外注を行わない広告制作奨励されている。

ストックフォトやフリー素材だけで制作すれば、地獄みたいなクオリティになるが原価はゼロに近づく。

そして前述の視聴率アップの手法があるので、不思議とそんなものでも視聴率が高かったりする。数千万かけて作ったTVCMより高かったりする。

その結果、コスト効率は上がり、「クライアントも喜んでいます!」という嘘みたいな報告が営業からは来るのだ。



私にはこれが、数字裏付けされたゴミを作っているようにしか見えなかった。

始めにこのクオリティ広告を見た時「まともなクライアントがこれにお金を出すはずがない」と思っていた。

しかし実際は違う。喜んで買っている。そりゃそうだ、クライアントの持っているお金は「広告宣伝予算」であって「広告文化への投資予算」ではない。

RADWIMPSが歌うデザインされたTVCMであれ、フリー音源ポイント還元キャンペーンだけで出来たWEB動画であれ、効果が高そうなものお金を払う。

なんとなく効きそうなだが高価な胃薬と、見た目はチープだが安価で効き目が数字裏付けされている胃薬だったら、後者を選ぶ人は少なくない。

私が在籍していたのは半年程度だったが、WEB広告会社大手代理店から仕事を奪ってきた、というようなニュースを度々耳にした。




かくして、広告という文化は、数値に裏付けられたゴミによって貪られ、じわじわと瓦解し始めている。




今なお「広告文化だ」と思っているのは広告制作者を始めとする一部の広告ギークだけなのだろうか。

しかしたら多くのクライアントサイドも、今では広告文化だとは思っていないのかもしれない。

(思っている希少なクライアントもいる。代理店はそういうお客さんを大事にしてください。)


少なくとも、WEB系の広告会社にはそもそも広告文化と思うような発想はない。

ただ忠実に、広告言葉通りの「広告なのだと彼らは思っている。

彼らは非難される立場ではない。だってそっちの方が本来の「広告」の語義には近いのだ。

から彼らは彼らが今作っているものゴミとは思っていない。

経済を回すための1つの因子」みたいな感じに思っているんだろうなぁ、きっと。


私には、彼らが目先の利益のために無邪気に広告破壊

文化もろとも倒壊しているのにも気づかず勝ち気になっているのが我慢できなかった。

そういうわけで、私は半年会社を辞めることにした。



懐古趣味の「昔は良かったおばさん」みたいな話にはしたくなかったのだけど、

この話は結局そういう結論しかならないのかもしれない。


2019年、ついにWEB広告の出稿費がTVCMのそれを超えたという。

この先の広告業界WEB業界を中心に回るのは日を見るより明らかだし、その時のエースプレイヤーは私が辞めたあの会社かもしれない。

しかし、あの地獄クオリティWEB広告達を元に大学の授業が行われることはないだろうし、それを論じた本が出るようなこともない。

広告という「文化」は静かに解体され、彼らに食いつぶされ、いつの間にか消滅していることになるだろう。


私はそんな「冷たい熱帯魚」みたいな解体現場で確かに働いていた。

そして次はまた、古い広告業界に近い所で仕事をする。

これは救命ボートからタイタニック号に乗り換えるような所業かもしれない。

ただ無邪気に文化を貪り続けるよりはマシだと思っている。


あの制作会社会議室で、今日広告文化足り得るようしのぎを削る人たちがいる。

私は化石のような彼らを、情熱大陸クルーの代わりに見届けることにする。

2020-02-27

ヒカキンさんの動画を見たことないしよく知らないのだけど

主にキッズ層をターゲットにした動画投稿されているはずなのに

どうしてYouTuberという広告業生き方が成立するのだろう

視聴者層購買力のないキッズなのに

そんなキッズ広告を見せて何になるんだろう

広告を出稿してる企業は何を考えてヒカキンさんにお金を費やしているのだろう

2020-02-13

情報化社会プラスループを起こしたい!

人の不利益になる情報ばら撒かれすぎだよね。

そのせいで、みんなダメージ受けまくりだと思う。

情報の発信は、人の利益になる必要があるはずなので。

書きたいこと書きます

嘘はダメだよ、嘘は。

まず前提として、間違った情報を発信してはいけないということ。

例えば、お店でひどい目にあったときに、その本当のところをレビューとして書くのはいい。他の人がひどい目に遭わないために有用からね。でも、嘘は書いちゃいけない。嘘のレビューを書けば、そのレビューをみた人がお店に来なくなる。それは、嘘を言ってお店に業務妨害したのと一緒だ。

不利益しか産まないので、嘘のレビューは書いてはいけない。いいよね?

