はてなキーワード: オリジナリティとは
アイドリッシュセブン、アイナナというコンテンツを知ったのは、好きなキャラにとてもよく似ている子がいる、という周りの声からでした。
それは決して「パクリ」と断罪するものではなく、むしろ好意的な喜びの声だったんです。好きなキャラに似ている他の作品のキャラに惹かれる、これは最近あまり珍しいことではないように思います。自分の好みを「性癖」「属性」などの言葉で括り、そこに当てはまるキャラクターに出会ったら「好きになれるかも!」と新しい作品に飛び込んでいく。好きになった歴代のキャラクターを並べて自分の好みって分かりやすいな〜と思ってみたりする。私も覚えがあるし、オタクならほとんどの人がそうだと思います。
どこかなにかがいつかのあの子に似ている。それがきっかけで、キャラや作品を好きになること自体はとてもありふれている。今。
アイドリッシュセブンは、それを肯定していた。
今糾弾されている(もう一応の区切りは見えつつあるのか?)アイナナに対する疑惑は複合的です。
2.カードの構図が他作品のそれと酷似している(関連してトレス疑惑も浮上した)
この二つを、コンテンツ全体のオリジナリティへの疑問に集約してしまうのは少し雑じゃないかって思っています。
つまり、男性アイドルものという飽和しかかった市場で、アイドリッシュセブンはそもそもオリジナリティで勝負しようとしてなんかいなかった。それぞれの好みや性癖に沿って流動するオタクの甘えを当たり前のものとして受け入れた結果、出来たものが今私たちの目の前にある「なんか見たことある誰か」なんだと思います。
アイドリッシュセブンの目指すものがどのレベルなのか。世に出た瞬間からそれはあまりにも分かりやすかった。はっきり言うとオリジナリティを捨てている時点で、最近流行りの音ゲーアプリで一山当てよう!程度のコンテンツに見えました。誰かに似ていることをむしろ興味を持つきっかけにしてくれるような、ハッピーな消費者を対象にしたお気楽なコンテンツ、それで良かったんです。
シナリオがいい、プレイしてみるとオリジナリティを感じるようになる、そんな声は実際周りから聞こえます。…いや分かる。アイドルっていいよね。キラキラして一生懸命でドラマがあって、見ていると本当に生きる活力が湧いてくる。アイナナのキャラクターにもそれぞれのドラマがあって、尊さを感じずにはいられないのでしょう。分かる。やってないけど。分かる。だってそれがアイドルだもん。分かる。ほんとそれ。
ただどうして私がプレイしてもいないくせにこんなダラダラと面白くもない文章を書き綴っているのかというと、先に書いた疑惑2を、疑惑1を論ずる材料にされることに怒っているからです。そうなんですもうめちゃくちゃ怒ってる。アイナナが大なり小なり先人のコンセプトを模倣して作られた作品であることを熟考せずアイナナに飛び込んでおきながら、疑惑が出た途端に手のひらを返してナイフと火炎瓶を持ち出した「元」アイナナファン、お前だよお前、そこのお前ら。アイナナが誰にでも分かるくらい他作品切貼りのその場しのぎB級コンテンツだということに気づかずプレイしていたことをまず恥じろそして黙れお前のセンスが悪かったんだ御愁傷様誰にでも失敗はあるんだから好きでいたいとかほざいてないでさっさとお前を甘やかしてくれるコンテンツに流れればいい。
だから、お願いだから、うちのアイドルをこれ以上切り刻まないでください。
765プロの、315プロの、シンデレラガールズの、私の大切なアイドルたちを、被害者扱いするのをやめてください。
アイドルマスターのアイドルたちを、ユーザー以上に愛し、作ってくれている運営に「お問い合わせ」するのをやめてください。彼らクリエイターの愛をアイナナへの糾弾に利用するのをやめてください。
アイマスPの課金はアイナナファンのお問い合わせ対応に割く人件費ではありません。
アイドルが好きです。
アイドルマスターが好きです。
どこかの誰かが同じポーズを取っていたってアイドルマスターのアイドルたちの輝きは彼女ら彼らのものでしかなかった。
だからこそ、元アイナナファンが運営を責め立てる材料に「ラレ元」や「ラレ元のファン」を使うときに一番怒りが湧きます。
他人を気遣うふりをして、自分は良識のある人間だと言い張るために他人を被害者呼ばわりしないでほしい。私と、私の事務所にいるあの子達は何も失ってなんかいない。
「ラレ元」?そんな言葉でオリジナリティを尊重してる気になっているなら、オタクなんかやめてしまえ。
この件で実際に悲しんでいるPがいるのは分かります。それは否定しません。
でもその悲しみをこれ見よがしに火炎瓶に投入するやつがいるなら、その悲しみに意味はないと私は思います。
自業自得でありながらアイナナに失望したと嘆くチンピラは、同情するふりをしてアイドルマスターを素材扱いし、切り刻み、他人の良心でナイフを研ぐんです。
「アイドリッシュセブン」、通称「アイナナ」をご存知だろうか。
iOS、Androidで一年ほど前から配信されているソーシャルゲーム、それがアイドリッシュセブンだ。
近年人気ジャンルの一つになった「アイドル育成ゲーム」であり、そしてそのアイドル達が実際に歌う曲をゲーム中でプレイする、俗に言うところの音楽ゲームとして宣伝されてきた。
豪華声優陣が演じるフルボイスストーリーも売りの一つで、着実に人気を得ていたアプリゲーム。
この記事を書いている私も配信当初からプレイし、アイドル達の物語に一喜一憂し、トラブルにも負けずに前を向く姿を応援していた。
グッズは購入しないけれどその分アプリに課金して、とにかくハマっていた。
最初は暇潰しに丁度いいや、と軽い気持ちだった。それがフルボイスのストーリーに触れ、追加されるカードイラストが見せる表情や動きに次第に傾いて行き、気付けば暇潰しどころか毎日の空き時間や睡眠時間までも削るゲームになっていた。
「でも、楽しいし推しのイラストは可愛い。ゲームも楽しい。睡眠時間もお金も惜しくない」、そう言ってゲームを続け、何かあればゲームに逃げ込んだ。
推しは運営にも愛されている。だってカードを定期的に追加してくれるし、ストーリーでキャラを崩されないし、誕生日だって祝ってくれた。
アイナナにはキャラの誕生日ガシャというものがあって、そのガシャでは「誕生日のキャラのカードしか出ない」という仕組みだ。アイナナのガシャは普段なら候補生といって、所謂モブのRカードが平気で排出される。
他のゲームでいえば、フレンドポイントなどで回せる無料ガシャで出てくるようなカードが課金で回すガシャで出てくるといった具合。
それが一切出てこない上に、大好きなあの子のカードしか出て来ない。日々課金しては出てくるモブに辟易していた私にとって、まさに「神のようなガシャ」といえた。
そうすればユーザーは「運営ありがとう!」と感謝するし、確実に欲しいキャラを手に入れられて苛々は霧散して、自然と好感度が上がった状態になるのだ。
仮にその後のガシャを回しモブが出て来ても、ユーザーは「また次の誕生日ガシャがある。もしかしたらその前に何か特別なガシャがあるかもしれない、あんなガシャを開催してくれるんだから希望はある」と勝手に自分で自分を納得してくれるのだ。
言い聞かせ続ければユーザーはいつの間にか思考を停止するし、そこにトドメのように事あるごとに課金アイテム(石)を与えておく。
アイナナは同じSRを特訓(合成)すれば、上位レアのSSRになる。更にSRもRの合成で持つことが出来るカードがある。故に他のゲームより、課金が出来ない学生の割合も多かった。
そんな中課金アイテムを多く配布したらどうなるか? 簡単だ、優しい運営を崇拝するようになる。
課金している人にも石の足しになり、当然文句を言う人は少ない。
CDを出せば必ずランキング、CDTVの話題などを公式アカウント――それもゲーム中に実際に出てくる大神万理というキャラが言っているようにツイートすることで、更にユーザーはいかに運営がアイナナを大切にしてくれているのか!と感動する。
不定期だがプロデューサーレターというものもあり、ユーザーはより一層「このコンテンツは私たちが育てた」と優越感に浸れる。
私もそうだ。日々の仕事で疲れ果てていたのを、そんな気持ちを抱くことで誤魔化すことが出来た。
アイナナは最高だった。曲追加もストーリー追加も遅く、待ち飽きる時間だって楽しみになった。推しのカードが出るならそれくらいいいとさえ思っていた。
私はTwitterもやっていて、そこではアイナナ好きの人とも他ジャンルの人とも繋がっていた。布教はしなかったが毎日何らかのスクショをアップし、公式からの告知をRTしては「可愛い!」と言う。
アニメ化も決まった。冗談抜きで泣き崩れたし、フォロワーと喜び合った。楽しかった。
その日も仕事帰りの疲れの中、Twitterを開いた。私は電車の中で思わず声を出しそうになったくらい驚いた。
アイナナが炎上している。他ジャンルメインの人が特に苦言を呈しており、カードのキメラトレスや構図パクだと訴えかけるツイートが回ってきた。
更にキャラの設定パクを纏めたwikiまで出来ている。恐る恐る覗いてみると、そこには私の大好きなキャラの被り点を指摘する記述が並べ立てられていた。
私は何とか空いた席に座ると、スマホを片手にしばらく放心した。身動きが出来なかった。
ソシャゲ以外に疎かった私は「そのジャンルはアイナナの後に出たんじゃないのか」と、怒りで頭を真っ赤に染め上げてすぐに検索を掛けた。
……もう5,6年は続くジャンルだった。対するアイナナは一年。おまけに原案は、その長寿ジャンルの同人誌を書いていたこともあるらしい。
設定であげられていたジャンルだけじゃない。某アイドルゲームが好きなフォロワーさんが怒っている。
アイナナ繋がりの人は皆黙するか、知らぬ存ぜぬという素振りでツイートをするか、「こんなのありふれてる!」と言う人がほとんどだった。情けないことに、私も運営を信じてしまった。
するとひとりのフォロワーさんがこういった。
「私がこの子をずっと応援してきたのは、その子がアイドルとして輝く姿を見る為だ。最初は出番が少なかったけど、必死に出番を貰えるようにお金を入れてきた。全てはアイドルとして未来で笑って欲しかったから。
このゲームのカード制作の手間を減らしてやるためでも、素材を提供してやる慈善でもない。ステージで輝く姿を馬鹿にしないで」
輝いてほしい。アイドルとしてステージで誰よりも素敵になった姿を見たい。だから応援するし、お金も入れた。
…………それじゃあ、今私の手元で笑顔を見せるこの子のカードは何だ?
見れば見るほど似ていた。この笑顔もステージ上の姿も、この子であるはずなのに決してそうではない。あろうことかキャラを構成する骨組みでさえ、よそからつぎはいだものだという。
私の大好きだったアイドルは、他のジャンルの人達がずっとずっと応援してきたアイドルを平気で横取りした材料で生み出された?
