はてなキーワード: 気づきとは
もう何年も前に終わった話。
でも、同じことで苦しんでいる人のために書き残しておく。
ストーカー騒動の時に、しっかり対応してくれた会社には感謝している。
個人や会社を特定するのは無理だろうけど、話の大筋は変わっていない。
部署によっては平日だけのところもあれば、土日祝も営業しているところもあった。
そして相手の部署はフリーアドレスを採用していた。だから、座席を毎日自由に変えられた。
そういったこともあって、付け回されているのに気づくのが少し遅れた。
挨拶をする相手も多くて、その時点ではただの丁寧な派遣さんという印象だった。
ストーカー本人に、休日は何をしているかと聞かれて「旦那とデート」と答えたことがあるから、知らないはずはない。
これも本人の口から聞いたし、他の人も言っていたから確実な情報だ。
ストーキングに気づきはじめたのは、勤めはじめてちょうど1年経った頃。
会社にも慣れて、どの部署が何をしているか、その人がどういう仕事をしているのか。
そういったことが、おおよそ理解できた時期のことだった。
他の人と比べて、挨拶する回数が多過ぎた。
ある日、会って挨拶する回数をカウントしてみたら20回を越えていた。他の人は多くても8回だったから、あきらかにおかしかった。
そして、少しずつ馴れ馴れしくなってきてもいた。
ただ挨拶を交わす相手だったはずが、ある時期から肩を叩いてくるようになった。
軽く叩くだけだったけど、なで方が変というか、どこかねっとりとしていて気持ちが悪かった。
何となくブラ紐の位置を確認されている感じがあって、この時点でようやくヤバイ相手だと認識するようになった。
いちいち体をさわってくるから、こっちとしても会いたくない。
だから、相手がいる場所をできるだけ避けるようにしようと思った。
経理席は、給料情報の他にも個人情報が山ほど置いてあるから、そこだけパーテーションで区切られていた。
そしてストーカーは、いつもパーテーションの出入り口を確認できる場所で仕事をしていた。
これは確実に見張られている。
そう思って、その日はお腹が痛いとウソをついて、タイムシート回収の仕事を同僚に頼み、一日外に出ないようにした。
出るのはお昼の時だけ。
ストーカーは、私が一人でいる時しか寄ってこないから、休み時間は同僚と行動を共にした。
今日はやり過ごせたなと胸をなで下ろし、ちらっと時計を見た時、パーテーションの隙間に黒いものが見えた。
あんなとこに何かあったかな?と見てみたら、それはストーカーの目だった。
私が外に出てこないのに焦れたのか。休みか早退とでも思ったのか。私がいることを確認しにきたらしい。
青いパーテーションの間から見えた目が不気味で、背中に鳥肌が立った。
正直なところ、何で私が狙われているのかわからなかった。
経理には、モデルかアイドルかという評判のかわいい子がいて。社内の男性は、ほとんどその子狙いだった。
その子が狙われるのなら、きっと誰でも納得するだろう。
けど、30過ぎた既婚者の私が狙われる理由が、この時は全然わからなかった。
なるべく一人にならないよう。
経理席の外に出ないよう。
用事で出たとしても、基本は駆け足で移動した。
経理は、たくさんの締め日と締め時間があったから、走っていても違和感がない。
でも、ストーカーの部署はそこまで忙しくないから、もし走っていたら違和感がある。
もし走ってついてきたら、誰かがおかしいと気がついてくれる。
そう信じて、1ヶ月くらい走りながら仕事していた。
自分でも、うまくやり過ごせていたと思う。
視線を受けているのがこんなに疲れるなんて、思ってもみなかった。
外で同僚と一緒に作業していても、触れるか触れないかという距離を歩いていく。
ストーカーの足音は独特で、また来たというのがわかってしまう。
一人でいるところを見つかれば、ものすごい勢いで歩いてくる。
慌てて知り合いに声をかけ、どうにか立ち話に持ち込むと、ゆっくりゆっくり時間をかけて隣を歩いていく。
怖くて、気持ち悪くて。
会社に行くのが嫌になって辞めようかと思い、ついに上司に相談した。
はっきり言って相談するのは嫌だった。
30も過ぎたというのに、人間関係のいざこざを処理できないことが恥ずかしかったし、情けなかった。
すごくいい上司だったから、呆れられてしまうんじゃないかと思うと、なかなか言い出せなかったのもある。
「もっと早く言いなさい」と私を叱って、すぐに部署会議をはじめた。
まず仕事の割り振りを変えてくれた。次の日から、私は経理席から出なくていいようになった。
いつも誰かが私といるように配慮してくれて、シフトまで変更してくれた。
そして「こういうのは、大ごとにするべき」という方針を立てて、上に掛け合うために経理全体で証拠を集めることになった。
私は「なんとなく見られている」というのは、とても証拠にならないと思っていたけど、上司の考えは違った。
就業中は、経理全員がテキストファイルを起動し、その人の動向を記録していく。そうすれば、必ず異常性が浮き上がってくると言っていた。
○○:×× 経理席の前を通り過ぎていった。
○○:×× 経理席の前で印刷したファイルを確認していた。ちらちらと増田さんの席を見ている。
こんな感じの記録を10人がかりで残していった。
最初、1週間続けるという指示だったけど、2日目で方針が変わった。
なんとストーカーは、多い時は2分に一回のペースで私の姿を確認しにきていた。
こりゃまずいぞと、上司が私を引き連れて、ストーカーの上司とかけ合ってくれた。
10人で残したメモを見た相手の上司は、「これは……」と言ったまましばらく黙って、どこかに電話した。
この人達に事情を話して、PC経由でもっと証拠を取れないかと聞いてくれた。
どうやら派遣会社に掛け合うために、動かない証拠が欲しいようだった。
すると、システム管理の係長が、試したいソフトがあると言ってきた。
そして、離席する時はノートPCをスリープにするという規則があった。
ストーカーのノートPCに、フリーアドレスを利用して、サボっている人がいないかと確認するためのソフトを入れたい。
いろいろと難しい説明だったから私には理解できなかったけど、それを入れたら、ストーカーの離席の頻度がわかるという話だった。
表向きはアンチウイルスソフトのテストで、各部署の数人だけランダムに選んだということにして、ストーカーのノートPCにインストールした。
そこから2週間の間。
ストーカーがよく覗きにくるパーテーションの隙間は、上司がどこからか持ってきた広報用のポスターで全部潰した。
ストーカーの上司のはからいもあってお昼時間もずれたし、シフトの情報共有もあったから、お互いの出勤日が被らないようになった。
結果は黒。というか真っ黒。
私の休みの日のログだと、1時間のうちに5分も離席していなかった。
ところが私が出勤していると、1時間のうち40分も離席していた。
ストーカーの上司は即座に派遣会社の担当を呼んで、ストーカーの勤務実態を伝え、月末で切ると通告した。
私に害があってはまずいからと、基本は離席時間の多さからのサボりということで呼び出し、もう今月で辞めてくれと言ったらしい。
そうしたらストーカーは「ただの休憩です。最近、友人関係で悩んでいて……。今後は改善するから辞めたくないです」とすがりついてきた。
派遣の担当も「必ず改善させる。せめて契約期間まではお願いします」と言ってきた。
それで仕方なく、あくまでストーカーの上司が気づいたという体で「いつも経理席の近くをうろついているのはなぜだ?」と聞くことにした。
最初は、一向に口を割らなかったけど、じわじわと証拠を出して追い詰めていったら、やっと「増田さんと仲良くなりたかった……」と言い出したらしい。
私は、他の人にもするように単に返しただけだったけど、ストーカーにとっては「俺に気があるように笑っていた」ように見えたんだとか。
ストーカーの上司が、「お前、嫁さんいるだろう?」と聞くと「会社のことは嫁には関係ない」と。
そして「増田さんならわかってくれる。彼女と話したいから呼んで欲しい。彼女の誤解がとけて仲良くなれば、もう仕事中に離席はしないから、このまま働かせて欲しい」と意味わかんないことを言ったらしい。
それでストーカーの上司が激怒して「会社は仕事する場所であって、不倫をする場所じゃない!」って、その日に派遣切りして終わった。
派遣の担当者はもう頭を下げまくって、ストーカーの荷物を一緒にまとめて引き取って行ったとか。
いちおう誓約書のようなものも書いてもらったとは聞いたけど、私には見せてはもらえなかった。
ストーカーは社内の付け回しだけで、勤務後は追いかけてきてなかったからこっちの住所バレはしていない。
しばらくは派遣会社内で働かせて監視する。もし、逃げたらこっちにも連絡すると言われて以降、まったく連絡はなく。1年経ってから念のために確認したら、まだそこで働いているということだった。
これについては感謝してもしきれない。心からありがたいと思っている。
もし、いまも社内ストーカーに苦しんでいる人がいれば、メモでいいから証拠を残すことと、一人でも多くの味方を作ることを勧めたい。
会社って逃げ場がないから、悩んでいる間に追い詰められていく。
気がついたら、声を上げることが難しくなっていたりするから、早めに動いた方がいいと思う。
「勘違いかもしれないから、一緒に確認して欲しい」って言えば、協力してくれる人が出て来る。次から、悩む前にそう言って味方を作れと上司に言われた。
同僚がFacebookをやっている人で、ストーカーが派遣切りされた日に、なんとなく検索したらアカウントを発見し、記事を読んだらしい。
そうしたら、その日の夜に嫁さんと仲良く食事している写真がアップされていた。
私のことをストーカーしている期間も、ずっと嫁と仲良くしている写真がアップされていて、友達からのコメントは「相変わらず仲がいいね!」で埋まっていたんだとか。
異常なまでに追いかけてきていた人が、家に帰ると嫁と仲良くしているのが理解できなくて、この話が一番ゾッとした。
まさに異常行動だったんだなと、そんな風に思っている。
追記を書きました。
もう付き合いきれないと着信拒否した
幸い親は無事だった、その後怒りも冷めた、けど着信拒否は解除しなかった
世間話すらまともにできず、趣味の話を押し付けられる一方の付き合いはもう面倒なだけだった
スマホの機種変更、不具合による初期化のタイミングで着信拒否が外れてしまい、連絡があって気づき、設定し直す
昨日も連絡が来ており、そういえば春に機種変更したんだったと思いながら拒否に登録した
忙しいのかと問う文面に、これでも伝わらないのだなと驚いた
もう1年になるのに
電話ではっきりと怒りを伝え、その後の連絡は完全に断っているのに
拒絶されているという理解がないんだなと
ふと簡単な連絡くらい返そうかという気分になったりもするけど
今までの面倒なあれこれを思い出してやめた
社会学がどういうものかを知りたくて、こちらの本を読みました。
https://www.amazon.co.jp/社会学の力-最重要概念-命題集-友枝-敏雄/dp/464117430X
結果・・・、世間の社会現象を、どれだけ難しくそれっぽく語るかを競い合う学問のようでした。
社会学者とか、社会学部とか、あんなことを、あーでもないこーでもないとやっているわけですか??
