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はてなキーワード: 大学受験とは

2020-08-29

28年前に出会ったゲームと再会した

小学校低学年の頃、温泉旅館ゲームコーナーで遊んだゲームと、つい最近再会した。

当時、私の家族は年に一度、伊豆温泉旅館に2泊3日で旅行をすることになっていた。

毎年行くそ温泉旅館ゲームコーナーに、それは置いてあった。

男がどこかの施設階段を猛烈な勢いで駆け下りる姿、海が干上がって砂漠となった地球風景3Dステージで自機にロックオンされて轟音とともに撃ち落とされていく敵。いつも微妙ゲームしかなかったゲームコーナーにあって、一際目立つシューティングだった。

デモを見ていて心を動かされたのは、私ではなくて当時中学生だった兄のようだった。

普段まったくゲームセンターに出入りしない2人にとって、ゲームのものはとても難しく、兄の力をもってしても2面までしか進むことができなかった。

兄はなにより曲に感動したようだった。後日、サントラを購入して一緒に聴いた。

数年後、それはセガサターン移植されることになる。かつての感動をもう一度、と始めたゲームは、「覚えゲー」であり、家庭用シューティングはたくさんプレイしていたので、ラスボスにたどり着くまでに時間はかからなかった。

だが、ラストに衝撃的な演出が待ち構えていた。ラスボスの背景は、宇宙の創生から人類誕生戦闘機戦車ゴミの山とそこに埋もれる日本人形、こちらを見つめる猫、と目まぐるしく変わり、倒すと地球が真っ二つに割れて終わるーー。

2人ともこれを「真のエンディング」とは思えず、ラスボスの倒し方を巡って話し合い、色々と試してみたが、どうしても地球は滅亡した。

結局なにがなんだか分からないまま、ゲームからは離れていった。

やがて自分中学生になる頃には、兄は大学生になり、一緒にゲームをすることもなくなった。毎年の家族旅行もなくなった。複雑な事情父親最後の数年間は一緒に行くこともなかった。

思い出の旅館も、負債を抱え込んだ挙句事業再生の名のもと、名前経営者もコンセプトも変わり、跡形もなくなった。

そのまま忘れ去れるはずだったが、高校生になる頃、ゲームの別の側面を知ることになっていく。

あるとき何気なくネットゲーム名前検索してみると、演出が高く評価されており、カルト的な人気があることを知った。2chでは主人公になりきったマニア書き込みが人気を博していた。

自分も引きずられてのめり込んでいった。兄が買ったのとは別に出たアレンジサントラを買い、ライナーノーツに書いてあるストーリーを読み込み、曲を聴き込んだ。

絶望的としかいいようのない世界観、それに比して明るい1面の曲。

人類侵略者を叩く反撃作戦停戦交渉を前に永久に凍結された。それを拒否して暴走し、一人立ち向かう主人公

作戦名には「純然たる自由」とあった。主人公を操るプレイヤーが1面で聴く曲は「born to be free」だ。しかし、自由をもぎとろうと行動した結果、最後地球割れる。なにが自由で、なにが不自由なのか。

地球割れるのが実は心象風景なら、そうならないで済む未来は、どうしたら実現できるのだろうか。何が正しくて、何が正しくないのか。

大学受験に失敗したときも、つきあっていた彼女と別れたときも、サントラを聴いた。

社会人になってしばらく離れていたが、一年ほど前から、なんとかしてまた実機をプレイしたいと思うようになっていた。なにぶん古い上にマニアックで、なかなか見つからない。レトロゲームを扱うゲームセンターが、基板を所持していることも知ったが、同じ会社が作った名作シューティングが稼働していても、このゲームが稼働しているのは見たことがなかった。

と思っていたが、先日ついにゲームセンターで稼働しているのを見つけた。温泉旅館で実機に触れてから28年ぶりの対面だった。

当時のままのゲームがそこにあった。完全にステージ同調するサウンドも、真っ二つに割れ地球も、そのままだった。サターン版では正確に移植できていなかった部分も、当たり前だがちゃん表現されていた。

サターン版をやり込んでいた記憶が蘇ってきて、2回目にはワンコインクリアすることができた。

しかし、懐かしいと感じるのは、2面までだった。

2面終盤の難所で撃墜されながら、自分は何を求めてこのゲームをしているのだろうと自問し、答が出ないので、今日もそのゲームセンターに通っている。

2020-08-28

院試落ち 教授からは才能がないと言われた23高学歴童貞運動音痴コミュ障子ども部屋おじさん

23歳がおじさんに該当するかどうかはこの日記主題ではない。

この日記は似た境遇経験した方々を探したいという思いと

自身の半生を振り返りたいという思いからつづる日記である

先日私は大学院入学試験に見事に不合格となり、春からの進路を失った23である

まずは現状をつづりたい。

東大京大には及ばないもの世間一般から高学歴といわれても差し支えのない大学

化学系の学部入学し、その後一度の留年を重ね、

卒論以外の取得単位を得たのち自大院試を受け落ちてしまった。

その後、院試の筆記の結果やいままで5年間の期末考査の出来などから

講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらず筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う。就職した方がいい」

