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2020-08-05

ムカつく属性

親が金持ち

 マジで羨ましいし殺したいほどムカつく 地主とかで不労所得があるとよりガチに 

東京首都圏出身

 「首都圏はいうけど都心まで2時間かかるしw」とかいってんのみると憎悪で視界が真っ赤になる 俺は都心まで半日はかかるぞ、飛行機に乗ってよ 

 東京のあたりは交通の便が良すぎるし、文化施設が多すぎる 2.5キロ山道を降りたところにショボい私立図書館があるだけだった俺の地元を見ろ 

容姿端麗

 「興味のない人から好意を寄せられるのって辛い…w」じゃあねえんだよ 興味のない人がすれ違いざまに「キモ…」って言ってるのを聞いたことがあるか?

 鏡みるたびに「うわ…」と思う人生を送ってから偉そうにしてほしい お前が偉そうなのは顔由来の自信ゆえだ 

英語ネイティブ

 偶然世界共通語ネイティブに生まれたからって偉そうにするのは本当にカスだと思う LとRの発音が違うじゃねんだよ てめえ頭ついてんだから文脈判断できるだろうが

 というか英語みたいな劣等言語が頭はってるのが許せん 日本語カスなんで日本語しろとは言わないが、フランス語なりスペイン語なりのほうが10倍マシなのは間違いない

気力に満ちている

 俺は幼稚園に行くのが嫌だとぐずり続けて土曜の登園をナシにした幼少期根からクズで、大学受験ときも1日1時間以上の自習ができなくて浪人した

 先天的にやる気のある人間が、才能があっただけなのに人格が優れているかのように振る舞っているのは本当に腹立たしい お前も俺の身体でこの絶望的な無気力を味わってみろよ

寒がり

 寒いより空気がこもってるほうがよっぽど嫌だろ 窓を開けさせてくれ

 炎属性の敵、炎上スリップダメージとか地形ダメージとか使ってきてウザすぎる ドッシリとした鉄壁の構えで弱点属性攻撃を受けてアッサリ沈んでいく地属性を見習えよ

性欲マン

 性欲マンさえいなければうざったいネットの男女対立の大半は消えるし電車は気兼ねなく全車両に乗れるし女の近くに行くことを警戒する必要もないのによ

 突然全男性が性欲を失った美しい世界に住みてえ

 

16年間、小学校からの付き合いだった飼い犬が死んだ。感情吐露する

リン、飼い犬のリン今日死んだ。いや人気者過ぎて神様だか上位存在のもとに出張してやったのか、あるいはグルメだったから今の世界に飽きてちょっと三千世界だの並行世界だのを渡り歩きに行ったのかもしれない。

感情が高ぶっている。だからこの高ぶりが残っているうちにこうして文章を残す。

伝えたいテーマ気持ちがあるわけではない。

ただ今人生で一番の悲しみが、哀しみが、非常に緩やかに、それでいて確実に風化してしまう、過去になってしまう、忘れてしまうことが恐ろしい。

そう、全部昔のことになって、リンのことが、お犬ドッグ、猫ドッグ痕跡がすべて消えるのがたまらなく恐ろしい

からこの高ぶりが残っているうちにこうして文章に残す。

この犬の歴史を、私の感想を、感情を、願望を

ごちゃまぜにしたまま

整理もせずただ出力する

誰かの目に当たることを前提としてはしていない。もしかしたら自分からあてにいくことはあるかもしれない。

もしこれを誰かが見ているのだとしたら、恐らく自分自分からこれを公開したのだろう。恥ずかしいやつだ。

だけどこれは、この感情が風化してしまう前に、本当にあったんだぞと。この喪失は、悲しみは確かに此処にあったのだぞと歴史に傷跡を残したい一心で残すだけの文である

いや文ですらない、言葉っぽい何かが連なっているだけだ。いつか赤ら顔で悶絶しながら読み返すのかもしれない自分、それ以外の不幸と幸運の数奇の嵐の

旅路の中でここに立ち寄ったあなたにこれだけは忠告しておきたい。ここから読んでも何も得るものはない。

リン2004年我が家にやってきた。

その時のことは割と覚えている。確か小学校入学を控えた私が出先でペットショップをみかけ、そこで売られていたチワワに一目ぼれして買って!とせがんだ数日後、

母親がケースに入れて

家にやってきたのがこのダックスフントロングのリンである。えぇ・・・となったものだが

それ以前に「犬を飼うなんて!世話とかできんやろ!」という兄弟たちの猛烈な親への抗議に押されてそれどころではなかった



話は変わるが私の小学校入学までの歴史うんこである。なんだったか、親がアメリカ真剣争いしただの外国人雇って私を誘拐しただのろくでもないワードが飛び交っている。

そのせいでPTSDだのなんだのを幼くして発症した私は家に引きこもることとなり、入学までに備えておくべき社会性だのなんだのというものはまるでなかった。

当然、学校が始まってからというものまったく馴染めなかった。なんなら字もかけなかったし口もきけなかった。

当然、つらい

そんな私を救ってくれたのがお犬様のリンだった。

何せこいつは素直だった。ごはんがあるとわかるやすり寄ってくるし、おもちゃやらなにんやらを取られるとか不快な思いをするとすぐ威嚇してくる。一般的にはワリとクソ犬の類だったと思う。

だが、やたらとクソみたいな口撃でマウントを取ってくるDQN同級生、肝心な時と肝心じゃないときにまったく役にたっても味方になってもくれない家族、クソみたいな気づかいぐらいしかできない新興宗教にハマってる女性担任先生

本人がクソなら周りもクソが集まる中、お犬はストレート感情を示してくれたし見た目も人畜生より何倍もよかったから目の保養にもなった。本当にこれだけが私の支えだった。

支えの代価としてドッグフードではなくミンチ肉を要求され続けることになるとは思ってもいなかったが。いやマジでドッグフード単品だと食べなかったよあいグルメかよ。

んでそんなお犬様を連れて散歩などをしていると、公園に生息している同級生たちはその可愛さにつられてホイホイ♂やってくる。そして当然散歩してる自分との会話になる。こうして私は犬から社会立場まで与えられたのだ。お犬様バンザイ

こうして私とお犬ドッグの日々は続いた。日々飽きるごはん!(日替わりじゃないとやだ)テコでも動かない散歩!(俺はこっちの方向に行きたいんだ人間風情が決めるな)

もふもふ!(もふもふ!)とまぁ輝かしい思い出はいっぱいある

途中で良性の腫瘍で手術することになったり、悪性のがんで手術したりしたがなんか生き残ってた。すごいなリンちゃん

これが2015年ぐらいのお話。当時大学受験を控えていた私は大層メンタルを乱されたがお犬はケロっと生きていた。だからだろう。なんとなくお犬はずっと一緒に居続けるなんて幻想無意識のうちに抱いていた。

大学に入ったころあたりに耳が聞こえなくなった

私は焦った。犬の老化を、ひいては死を実感してしまたから。

お犬自身はへーきそうに日々を過ごしていた。

18年19年ごろにはぴょんぴょんはねていたような段差が登れなくなった

それでもごはんはいっぱい食べてたし、まぁ多少はねという気持ちだった

20年に入ってからごはんを食べなくなった。元から飽き性だったので中々気が付かなかったが、肝臓が半分ダメになってた。それでもお肉はちょこちょこ食べてたし、大丈夫だろうと自分をいいきかせつつ、注射器ミルクを与えるなどをやっていた

今年20年の5月ごろ、私は仕事のため家を離れていたが

発作のようなものが起きたらしく病院へ。

てんかんと診断された。あと心臓が止まりがちなのも判明した

お薬はもらったし、容体も安定してるからまだ

8月に死んだ死んだしああ駄目だ。

16年だ。16年以上一緒にいたのに思い出せない。楽しいと感じてたはずのあの日々が思い出せない。いや大まかにはわかる。でもディティールがわからない。あのとき具体的にどんなことがあってどんな気持ちだったのが、リンと何したのか、リンはどんな顔してたかリンとどんなことしたのか、リンは、リン

思い出してやりたいのにずっと最近の畳みかけるような悪化の一途の記録だけが頭をよぎる。

つらい。悲しい。ひどい。

あいつは走るのが好きだった。それはもうべらぼうに早くて、当時ディープインパクトなんて馬が流行っていたかディープコンパクトなんて親が呼んでた。近所の小学生自転車すらものにしなかった。昨日までだって散歩してたぐらいだ

でもだんだん走ることはしなくなった。ジャンプだってしなくなった

あいつは食べるのが好きだった。しかグルメドッグフードを与えたところまったく口にせず、苦肉の策の一環でミンチ肉を混ぜてやったらバクバク食べた。以降、それが彼女の常食になった。医師からも適量であればと言われ、犬自身もそれじゃないと食べないのだからこっちは懐痛めてお肉代も出さねばならなかった。それを食べてなお、台所で何かをあさったり、おやつ野菜の切れ端をやると飛んでやってきて全てをかみ砕いて食べていった。さながらブラックホールだった。

でもだんだん食べなくなった。大好きなミンチ肉も、ささみも、きももいらないとそっぽを向いた、おやつだって途中で残した。

耳がよかった。あいつの前で隠れても物音を立てればすぐ見つかった。

聞こえなくなった。

目もよかった。遠くから俺を見つけた瞬間しゅばばばばっと風のようにやってきた

あんまり見えなくなった

昨日まで生きてた

生きてなくなった

できなくなった、なったなったなった

老化というのは、時の流れというのはあんまり残酷ではないだろうか

あいつにはいろんな楽しみがあった。色んな特技があった。色んなやりたいことがあったはずだ

でも全部時の流れに奪われた。挙句の果てにまだ生きられたはずなのにみんなが寝てる間に布団が絡まって呼吸困難になったのが原因で死んだ。

きっと、病魔に蝕まれたりするよりは楽だったのかもしれない

それでもあんまりじゃないか。もうちょっと穏やかな死でもよかったじゃないか

何故私の血肉は、命は、寿命は分け与えるように、捧げられるように作られていないのか。

神様はひどい。こんなことばっかするんだもの

それから。忘れられるのもつらい。

リンは、犬は確かに此処にいたはずなのに、もういない。

から忘れられていく。いつか痕跡もなくなって、私の中から過去になってしま

この悲しみが、喪失が、リン存在が、

ただ過去にあっただけという設定に成り下がってしまう。

5年前、がんと最初に診断されたときからリンが死んでしまうこと、リンが忘れられてしまうことがたまらなく恐ろしかった。恐ろしかたから、目をそらし続けた。

逸らし続けた結果がこれだ。感情を抑えきれず、認められず、八つ当たりのように何かを打ち続けてないとおかしくなりそうだ。

嘘。半分嘘

何かをやってないと狂いそうなのは本当

でもそれは全部じゃない。

書いている間。ちょうどこの欄をかいてるあたり、気持ちが落ち着いてきた

落ち着いてしまった。

まさしく上に書いた通り過去になろうとしてる。まだ知らせを聞いて数時間しかたってないのに。亡骸みて2時間程度なのに。私の悲しいとやらの感情はそんな程度だったのか。16年とはそんなに軽かったのか。自分への失望が、時の流れへの絶望で砕けそうだからそれからまた目をそらすために、文として意味を成すかも怪しい文章をつづり続けている。

