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はてなキーワード: 大学受験とは

2020-07-06

日本語文章を正確に読み書き出来る人って10%ほどしかいない

大学受験で考えてみよう。

旧帝大早慶に受かるだけで、同世代の上4%ほどに入るらしい。

マーチで上10

自分としては早慶みたいな簡単入試に落ちるなんて考えられないが、早慶にさえ入れない人が96%くらいはいるらしい。

教科書に書いてある内容がざっくりでも理解出来ていれば、マーチに落ちることはまずない筈である。(普通早慶も落ちない。)

となると、9割以上の日本人日本語で書かれた平易な文章でさえ誤読してしまうということであろう。

単語文字としては認識出来ても、文意までは把握出来ない。

Twitterなどを見て分かる通り、文法として破綻したTweetや、誤読して頓珍漢なリプライ飛ばしている人がネット上に多いのは上記説明出来る。

2020-07-04

anond:20200704170535

聞こえてくる話だと、夜遊びでとはおもえねーんだよな。

大学受験に失敗コロナ自決とかとも思えないし

anond:20200703235139

大学受験もいいけど国家公務員採用試験の専門科目の方やらせて何点取れるか公開してほしいよ

政治家選挙で選ばれる特別職から話聞いて判断できれば良くて知識はいらんって言われても限度があるよ

2020-07-03

大学受験

漢文入試必要ないことを今知った。今まで費やした勉強時間無駄になったよ...。私ってほんとバカ。不幸中の幸いなことは漢文に費やした事件受験勉強始めてから10時間くらいしかないことかな......。

されど10時間しか10時間。これから漢文時間費やさないで良いと思うとちょっとテンション上がるけど、やっぱ10時間は痛い。

もう二度とこんなポカやらかさないよ(´;ω;`)

2020-07-02

家にいる時いつもテレビが点いている

子供の頃からの習慣だから、もはや意識しないとテレビを消せない。

家を出る時にテレビを消し、家に帰ってきたらテレビを点ける。

今時こんな人も珍しいと思うが。

大学受験やってた頃もそうだった。

このテレビ見たいからそれまでは勉強しよう。

でも勉強してる間もテレビは点いたまま。

中高生の頃はラジオも好きだった。テレビ付けながらラジオも聴いてた。ラジオ聴きながら勉強

常にテレビをチェックしながら、平日だけでも野球中継からオールナイトニッポンまで聴いてるんだから救いようが無い。

当時は寝る時まで点いてた。

そんなふざけた生活をしながら、マルチタスクは苦手ときた。

もはや当時のことは思い出せないが、そんなのでは多分勉強なんて全く身になっていなかっただろう。

本当にテレビ中心の生活

今になってやっとテレビを消したほうが、他のことに集中できることに気づく。

たまに本を読むときテレビを消したら結構集中できる。

まあそれでもテレビ支配されるのは変わらない。

ご飯食べるとき面白い番組が無いとすごく不安になる。

特に集中したい事がなければ、やっぱりテレビは点いてるなあ。

テレビが点いていると、集中しようと思い立つことが難しいけどね。

レコーダーは持っているけど、録画しちゃうと案外興味無くなる。オンタイムで見たい。

支配されてるなあ。

anond:20200629213448

こういう状態を何とかするには自分作品を書く側になって別の流れを作るか、自分も長文感想を書く側になって流れを動かすかしかないです。で、読む限り増田の人は自分には小説が書けないと思っているようなので(それも思い込みだと思うけど)、長文感想を書いてなんとかするためのやり方もあるよという話をします。もしなんとかしたいならですが。

それで、「いやいい感想書けたら苦労してないんだよ」という件です。元の記事にある書けない理由を拾っていくと、「語彙力があれば小説を書くなどしている」「うまく言葉にできずに」「作者の意図を正しく受け取れているか、端的に言って自信がない」「気に入らない感想だったら……みたいなことを考えてしまう」「感じたことをうまく纏められない」って書いてあります

纏め直すと、

①正しい読解ができているかどうか不安

自分の読解を適切な文章におこせる自信がない

③下手なこと言って作者に嫌われたくない 

この3つだと思うので、1つずつなんとかしていきましょう。まず1から

①正しい読解ができているかどうか不安

身もふたもない話をします。金を使いましょう。参考になりそうな本を買いましょう。それだけです。たかインターネット二次創作に媚びるためにそこまでする? と思うかもしれません。でも、それはつまりそこまでしない人が大半だということです。やったら大半の人の一歩先に行きます。もちろん、一歩先に行ったところで、先頭に立てるわけではないですが。それでもなにもやらないよりは絶対にマシです。あと、読解力を上げるって別に二次創作以外にも役に立つ。話を理解する能力が高くて困るということはないです。

じゃあどうするかというと、高校入試用の問題集を一冊買いましょう。当時使ったものがあるなら、それ使ってもいいです。とりあえず解いてみてください。思ったよりできたできないはあると思いますし、点数を目標にすることも有効ですが、大事なのは回答と照らし合わせてなんで間違えたか確認することです。言い換えれば、自分の読解の手癖を確かめることです。文章というものには最低限の読解というものがあって、それを踏まえた上で発展的な解釈だったり書いていないことを読み取ったりするべきです。幸いなことに問題集には解答があるので間違いを確認できるんですね。最高。自分が読解を焦りがちなのはどういうところなのか、思い込みがちなのはどういうところか。一回総ざらいしてみる。パッと解けて、点数も高いし全然読めてる!と思えたなら、もっと難しいものに取り組んでもいいです。場合によっては大学受験用の問題集に取り掛かりましょう。案外解けなくて落ち込むときもあるでしょうが、でも無駄にはなりませんから自分の読解の間違いを知れて、なおかつ正解と比べられる機会って学校出るとそんなにないんですよね……。

絵とか漫画の読み方が不安という場合も同じで、こっちも本でドーピングできます。なんとこのドーピング合法なんですね。読書なので。絵の読み解き方や観察力を上げる方法についての本は結構豊富で、書店に行ってぱらぱらめくってみて面白そうだな~ってなったものを一冊選んできちんと読むといいです。個人的おすすめは『絵を見る技術 名画の構造を読み解く』と『観察力を磨く 名画読解』。感性とは理屈に裏打ちされた経験の蓄積であるということがわかりやすく書かれてます。まあ書店行くのが難しい情勢ではあるけども。

