はてなキーワード: 愛ちゃんとは
愛ちゃん「サーッwwwwwww
子供が可愛いとか言ってたと思うんだけど、愛ちゃんの「子供」には長女は含まれないのか。子供のことを考えてるって言ってるけど、兄妹を引き離すのはどうなの?って思う。長男信仰に毒されているのだろうか。
もし自分の子供が連れ去られて裁判しても会えないってなったらと思うと、物凄く辛くなった
万が一仲違いして喧嘩した挙げ句にある日突然子供連れて実家に帰ってしまって、実家訪ねても会えずに追い返されたり
そのまま離婚になって面会も理由付けられて拒否されて…なんて事態になったら、とても正気じゃいられないと思う
これで男だったら養育費だの何だのも払うんでしょ?それで子供とも会えないんでしょ?よく我慢出来るなって思うよ
もし自分だったら刃物持ってでも子供を取り返しに行くぐらい発狂すると思う
やった事は駄目で最悪だけど、正直、逮捕された将棋の人の気持ちがわかってしまう
想像するだけで辛いし悲しいし理不尽、とても我慢出来ないと思う
もちろん酷いDVとかされて逃げて結果的に連れ去りになるのはしょうがないというか正当防衛だと思うんだけど
そういう最悪のケースばかりじゃないだろうし、一方的に愛する子供と引き離されるのって、魂を引き裂かれるのと変わらない
一方的に連れ去った方が子供を得られるなんて、やっぱり理不尽としか思えない
自分が旦那に一方的に子供連れ去られて会えなくされたら憎んでも憎んでも憎みきれないと思う
頭がおかしくなるのが容易に想像出来る、何より子供が一番可哀想だ
朝ドラの『ちむどんどん』がなんだかんだで全部見終わって終了よ。
ストーリーの文句を言うならとりあえず全部見てから言いなさいって言われちゃいそうなので、
全編にわたって、
もうそんな流れの繰り返しだったので、
困った事件が発生してどう解決していったかってプロセスが大事だと思うんだけど
そうはならんやろ!って思っちゃうわ。
一番片岡鶴太郎さん演じる平良三郎さんがイタリアンレストランフォンターナの権利書を巡って強面の取りたて屋な人たちに権利書を買い取れ!って迫られたときに、
三郎さんがその強面の取りたて屋の親方をシベリアで縁があったみたいで、
顔を見るなり、
この店から手を引くぞ!って
次の朝ドラの舞い上がれ!ってわけなのね!
違う違うそうじゃない!ってマーチンも言っちゃうぐらいなレヴェルで
飯豊まりえちゃん演じる愛ちゃんも和彦くんに一方的にフラれてしまって海外のお仕事に、
一切最終回お便りもよこさず、
もうみんな愛ちゃんのこと忘れちゃってるんじゃない?って
愛ちゃんのことを思うともう泣ける!
そこだけよ。
総じてお年寄りコントのように終わった最終回は泣けなかったけど、
『エール』の最終回と最終回のNHKホールでのエールコンサートは何回見ても何回思い出しても泣けるわー!
マジ泣ける!!!
