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2024-11-21

赤毛のアン」に対する「黒毛の増田」があったら

東京郊外の古びたアパートの一室、安物のカーテン越しに差し込む薄暗い朝の光が、増田の部屋の埃を照らしていた。彼は毎朝のように同じ位置で目を覚ます。狭いワンルームの真ん中、敷きっぱなしの布団の上で、天井ぼんやり見つめる。鏡に映る自分をふと眺めて、いつものように思う――「俺の黒髪だけは、まだ若い頃のままだな」。

増田中年独身男だ。職場では大きな声を出すでもなく、存在感を示すわけでもない。それでも与えられた仕事をこなし、なんとか会社にしがみついている。「弱者男性」などという言葉世間を騒がせる中、自分がそのカテゴリに含まれているのだろうという漠然とした確信が、増田の胸にはあった。

黒々とした髪だけが、彼の数少ない取り柄だった。四十を過ぎても白髪ひとつなく、毛量も多い。だが、その黒髪が彼に特別幸福をもたらすわけではなかった。むしろ時々、そんなものを持っている自分が滑稽に思える。周囲の視線を気にして美容室に行くのも億劫で、伸び放題の髪は重たく、まるで彼自身人生のように鬱屈していた。

ある日、職場ランチルームで、同僚たちがアイドル話題で盛り上がっていた。増田は黙ってその場にいるだけだったが、不意に後輩の女性社員がこう言った。

増田さんの髪、すごく綺麗ですね。何かケアとかしてるんですか?」

増田は一瞬、言葉を失った。こんなにも普通言葉が、胸の奥をかき乱すものなのか、と驚いた。

「いや…特に何もしてないよ。遺伝かな」

こちなく返したその声には、僅かな照れが混じっていた。彼女は「あ、そうなんですね」と笑い、話題はすぐに別の方向へ移った。だが、増田はその一言をずっと反芻していた。

――俺の髪を褒めるなんて。

その日、帰宅後、増田は久しぶりに鏡をまともに見た。そこに映るのは、不機嫌そうな顔と、分厚い眼鏡と、くたびれたシャツ。それでも、確かに黒髪だけは、未だに光を帯びていた。

「何もない俺だけど、この髪くらいは…まあ、悪くないか

小さく呟いたその声は、薄暗い部屋の中で吸い込まれた。そして、増田はその夜も変わらぬ日常の中で眠りについた。黒髪が、枕に広がる静かな波のように彼を包み込んでいた。

2024-11-20

ハチワレ、家を買う

そういう気がした最新話

新米ハンターとして報酬をしっかり稼げるようになった今

家を買うこともできると思うんだけどな

金稼げるのにいつまでも洞窟暮らししてるのも、どうかと思うしさ…

まぁまずは安アパートから行くか

2024-11-19

[] 2024-11-19

午前6:00 - 起床。いつも通り、6時ちょうどに目が覚めた。完璧な生体リズムは、僕の知性の証だ。

午前6:30 - 朝食。シリアルを食べながら、今日研究計画を立てる。チャーン・サイモン理論の新しいアプローチを思いついた。3次元位相理論4次元拡張できるかもしれない。

午前7:30 - 出発。車中で同居人に、チャーン・サイモン理論の美しさについて語る。彼が理解できないのは残念だ。

午前8:30 - 到着。ノートに数式を書き始める。S[A] = k/4π ∫ᴍ Tr(A ∧ dA + ⅔A ∧ A ∧ A)

午後12:00 - 昼食。カフェテリアで友人2人とチェスをしながら食事。彼らの戦略の穴を指摘してあげる。

午後1:00 - 再開。チャーン・サイモン理論と量子重力の関連性について考察エドワードウィッテン論文を再読。

午後6:00 - 帰宅アパートで隣人に今日研究成果を説明しようとするが、彼女理解できないようだ。

午後7:00 - 夕食。タイ料理火曜日同居人と隣人と一緒に食事をしながら、最新のSF映画について議論

午後8:00 - オンラインゲーム時間。他のプレイヤーを圧倒する。僕の戦略完璧だ。

午後10:00 - 就寝準備。パジャマに着替え、歯を磨く。

午後10:30 - 就寝。明日も素晴らしい発見の日になることを願いながら眠りにつく。

仕事ができる子に嫉妬してた

人生に疲れてる感じがして、辛いかもしれない。

もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安しょうがない。

十年くらい、関西にある地元市役所臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。

部署の異動は一度だけ。最初水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。

会計年度任用職員略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員アルバイトパートだとすると、会任は契約社員位置づけである

ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。

私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般女性にとって大事なことだ。

私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ



不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。

不安の全体だと、恋愛結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分健康のこともある。

けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。

私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。

入庁当時の私は、25才だった。美容専門学校卒業したけど、リーマンショック関係で職が少なくて、フリーター転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷市役所だった。

月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。

数年前に会任制度スタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場感謝してる。

話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。

20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。

しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道部署から現在部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校中学校が一緒だった。

当時の私は、残業休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。

私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。



以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。

新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業代表者と同じ苗字だった。この子Sさん年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校出身だった。

直属の上司である係長(※蛇足だけど係長学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさん大学出たばかりで、最初全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味否定された。

Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子別に京都大学とか大阪大学とか、そういうレベル大学出じゃない。

けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。

あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。

関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。

反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。

Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。

結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。

上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃんあんなのイチイチ止めてたら、日本少子化待ったなしだよ~」だって……。

その係長だってSさんには甘々だった。この部署の中では、Sさん新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。

本来ベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年であるSさんに割り振っていた。イベントだってほとんど休みなくSさん休日出勤させていた。

「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもや一年以上、ずっと続いた。

Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。

 在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。



さらに、その次の年度だった。

季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからよろしく~」と皆の前で告げた。

A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。

まあみろ、ていう薄汚い感情自分の中にあった。でも、ここは職場から。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。

Sさん結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMP漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。

入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛アプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。

月給13万円台で、京都市内での一人暮らし不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。

私が好きな少年漫画で、「ドンまり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドンまり、という状況だった。若い頃の私は。

でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。

それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。

[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事正規職員登用の声がかかる気配なし

[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある

[趣味]…たまにアニメ漫画小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし



最後Sさんと会ったのは、同じ年だった。Sさん妊娠後、もうすぐ育児休業職場からいなくなるタイミング

うちの部署イベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。

バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式BBQだった。

私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん暗殺者かよ~」とツッコまれ

あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティサービスをしてるとのこと。

その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。

こんなことを、話していた。

(早く結婚できてよかったねと言われて)

「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定行事があって、そこで知り合って」

(仕事ができるねと言われて)

「ほかの人が協力してくれるので、自分は大したことないので」

(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)

係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」

 ※働かなくても共済組合から給料分相当額がもらえる期間

(Sさんが羨ましいと言われて)

幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」

嫌な感情が湧いた。

彼女は、Sさんは、私にはないもの絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって絶対にそう思っている。

そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさん自分が恵まれ環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。

Sさん自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。

Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。

すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎水割りします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさん職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。

あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。

保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでからテーブル真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。

水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想焼酎ソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。