自分の読解を適切な文章におこせる自信がない

たぶん感想というものでこれが一番高いハードル。ただ、記事を読む限り増田の人はある程度できているんですよね。増田とはいえ文書けてるので、必要なのは文章が書けることではなく感想のための文章をかけること。だからおすすめは「良かったところを箇条書きで抜き出して、どう良かったかコメントをそれに加える」という感想を、誰にも見せずに書くこと。よかったところ箇条書きは話題として手軽だし、このやり方を実際に使うと感想貰う側もここがよかったんだっていう目印になりやすい。誰にも見せないのも重要です。どれだけ不格好でも平易な言葉でも構いません。とにかく書こう。なんか感想とかで執拗に語彙力語彙力って言う人たくさんいるけどあれどうかと思う。もちろん単語をたくさん知ってるに越したことはないけど、難しい言葉が強くて平易な言葉雑魚みたいなヒエラルキーがあらゆる状況で成立するわけじゃないので。どれだけ平易でもそれが適切なら平易な言葉を使うことにビビんなくていいです。好きなら好き、良かったなら良かった、エロかったらエロかった。じゃあそれがどう好きでどう良くてどうエロいのか、も含めて言葉にできるとよりいいんですが、ここでも平易な言葉をためらわないでください。「あの場面でAがこうしたところがAらしくて、そのAらしさが原作で私が感じたものと同じでありながら新鮮で好きでした。」みたいな。この段階で自分の読解が正しいかどうか不安になるのは自然なのでそれを少しでも薄めるために①があります。あと、たとえ書いてあるのが①での「最低限の読解」だったとしても、もらう側は安心できます。きちんと書いたとおりに伝わっているかどうかの確認ができるのは、下手すると褒められるよりも嬉しい。それすらもわからないのが普通なんで。文章じゃなくて漫画とか絵の場合も変わりません。ただ、絵の場合は何が描いてあるのか、どういう強調をしてあるのか、をメモにしてみるのがやりやすいです。

ここまでやってみて、それでも言葉がたりない、もっといい表現があるはず、と思えるなら答えは簡単です。金を使いましょう。参考になりそうな本を買いましょう。類語辞典とか。それだけです。辞書引くのは手っ取り早いです。いやまあ別に類語くらいはインターネットでいいかもしれないけど。あと、即効性はありませんが、佐藤信夫レトリック関連の本はとりわけおすすめです。書きたいことを書きたいように書けない、というのは人間がずっと悩んでいる問題なのがわかります

③下手なこと言って作者に嫌われたくない

えっとね、これは無理!無理です! さっき平易な語彙使うのビビるなって書いておいてなんですけど、増田の中に「最高」「好き」「可愛すぎる」って呟いてる記述あったじゃないですか、それ嫌いな人はめっちゃ嫌いなはずなんですよ。なんだったら表に出されないだけで既に嫌われてる可能性すらあると思う。どうしようもないです。同じ「最高」という二文字感想にも「言葉にならない気持ちをなんとか最高という二文字にしてくれたんだろうな、本人ももっと適切な言葉で伝えたかったんだろうけど、それを乗り越えてでも伝えたいと思ってくれたんだ。嬉しい」と思う人もいれば、「自分感想言葉にする努力をせずに定型句インスタントに褒めてそれで終わりなんだ。読んでくれたのは嬉しいけど…」と思う人もいます、その人次第!逆に長文感想も「自分が書いたわけでもないのにしたり顔されて不快」とか「単純に勢いが強くて怖い」とか思う人もいるよ!ていうか二個目はマジで言われて二週間くらい死んでた。そこはもう感想送るって決めた時点でどうしようもないです。なるべく不快な思いをさせないように努力したいという気持ちは大切だけど、逆にある程度のところで踏ん切りをつけるのも大事ということです。

だいたいこういうことを意識して感想を書いてます別にいたことで変わらないかもしれないが。ただ少なくとも、ストレスぶつける先を、増田バズることじゃなくて伝えたい人に自分気持ちを伝えることに変えられたら、界隈に左右されずに好きなものを好きでいられるんじゃないでしょうか。めんどくさいよー、「界隈」。本当は強くなって一抜けするのが一番だと思うけど、それはそれでとっても難しいしね。

健闘を祈ります

2020-06-27

anond:20200627103108

大学受験大学に入るための試験大学が求めるような知識→非「ビジネス的」→けしからん

みたいな短絡の人はかなり多く見る印象。

2020-06-25

anond:20200625112531

あ、いまさらだけど僕は男です。

んー、棋士の中に何人とか、研究者の中に何人とかっていうのがそもそも男性目線の考え方かなーって思うんだよね。

以下、個人的意見

男女の体の構造で考えたときに、将棋勝負研究などの継続的頭脳作業でハンデになるのって生理だと思うんだよね。

個人差あるだろうけど、毎月一回腹痛を伴う風邪を引きながら、果たして自分大学受験を乗り切れただろうか?って考えることある。多分無理。

なので、勝ち続ける必要のある棋士とか、没頭してやり続ける研究とかって脳みそがどうこうより、そこで男女を比較するのがそもそもフェアじゃないって思ってる。

じゃあ、なんだったらいいのさ、って聞かれても答えられないんだけど。。。

別の判断基準普通に出てくる世の中になるまで当分かかるかなー

2020-06-22

自分で産みたくて産んだ子供ゴミのように扱うな

両親と絶縁した.正確に言えば両親との全ての連絡を絶った.

絶縁状や宣言などは出していない.私がチキンからである

今年の4月大学卒業して就職した.

1. 社宅に入ることになり住所が変わった.新しい住所は教えていない

2. 社会人になったのでとりあえず1人で生活できるようになった.

タイミングは今しかないと思った.

小さい頃からとにかく両親との折り合いが悪かった.

母親は口を開けば,私の悪口父親愚痴いか自分悲劇のヒロインかを語るか,どれかだった.

毎日容姿をけなされた.自分の娘の容姿を悪く言い続ける親って普通なのだろうか.

足が太いだのケツがデカいだの,デブでブスでかわいそうだかなんだか....

私は別に太ってはいないし,太っていた時期もなかったと思う.ずっと日本人の平均より少し細いか平均くらいで成長していた.

思い出せば全てのパーツに文句を言われていた気がする.お前の遺伝子だよ.

よくよく考えてみれば小さい頃から恥骨に肉がのっているのが下品ってけなしてくるのって普通じゃないし,

一緒に風呂に入るくらいの小さい頃は風呂しょっちゅう恥部を触られていたのもおかしい.

彼氏には「俺の母親が妹にそんなこと言ってるの見たことないよ」とドン引きされた.