ぐるぐるする頭で考えていた私の元に更なる衝撃が飛び込んできた。根岸綾香の問題だ。
アイナナに登場する如月あると。それが根岸Pが自己投影しているキャラクターだ、というツイートだった。
アイナナで「あると」と言えば、「如月あると」という人気女性アイドルという設定のキャラクターだ。
この「如月あると」は、2(キャラ名は一応伏せておく)とゲーム内ストーリーで共演し、公式ノベライズでは撮影現場でも仲良くしており、「ある坊」と呼ぶ程親しい仲なのだとも言われている。
根岸PのTwitterアカウント名が「あると」であること。アイナナ関連の(恐らく製作に関わる重要な)情報をツイートしていることから裏付けが出来ると、スクリーンショット付きで流されていた。
なんで?私がお金を払っていたものは他の人がたくさんの愛情を込めたコンテンツを平気でパクったものなの?ゲームプロデューサーの夢小説ってどういうこと?
グッズについても言及する声があった。やはりそちらも類似しており、眩暈がした。
それでもツイッターのアイナナ好きは意見を変えない。寧ろおかしいと声をあげることを赦さない、異様な雰囲気のままTLが流れていた。私は先ほどの訴えと根岸Pの件を耳に入れ、ようやく決心した。
アイナナに課金するのは様子を見よう。そして一度運営に問い合わせよう。
大丈夫だ。あれだけキャラに愛を持っていた運営だ。ユーザーに優しいツイートを流し、プロデューサーレターまで用意する様な彼らなら、誠意ある対応で今後も安心して遊ばせてくれるはず。
そんな期待もあった。私は運営にメールを送り、調査を待った。何の根拠もなく調査してくれると思い込んでいた私の元に、翌日返信が届いた。
内容は典型的な挨拶、それから「そのような事実はない」という否定。
……調査は?と思った。ツイッターを開き検索すると、同じような内容が返ってきたというツイートを見かける。おまけに課金していないのに勝手に代金を請求されるという「課金エラー」も起きており、早急な対応をするべき問題にノータッチ。
愕然とした。どうして?なんで?あんなにキャラを、ゲームを大切にしていたなら、ちゃんとするべきじゃないの?
「本当に大切ならその子固有のポーズや表情を考える。その子だけの煌きの一瞬を切り取るはずだ。アイナナは、そうじゃなかった」。
私はあれだけ熱に浮かされ、運営を信じ込んでいた頭が一気に冷えて行くのを感じた。本屋でアイナナが表紙になっているのを見かけ、コンビニでアイナナの商品があると知らずのうちに嫌悪感を抱いていた。
キャラは好きだ。ストーリーも応援していた。運営も好きだった。なのに対応は杜撰、根岸の自己投影。何よりもパクリ問題や他の俗に言うラレ元ファンの人を踏みにじった。
ツイッターを見るとアイナナファンはみんな口をそろえ、「アイナナは悪くない」「どこにでもある」「他のゲームも被ってる」という。傷付いた人たちのことは顧みない。どこにでもあるという構図は、そのゲームの運営やイラストレーターがきっと必死になってそのキャラの為に考え生み出した一枚だ。
私自信、彼らのこともゲームも良く知らない。けれど彼らがアイナナのための素材集ではないことくらい分かる。
それでも諦めきれずだらだらとゲームを続け、罪悪感や苛々、ファンの言動への嫌悪を募らせていた時。ついに公式が声明を出した。私は藁にも縋る思いで読み、乾いた笑みを零した。
要約すると「パクじゃない。これからもオリジナリティを追求し頑張る。」問題の根岸に至っては、まるで怒られて不貞腐れた子どものそれだ。
第三者機関への調査依頼さえせず、違うと言い張る運営。絶望だった。そうか、彼らはアイドルを大切にしていない。他のゲームもファンも、自分のコンテンツのキャラクターさえ「金になる存在」程度にしか見ていなかった。
私はアプリをアンインストールした。グッズを購入しないタイプだったので、何も手元には残らない。でもそれで良かったと安心した。
ツイッターは相変わらず「嫌なら辞めろ」「アイナナを叩くな」と盲目的な意見で溢れている。一歩間違えば私もああだったのかと思うと、今回の件で傷付いた人やクリエイターさん達に申し訳ない気持ちでいっぱいで、トイレに籠り思いっきり泣いた。
辞めた人達にもアイナナが好きで、運営がまともな対応をしてほしいと思う人だっているだろう。実を言えば私もそうだ。
そんな人たちの意見さえ許さない。肯定しか受け入れない。まるで今の擁護派は宗教の信者のようで、日々誰かを傷付けていることに気付かない。
彼らはいつになったら気付くんだろう。存在しているだけで不安と怒りを与えるコンテンツを擁護する自分達という姿を、一度見つめ直してほしい。
アイナナが今後も誰かの大好きなキャラを素材にするかもしれないのだ。標的は自分の大切なあの子かもしれない不安を、きっと他のユーザーは抱き続けないといけない。
ストーリー中で、アイドリッシュセブンの楽曲が盗作されるというものがありました。盗作されたアイドリッシュセブンの子達は、喜んでいましたか?
それが答えです。ストーリーだ!創作だ!というなら、もう何も言いません。
消費者にはこの件について言及する権利があります。私は気持ちの整理をするためにこれを書きました。
終わって問い合わせ可能な時間になれば、調べてから然るべきところへ問い合わせます。もうアイナナをプレイすることはないでしょう。アニメも観ません。
でもきっと一緒に成長したかったあの子だけは忘れられないし、これから好きな気持ちと、好きになってしまったのが悪いことだと言う罪悪感も持ち続けるんだと思います。
ついさっき一縷の望みをかけて公式サイトもツイッターもみました。でもやっぱり、なんにもない。
残ったのは色んな感情と、このコンテンツを応援し続けたという一年間だけ。なーんにもない。あの子は運営から愛されていなかったし、きっとあの子にしか無い煌きも本当はどこにもなかった。
まだ課金エラーにも対応していない運営。彼らがいつかまともになっても、私は今回のことが頭を過ってしまうから、きっともう戻りたくても戻れない。
アイナナの人達はみんな切った。私がお金をかけて生み出していたのは誰かの憎悪と、哀しみと、不安と、傷だった。一年間情熱を注いで愛を抱いて笑って楽しんで、手元に残ったのは途方もない罪悪感と虚しさだった。
これでおしまいにする。アニメショップにももう行かないし、ツイッターも消すだろう。アイナナを見ればどうしようもなくなってしまうから。
でもあの子が成長する姿や煌くのをもっと見たかった、どうなるのか一緒にはらはらして笑って泣いて前に進みたかった、あの子がいれば毎日頑張れた。私にはあの子が必要だった。でもあの子は演じている人さえ、規模は小さかったけどやってはいけないことを起こしていた。怒ってる人がいた。だからもうだめだった。
さようならアイドリッシュセブン。これを書いている時点で未練も何もかもたらたらなんだろうけど、私は元ユーザーとして、せめてもう誰もこんな気持ちを抱く人が出ないことを祈っています。
えー、昨夜こちらの記事を書いた者です。
http://anond.hatelabo.jp/20160827142040
先の記事読んで頂いた方々に心からお礼とお詫びを申し上げます。
以下、告白というか白状です。
前記事の私の体験話は100%真っ赤な嘘です。君の名は。は初日に胸躍らせながら見に行きました。
感動で泣きました。いろんな人に「この世紀の傑作を見ろ!」と言って回りました。
ハッキリ正体を晒すと、私は以下の記事をブログに書いた者です。お陰様でこちらの記事もいろんな方に読んでいただきまして、先の増田を読んだ人の中にも目にした方がいるのではないかと思います。
~~あとは飽きたんで省略~~
前増田記事は「下手につっこまれないように」と、できる限りの注意を払い書いた文章です。その甲斐もあってか、多くのブコメからある程度好意的なコメントをいただき、流石にここまで気を使えば叩かれることはなくなるのか、と安心しました。しかし一方で「あの映画を純粋楽しめないなんて可哀想な人」「この手の人って生きててしんどいだろうなー」など、まるで私の書いた感想を持つような人の人間性に問題があるかのようなコメントを平気でつけていく人も多少散見されました。
また、コメントで指摘されている通り、私の前増田記事に載せた批判意見のほとんどは、既にネット上でも多く話されているものであり、大してオリジナリティのあるものではありません。
しかし平気で多くの人が「君の名は。批判意見にまともなものが無い」などと言います。そんな雑な発言が200も300もRT、Favされています。そんな状況が、私にはとても悲しく、情けなく、腹ただしく感じられました。
去年私は実写版進撃の巨人を見に行って、このような記事を書きました。
実写版「進撃の巨人」が割と最高だった話 - Togetterまとめ
幸いこの時もまとめ記事に直接つけられたコメントやブコメには、(一部を除き)そこまで私の感性ごと批判してくるような意見はありませんでしたが、ネット上の進撃の巨人叩き意見の雑さたるや、今炎上している君の名は。批判記事なんて大したことはありませんでした。しかし、それに対し反論する人はごくわずかで、みんな何の気無しに「こんなん誰が得したんだ?」などと平気でつぶやいては、しばらくするとそんな自分の発言すら忘れていくようでした。
いえね、正直に言えば、みんなもっと雑に批判すれば良いんですよ。雑に褒めれば良いんですよ。好きなだけ皆で殴り合って、次の話題作が出た時にはそんなこと忘れてまた握手すれば良い。
前増田記事は、君の名はにノレなくってモヤモヤしてて、けど下手につまらなかったとも言えずにいる人たちへのエールです。結局絶賛してる人間が書いてる嘘記事なんだから、そんなんエールになるかよって気もしますが、私なりの心からのエールです。
君の名は見て、面白くなかった奴、納得いかなかった奴、気に入らなかった奴、面白かったけど正直そこまで…って奴。
大丈夫だよ。てめえらの感性はちっとも間違ってねえよ。自信を持て。自分の感じた気持ちに胸を張れ。あんな下らねえ奴らに負けてんじゃねえ。
俺から言えるのはそのくらいだ。
えー、昨夜こちらの記事を書いた者です。
http://anond.hatelabo.jp/20160821212820
先の記事読んで頂いた方々に心からお礼とお詫びを申し上げます。
以下、告白というか白状です。
前記事の私の体験話は100%真っ赤な嘘です。シン・ゴジラは初日に胸躍らせながら見に行きました。
感動で泣きました。いろんな人に「この世紀の傑作を見ろ!」と言って回りました。
ハッキリ正体を晒すと、私は以下の記事をブログに書いた者です。お陰様でこちらの記事もいろんな方に読んでいただきまして、先の増田を読んだ人の中にも目にした方がいるのではないかと思います。
シン・ゴジラ感想(ネタバレ極力無し) 昭和29年と2016年の「今この瞬間」 - 銀河孤児亭
http://d.hatena.ne.jp/adenoi_today/20160731/1469941620
さてでは何故そんな私があのような増田記事を書くことに至ったのか。
それは、シン・ゴジラを巡るもろもろの論争が、あまりに私にとって居心地の悪いものだったからです。
例えば「半減期20日間というのは福島の現状を思うと都合が良すぎる」という意見がありました。そうした不満を持つのは至極まっとうなことであろうと思うのですが、「フィクションだろ? 現実と区別つけろよ」という雑な(嘲笑混じりの)反論を何度も見ました。
例えばこちらの記事です。
『シン・ゴジラ』、ゴジラがあまりにかわいそう。(花田紀凱) - Y!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/hanadakazuyoshi/20160812-00061061/
批評的に価値ある記事とは思いませんが、注意深く読めばあくまで「個人的感想」の範疇に収まる言葉遣いがされていることが分かります。しかしこんな文章もネットでは袋叩きにあっており、その光景は率直に言って醜悪なものでした。