流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ




何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。

あなただって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。

人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。

2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。

2人とも会釈だけして、Sさん獺祭ソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。

「え~、これ炭酸割じゃん!」

「いいじゃん。増田ちゃんサービスしてくれたのに」

10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。

翌週、Sさん職場にこなくなった。「体調不良です」と係長上司に報告していた。

産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。

昇給だって、年に三千円だけ。しか一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。



今年に入って、育児休業中のSさんベビーカー子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。

後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。

Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさん幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。

この、赤ちゃん職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。

でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから

同じ職場の仲間として、Sさん職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。

長文駄文、ここまでお読みいただきありがとうございました。

2024-11-18

北海道都市ガスは入居者負担設備費を払わせるやり方があるらしい。

https://www.rakumachi.jp/news/practical/336469?uiaid=p_share

6-都市ガスセントラルヒーティング

今年の7月からプロパン業者の貸与スキームが不可となります

投資家から見ると今まで無償だったガスの配管・給湯器・ヒーターなどが有償になり建築費を押し上げる事になります

来年4月から省エネ住宅賃貸でも必須になり、これでも10%近い建築費の高騰が囁かれます建築会社もまだ真剣見積もりしてないからねー汗)。

次の物件で、北海道都市ガス業者見積もりを取りました。

物件間取り

・1LDK x9戸

・2・3LDKx14戸

※部屋数が多くなるとヒーターが増えるので費用負担が増える

気になるお値段は・・

12百万円でした(涙)!

さらですが、プロパン業者のありがたみを実感しています

7-都市ガスプロパンスキームっぽいやつ

北海道都市ガスでは、アパートマンションプランというのがあり、ガス関連設備を一部だけリースすることもできます

リースにした設備の修理・交換はリース会社実施してくれます

都市ガスリース設備だけは、プロパン時代よろしくオーナー費用負担がありません。

都市ガスは入居者から見ると一つのブランドです(北海道必要以上にプロパンが多かったので、都市ガスへの憧れに近い感覚もある?)。

都市ガスは安いからと、入居者が月額の負担に応じるって感じのようです。

逆にプロパンは高いイメージがあるので、入居者がリースに応じる事は少ないそうです。

それでも、リースメニューを用意したプロパン業者もあります(汗)。

リース費用は1LDK/2LDK共に、月額2千円~2.7千円で入居者が負担する場合が多いようです。

2024-11-17

親友自殺未遂した

親友自殺未遂した。多分本気で死ぬつもりで、遺書も、自宅の整理もすべて揃っていた。消化しきれないので、フェイクを混ぜながら書いていく。

親友職場出会った後輩。歳は1つ下。元気で活発で、仕事も全力投球!みたいな女の子

シフト制の仕事なので毎日会える訳では無いが、休みが合えば必ず会っていたし、旅行にも頻繁に行った。休みでなくても仕事終わりに銭湯に行ったり、食事に行ったり、互いの家でゲームをしたり、ずっと一緒にいた。

出会って数年になるが、お互いが無くてはならない存在になっていた。

ボーナス後に奮発して、露天風呂付客室に泊まったことがあった。温泉好きなのでもちろん2人して大興奮。夜中、露天風呂にお湯を張って、小さな声でお互いがいかに大切か語り合った。以前、友達を好きすぎるあまり、その相手に避けられてしまたことがあるのだと涙声で明かされた。私も好きだから大丈夫、と言うと、親友は、じゃあおばちゃんになるまでこうやって遊んでようね、と。

親友自殺行為をしたつい1週間前にも旅行登山)に行っていた。2人とも計画性がないので、途中で道を誤って山頂にはたどり着けなかったが、その過程すら楽しくて2人でゲラゲラ笑って下山した。汗だくで銭湯に向かい、また行こうねと笑っていた顔を思い出す。今度はちゃんと調べて、次休みが合えばリベンジしようと約束した。

その1週間後。早く職場に着いた私は、癖で自分デスクの引き出しを開けると、見慣れた字のメモ書きが入っていた。

『○時までに来なかったら読んでね』

嫌な予感がした。時間になる前に読んでしまった。

自殺したこと場所警察家族に連絡を取って欲しいことなどが書かれていた。

時が止まったかと思った。あいつがそんなことするはずがないと。とにかく○時まで待たなくては。あいはいつも通り仕事に来るはずだ。

親友は来なかった。メモ書きに書かれていた通り、家族に連絡を取った。実家にも招待されたことがあって、家族とも面識はあった。

母親電話に出た。親友は昨夜実行前に、遠方の母親電話したらしい。様子がおかしかったので母親から通報、すでに搬送先の病院にいるとの事だった。

一命を取り留めたと聞いて、心底安堵した。でも後遺症が残ったら?体が動かなかったら?それでも私は親友さえ許すのであれば担いででもどこへでも連れていこうと思っていた。

一部の上司にのみ報告した。涙が堪えきれなくて早退を申し出たが、今日は人手が足りないから残ってくれと言われた。それでも耐えきれずに押し切ったら帰り際に上司に呼び止められて、ショックなのはみんな同じだよ、と笑われた。代わりにお前が死ねよと思った。

親友アパートに向かった。鍵を開けているから入って、とメモにあったからだ。遺書があった。私宛にもメッセージが残っていた。大好きだ、しかった、と……じゃあなんで、と言いたくなった。

親友はそのまま精神病院入院になった。携帯パソコンも使えない環境を案じて、塗り絵ブロック、その他遊べるものを買っていった。手紙も添えた。公衆電話から連絡できるように、現金も預けた。面会はできないので看護師に手渡した。

地獄はそこからだった。

まず、絶えず電話がかかってくるようになった。そして住所を聞かれ、手紙が送られてくるようになった。

私の差し入れ主治医判断没収されたこと、生活の不満、不安定感情、いろんなものをぶつけられた。

それでも親友不安にさせるまいと話を聞いていた。

それから、ほしい物を頼まれるようになった。あのおもちゃがほしい、あの漫画を持ってきて欲しい……私は律儀に答えていた。仕事終わりにでも買い物に行って届けていた。

親友母親もひどくショックを受けていて、私に依存するようになった。娘との会話で少しでも気になることがあると、私に連絡してくるようになり、私は都度泣いている母親をなぐさめた。

だんだん眠れなくなってきた。家のことが手につかなくなってきた。食事もできなかった。

気力も体力も時間お金も奪われていて、自分のことを出来る余裕が持てず、自宅はゴミであふれかえった。

それでも親友は私に連絡してくるし、手紙も寄越した。中には〇〇さんに渡しておいて、というものや、〇〇さんとの約束キャンセルしておいて、というようなお願いもあった。

親友を傷つけまいと、電話口では気丈に振舞った。

プライベートでも職場でも、退院後に馴染みやすいように出来るだけ気を使って、親友の事を聞かれても明るく答えるようにしていた。家族にも、(私)ちゃんに頼っていて申し訳ないけれど、遠方だからね……と言われた。誰かに相談するということは、自殺未遂したことも明かすことになるので、誰にも相談できなかった。

私を安心させようとしているのか、もう元気だよ、と手紙に書かれていた。眠れているし、食事も摂れている、医師看護師にも相談できている。(私)ちゃんがくれた遊び道具も許可がおりて、楽しくすごしてるから、もう死にたいと思わないし心配しないでね、と。

