はてなキーワード: オリジナリティとは
「すいすいすいようびって語感がいいよね」
「そうなんだ。ということはそのCMも水曜日でもないのに『すいすいすいようび』って言われ続けているんだね」
「え、じゃあここでも曜日ごとに違うフレーズ使ったほうがよくない?」
「分かってないなあ。オリジナリティだよ。どうせ昔のCMが元ネタだから、むしろこっちがオリジナルだよ」
「なるほどお」
「ここだとYahoo知恵袋でやってそうな質問をしてくる人間を茶化すときに使われるな」
「用法が違うんだね。でも、なんで『クソザコナメクジ』のほうが全部カタカナで綺麗なのに、わざわざザコの部分を漢字にするんだろう」
「分かってないなあ。オリジナリティだよ。ましてやパクり元が淫夢ネタだと思われたら品位が下がるだろう」
「なるほど、必ずしもオリジナルを尊重することが良いとは限らないってことだね」
「そうだ、どうせ元ネタだと気づかれなければ、むしろこっちがオリジナルだ」
「そっかあ、何となくオリジナルってものが分かってきた気がするよ」
「また一つ賢くなったな」
「ということは、この『マスダとマスダ』も何か元ネタなりモチーフとかがあるの?」
「あるんじゃないか?」
「何で疑問符」
実話であるとは言わない。
だが寓話としてこういう話もあると思って欲しい。
会社が昔から取引を続けてきた某クライアントから依頼を受け、最初の話し合いでだいたいのコンセプトを聞き現場担当者同士で話し合いラフを作ってGOサインを出してもらう。
順調にデザインが出来上がり自分なりによいできと思い、直属の上司に経過報告として先方に提出する前に確認をとる。
すると以前現場でデザインをしていたという上司が「以前この会社はこういう方を好んでいた」とダメ出しが入る。
その修正のために全て位置を作り直さないといけないくらいに(タイトル文字を横書きから縦書きにしろくらいの変更)だ。
しかし上司に相談をしてしまった以上は無視して提出するわけにいかず、朝方までかかって修正をする。
最初ほどの満足感はないがまあまあよい感じだ。
その後も細かいダメ出しを提出寸前まで言われつつも最初の案の提出納期に間に合わせる。
無事に先方の担当者さんに渡す。
数日後修正事項が戻ってくる。
先方の担当者さんは申し訳なさそうに「うちの上司がどうしてもとこだわりがあるようで」と箇条書きで10項目以上の修正点を出してくる。
これらすべての平均値をとってみんなが納得する要素を入れ込んだデザインにしなくてはいけない。
当然のことながら配色の原則も、タイポグラフィの選択もめちゃくちゃになる。
そして完成品はまるでパッチワークのような不思議なデザインとなり、最後に上司からこう評価される。
こないだ友達(女・未婚・彼氏あり・結婚予定)と「将来子ども産んだら〜」みたいな話した。
待機児童問題ヤバイねとか、彼氏育休とってくれそう?とかだと暗い話になりそうだから、なんて名前つける?って話をした。
友達が結構キラキラした名前を候補にあげてくので、「あれ?そういうの嫌がりそうな人だと思ってたけどなぁ」と思いながら話してたけど、色々きいてくうちにわかった。
まず、子どもの名前考えるとき、人と名前が被るのが嫌ってのは、「オリジナリティ溢れる、唯一無二の名前が良い!」とかではないみたい。
親戚と名前被ると面倒だし、別に親戚じゃなくても、身近な知り合いとか、今まで出会った人と同じ名前は嫌なんだって。
例えば、
「えりちゃん」→中学の同級生にいたなぁ、いじめっこだった。あんな人にはなって欲しくないな。
「しょうじくん」→ちょっとだけ付き合ったことのある男の名前だ…嫌な奴だったし、呼ぶたびに思い出したりしたくないので却下。