いやいやいやいやいや(笑
社会学がバカにされたり、社会学のマスターディグリーは最も価値がないとか欧米で言われていたりするのに納得してしまった。
上記の書籍を読んでいて、気づきになるようなコンセプトや視点も、時折ありました。
実際、社会の役に立っている分野は確実にあるのでしょう。
しかし、私には、その書籍の内容については、8割がた、しょーもない役立たずな議論・理屈にしか思えませんでした。
実際、内容が想像以上に抽象的で、とても難しく、理解がなかなか追いつかないことのほうが多かったです。
なので、専門に勉強されている方は、これらを紐解く能力があるのでしょう。
元増田の告白からクリニカルリサーチ東京病院(CR病院)の問題点をざっと挙げてみた。
CR病院の対応は、決められた法令の不遵守が疑われるレベルだと思う。
被験者(参加者)の故意による治験の手順からの逸脱をでっちあげようとした。
これにより、CR病院に落ち度はなく、偶発的な事象して記録すると同時に異常値として解析データ不採用に仕向けようとした疑いがある。
治験において金銭授受はあるが、それは謝礼ではなく被験者の負担軽減目的として支払われる。しかし、その金額や支払いで治験参加を誘引してはならない。また検査の結果にかかわらず、治験を完遂した場合には全額を支払われるもので、減額を含めた支払い条件は同意説明文書に記載されている。
治験は参加者の自由意思に基づく書面での同意が必須であるが、その同意が強要されてはならない。しかし、負担軽減費の支払い条件の変更を口頭同意で強要したことが伺える。
参加者は同意説明文書という、治験に関する情報を網羅した書類が必ず渡される。治験薬や治験を依頼している製薬会社の情報、行う検査の内容、メリット・デメリット、参加者の権利などが細かく書かれた書類だ。
2015年時点では、この文書に製薬会社名を入れることはほぼ全国的に共通である。特に治験専門病院であるCR東京で採用していないわけはない。おそらく、増田が製薬会社名を尋ねた時点で同意説明文書を手元に持っていないことを気づき、自分に有利と判断したと思われる。
ところで、ブコメから治験薬とプラセボを取り違えて投薬したのでは?とあるが、おそらくこれはない。
なぜなら、もし投薬違いがあるとすれば、プラセボ投与集団から薬物が検出されるからだ。
しかし、プラセボ集団からは検出されなかったから、病院側が慌てて増田に詰め寄った。(そもそもプラセボ使っていない可能性大)
10日間の入院×2回ということから、1回の入院中に複数回飲んだ試験と思われるが、増田の血液から一切薬物等が検出されなかったのだろう。
この場合考えられるのは、
の2パターン。
前者は通常飲んだことを確認するために、口の中を舌の裏やほほの内側まで懐中電灯を当てて調べるし、その記録に残すので可能性消去された。
しかし、意図的に嘔吐して薬物が吸収されないようにする非協力的な参加者がまれにいるのも事実で、複数回飲んだにもかかわらず薬物が検出されなかったために、服用後短時間で吐いたと増田に疑惑の目が向けられたと言える。
元々、治験薬とプラセボ(使っていたとすれば)が入れ替わっていた可能性もあるが、その線もほぼない。
これも同様の理由で、一組だけ入れ替わっていたとすれば治験薬なのにプラセボグループに使われた薬の存在が問題になる。通常の製造工程から考えて、1剤だけ治験薬のラベルが貼り間違えられたことも考えにくい。(※Phase1なので非盲検・単盲検が前提)
元増田が負った怒り・不安・失望に対して、一業界関係者として申し訳なく思う。
増田のように健康なのに治験に参加してくれる人がいるおかげで、すべての薬は世に出てきた。
この先、増田が飲んだ薬が世に出るかどうかは分からないが、それを必要としている患者がいるのは事実で、増田の協力を無碍にしたことをお詫び申し上げたい。
治験はモルモットと言われてしまうのは仕方がないと思う。治験とは、治療のための試験だからだ。
だからこそ、参加してくれる人の安全確保と参加の意思の尊重を大原則に治験を行うことで、医療機関や製薬会社他、業界の関係会社・団体は参加者を守ってきたし、それがブレることはない。
※この話は作り話です
20代の若い頃、不倫をしていた。相手は30代後半のおじさん。今思うと、あんなおじさんのために若い頃の時間を使うのは本当にもったいなかったと思っている。
あのおじさんはいつも奥さんの愚痴ばかりを言っていた。そして、奥さんと比べて私がいかに素晴らしいのかを滔々と説いて、最後に寂しい子供のような顔をした。
それで私はその気になってしまった。この人の孤独を救うのは私なのだと思い込んだ。そうして、不倫の関係が始まった。本当にあの頃の私の頭をぶん殴ってやりたい。
私は、あのおじさんがいつか奥さんと別れて私と結婚してくれるのだと願っていた。おじさんの口から聞く奥さんとの関係はすでに破綻していたし、おじさんは私に夢中だと思っていた。愛があるのだから結婚できるということを疑っていなかった。
けれども、おじさんの身辺から不倫が奥さんにばれた。そして、話し合いの場に私も呼び出された。
私はそれならそれで奥さんに逆三行半を突きつけるチャンスだと思っていた。当然、これからおじさんと私で一緒に生きていくので離婚しましょう、という話になるものだと思っていた。
おじさんは奥さんにものすごい勢いで謝り始めた。出来心だった、遊びだった、一度も本気になったことはない、許してくれ、そんな言葉のオンパレードとともに、私のことを下げることを山ほど言った。私を口説いたとき、奥さんを下げて私を上げてその気にさせた時とは正反対だった。
そこで私は、自分がとんでもない見込み違いと勘違いをしていたということにようやく気づき、急に恥ずかしくなった。
奥さんはやたら喋るおじさんに少し静かにしていて、と言って、私に向き合ってきた。
奥さんは静かに言った。
まず、自分は夫を許す気は無いということ。そして、だからこそ離婚はしないということ。離婚はしないしあなたはまだ若いからこんな男に引っかかったのだろうから慰謝料の請求はしないということ、ただし関係をすっぱり切ってもらうことが条件だということ。
そうしたことを静かに話す奥さんを見て、私は、ああ、この人にはかなわない、と思った。だから、その条件を素直に飲んだ。
あのおじさんは離婚はしないと言った奥さんに対して、ありがとうありがとうと何度も言っていたけれど、きっと奥さんの言っていることの意味がわかってないんだな、と思った。
そしてその日以降おじさんとは連絡を取っていない。おじさんの方からは何度かコンタクトがあったけれど、全て無視した。というか、ここまで頭の悪い男だとは思ってなかったので本当に幻滅したし、そんなおじさんに夢中になっていた自分にラリアットをくらわせたい。
そして後悔としては、あの物静かで強い奥さんに修羅の道を歩ませることになってしまったことだ。いや、その道を選んだのは奥さんなんだけど、その道に続く扉を開いたのはあのおじさんだけではなく私も一緒だったのだ。
本当にこの点は後悔しているけれど、それを償おうとすることもまた罪なのはわかっているので、私はこの後悔を一生抱えて生きていくことになるだろう。
節約生活を楽しむ人はたくさんいますが、本気で生活が苦しくて節約生活をせざるを得ない人達もいるのが現状。
けれども、独り暮らしでシンプルな暮らしをすれば、月10万円くらいで生きていけるということ。
もちろん、住む場所や環境によっては難しいですが、地方住まいならば月10万円で十分に楽しく生きていけます。
そんなシンプルかつ楽しい節約生活の方法を具体的に書いていきますので、参考がてらに読んで頂ければ幸いです。
節約生活をしても人生が楽しくならないのなら、それは無駄な節約生活かもしれません。
お金は残るかもしれませんが、人生に素晴らしい足跡は残りません。それでは一体何のために生きているのかがわかりませんよね。
シンプルに今現在必要のないものは「買わない・持たない・貰わない」を守りましょう。
節約生活を始めるのなら、まずは使わないものを整理するなり、捨てるなりしてはシンプル部屋(シンプルライフ)をとことん目指すのがおすすめ。
何もない殺風景な部屋は心が病みそうですが、基本的にはそれに近いものでOK。ミニマリストなども流行っていますが、そのようなブログサイトを参考にするのもいいですね。
自分自身の部屋を確認すればわかりますが、家の中にある8割の物は使っていないことに気づきます。
埃が積み重なっている古い持ち物もあることでしょう。
節約生活を始める前に、ぜひそのような古い持ち物を確認しては潔く捨てたいものです。
理想のシンプルライフでの月10万円の内訳といっても、これが正しいという訳ではありません。
