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はてなキーワード: ママ友とは

2022-09-26

ママ友とのグループLINE

想像してた会話・初期の会話

「いつもお世話になっております

「先日話していた件、こちらです!ご検討よろしくお願いします」

ありがとうございます…!いつもみなさんに助けられてます

習い事どうしてますか?」

実際の会話

「(画像を貼る)」

「草」

「草」

「ほんま草」

「腹筋ちぎれた」

2022-09-24

娘のブラを買いに行く。

 次女の誕生日のあと、長女の誕生日があって、その直近の祝日、二人に誕生日プレゼントと服を買ってやるために買い物に出た。トータルで三万円くらいかかった。はぁ。

 服を買う時に、ついでに長女に今のうちに生理用品とかブラを買っとこうぜ、と言うと、長女は思いの外喜んだ。

 長女は11歳になったのだが、最近爆速身長が伸びると共に体型も大人に近づきつつある。彼女は小さい頃から今に至るまで安定の痩せ体型だ。身長に合わせてズボンを買うとウエストブカブカだったのが、今は150のズボンを履いてもずり落ちなくなった。痩せているなりに身体の厚みは増しているのだ。

 最近の長女は胸が急に育って来ているのが悩みらしい。そういう事をぽつぽつ言うのだが、ブラが欲しいと自ら言う事がないので、親であるこちから提案した方がいいんだろうなあと思った。

 長女を子供下着売り場に連れて行くと、彼女は種類の多さに圧倒されていたが、ぼくが

ステップ1とか2とか3とかタグがついてるな。まずはステップ1でいいんじゃないか?」

 と言うと、それらを物色しはじめた。

「すごーい、いっぱいあるー。こんなのが欲しかったの!」

 などと言うから可愛い色のやつを買うのかな? と背後で見ていたら、スタンダードな感じの、キャミソールと一体型の白いのを二枚選んだ。黒や紫もあるし、ブラだけ独立していて、同色のショーツとセットになったものもあるよとぼくが言っても、「絶対これがいい!」と長女は譲らなかった。まあ、白無地はアウターに響かなくていいよな。もし、ぼくがユニクロの白のエアリズムばかり着てることに影響されたのだとしたら、なんかすまないなと思うけれど。

 今時の小学生女子は、他の子がどんな下着を着けているのか、気になりはしないのだろうか? ぼくが子供の頃は、女子はそういう事についてはかなり煩かった。白い「初めてのブラ」なんか着けていると、露骨馬鹿にされたものだ。

 ぼくが子供の頃、ぼくの母親はどういう訳か我が子の二次性徴について捻れた考えを持っていた。だからぼくはなかなかブラを買ってもらえなくて、確か中学に上がってしばらくはノーブラで過ごしていた。部活の時以外は胸が目立たないよう猫背で下を向いて歩きがちだったように思う。

 当時はぼくの母親だけでなく、世の母親達の考えは大抵いい加減かつバラバラだったので、胸が既にかなり大きいのに「子供から」という理由ノーブラ女子というのはしばしばいた。ぼくはそれが好きじゃなくて、自分はそうはなりたくないと思ったのだが、無駄に性に対して厳格な家庭でしかも鈍感な母親にブラが欲しいなんて強請るのはあり得ないと思って我慢していた。ただ、ぼくの場合は胸が発育しかけだとしても限りなく俎板に近い胸をしていたので、ブラを着けていないことを誤魔化すのはそんなに難しいことではなかった。

 だが、体育の授業や部活の授業の前後更衣室で着替える際だけは誤魔化しなどは利かない。

 体育の時の着替えはまさに針の莚に座るような心地だったが、部活の時はそうでもなかった。更衣室では先輩達が下着姿で悪ふざけをしていたし、彼女達の下着はみなカラフルでまるで見せるためのもののようだった。たった一、二学年違うだけでどうしてこんなにも文化が違うのか不思議だった。ぼく達の学年はいつまで経っても白いペラペラ下着で、誰が一番先に「色気づいて」大人のようなブラを使い始めるのか、監視し合い足を引っ張り合っているのに。

 先輩の一人が日曜日に買ったばかりだというグリーンのチェックのブラを見せびらかしている時、ぼくはホワイトボードの下にレイジと二人で潜り込んでぴったりと身を寄せ合って先輩達の馬鹿騒ぎを眺めたり、今週のジャンプの話したりしていた。ブラの自慢をしていた先輩がぼくらの所にやってきて、

今日も二人、異様に仲がいいよね」

 といい、ぼくはそこに含みがある事に素で気づかず、

はい、ぼくとレイジ友達なんです」

 と答えた。

 レイジとは中学に上がってすぐの部活見学期間のある日に出会った。レイジ武道館の片隅に一人で体育座りをして、先輩達の稽古の様子を眺めるでもなく膝の上に顔を伏せていた。最初レイジがぼくを見たが、話しかけたのはぼくの方からだ。当時のぼくは既にはみ出者気質を全開にしていたが、今よりは社交性があったのかもしれない。

 レイジ第一印象は、大人しそうな男子、といった感じだった。目が合って、一言二言交わしただけですぐに気が合いそうだと思ったのと、ぼくと同性である事に気づいたのとは、どっちが先だったろうか。立ち上がれば性別を間違いようはない。レイジはぼくよりずっと背が高く、正面から相対すると迫力のある胸が視界を圧倒してくる。まるでモデルのように手足が長く、メリハリのある体型をしていた。

 そんなレイジだが、ほとんど大人同然の背格好をしていたにも拘わらず、ぼくと同じくまだ「子供」というカテゴリーに押し込められていた。つまり中学に上がってもしばらくはノーブラで過ごした。その点でぼくにとっては類友でもあった。

 いつだったか、先輩の一人がそんなぼくらを見かねて声をかけてきた。ブラをしないと恥ずかしいとか乳が垂れるぞとか、そんなことを言われ、ぼくらは「はーい」と返事をしたが、すぐに他愛ない雑談に戻った。レイジは先輩に言われたことなど全く意に介していないようだったけれど、ぼくは内心かなり気にしていて、やはり母親にブラが欲しいとお願いしなくてはならないのだろうか? と考え、まだ何も行動しないうちから屈辱に打ち負かされたような気になっていた。

 記憶に間違いがなければ、ぼくらは少なくとも一年夏休みまでは「子供カテゴリーのままでい続け、それぞれ親の方針通りに子供肌着制服の下に着続けていたと思う。そのことによってレイジがどんなデメリットを被ったかはぼくは知らないが、ぼくの方には人には言えないようなデメリットがあった。

 ある日、竹刀を振った瞬間に身体の内側から「ぶちっ」と音がした。腕のつけ根辺りがヒリヒリと痛くなった。家に帰ってから服を脱いで見てみると、鎖骨のすぐ下辺りに赤い皹が入っていた。まるで鋭利刃物でひと突きしたような傷は薄い表皮で繋がっていて、出血はない。どうやら急に大きくなった胸の重さに皮下の肉が負けて裂けてしまったようだった。奇妙な傷はその後いくつも増えていき、白い痕になって残った。

