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2018-08-28

ところで永守重信は育てた小平市になにか寄付する気はないのかな

2013-06-22

渡邉美樹さんは選挙に通るよ。我々のせいで。

より正確に言えば、日本社会は彼を政治家にすることを仕組み上拒否できない。

法律よりも情動を尊ぶ

最近車いすの人と料理のお店で揉め事が起こったときに、強く感じた。

現状の法律がどうであるとか、法律にどう違反しているかではなく、それが正しいのか間違っているのかを話そうとした。

少なくとも、僕が見聞きしたネットではそうだったし、会社や知人もそうだった。

「これは名誉毀損から、客側が悪い」

侮辱罪だから、店側が悪い」

といった、「法律違反しているから悪いのだ」という話にはなっていなかった。

まず社会的にはこうあるべきだろうという理想があり、それに対して法律がどうだろうか、という話になっていた。

これはある意味ではとても正しい社会の有り様だとも言える。

法律が先にあって、その結果として正義が成されるのではなく、

正義がまずあって、その結果として法律が形作られる。

から法律はその解釈正義制度趣旨)を念頭において、世の中に合わせて柔軟に運用される。

我々はそれを自然なことだと感じているし、法律が間違っていると考えることも出来る。

公職選挙法が具体性故に現状にそぐわない(時代に追いついていない)と考える人が多いが、

公職選挙法に沿わない現代は、間違って進歩してしまった(時代が誤っている)と考える人が少ないのと、ほとんど同じ意味だ。

情動を尊ぶので、正義不正義は変質する

これは、とても良くまとまっていてかつ、典型的な例なので、是非読んで欲しい。

モズグス型」という類型――渡邉美樹戸塚宏永守重信などの共通点

http://www.amakanata.com/2013/06/blog-post_21.html

法律の枠組みや、その会社が良いかいかではなく、その創業者人間性で店に行きたくないと始めている。

もちろん彼(もしくは彼女)に悪気はないだろうし、不当に貶めてやろうという悪意があるわけでは無いと思う。

ごく自然に、「一私企業はい社長なのだし、ほぼ公人だから、多少の揶揄は許されるだろう」と考えているだろうと思う。

厳密に法解釈すれば問題ないかも知れないが、さきに言ったように、我々は法律に縛られて何かを判断しない。

まり、「自分正義に照らして間違っている(不正義)のであれば、多少の揶揄は良いのだ」と考えてしまう。

素直に読めば、渡邉美樹さんはブラック起業創業者で、その人間性に傾倒するのはカルト宗教にはまるのと同じで、

漫画キャラクターでは悪役として描かれる「モズグス」とそっくりだと言っているわけだ。

これを、好意を持って解説しているとは受け取れないし、中立的に公益性のある情報開示ともやはり言えない。

「ま、有名税だろ。それに当たってるし面白いし」と、思ってしまう。

少なくとも僕は面白いと思ってしまった。

ブコメで袋だたきにあって大炎上するような構造なのにも関わらず、だ。

これがTwitterで「俺のクラス渡邉と永守って、すげー気持ち悪い。モズグスそっくりだ」と

特定できる形で解説して、クラス全員で笑いものにして楽しんでいるとしたら、どうだろうか。

すなおに笑ってまとめを読んで、サイコパスやっかいだよな、狂信者はどの時代でもこまったモンだよなとコメントできるだろうか。

僕はそれは、やってはならない不正義だと感じるし、恐らく不愉快な気分になるだろうと思う。

まり、ある役割、ある属性を持つと感じる人物に対して、我々の正義感は少し変質するのだ。

正義不正義は変質するので、立場を重んじる

なぜ変質するかと言えば、情動を尊ぶからだ。トートロジーではなく。

具体的に言えば、電車が来ないことに対して、自分の友人を怒鳴りつける人はたぶん凄く少ない。

たとえ、その友人が予約をした特急が来ないとしても、いらだつ人はごく少数だろう。

なぜならば、その友人には責任がないのだから

でも、これが「駅員」などの「属性」が付くと、簡単にタガが外れる。

その駅にいるその駅員の責任電車が遅れたわけではないのにも関わらず、「駅員であれば電車の運行に関して責任があるはずだ」と感じる。

その駅員は、その鉄道会社の一員で、つまり鉄道会社責任は、「その駅員」にぶつけても構わないと感じる人は、そこそこ居るハズだ。

実際に怒鳴るかどうかは自制の問題で、ある会社に属している一社員を、ある会社と同一視する事は、そこまで特殊じゃない。

近所に住む53歳のおじさんを実名ネットさらすことは不正義だと感じるが、

ワタミ株式会社取締役会長なら、少なくとも不正義ではないと感じる。

これも個人ではなく属性で判断するからだ。

まり属性正義不正義を変質させる。

属性とはつまり立場だ。

「ある立場にいる人は、ある責任を背負うべきだ」と感じているからだ。法律とは無関係に。

「ある責任を背負っていないのであれば、ある立場にいてはならない」と感じているわけだ。

(その思いにはもちろん個人差があるし、あまりにも突出していれば「モンスター」と言われるだろう)