みたいな感じ。
人間、20年とか30年生きてれば、かなりの数の人に出会うし、よっぽど良い人で尊敬できて憧れるような人じゃない限り同じ名前は避けたいらしい。
呼ぶたびにどうでもいい他人を思い出したりしたくないし、疎遠になった人でも子ども産んでから再会して「えっなんで自分と同じ名前?」とかきかれたら面倒くさいし。
「えっ そんな漢字も載ってるの?」
「そんな読み方していいんだ??」
みたいなのがいっぱい載ってる。
しかも名付け辞典みたいなやつだから、「こんな意味の漢字です」「こんな人になってほしいという願いをこめて名付けます」とかでもっともらしいことがいっぱい書いてある。
これは結構びっくりした。
こんだけいっぱい書いてあって、しかも身近な先輩ママとかがそういう名前つけてたら、これが普通って感じになる、と思った。
こういう話をきいてたら、キラキラネームが多いのもそんな不思議な話じゃないな〜と思いました。
ちなみに、最近、普通に平凡でちゃんと意味とか込められてそうな良い名前だ!って人に名前の由来をきいたら、「占い師に名付けてもらった」とか「霊能者に名付けてもらった」ってことが多いから、自分キラキラネームつけちゃいそうでこわいな…って人は占い師とか霊能者に頼んだら良いかもね。きっとそういう職業の人って名付けとか頼まれること多くて良い名前のストックいっぱい持ってるんだろうな。
状況によりいちばん余裕のある父が夕飯を作ってくれるようになった。
作ってもらってる身で申し訳ないし私も料理に関しては数々の失敗をぶちあげてきたのであまり言いたくはないのだけれど…正直あまりおいしくない。
というか、私の料理初心者のときの失敗とは違う種類の失敗をしてきて「その発想はなかった」という感想がわく。
以下それについてのカルチャーショックを綴る。
【1、なんか量が多い】
自分の胃袋というか食欲に合わせた量を作りあげる。レシピの分量どうした。
うちはレシピより少し盛った量で食べる家なのに多くて食べきれない。よそう量だとかそういう問題じゃない。
でもそのでかい魚一尾は二人で分けて丁度いいって量だし。見ないでかさなんだけど、どこで買ったの…?
お肉にしてもお刺身にしてもなんでそんなに何パックも買うの。ていうかあるのから使って!
あとちゃんと3品作ってるんだから「スーパーで見かけた自分が食べたいお惣菜一品」も余計じゃない?
普通のカレーで失敗したものを食べたのは私が学生の頃レシピ見ずに失敗して以来である。何か謎の香辛料を入れられた。
「カレーのルーはね、日々その専門家さんが研究した成果なんだよ?
ほら以前にテレビでそれぞれアレンジかまして結局手を加えないのがおいしいとかってやってるの見たよね?」
材料減らすとか代用とかはいいけどレシピにないものを初心者の初挑戦でなんでぶっこむの?」
力説すると頷いてはくれるけど従ってはくれない。チャレンジャーのままである。私そのままのZEPPINが好きなのに!
とりあえずあらゆる料理にしいたけをオリジナリティと称して入れるのやめようか。
あと、割と合うにしても入れなくてもいいの入れるのって食材勿体無く思わない…?(そして全体量が増えていく)
というかそれ使ってもう一品作れるのにって…。
【3、クックパッド教】
「味の保障はないからそこまで信じてはいないんだけど」って言いながら使うのは何故。
うちには父本人に「自分で本買うとイイよ」と勧めて買ってた本含めてそれなりの量の料理本があるけれど、
全然自分から使用しない。「食材での検索ができるから」って本でも…できるよ…?