終わりをちゃんとピシャッと考える人って大変だなぁって思ったわ。
逆に広げるのは簡単なのよ。
これも私の法人専用お風呂タブレットでどんどん消化していけてってるのが、
唯一の捗っているポイントだわ。
だからおかげで今ほとんど録画レコーダー使ってない状況なのよ。
まあそもそもとして空き容量がないって天高くHDDの容量がない秋だけに!って感じだわ。
そんでね、
新しい朝ドラの『舞いあがれ!』は早々にして2回目にして中断というハプニングを喰らいながらも、
そりゃー当たり前だろうけどクラッカーってわけね。
スモークサーモンをのせたクラッカーでパーティーでもやりたい気分よ。
なんか美味しいサーモン食べたいわね。
急にそう思ったもん。
とにかく、
まだ朝ドラ始まったばっかりなので、
このビックウェーブに乗るか乗らないかは乗らないと分からないので、
今後どうなるかまた観ていくわ。
うふふ。
朝はしっかり食べておいた方がいいわ、
ピンクグレープフルーツ1つ買ってきて、
輪切りにして昨晩ボトルに仕込みーのの
ピンクグレープフルーツウォーラー。
マジ柑橘系って感じだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
もうすでに明日の予定を詰め込むべく、
これ分単位で行動詰め込んでいく予定を立てているんだけど午前中の予定を立てるだけでもう疲れたので、
午前中は頑張って消化して
午後は完全お休み宣言をしたいところを選手宣誓ばりに行いたいわ。
たまには何も考えない休息を
久しぶりに行ってない町中華のお店にもこれ予定を組んで入れてるんだけど、
ルービー2杯キメちゃったらあとはご機嫌さんなので
元も子もない間柄でもないわけなのよ。
これはマジで部屋のお片付けしたいところよ。
もう今月は全くもって部屋のことやってないので
大変なことになっているのを目を瞑って見逃して欲しいところだけど
片付けないとなーって観念して
片付けタイムといきたいところね。
もうさー
全くもってゲームも出来てないのよ。
やってんじゃん!って思うけど、
これバレーボール1セットぐらいやってるぐらいなので遊んでいるカウントには入らないようにしているんだけど、
やっぱり白熱してくると
腕振り回したときに
花瓶とかひっくり返しちゃいそうなので、
花瓶注意だわ!
まあ部屋には花瓶がないけどね。
そんでね、
法人専用お風呂タブレットも実践投入で快適動画消化作戦決行中!
でもでもよ。
唯一辛いことがあったの、
法人専用お風呂タブレットを片手に持っていてだんだんと重いから疲れてくるのが欠点なのを発見したら、
またいろいろと調べてみると
世の中同じ事を考えてる人のためにナイスアイデアな商品のアイテムがお値段以上のニトリってことで、
意外とたくさんその類いの商品があって、
でも思ったのよ。
動画って観るときに体力とか精神力とか持って行かれる内容のコンテンツとかあんじゃない、
それだと逆にぐったり疲れてしまうような気がして、
なーんにも考えなくて観ていられる動画とかの方が良いのかも知れないと思うってのは
次は観るものを考えてみるわ。
朝ドラもなんか観ようと思っても
暢子ちゃんと和彦くんが上手く盛り上がっていくほど大野愛ちゃんが不憫になってきて、
悲しくなってしまうわ。
お風呂に入っているだけに
余計に頭に血を上らせるのも余計に疲れてしまうわ。
だから見る内容もなんかボーッとしてみられるものにするのがいいのかも知れないわね。
さらに私のクオリティーオブライフを爆上げあげみざわ水産なのよね。
のぼせないように
ほどほどにするわ!
うふふ。
今月でこの忙しさよくよく考えたら
丸1ヶ月借り出されたアリエッティの如くよ。
切に願うわっ!
トマトウォーラーにしてみようかと思ってトマト買いに行ったけど、
トマト高いのよねー
マジ躊躇しちゃうわってレヴェル。
世の中の謎だわ。
ファクトリーオートメーションのなせる技なのかしらね?
気を付けてね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
暑くてなんだかしんどいわー
睡眠水分しっかり取ってるんだけど、
あとは野菜350グラムと瞑想が足りないってのが増田の見解だって私はもう答えが分かっているの。
だからさ、
焼き肉以外で食べたら元気になる美味しいグッドのミールってなにかしら?
夏バテなのかしらこれって?
あたしゃ認めないよ!って
夏バテと言うよりは暑さでぐてーってなってるの。
でさー
もしかしてコロナ禍の中コロナ発生地域のアメダスの模様をお伝えしますって、
雨雲レーダーを見ていたけど、
ここだけ突発的に猛雨ってわけじゃないのに、
でも原因の臨時休業のわけは雨じゃなくて、
名推理!