 肌にいくつもの傷が残るほどに、ぼくの胸はお荷物になりかけていたのだが、だからといって目立って大きいのかというと全くそんな事はなく、服を着ている限りは相変わらずの俎板に見えるほどだった。なのに、ただ普通に生活していくだけで服の下に隠れた部分が傷だらけになっていく。その原因がさして膨らんでいるようには見えない胸であるなど、親に相談出来る訳もなく、ぼくはひた隠しにした。

 その件はレイジにも話した事はない。そもそもぼくとレイジは「親友」だと言い合っていたのにも拘わらず、お互いに相手内面には踏み込もうとしなかった。ぼくらは校舎の内外を、ひとの目も気にせず手を繋いで歩き、座る時にはスズメきょうだいのように身体をくっつけた。部活の合間の休憩時間には互いの背中を背もたれにしたり、膝枕をしあったりした。

 ぼくがレイジの太ももを枕にしている時、ぼくの鼻先にはレイジの胸があるのに、そのぼくの胸の何倍も大きな肉の塊はレイジにどんなダメージを与えたのか与えなかったのかなんて知らなかったし、レイジレイジで、ふざけて指でつついたぼくの貧相な胸がぼくにとってはけっこうな凶器だった事など知らないままだった。

 レイジに対してのぼくの隠し事なんて大した数はないが、ぼくにとってレイジは謎の多い奴であり続けた。真面目そうに見えてちゃらんぽらんで、部活だって、ぼくとレイジとはたった二人だけの新入部員なのに、レイジはよくサボり、ぼくを一人にした。夏休み部活に、レイジは半分も顔を出さなかった。なのに試合に出ればそれなりに勝つの不思議だ。何故レイジはそんなに休むのか、ぼくはしばしば先輩達から聞かれたが、わかりませんと首を振るしかない。

 親友の癖にぼくはレイジ個人的な事をほとんど知らない。そのことが気にならない訳ではなかったのだが、いざレイジと顔を合わせると、数々の謎の解明などどうでもよくなってしまう。レイジとする話は好きな漫画アニメの話ばかりで、端からみればそれは終始うわべだけの話をしつづけているだけで、それのどこが親友なのか不思議だったかもしれない。

 ぼくとレイジは心が遠くにあるのを補うかのようにスキンシップだけは過剰に行った。一日の中で最初に会ったときは、相手存在を視認したらどんなに遠く離れたところからも全力で駆け寄り、

「カーラミーア!」

「モンシェ!」

 と叫ぶとひっしと抱擁し合う。隙あらば、学校内のどのカップルよりも密着して過ごした。

 夏の間、ぼくはろくに飲食をせずに部活でしごかれていた。これ以上身体無駄な肉がつくのを止めたかったし、生理出血をなんとか止めたいと思って行った無謀なダイエットだったが、消耗したわりに効果はいまいちだった。ひと夏で顔だけげっそりしたぼくだったが、片やレイジ夏休み前と少しも変わらず飄々としており、健康のものに見えた。実際、心ない男子がぼくらに対して目障りだ死ね罵倒を浴びせるやそいつを蹴り倒しプロレス技をかけて泣かせるなどワイルドに暴れることもあった。

 ぼくは安心した。実はぼくの母親がぼくとレイジが仲良くなったのを知り、ぼくの同級生母親達の情報網を使ってレイジ個人情報仕入れており、聞いてもいないのにぼくにそれを話したのだ。ママ友ネットワークをもってしてもレイジの事で確かな情報は得られず、噂程度のことしか仕入れられなかったようだ。それによれば、レイジは何らかの病気で定期的に通院しているという。だがその病気が何であるのかは誰も知らないらしい。

 ぼくが知っているレイジ個人的なことといえば、レイジには兄が一人いて両親も健在で、四人家族で仲良く暮らしているということくらいだった。

「ねえレイジ、どうしてレイジレイジなの?」

 ある日、ぼくが何気なく訊いたら、レイジはこう答えた。

「うん? うちは兄と俺との二人きょうだいから

レイジのジは二番目のジってこと?」

「そそ」

「納得した」

 きょうだいの二番目だからレイジ」と名乗るレイジとぼくとは部活つながりの親友クラス出身小学校が違うせいでお互い相手の事で知らないことが多いかもしれないが、そんな事は関係なく、ぼくらはとても仲がいい。

 秋になった。ある日、学校から帰るとぼくの部屋に大きな買い物袋が置かれていた。母親が開けてみろというので中身を見たら、「はじめてのブラ」と書かれた厚紙つきの白いブラが三着ほどと、その他下着類が入っていた。母親によれば、「ぼくに必要から買った」というより「みんなが必要だと言うから買った」ようだ。母親他人の言う事になにかと流される。

 しかし、断られる可能性が高いと思いつつこちらから羞恥心を堪えつつ頭を下げてお願いすることもなしに、必要ものが手に入ったのは良いことだ。ぼくは「はじめてのブラ」を着けてみた。ところがサイズ全然合っていなかった。それはAカップだがアンダーが85cmもあって、上半身だけは骨の浮くほどガリガリだったぼくにはユルかった。

 翌日から「はじめてのブラ」を着けて登校したが、いざ日常生活を送ってみると、ユルすぎるブラはぼくの助けになるどころか邪魔邪魔で仕方のないものだとわかった。ちょっと身体を動かしただけで背中ホックが外れる。これまでの習慣通りに猫背にしていると外れるし、かといって背筋を伸ばしてもまた外れる。走るとどんどんブラが浮いてきて胸の上までずり上がってくる。それを狼狽しながらも誰にも気づかないよう適正な位置に引き下ろさなければならない。

 なんなんだこれ……。母親に苦情を言うべきではないかと思わなくもなかったが、母親がぼくにブラを買い与えた時、牽制するように「デブで胸のないお前にはサイズがそれしかない」と言ったから、解決策は何もないとぼくは思い込んだ。デブ言いがかりだ。ぼくはチビの癖に肩幅と腰幅があり、脚も太かったから、セーラー服を着るとずんぐりむっくりに見えたが、上半身ガリガリに痩せていたのだ。

 何でぼくだけこんな事に……と思いつつ、部活の際に先輩達がふざけながら着替えている間は、いつもの様にぼくは部室の隅っこにレイジとぴったりくっついて体育座りで待っていた。先輩達は相変わらず可愛いブラを着けていて、それらはぼくの「はじめてのブラ」のようにズレたりホックが外れたりはしない。どうしてぼくの「はじめてのブラ」はこんなにも役に立たないのか、すぐそこに何事にもあけすけな先輩達がいるにも拘わらず、ぼくは誰にも打ち明けられない気がして、勝手孤独に浸っていた。隣のレイジは、元からそういう話をすべき相手ではない。

 その時、ツンツンと脇腹をつつかれた。隣を見れば、レイジが膝の上に半分顔を埋めたまま、いやーな顔で笑っていた。

「お前、これなんなの?」

 レイジはニヤニヤしながら、ぼくのTシャツの上からブラのバックベルトを引っ張った。

「何でもいいだろ!」

 ぼくは小声で身をよじりながら言った。その反応がレイジには面白かったらしく、レイジは「なんなの、なんなの」と言いながらぼくのブラのあちこちを引っ張り、脇を擽ってきた。そんなぼくらの攻防戦を先輩達はいものじゃれ合いだと思ったらしく、「今日も二人は仲良いよねー」と言った。