話はここで終わり。

オチなんてない。きっと明日もっと落ち着いてしまっている。過去にしてしまっている

から、この感情迸りだけは、残しておきたかった。その100文の1でも、読んだ誰かに伝わればいいけど。いや無理だなこりゃ

あ、でもちょっとだけ光明もあったんだ。

これを記さないのは嘘だから、こっちも付け加える。

犬が死んだことについてLINEで知人に送りまくった。

天に召されたようちの犬、時々でいいから思い出してやってね。と

さながらスパムメールだ。忘れられてしまう恐怖に勝てずにありったけの種を無造作にばらまいたのだ。

そしたら、結構な人が反応をしてくれた。前から連絡のあった知人についてはすごい心のこもったであろう言葉と、忘れないという宣言をいただいた。

無理やり引き出したような感じではあるが、とても、とても救われた。クソな環境だのなんだのと一番上で言ってたが、今ではいい知人・友人に恵まれてる。というかこの知人友人みんなリンきっかけにできたやつらばかり。また犬に救われてしまった。

あと、もう一つ。緊急されたって連絡が来たその時間自分はまだ夢の中だったわけだけど

夢の中でそのリンが出てきた。

ケージの中に入れられてるリンが目の前にいて、おやおやと思って出して撫でてやるとすごい喜んで、顔を擦り付けてくるし伸し掛かってゴロゴロしてくるしでおおどうしたどうしたと、なぜか感じたリアルな重みと温かさを感じていた。そしてメールが着て目がさめて、あとはご存じのとおり。

あいつの人生ならぬ犬生の後半は特にだが、私は飼い主として至らない点が多すぎた

今回死んだのだって、私が交通云々を考えずに実家にいれば防げたかもしれないのだ。

つらい。あまりにも申し訳がない。

でも、でも、夢に出てきたんだ。それっぽい挨拶をしていきやがったんだ。

きっとあいつ的には、私は及第点だったんだろうか。そう思いたい。

こうして書いてると、ディティールのつぶれた思い出がちょっと輪郭を取り戻してくる。

なんというかあいつはもふもふで、何かとみんなを魅了していた。

それでいて家では猫のようにそっけなくふるまうし、膝にのって寝てくる。ネコドオオッグ

気ままなやつだった。だから入れ込んだ。

あいつは老化と共にできないことばかりになっていった

だけど最後にわかたことがある。

あいつはクソ演出家だ。

散々救わせておいてほとんど見返りを渡さなかった私に対して

最期は夢の中にきて如何にもな挨拶をして去っていった。

陳腐ドラマにありそうな展開だ

夢なんて人の脳が手元の情報をもとに作りだすまやかしだ。

今回だってたまたますごい偶然を引き当てただけなんだろう

それでも、それでも、私はこんな都合のいい夢にすがっている。救われてしまっている。

お前にしてはまあよくやったのだとあいつに言ってもらえてるような気がして。崩れ去る寸前のところで踏みとどまれしまっている。

嗚呼リン。俺がお前にしてやれることはもうないけど、たぶんお前はいっぱいいいことをしたから、あの世やら並行世界やら生まれ変わりやら、どのルートでも幸せになれるよ。

あんなに人を笑顔にして、俺も救ったんだもの。誰も文句はいわないって。

から、俺がソッチに逝ったときはまた気が向いたら顔見せてほしい。

いやどうせお盆だ。夢の中にでも出てきておくれ。

これから俺はお前の居ない世界で生き続けていくんだけど、さすがにつらいから。

もうちょっと、お顔見せてほしい。

いやしめくくりとしてこの執着はちょっとあれだな。

とにかく、また会ってもふもふさせてくれる日を待っている。

よくぞ俺のそばに来てくれた。ありがとう

2020-07-29

政治家免許制にした方がよくない?

医師や、弁護士裁判官などの人の人生を大きく左右する職業免許試験必要だとするなら

政治家免許制にしてくれんか。国のトップもそれ以外もバカすぎてしんどいんじゃ。

せめて、政治学を高レベルで修めてからきてくれや。

これも裏金で通過してくるんかのう?とか思っちゃうあたり、この国も世界も救えんなあ。

________________________________

というかよくよく考えたらさ

当選してから頑張るインセティブなくない?政治家って。

ボーナスとかあるんか?ストックオプションとか、昇格とか。

当選がゴールになってるのも、なんか日本大学受験コピーみたいで残念ね。

選挙だってただの人気取りで誰もマニュフェストなんかみてないしなあ。

_______________________________

てか、政治家年齢制限設けた方が権力が腐敗しなくて良さそう。

40歳までとかでどうですか?

どう思います?もうおじさんたちがやる政治飽きたよ。

anond:20200729033926

だいたい一人だけ大学受験就職の頃に上に抜け出るもんだと思うが、一人だけ脱落ってのもつらいな...

女の場合結婚できなかったり、離婚したり、子供が上手く育たなかった時は音信不通になるよな

男の場合家族属性よりも仕事属性で脱落するんだろうな

ハブったら後腐れあるから、どうしても無理なら集団自体自然消滅でたまに同窓会感覚で会う程度になるかな

2020-07-28

anond:20200728172246

特定ワードに駆け寄ってくる人を表してたつもりや

今度から(走り寄ってくる音)も付けるわ

 

ワイ「イチローは嫌だ」林修!!!」シュババババ(走り寄ってくる音)

1 :風吹けば名無し@無断転載禁止[]:2016/11/24(木) 06:59:26.90 ID:VWc0p5xe0

ワイ「また1年間大学受験勉強したくないし現役合格したい」

 

林修「ちっ…大学受験か…」

 

やったぜ

ワイ「SFC…」学歴厨「!!!」シュババババ(走り寄ってくる音)

1 : 風吹けば名無し@無断転載[] 投稿日:2016/11/25(金) 07:44:09.76 ID:o8Sdanxca

ワイ「のドラクエ3って神移植だと思う」

 

学歴厨「」シュババババ(走り去って行く音)

ワイ「アベはもうダメだろ」政治豚「!!!」シュババババ(走り寄ってくる音)

1 : 風吹けば名無し@無断転載禁止[] 投稿日:2016/11/18(金) 14:37:22.10 ID:eAgkm3Yc0

ワイ「一塁専念でも打撃は全盛期の力ないし守備も並以下、来年引退かな*2」

 

政治豚「チッ…野球か…」

 

やったぜ。

anond:20200727235634

お金がなくて大学に行けないというのもいくつかのケースがある。

生家の家計が厳しくてすぐにでも働いて家族を養わなければならない場合は、働いてお金を稼ぐと同時に、放送大学でいいか通信制大学勉強を続けるといい。勉強に適性があると思えば大学院でロンダすればいい。

と、自宅から通える学費の安い大学には学力的に届かないので、奨学金を借りて高い学費を工面し一人暮らしをして場合は、勉強する意味自分で納得してないんだろう。

就職して職業経験を積んで、それでも勉強したければ大学受験すればいい。モチベーションがあれば現役時よりはかなり高いランク大学を狙えるはず。

大卒じゃなければ新卒じゃなければいい就職ができないって風潮はホントにクソ。

2020-07-24

anond:20200724140723

同じく日記日記した日記が読みたい増田です。

最近読んだ「スーパーマーケット人生を考えさせられる」っていうエッセイ文庫本がまさにそれだった。

他人日記のもの

スーパーに行って、そこで起きた出来事淡々と書いてるんだけど、これといった事件がおきるわけでもなく。オチも盛り上がりもない。

同じ人物が何回も出てきたり、ちょっとずつお店が変わったりする微妙な変化や時間の流れが日記感抜群。

読んでよかったよ。

東京に住んでるなら「手帳図書館」って場所おすすめ。色んな人の日記が所蔵されてて、1時間1000円で読み放題。本物の他人日記

何冊かに分かれてる場合もあり、読んでるうちに中学生がいつの間にか大学受験してた…とか、そんなドラマがある。あるのだが、こちらも同じく衝撃的な出来事は起こらない。淡々とした日常。本当に日記。本物の日記から文字手帳個性も見どころ。

全ッ然ブログじゃないから(でもって長い)クソコメ申し訳ないが、この2つでずっとどうしようもなかった日記読みたい欲がまあまあ解消されたのでお役に立てればと思いコメントした。