基本的にはこのくらいのシンプル節約生活が理想。成人の人間が独りで生きていくのなら、これくらいの内訳で十分に生きていけます。
贅沢をするのは自由ですが、その贅沢の感覚も本当に人それぞれ。
何が贅沢でどのような生活が質素なのかは感じ方しだいですからね。
節約生活の達人になれば、月10万円以下のシンプル暮らしも可能でしょう。
けれども、何ごとも無理は禁物ですし、節約疲れで人生を疲弊することほどバカらしいのもありません。
「月10万円では生きていけないよ!」と嘆きたくなる人もいるでしょう。
そういう人はまず、ガチガチにコリ固まった先入観を取り除くことが大切。節約生活に限らず、まずはやってみなければわかりませんからね。
やってみると案外月10万円以下で暮らせるかもしれません。それならと、浮いたお金で旅行に行くなり、美味しい物を食べるなりして人生をもっと楽しめます。
ブログを始める人は多いですが、ブログを途中で辞める人はそれ以上に多いのも事実。
ブログを辞めてしまう原因には様々な理由がありますが、その中でもブログの楽しさや面白さを理解できないということ。
ブログを書くことが楽しければブログを辞めてしまうことはありませんし、面白ければ面白いほど続けていくもの。
けれども、大半の人達がブログを辞めていく中でブログを書き続けられる人は、一体どのような思考で書いているのでしょうか。
私の自論では、ブログの楽しさや面白さは書けば書くほど感じるようにはなるけれど、その先がまた難しいということ。
とりあえず、詳しい内容は以下の通りです。
ブログは継続すればするほど書くことがなくなっていくのは否めません。
だからこそ、日々何ごとも記事にするという意識が大切なのですが、常にブログのことを考えて生きるのもまた疲れます。
心の底からブログを愛しているのならばそれらの思考も苦になりませんが、ほとんどの人達はブログ以外にも人生を楽しむ術を持っています。
もちろん私自身もブログ以外の楽しみは持っていますし、ブログが人生の全てではありません。
けれども、ブログの楽しさや面白さはこのような思考の繰り返しをしては、約2年の期間で気づくのではないでしょうか。
少なくとも私自身は約2年間でブログでの本当の意味の楽しさを知りました。
ブログでの本当の意味での楽しさとは、ブログを通じて様々な人達と出会えるということ。
実際に会うことも可能ですが、ここでの出会いはSNS(ツイッターやフェイスブック)等で出会うということ。
このブログでのコメント欄での出会いもありますし、ブログを書いていなければ繋がらなかった人達もたくさんいます。
学生時代での移り変わりの激しい人間関係にも似ていますが、それがまた出会いの楽しいところ。
ブログを通じて出会う人には色々な人がいますが、そのほとんどは「勉強」と「気づき」を与えてくれる人ばかりですね。
ブログの真の面白さを知りたければ、多少辛くてもブログ記事をドンドンと書いていきましょう。
駄文でもつまらなくても気にしないこと。誰も読まなそうなブログ記事でもとにかく書いていきます。
来る日も来る日もブログを書き続けていくと、一体何のためにブログを書いているのかがわからなくなっていきます。
それでも書き続けるのです。ひたすら書き続けるとどこかの時点で良い意味で開き直れます。
そうなればしめたもの。そこからさらにブログを書き続けるのですが、ここからは真のオリジナリティの記事を書きましょう。
真のオリジナリティの記事とは「あなた自身」にしか書けない文体と内容のブログ。
文法や正しい書き方などはあまり気にせずに、思いのままでブログを書いていきます。それを継続していくとどこからともなく嬉しいファンがやってきます。
運が良ければコメントを頂くこともあります。中には誹謗中傷にまみれた見たくないコメントもありますが、それでも書かれることは凄いことです。
逆の立場で考えればよくわかりますが、誹謗中傷コメントを書く時間を作るのも実は面倒くさいですし、余程のことがない限り書きません。
だからこそ、内容に関わらずコメントを書かれることは素晴らしいことだと理解しましょう。
ブログをできる限り継続したい人は、ブログの楽しさをまず知ることが大切。
ブログの楽しさや面白さを知るためには、とにかくブログを書き続けなければなりません。矛盾しているようですがこれがブログ継続の全て。
気負わず、臆せずに好きなことをブログ記事にするのは素晴らしいのですが、それこそが実はブログの難しいところ。
好きなことをブログに書くのは簡単なようで、なかなかできることではありません。実際に書いてみればわかりますが、書けたとしても数ヶ月がオチでしょう。
伊藤氏本人は勿論のこと、相手の女性も既婚者と分かって付き合っていた以上、伊藤氏にどう言い含められたにせよ責任がある。
でも奥さんに咎はないでしょ。少なくとも家庭不和は不倫の免罪符にならない(何年も別居していて事実上破綻しているなら別だけど)。それなのに夫の情けない姿を晒されるのみならず、奥さん自身のプライバシーに関することを暴露されまくっている。奥さんの仕事に与える影響も小さくなさそう。更に自宅まで来て所在確認までされたらかなわないでしょ。
女性を訴えれば余裕で勝てる。奥さんは一刻も早く関わりを断ちたいだろうから、訴えたりはしないだろうけど、普通に一番の被害者だよね。
どんな事情があるにせよ、不倫というのは越えてはいけない一線を越える脱法行為なので、それをやらかす女性というのは色々問題がある。少なくともそう見なされても仕方ない。
奥さんと別れるつもりなんて言われてのぼせ上がってはいけない。別れてから出直してこいと突っぱねるのが最適解。そう言ったら去ってしまうような男はヤリたいだけのカス猿。カス猿のおもちゃにされるだけです。
極わずかな確率で略奪愛なるものが成功しても、間も無く「不倫」の魔法が解けて相手がただのおっさんであること、そのおっさんを手に入れるために社会的信用やら慰謝料やら大きなものを失ったことに気づきます(失うものがない人には何も言うことはありません)。そしてそのおっさんがかつての自分のような女性と不倫し始めて、その女性にネットに有る事無い事、更に自分の個人情報まで暴露されたりします。そしてようやく枯れたと思った頃にそのしょうもないおっさんの介護をやらされます。割に合いません。
既婚男性の皆様におかれましても、既婚者を相手にする女性にも不貞行為に後ろめたさも感じない自分にも問題があるということを今回のケースで再認識してもらって、人生捨てる覚悟がないなら不倫はやめましょう。それかまず離婚して奥さんにも女性にも誠意を見せましょう。
お互いのぼせ上がっている間はスリルやら欲やらでまともな判断ができないかもしれませんが、客観的に見たら不倫当事者はまあダサいです。
「村上さんのところ」で、不倫をするならシートベルトをしっかり締めて、みたいなことが書かれていたけど、締めたところでダサいことには変わりないし、最終的に事故は免れないです。
そもそも他人に興味がない人は感情ないロボットとして、他人の悪口や誹謗中傷を繰り返すことはしません。
他人に興味がない人は冷たい感じもしますが、基本的には孤独が好きということ。
生きている限り、少なくとも他人とは関わらなくてはいけない世界なので、完全なる孤独というのは難しいものです。
少し想像してみればわかりますが、感情ないロボットはどことなく恐ろしいもの。
そのような恐ろしい人には誰も近寄ってきませんし、付き合いたいとも思いません。他人に興味がないというのは自由ですが、わざわざそれを誇示するのはまた違います。
「私は他人に興味がない!」と口に出す人ほど他人に興味があるもの。
本気で他人に興味がない人は感情ないロボットとして生きていきます。リアルな世界は楽しくないので、想像と妄想の世界に入りやすいネットに世界に入り浸るのです。
ネット上でも相手にされないとドンドンと被害妄想を膨らましては、自分勝手なご都合主義に走ります。
こうなると本当に「かわいそう」の一言ですが、他人の興味がないので痛くも痒くもありません。
自分ルールという小さな枠の中でしか生きられないので周りには味方がいません。このような人は、他人に興味がないのに寂しがり屋なので始末が悪い。
とにかく被害妄想が大好きな感情ないロボットにだけはなりたくないものです。
答えは何となくわかりそうですが、ハッキリと文章で書くと以下の通り。
ネットの世界はそれはそれで素晴らしい居場所ですが、それだけでは生きにくいのも現実。
けれども、全く他人に興味がない人間として生きていくにはあまりにも酷な世界です。
感情ないロボットとして生きるのは個人の自由ですが、周りの人達のことを考えるとまた少し考えもの。
http://www.music-an.com/entry/composition/major