コナン君でも眠りの小五郎さんが眠らせる前に分かってしまうようなもんよね。
だから今日はなんだかいまいちションテンが上がらないんだけど、
ゆっくり休息が欲しいわ、
ハウス世界名作劇場のフランダースの犬の最終回のなんか凄い芸術の絵画の前でフラフラになる感じの物語で、
あの世界名作劇場のあの話しの教訓ってなんだったのかしら?って
なんだか救われないわね。
私はこの暑さから救われたいので、
しっかり身体冷やしておかないと、
寝付きいいキツネ
ってここ軽く回文になってるけど、
そのぐらい逆に寝付き悪いのよね。
はぁ。
暑さなのかしらこれは?
なんかシャッキリしないわーって。
あれさー
愛ちゃんぜんぜん悪くないのに和彦くんが暢子ちゃんをたぶらかすからだし
とりあえず、
頑張るわよ。
うふふ。
だけど
背に腹は変えられないけど
じゃ、
腹は背に変えられるわけ?って
これが海腹川背って
背も腹も変えられないわよねー!
まったくよ。
そんな言い胡麻化せられないぐらいここのサンドイッチは塩っぱいのよ。
フィジカルに物理的にサンドイッチ自体が文字通り塩対応って意味よ。
そんなことどうでも良いわね。
ごくごく飲んできたわ!
暑いわー
みんなも暑さに気を付けて
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
西原理恵子について、思っていたことを適当に書く。ちなみに私は1985年生まれで東京の僻地でぬくぬく生まれ育った軟弱な人間。
今手元に本がなくて時系列は間違ってると思うからその辺はいい感じに脳内保管してくれると助かる…。
西原理恵子との出会いはもうよくおぼえていない。多分ダヴィンチとかカルチャー誌に載っていたのを読んで興味を持ったんじゃないかと推測している。
私はいろいろあって学校に行けない子供だったので、午前中に図書館に逃避し、そこで西原理恵子の本を借りたり、その帰りのブックオフでお小遣いで買ったりしていた。なので、売り上げに貢献していない読者だと思う。本当にそれは申し訳ない。
話を戻すと、最初に買ったのは「まあじゃんほうろうき」だったと思う。何故これだったかというと、単純にブックオフで全部100円で買えたから。
中学生くらいの私(今から22年前だ…時間の流れ怖っ)にはめくるめく世界だった。一気に西原の漫画に夢中になったし、彼女が大物とも臆せず交流する人間的魅力にも惹かれ、私も大人になったら雀荘で夜通し麻雀をする大人になろうと思っていた。
尚、36歳現在、麻雀はできるが雀荘には一度も行ったことがない。
その次は「鳥頭紀行」に衝撃を受けた。なんだこれ。大人になったらこんなジャングルとかにも行けるのか。幼少期から旅行記好きの私の心はがっちり掴まれた。
私も大人になったら世界中を飛び回りたい。しかもお酒が美味しそう。西原は良い仲間に恵まれてて羨ましい。でも、それは本人に魅力があるからだろう。私も西原みたいな大人になって、楽しい仲間とさまざまな国でお酒を飲んでみたい。心底そう思った。
尚、36歳現在、海外には一度も行ったことはない上に体質で酒は一滴も飲めない。
病気で高校には行けなかったが、年齢が上がったことでネット環境を与えられ、もう時効だと思うから白状するが私は体調の良い日はブックオフで「せどり」をして小遣いを稼いでいた。そのお金で、西原の本を揃えられる限り揃えはじめた。
