はてなキーワード: 気づきとは
就職活動が終わった。それなのに、心が晴れない。
俺は大学4年生で、いわゆる18卒学生として就職活動を行った。そして、8月に入ったところで、ようやく内定を手に入れた。
学部の単位なども概ね問題なく取得しており、卒業論文だって道筋は見えている。
つまり、今の俺は客観的に見て、何の問題もなくライフステージを進めているように思える。就職活動を終えた学部4年生の夏休みなど、この世の春と言ってもいいだろう。夏なのだが。
しかし、今の俺の心には、とてもそれに見合った開放感などというものは存在していない。
この心理的なモヤモヤした何か、胸のつっかえともいえるものは、どこから出てきたのだろうか。
何かを後悔しているのだろうか?例えば、内定先に満足していないとか?いや、そうではない。
8月までNNTだった俺は、何の因果かはたまたラッキーパンチか、そのような就活弱者には全く見合わないような優良企業の内定を得ることができたのだ。
学部で学んできたことが活かされるものでは決してないにせよ、十分な研修を受け、全うな待遇の下で働けることはおそらく保証されていると言っていい。
恐らくそれはきっと、就職活動を通じ、「自分は何者でもない」ということを、大学の4年間の中で密かに気づきつつも目を逸らし続けたその事実を、まざまざと見せつけられてしまったからであると思う。
端的に言えば、「おつむがよろしくて真面目で一生懸命で人格者で才能溢れててみんなから未来を嘱望される完成された存在であるところのボクちゃんが、実際にはゴミクズ未満の存在に過ぎない」ということが、就職活動により明白になってしまったからである。
もう少し具体的に言えば、上記のような自分が、8月になるまで内定を得ることができなかった、そのことが未だに自分を縛り続けているということである。
お前は社会から積極的に求められる存在ではない。寝っ転がってチ○ポをおっ勃てているだけでは、社会は跨っては来ないのである。それほどの魅力がある存在ではない。十把一絡げ・一山いくらの畜群の一部に過ぎないどころか、その平均にすら追いつかない無価値・無能力の極みであるような存在、それがお前、俺である。
極めて陳腐な話だと思う。大学生活の中で何者かになれる人間など、そう多くはないだろう。
大学生は大抵の場合、自分は何者かである、きっと特別で何か人から称賛されるような正の属性、あるいは才能のようなものを自分は持っていると考えながら大学に入るのではないだろうか。少なくとも俺はそうだった。
日本でその名を知らない人間はそうは居ないであろう大学に入学できた自分は、きっと特別な存在なのだろうと思っていた。ヴェルタースオリジナル状態であった。
今の自分自身にその「何者か」問題が分からなくとも、時間が経てばいずれ明らかになるであろうし、そしてそれは自明に周囲から評価されるものであると、図々しくもそう措定してしまっていたのであった。
自分よりも劣るとみなしていたような相手が、次々と内定を取っていく。自分は見下していた相手よりも実際には下の存在だったのだ。その事実そのものもまあまあ辛いが、それ以上に事実を認識できていなかった自分の不明が憎い。
田山さとし battery_brides を報告ページからこの文章と以下に挙げるツイートで報告した。
ツイッターURLを付けた文を増田にアップしたところ反映されなかったので、URLを削って再アップしました。
読みにくいと思うけど勘弁して。
「『○○○○ン人』を最初に使ったのは野間」という文句が田山界隈から挙がっていましたが稚拙な反論だったので無視していました。
しかしブクマで疑問に思う方もいらっしゃったので、文末に理由を書き添えました。
6月27日に田山さとし battery_bridesを、以前凍結されたアカウントと同じように李信恵氏(rinda0818 リンチ? QT rinda0818: 例の奴キメてきた。 )
それから二ヶ月、このアカウントは報告した5つのツイート以外にも嫌がらせや差別の扇動を続けています。
李信恵氏には事ある毎に「リンチ」という言葉を入れたツイートをしています。
(https://twitter.com/search?f=tweets&q=from%3Abattery_brides rinda0818 リンチ&src=typd)
これは数年前に起こった傷害事件を揶揄しているのですが、李さんは刑事事件では立件もされず現在民事で係争中です。
このアカは李さんに限らず手当たり次第この件と結びつけた返信を続けています。
「主水にムカついたら殴っていいみたいですよ QT @Tomicajpn: 渋谷さんにムカついたら殴っていいんだよね?7:02 - 2017年9月3日
「返信先: @Anti_Discriminaさんリンチ報道に苦言を呈した李信恵と記事隠蔽の圧力をかけた西岡研介と似たようなもんじゃん」
事件当事者でもないこのアカウントが執拗にこの件を持ち出すことが嫌がらせでないのならなんだとお考えでしょうか。
このアカウントは報告した「この糞チョソン人 」「外国人が本国人と差別的な取扱を受けるのは当然」という直接的な差別表現の他に
「早く日本を脱出すべき」(言い方を変えた日本から出て行け。在日差別についてのツイートであることに留意)
「固有の歴史って何?」などと他文化を否定するツイートの他に、「Kアラート」などと災難は北朝鮮からしかこない様な物言いや
朝鮮学校をネオナチ教育などと呼ぶ差別発言や扇動も数々しています。
そしてこのアカウントの一番の特徴は前回報告でも指摘しましたがQTを使い、
そのツイートを自分のフォロワーに自分が元IDを文面に入れる事で元アカウントを攻撃させることです。
このツイート
「返信先: @springrollerさん
QT @springroller: 灘校が学び舎の教科書を採択したら、自民党議員から電話が入り、ウヨから学校に変な投書がじゃんじゃん届くようになったという校長先生の話。 「謂れのない圧力の中で ̶̶ある教科書の選定について」19:18 - 2017年8月1日」が、
この返信を誘発し、「返信先: @battery_bridesさん、@springrollerさん灘高も汚染されてるって事か」
田山をブロックしていた元アカウントの知るところとなりました。
「しかしこっちがブロックしてるのにわざわざTweet拾ってフォロワーに突撃させる式神使いみたいな人って何なんだろうねぇ。突撃してくる人も自分が式神とじゃ使い魔とかファンネルみたいな扱いされてるって自覚してるんだろじゃ」
「返信先: @battery_bridesさん、@harumi19762015さん
友達に「事故と戦争の道具であるミサイルの注意喚起の違いも分からないの?」と馬鹿にされる前に気付いて良かったね(´・ω・`)」
このやり方は巧妙で、田山アカをブロックしても次々新しいアカウントが出来るフォロワー全てをブロックしきれません。
shiri_no_waremeというアカウントは以前shirinowa_reme_ というアカウントを凍結されましたが、
「返信先: @battery_bridesさん、@rinda0818さん
隠蔽工作も #エル金は友達 タグも凡どどラジオ自粛も講演会中止も、全部しばき隊のリンチ事件と繋がってるよね QT @battery_brides @rinda0818: Jアラートも小池知事の追悼文を取りやめも、根底は全部排外主義や歴史改悪主義に繋がってる」
「返信先: @battery_bridesさん、@kentarotakahashさん
李信恵の謝罪文、暴行時の音声テープと、証拠が次々と公開されていくにつれ主張が後退していったしばき隊の惨めさにそっくり QT @battery_brides しばき隊リンチ事件のいいわけみたいだな QT @kentarotakahash: 「ビンタは当たってない」世田谷区教育 …」
battery_bridesはつい最近ツイッタールールに違反したとして警告された筈ですが、
警告後も世間で話題となった事件に李信恵氏を関連づけアンケートをとるという攻撃的なツイートをし、
これらの行為はツイッター社のルールのみならず、常識的に考えても悪意ある行為だと私は思います。御社の厳正な判断を望みます。
尚この報告文は他の方の意見を仰ぐためネットに公開する所存です。
返信先: @Yonge_Finchさん
この糞チョソン人凄いこと言うな QT @Yonge_Finch: 今考えて見ると、北朝鮮が拉致被害者を返した頃は、北朝鮮はまだある程度対話が可能だった。あの時、北朝鮮は彼らなりに低姿勢で来たのにまったく効果ないことに気づき、今のような極端な生きるか死ぬかの戦法に変わったのだと
返信先: @kentarotakahashさん
マジかよ李信恵最低だな QT @kentarotakahash: スティック取り上げられても、日野を睨みつけ、素手でドラムを叩き続ける中学生と、「何だ、その顔は」と素手で殴っちゃった日野皓正。どっちがカッコワルイかも歴然だな。
返信先: @rinda0818さん
リンチ事件の当事者が「暴力はあかん」と言っても誰も聞く耳を持たないけどな。 QT @rinda0818: その子どもが持つものを伸ばすのが教育だと思うので、不均衡な場所での暴力はあかんなあと思う。
返信先: @sing_whaleさん