あんスキニーさえ履いてればまだ脚マシに見えるね」

私が今GUの黒いスキニーパンツしか履けなくなっていること,母親のせいにしたい.

小学校中学校も私はいじめられていた.部活でもクラスでも.

理由は,田舎特有の「成績がいいから」とか,「なんかノリが悪い」「ブス」「暗い」とか,そんなもんだと思う.

学校で居場所がないのに,家に帰ってきても居場所がないのは辛かった.

おきまりの「いじめられるのはお前のせいだ」とか,

「お前がいじめられているか部活ママさんの間で私の肩身が狭い」とか.

少しは寄り添って欲しかった.

そんな感じで母親はいつも自分いかにつらいか,私が醜く劣っているかばかり聞かされ続けていた.

小学校中学校も成績はずっと学校トップだったけど,褒められた記憶は1度もない.

母親の中では,成績トップで当たり前なんだったと思う.世間体大好きな母親だったし.

娘より世間体大事だもんね.


父親は私が小学校入学した頃からずっと単身赴任だった.ずっと不倫していた.

もの心つく前から母親父親は仲が悪かった.なんでかは知らん.

そのせいで父親は家に帰ってくることはほとんどなかった.

単身赴任している10年間,ずっと不倫していた.子供に関心はほとんどなかったと思う.

私は小さい頃から両親に,

地元で1番の高校に入って,旧帝大に入って,いいところに就職しなさい」

と刷り込まれてきた.結果,言われた通りのルートを通った.

しかし,私が高校生になれば,母親は「そんなに勉強が嫌なら職業高校に行って就職しろ」,

父親は「女なんか大学に行かなくていい」と言い出す始末.

かに高校生の頃家ではあまり勉強していなかった.学校で済ませてきていた.

かといって別に成績が悪かった訳でもない.なんなら割と良かった方だと思う.

この頃は親の言うことがコロコロ変わることにクソほどムカついていた記憶がある.

両親はどちらも家の事情職業高校に進み,就職した.

自分は進学したかったけど,家にお金がないか職業高校に進んだ」と言われたことがある.

自分が進学できなかった当てつけを私にされても困る.

大学受験の時期はほんとうに親と衝突した.嫌すぎて逆に覚えていない.

母親に怒鳴られ,殴られるのが毎日のようにあったのだけ覚えている.

おかけで卒業式は真っ赤に腫れたまぶたで出席した.最悪だった.

大学に進学し,一人暮らしが始まっても何かにつけては

「お前にいくら金かかってると思ってるんだ」

「どれだけ金使ってもらってると思っている」

「親に感謝しろ

何度も言われた.

こんなこと,弟が言われているのは一度も見たことがない.

高校大学偏差値が高いところだった.

学校偏差値が高いと言うことは,通う学生の親は金持ちばかりということである

周りは医者の子が圧倒的に多い.これはマジ.

だって一度は「お金のことは気にしなくていいから好きな道に進みなさい」とか言われてみたかった.

「お前にいくらかかってると思っている.大学は国公立しか認めないからな」

旧帝大じゃなければ一人暮らしは認めない」

弟は「早稲田でも慶応でも,好きなところにしなさい」とか言われてたのに.

大学お金がかかるところだとは重々承知している.出してもらって当たり前じゃないのも理解している.

が,それを子供に「こんなに金がかかってるんだ,感謝しろ」なんて押し付けるのは違うと思う.

もしかしてどの家庭もこんなこと言われてるんですか?これが普通ですか?そうだったらすみません


実はウチ,奨学金が借りれない.2種も借りれない.なぜかというと,父親年収奨学金制限を超えるからである

でも家にお金はない.母親の口癖だった.「うちは貧乏」「周りとは違ってお金がないの」

それがなぜか私は知っている.父親が家にお金を入れず,すべて不倫相手に使っていたかである

自分家族養って,その上で不倫相手にクソほど金使ってアパート代と光熱費出してやってたの,

マジですげーと思う.めっちゃ稼いでんな.だったらそのお金家庭に入れてくれ....

父親は終始「学費を出して”やっている”」「生活費を入れて”やっている”」と言った感じだった.

かにお金を出してくれるのはありがたいけど,そんな態度でいられても...

だって自分で産んだ子供でしょ.

母親にマジにそう言ったら「産んだ時は大学に進学すると思わなかったんだもん」と言われた.

絶句した.

どうしてなんほんと.だって自分で産みたくて産んだ子供なんでしょ.

ノープラン子供産んだんか?一銭もかからずに勝手に育つと思ったんか?

なんで自分で欲しくて産んだ子供に向かってバカにするようなこと言えるの.

なんで自分で欲しくて産んだ子供に向かってお金がこんなにかかってるんだとか恩着せがましく言えるの.

親に向かって言ったことがある.

自分で産んだんだろ」「育てんの嫌ならそもそも産むなよ」「産んでって頼んでない」「産まれてこなければ良かった」

からそう思って言ったので,言い過ぎちゃったな,なんか思ってない.

たぶんこれを読んだ人からしたら「こんな程度で絶縁?」なんか思われると思う.

自分でも「親が嫌になった具体的なデカいできごとがあるか」って言われても出てこない.

漠然と,しかしハッキリと親が嫌いだ.

からちょっと不安になって,自分で確かめるために文字に起こしたくてこれを書いたんだけど,

ほんとにこの程度で絶縁?って思われる感じになっちゃった

でも私はもう親と関わりたくない.

私の神経すり減らしにかかってくる人たちとはもう関わりたくない.

自分のこの選択が間違っていると思いたくない.私が正しいと思いたい.

幸い,友人の中に「でも親なんだから大切にしないと」と言う人はいなかった.

本当にありがたい.

先月うっかり祖母にこのことを泣きながらこぼしてしまった.

祖母は「どうしてもっと早く言ってくれなかったの」と泣いていた.

本当に申し訳ない.こんな孫でごめん.

父親母親も,周りに「娘が旧帝大合格したんだ」「娘がいい企業に入ったんだ」って

言いふらしてたし言いふらしてるらしいけど,その娘に絶縁される気持ちはどんなんでしょうかね.

私がこんなに嫌な思いをあなたたちのせいでしてきたんだから,少しは味わってほしい.

自分が卑屈になったのを,自己肯定感が低い人間になってしまったのを,私は親のせいにしたい.

今まで様々な人たちに「どうしてそんなに自信がないの」「お前の自分に自信なさすぎるところ,本当に嫌い」と言われた.

親のせいにしないと腹立たしい.お前らがこんなこと言わなかったら.こんなことしなかったら.

