はてなキーワード: ママ友とは
シティポップ、いいよね。
ところで、今世間を騒然とさせてる自民党と統一教会の関係だけど、ずっと前から知ってた自分からすれば「やっとか」という感じ。
何も自分がすげー事情通だからこういう情報知ってたぞ!褒めて!と言いたいわけじゃないよ。
この自民党と統一教会の関係って、どっかのスーパーハカーが韓国のKCIAやら統一教会か自民党本部やらをカタカタターン!って情報盗み取って、
その極秘情報を得てドカンと暴露して・・・みたいなパターンで世間を騒然とさせてるわけじゃないよね。
はてブでも時々ちょっとだけ、本当にちょっとだけ話題になるように普通のニュース記事とかでちょいちょいずっと定期的に取り上げられてたけど全然バズらなかった。
今、統一教会に関する○年前の記事とか、被害者弁護団の声明文とかがページがはてブにあがってるようにね、そう、昔からあったんだよね。
与党の人やら芸能人とかもやってる人もいるただの所作であるのを切り取って、
「朝鮮飲み」「コンス」とか言って、「こいつらは韓国北朝鮮の手先!」って野党叩きのこじつけめっちゃするくらい少しでも半島と関係あると思い込むと(あの国の法則、とかもあったよね)その政党やら団体をめちゃくちゃ叩くくせに、
韓国の宗教団体で日本を貶める教えもしてて、実際に多くの日本人を食い物にしてるとことズブズブでもなぜか批判しない。
とにかく韓国や北朝鮮持ち出してあれだけ嫌韓でスレが伸びまくってた昔の2chや今の5chでもなぜか統一教会のネタはそんな伸びないし食いつかなかったんだよね。
火消しや「それよりもリベラルはーみたいな」ってな話題そらしは相当あったけどね。はてブでもね。
この不自然さと、そういう人たちがなぜか統一教会的な持論をあちこちで書き込みまくってるのを見て、嫌な寒気を覚えていたけどさ・・・。
まあ、つまりもともと公然の事実だったのになぜか話題にならなかった。
シティポップのように40年前後くらい前からそこにあったのに、外国人や日本人の一部もそんなのがあるなんて知らなかった。
シティポップの各曲が自己進化して突然数年前にいい曲になったわけではないように、今回の問題もずっと探せばすぐ見つかるとこにあった。
自民党擁護でさ、「ただの社交辞令の祝電」とかひろゆきのツイートにリプしてる反論の「この程度の信徒数で影響力及ぼせるわけないでしょ」ってのあるけどさ、
ヤフコメとかでも当初集票力を当てにしてみたいに思う人多かったし、実際それもあるけどね、
選挙にはとにかく金と人手がいる。
ゲッベルスも選挙で右肩上がりに議席を伸ばしていたナチスが初めて議席減となった1932年11月6日のドイツ国会選挙戦中の日記に、
短い期間で相次ぐ選挙による資金の払底と、ナチス最大のバックボーンだった財界からの献金が減って宣伝キャンペーンが満足に行えないことを嘆いてて議席減。
そして政権取ってからは国庫からキャンペーンなどの費用を出せるようになってさらに躍進して喜んでた。
現代アメリカでも各党の大統領候補者指名争いで「○○候補が選挙資金集めに苦戦し指名争いから撤退することを表明しました」ってあるように支持率結構あるのに金がないから脱落したりする。
古今東西そして与野党問わず民主主義選挙で金が重要なのは、直感的にもわかりやすいことだと思う。
ちょっと見えにくいのが人手のほう。
昔から2chとかのネットで野党のポスターが選挙掲示板に貼られてないのを揶揄して「金も人手もないんだな野党はw」って馬鹿にする書き込みとかちょくちょくあったように、
選挙区内に膨大にある選挙掲示板に候補者が自分たちの人員でポスター貼りまくるのは大変な仕事。
掲示板に貼られてないと、活動不活溌みたいでなんか大丈夫かこの政党?ってなって悪影響なんだよ。
ポスターとかそんなんじゃなく政策で判断してる!って自負したい人も多いけどさ、
世論調査で支持してる理由は?って問いに曖昧模糊とした人柄が一番に挙がることも多いでしょ?
選挙カーで連呼してる名前を刷り込ませて活動やってます感だすのが有効だったりもするし、
駅前で辻立ちやってる候補者のそばを通り過ぎる通行人は、その演説内容を数秒しか聞いてないのにもかかわらず「毎日よくやってるな」でなんとなく好印象もっちゃうように。
ポスターちゃんと貼られてないみたいなのも日本の選挙じゃ超重要。
でもまあポスター貼りとか選挙事務所でのお茶くみとかこういう末端の手伝いみたなのだけならいいんじゃね?ってなるかもしれないが、
そこから始まって、議員に身近な存在の秘書やら常駐の事務員等、議員のスタッフとして中枢に入り込みまくってるのが大問題。
スリーパーセルとか言ってた人いたけど、議員会館に入り込んで国権の最高機関たる国会の議員にべったりじゃあ情報抜けるんじゃねーの?って想像しちゃうレベル。
これにはKCIAもニッコリ。
野党とかを外患誘致罪と言ってた人いたけど、それ言うならこれこそ外患誘致罪ってレベルじゃねーのって話だよね。
確かに名前の上がってる議員は日本会議とか神道政治連盟とか掛け持ちしてる議員多いしね。
反共でアンチサヨクなら日本人から金をむしり取る団体と交際しても問題なしなんだろうな。
周りを同一宗教団体の人で固めて洗脳ってさ、それこそその手の団体でよく問題になってる手法だから、危ういんだけどね。議員でもね。いや、議員だからこそね。
でも税金を差配できる既得権の多い与党議員って当選が第一で意外と政策があとについてきたりするのも多いのよ悲しいことに。
今回の選挙で話題になった元芸能人候補者みたいに勉強不足で出る人も多いから。
そういう人って政策やら国会の各委員会でのお仕事はもちろん支持団体のあいさつ回りの選考なんてこういう周りのスタッフやら党本部のスタッフに頼りまくりでどんどん染まっていく。
最近もあったママ友の洗脳事件やらと同じでさ、外部とのつながり絶たせて周りを全部固めてから洗脳していくんだよね。
からっぽな議員を当選させるための大事な選挙活動をしてくれるスタッフ側が、議員の先生の政策を結果的にコントロールしてるような感じにもなりうる。
実は自民党って想像以上に若い党員確保が難しくなってきててほとんど高齢者で手伝いしてくれる人不足してるのよ。
だから普通の日本人と称してプロ市民ばりに選挙活動からネット活動やってくれるこういう宗教団体をめっちゃ重宝してる。
そう、プロ市民とはむしろ彼らみたいな人のことを言ったほうがしっくりくるのかもしれないね。
今のガチ最右翼みたいな自民党議員って中には選択性夫婦別姓を公約に掲げてたりしてた人もいるけどどんどんそっちに行った人もいるしね・・・。
安倍氏が小泉氏の後任を決める2006年の自由民主党総裁選挙で掲げたスローガンだけど、
この「美しい国」ってのは、1998年に亡くなられた統一教会の日本支部の初代会長の遺稿集のタイトルでもあるんだよね。
『美しい国 日本の使命 久保木修己遺稿集』ってのが2004年に統一教会の世界日報社から刊行されてる。
偶然かな?
うん、偶然だな!
たぶん自民党の先生たちは自分たちが統一協会を利用してると思ってるんだろうけど、
政策の引っ張られ具合染まり具合がむしろ宗教団体に自民党が利用されているレベルに見えるのは気のせいかなー?
ともかく実態はすごいよ。
各報道機関が自民党の議員の秘書とか政策スタッフにどれだけそういう人がいるか調べたら、「だたの社交辞令の電報・動画」みたいな擁護言えなくなるから。
今めっちゃサイトからそういう消しまくってるだろうけどさ・・・。
本筋の自民党以外にも野党にもちょろっとだけ送り込んでるとこ。
本筋の自民党より議員数の割合から換算しても圧倒的に少なくても、政治的影響力の大きさがかなり違ってても、擁護者が「どっちもどっち」って言える。
例えば前原誠司氏なんかは本来仲間であるはずの議員や党員に事前相談も十分にせずだまし討ちするような形になって党を瓦解させた人だしね。
こういう使い方もできるし宗教団体側からしたらめっちゃ便利だよね。
日本の与党に食い込み、日本の最大野党を分解させる。すごい!フィクションの世界みたいだ!
前原氏も他の自民議員も関係ないならないって断言してほしいなー。
関係断つ宣言だけでなく、多くの被害者を出してる団体に批判もしないとね。
ただ「知りませんでした。これからは関係を持ちません」じゃ、この被害問題に取り組まないで、また名称変更してフロントになる団体作ってそこから支援もらうだろうし。
あとねこれも言いたい。
この手ので議員の先生が「統一教会系って知らなかった」とか言うけどさ。
嘘だったら相当アホだし、ホントは知ってて嘘ついてるなら悪辣すぎる。
特に、普段口うるさく中韓のスパイーがー!とか言って自分たちの愛国心やら危機管理能力の高さをアピールして
選挙の手伝いや支援してくれたりチヤホヤしてくれるからってホイホイ出席する議員の先生が一番脇の甘いお花畑な反日売国奴だよ。
カタカタターンのスーパーハカー情報でもない、俺みたいな人間でも簡単に知れる情報にくらい勉強しようぜ。
そんな脇の甘さで中国とかロシアとかはたまた国内の反社とかの団体の息かかってたらどうすんの?
つーかどうすんのも何も実際食い込まれてたなジャパンライフとかに。
中国のハニトラがーも言うなら自党の議員のパパ活疑惑もっと批判せいよ。
こういう連中こそ簡単にハニトラひっかかるだろ。
まあそういうのに出席する議員を擁護してあげるとするとさ、まわりが統一教会やらなんやらの宗教色強い事務所スタッフだらけだから、
「先生、あの団体はなんの問題もありませんよ出席しても大丈夫です反共ですし」みたいな秘書らによるガバガバ反社チェックされてるのかな。
国家公安委員長もアレだったし、警察・公安関係からのレクで「(統一教会系の団体は)大丈夫です」とか言われてそう。
最後に。
世界屈指の経済大国でアメリカの地位を脅かすとまで言われてた日本を、
G7の主要先進国のみならず、先進国クラブであるOECD加盟国でも最低レベルの経済成長率に貶め、
かつてG7内で1位だった一人当たりGDPも最下位イタリアに毎年差を詰められていて、所得水準も各世代で約100万とか激減させ、
豊かな研究水準を誇ってた過去の日本の大学を「大学はサヨクの巣窟」として破壊してネポティズムでえこひいきした私大を優遇して落選したときはそこで世話してもらったりしする一方、
(この問題も15年以上ずっと前から言われたのに体制批判だ政権批判だって叩かれてた)
現行憲法で「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」ってなってたとこが、
自民党の改憲草案の20条で「国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない」ってだけになって、
アレ?宗教団体が政治上の権力を行使してもいいようになるのかすごいなーって感じ。
そこからさらなる改憲したら神権政治もOKになりそう。データなんかいらねぇよ!お告げで決めるぜ経済政策!
