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2019-11-01

いかがでしたか?」が可愛い身長は?出身は?実家ヤバい!?

こんにちは増田です^_^


最近インターネットで「いかがでしたか?」という言葉を目にしますね!


増田も日ごろ気になっている出来事を調べたり、

友だちにオススメされた映画タイトルを調べたり、

テレビでよくみる芸能人名前検索するたびに見かけます


でも、結局この言葉、よく見かけるわりにどういう意味なのか

「よく分からない!」という人も多いのでは?



そこで、今回はここ数年で見かけるようになった「いかがでしたか?」の意味

流行ったきっかけ、使い方について、気になったので調べてみました!




いかがでしたか?」って何?

皆さんが気になっているのは、

「『いかがでしたか?』という言葉がどういう意味なのか?」

ということだと思います


なので、これから、順番に意味を紹介していきます



いかが」の意味とは?

辞書で調べたところ、「いかが」という言葉は、次のような意味になるそうです。


いか‐が【如=何】 の解説

《「いかにか」の音変化》

[形動][文][ナリ]成り行きや結果を危ぶむさまを表す。どのよう。「その考え方は如何なものか」

[副]

状態意見などについてたずねるさま。どう。どのように。「御機嫌如何」「この件は如何いたしましょうか」

2 事の成り行きについて疑問をさしはさむ気持ちを表す。どう。どんなもの。「その案は如何かと思う」

相手を誘ったり、相手に勧めたりする気持ちを表す。どうですか。「お一つ如何」「あなたも御一緒に如何」

4 疑問を表す。どのように…か。

「―言ひやるべきと、近う居給ふかぎりのたまひあはせて」〈枕・三五〉

反語の意を表す。どうして…か。

「かくばかり逢ふ日の稀になる人を―つらしと思はざるべき」〈古今・物名〉

6 どう言ったらよいかからないほどの意で、強調する気持ちを表す。どんなにまあ。さぞかし。

「かかる物に捨てられぬといはれむは、―いみじかるべき」〈落窪・二〉


どうやら、「いかが」にはいろいろな意味があるようです!


そして、「いかが」を漢字で書くと、「如何」になるんですね!

びっくりです!(*_*)



「でし」の意味とは?

次に、「でし」という言葉についても、調べていきます


で‐し【弟子】 の解説

師について、学問技芸の教えを受ける人。門人。門弟。また、徒弟。ていし。「内弟子」「直 (じき) 弟子


デシ【(フランス)déci】 の解説

国際単位系SI)で、単位の上に付けて、10分の1(10-1)を表す語。記号d「デシリットル


やっぱり、「でし」にもいろいろな意味があるようですね!


さらに調べていくと、こんな意味もありました!


でし【弟子】 の解説

原題、(フランス)Le Disciple》ブールジェによる長編小説1889年発表。当時のフランス科学万能主義の傾向に一石を投じる内容で、物議をかもした。


「でし」という言葉は、フランスにも関連する言葉だそうです!


日本だけでなく、遠くはなれた外国もつながりがある言葉、ということでしょうか?_φ(・_・ふむふむ


増田外国に行ったことがないので、よくわかりませんが笑



たか」の意味とは?

最後に、「たか」の意味についても調べていきます

たか【高】 の解説

《他の語の下に付いて複合語をつくるときは、一般に「だか」となる》

1 数量・金額などを合計したもの。収穫量や知行 (ちぎょう) の額、また金銭の総額など。「生産高」「石 (こく) 高」「現在高」

「持ち出した資本の―迄話した」〈漱石・門〉

基準となる額に比べて高値であること。「五円高相場

3 程度の高いこと。また、限度・限界

物事ゆきつくところ。つまるところ。

死ぬるを―の死出の山」〈浄・曽根崎

㋑せいぜいのところ。→高 (たか) が

「二、三年は稽古だの何だのと何にもならねえ。十両が―だ」〈洒・通神蔵〉

物事の要点や、あらまし。大略。

「―をさへのみこめば、その上は時の才覚」〈浄・娥歌かるた

名詞動詞の上に付いて複合語をつくる。

㋐形や位置が高い意を表す。「高殿」「高照らす」

㋑音声が大きい意を表す。「高笑い」「高話」「高鳴る」

㋒りっぱだという意のほめことばとして用いる。「高知る」「高敷く」


たか」にもやはり、いろいろな意味があるみたいです!


実は、調べている時に気づいたことなのですが、

ここで紹介したもの以外にも、いろいろな「たか」の意味があることに気づきました。


みなさんも、興味があったらぜひ調べてみてください!



実は超重要!?○○の意味とは?

さて、ここまで、「いかが」「でし」「たか」の意味をご紹介してきました。


しかし、最後に忘れてはいけないことが、1つだけあります


それは・・・




「?」の存在です!!


そもそも、この「?」ってなんて読むんでしょうか?

「?」に意味なんてあるんでしょうか?


増田もそう思っていましたが・・・


実は!


「?」に意味はあるんです!


それをいまから紹介していきますね♪



「?」の意味とは?

日常よく目にするこのマーク


このマーク正式には「疑問符」と呼ぶのだそうです!

疑問符(ぎもんふ)は約物ひとつで、「?」のように書かれる。疑問を表し、疑問を表す対象の後に置かれる。なお、耳垂れ(みみだれ)、クエスチョンマーク(英: question markクエッションマーク)、インテロゲーションマーク(英: interrogation mark)また、俗にははてなマークなどとも呼ばれる。

一般には、疑問文最後に、終止符(マルやピリオド)に換えて置かれる。このため、疑問符は文の終わりをも示す。ただし、しばしば文の途中の疑問を表したい単語不明確なことなど)の直後に置かれる。この場合、括弧で囲むことが多い。

なるほど!という感じですね!



いかがでしたか?」の意味とは?

いかが」「でし」「たか」、そして、「?」の意味をご紹介してきたのですが・・・


みなさんが気になっているのは、やはり



「『いかがでしたか?』とはどういう意味なのか?」


ということですよね!


増田も、この「いかがでしたか?」という言葉辞書で調べてみたのですが・・・


残念ながら見つかりませんでした。


辞書には載っていないようです。


しかすると、「いかがでしたか?」とは、

まだ辞書にも載っていないような、かなり新しい言葉なのかもしれませんね。


あるいは、増田が使ったのと別の辞書には

いかがでしたか?」の意味が載っている、なんてこともあるかも・・・


しかし、いずれは「いかがでしたか?」の意味が分かる時が来るかもしれません!


あきらめずに、情報収集を続けていこうと思います



まとめ

まとめると、

・「いかが」にはいろんな意味がある!


・「でし」にはいろんな意味がある!


・「たか」にはいろんな意味がある!


・「?」にも意味ちゃんとある


ということになります



いかがでしたか


これからも、「いかがでしたか?」から目が離せませんね!

2019-03-05

anond:20190305093341

横だが真面目不真面目は物事に取り組む態度を表す言葉じゃないのか。

あと、勉強受験勉強など座学全般だけを指す言葉ではない。辞書によれば「学問技芸を学ぶこと」とあるので「漫画(を描く事)の勉強について真面目に取り組む」と表現するのは日本語的にも正しいと思う。

不真面目と表現するなら次みたいなケース「数学勉強をすべき時間(授業中など)に漫画勉強に勤しむことは不真面目である」。

2018-01-05

まあ、古文漢文は要らないよね。ブコメスプラトゥーン差し替えると良く分かる。

古文漢文って、基本的には要らないよね。

昔オレがやらされたんだから、オマエもやれよ。

努力が足りないっていう精神論の土台になってる意味現代では「積極的廃止すべき」だとも思う。

ただ、オレの「要らない」ってのは、元増田の主張とは立ち位置が違う。

元増田の「人生を左右する受験必須とするな」という主張には反論できるんだよね。聞いて欲しい。

そもそも立脚点スプラトゥーンとの違い)

高等学校学習指導要領スタートにするのは同意してもらえると思う。

そうすると、古文漢文って「国語」の以下の6つの科目のうち2つにあたる。

古典Aと古典Bだよな。

からブコメの「漢文には○○という効能がある」と言うのは全部ダメで、

それを言うなら「漢文」を「スプラトゥーン」に置き換えても同じ論立て出来るよな?ってなる。

その論立てだと反論になってないってのは良く分かる。

だってスプラトゥーン短期間でPDCAサイクルを学べ、さらに非言語コミュニケーションを通じて素早くチームでの立ち位置を明確にして、彼我の戦力差からどのように地形を利用するまでを、なんとゲームとして楽しく学ぶことが出来て現代社会を生き抜く必須技法が学べる、とも言えるわけであって。