そこで気持ちが切れてしまった。

私がこんなに気を張りつめて、食わず眠れずギリギリの体力でお前の要求に応えているのに。お前は黙っていても食事が出され、下げられ、身の回りの世話もしてもらえるのに。私は家族と疎遠で、お前には遠方でも心配して来てくれる家族がいるクセに。私は職場で1人減った分の穴埋めで休むなとプレッシャーを掛けられているのに。休職を申し出ても断られた。入院も休暇も困ると言われた。2人欠く訳にはいかないと。なんだ、先にやったもん勝ちじゃん、と思った。

そして、こんな短期間で、医師看護師相談できて、私や家族心配されて、もう元気になるようなら、もう自殺しようなんて思わないなら、それは初めからしたことではなかったのではないかと思った。構って欲しかっただけなのではないか。なら初めからこんなことを起こすな。分かっている。そういうことではないのだと、分かってはいるのだけど。

こんなに負担をかけられて、ただ仕事に行って病院にいって帰って布団に入って寝ずに朝を迎えるような日々にされるくらいなら、初めから自殺成功してくれていたほうがまだよかったのではないか。そしたらもう取り返しつかないことで、諦められたのに。

あんなに一緒だったのに、ずっと遊んでいようと誓い合ったのに、こんなことになってしまって。でも、親友は今も私を好きでいる。だからむちゃくちゃにされてもう会いたくない気持ちと、好きでいてくれることに対しての罪悪感の間で揺れている。押しつぶされそうになっている。

もはや私が限界であることは、親友と同じことを起こさないと誰も心配してくれないのでは、という域に達している。

そして、退院後に私の死(或いは自殺未遂)を知って、永遠に消えない傷を付けてやろうと思っている。

あんなに好きだったのに。バランスが崩れたらあっという間。もはや恨みしかありません。

さようなら

長々書いたけど読んでくれた人がいたならありがとう

追記

そうだ、なぜこれを書こうと今日思い立ったのか。それを書くのを忘れていた。

今日半年も前から楽しみにしていた、彼氏職場関係団体旅行だった。でもどうしても行く気になれなくて、ドタキャンしてしまって、いま1人で陰鬱と部屋にいるからだった。

私は何を楽しみに生きているのだろうか。

2024-11-16

anond:20241116232850

一時期民泊トラブル問題になってたけど今はどうなってるんだろ

今の東京ホテル事情見ると安アパートとか又貸し民泊やったら儲かるんじゃないかと思ってしま

ホームルーター糞便利だな。

光回線工事構造的に厳しい糞アパート

ホームルーターしかたなく導入したんだけど大正解だった

4G時代の数年前はレビューで速度がきびしかったみたいな話があるけど

5Gになって実用レベルになった

少なくとも俺みたいなウェブ検索youtube程度では全く問題ない

こりゃ10年後くらいは一般向けはスタンダードになってると思うわ

そんで、一般人はみなホームルーターになるからアパートで有線回線廃止問題でてきそう

有線の維持費とか馬鹿にならんもんな

電波飛ばし携帯基地局と一緒にできるならそうするよな普通

でも、pingにこだわるゲーマーが困る問題が勃発しそう

未来ゲーマーは有線が売りのマンションに行かなきゃいけないみたいな時代が来るだろうな

それか未来無線でもpingが速いみたいな時代くるのかね

2024-11-15

転職が決まって心の整理をした


当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである

社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。

妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らし人間結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグ狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収正規サラリマンとして紹介することがあった。

よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜たかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。

もし、この世界エロ漫画世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である

かつては弱者だった。※弱者男性という言葉は嫌い

大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代アルバイトばかりやっており、部活サークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。

「Fの就職チャンネル」で就活生の動画ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。

さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったかである関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである年収+はなんと約200万円。

今まで、この田舎にある小さい製造会社毎日毎日機械仕様書図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。

正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間であるマジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張であるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!

今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイト登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)



そんなこんなで、この田舎最後に何をしようか思案していた。

したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。

・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食

・年に5~6回通っていた居酒屋で高級シャンパンを注文

・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード進研ゼミ中学版、ガラケー写真など)

地元中学校での文化フェスティバルへの参加。中学生以来

地元小学校のサマフェスへの参加。高校生以来

地元神社奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了

あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。

なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あん標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。

自宅の裏から繋がる山道入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵樹木が生えてる感じだった。

亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。

昭和前半の空中写真を見たら一目瞭然

今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題であるてっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。

樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。

景色の一例≫※いずれも里山。道なき道を進んでいく

https://tadaup.jp/15183559802496/

https://d.kuku.lu/83gjgt5fb



高校時代卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。

高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。

なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初最後なんだからさ。



卒業記念色紙の部員コメント

部員一同)

同人誌コレクター増田さんへ

あなた変態っぷりにはほとほと呆れるばかりでした……

大学生になっても、変わらず変態でいてくださいね

自分リッツ第一志望です。京都まで遊びに行きます

増田さんは、□△高校相川さんがロリロリで好みなんですよね!!

相川さんを是非モノにしてください

応援しています

増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです

閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです

自分もあれがほしいです。現像したの1枚余ってたらくだいね

とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!

本当にありがとうございました

増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました

冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!

自分もああい柔道、できるようになりたいです

大学でも柔道続けるんですよね。心から応援してます

増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

早く警察に捕まってください!!笑

カノジョさんともお幸せに 愛のキューピッド藤本より

ロリータ戦士 増田さんへ

あなたロリータっぷりにはびっくりでした。

あなたのそのロリータ魂を受けつぐ戦士が欲しいです。

ぜっひ増田さんにはロリータ魂を忘れてほしくないです。

ファックfuck!!fuck!!fuck!! アダルト西村

増田先輩へ

よく型の練習付き合ってくれたの感謝してます

先輩がいたので、二段の試験合格できました

今でも感謝してます

大学でもがんばってくださいね

増田先輩

お疲れ様でした!!

自分一年なんで、あまり絡みなかったです!!

けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます

いままでありがとうございました♡

柔道部監督

増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配しました。ご卒業おめでとうございますキャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください

女子マネ

・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください

・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑

・これからも今までみたいに頑張ってください



これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。

でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。



そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である

それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱テープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出であるトラウマと言っていい。

いや、大学卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である

マクドアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗から卒業である。毎年3月にある。

卒店式だけど、マクドナルドって経営店舗運営外資ルールからエリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。

それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館無料で借りて、ジュースお菓子テーブルに並べて卒店式をやる。

大学時代アルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。

当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。

そんな時、自分ひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイト社員仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。

でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。

結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。

の子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。

ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。

一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。

あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルものだった。しかし私の答えは……。

「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。

AJCCマクドナルド技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった

その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。

それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々仕事を終わらせて――いや違う、確か女性学生客がトイレゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルド終焉を迎えた。

帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)

しんみりしてしまった。

学生時代の思い出を開封するのは心理的キツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。

そんなのはちょっと想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱開封した。

そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。

その日記最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたかである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。

……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体ハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。

例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。

指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である

組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。

でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。

こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティ感触認識してるってことにもならないだろうか。

剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!

もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。

実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会のもの自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。



それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。

あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。

あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。

始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータ給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶改ざんするものである

ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。

長くなったけど、これでひと段落ついた。終わりである

長文読んでくれてありがとうな。明日から、また一増田ユーザーである

みんなの面白い日記を楽しみにしています

2024-11-14

anond:20241114021644

埼玉県さいたま市における国民民主党の比例得票率

さいたま市全体 13.55%

西区(田園地帯ニュータウンあり 地価が安い地域所得水準はあまり高くない。旧住民高齢者、新住民は若年層が多い) 10.90%

北区大宮工業地帯工場物流倉庫が多い 一部高級住宅地を含むが全体としては所得水準も治安も中程度) 13.63%

大宮区(大宮市街地。高級住宅地歓楽街の両極端。住民二極化地価は高い) 14.90%

見沼区郊外ニュータウン。安アパートが多く治安もお察し。京アニの青葉が住んでたのがここ。) 11.40%

中央区(旧与野市福祉の街。さいたま新都心があり、最近住民所得水準高め) 14.53%

桜区浦和工業地帯治安民度ともに浦和というより戸田蕨に近い(悪い)。外国人も多め) 12.85%

浦和区(旧浦和市の中心部所得水準は杉並区世田谷区より上 地価都内並み) 15.33%

南区(旧浦和南部ヤンキー地帯と高級住宅地が混在 地価は高め) 15.01%

緑区浦和の田園地帯ニュータウンも多い。治安民度もまぁまぁ 旧住民埼玉田舎DQN) 14.12%

岩槻区(旧岩槻市田舎治安民度所得水準ともにさいたま市最悪。高齢化も一番進んでいる。そもそも文化圏が違う) 10.08%

国民民主党の得票率は概ね地域所得水準と比例している。

また、住民の平均年齢が低いほど得票率が高い傾向もある。

2024-11-12

毒親から誕生日プレゼントが送られてきた

今日、絶縁を保っている毒親義母から誕生日からお菓子と書留が送られてきた。

書留には手紙が入っていて、連絡するようにと書かれていた。

当然連絡などする気はない。

あの家で、どれだけ虐げられ、利用され、保証人にまでされそうになったか、今でも忘れていない。(親戚には過去二回勝手保証人にされた)

賃貸アパート保証人に義父が何が何でもなろうとするから義母を問い詰めた。

実の両親からお金が送金されていた。

私は人質だった。

アパートから今のマンションに引っ越す時、保証会社契約できた。

新しい住所は教えていないのに、なぜか知られていた。

日本怖い。個人情報駄々洩れ。

anond:20241110112858

子無し女性病死体や老衰死体があちこちアパートから見つかって、自治体職員の人が集めて運んで直葬する時代が来るのかな。

その頃には自治体は墓仕舞いもしてるから、焼けて残った骨はバキバキに砕いて廃棄処分になる。

先に未婚の多い男性がそうなりそうだけど。

昨今のお寺の事情について

私は特にどこの宗派が好きとか檀家であるわけではなく、主に御朱印や御首題いただきにお寺巡りをしている。

そうなると様々なお寺の事情垣間見れることがあるが、やはりお寺の厳しい状況を垣間見ることもある。

まずは後継者不足である

住職高齢化も進み引退したりお亡くなりになったりするとそちらのお寺は他の同じ宗派のお寺の住職兼務したり、後が見つからなければ廃寺になってしまうこともある。

私が知っている限りでもそのような事情兼務されているご住職を知っているが、県を跨いでいたりすると双方の距離もそれなりにあり移動が大変で負担もかかる。

先日行ったお寺も元々は現在、そちらを管理されている方のお祖母様が始められたがお亡くなりになり遠くから同じ宗派のご住職を招いておられたそうだが残念ながら昨日でお寺じまいをされてしまった。

子どもなどがお寺を継ぐケースが多いがどこもなり手不足のようで、様々な事情で跡取りがいない場合がありそうなると前述の通り、他の住職兼務したり廃寺となってしまう。

お寺の収入は主に檀家からお布施であるが、最近檀家離れが進んでいるようでそうなると収入も少なくなる。

懇意にさせていただいているお寺のご住職もお子様がいらっしゃり色々とお金がかかるとのことで、お義父様がオーナーをされているコンビニで週一でアルバイトされている。

また普段一般企業に勤めながら住職仕事をされていたり、自営業をされてそちらの収入で賄われている方もいらっしゃる

お寺は幼稚園経営をされているところも多いが、近隣のお寺の幼稚園少子化もあってか2年ほど前に休園(実質廃園)となり、一部の建物以外は取り壊して現在アパート建設である

お寺は大きなところ以外はどこか近寄りがたい印象もあるが、それを払拭しようと御朱印に力を入れて凝ったデザイン限定のものを出したり婚活イベントや書展など様々な催しを行ったりと開かれたお寺を目指しているところもある。

御朱印をいただいたりご住職お話をさせていただくと色々と勉強になることも多いので、まずは色々なお寺に訪れてほしいと思う。

anond:20241112032357

外見を知らないんだよ?

想像するしかないじゃん

でもそいつ一人暮らしなことも住所も名前も知ってる

どのような外見をしているそいつが端末に書き込んでいるか想像しながら殺すという予告したうえでそいつアパートそいつの門札がある部屋に突撃していた人間を殺したなら結果としてそいつ死ぬことになる可能性は十分ある

2024-11-10

anond:20241108210619

都内だと生活保護で借りられる部屋いえば一口ih、3点ユニットバス相場が決まっていて、川越所沢など郊外でもそういうところはある。

エステートとか東京ミライエステートが売ってるアパートで、生活保護家賃で、一口ihの3点ユニットバスとかあったなあ…

23区だと1日2250円調理禁止のドヤに住むしかないこともある。

この手の物件自炊は無理やで。

やれると言うなら、お手本を示してな。

もちろん、住宅扶助範囲を超えてもいいなら、ちゃん料理のできる3点ユニットバスじゃない物件も紹介できるが、そういう物件出したら、sv側が落とすやろ。

生活指導もするなら、まずはケース対象者がどういう家に住んでるか考えてくれ。

間取り図ぐらいはcw仕事の時に見とるやろ?