http://www.music-an.com/entry/composition/diatonic-chord
http://www.music-an.com/entry/chord-progression
上のような記事がブクマを集めていて喜ばしい一方で、少し心配になることもあったので書いときます。
こういった音楽理論の手ほどきは、小説で言えば「字の書き方や原稿用紙の使い方」、絵で言えば「画材の使い方や絵の具の特性」を教えているだけで、これを読んだだけで即座に楽曲をクリエイトできるようになるかというと、そうではない、と私は思っています。
したがって、もしこれ「だけ」を読んで曲を作れなかったとしても、あなたに才能がないとかあなたが作曲に向いてないということには必ずしもならないので安心してください。
辞書にはたくさんの言葉が載っていますが、それを全部丸暗記したとしても小説は書けません。本をたくさん読んで、いろいろな言葉の実践的な使い方と効果を知り、生きたものとして操れるようにならないと文学表現とは言えません。
絵だって、どんなに豪華な画材を揃えても、どんなに高機能なソフトを買っても、気が遠くなるほどのデッサンや模写や習作を通じて表現技術を自家薬籠中のものとしないと「うまい」と言われる絵はきっと描けないと思います。
作曲にもこの読書、デッサン、模写に相当する実践的な訓練プロセスが不可欠だと私は思っています。
もちろんそれなしでも作曲はできるでしょうが、1曲作るのにやたら時間がかかるわりにちっとも説得力のない、どこか不自然な素人っぽいものしかできないと思います。それでハッとするようなものができちゃうのはきっと一部の天才だけで、ふつうは語彙の足りない子供が書いた文章のように幼稚で深みのないものになってしまうでしょう。
具体的には「耳コピ」です。100冊の理論書を読むよりも1曲の全パートを耳で完コピするほうがずっと力になります。
もちろん、音楽理論の知識があるとないとでは耳コピの効率が段違いなので、できれば上の連載は頭に入れておいたほうがよいでしょう。上の連載がどのくらいまで続くかわかりませんが、たぶん四和音はやると思いますし、調と四和音までわかっていれば世の中の軽音楽の大半はおおむねコード進行を把握できます。
ただしジャズはいろいろ複雑なのでいきなり耳コピに挑戦しちゃだめです。「JPOPだけどジャズっぽくてステキなやつ」もだめです。ふつう「ジャズっぽくてステキな要素=複雑なコード進行」だからです。コードを複雑化させずにジャズっぽさを醸し出すことはできません。ここでは一般的なJPOPやアニソンを想定しています。
さて、コード進行を学ぶとっかかりとして、まずは好きなアーチストのアルバムまるまるひとつの「ベースラインだけ」を耳コピしてみましょう。ベースラインは基本的にはコード進行のルート(根音)の移り変わりをそのままなぞっています。コード名の頭の字のところだけ(Cm7であればCつまりド)を弾いているのです。「コードの動き方」をおぼえるには最適ですし、ベースという役割の楽しさも感じることができます。
中には忙しいベースラインもあると思いますが、そういうのはカッチリとコピーする必要はありません。こまごまとフレージングされているベースでも、ひとつのコードの「中」で動いている場合と、コード進行に「合わせて」動いている場合があります。前者の場合、たいていは小節の頭で弾いている音がルート音なので最低そこだけとれていればよいです。
何曲も何曲もベースラインを拾っていると、ベースラインの動きって意外と単純で、しかもおぼろげながら法則性のようなものがあることに気づくでしょう。もともと鍵盤などの素養がある人なら、そのうち「次はこう来るかな」とベースラインの先読みすらできるようになっていき、やがてふだん好きでよく聴いているような曲ならぶっつけでいきなりベースパートを弾けるかもしれません(ベーシスト諸氏、わかるよね笑)。
鼻歌まじりにベースラインをコピーできるようになったら、そこでコードに挑戦です。一般的な軽音楽の曲で使われているコードは、大部分がトライアド(三和音)か四和音です。上の記事で概要をつかんでおいてください。上の記事に出てこないような凝った和音は曲中に出てきてもせいぜい1、2箇所です。乱暴ですが、ベースがCを弾いていたら、「C」「Cm」「C7」「CM7」「Cm7」のどれかがまず当てはまります。曲に合わせて当てずっぽうで和音を弾いてみて違和感がないのが当たりです。
調(キー)を理解していると、当てずっぽうの精度が飛躍的に向上します。曲の調とルート(ベース)が決まると、和音はなかば自動的に決定されるからです。キーがCメジャーの曲でベースがAを弾いてたら、コードはふつうAmです。なぜなら、A(メジャーコード)の構成音であるC#はCメジャーというキーの曲には出てこないからです(たまに使うけど)。あとは7th(ソ)を足してみてしっくりきたらAm7だよね、というふうにコード名を絞り込んでいきます。話が難しくなってきたかな?
コードもベースのときと同じで、数をこなしているうちに法則やお約束、パターンが見えてくるでしょう。定石とでも申しますか。そうなればしめたものです。このとき、上の三番目の記事で説明しているⅠ、Ⅳ、Ⅴなどを意識しながらコピーしていると「違う調でも同じ動き」が見つけられるので、パターンに気づきやすくなります。たとえばキーがCの時のAm→Dm→G7→Cと、キーがFの時のDm→Gm→C7→Fは同じコード進行なのです。大丈夫ですか? ついてきてますか? まあこのへんは上の連載が説明してくれる/くれているでしょう。
こうやって、様々なタイプのたくさんの曲をコピーすればするほど、あなたの「コード進行の引き出し」は増えていき、もっとも適切なタイミングでもっとも効果的なコード進行をメロディに与えられるようになります。
どのくらいの経験を積めば満足にそれができるようになるかは、あなたが目指している音楽のタイプにもよりますし、あなたが今までに積んできた音楽の経験にもよります。エレクトーン習ってた人なんかはアッという間だろうし、クラシック畑の人はちょっと苦労するだろうし、「未経験。今カシオトーン買ってきた」みたいな人は地道に取り組んでください。
あ、上に書いたようなことができるようになるまで作曲するなと言っているわけではありません。球技でも、グラウンドに出てボールを使ってする練習だけじゃなくて、走り込みや筋トレもやるでしょ? そのノリで。
埼玉のイボンヌことわたくし、ついにその名を返上か。ファイナリー、効果的な対処方法を見つけ出したかもしれません。
思い返せば小学二年生、足の裏にイボができ液体窒素で焼かれ上げた断末魔。お医者さんも苦笑い、母は頭を抱えました。
時は経ち二十代。目頭にポツリと出来た小さなイボ。そこまで目立たないものの、よく見れば目ヤニのようでなんだか不潔。眼球キワのキワにあるために、液体窒素なんて恐ろしいものはお断わり。ハトムギ茶とかいう気休めは、休日に一週間の麦茶をまとめて沸かす習慣以外の何物も生まず、憂鬱な年月が流れました。
ところが数週間前にお土産でいただいたアプリコットオイル。どうもイボに効くらしいとのことで、風呂上がりに塗るようにしたところ、未だ目ヤニイボに変化は見られないものの、他のイボ(わたしはイボンヌ、イボがいたるところにある)が小さくなってるような気がします。
朝ドラに峯田が出ている。峯田とは峯田和伸さんのことで、彼はGOING STEADYまたは銀杏BOYZのボーカルとして知られている。現在は俳優としても活躍し、その活動の幅を広げている。
今期のNHK朝の連続ドラマ小説「ひよっこ」で、峯田和伸さんは、消息不明になった父親を追い上京する有村架純さん演じるみね子のおじ、宗男役で出演している。宗男は茨城の片田舎でマッシュルームヘアーでバイクに乗り、ロックンロールをこよなく愛する農家のおじさんで、いつも人を笑わせている。
だがその笑顔の裏には戦争の影が……というキャラクターで、先々週、宗男が上京し過去がつまびらかになるビートルズ来日編が終わった。わたしはその録画を昨日見終わって、すごくよかったなと思ったので妹にLINEをした。感想を打ち込んでいるうちにわたしは昂ぶってしまい、真っ当な感想からは外れた見当違いな見方をしていることに気づき、はっと我に帰った。
***
時は2005年、中学1年生として迎えた冬に銀杏BOYZのアルバム「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」と「DOOR」が同時発売された。
北海道新聞日曜版のCDアルバム売れ筋ランキングの4位と5位にランクインしていて、聞きなれないアーティスト名に、なんだろう?と思った。BOYSではないのか?