もっと私に寄り添ってくれる人だったら.

2020-06-21

anond:20200621005514

当方30代後半ですが…この方が書いてるような確かに大学とかの入試に関わる勉強」とかは全然やって来ませんでした。

当然Fランしか行けず、1浪して入りました。

なので学歴とかそういう話ではいつも周りが有名大学に出てたり海外学校行ってる中、劣等感はありますが…。

結果的に今は年収2000万オーバー、それなりの有名企業でそれなりのポジションに居ます

わたし入試とかそういう勉強意味も楽しさも見いだせませんでしたが、一方ある分野における興味がものすごく有り、

趣味として色々と遊んでいるうちに、それが仕事につながって今になっています

もちろん大学受験とかそういう勉強日本(世界)で一斉に行っている人間の優劣を決める一つのものさしで有ることはたしかです。

しかし、それで全てが決まってしまう…という風に思わないほうがいいかと。

正直、社会人になって勉強することと学生時代勉強って意味も異なるし、社会人として勉強する方が多いかと。

学歴が高い方が、比較的イージー人生を歩みやす確率が高いのはそうですが、

私が知ってる限り学歴が高くても、社会人としてのスキル教養知識が高いか?って言われると謎です。

別に学校勉強嫌いなら、好きな事勉強すればええやん。

偏差値の高いバカの作り方

増田の高3の弟は成績優秀だ。

正確には勉強量がすさまじい。つまり天才というよりは努力家であった結果だ。

弟は早生まれというのもあり、幼少期は割と「知恵遅れ」と評価されてきた人間だった。

そして中学生の頃、テスト悲惨な点数に両親がキレた結果、厳しい塾にぶち込まれることになる。

弟がすごかったのが、その地獄を上手く乗りこなしてしまった所にある。そこで勉強する習慣と楽しさが身についた結果、彼の成績は劇的に上がった。

今までどちらかというと頭が悪い方だったのに、トップレースに参加できるまでになったのだ。

志望校も、最初志望していたA高校から10偏差値の高いB高校に変わった。

最終的にB高校には落ちてしまったが、今は同レベル帯のC高校で成績優秀な優等生として生きている。

そして今、W大学やKO大学を目指して受験勉強中だ。もはやかつての「知恵遅れ」は見る影もない。

だが私は、そこからまれようとしている「お勉強けが出来る奴」の息吹を感じないではいられない。

弟はここまで勉強ができるようにはなったが、勉強以外のスキル特にない。

難しい数学の式を解けるし、英単語をとてもたくさん覚えている。しか日常会話レベル慣用句を知らない。

例えば「味を占める」とか「開いた口が塞がらない」とか「板につく」などを知らないらしい。

「知っといた方がいいよ」と言うと「国語受験科目ではないか大丈夫」と言う。そういう思考パターンで生きている。

これといった特技がない。パソコンが使えない。情報アンテナが弱い。教科書以外の教養を見つけようとしない。

友達が考えた遊びに付き合うだけなので自分から何かを企画することはない。つまり調べない。

もしかしてこいつは、「お勉強けが出来る奴」「偏差値けが高いバカ」……そちらに向かっているのではないだろうか……?

まあ、今は大学受験の事だけ考えるしかないと思うのだが、このままでは大学生になってもこんな調子なのかもしれない。

しか学歴があった方が世の中は有利だ。だが使えない高学歴の行き場はどこなのか?

高学歴就活は、受からなければ会社レベルを下げればいいというものではない。ある程度まで行くと、必要以上にビビられたり、冷やかしを疑われたりして落ちてしまう。

余計なお世話なのかもしれないが、どうしても先達として心配せざるを得ない。

弟はどこから来るのか。弟は何者か。弟はどこへ行くのか。

2020-06-17

anond:20200617123746

理解知識の間に距離はあるんだよなぁ。自分の専門領域の本でも、読んだ直後は覚えているけどすぐに忘れてしまう。直後に試して、なんらかの成果物ができていると忘れにくい気がする。

まり読んだ本から成果を出せればいいのかね。なんか成果主義すぎて違うかな。小説とかでもじわりじわりと後で精神的に効いてきたりもするからな。大学受験赤本に出題されていた国語現代文の一節に感動した、みたいなね。

2020-06-07

日本人英語ができない」という嘘

実際は、大学まで行った人の多くは英語くらい使えるだろう。

たとえば、RedditYouTube外国人によるコメントを読んで返信するくらい、高校生でもできると思う。

日本に住んでる分にはそのレベル英語が使えれば十分なのだから、それで「英語ができる」と言って良い。


というか、使う場があれば英語なんか誰でも使えるんじゃないか

俺の大学院の同級生はみんな、英語なんて真面目に勉強してなかったが、当然のように英語論文を読み書きしてたし、研究集会英語質疑応答してた。

もちろん、彼らは英検1級を受けたら全員落ちるだろうし、「The New York Times」や「Washington Post」を辞書なしで読むのも無理だが、「英語が使える」と言っていいだろう。

大学受験で必要な語彙は5000語程度で、これは英語圏の小学校低学年レベルから大学入試だけじゃ英語ができない」という意見があるが、これは大分おかしい。

たとえば、英検1級を持っていたら、文句なく英語ができる認定していいと思うが、英検1級のカバーする語彙は20000語程度であり、これは英語圏の中学生レベルだ。

これを以て、英検1級所持者の英語能力中学生レベルだと言う人は、まあよほど極端な思考の持ち主でもない限り、いないだろう。


日本人は英語ができない」論者は大きく分ければ以下の2種類だと思う

  1. 英語ができる」とは、通訳者や外交官レベル英語が使いこなせることだと思っている
  2. 外国と比べて、英語学力テスト順位が低いなどの理由で言ってる

前者がおかしいのは既に述べた通り。後者も、実際は多くの日本人は英語ができるわけなので、別の理由でできないとこじつけても意味がない。

英語なんて単なる道具なのだからもっと気軽にやれよと思う。

pixivで2000ブクマを超えた

絵をちゃんと描くようになって5年、最新の投稿で2000以上のブクマを貰うことができた。もちろんブクマ数がイコール絵の良さというわけではないし、pixivも人が増えたため2000ブクマ程度では数字価値も無いとは思うが、5年前と比べれば格段の進歩だと思うので、備忘録もかねてこの5年の間にしたことを書いていくこととする。

描き始めた当初は右も左もわからず、高校日本史で習った秘伝口授かなんかかと色々悩みもしたし、いろいろと回り道もあった。最近では絵の上手い人が増え、しかも様々な講座や動画が容易にみられるようになったため価値はないかもしれないが、当時の僕と同様右も左もわからず喘いでいる人の参考になれば幸いです。