 その日以来、レイジはぼくがブラを着けているのを面白がり、やがて服の上からブラのホックを外すという技を会得した。レイジ通りすがりにぼくの背中を叩くと、ホックが外れる。とんでもない悪戯だが、ぼくのホック悪戯をされなくてもしばしば外れるし、ぼくとレイジクラスが違うので、被害を受けたところで大した事にはならない。それでぼくとレイジの仲が決裂するという事もなかった。

 ただ、レイジがぼくをブラのことでイジッてくるのは意外だと思った。同級生女子の中には、他の女子が「色気づく」のを嫌って意地悪をしたり他人の足を引っ張るような事をする奴が何人もいたが、レイジはそんな陰湿女子どもとは最も遠い存在のような気がしていた。でも、その頃レイジはまだ「子供カテゴリーの内にいて、それをぼくなんかみたいな貧乳の方がイチ抜けしたのだから、変に執着されるのはおかしい事ではないような気もした。

 人の心理としてレイジの反応は特におかしものではない。が、ぼくらの関係性の絶妙バランスをレイジの方から崩して来ようとするのは……逆にぼくの方から壊しにかかるなら自業自得なのでまだしも……どうしていいのかわからない。わからなさすぎたので、ぼくは何事もなかったかのように過ごす事を選んだ。

 二年からはぼくとレイジは同じクラスになった。一緒に過ごす時間は益々増えた。レイジ休み時間教室ですれ違いざまにぼくのブラを外して遊ぶ事もあったが、ぼくは責任を取ってホックを元に戻せとレイジ要求し、レイジは「はいはい」と言ってぼくの制服背中に手を突っ込んでホックを掛け直した。

 いつの間にかレイジはその遊びをしなくなった。

 その頃にはレイジは既に「子供カテゴリーを脱していたのだと思うが、ぼくにはその件については全然記憶がない。少なくとも、ぼくはレイジからされたようにレイジがブラを着け始めた事をからかうことはなかった。

 教室が一緒だと、友達同士なら休み時間ごとにお互いの机のところを行来するものだ。ぼくは授業が終わってもすぐに教科書しまって離席することがないから、レイジの方からぼくの席にやって来がちだった。ふとぼくが顔を上げると、視界の全面をレイジの胸が塞いでいる。よく、胸の大きな女性が「(男は)私じゃなくて私の胸に挨拶をする」と言うが、レイジ場合はぼくに胸から挨拶して来るようなものだ。ぼくはレイジに知られないよう視線を外した。だからレイジの胸がしょっちゅうぼくの目と鼻の先にあったのに、ぼくはレイジのブラ事情など全く知らない。一方レイジはといえば、ぼくをからかえるだけからかって恥ずかしい思いをさせたのに。

 レイジは狡いと思ったが、他の女子といがみ合うようにレイジと争うのは嫌だった。レイジ喧嘩する事があるとしたら、それとは全く関係のない、取るに足らない事が原因だ。そしてベッタリと仲がいい分喧嘩するのもわりとしょっちゅうだった。大体はぼくの方から吹っ掛ける。そこにレイジは狡いという思いがなかったとは言えないと、当時を振り返って思う。

 レイジは胸が大きくて手足が長くてモデルのような体型をしていたが、女としてはある意味で無敵だった。ぼくはといえば、自分身体がなにかとコンプレックスで、わざと身体に合わないダボダボな格好ばかりしているから、本当はガリガリに痩せていたのにすんぐりむっくりのデブだと思われがちだったうえに、貧相な体つきのわりにはきっちりと女であることのデメリットを受けた。すなわち生理が異常に重くて一月のうち絶好調なのは三日ほどしかなく、あとは瀕死

 レイジは不調知らずで常に元気いっぱい走り回っていた。何かの病気で通院しているという噂はデマに過ぎないのではないかとぼくには思われた。だがレイジはよく部活をサボった。同じクラス親友のぼくにも何も言わず放課後になるといつの間にか姿を消している。ぼくは既にレイジはそんなものだと思っていた。部活顧問から来年女子部長は消去法でぼくに決まりだと聞いて軽く絶望した。レイジの方がぼくよりもずっと強いのに、部長は実力よりも真面目さが大事だと顧問は言う。だがぼくは顧問が思うほど真面目ではない。絶不調ながら毎日律儀に部活に出ているのはほとんど、稽古カロリーを消費しつくせば生理にかけるエネルギーが少なくなり、来月こそは体調がましになるのでは? と期待していただけに過ぎない。

 そんな馬鹿な事をしていたせいで、ぼくはある日、体育の授業中に具合が悪くなった。その日のメニューは1000メートル走だったが、ぼくは運動神経がない癖に中距離を走るのが大好きで得意だったので、生理中だというのに無理をした。酷い目眩がして手足が冷たくなり、震えが止まらなくなった。爪が真っ青になり、顔色も青を通り越して真っ白だと、ぼくを見た体育教師が言った。体育教師は厳しい人で滅多な事では生徒を休ませないのだが、ぼくが芝生に座っても一向に回復しないので、保健室に行って休めと言った。ぼくは保健委員に付き添われて保健室へ行った。ベッドに寝かされた途端に意識が落ちた。

 気がついたらベッドの側にレイジがいた。

「おはよー。今どんな気分?」

「どんなって、最悪だけど。でもさっきよりはましな気がする」

「ははっ、体育の時はヤバかったな。こいつマジで死ぬんじゃね? って感じの顔してて、先生がさすがに焦ってた」

 そう言うとレイジはぼくのほっぺたをつまんで引っ張った。

「ほっぺぷにぷにー。すべすべで真っ白ー。でもさっきよりはましー」

 レイジはぼくの肌をすべすべで真っ白だとよく言う。小学校時代は徒歩通学で、中学に上がってから自転車通学で、それなりに日に焼けていたから、ぼくの肌も黒くて荒れているはずだと自分では思い込んでいたが、レイジに指摘されてはじめて、ぼくは色白で肌質がいいのだと知った。少なくともレイジのほっぺたよりはぼくのほっぺたの方がすべすべで白い。

「今どんな気分?」

「君が血色が戻ったというなら、思ったよりもいいんじゃないだろうか。確かに吐き気はしないし、頭痛もしない」

「ふーん。俺にはそういうのが無いからわからないけど、まあ無理すんなよ」

はいはい

 レイジはいいな。ぼくと性別が同じでもぼくのような思いはしないんだ。でもぼくみたいにひ弱なのはレイジには似合わないから、それでよいのだと思った。

トラバに続く。

2022-09-19

anond:20220919224135

ママ友フォロワーが増えてくれば鍵にできるし、実際そうしてるだろ。

2022-09-12

anond:20220912213204

ママ友=ドロドロでマウント合戦、みたいにママ友に関して私よりひねくれたイメージ

違うんだ、よかったー♥

ママ友浮気してる

普通に最低の話なのでまともな人は胸糞が悪くなるため読まない方がいいと思う

ママ友浮気している

お互いの家で子供を遊ばせてる間にセックスしたり、時間が出来た時に一緒に映画館に行ってずっと手を繋いだり、お買い物に行って服を選びあったりしてる

夫は女同士だということもあり一緒にいる時間が長くても何も疑ってないし、ママ友=ドロドロでマウント合戦、みたいにママ友に関して私よりひねくれたイメージを持っていたので、仲良い人ができてよかった〜と言ってくれている