それからすぐラジオで「青春時代」が流れだして、彼らが小学生のときに一回だけ聴いたことのあるGOING STEADYであることを知った。お小遣いで急いで「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」のほうを買って聴き込み、いたく傾倒し、「DOOR」もそれからちょっとして買った。
当時のわたしは、Mステに出ないようなバンドをラジオで聴いてCDを買うことがカッコイイと思っていた。お恥ずかしい話、今もその気持ちはあまり抜けていない。当時全盛だったMDプレイヤーを持っていなかったわたしは、ラジオとカセットテープのプレイヤーが一緒になったかさばるガジェットを常に持ち歩いていて、銀杏BOYZをいつも聴いていた。
中学生だったということで免じて許してほしいが、当時のわたしにはセックスなどとはいった歌詞が衝撃的だった。というか性とか焦燥感とかみじめな気持ちを歌にして世に出していいとは知らなかった。だから峯田和伸さん、もとい峯田は本当のことを歌っているなという気がして、信じられると思って好きだった。
友達にもたくさん貸したし、カラオケでも歌った。もしタイムマシンがあったら、おいおい、やめてAKBとかにしておけ!と言いに行きたいが、当時のわたしは今よりもなお浅はかだったので、カラオケで皆の前で銀杏BOYZを歌い、セックスなどと口にし、ぐにゃりと曲がったような気まずい空気になるのが好きだった。
***
「カラオケで銀杏BOYZとか歌うの正直やめてほしいんだよね」
と言われた。友人にとっての色々な思い出が詰まったバンドなので、目の前で歌われると複雑な気持ちになると言う。
その時は正直
「は?」
と思った。だが今のわたしもまた、自分よりかわいい女の子の口から「銀杏BOYZ」という言葉が出るとムカつくのだった。
肌がきれいだったり目が大きかったり彼氏がいたり毎日充実していそうな自分より幸せそうな女の子が、ひとたびでも峯田と言おうものなら腹がたつ。お前に峯田の何がわかるんじゃい!なんぼのもんじゃい!と思う。何人たりともわたしのまえで銀杏BOYZの話、および峯田の話をしないでほしい。ライブに行った画像をインスタに上げないでほしい。わたしの知る限り峯田のことを一番身近に思っているのはわたしでありたい。そんな自分勝手な思いが溢れて止まらなくなる。
自分でもおかしな考えだということがわかっているので、皆さまにはどうぞ好き勝手に銀杏BOYZの話をしていただき、ライブに行っていただき、インスタに画像を上げていただき、朝ドラを見て峯田って人いい演技するな〜!などと思っていただきたいのだが、心の奥底で、やめろ〜〜〜と叫びたがっている卑小な自分がいる。
***
そんな折、先々月の銀杏BOYZのライブ「東京のロック好きの集まり」に行った。これだけ勝手なことを言っておいて恐縮だが、実は初めてだった。戦争反対ツアーは実家の近所のペニーレーン24に来ていたはずだと手元にあるフライヤーにはあるが、当時はまだ室蘭に住んでいた頃だったので行けなかった。それからも本当はちょくちょく札幌に来ていたのかもしれないが行っていない。全裸になり書類送検されたことをヤフーニュースで知ったり気がついたらメンバーが峯田以外全員変わっていたりしたがよく知らない。
わたしのなかでだんだん銀杏BOYZはあまり触れちゃいけない過去へと変わっていて、ライブも気軽に行ける感じではなかったのだ。
でももういい加減成人したし、処女でもないし、峯田は朝ドラに出ているし、いくばくかの郷愁とともに軽い気持ちでライブを楽しむことができると信じていた。
***
峯田が出てきて初めて生で峯田を見た途端に涙がボロボロ出てきて止まらなかった。ステージには本物の峯田がいて、すぐにモッシュとダイブがはじまって峯田の靴がどこかへ飛んで行き、演奏が止まりやり直しになった。そしてまたモッシュ。対バンのnever young beachがさっきまで作り出していた平和な西海岸か熱海の浜辺のような景色はいずこへ?「ネバヤン初めて聴いたけどいいね〜」などと言って、からだを揺らしていたギャルは?そんな疑問が解消されるはずもなかった。
峯田は10年以上前に作った曲を、目をかっぴらいて歌っていた。あっという間に大合唱になる。わたしも全部歌えてしまい、そのことをきっかけにまた涙した。峯田〜〜〜!!!と泣きながら叫ぶ人があちらこちらにいた。四肢がちぎれそうなほど暴れる人がいた。嗚咽しすぎて座り込んでしまう女の人がいた。さながらカルト教団の様相であった。だがわたしもまた、全身の水分が出きってしまうのではないかというくらい涙が出てきてしまい、ボロボロボロボロ泣いていた。
峯田が目の前で10年以上前に何度も何度もカセットテープが伸びきってしまうくらい聴いた曲を歌っている。それだけで絶望的なほど悲しかった。恥ずかしい話だが、わたしはその時、中学生の時に部活で無視されていたことをありありと思い出していた。クラスにも同じ部活の人がいたので無視がそのまま派生して、教室でも居場所がなくなって昼休みはずっと本を読んでいた。アンブシュア(口の位置であること)を変えようとして失敗して全然トランペットを吹けなかったこととか、天然パーマなので髪型が本当にきまらなくてどうしようもなかったこととか、人に話すまでもないみじめな思い出とその時の感情がありありと思い起こされ悲しかった。もう少し上手くやれただろう、という気持ちと、でも今も上手くやれないしな、という諦めの気持ちが10年前と今を強く結びつけた。その中心に峯田がいた。
***
思うにわたしは、つらかった時に銀杏BOYZを聴きすぎていたのだろう。どれもありふれた大したことないつらさなのだが、そのせいで感情と峯田がほつれてからまり、ひき離せなくなっていた。わたしのつらい気持ち、悲しい気持ち、自分のことが嫌で消えてしまいたい気持ちが擬人化したものが、峯田その人だと認識してしまっているようだった。
峯田は、本当にしんどい時に自分もまたそうだと言って肩をさすっていてくれていた親友であり、同じようにみじめな姿をさらけ出してくれたキリストであった。少なくともわたしはそのように認識していた。勝手に。そしてライブ会場で嗚咽が止まらなくなっていたり、暴れていたり、自己のコントロールが効かなくなっている人たちもまたそうなのだなと思った。
峯田、もとい峯田和伸さんは、本当は自分のやりたい音楽は、代官山のシャレオツなカフェで静かにギターの弾き語りをするようなものだと言っていた。だが、求める人がいる限り求められる音楽をするとも言っていた。それが本気かどうかはわからない。だが最近の曲をやってもウケはイマイチで、対して10年ほど前の曲をやると客は熱狂していた。
客は皆、峯田を前にして自己憐憫におちいっていたのだと思う。つらかったとき、苦しかったとき、悲しかったとき、さみしかったときに銀杏BOYZの曲を聴いて、勝手に癒され勝手に肯定された気持ちを手放したくないのだ。
もし峯田が出てこないで、ステージには代わりに峯田の3Dのホログラムが投影され、バックでCDをかけられていても、皆変わらずギャンギャン泣いたと思う。皆、過去に囚われていた。皆にとっての峯田はつらかった過去そのものであり、みじめで変えようがない過去の自分そのものでもあった。
だから皆、銀杏BOYZを好きな他者を認めることができない。その当時の自分をどうにかしてくれなかった人間に「銀杏BOYZいいよね」とか言われてもムカつくのだ。お前に何がわかる、と思うのだ。峯田は限りなく私的で個人的な存在だった。
***
そんな峯田が朝ドラである。天下の日本放送協会だ。自分の苦酸っぱい異臭を放つような過去が、大きな顔して朝ドラである。初めて知った時、もう、まともな気持ちではいられなかった。
でも「峯田」とわたしが名づけていた人格はこの世には本当は存在しなくて、この世には峯田和伸さんしかいなかった。峯田和伸さんは、最近は映画に舞台に引っ張りだこだったので、ちゃんと素晴らしい演技ができるのだった。わたしが過去に囚われている間に、峯田和伸さんは大活躍していたのだった。というか銀杏BOYZの時点で既に大成功していたのだった。
そして今や母親や妹を含む日本中の人が峯田和伸さんをテレビで見ている。今では自然なことに思えるけれども中学生のわたしに伝えたらびっくりすると思う。裏切られたと思うかもしれない。でももしかしたら、誇らしく思うかもしれない。なんとなく、そうであってほしいなと思う。昔の自分には、ホッとしてもらいたいなと思う。
宗男はイギリス兵に助けられた命を大切に生きていて、その象徴がビートルズだと言う。ドラマを見ていると宗男は峯田そのものにしか思えない。あくまでも峯田和伸さんではなく、峯田である。
わたしが勝手に作ってしまっていた峯田というパーソナリティが、お茶の間をにぎやかし人々に受け入れられていった(ように見えた)ことは、わたしを救った。峯田和伸さんその人とはかけ離れているかもしれないが、わたしが勝手に作り上げ支えてくれたわたしのなかの峯田が、まるで時空を超え戦争すら経験しどこか浮世離れした人間となり、最後に全てを包み込むように、「だから笑って生きることに決めたんだよ」と言ったことはある種のセラピーだった。