日記、読みたいわー。

幼馴染が結婚した。

幼馴染がつい先日、婚姻届結婚指輪共にinstagram投稿していた。

よくあるワンシーン。よくある話。

27歳の僕と、26歳のキミ。

まさに適齢期の幸福なキミと、せわしなく仕事に追われる失楽園の僕。。


相手美容師だそうで、ルックスもよく、

大塚マンションを買えるくらいには稼いでるらしい。

美容師で稼げるとは、とてつもないカリスマなのだろうか。


ナナ(と呼ぶことにしよう)は一個下だったのだけど、

学年で一番と噂されるほどには可愛かった。

30人3クラス、全校生徒90人。

とはいえ高校に上がってもそのモテランキングトップクラスを維持していたそうだ。

一応僕も高校では「顔は学年一だけど性格は学年一悪い」という非常に類いまれ称号

同級生からいただくことのできる持ち主ではあるので、

僕たちはそれなりに恵まれ関係だったんだと思う。

正直に告白してしまえば、

僕はナナに対して少なからぬ恋心を抱いていたことがあることを否定できない。

今までの僕はずっと、バランスを取っていたんだろう。

少し気が楽になったような気持ちと、少し寂しいような、、

複雑な気持ちだ。

もし僕がそのことを言ってしまったとしたら、

今ナナはどうなっていただろうか。

幸せな家庭を築くことができただろうか、

あるいはまるで関係なかったのだろうか。





僕たちには姉がいた。その姉同士が友達だった。

ぐるみ関係だったから、

次第にお互いの家を行き来するようになった。

そんな感じで仲良くなっていったもんだから

学校ではなんとなく他人のフリというか、距離を取りながら

だけどそのよそよそしい距離感にお互いニヤニヤしながら、

学校から帰宅するとPCに電源をつけて、

当時流行っていたHABBOホテルチャットをしている

そんな関係だった。

校内でHABBOホテル流行らせたのは僕だったけど

僕に教えてくれたのはナナだった。



中学に上がると、思春期が訪れる。

クラス同級生から言い寄られているだったり、

先輩である僕の同級生からも。

ナナが付き合い始めた男のうちの一人は

学年で一番足が速くて

僕が一番仲良くしている男だった。

だけどその彼のすぐ次に付き合ったのは

イケメンのこれまた僕の友達だった。

中学3年生か、高校1年生くらいの時の話。

僕たちは学ランを着ていて、ナナがセーラー服だったときの話。

奪った奪われただの、とにかくそのこじれたすったもんだ関係

ど真ん中に「我関せず」といった素振りをしていた僕に

相談役が回ってきた、という感じだ。


僕はピュアに一途だったので、初恋女の子のことはロクに話したこともないのに

2年間の片思いを続けていたり(これはあとで両思いだったことが発覚するのだけど、別の話)

2個下の女の子一目惚れをして学校中(これは大袈裟ではなく)からロリコン扱いされているといった

強靭プラトニック精神があったから、都合がよかったんだろう。

そういう相談ごとに乗ってあげるお目付役でありながら、

僕の恋愛も一番に聞いてくれる

よき相談相手だった。

僕たちの中学では付き合っては別れて、みたいなことをみんなが繰り返していたか

同級生の中には「めぼしい同級生とは全員と付き合ったことがある」ような子もいる状態

当時の僕は「どうせ結婚もしない相手と付き合ったところで、その人のことを思いやれているの?」

ということを説法しては、煙たがられた。



ナナはそんな僕の一途なところを信頼してくれていた。



ナナのいいところは偏見がないところだった。

僕は学校ではとかく問題児だったから、多少嫌われる部分があったけど

それでも僕の正義をしっかりと聞いて

リュウくんは間違ってないよ」ってしっかり言ってくれた。


当時の僕たちは、そんなお互いの価値観や嗜好性を語り合っては、

どういう関係として歩み寄っていくべきか、

そんなことを話すような間柄だったのだ。




高校生のある冬の夜。

中学校の目の前にあるナナの家の前で、

いつものように塀の上によじ登って

お互いに話し合っていると、

寒いから、ウチあがっていく?」と言われた。

断ったんだけど、いいからっていうことで

今までは部屋に入ることはあまりなかったんだけど

今回初めてナナのベッドの中に入ることになった。

するとナナの姉が部屋に入ってくるや否や

修学旅行で買ってきた沖縄コンドームを部屋の机の上にばらまいて

「ヤるならしっかりとゴムしなよ」と言った。

その時の僕は正直、なんて返事をしたのか覚えてない。

そしてその時のナナの様子も覚えていない。

だけど机の上にばらまかれた「ゴーヤ味」「バナナ味」

お土産家でちんすこうと一緒に並んであるコンドームけが

鮮明に記憶に残っている。

僕たちがそれを使うことはなかったし、

僕がナナに触れることはなかった。

しかしたら、ナナはそれを期待していたのかもしれないけど。




僕が大学受験を決意して、お金がないか受験ができなくって

うちが貧乏生活に困窮していたのも知っていたか

そんな時に「私の働いているパン屋においでよ。パン、もらえるよ」

といってくれたのがナナだった。

僕は潔くお邪魔することにした。

大学入学するまでの2年間

夜になると廃棄されたゴミ袋に入ったパン

ゴミから取り出して更衣室に持ち込み

みんなでこっそり拝借する。


浪人中、幾度となく、1日3食パンを食べ続けていたし、

おそらくパンを食べなかった日はないだろう。

もう山○パンは一生食べなくていい。。

だけど、僕はその廃棄されたパンがあったから、

こっそりパンをとっていることを知っていながらも

黙っていてくれた社員の方がいたから、

過酷浪人生活で、自分食材を買って料理する手間を減らしながら、

食費を節約することができた。



ぶっちゃけて言えば、ナナは恩人だ。

社会的な接合点を失っている状態で、ものすごくやさぐれたし、

ひねくれた。

そんな状態でも、僕がいつかやり切ることをナナだけは知っているかのようだった。



僕が無事に大学生になって、疎遠になっている中でも、

お互いの誕生日にはかならず「おめでとう」の連絡を

欠かさずに行っていた。ナナがそうしてくれていたか

僕もそうしていたし、

なんでかわからないけど、誕生日プレゼントを買いあったりもしていた。



そんな関係であることを「学年で一番足が速いやつ」は知っていて

「ナナが好きなのって、実はリュウなんじゃないの?」

と言われた。

まさか

と思っていた矢先、「相談したいことがある」

と連絡がきた。

じゃあ久しぶりにご飯でも食べようかっていって、地元魚民

二人で久々にご飯を食べていて。

どうやら最近付き合っていた彼氏と別れたらしい。

その理由は「同棲中、寂しかたから犬を飼い始めたら彼氏に怒られた」

らしい。不可思議現象に僕も首を傾げたが、

犬>>>超えられない壁>>>彼氏

だったらしく、犬と共に去りぬ。という状況だった。



ナナは彼氏と別れるたびに、僕に必ず連絡をくれる。

そして必ず、「好きだよ」と言ってくれる。

僕がお金持ちにならなくても、ずっと。


もし僕に、彼女がいなかったらよかったのだろうか。

僕たちはたまたまタイミングが合わなかっただけなのだろうか。

それとも、僕の方に受け入れるだけの覚悟がなかったのだろうか。



婚約前夜、池袋バルで、「このまま本当に結婚してもいいのかわからない」

という相談をされた時、僕が「そんな男と別れて、俺と結婚したら」

と言ったら、キミはどう思ったんだろう。







ポコパンの招待が届くたびに

「はあまたライフ回復してんのか」

と同時に、「なんか話したいことあんだな」

と思う。

ナナのストーカー事件

法的な制裁方法を教えてあげると

ありがとう、お兄ちゃんおやすみ

と言った。


お兄ちゃんかあ。

ずるくない?


あいっか。

結婚、おめでとう。

頑張ってね。

晴れそうで雨降りそうな

深い愛と、濁った恋

笑ってるの怒ってる?

ああ、楽しい。ああ、少し好き。

2020-07-23

数学日本語を書くのが許せない

ふと思い出したので思い出話。

子供というのは思い込み無駄なこだわりが強いもので、

私が中学生の頃、算数から数学への移行で、解答用紙に日本語を書くことが許せなかったのよね。

私にとって算数は「できるだけ途中式を書くのを省略して素早く答えを出す科目」だった。算数スピードが命だと思っていた。

それを崩された最初連立方程式だったと思う。

今解答例をググったのだが、

3x-y=2 …①

x+y=6 …②

①と②を加えると,

4x=8

x=2

x=2を②に代入すると,

2+y=6

y=4

 答. x=2, y=4

のような形式で書く必要があった。

当時の私は「数学の解答用紙には数字記号以外は書いてはいけない」と思い込んでいたから、解答例に日本語が出てきて本当にびっくりしたのよね。

それで当時の私は「省略しても私が正解できるならできるだけ省略すべき」なのだと思い込んでいたので、「x=2を②に代入すると」なんてわざわざそんな日本語を書かなくても私にはわかりきっているのだから省略したくて、正直①②の記号や罫線も省略して分かるくらい問題が単純だったのもあり、省略したのだが、先生にめちゃくちゃ怒られて、嫌々書くようにした。いや、正確に言えばテストにはしぶしぶ書いていたが自分で解くときは省略していたような気がする。

今思えばきちんと書くべきだったなと思う。

私が本心から数学の解答用紙に日本語を書くことを納得したのは大学受験の頃になってからである

問題が複雑になってきて丁寧に書かないと自分理解できなくなってきたのもある。

さら問題の半分が証明問題から証明というくらいだから答えだけ合っていてもダメで、つまり数学というのは採点者にわかるように説明する義務のある教科なのだな、とここでようやく認識した。

それでも証明問題でない問題結構適当形式で回答していたような気がする。だから理解が足りなくて点数伸びなかったのかな。

オチはない。

他にも「理屈は分かるが感情で納得できない」という理由で反発した箇所とか結構あったような気がする。

2020-07-22

自分が見えてない人間が嫌い

 こんなのリアルで言ったら叩かれるから絶対言わないけど、博打商売に進もうとする人間が嫌いだし(結果売れた人は凄いと思うし、尊敬する)、自分状態客観視出来ずに自分は不幸だと嘆いている人も嫌い。

 親に金出して貰って大学受験の塾通って、浪人の時も塾通って、自分の好きな大学に進学させて貰って、一人暮らしもさせて貰ってるのに親からの連絡に返信するのがしんどいって相談されても何も言えないわ。

 人生努力したことがない人間は周りに1人だけいてそいつが大嫌い。ただ努力しないかそいつが嫌いなのか、そいつが嫌いだから努力しない人が嫌いなのかはわからない。親が大金持ちとかなら全然いいと思うけどそうじゃないんだから自立する術を学んだほうがいいのでは。その場限りの短略的思考で生きてるのを見るとイライラする。こいつが昔とある博打職業に就きたいって言い出してからその商売が嫌いになった。今は諦めたみたい、それになるのには努力しないとだけど人生努力したことないもんね^^