声がデカイなら、責任デカイ。

宣伝効果って、宣伝したものが売れるってだけじゃない。声のデカ広告業者が宣伝すれば、「〇〇といえば××!」「××でなければ〇〇にあらず!」って状況になるわけさ。

からね、広告側でも、宣伝するもの吟味する必要があるわけ。食品宣伝を決めるときに、「まあ食べてみて下さいよ!」ってやってればいいんだけど、多分そうじゃないだろうし。これは良いものだ、絶対に世に出す!って意識があれば、違法サイト広告出稿なんてすることもないだろうし。

大手広告会社は、その声のデカさを武器に踏ん反り返ってるだろうけど、カネもらって何でもかんでも広告するせいで、広告される側に経済的な淘汰ってやつが起こってないんじゃないかな。比較広告は悪って決まってるけど、良くないもの宣伝するのもダメだよねぇ?

効果には個人差がありますだの書いてもね、あんなちっちゃく書いて見逃した人はどうすんだろう。その効果信じて、無駄お金を払ってしまう。そんなことばっかりしていたら、みんなお金使わなくなっちゃうじゃん。ダメなモノの宣伝人類の敵ですよ?

そもそも、何が正しいか決まってないんだもん。

国で食生活ルールが決められてる、って知ってますか?バランスよく、野菜たっぷり、体を動かして!って厚労省の指針に書いてますよ。毎日果物を、って書いてあったのが衝撃的だったけど、正しいこと言ってるなーって思いました。とりあえず果物王様バナナを食べようかと思います

っていうか国!正しいこと知ってるんだったら大声で叫んでよ!闇雲に炭水化物抜いて体壊してる人いっぱいいますよ!たくさん食べられないって人は運動したらいいとか伝わってないよ。

まぁそんな風に、ルール整備が追いついてない、もしくは周知されてないってところはたくさんあるよね。人を傷つける書き込みをずっとしてると殺されちゃうからダメだよ、とか決まってないもんね。え、決まってる?じゃあ周知が足りない。実践できてないじゃん。決まってることになんないでしょ。

日本人って曖昧にしておくの好きだもんね。これはいい、これはダメって決められない。しかも、みんな謙遜しあって下がっていくからダメはわかるけど良いは分かんなくなっちゃった。これはダメだ!って意見必要だと思うけど、なんでダメなのかな、じゃあどうしようかなってところまで考えて伝えていかないと、わかんない人は取り残されちゃうしね。

平等を実現するんだったら、わかる人が丁寧にやらないとね?


いやーいっぱい書いた。読んでくれた人ありがとう

要約すると、「どこのみんなも、どの団体も、誰にでもプラスになるように情報を発信していこう」ってことだけどね。

読み返してないし、またなんかあったら書きますよろしく

2020-02-11

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-10

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照類推させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと――。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。結論としては以上となる。

2020-02-01

東京一極集中について

東京一極集中が進行しているというニュースが出た。


国土交通省資料(https://www.mlit.go.jp/common/001275277.pdf)のp48に転入超過都市産業は、金融映像・音声・文字情報制作業、通信業不動産取引業、広告業などとなっている。