急な解散でもない限り選挙のないこの黄金の3年間にこの問題をうやむやにして、是が非でも改憲して、
政教分離が大きく後退した新憲法化で政治権力を握りたいんだろうなぁ。
与野党ともカルトを一層してほしいけど、どうせまたいつも野党をデマ等で叩いて与党を擁護する一部の人らの
「野党がだらしないから自民党から統一教会が一層できない、悪いのは野党(特に立憲と共産)!」で楽勝かな?
なにせ自民党の総裁である安倍氏が選定した党幹事長の二階なのに、
その親中二階が居座ってるのは自民党も安倍氏も悪くなく、なぜか解任する権限を持たない野党、特に立憲が悪いって論のヤフコメに何千もいいねついてトップコメになるくらいだからね・・・
(2020年頃のコロナ下でのニュース。現在は消えて見れない。ヤフーニュースとかすぐ消えるのどうにかして欲しい)。
なんでもかんでも野党のせい。
特に近所に姑が住んでたり、妄想激しいとか噂好きとか面倒臭いタイプのママ友と関わりある人、
気をつけた方がいいぞ〜!!
私の所はキチ姑にネグレクト、虐待、家庭内いじめ疑われたぞ〜!!
うちの娘は高校生だけど美容こだわってて、PFCバランス?を計算した食事を摂って毎日2リットルの水を飲んで肌や髪のケアも勉強して、筋トレ、ストレッチ、有酸素運動を欠かさずしてスマホ触るのを止める時間まで決めて就寝するような、大人でもなかなか続けられない大変な努力を毎日続けてる。
でも娘が理想としている食生活は毎日疲れて帰ってくる夫や部活で毎日お腹空かせてる息子には絶対に合わない。第一みんなと違う食事を別で毎日用意するのは私の負担が大きすぎる。だから、
「あんたがやりたい食生活にみんなが合わせるのは無理だから、みんなと同じ献立が食べたくないならお金はある程度なら渡してもいいし冷蔵庫の中身は勝手に使っていいから自分で用意しなさい」と伝えて自由にさせてた。
それを買い物帰りの娘に会った姑が知って、
娘が自分一人分の夕食を作るために買い物をしていた→娘だけが自分で夕食を調達しないといけない→つまり家で娘の分だけ食事が用意されていない→虐待を受けているのでは?と勝手に妄想を広げてうちに乗り込んで来て怒鳴り散らかされる事態が発生した。
プラスその日たまたま食後のデザートにケーキを買っていて、 4人家族なのに3つしか用意されていない所も見咎められてさらに陰湿ないじめだとガチギレ、何を言っても手がつけられなくて地獄だった。
これも娘の希望で、ケーキを買うけどみんな何がいいか事前に確認したところ太るから自分は食べたくないと言われたため娘の分は買わなかっただけ。
娘がその場で誤解だと何回も主張してくれて、後に帰宅した夫も直ぐ電話を入れてとりなしてくれたから収まった(向こうが未だに疑っていないかどうかまでは知らないし流石に疲れるから確認する気も無い)ものの、まさかこんな下らない思い込みで姑に怒鳴り込まれるなんて思っていなかったから吐き出し。姑の頭がもっとおかしかったら警察に通報されたりしていた可能性もあるのかと思うとゾッとする。
世の中には、人との距離感がおかしい人がいる。「馴れ馴れしい性格」と言えばそれで終了だが、状況によっては被害者にとって脅威となる。
ママ友関係や同人誌界隈など幅広く奴らは存在するが、今回の話はアート界隈だ。いわゆるギャラリーストーカーである。私はアートイベントで被害に遭ったため、ギャラリーとは少し違うのだが。
大きな被害にまでは至らず無事解決したので、今回は被害の内容とギャラリーストーカーのような「距離無しおじさん」の心理について考察したいと思う。(ちなみに女性の距離無しもいるが、今回の該当者は男性のため、“おじさん”の表記でいく)
まず、知り合ったきっかけと被害内容をここで簡単に説明しておく。
知り合った経緯は、関西でバンドをやっている知人Aから「僕のお客さんで君のことを気にいってる人がいて、アートイベントに行きたいと言っていた」と連絡がきたところから。他人を使って回りくどく伝えずに、直接SNSなどでコメントすれば良いのにとは思ったが、そのときはまぁそんな人もいるだろう、と私も特に気にしていなかった。
そしてアートイベント当日、奴は現れたのだ。まずその人が60代の男性だったことが衝撃的だった。おじさんどころか若干おじいさんである。被害内容(というほどでもないかもしれないが)は下記の通り。
・ブース内で2時間以上の長話。作品には一切触れず、自分語りばかり。基本的な会話のキャッチボールができない。
・ブースに他の人が来たら譲る素振りは見せるものの、私がその人の対応をしている間、ずっとブース前で終わるのを待っている。(普通は、他の人が来たら話を切り上げて他のブースを見に行く)
・知人Aを含めての食事に誘われる。(まぁ複数人での食事ならいずれは・・・と当初は私も思っていた。)
・SNSでは私のことを一切フォローせずに私の投稿を見ているらしい。
念の為言っておくが、この日が完全に初対面である。SNSなどでの事前のやり取りも全く無い。ただ、この時点では少し違和感はありつつも、言葉は丁寧だし下品なことは言わないし、私のSNSだけでなくブログやYouTubeまでチェックしてくれているとのことで、熱心なファンに出会えたなぁとのんきに思っていた。
その後、facebookで友達申請が来たので承認したが、メッセージも挨拶と御礼だけであっさり終わる。特にしつこいとは思わなかった。
そして、2回目に会ったのは前回から半年後に開催された同じアートイベント。相手は仕事の都合で閉場1時間半前に現れた。被害内容は下記の通り。
・今回は作品について少し触れてきたが、ズレている。私の作品をスマホで撮っていく人を見て「この作品の何が良いのかわからない」「キャプションの文字が見にくい」など。
・「原画だけでなく画集も売ったら?」「原画は売れると寂しいから複写作ったら?」などと余計なアドバイス。
・そして今回も何も買わない。
・「住んでいる場所は、〇〇市の何区?」と絞り込んだ質問をしてくる。
・頼んでもいないのに搬出作業を手伝ってくる。
・また食事の誘いをしてきて、「Aさんにも連絡しておきますね」と返すと、「いや、Aはいなくて良い」と言い出す。「(私)さんの友達を誘ってよ」「無理なら二人で」と言ってくる。
2回目の時点で距離を詰めまくってきているのがわかるだろうか。食事の件はあまりに突然すぎて、私はYESもNOも言わずスルーするのが精一杯だった。
このイベント前日辺りから、おっさんからの長文メッセージ連投が始まる。下記の画像を見てほしい。(後ほど要約するので、文章は無理して読まなくても良い。)
https://tadaup.jp/loda/0626191420822787.jpg
https://tadaup.jp/loda/0626191936127788.jpg
・「次に東京に来たときは、ドライブに付き合ってくれ」と誘ってくる
・イベント出展費用について書いた私のブログを読んで、「じつは気になってる作品があるんです」「僕が作品を買ったら最終的に(私)さんのところに作品が戻るよう手配します」と匂わせ。でも最終的には「あと半年ほど熟考します」「このことは誰にも言わないで!」
・「作品を買う前に気になっていたことを実行します」←後ほど判明するが、ネットで販売している3000円程度のグッズを買う遠回しな匂わせ。でも結局買わない。
・「僕は何でも先に自分で値をつけます」という上から目線な発言
・「(私)さんの作品にインスパイアされる夢を見た気がします」といった迷言
創作や物販経験の長い方ならわかると思うが、買うことを匂わせる人はほぼ買わないという法則がある。本当に買う気がある人は何も言わずに買い、せいぜい購入報告をする程度。今回もその法則は裏切らなかった。
こういった距離無しおじさんは、お気に入りの女性に構ってほしいだけなのだ。そして悪気なく失礼な発言をし、嫌われていく。
この匂わせをされた時点で、「気持ち悪い」という感情で私の心は埋め尽くされた。
https://tadaup.jp/loda/0626192140712152.jpg
遠回しだと思う方もいるかもしれないが、私の精一杯の抵抗である。「買う側が値を付けるなど言語道断」「あなたがやっていることはハラスメント」「作家目当てで作品を買うものではない」ということを伝えたつもりだ。
しかし、上記画像でわかる通り彼には全く伝わっていなかった。「各種ハラスメントとは無縁と思ってくださいね」と自信満々のお返事。そして、「手元に置いて、たまに作家さんに対するお想いも込みでながめるもよし、購入はするが引き取らずに展覧会で会うことを楽しむもよし」と、作品を買う前から妄想をするおじさん。キツイ。せめて買ってから言え。
ここから私はリアクションすらせず、メッセージを完全に無視。彼からも追いメッセージはなく静かに過ごしていた。
すると、4日後にまた頼んでもいないお仕事報告(写真付き)が届いた。「メッセージハラスメントですかね、これは」と本人も何か感じ取っている様子。
もうはっきり言った方が早いと思った私は、下記画像のように返信した。
https://tadaup.jp/loda/0626192340139863.jpg
もう読むのも疲れてくるが、彼は言い訳までも自分語りなのだ。ここまで来るともうすごい。60代の所業とは思えない。
そしてまたもや失礼な発言。
>スーパーのレジ打ちの女性や、バスを運転する女性、理学療法士や調理をする方々といわゆるアーティストと呼ばれる方々を等しく見ている
もうね・・・ズレすぎてる。スーパーの店員やバスの運転手であっても、初手から二人きりの食事に誘うのは失礼である。信頼関係が築けていないうちに誘うのは、ただのナンパだ。そして、対象が女性であることを強調している点も気持ち悪い。
さらに、
>自分にとっての価値というものを考え、金銭に置き換えてみるという行為はカット野菜からマンションに至るまで生きている以上止めない
彼は野菜と著作物を同列に見ているようだ。オークションなら例外だが、著作物は基本的に制作側の言い値で買うのがルール。本やCDだって小売り店が勝手に安売りはできない。そんなことも知らないのだろうか?たとえ自分で値を付けるにしても、わざわざそれを作家に言うな。
「勉強になりました」と言っている様子は一見謙虚に見えるが、彼の年齢からみても恐らくこれが初めてではないだろうし、反省もしていないように思う。
前項のメッセージを最後に、今のところ彼からのアクションはない。これで無事解決と見て良いだろう。今回は、私が早めに牽制できたのと、相手が逆ギレするタイプではなかったのが幸いだった。私はおじさんに「何が不満なのか」ということを懇切丁寧に説明したが、返信を見る限り何も伝わっていないようなので、説教をしたところで無駄だということを皆さんには知っておいてほしい。
距離無しおじさんは人付き合いの段階を踏むことができず、自分が気に入った女性を一方的に友達と判断する。「僕が相手を好きなのだから、相手も僕のことが好きだろう」と考えている。