 ……これらの"良い"が一方的な決めつけで自分尺度しか物事測れてない事を知ってるから本人には言わないけど。

anond:20200722034020

コメントありがとうございます

社会人の方でしたら、どういうことを考えて就活たかを教えて頂けると助かります自分は今までの人生ネームバリューだけを求めて進路選択してきました。大学受験までは偏差値という単一尺度判断すれば良かったので、受かるかどうかは別として、選択のものには特段悩んだことはありません。ただ、就職尺度が多過ぎて、また、なまじ取れる選択肢が多い分、悩んでいます

2020-07-20

何も与えられなかった私と、与えられた人間への恨み

幼少期に家に本があり、勉学をする環境が整えられ、何より食べることに困らなかった人間が憎い。

私はとある部落に産まれ落ちた。教養常識もない。最近になり人間は1歳ではなく0歳で産まれてくることを知ったほどだ。幼少期は食事にありつけないことも少なくなかった。

物心ついた頃には母親はおらず、父には毎日暴力を受けて育った。

就学前の教育は一切なく、小学生になってから部落まれ忌避された。給食費等は父が払ってくれなかったので教師からも疎まれていたように思う。とにかく周囲の人間はすべて敵だったように感じていた。

何も与えられなかったが、知能と運動能力は著しく高かったと思う。

程なくして才能を見出され、野球を始めた。能力は高かったので、私がいれば勝てるという理由で月会費をチーム内の父兄負担してくれた。父が野球をしている私を見に来ることはなかった。

ただ、なんとか野球を続けることができたおかげで、中学時代関東ではそこそこ知名度のある選手となり、県外の高校特待生として進学することができた。父は中学を出たら働き手として収入源にするつもりだったようで猛反対していた。

やっと親元から離れることができた。高校では寮に入り野球漬けの日々を過ごしていたが、勉学にも懸命に励み、スポーツ馬鹿偏差値の低い高校ではあったが、定期テストで学年1位を譲ったことはなかった。

野球の方でも一定成功をしたので特待生大学からスカウトもあったが、将来を考えて一般入試でのいわゆる高学歴、難関大への受験をした。父はもちろん怒り狂っていた。

このあたりで母親と再開した。記憶の上では初めて会う母は、貧しいにもかかわらず私の大学受験支援してくれた。

結果として受験はまずまずの結果で、当時偏差値70前後私立大学合格することができた。野球しかしてこなかった人間としては上々だろう。

もちろん私立大学学費など身内の誰も払うことはできないので、私は700万円の借金を背負い大学進学をした。大学では飲み、賭け、遊ぶ、模範的生活を送った。この頃から父の存在は頭から欠落している。

その後大学から言えば当然程度の大手企業就職し、働くようになった。

ここから社会に馴染めない私の人間性とそれを醸成した環境の劣悪さに気付き、同時に「マトモ」に育った人間への嫉妬憎悪が芽生え始める。殴られないように父の機嫌を取っていた卑屈さが、幼少期に教育を受けられなかったせいで常識マナーが欠如している点が、他者の反感を買い、実社会での孤立を招いている。

かい家庭で育てばこんなことにはならなかった。努力できるレールが敷かれていればもっと良い企業に入っていた。環境が憎い。豊かに育った人間が憎い。愛されていたかった。愛とはなんなのか。お前ばかりなぜ愛されるのか。というように、環境から自分へ、自分から他者への憎悪へ、姿を変えて何かを恨み続ける人生を送り始めている。

見かけだけは普通人間を演じている。怒りや憎しみを抱えながらも。

私はこのまま何かを憎み続けて生きていくのだろうか。

2020-07-18

本当に辛かった孤独

 私は大学受験二浪した。失敗したことを失敗と素直に受け止められなかったから、こうなった。結局得られたものは一つもなくて、二年の時と可能性、健康身体思考を失っただけだった。二年目はとくに酷かった。勉強なんて遠くに行ってしまって、わずかなコンビニバイトを除けば、そこにあるのは静かな絶望だけだった。“静かな絶望”と書いたが、何も詩的な耽美あるわけではなく、Youtubeの本当にくだらない動画と、過度な自慰行為と、コンビニ廃棄弁当と、周囲からの痛い視線嘲笑侮辱偏見があった。怠惰怠惰を重ね、惰眠を貪っているだけなのに、自分には何かあるはずだと、救いのないことを心のどこかに置いて、何もせずに過ごした。

 ここまで来るとと、おちおち眠ることさえできない。ある時、急に、胸が締め付けられ、呼吸がうまくできなくなって、身体中の神経が痛み出し、何も吐くことのできない嗚咽と、どす黒い鉛を頭の中に詰め込んだような頭痛が同時に訪れる。堪らなく怖くなって目を閉じると、まぶたのうちの仄暗い深淵から、黒い人魚のような、おどろおどろしい悪魔幻覚が姿を見せる。その無数の手が伸びて私を闇の底へと引きずり込もうとする。堪らない不安と寒さに凍えながら、吹き飛ばされそうになりながら、ありもしない幻覚と戦い、二時間ぐらいすると呼吸が戻ってくる。支離滅裂荒唐無稽に思われるかもしれないが、たしかに私は一年間こうして苦しんだ。自殺した方がよっぽどマシだと何度も思った。

 今はなんとかやっている。小さな仕事を与えてもらって(というよりはまだまだ教育期間だが)、恥ずかしい、情けない思いをすることも多々あるが、周囲の支えでなんとか立つことができた。この忌まわしい記憶はいつまで私を苦しめるだろうか。それとも一生亡霊のようについて廻って私を苦しめ続けるのだろうか。一方で、やれやれ、もうどうでいいことじゃないかと思う時がある。だとしたら、最初から苦しむ意味なんてどこにもなかった。

 さて、コンビニに甘いものでも買いに行こうかな。

2020-07-17

美大コンプコロナ

美術系の分野を学んでいる。大学美大ではないが、美術系の学科があるところで、就職率も悪くない。しかFランである

元々絵の道に進みたかったがどうせ美術系なら美大通いたかったという気持ちがあるし、今現在美大に通っている友達も羨ましい。

なぜ行けなかったのかは、親が県内以外の受験を許さなかったから。県内美大は無いししょうがない、と当時の俺は諦め県内でやりたい事と合っている大学が見つかってそこ1本で受験してきた。今更美大行きたかったなーとふと親に話すと「受験だけでもすれば良かったじゃん」と言われた。は???あなたが許してくれなかったか受験出来なかったんですけど???と、思ったが自分大学受験で何も努力していない。美大受験生が通う予備校にも行こうとしていないし、勉強が出来ないからと受験勉強なんてしなかった。だから大学試験小論文くらいしかないAO入試で受けた。(あとは面接) 受験組が必死受験する中一足先に受かった俺は遊びまくっていた。

こんなんじゃFランしか行けなくて当然だわ!って思ったし、今更美大受験しなおしてやり直しする気力はないし、おまけにFランでも就職率良いしこのままなりたい職業につけるならそれで良い...と思っていたのだが....

同じ大学学生(おそらく学部別)が2桁の数感染した。飲み会でのクラスターだそうだ。

大学側が会見を開いたので名前が知れ渡った。バカ大とSNSでは叩かれるし、感染者と同じ日に大学にいたかもしれなくて感染が怖いし、こんな事で大学名広まったか県内就職危ういかも知れなくて受験しなきゃ良かった....とまで思ってる つらい

もう、男性は全員藤井棋聖クローンでいいのではないか

特に将棋に詳しくない人まで藤井棋聖万歳とか、行ってて辟易する。

藤井棋聖がすごいのは分かったよ。で、その他の高校生には意味がないの?大学受験勉強したのは、あれは全部無意味で、藤井棋聖の方が偉いのか。

まぁ、多分、藤井棋聖褒めてる人にはそうなんだろう。生まれてきてごめんなさいね

日本男性は皆、藤井棋聖クローンにしよう。百年ぐらいかけて入れ替えよう。そうすれば、無能に生まれてくるだけの我々が苦しむ事も、社会迷惑をかけて謝罪しながら生きることも必要ない。

藤井棋聖はえらい。すべての男性藤井棋聖謝罪しなければならない。藤井棋聖より尊い生き方をしていないから、与えられたチャンスを藤井棋聖ほど活かせなかったから。

藤井棋聖以外の男性はね、生まれてくる価値なんてなかったんだよ。勝負の結果のみ重視するって、そういう事でしょう。藤井棋聖以外の人間価値を認めたら、藤井棋聖勝負を愚弄することになる。

藤井棋聖価値を認めるなら、これを読んでるあなた自殺しないといけない。生きようと思っている時点で、勝負世界を愚弄している。あなたが生きていること自体が、将棋以外に世界があって、そちらにも価値があること、つまり勝負以外の価値を認めてしまっているからだ。

藤井棋聖を真に讃えたいなら、藤井棋聖以外の人たちは自殺するべきだし、藤井棋聖より将棋弱いのに生きているという事は、藤井棋聖勝負なんて大したことないって心の奥底では思ってるという事だ。だから祝福の言葉を投げかけられるんだよ。

藤井棋聖は偉いんだから藤井棋聖が負かした人間自殺したら責任ちゃんと痛感してほしいなぁ。それが勝者の責任ってものでしょ。勝ったものは、負けた者より命の価値が高い。だから、勝った者は負けたものが死んだらその無念を引き継ぐ義務がある。

中古マンション買うかも

しがないソフトウェアエンジニアしてるけれども、今の会社含めて業界全体的でリモートワークが定着しそう。というか、今の賃貸がク○過ぎて、自宅作業苦痛引っ越しを考えるも、「新建築」に載るような集合住宅に住んだ時期を想起しても、この国の賃貸クオリティーはあまり高くなさそうであり、人生で初めて不動産購入を検討中

現在都内でも比較的小さな店が多い中央線沿いの街住みで、引越し先は賃貸ベースならば1年ぐらい前から中目黒検討していたが、物件を買う=10年ぐらい住むとなるともっと自然が多い街に行きたいみたいなところ。

ひとまず中古マンションの購入を検討をしているが、驚くほど非効率作業を強いられるので誰かにこの不満を共有したい。

マンション内装部分はいくらでも変更可能なので、正直部屋の写真とかはどうでも良い。寧ろ、「マンションの躯体・構造」「管理組合」そして「街の将来性」に関する情報を知りたい。これらは相当程度データ表現出来ると思われるところ、suumoなりhomesなりを見ても絶望的にそれらの情報記載されておらず、なんとなく良さそうな物件を見つけては不動産仲介業者との膨大でかつ不必要コミニュケーションを強いられる。そのわりに不動産仲介業者提供する新しい情報殆ど皆無だったりする。

例えば、このようなデータを見たいが(意外と)標準的に容易に閲覧可能となっていない。

◎「マンションの躯体・構造

◎「管理組合

↑ 一部のマンションではこれらの大部分の情報が [マンション管理ネット](https://www.mirainet.org/) で見られる

◎「街の将来性」

...