「ちくろ幼稚園」にはじまり「ゆんぼくん」「ぼくんち」などの叙情系を読み、「あの破天荒な西原がこんなに繊細な漫画も描けるのか!!」と素直に才能に感心したし、それまでの彼女の人生に思いを馳せたりもした。
その他、著作は書ききれないほど(この時点で2000年くらいかな)あったが、どれも思春期で学校に行けず友達を作る機会もない私には輝いて見えた。こんな大人もいるんだという、一つのロールモデルとして彼女は私の中に刻まれていた。
もちろん、西原にはなれないのはわかっていた。それでも、世の中にはいろんな人がいる。そう思えるだけで、世界はいくらでも広がっていく。
そんな私が潮目が変わったと感じたのは2001年の「西原理恵子 大ブレークへの道」あたりからだと思う。既刊をあらかた買い読み尽くし、関連人物の書籍も一通り読み終え、とうとう私はリアルタイムで西原を追いはじめた。この頃はまだせどりも可能で毎月一定の額を稼いでいた私は、とうとう西原の本を定価で買うことができるようになる。
少しそれるが、西原の漫画はコミックというより書籍扱いなので一般的な漫画よりページ数が少なく、高い。
なので、いくら稼いでいるとはいえ(体調の良い時しかできないしな)合計しても小遣い程度の私には定価で買うのはまあまあ大変な額ではあった。でも、西原のことは信頼していて、躊躇うことはなかったと思う。
なのに、ちょうどこの頃の新刊あたりから内容がどこに向かっているのかよくわからない本が多くなった気がした。
加えて、2002年で新聞連載をはじめると、必然的に家族の話題が中心になる。
私は西原を作家としては信頼していたが、人間性まで盲信はできなかった。確か、「人生一年生」(1号か2号か忘れた)の中で安野モヨコが「西原の漫画は好きだけど、友人として近づきたいわけではない」という旨のコメントをしていたのがすごく心に残った。
そうなんだ。西原は漫画家としては才能があるけど、だから人間性もすべて素晴らしい人ではない。魅力的ではあるが、何かが欠けている。それが欠けているからこその魅力であり、埋めてしまうと彼女は漫画を描けなくなってしまう気がする。
そういった私の中の西原への印象を、端的に言葉にしたようなコメントだと思った。
そこから新聞連載は興味があまりなかったこともあり、新刊を時々は買うものの「何か違うな…」と思うことが多々あった。おそらく、それは私が目まぐるしく成長していた時期だったからだと思う。
私の西原への熱量は冷めていき、一応情報を追ってはいるが興味が持てなくなっていった。
それは華々しいが、私が西原の魅力と感じていた部分がそれによって表せていたかというと疑問だ。
「大体、絵本とかで良い話描く際に必ず草原に青い空って手抜きじゃね?」
というくらいに、この頃から私の中で西原は「青い空の下草原をバックに良いこと言う作家」というイメージに変わっていった。漫画だと手抜きも笑えるけど、良い話、しかも絵本になると「それでいいのか?」という気持ちになるから不思議。
更にだんだんと文化人枠に入っていくのも不思議なものを見ている感じだった。新聞連載は最初ちょっと読んだくらいなので、「良い母」としてCMに出る西原は不思議な感じがした。だって、西原ってあんなにめちゃくちゃやってる人なのになんでこんな綺麗にコーティングされているんだろう?