アドバイスを受けてしまった。

次は、大学入学後5年間は化学以外の勉強インターン等のその他自身にとって有益となる活動を一切せず

滑り止めとなるような院試を受けずに油断していた私がこれから何をすべきなのか

自身の半生を振り返ることで考えていきたい。

小学生の時、私は体が弱く、そしてどんくさい奴だった。運動神経だけではない、会話の流れが早くなればついていけなくなるような頭の回転という面でもどんくさかった。

ただし、家庭環境は非常に良かった。

小学校6年間通して進研ゼミ(発展ワーク等のオプションを含む)を受講し、中学受験を控えた5,6年生の時には塾に通わせてもらったこともあり

学業で大きく後れを取るようなことはなく、

自身の頭の回転の遅さを自覚することなく育っていった。

そして、中学受験、私は志望校に落ち公立中学へ進学することになる。

(一つ言い訳をさせてもらうと、一般的な私立中学を受験したのではなく、公立中高一貫校のみを受験したため、滑り止めといわれるような学校受験していない)

中学校では、受験に落ちた悔しさをバネにし勉強をしたため、かなり上位の成績を維持することができた。

今思うと学業において周囲の人間に頼りにされていたあの頃が最も自己肯定感に満ちていたように思う。

しかし、高校受験、再び第一志望に落ちてしまう。今思うと悔しさをバネにできたのは最初の1年間で残りの2年間は惰性で勉強をしていたような気もする。

ただ、それでも曲がりなりにも周囲の人間よりも勉強をしていたこともあり名のある進学校の一つには合格することができた。

高校の時は文武両道を目指し運動部にも所属

生来身体の弱さから部内での活躍底辺であったがそこそこ真面目に取り組んだため楽しかった)

したが、

その後あろうことか娯楽を覚えた私は自身長所である学業の成績を大きく落とすこととなる。

その娯楽とはオタク文化なのだが、自身集中力を削ぐ一番の原因は、当時大きく普及したスマートフォンオタク文化と大きく相性が良かったことのように思う。

中学の時とは違い名のある進学校、1年という月日は周囲の人間自分学力の差をどうしようもないほどに引き離すには十分すぎる時間であった。

そのことに2年生時に気づくも3年に進学するまでの一年間では埋めることはできず、少し勉強に力を入れた程度では

その差をこれ以上広げないことしか出来なかった。

ここで私の当時の教科ごとの成績を確認したい。

英語、最も大きく成績を落とした科目、またどの大学を志望するにも必ず受験する科目でもあり、そして当時から現在にかけてまで私を苦しめる存在

数学中学当時最も得意だったが、平均以下にまで落ち込んでしまう。その後も学内平均を行ったり来たりを繰り返す。

国語中学の時から苦手であり、膨大な文章を読むと眩暈がするため真っ先に大学受験から切り離した。今思うとこれが不得意であることが頭の回転が遅い一番の証明であるかもしれない。

理科物理化学生物地学のなかで唯一化学けが学内上位の成績をとれた。これが化学系の学部を志望する要因となる。

社会センターのための倫政以外の勉強は一切しなかった。

化学しか得意科目がない以上理系に進学する以外道がないように思い、進学校であることも相まって国立理系志望となる。ただし成績不振であることから東大京大は目指せなかった。

3年生、国立理系志望、東大京大でなくとも名のある大学第一志望にしていた私は自身の成績では到底足りないことを自覚夏休みの40日間、22時就寝3時起床の生活サイクルを維持しながら合計600時間勉強を達成する。このモチベーションを維持したまま大学受験突入したこともあり見事現役で第一志望に合格。今思うと当日の入試問題たまたま得意分野が出題される、苦手分野は誰も解けないくらいの高難易度などいくつもの幸運が重なった結果であり、