「だから笑って生きることに決めたんだよ」の言い方はあまりにも芝居がかっていて、プロの俳優さんだったら絶対にこんな言い方はしないだろうと思ったが、とても優しく耳に響いた。わたしはこのシーンの録画を消していない。また何回も聴くと思う。それこそテープがすりきれるまで。
***
そんなこんなで銀杏BOYZの武道館公演のチケットも当選しました。またボロボロ泣いてしまいそうなので誰と行くかはまだ決めていません。楽しみです。
せっかくなのでウォッチを始めた。昔から同じ手法なのかもしれないが、個人的には気づきもあったので記載。
アムウェイがマルチというのはいわゆる一般人の中では周知の事実なわけで、そこからはまっていく人がどういう心理状態なのかが気になっていた。
前はただのマルチだと思っていたが、ちょっと違う心理が働いているのが見えてきた。気がする。
アムウェイの初期の上位会員は、既に良い暮らしをしている人が多い。
でも働いてくれる下位会員を見つけないと売上のマージンが入らない。
そこで、どうカモを見つけるか。
上位会員は、派手に遊ぶのが好きで、容姿の良い、ちょっと頭の悪そうな、素直な人をカモにしようとする。
すぐに自分の家(豪邸)や六本木やらで開かれるパーティに(特別に)招待をする。
初期会員の家は豪邸を持つ人が何人もいるので、代わる代わるそういった人達がパーティをして(仲間という名の)カモを増やしていく
するとどうだろう。周りには、そんな風に集められた人がたくさんいるわけで仲間感が出てくる。
そしてその集客経緯からも言えるように男も、女も割りと整った人が案外多い(価値観はずれているが)。
そのうち、仲間どおしで海外旅行に行ったり(若干の資金源は上位会員が負担しているのだろう)するようになってくる。
パーティなどの様子は、すぐにfacebookやtwitter、Instagramなどに
フォトジェニックな感じであげてくるようになる。
若いきれいな女の子や実業家っぽい若い男子が、うぃーってなっている写真だ。
だいたいは豪邸にいる写真で、その人の生活では不自然なほどのセレブ感を漂わせてくる。
SNSで反応してくる友人がいたら、次のカモとして引き込んでいく。
次にまた新たなメンバーが入りそうなときには、みんなでそのパーティに誘い込み仲間にしてしまおうとする。
新しいメンバーは稼ぎが全然無いわけで、そういった上位会員の豪邸に入り浸るようになる。
そこには、(友達?)カモ仲間もたくさんいる。
よく考えると、これは芸人の構図と近しい。
芸人が、芸人の若い子に飯を食わせるようなそんなスタイルのものができあがる。
「いつかブレイクすれば、金も稼げるようになるよ」みたいな感じで、どんどんその自分たちだけの世界を完成させていく。
仲間が増えると完全に完成形になって、それまでの友達の輪から離れてしまう。
3年ほど頑張って、彼は20万ほどの収入を得られるようになったららしいが・・・。
つい先日、ある人物にApple Watchを紛失されるという事件がありました。
その人物は当初、失くした責任を感じたかのように振舞っていたのですが、鉄道会社への連絡もタクシーサービスセンターへの連絡もうまいこと転がされてぼくがしていることに気づき、そのことを指摘したところ音信不通となり、行方をくらましました。
演技派、罪悪感を持たない、人を動かす、という行動に、ある単語が脳裏をかすめました。
「サイコパス」です。
『私たちはどんな悪人も少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思います。
しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が存在しているということを知っておいてください。』
今までの彼女の言動をもとに、サイコパスチェックを行ってみると、果たして「疑いあり」となりました。
高い授業料となりましたが、結果的にその人物との縁が切れて今はほっとしています。
http://www.psy-nd.info/analysis/ratio.html
『人口に対するサイコパスの割合、言い変えれば「サイコパスの発生率」は、決して低いものではありません。
彼らと深く関わるかどうかを別とすれば、恐らく一生のうちに一度もサイコパスと出会わない人の方が少数派でしょう。』
リンク先によると、日本でのサイコパスの発生率は1/250。個人的に実害はなかったものの、過去に身近で同様の事例があったことを考えると、遭遇率は決して低いものではなさそうです。
皆さん、歯の磨き方を誰に教わりましたか。お母さん、お父さんだけにですか。当然親だけに教わると、私はずっと思っていました。でも去年の12月に、仕事の一環として、或る小学校に母国であるアメリカの文化を紹介しに行き、目を丸くするようなことを見ることが出来ました。それが、給食の後の歯磨きの時間だったのです。この歯磨きの時間を見て実感できた日本の教育と私の国の教育との違いを、三つ挙げさせていただきたいと思います。
まず一つ目は、子供のしつけの責任分担のことです。これについて日本とアメリカは大きく違うと聞いてはいました。例えば、夜遅くまでお祭りで遊んでいる教え子を見かけた学校の先生が「早く家に帰って寝なさい!」と注意する話を、日本語の教科書で読んだ覚えがあります。アメリカだったら、特に学校外において子供を注意することは親の責任であるという考えが強いため、こういった場面で先生は注意しないと思います。
この日本とアメリカの違いを、歯磨きの時間を通して目の当たりにすることができました。アメリカでは、歯磨きを教えるのは当然親の役目であると思われています。そうした中で生まれ育った私が日本に来て、学校で歯磨きを教えているのを目撃して感じた驚きを、なんとなく想像できるでしょうか。それから自分の中の常識と食い違うことを目にして、自分の視野が少し広がったような気もしました。
日本の先生は教科のみならず、歯磨きなど生活のことまでも教えなければならなく、本当に大変だと思いますが、子供のしつけという非常に難しくて、なおかつ重要な親の仕事を学校が手伝うことは、親と子供、そして社会全体のためになると思います。一方で、学校がしつけを手伝ってくれるなら自分は怠けてもいいと思ってしまう親が出かねないでしょう。それでしつけの責任が主に学校にあると親が思い込み、子供が学校の窓に小石を投げつけるなど悪いことをしたとき、学校のせいにしてしまうことまであるそうです。 子供のしつけの責任分担に関してアメリカのやり方も日本のやり方も一長一短があり、うまく組み合わせることが出来たら、親が主な責任を持つと同時に学校も手伝うような仕組みが出来るのではないでしょうか。
では二つ目の違いに移ります。更に驚いたことに、教室の前に立ち、良い歯磨きのお手本を見せていたのは、担任の先生ではなく、児童2人だったのです。つまり小学生は先生に教わるだけではなく、お互いに教え合うのです。児童の協力によって学校が成り立つわけです。歯磨き以外の例を挙げますと、私が参加する小学校訪問には必ず開会式があり、その司会を務めるのは、ほとんどの場合児童です。アメリカだったらきっと先生が果たす役割を児童が果たすことにより、協力する心が育つと思います。学校の清掃時間や日直などにも、協力のような人間性を育てることを重視する日本の教育が見られます。この点に関してアメリカに日本を見習ってほしいです。
最後に三つ目の違いについて話します。日本人が集団で行動する場合が多いとは、日本に来る前に聞いていたことですが、来日し、社員旅行など団体旅行の普及や、合コンの人気などをみて、確かにそうだなと思いました。しかしなぜそうなるかは、あの12月の小学校訪問まで、不思議に思い続けていました。もちろんこれだけが原因とは思いませんが、30人以上の小学生が完璧に一斉に左上の奥歯の内側を「いち、に、さん、し」と磨いている光景を呆気にとられて見て、なるほどと思いました。歯磨きの時間の他に、私の国にはほとんどない修学旅行や、全員が同じメニューを食べる給食もありますし、集団志向が学校で育ち始めるのだと思いました。これも一長一短がありますね。一方では、集団志向といいますと、集団の和を保つために周りの人に同調する必要がある場合が多いですが、そうしますと個性が出にくい環境になってしまう恐れもあると思います。他方で、アメリカでは一日中一緒にいる学級というような学校の構成は小学校のみなのに対し、日本では中学校も高校も学級があります。そのおかげで、将来は社会の一員になる生徒が、グループの一員として頑張ってグループに貢献する精神を社会に出る前に身に付けておくことが出来ます。
本日は日米教育比較をテーマにし、しつけの責任分担、それから人間性も集団志向も育てる日本の教育という、歯磨きの時間を通して実感した点を三つ挙げました。あの日がきっかけで、日本の教育に対するイメージがよりはっきりし、日本もアメリカもお互いに学び合えることがたくさんあるのだと改めて気づきました。しかし、不思議ですよね。歯磨きのような本当に何気なくすることが実は、日本の教育理念を色濃く示していると思うと、自分の常識がどれほどこうした平凡なことから成立するのか、ということに気づかされます。皆さんが今度歯磨きをされるとき、私のスピーチを思い出し、そのことについて考えて頂けたら幸いです。
ご清聴、ありがとうございました。