2024-11-09

まれた時から生活保護を受けているうつ病

まれた時から生活保護を受けている。

正しくはわからないが、物心ついた頃にはもう我が家生活保護だったと思う。

父親母親離婚しており、シングルマザー姉妹で育ててもらった。

母は精神的に不安定な部分があり、よく姉と衝突していた。

私は他人とぶつかりたくなかったから、文句をあまりわず従っておりそのたびに母親に褒められていた。

母親によく、「私ちゃんの子どもとして次は生まれてきたいな」と抱きつかれながら言われた。気持ちが悪かった。

母にとって私は都合の良い恋人であり、友人であり、娘であったのだと思う。

保育園にはお昼寝があるが、自分だけお昼寝で眠れず、虚空を眺める日々を送っていた。

そのまま小学生になり、軽度のいじめを受けながら常に自殺することを考えながら空を見て数時間過ごす日々だった。

この頃から不眠症の気があったのだと思う。

アパート暮らしており、自分の部屋などあるはずもなく、物だらけの汚い部屋に小さな棚と机を置いて、そこで勉強していた。

姉は努力家で見た目も良く、出来がよく人気者だった。

私は努力ができない怠け者で、見た目も悪く、人見知りだった。

地方住みの貧困家庭だった為、中学までは公立の近いところに入学し、高校は”普通と違って楽しそうだから”という理由農業高校に入った。

から片道4kmほどある高校で、自転車で通っていたがほとんどギリギリの出席数だった。

高校入学の時点で、選択肢を間違えたんだと思う。

小学生から過敏性大腸症候群に悩まされていて、すぐにお腹を下し、授業中に何度もトイレに行くことが多かった。

そのことで陰で悪口を言われていたことを知ってる。しかし仕方なかった。

高校二年のとき大腸検査をしたが異常がなく、その頃に母親が通っていた心療内科を勧められた。

最悪の出会いだった。

腹をよく下すのは睡眠不足からと言われ、眠剤を処方された。

医者の口癖は「楽しいことを見つけなさい」「箸が転んでも笑える年頃なんだから」だった。

この時過敏性大腸症候群への効果は無かったが、薬への依存けが残った。

この頃からうつ病意識し始めていた気がする。

この医者には「自律神経失調症」と診断されていた。

母親お金のことは気にしなくていいか大学に通って良い、と言われた。

底辺高校だったので成績と家庭の経済状況から奨学金一種も狙えたが、そう言われたか奨学金を借りなかった。

そのまま栄養士育成の短期大学入学した。

母親は言ったことを反故にした。

入学してすぐに「あんたを大学に行かせるお金なんて無い」と言われた。

そんなことある?それなら大学なんて行かずに就職しておけばよかったと思った。

もう大学入学してしまたからにはここから行かない選択肢を選べるほど私は強くなかった。

から入ってから奨学金を借りた。奨学金二種だった。

利子が60万ついた。

私が大学に入る頃、ここで生活保護を抜けて、姉が看護師で働き出した。

親は姉に10万家に入れることを強いていた。私はあまり知らなかったが、手取りのうち10万も家に入れていたら働く気力なんて無くなると思う。

しかし確かにその期間姉のおかげで私達家族生活保護を抜けて生活をしていた。

短大に入ってからは通うのに苦労した。片道バスで2時間だった。

この頃にはうつ病の症状が重く、月~土の1限から6限の必修授業についていくのが大変で必死だった。

ただ何度も休学をしたくなったり、大学を辞めたくなった。

学校カウンセラーを利用したが、大して効果もなく、授業と授業の間に行く時間が無くなって通うのを辞めた。

栄養士として働くイメージが足りていなかったな、と今になると思う。

管理栄養士と違ってただの栄養士調理系が9割なのだ

私は勝手実験系の仕事イメージしていた。

考えなしの馬鹿だった。

勉強も苦手で努力もできないのに奨学金という借金を背負ってまで大学に行く意味がなかった。

なんとか卒業できたが、就活がうまく行かず、結局小売の接客販売業就職した。

実家からどうしても離れたくて地元以外の場所店舗希望を出したが、配属が決まったのは地元の端っこだった。

実家から店舗への距離10km以内だったからか、通勤手当が出ず、結局店舗の近くのアパート引っ越した。

その頃姉は結婚し、引っ越して家を出ていた。母は姉のことを「裏切り者」と罵った。

勿論私も実家を離れるときに散々恨み節を吐かれた。

母親からしたらそう言いたくなるかもなと思った。

ここまで話には出してこなかったが、母方の実家祖母は気狂いだ。

宗教に傾倒していて、そのことで近所の人や親戚に迷惑をかけまくっていた。

昔の人だからいたこともなく、祖父お金だけで暮らしてきた人だった。

私は祖母友達の家に遊びに行っちゃ駄目と言われたり、祖母たまたま私が友達の家に入っていくのを見ていたらしく、勝手友達の家に侵入してきたことがあった。

ホラーだった。この時の友達の家の人に警察に行かれなかっただけ良かったと思う。

こういう人だから、いつ学校不法侵入してくるか怖くてたまらなかった。

中学の時に祖父が亡くなり、母の精神さら不安定になり、苛烈だった母は弱い人間になってしまった。

母にとって唯一頼れる身内が、祖父だけだったからだ。

からより子どもに依存するようになったのだと思う。

母には妹がいたが、関東に住んでおり、祖母の面倒を見れる状況ではなかった。

そのため今も母は祖母の世話に苦しんでいる。

から祖母の世話を任せっきりにされている母が親族を恨むのは当然だと思った。

話を戻す、新卒で入った店舗は、パワハラセクハラが横行するブラックだった。

ドラッグストアだったのだが、笑顔と声のトーンで厳しく言われ、なんでこんなこと言われなきゃならないんだと思って何度も泣いた。

エリアマネージャーは客の前で上司を怒鳴るし、上司も客の前で私を叱った。

また、登録販売者資格入社した年に取れないと晒し上げにされるようだった。

月一で勉強会が開かれ、その度にテストをした。

その結果は上司に送られる。

そこで結果が悪いと、休憩時間休日店舗強制出勤させ、勉強をさせられた。

家に帰ってもずっと勉強をしていた。

私は馬鹿記憶力も悪く毎回テストの点数が悪く、その度上司から叱られた。

仕事の中で棚の整理(商品がばらついてたら綺麗にする)があったのだが、遅すぎて叱られ、仕事で出来ないことがあるとその度バイト大学生と比べられることが多かった。

社員なのにバイトと比べられることがとにかく嫌だった。

店長は2つの店舗兼任しており、ほとんど私のいる店舗はいなかった。

店舗にはパワハラをしてくる上司二人と私だけがいる状態だった。

二ヶ月ほど経って、精神限界に達し、出勤できなくなった。

出勤しても上司に「その顔は何?」と言われ(普通の表情をしていただけなのだが、笑顔でいないと気に食わないらしい)、少し調子が悪そうにすると「体調悪い状態でいても迷惑から休むなら休むで帰って」と言われるようになった。

後者はその通りかもしれないが、私は「冷たいな」と感じてしまった。

期待するな。

まり覚えてないが、3ヶ月目には上司に辞めることを伝え、店長を交え泣きながら辞める理由を伝えた。

こちらは主にパワハラや、店長がいなくて相談できなかったことを伝えたつもりだったが、店長は「バイトと比べられるのがイヤねぇ……」そこに引っかかっていた。

「ああ、この人たちとは話が通じないんだ」と思った。

仕事を辞めた。新卒カードを捨てて3ヶ月だった。

すぐに転職をした。医療事務だった。

院内いじめが横行しており、手取り13万でやることが無いか聞いてから動いているのに「やること聞いたりしなよ」と院長に言われ、毎日全身に湿疹が出て、連日救急にかかってやっていけないと感じ、3日で退職した。