担任教師からですら浪人すると思われていたが、合格した。

人生で初めて第一志望に受かった瞬間だった。

しか第一志望に受かったからと言って

その後にすべてうまくいくわけではない。

大学入学後、5年間、この期間を振り返るとあまりにも無為に過ごしたと言わざる負えない。

大学生たるもの学業以外の活動も行うが、アルバイトはどれも長続きせず、サークル活動では自身のどんくささから後輩から説教を受ける始末。

何も成しえないがしか学業においても多くの必修単位を落とし留年。1年後卒論以外の卒業単位をかき集めるも院試には落ちてしまう。

教授曰く、「講義にはすべて出席し提出物もすべて出しているにもかかわらずあらゆる筆記試験の点数が悪い。真面目なのはいいことだけどこの分野は向いていないと思う」

とご指摘を受ける。また、TOEICの点数も非常に悪く驚くことなかれ400点以下。救いようがないのは事実

院試の結果が出た際、自身の親からは「大学受験の時ほどの必死さがなかった。」と指摘を受ける。

自分もっと頑張れば院に行ける人間なのか。それとも教授が言っているように向いていないのか。

上記のように自身が今まで頑張ったことが勉強しかない人生。その勉強ですら院試落ちという結果に終わってしまった。

就活、ほかの大学院受験など選択肢は無数にあるがどれを選択するのが自分にとって最善なのかわからない。

干渉ママから逃げた発達障害早大生のイマ

母は「女手一つで子どもたちを育て上げた立派なママである

しかし一方でたいへん過干渉な束縛ママだった。

ーーーまぁ、ここまでの話はよく聞く。

先日

https://ddnavi.com/serial/563023/a/

を読んだ。母子密着と共依存の話。見てみると面白い

ほんで

早稲田政経発達障害先輩が職場不適応を起こしている話を読んだ。

私の場合、深刻な問題が起きたのは、

母親から距離を置き、共依存関係が切れ、自力で生きて行かざるを得なくなった時だった。

就職活動である

母親高卒で、就活のことは全くわからないというタイプだった。

今まで「恋愛ダメ」「○大に行かないとダメ」「ママを養わないとダメ」などと言ってきた母親が、ここで急にハンドルを切ってきた。

「娘ちゃんの選びたいようにするのがいいよ。ママにはわからないし。」

めちゃ今更である

私は自分意思判断力で決定するという岐路に、唐突に立った。

ママを養わないダメなのかな…?」と、公務員試験勉強をやってみたり、安定した大企業面接を受けたものの、全くダメだった。

主体性ゼロで育ったお人形のような私が、

強い意志モチベーションを持って社会自分を示す同級生と闘わないといけない。

早々に心が折れ、一人暮らしの部屋で昼夜逆転適応障害になった。そのうち、一学年下の人たちの就活が始まった。

心療内科ガチ心理検査を受けた。

そこで判明したのがガチガチ発達障害(ADHD)と愛着形成からくる不安障害である

数値を見て「わはは!こりゃすごいね」と医者が笑っていた。

私は19歳くらいまで「偏差値の高い大学に入れば自動的人生薔薇色、大手企業で働けるのだ」

という母親第一書記洗脳を大真面目に信じていた。救いようのないアホである

そして早稲田大学滑り込み上京

母親という「最高指導者」がいない環境に放たれたADHD。在野の精神

…タガが外れ放蕩時代を過ごした。

ストロングゼロ中毒者みたいな精神状態を思い浮かべてくれれば雰囲気は合っている。

本当なら大学でも学友とコミュニケーションを沢山とってインターンサークルで結果を残し自信をつけないといけない。プログラミング英語も使い物になっておくべきだ。

こういうことの知識収集プランニングが全く出来なかった。まぁ頑張ってはみたのだが、足りなかったかもしれないし、怠惰だったこともある。

サークルコンテストで頑張った時期もあるようだが、適応障害ストロングゼロ生活記憶ボロボロになってから、それを生き生きと語ることが出来なくなった。

(頑張った気持ち、というのは瞬間真空パック出来ないので、早めにアピールして他者から評価にした方がいい、と思う。)

ともかく、母の「指導」を受けることが出来なくなった私は孤立し、無数の選択肢がある自由から逃げ出したくなった。自分で選ぶということをしっかりやってきた同級生に比べて自我がなく、きわめて幼なかったと振り返って思う。

これが母子密着、共依存を経て、唐突に野に放たれた発達障害者の怖さだと思う。

甘え、逃げ、依存思考停止責任放棄

親と共依存になった子どもが誤って学んでしまう悪癖の一覧である

子ども母親の言われた通りにやっていて、大学受験は大団円しかし後で大きなしわ寄せがやってくる。

就活で失敗したことをいくつか書く。

発達障害で言うと、

複数あるESの締切に間に合わない。落ちる。各社の方向性に合わせて自分を微調整して動くことが出来ない。発達障害を見抜かれる。地図が読めない。大手町のビル迷子になる。

不安障害では、不安自己PRが出来ない。PRしていることが嘘のようで罪悪感があり眠れなくなる。(アスペ的要素もある)

そんな感じで、就活は大きな傷を残し失敗。

背水の陣で挑んだ院試で某院に入り、何とかバイトのかけもちでピヨピヨと生きている。

もう親から仕送りはない。

しかし2度目の就活もまた、怖くて出来ないでいる。

もうすぐ、夏が終わる。

2020-08-27

国公立大学医学部で一番入りやす大学徳島大学である。倍率2倍。

国公立大学医学部医学科、それは入るだけで将来が約束される夢の学科

私立大学学費が数千万円という大金にも関わらず、国立大学学費は年間52万円ほどと格安

奨学金を借りれば、一銭もお金をかけずに入学卒業することも可能

医師国家試験合格率は90%程度と卒後は医師としての道が約束される。

もちろん年収1000万円超えも約束される。

そんなバグった好条件の大学競争率が低いわけがない、

当然多くの高校生国立大学医学科を目指す、

中には5浪というツワモノもいる、それ以上も....

そんな人生保証レールだが今現在、他の大学に大差をつけて、最も入りやすいであろう国立医学部存在する。

タイトル通り徳島大学である

それではその理由について説明していく。

今回は徳島大学医学科に入りやす理由を述べるだけで、他の大学については言及しない。

それでは始める。

まずはボーダーを見ていこう。

パスナビによるとセンターボーダーが83% 偏差値62.5であった。

センター試験合格最低点が

2020年は900点満点中、ボーダーが779点、最低点が724点(80%)である

二次試験

2020年は400点満点中、ボーダーが276点、最低点が214点(53%)である

ボーダー」という言葉について考え直そう

ボーターとは合格者平均という意味である、つまり大体

合格者のうち、順位が半分の人の点数である

ボーダー記述が間違っていますね。

ここで出したデータ正真正銘合格者平均(ソース徳島大学)です。

ボーダー自体境界意味しかないので、どの境界かは予備校ごとによって異なります

(河合塾のいう「ボーダーライン」は、「合格不合格割合が50%になるセンター試験得点ライン」らしいです。)