オレが思うに、元増田は、「スプラトゥーン受験科目に入っている世界で、それの意義に反発している」と同じなんだよね。

スプラトゥーンに意義があるのは判る。効能も確かにあるだろう、だがそれは受験科目に必須とすべきなのか?と言う。

なぜ漢文効能を謳うだけではダメなのか

とは言え、ゼロベースで積み上げ式で受験科目を考え直そう!という提言でも無かったわけだし、判り難いとも思う。

から、何故に「漢文には○○という効能がある」というのがダメなのかを説明する必要がある。

古典Aと古典Bの効能ではないから、なんだよね。

高等学校学習指導要領における、国語の中の古典で謳われている効能で説得する必要がある。

そこを無視すると「歴史イケメン口説くのに必須」とかと同じになっちゃうんだもの

そんなん教師は知ったこっちゃないし、オマエだけだろソレ、みたいなね。

その観点学習指導要領を読むと、もうブコメ効能とか的外れも良いトコだよね。

古典Aは古典に親しむ態度さえ育てば、一部法律古文っぽいのを読めるようになれなくても問題ないし、

古典Bは人生を豊かにする態度さえ育てば、読解能力が全くつかなかろうが関係ないんだよね。

本来問題にすべき古文漢文の話は、この学習指導要領における目標の部分であって

「態度育てるだけじゃダメじゃね」とか「態度こそが重要だ」みたいにならんとイカンわけよ。

そして、「古典に親しむ態度を育てるとか人生を豊かにする態度を、現代日本人生を左右しかねない受験科目に加える意義とは?」みたいな話になって無きゃ全く話しにならんワケですよ。

その上で、元増田意見には反論できてしま

オレは要らないと思ってるからそれは後述する。

ただなあ、元増田の「古文漢文人生を左右しかねない学力試験必須か?」には、オレは反論できる。

高校学習指導要領に定まっているから。

元増田も言っちゃってるじゃん。「"機会を与える場"としての中学高校否定するつもりはない」って。

じゃあさ、そもそも入試って何よって話ね。

大学受験における入学試験学力試験な。アレは何を計測しているの?

基本的には「高校卒業程度の学力があり、さらに追加で一定学力があり、出来の良い方から入れたい」ってことだろ。

要は「高校で学んだはずのことを、より多く吸収できてれば良い」ってことだな。

大学本来学力試験の意義から考えれば、高校でキチンと学んで基礎を身につけてきたかね?

知識人として育てる/育つに値する人物かね?って問われているわけだ。

「機会を与えられたら、余さず吸収できる人間か?」と問う学力試験において、高校で学んだはずの漢文が身について無きゃ、ほかも推して知るべし、と言われても仕方がない。

から高校学習指導要領に定めがあり、高等学校卒業程度認定試験でも問われる学力を、大学学力試験確認するのは、合理性がある。

元増田意見とは異なるが、オレは古文漢文はもう要らないと思う。

さて、高等学校学習指導要領に定まっている科目の全てが大学入試に要るわけじゃない。

保健体育、芸術、家庭とかね。チョロっと書いたけど、高等学校卒業程度認定試験ベースに軽重付けてるのが現状ってところだろう。

正直に言えば、ワリと古文漢文って入試では軽視されてるから、まあ比率としては現代では既にして小さくなってるとも言える。

古典に親しむとか人生を豊かにとか、いわゆる武家公家伝統から来た明治文化人みたいな教養を求めるのは、ちっと早いんじゃないかな、と。

帝国大学国家ノ須要ニ応スル学術技芸教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」の頃から残滓に見える、とも言える。

高い学識と深い教養を持った官僚学者を生み出すために、高等教育を施す場所という意義は、既に失われてはいいか、と。

から高等学校卒業程度認定試験から外すべきだと、オレは思う。

高等学校卒業認定試験学習指導要領に定めのある全科目を試験していない以上、試験している科目は学力として重視していると考えるのが自然だ。

大学入学資格検定の時にはあった家庭科廃止されたのも、趣旨としては同じだろうし)

高校では親しみ、それは高校で学ぶ学力とは別だ、と明確にすべきだろう。

まとめ

元増田の主張は、「古典(古文漢文)を受験科目に加えるな」だった。

それは大学側への要請だ。

増田への反論は、『大学として「高校で学んだ学力試験する」のであれば、国語から古典を除くのは不合理だ』になる。

オレの主張は、「古典学力の一部と看做すのは現代ではそぐわないので、まずは高等学校卒業程度認定試験から外すべき」だ。

学習指導要領古典目標をみても(保健体育や芸術目標意味合いとして近いのに)学力に含めるのは、現代高等教育の意義からするとズレがあると思う。

最終的には、芸術地理歴史の科目として古典を分類し直すのが、筋論としては適切なように思う。

論語を読むのは芸術だろう。漢文(訓読)を使ってきた長い歴史理解するなら地理歴史だろう)

法律文を読み下すため」とか「読解能力を上げるため」とか言うなら、まずは学習指導要領改定するところからだろうと。

そうじゃない実務的な面でだ!現実を見ろ!というのであれば、

入試程度の古典知識でその判定してるってマジで主張するつもりなの?とは思うなあ。

漢文問題法律文を読む適性を試験してますって真顔で言われたらその大学はお取り潰しで良いのではないでしょうか。

もちろん、古典に親しみ、人生を豊かにする態度すら持てないもの高等教育を受ける資格はない、という反論はありうる。

現代日本におけるトップクラスの実務家たる弁護士が、現代語の基礎たる古典程度追加で勉強して試験突破できないのであれば、その学力には疑問符がつくので日本しか通用しない教養であっても歴史的な意義から残すべきである、という主張もありうる。(科挙末期みたいになりそうだけど)

ただなあ、「漢文には○○っていう効能があるよ無知乙」みたいな主張は「スプラトゥーンには○○という効能があるので受験科目にすべき」ってのと同じだと思うよ?

anond:20180104132743

2017-06-02

音楽が売れない

増田日記から正直に書くけど、今売られている日本の歌もの音楽は、

人間の声に聞こえない。歌が上手いんじゃなくて、レコーディング技芸になっている。そのうえに、音声を加工している。いま依頼が集まっているクリエイターは、作家としての能力ではなくて、DAW技能が高いだとか、制作費を出す側にとって扱いやすいだとか、そういった本質外の理由で登用されている。

言語になっていない。メロディ先で無理に歌詞あわせて、さらにはメロディ崩壊させるような歌詞を書く奴がいる。

・作文を読んでいる。話し言葉ではない。何を云っているか判らない。

わざわざ録音音源聴くのは、感動的な実演を聴きたいからだ。それなのに、売られているのは工業音声。エイベックスとかが出てきて音楽を使い棄てにした。けれどその前にそもそも日本人には職人気質が好きな封建ギルド勘違い野郎が多いので、演歌なんか技芸であって感動ではない。

感動的な実演を聴きたいのを辛抱して録音物で再生しているのに、買い切りではなくてストリーミング配信とか、売り手の都合の押し付けで、ボッている。

実演をライブ聴くのが理想だけれど、数万人とか集まって音響がクソなところで聞いても鑑賞なんて成り立たない。音楽鑑賞とは異なるものを売っているのだ。

ライブハウスなんかでも、オールタンディングで押し寿司みたいに詰め込まれても鑑賞なんて成り立たない。そもそも飲酒しながら鑑賞しなきゃいけなくなるようなのが問題外

けど、そもそも音楽が売れないのは今の日本人貧困から。カネもっている奴は暇がなく、時間を確保して人らしく生きたら所得がなくなる。カネもっていて払えるような有所得者の多くは、集中して鑑賞する余裕なんてなくて、「ながら」で聞いているかそもそもまともに鑑賞する能力なんてなくて鑑賞とは別の原因で買っていたりすることすら少なくない。

まともに鑑賞するに堪えないようなもんを造っといて、単に数が売れたとかマスコミ露出が多かったとかい理由で自慢してプロフィール代表作として誰それに提供したとか書くの、恥を知れと思うね。