確かに彼女の漫画内のセリフに問題があったのは確かでしょう。「どんなに映画に不満があっても、それを楽しんでいるファンの感性まで馬鹿にすべきでない」という真っ当な批判がありましたが、一方でそう口にする人々が同じ口で「あれをただ動いてるだけとしか感じられないなんてクリエイターとして感性に問題が…」などと言っているのをいくつか見ました。「感性まで馬鹿すべきでない」とは何だったのか。
さらには彼女が挙げた「面白かった映画」まで腐していくようなリアクションも多く見られました。そうした発言は以下のようにまとめられていますが、こうした批判側に同じ穴のムジナが大量に存在した事への言及は極々局所的にしかされませんでした。
「粟や稗しかなかったのはこれまでの邦画」「いま、会いにゆきますが中トロって感性が死んでる」という話や日本映画ファンの反発 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/1014983
シン・ゴジラを賞賛する意見の中には、ついでのように「最近の邦画」を雑に腐していく意見が非常に多く見られました。そうしたツイートをRTして拡散している人たちは、とても普段邦画なんてちっとも見てそうにない人たちばかりでした。中には「シン・ゴジラがヒットすることで映画界の人々が過ちに気付いてくれることを祈る」とまで言う人までいました。
私も邦画はあまり見る方ではありませんが、今年であれば「殿、利息でござる」は無理な恋愛要素も歪なキャスティングも無い極めて良質な映画だったと思います。
彼らは自分の発言を「あくまで邦画界への批判であり、邦画をよく見に行って楽しんでいる人たちのことまで馬鹿にしたつもりはない」とでも思っているのでしょうか? 正直「何も考えていない」としか思えませんでした。
前増田記事は「下手につっこまれないように」と、できる限りの注意を払い書いた文章です。その甲斐もあってか、多くのブコメからある程度好意的なコメントをいただき、流石にここまで気を使えば叩かれることはなくなるのか、と安心しました。しかし一方で「あの映画を純粋楽しめないなんて可哀想な人」「この手の人って生きててしんどいだろうなー」など、まるで私の書いた感想を持つような人の人間性に問題があるかのようなコメントを平気でつけていく人も多少散見されました。
また、コメントで指摘されている通り、私の前増田記事に載せた批判意見のほとんどは、既にネット上でも多く話されているものであり、大してオリジナリティのあるものではありません。
しかし平気で多くの人が「シンゴジラ批判意見にまともなものが無い」などと言います。そんな雑な発言が200も300もRT、Favされています。そんな状況が、私にはとても悲しく、情けなく、腹ただしく感じられました。
去年私は実写版進撃の巨人を見に行って、このような記事を書きました。
実写版「進撃の巨人」が割と最高だった話 - Togetterまとめ
幸いこの時もまとめ記事に直接つけられたコメントやブコメには、(一部を除き)そこまで私の感性ごと批判してくるような意見はありませんでしたが、ネット上の進撃の巨人叩き意見の雑さたるや、今炎上しているシンゴジラ批判記事なんて大したことはありませんでした。しかし、それに対し反論する人はごくわずかで、みんな何の気無しに「こんなん誰が得したんだ?」などと平気でつぶやいては、しばらくするとそんな自分の発言すら忘れていくようでした。
いえね、正直に言えば、みんなもっと雑に批判すれば良いんですよ。雑に褒めれば良いんですよ。好きなだけ皆で殴り合って、次の話題作が出た時にはそんなこと忘れてまた握手すれば良い。
前増田記事は、シン・ゴジラにノレなくってモヤモヤしてて、けど下手につまらなかったとも言えずにいる人たちへのエールです。結局絶賛してる人間が書いてる嘘記事なんだから、そんなんエールになるかよって気もしますが、私なりの心からのエールです。
シン・ゴジラ見て、面白くなかった奴、納得いかなかった奴、気に入らなかった奴、面白かったけど正直そこまで…って奴。
大丈夫だよ。てめえらの感性はちっとも間違ってねえよ。自信を持て。自分の感じた気持ちに胸を張れ。あんな下らねえ奴らに負けてんじゃねえ。
俺から言えるのはそのくらいだ。
http://web.archive.org/web/20160808224033/http://www.tm2501.com/entry/Shin-gozira
記事を読んだ。風刺記事としての完成度が非常に高い。虚構新聞はこの記事を見習うべきである。
この記事は「エヴァだけ見て庵野を知ってるつもりになってるやつが、シンゴジラを見て庵野を初めて知ったやつに知ったかぶりを決めようとしたらこんな感じになる」というのを迫真のリアリティをもって描いている。
この記事に書いている内容の的外れぶりは本当に「ダメなオタクあるある」だ。ダメなオタクだったらこういうこと書きそうとういのが余すところなく書かれている。
よくぞここまで特徴をとらえて創作をしているなと感じさせる素晴らしい出来である。
ま る で 作 者 が 本 気 で そ う 思 っ て 書 い て い る ように見えるくらいだ。
この創作記事で話し手が庵野っぽいと言っている描写はだいたい庵野より前に元ネタがあるので、庵野の本質と関係ない。
庵野の本質がなにかなんか知らんが、特徴があるとしたら特撮好きってのがまず先にあって、あとはそれを演出するためにいろんなオマージュで彩られてるところだろうと。
だったら、庵野について多少なりとも興味あるなら、庵野のオマージュがどこから来てるのかを考えるはずである。
そういうところ理解したうえで庵野の本質とは、みたいなこと考えるならこちらも聞く耳持つ気になる。
ところが、この話者はその表面的な部分だけを見て、これが庵野の本質だってのを語る。
こ れ は 恥 ず か し い。
フォント芸はエヴァからだ、なんてことを本気で書いちゃう。さすがに恥ずかしすぎる。
会議シーンに触れるのに「日本の一番長い日」についての言及がないなんてことはありえないしほんと映画についてなんも知らんって白状してるようなもんだ。痛い痛い痛い。
実際多くの人が他の作品について触れる際に岡本喜八郎の作品に触れている。当たり前だよなぁ?
シンゴジラは私だって映画なんてろくに見てないけどわかるくらい「パロディ」に満ち溢れている。
それはエヴァとか庵野じゃなくて「日本映画」のパロディの集まりなのである。
だが、この虚構の話し手はそういうことを一切考えない。すべてエヴァから来てることにしてしまう。
エヴァしか知らないのに俺は庵野のことをよく知っていると勘違いしているため、「シンゴジラはエヴァの焼き直しである(キリッ)」などということを口にしてしまう。
アメリカはエヴァのネルフが元ネタだ(キリッ)……うわあああああああ(ゴロゴロゴロゴロ) やめろ、いっそ殺せ!
映画にはいろんなつながりがあり、そうした積み重ねで映画ができているなんてことは少し考えればわかることなのだが、この話者の脳内にはエヴァ以前には映画がなく、エヴァ以外には庵野作品がないかのようだ。
自分で見て知っていることがすべてであると考えるような頭の悪さがなければこういう思考にはならない。
話者が「すごい頭の悪いくせにオタクとして通ぶることで他人に褒めてもらうことくらいしか承認欲求を満たすことができないようなみじめな人間」であることを想像させる。
上でも書いたようにシンゴジラはいろんなもののパロディやオマージュに満ち溢れているわけだが、
この虚構の話者は、ただパロディやオマージュであるというだけで作品の評価を減点しているのである。
これは映画を楽しむ才能がない人間に典型的な「オリジナリティ幻想」というやつである。
こういうことを言い出す人間は、映画を楽しむことより、映画について詳しい自分というものを誇ることが第一目的なのだ。
だから、あのネタは前にも見た。すでに知っているから評価できない、などとのたまうのである。
こういう人間は、一緒に映画を見に行くと絶対に不快になるので、付き合ってくれる人がいなくなる。端的に言ってモテないであろう。
「通ぶりたいあまりに他人を不快にさせる上、その知識が雑魚すぎて役にも立たない、ただの迷惑なオタク」のイメージをこの上なく具体的に描いている。
ここまで人間として魅力なさそうな話者のイメージは想像でもなかなか作り出せない。
この記事を書いた人は実に「存在価値が全くないどころかマイナスのつまらないだけのオタク」というものをよく理解しているといえよう。
いやほんと、もし自分が大学生のころにこんなことを真顔で書いてたら、数年後に恥ずかしさで死にたくなるような記事だった。素晴らしい。
この記事によって、シン・ゴジラというのはこういう「つまらないオタク」でも一応見に行くほどのブームになっているのだなと初めて実感できた。
つまらないオタクがわざわざ見に行って文句をいう作品は名作であるというのは不変の法則であることを考えると、この記事は実はシン・ゴジラのステマではないだろうか。
まぁ、エロというゲテモノをうまい具合に料理していく技法が、ここにきて注目を浴びすぎだろということだろうか。
元々、エロ方面の偽装は都条例やPTAへの対策という点が大きいんだが、
作品としても、作者が好きなもの+エロ で、安直にオリジナリティあふれる作品ができるうえ、
あと、生臭い話として、マンガの書き手を育てる余裕が無くなったというのがでかい。
出版不況でマンガ雑誌が減り、読みきりを乗せる枠が無くなった。
昔は穴を埋めるために読みきりマンガを入れたりしていたのだが、第一線の週間マンガではそれすら無くなった。
売れるものだけを載せる。本当に切羽詰っているのだ。
本来、その枠は次の漫画家を育てるための大事な枠のはずなのに。
そして、編集部の方針として育てないと割り切ったところもある(サンデーとかサンデーとかサンデーとか)
で、同人の有名人から引っ張って漫画家に仕立て上げるのが、ここ5年のトレンド。
(これはエロマンガから引っ張ってくるというのも含まれている。エロマンガの書き手はほとんど夏冬の災典参加者)
ただ、絵はいいとしても、単純に体力が足りないというのが目下の問題だろうか。
作家としては、夏冬コミ1+月産30Pとかになるのだから、いきなり6倍以上の仕事量になるのを耐えろと言うほうが、酷にもほどがあると思うが。
で、木主が聞きたかった「最近の漫画やアニメって、エロゲーやエロアニメと何が違うんだ?」って話なんだけど
あとは編集者がZ指定なりR-18指定する、それだけの話なんです。
編集者にはウケないだろうけど、読者にはウケるだろうなーという作品をガンガン作ってほしいです。
伊坂作品でよくある、群像劇チックな異なる時間軸の出来事が最後に一気につながっていくところはおおおおおおおおとなった
伊坂作品愛を感じた
あと表題作ってただの短編だけどそれをどうやって一本の映画に結びつけてくるかなと思ってたけど、それも伊坂作品へのリスペクトにあふれたオリジナリティが溢れててすごかった
ころころ場面がかわって退屈しなかったのもあると思う
これまでのは一本の映画としてはだらだらしてたのに退屈しがちだった部分が結構あったし
これもよかった
BECKみたいに映画化に際してごまかしたりしなかったからよかった
歌のプロデュースは斉藤和義でもろに斉藤和義臭のする歌だったけど劇中で何度も流れても全然不快じゃなかった
いやーこれはよかったね
でも伊坂作品の気弱だけどどことなく憎めない主人公は、まあ確かに言われてみれば濱田岳イメージぴったりだな、とは思う
あとは最初のオカルト姉ちゃん絡みの描写が最初しかなかったのがちょっと残念だったかなあ
せっかくあんだけのことしたし、どうなったかも気になってたんだけど
> 編集者というものは作家に対するルサンチマンが生の活力の源泉であるので、基本的には作家を、考える能力のない愚鈍な生き物と考えている節がある。作家を思い通りに操ることによって自身の考えを世に送り出し、作家が評価されることをもって自身への評価と見なし、生の充実を得るのが人生のよろこびであって、畢竟するに作家は編集者にとっては単なる操り人形であって能動的な主体ではなく、したがって作家の個性やオリジナリティといったものを軽視するのである(正確にいえば、作家を幻想だと思い込んでいて、作家は総て
http://books.nekotool.com/entry/jikokeihatubong
↑これってマジすか?