そして、相手の話を聞かず、自分の思いだけをひたすら話すことが相手を不快にさせることを知らない。まるで5歳くらいの子どものようだ。子どもなら誰しもが自分の話をするのに夢中になるが、それは年齢とともに落ち着いてくる。60代にもなってこれでは只々悲惨である。
そして、距離無しおじさんはとにかく孤独だ。孤独が故、一人の作家に強烈に執着する。
そして食事も可能な限り二人きりを望む。なぜなら、複数人だと自分中心の話ができなくなるからだ。距離無しおじさんは、人の話など聞く気は一切ないのだ。
また、距離無しおじさんは作家に執着している自分を周囲に隠したがる。今回の事件の彼も、何かと他言しないように念を押してきた。私の投稿を熱心に見るわりに、フォローやコメントはしてこなかった。なぜ隠したがるのかは正直最後までわからなかった。この点は検証が必要そうである。
また、私の経験則にはなるが、この“自他境界が曖昧”な距離無しおじさんは、顔が整っていたり服装に気を使っている人が多い。漫画によくあるデブで脂ぎった不潔なおじさんではなく、昔はモテたのだろうと感じさせる人ばかりだった。(※あくまでも私の経験談です。)
つまり、自分が若い頃は許されていた距離無し行動が、年を取るにつれて通用しなくなってきた結果なのだと思う。(あとターゲット女性の年齢層が若いままで止まっている点も問題。)
「食事に誘うだけでストーカー?」「嫌なら断れば良い」と距離無しおじさんは言う。だが、考えてみてほしい。最初から作品に興味がないことがバレバレで、話していても楽しくない、上から目線のアドバイスをしてくる鬱陶しい人が二人きりの食事に誘ってきたら「あ、この人は私に構ってもらいたいだけだ」と確信するのみ。それが作家にとっては極めて不快なのだ。
どれだけ自分の作品の知名度が低くても、距離無しおじさんはろくな客ではないので、さっさと見切りをつけるべきだ。直接会って話すとなかなか断れないと思うので、メッセージではっきりと断るのが良いと思う。今回の記事が断り方の参考になれば嬉しい。
2015年にギャラリーストーカーがツイッターで話題になったとき、たくさんの人が共感や対策など思い思いにツイートしていたが、その中には「純粋にアートを楽しんでいる人の足が遠のいてしまうのでは?」と懸念を投げかけている人もいた。なので、私もここでギャラリーストーカーかどうかの判断基準を書いておきたいと思う。
まず先に言っておくが、掲題のような不安を持っている人はギャラリーストーカーではないと思う。なぜなら、ギャラリーストーカーは自覚がないからだ。無意識に行動し、相手に嫌われて表面上は謝りつつも、結局自分の考えを曲げず行動を直さない。そして同じことを繰り返す。
また、今回の事件は食事やドライブに誘うところが不快だという点を強調したが、私の考えとしては食事に誘うのは別に構わない。だが、それはお互いが十分な信頼関係を築けていることが前提だ。特に、自分と話していて楽しいと相手に思ってもらうことが重要だ。具体的には、
といった感じだ。ある程度信頼してくれていれば、相手もそれなりに中身のある話をしてくれる。まぁ普通の人なら感覚でわかると思うが・・・距離無しおじさんはそこが気付けないんだろうなぁ。
そもそも、相手は仕事をしているのであって、色恋を求めているわけではない。ギャラリーだけでなくコンビニやバス車内であっても、店員対客の関係から二人でご飯に行くには、かなり難しいということを念頭に置いてほしい。(ほとんどの人が理解してるだろうけど。)
こんなリアルなメッセージのやり取りを公開するのは勇気がいりましたが、言葉で表現しがたい雰囲気を少しでも読者に伝えるため、メッセージのスクショをあげさせていただきました。
ギャラリーストーカーは、なかなか公表できないのが現実です。下手したら作家自身のイメージ低下にも繋がりますからね。ネットでもギャラリーストーカーのエピソードを書いた記事はすごく少ないです。
しかし、皆さんに「距離無しおじさんの心理」を少しでも知っていただきたいという気持ちと、自分の経験談を話すことで少しでも対策の参考になればと思い、はてな匿名ダイアリーで書かせていただきました。
見苦しい箇所もあったと思いますが、最後までお読みくださりありがとうございます。
って手紙が小学校低学年のうちの子が図書室から借りて読んでた本に挟まってた、と言う話をママ友から聞かされたんだけどどうしたもんかなー、と。◯◯はうちの子の名。
その手紙が教室に落ちてたかなんかで当然学級では問題になり先生も「このような手紙は許されることでは有りません!」とかなんとかお話が持たれたそうで。うちの子は泣いてたそうで。
それ自体が1ヶ月くらい前の話で、ママ友も聞いたの最近だそうで。
ママ友子ちゃん曰く「字がきれいだったから女の子で、うちの子ちゃんとも仲良い多分⬜︎子ちゃんがふざけてヒソヒソしてるの見た、ふざけたんじゃ無いかってみんな言ってる」みたいな話。
いやなんで困ってるって私、学校からも子どもからもその話聞かされてないのよね…⬜︎子ちゃんとも休みの日遊ぶ仲だし。
このレベルのことって学校は保護者に知らせてくれないものなんだろうか。
仮に⬜︎子ちゃんの悪ふざけだとして(むしろそうであってくれてと思う、そうじゃなかったらうええイジメかよと思うし)、こういったことがあった、って学校からはわざわざ知らせるもんでも無いレベルのことなのかな…。
なんか学校ってそんな感じなのかな?というのがコロナ禍入学で関係薄くてよくわからなくてもにょってる。率直なご意見あればどなたかよろしくお願いします…
西原理恵子について、思っていたことを適当に書く。ちなみに私は1985年生まれで東京の僻地でぬくぬく生まれ育った軟弱な人間。
今手元に本がなくて時系列は間違ってると思うからその辺はいい感じに脳内保管してくれると助かる…。
西原理恵子との出会いはもうよくおぼえていない。多分ダヴィンチとかカルチャー誌に載っていたのを読んで興味を持ったんじゃないかと推測している。
私はいろいろあって学校に行けない子供だったので、午前中に図書館に逃避し、そこで西原理恵子の本を借りたり、その帰りのブックオフでお小遣いで買ったりしていた。なので、売り上げに貢献していない読者だと思う。本当にそれは申し訳ない。
話を戻すと、最初に買ったのは「まあじゃんほうろうき」だったと思う。何故これだったかというと、単純にブックオフで全部100円で買えたから。
中学生くらいの私(今から22年前だ…時間の流れ怖っ)にはめくるめく世界だった。一気に西原の漫画に夢中になったし、彼女が大物とも臆せず交流する人間的魅力にも惹かれ、私も大人になったら雀荘で夜通し麻雀をする大人になろうと思っていた。
尚、36歳現在、麻雀はできるが雀荘には一度も行ったことがない。
その次は「鳥頭紀行」に衝撃を受けた。なんだこれ。大人になったらこんなジャングルとかにも行けるのか。幼少期から旅行記好きの私の心はがっちり掴まれた。
私も大人になったら世界中を飛び回りたい。しかもお酒が美味しそう。西原は良い仲間に恵まれてて羨ましい。でも、それは本人に魅力があるからだろう。私も西原みたいな大人になって、楽しい仲間とさまざまな国でお酒を飲んでみたい。心底そう思った。
尚、36歳現在、海外には一度も行ったことはない上に体質で酒は一滴も飲めない。
病気で高校には行けなかったが、年齢が上がったことでネット環境を与えられ、もう時効だと思うから白状するが私は体調の良い日はブックオフで「せどり」をして小遣いを稼いでいた。そのお金で、西原の本を揃えられる限り揃えはじめた。
「ちくろ幼稚園」にはじまり「ゆんぼくん」「ぼくんち」などの叙情系を読み、「あの破天荒な西原がこんなに繊細な漫画も描けるのか!!」と素直に才能に感心したし、それまでの彼女の人生に思いを馳せたりもした。
その他、著作は書ききれないほど(この時点で2000年くらいかな)あったが、どれも思春期で学校に行けず友達を作る機会もない私には輝いて見えた。こんな大人もいるんだという、一つのロールモデルとして彼女は私の中に刻まれていた。
もちろん、西原にはなれないのはわかっていた。それでも、世の中にはいろんな人がいる。そう思えるだけで、世界はいくらでも広がっていく。
そんな私が潮目が変わったと感じたのは2001年の「西原理恵子 大ブレークへの道」あたりからだと思う。既刊をあらかた買い読み尽くし、関連人物の書籍も一通り読み終え、とうとう私はリアルタイムで西原を追いはじめた。この頃はまだせどりも可能で毎月一定の額を稼いでいた私は、とうとう西原の本を定価で買うことができるようになる。
少しそれるが、西原の漫画はコミックというより書籍扱いなので一般的な漫画よりページ数が少なく、高い。
なので、いくら稼いでいるとはいえ(体調の良い時しかできないしな)合計しても小遣い程度の私には定価で買うのはまあまあ大変な額ではあった。でも、西原のことは信頼していて、躊躇うことはなかったと思う。
なのに、ちょうどこの頃の新刊あたりから内容がどこに向かっているのかよくわからない本が多くなった気がした。
加えて、2002年で新聞連載をはじめると、必然的に家族の話題が中心になる。
私は西原を作家としては信頼していたが、人間性まで盲信はできなかった。確か、「人生一年生」(1号か2号か忘れた)の中で安野モヨコが「西原の漫画は好きだけど、友人として近づきたいわけではない」という旨のコメントをしていたのがすごく心に残った。
そうなんだ。西原は漫画家としては才能があるけど、だから人間性もすべて素晴らしい人ではない。魅力的ではあるが、何かが欠けている。それが欠けているからこその魅力であり、埋めてしまうと彼女は漫画を描けなくなってしまう気がする。
そういった私の中の西原への印象を、端的に言葉にしたようなコメントだと思った。
そこから新聞連載は興味があまりなかったこともあり、新刊を時々は買うものの「何か違うな…」と思うことが多々あった。おそらく、それは私が目まぐるしく成長していた時期だったからだと思う。
私の西原への熱量は冷めていき、一応情報を追ってはいるが興味が持てなくなっていった。
それは華々しいが、私が西原の魅力と感じていた部分がそれによって表せていたかというと疑問だ。
「大体、絵本とかで良い話描く際に必ず草原に青い空って手抜きじゃね?」
というくらいに、この頃から私の中で西原は「青い空の下草原をバックに良いこと言う作家」というイメージに変わっていった。漫画だと手抜きも笑えるけど、良い話、しかも絵本になると「それでいいのか?」という気持ちになるから不思議。
更にだんだんと文化人枠に入っていくのも不思議なものを見ている感じだった。新聞連載は最初ちょっと読んだくらいなので、「良い母」としてCMに出る西原は不思議な感じがした。だって、西原ってあんなにめちゃくちゃやってる人なのになんでこんな綺麗にコーティングされているんだろう?