売れないからって媚び売ったり煽ったりして、クソなもののほうが売れるからクソ売って、ついにはクソであることの認識能力すら失った日本人は、もはや救われようがなく赦されないと考えられるのである

売れないよ。鑑賞するに堪えないし。払うカネなんて無いか聴く暇無いか聴く時間の総量や、買う人の総数が少ないんだから、売上少ないだろ。業界物凄く小さくなっただろ。

2017-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20170109110408

裾野が広いからね

誰でも絵が描けるし漫画が描けるし

アート技芸評価されない社会ではないけど

カネが出る水準は高い

2016-11-25

やっぱりフェミフィルターはどっかおかしいと思う

新聞江刺昭子なる女性研究者寄稿があった。

記事では日陰茶屋事件という100年前の事件が取り上げられており、大逆事件で知られる大杉栄

何股かけていて約束を破ったら刺された、とかいう話だったが、そんなのはどうでもよろしい。

話題最近不倫騒動に移り、昔と比べて女性経済的自由を得た現代でも不倫バッシングがあるが、

それは家制度を復活させようとする勢力のせいかもしれないという内容だった。

なるほど、女性史の研究者という立場からすると、あの騒動はそういう風に見えるものらしい。

いや、そんな面倒な話なんだろうか。

不倫バッシングについて私見を述べると、あれは単に結婚という契約を破ったことと、

それが今まで当人が作り上げてきたイメージ矛盾していることが問題とされたのであり、

制度の維持というとこまで意識していた人は少数派だったとしか思えない。

ただ、一連の騒動では、キャラクター自体を売りにし、スポンサーから金をもらうタレントと、

本人がクズでもその成果物は別個に評価されうる人がいて、両者で受けるダメージに差がついてしまった。

そこはまあ同情の余地がある。

不倫が発覚したことで、結果的女性の側が大きなダメージを受けたことは間違いない。

だが、そこに家制度というのは大して関係してこない。制度を破ったのは、男も女もお互い様だ。

あの場合、女がああいキャラで売っていたから、裏切りの対価が高くついたというだけの話だ。

男だけが不当に守られたのではない。彼らは自分を守る術を持っていたのだ。

そもそも、男はキャラクターなんて漠然としたものでは、なかなかやっていけないのである

そんなものでは評価承認もされないから、わざわざ別の努力を積み上げなければならない。

己の技能が芸というレベルに達して、ようやく公共電波に乗ることを認められる。

逆に、女というのは積み上げた技芸よりも、若さキャラクター世渡りしている部分がまだまだあって

(男の側も女の努力や才能を評価していないわけで、そこは大いに反省すべき点だ)、

からこそ、それを失ったらどうしようもないというだけではないのか。

何でもかんでも家制度や家父長制のせいにする論調には、いやMMRじゃねえんだから、と突っ込みたくなる。

二言目にはユダヤのせいとか言い出す人と同じ臭気が漂ってくるではないか

2016-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20160410190047

どうでもいいのに粘着www|そこの論点と全体の論点をすりかえる負け犬www|~など的外れをとちゃんと引用しなかったのはおまえだろwww「~など的外れを」が主語じゃないとか国語の授業受けてこいよ笑|俺の書き込みじゃなくて別ツリーの話だよね^^|ジョジョ引用としての使用ちょっとなに言ってるかもはや意味不明^^| A=B=Cであると書いてないと認めるんだね^^|おまえの発言論理性がないという話に答えてないぞ^^|文脈の話だぞ忘れたのかマヌケ^^|その文を指してるだけと何度言っても理解できない腐れ脳みそ^^http://anond.hatelabo.jp/20160410114004

お返事が無くなったから消したら発狂したバカがあれは勝ってた!とか言い出したので笑った

以下、ここまでの流れ

比喩は紛れも無く芸の一種だよ。わざの一種なわけだし。
そういう自酔が透けて見える比喩ってキモがられるよ^^覚えとこうね^^

から言わせれば粘着しているお前こそがキモい

そもそもお前は俺が言った芸がない、頭が硬い、「粘着キモいといったことに何も返さず、こっちの芸のことばかりぐちゃぐちゃ言ってる。
残念ながら横なんだ^^

ネタ一種をマジとしか受け止められない硬直脳みそ
俺のユーモアはいいかなるときも受け入れてもらえるに違いないという硬直脳みそマンがなにを言ってるんだ^^


じとうってなに? 自己陶酔のことかな。ちょっとこくご大丈夫なのかなこの人。
自分に酔ってるの略だよ笑 おまえの比喩とおなじひとりよがりレベルに合わせて使ってみたんだ笑

自己陶酔一般認識を履き違えるとかほんとちょっと気持ち悪いです。
一般認識がそうだという話と使ってるおまえが自分に酔ってるのが透けて見えてキモいレベルが低い比喩だって話が別だって分かってなにより^^

それと俺の言っているユーモアがだれにでも受け入れられるとか別に思ってないし、そう要求してもいないけど。
じゃあキモがられても発狂せずに受け入れようか^^

ユーモアと思わしきものストレートしか解釈できない哀れな人なんだなあ、とは思ったよね。
オナニーユーモアキモがられても仕方ないのにストレートに受け取れないなんてアワレだ!とか一段上の文章を忘れてるマヌケなのかな笑 ちなみにこれより下のトラバはすべて別人の煽りから笑 それともバカありがちな自演トラバかな笑


「じすい」であれ「じとう」であれ、他の人は分かっていたというのはちょっとおかしいじゃないだろうか。だって俺意訳してるし。あ、もしかして他の人って俺も含んでる?
読み方の話なんて誰もしてないよ^^おまえにトラバつけてる別人もわかってるよね^^

ちょっと何言ってるかわかんないです。日本語というか文法というか不自由な方なんですかね。
おまえのキモい比喩が芸だと思ってるの?→比喩は芸だ!!!!→一般論とおまえのキモい比喩を同列にすんなよ

この程度も読めないこくごの能力の持ち主が比喩ドヤ顔www

分かるところだけ拾うと、自分に酔ってる文言元増田に一切含ませていないし、含んでると思わしき箇所もないのだけど。
自分に酔ってる文言元増田に一切含ませていないし

キモい比喩を使ったあとにキモいと指摘されたら比喩は芸!とか言い逃れようとするバカ自覚できないって話??笑

芸云々の箇所を指してるとしたら芸の話が自己陶酔に該当するとは多分客観判断でもなされないんじゃ……?脳に雑菌が湧いてるからそう判断するんだよね
芸の話が自己陶酔に該当するとは多分客観判断でもなされないんじ

ちょっとなに言ってるのかわかんないおそらく自分キモいと指摘された部分を自覚できてないんじゃないか

発狂してないし終始冷静に受け答えしてるけど?むしろ草生やして決め付けを多発させているお前のほうが発狂してるし。
バカトラバに延々と返事しまくってるキチガイじみた振る舞いをしておいて発狂してない!!とかもうね。草生やしてると発狂してるの論理性のなさにレッテル貼りとかもうね。

Tウィルス感染してんのかなあ、って思っちゃうくらい。
あーこれも比喩っすかwwwレベルたけぇwwwこれが芸www

ストレートに受け取れないなんて……? 俺そんなこと言ったっけ。ストレートに「しか」受け取れないのは脳筋だよね、と言った覚えはあるかなあ。あとお前が別人だとか、どうだっていいよ。雑菌がたくさん湧いてるんだなあ、と思ってるだけで。
こくごの授業受けてればその二文字は省略だと理解できると思うよ^^ それとも神様義務教育受けてないとそうなるのかな^^ 同一人物ではないという想像すらできないほど発狂してるバカがいるなぁと実感しただけだよ^^

それよりもお前が出した単語について


うん? 俺も読み方の話を主軸にしてないけど。意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。やっぱ日本語不自由なんだなあ。可哀想に。

「じすい」であれ「じとう」であれ、

主軸でもないならこの文は必要なかったね^^こくごの授業で論点ボケる文は書かないようにと学ばなかったんだねわかるわかる^^

>意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。

うん、で?理由がなく文章を並べても相手には伝わらないよ??^^こくごの授業で(ry

すごく丁寧に解説すると、一般論として比喩は芸の一種か、と考えた場合、芸とは「人前で演じる特別のわざ」とあるわけだからまあ、芸の一種と考えられるわけ。
俺「おまえのキモい比喩が芸だと思ってるの?」→おまえ「比喩は芸だ!!!!」→おれ「一般論とおまえのキモい比喩を同列にすんなよ、おまえのキモい比喩は芸でもなんでもない」→おまえ「比喩は芸だ!!」