...

etc

正直これぐらいのデータがあれば、今すでに標準的に表示されているデータと合わせ、知らない街の知らないマンションでも短時間で相当程度その価値を見極めることが出来ると思う。

とはいえ、なんだかんだ解体計画管理組合電子化に関する情報住民のnpsが分かれば良い気もしている。

解体計画そもそもスクラップアンドビルドのノリで作っているのに解体計画が無いのが良く分からないが、これがあれば竣工時の情報・修繕の想定・リスクの想定などマンションの躯体・構造に係る必要情報が組み込まれている可能性が高い。また、物件評価するときに、解体計画に基づいて実質的な経過年数を評価出来る手法もあり得る。

管理組合電子化に関する情報 → 結局知りたいのは管理組合コミニュケーションのあり方。区分所有法に基づき総会議事録を電磁的記録で作成するのは難しそうだが、議決権行使は電磁的方法OKだし、その他管理組合アプリみたいのも幾つかあるので、ある程度管理組合電子化していて欲しい。ここが電子化されていないと、老人が多いかコミニュケーションコストが高そうなイメージを持ってしまう。 あと、国交省が言うような100年マンションがあったとして100年後に紙資料が保存されているのか、疑問がある。

住民のnps → npsを細かく取ればその自治体についてある程度は分かりそう。特に、街の中長期的な発展には新陳代謝重要そうなので、若い世代のnpsを知りたい。「住みたい街ランキング」とかどうでも良い。appstoreでアプリダウンロードするときに知りたいのは、ダウンロードした人のレビューであって、これからダウンロードするかもみたいな人の意見ではない。

ただ、この3つが明示的に分かる場合は少ない。なので、結局仲介の人に連絡をし、実際に物件を見に行かなければならない。そしていろいろコミニュケーションするが、結局良く分からないままになりがち。契約交渉をすると分かることもあるらしいが、ただ情報を知りたいためだけに毎回契約交渉したくない。

一方で、これらの情報が今のマンション価格には組み込まれていない可能性もあり、知識時間があれば良い物件を探せるような印象もある。今の日本マンションの中長期的に支配的な価格決定条件=「駅近xx分」と「ブランド」に収斂しているように見受けられるので、諸外国マンション価格決定を想像するに、多分価格に組み込まれていない情報は多いのだろう。不動産テックの人ってどんなことをしているのだろう。

その他雑感:

・鉄鋼の強度が上がったからか、最近東京新築マンションファサードの曲線やコーナーサッシが大胆だったりしてカッコ良いの増えてきた。駅・商業施設直結系も良い。けど絶望的に手が届かない。イギリスではマンチェスター再開発成功しているらしく、日本地方都市にもこのような流れが普及することを期待したい。

中古物件データがより可視化され、中古物件の売買が容易になることで、仲介業者手数料収入は多くなる筈だが、何故日本仲介業者はその方向性ロビイングをしないのだろうか。結局ここが分からないということは、まだ自分不動産の闇を知らないのだと思う。

・築40~50年で誰が買うのだろう?みたいな物件でも管理費・修繕費が毎月数万円掛かる。これを誰も買わなかったらどうなるのだろう。ただ、同築年数で自分が手が届かないような金額帯の物件も案外ある。しかデータがあるここ5年ぐらい価格が下落していないことが多い。ババ抜き怖い。

新国立競技場建設時に立ち退きを迫られた築40~50年物件住民を思い出す。確かに、良エリアなところには昔の人が何も考えずに建てた中途半端マンションがありがち。そしてそのせいで街の流れが悪くなっているし機会損失が発生している可能性もある? 住民間の公平性観点から東京オリンピック関係なく、良エリア中途半端マンション住民には躊躇なく立ち退きを迫るべき。

・つくづく新幹線は凄いと思う。初期の設計思想が優れているから、次の時代でも進化を遂げている。それに比べて日本マンションはどうなのだろう。あと、新幹線満州国での経験が色々生かされているらしいが、同様の経験が活かされているらしい〇〇ニュータウンは。。。

・結局税金解体されるマンション増えてきそう。責任を次の世代にまわす日本人の思考回路を感じ始めている。もうこういうゲーム自分たちの世代で止めたい。

・幾つか物件を見たが、中古マンションをどんなにリノベしても数年後の販売価格シビアになりそう。まして、金融機関担保評価はリノベに掛けた費用など考慮しなさそう。数年後に残債以上の販売価格で買主と合意できても、買主にローンつかないこともありそう。欧米金融機関担保評価ってどんな感じなのだろう。

都市計画を定めるとき地権者意見の強すぎ。x年後にその土地で住む人、働く人は潜在的に皆利害関係者なのでは。x年後に地権者はそこに土地を持っているのだろうか。今すぐ土地を高く売りたい人による、今すぐ土地を高く売りたい人のための、今すぐ土地を高く売りたい人の都市計画作りましたみたいな街が多すぎ。

自分生活都心を思ったほど必要としていなかった。結局都心毎日行っていたのは仕事必要性が90%ぐらいだったようだ。ロンドンハイドパークやリージェントパークみたいのが都心に無いのが残念。南池袋公園とかもっと頑張ってほしい。

・というか、リッチモンド公園みたいな公園郊外にあって欲しかった。〇〇ニュータウンはそのような公園に出来る可能性はあったのでは。となりのトトロを見て何故か作成者の静かな怒りを感じた記憶がある。だからこそ、これまで〇〇ニュータウン出身であることを恥じていたのだろうか。

ミラノのBosco Verticaleみたいな建築家駆動マンションプロジェクトってどうやって調べたらよいのだろう。日本マンションは基本デベロッパー駆動なのだろうか。六甲集合住宅とかは建築家駆動っぽいが。

中古自動車の購入も検討しているが、ここまでババ抜き感は無い。というか、細かい性能やデータが分かるし、価格妥当性・説得力がある。この違いは何?

・2軍の試合で良いので、車で球場に行ってみたい。何かアメリカ映画っぽい。あと、コストコが凄いらしい。一回も行ったことがないけれど。

・ひとまずこの苦難を乗り越え、沢山の知識をつけて、x年後に眺望の良いエリア一人暮らし用の注文住宅発注したい。

追記 2020/7/17 12時頃】

書いて寝て起きたら、書き忘れた不満が幾つかあったので、ちょっと追記しました。

2020-07-14

どこにでもいる大学生がこの半年で変わった話

 先にいっとく!!!!ちょ~~~~~~~!!!クソ長くなる!!!

私怨私怨!!!!!悔恨!!!!!5箇条にまとめようとしたら失敗した5箇条の御誓文か?????

567で見えてきた色んな人の裏表に疲れてしまった大学生乙女ゲーと地下ドルオタクの話!!!!!!同じ大学に通う人から身バレ防止のためここから大学描写ボンヤリとしたものになりますコメントでの特定はおやめください。大学は生徒の多くが望んだであろうオンラインじゃない講義ができるようにどうにかこうにかがんばってるはず!それに私が対応できなかっただけで大学は悪くない。家に引きこもるのが社会的批判されることがない・堂々と引きこもって自分のやりたいことできる今をその時間が欲しかった人が心から楽しめますように!!!

誤字脱字はすいません。

いままで約20年間、数学物理化学の類いばかり熱心に取り組んできたので私には正しい日本語が使えているのか、日本人であるのに自信が無い。

大量のレポートに追われたまま、脳直で文章を打ち込んでいる状態なのでご了承願いたい。

 私は本当にどこにでもいる地方国立大学二年生だ。つい2時間前まで教師を目指していた。

もし同じような境遇にいる子がいたら私みたいにならないよう、こんな文章があったな、ぐらいの軽い感じで覚えておいてほしい。

いくらでも手段はあるので諦めないで欲しい。

読んでくださった皆さん、こんな考えの人間がいるんだ、へぇ笑ぐらいに思って頂いて結構です。ここまで打ち込んでおいて自分でも文章稚拙さが”マジで”やべぇ……とおもっていますが暇な方最後まで読んで頂ければ幸いです。

①去年~今年2月の話

 学部一年生だった去年は将来の夢のため、周りの友達よりは長い時間勉強していた方だと思う。

趣味だったイラストサークルにも加入し、高校が同じだった友達学部に一人もいないながらも他学部に進学した高校クラスメイトと協力しながら大学に慣れていった。

サークル友達とは週に1回は誰かの家に集まりピザを頼んだり、学食で何時間も話したり。大人数で端から見たらアホみたいなやりとりを繰り返すあの空気感が好きだった。

安心できるバイト先も決まって、サークル内の人間関係に多少の不満はあったが今思えば望んでいた大学生活そのものだったかもしれない。

 私の将来の夢が教師になったのは大学受験が終わってからである。もともと物理という科目が好きで将来は数学系の研究ができればと思っていた私は理系学部に進んだ。(身バレ防止のため明確な表記は避けさせて頂きたい)

私の大学受験サポートをしてくださった先生は、私が進学した大学の同じ学部出身の方だった。

有名な塾があるような都会ではないので、毎日高校の授業が終わってから校内に他の生徒が誰もいなくなるような時間まで、その先生担任先生大学理科を学んでいた購買のおばちゃん……色んな人に見守られながら勉強した。