無頼派の新刊も、かっちゃんのマネー頼りの内容が多くなり、金で解決するオチが頻発して食傷気味になっていた。
そして20歳を超えた私は、新刊を諦めかつて夢中になっていた既刊を読み返すことにした。
しかし、それを読む私は確実に昔より成長していたらしい。
西原の本に出てくる友達は男性ばかりで、特に仲の良い人はおそらく恋人だ。頻繁に出ていた人が急に出なくなるのは、きっと別れたからだろう。そう思った。そしてあんなに友人が出てくるのに、女性の友人は数えるほどしか出てない、もしくは出てもすぐに出なくなる。
それまでも、西原の本の内容が「嘘」であることは欄外などに語られていた。でもそれは面白くするための嘘であって、自分をよく見せるための嘘ではないんだろうと勝手に思い込んでいた。
しかし私が大人になったのか、女性の友人があまり出てこない事実に気付き、いろんなメッキが剥がれていった。
そして惰性で書店に行くついでに新刊をめくると、息子と娘の扱いに差がある気がする。
親との確執、特に露骨に弟を贔屓し全肯定するのに私を全否定する母親との確執がある私にとって、それが気になった途端、新刊を追うことはできなくなった。
とりあえずかっちゃんとの交際が公になったまではまあ「ふーん」と聞き流していたが、その後のMXテレビでの女性器発言をかっちゃんに解決してもらうところはすごく悲しかった。
なんていうか、それまで強い男に媚びてのし上ってきたんだろうなと気づいてはいたものの、なるべくそこは見ないようにしていたのに、鼻先に思い切り突きつけられた気がして。
それでもまだまだ西原はアル中の鴨ちゃんを看取りシングルで子供2人を育てた良き妻、良き母。かっちゃんとの関係はまだ女を捨てていない素敵な関係。そういうイメージの媒体を見るたびに悲しくなってしまった。そこには、私の好きだった西原が小さくなっていて、よくわからない素敵そうなものが大きな顔をしている。そういうふうに私には見えた。
とどめを刺したのは、「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」だった。
私の中で、女性作家が若い女性に向けた提言本を出すと、それはもう終わりの始まりだという謎の思い込みがある。
(男性作家にも一部そういう人はいるが、どういうわけか面白く書く人もいて、この辺はいつも不思議。要するに成功した男性のロールモデルは数種類いるのに対し、成功した女性のロールモデルは種類が少なく画一的だからだろうと思っている)
結婚し子供を産んだ。金も男も手に入れた。確かに、そういう意味で西原に憧れる人もいるんだろう。そして、この本が響く人もいっぱいいるんだろう。
でも私は病気で学校に行けなくて、どんなに頑張っても今の世の中だと普通に働いて結婚して子供産むとかすごくハードなことで…。そんな私のコンプレックスなんて西原にはなんにも関係ない。でも、かつての本には弱者への目線も書かれていて、その人たちを笑わそうと体を張っているすごい人だと幼い私には見えていた。
それだけに、いわゆる「成功した作家」が提言本を出すのが、私には作家として何かを手放しているように思えて仕方なかった。
そんでもって相変わらず「青い空の下草原をバックに」表紙だしな!
(別に丁寧に細密な絵を描いて欲しいわけではない)
これ以降は別に私が書くことではない。
ない、が、娘さんの告発を見て、「やっぱりなあ…」と思ってしまった。
家族のことを部外者がとやかく言うのは下品だと思うので差し控えるが、著作を買っていた私は娘さんを追い詰めた側の人間だと思うので、今後どんな形でもいいから彼女が満たされ幸せに生きていって欲しいと素直に思う。
それはそれとして、西原ならこの騒動もあの手この手でマネーに変え、何故か感動のラストに持っていくのでは…と危惧している。多分、この予想は高確率で当たると思ってしまうのがすごく悲しいことのように私には思えるが、西原には西原なりの大切なものがあるんだろう。今の私にはよくわからないけれども。でも、私は娘さんを追い詰めた加害者なので、その顛末を見届けないといけないと思う。だから、少しでも娘さんが救われる顛末であって欲しい。ここでこんなこと書いてもなんにもならないけどな!
今までお気持ち表明って冷ややかに見ていたが、自分で読んでも気持ち悪い文章になってしまった。
高かった熱が冷めれば冷めるほど、人は気持ち悪い文章を書いてしまうのだろう。
それでも、私は一時期確実に西原の漫画を読んで生活が潤っていたし、その潤いがなければ生きてこられなかったと思う。
なるべくそのことは忘れないよう、これからも生きていけたらいいなと思い、私は明日も行きたくない会社に出社してやりたくない仕事をするだろう。おしまい。
【追記】
男性に伝わるか私にはよくわからないんだけれども、大体の女性にとって「やたらとわかってる風に振る舞う男性の友達ばっかりで同性の友達がいない女性」ってなんか言動とか価値観?とかに違和を感じていて、直接的だったり間接的に嫌な目に遭うことがままある…気がする…あくまで私の周囲の女性の意見だけども。
(そういう女性は男性にはいい顔するので、例の「女の敵は女」という言葉が出てきがちだ。そりゃ被害に遭わなきゃ女性だって高みの見物できるだろうと思う。往々にしてその手の女性は好戦的なのがめんどい)
とりあえず愛ちゃんはアシスタントだし、はせぴょんとか中瀬ゆかりさんはビジネスだろう。「毎日かあさん」のママ友の話はほぼ創作(むぎちゃんだっけ?あの人は多分いない)らしいので、若い頃の同性の友人の話も聞いた話を適当に盛ってほぼ創作なんじゃないかなと思う。
とにかく言いたいのは同性の友人がいないことは悪いことではないと思うけど、同性の友人がいない人が娘の母親としてどう振る舞うかというと…ということを言いたかった。
まあ、ぶっちゃけ私の母親がそういう感じなんだって話でしかないけどな。
【追記2】
作品のファンだったと思うのが健全で、作家のファンだったと思うのはちょっと違うと思った方がいい、みたいな意見はすごく真っ当な意見だと思うし、私もそういう風に考えたいと思う。
でも、西原をはじめとした自分の身の回りのノンフィクションやエッセイとして作品を発表する作家はある程度作者の魅力込みで読者がファンになる特殊なジャンルかなとも思う。
(さすがに盲信するのはどうかなという気がするし、きっと完全フィクションの作家ならみんな簡単に割り切れるかなと)
そういう特殊で業の深いジャンルであるが故に、今回の娘さんの話題で様々な意見が出るというのが問題?の本質かなと私は思ってる。だからこそ、今後また西原が今回の話題も何かしらの作品に昇華してしまいそうで怖いなと思っている。
(作家としてはそれが正解なんだろうけど、それ故に残酷というかあまりに業が深すぎる職業というか)
【追記3】
今ざっくり自分の文章読み返してみて、多分初期の方が弱者への視点が感じられ、更に作者本人が体を張って笑いをとりに行く様が魅力に感じられたように思う。
そして、よくある話ではあるが金や権利を手に入れたあたりでその魅力が感じられなくなったのかなと。
多分その魅力は彼女の中にまだあるはずだけど、今の状況だとそれで作品を作るのは難しそうだ。それはとても困難で手間がかかるし、素敵な女性として楽にいい感じの本出した方が売れるだろうしね。
【追記4】
他の人の西原への感想などが読めてとても嬉しいです。もっと読みたいので書ける人は書いてくれるとすごくすごく嬉しいです。
しかし新聞連載以降の作品のファンがあまりいないので、あの辺の作品を買った層と初期の作品を買っていた層はまったく違う層なのか?と新たな疑問が出てきた…。「上京ものがたり」あたりは私も結構好きでした。特にラストはすごく心に残っている。
【追記5】
追記多いのマジで気持ち悪いな。でも本文から気持ち悪いからなんかもうええわ。
友達の多い少ないは少なくともこの文章においては問題ではない。実際私も学校行ってないから友達少ないし。そしてそこを語りたいわけではない。
では何が私が引っかかったかというと、私がこの文章を書いた発端が彼女の娘さんの文章を読んだこと。
何度か男性の友達は多いのに同性の友達がいない、少ない女性と接した経験から、そういう人々はとても男尊女卑であると思った。要するに、大勢の男性と親しくできる自分は「名誉男性」であり、同性とばかり親しくする女性を格下に見ている。そして、人間を上か下かでしか見られず、他人を自分と等しい存在だと捉えることができない。男尊女卑は対男性には伝わりにくいが、対女性にはすぐ伝わってしまうので対女性とはトラブルが多い。
そういう男尊女卑の内面は奇しくも本人が言う通り、男尊女卑のまかり通る環境で生まれ育ったことも関係あるのかもしれない。
(でも、そういう環境で育った人がみんなそうなるわけではないけれども)
そして重要なのは、ここが問題点なのではなく、本当に重要なのはここから。
本人が自覚あるかないかに関わらず、男尊女卑思想のある女性が男の子と女の子を産んだ場合、女の子にはどう接するだろうか。
ここからは私の知り得るところではないので差し控えるが、自身の母親と照らし合わせると自ずと見えることが無きにしも非ず。
それはそれとて、そういうことを考える私もまたすごく嫌な女だということは間違いないだろう。
自分の周辺にそういう女性に心当たりがないという人はとても良い環境に恵まれた人だと思うので、それは自身の人柄によるもので、すごく誇っていい尊いことだと私は思う。
【追記6】
私がこの文章で書きたかったことは、西原理恵子という作家の業と私という読者の業、そして何より娘さんについて。
なので差別云々というのは私の文章力とか私の考え方に問題があるのは前提として、それを除けばここのコメントで西原理恵子という作家や娘さんのことを触れないのは片手落ちに感じる。