【4、味が濃い】
オリジナリティが混じりつつも味付けに関してはレシピは見たはずなんだけれど…。
我が家は薄味が多いので濃いと余計にダメージある。そして献立として舌を休める逃げ場もない。
添えられたバターソテーの味がきつい。バターがもったいないし念入りなバターはいいよ…。
なお、味見はしていないらしい。
※最近、野菜のレンチンを覚えてくれて舌の逃げ場的な意味でちょっと良くなった。(よかった)
肉はおおよそ下ごしらえにワインがかかっている。(あと念入りに叩かれてぺらぺらになってる)
カルボナーラにはタマネギが入れることで味をマイルドにしようとした。(しゃばしゃばして味を見失ってて哀しかった)
「自分で思いつく選択肢」による展開が焼く一択・一辺倒になってしまうのは仕方ないんだけど、
「この食材はどういう料理ができるだろう」とか「今日はこの本のこれをやろう」っていうのが全然なくて、
最近は以前ほどではなくなったけど、最初の頃はしょうが焼きのスパン短すぎて量と共に泣いた。
「親子丼作ったの初めて」ってマジですか…昔の自炊時代、なに作ってたんだろう。
あとパッと思いつくのは
「牛肉100パーセントというロマンを目指そうとしてつなぎ不足でボロボロになったハンバーグ」とか
「なんでか味の超濃い煮物」「なんでかつなぎ不足になった煮込みハンバーグ」
とかだけれど、ロマンの方はともかく失敗も少なかろうとお勧めした後者が何で失敗したのか私には量りかねるし
もう「お父さんガンバッテ!」としかいえない。いや頑張ってるのは知ってる。お父さん、応援してます。
※なお、人のばかり晒すのもどうかと思うので私のやらかした失敗を晒すと
第1位「白ワインを入れるところを白ワインビネガーを入れてしまって酸っぱすぎて食べられないラタトゥイユ完成」
第2位「レシピをまるで見ずに作ったカレーが水を入れすぎてしゃばしゃばのブツに」
第3位「何か揚げ物系?だったかで炎が立ち上って弟に助けてもらう」
とかになります。これはこれでひっどいですね。
金を軸に考えろ
生産するのにコストが掛かる上にオリジナリティがあるおかげで成果物として版権元からも第三者からも認識できて
その結果として同人市場が形成されてそこに乗っかることで経済活動が発生しオリジナル元も何らかの恩恵を享受できるという
相互補助と飯の種にできる関係者が多数いるからあえてグレーゾーンとして扱われているのが現状
なので任天堂とか自社コンテンツに明確な不利益を与えてくるものは排除し、
別に金銭的な不利益やコンテンツ侵害にならない場合は野放しというより放置
それに対しキュレーションサイトは明確にパクられの価値を下げるので飯の種に泥をぶっかけにきている状態
複製するのも小遣いレベルで大量複製することができる成果物にしては質が低すぎるのに対してGoogleのSEO効果がでかすぎるのが歪みを生み出してる
簡単に量産されるのに影響力が大きいってことはSEO・検索順位の価値が疑問視されるしPV至上主義も崩壊してWebサービス業者そのものの価値を落とし込む
世の中は金
金を基準に見ていけば何が都合が悪くなって始まるのかが見えてくる
割を食うやつが出てきたら問題化する
「いま最もアツいゲームは『オープン・ワールド』系、コレだ!」
「ゼルダの最新作もオープンワールドだし、『The Last of Us』の続編もオープンワールドらしい」
「大型タイトルならやっとけみたいな勢いだな」
「とあるアイドルについて友人に『知ってる?』って尋ねられてさ。『知ってる』って答えんだよ」
「ああ」
「でも、俺の『知ってる』ってのは、そのアイドルの曲とか聞いたことあったり、テレビでちょろっと見たことある程度のレベルなわけなんだよ」
「うん」
「それで、その程度で『知ってる』とか言ってんじゃねえよみたいなこと言われたんだよ」
「そうか」
「あいつの『知ってる』を満たすことはできなかったかもしれないけどさ、俺の『知ってる』ってのも広義的には『知ってる』って言っても問題ないだろ?」
「知らねーよ」
「オリジナリティっていうけどさ、今や無数のデザインや音楽など、コンテンツが出回ってるよね」
「そうだな」
「そんな中、全く似せずに、完全なオリジナルだと言えるものを作るのって無理なんじゃないかなあ」
「まあ、何らかのモチーフがあるか、当人にそのつもりがなくてもカブることはあるかもしれないな」
最終的に色んなメーカーのパーツを使う
みたいな感じだろう?