体感ですが、B判定が出る点数が合格者平均に近いです。

色々ごちゃごちゃ言いましたが「ボーダー」は忘れてください、合格者平均だけ見てください。


実際の集団で考えればわかるが、

集団の半分の実力を持つというのは、大学受験合格するに際しては必ずしも必要ではない。

逆に合格者平均に近い点数を取っていれば、大抵の場合かると考えていい。

実際に合格不合格を争うのは下位10%程度、合格最低点周辺の人達である

それを踏まえた上でセンター試験の特典について考えてみる。

最低点が80%、これは国立医学部では異常なほど低い

他の大学では大体82%はないと受からない。

驚くのはこれだけではない、徳島大学医学科は「国立医学部随一のセンター配点の高さである

割合でいうとセンター9に対して二次試験が4。

70%はセンター試験で決まってしまうことになる。

まりこういうことだ

センター試験ほとんど決まってしま大学にも関わらず、合格最低点が国立医学部随一の低さ

驚くなかれ80%に毛が生えた程度というのだ。

ここまでで十分入りやすさは伝わったと思うがまだ実は半分も紹介できていない。

本当の入りやすさはセンター配点にある。

センター試験国語英語社会数学1、数学2、理科1、理科2の7科目で構成される。

一般的国語英語はどちらも200点満点で換算される。

よって合計900点満点

それが一般的国立大学の配点である

徳島大学センター配点も900点であるため変わらないと思う人もいるかも知れない。

実は徳島大学医学科のセンター配点は社会50点、国語150点、理科300点である

理系の人ならわかるだろうが、この配点で最低点が80%というのは医学科として考えられない低さである

一般的国立大学医学科の合格者は85%〜87%程度の得点率を叩き出すが

これは数学英語理科はほぼ満点、社会国語で以下に落とさないか勝負になっている。

まり数学9割、理科9割、英語9割、社会8割、国語8割ぐらいの得点率で8割後半を叩き出しているのだ。

人によっては数学満点、理科満点なんて人も珍しくない、むしろ9割を切ってしまうと合格は厳しい、それぐらい理系科目だよりなのだ

話を戻そう、一般的国立大学医学部合格者が徳島大学の配点で計算すると、

数学180/200

理科270/300

英語180/200

社会40/50

国語120/150

合計790/900 →87.7%

合格ボーダーを遥かに超えました

この点数なら二次試験大ゴケしても十中八九受かります

さて、先程も述べましたが、受験ボーダーで考える必要はありません

合格最低点を超えればいいのです

どれぐらいの点数なら合格最低点になるのでしょうか。

以下にシミュレートしました。

数学180/200

理科270/300

英語160/200→8割、大コケ

社会35/50→7割、大コケ

国語105/150→7割、大コケ

合計750/900 →83%

ダメです、数学理科は最低ラインの9割取れたにもかかわらず

その他の科目が大コケした場合でも受かってしまます

国立大学医学部合格者なのに7割科目が複数あります、考えられない点数ですが受かってしまます

更に下げて最低点を目指します。

数学160/200→8割、大コケ

理科270/300

英語160/200→8割、大コケ

社会35/50→7割、大コケ

国語105/150→7割、大コケ

合計730/900 →81%

5科目中4科目がコケます合格最低点は取れませんでした。

おわかりいただけたとおり、現在徳島大学国立大学でも有数の入りやすさです。

では二次試験は?と思われた方もいるでしょう。

ここで更に入りやすさの種があります

二次試験得点率の低さ」そして「科目数の少なさ」です。

まずは得点率の低さから、400点満点というただでさえ少ない配点にも関わらず

合格ボーダーが7割、最低点が5割と恐ろしい幅の狭さです。

これではセンター試験が偶然うまくいった連中に追いつくことができません。

次に科目数の少なさについてです。

なんと2科目です。

驚異的です。

考えられません。

センター試験死ぬ気で2科目勉強すれば落ちるどおりがありません。

他の人は理科に科目に時間をさく必要があるにも関わらず

徳島大学医学科志望者はなんと2科目でいいのです。

ただ毎日数学英語勉強すればいいのです。

もうおわかりいただけたかと思いますが、更に追い打ちをかけます

徳島大学医学科は面接点がありません。

差別のしようがないです。

多浪であろうと、女性であろうと、差はつけられません(女性合格者が多いことからもわかります。)

いやいや、でも進級が厳しいんじゃないの?