(もちろん、100文字という制限がある以上それは仕方ないとは思う)
そして、私はその業や娘さんに関係ないことはこの文章の中で書く気はないし、責任もとる気がない。
私は誰しもどこかに他人を差別してしまうところがあって、多分そこを言及されていると思うけれども、他人に「絶対差別するな」って押し付けたり、「自分は絶対差別してない」って言い切る人は理想主義過ぎて少し怖い。
だから、その辺が気になる人は、自分でそういう差別についてのエントリを書く方が満足できるし有意義だと思う。
【追記7】
差別が〜って言う人は西原の漫画読めるのか…?とずっと考えていたが、よく考えたら西原の漫画を読まずにこのエントリだけ読んで「差別が〜」と言っている可能性もあるのか!とはたと気づいた。
知らない人に説明すると、西原理恵子という人の芸風は人種差別、女性差別、弱者差別などあらゆる差別を笑いに昇華していくものである。実際、女性の友人をデブだのブスだのヤリ○ンだと罵ったり、子供を産んでいない女性や専業主婦へのヘイト発言なんて日常茶飯事だ。しかも、この何十倍も汚い言葉でそれを言う。
(改めてこう書くと本当酷いな…)
もう本人の作品自体がミソジニーだのホモソーシャルだのが真っ青になるくらい、差別や問題発言の坩堝なのが西原理恵子の漫画だ。
(今のポリコレではアウトでしかない…だから改めて差別とかホモソーシャルとか言われると「いやもっとアウトな発言いっぱい出てくるから!」ともうどこから突っ込めばいいのかもうよくわからない)
ところが、それがものすごく面白くて笑えるから始末が悪い。そして、それを読んで笑う読者ももれなく下品である。それが、西原理恵子と読者の業の深さの一端だ。
私は西原理恵子という作家について書くにあたって、そういう彼女や読者の中にある「差別」は切り離せないものだと思ってこの文章を書いた。そして、その「差別」がどの程度彼女の娘さんに及んでいたのか(あまり詳細が書かれなかったこともあるが)読者にはよくわからなかったところが例の娘さんの件で露見したように思う。
(更に補足すると、彼女が差別する人間だからこちらも差別していいとかってそういう話ではない)
なので西原理恵子を知らない人は、とりあえず図書館にも置いてあるしブックオフで叩き売りされているので読んでみて欲しい。私のおすすめは、コメントでも人気の高い「鳥頭紀行」とか「ぼくんち」あたり。
実際の西原の漫画を読んで、差別だとかそういうもので頭がクラクラするのにギャグが強烈に面白いという奇怪な感覚に失神するがいい!
(ただし、合わない人には本当に合わない)
結局、何があっても私は西原理恵子の漫画のすべてをきらいになれないし、機会があれば好きな作品を未読の人にも読んでもらいたいのだ。
【 Permalink | 記事への反応(18) | 17:22
親が発達障害の傾向がある場合、子どもにも遺伝的に引き継がれる要素はあるらしい。一方で、先天的に要素を内包していても「生活に支障を来すレベル」で発症するかどうかは環境的要因(後天的要素)が大きく影響するという。
我が子どもが小さかったときに親しくなったママ友・パパ友たち。付き合いが密で、お互いのことをよく知っている家庭の子どもたちの約80%が、「10歳前後」になって不登校・ノイローゼ・社会不適合といった、発達障害のように思える症状が一斉に出はじめた。我が家も突然に発症した。
これは…偶然なのか…? ママ友・パパ友同士は、発達的な特性を察知して「お互いにひかれ合って」仲良くなっていたのだろうかのか…?不思議でならない。
コロナ禍で環境的(後天的)要因が強まったのか、先天的な要因が支配的なのか?
男と一緒に仕事するから「女は~」みたいに男の価値観を押し付けられるけど女だけの空間だと価値観の押し付けがなくみんなのびのびできるみたいな話だけど
男の生きづらさは男だけの社会の中での「男かくあるべし」っていう価値観の押し付けによるものってのが現代のジェンダー学での見解
それが女だけの中では起こらないのかっていうとそんなことは全くなくて
女が女だけの社会を作ったらその中で「女かくあるべし」という価値観が生まれてそれをハズれると女社会からはじき出される
専業主婦のことを奴隷嫁って呼んだりする界隈があったり、逆にママ友集団の中では「いつまでも独身の女ってかわいそうwww」みたいな価値観が蔓延していたりする
※この話は作り話です
それで、お気に入りのガラスの急須にお茶を入れて出したら、「珍しい飲み物ですね」と言われた。
意味がわからなかったけれど、「え、普通のお茶ですよ」って返したら、「これ粉じゃないんですか?」って。
ますます意味わからなかったけど、茶葉のことを粉って言ってるんだと気づいたらもう顔から火がでそうなほど恥ずかしくなったね。
曖昧に笑って誤魔化したけど、もうあの人とは話ししない。
信頼といえば、ママ友ガンダム増田が信頼をキーワードに返信記事書いてて面白かった。 https://anond.hatelabo.jp/20220501034820
たくさんブクマいただいて恐縮です。
まず、文献を貼らずに・・・と何人かの麿が目を剥いていたので、ほぼ古典レベルのこの文献を貼っておく。
木下富雄(2002)リスク認知の構造とその国際比較, 安全工学 41 (6), 356-363
https://www.jstage.jst.go.jp/article/safety/41/6/41_356/_pdf/-char/ja
P.357これまでに日本で行われたほとんどすべての研究において、女性が男性に比べてリスクに敏感であることが知られている6)10)11)。そしてこの傾向は、科学技術のリスクだけではなく、BSE汚染や自衛隊の海外派遣のような、社会的な事態のリスクにも及んでいる12)。性差はさらに年齢とクロスしており、リスク認知が一番高まるのは、30~40歳代の女性であることが多い11)13)。これは、配偶者や子供など、身近に愛するものをかかえるこの年齢の女性が、リスクに過敏になるためではないかと解釈されている。
p.362ところが,中国では,たばこを除き男女差はほとんどない.さらにアメリカでは,レントゲンや麻薬において,男性のほうが女性よりも高いリスク認知を示している10).いずれにしてもリスクの認知が,文化の影響を強く受けていることだけは明らかといえるだろう.
この分野が面白いと思った麿は、最近の文献はGoogle ScholarやらPubMedで risk perception をキーワードに色々探してみて欲しい。
英語のPDF文献はShaper https://dream-exp.net/shaper/ で改行削除してDeepLで翻訳すると楽です。Shaper作ってくれた人ありがとう。
で、エントリを読んだ人にはほとんどわかっていただけたと思うが、自分は例のアンケートの元々の設計と結果の解釈が正直「まずい」というか「かなりまずい」と感じており、あのアンケートの結果をもって、
40代以降が萌え絵についていけてなくて価値観がアップデートされていないとか、
40代~の中高年層がやたらと「風紀委員」的になっているとか言ってしまっている人たちに、
いやいやちょっと落ち着こうやというつもりで今回のエントリを書いた。
仮説や解釈に言及しているひと、同業者の方だろうか、ありがとう。
自身のつらい体験や、大事な人のつらい体験を書いてくれている人も、共有してくれてありがとう。
良く分からないが「あれは絵だ」とか、「あの広告をなくしたところで痴漢は減らない」言っている人も、おそらくnot for meな長い文章をさいごまで読んだのはえらいなとおもった。とにかく読んでくれてありがとう。
どのコメントもすべてありがたく読んでいる。
特にn3922氏の
“周囲の大人は痴漢に怒ってくれる、という信頼感を自分にくれた恩人である。” この信頼感の絶対量がもっと多い世の中だったら、たわわも問題にならなかったんじゃないのかな〜と思ったりする“
というコメントは、自分が広告の表象よりは講談社の意図が気になった根底には、これがあったんだなと、気づきを得た。
信頼感は、リスクの評価や受容に大きくかかわると言われている。
これを今のニュースで例えると、製薬会社やそれを指導管轄する国への信頼が低ければ、ワクチンが危ないという気持ちが強くなり、ワクチンを受容しようという気持ちが低くなるという仕組みになる。まあワクチンの場合はもっといろんな影響因があるが。
今回の件の場合、○○への信頼の○○には、「社会」が入るだろう。
具体的に言えば、「この社会は市民を性的被害から守ろうとしてくれる」という信頼感である。
この信頼感が高ければ、たわわの広告が「まずい」と感じる人は減ることが予測される。(この論理については後段でもう少し詳しく説明する。)
「まずい」と思う人が減れば、広告表象等に係わるコンフリクトが減ることが期待される。
これはみんなにとって良いことだろうと思い、講談社の意図と社会への信頼感の関係性をみる実験を考えた。
講談社の意図については、ブコメでは以下のお2人が回答してくれていた。他に見落としていたら申し訳ない。
yujimi-daifuku-2222氏
可愛らしい女の子が出てくるギャグファンタジーを読んで、新入社員に元気になってもらいたい以外の何があるのだろうか。/強敵との戦闘を楽しむDBの孫悟空は通行人に面白半分に殴りかかる事を肯定しているのですか?
ruin20氏
漫画の中の彼女たちの巨乳を拝んでありがたいなあ(しみじみ)みたいな形で元気をもらってくださいねって話だと思うんだけど、それだったとして何なの? なんか問題あんの?