カドカワの人ですか?
もちろん採掘技術が新しくなるように、考え方が変わるとアイデアが増えたりもする。
世の中には、「全く新しい、オリジナリティのあるアイデア」が好きなバカや、
「同じアイデアを使い回すと、発想力がない人だと思われるから、全部ボツで新しいものにしてくれ」って言うバカがいて、
そいつらは基本的に発想しない側の人間だから、アイデアが無限に出てくると思っている。
過去のものを今風にアレンジしたり、ボツったアイデアだけどそれを組み替えて別のものにするなんて、
そしてそういうバカに限ってブレストなんかしないで、「とりあえず面白いもん持ってきてよ」なんて言う。
作家とか漫画家とかお笑い芸人を見てるとわかる話だと思うんだけどね。
どうでもいいのに粘着www|そこの論点と全体の論点をすりかえる負け犬www|~など的外れをとちゃんと引用しなかったのはおまえだろwww「~など的外れを」が主語じゃないとか国語の授業受けてこいよ笑|俺の書き込みじゃなくて別ツリーの話だよね^^|ジョジョの引用としての使用?ちょっとなに言ってるかもはや意味不明^^| A=B=Cであると書いてないと認めるんだね^^|おまえの発言に論理性がないという話に答えてないぞ^^|文脈の話だぞ忘れたのかマヌケ^^|その文を指してるだけと何度言っても理解できない腐れ脳みそ^^http://anond.hatelabo.jp/20160410114004
お返事が無くなったから消したら発狂したバカがあれは勝ってた!とか言い出したので笑った
以下、ここまでの流れ
比喩は紛れも無く芸の一種だよ。わざの一種なわけだし。そういう自酔が透けて見える比喩ってキモがられるよ^^覚えとこうね^^
俺から言わせれば粘着しているお前こそがキモいよ
そもそもお前は俺が言った芸がない、頭が硬い、「粘着」キモいといったことに何も返さず、こっちの芸のことばかりぐちゃぐちゃ言ってる。残念ながら横なんだ^^
ネタの一種をマジとしか受け止められない硬直脳みそ俺のユーモアはいついかなるときも受け入れてもらえるに違いないという硬直脳みそマンがなにを言ってるんだ^^
じとうってなに? 自己陶酔のことかな。ちょっとこくご大丈夫なのかなこの人。自分に酔ってるの略だよ笑 おまえの比喩とおなじひとりよがりのレベルに合わせて使ってみたんだ笑
自己陶酔と一般認識を履き違えるとかほんとちょっと気持ち悪いです。一般認識がそうだという話と使ってるおまえが自分に酔ってるのが透けて見えてキモいレベルが低い比喩だって話が別だって分かってなにより^^
それと俺の言っているユーモアがだれにでも受け入れられるとか別に思ってないし、そう要求してもいないけど。じゃあキモがられても発狂せずに受け入れようか^^
ユーモアと思わしきものをストレートにしか解釈できない哀れな人なんだなあ、とは思ったよね。オナニーユーモアはキモがられても仕方ないのにストレートに受け取れないなんてアワレだ!とか一段上の文章を忘れてるマヌケなのかな笑 ちなみにこれより下のトラバはすべて別人の煽りだから笑 それともバカにありがちな自演トラバかな笑
「じすい」であれ「じとう」であれ、他の人は分かっていたというのはちょっとおかしいじゃないだろうか。だって俺意訳してるし。あ、もしかして他の人って俺も含んでる?読み方の話なんて誰もしてないよ^^おまえにトラバつけてる別人もわかってるよね^^
ちょっと何言ってるかわかんないです。日本語というか文法というか不自由な方なんですかね。おまえのキモい比喩が芸だと思ってるの?→比喩は芸だ!!!!→一般論とおまえのキモい比喩を同列にすんなよ
分かるところだけ拾うと、自分に酔ってる文言は元増田に一切含ませていないし、含んでると思わしき箇所もないのだけど。>自分に酔ってる文言は元増田に一切含ませていないし
キモい比喩を使ったあとにキモいと指摘されたら比喩は芸!とか言い逃れようとするバカは自覚できないって話??笑
芸云々の箇所を指してるとしたら芸の話が自己陶酔に該当するとは多分客観判断でもなされないんじゃ……?脳に雑菌が湧いてるからそう判断するんだよね芸の話が自己陶酔に該当するとは多分客観判断でもなされないんじ
ちょっとなに言ってるのかわかんないおそらく自分のキモいと指摘された部分を自覚できてないんじゃないかな
発狂してないし終始冷静に受け答えしてるけど?むしろ草生やして決め付けを多発させているお前のほうが発狂してるし。バカなトラバに延々と返事しまくってるキチガイじみた振る舞いをしておいて発狂してない!!とかもうね。草生やしてると発狂してるの論理性のなさにレッテル貼りとかもうね。
Tウィルスに感染してんのかなあ、って思っちゃうくらい。あーこれも比喩っすかwwwレベルたけぇwwwこれが芸www
ストレートに受け取れないなんて……? 俺そんなこと言ったっけ。ストレートに「しか」受け取れないのは脳筋だよね、と言った覚えはあるかなあ。あとお前が別人だとか、どうだっていいよ。雑菌がたくさん湧いてるんだなあ、と思ってるだけで。こくごの授業受けてればその二文字は省略だと理解できると思うよ^^ それとも神様の義務教育受けてないとそうなるのかな^^ 同一人物ではないという想像すらできないほど発狂してるバカがいるなぁと実感しただけだよ^^
それよりもお前が出した単語について
うん? 俺も読み方の話を主軸にしてないけど。意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。やっぱ日本語が不自由なんだなあ。可哀想に。
「じすい」であれ「じとう」であれ、
主軸でもないならこの文は必要なかったね^^こくごの授業で論点がボケる文は書かないようにと学ばなかったんだねわかるわかる^^
>意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。
うん、で?理由がなく文章を並べても相手には伝わらないよ??^^こくごの授業で(ry
すごく丁寧に解説すると、一般論として比喩は芸の一種か、と考えた場合、芸とは「人前で演じる特別のわざ」とあるわけだからまあ、芸の一種と考えられるわけ。俺「おまえのキモい比喩が芸だと思ってるの?」→おまえ「比喩は芸だ!!!!」→おれ「一般論とおまえのキモい比喩を同列にすんなよ、おまえのキモい比喩は芸でもなんでもない」→おまえ「比喩は芸だ!!」
主張の繰り返しとかもう白旗?つまんなーい頭が悪すぎてキチガイ煽りマンを演じるにも格が低すぎだよ~^^
自分に酔ってることとキモいという第三者の指摘、比喩が芸であるというこちらの言い分がごっちゃになっていて、Tウィルスの威力を実感できる内容だね。自分に酔っていることにしたいお前、ってことならまあそうだろうけど、それでどうしたのだろう。ごっちゃにしてるのはおまえじゃん。流れの説明を理解できない脳みそってすごいな~^^
ほらまたやってる。キモイと思った主観と一般認識である比喩の区別がついていない。自分と他人の区別がつかない病気ってあったよね。比喩が芸ではないとは俺は一度も言ってないからな^^主観と一般認識の区別がついてないマヌケで発達障害だという自己紹介乙でーす。神様の義務教育受けてきてないのかな?^^
トラバに延々と返事をしているお前も発狂してるという範疇に入ってしまうけどいいのか?>バカなトラバに延々と返事しまくってるキチガイじみた振る舞い
都合よくバカの部分を抜かしてるけどおまえがバカだということでいいのか?^^
草生やしてることを論拠としていないことは自明なんだけど、どうしてそこで論理性という言葉が出てくるのだろう。過不足のない文章を書くを学ばない証明乙でーす^^
国語の授業を受けていれば必要な接続詞を省くことはちょっと考えられないんだけど。お前のいった意味だと「ストレートに自分の言っていることを元増田が受け入れない」
しかの場合の話をしてると分かってるだろ 文脈という概念を学ばなかったのかマヌケ^^
こちら側が誤って表記したものを「教えてくれてありがとさん」という意図と共に一度応えているし、俺は応えてないんだが。証拠は?^^脳内空想で補完でもしてるのか?^^
主軸でもない代わりに前置きとして不適切ではないと思うけどね。まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。分かってる云々の主軸の方へは反論してない自己紹介かな^^?