主張の繰り返しとかもう白旗?つまんなーい頭が悪すぎてキチガイ煽りマンを演じるにも格が低すぎだよ~^^

自分に酔ってることとキモいという第三者の指摘、比喩が芸であるというこちらの言い分がごっちゃになっていて、Tウィルス威力を実感できる内容だね。自分に酔っていることにしたいお前、ってことならまあそうだろうけど、それでどうしたのだろう。
ごっちゃにしてるのはおまえじゃん。流れの説明理解できない脳みそってすごいな~^^

ほらまたやってる。キモイと思った主観一般認識である比喩区別がついていない。自分他人区別がつかない病気ってあったよね。
比喩が芸ではないとは俺は一度も言ってないからな^^主観一般認識区別がついてないマヌケ発達障害だという自己紹介乙でーす。神様義務教育受けてきてないのかな?^^

トラバに延々と返事をしているお前も発狂してるという範疇に入ってしまうけどいいのか?
バカトラバに延々と返事しまくってるキチガイじみた振る舞い

都合よくバカの部分を抜かしてるけどおまえがバカだということでいいのか?^^

草生やしてることを論拠としていないことは自明なんだけど、どうしてそこで論理性という言葉が出てくるのだろう。
過不足のない文章を書くを学ばない証明乙でーす^^

国語の授業を受けていれば必要接続詞を省くことはちょっと考えられないんだけど。お前のいった意味だと「ストレート自分の言っていることを元増田が受け入れない」

しか場合の話をしてると分かってるだろ 文脈という概念を学ばなかったのかマヌケ^^


こちら側が誤って表記したものを「教えてくれてありがとさん」という意図と共に一度応えているし、
俺は応えてないんだが。証拠は?^^脳内空想で補完でもしてるのか?^^

主軸でもない代わりに前置きとして不適切ではないと思うけどね。まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。
分かってる云々の主軸の方へは反論してない自己紹介かな^^?

そして過不足がない文章ということなら、そのへんな顔文字も消さなくちゃいけないのでは。
なぜ過不足が問題かというと誤解を招いたりするからね^^

「お前のキモい比喩」を一つの文言と捉えた場合、それを一般化するなという理由ならわからんでもないが、そもそも俺は最初から俺のルール押し付けないことを宣言してるし、俺の比喩一般化してお前に押し付けたいとはつゆとも思っていないわけだが。
じゃあキモがられても発狂すんなマヌケ^^

その上で俺はそもそも「比喩」とは「芸」の一種であるとみなされる、と述べているのに、お前は「俺の述べた発言」=「芸」というすり替えを行っている。
お前は「俺の述べた発言」=「芸」というすり替えを行っている。

「おまえのキモい比喩レベルが低すぎて芸でもなんでもない」に対して「比喩は芸だ」という反論が成立するのはおまえの比喩が芸であるときしかないぞ^^

おまえの比喩が芸ではないなら「おまえのキモい比喩は芸でもなんでもない」に対して「比喩は芸だ」というのはまさに個別例と一般認識を取り違えたただの的外れだ^^

馬鹿理屈説明しても馬鹿意味理解せずに馬鹿にする。無知であることは恐ろしい。
「Aが起こりBが起こりCだと行動するバカってこうだよね~」と言ったら「AとBとCをごっちゃにするな!」と叫ぶバカ正当化はすごいな~^^

自分馬鹿自覚できない醜さについて考えこんでしまった。
そうか、バカも大変なんだな。

比喩が芸ではないと言っていない、ということは、即ち比喩は芸かもしれないという多少の可能性は考慮するわけだよね。
いや?比喩は芸だと思ってるよ?^^日本語能力がないとよくわかるな^^

じゃあ逆にそれをメタ的に返すけど、お前は自分定義するところの馬鹿のままでいいの?
別ツリーでさんざんやってる馬鹿がなにを言ってるんだ?^^あんなに長く続いてないぞ^^

なんだこりゃ……。「過不足ない文章を書く技術を学ばなかったという証明が、今ここでなされた」ではないの。やば。この人本物かもしれない。
先に出た主題主語化しただけでしょ^^まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。

文脈……? ここに至って文脈化するほど筋書きが通った話の流れなんてあったか
先におまえがしかをつけて話した流れを踏まえて書かれた文章だぞ、それとも自分文章も忘れるほどの痴呆だったのか^^


すまん、俺はお前を雑菌脳だといったが、むしろ最近良く見る不出来なTwitterAI、それもボットレベルに思えてきたわ。「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」んだが、これなんか問題でもあんのか?
いつどこで「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」んだ??^^

主軸については先だって俺が「ちゃんと意訳してる」部分に対して言ってることだったはずで、それ以前のお前のツッコミは「造語」に対する誤字指摘だったはず。
>意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。うん、で?理由がなく文章を並べても相手には伝わらないよ??^^こくごの授業で(ry
と両方指摘し続ける俺に対して

こちら側が誤って表記したものを「教えてくれてありがとさん」という意図と共に一度応えているし、主軸でもない代わりに前置きとして不適切ではないと思うけどね。まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。そして過不足がない文章ということなら、そのへんな顔文字も消さなくちゃいけないのでは。
先に答えなくなったのはおまえだよ^^

そもそもまで立ち返れば、お前の指摘は「(増田破綻した造語を)他の人はわかってたぞ」という事実無根の話でしかない。
他のツリーでも理解してる人がいたし他のツリーでもおまえは推測可能だったなと指摘されたもの事実無根笑やはり痴呆だな笑

実際お前の性格に関してさっきまったく別のやつが顔文字に対するディスを入れてエントリをすぐに消していた。なんだかいまどき顔文字で冷静さを装うとか恥ずかしい、みたいな内容だったはず。お前の大好きな他人勘違いされるから消したらどうだろう。
ちょっとなに言ってるかわからないです^^文章をきちんと論理立ててつなげて話そうか^^

最初から発狂せずに淡々と受け答えしてるじゃありませんか。割と面白がりながら。それと「マヌケ」ってジョジョ台詞からかな。もうちょっと自分で考えたほうがいいような。
キモいって指摘されて発狂しながら比喩は芸だ!とか的外れを繰り返すけど発狂してないのかじゃあ相当脳みそが腐ってらっしゃるんですね^^

すぐ漫画が思いつくとかよほど現実世界から離れてるんだろうな^^

俺のキモい比喩、という話はお前から見た場合そのように受け止められる、程度の話で一般化はできないかな。あと芸でも何でもない、という話に関して言えば、「芸」を調べると以下のように記されている。学問武術伝統芸能などの、修練によって身につけた特別技能技術技芸。「―は一生」人前で演じる特別のわざ。演芸曲芸など。とあり範疇としては2番に該当する。したがって俺が用いる比喩は一応芸の一種として考えられることになる。

比喩が芸だと俺は言い続けているんだが^^おまえの初潮だのTウィルスだのキモい比喩は芸にも当たらないと言ってるだけだぞ^^

ごめん日本語で。Aを起点としてBが派生し、それを承けてCという行動を取ると(意訳)。つまりお前の言いたいことはA=CであるからBもCであると言うのは暴論であると言いたいのだろうか。いや、普通にABCは分離して考えないと駄目でしょ。

A=Cってどういうこと?^^BもCってどういうこと?^^ABCが流れなのに分離していないと考えちゃう理由は?^^

そうだね、たいへんそうだね。

馬鹿自分二重人格なのかな?