きっかけはママ友のお子さん(うちの子のお友達)が「ママがいつも◯◯くんのママかわいいって言ってる」と言ったこ

ママ友は「それ言うんだ」と笑ってて、私は普通に社交辞令で嬉しいです〜みたいに返したんだけど(仕事復帰したばっかりで疲れ過ぎてたのでよく覚えてない)

そのあとうちの家で子供2人をリビングゲームしてる間に、私の部屋にある雑誌を見せようとしたら後ろから抱きしめられて胸を揉まれてという流れでずるずる今まできた

夫がパパ友(?)と浮気していたらショックを受けると思う、ので罪悪感はあるけど

長らく感じていなかったドキドキを楽しんでしまっているので自分からやめようと言うことができない

本当にクズだと思う

でもお互い、お互いの関係について明言してないし好きとかも言い合ったことないし

子供同士が遊ばなくなったら自然に会わなくなるんだろうなと思う

それまで楽しめたら嬉しいと思ってる 本当にクズだけど

もしこれを相手が見ても何も言及しないだろうし関係が切れてもそれはそれでいいと思う

2022-09-08

妻と本音と建前

株主優待映画のタダ券4枚が来た。

見たい映画もないので、娘と妻に、ママ友を誘ってプリキュアを見に行って来ればと提案する。

妻はママ友と連絡を取り、行くことにした。

俺「息子は行く?」(俺だけひとりの時間くれ)

妻「行かないよ!」(子供二人連れてくのだるいプリキュア好きにさせたくない、お前だけ一人はずるい)

俺「お母さんに聞いてるんじゃない、息子に聞いてる」(うるせえな)

息子「行く」

妻「プリキュアに興味ないでしょ」(余計なこと言うんじゃない)

息子「ポップコーン食べたい」

妻「ポップコーン買ってきてあげるから」(黙れ)

俺「ポップコーンなんかでかいんだから、3人で分けて食べれば」(俺に一人の時間をよこせ)

妻「」(許さん)

2022-09-02

ポケットピカチュウが欲しかった話 続

先日、『ポケットピカチュウが欲しかったけど、ポケットハローキティクリスマスに届いた』っていう話を書いたら思った以上に反響があった。正直驚いた。

私もだわという声もあって、一人じゃなかったんだなあと、心に刺さった棘がちょっと小さくなった。

読んでいただきありがとうございました。

https://anond.hatelabo.jp/20220818181739

追記追記を書いていたら長くなったので新しい記事にする。

»ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。

について掘り下げる。

どうしたらポケットピカチュウを手に入れることができたんだろう。

ポケットピカチュウを手に入れるタイミングは2つある。

1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう

2. クリスマスポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングポケットピカチュウをもらう


1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう

前回の記事追記にも書いたが、

私の親は、ポケモン暴力的ゲーム子どもに悪い影響がある かつ ちょっとした流行もの認識していた。

2022年に「ポケモン暴力的なので我が家では禁止しています」という親がどれくらいいるかからないが、1999年にはどうやら一定層いたらしい。

子供の頃の記憶と、さっき5分くらい調べたGoogle検索の結果なので間違っているかも知れない。

ーーーーーもし、2022年の私が1999年の私に会えたら、何てアドバイスをすればいいか

友達を1人ずつ連れて行って、ほら、みんなポケットピカチュウを持っているでしょ。と、[エビデンス]を突きつけてみるのはどうだろう。

・もしくは、うちでポケットピカチュウ通信会を開催して、私だけ持ってないでしょ、と教えるのはどうだろう。

・・・と思いついた。

しかし、課題がある。

おそらく、当時の親は周りの子ものことが見えてなかった。見る習慣がなかった。

私は第一子だったので、幼稚園に通うまでは「子」と「お母さん」だけの【家】という最小コミュニティで成り立っていた。

それが、幼稚園に通うようになって、「子」と「お母さん」と「幼稚園同級生」と「ママ友」という【地域コミュニティに膨らむ。

子が成長するに従って、親はぶつぶつ言い始める。

『〇〇ちゃんはもうバイエルやってるんだって』とか『〇〇ちゃん進学塾に通っているそうよ』とか『〇〇ちゃん結婚したって』

ーーーーー周りの子と比べて、あなたダメ

と、否定されたことはないので、親にとっては「今日は晴れていたね」くらいの日常の会話、近所の近況報告だったかも知れない。

肯定的に捉えると、周りの子どもと比較するということは、周りの子どもを見る余裕ができたということだと思う。

私が幼稚園に通うくらいの頃は妹が生まれたばかりだった。親は心に余裕がなかったと思う。

自分を通してのママ友はあまりいないが、妹の友達ママ友はいまだに付き合いがあるくらい長い付き合いだ。

なので、公園の片隅で

「うちの子ポケモンなんかに興味を持つのよ。女の子なのに。やあねえ。」

「え、知らないの?ポケモンって今とってもはやってるのよ。女の子男の子もみんな持ってるんだから。〇〇ちゃんも買わないと置いていかちゃうわよ。」

なんて話している余裕は私が子どもの頃はなかったんだろう。


あの頃は、「私」と「妹」と「お母さん」だけの【家】で小さく暮らしていた。

私だけが幼稚園という広いコミュニテイに先に出てしまったのだ。

周りの子自分を比べても、あまり良い説得材料にはならなさそうだ。



ピカチュウちょっとした流行だと捉えていたことについては思うところがある。

当時ハローキティキャラクターとしてはかなりの地位を得ていた。1974年デビューしたそうなので、1999年に25周年を迎えていた。

対してピカチュウ1996年誕生しており、1999年時点ではたった3周年だ。

2022年にはピカチュウ誕生してから26年になるが、未だに老若男女誰に聞いても「このキャラクターは何?」「ピカチュウ」と回答が返ってくると誰が想像しただろうか。

あなたが「どうせ、これもすぐ終わる流行でしょ?」と手を振り払ったそれは25年後常識になっているかもしれませんよ。



2. クリスマスポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングポケットピカチュウをもらう

ーーーーサンタさんが良かれと思ってプレゼントしたものを開けた瞬間、子どもがしくしく泣き出したら?