これらの産業国内市場から利益を生み出しており、外貨を稼いでいない。悪く言えば地方から金を吸い上げている。

日本経済成長輸出業に牽引されてきたが、東京本社があったとしても地方生産・輸出を行っており、東京交通利便性などで稼いでいるわけではない。

東京の方が収入は多いが、差額分すべてを消費に回してるわけではないため、内需パイ拡大への影響は大きくない


大学入学時に東京に行ったまま地方に帰らないので、大学地方に移動させればという案は出たが、

大学が一斉に移動しないため、地方で開講したキャンパスは定員割れで失敗した。


省庁を東京以外に移せばとよく言われるが、省庁の綿密な関係必要企業以外は地方に移るメリットはない。


他に、東京本社がないと若い優秀な人材雇用できないという企業側の論理と、

労働者側の終身雇用が壊れた現代でローンの残っているマイホームから通える距離同業他社が集まっている場所、というのを解かなければいけない。


東京企業、人への税金を高くすること。

地方に移動するだけのインセンティブ必要なので、東京にある企業や人に対して税金を上げればよい。

地方東京では賃金が違うので、一人当たり数百万くらい今でも負担していると言えなくもないが、現状でも集まるのだから

やってられないくらいので地方に移るくらい税を上げなければならない。

国の運営に関わる公務員向けの都市への移行を目指してもいいかもしれない。


東京文化発信が止まると言われそうだが、セゾン文化渋谷文化などはなくなったに等しく、

10代などは韓国アジアから文化の方が身近で、既に衰退している。

東京が儲かれば地方も儲かるというトリクルダウンなんてものはなかったし、過去東京がより儲かる構造見直しが入っても仕方ないだろう。

東京保育所などは高額民間のみにする

保育園場合対象とできる子供の人数が限られているため保育士給料が安いという問題がある。

製造業のように沢山生産すれば沢山稼げるという構造ではない。

子を預ける世帯収入は多いが、保育士給料は安くなければ成り立たず、補助金を充てる必要があるというのを解消する必要がある。

公共保育所などは諦め、どうしても東京で人を雇いたい企業負担していただき、個々の企業運営する託児所に任せたほうがいいのではないか


個々人に負担してもらう案もあるだろうが、一般的に支払う金額に対して求めるサービスの質は過剰になる傾向があり、辞めたほうがよい。

地方住宅価格を安くする

女性社会進出が進みダブルインカムが増えているが、その世帯収入の上昇と金利の低下に合わせて不動産価格が上昇している。

例えば(https://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/insight/jp190208.pdf)の図表1にあるように2002年から2018年の間に2000万も平均価格が上昇している。

商業利用の投資目的であればいいが、波及して住宅まで影響を受けており、異常である

デフレだ、物が売れないと言われているが、ローンが多いのだから消費を減らすに決まっている。

住宅補助金で受け取る分も考慮して金融不動産価格を決めていないか


住宅ローンが残っているか転職先が住宅から通勤圏内になければならないという心理も解消しないといけない。

例えば6年~8年くらいでローンが返せるくらいの価格帯になるように建築技術イノベーションを起こせないか

新築でもカギを受け取った瞬間に1000万ほど価値が下がるのも、容易に引っ越しできない要因になっている。



地方住宅を広くする

東京より地方の方が贅沢な暮らしができる」という状況を作らなければいけない。

今後、家庭にもより機械化が進んだ場合に、狭い住宅環境では買っても置けないという状況が考えられる。

日本家電メーカー撤退した今日日本住宅環境海外メーカーが作ってくれるのを待つのメリットがない。


地方東京に勝てるのは土地があることである自然が多いというのは強みではない。

公園などの公共圏で子供が遊ぶのは禁止の流れなので、自宅内によりスペースが必要だ。

建築物に対しての税金を安くするといった地方政策が望まれる。


2020-01-29

ボーダーパイスラ写真は胸の強調だろ〜

自分フェミじゃないけど、茜さやボーダーパイスラ写真(またはボーダーローアングル写真)を転職広告に使うのはキメェ〜って思うよ

だって広告業者が彼女巨乳で釣ってることまるわかりだったし、くっそキモい反応が山のように連なってるのに放置されてたし。

んで、なんか批判があった時点では茜さやさんも被害者だよなぁ、巻き込まれ可哀想に…と思ってた。だって彼女がこの広告を作ったわけじゃないし、この広告のためにあの写真を撮ったわけじゃないから。

だけどなんか、その後の反応を見て、ん?となった。

彼女の「巨乳女性ボーダー着ちゃいけないの?」みたいな謎発言とか。それ、フェミ批判じゃなくてアンチフェミ解釈を受け取ってると思うんだよなー。

彼女プロモデルであることを前提として言いたいんだけど、プロ作品(今回の場合フリー画像と、それを使用した広告)には全て意図作為あるじゃんか。服装髪型メイク姿勢、表情、指の角度一つまで、細部まで「自分がどう見えるか、見られるか」気を配ってるはずだよ。カメラマンの方もそう、どの構図で、どの角度で、どの絞りで、どこにフォーカスを当てて、どんな露光で、どんな編集で…って、プロならちゃんと考えて撮ってる。