--------------------------------------
可愛らしい女の子が出てくるギャグファンタジー。彼女たちの巨乳を拝んでありがたいなあ(しみじみ)みたいな形で新入社員に元気になってもらいたい。
--------------------------------------
しかしなにかまだ足りない。
たわわには巨乳ヒロインが複数登場するが、そのうち、電車の中で会える女子高生のアイちゃんをわざわざ表象に選んでいる意図が抜けている。
それを加えて、ターゲットと提供する価値を明確にしてみたのが以下である。
------------------------------
新入社員のみなさんへ。
憂鬱な月曜日、巨乳を拝んでしみじみと癒され、元気になりましょう。
1~4巻発売中。ぜひ買ってね!
------------------------------
どうだろうか。キャッチ―とは到底言えないが、割と過不足なく講談社の意図と広告の中身を説明できているのではないか。
(ギャグファンタジーはちょっと違うのではと思ったので単に漫画とした。すみませんyujimi-daifuku-2222氏)
これを、朝の新聞の1ページいっぱいに32ptくらいのフォントで書いて出す。
絵は、「オタクや萌え絵への忌避感」の影響を避けるために載せない。
それを見た時、「この社会は子供を性的被害から守ろうとしてくれる」という信頼感はどう変わるだろうか。
おそらく、性的被害の経験者はそうでない者と比較して、信頼感が有意に下がることが予想される。
理由は、「電車の中の女子高生を性的コンテンツとして楽しむこと」と痴漢等の具体的な性的被害への危機感がリンクするのは、主に被害の実体験を持つ者だからである。
上記が納得いかない、という人もいるだろうから、その作用機作を証明するために同様の実験をするといい。
例えば、「痛みを伴うことを笑いの対象とする」バラエティー番組を宣伝する文章を掲示し、
「この社会は子供をいじめから守ろうとしてくれる」という信頼感の変化をみてみるのはどうだろう。
おそらく、いじめ被害者は、加害者と比較して、信頼感が有意に下がることが予想される。
いじめ被害者は「バラエティ番組で人を痛めつけることをコンテンツとして楽しむこと」といじめの具体的な被害への危機感がリンクしやすいからである。
ここまで書いて、なぜ私は1mmも自分の成果にならない実験の話をしているのだろう、と我に返ったが、まあいい。このまま投稿する。
夜中のテンションにまかせて書いたので、同業者諸氏に粗を指摘・改善いただいたうえで、この実験を例の計量経済学の先生にしてもらえると嬉しい。
たわわ広告への反応が、「風紀委員的な正義感」に基づいたものなのか、「被害経験に基づく社会への信頼感の低さ」に基づいたものなのか、より明確にできるだろう。
以上。
https://anond.hatelabo.jp/20190318130406
40代後半の女だ。
最近はてなを眺めていて、たわわ関係で思うところがあったので日記を書く。長文だ。
言いたいことは
(1)40代女性があの広告を問題あると感じやすいのは自身の経験&既往研究と整合する。の1点だ。
幼稚園年長
近所のお兄さんにいきなりキスされ、舌でべろべろ唇をなめられた。気持ち悪くて泣いたら、お兄さんは逃げていった。なぜか親には言えなかった。
小学生高学年
土手沿いを自転車で走っているとき、知らないおじさんに声をかけられて、「かわいいね。」、「あっちにかわいい子犬がいたんだよ、見に行こう。」と川沿いのアシが茂った人気のない場所を場所を指さされた。あんなところに子犬がいるわけない、というのと、おじさんの目つきがなんともいえず気持ち悪かったので逃げた。親には知らない人と話すんじゃないと怒られそうで言わなかった。
混んだ電車で祖父母の家に母と出かけた時、いつのまにかスカートの内側に精液をかけられたことがあった。
当時は鼻水だと思っていたが、祖父母の家についてから母が「スカート脱いで」と言って、祖母と小さな声で話しながら裏地を怖い顔で洗い始めて、鼻水つけられたくらいで大げさだなと思っていた。
高校生になって、自転車通学になり、いきなり下半身露出男が日常になった。
学校の行きかえりや、高校のテニスコート周辺に、下半身露出男がしょっちゅうでた。
他には自転車で走っていると、車でのろのろと後ろからピッタリ尾けられることがときどきあった。追い抜く道幅は十分あるのに、なんでついてくるんだろと思っていた。
部活の試合で皆で移動しているとき、空いている電車内で向かいに座っている男が自分たちに向かって下半身を露出することもあった。
電車に乗り込むとき、部活の仲間の尻をスーツ姿のおっさんがさりげなく触っているのに気づいたこともあった。あのおじさんに触られてたよ!と仲間に伝えると、おじさんは気まずそうに次の駅で降りた。
電車通学が始まった。
高校生の時に下半身露出男が日常で、上記の痴漢目撃経験があったため、電車通学時は最大限の警戒態勢で臨んだ。
といっても、痴漢に遭遇したらぶん殴ってやる、と思いながら電車に乗るだけだ。しかし、それが効いた。
同級生と比較すると痴漢に遭遇する頻度は非常に低く、4年間で5回くらい。
胸をもまれたり、股間をまさぐられたり、尻をガシっとつかまれたり、下半身を露出したり、「こいつ、痴漢だ。」とはっきり分かったケースだけだが。
この数を言うと、同じように電車通学していた人には「少ない!」驚かれた。
痴漢にあうのは、風邪をひいたり精神的に落ち込んだりしているなど、弱っているときだった。
どの場合も蹴る、殴るなどして抵抗した。ほとんどの痴漢はこわばった顔で次の駅で降りて行った。
しかし一回だけ、痴漢に殴り返されたことがあった。その場合は、他の男性乗客が「お前が悪いんだろうが!」と殴り返してくれた。そいつは下半身露出タイプだったため、他の乗客にも変質者だとわかりやすかったというのもあると思う。
電車以外では、本屋で2回ほど痴漢にあったことがある。2回とも蹴っ飛ばしたら逃げていった。
アパートで独り暮らしをしていたのだが、歩いているときにBMWから降りてきた知らないスーツのおじさんに家まで尾けられた。
階段の入り口までこられ、私が2階に上がるところまでニヤニヤしながらジロジロみられたので、降りて行って、「おい、なんか用か?」と声をかけると「いや、かわいいなと思って」ともごもご言ってから小走りで車に逃げていった。
おっさんが車に乗り込んで逃げていくまで、お前の車覚えておくからな!と、おっさんの車のナンバーを大声で叫んだ。部屋に戻って鍵をかけたあと、自分の手が震えていることに気づいた。
今思えばセクハラだなと思うことは山ほど経験したが書ききれないので割愛。
結婚してから、仕事関係のおじさんに会食して相談したいことがある、と言われ、断りにくい関係性だったため、夫に相談したら、夫が会食の場の駐車場で待機してくれたことがあった。会食中、全然相談の話にならずセクハラな会話が続き、次の店に行こうと手を握られたので下の駐車場で夫が待っているので、と言って帰った。当時30代半ばだ。
どちらかというと少ない方だと思う。
それでも、40代も後半になって思うのは、いろいろ危なかったな、ということだ。
土手おじさんをはじめ、今思い返すとヒヤリとすることがあった。
若い人は真似をしない方がいい。なんか便利なアプリとかあるみたいだし、周囲に助けを求めて欲しい。
で、本題だ。
某アンケートで、40代以上の女性で広告を問題視する割合が増えるという結果があったが、なぜ割合が増えるのかについては、
①「あの時は危なかったな」と被害経験を客観視できるようになった。
②上記に加え、子供を守り育てる年齢になり、子供たちにああいう目に遭わせたくないなという気持ちが強くなる。
という作用機作があるとおもう。
①について、若かったころは、世の中こんなもんだ、と思い込んでいたが、今思えば、ずいぶんむき出しの危険に晒されていたというか、社会に守られていなかったなという実感がある。
自分はもっと怒るべきだったし、痴漢は蹴っ飛ばすだけじゃなくて周りに助けを求めたり、警察につきだすべきだった。
だから、電車で痴漢を殴り返してくれた男性には今も感謝している。
殴るという方法は良くないかもしれない。でも、周囲の大人は痴漢に怒ってくれる、という信頼感を自分にくれた恩人である。
あのときは小さな声でお礼しか言えなかった。感謝しています。ありがとうございます。
②について、様々な既往研究では化学物質等の危険なものについて、子供の有無に関係なく30代から40代の女性が他の属性よりも危ないと感じやすいという一般的傾向が確認されている。
子供の有無に関係なく、というのがポイントで、その年齢になると、危ないものをより危ないと感じやすくなるのだ。
子供を守り育てるための本能に近いものではないかと考えられている。
割と良く知られていることなので、なんであのアンケートの調査者が既往研究について触れないのかは謎だ。
このことについて、年増女の若い子への嫉妬だ、と揶揄する人もいる。電車内の高校生を性的に見て何が悪いんだ、という人もいる。
おそらくそう言えてしまう人は、男女関係なく、①の被害経験が少なく、「あの時は危なかったな」という客観視プロセスを経ていない人、②子供を性的な被害から守りたいという意識の薄い人、なのではないかと思う。
経験や知識、実感がないと理解できないのは当たり前であり、仕方ないことだと思う。
①と②の意識は男女、年代問わず、誰でも持っている。ただ、それが他の属性よりやや高くなりやすいのが40代女性ということである。
そのためもちろん個人差があり、40代女性でも、高校生の時は自分で自分を守ってきたという自負がある人もいるし、電車内の高校生を性的に見ることを社会として受容可能という人もいる。
40代女性も一人一人違うのである。量的調査をすれば、平均値が他の属性と比較して少し上がる、というだけだ。
以上、40代後半女による、40代女性が例の広告はまずいと思いやすい背景の説明である。
まあn=1なんだが、n=1だろ、と切り捨てるのも科学的態度ではない。そうした質的研究を行うことで、説得力のある量的研究の設計をすることができる。
ちなみに、自分自身は、あの広告の表象が女性差別とは思わない。
巨乳フェチ漫画自体が悪いとも思わないし、新聞社が悪いとも思わない。
なんちゃらアライアンスみたいなのは、事業者間の約束事で、外野がどうのこうの言うもんでもないなと思っている。取り決めを行った主体間で、問題があれば話し合いをしていけばいいだけの話だ。
編集者等、編集部の構成員に上記の①や②の意識はどの程度あるのか。
編集者は「4月4日は今年の新入社員が最初に迎える月曜日です。不安を吹き飛ばし、元気になってもらうため全面広告を出しました。」というコメントをどのような意図で言ったのか?