そして過不足がない文章ということなら、そのへんな顔文字も消さなくちゃいけないのでは。なぜ過不足が問題かというと誤解を招いたりするからね^^
「お前のキモい比喩」を一つの文言と捉えた場合、それを一般化するなという理由ならわからんでもないが、そもそも俺は最初から俺のルールを押し付けないことを宣言してるし、俺の比喩を一般化してお前に押し付けたいとはつゆとも思っていないわけだが。じゃあキモがられても発狂すんなマヌケ^^
その上で俺はそもそも「比喩」とは「芸」の一種であるとみなされる、と述べているのに、お前は「俺の述べた発言」=「芸」というすり替えを行っている。お前は「俺の述べた発言」=「芸」というすり替えを行っている。
「おまえのキモい比喩はレベルが低すぎて芸でもなんでもない」に対して「比喩は芸だ」という反論が成立するのはおまえの比喩が芸であるときでしかないぞ^^
おまえの比喩が芸ではないなら「おまえのキモい比喩は芸でもなんでもない」に対して「比喩は芸だ」というのはまさに個別例と一般認識を取り違えたただの的外れだ^^
馬鹿に理屈を説明しても馬鹿は意味を理解せずに馬鹿にする。無知であることは恐ろしい。「Aが起こりBが起こりCだと行動するバカってこうだよね~」と言ったら「AとBとCをごっちゃにするな!」と叫ぶバカの正当化はすごいな~^^
自分の馬鹿を自覚できない醜さについて考えこんでしまった。そうか、バカも大変なんだな。
比喩が芸ではないと言っていない、ということは、即ち比喩は芸かもしれないという多少の可能性は考慮するわけだよね。いや?比喩は芸だと思ってるよ?^^日本語能力がないとよくわかるな^^
じゃあ逆にそれをメタ的に返すけど、お前は自分の定義するところの馬鹿のままでいいの?別ツリーでさんざんやってる馬鹿がなにを言ってるんだ?^^あんなに長く続いてないぞ^^
なんだこりゃ……。「過不足ない文章を書く技術を学ばなかったという証明が、今ここでなされた」ではないの。やば。この人本物かもしれない。先に出た主題を主語化しただけでしょ^^まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。
文脈……? ここに至って文脈化するほど筋書きが通った話の流れなんてあったか?先におまえがしかをつけて話した流れを踏まえて書かれた文章だぞ、それとも自分の文章も忘れるほどの痴呆だったのか^^
すまん、俺はお前を雑菌脳だといったが、むしろ最近良く見る不出来なTwitterのAI、それもボットレベルに思えてきたわ。「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」んだが、これなんか問題でもあんのか?いつどこで「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」んだ??^^
主軸については先だって俺が「ちゃんと意訳してる」部分に対して言ってることだったはずで、それ以前のお前のツッコミは「造語」に対する誤字指摘だったはず。
>意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。うん、で?理由がなく文章を並べても相手には伝わらないよ??^^こくごの授業で(ryと両方指摘し続ける俺に対して
こちら側が誤って表記したものを「教えてくれてありがとさん」という意図と共に一度応えているし、主軸でもない代わりに前置きとして不適切ではないと思うけどね。まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。そして過不足がない文章ということなら、そのへんな顔文字も消さなくちゃいけないのでは。先に答えなくなったのはおまえだよ^^
そもそもまで立ち返れば、お前の指摘は「(増田の破綻した造語を)他の人はわかってたぞ」という事実無根の話でしかない。他のツリーでも理解してる人がいたし他のツリーでもおまえは推測可能だったなと指摘されたものを事実無根笑やはり痴呆だな笑
実際お前の性格に関してさっきまったく別のやつが顔文字に対するディスを入れてエントリをすぐに消していた。なんだかいまどき顔文字で冷静さを装うとか恥ずかしい、みたいな内容だったはず。お前の大好きな他人に勘違いされるから消したらどうだろう。ちょっとなに言ってるかわからないです^^文章をきちんと論理立ててつなげて話そうか^^
最初から発狂せずに淡々と受け答えしてるじゃありませんか。割と面白がりながら。それと「マヌケ」ってジョジョの台詞からかな。もうちょっと自分で考えたほうがいいような。キモいって指摘されて発狂しながら比喩は芸だ!とか的外れを繰り返すけど発狂してないのかじゃあ相当脳みそが腐ってらっしゃるんですね^^
すぐ漫画が思いつくとかよほど現実世界から離れてるんだろうな^^
俺のキモい比喩、という話はお前から見た場合そのように受け止められる、程度の話で一般化はできないかな。あと芸でも何でもない、という話に関して言えば、「芸」を調べると以下のように記されている。学問や武術・伝統芸能などの、修練によって身につけた特別の技能・技術。技芸。「―は一生」人前で演じる特別のわざ。演芸・曲芸など。とあり範疇としては2番に該当する。したがって俺が用いる比喩は一応芸の一種として考えられることになる。
比喩が芸だと俺は言い続けているんだが^^おまえの初潮だのTウィルスだのキモい比喩は芸にも当たらないと言ってるだけだぞ^^
ごめん日本語で。Aを起点としてBが派生し、それを承けてCという行動を取ると(意訳)。つまりお前の言いたいことはA=CであるからBもCであると言うのは暴論であると言いたいのだろうか。いや、普通にABCは分離して考えないと駄目でしょ。
A=Cってどういうこと?^^BもCってどういうこと?^^ABCが流れなのに分離していないと考えちゃう理由は?^^
そうだね、たいへんそうだね。
別ツリーって知ってる?^^に対して
それじゃお前も別ツリーの話題を持ち出しちゃ駄目でしょ。
それじゃの論理性がないぞやりなおし^^
過不足ない文章を書くことがこれらの引用の主題でしょ。じゃあ「文章を『書くを』学ばない」って完全に過不足を感じる文章に対して指摘するのは何ら問題がない、という話になるけど。こちらとしては首を傾げるばかり。
ちゃんと伝達は成功してるとおり文脈を理解しているヤツには理解出来てるからな^^
先におまえがしかをつけて話した流れを踏まえて書かれた文章だぞ、それとも自分の文章も忘れるほどの痴呆だったのか^^
ストレートにしか解釈できないほどお前の脳みそが雑菌に侵されている、という話でしょ。「しか」の解釈ならそうだけど。
だけどお前の言っていることはこうだよ。
オナニーユーモアはキモがられても仕方ないのにストレートに受け取れないなんてアワレだ!とか一段上の文章を忘れてるマヌケなのかな笑
ストレートに受け取れないなんて哀れだ……? 何いってんのこいつ気持ち悪い。勝手に台詞創作して文句いってきてるし。
実際問題として皮肉を皮肉で返すという技がないんだから、そりゃストレートすぎて脳筋馬鹿だと言われてもしょうがないじゃん。
ストレートに「しか」受け取れないのは脳筋だよね、と言った覚えはあるかなあ
おまえがしかをつけた文章を指すために省略して指摘しただけだろ。 それをスルーするために、しかがついてないから元通りじゃない、些末な嘲笑の言葉が違うからセリフを改ざんされた!!かよwww
えっ……お前ホントやばいわ。「俺が」「誤字った単語(しかもてめえの造語)に」「お前の指摘が入って」「わざわざ指摘してくれてどうも」つっただけで何も問題ないじゃんか。むしろお前の有利に働くことだぞ。まして変な造語を作ったことに俺は寛大だっただろ。
質問に答えろよ^^いつどこで”「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」”んだ??^^
主軸の話とは→造語の話→造語に対して誤字ってしまうこちら側&こちら側が造語意訳→そちらの、「単語に対する意訳が相手に伝わらないよ」、という頓珍漢な答え→先に答えなくなったのはお前(こちら)だよ、という意味の分からないトラバレス。
2つ論点があって主軸の方を先に答えなくなったのはおまえって話だよ^^ おまえの流れの説明意味不明すぎるからツリー見返して来い^^
ちょっと悪いんだけど、どこの誰こと?それと後半意味わからないんだけど。俺が推測可能だったって何?なんじゃそりゃ。おれは意訳したんだからそりゃ推測はできてたよね。だいぶ頭がおかしい。というかこいつが馬鹿すぎて俺の頭も混乱しそう。
他のツリーって言葉を理解できないのかな^^推測できてたなら俺の言うとおりじゃん^^
ちょっとなに言ってるかわからないです^^文章をきちんと論理立ててつなげて話そうか^^
に対して
いやこれ論理じゃなくて事実。お前の顔文字気持ち悪いって単発で書き込まれてたし。すぐ消えたけど。
って説明にもなってないぞ。↓やり直し。
実際お前の性格に関してさっきまったく別のやつが顔文字に対するディスを入れてエントリをすぐに消していた。なんだかいまどき顔文字で冷静さを装うとか恥ずかしい、みたいな内容だったはず。お前の大好きな他人に勘違いされるから消したらどうだろう。
「的外れを繰り返すけど」なにこれ。ほらまた破綻文章で馬鹿を晒してるし。「的はずれな言動を繰り返しているけど」でしょ。また相手が馬鹿だから意訳・翻訳しちゃったよ。
それとジョジョは一般的な作品として周知されつつあるから、指摘としては別に間違ってないと思うよ。
認知度は関係ないから^^すぐ漫画が浮かぶ現実世界と乖離したキモオタ臭がひどい。
お前にオリジナリティがないことだけは確かだし。
うんそう。比喩は芸。キモい表現かどうかはお前の勝手に決めたこと。
ダジャレwww これでわたしには文芸があると主張してるの?www
スベりまくってるのに「俺はクラスのムードメーカー!」と勘違いしてるイタい同級生思い出すわwww 周りから失笑されてるのに本人は芸があると思ってたのかなwww
流れってなんですか。ABCって流れの事だったんですかw 何のために記号解説したんですかw
「Aが起こりBが起こりCだと行動するバカってこうだよね~」とと書いてあるのに流れじゃないと思ってたんだ^^煽るだけのゴミでも知性がバレるぞ^^
昔はストーリーが良くなければダメ。そう思っていた時代が僕にもありました。残業帰りで帰ってきた自分にはシリアスなストーリーなど読めません!