→昔の話です、今は留年者数は一般的医学科と同程度です。

嫌でも現実が伝わったと思いますので、最後に私が考える徳島大学受験計画について語ります

まずはじめに念頭に置いてほしいのが

数学英語理科は忘れにくいです。

一方古文漢文社会はすぐ忘れます(3ヶ月ぐらいで忘れていきます)

大体大合格したら高校勉強なんてしませんが、今の私ですら数学英語現代文はまともな点数が取れます

一方社会古文漢文理科(化学の暗記事項)は全国平均点を切るでしょう。

こんなことは進学校出身なら常識です、もし知らなかったなら理解しましょう。

4月から7,8月までは数学英語を徹底的にします。

しろ他の科目はしないでください、忘れますから

あなたは1年生の社会テストでまともな点数が取れますか?取れませんよね

じゃあ数学テストは?取れないと困りますよね。そういうことです。

この地点で本当に完璧します。

センター試験では9割は落とさなレベルまで持っていってください、

その代わり他の科目の勉強はしなくていいです。

8,9月から10,11月理科数学英語を固めます

数学英語二次試験まで解けるように、理科センター範囲だけでいいです、9割を割らないようにしましょう。

かんたんです、理科で9割超えはかんたんです。

11月以降は古文漢文社会を中心に頑張りましょう。

3ヶ月で間に合うか!!って思った人、間に合います

古文漢文は満点取らずに7~8割取れればいいです、その代わり死ぬ気でやりましょう。

社会は平均点に毛が生えた程度でいいです、1割が5点分しかありませんから、驚異的低さです。

センター試験数週間前からはすべての科目を再確認しましょう。

数学英語が取れていれば他の科目に回していいです。

社会時間を取られることがないようにしてください。

そしてセンター試験

数学185/200 92.5%(高い方でもありません)

理科280/300 93%(簡単ですが差が付きます)

英語170/200→85%(9割ほしかったですがリスニングで大コケしました。)

社会30/50→60%、(大コケです、全国平均点程度しかありません。)

国語105/150→70%、(大コケです、全国平均点に毛が生えた程度しかありません。)

さて、だいぶこけましたが数学理科普通に取れました。

合計点は

770/900 →85%

高くもありませんが普通に受かる割合です。

さて二次試験です。

2ヶ月近く、毎日英語数学します。

とにかく量をこなすだけです。

毎日長文2文以上

数学毎日標準的問題ときましょう。

迎えた二次試験です。

数学は4問中2完1半でした。(2完と言っても取らせる問題でした。)

次に英語です。詳しい点数はわかりませんが半分は取れました。

にわかった点数によると

数学110点(2完ではありませんでしたが、部分点で稼ぎました)

英語120点(大体これぐらいだと思っていました。)

ちなみに大コケしてますだって合格者平均が7割平均のテストですから

さて、合計点ですが

ちょうど1000/1300点でした。

振り返りましょう

センター試験では理科数学普通に取れました、英語は若干コケましたが耐えました、国語社会は大コケも大コケです。

二次試験ですが、合格者平均には及ばない点数でした、半分ちょい、6割程度の得点率。

結果を発表します。

合格者最低点が996点なので合格です。

なんと、あれだけ大コケしましたが受かってしまいました。

めちゃくちゃ大コケしても数学理科さえ取れていれば受かる大学です(センター試験レベルで)。

なぜこんなに入りやすいのか疑問に思う人もいるでしょう。

答えは倍率にあります

志望者258人に対して、定員は114人

倍率にして2.3倍、国立では考えられない倍率です。

これだけではありません、徳島大学の推薦志望者は一定数います

受験条件として8割があげられているので、ほとんど全員が一般にも志望しています

裏を返せば、推薦合格者の分、受験者数が更に減ります

実際に試験を受けた人は200人でした。

合格者数も118人に増えて、実質倍率は1.695倍です。

書きミスじゃないですよ、1.7倍です、高校入試じゃないですよ。

国公立大学医学部の倍率が1.7倍です。

あ、合格者数の中に推薦合格者数も入ってます

正確には2倍周辺ですね。

ありえないほど低いことに変わりはありませんが....


さあ、皆さん徳島大学医学科を目指しましょう。

東京大学に入ったって、一橋大学に入ったって、早慶に入ったって、旧帝大学に入ったって、

年収1000万円は約束されません。

でも医師は別です、30歳で1000万円が約束されます

でも、今年だけじゃないの?

→ここ数年はこの傾向が続いています

来年も同じ保証はないじゃん。

→おっしゃるとおりです、そんなあなた朗報があります

徳島大学事務局仕事が早いです。

出願状況は即更新されます

まり、出願届が発送可能ギリギリまで志望者数をみて、

多ければやめる、少なければ出願する。

ということが可能なのです(ちなみに大学でも受付はしているはずです。)

そうはいっても最終日に跳ね上がるかもしれないじゃんと思った方。

受験サイトで、ここ数年の倍率の推移が見られるので見ましょう。

ほとんど、数日前の倍率から変動していません。

でも立地が悪いじゃん。

大阪まで2時間かかりません。

さあ、国公立大学医学部を目指す皆さん、徳島大学へ行きましょう。

準備はいいですか?


センター試験終わったじゃん

 →傾向は変わりましたが、この配点で次年度入試も行うようです。

医師になって幸せなの?

 →お金があれば幸せだと思います

医者忙しいじゃん。

 →過労死等騒ぎますが本人次第です。

  楽しようとすれば幾らでも楽できます

  忙しい病院やめて田舎バイトしましょう。

  それで医療が成り立つかどうかは問題ではありません、医師責任はありません。

・この記事のせいで来年度増えるじゃん!