描き始め当初及びそれ以前

描き始めた年齢は26歳と遅い。尤も高校時代からオタクであったし、落書き程度なら頻繁にしていたため、絵を描けるようになりたいという欲求は以前から強くあった。しか高校時代にintuos4を買ったものの全く使いこなせず挫折したこと大学受験大学生活の諸々で忙殺されたこから自分で描くということを次第に諦めるようになってしまっていた。だが、その後性癖を拗らせた結果自分の趣向に合うイラストが少なすぎることに欲求不満を感じるようになり、友人がAmazonでintuos5がセール中だぞと言ってきたことをきっかけに、再度挑戦することにした。

最初にやったこ

高校時代挫折したのは、intuos4を使いこなせなかった、すなわち思うように線が引けなかったためである。なので、まずはその克服のため、板タブで線を引くことになれることにした。その際最も意識したのは、tablet driver をしっかり設定すること。多くの人にとっては当たり前のことかもしれないが、高校時代の僕はその意識が欠けていたため、ドライバが反応していないのにそのまま描こうとするなどして結果失敗したのである。なのでその轍を踏まないよう、tablet driverには気を付けるようにした。

そのうえで、とにもかくにも線を引くことに慣れるために、下手でも雑でもたくさん絵を描くことにした。絵をたくさん描くにはしかモチベーション必要である。誰にも見せず描き溜めるのも良いが、やはり公開したほうが達成感がある。そこでイラストサイトといえばpixivということで、どんどん投稿していった。この時期はいいね10とかでも評価されると嬉しかった記憶がある。コメントではなくタグで体の構造おかしさなどを指摘するような嫌味な人もいたが、反応があるというのは励みになるものだ。

ただ、そのうち自分イラストpixiv投稿するにはふさわしくないのでは、という感覚が芽生えるようになった。やはりpixivに上げるには塗りまでしっかり終わらせた、完成されたイラストが望ましい気がした(もちろん塗っていなくても素晴らしいイラストはたくさんあるが、力量も無く手間もかけていない自分のような屑がいていいのかという思い)。しか自分計画では塗りは「まだ」である。そこで次に目をつけたのがTwitterだった。twitterならごみのような落書きを上げても流れていくだけだから許される気がした。しかtwitterには tegaki.dt http://www.kannagi.net/TEGAKI/ というツールがある。tegakiはまさに落書きのためのツールであり、しか手ぶれ補正がないので線の練習にはうってつけだ。僕は毎朝起きたらtegakiをし、帰宅したら寝るまでtegakiをするようになった。

この時期は自分の絵の下手さに鈍感であり(雑だけどきちんと仕上げれば結構いけるんじゃね?という傲慢な思い)、描き散らし公開することになんの躊躇もなかった。そしてその増上慢の鼻っ面をさらにつけあがらせるようなできごとも起きた。先ほど自分が再び絵を描こうと思ったきっかけは性癖をこじらせたためと書いたが、そのようなニッチ性癖をしていると、自ずと世間は狭くなるものらしく、なんと界隈の大御所である方にフォロー&コメントしてもらえるようになったのだ。やはり憧れの人から反応されるというのは嬉しさも格別である最近も「以前から見ているけどかなり上達しましたね」「塗りもかなりきれいになった」等など言ってもらえて大変ありがたいかぎりでした。

何事につけ初めのうちは褒められてこそ伸びるものだと思う。「天才は叱って伸ばし、秀才は褒めて伸ばす」のような言葉があるが、友人がこれについて言ったことがまさしく目から鱗だった。曰く、「天才とか秀才とかではなく、初めのうちは指導してもその意味が分からないことが多いので、とにかく褒めてモチベーションを上げることが大切。そうして慣れてきたら自分でも不満点が見つかるようになるので、欠点を指摘する「叱る指導」が有用になる」。全くその通りだと思う。はじめのうちは細かい技術的な指摘をすることに何の意味も無い。自分でも描いたもの違和感を覚えるようになってから、そしてそのことに悩むようになってから欠点の指摘が意味を持つようになるのだ。なので、今思えば恥ずかしい僕の落書きたちに、いろいろと不満もあったろうに褒めてくださったことは本当に感謝しかない。そしてその恩恵に与れたのはニッチ性癖のお陰である。これこそまさに「狭き門より入れ」というやつであろうか。

中期

只管tegakiする毎日を通じて思うように線を引けるようになった(ちなみに一時期滑らないからと板タブの上に紙を置いていたことがあるが、効果のほどはよくわからない)。そこで次はちゃんとしたイラストステップを踏むことにした。多少とも書けるようになるとやはりtegakiだと物足りなくなるのだ。もはやお前は用済みだ。

ちゃんとしたイラストを描くにはちゃんとしたイラストソフトを使うべきである。僕はとりあえずSAIしました(安いから)。その後クリスタも購入したが、諸事情により最近に至るまでろくに使えなかった。SAIの良いところはとにかく動作が軽いことである。糞スペックPCしか持っていない人はこれ一択でしょう。それから線が描きやすいというメリットも良く言われるが、個人的にはあまり差がわからない。

さて、イラストを描く手順には色々とあるが、やはり一番オーソドックスなのはラフ→線画処理→塗りであろう。線画処理はラフの透明度をさげるなどしたものに線を引いていくのが一般的方法だと思う。で、僕はこの工程が一番嫌いである。ラフは描いていて楽しい。塗りも難しいけど力の見せ所な気がする。一方で線画処理は単なる作業に感じてしまう。自動彩色ツールより自動線画ツールのほうが欲しい。面倒なことはやりたくない、どうしよう。

そこで僕は、ラフの段階で線画としてある程度完成したものを描くことにした。ラフラフで無くすれば線画処理とかいう面倒な作業はいらなくなるのだ。そしてそれはtegakiに慣れていればそこまで困難ではないことだった。面倒くさい線画処理をすっ飛ばすことにより、僕はイラストを量産するようになった。そしてこの時期退職し、こどおじのフリーターになった。