外国人が本国人と差別的な取扱を受けるのは当然だよ QT @sing_whale: ノンフィクション作家の高 賛侑(コウ チャニュウ)氏 「日本に住んでいるのなら帰化(国籍を取得)すればいい」と言われることがあるが「この言葉には裏を返すと、外国籍だったら差別されても仕方がないと…
返信先: @rkayamaさん
朝鮮ネオナチ養成の朝鮮学校を潰そう! QT @rkayama: 可視化されてなかっただけで、日本にもネオナチがたくさんいたんだな。恐ろしい。でも気づけてよかった。その動きをネットの外には出させたくない。
固有の歴史って何? QT @sing_whale: 多民族共生人権教育センターの文 公輝(ムン ゴンフィ)事務局長 「在日コリアンでも日本で生まれ育った人の多くは、在日が持つ固有の歴史や問題を理解していない。生活保護を受ける人が多いという実態と『無年金』問題の絡みなどを
返信先: @rinda0818さん
返信先: @ishibs_kanagawaさん
一刻も早く日本を脱出すべきだな QT @ishibs_kanagawa: 朝鮮学校の無償化排除を巡る裁判の勝訴に「生きていてよかった」。そう感じさせるほどの抑圧と絶望の中、在日朝鮮人はこの社会で生きているのだと教えてもらいました。時代の正体
返信先: @battery_bridesさん、@kentarotakahashさん
李信恵の謝罪文、暴行時の音声テープと、証拠が次々と公開されていくにつれ主張が後退していったしばき隊の惨めさにそっくり QT @battery_brides しばき隊リンチ事件のいいわけみたいだな QT @kentarotakahash: 「ビンタは当たってない」世田谷区教育 …
返信先: @harumi19762015さん
言わなくて正解 QT @harumi19762015: たとえ宇宙空間であろうと国土の上空に飛んでいたら落ちるかもしれなくて怖い、アラートはちゃんと鳴らして欲しい。ってお友達が言うんだけど、落ちるかもしれないから怖いって理由でアラート鳴らしてたら飛行機とかオスプレイとか鳴ら
返信先: @battery_bridesさん、@harumi19762015さん
友達に「事故と戦争の道具であるミサイルの注意喚起の違いも分からないの?」と馬鹿にされる前に気付いて良かったね(´・ω・`)
これを放置し続けるツイッター社は不作為通り越してヘイト推しでは
「@rinda0818 圧倒的得票数おめでとうございます!」
https://twitter.com/battery_brides/status/904162013626023936
「battery_brides(田山さとし)は以前neon_shuffle(田山たかし)というアカウントで差別を煽り
(ほんの一例 URL貼れませんでした)、
在日外国人ユーザーに絡んでおり、先月そのアカウントが凍結されました。
その直後、今報告しているアカウントを再開し、最初はしずしずとツイートしていた様ですが、
今また全く関係のないツイートに「リンチ?」などと冷や水を浴びせかけるようなツイートを始めました。
また特定のアカウントに対し執拗にQTする行為もしています(https://twitter.com/search?q=from%3Abattery_brides%20rinda0818&src=typd)
このアカウントには差別的なメンションを投げつけるフォロワーが大勢おり、QTをしツイートの存在を示すだけで、
自ら直接手を下さなくても被QTアカウントには差別罵倒コメントが押し寄せる事を承知してのQTである事は間違いありません。
御社はneon_shuffleのような差別扇動アカウントを何年も放置していました。
彼のサブアカウントであるbattery_bridesもこれから10年近く放置するお考えでしょうか。
凍結されたアカウント時代と同じ事をしているbattery_bridesの凍結を強く要望します」
anmin7さん
呼びつけるようで恐縮でしたが、他に通知する術もなかったのでidコールにしました。
>>しかし「糞○○○○人〜」のフレーズはCRACの野間氏が「カウンター」として発したものではないでしょうか?
はい、その通りです。この言葉を発した野間氏のツイートは報告されてしかるべきです。でも野間氏が使ったからといって、
この侮蔑語を他の誰かが何度も使っていい理由にはならないと思います。
もし野間氏の行為を非難したいのなら「差別語を使った」と書けばよいだけで、使った差別語を連呼することが許されるわけではありません。
野間氏は今もこの言葉を連発されているのでしょうか。問題のツイートは2014年5月9日のもので、その後2015年に一度件の言葉を用い
「これを使ったのは1回だけだが執拗に拡散されている」旨のツイートをしています。
拡散されるならとっとと消せばいいと思いますが、野間氏が削除しないからと言って、それをまき散らしてよい理由になる訳がありません。
このbattery_bridesというアカウントが活動し始めてまだ三~四ヶ月ですが、この報告を書くまでに十数回、今はそれ以上に、
全く別の在日外国人に向けて発せられています。こうなれば、相手の言質を取った上での執拗な嫌がらせと考えるのが妥当かと思います。
これでanmin7さんのご質問への答えになっていればよいのですが。何かありましたらまたご連絡下さい。
(どうも。増田です。一晩経ってこんなに話題になってて驚いた。タイトル含め少し追記修正しました。)
(さらに追記。hk_9060が消えてしまったので、このアカウントをフォローしていた人がコミュニケーションできるよう、交流用アカウントをつくってくれた方がいるので紹介。過去のInstagramへの投稿が一部見られます。
https://www.instagram.com/karin_diet0331/
)
一時、一世を風靡し、多大なバッシングを受けた通称ステマ、ステルスマーケティング手法。
芸能人や著名人、有名サイトがやっちゃうものと思いこんでいて、まさか一般人(に見せかけた企業)のアカウントにしてやられる事があるとは思わず、私も騙されかけていました。という話。
私にとってInstagramは、気軽に一般の気が合いそうなアカウントをフォローして、おばあちゃんの知恵袋的なTipsを得られるのが面白いところ。
もちろん玉石混交だけれど、中には他で聞けない参考になるような一般人の投稿もある。さらに一般人のアカウントがよいのは、気軽にコミュニケーションできること。そこには等身大のやりとりが存在して、ビジネスを目的としたPV稼ぎやフォロワー稼ぎではない、信頼ともいえる関係性がそこにはある。と思っていた。この件があるまでは。
私はあるダイエットアカウントをフォローしていた。30歳2児の母、と書かれたアカウントには生活感があふれていて、親近感や信頼があった。よくあるInstagram人気アカウントと違い、あまりインスタ映えしない等身大の写真も良かった。ただ彼女にカリスマ性があったとするなら、それは、彼女独自のダイエットによってなんと10キロも痩せたといい、その方法を紹介していること。それから、フォロワーの質問にきちんと返してくれること、だった。
私も出産を経た中年太りに悩んでいたところ、彼女のアカウントを見つけ、フォローした。
彼女が実践して痩せたというダイエット方法は、青汁を飲みゆるい運動をする、というもので、とても手軽に思えた。それで10キロも痩せられるというのだ。
フォロワーとのやりとりで青汁はどんなのを買っているかと聞かれれば、いろいろ見てこのサイトが参考になった、と暗に紹介していた。宣伝みたいになるのが嫌なので、検索ワードだけ紹介します!というような形で、彼女は、あるサイトを紹介し続けた。
ここを経由してたくさんの人が青汁を買うことで彼女の会社の売り上げにつながる仕組みになっていたのだ。
私やその他フォロワー(2万以上いたと思う)は、簡単に騙され、青汁をのみ、ゆるトレをした。彼女の真似をして。
一向に痩せる気配がなかったが、まだ継続が必要なのだろう、健康にもいいし、と信じて続けた。心が折れそうになるとInstagramで彼女へ質問をして、励ましてもらい、また頑張ろうと続けた。そうして、いそいそと青汁を買い、飲み、まんまと騙され続けた。
(唯一、救いだったのは、誘導されたサイト「いろはに青汁」から購入するのが面倒で、そこから買わずに近くのドラッグストアで適当なものを買っていたこと。)
そんな構造になっていたのが何故判明したかというと、なんと彼女はTwitterの鍵付きアカウントに、この「お仕事」について垂れ流すツイートを書き込み、あろうことかフォロワーの愚痴まで書き込んでいて、それに気づい人がいたからだ。
何よりショッキングだったのは、彼女がダイエットのInstagramアカウントを開始する前、会社の命令により、わざと10kg太ってからInstagramを開始し、痩せる(というより元に戻す)ことにより、ビフォーアフターを演じていたという事実。
これは裏Twitterアカウントで彼女自身が明かしているばかりか、暴飲暴食をしても太れない悩み、もともとあまり食べられない悩みなどを暴露していた。