服も同様に、ブランドで揃えて、そこから徐々に逸脱してオリジナリティを出すのが基本ルートだと思う
なのに、私たちは初手でアレンジから入ることが多いように思える
原因として考えられるのは
これは非常に不幸を産むと思う
初手アレンジから入り、センスがなく、服に興味もない俺みたいな奴らはクソダサ人間として生き続けるしかなくなるのだ
初手アレンジで上手くコーディネートできる人は確かに羨ましいのだが
そいつらは無視して、まずはブランド品で合わせてみてはどうだろうか
例えば、PC初心者がいきなり自作したいとか言い出したら「メーカー品買っとけ」って言うだろ?
それと同じ
電通でずっと週100時間以上残業させられた女性が苦痛のあまり自殺した。
担当上司から徹夜で作った広告をボロクソに言われたらしいと聞く。
私も似たような目にあって、心を壊されて病院通いにさせられた。
物書き、編集、企画という仕事なんてその時いた会社ではノウハウがなかったので、誰も教えてくれない。だから自分で探したり、売り込みに来て知り合った人の技を盗んで五年くらいかけてやっと自分なりの文章を書けるようになった。それを武器に人の紹介などで1〜2ページながら連載の企画を持たせてもらえるようになった。
ゆくゆくはフリーになりたかったから、会社の仕事以外にも外部のライティングからデザインまで寝る間もなく引き受けて納期は必ず守っていた。
するとどんどん欲が出てくるのは当然のことで、それら実績とオリジナリティで勉強のためにととある会社に所属することにした。
面接と作品を見た人は偉そうな態度で嫌な感じはしたが、仕事を覚えたたらやめるつもりだったので我慢して入社をすることにした。
「修行に専念することにするんでしばらく休業すると言って、それまで外注で受けてT仕事を休むことにした」
それまでに書けるだけ書いて、使ってくださいと納めた。
そして新しい日々が始まったんだが、面接の時の評価とは手のひらを返したように重箱の隅をつつくことから、来客の挨拶の仕方まで上司とその下にいた先輩は批判するようになった。
それは仕事まで及び、短文からマンガの原作に至るまでここはいけない、こうすべきだ。これっておかしい。などと徹底的に否定された、
5時間くらい残業して何日もかけて書いたものを上司に見せると、これおかしいから手を入れるからと原稿を受け取って「こうなるんだ、見比べてみろ」とアイディアだけ残った全然違うものにされて返された。
挙げ句の果てには短文の紹介文の文体が気に入らないのか、こんなのなんなのとヒステリックにまくし立てリテイクを何回もされた。それは写真のキャプションにも及んで「これと書いてあること違うじゃない」「見たとおりで膨らませるように書いただけです」と言っても全部ダメだし。
原作や創作文章もいくら時間をかけて書き上げても、上司からはボロクソに言われてダメだしやアイディアを盗まれたりした。挙句は一読して「あんたの頭の中はどうなってるの? これで伝わると思ってるのと文句しか返ってこない」こんな状態だから会社でもだんだん話す人がいなくなり孤立していく。
もう自分のスタイルも何もわからなくなって、何をどう書いたらいいかわからなくなっていた。
書けば「頭がおかしいんじゃないの?」など人格を否定するようなことまで言われるようになっていった。
思うに文章の書き方が、私の未熟さもあるが、そこの上司の統括する本に合わないから否定してぶち壊す。しかもそれまで私の書いてた文が、外部では評価されていたことが気に食わなかったのだろう。
だから徹底的に壊してそして上司と意地悪な先輩の考える「型」にはめ直そうとしたんだと思う。
これは「自己」を「破壊」して「新たに植え付ける」ある種の「洗脳」だ。
もうこの時にはPCに向かってもまったく文章が出てこないばかりか、頼みごとを同僚にしても何か文句を言われてるような気がして、ますます萎縮し会社にいるのが辛くなった。もう会社じゅう敵だらけのような気分だった。
もうできるものなら死んでもいいと思っていた。
その頃、ある本を読んで自分は「うつ状態」じゃないかと思って、メンタルクリニックを受診した。もちろん会社には内緒で。そこで処方された薬のおかげで少しは仕事ができる状態になった。でも毎回のイビリで精神が元に戻ることはなかった。