私が受験合格し、心から喜んでくれた職員室の先生方を見て、先生達みたいな大人になりたい・この高校で同じように生徒を見守れるような先生になりたいと思った。

これが理由で、理系学部に進んだ私は自分学科の必修科目に加え教育学部の必修科目も履修するようになる。

もちろん授業が倍になるなら試験レポートも倍になるということで確かに大変だったが全然苦じゃなかった。

1年間やりきった。成績も上々でモチベーション入学当時と変わらず、今まで友達と呼べる友達が2~3人だった私の人間関係がどんどん広がっていくことに喜びを感じながら春休みを迎える。このころは人と連絡を取り合うのも一緒に出かけるのも大好きだった。

2020/02~04の話

 

 2月、実習も終わって大体の友達実家に帰った。私も電車で何時間もかけ実家へ。

電車の中では咳をした人がにらまれているのを何度か目撃した。

実家の周りは見渡す限り山!!!!!緑!!!!!!という空間が広がっていて私はそれが大好きだ。その頃、ニュースではコロナウイルス話題が取り上げられ始めていた。まだ大丈夫な感じはするけれど、実家のある高齢化の進んだ小さな村で広がったらとんでもないことになる…と危機感を持ち始めたのはその辺りだった。

 

 その後の展開はある意味予想通りだった。大学は次年度のガイダンスを予定通り行うと宣言していたがすぐに中止となった。4月からの授業はいつも通り行うということだったが私はそのメールが信用できなくて、下手に実家から動くことも不安で、結局大学へは移動しなかった。やはり、授業開始は5月からという一斉メールが届いた。教科書を買いに大学へ行くこともできなくてAmazon教科書を用意した。

 友達出身も都会のほうで、2/3月はよく連絡を取り合っていたものの、みんな地元友達ショッピングセンター居酒屋に遊びに行くようになったらしい。もうその頃にはみんな地元友達毎日のように遊んでいたらしくてラインzoomも使わなくなっていた。

私はというと同じように地元に帰っていた同級生はいたが、もし自分たちが感染していたらという恐怖から会うことをやめた。クラスターが進学先で発生していた子は自宅から一歩も出なかったという。その頃から私は人と会うことの必要性に疑問を感じていた。元からオタク気質だったことも原因かも知れないが、友達とのSNS上でのやりとりが少なくなっても特に私に影響はない。自分がひねくれた人間であるとは自負しているがまさかここまでとは、自分でも思っていなかった。どれだけニュース危惧されていても・どれだけの芸能人が亡くなっても、それぞれの地元で遊び続ける大学友達理解できなくなった。

ほとんどの大学友達とは連絡を取らなくなっていたが片思いしていた先輩とは毎日のようにラインした。毎日ライン来る度に小躍りしてた。

4月後半、家にこもり続けた私は全く暇を感じなかった。本を読んだりお菓子を作ったり、他にも筋トレメイク同人誌を作れるレベル二次創作もした。自担(地下)の過去映像を見て1ライブできるぐらいにはダンス練習した。(クソデカ過大評価

しろ今までよりも忙しくさえ感じていた。5月になれば今までのように勉強漬けの毎日が始まる。だからこの何かをしていても誰からも途中で遊びに誘われない、家に勝手ピザだのウーバーだの頼まれ友達勝手に上がってこない・勉強しなくても公的に、なんとなく自分感覚自分を許すことができるこの時間人生夏休みとして思いっきり使おうと毎日何かしらしていた。今までのみんなでワーワーする時間も大好きだったけれど、この過ごし方も最高だった。

大学近辺に借りたアパート電気・ガス・水道すべて止めた。

2020/05

5月になった。オンラインでの講義が始まった。大体の講義を受ける度に一つずつレポートが増えていく。

今はもう慣れたけれども最初は“マジで地獄だった。

連日徹夜は当たり前、朝8時までのレポートを7時に提出して1時間仮眠を取ると1コマ。またレポートが積まれていく。私の要領が悪いだけかも知れないと感じていたが、初日には同じクラスのほぼ全員でzoomでの会議しながらみんな半泣きでレポートをこなした。みんな同じだった。家から出るななんて言われていたがその日食べるものを買いに行くことすら厳しいレベル課題が出るのだからから出ることが本当に、絶対、多分無理。

オンライン講義が始まってまだ慣れなかった一週間、実家にいるのに私は一歩も自室から出ることができなかったのだから、それ+家事である帰省していない友達もっと大変だったと思う。私はその一週間スマホを触れなかった。そんな時間があるならレポートをやったし、私の性格だともし今暇そうで遊び歩いている人を見たら理不尽イライラしてしまいそうだったからだ。そんな自分性格は今でも嫌いだ。人はそれぞれなのに、SNSみえる部分はその人の日常におけるほんの一部分なのに。

 そのうちテンプレートを作ったり教科書を読み込んだりすることで余裕を持てるようになってきた。教育学部の授業も生徒との関わり方など、本当に学びたかたことを学べるのが嬉しくて真面目に受けた。苦手だった英語せっかくだから少し取り組んだ。友達と話していたりご飯に行っていた時間を全て勉強に充てた。目が回るほど忙しかったが一日を一秒も無駄にしていない感じがして、4ぬほど充実感があった。多分ランナーズハイみたいな状態になっていたと思う。この頃の私の思考、今考えると狂ってる。怖ッ

そうやって暮らしていたら、片思いしていた先輩に彼女ができた。友達から聞いた。3日泣いた。

なんでも4ぬ程忙しかったり課題が出ていたのは私の大学では理系教育学部医学部薬学部だけだったらしい。文系その他は相変わらず課題なんてない、流しておけば講義が終わるから余裕なんて状態だったらしい。悔しかった。先輩は地元で飲んでいたらその子出会ったとかなんとか、先輩と仲が良かったサークル男子が教えてくれた。マジで無理だった。

こんな世の中なのに先輩は毎日飲みに歩いていた事実も、もうちょっとで付き合えそうだったのに私はダメでその飲みの場にいた女の子は良かったことも。先輩は付き合ったら長く続くタイプらしいのでもう諦めた。悔しがっていることを知られたり、先輩に彼女ができた事実を知っているということを悟られたりするのが嫌でしばらくインスタをログアウトした。対面授業が再開して会ったら、知らなかった!よかったね!おめでとう!と言おうと決めた。

インスタをログアウトしたので特に仲の良い2人以外とは関わらなくなった。

正直、一旦距離を取りたい人間関係もあったためなんとも思わなかったが家族以外の人と言葉を交わさなくなってから他人に会うことに抵抗を覚え始めた。さすがにやばいと思った。

メンタルボロボロのまま毎日徹夜レポートを書いた。エクセル演算した。勉強しても充実感はなくて朝7時に起きて授業を受けて次の日の4時に課題を終わらせて寝る、余裕がある日は推し夢小説を読み漁った。オタクでいられたのでガチ夢女に戻ることでメンタル回復した。多分推しのグッズ、末代まで「捨てるな!」って書いた紙と一緒に保管。

2020/06

コロナ騒ぎも日常化して、実家のある村にも日常が戻ってきた。近所のおばあちゃん達にはまだ実家にいることがバレ、実は大学をやめたのではないかという噂がすぐに広まった。これはギャグ。もう私の家では笑い話。インターネットオンラインという言葉をおばあちゃん達に理解してもらえなかったのでもしかするとまだ大学やめたことになっているかもしれない。つらい。

リアル人間関係からほぼ身を引いていたため、ツイッターフォロワーと夜な夜なTLを巻き込んで会話しながらレポートを書く。それは変わらなかったし確か6月の中盤まで、私は靴を履いていない。つまりから一歩も出なかった。5月からミリも変わらない暮らしをしていた。

大学からある日アンケート回答のフォームが送られてきた。匿名フォームで、今帰省しているのか・そうならば実家は通学可能距離にあるのかという内容であった。正直に送った。

私の周りでは実家帰省したままだという人がほとんどだった。

しかし次の日の授業で衝撃を受けた。今回のレポート提出は手渡し以外認めないと教授は言った。とても口が悪いので書くこともためらわれるが、このご時世でそれって狂ってんじゃないのかと思った。事情メールして渋々だったが郵送させて頂いた。

その後も何人もの教授大学に行く用事を作った。全て郵送やらメールやらファイル共有やらで代わりに提出を認めてもらった。正直メールファイルを添付すればいいものばかりだったので助かったものの、もし私が他学部実験科目がある生徒だったら?サンプルを取りに行くために泣く泣く地元から大学へ向かった友達もいた。このまま実家講義を受けていたら落単するのではないかと、なんとなく恐怖心を持った。

もし町から町への移動がそのように咎められるものでなくなりつつあったとしても私の地元はどうだろうか。

教授気持ちはわかる。高校部活演劇部だった私は裏方としてであるけれど人対人でなければ伝わらないことがあるということを何度も学んできた。絶対こんなに課題を出すよりも対面で、お互いの表情や空気感を読み取りながら講義を受けた方が1000倍伝わる。教授達が沢山努力していることはわかっている。でも一つだけ、ちょっとだけ考慮してください。アンケートで回答したみたいに、今は大学に通学できない距離暮らしている子もいますWord文書気持ちが伝わりにくいなら、手書きどうでしょう。「今すぐ」や「今日中に」大学プリントを取りに来るように伝えるのではなくPDFを配布してみませんか。

この頃、一通のメールが地下ドル垢のDMに届いた。7月オープン予定でコンカフェを開く予定なのでキャストとして働いてみないか・お店で働く子達で地下アイドルグループを作ろうと思っている、ということだった。声をかけてくださったのは去年地下ドル現場でお会いしたことのある方で事務所経営してるとかなんとか…ということは知っていた。しかし怪しいと思い事務所名や名前鬼のよう検索した。本物だった。メイド服に憧れていたのでコンカフェには興味があった。どれだけいろいろな事情を抱えていてもステージに上がれば夢を見せてくれるきらきらした地下アイドルも大好きだ。かつて片思いしていた先輩も同じ地下の子が好きだったっけ。

しかし私に沸いてきたのは不信感だった。なぜこの時期なのか、私の推しでさえライブ自粛しているのに、都会でなければ成立しない「コンカフェ・地下」をなぜ今始動させようとしているのか、意味がわからなかった。