こうした情報は、InstagramとTwitter両方をフォローしていた人がいて(それも普通に考えたら彼女が把握できるはずなのにどうかと思うが)Instagramで見せる顔とTwitterで見せる顔のギャップを暴き、2chへタレコミがあったことから発覚。Twitterの投稿をスクショして見せてくれたため発覚したのだ。それによってインスタフォロワーの不満は爆発、一般人にもかかわらず2chに専用スレが立ち、あれよあれよとコメントが伸びた。そこでは、ステマの事実だけでなく、Instagramのフォロワーを馬鹿にする発言が多々あった事実や、それに端を発した怒りから彼女の過去の発言、家族などのあらゆる情報が暴かれた。
おそらく本人はこの時点で2chへの投稿気づき、Twitterフォロワーやその他アカウントの整理をはじめるが、時既に遅し。
当然、Instagramのアカウントしか知らない多くのフォロワーには、これらのことは検索しなければ分からないはずなのだが、不信感をもったフォロワーからInstagramのコメントに、噂を聞いたのですが…という書き込みが入ったことから、2chのスレへ誘導される形で多くの人の目に触れるところとなった。そこで真実を知った、私を含む多くの人の怒りを買い、2chでの怒りのコメントは膨らむばかり。
事態を重く見た運用元の会社が対応に出た。該当のInstagramアカウントの自己紹介欄に、ビジネスアカウントであること、ステマの事実、そしてお詫び文へのリンクを掲載。
2017年8月30日時点でまだ有効なアカウントであるものの、このアカウントを9月1日18時付けで閉鎖すると告知されている。
Twitterの裏アカウントさえなければ、割と巧妙な手口だったと思う。でも、騙されたことが分かった瞬間に猛烈な怒りに変わるので真似はしたくない。
悔しいので、うっかり騙されないようにしたい。嘘を嘘と見抜けない人に…というやつだ。
ちなみに、該当のスレはこれ。
Instagramアカウントはこちら。(9月1日18時閉鎖予定とのこと)
@hk9060_diet
お詫び文はこれ。(pdfが開く)
「いろはに青汁」および弊社運営のInstagramアカウントにおける一連の騒動に関しまして
http://www.fly-ltd.jp/owabi.pdf
(追記)
私個人は、彼女がステマをしていた事実そのものではなく、ステマをする裏で、Instagramのフォロワーを馬鹿にしていたことに、怒りの原因があると思う。少なくとも私はそうだ。
○朝食:なし
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、豚肉とキノコのソース炒め(自炊、いや肉は自分で買って炒めた方が量食えることに気づきまして)
○調子
はややー。
今日は朝からサーバーのハードトラブルらしくて、作業が全止まり。
とはいえ、仕事しないわけにもいかないので、関係ない仕事(焼きそば焼くのと同じぐらい関係ない)のお手伝いをしていた。
そこで「島根」が「信越」か否かを答えなければいけない場面があったのだけれど、
「ごめんなさい、わからないんですけど、島根はしんこうですか?」
さらにそれを揶揄われた際に「じゃあ鳥取は?」と追加の質問をしたことの察しの悪さも馬鹿だし、
と、散々茶化された。
はあ…… しんど。
これこれ、こういうの良いなあ。
程よく真面目で、程よくコメディで、このバランス感覚って人それぞれなんだろうけど、僕はこれぐらいが丁度よかった。
続きが気になるオチなので、続きも買おうと思う、文庫になってるみたいだし。
●3DS
○ポケとる
レベル2にしておいた。
今日は、プクリン、ポリゴン2、ププリン、シュシュプ、ペリッパー。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cinra.net/news/20170825-makiyoko
彼女の参加に対して懐疑的な反応が集まっており、それが心底意外だった。
http://news.livedoor.com/article/detail/13524106/
そうした反応をまとめた、こんなニュースも。
http://www.comiket.co.jp/info-a/WhatIsJpn201401.pdf
コミックマーケットは「自分たちの作品の発表の場として編集発行する雑誌」を
頒布するための場として開かれている。
あくまで「個人・サークルの作品の発表が目的」の、文化的支援が趣旨の場であり、
コミケ側も、サークル側も、「営利目的でやるのは違うよね」というスタンスである。
前項で書いたように、営利目的で参加するのは違うよね、とはされつつも、
実際には、営利目的で参加しているサークルも少なくない(とみられる)。
けれど彼らに「君ら本当は表現が目的じゃないよね?お金儲けが目的でしょ?」なんて
問いただした所で水掛け論なので、特に出来ることもすべきこともない、という状況である。
(界隈では、そういったサークルの存在は「同人ゴロ」と呼ばれている)
はっきり言ってしまえば、
「お金儲けや話題作りへの下心を感じる」とバッシングされている真木よう子、
それから叶姉妹や小林幸子らの間に、サークル参加者としての明確な差異は全く無い。
確かにクラウドファンディングでお金を集めたり、「皆さんにお会いしたい」と語るなど、
真木よう子氏のコミケ参加に、強い「ビジネス臭」がするのはわかる。
真木よう子氏とは違い、純粋に作品の頒布が目的だったと言える証拠はあるだろうか?
新規市場に攻め込む際、市場の文化を前もってよく調べるのは、マーケティングの基本だ。
彼女らはコミケに出展したことによって、当日の売上以外に利益を享受してはいないだろうか?
彼女らは、目立ったり、好感度を高めることがビジネスの一部である「芸能人」だ。
叶姉妹や小林幸子がいかにビジネスに成功しようが、個人的にはどうでもいい。
たとえばその他の有名人なり、諸団体なりが大量に流れてきたら、どうなるか?を心配している。
コミケという場の文化を理解せずに流れてくるのは、サークル参加者側に限らない。
有名人に釣られて入ってくる一般参加者だって、きっと増えるだろう。
それ以前に、スタッフの負担だって増える。待機列とは関係ないところに人だかりができる。
何かとヘイトを集めがちな有名人だ、トラブルのリスクだって無視できない。
会場内が「一般人」の目に触れる機会が多くなりうるきっかけは、本当に是とすべきだろうか?
…しかしコミケ運営は「どうせ表現が目的じゃないだろ」と「同人ゴロ」を弾けないように、
今回の真木よう子氏を含め、
そのようにして流れてくる連中もまた、受け入れざるを得ないし、そうするべきなのだ。
コミケ運営が「同人ゴロ」の参加申し込みを弾くことができないのと同じように、
今回も、コミケ側は真木よう子氏の参加申し込みを、他の申し込みと平等に扱うべきだし、
我々一般参加者も、叶姉妹や小林幸子のときと同じ視線を向けるべきだ。
自分の表現をどのような場に出そうとしようが、表現者の自由であり、
また同時に、どのような表現も受け入れてきた広い受け皿でこそ、コミケはここまで発展してきた。
(いかにビジネス臭のする表現だろうが、それが自己表現だと言われればそれまでである)
とは言いつつ、単に「ビジネス臭がする」という印象上の批判に収まらない、
コミケという場を文化的に最大限意義あるものにしようとする態度を含んだ批判はしていくべきだ。
個人的には、そのような批判は、外堀から埋めていく形をとる気がしている。
そのまんまの話。
例の日記を見て「この人クソほどヘイト撒いてるけど気持ちすごいわかるよ~!」ってなりました。
ただ男だから女だからってことではないと思うので、そこへの同意はないですが。
コールがね!苦手なんですよね私は! 本当に!!
言いたい気持ちが高まって以下に長々としたためてしまいました。
コールと言っても色々ある(らしい)のでいったん定義しておきます。
その中でも手でクラップしないやつです。
どうも曲中に元から入ってるような合いの手的な掛け声のことだけなんですよね。
のハァイの部分です。
それかせいぜい間奏のところで「キャー!」とか名前呼ぶぐらい。
じゃあ上述のPPPH(クラップじゃない)がどういうものかと言うと、
★結末ばかりに気を取られ~この瞬間を楽し…めない!メマイ!
\オーッ ハイ! オーッ ハイ! オーッ ハイ! オーッ ハイ!/
というこの下段のやつです。
コール界ではこれも合いの手分類らしいんですけど、にわかには信じがたい被りっぷりです。
それで話が戻るんですが、コールが苦手なわけです。
苦手というかまあ嫌いです。
何故嫌いなのか?
①歌にかぶっててうるさい
④苦手って言うと怒ってくる人がいる
声がだいぶマジでうるさい!!
これを好んでやる人の特徴なのかわかんないんですけど、異常な声量を持ってるんですよ。
なんでなんですかね。
後ろや真横に居るともうBメロは終わったも同然です。
耳への期待を捨て去り視覚情報に集中するよう努力(あくまで努力)するしかない。
それにものの教えによるとPPPHなるものは、クラップ×3回のあとにひゅー!が正当なやつらしいのです。
それがペンライトを握るようなジャンルになるとクラップが「オーッ!↓→↑」という叫びに代替され、
余所では知らんのですがSideMのライブではだいたい最後の「ひゅー!」が「ハイ!」になっています。
これは私の観測範囲(現場2回その他ライビュ)の出来事なので、もしかしたら普通のPPPHの場所もあったのかもしれませんが。
なぜ違いを説明したのかというと、普通のPPPHと声だけのPPPHはうるささの質がまったく違うんですよ!