それでもなんとか死なずにしがみついて入られたのは、婚約者がいたからだった。彼女といる時が唯一の癒しだった。
しかし、いい加減イビリ倒してもブラックシープはホワイトにはならないと思ったのだろう。ある日上司に呼ばれて「もう今月で君には辞めてもらうから」と言われた。解雇通告だ。
ようやくこの地獄から解放されると思う反面、無職になるということである。私には婚約者がいる。
もう、休業期間が長引いて外部ライターをやってた時の担当はどこにいったかわからないし、わかっても仕事を頼めるほど力がなかった。
運よくその前後に、以前の会社の出入り業者がデザインやMACを使える人を探していた。その会社の副社長とは顔見知りだったので、電話してみたら一人くらいなら入れられるとのこと。
二つ返事でその話を受けて、面接をしてその会社へ転職することになったのは運がよかった。
新しいフィールドだったから教わることやミス、怒られたりもしたが、同じ部署の個性的な仲間がフレンドリーで居心地はよかった。
いわゆるWEB小説ってやつの存在を良くわかってない奴が俺も含めて多過ぎる。
あれはファミレス、あるいはファーストフードと考えると納得がいくと思う。
小説が読みたいんじゃなくって、時間をつぶせるコンテンツを欲している。
お腹すいた。別に食べたいものない。お金もそんなにない。お手軽な牛丼チェーンやバーガーショップかサイゼリアに流れる。
暇。かといってがっつり楽しみたいわけではない。無料のWEB小説(なろうなりエブリスタなり漫画だとcomicoなり)に流れる。
そもそも本屋に売ってるような、読むのに気合入れないといけない面倒な小説を読みたいわけではない。
ただハンバーガーや牛丼と違って、同じ小説を何回も読むわけにはいかないし、レパートリーを求めるとちょっと味つけの違う別メニューをちょこちょことつまみ食いしてサイクルを回していく。
そういう目的だから、安心安定の、世界観の共通した、テンプレの異世界ものが消費されていく。
新連載は新メニューで、ちょっと意欲のある奴はタイトルやあらすじや冒頭なんかで面白いかどうか判断しておもしろかったら拡散(感想書いたり、ポイント入れたりしてランキングに載せる)
そもそも街の良くわからない小料理屋とか定食屋を発掘したり、チャレンジするような読み方ではないのがWEB小説。
チャレンジ精神のあるやつはよりよい作品を求めて、一般小説(本屋)に行って書店の推しとかPOPとかそんなの見て買って読むんだから。
安価で週に何回も行けるようなチェーンの飯屋でもそれぞれ好き嫌いがあって、なろうでファンタジー読む人もいれば、悪役令嬢転生読む人も居るし、
エブリスタで恋愛やらBLやら読む人も居るし、王将行くか、ドムドム行くかラーメン二郎行くかみたいな。
書き手もマニュアル化されてるから書きやすい。いきなり金にもならない創作フレンチに取り組む奴は少ない(居ないとはいってない)。
普段、そういう料理しか食ってないバカ舌だから、オリジナリティ出そうと思っても、すきやの牛丼のレパートリーみたいにネギ入れたりマヨネーズかけたりする程度のアレンジしかできない。
https://anond.hatelabo.jp/20160731175620
元増田です。
返信ありがとうございます。
ただ、主に盗作関係についてはやはり何度重ねて説明しても大事な所を読み飛ばされており、そのせいで全体的な話や意図も読み違えられたままで残念に感じます。
①を読んでないからそういう返信になってしまっただけかもしれない、と少し期待していましたが、①を読んでも変わらなかったみたいですね。
とありますが、納得しやすいように理由を説明しようとしてる部分をことごとく避けて言及しているから納得いかないのでしょうね…。
またそれぞれの部分にいちいち言及していく形式では文章が長くなりますし、同じこと繰り返すような状態に陥るでしょうから、先述の盗作関係において、改めて主張したいことを中心に言及しておきます。
その部分についてはおりあそ氏も過去にツイートにて、原作から内容が変わることはよくあるので一期の改変等は問題ないというようなことを仰っているのを拝見しました。
まず、雑誌やCDからTVアニメに媒体を移すにあたって、一部のキャラクター設定を改変したということそれ自体については、僕は悪いことだとは思っていない。同じシリーズでもメディアが変わるとキャラの解釈が変わるっていうのはよくあることだし、— おりあそ (@oriaso) 2016年3月19日