無頼派の新刊も、かっちゃんのマネー頼りの内容が多くなり、金で解決するオチが頻発して食傷気味になっていた。
そして20歳を超えた私は、新刊を諦めかつて夢中になっていた既刊を読み返すことにした。
しかし、それを読む私は確実に昔より成長していたらしい。
西原の本に出てくる友達は男性ばかりで、特に仲の良い人はおそらく恋人だ。頻繁に出ていた人が急に出なくなるのは、きっと別れたからだろう。そう思った。そしてあんなに友人が出てくるのに、女性の友人は数えるほどしか出てない、もしくは出てもすぐに出なくなる。
それまでも、西原の本の内容が「嘘」であることは欄外などに語られていた。でもそれは面白くするための嘘であって、自分をよく見せるための嘘ではないんだろうと勝手に思い込んでいた。
しかし私が大人になったのか、女性の友人があまり出てこない事実に気付き、いろんなメッキが剥がれていった。
そして惰性で書店に行くついでに新刊をめくると、息子と娘の扱いに差がある気がする。
親との確執、特に露骨に弟を贔屓し全肯定するのに私を全否定する母親との確執がある私にとって、それが気になった途端、新刊を追うことはできなくなった。
とりあえずかっちゃんとの交際が公になったまではまあ「ふーん」と聞き流していたが、その後のMXテレビでの女性器発言をかっちゃんに解決してもらうところはすごく悲しかった。
なんていうか、それまで強い男に媚びてのし上ってきたんだろうなと気づいてはいたものの、なるべくそこは見ないようにしていたのに、鼻先に思い切り突きつけられた気がして。
それでもまだまだ西原はアル中の鴨ちゃんを看取りシングルで子供2人を育てた良き妻、良き母。かっちゃんとの関係はまだ女を捨てていない素敵な関係。そういうイメージの媒体を見るたびに悲しくなってしまった。そこには、私の好きだった西原が小さくなっていて、よくわからない素敵そうなものが大きな顔をしている。そういうふうに私には見えた。
とどめを刺したのは、「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」だった。
私の中で、女性作家が若い女性に向けた提言本を出すと、それはもう終わりの始まりだという謎の思い込みがある。
(男性作家にも一部そういう人はいるが、どういうわけか面白く書く人もいて、この辺はいつも不思議。要するに成功した男性のロールモデルは数種類いるのに対し、成功した女性のロールモデルは種類が少なく画一的だからだろうと思っている)
結婚し子供を産んだ。金も男も手に入れた。確かに、そういう意味で西原に憧れる人もいるんだろう。そして、この本が響く人もいっぱいいるんだろう。
でも私は病気で学校に行けなくて、どんなに頑張っても今の世の中だと普通に働いて結婚して子供産むとかすごくハードなことで…。そんな私のコンプレックスなんて西原にはなんにも関係ない。でも、かつての本には弱者への目線も書かれていて、その人たちを笑わそうと体を張っているすごい人だと幼い私には見えていた。
それだけに、いわゆる「成功した作家」が提言本を出すのが、私には作家として何かを手放しているように思えて仕方なかった。
そんでもって相変わらず「青い空の下草原をバックに」表紙だしな!
(別に丁寧に細密な絵を描いて欲しいわけではない)
これ以降は別に私が書くことではない。
ない、が、娘さんの告発を見て、「やっぱりなあ…」と思ってしまった。
家族のことを部外者がとやかく言うのは下品だと思うので差し控えるが、著作を買っていた私は娘さんを追い詰めた側の人間だと思うので、今後どんな形でもいいから彼女が満たされ幸せに生きていって欲しいと素直に思う。
それはそれとして、西原ならこの騒動もあの手この手でマネーに変え、何故か感動のラストに持っていくのでは…と危惧している。多分、この予想は高確率で当たると思ってしまうのがすごく悲しいことのように私には思えるが、西原には西原なりの大切なものがあるんだろう。今の私にはよくわからないけれども。でも、私は娘さんを追い詰めた加害者なので、その顛末を見届けないといけないと思う。だから、少しでも娘さんが救われる顛末であって欲しい。ここでこんなこと書いてもなんにもならないけどな!