音域?周波数?なんかよくわかんないけどそういうあれだと思います。
一度カラオケ大人数で普通のPPPHを体感したんですが、声がけっこう聴こえました。
ひゅーは息のような抜けていく音なのに対して、
ハイは出だしのぶつかり方も終わりの母音も強くてイメージ的には「覇威!」って強さです。
ほんとうるせえんです。
別に強制なんかしてない!っていうのがあちらの言い分だというのはわかるんですよ。
わかるんですが、じゃあその「せーのっ」っていうのやめてくんない?ってことです。
オーハイPPPHの前に「せーのっ」って指示出す人が居るんですよ。
指示っていうかあれもコールの一種?らしくて警報っていうんだよとか教えられましたが、実質タイミングの指示出しだから呼び方とかどうでもいいです……。
「コール」という名称に納めれば片がつくと思ってる?んでしょうか??
警報って名付けられるぐらいならそのあとのコールは良くないものに位置づけられるんじゃないか?
良くないものと認識しながらやっているのか?と考えたあたりで、
「このあとPPPHだからちゃんとついてこいよな!」っていう意味の警報だと気づき、なおさら強制されてる感をおぼえるのでした。
とにかく「せーのっ」じゃねえよということです。
もっと「ハーイハイハイ」みたいな言い方する警報?もあるらしいというかそういうのが普通なのかな?
それはそれでうるさくて嫌だけど、でも「せーのっ」は既定路線へ向けての言葉じゃないですか。
やるよ、やろうね、わかるよね、そういう感じなんですよ。
こっちはPPPH勢の近くに居合わせただけなんで、別にやりたくないんですよ。
聞きたくもないぐらいなのに「せーのっ」とか言われるんですよ。
何も知らずに遭遇してしまった時の
「えっ??やらなきゃいけないの?何これ?うるさくない?こんなパートあったっけ?」
という戸惑いはなんとも嫌なものでした。
そういうのがあると知ってて言われても「せーのじゃねえよ1人でやってろ」という思いは消えません。
ここまで書いてきてわかると思いますが、コールやってる人は楽しくそれをやってるだけです。
一応は自由参加ということになっていて、そもそもライブというのは自由に楽しむものという前提があるから、
嫌だなやめてほしいなと思っても明確な迷惑行為・禁止行為じゃないと「やめてください」って言えないんです。
私はやめてくれまでいかなくて声を抑えてほしいな~と思っているんですが、そういうお願いが出来ません。
まあまず一曲目のBメロに至るまで、隣人が大音量PPPHをやる人かどうかなんてわかりませんしね。
そうすると、いざうるさい困ると思ってからしか行動出来ません。
そしてライブが始まってしまっている以上、物理的にもそんなお願いをする余地はありません。
そういう人だと事前に知ってても、怒り出すんじゃないかと思うと恐ろしくて言えませんけどね!
ただただ、我慢です。
私の涙の五分の一ぐらいは声が聞こえなくて周りが怖くて悲しくて楽しくないからです。
コールが苦手という話をコールしてる本人達の目の届くところでは言えません。
まだ何も知らないド新人Pだった頃に数人集まったアフターで、
私「あれ声うるさくてつらいんですけど、一部集団の企画なんですかね?迷惑じゃないですか?」
B「まあまあまあ、ちゃんと勉強しておかないとダメだよ?(暗黒微笑)」
というやり取りをして、流れで散々説教をくらい怯えて逃げ帰る(そして縁を切る)ということがあり、完全にトラウマです。
古参Pはみんな優しい?そんなの嘘ですよ~普通に変な人もいるので気をつけてくださいね~。
本人達はおそらくにこやかに優しい言葉で諭したつもりだったと思うんですけど、
目が笑ってないし、声がデカいし、物理的に詰め寄ってくるし、肩パンとかしてくるし、最悪でした。
具体的な発言をあげようと記憶をたどると、つらい気持ちが先に思い出されて、思考がぐんにゃりしてきて上手く文章になりません。
色々とスレスレの暴言があったり、人の体に許可なく触んなよってところもあったり、とにかくたくさん嫌なことがありました。
どうもあのうるさいのは「コール」という名称で「そういうもの」と認知されているから、
声を上げること自体も普通のことだから、「迷惑行為ではない」という大前提になっているようで、
うるさくていやだなぁということを表明するのは許されないぞ、というそういう怒られ方でした。
ざっくりまとめると、ここは俺たちの作った場所だからエムマスだけのPは生意気言うなというようなことをずっと言われてました。
その当時変なのに当たっただけと思えればいいんですが、ツイッターやら眺めてみると、
コール文化に戸惑い反発する人への態度は「そういうものだから諦めろ」という圧力なんですよね。
あからさまに攻撃したり粘着したりする人は少なくても、冷たく突き放すというか。
お前が悪い、という。何も悪くないのに。
集中力が足りないからだなどと責めてくる人も居ますが、映画館で携帯の明かりが見えると気になるとかそういうことですよこれは。
集中力がないわけではない!
自分には気にならないって言われても、気になる人には気になるし、それは集中力とか単純な話ではないし、
ていうか努力して気張って集中しないと楽しめないっておかしくない!?
中でも解せないと思った意見が「オタ芸とは違う」というもので、
いやだな~と思ってる人にしたら同質のものとみなしてるんじゃないかと…いや私はみなしてるって話で、
うるさいし独りよがりだし嫌がる人など構うものかって態度だし、同じじゃないの……?
何が違うんでしょうか。
文化だから我慢しろと言われるたびに釈然としなかったのがこの部分。
いいところは真似したいけど、ユーザー層に馴染まない部分は真似しなくていいじゃないですか。
ホモマスだなんて馬鹿にしてくる人なら特に、ユーザー層が今までと異なっていることをわかってますよね?
じゃあシリーズ作品の全ての流れを汲まなくてもいいじゃないですか。
なんで始まったばかりの作品なのに、初めてのライブなのに、「文化」なるものを飲み込まなくてはいけなかったのか。
有り難くもサードライブが決まりましたが、今からでもエムマスPの文化を作り直しちゃ行けないのかな?と思うんですよね。
「好きだからやりたい」に対してはまだ和解の可能性がありますけど、
酷いこと言ってる自覚がないのがまた酷いんですよ。
小学生を締め出して空き地を占拠する中学生みたいな理論はやめてほしかったです。
本当になんで諦めないといけないんでしょうね?
せめて妥協点は探せないんですかね?
エムマスからのPは新規は黙れ的な扱いを受けがちですが、SideMのPとしてはみんな同じスタート地点だったはずなのに、
新タイトルが始まれば新しい始まりのはずでは?何故そこまで強固な先輩ヅラを?
特に不愉快なのがSideMは別に好きじゃないけどアイマスシリーズだから一応顔を出してやるよ、というスタンスの方ですね。
つまり同僚でもなければうちの事務所アイドル達のファンでもないのに、
先輩ヅラで「これが文化だぞ!」って引っ掻き回してるんですよ。
お呼びじゃないにも程がある。
そしてそのような輩に”ご用意”される。
気が狂いますよね。
例の日記見ててもその辺の感情の部分にはかなり同調しちゃいました。
けど男が女がとか、貢いでる人が良いPとか、そういうことではないので、完全同意ではありません。
「文化だから」という圧力がなくなったとして、そのうえで結果的に大音量PPPH勢が猛威を振るったとしても、
それはそれで仕方ないことだとは思います。
最終的にここに落としちゃうのは良くないのかもしれませんが、言い方の問題的な?