綾波みたいに何が本来の綾波なのかわからないレベルに多様な人格をもっているケースもあるけど、それがキャラ愛が無いってことにはならないと思う。特にラブライブ!の場合は電撃G'sでの連載とTVアニメが並行世界っぽい設定でもあるので、許容範囲なんじゃないかなと。— おりあそ (@oriaso) 2016年3月19日
しかし、改変の理由や経緯に不要な盗作やらオマージュ願望が関わっていることが問題なのであり、そこを無視して変わるのはよくあることだからとか、盗作だから何だと語られてもはてなマークが浮かびます。その説明は最初の記事でもしているのですが…。
ただ改変しただけであればまだ分かります。元々独立した設定や世界観がある作品を、別の既存の作品になぞらえて変更する姿勢や経緯に問題があるということです。
また、お互い様の主観で語らせてもらえば、アニメのにこや真姫、希のキャラクター設定は原案に比べると全く新鮮味がなく、陳腐な設定に変えられてしまっており、到底好意的に許容できるものではありません。
原案のにこや真姫、希みたいなキャラクターは昨今においてはこの作品でしか魅力を味わえない可能性の高い卓越性あるキャラだっただけに、勿体なさとやるせなさばかりを感じます。その上、くどいようですが変更理由が話作るの面倒で盗作したからだったという信じがたい怠慢な理由による変更と解釈で、そんなどう考えても擁護不能の状況を理由にならない理由を繰り返し用いてまでして擁護しようとしてしまう人のことは頭の中身をさばいて見てみたいくらい不可解です。
参考に、アニメ化以前にあったにこの性格議論の内容を見つけたので載せておきます。
にこにーは腹黒か? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/117836
の中にある、腹黒(キャラを作っていたら)だったらありきたりでつまらないといった意見が自分の意見に近いです。
脚本家によれば、脚本の都合に合わせるために性格を改変したとのことでしたが、その「話の都合」というのが崇高なオリジナリティに溢れる都合だったり、意欲的な再解釈による改変とかであったりしたならまだ少しは分かります。
しかし実際は安易な盗作、オマージュが絡んだものだったわけで、とても制作された作品はもちろん、制作における姿勢自体も最低限度の健全な状態を保たれていたとは思えません。
そんな信じがたいほどふざけたものに巻き込まれて設定が消された本来のキャラクターや世界観を好きだった身としては特にですが、倫理的に考えても許容は推奨できません。
最大限、原案設定や原案ファンの意思の尊重を検討した上でのものであれば、少しは溜飲も下がるかもしれませんが、そんな様子は様々な作品の展開や発言を見ても見受けられません。
2期においては原案公野先生がアニメ以後に作った新たな設定を部分的に持ち出しては改変し汚すという喧嘩を売っているように思える描写が随所に見られます。(にこの家族設定や希の関西弁の理由など)
また、制作側だけでなく運営側の問題でもありますが、アニメ化以前から続いているシングルPVや音声ドラマなどは元々当然ながら原案の延長線上の設定が採用されていたのですが、アニメ以降はアニメ設定を元にした内容になってしまいました。
つまり、並行世界の存在価値がそれぞれ尊重され維持されたとは言い難く、設定の侵食や統一といえるでしょう。
ただでさえアニメ化以降に作られたスクフェスやスクパラなどのゲームではアニメ設定を基調としているわけですから、アニメ以前から始まっているPVや音声ドラマくらいは原案設定を維持してくれないとフェアじゃありません。しかも何度も言及したように設定改変の理由には盗作等の問題が関わっているわけですから尚更です。
そういう意味でも、設定変更の経緯に問題があることはよくあるからとか許容範囲とかそういう風に安易に見過ごせるレベルではありません。そのあたりの理解を雑に行った上で設定の分かれ方を語ってしまう人が多いのもとても残念で呆れてしまう所です。
喩え話については、一応どれが何の喩えになっているかを説明しておいただけであり、言い換え可能だからと言われても理由になっていません。作品において何が大事なのかの考え方の説明などもこれまでしてきました。