 →受験生の何人がこの記事を見ますかね、この記事の影響は限りなく0に近いです。

大学けが人生じゃないだろ。

 →医者には医学科に入らないとなれません。

医者なんてすぐに食いっぱぐれるぞ。

 →いつかはそうなるでしょうが、その前に世の中の多くの仕事がなくなっているでしょう。

  また、食いっぱぐれたくないなら外科医になればいいです、忙しいですが食いっぱぐれない。

  自動運転すらまともにできない機械が手術できるまでどれぐらいかかりますかね。

偽ブランド品を買い続ける母親

母宛に荷物が届いたので受け取った。ベッコベコになったダンボールに、中国語で書かれたラベルが貼ってあって、既に嫌な予感がしていたが、まあ受け取って母に渡した。

「あら〜ようやく届いたわ〜ウフフ」と言いながら嬉しそうに開ける母。ダンボールの中からはなんとディオールのバッグが登場。

3500円で買ったんだってディオールのバッグを。そんで中国から、ベコベコで緩衝材も入ってないダンボールで届いた。

ディオールのバッグがそんな雑な縫製で、裏地もついてない、ペラペラな作りなわけがなかろう。

しかタバコみたいな臭いが染み付いていて、ファブリーズして玄関のところに干して何日も放置してある。もう飽きてる。

母は何度言っても偽ブランド品を買うことをやめない。シャネルコーチのバッグ、財布も沢山持ってる。偽物だけど。

お母さん、偽ブランド品を売ることは違法なんだよ。違法なお店にお金払ってるんだよ。お母さんはわかってて買ったんでしょ。3500円払ってそんな粗末なバッグ買うならもっとまともなのを買おうよ。

私と父2人で諭しても怒っても効果なし。

父と2人で言ってる時は少しはしおらしく聞いてる(理解はしてない)けど、私1人で話してる時は、すごい勢いで反論してくる。

「お母さんは偽物でいいもーん」「安くディオールが手に入るならお得じゃん」(それはディオールではない)「違法でもバレなきゃいいもーん」しまいには、「そんなに言うなら、あんたが本物買ってくれればいいでしょ!」

恐ろしいことに、これは40を過ぎ、大学受験を控えた娘を持つ女性の言い分である

偽ブランド品の利益反社会的勢力に流れているとかって噂もあるし、こんなペラペラの偽物全開のバッグ持ち歩いて恥ずかしくないの?と思う。

我が家は決して貧しくないし、むしろ裕福で恵まれた方だと思う。母だって祖父会社を手伝ってそこそこのお給料を貰ってるんだから自由に使えるお金がある。

数ヶ月、衝動買い無駄遣いを我慢すれば本物のバッグなんて普通に買える。

だって、コツコツ小遣いやバイト代を貯めて、ディオールシャネルとは価格帯がまったく違うものの、憧れのブランドのバッグと時計を買ったのだ。他のことは多少我慢しなくちゃいけないけれど、コツコツと努力して貯金して、届くのはまだかな、と待ち続けてやっと手に入ったバッグは宝物だ。

ということを力説しても効果なし。

正直、「あんたが買ってくれればいいでしょ」を聞いて、心の底からガッカリした。

本人は対して考えもせず軽い気持ちで言ったんだろうが、あー、私の母親ってこんな人なんだ…って感じ。

まあ母のお金で買ったものなんだから家族であろうとあーだこーだ言うのは良くないとは分かってるが、ドヤ顔で偽物見せびらかしてるのが本当にダサいし恥ずかしい。

将来、就職してお金が稼げるようになったら母にブランドバッグや旅行でもプレゼントしてあげたいな、なんて思っていたが、この人は本物のブランド品を手にしたところで、すぐに飽きて、あれも欲しいこれも欲しいでまた偽ブランドを買いそうだからやめようと思う。

ちなみに、母が買った偽物の元ネタ?と思わしきバッグは、およそ30万円だった。

2020-08-23

性欲が乏しいか性的もの忌避する気持ち理解できない

という話と地続きなことだと思うが

他人に体を触られたりするのは不快、というのはもちろんそうなんだけど

手を触られるのもチンポを触られるのも大した差はないし

尻の穴に指を入れられるのも、口の中に指を入れられるのも、どちらも同様に嫌だと思う

って、尻の穴は性的でもないか

まあ、それはともかく、何日か前からyoutubeのただよび文系チャンネルかいうやつの

基礎英文法講座ってのを見てる

今更英語勉強したところで何の役にも立てられないんだけどさ

受験勉強ってなんだかんだで楽しいんだよね

楽しいだけで、試験で良い点が取れるとは限らない)

大学高校の延長で、講義受けて試験受けて、ってだけやってる分には楽しかったんだが

レポートは本当に苦痛だったし、ゼミに入ってからは更にひどかった

大学に入る前から自分大学に向いていないってことに気づいていなければならなかったのに

なんとなく勉強楽しいし成績も良かったから、惰性のままに大学受験してしまったのは失敗だった

というかそもそも大学どころか、この社会に向いていないんだよね、たぶん

いい加減、死なないかなー、俺

2020-08-22

anond:20200822091912

よっぽど大卒じゃないといけない職業なら思うかもしれんけどそれ以外ならどうでもいい。

流石に大学受験予備校に勤めてて偉い講師が・・とかなら思うかなあとは思ったけど(勿論中退は別)