その頃だった。コンカフェ店舗を構える予定の歌舞伎クラスターが発生したのは。

もういつもなら暗示や占いの類いは良いものしか信じないご都合主義頭だが、こればかりは神様がやめろと言っている気がした。だから断った。

それでも何度もDMがきた、見学だけでもいいとかなんとか。

断った。挙げ句の果てにブロックした。

捨て垢から見に行ったが、コンカフェは無事にオープンしたらしい。地下ドルグループもできたみたいだ。某メイドカフェでも感染確認、こんな世の中なのにメイドが働いているのってどうかと思った。大人が信じられなくなった。あとグループの曲は普通に私の趣味雰囲気じゃなかった。(←これはお気持ち表明)

ということで先輩が好きなアイドルにはなれませんでした。前に現場に一緒に行ったことがある。

いつか地下で活動してそうだな、とか、そうなったらチェキ撮りにいくねとか言われたこと多分一生覚えてるけど、アイドルにはなりませんでした。(超怖いガチメンヘラコーナー)

2020/07と今日の話。

そんな感じで相変わらずレポートに追われる毎日実家で送っています最近は本当に仲の良い2人と連絡を取り合うくらいで、レポートにも慣れてきて二次創作を適度に楽しみながら暮らしています

私はこれでも勉強趣味に…ってそれなりに外に出なくても毎日充実してる。それぞれの生活もあるんだし、私みたいな生活しろなんて誰にも思わない。それでも東京毎日感染者出てたり、私の実家に近いところでもじわじわ感染確認されていたり、5月から世の中変わってないみたいだ。友達の住んでる市は勝手ロックダウンしたらしくもう当分大学には戻れないとか。

そしたら今日大学からメールが来た。私はちょうど課題をやっていた。

8月頭から対面での授業を再開するって、教育学部が中止と予定していた介護実習や高校での実習も開講する予定ですって。受講を希望するなら今すぐ登録を、また必要書類大学窓口で手渡し以外認めないって。期限は5日後。

実習も8月に開講する科目も、教育学部以外の学生教員免許を取るには必須で1科目でも落としたらもう4年間で卒業するチャンスはほぼないかもしれない。

から私はどうする?

教師は今後10年間で必要なくなるなんて記事ネットはいっぱいある。

多分これから教育ネットが主流になる。

メールが来てから時間、ずっと私はなけなしの脳みそフル稼働させて考えた。

県内感染者も増えているのに?移動中に感染する可能性は?土日ですら授業あるのにいつ動く?

介護施設も高校も、もし大学の誰かが感染していたら?大学のある場所感染者が増えたのは先週の後半。これが決定したのは先週の始めらしいか明日になれば対面での講義中止のメールが届くのでは?社会的にどう?教師になることを諦めたらいい?そんなに簡単に1年半の努力は捨てられる?距離を置いていた大学のみんなにいきなり会うの?

私今まで通り大学生活送れる?

もうどうでも良くなった。大学ですら信用できない気がしてしまった。

なんて、こんなことが頭によぎって考え込んでしまうし、しまいにはこんな文章を書いてしまうのでもしかすると私の本当の夢、なりたいもの教師じゃないのかも知れない。

私が弱いだけだと思う。本当になりたい!と思っている子ならこんなこと考えずに書類出しに行くだろうから。対面での講義にもどることを喜ぶはずだから

ということで、私は先生になる夢を諦めることを決めた。

意思が弱くどうしようもない救いようがない根性ひねくれた人間なのでもしかしたら、明後日には電車に乗って実習に必要書類を出しに行くかもしれない。8月はどこかで実習しているかもしれない。教師になることを諦めたまま Permalink | 記事への反応(1) | 02:20

2020-07-13

自称進学校は人を狂わせる

数年前まで自称進学校に通っていたが、正直人生で一番辛い時を過ごした。割と自業自得な所もあるから純粋批判が見たい人はお勧めしない。

高校受験に落ちて補欠で取っていた自称進学校、A高校(Aはイニシャルではない)に通うことになった時、地元中学では優等生評価されていただけに悔しかった。地元はあまり頭のいい学区ではなかった。井の中の蛙になっていた。余裕かましてろくな努力もせず、勉強している自分に浸っていただけだった。

言われてみれば当然の仕打ちだったが、それでもしんどかった。自称進学校特有のわけわからんまり込みのクソ長オリエンテーションでは大縄跳びをやらされた記憶と、朝昼晩の山盛りの食事に打ちのめされて、帰ってから1、2ヵ月摂食障害になった記憶しかない。摂食障害は最悪だ。食べられないが腹が減る。だから授業中に腹の音が鳴らないか心配だった。笑い飛ばせるタイプでもなかった。そして、精神が弱いと蔑む親の目が何より怖かった。

授業中には普通に喋るようなやつがいるし、超が付くほどのバカもいた。なのに教師は某有名進学校で使っているテキストやらせていた。数学なんかこのテキスト挫折した人間いっぱいいると思う。国公立目指してるくせに生徒の使える教科減らしちゃマズいだろ。受験期には10時間勉強しろと急かされた。何時間勉強した?が朝のお決まり挨拶だった。正直、1年からちゃんとやれば10時間とかやんなくても私立ぐらい行ける(国公立は知らん)。3年になっても受験モードなんてほぼ感じられなかったから、実際合格発表悲惨なもんだ。一握りの成績いいやつらが上げてただけ。クラスメイトのやる気のなさは自分にも影響する。周りが緩んでると自分を甘やかしてしまう。あと一人で勉強してる孤独感。中学受験想像以上に大事だ。意外と大学受験に関わってくる。

学年集会が2~3か月に一回はあった。みんな大好き進研ゼミ業者が来たり、受験前の休みに入る直前の集会ではガッツポーズをさせられた。非常に冷める。

公立推しはすごかった。学年で半分ぐらいの順位のやつがおだてられて国公立を志望していた。MARCH志望の俺より全然成績悪いやつがT葉大?笑ってしまう。

全教科平均で、特に苦手な教科もなかったから国公立受験直前までしぶとく勧められた。本当に直前。私立オンリーだったが、センター受ける2週間前ぐらいまで地方公立の出願用紙を渡された。確かに私立は厳しくなってきてたから、国公立を勧める理由もわかる。でもそれぐらいには信頼されてなかったってことだ。この学校側の不信感が、無能感と不安を何倍にも膨れ上がらせた。模試だけで機械的判断され、自己肯定感が潰された。模試システムにも問題があると思う。受けさせられる模試は大体記述式。選択肢が多く、スピード重視の私立文系には合わなかった。そこで出た判定なんか信じちゃいけない。実際俺はE判の第一志望を受けて普通に受かった。なんなら全日程、個別日程どっちも。信じるべきは過去問いかに出来てたかどうかだ。模試にあくせくするぐらいならやんない方がいい。過去問をやれ。

狂わせる、と書いたが狂ったのは俺だけかもしれない。だが、自分に合わない環境教師による利益重視的な行動、不信感、孤独感、認められていない悔しさ。本当にしんどかったし、その抑うつ感情は今も続いている。あと教師とか生徒とか全てにおいて頭が悪かった。親御さんは高い金払って自称進学校なんかに行かせるメリットがない。それなら安全圏の公立高校に通わせるべきだ。

32歳腐女子オタク増田で母と喧嘩した話

感情のままにこれを書く。

つい先ほど母と喧嘩をした。発端はツイッター話題の32歳腐女子独白を私が母とシェアしようとしたことだった。

同じくオタク腐女子の私は母にひたすらその文章を読んで聞かせた。読み終わった後に「やばくない?」と聞こうと思っていた。共感を得ようと思っていた。だが母はファッションのくだりで遮った。こっちは興味ないの、と。なんで延々と読み上げるの、あんたは何が言いたいの。

なんで?そんなのこの内容を聞けばわかると思った。20歳になったばかりのお洒落初心者オタクの私にとってこれがどんなにゾッとすることか、普通ならわかるはずなのだ

私はすっかり失念していた。母が自分容姿自己投資無頓着なことを。50代の母はメイクほとんどしない。使うもの免税店で売るようないいものだが、ファンデーション口紅、それだけだ。育児で忙しいとかそういうことではなく、昔からそうなのだ。服だってユニクロの服を着たりする。私と服をシェアすることだって日常的にある。母はそういう人なのだ自分のためにお金を使うことはあまりなく、かといって特に趣味があるわけでもない。ただの50代のおばさんだ。しかし、母は、美人なのだ

自慢ではない。思い込みでもない。母はどうにも、美人なのだバランスの良い輪郭、ぱっちりとした二重で上品さをたたえた目、知的眼差し、天然ものにも関わらず落ち着いた印象を与える整った眉、しっかりと通った鼻筋、大きすぎず、薄めで形のいい唇、笑ったときの頬も大人成熟さが感じられて素敵だ。私はそんな母の顔が好きで、母に似ていると言われるのを待ち望んできた。しかし、そんな機会は一度もなかった。いや、嘘だ。一度だけある。授業参観で私の母を目にした同級生が、「〇〇ちゃん、お母さんに似てるね!雰囲気が!」と満面の笑みで言ってくれたことはあった。倒置法で期待をへし折られるのはなかなか辛かった。

そう、私はなかなかのブスなのだ。額が狭いくせに見まごうことなき面長顔、ふっっっとい眉、一重で笑うと目が消滅するひきわり納豆並みの小粒目、ほこりを取るという本来機能すら果たせないレベルの短い睫毛、ヴォルデモートよりはましレベルの低い鼻は団子鼻のおまけ付き、ゴボ、黄歯、タラコ三重苦を備えた口、ろくに対策をしなかったせいで顔中にはびこるしみ・そばかす、手は小さく爪は短く指は太い。加えて大根足。主張の激しい尻。別にスマウントが取りたいわけでもないし、私よりましですよ!なんて言ってほしいわけでもない。これが、私の顔、しいては体型を構成しているのだ。さらについ昨日自分の頬骨がだいぶ横に出っ張っていると自覚した。死にたい

私は自他共に認めるブスだ。空港パスポート確認する係の職員が私のパスポート写真を見て軽く噴き出した時、私は笑われるレベル顔面なんだと実感した。それ以来写真には極力写っていない。