辞める日は、全員がいる前で辞めることを言わされた。公開処刑だなーと思った。

ここから1年ぐらい実家ニートをしていた。

生活費はカードローンを借りて自転車操業でやっていた。実家にいても生活費は無いのだった。

その後生保護を受けることにした。

実家にいても親と二人で改善に向かわない、地獄のような蠱毒暮らしてるだけになってしまうから

生活保護は案外すんなり通った。

そこから生活保護を受けながらアルバイトをした。

その頃は「うつ病」ではなく「自律神経失調症」と言われていたので、就労不可が降りなかったからだ。

しかメンタルが安定せず、長く離れていた父親と同居することにした。

ここで生活保護を抜けた。

2年ほどだった。

父親と同居が始まってしばらくは良かったが、突然姉と叔母が家に来て、私を社会復帰させるための会議が始まった。

毎日家事をこなし、毎日2時間以上の外出をし、就労支援事業所に行き、アルバイトをし、など様々な条件を出された。

居候立場だったから断れなかった。断る権利がなかった。

叔母の金で病院を変え、二万以上かかる謎の脳波検査統合失調症か、躁鬱か、ADHDか、うつ病判断する検査をした。

うつ病だった。

そこから新しい病院で大量の薬を出され、過ごすことになった。

その後3ヶ月ほど姉たちに言われた通りの生活をした。

結果的に私は自殺未遂をした。

希死念慮がひどく、気持ちとは裏腹に体が勝手ベランダから落ちようとするのだ。

海が近くにあったから、海に沈もうとしたこともあった。

流石にそのことを姉たちに打ち上けた。

ひどく失望された。

これ以上ここにはいられないと思った。その頃父親女性と毎晩会っていることを感づいていたこともあり、余計に居づらくなった。

私は逃げるようにまた生活保護申請した。

通った。

生活保護を抜けては申請し、抜けては申請する人間になっていた。

色々あって、結果的新卒会社を辞めてから大雑把に空白期間が7年経った。

メンタルは良くなってはおらず、悪化してからずっと現状維持状態が続いていた。

外に出るとたまになにもないのに涙が出た。家の中にいても不安で、スマホyoutubeを流して横になっていた。

最近になって急に働こうと思いたち(今思えば究極の躁状態だったのだと思う)、フルリモート営業を二ヶ月だけやった。

何故二ヶ月だけかと言うと二ヶ月で切られたからだ。私が無能だったのかもしれないが、ベンチャー企業だったこともあり、経営不振での派遣切りだった。

全部メールチャットでの対応だったため、4時間ほど働けば残りの4時間は寝ていても気づかれないのだ。そういうところも駄目だったのかもしれない。

時々寝坊もした。社会不適合者過ぎた。

下手に二ヶ月ほど働いたため、二ヶ月だけ保護費を大きく超える給料が入り、現在保護停止状態で、国保医療費を払っている。

ちなみに稼いだ金は二ヶ月で合計35万ぐらいだ。一ヶ月の生活費が13万のため、9万ほど手元に残る予定だった。

ここまで話していなかったが、実は私は今猫を二匹飼っている。経緯は省くが、知人から預けられた。

猫のうち片方の歯が突然抜け、病院に行ったら歯周病治療費がちょうど9万だった。

たまたま働いていたからなんとかなったものの、働いていなかったらどうにもならなかった。

偶然に助けられた。

正直自分の世話もまともに出来ないのに何故猫を飼っているのかよくわからない。

だが大事な命だからいつまでも健康に生きて欲しい。寿命まで面倒を見たいと思っている。

不要不急の出費がなければ通常猫にかかる費用人間に比べたら大したことなかった。

でも働いていなかったら?どうなっていたかからない。まぁ多分病院に分割返済を頼んでいたのだと思う。

話は変わるが、中学の頃から仲良くしている友達が、30までに結婚できなかったらルームシェアをしようという話を出してきた。

現在28から。残り2年だ。

欲が出た。

ルームシェアをしたいと思った。

ただそのためには生活保護はいけないし、貯金100万以上ないと引っ越しは難しい。

私は焦りだした。すぐに働かなければいけないと。

100件ほどエントリーしたと思う。面接は30件強したかな。

どこも受からなかった。

クローズ就労ほとんどだったが、一つだけ応募した障害者雇用も、3週間ほど時間をかけて待機させられたが有耶無耶になって見送りになった。

選ばなければ仕事はあるだろう。介護とか接客業とか色々。

でも続かなければ意味が無いし、自分が甘えた考えの障害者だと思ってるから応募していない。

色々な企業から引っ越せば仕事があるとは言われたが、猫がいるので転居費用が出ず、無理だった。

このまま一生働くところも無いまま生活保護に甘えて生きていくのかなと思った。

今の医者には働くことは難しいと言われてるし、自分も外出ただけで意味もなく不安になり泣く病気なのでやっていける気がしない。

だけど金が欲しい、ルームシェアがしたいと思い、仕事を応募し続けている。

派遣事務常勤だが、受かれば働きたいと思っている。

7年の空白期間はでかすぎた。

正直夜職やチャトレも考えたが、夜職に関しては見た目が悪くデブ喪女なので無理だしチャトレもそうだが職歴に書けないものはやっても意味がないのだ。

そもそも精神不安定自分ができると思えない。世の中の働いてる人間は凄い。

田舎なのでまともなB型A型作業所もなく、求人もなく、就労支援事業所も無い。

もう諦めるしかないのかな。

就労支援事業所バスに乗れば通えるが、何度も言ってる通り外出すると精神不安定になる。

それを考えると何もかも駄目だと思ってしまう。

フルリモートで働きたい。電話はできなくは無いが、コールセンター的なところに勤めたことが無いから続けられるかわからない。

生活保護停止がいつまで続くのかは知らないが、この状態病院に行くことを考えると不安で無理をしたくない。

ニュースを見ると手取りが減るやらなんやら書かれてるしより不安を煽るな、と思う。

障害年金3級があるから2ヶ月に1回14万入る。だから手取りは多少低くても大丈夫だが、流石に手取り10万となると少し厳しい。

13万以上は欲しいと思うのは贅沢なんだろうか。

何か今更手に職をつけたほうがいいのか、と思わないこともないがその努力勉強もできないから今の自分があるんだと思い手が止まる。

駄目人間だ。

本当に毎日飯だけは人一倍食い、糞して寝る。ウンコ製造機だ。

生きるだけなら生活保護生活できる。

だけどそこから抜けて貯金できる生活をしたいと考えると途端何も出来ないと泣くだけの無能女が表に出てくる。

親も貧乏だしほぼ絶縁してるし頼るという考えはまず無い。

というかこの状態でいてもそのうち親の面倒を見なくてはならなくなるのではないか未来のことを考えると憂鬱になる。

隣の芝生は青いというが、

毒親田舎環境が悪い、無能デブス、

せめてどれかはまともであれよと願ってしまう。

ダイエットをしたいが飯でしかストレスの発散ができない。睡眠欲も性欲も無いのに食欲だけはどれだけ体調もメンタルも悪くても人一倍はあるのが笑える。

糖尿病と診断されており、好きだった白米も食べれなくなった。まあそんなに制限してない。ソーセージなどは控えてる、程度だ。

正直どうにでもなれと思いUber Eatsを使って贅沢して飯を食い自己嫌悪する日々をここ最近は送ってる。最悪だ。何やってんだ。

本当にどうしよう。

恐らくここから辿った未来が少し前ネット流行った「美緒48歳」なんだと思う。

美緒、あと20年でお前に追いつくぞ。

世の中のうつ病金無し人間はここからどう働くんだ

誰か教えてくれ

2024-11-07

トランプ氏に投票した人たちの声

r/Trump より

(注:ここのサブレルールトランプ批判禁止。つまり支持者しかいません)