サンタさんはさぞ慌てふためいたと思う。自分が良かれと思って変更したプレゼントは間違っていた、と気付くことができる。

本来であれば25日の朝のプレゼント開封クライマックスを迎え、幸せクリスマスになるはず。

ところが、25日の朝にポケットハローキティが出てくることで、家族史上最も気まずいクリスマスになる。

「何が違ったの?」「どうしてダメだったの?」「そんなにピカチュウが欲しかったの?」と聞いてくれたかも知れないし、

「ああ、この子が主張していたもの勝手に変えるのは良くないんだな」と気付いてくれたかも知れない。

人と人はぶつかり合ってお互いの理解を深めるというが、親と理解を深め合う最初のチャンスが5歳のクリスマスだったのかも知れない。

3000円のポケットピカチュウお菓子のように気軽に買えるというほどではないが、

ちょっと食費を削ったり服を1枚我慢したりCDを1枚我慢すれば、手に入らない金額のものではない。

在庫薄だったかも知れないが、周りの子がみんな持っていたのを考えるに、郊外特有の、ちょっと大きいトイザらス在庫を持っていたと想像する。

私が親だったら、しくしく泣き出してしまったクリスマスの悲しい思い出を払拭するために、ポケットピカチュウを手に入れようと頑張るだろう。

26日の朝に「あれー!サンタさん今日プレゼントくれたみたい」と急いで挽回するか、元旦お年玉の代わりに渡すか、数週間後にある誕生日のプレゼントにするか。

なんらかのタイミングポケットピカチュウが私の手に入ってハッピーエンドだ。

アラサーになって、ビールを飲みながら、はてな匿名ダイアリーでちまちま記事執筆することもない。

さいごに

前回の記事で、ポケモンに触れずに大人になってしまった哀れな人と思われたかもしれないが、安心してほしい。

ポケットハローキティ事件の数ヶ月後に、ひょんなことからゲームボーイカラーとポケットモンスター銀を手に入れることになる。

https://www.pokemon.co.jp/game/other/gbc-gs/

長くなってしまったので、別の記事としていつか書くかも。

2022-08-23

anond:20100531122353

異常じゃないよ。俺も主夫になりたいと思ったことがある。

でも主夫として魅力的じゃないと主夫にはなれないんだ。

主夫あなた、素敵!」ってならないと。

お前は料理は上手か?掃除は?近所付き合いは?

子育ては?ママ友との付き合いは?

主夫って結構難しいんだ。

から俺は働いてる。

俺は主夫にになるっていう夢を捨てたんだ。

お前もそうだろ?

2022-08-18

ポケットピカチュウが欲しかった話

みなさんはポケットピカチュウというゲームをご存知だろうか。

正確にはゲームというより、ピカチュウが出てくる万歩計といった方が良いかもしれない。

万歩計の歩数に応じて、画面の中のピカチュウがさまざまな動きをする。

たまごっち万歩計ピカチュウを足して3で割ったようなかんじだ。1998年に発売された。

https://www.nintendo.co.jp/n09/pokepika/index.html

いまは東京ビル街で日々精神をすり減らす企業戦士となった私だが、1998年幼稚園に通っていた。たしか年中だった。

おにいちゃん、おねえちゃんのいる子たちが幼稚園に持ち込んできたのが「ポケットモンスター」というゲーム(アニメ)だった。

それまではミッキーくまのプーさんハローキティくらいのキャラクターに囲まれて生きてきた幼児たちにとっては刺激的な世界観だった。


当時は周りでゲーム(ポケモン 赤/緑)をやっている子は珍しく、アニメを見ては翌日感想を言い合ったり、出てきた新しいポケモンの真似をしたり、サトシカスミタケシごっこをして園庭を走り回って遊んでいた。

ーーーでもやっぱりゲームが欲しい。

残念ながら、4歳児が「ゲームボーイ買って!欲しい!」と言っても大体は親から一蹴される。

ある日、発売されたのがポケットピカチュウだった。

当時大流行していたたまごっちスピリットを受け継ぎキャラクター(ピカチュウ)を育てられる(かつ、万歩計という健康的な側面ももつ)。

価格も2500円。ゲームボーイ+ソフトを購入するより断然安い。

流行らないはずがない。

スイミングスクールに行くバスの中で一番の仲良しだった子が宝物を見せるように、小さな手に包まれたそれを見せてくれた。

ポケットピカチュウかってもらったんだ。・・・えへへ」

「えーいいな。ずるい」

「たんじょうびだったか・・・

あっというまにポケットピカチュウ所持人口が増え、街中の幼児が歩くたびカチカチ万歩計の針が進む音がするようになった。

ーーーー私はまだ買ってもらえない。

ポケットピカチュウスイミングスクールバスの子どもたちの半分くらいが持つようになった頃、事件が起こった。


ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのである

https://www.nintendo.co.jp/n09/pika_kg/index.html

ざっくり説明すると画面がカラーになったことに加え、なんと赤外線通信機能がついた。

ポケットピカチュウ同士で通信ができるーーーー。

もう爆発的に流行した。持っていないとお話にならない。

スイミングスクールに行くバスの中で持っていない子は私一人になった。

私は母に相談した。

ポケットピカチュウがほしい。みんなもってる。つうしんこうかんしてる」

「みんなが持っているからっていう理由で欲しいのはダメ」 (ーーー今に通じる母の精神だ)

「でもバスのなかでわたしだけやることがない」

「外の景色を見てたらすぐ着くでしょ」

想定通り蹴られた。

しかし、少し不憫に思ったらしく、アドバイスをくれた。

サンタさんに頼んだらもらえるかもね」

さっそくサンタさんに長い長い手紙を書いた。

手紙を書くために、一生懸命ひらがなカタカナを書く練習をした。

クリスマスを、楽しみに、楽しみに、待った。

スイミングスクールバス仲間にも言った。

サンタさんポケットピカチュウのんから、もうすぐわたしもつうしんできるから!」

「たのしみだね」

「うん」


そして1999年12月25日の朝ーーーーー

朝起きてクリスマスツリーの下に駆け寄ると、小さな包みを見つけた。

絶対に、間違いなく、ポケットピカチュウサイズの包みだ。


これで、やっとみんなと遊べる。


ポケットピカチュウが発売されたのが1998年3月で、ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのが1999年11月からざっくり1年半は待っている。

5年ちょっと人生のうち1/3はポケットピカチュウを待ち焦がれて生きていた。

はやる気持ちを抑えて丁寧に包みを開ける。


出てきたのはーーーーーー





想像していたグレーの万歩計ではなかった。


ピンクだった。

ポケットハローキティだったのだ。

https://www.nintendo.co.jp/n09/pokekitty/index.html

もちろんここまでの話のほとんどは記憶を補完している。

でも、包みを開けた時の「あっ・・・」という気持ちは何十年経っても忘れられない。

親の気持ちもわからなくはない。

ピカチュウ」といかいう、一過性キャラクターより、何十年も生きている「ハローキティ」の方が飽きずに使えるんじゃないか

キャラクター同士が戦闘をするようなアニメゲーム教育に良くないし、どうせすぐ流行も終わるだろう。だったら女の子らしくキティを持たせた方がいい。

私は2000年小学生になったので、幼稚園メンバースイミングスクールバスで通っていたのは3ヶ月ほどか。

みんながポケットピカチュウ通信交換を楽しむ中、私は一人ポケットハローキティキティを育成していた。当然、ポケットピカチュウポケットハローキティでは通信はできない。

親は「みんなと同じカチカチ(万歩計)がもらえて良かったね。欲しかったもんね」と言う。

私は「うん、とってもうれしい」と嘘をつく。たぶん、親に嘘を初めてついた。

現実はそんなに甘くないんだなあと言うことを知った5歳の冬だった。

いま思うと、なぜポケットピカチュウが欲しいのか、の説明が不足していたのかな、なんて思ったりもする。

もっと説得力を持って論理的に話せていたらよかったのだろうか。

ーーーー上司からよく言われる「お前は説明が足りない」というのは、幼児から私のダメなところだったのだろうか。

このお盆実家を整理していたときたまたまポケットハローキティが出てきた。

親は今でも、子供のころ待ちに待って買ってもらって大事遊んだおもちゃだと思って大切にしている。

少し日焼けして色褪せたピンクを見て思う。

ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。

*****

追記:

読み返して思ったのだが、この話には問題人物が3人いる。

1人目は、間違いなく今の私だ。

20年以上前の幼少期の記憶を引き摺り、今の自分がうまく行っていないことのこじつけにしている。こじらせも良いところだ。もうすぐ30代なのに。

2人目は、当時の親(サンタさん)だ。

私はポケットハローキティがほしいとは一言も頼んでいない(むしろ包みを開けるまでポケットハローキティ存在を知らなかった)。お手紙の中にはポケットピカチュウ(カラー版)とピカチュウの絵を添えていた。

公園を飛び回っている子どもを観察すれば、カチカチ振り回しているモノがグレー(もしくは旧版であれば黄色)であることは一目瞭然だ。

あるいは、公園の片隅でママ友とお喋りしているときに「うちの子ポケットピカチュウなんかを欲しがるのよねえ」と呟けば、ピカチュウがどれだけ大流行していて、幼児の心を掴んでいたか周りのママ友から聞けたはずだ。

そういえば、我が家ポケモンアニメポケモン同士が戦い合うという暴力的であるため、赤ちゃん(4歳下の妹)には見せられないと言って禁止されていた。

アニメダメなのでグッズも当然ダメといえばダメだったのかもしれない。

3人目は、当時の私だ。

包み紙を開けた時に泣き叫べは良かったのだ。「これじゃない!」と言えば良かったのだ。

親は自分判断が正解だったと思っていたと思う。ピカチュウハローキティになろうが大した問題ではない(むしろ大成功だ)と思ったはずだ。

私は自分気持ちを押し殺してしまった。いい子であろうとしてしまった。

これは30歳を手前にした今もずっと同じだ。親に言われたら「そうかもなあ」と思ってしまう。

2022-08-11

「泥ママ

Youtubeはいろんなジャンルあるんやな。

ドロボウするママ友を泥ママというらしい。

こんな泥ママがいたという2chスレを紹介する動画が一つのジャンルになってるっぽい。

イオンモールはやっぱりつまらないよ

イオンモールはつまらない場所だと思っていたが親になると違った」https://togetter.com/li/1927737

を読んで、

ああやっぱりイオンモールってつまんないよなーって思った。

子育てする身になって、それがとても過ごしやす設計されていて便利なのが分かった

という意見理解できるし全く異論はない。

しかし、それだからこそ、いよいよつまらないなぁという感じ。

たぶん、イオンモール自体がつまらない、というのではない。

イオンモール的なるもの、それに付随する諸々の営みが退屈なものに思えて仕方がないのだ。

家庭、子育て子ども中心の生活学校行事郊外ベッドタウンママ友国道沿いの外食チェーン店、マイルドヤンキーミニバンマイホーム住宅ローンサラリーマン、盆暮の帰省こたつに入って見る正月の気だるいテレビ番組、老後の備え、終わりなき日常

そういう眩暈がするほど退屈なものたちのシンボルとして、イオンモール建設されているのだ。

イオンモール利便性理解して、頻繁に利用するようになった(それ自体はまったく否定しない)からといって、イオンモールの持つつまらなさは何一つ減じはしないはずだ。

件のツイートの人は、子どものいる日常キラキラしたものとして享受していて、

イオンモールに行く生活を、それをどこにも行けない絶望的なものとしてしか想像できない私とは、全く違うありようで捉えているのだろう。

皮肉ではない。羨望でもない。

強いて言えば、感性の隔たりへの絶望であり、同時にそのことに興じてもいる。

2022-08-09

子供いない人はいいよねえ

もう何回も何千回何万回と言われてるけど

子供いると自分時間お金もなにかもかけられない

子供いない同僚はこの夏海に行ったとか、フェスに行ったとか、花火見に行ったとか言ってる、映画だって上映されてすぐに見に行ける

私はどこも行けない

子供うろちょろするし、ワクチンまだ打たせてないし

なにかあったら義両親にも何言われるか

子供いない人はいいよねえ

PTAもなければママ友づきあいもないんでしょ?

好きで産んだんでしょって言われるけど

産んでこんなに何もできないなんて思わなかった

から子供いない人が羨ましい

羨ましい

羨ましい

羨ましい

結婚せずに恋人と一緒の人もいいよね

家族なくて、旦那の面倒も見なくてよくて

こっちはもう何も手に入らないのに

フェスも行きたい

花火も行きたい

海も行きたい

もっと自分お金かけたい、時間もかけたい

でもあれこれ必要だし、子供行事は多いし、ご飯あるから夜まで遊ぶとかできないし

どうして子供いない人ばっかり???

前にカチンとき子供いない人はいいよねお金自分で使い放題でって言ったら、そういうの子供いない人じゃなくて行政に言うことですよって言われて

私、なんだろ、虚しくなった

別の人に、もし不妊症だったらどうするのって言われたけど、不妊症治療は金かかるからあんな遊べないでしょ?

それとも不妊症から子供持たないって決めたってこと?

わかんない、虚しい

仕事だってそう、子供いると熱とか行事とかで休まないととかあって

責任ある仕事なんかさせてもらえない

本当はもっと色々やりたいのに

前に一回やらせてもらえたんだけど、タイミング悪く息子が体調崩すの続いて仕事にならなくて

そしたらもう任せてもらえなくなった、失った

そのうちやらせてもらえるよ、またチャンスあるよって言われるけど

子供いなかったらまず失くさないんでしょ?

こっちがああだめだったってなることがないんでしょ?