その目的のため、広告を出すにあたってどのような工夫をしたか。
上記は別に糾弾するつもりはない。出版社ってどこまで考えてくれているのかなという、40代後半女の、単なる好奇心である。
以上。
家事育児に協力しすぎた結果、妻が社会人的に無能になってしまったかもしれない。
なんか、子育て周りの増田記事があふれてて、ちょっと書きたくなった。
若干、年齢周りをぼやかしてるので、年数換算がおかしくなってるところがあるかも。
私も妻も40代。結婚もうすぐ20年。子どもは二人で下の子は中学生。
妻はもともと手に職系の仕事をしていて、僕と結婚前後は会社に勤めていた。ただ、この時期、景気や雇用環境の悪さもあって、正社員にはなれず契約や派遣の形態のほうが多く、収入は安定していなかった。
そんな感じだったこともあり、妻は妊娠を機にいったん仕事を辞めて家庭に入ることにした。
産前産後の体調があまり優れておらず、疲れやすくなっていたこともあり、おそらくこの判断は間違ってなかったと思われた。
子どもも保育園に入れるのではなく、幼稚園に入れて専業主婦として暮らすことに。とはいえ、別にお受験などに夫婦ともども興味はなく、学校はふつうの公立小学校だが。
下の子も小学校に入ってしばらくたち、ある程度余裕ができたため、妻は仕事の復帰に向けて準備を始めた。
最初は、復帰に向けた慣らしと新たなスキル取得のためにアルバイト的に仕事に入り、数年前に正社員登用に向けて就職活動をはじめ、エージェントも使って、いったん正社員登用もある契約の形で入社した。
しかし、最初のところで人間関係があわず、パワハラ的なことに遭遇し、1年程度、僕に毎日1時間程度の愚痴を言いながら働いた結果、仕事を辞めて転職することに。
ところが、次のところも上と人間関係の折り合いがつかず(どうも、間に10年くらいブランクがあるので、いわゆる年下上司になっているようだった)やはり、数か月、僕に愚痴を毎日1時間半程度吐き続けて、最終的に退職した。
そこから、さらに都合3社ほどに就職したものの、全部退職。しかも、就職からやめるまでにスパンが徐々に短くなっていて、一番直近は、試用期間が終わったところで、先方と話し合って退職してしまった。
おそらく、ここまでの間に私が彼女から聞き続けた愚痴はLINEで原稿用紙100枚分、ヒアリング時間で累計3か月分くらいになるのではないだろうか。まあ、それはどうでもいい話だが。
いずれも、基本的には人間関係の折り合い、特に上司や先輩との折り合いがつかないというパターンのようだ。これには、致し方ないところもある。彼女が出産前に仕事をしていた時代は、派遣や契約ばかりだった(団塊の世代でつっかえていて、人余りになっていた)のが、その後10数年の間に雇用環境が変わり、その期間に粘って仕事を続けていた人は正社員になり業務の中で上になっていった。つまり、今、正社員でいる人たちはサバイバーであり、スキル的にも10年以上磨き続けてきた人なのだから、ブランクがある妻とは仕事の仕方や仕事に対する認識に差が生じることもある。その一方で年齢は妻と同等か少し若いくらいがほとんどなので、上も妻も関係をうまく作るのが難しかったのかもしれない。業界に関する掲示板などを見ると、職人的な人が多く、パワハラに近いことをまかり通りやすい職場もあるらしい。
そういう意味で、妻は引きが悪かった、もしくは職場を見る目がなかったのかもと思い、毎度、愚痴を聞きながら(最長で2時間半となっていた)応援していたのだが、ある時、たまたま、妻の担当エージェントと話をする機会があった(妻の不在時に自宅に電話がかかってきた)かなり色々苦労もかけているので、申し訳ないと思いつつ、彼に軽く聞いてみた
「色々ご迷惑をおかけしておりますが、正直、なんでいつもこんなにトラブルに巻き込まれやすいんでしょうね、時期が悪いみたいなのもあるんですかね」
そうしたら、彼の返答が僕の想定外すぎるものだった。それは、社会人経験の長い自分からすると、あ、これ、職場での関係悪くなるわ、自分の職場にこういう人がいたら、ちょっと厳しいわ、というものだった。
彼の返答をそのまま書くわけにもいかないので、箇条書きで要点を書くと
・謝罪ができない
といったことがあるらしい。常に全部が発露するわけではないが、いずれか複数が発露することで、職場内でトラブルが生じるらしい。
その結果、妻の転職回数がどんどんと増えていくらしい。逆に言えば、エージェントさん本当に苦労かけてたんですね、よく妻に付き合って新しい仕事を持ってきてくれてましたね。俺だったらもう紹介できないと言って、数年前に見限ってましたわ。申し訳ない。
ただ、妻は出産前の仕事の仕方はこんな感じではなかったように思う。その時代の仕事仲間とは今も付き合いがあって、電話したり、コロナ前なら外で飲み会をしたり、今ならリモート飲みをしたりしている。ところが、出産後の職場では、まったくそういう友人はできていないようなのだ。多少付き合いがあるのは、仕事で直接の利害関係のない部署のみ。
で、なんとなく、思ったのは、育児中の僕の彼女への協力の仕方が悪かったせいで、そういう風になっていったのではないだろうかと思うのだ。
妻の愚痴の中には、明らかに上司に対してなめてかかってるところがあった。例えば「○○さんは、ずっとこの仕事しかやってきてないから、狭い世界しかしらなくて人への当たり方がきつすぎる」とか「××さんは独身だから、子どもがいる人が都合を振り回されることがわからない」とか…
あ、書いてみるとひどいなこれ。で、これをさすがに直接は言わないものの、そう見える態度や言い回しですることで、上長との関係が悪化することが少なくなかったようだ。
でも、こういうのを「そういう属人的な属性で否定するのは良くないと思う」とたしなめられなかった自分がいる。なんとなく妻のストレス発散を愚痴をきいてやることで解消できるなら、それでいいと思って聞き役に徹していた。
そもそも、妻がいわばママ友や隣近所くらいの世界で暮らさせず、もう少し早めに社会復帰させた方がよかったのではと思わなくもない。また、妻はステレオタイプへの偏見がどうも強いようで、「■■は□□でないといけない(orで当たり前)」みたいな言動をよくやるタイプで、子どもも最近(というかこの数年)辟易して疎ましく思うことがあったようなので、子どもとの関係もやや悪化気味なのもよくない。
例えば、有休のとり方は職場によって違う。2週間前に申請しないとならないところ、比較的緩く取れるところ、人員のメンバー調整は各人でやってから申告するところ、上長が調整するところ、、、 それを妻は割と緊急の用事とか体調不良とかで、他者に配慮なく消費するらしい。子どもの何とかとか理由をつけて。そのほか、仕事上のこまごまとしたルールに割とルーズだったらしい。
その辺も僕が割と家事・育児ができるのと、有休が仕事上取りやすい、リモートワークで調整がつけやすいといったことが増えたので、彼女が体調が悪かったり、仕事が忙しかったりしたときに僕が変わって家事や育児をやってしまっていたので、その辺の他者への配慮の仕方を忘れさせてしまったのかもしれない。(その割には、彼女、PTAとか全部断りに断りまくってたんだが)
これは10年程度のブランクがあったのでしかたないかもしれない。
職種を特定されたくないので、すごくぼかして書くと、AからDを作る場合、A→B→C→Dの手順が多いんだけど、Bはしなくても良くてA→C→Dのところも普通にある。Bは正確性を期すためには必要くらいの感じだが、やるとコストがあがるし、B→Cのロスが出るのでやらないところが多い。でも、職場によってはBをやらないとならなくて、Bをやってエビデンスを残すことが求められてるところもある。逆にBをやってはいけないと決めているところもある。
妻はこういうのを割と無視して、経験ノウハウとかに準じてやってしまうらしい。その結果、A→B→C→Dのところでは、Bが無いと怒られるのに、なんで、そんないらないものをやるんですかと逆切れしたりするらしい。そして、業界的に10年進んでいるのに、その間のスキルアップが追いついておらず、なんか、仕事のやり方が雑であまりよくならないみたいな評価になってしまうらしい。
これも、何気に自分の家事サポートの仕方に問題があったようにも思う。妻は割と説明書とかを読まないで使いながら覚えるタイプなので、新しい電化製品とかは僕がまず説明書を読みながら使い方を覚えて、それを妻に手取り足取り教えるみたいなやり方が多かった。それでも、覚えてくるとどこか使い方が適当になってくる。けれど、まあ、後で僕が戻したり治したりすればいいかというので、僕としてはそれについてどうこう言ったりしなかった。細かい話だが、シャンプーとリンスが切れたときに、両方を詰め替えたら、間違えてあべこべにいれてしまったので、僕が後から上にマジックでシャンプーのところにリンス、リンスのところにシャンプーと書いたこともある。こういう間違いをやっても、妻はあまり気にしない。逆に指摘すると、自分は忙しいんだとか自分はわかるからいいんだみたいな怒り方をする。なので、いつからか僕の方で間違いを指摘することはなくなって、淡々と治すようになっていった。
もしかしたら、これが一番よくないかもしれない。妻は仕事でわからないことがあると、人を呼びつけて尋ねるらしい。それを聞いて、正直、僕は引いた。おもわず、なんで?と声に出てしまった。
どうやら、手元で操作しながらわからないことが出たなら、そのまま教わりたいかららしいのだが、別の人は別の人で作業してるんですよね、それをなんで呼びつけるんですか? そりゃ、いくらやさしい先輩や上長でも何度もされたらむかつくわ。で、逆に先輩や上長が妻を呼びつけると明らかに「○○の作業を中断してるんですが…」みたいな不満を言ったり、言わなくても顔に出すらしい。ああ、ダメだわ。それ。
でも、それ、実は心当たりがあるんだ。産前産後の体調が芳しくなかったので、なんとなくその時期、妻が自分のところから動かないで、○○をして、××をとってみたいなお願いを聞いて僕から動き回るみたいなことをやっていたのが、今も続いているんだ。例えば、寝室のベッドにいて、居間にある何とかを持ってきてと言うのも、僕を寝室に呼びつけてお願いする感じ。僕がごはんを作ったときには、妻のところに呼びに行くけど、妻がご飯を作ったら、大声で出来たよーというだけで、その声が聞こえたのかどうかは特に気にしない感じ。子どもに対しても同じで、子どもの部屋にいって、何をしろとオーダーせずに呼びつけてオーダーする。たぶん、これが癖になってるんだろうなあ。良くない。