アニメ作品において云々の話は前回あたりにしたメディアミックス云々の話に戻ります。アニメはアニメで、切り離して考えるとしても、設定統一や侵食の件で切り離したからOKという問題にもならず、またそれらが安易な盗作云々の健全と言い難い経緯を経て調理されているために作品を扱う倫理に問題があるというのを、今回もそうですが何度も説明してきました。
「多少整合性に疑問があったとしても適当に補完できる程度の問題」これは絶賛派が大好きな理論みたいで、似たようなことを言っている人を沢山見かけます。
批判や指摘について「多少」とか「細かいこと」と言う人が多いですが、その点が「細かい」所扱い、「適当に補完」できる所ではないということも長々とこれまでのやりとりの中で説明してきていたはずです。自身が言及を避けたからといってこちらが説明してないことにしないで頂きたいです。
これはkato19氏とは別の所ですけどミュージカルだから大丈夫、みたいなことを持ち出して整合性のなさや物語性のなさを擁護しているおかしな人達が絶賛派には多いですが、ミュージカルを冒涜しすぎだと思いますね。
批判してた人が急に歌い出したことをおかしいと批判してたとしたら多少はミュージカルを知らないのか、とかを持ち出すのも分かりますが、それ以外の所についての擁護でミュージカルだから大丈夫というのは意味が分かりません。仮にそれが通ると仮定しても、ミュージカル演出自体が嫌いな人からしたら何も納得できないでしょう。その場合ミュージカル演出を選択したこと自体を責めてるのですから。
自分は他のアニメで用いられるミュージカル演出はむしろ好きなことが多いのですが、ラブライブの演出はそれが生かされてることがないので嫌いです。基本の物語の流れが死んでしまっている上で、ミュージカルっぽくして誤魔化しとけ、という苦し紛れな用いられ方が多くて白けるだけです。
それにラブライブの場合、そのミュージカル演出も盗作元のglee由来ですしね。その他の演出や劇伴音楽などを含めたgleeに影響受けたものも本来のラブライブ!の作風に合ってるようには思えず、盗作云々を抜きにして見ても何もかもが噛み合わず滑ってる作品だなあという印象を受けます。
話がズレましたけど、そのようなわけで、絶賛派が、批判者の言葉や文章を咀嚼しようとしないどころか表面すら理解しようとしない上でまともな理由を持ち合わせず「批判しないで下さい」「批判したらダメです」というようなことしか言えないのを見ていると、やはり作品どうこうについての理解や興味はないんだなと思いますし、ファンである自分の状態にしか興味がないんだな、とますます思えてきます。
それと絶賛派が作品批判が広まるのを不思議なくらい恐れることについては、それは主に絶賛派が批判に対して反論することができないからというのもあるのでしょうね。
一方で、自分もアニメラブライブの賛美ばかりが広まることを恐れています。ラブライブのことだけならまだしも、あのような作品を良いと思ってしまうような価値観を持ってしまう人が増えることで、それに乗せられたクリエイターやスポンサー等がラブライブ同様のどうしようもない作品ばかり作るように(作らせるように)なってしまったら、アニメ業界は何も楽しめるものが作られない世界になってしまいますから、それはとても恐ろしいことだなと思います。
結局、議論を交わした意味らしい意味があったのか少し謎ではありますが、個人的には意見を聞いてもらえた、考えてもらえたという証拠をこうした意見交換の形で残してくれただけでも意味があったかな、とは考えています。ありがとうございました。
柔軟性
あなたは、好奇心旺盛で興味の範囲が広く、ものごとを柔軟にとらえることができます。また、突発的なできごとに対して臨機応変に対応することも得意です。何に対しても「もっとよいやり方があるはずだ」と考え、様々なアレンジを繰り返していくため、あなたの取り組みはどんどん進化していきます。あなたにとって、ひとつのやり方しか考えないことは悪なのです。
結果を出し続けていることが知れ渡るにつれて、周囲の人は改善したいことがある場合、あなたの視点やアイディアを求めるようになります。