別ツリーって知ってる?^^に対して

それじゃお前も別ツリー話題を持ち出しちゃ駄目でしょ。

それじゃの論理性がないぞやりなおし^^

過不足ない文章を書くことがこれらの引用主題でしょ。じゃあ「文章を『書くを』学ばない」って完全に過不足を感じる文章に対して指摘するのは何ら問題がない、という話になるけど。こちらとしては首を傾げるばかり。

ちゃんと伝達は成功してるとおり文脈理解しているヤツには理解出来てるからな^^

先におまえがしかをつけて話した流れを踏まえて書かれた文章だぞ、それとも自分文章も忘れるほどの痴呆だったのか^^
ストレートしか解釈できないほどお前の脳みそが雑菌に侵されている、という話でしょ。「しか」の解釈ならそうだけど。
だけどお前の言っていることはこうだよ。
オナニーユーモアキモがられても仕方ないのにストレートに受け取れないなんてアワレだ!とか一段上の文章を忘れてるマヌケなのかな笑
ストレートに受け取れないなんて哀れだ……? 何いってんのこいつ気持ち悪い。勝手台詞創作して文句いってきてるし。
実際問題として皮肉皮肉で返すという技がないんだから、そりゃストレートすぎて脳筋馬鹿だと言われてもしょうがないじゃん。

ストレートに「しか」受け取れないのは脳筋だよね、と言った覚えはあるかな

おまえがしかをつけた文章を指すために省略して指摘しただけだろ。 それをスルーするために、しかがついてないから元通りじゃない、些末な嘲笑言葉が違うからセリフ改ざんされた!!かよwww


えっ……お前ホントやばいわ。「俺が」「誤字った単語しかもてめえの造語)に」「お前の指摘が入って」「わざわざ指摘してくれてどうも」つっただけで何も問題ないじゃんか。むしろお前の有利に働くことだぞ。まして変な造語を作ったことに俺は寛大だっただろ。

質問に答えろよ^^いつどこで”「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」”んだ??^^

主軸の話とは→造語の話→造語に対して誤字ってしまうこちら側&こちら側が造語意訳→そちらの、「単語に対する意訳が相手に伝わらないよ」、という頓珍漢な答え→先に答えなくなったのはお前(こちら)だよ、という意味の分からないトラバレス

2つ論点があって主軸の方を先に答えなくなったのはおまえって話だよ^^ おまえの流れの説明意味不明すぎるからリー見返して来い^^

ちょっと悪いんだけど、どこの誰こと?それと後半意味からないんだけど。俺が推測可能だったって何?なんじゃそりゃ。おれは意訳したんだからそりゃ推測はできてたよね。だいぶ頭がおかしい。というかこいつが馬鹿すぎて俺の頭も混乱しそう。

他のツリーって言葉理解できないのかな^^推測できてたなら俺の言うとおりじゃん^^

ちょっとなに言ってるかわからないです^^文章をきちんと論理立ててつなげて話そうか^^

に対して

いやこれ論理じゃなくて事実。お前の顔文字気持ち悪いって単発で書き込まれてたし。すぐ消えたけど。

って説明にもなってないぞ。↓やり直し。

実際お前の性格に関してさっきまったく別のやつが顔文字に対するディスを入れてエントリをすぐに消していた。なんだかいまどき顔文字で冷静さを装うとか恥ずかしい、みたいな内容だったはず。お前の大好きな他人勘違いされるから消したらどうだろう。

的外れを繰り返すけど」なにこれ。ほらまた破綻文章馬鹿晒してるし。「的はずれな言動を繰り返しているけど」でしょ。また相手馬鹿から意訳・翻訳しちゃったよ。

~など的外れを、だから捏造するなよゴミ^^

それとジョジョ一般的作品として周知されつつあるから、指摘としては別に間違ってないと思うよ。

認知度は関係いから^^すぐ漫画が浮かぶ現実世界乖離したキモオタ臭がひどい。

お前にオリジナリティがないことだけは確かだし。

うんそう。比喩は芸。キモい表現かどうかはお前の勝手に決めたこと。

あの場合初潮が芸として比喩になると思ってるオジサンwww

しかいわば加齢なる初潮

ダジャレwww これでわたしには文芸があると主張してるの?www

スベりまくってるのに「俺はクラスムードメーカー!」と勘違いしてるイタい同級生思い出すわwww 周りから失笑されてるのに本人は芸があると思ってたのかなwww

流れってなんですか。ABCって流れの事だったんですかw 何のために記号解説したんですかw

「Aが起こりBが起こりCだと行動するバカってこうだよね~」と
と書いてあるのに流れじゃないと思ってたんだ^^煽るだけのゴミでも知性がバレるぞ^^

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2016-04-20

[]玄妙

げんみょう

【玄妙】

《名ノナ》道理技芸のさえが、奥深く(=玄)すぐれている(=妙)こと。

2016-01-26

インターネット個性的面白い女性がいなくなった。

一時期のネットでは女性特別存在感があった。

女性自体が希少だったこともあるし、ネットにのめり込む女性個性的面白い人が多かった。

からブロガーでもツイッタラーでも、女性の人気者がいた。

それが今や「暇な女子大生」以降はそういう存在は出てきてないと言えるだろう。

その理由は1つにはネット一般化してリア充だらけになってしまったことだろう。

リア充だらけの場所女性面白いことをしたって、物笑いの種になるだけだ。

可愛い自撮り恋愛ポエムと横並びの状態で、個性的面白いことなんてしたくないだろう。

もう1つの理由自撮り飯テロなどの気軽な方法承認が得られるようになったことだろう。

美味しそうなごはん投稿するだけで承認が得られるのに、わざわざ凝った文章なんて書く必要ない。

自撮りを載せとけば「いいね!」が上乗せされるので、技芸を磨かれることもなくなった。

じゃあ、男性はなぜ個性的面白い人が生き残っているかというと、男の自撮りなんかじゃ承認が得られないからだ。

まり女性面白い人がいなくなったのはスマホの普及が理由だ。

ケータイ小説を書く女性がいなくなったのも同じ理由だ。

2015-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20150827212936

元々の英語artにも芸術の他に技芸とか技芸を凝らした作品って意味があるからなあ。日本語の「アート」は狭義のartだ、という主張かもしれないけど。

でも日本語では区別出来てるんだから増田の求めるものは「芸術作品」って呼べばいいんじゃね?

(「芸術」が明治期にart一般の訳語として当てられたので本来カバーする範囲は一緒、って議論もあるかもしれないけど、現代では芸術の指す範囲は単なる技としてのartとはちょっと違うよね。)

2015-04-01

現代語訳

人々が自分自身立身し、その財産管理し、その事業を盛んにして、そうすることでその一生を全うすることができるのはなぜかというと、それはほかでもない、身を修め(=自分の行いや心を整え正し)、知識を広め、才能や技芸を伸ばすことによるのである。そうして、その、身を修め(=自分の行いや心を整え正し)、知識を開き、才能や技芸を伸ばすことは、学問によらなければ不可能である。これが学校を設置してある理由であって、日常普段の行い、言葉かい書道算数を始めとして、役人農民商人・様々な職人技芸に携わる人、及び法律政治天文医療等に至るまで、およそ人の営むもの学問関係しないものはない。人はその才能のあるところに応じて勉め励んで学問従事し、そうして初めて自分生活を整え、資産をつくり、事業を盛んにすることができるであろう。そうであるから学問立身のための資本ともいうべきものであって、人たるものは、誰が学問をしないでよいということがあろうか(=人間誰しもが皆、学ばなければならないのである)。

あの、路頭に迷い、飢餓に陥り、家を破産させ、わが身を滅ぼすような人たちは、結局は学問をしなかったことによって、このような(結果をもたらす)過ちを生じたのである

これまで学校が設けられてから長い年月が経っているとはいっても、場合によってはそのやり方が正しくないことから人はその方向を誤り、学問武士階級以上の人に関することと考えて、農業工業商業従事する人、及び女性子どもに至っては、学問自分たちとは関係のないものとし、学問がどういうものであるかをわきまえていない。また、武士階級以上の人で稀に学問する者があっても、どうかすると学問国家のためにするのだと言い、学問立身の基礎であることを知らずに、

ある者は文章を暗記するなど瑣末なことに走ったり、空理(=実際とかけ離れた理論)や虚談(=事実に基づかない話)に陥り、その言っている論は高尚であるかのように見えるけれども、これを実際に自分自身が行い、実際に実施してみることができないものが、少なくない。

これはつまり、長い間従ってきた昔からの悪い習わしであって、文明が行き渡らず、才能と技芸が伸びないために、貧乏な者や破産する者、家を失う者といった連中が多い理由である。こういうわけで、人たるもの学問をしなければならないのである学問を学ぶためには、当然その趣旨を誤ってはならない。このために、このたび文部省で学制を定め、順を追って教則を改正し布告していくので、今から以後、一般の人民華族士族卒族農民職人商人及び女性子ども)は、必ず村に学ばない家が一軒もなく、家には学ばない人が一人もいないようにしようとするのである。人の父兄である者は、よくこの趣旨を十分認識し、その子弟を慈しみ育てる情を厚くし、その子弟を必ず学校に通わせるようにしなければならないのである。高度の学問に至っては、その人の才能に任せるといっても、幼い子弟は男女の別なく、小学校に学ばせないのは、その父兄の手落ちであることになること。

