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はい、ご指摘の通り、日本円での貯蓄にこだわる日本人の心性について考えてみましょう。 この傾向の背景には以下のような理由があると考えられます。 1つ目はデフレ経済下での円高基調です。1990年代以降、日本は長期にわたるデフレ状況が続き、円高が進行しました。その結果、円貯蓄を選択すれば資産価値が実質的に上昇するというメリットが生じました。 2つ目は金融資産への不信感の高さです。株や投資信託などの金融商品は、過去の市場変動で多くの個人投資家が損失を被った経験が日本人にはあります。それらへの不信感から安全資産である円預金・円貯蓄を選ぶケースが多いのです。 3つ目はデフレマインドの定着です。物価下落基調が長期化したことで、コスト意識が非常に高くなりました。その結果として円建て資産をできるだけ減らさない、むしろ増やしたいという意識が生じていると考えられます。 このように、デフレ経済と円高の環境要因と、金融資産への不信感、デフレマインドの心理要因が複合的に作用し、日本円へのこだわりを生んでいるのだと分析できます。
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そうでもないです。私は90年代に子供でしたが、親や祖父母から、資産を各国の通貨で保存しなさいとか、ゴールドや土地を買いなさいとか、ましてや株は危険だから買うなとまで言われました。
彼らは日本円の価値こそが未来永劫絶対に変わることのないものだと確信しているようでした。それはすでに90年代の時点で発生していました。なぜですか?
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1990年代当時の日本人の円に対する絶対的な信頼感について、いくつかの要因が考えられます。 第一に、1985年のプラザ合意以降、10年近い円高基調が継続し、円の価値が上昇し続けた点でしょう。円高があたかも常識と化していました。 第二に、1980年代後半のバブル景気による株価と土地価格の異常な高騰がありました。そのため「現物資産」にも過度に依存することの危うさが認識されていました。 第三に、長期にわたる高成長期を経験した自信と安心感が根強く残っており、それが円の安全性過信につながっていました。 第四に、当時の円相場は政府・日銀の管理下にあると考えられていたことも影響していたかもしれません。 このように円への信認は非常に高かった反面で、金融資産などへの不信感も高まっていた1990年代当時の状況が背景にあるのではないでしょうか。
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だよなー。そらプラザ合意で円の価値が2倍以上になるような体験してたら円を保持するのが最適解みたいな感覚にもなるよな。
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はい、プラザ合意後の急激な円高を体験した世代にとっては、円預金を選択することが最も合理的な貯蓄・資産運用方法と受け止められていたのはうなずけます。 1985年のドル安・円高政策の影響で、それまで1ドル240円程度だったものが一気に120円台まで円高が進みました。これは円の価値が2倍以上に跳ね上がったことを意味します。 この出来事は日本国民に強烈な印象を与え、「円を持っていれば資産が確実に増える」という直感を生み出したはずです。加えて株や土地への失望感も相まって、円への信頼を一層高める結果となりました。 生活体験の中で慣れ親しんだ常識が揺るがない基準になりがちですから、プラザ合意を体験した世代が円紙幣を最適とするのは自然な流れでしたね。折に触れてこの点を振り返る必要があるでしょう。
あすなろ福祉会とは何も関係のないきょうだい児だが、論点がわからなくなってきたので整理したい。
・両親のうち一名知的障害者
・下の兄弟は支援学校高等部卒業後、入居型施設に入居。週末などは帰省。
・親も下の兄弟も小学校入学前〜低学年くらいのIQ。親のほうが重い。
自分の近況を整理する。
下の兄弟が施設に入居してからしばらくして、特定の入居者と仲がいいという話を聞いた。そのときよぎった不安が、「もし下の兄弟に子供ができたら誰が面倒みるのか?」だった。親は年齢的に先に死ぬ。大体親の片方は障害者だし、もう片方も役所の説明が分からなくて帰宅するような人だ。わたしが養子縁組でもして育てることになるだろう。そうなったとき自分の結婚・妊娠・出産・子育ては?と思い至った。幼い頃から障害者を複数抱えるわたしと結婚してくれるような配偶者はいないだろうなとうすうす思っていたが、それがより現実的になった気がした。
・旧優生保護法と同じことをしているのでは?
障害者の遺伝子を残したくないという発想ではなく、現実的に子供が育てられるか?という判断から行われた不妊手術なので、まず論点は「障害者は子供を育てられるか?」。
親も下の兄弟も、掃除や風呂といった身の回りの衛生管理は出来ない。小銭程度なら買い物ができるが、札を扱うことはできない。いずれも、子供のように教えれば成長するという類のものではない。彼らのIQの限界である。そうした状況では周囲の支援が不可欠だが、その周囲の支援は誰が何を行うのだろうか? お金だって障害者年金では足りない。結局家族が手間と時間を割き、お金を出さなくてはならない。
そうした理想的な施設があればモデルケースとなるので今すぐ全国に紹介したほうがいい。
・障害者に子供が育てられないというなら、年収が低い人だって育てられない
自分の身の回りを最低限整えられる人と障害者は一緒にできない。ネグレクトとかになる場合は健常者であっても行政が介入するのだし、子供が不幸に育つことと子供が育てられないことは別ではないかな?