あなたは、等身大の自分を軸にして、現実的にものごとを考えることができます。また、実際にものごとに取り組む際は、成果のみでなく、そこにいたるまでの努力の過程も大切にしています。夢物語にはあまり興味がなく、実際的なものこそ価値があると考えています。あなたにとって重要なのは、「今この時」であり、「現実」なのです。
あなたは常に具体的で現実的な提案を行い、実現可能な目標を定め、真摯に努力します。周りからは「地に足がついている」と表現され、その堅実性・実現可能性を評価されることが多いでしょう。
悠然
あなたは常にゆったりと構え、じっくりと考えたり取り組んだりすることができます。長い目でものごとをとらえ、あせらず気長に進めることが得意であり、目先の小さなことに気を取られて考えが変わるようなことはありません。特に将来のことを考えるうえで、あなたの長期的な視点から生まれる発言や提案はとても参考になるでしょう。
また、悠然とした態度には、周囲の人を落ち着かせ、「改めて考えてみよう・焦って決断してはいけない」と考えさせる効果があります。あなたの精神的なゆとりが、周りの人を落ち着かせるのです。
「人と同じではつまらない」あなたはいつもそう考えています。あなたはオリジナリティにこだわりをもち、仕事でもプライベートでも自身が納得できるかを重視します。あなたは、常識にとらわれず広い分野から情報を収集し、興味がある題材が見つかると自分だったらどうするか必ず考えるなど、自身の独創性をより高める努力をし続けます。
周囲の人はあなたのユニークな発想に魅力を感じ、次にあなたが創り出すものを楽しみに待っています。
感情が細やかなあなたは、周囲の人の気持ちを思いやりながら行動することができます。ひとりひとりのささいな変化も見逃すことはありません。鋭い感受性で自然に気づき、彼らにとってできるだけ心地よい状態を創り出そうとします。周囲に対する配慮はもちろん、言葉をかけるタイミングや伝え方のトーンまで、相手に合わせて工夫することができます。
あなたは感受性を日常のあらゆるシーンで活かしているため、周囲の人は円滑な人間関係やスムーズな進行にあなたのきめ細かい配慮があることを実感しています。
「これ書いている人よく見かけるね」
「へえー、歴史があるんだ」
「そのCMには『一日一善』というテーマがあってな、その精神を受け継いでほぼ毎日投稿しているんだろうな」
「ならなきゃ、やってないだろ」
「それもそっか」
「これもよく見かけるね」
「検索してみたが、『真夏の夜の淫夢』っていうのに関連している言葉のようだ」
「そっちだと全部カタカナのことが多いようだ」
「オリジナリティってやつだろう」
「出なきゃ、やってないだろ」
「それじゃあ、これからはこの記事のタイトルを『マスダと増田』にしてみたら人気出るかなあ」
「構わないが、お前が漢字の方やれよ」
「或いは、頭の『○○でやれ』の部分がオリジナルなのかもな」
「でも『クソ雑魚ナメクジ』も元ネタあるのに、それを使って『○○でやれ』っておかしくない?」
「そういうネタってことなんじゃないか。『真夏の夜の淫夢でやれ』っていうブーメランネタ」
「それで成立するの?」
「成立しなきゃ、やってないだろ」
http://anond.hatelabo.jp/20160923184321
参考にならないか当選案件を作ったイラストレーターの案件を見て愕然とした
圧倒的な作量と幅広い作風を持ち
それを惜しげもなく安い値段で仕上げる才能と経験とビジネスセンスの高さを持っていた
これがトップなのかと感心した
自分はその足元に及ばない
それに比べれば自分の作品はずいぶんと稚拙で時間もかかっている
なるほど自分は向いてない、才能がないってのは確かのようだ
もちろん器用かつ経験を積んだクリエイターであればそういうことは容易だ
オリジナリティは重要であるがそれとは全く逆になんにでも合わせて描ける
同じようなコンセプトでもあっても全てが異なる作風
これでは逆に作家の顔が全く見えてこない
それが持ち味としてもその都度画風を全部変えるようでは却って手間になるのではないか
酷いものになれば作品を構成しているパーツが全部他人の作品というものさえあり
まさかと思い自分の落ちた案件を見てみるとなんとフリー素材の転用
色さえ変えずそのまま張り付けたものを提出していただけだったのだ