あー羨ましい

どうして子供いると辛いの

子無しの創作って言ってるやつ男だろ

それか子無しの女

子供持って育ててから言えや

anond:20220808222244

都合よく解釈しすぎ。そんなに子供を守ろうとしてるなら「妻は明日子ども達を連れてママ友ショッピングモールに行く」のだってリスクは伴うのだから

夫が一人で披露宴に行くのと、子供をわざわざ連れてママ友(おそらく向こうの子供も来る)状況とどっちがリスクが高いかは一概には言えない。

2022-08-08

anond:20220806155056

まあ個人的には今の時期に友人交えた結婚式やる奴は頭悪いし迷惑イベントだなぁとは思うな

ただママ友ショッピングモールも大概だから両方お似合いとしか思えん

あとは家庭内隔離で十分やぞ

しか友達がいないのに離婚した結果

2年前に離婚した。

今は一人暮らしをしている。

離婚の原因は性格の不一致。

特に子供が産まれから子育て方針が合わないこともあり、ケンカばかりしていた。

現在、妻と子供(小2)は30分あれば会える場所に住んでいる。

から月2、3回は会って、子供と妻とで遊んだりしている。

だがそれ以外の時間は一人だ。

離婚当初は子育てから家事からも離れられて、随分気が楽だと思っていた。

しか離婚して半年後に、体調を崩した。

病院に行くと、自律神経失調症だと言われる。

精神安定剤などは抵抗があるので、漢方を処方してもらっている。

思えば妻とは15年以上の付き合いだった。

出不精だった私は、妻に連れられて週末にはほぼ外出をしていた。

子供が産まれから子供を喜ばせるためレジャー施設へよく連れて行き、家にいることは少なかった。

だが外出のきっかけを失った私は、週末は家にいることがほとんど。

友人はほぼいないし、結婚式に呼んだ数少ない友達も、離婚したこともあって会っていない。

妻の家族・親戚とも会わなくなったし、ママ友繋がりでの家族ぐるみの付き合いもなくなった。

職場では仕事以外の付き合いはない。

離婚したら、孤独だった。

自分孤独に強いと思っていたのだが、そんなことはなかった。

妻との喧嘩子育ても本当に大変だったが、それもある程度孤独癒していたのだ。

でも今更妻と元に戻る気はない。

離れて暮らしいるからこそ今の関係を保てるのであって、一緒に暮らしたらまたケンカばかりになるだろう。

妻の両親・親戚ともやり合ったし、修復は困難だ。

から今私は、孤独を癒せるような方法模索している。

一番は恋人を作ることかもしれないが、安月給のバツイチアラフォー男が恋人を作るのは困難だろうし、そんな気もない。

やったことは、トレーニングジムに通うことと、資格取得の学校に通うこと。

強制的に行動して、人に会う環境作ってみた

ただ資格合格し、ジムは体を痛めてしまったのでどちらもやめてしまった。

YouTubeも始めたが、登録者数が1000人を超えたところで飽きてしまい、放置している。

こうなると、今のところやれることが少ない。

今では妻と子供に会うことが癒しになってしまっている。

まさかこんなに自分孤独に弱いとは想像もしなかった。

だがなんとかしてこの状況を乗り越えたいと思っている。

2022-08-06

anond:20220806155056

増田もわかってるから書いてんだろうけど、一生に一度の披露宴を欠席しろと言っておいて"子ども達を連れてママ友ショッピングモールに行く"とは大した倫理観だね

妻との離婚真剣に考える

いま夕方

今朝から、妻との離婚真剣に考えるようになったので吐き出す。

もともと夫婦仲は良くもなく悪くもなく

結婚10年。子供は2人。私は働いていて妻は専業主婦

2年ちょっと前に夫婦で話し合ってからセックスを含む身体接触はしないことになっている。

妻とは子供を育てる同僚のような感じ。会話も普通にするし、冗談も言い合う。

おそらく外から見ると仲の良い夫婦だろうし、実施に仲が悪くはない。

一家コロナ感染

今朝あったことの前提として。

少し前に、家族全員がコロナ感染した。

私が都道府県をまたぐ1泊の出張に行き、出張から帰った翌日の夜から咳が出るようになった。

咳が出るようになった夜を「1日目」とすると、2日目の朝に上の子が39℃近い発熱をし、私も身体がだるかった。

3日目に私と下の子発熱した。この時点で上の子も下の子病院検査を受けたがコロナではなく、私は市販のキットで抗原検査をして陽性の反応が出た。

5日目に妻が発熱した。6日目に妻と子どもたち(既に体調は回復)が市販のキットで抗原検査をしたら、妻は陽性、子ども達は抗体があるという結果だった。

感染経路については、妻と私で意見が食い違っている。

私は、出張翌日も上の子とは接していない(深夜に帰宅し早朝に出勤した)ことや、私よりも上の子発熱が早かったこから、私と上の子感染経路は別と考えている。

妻は、私が出張先で感染してきて、上の子感染させたと考えている。

上の「1日目」からすると、「今日」は17日目にあたる。

本当なら、一昨日から妻と子供たちは帰省していたはずだが、妻の両親に余計な不安を与えないため、帰省は取りやめになった。

今朝あったこ

今日本来であれば、私は知人の結婚披露宴に出席予定だった。もちろん、妻にもそのことは以前から伝えていた。

先ほどの数え方で13日目くらい、妻は私に対して「子ども達の夏休み中は、接待や会食を控えて欲しい」と言い、私は当然のことだと答えた。

子ども達が夏休み中に感染すると、学期中に比べて子ども達もかわいそうだし、妻の負担も大きいというのが主な理由だった。

この「接待や会食」に、結婚披露宴は含まれていない、というのが私の考えだった。

実際、その後も披露宴に出るから今日の夕飯は作れない(週末の炊事は私の分担)という話も妻に私からしたりしていたし。

しかし、妻から、今朝になって披露宴の出席は取りやめるか、出席するなら5日間ほど帰宅しないか、どちらかを選べ、と言われた。

私が、披露宴は取りやめなろと言われてないと思っていたと反論すると、妻は、飲み会に行くなと言った時点で私が自分から出席を辞退するべきだった、

今の時期に披露宴をやるのは非常識だ、と取り合ってくれなかった。

私は、妻の言っていることに納得は出来なかったが、説得は不可能判断し、熱が出たと嘘をついて欠席の連絡をした。

どうも、その後も私が不満げな顔をしていたらしい。黙ってはいたが、表情や仕草に出ていたのだろう。

妻は私に対し、自分(妻)を悪者にするな。悪いのはお前だろう。コロナになっても看病は私(妻)に押し付けるくせに。披露宴をやる人間、それに出席する人間、どちらも非常識なのに私を悪者にするな。

と怒鳴り続け、最後は泣いてしまった。

離婚したいと思った

当日の朝になって欠席しろと言われた時点では、腹が立った。なぜもっと早く言ってくれなかったのか。

しかし、それは特に婚姻生活に影響のない感情だ。こういう意見の違いは、私と妻の間でよく起きる。

ただ、その後、私が欠席を連絡したにもかかわらず、私や私の友人をなじり続けたのを見て、この人と関係を維持できない、と思った。

私は、テーブルパーティションが置かれた状態マスク会食をする披露宴感染する確率は低いと思っているが、確証はない。

実際に感染してしまったら、私より妻に(主に子の看病の点で)負担が大きくなるのも妻の言うとおりだ。

だけど、価値観問題として、欠席を当日に要求するならば、要求するまで出席するつもりでいたことを批難するのべきではなく、

しろ欠席を決めたことに形式的にだけでも礼を言うくらいで良いのではないか、と思っている。

それから、恐らくは披露宴を挙行することに葛藤したであろう私の知人を非常識と批難したことに、怒っている。

どちらが良い悪いの問題ではなく、私はこの先も、このようなことが起こることに耐えられる自信が無い。

離婚について考える

現在一家4人で、私が親から相続した家に住んでいる。家賃ゼロ。ローンもない。

妻が希望するなら、私が家を出て、この家は子ども達が成人するまで無償で(固定資産税火災保険は私が払って)住み続けて欲しい。もちろん、妻が実家に戻るなら私がこの家に住む。

子ども達の親権者は当然、妻になるだろう。養育費は、妻が働かないならば子供2人分で毎月12万円くらいか。妻が働いたら毎月10万円くらいになりそう。

蓄えは少なく、預貯金とその他の資産を合わせても200万円くらいだ。離婚するならば、預貯金は妻に、積立て式の財産は私に分与すれば、妻に不利益にはならないだろう。

私は家を出て、職場の近くに一人暮らしをすることになるだろう。毎日往復80分の通勤時間がなくなるのは楽だ。

子ども達と一緒に暮らせないのはさみしいが、今も週末以外は顔を合わせないくらい朝早く出て夜遅く帰っているから、妻が面会交流をこまめに認めてくれるのなら、実はあまり変化がないのかもしれない。