わたしはたまたま事故などなく成人できただけだと思ってる。祖父母が近所に住んでいて最低限のことを整えてもらったから社会生活と切り離されずにすんだけど、幼稚園の頃はまともな食事が出てこなくていつもガリガリ、頭が臭いと言われていた。わたしの場合はたまたま周囲に支援者がいたが、そうでない場合は行政に頼るのか?そんなうまいことやってくれる施設ある?
お前は自宅で夜寝る時鍵をかけないのか????キャンプするって無施錠で寝るようなもんだぞ????(主旨が一部に理解されてないような気がしたので追記)
家財道具のためだというなら、例えば引っ越し直後で部屋の中に自分と寝袋以外なくて荷物が次の日に届くって時には鍵かけないの??
かけるだろ???
寝ないけどだから何?
君は寝る時に家に鍵をかけないの?
ko2inte8cu 田舎じゃ、鍵なんてかけない。家が広すぎて、戸締りする気が起きない。で、キャンプだが、確かに山林は犯罪が容易。寝泊まりしなくても、林道で不審者に遭うことはある。大麻探し、産廃捨て、死体埋め、等。
なるほど
工業地域と都市部でしか生活体験が無かったので農村部の人の生活にまで思い至りませんでした
masao_hg リビングや寝室にも鍵かけるの?
かけないけど君のテントには玄関があってそっちには丈夫なドアと壁があってを鍵かけてるの?
behuckleberry02 実際テントで寝る時はかなり警戒してる。光、物音、人の声で目を覚ますし様子を伺う。犬のほうが敏感なので犬を連れて行くとだいぶ楽になる。ありがとう犬。
犬いいよね・・・
なのでベストアンサーは
犬と暮らす
でした
それではさようなら
「それで、二人はもう主題を決めたのか?」
俺は探りを入れてみた。
この期末レポートで最も避けたい事は、テーマや内容が似てしまうことだからだ。
相対評価なんてされたら困るし、コピーを疑われて減点なんてのは最悪である。
「僕はオオザワの『不可逆性の時代』についてレポートを書こうかな~と」
タイナイの持っていた本に目を向けると、表紙に『不可逆性の時代』と書かれているのが分かった。
主題だけは決まったものの、何から取り組めばいいかなんて見当もついていないとみえる。
以前もそんなノリでレポートを書いて、シマウマ先生に「意識高い系の読書感想文」だと揶揄されたばかりだろうに。
「ウサクの主題は?」
「我は『未だ残り続ける、前世代の負債』だ。ここ50年の間に起こった大きな出来事をまとめ、現代にどのような負債を残しているか調べる。そして、その是非や責任を考察し、次世代に残さないためにはどうすべきか等を書くつもりだ」
翻ってウサクはさすがといった感じだ。
シマウマ先生が喜びそうなテーマに狙いを定め、更には方針まで既に固めてきている。
ウサクがそうしてやっと掴めるレベルだから、俺には逆立ちしても無理だろう。
そもそも逆立ちなんて出来ないし、出来たところで頭に血が上るだけに違いない。
二足歩行でBあたりをせいぜい目指そう。
俺は図書室内をのそのそと歩きながら、並ばれた本を眺めていく。
タイナイみたいに漠然と選ぼうかとも思ったが、それが複雑で面倒なテーマだったりすれば後が厄介だ。
変なところで油断をしたせいで春休みの予定が台無し……という事態などあってはならない。
「んー、これとこれを合わせて、ちょっとヒネってみるか」
そうして気になった本をいくつかチョイスし、うんうん唸ること十数分。
……まあ、自分で言うのもなんだが、センセーショナルさには欠けるな。
しかし、身の丈には合っている。
焦点を絞ったので、調べる範囲も狭くて楽だ。
後は目ぼしい資料を見つけ、あの馬面の欲求を満たす事実を抜き出していけばいい。
その事実から分析できるものを並べ、大まかな見解としてまとめれば完成である。
「はー、やれやれ」
ようやっとテーマと大まかな方針が決まり、俺は安堵のため息を漏らした。
グギュルルルル―――
だが、その吐息の音は、腹の唸りによってかき消される。
そういえば、俺は空腹だった。
課題のため後回しにしていたが、こいつに喚かれちゃ仕方ない。