我こそはアイマスシリーズの先人であるぞよ~みたいな人を無差別に持ち上げてる状況が気に食わないんですよ。
SideMのライブをSideMのPが納得して楽しめなくてどうすんだよクソがすっこんでろ老害という思いですね。
ぶっちゃけここまでだらだら不満を述べすぎてそれだけで疲れてきました。
苦しいと思ってることを説明するって疲れる。
どうでもよくなりつつある。
いやよくはないです。
他マスからのPをクソミソに言いすぎましたが、普通に普通の感覚でエムマス現場ではちゃんとエムマスPだったり、
ファンであったり、そういう方に思うところは何もないです。
ただはしゃぎたいにしても「女性が多い現場での空気を掴んだぞ!台詞パートのあとにキャー、これだな!」みたいな楽しみ方をしている人には、
ああこの人は私達の場所を探って飛び込んできてくれようというんだな、と呆然とするぐらい安心したこともあります。
これを言うのは本末転倒な気もしますが、ライブは演者のパフォーマンスによる音も楽しむ空間です。
聞き取りたい音が聞こえないことはとてもつらく悲しいことです。
ちゃんと聞きたいと願う人をあまりきつく怒らないでください。
【備考】
コール嫌って人前で言えないのになんでこの日記を書いたのかというと、
しかしながら自分の元の文が悪文であるが故に話がなかなか伝わっていないと思うので、その点で本当に申し訳なく思います。
はい、続けましょう。そして、私の言葉が足りていないのでそちらが申し訳なく思う必要はないと思います。
まず、私の立場としてはポリコレの事自体を憂いているのではないということを念頭においていただければ幸いです。
私が憂いているのは、正しさで自己肯定をしてしまったが故に、他者に不寛容にならざるを得ない人のことです。
ですので、
ではなく、ポリコレなどの正しい価値観に準じることで自己肯定をするのは色々な意味で辛いのでやめましょう、ということです。
ネットでポリコレ棒ブン回してる人たちはみんな、自分で考えたことを信じられないから(自己を肯定してないから?)他人の考えを丸呑みにして準じようとするからそうなってるよね、それって本質を理解してなくて、ただその教えに従ってれば自分は絶対正しいんだって安心してるだけのポリコレ聖典の信者だよねってことかな。
ポリコレじゃなくても、逆にレイシストであっても自己肯定がなければ、同じようにレイシズム聖典を抱えている可能性もあるってことよね。(ただレイシズムの場合は元々相互理解は不要であるという考えだから、ポリコレみたいにそれが本質でなくても内部矛盾する機構を持たないけど。)
前者、後者ともにその通りです。絶対に正しいことに従えば自分は絶対に正しいという姿勢は、盲目的な信者でしかない。そして、その絶対に正しいことというのは必ずしもポリコレである必要はなく、レイシズムであることも、フェミニズムであることもあります。
自己肯定って確かに難しいよね。
小さい頃からずっと事あるごとにお前はいつも間違っているって言われて、その度にずっと脅されたり叱られたりしてくれば、どうしたらそのストレスから逃れられるのかなって考えた時に、じゃあもう自分で考えたことはみんな叱られるなら、みんなが正しいって言ってることを信じたらきっと叱られたり脅されたりせずに済むだろうって、まあ普通にそうなるよね。
だいたいその通りなのですが、最後の段だけ微妙に違います。みんなが正しいと言わなくても、絶対に正しく見えるロジックがあれば良い。時に聖典がレイシズムであるのはそれだからです。そしてそれを信じれば叱られたり脅されたりせずに済むのではなく、叱られたり脅されたりしたときに無条件で悪いのは相手だと思うことができるので、ストレスから逃げることができるのです。
そんでポリコレの真髄とは、どんな反対意見を持った相手にも、どんな人種の相手にも、どんな性別の相手にも、どんな身分の相手にも敬意を払って、失礼なことをしない努力をするってことなんだけど、そうなると相手の意見を尊重してよく耳を傾けなければならないし、自分がそれでもし何か間違っていたことがあったとしても、その間違いを正すことを恐れてはならない。自己肯定の塊よねこれって。
ポリコレの真髄ということまで私自身が理解できているとは思わないのですが、こうした他者を本当に尊重する態度は、自己がしっかりと確立していないとできないものなのでしょう。
そして単にポリコレを聖典にしているだけの人は、多分そこまで実践することができないのだと思います。ポリコレ的な態度を取れない人をむやみに攻撃してしまう時点でポリコレから外れてしまうのはすでにご指摘のあった通りです。
自己肯定をするのはすぐには難しいかもしれないけど、でもきっとそれができればもっと楽チンに平和にポリコレできるよ!ピース!
って感じ???
ここがまた私の考えとは違う部分です。この文章の最初の方で述べた通り、私はポリコレ自体を憂う立場にはありません。だから、正しいポリコレのために自己肯定ができるようになろうと考えているわけではないのです。
憂いているのは正しさで自己肯定をしてしまったが故に他者に不寛容になってしまう人です。
そうした人に、正しく生きることで自己肯定をするのはやめようと言いたい。自分が間違っていてもそういう自分を認められるようになろうと言いたい。
それができれば、信じるべき正しい聖典がなくても安定した自己を手に入れることができるよ、安定した自己が手にはいれば無闇に他者に不寛容になってしまうこともなくなるよ、と思うのです。
安定した自己が手に入った結果、他者を尊重できるようになり結果的にポリコレ的な態度を正しく実践できるようになることはあるでしょう。しかし、それは結果であって目的ではない。
重ねてになりますが、ポリコレを正しく実践するために自己の安定を手に入れようという話ではなく、ただ単に本当に楽に生きるために自分を認められるようになりましょうという話なのです。
ここまでのトラバツリーの話の中で、私自身が自分が本当に訴えたいことを理解していなかったことに気づきました。最初は単に、正しさで自己肯定をしてしまう人は他者に不寛容で息苦しい、そしてそういう人はポリコレ界隈の人だ、と思っていました。
けれども、ここまで様々な方とお話をして、自分自身の考えが深まっていきました。
結局言いたかったのは、正しさで自己肯定をしてしまうのは一見楽に見えるけれども実は辛いからやめよう、という話でした。
ポリコレ界隈の人全てが正しさで自己肯定をしているわけではないし、ポリコレ以外の正しさで自己肯定をしている人も、私が憂う人であったのです。
それなのに過激さを狙って「ポリコレとは現代の聖典である」という上段に構えたタイトルを元増田につけてしまい、反省をしています。
公立小中がよく「社会の縮図」などと言われていますが、それについて私の経験をもとにその後(現在)についてまとめてみようと思います。
私は田舎と東京の公立小中出身(中学で東京に転校)の26歳男性
田舎は観光地としても有名なところで、割と厳しい教育がされていたように思えます。
東京は郊外の荒れていて有名な土地でしたので、学校も思い返すと教育困難校であったのではないかと思います。
では、田舎と東京の公立小中の同級生の現在についてまとめていきます。
半数以上が無職
多浪した医学部生やまともな大企業に就職したものもいたが、これは各クラス多くても3人程度だと考えられる。
これらを分類すると次のようになる。
まともな人は結婚、もしくは保育士やJA職員、教員などに就職している。
それ以外の5割以上が行方不明 (私が把握できていないだけかもしれない)
行方が分かっている人たちでも水商売やいじめが原因で病んでしまっていたり、デキ婚なども
※ 本当に女子の行方は分からない (都市部に出ている人が多いのだと考えられる)
これらを分類すると次のようになる。
現状が分かる範囲ではフリーターと職人(詳細不明)だけである。
これら分類すると次のようになる。
こちらも状況がはっきりしない人が男子と比較して圧倒的に多い。
公立小中出身の人たちからしたら、おそらく似たような状況なのではないかと思います。
そして公立小中在校生の人たちは、同級生が将来どのようになるのかを知りびっくりしたのではないかと思います。
公立小中出身者の将来はドラマなどで語られるような華々しいものではなく、むしろ悲惨です。
私が小学生のときには、「サラリーマンになるのはダサい」みたいなことを言う同級生が多かったが、将来的にはみんな普通のサラリーマンになるのだろうと思っていた。
また、スポーツができる人たちはスポーツ系で活躍し、勉強が得意な人たちは自分が想像もつかないような活躍をしていると思っていた。
しかし、現実は同級生の殆どがフリーターや無職、勉強がメチャクチャ得意な人たちだけが大企業で働き、普通のサラリーマンも極少数であった。
糖質制限を始めて2ヶ月弱経ったので、経過や感じたことについて書いておく。
糖質制限にかかわらず、ダイエットや健康のために何か始めたい、あるいはやっているが心が折れそうという人の励みになれば幸いである。
29歳男一人暮らし。168cm/95.20kgから始めた。運動は月に1、2度のフットサル程度。
始める前は毎日のように二郎系のラーメンを食べていた。それかすた丼。
料理はレシピを調べて一読すれば、たいていのものは困ることなく作れる。
現在の体重は、84.25kgで、おおむね11kgほど減った。
始める前に糖質制限について調べた。糖質とは何か、どの程度制限するのか、何を食べて良いのかなどから、細かいことまでインターネットで調べた。よくわからないまま始めると、性格上面倒になってやめたくなるからだ。
金を出したのは、レシピ本1冊だけだ。ネットの情報については、レシピに出てくる食材や調理法を参照すればある程度真偽が分かるし、書いてあるものを食べてればまあ痩せるだろうくらいの気持ちである。
根を詰めすぎるのは良くない。そもそも二郎系を食べていた。それに比べれば、多少間違っていようが、全部マシである。
こうしてどのようなものを食べるのか、具体的にイメージしてから開始した。
調べながらでは、調べること自体が面倒になるし、思いのほか糖質が多いものを知らずに食べてしまうと、精神的にダメージをくらい、やめたくなる。
滑り出しは順調だった。料理も回数は少ないが始め、おいしく作ることができた。
自炊したくないときは、大戸屋に行ってご飯抜きにしたり、ローソンで買っていた。ローソンは糖質量が少ないパン、甘い物を売りにしているので、助かっている。
主食を一切とらず、一食の糖質量を極端に少なくしたので、この間は辛かった。量をたくさん食べてもエネルギーが足りない感じで、もっと食べたかった。空腹なのとも違う感じだ。
女性は、生理もあるので、ゆるく初めて体を慣らした方がいいんじゃないかと思った。
3週目に入ると、エネルギーが足りない感じはほぼなくなったが、慣れると逆に余計なことを考えるものである。ラーメンが食べたくなったのだ。
糖質0g麺なるものも売っているが、もともと二郎系を食べていたのだ、満足できるわけがない。それでもまだやる気があったし、仕事が忙しくてわざわざ食べに行くよりも早く帰りたかったので持ちこたえていた。
飲み会に行った。もともと飲み会では少ないながらもご飯物なども食べていた。
その日は盛り上がり、遅くまで飲んだ。その時、「シメにラーメン食べよう」などと言い出したやつがいた。
もともと軽く糖質を解放している日である。誘惑に負けてしまった。
その日を境に、食いまくった。1週間毎日二郎系とすた丼を食べた。昼と夜に分けてではない。夜に立て続けて食べたのだ。
一番食べた日は茹でる前600gの麺に、おそらく400gくらいの野菜が乗った二郎系とすた丼のダブル肉飯増しを食べた。
5週目はみるみるうちに戻って行く腹を見てやばいと気づき、ラーメンとすた丼はやめたが、ご飯は食べていたし、おかずも気にしていなかった。この間はお腹は大きくなっていないと思い込みたい。