そこで、脳天スカスカでも女の子が可愛ければ良いという漫画やアニメの一例をメモしておく。他にも沢山あると思うので何か良い物があったら教えてほしいです。
これはちゃんと読みました。一言で言うと「みなみけ」の次女の中身がメスゴリラ以下の知能になっているといえば良いでしょうか。馬鹿とか阿呆とかそういった単語で形容するよりは知能発達に問題ありといったほうが適切なキャラ。
これはアニメで見た。駄菓子の豆知識とか喫茶店とか内容が含まれていたような気もするけど、一言でいえば着衣巨乳のフェティシズム全開という印象しかない。OPからEDまでほとんどニヤニヤしっぱなしなので、きっとストレス解消に貢献しているはず。
あー、いつも息子が(同人誌に)お世話になっております。誰だって小学生の頃は血のつながってないエッチなお姉さんがほしいって思うじゃん?構図が微妙とか何とかという意見もあるようですが、この漫画の本質はエッチな姉を(同人誌で)豊かに味わうことにあるとおもいます。
タイトルからサイクロプス先輩を想起してみたり、先輩が高垣楓(25)が制服を着ているようにしか見えなかったり、のっけからオリジナリティに不安があるけど、先輩がカワイイので問題ない。手品のネタでそんなに長く続かないだろと思いつつも、そういえばこれは寄席で見たネタだなあと思いながら見てるといい。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
便利な云い方をするなら、「オリジナリティがあるか」かな。
例えば、「インディ・ジョーンズ」シリーズは、昔の冒険活劇モノの影響を強く受けている。
「インディ・ジョーンズ」よりも前に世に出ている冒険活劇モノをいくつか観れば、そのことは嫌でも分かるはずだ。
他作品に強く影響を受けているので有名なのは、「スターウォーズ」などもある。
OPや場面転換の演出は「フラッシュ・ゴードン」、SF要素は「メトロポリス」、アクションシーンとかは西部劇。
私が把握できていないだけで、共通点を探していけば他にも例は色々あるだろうと思う。
だからといってスターウォーズをパクりだという人は、まあいないはず。
いってはなんだが要素だけを抽出していけば、現代の創作においては既に出尽くしているといっていい。
後は、基本的に先人の足跡をどのように辿り、組み合わせていくかで画期的なように見せるぐらいだろう。
つまり「オリジナリティがあるか」とは要素ではなく、組み合わせや調理方法、そしてそれらをどう提供するかということだ。
そういえば、とあるブログで書かれた数ブクマしかない記事を、別の人がここ匿名ダイアリーで改変して投稿し、結果なんと1000ブクマを超えたという出来事があったな。
だから
家に帰って寝ろカス。
「借金背負ってどうしようもなくなったから負け犬として死にます」って文章にしてみろ。
それを1時間でもいいし丸一日何回も読み直せ。
「俺こんな理由で死なないといけないの?」
実際借金で死ぬとか馬鹿でしかないからそもそも死ぬなって話なんだけど。
世界を救うわけでもない、たった一人の女の子を助けるために死ぬわけでもない、
「難病に苦しむ人を救うために研究していたが自分も病気にかかり死んでしまった」
「人類の宇宙進出のために飛び立ったがロケットが爆発して死んだ」
これはいいよ。
もし成功してれば英雄になってただろうし、その志は後世に受け継がれるよ。
夢に人生賭けて叶わなかったとしても夢中で死ねたらそれはそれで満足だろう。
命賭けてまでやりたいことがない方がむしろ不幸だろ。
何が楽しくて生きてるの?
って
あの世が仮にあってそこで閻魔様や事故で死んだ人や病気で死んだ人の前で
無理でしょ・・・
そもそもそんなショックで精神的におかしくなるなら最初からリスクを取るなよ。
被害者面すんな。
つーか自己破産どうした。
終わりじゃなくて行動に対する答えである結末が死なんだよ。
そこまで死まで含めて長い長い目で見た行動なんだよ。
畳の上で死ぬこと、電車に飛び込んで死ぬこと、夢をかなえて死ぬ、夢やぶれて死ぬ。
全部着地点は死だ。
なのにわざわざクソみたいな理由で
電車の走るレールに向けて着地しにいくやつが馬鹿としか思えない。
なんで何十年生きてきて最後に死ぬ理由がレールの上にジャンプなの?
勿体ない。
本当にそう思う。
生きる理由は無い。
追伸:
ブコメついたから調子にのって「PS」とかやるの正直クソダサだから嫌だけど誤解があるのだけは勘弁ならんから言っとくけどよ。
これが理由。
これで泣いて鬱になって電車に飛び込もうと毎日思ってホームセンターで練炭キョドりながら買ってたわ。
それで自分でもおかしくなってるの分かりながらこのままじゃまずいと思って
俺が自分でどうしたらヤバい精神状態から抜け出せるのか歯を食いしばりながら当時考えましたわ。
そりゃ死にもの狂いで考えたわ。
そのときの必死さ考えたらメンヘラの自殺なんてもう一回追撃で殺してやりたいくらい
何の努力も無くクソダサで死にやがって・・・それはもういいか。
とにかく朝昼晩必ず1回は状況報告を親と教授にしたよ、無かったら電話かけまくってくれって。
自分ひとりで考えると碌なことにならないって客観的に思ってるなら考えるのをやめて他人に依存したらいい。
そのために信用できる他人とつながりを常に取り続ける仕組みを考えたらいいだけだったから。
結局留年したし就職うまくいかなかったし夢は破れたけどそんなもんもうどうだっていいわ。
留年したから自殺したみたいなクソダサで死ぬより100倍マシだから、
歯食いしばって枕や布団噛みながらウンウン苦しんで学校行って卒業しましたわ。
これ全部クスリでもなんでもなく自分の意志でやったことだからな。
こんなクソダサな理由で死ねるかよっていうガソリンを俺は用意できたから自殺しなかった。
これは理由はなんでもいいが自分で否定しきれないロジックをくみ上げておけば防止できるってことだ。
甘えてロジックを組み上げもせずに無気力に自殺して被害者ぶるんじゃねえよ。
頭の臭いした枕の味知ってんのかお前は。
知らずに死んでも、被害者ぶるのか。
何様だ。
ここまで書くとドヤ顔(正義感)が「それは気力の無い人には~」とか言い出す馬鹿がいるけど、
俺も気力なかったっつーの。
何もしたくなかったっつーの。
でもそれでも行動起こしたのはこのままじゃヤバいって思わないとヤバいって頭で思ったからだからね?
このままじゃヤバいとすら思えないなら本当に生きる力ないから死んだ方がいいよ。
「ヤバいと思わないとヤバい」なんて脳信号は「女の子のパンチーおーくれ」レベルの信号強度しかねえよ。
その種火を必死に大きくしていくのも最初からガソリンぶちまけてるわけじゃねえよクソが。
女の子のパンチーレベルを何度も何度も継ぎ足してやって復帰したんだわボケが。
人を超人扱いすんなっていうのと自分を過小評価して特別扱いして甘やかすなボケが。
それが甘えだっつってんだよ。
俺とお前の決定的な違いは「思おうとしなかった(甘えたかった→自殺したかった)」か「思おうとした(苦痛を選択した→自殺したくなかった)」かの違いでしかない。
その選択さえ無意識に介入しようとしなかったお前には神の啓示で逃れられない宿命であり運命で、
自分は何一つ悪くなく圧倒的被害者であり弱者であると信じているんだろうな。
でもそれただの勘違いだしそれに気づくチャンスも腐るほどあったから。
こうやって指摘されても顔を背けバリアを貼ってるんだから全部故意の自殺だから。
あ、人工呼吸器付けてるなら謝る。
死が逃げるという発想も、自分で死が逃避にならないというロジックを組み上げられないせいだろ。
テクニックがないなら宗教でも何でもいいから何かに頼って依存しろよ俺みたいに。
結局はお前がお前の意志で変えようとしない限り何一つ変わらないんだよ。
この前提を否定しきれる論理も無いのになあなあで自殺に向かおうとする心の弱さとちゃんと向き合え。
理解しようとする気が無いのに数学も物理も覚えられるわけねえだろ。
言葉も同じだ。
自分自身と向き合い切れてない。
ちゃんと考えろ。
そのちゃんと考えないことがクソダサな死因に繋がってるんだよ。
とか
綴りたいか。
綴りたいのか
ならもう仕方ないな。
他人はお前にどうすることもできない。
お前は無敵だな。
そういう無意識下の行動に影響を与えるほど意識によって強く刻み込む作業ができていれば
どれだけショック受けても自殺しないやつはしないんだし
自殺するやつとの決定的違いはそこだ。
無意識を意識に対しての無意識として自覚・知覚して対立しようとしないから操作改変もできない。
無意識の行動ひとつひとつにも理由がありそれを紐解いて分析することで無意識改変が行える。
無意識の行動っていくらウンコしたくても路上で下脱いで野糞するのかよ?
無意識最強じゃねえよバーカ。
どんだけ甘えたいんだ。
そんな低レベル意識で生きる意味が、とか借金で夢も希望も、とか
どの口で言ってるんだ。
意識低いなら無意識の死にたくないって本能の声にだけ耳を傾けてろよ。
中途半端すぎるわ。
自分が死しか選択しようとしないから死ぬのに他人がどうやって助ければいいの?
屁理屈こねるのは上手いくせに自分が死なないためのロジカルシンキングできないってどんだけ雑魚ナメクジなんだよ。
それだけ頭回ることに自信があるなら自分を騙すか自分が論破できないロジックを組めよ。
それをやらずにセンチメンタルな気分に浸りたいだけだろ。
そんなやつ有史以前から腐るほどいましたから・・・今さら誰も感動せんから。
つまるところ泥臭い渦に飛び込むのが嫌なんだろ?
みんなそれ乗り越えて人格を作り上げて大人になってきたのにそれするのが嫌な子どもなんだろ?
だから同情されないんだよ。
まだ理解する気がないのか。
これも、もういいからそういうの。
俺の言ってるのは全部これだけだから。
お前の抱えてる悩みとか人類発祥してメソポタミア文明できた当たりから
というかその実益のないプライドの高さが自殺へのトリガーになってるってこと自覚したら済む話なんだけどな。
そこらへんに転がってるクソダサな理由で死のうと思ってることを
あの手この手で言い方変えてクソダサな理由で自殺すんなって言っても
案の定「衝動で~」とか「ケースバイケースで俺だけ特別」とか言ってバリア貼ってくるやつ多いな。
まさにその防衛行為が自分の無意識に向き合いメスを入れて手術することを拒み続ける末期患者なんだけどな。
まず自分が病気ってことを自覚してそれと向き合ってどうやって対策を取るのか考えるのはやって当然だし、
そこまで余力がない・・・とか言われてもなら余力のできる環境に緊急回避するだけの分別くらい付けろよ。
大人なんだから誰にも頼らなくても頼まれなくても自分の意志でやれよ。
心の病で運命づけられたものと思って兆候は絶対あるのに何も講じてこない自分の責任だろ。
いやわかるけどな。
いつまでも甘えていたいと思ってるんだろ?俺がそうだったからな。
お前は違う?違うわけねーだろ行動が同じだから分かるわ。
気力使いまくる自分の中に神を作る工程の辛さにやる前から怯えてるんだろ。
メンヘラっぽくやんでれ最悪死ねばいいからとそれをせずに甘えてるんだろ、
完全に当時の俺だわ。
でも俺の理由は俺だけの特別な理由でオンリーワンだと勘違いしてるんだろ、
完全に当時の俺だわ。
もう完全に俺のパターン入ったわ。
無意識にメスを入れることを怖がってるんだろ、
病院いかない爺ちゃんといっしょ!何も変わらないいっしょ!いっしょです!ざんね~ん!