現在まで

たくさん描くようになると、次第に自分の絵のダメなところが見えてくるようになった。僕の絵は①構図に迫力がない②微妙バランスおかしかったりする(し、パースがとれていない)③塗りが雑だし別デバイスで見ると変な色をしている。これらのうち③を改善するきっかけは、板タブが壊れたことにより訪れた。板タブの修理にも結構な値段がかかると分かり(新品を買った方がマシ)、いっそのこと液タブを買おうと決めた僕は、当時使っていたPCにおさらばし、新品のPCも買うことにした。上でクリスタをろくに使えなかったと書いたが、その理由は以前のPCメモリが8GBしかなかったためである。(逆に言えばSAIは8GBでも使える。)こどおじになり家のスペースが広くなったこともあり、思い切ってハイスペックデスクトップPCを買った。実は以前のPCはなぜか彩度が低く表示されており、その結果僕の描くイラスト彩度が高すぎる色彩になっていたのだが、新しいPCのおかげでそのおかしさを理解できた。そして他の方の作品もきれいに表示されるようになり、色塗りの際の参考にできるようになった。今でもまだまだ塗りは未熟だが、上手い人の塗りを研究することで多少はマシになったと思う。

で、①と②の欠点は上で述べたラフの描き方のせいだと思う。つまり最初から綺麗な線を引こうとするあまり、細部にばかり注目してしまい、全体を俯瞰できていなかったせいである。そのことに気づいたので、ラフラフで描く、とりわけ最初カラーラフを描くようにした。カラーラフラフの段階で大雑把に色を塗ったものだが、それをすることで背景も含め全体の感覚をつかめるし、構図のおかしさにも気づきやすくなるというメリットがある。そうなると線画が面倒くさいけれど、液タブに変えたことでかなりやりやすくなった。もはや板タブには戻れないというか、液タブだとtegakiもかなり楽になるんですね。板タブでシコシコ描いていた自分馬鹿みたいだ。液タブの不満点は液晶に手垢がつきまくること

そうして描く環境を整えてからブクマ1000超えは普通になり、2000も超えることができました。なので、今の段階で僕が絵を描く際に大事だと思うのは

  1. ハイスペックPCと液タブを買う
  2. 部屋を明るくして画面から離れて描く(絵全体を俯瞰するため。細部にこだわりすぎてると色々嫌気もさしてくるしね)

になります。以上

数字に縁のある人生だった

注)とりとめのない文章ですので読む必要はございません。

小さい頃から何かと数字に縁があった。

小学生の頃、算数は好きだった。そろばん塾に通って大会に出させてもらったりもした。

ボーイスカウトなんていう活動にも参加して、正直その活動は大嫌いだったが、隊長と称する引率者の大人から会計係を頼みたいと、お金を扱うことを要求されたりもした。全く目立たない子供だったが、悪事をはたらくような子供ではないと思われていたのだろう。ある種の信用を得ていたのかもしれない。そういう子供だった。

自分の興味ある分野にはのめり込む子供だった。小学生の頃、お前の集中力はすごいなと担任先生にいわれたことが印象に残っている。良い先生だった。

一方、興味のない分野には全く関わりたくない子供だった。友達はいなかった。同級生なかに話の合う子は全くといってよいほどいなかった。この状態中学卒業するまで続く。

一言でいって器用貧乏だったような気がする。運動は好きだったが大きな大会に出て活躍するような子供ではなかった。勉強は、小学中学トップの成績は取れたが、高校では最高順位が2位だった。

高校では数学もそこそこ好きだった。それで大学受験の際は得点を狙えるような科目にするくらいにはできたのだが、数学科に進むほどの才能はなかった。そもそも文系だったし。地方にある昔の帝大と呼ばれたところに入って、それなりに悩みつつ伸び伸びと大学生活を送って卒業することにはなった。

結局、卒業後は、公認会計士になった。会計試験はそれなりにたいへんで、けっこうな苦労もしたが、受験1回目で通ることができた。体力勝負的なところがあった。深く理解する前に受かってしまったようなところがあって、監査法人就職してから受験生のときの数倍、苦労した。

監査法人には5年強勤めてのち、心底嫌気がさして辞めた。自分組織が嫌いなのだ。馴染めない。

ドロップアウトした後は個人会計事務所を立ててこれまでなんとかやってきた。

会社組織をつくって経営者になって成功したいと夢見続けているのだが全然そんな状態にはない。自分が嫌いな組織自分でつくってどうするということか。個人事業が性に合っているということか。

監査法人を辞めた頃から始めた株式投資で、そこそこ成果が出てきた。投資には会計監査知識が役に立った。サラリーマンを辞めて10数年経った今、金融資産時価は1億1千万円と少しになった。含み益は4千万円程度なので、投資をしていなかったら億には届いていなかったろう。

そもそも監査法人勤めを続けていたら今も、うだつの上がらないサラリーマンとして鬱々としたままだったろうと思う。大手監査法人では上場株を所有するにも大幅な制限が課される。続けていれば、パートナー幹部)になれていたのだろうか?自信はない。仮になんとかヒラのパートナーになれていたとしても、監査法人組織のなかで幸せそうな自分想像ができない。辞めたことを後悔したことは一瞬たりともないし、辞表を叩きつけたことは我ながら賢明判断だったとつくづく思う。

ところで、日本で1億を超える金融資産持ちの世帯は、全体の2%だそうだ。個人として考えれば1%弱といったところだろうか。自分よりも若くて数十億、数百億の資産を持っている人は大勢いるのだからえらそうなことはいえないが、田舎から出てきて無一文から始めた自分省みるに、まあまあ良くやってきた方ではないだろうか。とりあえずここまで何とか生きてきた自分を褒めてやりたいと思う。