Mr. Jonathan MICHAELS
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/education/benron/pdf/49/6.pdf
昨年秋の天皇賞で初めて競馬場に行きそこからドップリハマってしまった競馬ですが、本日をもって辞めます。
ので、そこまでに至った経緯などを書いていこうと思います。
簡単にいえば
③勝つことが目的になっている
⑤負けまくった
以下に詳しく書きます
①はそのまま。ラジオの競馬中継に張り付いてるだけの土日を送るのはどうなのかと。他にやりたいことあるのに。平日も仕事中にトイレで地方競馬やるようになったら終わりだと思う。
②、③について。ボーナスの一部を競馬に突っ込んで増やそうと考え、たどり着いた答えが「その道のプロの買い目を買う」でした。
…控除率を考えると期待値75%と言われる(体感もっと低い)競馬で勝つには相当な勉強が必要だと考えています。
(18頭立てなら1/18、約5.5%の確率で単勝は当たるけどそれでは勝てないといった感じ)
予想から確率的な部分をなるべく排除する事で(上のような事が減るので)期待値はより高まると考えています。
プロの馬券師の予想をコピーする事で私もその馬券師の予想のプロセスを手に入れる事が出来ます。
とは言ってもその馬券師の買い目が当たるかどうかは別の話であって。
そして「馬券師の買い目のうちなんとなく外れそうな、のは買わなきゃ良いのでは!?」といった考えに至りました。
賢い方ならお気づきかと思いますが、馬券師の予想は当たるものとしてストーリーが出来ているため、「なんとなく外れそうだから買わない」選択肢は自己矛盾が生じてしまう。
…と長く書いたけど、「ボーナスを競馬に突っ込んで0になったと思うなら自転車グッズが欲しい」と思ったのが正直なところ。
④について。
決断力がなく、機を逃すタイプの人間はギャンブルに向いてないのは周知の事実。
改めてそう感じたし、向いてないし好きでもないことをやるのは仕事などの義務的な事だけで充分だろうと。
⑤。なんだかんだ理由をつけたけど1番大きいのはこれ。勝てないギャンブル楽しいって言うやつおらんやろwwwww
さすがに取り返すのにしばらくかかりそうな額負けたのでここで辞めます。(額を言うとややこしくなるので言いませんが…)
周囲の競馬やってる人が勝ってるから自分も勝てるかといえばそんな甘い話ではなく、勝つために高配当狙いにシフトするのは期待値的に美味しくないので。
でも競馬は楽しかった。ダービーで本命のスワーヴリチャードが直線で上がってきたときの興奮は凄まじいものがありました。そりゃ競馬にハマる人も出てくるわ…といった感じ。
以上。
毎日が辛い。何もかもやる気が出ない。なんとなく悲しくなる。
そういう気持ちが続いていく日々は辛いという言葉じゃ足りなくなるんだけど…。
一時は人との交流そのものが怖くて、家から一歩も出ずに一年近く引きこもりました。
元々、オペレーターやってたり店頭スタッフをやっていたんだけど、人が怖くなった時はお客様の顔が見れなくなったり、顔がぐちゃぐちゃにモザイクかかるように見えたりして辛かったです。
そんな私だったんだけど、引きこもり中に毎日ネットをして色んな匿名掲示板を覗いたりしてて、ふと気づきました。
ネットの方が悪意に満ちていて人が怖いと。
リアルの方がよっぽど気が楽でした。一度きりしか会わない人もいれば、たまに会う程度だし。
でも、ネットだと心無い人がそこら中に溢れていて他人を傷つける言葉を投げつけている。
そう考えたら、あっさりと沈んでいた気持ちがなくなって外に出られるようになりました。
今では、以前のようにお客様と面と向かって対応できるし、電話も怖くなくなりました。
時々、落ち込むこともあるけど負けるもんか!と思うようになり、この程度苦難にもなってないから余裕と考えるようになりました。
今現在鬱病の人は考えることすら放棄してしまう人も多いかもしれないけど、あなたがその状態で消費していく時間はいつかきっと後悔することになります。
年をとればとるほど出来る仕事の幅は狭くなり、自分のやりたいことに費やせる若い時の時間は無くなる。
気づいた時に年をとって老いてきた自分の姿を見て後悔しても遅いから、負けたくないという気持ちを手に入れて立ち上がってください。
自分を否定してくる人も多いと思いますが、否定してくる人はコンプレックスから否定している可哀想な人だと思って負けないでください。
※別にわざわざ増田で書くような事でもないのだが、増田を使ってみたかったというのもあるので、ここで書く。
手軽なFDM方式3Dプリンタである3D SYSTEMS社のCube 3rd generationの新品未開封品がオークションストアなどで比較的安価で取引されている。
私もそれを、ひょんな事から入手する事になったが、数日使ってみた換装は、「新規のユーザーには全くおすすめできない」である。以下、その理由を説明していきたい。
ネット上の情報を垣間見ても、ある点においていくぶん評判の悪い機種でもあり、またすでにメーカーの方でも製造終了かつディスコンとなっており(※消耗品の提供はしばらく行われる)ので、あえてこれから新規で購入する理由は普通ないはずであるが、上に書いたようにオークション等では新品で比較的安く入手できるため、ある意味入手しやすい機種と言えなくもない。だが繰り返すが、以下に記すようなトラブルにめげない自信のない人は、この機種を購入すれべきではない。
私の見立てでは、Cube3は家庭用の安全で手軽な3Dプリンターとして設計されている。誠意ある大人の言う事に耳を傾ける事ができ、言ってる内容が理解できる程度の知性があれば、就学前の子供でも充分安心して使う事ができるように思える。しかしそれ故の痒いところに手が届かないような面も多く見られる。以下、それらを私なりに整理してみた。
パッケージには、プリンター本体の他に、専用マテリアルカートリッジや工作物の取り外し用のヘラやペンチなど、3Dプリンティングに必要なほぼ全ての道具が同梱してあり、手順通り開梱しセットアップすれば(※セットアップ時にネットでアクティベーションする必要はあるが)、すぐに使い始める事ができる。
工作物が乗るベッドの調整は自動化されており、手動での調整は滅多に行う必要がない。仮に必要になったとしても、付属の工具で、操作画面に表示されている通りにネジを回すだけの簡単さだ。
これがCube3の最大の特長(にして最大の弱点)で、排出ノズル(Cube3では「ジェット」と呼ぶ)がフィラメントを納めたマテリアルカートリッジと一体となっており、フィラメントに直接手を触れずにマテリアルの装填と交換ができる。カートリッジはプリンタ本体の左右のへこみに一つずつ、都合二つまでワンタッチで嵌め込んで固定されるようになっており、他のプリンタのように、武骨なリールハンガーなどが必要ない、スマートな外観となっている。
FDM方式であるため、ノズルは200度まで加熱されるため、マテリアルの交換時にうっかり触ると火傷するのでは?と思われるかもしれないが、良く見るとノズルは放熱性の良いアルミ製であり、また操作画面の指示通りに取り扱う限り、ノズル温度が高い状態でノズルを取り外される事がないよう工夫されている。
マテリアルの種類や残量はカートリッジに内蔵されたEEPROMに記録されており、例えば工作物に指定されたマテリアルが装着されていない時には、プリンター側でそれを検知して、カートリッジを交換するよう促してくれる。
無論お気づきとは思うが、一回のプリントで同時に二つのマテリアルが使用できるデュアルノズルである。二色でのプリントやサポートはPLAでと工作物はABSでというように、異なるマテリアルを使用する事もできる。
新しいファームウェアと専用スライスソフトウェアでは、水にぬらすととけるPVAのフィラメントをサポートとして使用する事もできる。
Cube3の専用スライサーは工作物の配置や使用するマテリアルの割り当てをするだけではなく、工作物にあったサポートの生成をフルオートで行ったり、サイドウォーク(工作物の周りに設置し、工作物をはがしやすくするための薄い板で、工作物ととの間はミシン目になっている)の生成を指定する事ができ、モデリングの段階で面倒な作業をする必要がほとんどない。
またスライス結果をWifiで接続されたプリンターに直接送信したり、またはUSBメモリ用にファイルで保存する事もできる。
ノズル一体型カートリッジ方式であるがゆえに、この機種以外の機種では全く使う事ができない。つまり、メーカーが今後同じカートリッジを使用した機種を製造しない限り(そしてそれは望み薄と言わざるを得ない)、このディスコンの機種でカートリッジの供給が終了すると、そこで製品寿命が尽きてしまう事になる。そればかりか、一般的なリール売りのフィラメントにくらべて、価格のわりにはカートリッジ内のフィラメントの量はかなり少ないと言わざるを得ない。
マテリアルのほとんど、特にPLA(ポリ乳酸)は湿気をよく吸収してしまう。メーカーでは相対湿度25%以下での保存を推奨しているため、湿度の高い日本では、除湿剤入りのケースに密封しなければならないかもしれない。