それだって最近英語外部試験講師とか居てその場合大学なんかよりその資格のほうが重要に感じるからなあ

2020-08-21

頑張ってきたか

高校は立派だった。大学受験に大失敗した。なんとしても返り咲いてやりたいと思い就活は頑張った。世間的に見て普通会社に入ることができたが、大学学歴を考えたらだいぶ健闘したと思う。

その会社経験を積み、財閥メーカー転職した。語学力を認められ海外駐在を勝ち取った。嫁と子供にも恵まれた。細々と続けていた趣味帰国後に再開し、当時のメンバーバンド再結成することができた。

頑張ってきた。周りの反応を気にせず、少しでも良い方向を目指して仕事資格も、家庭と両立してきたと思う。30代も半ばを迎え、ふと振り返れば高校時代の友人達の中でも決して見劣りしない人生を送っていた。

山口経産省で激務で死にかけている。優秀な副部長ゆうちょ銀行で鬱になった。幼馴染の横手高校教員疲弊し、一番性格が悪くなった吉村独法で恐れられているらしい。会社を辞めたり大学燃え尽きたり、仕事文句ばかり言っている。

みんなを目指してこの10年頑張ってきた。だからみんなにはもっと立派になっていてほしかった。30代になってもあの頃みたいに夢を語りながら酒を飲みたかった。みんな東大京大出たんだろ!?もっと充実した人生遅れるはずだろ!?

絵描き過去絵恐怖症

突然ですが私は「過去絵恐怖症」です。名前のとおり、過去に描いてネットにあげたイラストが下手くそに見えて恥ずかしくてたまらなくなるやつ。

まぁ、それを聞いて画力が上がってる証拠だよ良いことじゃんって言われることもあるけど、そうじゃない。

まず、その絵をあげて自信満々になってた自分が恥ずかいし、3週間前の絵でも下手に見えてくるから自分やっぱり下手じゃんって思い知るのが本当に辛い。

しかも、TLには上手な絵ばっかりで、その絵を見ても今の自分の絵では圧倒的に画力や魅力の違いを感じてしまい、絵を描くのが辛くなる。

絵が上手いのは素晴らしいことだし、羨ましい。

自分も今は大学生になって余裕ができてひたすら毎日絵の練習をしてるけど、自分の絵を見てもマイナス感情しか湧かず楽しくない。絵が上手くなりたい。

そもそも、絵って人によるけど一枚仕上げるのにもすごく時間かかるし、「お前よりうまい人間は皆お前より努力してきたんだ」なんて言われても、その練習時間はどうやって捻出してきたんだと思う。だって、十代の学生生活なんて高校受験大学受験勉強優先だし(進路がデザイン系や芸術系などもちろん例外もいるが)部活バイト人間関係も大切にしてたら頑張っても週1,2ぐらいのペースでしかイラストは描けないと思う。リアルの友人や姉(姉は絵が上手い)を見てても、絵なんてそこまで真剣毎日描いてなくても元々上手い人間は成長と共に画力も上がるしちょっと練習で上達するものなんだと思う。

自分は才能が無いのに頑張ってる方だから普通の人よりは描けると思うし、絵を描かない友人は自分のことを神絵師だなんだと褒めてくれるけど、やっぱり自分の満足する絵が描けないのは苦しいし悔しい。

こんなことを嘆いても仕方ないか今日もおとなしく絵の練習しま

2020-08-19

母親気持ち悪い

行動が気持ち悪い

高校受験大学受験就職といった人生重要な場面場面で、助けになるようなことは一切せず、はっきり言えば苦しんでいる様を覗き見してくるような気持ち悪さがある

子を想う気持ち表現すれば美談になるかもしれないが、本当にそう想うなら正しく助けになるようなことをしてくれ

できないならできないでそれでいいか不干渉を貫いてくれ、邪魔になるようなことは一切しないでくれと思う

今もオンライン面接が控えていてその旨を伝えると、いつもはくだらないドラマをずっと見ているくせに、今日に限ってはひっそりと隣の部屋に来て様子を伺ってくる

気持ち悪い

2020-08-15

大学受験が辛い話

 私は都内高校に通っている高校3年生です。正直大学受験がしんどすぎて死にそうです。私は日本人学校帰国子女なのでAO入試大学受験しようと考えているのですが、いかんせん難しい!!ただただ学校勉強をして、ちょこっと課外活動をしてきた人間が、急にAO入試問題意識高校生活でどんな取り組みをしたかを問われる。えっっこれ普段からいろんな活動できる金持ち有利すぎない!?私の脳みそピーマンすぎるのか、学校生活を過ごしている中で社会問題について色々思うことはあるけど取り組んだりはしてない。そもそも授業は事実ベースから問題発見してもどういう活動しろとか教えてくれない。

 AOの塾に通ってるけどまじみんなレベル高すぎる。本当に高校生か??どんな素晴らしい先生出会えたらそうなれるんだろうと心底羨ましくなる。多分AO入試も成績関係なく熱意を見るよ!!っていうのが売りだけど、結局はお金を持って塾に行ける人が勝つと思う。所詮金かこの世の中。受験課金した者が勝つのね。でもAOで入った人って考えしっかりしてそうだから大学に入ってから戦力にはなりそう。大学からしたらばんばんざいだね。

 てかAOやってたら普通にMARCHも難しい。てか一般でも絶対難しい。なんで日本MARCHかにされてんの??十分すごいと思う。てか日本の56%しか大学行かないんだから私も大学行きたくない。けど周りはみんないってるし、いかないと給料も良くないからできるかぎり高い大学にいきたい…。なんかもう社会大学に行く=すばらしい・当たり前みたいなところ嫌すぎる。てか学歴社会がむり。文明今のままで縄文時代もどりません??