さてこれからどうするか。嫌なこと、気の進まないことはこれまで通り、全て断りながら、自身面白い、興味深いと思えることに携わって仕事を進めていきたい。

最も価値高いと思われる行動を意識的に選んで、照準を定めて、自分に合ったやり方で、世の人々にできるだけ高い価値を与えるような生き方選択していきたいと思う。

ここまで読んでくださった方には、とりとめのない文章申し訳なかったとお詫び申し上げます

2020-06-06

[] 139 日記

 今日金曜日、1週間の終わりだ。

昨日はこれを書こうとしていたら寝落ちしていた。あまり寝れなかった。

お昼には確かカップラーメンを食べ。仕事を終え、スマホをいじり。一日中から出ていなかったので、近所を散歩した。

風が気持ち良かったので、LINEネタにしようと思ったが、帰った頃にはすっかり忘れていた。

アプリで文面を考えていたら気づいたら寝ていて、起きたらいつも通り親がご飯を作ってくれていたので食べた。

満腹になって自室に籠ると、アプリLINEをこなしつつ、今日は一人でモンハンをした。

しかしもうゲーム内でやることがあまりないので、飽きてることを自覚しながら遊んだり遊ばなかったりダラダラと過ごし。

最近1番仲良い女の子が、会社の人と飲みに行っていたので、その子が知り合いの家に着くまでの電話に付き合った。

知り合いって男なのかな、セフレ的なのがいる人は嫌だなあとは思った。

の子以外とのアプリLINEでは、いつものぶっ込み癖が発動し、脈を自分から2件叩き潰した。

ゴルディオンハンマーくらいの勢いで光にしたと思う。

無事通知0・既読スルー状態にして、やることもないのでボーッとしている。

本当はやることはあるのだが、頭使ったり努力したりするのは、なんか面倒くさい時期なのだ

お酒を飲むのも、まずいお酒だったら飲みきるのが面倒だし。

コーヒーも、一日中飲んでるから、この時間には飽きる。

本来なら、友人と飲んだくれたりしているのが健全アラサーなのだと思うが、こちとら生憎実家暮らしだ。

家に人呼べないし、呼ばれることもないし、そもそも友人もいないし、ヒマだ。

友人や会社の同僚とお酒を飲める人たちに比べて、人生損してる気はする。

今の生活にはうんざりだ。

大学生の時に家を出るはずが、出られなくて、ずっと実家にいる。

一人暮らしの初期費用は、調べてもやはり30万〜50万はする。

お金を貯めるのが苦手で、ニートになってキャッシングしたりを繰り返しているから、いつまでも貯金がない。

アラサー貯金がないのは、本当○ねって話だなとは思う。

自殺的なことをできる根性があるわけもなく、後遺症残ったりするのも絶対嫌だから、ずるずると健康に生きていくしかないのだが、目先の快楽に負けてしまうな。

貯金するなら今使った方が面白いと使ってしまう。

将来面白いことが起こるって思えないからなのか。親に甘え切って生きているからか。

親に甘え切って生きているからだな。

やばいやばい。完全に実家暮らし社会から孤立して5080問題抱える人予備軍じゃないか

そりゃ社会問題なるわ。異性や社会参加諦めてたら、そりゃ実家で暮らすわ。

どうしよう。

一人暮らしもっと真剣現実的に考えなければ。

土日の2日間で一人暮らしのために何をするか。

断捨離かな。

大学受験の本とか捨てるか。

新品同然の本が大量にあるんだよな。クズから

もう絶対いらないのに捨てられない参考書たち、なんなんだろう。

2020-06-04

某界隈との決別

ニコ動発端の某界隈と関わってきて7年が経った

界隈は精スプストーカー特定静画においての誹謗中傷絵師投稿者内ゲバで界隈はほのぼのの字もなくなった

自分大学受験に失敗し高校卒業Fランに今通ってるが未だに未練が残っている

ぶっちゃけ言い訳になるが勉強もせず某タグ徘徊していたのも失敗の原因の必要だと思う

それ故、再受験を機にその界隈と訣別したい

顧みれば凄く青春時代という一般人なら恋人と付き合い部活の仲間と夜マックでたむろいながら駄弁るというような貴重な時間をパーにしたが今自分が願って祈るのは誹謗中傷内ゲバで溢れようが自分妄想快楽暇つぶしの源だったこの界隈が数年後でも今と同じように賑わって欲しいといことだけである

駄文失礼しました

2020-05-31

真面目な話

自分高校生だとして、難易度大学受験ぐらいの勉強を25年間(つまり毎年難しくなるのを25年間生き残る)

それで、最後の10年が美味しくて、やっと。

そういうのをへて、そろそろ安定してきたと思われる半導体業界に激震が走ったのが数年前

定年延長したくなるだろ

2020-05-29

テキストベースの夢を見ることがある

ネットテキスト読んだ後や小説を読んだ後に、私にはよくあることなのだが、夢の中でもテキストを読んでいることがある。

でも、「スマホや本を読む夢」というわけではない。そのテキストスマホや本を見る距離感で視界の一部として存在するわけではなく、視界全体がそのテキストなのである

まるで、顔にディスプレイ押し付けられたような距離感で、そのテキストけが視界に存在する夢なのだ

そして、そのテキスト文字映画エンドロールのように勝手に流れていき、ネット小説に疲れているはずの私は、夢の中に至っても一生懸命それを読む。

そこには小説のようなストーリーがあるようなのだが、夢の中でも支離滅裂だと思うほどの繋がりの無さ。強い印象を持つ単語がそのままボンと出てくるような。

それでもなぜかそのテキストに、深夜ラジオ聴く奇文のような魅力を感じてしまい、流れる文字を消えないうちに読もうとつい頑張ってしまう。

「こんなことしてると、起きても疲れは取れてないんだろうな」とか夢の中で考えたりするから、この夢はきっと明晰夢なのだろう。

そして、明晰夢なので、そのテキスト自分がこういう展開にしたいと思った通りの方向に流れを変えることができる。思いついた面白単語を挟んで、そこから文章を発展させることだってできる。

先程も言った通り、そのテキストは元々が支離滅裂なので、強引に好きな方向にひん曲げても、文章としては更なる違和感は生じないのだ。

そうして、支離滅裂ゆえの面白さを、たまには自分の読みたい方向にひん曲げて、ひたすら興味深く一生懸命読み続け、それは結末を意識せずにいつの間にか終了し、朝を迎える。

といった流れで、そんなテキストベースの夢を見ることがたまにある。自分で読みたい文章が思うように作れた気がするので、その夢を見た際の満足感はかなり高い。

また、そのテキスト自分が好きな方向に展開をひん曲げられることができるわけで、これだったら、少々支離滅裂かもしれないが、寝てる間に無努力小説が書けちゃうかも!!ということには、だいぶ昔に気づいた。

それからは、起きたらそのテキストを書き起こそうと思って、明晰夢なので、その夢を見たことに気づいた途端に、夢の中でテキストの内容を声を出して読み上げ(寝言として、本当に声にしているか不明)、深く記憶に残そうとするのだが、起きると見事に一字一句覚えていない。

一般的な夢と同じく、何らかの画像記憶に残るその解像度は低く、なんか細かくて黒い文字があった以上の情報をもたらさない)を印象に残す他は、なんか長くて支離滅裂文章を、何らかの操作をしながら読んだという記憶けが残っており、いつも悔しい思いをしている。

そう、テキストベースでない通常の映像を伴う夢は、その画像の印象から、夢のあらすじが起きてからも書き出せるのに、そんなテキストの真っ黒さからは何も思い出せないのだ。