現在は家に毎月30万円くらいを入れているから、養育費一人暮らし分の家賃水道光熱費を足して30万円を下回るのなら、私の小遣いが減ることもない。

そう考えると、離婚も良い選択肢なのかも、と前向きになってきた。

離婚をためらうのは、ステータスが「婚姻中。2児の父」からバツイチ単身」に変化することで社会的信用が低下するというところが大きい。

別に今の生活を続けても、1年に1回か2回、今回の件のようなことがあるのをやり過ごせば良いだけだ。だとすると、離婚しない方が体面は保てる。

そのことをずっと、悩んでいる。

妻は明日子ども達を連れてママ友ショッピングモールに行くといっているから、明日ゆっくりとこの問題について考えよう。

吐き出してすっきりした。読んでくれた人、ありがとうございます

今回の件に関する意見や、離婚することについての意見離婚した人の経験談など、いただけると嬉しいです。

(以下、書いた翌々日(8/8)朝の追記

こんなに反応があるとは思わなくて驚いた。

離婚しろ派、やめとけ派、妻を批判する人、私を批判する人、色々な意見を聞けてとても嬉しい。

他方で、私が一方的自分視点だけから書いた増田賛否拮抗するなら、もし妻側の意見も明らかになったら私が相当批難されるのだろうな、と思った。

離婚について、1日(といっても、10時半頃に妻子をショッピングモールまで送り、17時頃に迎えに行くまでだから半日以下か)ゆっくり考えた。

結論はまだ出ていない。

いくつかのブコメトラバで「子供のことは蔑ろか」という趣旨のものがあった。これにはもう「すみません」としか言いようがない。

もともと仕事にかまけて育児殆どしていない。週末だけの父親。たまに子ども達が起きている時間に私が帰宅すると大騒ぎになる。

寝る時間が遅くなり体調を崩すから、妻から帰宅する時間は夕飯前ぐらいの早い時間にするか、子ども達の就寝後にして欲しいと言われている。

結果として、子ども達と平日に夕飯を共にするのは1か月に1日あるかないか

から離婚しても子ども達との関わり方それ自体にそこまで変化はないだろうと考えている。

何より、私が今まで見てきた他人離婚で、離婚したことより子が不幸になったというように見えるものがあまりない。

もし私が子ども達を不幸にしているとしたら、離婚に寄ってではなく、これまでも既に不幸にしてきたし、離婚しようがしまいがこれからも「両親の不和」という形で不幸にし続けるのではないか、と考えている。

いや、これも言い訳なのかな。自信が無い。やはり、離婚は思いとどまるべきだろうか。

2022-08-02

記憶の意欲

子どもとき、それまで自分人生にどんなことがあったか大体覚えていた。おそらく多くの人はそうだと思う。

母がママ友と話すのを聞いて(その話前も聞いた…なんで大人って同じ話を何回もするんだろう。)と思っていた。毎年の習い事の発表会の日付も覚えていた。

自分記憶連続的につながっていた。

20代に入って、いや高校生くらいから少しずつそういった記憶力がなくなっていった。単なる記憶力のというよりは記憶してやろうという気概がなくなった。

のび太ママが「頭は使わないとサビる」というようなことを言っていたが本当なんだなと実感している。実感というより本当に困っている。

勉強ができない。してもしただけ身についていない。

きょうは水素原子の動径方程式がパッと出てこなかった。欠片も思い出せなかった。

それまで無意識にできていたことができなくなったときが一番つらい。老いもこんな感じなのかもな。

思考力の低下。原因はスマホではないかと思う。

スクリーンタイムが減らない。SNS無限に見てしまうし、今している勉強だってPCがないとできない。

人間には刺激が多すぎる情報を四六時中流し込まれ思考停止している感が強い。それに慣れきってしまって一人でじっくり考えるときに頭の中がうるさい。

本来人と会話するくらいの情報量がちょうどいいんだろう。

去年流行った「スマホ脳」は眉唾な点も多かったが「スマホ有害」は自分でもよく感じていたのでそういう認識を持つうえでは役に立った。

多くの人はインターネットに浸かりつつもしっかり思考できているのはなんでなんだ?メリハリがついているからか。

にゆるくネットと繋がっているのがよくないっぽい。それに慣れて中毒になっている。関係ないけど今の子どもは生まれた時からYouTubeTikTokがあって大変だな。

明日一日だけネット断ちしよう。今日の夜もネットから離れよう。増田の読者に誓って。

思考力が昔はあったのに…はあくま主観から、実はもともと思考力のない人間でここまでやってこれたのは記憶した公式に当てはめるだけでどうにかなっていただけなのかもしれない。

それはそれで怖い。

記憶の意欲

子どもとき、それまで自分人生にどんなことがあったか大体覚えていた。おそらく多くの人はそうだと思う。

母がママ友と話すのを聞いて(その話前も聞いた…なんで大人って同じ話を何回もするんだろう。)と思っていた。毎年の習い事の発表会の日付も覚えていた。

自分記憶連続的につながっていた。

20代に入って、いや高校生くらいから少しずつそういった記憶力がなくなっていった。単なる記憶力のというよりは記憶してやろうという気概がなくなった。

のび太ママが「頭は使わないとサビる」というようなことを言っていたが本当なんだなと実感している。実感というより本当に困っている。

勉強ができない。してもしただけ身についていない。

きょうは水素原子の動径方程式がパッと出てこなかった。欠片も思い出せなかった。

それまで無意識にできていたことができなくなったときが一番つらい。老いもこんな感じなのかもな。

思考力の低下。原因はスマホではないかと思う。

スクリーンタイムが減らない。SNS無限に見てしまうし、今している勉強だってPCがないとできない。

人間には刺激が多すぎる情報を四六時中流し込まれ思考停止している感が強い。それに慣れきってしまって一人でじっくり考えるときに頭の中がうるさい。

本来人と会話するくらいの情報量がちょうどいいんだろう。

去年流行った「スマホ脳」は眉唾な点も多かったが「スマホ有害」は自分でもよく感じていたのでそういう認識を持つうえでは役に立った。

多くの人はインターネットに浸かりつつもしっかり思考できているのはなんでなんだ?メリハリがついているからか。

にゆるくネットと繋がっているのがよくないっぽい。それに慣れて中毒になっている。関係ないけど今の子どもは生まれた時からYouTubeTikTokがあって大変だな。

明日一日だけネット断ちしよう。今日の夜もネットから離れよう。増田の読者に誓って。

思考力が昔はあったのに…はあくま主観から、実はもともと思考力のない人間でここまでやってこれたのは記憶した公式に当てはめるだけでどうにかなっていただけなのかもしれない。

それはそれで怖い。

2022-07-31

SNS若い女を名乗るとおっさんが釣れるし

医師を名乗るとママクラスタが釣れる

ママ友へのマウントに使えるってこと?お医者さんの友人が~って

2022-07-24

anond:20220724154051

川崎にすりゃ良いじゃん

もう子持ちの隣が嫌なんだよ。他人幸福な家庭程ストレスたまるもんはない。

ママ友とかでつるみはじめるし

2022-07-21

ママ友名刺カードバトルはなんj以下というけど

理屈としてはなんj自分身分で戦ってるがママ友他人身分で戦ってるから

でもいい会社に勤めてる人と結婚するのは難しいだろ

なんj民が女として生まれてたらそういうカードバトルで勝てるような男と結婚できるのかって話だ

から夫の身分自分身分と同等ということでいいと思う。そんだけの男と結婚できる自分その男と同じぐらいカードバトル上で強いということでいいはずだ。その会社に入るのと同じかそれ以上に難しいんだから

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