今までお気持ち表明って冷ややかに見ていたが、自分で読んでも気持ち悪い文章になってしまった。
高かった熱が冷めれば冷めるほど、人は気持ち悪い文章を書いてしまうのだろう。
それでも、私は一時期確実に西原の漫画を読んで生活が潤っていたし、その潤いがなければ生きてこられなかったと思う。
なるべくそのことは忘れないよう、これからも生きていけたらいいなと思い、私は明日も行きたくない会社に出社してやりたくない仕事をするだろう。おしまい。
【追記】
男性に伝わるか私にはよくわからないんだけれども、大体の女性にとって「やたらとわかってる風に振る舞う男性の友達ばっかりで同性の友達がいない女性」ってなんか言動とか価値観?とかに違和を感じていて、直接的だったり間接的に嫌な目に遭うことがままある…気がする…あくまで私の周囲の女性の意見だけども。
(そういう女性は男性にはいい顔するので、例の「女の敵は女」という言葉が出てきがちだ。そりゃ被害に遭わなきゃ女性だって高みの見物できるだろうと思う。往々にしてその手の女性は好戦的なのがめんどい)
とりあえず愛ちゃんはアシスタントだし、はせぴょんとか中瀬ゆかりさんはビジネスだろう。「毎日かあさん」のママ友の話はほぼ創作(むぎちゃんだっけ?あの人は多分いない)らしいので、若い頃の同性の友人の話も聞いた話を適当に盛ってほぼ創作なんじゃないかなと思う。
とにかく言いたいのは同性の友人がいないことは悪いことではないと思うけど、同性の友人がいない人が娘の母親としてどう振る舞うかというと…ということを言いたかった。
まあ、ぶっちゃけ私の母親がそういう感じなんだって話でしかないけどな。
【追記2】
作品のファンだったと思うのが健全で、作家のファンだったと思うのはちょっと違うと思った方がいい、みたいな意見はすごく真っ当な意見だと思うし、私もそういう風に考えたいと思う。
でも、西原をはじめとした自分の身の回りのノンフィクションやエッセイとして作品を発表する作家はある程度作者の魅力込みで読者がファンになる特殊なジャンルかなとも思う。
(さすがに盲信するのはどうかなという気がするし、きっと完全フィクションの作家ならみんな簡単に割り切れるかなと)
そういう特殊で業の深いジャンルであるが故に、今回の娘さんの話題で様々な意見が出るというのが問題?の本質かなと私は思ってる。だからこそ、今後また西原が今回の話題も何かしらの作品に昇華してしまいそうで怖いなと思っている。
(作家としてはそれが正解なんだろうけど、それ故に残酷というかあまりに業が深すぎる職業というか)
【追記3】
今ざっくり自分の文章読み返してみて、多分初期の方が弱者への視点が感じられ、更に作者本人が体を張って笑いをとりに行く様が魅力に感じられたように思う。
そして、よくある話ではあるが金や権利を手に入れたあたりでその魅力が感じられなくなったのかなと。
多分その魅力は彼女の中にまだあるはずだけど、今の状況だとそれで作品を作るのは難しそうだ。それはとても困難で手間がかかるし、素敵な女性として楽にいい感じの本出した方が売れるだろうしね。
【追記4】
他の人の西原への感想などが読めてとても嬉しいです。もっと読みたいので書ける人は書いてくれるとすごくすごく嬉しいです。
しかし新聞連載以降の作品のファンがあまりいないので、あの辺の作品を買った層と初期の作品を買っていた層はまったく違う層なのか?と新たな疑問が出てきた…。「上京ものがたり」あたりは私も結構好きでした。特にラストはすごく心に残っている。
【追記5】
追記多いのマジで気持ち悪いな。でも本文から気持ち悪いからなんかもうええわ。
友達の多い少ないは少なくともこの文章においては問題ではない。実際私も学校行ってないから友達少ないし。そしてそこを語りたいわけではない。
では何が私が引っかかったかというと、私がこの文章を書いた発端が彼女の娘さんの文章を読んだこと。
何度か男性の友達は多いのに同性の友達がいない、少ない女性と接した経験から、そういう人々はとても男尊女卑であると思った。要するに、大勢の男性と親しくできる自分は「名誉男性」であり、同性とばかり親しくする女性を格下に見ている。そして、人間を上か下かでしか見られず、他人を自分と等しい存在だと捉えることができない。男尊女卑は対男性には伝わりにくいが、対女性にはすぐ伝わってしまうので対女性とはトラブルが多い。
