幼少期に家に本があり、勉学をする環境が整えられ、何より食べることに困らなかった人間が憎い。
私はとある部落に産まれ落ちた。教養も常識もない。最近になり人間は1歳ではなく0歳で産まれてくることを知ったほどだ。幼少期は食事にありつけないことも少なくなかった。
物心ついた頃には母親はおらず、父には毎日暴力を受けて育った。
就学前の教育は一切なく、小学生になってからも部落生まれと忌避された。給食費等は父が払ってくれなかったので教師からも疎まれていたように思う。とにかく周囲の人間はすべて敵だったように感じていた。
何も与えられなかったが、知能と運動能力は著しく高かったと思う。
程なくして才能を見出され、野球を始めた。能力は高かったので、私がいれば勝てるという理由で月会費をチーム内の父兄が負担してくれた。父が野球をしている私を見に来ることはなかった。
ただ、なんとか野球を続けることができたおかげで、中学時代は関東ではそこそこ知名度のある選手となり、県外の高校に特待生として進学することができた。父は中学を出たら働き手として収入源にするつもりだったようで猛反対していた。
やっと親元から離れることができた。高校では寮に入り野球漬けの日々を過ごしていたが、勉学にも懸命に励み、スポーツ馬鹿の偏差値の低い高校ではあったが、定期テストで学年1位を譲ったことはなかった。
野球の方でも一定の成功をしたので特待生で大学からのスカウトもあったが、将来を考えて一般入試でのいわゆる高学歴、難関大への受験をした。父はもちろん怒り狂っていた。
このあたりで母親と再開した。記憶の上では初めて会う母は、貧しいにもかかわらず私の大学受験を支援してくれた。
結果として受験はまずまずの結果で、当時偏差値70前後の私立大学に合格することができた。野球しかしてこなかった人間としては上々だろう。
もちろん私立大学の学費など身内の誰も払うことはできないので、私は700万円の借金を背負い大学進学をした。大学では飲み、賭け、遊ぶ、模範的な生活を送った。この頃から父の存在は頭から欠落している。
その後大学名から言えば当然程度の大手企業に就職し、働くようになった。
ここから社会に馴染めない私の人間性とそれを醸成した環境の劣悪さに気付き、同時に「マトモ」に育った人間への嫉妬と憎悪が芽生え始める。殴られないように父の機嫌を取っていた卑屈さが、幼少期に教育を受けられなかったせいで常識やマナーが欠如している点が、他者の反感を買い、実社会での孤立を招いている。
温かい家庭で育てばこんなことにはならなかった。努力できるレールが敷かれていればもっと良い企業に入っていた。環境が憎い。豊かに育った人間が憎い。愛されていたかった。愛とはなんなのか。お前ばかりなぜ愛されるのか。というように、環境から自分へ、自分から他者への憎悪へ、姿を変えて何かを恨み続ける人生を送り始めている。
見かけだけは普通の人間を演じている。怒りや憎しみを抱えながらも。
私はこのまま何かを憎み続けて生きていくのだろうか。