ただし、これまで長い間従ってきた悪い習慣であるところの学問武士階級以上の人のことだとすること、そして学問国家のためにすることだと言うことによって、学費及びその衣類や食事の費用に至るまで、多くを官に頼り、これを給付してくれるのでなければ学ばないと思い、一生を自分から駄目にしてしまう者が少なくない。これは皆惑っていることの甚しいものである。今から以後、これらの弊害を改め、一般の人民は他の事を投げ捨てて自分から奮って必ず学問に(自分自身を)従事させるよう心得るべきであること。

右の通り仰せ出だされましたので、地方官において、片田舎身分の低い人民に至るまで漏らすことのないよう、適宜、(学制の)意味を説き明かしてやり、詳しく細かく申し諭し、文部省規則に従い、学問が普及致しますよう、方法を設けて施行すべきであること。      

2015-02-02

ライトノベル構造的に馬鹿にされる宿命にある

ライトノベルに限らないが、構造的に「馬鹿にされる」場合がある。

定義曖昧で、玉石混交で、定性的評価されるもの全般のことね。

すると、自分感性で都合良く石だけピックアップして馬鹿にできる。

定量的に計測できたって、好きに時系列を切り出して、定義付けを恣意的にすればなんとでもなる。

そして、「なんとなくこういう批判がある・こういう擁護がある」と藁人形を用意すれば、

その架空人形サンドバックにするのは、とても簡単だ。

そこで、馬鹿にするのはどういう人か、何が批判足りえるのか、振り返ってみよう。

まず、ライトノベル批判否定形から追い込んでいく

「無い」事の証明は難しい。

から「有る」もので「ライトノベルで無い」モノを追いだしていこう。

表紙がアニメ絵である

太宰治ライトノベルか?

表紙がいわゆるアニメ絵柄かどうかは、絶対的な要因ではない。

から、「絵が恥ずかしい」というのは、表紙絵に対する批判であって、ライトノベル批判とは違う。

(勿論、「アニメ絵は恥ずかしい。太宰治もあれじゃ買い難い」とする批判はあるが、ライトノベル批判とは別軸)

キャラクター小説である

京極夏彦京極堂シリーズは、ライトノベルか?

キャラ立ちという意味で、ホームズを超える名探偵は出てきただろうか。

から、「類型的なキャラクターが出てくるだけ」というのは、その手の小説批判であって、ライトノベル批判とは違う。

(以後省略するが、そういう批判は当然あって良いが、ライトノベルとは独立

子供ティーンエイジャー)向けである

ハリー・ポッターは、ライトノベルか?

ファンタジーSFミステリから哲学に至るまで、子供向けに書かれた本を読む大人は多い。

から、「子供向けに書かれた小説を大人が読むのは」というのは、その手の読者批判であって、ライトノベル批判とは違う。

設定が稚拙である文章が頭悪そう

これに関しては、まさに定性的な(感性の)話になるため、具体例は省略したい。

ここでは、スタージョンの法則(啓示)を引用するだけにしよう。

SF(science fiction)の90%は、ゴミカスでクソだ。

同じ基準を使って、映画文学、民生品等々の90%がクソだと示せる。

からSFの90%がクソだという主張(または事実)は、究極的には何も意味しない。

なぜなら、SFは、他の全ての芸術形態品質と同じ傾向にあるという意味しかないからだ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Sturgeon's_law

から、「ライトノベルの大部分はクソだ」という批判は、何の情報量も無く、ライトノベル批判とは違う。

馬鹿にする、と、批判する、との違い

ここで映画バトルシップ」を持ってこよう。

ハワイ沖で行われる海軍の多国合同軍事演習さな宇宙人侵略してきて、自衛官海兵隊員が反目しながらも撃退するという

まあ、インディペンデンス・デイと戦艦ミズーリを足してブリトーで割ったような映画だ。

素晴らしく面白い愛すべき馬鹿映画だが、批評家からは当然のように酷評されている。

何が言いたいかというと、批評家評価と、馬鹿であるかどうかとは、分けて考えられている。

ビール片手にゲラゲラ笑いながら見るような「ジャッカス」みたいなのを「馬鹿だ」と言うのは、批判ではない。

それは賞賛なのだ

馬鹿にしているのは誰だろうか

さっき言ったように、「馬鹿であることは、比較独自の軸になる。

その上で、馬鹿にしているのは、例えば「パンチラの絵を付けて恥ずかしくないジャンル馬鹿にされて当然」のような、

ライトノベル」を「小説の一ジャンルとして、格下である」とする主張しか、残念ながら観たことがない。

比較的、嫌悪感忌避感のようなものだ。

これは、BL趣味とするのは気持ち悪いだとか、サラリーマン通勤中に漫画雑誌を読むのはガキっぽいとか、そういった類の主張だ。

好悪の主張であって、それはそれで、仕方がない面はある。

雑誌の表紙に水着女性を持ってくれば売上部数が上がるが、職場休み時間に読むのはどうだ?というレベルの話だ。

批判としてありうる話

ワリと珍しいのだが、硬派なSFライトノベルSFとが全く同じ題材を描いているものがある。

アーサー・C・クラークの「楽園の泉」と、野尻抱介の「ふわふわの泉」だ。

(まあ、内容的にはチャールズ・シェフィールドの「星ぼしに架ける橋」のもじりの方が相応しいとは思うのだが)

両者とも、「ロケット以外で宇宙に進出するための、巨大構造物を作り上げる人物」が主人公だ。

ポイントは、「楽園の泉」がハードSFか否かであるとか、「ふわふわの泉」がラノベかどうかではなく、

この両者を比較して、「どちらが低俗か」を論じる意味あるかないか、だ。

「どちらがより高尚か」や「どちらの方が格上か」でも良い。

ここまで題材が同じだと判りやすいのだが、

「大人なら、『ふわふわの泉』ではなく、『楽園の泉』を読むべきだ」

とは、ならないだろう。

だって、違う作品なのだもの。それは批判ではなく好悪の主張だ。

逆に言えば、作品の質についての批判なら出来るはずだ。

「『楽園の泉』は、建築家の名声について拘りすぎて主張がボケている、『ふわふわの泉』の方がSFとして良く出来ている」

なんていうのは、馬鹿にしているのではなく、(正しいかどうかは別として)SFを軸にした批判になる。

真っ当な批判は可能なのか?バカにする方の品性を疑うべきか?

例えば、俺TUEEEE系と言う価値基準において、

アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」と、司馬遼太郎の「梟の城」と、佐島勤の「魔法科高校の劣等生」とを、

一緒に並べて比較して、「魔法科高校の劣等生を読むのは馬鹿だけだ」と言うことに、意味があるだろうか?

俺TUEEEE系の源流をたどって、湖の上を歩く男の話まで遡ったり、本邦においては勧善懲悪の仮託先であるとか、

そういった論文を描くことは意味があるかも知れないが、「馬鹿にする」というのは比較的には品のない行為だと思う。

例えば、今話題ピケティの「21世紀資本」を読むのが大人で、百田の「海賊とよばれた男」を読むやつが馬鹿にされてもしょうが無い、みたいな言い方はしないだろう。

現代ソマリア海賊を描いた「キャプテン・フィリップス」を見て「『パイレーツ・オブ・カビリアン』を見るとか馬鹿にされてもしょうが無い」みたいなことは言わない。

というわけで、馬鹿にする方の品性を疑うべきだと言うのが、オレの意見になる。

補足として:ただし、ラノベに出来の悪いものがあることを否定するものではない

どんな作品でもファンは居て良いと思うし、蓼食う虫も好き好きと言う。

例えば俺はバトルシップが大好きだが、蛇蝎の如く嫌う批評家が居るのも否定はしない。

アナと雪の女王よりはベイマックスの方が面白いとは思うんだが、GoGo好きなだけだろと言われれば否定はできない。

というように、主観的な好悪と、その技芸における比較批評、そのジャンルでの売上高なんてのは、全て独立の話だ。

そう言った点で、ラノベの中に上手い下手、エロに寄り過ぎだとか構成稚拙だとか、そういった批評はあって良いと思う。

ただそれは、作品単位、出来ても作家単位の話であって、「ラノベ全般に広げるのは主語が大きすぎて乱雑に過ぎる。

9割のクズを観てそのジャンル否定するのが愚かであることは映画絵画においては一般的なのに、ラノベがそうでないのは不幸なことだと思う。

2014-09-26

「ゆるい就職」に関する違和感と羨望と諦め

ゆるい就職ブコメの反応みてなんか、もんにゅりとしたから、

ひとり酒しながら考えて最終的に諦めたことを書いてみる

収入の少なさは、批判しづらい

ゆるい就職は、週3日勤務で月収15万円(派遣手取り12~13万)なライフスタイルだそうだ。

そうすると、今の日本で、比較昭和小市民的な幸せを築いている家庭ほど、批判しづらい。

なぜなら、住宅ローン子供養育費だ、学費保険だ老後資金だと言って着実に生活すると、

自分自由に使える金額は少ない。

お父さん小遣い月1万です、とか良く聞くね。

ゆるい就職の方が、2万(= 手取り13 - (家賃6+光熱費1+食費3+携帯1) )と多いかも知れない。

親が死んだら手取り13万でどうやって生きてく気?