・謝罪ができない
そして、なんとなくわかってたんだけど、やっぱりかというのがこれ。自分に否があるときも彼女の場合、1割謝罪9割弁解みたいな感じなのだが、それが職場でもそうらしい。社会人の場合、逆のほうがいいんだよなあ。家庭だったらまあ、それでも何とかならなくもないんだが、そろそろ、子どもたちの信頼もさがってきてるから、どうにかしたい。
上記の要因を見ていくと、なんとなくこの10年程度の家庭での育て方みたいなのが、悪く表に出てきてるきがするんです。とはいえ、これを僕が普通に指摘するの妻は聞き入れなさそうなんだよなあ。
なにせ、妻の口癖は「増田くんは、私の業界の慣習やルールはわからないだろうから」なんだよ。なので、最初のころはいくつかそういう要因はないのかと尋ねてみたんだけど、聞く耳なかったんだよな。
はあ、どうしようかねえ。
しかも爆乳といって良いほどに巨乳で、目のやり場に困ったものだ。
中学一年生の春、その友人とはとある運動部を見学に行った時に出会った。彼女は薄暗い所に一人でちんまりと体育座りしていたので、パッと見男子かと思ったがよく見たら女子だった。そのときは巨乳であるとか気にしていなかった。ひとの乳の大きさに別に興味がなかったので見過ごしたようだ。
正式に入部して、部活の更衣室を使うようになった頃になって初めて、友人が巨乳であることが気になりだす。その前に、部活の先輩達が人前でも臆面なく服やユニフォームを脱ぎ着し、友達同士で乳やブラジャーの品評会みたいな事をし合う様に、おののきそして呆れ、やがて自他の乳に関心を持たざるようになった感じだったと思う。
私と友人はたった二人だけの新入部員で、先輩達が着替えているときは、いつも部室の隅っこでぴったり体を寄せあって体育坐りしていた。場所は薄暗がりだが、日なたに香箱を作っている仲良し猫みたいなもんで。そして我々は、中1にもなってブラジャーを着けていない者仲間であり、先輩達が他人のブラジャーの肩紐を引っ張って悪ふざけをする、そのノリに巻き込まれるのが嫌で、胸をガードするように膝を抱えていたのだったりする。二人で、昨日見たアニメの話とかをしていた。
その頃(今でも)私は貧乳だったのだが、それでもブラジャーなしで体操着を着れば胸というか乳首は下着や体操着の布越しにも目立っていた。かといって良識を持った同級生達は何も言って来なかったが、持たない奴はなんか色々言ってくる。入学当初はブラジャーを着けていない女子は少なくなく、だがやがて同級生の反応に泣かされたり、直接の被害を受けなくとも、自衛をするようになっていくようで、仲間の出方を窺いつつブラを装備するようになっていった。
たった一級上の部活の先輩達は、ブラを着けることも乳が大きくなることも屁でもないぜという様子で、ブラも制服の下に隠した小粋なお洒落みたいに楽しんで好きな色柄のものを着けていた。なのに、一年の私達は、体育の授業の前に女子更衣室で着替える時は、他人に見られないように隠しながらそそくさと着替える。この文化の違いみたいなのが謎だった。
夏が過ぎ、秋頃だろうか。ある日突然、母が「初めてのブラ」とかいう白くてダサいブラジャーを買ってきて、今日からこれを着けろ、寝るときもだと私に言い渡した。それ以前は、私がもう恥ずかしいからブラがほしいと訴えても、そんなもんはまだ子供には要らないとにべもなかったが、おそらく母の事なので、ママ友達との井戸端会議で感化されただけなんだろう。そういう訳で、私はレベル1の装備を図らずも手に入れてしまった。正直、先輩達が着けているような、水色のチェックとかピンクのレース付きのようなのがよかったと思いつつ。
装備レベル1を初めて身に付けた頃も、私と巨乳の友人は部活で二人きりの一年生で、部室で着替える時は先輩がふざけながら着替えを終えるまで、隅っこに肩を寄せあって体育座りで待っていた。
そしていつものように座っていると、不意に友人が私の背中に手を回して、体操着のシャツの上からブラの紐を引っ張り、パチンてした。
「なんだよこれ」
友人は相変わらず、豊満なボディと不釣り合いな男子みたいな顔でいう。
「そっちこそ、なんなんだよ」
と私は言い返す。なんだなんなんだよと言い合いながら、小突き合い始め、仔犬の兄弟がする喧嘩の真似事みたいになる。先輩達が、お前ら本当に仲良いよね、という。だが、先輩達がお互いにセクハラのし合いをして悪ふざけをしている様子ほど、なんか楽しさがないよなと私は思った。友人は、私よりもずっと乳がでかいのに、まだブラを着けていなかった。二人だけのノーブラ仲間から1抜けしてしまった事への罪悪感がじわじわとひどい。
友人は、ふざけて私の膝を枕にすることがよくあった。私も友人の肩に凭れかかることがあったが、膝枕は遠慮した。友人は乳だけではなく体全体がむちむちしており、膝枕の柔らかさはたぶん何か他のものの柔らかさを連想させるし、ていうか、膝にも頭を乗せればその何かがすぐ顔の目の前にぶら下がることになる。目のやり場がないどころの話ではない。
友人は顔が男の子みたいだが、言動も男みたいで、男以上に野蛮だった。私はわりと野生児だったので気が合い、友人とどつきあいなどをして遊んだ。そんなんだったが、ある日友人がこそっと言った。
私は驚き、
と言った。痴漢は放課後のひとけのない道端に出るものだとばかり。だが、広々として客が常時うろついているような大衆向け書店の中にも痴漢は出るものらしい。しかも、狙われたのは友人。乳はでかいものの女らしい格好をてんでしないような、パッと見男子に見える中学生がターゲットになるとは。友人は背後から尻を触られたそうだ。そこか。はあ、世の中は私の知らないことばかり……と思った。
友人は部活をサボりまくるようになってしまい、クラスも離れていたのでしばらく接点がなくなってしまった。
二年と三年は同じクラスだった。いつの頃から友人がブラを装備するようになったのか、記憶にない。いつの間にか、ノーブラで普通に過ごしている様子を見た男子達が「見た? あいつ乳首立ってるぜ」と忍び笑いをする所を見かけなくなった。
ブラ装備になったとはいえ、友人の巨乳の迫力がすごいことには変わりなく、同じクラスになったので、気軽に私の席に友人が遊びに来る分けだが、名前を呼ばれて顔を上げると、まず視界に入るのはその大迫力の乳だった。よく巨乳の人が「男はあたしじゃなくてあたしの乳に挨拶してくる」と言うが、友人の場合、私にまず友人の乳が挨拶してくるような状態だった。
地味にリアクションに困った。同性同士なのであまり気兼ねしなくても良いのかもしれないが、私が先にブラを装備したときはだいぶ気にして私のブラの肩紐を引っ張ってみたり服の上からホックを外すような悪戯をしかけて来たような奴だ。そして、性格が勇ましくて乱暴な癖に痴漢に遭った時は驚いて一言も喋れず身動ぎもできなかったというし、痴漢遭遇頻度が私よりもずっと高いような奴だ。同性の気安さでなんか言ったりしたらどう思われるかわからない。そんな怖さがあった。それ以前に、私があんまりそういう方向性のおふざけをするのは好きじゃない。
でも、ぶっちゃけて言うと、いつも突然視界にばいんと入って来るあれに、ちょっと触ってみたいなという気持ちがあった。でも私も女子の端くれなので、乳がただの脂肪の塊ではない事を知っているので、触ったって思ったような感触はしないし、触られた方は痛いだけで楽しくもなんともないだろうと思った。巨乳を気にされていたら、どうリアクションして良いのか、わからないし。
修学旅行の夜、同室の皆が、こんな夜だし恋バナをしようとか言い出した。友人も同じ部屋だった。そんな事言われても、私はそういう話をするのは好きではなかった。だが、私は幼馴染の男子と毎日時間を合わせて下校していて付き合っていると思われていたので、誰が好きとは問われなかった。ところが幼馴染を他のクラスの女子が好いていた事もあり、私と幼馴染みの話はタブーに近い話題だった。それで難を逃れたと思ったら、友人がやおら私に聞いてきた。
「お前、男同士ってどう思うの?」
当時はボーイズラブという言葉はなく、ゲイというのも一般的ではなく、かといって軽々しく当時普遍的に使われていた差別用語・ホモというのはうっすらと憚られた。でも「やおい」同人誌がめちゃめちゃ流行っていた。中学生でもけっこう際どい同人誌を平気で買って読んでいた。友人はやおい同人誌をものすごい数コレクションしていたような手合いだ。私にも貸すといって頼んでもいないのに押し付けて来ることがよくあった。そんな奴が、何を改まって男同士の恋愛をどう思うのか聞いて来たのか、意味がわからない。
「いいんじゃね、お互いに好きなら」
そう答えたら、同室の全員が黄色い声をあげた。男同士だよーとか、太っ腹とか心広すぎでしょ、とか言われた。お前らだってしょっちゅう更衣室でこそこそ隠れてやおい同人誌読みまくってるじゃん、なんだよその優等生ぶりっこは! と腹が立ったので布団を頭から被って寝ることにした。友人が、
「そっかそっか、お前は男同士でも受け入れられるんだな」
と布団越しに話しかけてくるので、
「おー。美しければな」
なんて、偏狭な応えを返したら、友人は何もこたえなかった。
そんな友人だったが、十何年後かにSNSで相互になったところ、実はバイなんだと誰にともなくタイムラインで告白していた。昔、いきなり私に男同士はどう思う? と聞いて来たのとそれは関係があったりするのだろうか。それを問うのは、その乳触ってもいい? と聞くのと同等にタブーな気がする。今となっては生活環境が違いすぎて、SNS上でさえ滅多に話すことがない。
最近、とあるエッチな漫画を読んだ。要の部分だけ言うと、主人公に対して同性でありながら長年片恋をしていた人がいて、色々あって念願叶ってセックスしようってなるんだけど、そいつは経験がまるでないので、主人公に目隠しをして半裸に剥いたはいいものの、次に何をしたら良いのかわからない。それで思いきって出た行動が、主人公の胸にぴとっと頬をくっつけて見ることだった。若干の羨ましさを感じるシーンだが、友人相手にこうはならんやろ、と自分に置き換えて想像してがっくりした。