こんなことをしていた自分を許し、再スタートを切ることができた。
食べまくったことは、誰に迷惑をかけたわけでもないので、気にしない。むしろ幸せに過ごせてよかったぐらいでないと、自分の罪の重さに押しつぶされて、嫌になってしまう。
再スタートを切ってからは、はじめに食べていたような糖質をかなり抑えた食事をすることができている。
途中あんなことがありながら、おおよそ11kg痩せているので、糖質制限はやはり痩せるのだなと驚いている。
始める前に調べることが大事。どんなやり方で、何を食べるのかイメージしておかないと、開始後に食事制限+調べるということになって、1日中糖質制限のことを考えることになる。
とりあえずご飯抜いて肉、魚、葉物野菜食ってればいい、くらいでもいいからとにかく何を食べるのかイメージしてから始めた方がいい。
そして失敗は気にしないで次頑張ればいいと思うこと。妥協することや、自分を責めないことが大事である。道を踏み外してもまた戻って来ればいいのだ。
私は踏み外し方がひどかったが、戻ってこられた。
オオカミのケージの前にいて、オオカミがうろうろしてるのを眺めていたら、
男「なんでウロウロしてんの」
女「えーでぃーえっちでぃーじゃないの」
男「あー。多動なんだ」
彼らの口調には若干の草が生えていた。
僕はあのとき「地雷踏んでますよ」って言ってやったほうが正しかったと思う。後悔。
まあ、一般人の認識ってこんな程度ですよね。雑談で自然に差別発言が出てくる。
Googleの業務上のメールでもないし、大学の論文でもない、なんら公共性のない、
ごく個人的な内輪での会話なので、咎められることは無いローカルでプライベートな会話でしょう。
悪気は無いとは思うんですよね。ただ無知なだけで。知らないだけで。無垢なんですよ。
暇な手持ち無沙汰で、ふと無意識にアリの巣を水攻めにして命を弄んでいるような。
次はカップルの会話。
売店で、彼のほうがハシビロコウのぬいぐるみか何かを衝動買いした様子。
「数年前まではハシビロコウのグッズこんなになかったよね」
「まあ、人気が出たのかなー」
うん、人間扱いされてないですね。
昔、秋葉原がいまほど小奇麗になっていなかった頃、動物園の動物を観察するような態度で
一般人が秋葉原へやってきてオタクを観察して指差して笑うことに憤慨する、
みたいな時期が少しあったのを思い出した。
まあ、一般人の認識ってこんな程度ですよね。雑談で自然に差別発言が出てくる。
こういうのがあるから「一般的な人たちの雑談が耳に入ってしまう場」が怖くなるのだ、出かけたくなくなるのだ、と気づきを得た。
Facebookとか、動物園とか、遊園地とか、パークが危険なのだ。
それはぼくだった。
あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな
こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど
そちらの
あんたが具体的にあげた項目は性行為の作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意のプロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。
このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育は教育の範疇を超える」という増田の理屈は自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分の意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?
- 2「性感染症も妊娠もリスクを0にはできません」 間違った知識から卒業しよう(BuzzFeed Japan): https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/sex-ed-week-hori?utm_term=.jsjvqJPaz#.dhGglvrwx
- 3性教育の欠落で失われる、子ども達の人生(ハフポスト日本版)http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-komazaki/the-facts-of-life-children_b_14278952.html
自分が意見形成の過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育=セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。
1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本の性教育」という項目があり、次のように書いている。
実は、日本の学校教育の現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代のエイズ・パニックをきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育が必要」と言われるようになり、学習指導要領も改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。
きっかけは、厚生労働省所管の財団法人・母子衛生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法やピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。
この当時、国会や地方議会、マスコミを主舞台として「過激な性教育が学校でまん延している」「教室で性交渉の方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。
ここを読めば、現在の性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去の教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。
「性教育の不十分さ」の可能性については増田も自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。
次に5について。これは日本とオランダ、アメリカ、タイといった実践的教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダとアメリカの部分を引用する。
オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から、性は食事や睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます。小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。
~(略)~
このように、オランダの若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています。
○「総合的性教育(セクシュアリティ教育)」…性を生物学・心理学・社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊・妊娠中絶・同性愛は否定しません。
○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいかに重要かを教える教育です。
これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能や避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係、人権の視点と言った多角的な目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。
それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本の性教育が世界はもちろんのこと“過去の日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態で性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。
また、コンドームの仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダの出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分の
「セックスという行為の存在自体は肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」
が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。
そして最後に増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカの性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイトの文章も)を読んで欲しい。
アメリカの場合は特殊で、「同性愛・避妊・中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中絶主義・禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育のカリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは「性教育の過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育の限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。
ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育の限界がどこにあるのか」なんていう主観でいくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育を実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。
はじめの増田の記事に自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように
っていう、主観でしかない「実践的な性教育はセックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込むと教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。
で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
の部分に突っ込んで、「オーラルセックスの知識は必要」「オーラルセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。
それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバに言及するけど
元増田でも言ってるんだけど
実践的な性教育って教育の範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ
ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?