話を戻そう。母は問うた。なんであんたがこの話をそんなに気にするの。あんたは周りの人を顔や容姿判断するの。なんであんたは周りからの印象や意見に過剰に反応するの。大学に入ってから服だの髪だの化粧だのそんな馬鹿馬鹿しいことばかりじゃないの。偏りすぎてると思わないの。お母さんを見なさいよ。私なんて50過ぎてるのにろくに化粧もしないで安い服着て仕事に行くんだよ。

いかけは次第に説教へと変わっていった。こういうことは今に始まったことではない。今までにもこんな議論は何度もあった。私がダイエットをすると言って食べる量を減らしたとき、私が整形をしたいと言ったとき、私が汚い男爪をなんとかしようとして爪を長く伸ばし始めたとき私たちは同じことを繰り返した。そして私は決まってこう返すのだ。

「お母さんは綺麗だから

綺麗であれば装備は少なくてもなんとかなるのだ。元々のスペックが高いのだから美人な人は他人から評価なんて気にする必要がないのだ。その顔や容姿でこれまでに不利益を被ったことがないから。美人は皆言う。人間顔じゃないよ、中身だよ。

うるせ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

わかってる。美人でも自分磨きを怠らない人がたくさんいるのも知っているし、逆にブスでもデブでも自分の外見に無頓着な人がたくさんいるのも知っている。ブスだとか美人だとか関係ないのだろう。母が言いたいことの一つはそういうことかもしれない。でも私が気にしてるのはそう言うことじゃないんだ。なんで「ただしイケメンに限る」みたいな言葉があると思ってんだ。幸せお金で買えないって言うけどそれなりの幸せお金で買えんだよ。それと同じだ。私は何も小松菜奈とかアンハサウェイみたいになりたいなんて言ってない。それなりの美貌がほしいんだ。あわよくば美人自分磨きサボってるレベルの美になりたいんだ。写真で撮られても怖くないように、ちゃん笑顔で笑えるようになりたいんだ。褒め言葉をお世辞じゃないかって疑うんじゃなくて、素直に受け止められるようになりたいんだ。

私みたいなブスがそこに追いつこうとしたらもっと努力を重ねないといけない。だから歯のホワイトニングを始めた。全身脱毛カウンセリングを予約した。インスタでファッション美容、いろんなアカウントフォローした。爪のケアや二重にする練習も頑張っている。朝をオートミールに変えた。初めて万超えの服を買った。メイク勉強も始めた。イエベブルベ骨格も自分なりに把握したし、ファッション用語勉強も始めた。コテも買った。ちゃんとした美容院で髪を切ってもらった。シンプルアクセサリーも買った。毎日顔のマッサージをしているし、前より姿勢に気を使うようになった。

母はそんなのまだ早いと思っているのかもしれない。だがそれらはみんな大学受験が終わったらやりたかたことで、みんな今より綺麗になるためにしたかたことで、それは自分から見た自分のためでもあり、他者から見た自分のためでもあった。他者から見た自分は醜くて嫌いだった。だから自分から見た自分のことも嫌いになった。そこからずっと抜け出せなくて、歳を重ねても自分でかけた呪いから離れられなくて、ずっと苦しかった。私は中身もできた人間じゃない。幼稚だし飽き性だし教養もない。可愛い子には嫉妬するし、僻んだりもする。心の狭さ、浅さもなかなかクズだ。承認欲求もすごい。強欲すぎて我ながら引く。

異性や芸能人は顔で判断したりもするし、正直に言うと現実の友人の中にも私よりもブスだと思っている子がいる。もっと言えばブスだし性格もよくないしで救いようがねえなって思っている人もいる。今の私と同類だ。

今よりもう少し綺麗になれたら、自分と周りの目に怯える必要のない心の余裕が持てるほどの美人になれたら、世の美男美女が言うことの意味もわかるような気がする。そしたら私は母のような素敵な人になれるのだろうか。

見た目が全てではないのは分かっている、が、中身が全てでないことも分かっている。

私は今見た目に、そして自分自身に完全に意識が向いている。母から見て私が足掻いている馬鹿馬鹿しいことは全て、私が中身にも、そして他者にも目をきちんと向けられるようにするためのステップなのだ。私は見た目を諦めてまで中身の段階へ行きたくはない。そこそこの美貌に満足できるその日を現状のゴールとして、私は私のやりたいようにやろうと思う。

anond:20200713134141

自分の一番長い日」は何だろう、と考えた。

大学受験合格発表の日は長い1日だった。母親上京して掲示板自分受験番号を確認した。その足で、不動産屋に向かい物件を何軒か回った。途中、同じ大学受験していた高校の友人と偶然出会った。表情でお互い合格していたことを理解し、少し芝居がかっていたがその場で抱き合った。

前の彼女と別れた日は長い1日だった。2週間ぐらい別れる別れないのやり取りを繰り返して、最終的に二人の中で結論が出た日、彼女に関連したものを全て捨てた。敢えて燃えるゴミの日のゴミとして雑に捨てた。

息子が生まれた日は長い1日だった。当時私は長期の出張海外に出ており、息子が生まれたことを聞いた。破水したという連絡の後、当時私が住んでいたアパートの周辺の公園にあった小さな森の中をぐるぐると歩きながら連絡を待っていた。

2020-07-10

子供の前で将来を限定する話は禁句です

anond:20200709150934

私の親は非常にしつけに厳しい人で、生活食事も極めて質素海外旅行なんて行ったこともなく、国内旅行も年に1回と決まっていました。

当時私は飛行機が好きで、パイロットに憧れていました。しか視力が弱かったので、母は「視力が弱いとパイロットにはなれないよ」と言いました。私はパイロットを諦めました。しかし後で調べると、私程度の視力であればパイロットになる方法はあったようです。

その後成長して、成績も学年トップだった私は「医師になりたい」と思うようになりました。母は「うちはお金がないから、医学部に行くなら国公立にしてね」と言いました。そのため大学受験国立一本に絞りましたが、実家から通える範囲国立を、と考えた結果、医学部は諦めて理工学部に進学しました。お金が無いと聞いていたので一人暮らしは難しいと子供ながらに思ったからです。

その後、祖父が亡くなると、我が家相続税17億円も支払うことになりました。我が家お金はあったのです。

あの時、頭ごなしに「視力が悪いとパイロットにはなれない」と言われていなかったら、私はパイロットを目指していたかもしれません。

お金がない」と言われなかったら、医学部に進学して医師になっていたかもしれません。

子供の前で、子供の将来を限定するような話を、決してしないでください。子供は意外と真剣にとらえてしまます

読解力の不思議

最近センター現代文を久々に解いた。

そもそも時間が圧倒的に足りない。かつ文章自体が難解だから時間制限を取っ払って読んでも内容を理解出来ない。

この難易度で平均点が5、6割(古典含めだけど)って凄いと思う。

でもここで疑問があって、大学受験生の読解力がこれだけ高いものなのに、Twitterのリプ欄、ヤフコメYouTubeコメ欄なんかは「お前は日本語覚えたてか?」「お前、本文ホントに読んだ?」と思わせる文がめちゃめちゃ多い。

ネットで頓珍漢なコメントしてる人たちって、大抵が大学受験してない人ら、もしくは大学受験したけれど国語の点数が低かった人らで占められているのだろうか?

俺が書いたこの文にも的外れ言及がされるのはすでに予想出来ている。

2020-07-09

塾恨みガイ

って7年以上はここに居座ってるのか。

何かしらの事件起こしそうで怖いな。

大学受験ミスった恨みから塾や予備校業界へ何かしそうな危ないヤツ。

anond:20200709165918

東大京大の差を知らない時点でヤバいし、現役でサクッと早慶受かるくらいでないと浪人しても東大なんて受からん

高校受験でさえ無双出来なかった落ちこぼれ大学受験しても無駄

#10年前の自分に言っても信じてもらえないこと

というハッシュタグツイッターでたまに見かけた。

あれ自分もやりたいなと思いつつ、なんだか恥ずかしいのでできず、機を逃した。なのでここに書き捨てさせてもらおうと思う。

10年前と言うと2010年か。

いね

当時まだ10代で、高校中退して、塾通いさせてもらいつつも半分引きこもりのような、甘ったれ生活をしてた。

中退した理由も今から考えるとよくわからない。

当時の自分にとっては死にたくなるくらい辛かったはずなのだが。

やめたって別にスッキリしなくて、むしろ罪悪感でぐるぐる巻きになって身動きができなかった。

そのあと奇跡的に大学受験はなんとかなり、なんだかんだで実家から離れた大学に進学させてもらったけど、大学も行ったり行かなかったりで単位を落としまくり、虫の湧くような汚部屋でかろうじて息をして、カップラーメンだけ食べるような、昼は引きこもり、夜中になってから少しだけ外に出るような、そんな生活だった。

バイトは多少したし、サークルなどにも入ったし、たまには授業も行ったが、部屋の中で漫画を読みあさって現実逃避する時間が1番長かった。

でも友達はなぜかいた。人に恵まれたと思う。

一番仲のよかった友達に、ゴミ部屋から引きずり出してもらってギリギリ4年で大学卒業した。

そして奇跡的に就職した。

働き始めてからその友達同棲し、そこから5年ほど経って、こないだ結婚した。

仕事なんやかんや大変だけど続けられている。

学生時代一人暮らしでは全く身につかなかった家事も身につき、部屋は清潔な状態が保たれるようになった。料理毎日食べるものに困らない程度にはするようになった。

毎日仕事の他に運動勉強もするようになった。

趣味もいくつかある。ゲームや、(今は新型コロナ流行っているから行けないが)好きなアーティストライブに行ったり、バイクに乗って出かけたり。

何より人生のよきパートナーに恵まれた。

そうでなければ回復できなかった。

腐っていた時期が長かったからか、大人になってからの方が断然人生楽しい

自分で何か努力したのかと言われるとたぶんしてないと思う。

ただただ人に恵まれ、運がよかったんだと思う。

今が人生ピークなのかもしれない。

ここから先仮に落ちていくだけだとしても、仕方ないし、そうなったらきっと苦しんだり何かを呪ったりするだろう。

ももう十分楽しかった。そう言えるようになってよかった。

少なくとも今は、そう思う。

ありがとう

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