湿気を吸うと、マテリアルはしなやかさを失い、もろくなる。すると、フィラメントがカートリッジ内で折れてしまい、ジェットから排出されなくなってしまう。これが割と簡単に起きてしまう。少なくとも私の場合、一晩放置しただけで、付属の2本のカートリッジが2本とも、ジャムってしまった。
実は、このすぐジャムるという特性はユーザーの間ではかなり良くしられているらしく、YouTUBEなどで様々なハックが披露されている。私もこれで助けられた。
FAQによると、ギャップ調整は電源を入れるたびにやりなおして欲しいという事らしい。困った事に、マニュアルに書かれているギャップ調整方法は実は間違っていて、正しいやり方はFAQの方に書かれているので、要チェック。
Cube3はこれでもかというくらい、各所に白色LEDのイルミネーションが設置されていて、大変美しいのだが、下手すると何時間もかかる印刷中、ずっとイルミネーションを点けておく必要もないので、なぜ印刷中はオンオフできないの?としか言いようがない。
(追記予定)
https://anond.hatelabo.jp/20170626192037
こんばんは、id:sugimurasaburo さんからIDコールをいただきました。ありがとうございます。船橋海神(id:cj3029412)です。本職はねこちゃんの保護、趣味はブログで嘆くこと、在野で中世古文(特に助詞助動詞)研究を行っております。キャッチフレーズは「(´;ω;`)」「でかいです」。将棋も大の好物です。
以下は私の私淑する大野晋先生およびその決定的名著/集大成であらせられますところの(敬語の誤用)「岩波古語辞典増補版」(2016/1/12補訂版第23刷)に依ります。
よろしくお願いします。
(A)~(D)は上の引用解説を便宜的に分類した符号。【訳】は私のもの(一部、戯れ)です。
元増田氏の理解(「加藤一二三という男がいたそうだ」)(「伝聞の過去」になるんじゃないだろうか?)とは少うし違いますけれど、私も第一感、失礼…というか、そんなに遠い昔の話だっけ、という印象です。端的にいえばアホバカクズ受信料払わねえぞと申し上げています。
(ちょっと一休みしましょう)ちなみに、この日記に私が付けたタイトル「強いんだっけ」の「け」がそうです。「けり」の「り」が落ちました。
米長邦雄永世棋聖くらいでしょう。米長先生が戯れに「加藤一二三という男、ありけり」とおっしゃる、これはありえます。「君たちは知らないだろうが、私もいま思い出したのだが、加藤一二三という男がいましてね」あるいは「あら、こんなところに加藤さん、(ずっと)い(らっしゃっ)たんですね(気づきませんでした)」。しかしこれも(ジョーク以外では)無理がありますね。ありえるとしたらかなり特殊な状況ということです。
(参考) https://www.youtube.com/watch?v=pr6-Bv3RVTw
https://anond.hatelabo.jp/20170626193212
トラバの増田氏、慧眼です。古文研究をやっていてよかったなあと思う瞬間です。筋違いながら御礼を。
ネットスラングの【場合によるんだ(よ)なあ】で訳すのが一番しっくりくると思います。(過去)回想/気づきの原義は退き、(自分も気づいた)から同意/強意/念押しのニュアンスが全面に出てくる、その変化点が味わい深いですね。ちなみに、この線でお題の「加藤一二三という男、ありけり」の出るような状況を無理やり設定するとしたら、棒銀のことを話題にしているのにスレのだれも加藤先生のことを話題に出さない。そんなときに【加藤一二三という漢がいたんだよなあ】と、誰かがきっと書き込むでしょう。例えば、そんな感じです。これも、やっぱり例外的ですね。
「けり」は、幅の広い、陰影に富む助動詞です。それを、おそらく伊勢物語から(あるいは、伊勢であることすら忘れて何となく)「昔、男ありけり。」をただ引っ張ってきてNHKは使ったのではないかと想像します。ここからは物語論の範疇ですが「昔、~けり」とやると、一気に作品世界が遠い昔/架空の物語に飛ぶ。その効果を古人はよほど気に入ったのでしょう。いろんな作品が「昔、~けり」を使っています。NHKはさすがに「昔、」とやるのはおかしいということまでは感じた。ならば、もう一歩、脚を止めて考えるべきだったと思います。
お粗末さまでございました。
「けり」の思い出し(回想)効果は、いちど忘れていたことが前提になります。いま、加藤一二三先生のことを忘れてしまっている人はいませんね。ですから失礼というのは正しい直観だと僕は思います。
「けり」を使うくらいですから、7/1のNHKは「神武以来の」と形容されたデビュー当時の、みんなが直接体験過去としては忘れてしまっていたところにフォーカスするのでしょうか。あるいは第19期名人戦で大山康晴先生にこてんぱんにやられたことを加藤先生に述懐していただき、秘話を発掘するといった「気づき」があるのでしょうか。よもや、升田幸三/米長邦雄を冥土の鷺宮から召喚するのか。期待しないで待ちたいと思います。
いずれにせよ、今回、元増田氏が感じたような、現代人の古語の扱い方に対する「もやもや」は、古語研究のもっとも大切な礎の1つです。ぜひ今後とも大切になさってください。楽しかった\(^o^)/
一回仕事でその部署と関わったことあるけど、メールも電話も、何度連絡してもまったく繋がらなくてすごく困った。なのに、久しぶりに向こうからきた連絡は「期限過ぎてんだろなんで連絡してこないんだよボケコラァ!」。
「いやメールも電話もしてますがな」と証拠つきつけたら、「気づきませんでした」「うちだったらクライアントから返事こなかったら会いにいきますよ、おたくは不誠実なんですね」って言われたぞ。
ちなみに後日なぜか担当者に「飲みに行こう」って誘われておそるおそる行ったら、ベロベロに酔ったそいつに「あなたって精神病なんですか?頭ちょっとおかしいですよねぇ?」って言われた。むしろそれ仕事のパートナーに言えるお前がおかしいんじゃないのかって思ったわ。
自分は普段そんなに積極的に音楽を聞く方ではなくて、大好きなミュージシャンもおらず、
ですが、なかなか会えない地方在住のドラマーの友達が、東京でライブをやるということなので、
いい機会だと思って渋谷の小さなライブハウスに足を運んでみたのです。
友達の出番はスタートしてから何組かが演奏した後だったのですが、
せっかくなのでライブハウスの空気を味わってみたいと思い、最初から行ってみることにしました。
雑居ビルの地下に降り受付をすませると、薄暗いフロアにはまばらな客、
その誰もが所在無さげに立っていて、気だるい空気が流れていました。
しばらくそんな空気に浸っていると、定刻になり、フロアの照明が落とされました。
そしてたぶん、難聴の原因となったバンドの演奏が始まりました。
そのとき私は運悪く、スピーカーの前に立ってしまっていたのです。
フロアはそんなに混雑していなかったのですが、そのバンドのボーカルは、客の海の中を泳ぐタイプの人だったようでした。
それを知っているらしき人たちが、なんとなくステージ近くのスペースを空ける動きを取りました。
ライブ素人たる私はそれに流されてよくわからないままに移動してしまい、
そして始まった演奏はシャウトの連続。リズムは結構好みでしたが、何を言ってるのかわかりませんでした。
耳がピリピリする感覚。これがライブか、と高揚しつつも、若干の不快感は否めませんでした。
その後友達のバンドの演奏も聞いて(前までのバンドたちと対照的に、落ち着いた曲調でとても良かった)、
ライブハウスを後にしたのですが、その時はまだ耳に異状が生じていることに気づきませんでした。
なぜならライブハウスを出るとそこは休日の渋谷で、ざわざわの嵐だからです。異常な音空間では、耳の異状が際立たないのです。
何も動かない、テレビもラジオもつけていない一人暮らしの家なのに、キーンと響く音。
うるさいところから静かなところに移動したからかな、と考えましたが、一時間、二時間たっても消えません。
不安に思いつつも、とにかく寝れば治るだろうと思い、その日はいつもより早めに床につきました。
危機を感じて、その日は平日でしたが勤め先に一報を入れて、最寄りの病院にかけこみました。
その間は、スマホでライブ後の耳鳴りの意味を調べて戦慄していました。
結果は、まさにライブで爆音にさらされた影響からくる難聴だとのこと。
左耳が、高音域をキャッチできなくなっているようです。詳細は省かれましたが、その影響が耳鳴りという症状で出ているらしい。
とにかく早めの対策が大事だ、と言われて薬を処方されました。血流を良くする顆粒タイプの薬と、ビタミン剤。一日3回。
飲み続けました。良くなると信じて。常に耳の中でキーンと鳴る音を打ち消すために、暑くもないのに、扇風機を回し続けました。
最近やっと落ち着いてきましたが、それでもベッドに入ると気になる時があります。
思うに、あのライブの日は疲れていた気がします。午前中から別の用事で都内を飛び回った挙句のライブ参戦。
いくら無知だったと言っても、スピーカー前にいたら音が大きいことはわかるはずです。そして体力低下。悪い条件が重なりました。
仮に好きなバンドがあったとして、そのライブでこうなっていたら、好きなものを嫌いになるという一番苦しい体験をしてしまうところでした。