まず自分に質問をする前に、増田は自分でさんざん挙げている「教育の範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義付けがなされなければ増田の意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育の範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバで増田が「どう読んでもお前の意見はセックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。
しかしながらそこで「教育の範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカ、オランダといった他国の性教育の例を見れば明白なように、教育者・行政者側の視点でいくらでも変わり得る「教育の範疇」に絶対的な基準などないし、もし絶対的な基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育のカリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。
ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分が質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田の
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
自分の主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスクを回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分はオーラルセックスの存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。
ただ、オーラルセックスでも性病の感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。
どうだろう、増田の意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見の提示として読んでもらえたなら幸いだけど。
2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミスや意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。
諸用あり帰省した。
祖父母の元気がいよいよなくなってきているという母親の脅しもあり、高い飛行機のチケットを買った。
「実家で羽を伸ばしてきてね」
という同僚たちの声かけがありがたかったが、帰省には内心うんざりしていた。落ち着けないなと思った。自分がこの世で心底落ち着ける場所は、もはや東京都北区6畳ワンルームの寝床のなかだけな気がしていた。
家族はあまりきれい好きではなくて、というか掃除が大嫌いだから、実家は埃まみれで汚い。もともと自分は不潔な子供だったと思う。お風呂も2日に1回だったが、それが当たり前だと思っていた。
けれども実家がゴミ屋敷めいて汚くなり始めたのは、大学進学に伴って家を出てからだ。自分が関東の大学に進学し、学費のため母親が働くようになり、家の隅々まで気がまわらなくなり汚くなった。つまりは自分のせいだ。
学生となり帰省したある夏、自分の部屋に、お菓子を食べたあとのごみがうず高く積まれていて閉口した記憶がある。
妹の部屋に入りきらないごみが、自分の部屋にまで侵食していたのだった。そのままでは眠れないと思い処分したが、いざ寝ようと思った時、すえたチョコレートの匂いや埃臭さが壁紙に染み込んでいることに気づき、屈辱を感じた。
その日はなかなか眠りにつくことができなかった。
それからも実家に帰るたびに物が散乱し、形容し難く汚くなっていくのを見て、罪悪感に苛まれた。
帰るのが毎回億劫だった。罪悪感とともに、家族のことを恥ずかしく思う気持ちも芽生えていた。
大袈裟かもしれないが、実家が年々ゴミ屋敷めいていくのが、自分の能力の限界を示しているような気がしていた。
家が汚い人間がどれだけ教養を身につけようと思ったところで、限界があるのではないか。
幼少の頃、家にある本は「課長島耕作」と父親の買うパチンコ雑誌のみ。
家族は集中力がないからテレビのチャンネルをすぐ変える。認めたくないことだったが、自分の家族は、あまり頭がよくなかった。
今は恥じる気持ちも薄れた。お金がないのに関東の大学に通わせてくれて、感謝してもしきれない。だが実家は未だに汚いままだ。このままではゴミ屋敷そのものになってしまいそうである。
だから実家を掃除することにした。面倒だったので墓参り以外に予定もいれておらず、お金を使うのも億劫だったのもある。それに、帰省の前に北区6畳一間のアパートを大掃除したらそれが思いの外楽しかったので、楽しみながら掃除ができるのではと思っていた。
掃除をする旨を家族に伝えると、テレビが壊れて買い替えたので業者が来る、だからリビングから掃除をしてほしいと母親に頼まれた。
隅々まで掃除機をかけた。掃除機では取りきれない埃をモップでとった。絨毯にコロコロをかけた。こびりついた汚れに電解水を噴射し、こすった。面白いほどきれいになった。
楽しくなってきたことを伝えると、うずうずとしていたのか母親も参戦し、ともに台所の油汚れも落とすことになった。換気扇は全面が赤茶色にコーティングされており、パネルはジャクソンポロックの絵画のように汚れが飛び散っていた。
母親がどこからか出してきた業務用の洗剤を噴射してラップを貼り、しばらく置いた。そうして剥がすと、力をいれずとも汚れがスルスルとれた。そうしてあっという間にキッチンは、新築同然の姿になった。
こんな簡単なことだったなんて!自分が悩んだ、実家が汚いという事実や伴う罪悪感は、洗剤とほんの少しの労力で解決できるものだった。
こんなことなら、もっと前から掃除しておけばよかった。楽勝だった。御託を並べている場合などではなかった。さっさと行動すればよかったのだ。
キッチンは電源タップや炊飯器などあらゆる部分に埃がついて、油にまみれてしつこい汚れとなっていたが、少し力をいれたら完全に取れ、新品同様の姿となった。
ソファの合皮もてっきり経年劣化だと思っていたが、洗剤をつけてこすったらピカピカ光り出した。母親が歓声をあげた。
あまりに楽しかったので、掃除をモチーフにしたテーマパークを作ってみてはどうだろうかと想像したほどだ。
大人たちがピザを食べたりなどして見守るなか、子どもはキャストの指示のもと、換気扇の油汚れを落とすのだ。
テーマパークから帰った子供たちは、親の手伝いをするに決まっている。
今回大掃除に成功したわけだが、次に帰る頃にはまた実家は汚くなっていると思う。
見つけてしまったが、パンについてきたシールを適当にとっておくようでは駄目だ。人からの貰い物も躊躇なく捨てるようにならない限り、家はきれいにならない。
できる人間がしなければいけないのだ。この場合のできる人間とは、せずにはいられない人間という意味だ。
できる人間には、それができてしまうという限りにおいてしなくてはならないという義務が生じる。
母親は疲れ果ててできなかったのだ。父親も妹もまたそうだった。自分が恩返しをしなくて何になろう。
できる人が黙々とすればいい。これは掃除に限らず全てにおいてそうだと思う。人への気遣いとか、オリンピック競技の選手とかもそうなのかもしれない。
できてしまう人間はできない人間に対し、それができてしまうという限りにおいて、その行為をしなくてはならないのかもしれない。
なぜならできるということだけで、その人は恵まれているからだ。そして自分は完全に恵まれてしまっていた。全て家族のおかげだった。
帰省の折にたったの一度、大掃除をしただけで何を偉そうなことを、と思う。
盆は大掃除以外には何も素晴らしいことはなかった。祖父母や両親の老い、そして死の予感をひしひしと感じた。
自分はと言えばしたいことも欲しいものもなく、友人と会いたいとも遊びたいとも思えず、貯金への欲望があるのみだ。
自分もまたこうしているうちに死んでいくのだろう。ゆっくりと。その場所はごみに溢れているかもしれない。
だが自分は抗いたい。祖父母や両親の死は避けられない。しかしその最後の時まで恩返しをしたい。だからよい洗剤を探す。収納方法を極める。できることはなんだってしてやる。
・自分が想像以上にオタクであり、オタク趣味が第一になっている
・それを基本邪魔されたくない
・それを分かち合えなくてもいい(分かち合える仲間として妹がいること)
・分かち合えなくてもいいけど、相手も何かしらのオタクで、それについてたくさん語ってほしい(違う趣味世界を持っていたい)
・ただし、自分のオタク趣味を理解してもらわなくてもいいけど、バカにされたくない
・妹が彼をそんなに好きじゃない。彼も妹ばかりと遊ぶ、と私にネガティブな指摘をすること。
・彼は子どもがほしい
・私はよく分からない。ただし賞味期限は切れそう。ほしい時期もあった。
・私が子供いた方がいいな、と考えるのは自分のためではなく親が孫ほしいだろうな、という想像のため。自分本位ではない。
・彼は性格がよく、周囲の評判も良い。故にかなり結婚への期待を友人先輩後輩から言われる。
・楽しいけど、たまに、ん?となる。
・ベタベタとかイチャイチャとか正直ほんの少しでいいけど、向こうはそうではない。
・セックスも正直どっちでもいい。
・オタク趣味に理解は示していても、会話があまり通じないから話さない→妹とばかりになる→めんどくさいことになる(ネガな感情を生む)
・別れることも考える。が、本当にそれで良いのか。
・彼を不幸にするのはいやだ。
・馴染みのある人で、こういう関係になれる人はもう二度と現れないと思う
・もし子供がほしくなる、もしくは親に孫を見せたい感情が強くなったときにどうしようってなりたくない
・周りの期待を裏切るどころか、友人が一気に減る。会うのが気まずくなる人が多数。
・だが別れないならこのもやもやを抱えたまま結婚、ひいては子育てできるのか。愛情を本当に注げるのか。無責任なことはしたくない。
・妹に孫は期待できない。(そういうタイプ故。)
・彼女とは年の差があるので、彼女の感じ方と私では差異があまりにでかい。が、向こうはわからないのでお構いなし。
・妹が彼を好きでない(無理、と言われた)のは正直なところキツイ。いろんな意味で。
・心の何処かでもう一人でもいいや、と自暴自棄になってるけれど、数年後に後悔すると思う。
・自分も含めて周りも不幸にしたくない。彼、親、、。
湘南美容外科の永久脱毛が人気の秘密って?口コミから徹底解剖!!
湘南美容外科クリニックってテレビでよくCM見ますね。最近の美容外科はほとんど脱毛を扱っているんですね。2000年に開設されたという事はまだ新しいのかな?