そういう男尊女卑の内面は奇しくも本人が言う通り、男尊女卑のまかり通る環境で生まれ育ったことも関係あるのかもしれない。
(でも、そういう環境で育った人がみんなそうなるわけではないけれども)
そして重要なのは、ここが問題点なのではなく、本当に重要なのはここから。
本人が自覚あるかないかに関わらず、男尊女卑思想のある女性が男の子と女の子を産んだ場合、女の子にはどう接するだろうか。
ここからは私の知り得るところではないので差し控えるが、自身の母親と照らし合わせると自ずと見えることが無きにしも非ず。
それはそれとて、そういうことを考える私もまたすごく嫌な女だということは間違いないだろう。
自分の周辺にそういう女性に心当たりがないという人はとても良い環境に恵まれた人だと思うので、それは自身の人柄によるもので、すごく誇っていい尊いことだと私は思う。
【追記6】
私がこの文章で書きたかったことは、西原理恵子という作家の業と私という読者の業、そして何より娘さんについて。
なので差別云々というのは私の文章力とか私の考え方に問題があるのは前提として、それを除けばここのコメントで西原理恵子という作家や娘さんのことを触れないのは片手落ちに感じる。
(もちろん、100文字という制限がある以上それは仕方ないとは思う)
そして、私はその業や娘さんに関係ないことはこの文章の中で書く気はないし、責任もとる気がない。
私は誰しもどこかに他人を差別してしまうところがあって、多分そこを言及されていると思うけれども、他人に「絶対差別するな」って押し付けたり、「自分は絶対差別してない」って言い切る人は理想主義過ぎて少し怖い。
だから、その辺が気になる人は、自分でそういう差別についてのエントリを書く方が満足できるし有意義だと思う。
【追記7】
差別が〜って言う人は西原の漫画読めるのか…?とずっと考えていたが、よく考えたら西原の漫画を読まずにこのエントリだけ読んで「差別が〜」と言っている可能性もあるのか!とはたと気づいた。
知らない人に説明すると、西原理恵子という人の芸風は人種差別、女性差別、弱者差別などあらゆる差別を笑いに昇華していくものである。実際、女性の友人をデブだのブスだのヤリ○ンだと罵ったり、子供を産んでいない女性や専業主婦へのヘイト発言なんて日常茶飯事だ。しかも、この何十倍も汚い言葉でそれを言う。
(改めてこう書くと本当酷いな…)
もう本人の作品自体がミソジニーだのホモソーシャルだのが真っ青になるくらい、差別や問題発言の坩堝なのが西原理恵子の漫画だ。
(今のポリコレではアウトでしかない…だから改めて差別とかホモソーシャルとか言われると「いやもっとアウトな発言いっぱい出てくるから!」ともうどこから突っ込めばいいのかもうよくわからない)
ところが、それがものすごく面白くて笑えるから始末が悪い。そして、それを読んで笑う読者ももれなく下品である。それが、西原理恵子と読者の業の深さの一端だ。
私は西原理恵子という作家について書くにあたって、そういう彼女や読者の中にある「差別」は切り離せないものだと思ってこの文章を書いた。そして、その「差別」がどの程度彼女の娘さんに及んでいたのか(あまり詳細が書かれなかったこともあるが)読者にはよくわからなかったところが例の娘さんの件で露見したように思う。
(更に補足すると、彼女が差別する人間だからこちらも差別していいとかってそういう話ではない)
なので西原理恵子を知らない人は、とりあえず図書館にも置いてあるしブックオフで叩き売りされているので読んでみて欲しい。私のおすすめは、コメントでも人気の高い「鳥頭紀行」とか「ぼくんち」あたり。
実際の西原の漫画を読んで、差別だとかそういうもので頭がクラクラするのにギャグが強烈に面白いという奇怪な感覚に失神するがいい!
(ただし、合わない人には本当に合わない)
結局、何があっても私は西原理恵子の漫画のすべてをきらいになれないし、機会があれば好きな作品を未読の人にも読んでもらいたいのだ。
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