これは容易に「その立場なら、これぐらいの責任を負うのが当然だ」にすり替わる。

道徳規範が、責任の要求になる。

立場を重んじるので、責任も重んじる。

そう、ネット上でも多く感じるし、実際に知人友人に聞いても、自分でもそうだが、

法律とは無関係に、ある立場に対して、自らの正義でもって責任を問いたくなるのだ。

企業トップであれば、本人が知る知らないは別にして、その企業責任を取って当然だ、と言いたくなる。

法律とは無関係に、だ。

それは企業トップから見ても、同じだ。

法律とは無関係に、ある立場に対して、自らの正義でもって責任を問いたくなるのだ。

従業員であればこの程度の責任を持って仕事に臨んで当然だ、と言いたくなるし、実際に言うだろう。

法律とは無関係に、だ。(もちろん企業は個人よりもずっと遵法精神を問われるが)

法律がこうだから自分はこれを正義としよう、ではなく、

自分はこれが正義から法律はこうあるべきだ、この立場人間はこの責任を負うべきだ、そう感じるわけだ。

そしてそれは、全員が一致しているわけではない。だから、議論になるのだ。

その議論の結果、各々の正義感をすりあわせた結果が、法律になる。

責任を重んじるのは正義感故に。そしてそれは法律になる。

まったく逆の発想で言えば、法律違反していないことは、社会的不正義ではない、とも言える。

ある正義感を持ち、そのうえで法律違反していなければ、「自分正義は、他者の正義と競合していない」と感じる。

ある人から見れば「法律が不整備なだけで、それは不正義だ!」と感じることも、

他者には「正義なのだから当然法律規制されていない」となりうる。

これは単に、世の中という漠然としたものが、何を不正義だと思うかにかかっている。

例えば、FX外国為替証拠金取引)の証拠金割合は、自己責任論で言えばいくらでも良いはずだ。

でも「無制限のままで、良く判っていない人が取引をした結果、大きな損失を負うのは、社会的不正義だ」と考えられた結果、

金融庁は取引の額の4%以上の証拠金を預けることなく取引することはいかん、と証拠金規制を行った。

でも、証拠金取引のものを禁止するところまでは行かなかった。それは不正義だとはみなされなかったわけだ。

児童買春・児童ポルノ処罰法単純所持の禁止を加えようとするのも、つまり正義感故だ。

だが、誰の正義感だろうか。ネット上ではずいぶんと反対されているように見える。

世の中とは、なんだろうか。もちろん我々日本国民のことだ。

では、全国民を代表しているのは?国会議員だ。

まり国会議員正義感が、法律を作る。

これは他でもない我々が、法律よりも情動を尊ぶからだ。

国会議員を選ぶ人達が、正義を規定する。

ワタミ株式会社取締役会長渡邉美樹さんの正義感を、どう感じるだろうか。

彼は悪意を持って従業員を搾取しているだろうか。

ネット上ではそういう声はあまり聞こえてこないし、僕も違うと思う。

彼は、自らの信じる正義の基に行動しているし、当然その行動が正義だと感じている。

そして、我々と同じように、法律よりも情動を尊ぶ。

公職選挙法が世の中にそぐわない、時代遅れだと感じるのと同じように、

自らの正義が世の中と違った場合時代遅れだと感じているわけだ。

それは、我々となんら変わりはない。

単に「正義」が異なるだけだ。

そして、そういった「正義」を是とする人達が多いからこそ、選挙に担ぎ出されている。

(分かりやすく言えば、例えそれが不正義であったとしてもなおメリットがあると思われているわけだ)

そしておそらくそ正義は、投票率の高い人達にも正義だと見なされている。

東京都知事選で100万票を集めているというのは、選挙に行った人達17%が、彼の正義を肯定したという事だ。

どうすれば、自分正義を通せるだろうか

まず法律を守ろう。正義感よりも現状の法律こそが絶対だ。

そんな立場は結局、「幸福であることは義務です」と書かれる未来になる。

我々は、自らが信じる道徳正義感社会のあるべき姿を信じて、それに沿った形で法律が整備されることを望む。

まり、自らが信じる正義に従って欲しい。

社会的に正しい事だと明記し、そういう社会になるように強制して欲しいと思っている。

でもそれは、国民一人一人がそう思っている。

厳密に法律を守れ、自らの権利を主張したいときには、相手の権利も尊重しろ

ネット上で相手を揶揄しても醜悪なだけだし、裏付けなく広げるのはデマと同じだ、

そこまでは僕も言えない。

それが一個人の人権から言えばマズイ事だと理解できても、モズグス型とは面白いと思う自分がいるし、

経営者立場が重いか情報開示だという主張は理解しても株主手紙はマズイんでないの?と裏取りせずに考える自分がいる。

から投票には行こうと思っている。

そして、自分正義に関しては、周りに伝えていこうと思っている。

国会議員国民の代表というのは、全ての国会議員がそうだ。

何かをするときには多数決をとって、全国民多数決に代えている。

から自分正義を託せる人に投票して、自分不正義と思うことを正義だという国民の代表と戦って欲しいと思っている。

から自分と同じ正義感を持つ国会議員が、自分と同じ正義を信じる人達が増えて欲しいと思っている。

から、僕は自分の信じる正義の基に、不正義は不正義だと声高く言い続ける。

渡邉美樹さんが選挙に通るのは、我々が法律よりも情動を尊ぶからだ。

そして、それぞれの正義が異なるからだ。

からこそ、日本社会の仕組み上、彼は不正義だと信じて選挙に行く人が多ければ、彼の正義は「世の中」では不正義になる。

即効性はない。報われるかも分からない。やらない理由は星の数ほど思いつく。

でも、投票しないことで口をつぐみ白票を投じることで選挙揶揄するよりも、ずっとずっとマシなハズだ。

僕はそう信じている。

 
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