http://tm2501.hatenablog.com/entry/2014/09/26/000000

こんな強い口調で言われると、言葉に詰まる。

「オマエ、今の会社クビになって、家族が守れると思ってんの?」

と詰め寄られているような気になるからだ。

このご時世、正社員もいつどうなるか判らない。

ライフスタイルは、否定しづらい

比較的オッサンなので加齢臭っぽいことを言うと、

独身貴族とか、DINKSというライフスタイル(?)がある。

まあ、オッサンの頃の独身貴族定義は、今だとパラサイト・シングルとか言うのだろうか。

独身で、趣味に金や時間が使える。

夫婦共働き子供が居ないので、自由時間や使えるお金が多い。

何れも、揶揄や羨望の混じった生暖かい目線が送られてきた。

彼ら彼女らは、結局のところ、配偶者を食わせなくて良いから子供を育てなくて良いから

自由時間お金が多い、というところが良い、とされてきたワケだ。

この、「自由時間」を増やして「お金が多い」を減らします、と言うライフスタイル

否定しづらい。DINKSの友人も居るし。

感じる違和感と羨望

ブコメの反応で感じた違和感を突き詰めていくと、

結局のところ、諦めることで余裕を生んでるということに気がついた。

独身OLまずりんの提案した「ギブアップ制度」にすごく似てる。

もう、結婚子供を持つことも、老後の暮らしも諦めるからギブアップで!という。

さっきも言ったけど、家庭を持つお父さんの小遣いは少ない。

独身貴族パラサイト・シングル)は自由になる時間お金も多い。

まり、その中間にいるわけだ。

家庭を諦めて、貴族であることを諦めて、独身よりも多い時間と、お父さんより多い小遣いを貰う。

ちょっとだけ羨ましい。

「ゆるい就職」に感じる諦め

彼ら彼女らには、きっと「未来」が無い。

老人が医療を食いつぶしていると言われながら、

年金受給開始年齢はどんどん引き上げられていく。

かといって、特殊技芸技能があるわけではない。

誰もがアイドルにはなれないし、これといった夢もない。

無職モラトリアムを続けられるニートほどには堕ちてもいない。

何かを極めたいという焦燥に身を焦がすこと無く、アスリートでもなく。

この間まで盤石に見えた企業が舵取りを間違えてリストラをし、

うかつに忠誠を誓えば、会社精神破壊される。

から、諦めた。

少なくとも、諦めた人にとっては理想的ライフスタイルに見える。

あえて触れなかった「ティモシー・フェリス」について

ティム2007年に『「週4時間」だけ働く(The 4-Hour Workweek)』という本を書いて、一躍有名になった。

はてブにも読んだ人がいるはずだ。忘れてるかもしれないけど。

題名だけ見るとより過激に見えるけど、実態は間逆だ。

ライフスタイルにおける、選択と集中

例えば「ミニ退職」と言うのが出てくるが、かなり惹かれる。

定年後にやりたかったことを、今、やってしまう。

航空券の値段を調べ、貯金をみて、上司を説得して一ヶ月まるまる休んで旅に出てしまう。

老人になる前に、若者壮年の間に、やりたい事をやらないでいる理由はなんだ?と言う。

なぜ触れなかったかというと、これは「希望」の先取りだからだ。

「輝けるリタイア後の生活」を先取りしない理由はないよ、という提案だった。

でも、「ゆるい就職」は違う。彼ら彼女らには先取りしたいリタイア後が無い。

豊かではないが豊かな社会

老後の資金を溜める気力もわかないし、

頑張って会社にしがみついたところで、いつリストラされるかも知れない。

叶えたい夢も無ければ、やり遂げたい志も無い。

じゃあ、フリーターよりもカッチリ契約で区切って、週3回働けば良いんじゃね?

というのは、多分すごく魅力的に見えると思う。水は低きに流る。

そしてきっと、そういった人が実際にどん詰まるのは、

老々介護問題になるような、青春を終え、壮年を終え、老年差し掛かった頃なんだと思う。

冷静に考えて、20歳若者の父親が45歳だったとして、平均余命から見れば親父は80までは死なない。

平均的な親父が死ぬのは、平均的な息子が55歳の時だ。

50歳時の平均未婚率を、生涯未婚率と言う。つまり、もうタイムアップだと社会的に宣告される。

夢も希望もなく消費するだけの「ゆるい生活」なら、充分な時間じゃないだろうか。

そして「平均じゃなく親父が死んだら?」は「平均じゃなくリストラされたら?」と置き換え可能なのだ

(もしかしたら現代の『漁師コンサルタント』なのかも知れない)

まとめに代えて

「ゆるい就職」の話題は、賃貸と持ち家の話と、なんとなく既視感を感じる。

だって正社員からと言ってその会社内のノウハウが蓄積されるだけの人だっているのだ。

子供が出来て家庭を持って、給料が低いとなじられながら、家に居場所がない父親もいる。

「ゆるい就職(週3)」は、「キツ目の就職(週5)」に簡単になれるだろうけど、

正社員は、緩めの正社員には簡単になれない。(短時間勤務が無理だとは言わないけど)