投票した理由が書いてありそうな真面目なスレを拾っています

 

トランプ投票してバックラッシュにあってる

スレ主)

生きている家族はもうあまり残っていないけど、残った家族も私に腹を立てて絶縁されちゃった。彼ら曰く、経済悪化するし女性としての権利はなくなるって。とにかく参っているわ。私は「トランプ投票した」としか言っていないのに。

 

前回、トランプ大統領になったときは、ガソリン食料品も買えた。ヴァージニアに住む余裕も今のところどこにもない。誰かがこのバイデン引き起こした混乱を解決しなければならない。コンスタントに働いて自分お金を稼ぐのが恋しいけど、今は娘が就学するまでは専業主婦よ。私たちのためにがむしゃらに頑張る夫を見続けるのはもう嫌なんです。週40時間以上働くなら本来そんなに苦しむ必要はないはずでしょ。育児にはお金がかかるし、あらゆることにお金がかかる。いつかより良いポジションで働けるように、学位取得を目指して働いているの

 

誰か、私がおかしいんじゃないって言ってよ!前回はもっと良かったんだよ。そうでしょ?ここが精神的な支えにふさわしいサブだと思ったんだ、笑

(+648)

 

私の娘と彼女大学ルームメイトトランプ軍隊を使って彼らを追い詰め、避妊拒否し、ゲイの友人を監禁するつもりだと一日中部屋で泣いています。この狂気はどこから来るのだろう?彼女たちは皆来年には科学教育数学学位を優秀な成績で卒業する、とても知的女性たちなんです。彼女たちが何をそんなに怯えているのか、誰か教えてください。

(+64)

返信:

もしトランプがそんなことをするつもりなら、どうして1期目でやらなかったんだ?

この人たちの頭お花畑な考え方(mindset fantasy land) は理解できないよ

(+40)

 

17歳だけど投票してくれた人に感謝しま

スレ主)

17歳ですがトランプ投票した全ての人に感謝しま

大人になり、これからの4年間を成長するため真のアメリカ人が立ち上がり、私の英雄トランプを選んでくれたことをとても嬉しく思います。これから経済はよくなりまた働きやすくなり、素晴らしい統一国家樹立するでしょう。トランプ投票した真の愛国者の皆さん、私は投票できなかったので、感謝気持ちでいっぱいです。あなた私たち若者のために自分役割果たしてくれました。私の国、私の本当のアメリカを誇りに思います

(+294)

 

私も同じです。17歳だけど国に未来があることを望んでいますトランプ私たち未来を与えてくれるでしょう。平和繁栄の次の4年間を楽しみにしています 🇺🇸

(+8)

 

何で負けたのかあいつらには決して解らないだろう

私たち国境解放を望んでいない。私たちは何百万人もの不法入国者蹂躙され、取って代わられることを望まない。外国人ギャングに町やアパートホテルを乗っ取られたくない。インフレはごめんだ。バイデノミクスはいらない。子どもたちが学校や「メンタルヘルス専門家」によって洗脳され、オッパイ性器を切り落とされるのもごめんだ。私たちはお前らのトランスデタラメを望んでいない。代名詞もいらない(訳註:性的マイノリティは they/their といった代名詞をBioに記載します)。ドラッグクイーン学校読み聞かせをするのもいらない。女性スポーツロッカールームバスルーム男性はいらない。言論の自由を抑圧されたくない。私たちキャンセル文化を望まない。終わりのない戦争はいらない。ウクライナに何十億ドルも送りたくない。白人至上主義者やナチスと呼ばれたくない。多様性(DEI)の雇用も望まない。何百万人もの赤ん坊を殺せるようにしてほしくない。リベラル戯言は一切いらない。

 

君らは異常者だ お前らは変人だ。お前たちは変人だ。お前たちはゴミだ。民主主義を脅かすのは、1票も得票しなかった候補者だ。トランプ投票から排除しようとするお前こそ民主主義への脅威だ。お前らは政敵暗殺しようとし、トランプが生き残ると泣く。政敵を投獄しようとする。

我々はアメリカを取り戻し、再び偉大になるのだ ( WE TOOK AMERICA BACK AND WE WILL BE GREAT AGAIN.)

 

 

トランプ政権24時間以内に・・・

Within 24 hours under Trump…

 

スレ主)

トランプ政権下で24時間以内に...

これが彼を選んだ理由

 

 

長らく民主党支持者だったけどトランプ投票した

今年、私は初めてトランプ氏に1票を投じた。私は生涯民主党所属し「団結 」と 「国民のために働く 」という公約を信じていた。しかしここ数年のトランプを見てきて、彼が口先だけでなく実際にアメリカのために戦っている唯一の指導者であることは明らかだ。他の人たちが空疎な話に忙殺されている間に、トランプ雇用を取り戻し、国境を守り、中国に立ち向かいアメリカ労働者を優先させるために大胆な行動を起こしている。たとえメディアエリート極左対立することになったとしても、行動を起こすことを恐れない政治家を見るのは、正直言って新鮮だ。

一方、現実カマラハリスに取って代わられたたらどうだろう。完全に悪夢だ。彼女は急進的な共産主義イデオロギーにどっぷり浸かっており、彼女リーダーシップ選択肢の1つだったと考えることさえ恐ろしい。カマラビジョンは、過剰な規制成功への罰、アメリカ経済の息の根を止める極左アジェンダ推し進めるという大失敗だっただろう。彼女のもとでは、私たちお役所仕事に溺れ、政府管理下で息苦しくなり、その一方で彼女象牙の塔から私たち説教するのに忙しくなるだろう。彼女は平均的なアメリカ人ことなど気にしていない。彼女が気にしているのは、急進的なエリートサークルと、アイデンティティ政治社会主義計画に執着する彼らのことなのだ。

 

トランプは、この国が築かれた価値観のために実際に立ち上がっている唯一の人物だ。彼は堂々としていて誇り高く、中国でも国連でもそして間違いなく急進的な左翼でもなく、アメリカが誰にも屈服することを拒否している。私は生まれて初めてトランプのおかげでこの国の未来純粋希望を抱くことができた。彼は権力地位のためではなくすべてのアメリカ人のために戦い、その過程で誰を怒らせようとも気にしない。

 

今年トランプ投票したことは、アメリカへの投票であり、強さへの投票であり、自由への投票であり、常識への投票であると感じた。2024年、そしてその先も、私は皆さんとともに立ち、誇りを持って彼を支持します。

 

 

涙が出てきた。僕は黒人トランプが勝って本当に嬉しいんだ・・・ 泣いてくる

Y’all😭 I’m actually about to tear up. This is a beautiful day❤️🫶🏾 IM BLACK AND IM SO GLAD TRUMP WON YALL….. IM GONNA FUCKING CRY😭

スレ主)