こんなにクリニックの数が多いとは・・・。調べてみたら電車で30分ほどのところにあってびっくりです。全然気づきませんでした(笑)
ワキ脱毛5回1,000円って、医療用レーザー脱毛なら完了してしまうのでは・・・。無制限の3400もお得だと思うけど、私なら5回の方選ぶかな(笑)
全国どこのクリニックにも行けるなら旅行とかと予約の日時合わせたらかなり遠くにも行けるってことですよねー。そんなことしないですけど。脱毛の痛さが気になるけどそうでもないのかな?ウルトラ美肌脱毛、名前からして気になります。
パウダールームが嬉しいかもしれないです。今通ってる脱毛サロンなくて地味に不便なんですよね(^^;)脱毛サロン通ってるなら乗り換えトライアルがある・・・。
脱毛するなら背中かなぁ。効果が感じられなかったら全額返金っていうのが安心です。背中を脱毛するならシェービングできないからシェービング代取られちゃうな。仕方がないか・・・。
これは、反撃できない対象にむかってする一方的なイジメなのだということにやっと気づいた。
自分の愚かさを恥じる。とても自己嫌悪。気づくのが遅すぎる。子どもか俺は。
みんな、悪気があってやっていないだけ、本当にタチが悪い。
少し検索したら、「淫夢ネタは同性愛者への親近感が生まれて良い」と言う人までいるらしい。
みんなが早く、俺みたいに自分がやっていることの異常性に気づきますようにと願う。
※追記
沢山のトラバ、ブクマ、ブコメ、ありがとうございます。
どなたかが仰ってくれたように、このエントリが少しでも拡散されて話題になり、淫夢ネタ含む、個人を一方的にネタにして面白がる風潮が少しでも減ってゆけばと思います。
はてなではもとより否定派の方が多いようですが、インターネット上にはそうではない方が多数いるはずです。
『笑えなくなったきっかけは?』
直接のきっかけは、
何気なくみたYoutubeの動画のコメント欄に、淫夢ネタの画像をアイコンにして、淫夢ネタのハンドルネームを冠し、淫夢ネタの言葉遣いでコメントをするアカウントが、何十と並んでいるのをみて、とても異様に感じたことです。
おそらくこの感覚は、淫夢ネタをもとから面白がれない人にとっては当たり前のものなのだろうと思うのですが、突然、感じてしまったのです。
飽きたというより、「今まで俺はなにをやっていたんだ…」と自己嫌悪に陥る感覚です。
このような疑問を示すコメントをいくつか見かけ、冷静に少し考えてみたのですが、うまく言語化できません。
ただ、
「方言がキツい地方出身の方の喋り方を面白がっていじる」とか、
「太っている方の体型を面白がっていじる」とか、
その人が持つ、他とは少し変わった格好悪いパーソナリティにフォーカスする系の、いわゆるイジメと変わりません。
そもそもそれを面白がる神経を疑う、と言われても弁明できません。
ひいきの動画投稿者がいるというよりは、ランキングでトレンドになっているものをなんとなくみるタイプの視聴者です。
現在、カテゴリ合算24時間総合ランキングをみると、トップ10のうち、4つの動画が淫夢に関連のあるネタ動画になっています。
ブコメでも言及されている方がいらっしゃいますが、ゲームのRTA(リアルタイムアタック)動画は、淫夢ネタを全面的に使ったものが数多くあるなど、ゲーム実況、音MAD等、ランキングにあがるような人気動画にこのネタが盛り込まれることは非常に多いです。
自分は得をしているつもりで、実のところ無駄に時間を浪費しているだけのハイエナのようなつまらない人間だということに気づいたからだ。
金がなかったので、一銭も使わずに膨大な量のアニメや漫画、AVを見ることが出来るP2Pは最高のソフトだと思っていた。
ファイル配布サイトに上がっているコンテンツをダウンロードしては消費し楽しむことを日課のように繰り返してきた。貯まったファイルを半ば財産のように、愚かにも人に見せることすらあった。
ある程度金回りが良くなってからもP2Pソフトを使い続けていた。それ以外のコンテンツ体験が分からなくなっていた。無料で楽しめるコンテンツに金を払うことがバカバカしくなっていたということもある。
ある時、ダウンロードした音楽が非常に良かったので、学生時代のノリで後輩に送りつけた。
反応は微妙なものだった。彼はもう自分の金を払いコンテンツを消費するようになっていた。
その時から自分の損得勘定がおかしいということに気づき始めた。
私は金を払わないから得をしていた気になっていたが、同時に何も生み出さない阿呆になっていたのだ。
無料で得たコンテンツはもちろん金はかからないが、時間はかかる。その時間は何も生み出すことはない。無料のコンテンツなので元を取ろうと深く読み込むこともせず、得られたものをアウトプットして誰かに貢献することもない。
もしAVをダウンロードせず生身の女性にアタックしていたら、もしアニメをリアルタイムで見てTwitterで実況するなどして友だちを作っていれば、自分自身が面白い人間になれていたかもしれない。
被害者のようなツラをしているが、自分はコンテンツ制作者に対する加害者である。というかそれでしかない。
学生時代は未熟で、コンテンツの向こうに製作者がいるということをあまり理解していなかった。コンテンツではなく、製作者が私を楽しませてくれているのだ。そこにはきちんと見合った対価を払う必要がある。
P2Pは麻薬だ。ただコンテンツを楽しむ生活は虚しいが楽しい。スパッと辞めることは難しい。まずはソフトを消して、ダウンロード済みのコンテンツを楽しみながら消して、余裕がある範囲で購入していくつもりだ。少しでも罪滅ぼしになってくれればと思う。
お返事、ありがとう。一行目から優しくてちょっと泣けてしまったよ。
一般的に女性は感情的とくさされるから人に気持ちを伝えるときは論理的であるよう強く心がけないといけない、という警戒心が自分の中にあって、辛いとか悲しいと怖いとか、シンプルな表現を夫に対してしていないような気もする。それでも気持ちが高まると涙だけは勝手にこぼれちゃうんだけど、そうすると夫が「泣くな!」って怒ってしまうんだよね。涙は止められないから困る。涙が出ること=夫を避難している、ではないんだけど、きっと責め立てられように感じて彼も辛いんだろうね。
昨日夫が作ってくれた夕ご飯、正直美味しくなかった。あの人は作業が雑で食感や見た目を気にしない。美味しいよ、ありがとうって伝えながら、野菜の筋をこっそり吐きだして食べた。私が考え、心配している将来に向けての家族計画や資金繰りなんかも、この人にはそもそも見えていないんだろうなっって思ってしまう。オクラの産毛が見えない人に、老後の不安が伝わるわけがない。公園から子供の声が聞こえるたびに妻が苦しい気持ちになっていることに気づくわけがない。
そこに問題があることに気がついていない人に気づきを与えるには、正面から不安を打ち明けるしかないのかな。恐怖で人を動かすみたいで、好きな人に対してはやりたくない方法だけど、このままじゃ私がいつか夫を一升瓶とかで殴りそう。
やっぱり、私誰かに話を聞いて貰いたいんだと思う。聞いてくれてありがとうございました。
胃腸炎になって、吐き気はないが水様便が一昨日辺りから全くとまらず、水分をとっても、撮った以上にお尻から出ていく感じが続いてた。
おしっこも48時間以上でておらず、熱もないのに関節や頭が痛くなり、さすがに不安になり病院へ。
おしっこ48時間出てなくて…と言った段階で、「それは嘘でしょ(笑)全く出ないとかないでしょ」と医師に言われた。
なんやかんやで最終的に点滴して輸液することに。
かなり丁寧な看護師さんが、「あまり早く滴下すると、動悸がして苦しいことがあるから、何かあったらすぐ呼んでくださいね」と慎重に点滴の滴下スピードを設定して去っていった。
更に数分後、医師が見に来る。「こりゃ遅いな」と言いながら素人目に分かるほど滴下速度を上げて去っていった。
その2、3分後のこと。
急に左胸が鷲掴みにされてるように痛い。背中も痛い気がする。息がなんだか苦しいような。
動悸はしないし、痛いのも胸の比較的上の方だから、心臓とは思えない。でも過呼吸になりそうで、丸まった体制で寝てることすら辛くなってきた。
ぐったりしたまま、測られ医師のもとに報告しに行く音が聞こえた。
と言いながら速度を落とす。
内心、おめーだろ!早くしたの!と思ったけど言う元気もない。
設定を変えて三分程後、また二人で見に来た。だいぶ落ち着いてきていたがまだ違和感があり、体が緊張して変な体勢でしかいられない。
看護師だけが残り、「ごめんね、ちょっと早かったかな…」と謝る。
あなたじゃない!と言いたかったが、医師に聞こえるのが怖くて言えなかった。
「普通は平気なんだけどねー、若い人は。よっぽど脱水してたんじゃない(笑)」
48時間おしっこでないって言っても、疑ってかかり、滴下速度やたらあげて調子がわるくなったら「お前が脱水しすぎ(笑)」とは何事であろうか。
医師的には、その日他の患者の胃カメラなどもあり、忙しかったようで、早く終わらせたかったようだった。
元は、倍量入れる予定だったが、時間がかかるためか、500ccでとりやめられた。
後から調べたら、スピードを落として入れた時くらいの速度が適当らしく、あまりに早いと年寄りなんかは心不全を起こすこともあるらしい。
今まで何度も点滴をしてきて、「速度が早いと動悸が起きる場合がある」なんて事前告知初めてだったが、そんな風に伝えるあたり、おそらく過去にも似たようなことがあるのかもしれない。
実際のところ、私が脱水しすぎていて、普通なら平気な速度だったのかもしれない。だから、100歩譲ってそれは仕方ないとしても、自分でスピード早めておきながら、看護師の前ではあたかも看護師の設定が早すぎるように言い、隙を見て私のところに来て、「普通は平気なのにね」と言いに来る人間性が恐ろしい。
胃カメラや大腸のカメラもやってる、比較的専門性の高いクリニックのようだが、あんな医師に内臓に機械ぶっこまれるなんて絶対イヤだ。