どうしたら、このテキストベースの夢の記憶を、起きた後も保持できるのだろう。小説に起こすのは無理にしろ自分無意識がもたらす文章個人的愉悦として楽しみたいのに。

そういえば、大学受験勉強をしていた頃は、わからなかった数学問題を解答を見ずに放置したまま床につくと、寝ているうちに夢の中で図形や数式がノートに書くように展開され、起きたら解法が思いついている、ということが何回かあったが、この夢の場合は、それがなぜか上手くいかない。

数学問題と同じく、テキストも夢で展開はされるのだが、そのスジが起きてから追えない。数学問題と違い、話のスジが支離滅裂なのは大きいだろう。

同じような夢を見たことのある人に、夢に現れる支離滅裂ながらも魅力的なテキストをうまく記憶に残すコツを是非聞いてみたいと思う。

/////追記/////

To ブコメの方

「常時録音で寝言読み上げ」は試したことなかったです。

アレクサかグーグルか何かで録音してみたいと思います

ありがとうございます

2020-05-27

今日習い事を辞めた

幼稚園の頃からずっと同じ先生師事してた習い事がある。趣味としてはすごく楽しくやらせてもらってたけど、生憎才能も無いのでその道を進むことはなかった。

大学受験を機に一度辞めたけれど、進学してからまた習いたくなって、大学の近くで同じ習い事をやってる教室に入ったりもした。

卒業して、地元就職して、それでかつての先生の事を思い出した。今は就職してこんな事やってるんです、という話を手紙にしたためて送ったら会わないかという話になり、あれよあれよという間にまた先生の下につくことになった。あの頃より頻度は減ったし、お月謝は親の懐ではなく自分給料から出るしで少しの違いはあったけれど。

子供の頃とあわせて15年以上同じ先生に習ったことになる。でも社会人になった自分にも、お年を召した先生にも都合があって、辞めることになった。それが今日通販で取り寄せたちょっと良いお菓子を渡して、長年お世話になりました、お元気で、って言った声に涙が混ざりそうになったこと、先生は気づいただろうか。気づいただろうな。

今日のことは書いて残しておきたいと思ったけど、他の場所だとちょっと感傷的すぎて気恥ずかしいのでここに。帰ったら夕飯と、美味しそうだから自分用にも取り寄せちゃったちょっと良いお菓子食べます

anond:20200526002227

悲しいかな、増田大学受験勉強とか苦手だったでしょ?

基本情報知識はとても大事局面ってのはあるんだよ。

具体的には、スキルレベルがまちまちな人が集まってたり

色んな会社・色んな業種の人が集まる場だね。

基本情報レベルっていう知識基準があるだけで、

認識のズレなくきちんと意思疎通できるようになる。

2020-05-26

進学校に入らなければ良かったのかもしれない。

院試勉強が辛いから吐き出す

子供の頃からずっと保育士になりたかった。

歳の離れた兄弟がいて、年下の子の扱いには慣れていたから、保育園でも小学校でも小さい子から人気だった。小さい子のお世話が得意な女子ってやつだ。

最初は、ただ小さい子と遊ぶのが好きだから保育士になりたかったんだと思う。大きくなるにつれて、なんとなく「私は将来保育士になるんだろうな」って思っていた。

高校生になってもその夢は変わらなかった。けれど、その頃から希望進路を伝えると、親や先生を含めた周りの担任の反応が微妙なことに気付いた。

私は受験でめちゃくちゃ勉強を頑張って、割と有名な進学校に通っていた。高校は、東大京大一橋東工大などの有名国立大学医学部早慶のいずれかに入るのが良いことと考えている人が多かった。

先生もそう考えていて、高校1年生の頃に私が保育士になりたいか資格が取れる地元大学に行くと伝えたら、やんわりと否定された。親も最初は夢を応援してくれていたけど、「折角良い高校に入ったんだから名大に行ってほしい。」と思っているのが言葉の節々から伝わってきた。

周りの友人も東大医学部を目指してる子が多かったし、有名大学に行けなかった先輩のことを軽く見下しているような雰囲気があった。そんな雰囲気に徐々に飲み込まれていって、「良い大学に入らなきゃ!」と思うようになっていった。その頃から「良い高校に入ったんだから保育士になるのは勿体ない」という謎の思考に侵されて、保育士の夢を諦めた。不快に思う人もいるかもしれないから伝えるが、これは保育士馬鹿にしているのでは決してない。私がただ馬鹿で、窮屈な価値観を持っていただけだ。

保育士の代わりに自分が何をしたいのか考えて考えて、結論を出した。「有名大学に行って、ある興味のある分野を学んで、企業の開発職に就く」というものだった。高校生の頃の自分は納得していた答えだったけれど、本当に納得していたかはわからない。ただその学問に関わる教科の偏差値が高いから好きなだけで、実のところ興味があるわけではなかったのだと思う。

それでも、いつのまにかその進路に進むことが本当の夢のように感じられて、大学受験をがんばった。

結果、かなり有名な大学に入れた。親も担任も大満足で、たくさん褒められた。あまりしたことのなかった親戚からもめちゃくちゃ褒められて、たくさんお祝いしてもらった。周りの反応が今までにないくらい良いものだったから、「自分は正解の道を歩めた」ってすごく安心したのを覚えている。

でも、「正解の道」を歩めたから、「不正解」になることをすごく恐れるようになった。大学に入ってからは、単位を少しでも落とすことが怖くて勉強をきっちりしたし、体育会サークルで悩んだ時は体育会が「正解」だと思ったからそちらにした。企業の開発職に就くという「正解の道」に進むため大学院に進学することも決めた。

今、私は大学院の入試試験勉強をしている。周りの友人は大学院に進む人が多いものの、就職する人もいる。就職する人を横目に学生をすることに少し負い目があり、なぜ私は大学院に行きたいんだろうと考えることが増えた。考えるたび、「本当は保育士になりたかった。別に大学院行かなくて良い人生だって歩めたのにどうしてこんなことしてるんだろう?」という思考が頭を占める。

不正解の道」を歩んでしまったのではないか?とすごく不安になる。本当は「正解の道」は保育士になることだった?

人生選択連続であり、その選択に正解や不正解がないことは重々承知している。今の生活にも満足している。友達がいて恋人がいて学歴も持っている。世間から見たら満足していないのがおかしいと思う。それでも、やはり保育士になるべきだった、なりたかったという気持ちが湧き上がってきてとても辛い。

後悔しても仕方ないから、目の前の院試勉強を頑張るしかないのはわかっているので、勉強は頑張る。

ただ、とても辛く苦しい。

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