その意味で、今回のトボケ具合はちょっと、まるで「自分アマチュアです」って逃げてるような反応に思えた。

だってはっきり言って、あの写真は、彼女の胸の大きさが強調されてるし、彼女性的魅力を含めた可愛らしさを伝えようとしてる画作りじゃん。

なぜか彼女私服であることをアピールしてたけど、今回私服か/用意された衣装なのかはあまり関係無い話だよね。だって身体に沿うタイプ生地ボーダーストライプ、あるいはリブ生地の線が身体の凹凸を強調するのは常識というか、被写体としての基礎知識でしょ。明るい色は膨張して見えて、暗い色は引き締まって見えるのと同じくらいの基礎知識

今回の件の写真ではボーダーカーディガン羽織ってたけど、カーディガンボタンを全部留めることだってできたはずで、それはカーディガンをただ羽織って胸の周りにフレームを作ることとは全然異なる効果を持つ、ことを彼女はわかってたはずなんよ

もちろんアングルも、これはカメラマン側の意図もあるけど、煽り俯瞰とアイレベル真正からとで、物の見え方は全然変わるんだよ、そんなことはモデルにとっても基礎中の基礎っしょ?

から件の写真は、「彼女の胸の大きさを強調し、性的に魅力的に見せる」ものとしては非常によく考えて作られた作品だと思うし、それは全然悪いことじゃないよ。

茜さや氏はなんでそこを誤魔化すんだろう?と思って…

なんかこう、上手くまとまらないけど、職業モデルとするならあのリアクションはないよなーという一つの意見

2020-01-11

お金の話

農業製造業はわかりやすく原料や種がある。製造販売転売などが数珠つなぎで行われて、最終消費者労働力お金を支えている。

1日に働ける時間は決まっているし、食べないと動けない。


人口が減ると大変だというのは、消費者が減るし、労働力も下がる。

人口が減るのと経済成長ができないというのがイコールでないのは、人口が減る分を機械生産性を上げればという話になる。

じゃあ、機械って消費してくれるんだっけ?


パソコンスマフォによって生産性が高くなっているというのは、

例えば、Twitterでイイねを押すような小さい労働が、1人当たりの小さな労働ではお金にならないが、数億人いればお金になる。

他に、交通にかかっていた時間リモート作業すれば、より労働時間をつぎ込める、という話だ。

とはいえ、1人が1日に使える時間限界がある。


物を販売しようとすると、広告というものが入ってくる。

広告で物がより売れるようになるというのであればわかりやすい。

物の価格広告費が含まれいるから。

物を製造する所が儲かるか、販売をする所が儲かるかは色々あるだろうが、広告が一番マージンを取っているとは思えない。

物を製造する所が新製品を作れなくなった時点で持続しなくなるから


とはいえ広告業のGoogleFacebookお金が流れている。

Amazonアフィリエイトはまだ物の販売数に応じているのでわかる。

広告収入だけで支えられているサービスも同様だ。


YouTuber広告収入が誰に支えられているのか。

アクセス数と単価で決まるが、お金の出どころは物を製造販売する企業広告費ではないのか?

モノが売れない!と言っているのに誰が支えているのか。


物の販売が主で、広告で支えられているサービスの規模が小さかったときはよかったが、

支えられなくなった場合、どこにシワ寄せがいくのか。

Amazon倉庫絶望し、Uber発狂することになっているんじゃないのか。

2019-12-18

anond:20191218220412

広告業商品販売に関する情報提供消費者のための商品及び役務選択における助言と情報提供織物及び寝具類の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供,被服の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供おむつの小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供,履物の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供かばん類及び袋物の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供ハンカチタオルネックレス・その他の身の回り品の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供自動車部品及び附属品の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供,二輪自動車部品及び附属品の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供自転車部品及び附属品の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供携帯電話機用ストラップ携帯電話機用ケース・その他の電気機械器具類の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供キーホルダーの小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供,清掃用具の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供印刷物の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供シール・その他の文房具類の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供運動用具の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供おもちゃ人形及び娯楽用具の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供時計及び眼鏡の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供たばこ及び喫煙用具の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供愛玩動物おもちゃ愛玩動物のし尿処理用砂・愛玩動物トイレシート・愛玩動物リード愛玩動物首輪愛玩動物用被服類・愛玩動物用装飾品の小売又は卸売業務において行われる顧客に対する便益の提供

かなり広範囲で出願してる

https://unco.shop/

色違いマーク付けた商品沢山出してるな

色が違ってても有効なのかな?