行動がすべてを物語ってる。
口よりも雄弁に。
どれだけ俺は違うって喚いても行動がいっしょ。
考えてることもいっしょ。
何もかも同じ。
バリア貼るだけのプライドはあるのに意識低くてメンテは怠るとか最初から分裂症だとしか思えん。
誤解を恐れず箇条書きにしてやるよ。
1.自分に生きる意味があると思っている目標志向があるが実力が無い、もしくは過去に失敗経験がない
2.達成不可能となり精神的不調に陥り、対処法を知らない ※A
3.目標達成不可能という現実と向き合いたくないためにあえて精神的不調の檻から出ようとしない
4.長期化すると自分がこうなったことには何か意味があり特別だと思い込み努力放棄する理由を構築し始める ※B
5.この段階で他人が助言しても「自分は特別」バリアによって聞き入れられなくなる ※C
6.現実的にセンチな気分に浸るのも限界になり、現実と向き合わなければならない段階に来る ※D
7.死の恐怖から現実に戻るか、戻りたくない場合自殺する ※E
※A 生きる意味が失われた、と思い始めるから不調を来す。メンタルダメージのある失敗経験が無いため大人になっても対処法が分からない。
※C やっと見つけた次の生きる理由を否定されたことによる過剰防衛反応。
※D 貯金が無くなる、仕事を失うなどの命には関わらないが生活と人生が変わり決断が迫られるターニングポイント。
※E このとき真面目な無能であればあるほど悲劇のヒロインになり切れているので自殺する。
1~7が短期長期どっちでも起こっていることで何も変わりない。
何も特別性はない。
http://anond.hatelabo.jp/20160413011057
正のエネルギーとは必ず正しいエネルギーたりえるでしょうか。仮にそうだとしても絶賛派の持つエネルギーはそれにふさわしいものでしょうか。
恐らくその根拠としては何事も賛美することや推進することこそが正のエネルギーだという思想なのでしょうけれど、悪事や間違いを推進することは正のエネルギーと呼べるのでしょうか。悪事や間違いを批判することも負のエネルギーなのでしょうか。
そしていきなりそのような立場に立ってしまうと、議論する物事の善悪や正誤の考察をする前提をすっ飛ばしてしまっているように思われてしまいます。そしてそのような所に絶賛派ラブライバーが宗教的だとか、盲目的で妄信的だと呼ばれる所以があります。
また、そもそも私的な体験の話をすれば、アニメ1期の時点では自分もアニメの内容の嫌な部分に目をつぶりながら作品全体の動向をポジティブに応援しようとしていたのです。しかし2期以降、先述のように作品展開の裏切りと汚染が加速拡大していくのを目の当たりにし、目を覚まして絶望するしか無かったのです。
とありますが、肯定をしている様子も殆ど見受けられません。ただ踏み台として蹴落とされるべき歴史としての存在を認めているだけに過ぎないでしょう。先述のメディアミックス理論の持ち出し方にもそれが現れているように思います。
アニメ版を叩くだけの負のエネルギーを注ぐのでなく、自分の好きな初期作品の素晴らしさをポジティブに語るべきでしょう。
自分の好きな作品を褒めるために他の作品を叩く行為は忌み嫌われることを増田もご存知のはず。増田が良いと思うものをポジティブに語る事で初期作品への注目も上がるのではないですか?
アニメ版を叩き貶める事で初期作品が注目されるのでしょうか?むしろその行為はラブライブ!作品群の全体を貶める行為となっている事実に気づいてほしいのです。
と、絶賛派ラブライバーは最終的にとりあえず批判する奴が悪なんだという方向に持っていきたがります。そこがアイドルヲタクというよりジャニーズヲタク的で、女々しく感じます。
また、批判への批判ですら批判であることや、何かを肯定する時には別の何かの否定を孕んでいることが多いことも留意しなければならないように思います。
恐らく全てを好みの問題で済ませられると考えているから脳天気に、表立って批判する奴が悪いと言えるのでしょうが、盗作問題などをはじめとした不可解な部分、問題があると指摘した部分を深く検討していただけないと原案派への本当の理解や同情は難しいと思います。
悪い所があったり、悪いことをしていたりしてもそれを批判することは悪いことだという考え方にはぞっとするものがあります。まるで盲目的な自分達を認めてほしいから目を覚ますようなことを言わないでくれと言っているかのようです。
ただ単につまらない、嫌いというだけで批判しないで済む状態であれば態々大きく批判しなくていいかもしれませんが、そのような甘く生温い状況ではないことを2期以降に強く痛感したのです。その内容の説明は既に先の記事でも今回の記事でもしていますが…。
それと、乱雑な感情や論理から導かれる暴力的な賛美や批判と、真摯な感情や論理から導かれる賛美&批判を一まとめにして考えることはナンセンスだと思います。
そのような指摘をみても、やはりアニメと劇場版のラブライブや2013年以降の作品プロジェクト全体は、積み重ねや面倒臭い決め事を破棄して、表面的で浅いつながりで結ばれた妥協と馴れ合いの間に合わせで叶えた物語が好きな人に支持された作品だったんだなと思えてきます。
好きだからこそより高みを目指したい、好きだからこそ勿体ない部分を指摘する、批判するという発想がないのでしょうか。ラブライブはもはや好きとはいいがたい作品に成り果てましたが、自分は好きな作品でも問題のある部分については批判します。好きだからこそ正直で誠実に向き合いたいからです。その点の行動をするかしないかについては好みで問題ないとは思いますが。
あえて単純化して例えれば、ピカソのキュビズムの絵画に対して『もう少し現実に合わせてもいいんじゃないか』と主張するくらいナンセンスな議論なのです。
この点は先述のレストランの例えで説明もしましたが前提のズレがあります。ラブライブの場合、写実画というには写実的から程遠く、キュビズムの方向に傾かせたというには写実的すぎるという半端な状態です。それがいいといえばそれまでですが、それが悪いといえばそれもそれまでです。
そしてそれらが地味で不規則な所を見ると、ただのミスなのではないかという気がしてなりません。また、ラブライブは芸術作品という意味ではキュビズムの絵画と同じでも一枚の絵でも一つの彫刻でもありません。ストーリー作品、キャラクター作品、物語なのです。さらにあのアニメ内でも『みんなで叶える「物語」』などと言ってしまっています。
つまり、ラブライブという作品がキャラクター性や物語性の描写の在り方について審議されるのは当然ですし、ましてやそれを無視してしまうだけでなく、無視して見る方が正しいかのように主張する態度は、作品評価をする上で致命的な怠りがあるように思います。
増田の観たかったものは、キャラクターの内面をリアルに掘り下げたドラマ。誤解を恐れずに言えば、スクールアイドル版のアイマスじゃないのでしょうか?
アイマスといっても色々ありますが、本家のアイマスやシンデレラガールズ(一応双方アニメのとしておきます)などはアニメのラブライブよりはともかく、物語性などについても、キャラクターが多すぎることや、原作で主人公であるプロデューサーの存在が軸となりすぎていることもあって内面の掘り下げについて理想には少し遠い面があります。またアイマスは原作がギャルゲー風の育成ゲームで芸能界の作品ですし、そのような物語性やキャラクター性などの部分への描写を前提する要素がラブライブより少ないことがその部分において許されやすい部分はあるかもしれません。
ただ、アイマスは声優などの外部のネタをキャラや作品に持ち込む二次創作的な風潮がラブライブより強く、そこが支持されてもいますがそこは自分にあまり馴染まない部分ですし、そこはラブライブには真似してほしくなかったのですが結果的に追従するように似たような道を歩んでいってしまった印象があります。
それでも、アイマスの原作はゲームであるという絶対的な軸があり、キャラクター的にもその区分けを比較的大事にしているので、ラブライブよりはファンの棲み分けがしやすくなっているように思います。
自分はラブライブを応援する以前にアイマスが好きだったのですが、アイマス2の騒動で距離をとるようになりました。あれも作品公式の運営への不信感を感じる騒動でしたけれど、その後アイマスは先述の区分けのおかげでなんとか致命的に沈み込むことはなく持ち直していったように感じています。また、当時のファンの多くが大きく問題視して糾弾したのも現状に対して盲目的で内容に興味があるのか疑問を抱いてしまうラブライバーの多くとは違う点でしたね。あまり高く評価するつもりはないのですが、結果的にはアイマスの場合はファンの意思がある程度「プロデューサー」として作用し反映されたおかげかもしれません。
対して、ラブライブに期待していた広い意味でのコンテンツの在り方は前回の記事http://anond.hatelabo.jp/20160330020728で言及した通りですが、そこでも述べた通り、ラブライブというプロジェクトはファンの意思や存在を「みんな」の中から排除したものだったという気がしてなりません。
京極監督と花田さんは物語性の軛からラブライブ!を解き放った。漫画や小説では表現できないアニメならではの特徴を最大限利用してアイドルを表現したのです。
アニメならではの特徴を利用したとしても、アニメでも表現できることを怠りすぎていたので批判されていることも考えていただきたいように思います。
物語性を「軛」と表現していますが、それは致命的な配慮の怠りで思い上がりですね。絶賛派は似たようなことを言うのである意味信頼できますが苦笑します。
別のとある絶賛派の人はキャラクター描写について批判する人をキャラクター至上主義はダメと批判したりしていますが、裏を返すと絶賛派は表現至上主義なわけです。
また、キャラクター性や物語性の描写の拙さを批判する人達は別にアニメの表現や演出のあり方を否定していません。
対して絶賛派はあの表現と演出さえあれば物語性やキャラクター性の描写は不要だ、ない方がいいくらに否定的に捉えているわけです。表現や演出をそれらの免罪符のように扱っているのですから。
しかし、先述の例えのようにシリーズアニメにおいて表現演出というのはキャラクターや物語性の拙さを打ち消す免罪符に足るものではありません。
まあメタ的に、「アイドルやアイドルファンというのは実はこんなに狂気的で下らないものだ」というのを、アニメ全体を使って表現したというのであれば、それはある種のテロリズム的芸術として評価できるかもしれません。
そういうものはオリジナル作品で勝手にやったのであればそういう作品性も面白い、有意義だと手放しでいえた可能性があったと思います。しかし、元々の作品の指針としてコンセプトが違う原案が存在する作品を預かりながらそれを行い、それらを生かしたとは到底言い難い状態にある作品となったので好き嫌いを超えた善悪の問題で批判しているのです。
超現実的であったり表現主義的であったりする要素を作品にあってはならない要素だとは思っていませんし、何度もいうようにそこを特別に批判しているわけではありません。