正社員になったところで、技能は身につかないと諦めて、

家庭を持ったところで、幸せにはなれないと諦めて、

ゆるゆるとネットゲームアニメに没頭しながら、

ただソコに「なう」けがある消化試合をこなしていくのには、少し憧れる。

「なう」は古いか。

2014-02-21

村田の教えに学ぶ、貯められない人でも絶対貯められる貯蓄法

村田惣右衛門という商人を知っているだろうか。

正確に言えば彼は匿名旗本三男坊だ。

幕末ともなれば穀潰しを遊ばせる余裕も世情も無く、結局のところ彼は糊口を凌ぐ為に己の才能を切り売りした。

どうやら武に纏わる技芸はさほど優れたものではなかったようだ。さりとて彼には商売の才能はなかった。

しかし彼には類まれなる発想と、稀有な才能があった。

それは、勘定をし、その勘定結果がどのような未来を描くか、どうすれば違う未来を描けるかを、説明する才能だった。

今で言う、ファイナンシャル・プランナーである

彼が歴史に名を残したのは単なる偶然でしか無く、江戸醤油から東北豪商に至るまでそこここの日記や書付にその偽名が残るのみである

幅広い人脈を築いた結果得られたものが何だったのかも、どこの誰だったのかも結局判らない。

しかし、大店の影にその人ありと実しやかに囁かれた風聞は、今も色褪せることのない伝説として語り継がれている。

今日は、その伝説の一端を開陳しようと思う。

村田の教え

  1. 分は弁え難し
  2. 無いとして考えよ
  3. 如何に使うかが肝要
  4. 数えるだけでは丁稚に劣る
  5. 大風呂敷を広げ、小さく繕え

分は弁え難し

村田は、常にここから始めたようだ。

分を弁えよ、ではない。

弁え難し、つまり弁えることは出来ないと喝破したのだ。

人が贅沢を夢見たり、買えなかったものが買えるようになるのは良いことだとした。

一定石高を常に保証される武士にとっては、倹約を旨とすればその分貯まる。

武士にとっては、勤めを果たすことが上向く方法からだ。後は倹約しか無い。

しかし、町人商人は異なる。己の才覚で事業を行う必要があるからだ。

ケチケチと貯めるばかりでは、生活は全く変わらず何のための商いか分から

しかし、稼いだ分を使ってしまってばかりでは、商いを大きくすることは出来ぬ。

こう、説いたのである

すると、分相応な使い方は出来ないが、使え、と言っていることになる。

これはどういうことか。

無いとして考えよ

貯めてばかりでなく使え、使ってばかりでは貯まらぬ。

そして、その加減は余人にも当人にも図りがたし。

から、そもそも無いものとして考え、ある分を使えば良いと、こう伝えられている。

これは意外なことに好評だったようだ。

元々宵越しの銭は持たない気っ風の良さを心情とする江戸っ子以外にも、粋や趣味には金がかかる。

これを抑えるのではなく、存分に使えと言うわけである

圓朝の芝浜と偶然にも結果は同じことを言っているわけであるが、後世の創作を加味すると、村田の方が時代を先んじていたと言えよう。

如何に使うかが肝要

使うと言ってもここでは、無かったものとした貯めた分のことである

そもそも無いものとして生活せよ、とする場合、言ってみれば稼ぎよりも貧乏になれ、と言っているのと同じである

誰しも貧乏よりは裕福が良い。

程度はあれど銭金があって困ることは少ない。

から、如何に使うかを考え、決してあるものとして勘定してはならぬ、それは無いものだ。

なぜならば、使い処が別にあるからだと、こう言っていたようだ。

この使い方指南こそが村田真骨頂であったようだが、商売の正に秘伝とも言うべき部分の事で、手に入る資料の中にはさほど面白い事由は残されていない。

数えるだけでは丁稚に劣る

さて、よほど複雑なものでもない限り、商売の基本は数を数えることになる。

いくらのものを、いくつ仕入れ、手間賃をいくら払って、いくらで売る。

この管理ができなければ店の維持も難しいが、といって、数を数えてピッタリに合わせるだけではそれこそ丁稚にも出来る仕事である

まず数を数え、その数を増やすのか減らすのか、増やせばいくら儲かり、減らせばいくら損するのか。

安く仕入れ高く売れればそれが一番良いが、なかなかそうはいかない。

手間賃を削れば儲かるが、果たして削って良いものか、

さな損に怯えず、最後に儲かる為には使うことを恐れるなと、指南していたようである

大風呂敷を広げ、小さく繕え

どうやら、村田は積み上げて説明するのが好きだったようである

これは、昨今の結論から話せという風潮からすれば迂遠に聞こえるが、相手には伝わりやすかったようだ。

使う加減は難しい、だから無いものとして使え。

無いとはいえ実はある、だから理由をしっかり考えて手をつけるな。

使い処を考えるのであれば、損することを恐れず最後に儲かるようにせよ。

こう話していけば、ではどうすれば儲かるのか、と、儲かるためには貯めねばならぬということが前提として相手に伝わっている。

先に述べたように、実際の使い方指南は、秘伝として秘されてしまい、伝わっていない。

しかし、その大本の考え方自体はどうやらこういうことのようだ。

  • まず、壮大な夢を描け
  • 壮大な夢をいま実行する絵図を描け
  • すると、どう捻っても、出来ない処、足りない処がある
  • どうすれば出来るか、足りないところはどう補えるか考えろ
  • それに必要な分を貯めよ

大風呂敷を広げるだけ広げてしまい、その穴だらけでボロボロ風呂敷の穴を、繕って埋めていけ、

小さく着実に繕っていけば、いずれ大きな風呂敷が完成すると、こういうことのようだ。

現代に生きる、村田の教え

商売の形態は大きく変わり、今となっては古臭い考え方でもある。

しかし、こと家計に関しては、今も村田の教えを活かす部分は大いにある。

分は弁え難し

コンビニお菓子を買ってしまっても良い、

ボーナスでご褒美を買っても良いだろう、

偶には飲みに行くのも構うまいと、

人は自分がどれだけ使っても良いかを客観的に知り、それを見極めるのが酷く難しい。

高収入でも貯められないのは、その人が自堕落であるというよりも、使い方を知らないからだと言える。

もちろん、低収入でも同じことである

無いとして考えよ

余ったぶんを貯金しようという考え方では、貯められないというのは良く聞く話である

勤労者に対して天引きで貯蓄を促すというのは、財形等で政府が主導した手法でもある。

結局、分相応が難しいのであれば、元々給与が少ないものとして考えるのが良いわけだ。

本当に困窮している人間は、貯めようとは思うまい

貯めようと思って貯められない人間は、困窮してはいないのだ。

ならば、最初からある中でやりくりすることは、出来るはずだ。

如何に使うかが肝要

とは言え、やはり無目的に貯めるのは精神衛生上良くなかろう。

貯めるのが目的なのではなく、使い処を考えろということなのだ。

そして、しっかりと考えた使い処があれば、今月の呑み代に窮して手を付けることは無い。

逆に言えば、手をつける程度の使い処は、余りしっかり考えたとは言えないのだ。

数えるだけでは丁稚に劣る

ここが、昨今の風潮とは一線を画すると言える。

村田は、まずは数えよとは言わなかった。どうやらどんぶり勘定の相手もしていたようである

家計簿をつけて家計を見直すのは、もっとずっと後のことだと、つまりはこう言っているわけである

家計簿をつけるのが目的ではない、無駄を見つけて節約することだ、というのは良く言われることである

村田は、手順としてそれは後のことだと言っているのだ。

無駄を見つけて節約するのは、無いものとして考えた残りで自由にやりくりすれば良い。

最初に、何に使うかをしっかり考え、それは最初から無いものとして意識から外せと、繰り返し言っているのだ。

大風呂敷を広げ、小さく繕え

そして、単純に今欲しい物を考えよとも言わなかった。

大風呂敷を広げよと、こう言っている。

欲しい物のために我慢するのは馬鹿げていると手を付ければ元の木阿弥なのだ

これは、大風呂敷を広げるだけの甲斐性がなければ、貯める必要がないという突き放した目線でもある。

日々の生活に事欠く人間に、夢を描け無いものとして貯めよと言っても虚しく聞こえるのは重々承知の上だろう。

享楽に行き、明日路傍に倒れるとも已む無しという無宿人も多かった時代だ。

これは現代でも変わらない。

小さくとも庭付きの一軒家で犬と子供に囲まれた幸せな家庭を築きたい、今は何もかも欠けている。

その夢を描くには、何が足りないのか、何を足してどうなればそこに辿り着けるのか。

からこそ、使い処のために、給与から天引きして貯める。

無いものとして考え、ある中で使ってやりくりをする。

まずは夢こそが大切であるのだ。

結びに変えて

村田惣右衛門という商人は、夢を描く手助けをし、それを現実に落としこむ手腕が鮮やかだったのだろう。

現代にも通づるそのファイナンシャルの考え方は、まず夢ありきであった。

夢を見つけ、具体的な道筋を立て、その手段として帳簿を使う。

帳簿を使って無駄を探るノウハウを伝授しても、無駄に使ってしまっては何にもならない。

最後までお付き合いいただいた読者諸兄におかれては、

是非、夢を描きその具体的な筋道を考えた後に、定期預金なり財形貯蓄を利用して、風呂敷の繕いを始めて欲しいと思う。

2013-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20130614150757

半人前の定義もできてないのにこの先走りはw

辞書定義法律での扱いを考えればほぼ確実に「30歳は一人前」という社会通念があると思うけどなw

 

一人前

①一人に割り当てる量。

②成人であること。また、成人の資格能力があること。

技芸学問などが一定の水準に達していること。

 

①は文脈にそぐわないので却下

③は「特定職業人として半人前扱いされることはあっても」と認めているので排除。

 

半人前

①一人前の半分の量。

②一人前の半分の働きしかしないこと。

 

①は文脈上却下。一人前③と半人前②より、ここでの半人前は「成人の半分の資格能力しかないこと」

 

成人

①心身が発達して一人前になった人。成年に達した人間。おとな。現在一般的には満20歳以上のものを言う。

 

大人

①成長して一人前になった人。

ア.一人前の年齢に達した人。

イ.一人前の人間として、思慮分別があり、社会的責任を負えること。また、その人。

ウ.昔は、元服後の男子、裳着を済ませた女子

 
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