やったぜ。そしてドナルド・トランプ投票した仲間の黒人たち。君たちを誇りに思うよ!民主党奴隷プランテーションメンタリティから抜け出したんだ💯 僕は君たちを信じていたよ❤️💕 ここからは上がるだけだ! (+2.3k)

 

ミシガン州黒人女性がここにいるよ!私もめちゃ嬉しい!民主党プランテーションから解放されて最高でしょ?お前らのクソ綿花はお前らで詰めよ

 

 

トランプ投票した全ての人へ

To those who voted for Trump

トランプ投票した皆さん、ありがとう。主流メディアの嘘に惑わされず、見出し鵜呑みにせず、批判的な思考を持っていてくれてありがとう。今回の選挙は少数者の団結ではなく全員の団結を選ぶ、私たちの生涯で最も重要選挙でした。民主党はよくやるように分裂キャンペーンを展開した。民主党の目には私たち白人であり、黒人であり、ヒスパニックであり、トランスであり、ゲイであると映る。アメリカ左派民主党によって分断され、LGBT民族的アイデンティティと引き換えに、アメリカ人としてのアイデンティティを忘れさせられてしまった。私はアラブ系アメリカ人だが、民主党左翼が何を言おうとも私はたまたまアメリカに住んでいるアラブ系ストレート男性に過ぎなかった。トランプアメリカでは私はただのアメリカ人だ。彼らは私たちの団結を消し去り、アメリカ文化を消し去ろうとして失敗した。女と男、老人と若者白人黒人ヒスパニックアジア人ゲイストレート民主党レッテル貼りに執着し、私たちが皆違っていて共存できないかのように分断する。彼らは多数派を分断しようとしている。私たちの子どもたち、教室政府を、分裂させるようなレッテル汚染し、アメリカの結束を壊そうとしている。私たち共存することができ、アメリカ人として団結している。肌の色、セクシュアリティ宗教民族関係なく、私たちは皆、憲法に生きるアメリカ人であり、憲法私たちの国を全力で守り続ける必要があるのです。アメリカ人のために投票した7400万人以上の皆さんに感謝します。

anond:20241107112246

俺は山に籠って暮らしたかったけど自然が嫌いすぎて杉並の安アパートで満足しているやでという話

2024-11-06

東京一極集中が進むと子供作る気しないよね

狭いアパートで犬、猫飼いますか?

人間も一緒でこんな狭いとこで無理だってなる

2024-11-04

anond:20241104191331

いやなことばかりに心を割かずに、好きなこと楽しいことに時間を使ってみればいいと思う。

とはいえ、都会のアパートの部屋の中だと好きなこと楽しいことなかなか難しい。外に出てみれば花の匂いもするし、セキレイヒヨドリジョウビタキシジュウカラとか結構可愛いし、スズメツバメカラスだって結構かわいい地方へいって地元食堂とか行ってみると滅茶苦茶おいしい食事にありつけることもある。イトヨリの煮つけとかカレイ干物とか地元だと別に珍しくなかったりするけどめちゃおいしいとかある。

ある程度能動的に選び取っていかないとゴミに埋もれるのはネットの中も外も同じ。

anond:20241102144721

大学生の久能整(菅田将暉)は、朝から自宅アパートカレーを作っていた。そこにアパート大家が大隣警察署刑事、薮鑑造(遠藤憲一)と池本優人(尾上松也)を連れて現れる。昨夜10時の行動を薮に問われた整は1人でカレーを作っていたと答えた。すると薮は付近公園寒河江健(藤枝喜輝)の遺体発見されたことを整に伝え、警察署任意同行を求めた。

整は薮、そして青砥成昭(筒井道隆)の聴取を受ける。公園殺害された寒河江は整と同じ高校出身で同じ大学に通っていた上、寒河江殺害された時刻に整と争っているのを見た目撃者もいるため、整は容疑者となっていたのだ。だが、薮たちの追求に整は淡々と無実を訴える。目撃情報もはっきりと自分だと言えるのかと理屈を並べて返して行く。

引っ越し先を探して、町を歩いている。こんな風にして町を歩くのは久しぶりのことだ。空を見上げ、風を感じ、誰のことも考えずに歩く。気ままに右に曲がったり、左に曲がったりしながら、ここが自分の町になるかもしれないと考えると、見慣れない建物や道にも一種の親近感が湧いてくる。

 

ふと目を引く建物がある。鉄柵のポーチがついた古びたアパートや、整然と並んだ低層の集合住宅、どれもが美しく見える。好きな町にある建物はどうしてこんなにも魅力的なのだろう。小さな窓が規則正しく並ぶのを見ているだけで、そこに暮らす人々の生活ほのかに透けて見える気がする。洗濯物を干す手、犬と散歩に出る後ろ姿、夕方に窓辺で本を読むシルエット。どこかの階段を登り、無作為に選んだ一部屋のドアを開けてしまえば、そこに新しい人生が待っているんじゃないかと思えてくる。

 

でも、そんな風にして家を探す一方で、今住んでいるマンションを手放すことを考えると、どうにも勇気がいる。しっかりとした木の床、いつも心地よい明かりが差し込むリビング愛着というのは気づかないうちに体に染み込むものだ。ローンという重い鎖を解くことができるはずなのに、それで得る開放感が、必ずしも心地よいものとは限らない。ローンが消えても、その代わりに家という物理的な存在が失われるという事実が、妙に僕の心をざわつかせる。家がないということは、いわば自分の居場所がどこにもない、そういう気分にさせるからだ。

 

僕たちは財産という形で所有するものに縛られているのかもしれない。家という存在が持つ重さ。それがローンの重さと一緒に消えるとしても、そこで何か大切なものまで手放してしまうような気がして、なかなか決断がつかない。

2024-11-03

anond:20241103171009

そうやって老人向けのアパートを作って

老人ホームとしてじゃなく訪問介護として介護報酬請求してて

それが締め付けられたのが今の介護倒産ラッシュじゃなかったっけ

2024-11-02

anond:20241102190735

ワイは同じアパートに16年住んでるけどゴミ捨て場マナーは年々悪くなってると感じるやで。

首都圏に単身で住むのが一番コスパいい社会ってヤバくね?

物価体感以上に増加してるのを実感するのは住宅と車とスマホだと語っている増田を見て思った

首都圏でも単身世帯用のアパートほとんど値上がりしてない、実感としても、俺が6年くらい住んでるアパートがようやく別の部屋で3000円値上がりするくらいだ

あと鉄道バス代も首都圏では全く値上がりしてない、ガソリンや車の値段が20年で倍近くなってるのと比べたら異常とも言える

よく「東京に住むのお金かかりすぎてつらい〜」みたいな泣き言が見受けられるようになったが、簡単なことである 結婚子供と広い家と車を諦めて、公共交通機関でどこでも行ける立地の6畳1間で一生ゲームしてYouTube見て遊んでればええねんな すでにガキこさえた奴は知らん

っていうとこまで考えてなんでこんな人口再生産と対極に位置するライフスタイルが一番効率的になってんねんおかしくねとなる 普通逆やろ なんでこのインセンティブ設計放置したまま金だけバラ撒く現状が良いものとされてんの?

みんな衆院選挙でキャッキャしてたけど根本的な制度設計からミスってんだからどこが政権取ろうと社会本質的な変化なんて訪れねえよ

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