2019-12-07

ステマ問題の原因は消費者にある

広告代理店に勤めて2年目になるが、最近消費者がひねくれてるせいで本当に苦労してるんだよ

消費者がひねくれてるから素直に広告に従ってくれない

アナ雪2面白いよ!皆見てね!」

これで済んだらどんなに楽か

でも消費者がひねくれてるからそんなストレート広告は打てない

からステマ漫画

絶対に買わないでください」

とか

絶対クリックしないでください」

なんていうひねくれたお前ら用の広告を打つしかないんだこっちは

お前らがひねくれてるのが諸悪の根源なのに広告業者に責任転嫁すんじゃねえよ

2019-06-30

お前さ

お前さ、逃げるように今の会社にに来ただろ?転職した時はさ、何とかクビが繋がった、って思ってたよな。前の会社落ちこぼれて、退職することになって、次も良い会社だったからな。でもな、それはそもそも何のクビだったかわかってるのか?お前、自分が選ばれた側だと思ってたんだろ。優秀な側だと思ってたんだろ。大学もな、最初会社もな、なかなか人が行けないところだったから、お前、選ばれちゃったとか勘違いしちゃったんだよな。違うから。お前、バカから大学名とか会社名で体裁整っているように見えるけどな、お前人間失格から社会不適合者だからちゃんとそこんとこ理解しとこうな。お前、まともな人間に産まれてなかったんだから。周囲に人がいないのを誤魔化すために勉強してたんだよな。あたか意味のあることのように。孤独を紛らわすために、人間嫌いを正当化するためにファッション勉強してたんだよな。周囲をバカにしてたんだろ?でもな、お前は決して一番になれないし、満足もしないんだよ。だって勉強したくてしているんじゃない、学問に興味があるわけじゃない、お前は何かを極めようともしていない。なんとなく人より優れているように見られるのが好きなだけなんだよな。可哀想なヤツ。お前がバカにしているお前の周りのヤツはな、お前のこと可哀想だと思ってるからな。

それでお前、次はGoogle面接受ける、とか言い出してさ、行けると思ってるのか?それもファッションだろ?お前、別にソフトウェア開発とか興味ないよな。金が稼げるからやってるだけだよな。理系の中で医者より稼げそうだった、って言う理由で選んだだけだよな。だって才能ないもんな。良い大学会社に入ってもな、お前トップになれないもんな。今までトップになったこと、何一つないもんな。そのくせプライドだけは高く、未だに自分が何かになれる気がしているお前、来年40だぜ。いつまで迷ってんだよ。たとえGoogle に行ってもな、お前はそこでも落ちこぼれるんだよ。だってお前、情熱とかないだろ。ヤル気ないだろう。周囲から見て良いな、と思う会社に行きたいだけだろ。やりたいことなんてないんだろ?他人にも興味ないんだろ?お前にとって他人セックスできるかできないかだけだもんな。毎日何もしないで行きていきたいんだろ?お前みたいなのをな、人間失格って言うんだ。もう、周囲の眼を気にするのをやめろよ。全部やめちまえよ。会社も、夢も、希望も、何もないんだから。100年後にはみんな死んでるから。もう何も考えるな。何もするな。お前が他人に興味がないように、みんなお前に興味はないから。目をつぶって、そのまま何もしないで、それで良いから。何も求めず、何も求められず、それで良いんだから。何もしなかったら、置いて行かれるって?何に?ネットにはな、みんなキラキラしたものしか載せないんだ。注目を浴びやすいからな。ニュースブログyoutubeもな。皆が憧れるもの蔓延するようにできてるんだよ。全部広告業からな。意地とか見栄とか嫉妬とか、人の下品欲望根付いたシステムなんだよ。あんもの距離を置くべきなんだ。特にお前みたいな社会不適合者はな。社会適応できる人達のためのものなんだからあんものは見るな。見なくても何の問題もないから。トランプロケットマンオフ会したってな、お前にはまったく関係いから。多少株や為替が変動するぐらいだろ?誰かの生活が良くなったりしないから。どうあがいても北朝鮮コッチェビ達は救われないから。もう30年ぐらいから変わってねーんだもんな。あの国。とにかくな、お前に関係あるものなんてほとんどねーんだわ。それだけは理解しとこうな。とりあえずな、だからな、少しで良いから、今、お前の周りにある人や物に感謝してみるんだよ。頭のおかしいお前を受け入れてくれてんだろ?それなら感謝しとけ。あと腹一杯何か美味しいと思うものを食べて、一日中寝てろ。それで良いから。それだけで良いから。

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