せっかくのシリーズアニメ作品で、物語形式だったのですからそのような最重要の部分を十分生かして欲しかったのです。
そして批判派の多くは勝手なミュージカルをするなとか急に踊り出すなとかいうのを言っているのではなく、そのような表現主義的な意図があるとは思えない単純な所でもただのミスではないかというような違和感を抱く描写があり、その点への指摘や批判すら絶賛派が、全ては芸術的な表現だからそれでいいんだというように無理矢理擁護してしまうためにうんざりしているのです。
仰っているような表現方法などに特化しただけのものでいいのならオリジナル作品や、またはそれこそ、PVだけ作っていてくれればよかったと思います。
それに対して「いやあの形のアニメだからいいんだ」と主張する場合の理由は、おそらく知名度が上がりやすく人気が出やすいからでしょう。
確かにラブライブというコンテンツは人気が出て欲しかったですし、知名度さえ上がれば元のままで高く評価されることが可能なポテンシャルは十二分にあったと感じていましたが、絶賛派が表現主義的に評価するアニメを、あの形でアニメ化しなければならなかったとする根拠を考えると、人気が出た作品のファンを名乗りたいという表面的な所に帰結していくように思います。
今となってはアニメ化せずに人気が出なくてもアニメPV付きシングルがもう何曲も出ていた方がただのファンとしてなら幸せだったなと感じます。
表現方法などが優れているとしても、前の記事でも言ったようにかつての作品の在り方とそれらの表現手法などは両立できたでしょうに、最初からしない道を選んだことを批判しているのです。
また、それがオリジナリティに溢れていたならまだしも、元々の原案に沿うことを拒絶しながら他の無関係の作品は平気で参考にして適当になぞらせるようにストーリーやキャラクター設定を(前回の記事で説明したような)稚拙な配慮の下に歪ませてしまったことが甚だしく受け入れがたい問題点なのです。
http://anond.hatelabo.jp/20160321120853
トラバで1期2期本放送当時の空気や、それ以前のにこの扱いについてツッコミをいただいたが、これについては今以て反論のエビデンスが見つからないので、ここでは否定しないことにします。
今回また筆を執ったのは、それでもなお熱心なファンが、先日のファイナルでドームを埋め尽くすほどのマスを何故獲得したか、思うところがあったからだ。
きっかけは、元のエントリを書いてからいよいよ続きが待ち遠しくなって、程なくしてDVDレンタルで2期をチェックし、その勢いで劇場版も再チェックしたところ、久しぶりに心動かされるインプレッションに直面したことである。
元エントリで、自分は「あれだけの人気が出たのが不思議で仕方がない」と書いたが、これは撤回せざるを得ない。
我ながらこんなふざけた掌返しは、いわば「北風と太陽」を味わってしまったからである。
それくらい、2期のクライマックス(9話以降)から劇場版に至るまでの盛り上がりは熱く、そして眩しかったのだ。
今までこんなにやる気・前向きの熱気に溢れ、眩しすぎるくらい眩しい作品があっただろうか。
そりゃ話の筋書きだけ見たら全くパーフェクトではない。
てか2期だって、8話までは基本ほぼ早送りで見てもいいくらい退屈だった。
それこそ「1期でヘマやらかして批判を受け、制作側が必要以上に萎縮した結果、2期は美少女動物園」という、ありがちな体たらくじゃん・・・正直ゲンナリしていた。
でも話が終わりに近づいた所で大きな軌道修正が入ったのだろうか、そこからが本当に凄かった。
上に書いたようなツッコミや、その他シニカルな見方(例えば「ずっと一緒にいると、お互いの考え分かっちゃうんだよね」とかホントか?と思わなくはなかったり)を軽く吹き飛ばすくらいの、超ポジティブ展開で畳み掛けてきやがったと。
勿論「この1期があったからこそ、2期があった」と思わせるようなニクい演出もキッチリ作ってきてたし。あと神田明神が痛絵馬だらけになる事まで見越した話も挟むとかもヤバい。
そして、その勢い冷めやらぬまま突入していく劇場版は、2期まで見た後だと全く違って見えた。
まさに一面パーッと花が咲いた感じというのだろうか、目を見開かされたのは間違いない。
そして、この目の回るような展開が、少なからぬ視聴者の心を捉えて離さなかった結果の大ブレイクだったのだと、確信した次第である。
「皆が一生懸命頑張って頑張って、そしたらどこまでも飛べる、そして花は咲き続ける」
という、素晴らしく力強く、明快直截で、そして純粋なものだった。
そもそも「どこまでも飛べる」と何か1つでいいから思えるメンタリティこそが青春なので、ある意味では青春の輝きを体現したアニメなのかも。
しかしそれにしても、中高生以上がコアターゲットのアニメで、こういうメッセージをここまで最前面に打ち出し、押し通した作品を自分は他に知らない。
もしかしたら、こういうラブライブ!のような直球勝負な作風がブームになるレベルでウケるくらい、アニメがカジュアル化したということだろうか。
てか、もしそれを見越して本企画を思いついたのなら、考えた奴は神だと思う。
「アニキャラでアイドルユニット作ってPVもどきの形でアニメにして、アニメと全く同じパフォーマンスを中の人がライブで披露する」
と、要するに
ことがオリジナリティの核という、とんでもないイロモノ企画だったわけで、実際
と当時は思ったものだ。
それがこんな化物コンテンツに成長したのだ。
恐ろしい。
同志よ!
いや、私の趣味はどちらかというとフレーバーティーなのだが仲間を名乗ってよいだろうか?
世の中の喫茶店と称するものはティーバッグが出て来たり、勝手に砂糖を入れたり、挙げ句の果てに檸檬の輪切りを浮かべたりして嘆かわしい。
コーヒー豆は多数用意するのに紅茶は一種類、それもだいたいダージリンだ。
「今日のおすすめコーヒー」はあっても「今日のおすすめ紅茶」はない。
この扱いの差はなんだ。
その点、つくばにある花水木 は本当に素晴らしいのでぜひ東京まで展開して欲しい。
ルピシアが好きという人は一度飲んでみて欲しい。多分気に入ると思う。
もう1軒勧めるなら
そもそも論をぶつけるようで申し訳ないんだけど、医学的に病んでるとか、極端に自己肯定欲が低すぎて会話が噛み合わないとか「病んでる人の特徴」をちゃんと理解してる人ってどんだけいるのさ?そこからしてまず謎 / “「俺メンヘラホイホイな…
メンヘラとかうつ病を懸念する割には本当に病んでる人に会ったことがないか、定義がわかってないまま怖がる人が多すぎます。
この人医学的に…とか、そういう薬を飲んでるんだとかそういうレベルまで病んでる人じゃなくて、単なる依存癖をメンヘラって呼んでないっすか?
ちなみに、僕の場合ですが…躁うつ病でかつ、発達障害だから、コンテクストが合う人と実際にお会いすると男女問わず病んでるか、いまにも病みそうな生活してたりする。
メンヘラ女ホイホイなんじゃなくて、「発達障害的な言語の方がやりやすい人」と一緒にいると自分も含めて「闇(病み)」というね
いや、メンヘラホイホイってフレーズにカチンと来てるんじゃなくて、もう「メンヘラ」ってフレーズ自体にカチンと来てるんだよね。
いや、本音を言うと、軽々しく、定義不明確に他人をメンヘラ呼ばわりできる人にはうちに余ってるリーマスを手に握れるだけ入れて、口に入れて強制的にODさせてやりたい。
「お前の味わってるそれがメンヘラだ」
と。幾つかの睡眠導入剤を併用して飲ませて1日まるごと消える体験でもいいが
5年位前にメンヘラな女の子に優しくして勘違いさせるの好きって得意顔で言った青二才がなんか言ってる。あの時は自分がメンヘラじゃないと思ってたから見下してたんだろうね。でいざメンヘラになるとメンヘラ見下すんじゃねえよって言い出す。
これ生活保護も一緒。大学生の時に、生活保護で初任給と同じくらいもらえるなんて納得行かねえって言ってたのに自分が生活保護をもらいかねない立場になると手のひらクルーして生活保護をばかにする奴はバカとか言い出す始末。
自分もフジテレビデモに参加するくらい馬鹿だったのにシールズについては左翼だからってりゆうじゃなくて大学生だからって馬鹿すぎるだろと言い出す。
失うものがない人間って、信頼性を必要としないから手のひらドリルやり放題で楽しそうだ。 今の自分の状況に都合のいいことしか考えてない。彼女ができたら絶対にDVしそうだね。今は権力ゼロだから最底辺の無害な男だけどそのまま一生終えて欲しい。
嫌いなタイプのブロガートップ3?
1、人々を騙すデマ・独自理論をばらまく外資系または金融上がりの書き手。
2、ゲス女を標榜し、男の悪口を言う以外に中身が無い文章でもキャラでもなく共感と女だけの人
3、他人の二番煎じしかせず、オリジナリティがないキョロ充な人
気をつけましょうね♪— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016年4月3日
金融経験がなくデマ・独自理論をばらまく自分では政治や経済に詳しいつもりのFラン大卒芸人
ゲス男を標榜し、女の悪口をいう以外に中身の無い恋愛論でも、アイコンがかわいいだけのニート
話題の記事にのっかって大げさに騒ぐことしかセず、知識が足りないキョロ充なくせにキョロ充の自覚がないアニメアイコン
気をつけましょうね♪
自分の事かと思って読みました。
自分の場合、何を食べたいかと友人に聞かれても「これが食べたい」というのすらなくて絶望的に落ち込んでいたよ。
最近になって将来への考えが変わってきたので増田に意見を書こうと思う。
教育に携わっている知人らいわく、「どうして?」と子供に問いながら答えを自分で考えるように育てると子供は自発的に考え、スランプに陥っても解決策を模索できる人間になれるらしい。
しかしだ。そう育って親の事を嫌いになってしまった友人もいるし、どうして?と言われなくてもそう考えるようになった人だっている。
答えは「いろんな人がいる」から自分はおかしくないよってこと。
こうやって向き合ってちゃんと自分がどんな人かってわかってるじゃん。
だから寛容な人間なんだって思ったらいいんじゃないかな。何を食べたいか決められなかったら前回とは違うもの(たとえば前回パンなら米で行こう!)とか。
将来的な部分はみーんな一緒だよ。子供のころになりたかったものにそのままなれる人って少ないでしょう?
人によってはただ”有名だから”この会社を受けようと思って受けて働いてる人。まったく興味が無くても”お給料がいいから”という理由でその会社を選んだ人だってたくさん居るんだよ。
ひとつ言うと、流行はだれかが作ってる。それを広告関係の人が広めてみんな飛びついて着たり食べたりして楽しんでるんだ。
みんな自分で見つけたんじゃないよ。大多数の人は人がしてるのを見てあたかも自分色ですって言ってやってるんだからさ。
ここは日本、右ならえでいいんだよ。オリジナリティが見つけられなくてもある意味とっても生きやすい国だと思う。
平凡に考えてみて。親の敷いたレールなんて言うけどそこまで育ててくれてありがとうでいいじゃない?過去を蒸し返してもきっと何も変わらないしさ。