 駄々っ子みたいになってるけど、AO入試対策普通学校でもやってほしい。ていうかもっと学生にタメになること教えてくれ。嫌いな人との関わり方とか。

2020-08-14

[] 161

 不眠のため毎日4時間半くらいしか眠れてなくて、当然日中眠くなるのだが、夜ベッドに入ると全然眠くならない。

一応ドリエルも買ってみたが、夜眠れないのは昔からなので、気にしないで前に進むしかないだろう。

仕事中ヒマな時、英語文章を読んだりもしたが、翻訳がないときつかった。

大学受験レベルで止まってるから当然なのだが、現実英語ってなんであんなに難しいんだろう。

外国人と話しても、正直ネイティブとは会話成立しない。

努力しないと、歳食っても何も変わらないのね。

少し前まで読んでたブログがあったのだが、恐らく消滅していて、ブログ名でググっても何も出てこなくて、悲しかった。

書いてる人が、いよいよ死んだのかもしれない。拗らせてた感はあった。

しかし、ブログ名でツイッター検索かけても何も出てこないし。

結局自分インターネットだと思ってるこれは、世界の極々極一部なのだろうな。

首都圏女性10人に1人はマッチングアプリを使ったことがある的なデータを見て、みんなやってるものかと錯覚するが、実際やったことない人もたくさんいるみたいな。

自分の当たり前は当たり前じゃない、か。

自分が当たり前だのクラッカーにできることも、知識経験がなかった頃はできなかったんだよな。

お金にならなくて良いから人の役に立つことをしたいけど、何すればいいやら。

考えてたら眠くなった。

2020-08-13

フラット化した世界へようこそ

『この割れ切った世界の片隅で』を読んだ。クソだった。主体性がない。思考停止だ。何が統計だ。

アレは与えられた自我だ。存在しない役を演じようとする愚者に違いない。良く言ってあの文章は何も変えられないし、下手をすれば誤ったメッセージになるだろう。

彼女の本当の仇打ち相手長崎にも東京にも求めるべきではない。

おめでとう。彼女(君)は偉大なるあの割れ世界の壁(境界)を踏破したのだ。あの誰も越えることの出来ないはずの地域差の壁、格差を。そして熱にうなされた君は他の都会の連中や馬鹿には見えない、触れも出来ないあの透明な壁を崩すことに躍起になっているのかもしれない。だが、本当はわかっているだろう。それは幻想だ。

Welcome to the flattened world.

あなたの好みの小学校生活はどれですか?

A. 「友達の家で朝から晩までゲームをする生活

B. 「刑務所友達を待つ生活

C. 「国連憲章を暗唱する生活

けんじゅうのほうが楽しいーー!!」とAを選んだあなたはきっと正解です。身の丈にあった生活を選びましょう。拳銃の方が楽しい人はBを選びましょう。大陸間弾道ミサイルを打ちたい方はCを選びましょう。

キトーな話は追いておいて、彼女格差象徴として提示たこの三つの世界は、フラット化した世界では同じ条件の同じ戦場であり、国連職員を目指す上でも本質的には何も違わない。

チャンスと試験場所に関わらず平等だ。そのことにどうして気づいていないのだろうか。そうした話をした上で世界社会ではないところに論点があることを示したい。

周囲のみなさま、お疲れ様です。

いびきの鳴り響く会場。眠りこけてよだれを垂らす隣のおじいさん。「誰も聞いていないだろう」と適当な話を繰り広げる講師。たった一人聞いている私。全てが嫌になって、アンケート評価項目すべてに1をつけてワンワン泣きながら外に飛び出した。』

『私のこの「別世界コンプレックス」の決定打となったHLABであった。HLABとは全国から集まる高校生が集まり寮生活体験するサマーキャンプだ。そのほぼ100%が有名私立高校出身である。』

全然学ばないのな。 いや、悲劇のヒロイン症候群やってるのか。よくもまぁそんなに無駄にできる時間があったものだ。よく調べれば事前にわかることで話は終わっているし、その機会をさら活用できなかった、しなかったのは君に執念、目的がなかったからだろう。

君の「周り」の人間はさぞかし大変だろう。君はいつも「周り」に大量の支援要求するくせに、君はツラくなる度「周り」や「身近」が悪いと君の全責任を被せ断罪する。救いの手を差し伸べたつもりのクラウドファンディング支援者も近いうちに全員断罪されるだろう。「どうして半端な希望なんて抱かせたの?」と。

挙句、「お前の成果はお前の努力の成果だと思うな。東京人間本屋電車、塾、ぜんぶがぜんぶに支えられてるたけだ」だと? なるほど、東京に来た君が断トツ最下位になるわけだ。他の奴等は他人の手じゃなく2本の足で支えられてるからな。

君が東京に来ても本屋電車も塾も君には手を貸さないだろう。東京人間が君とは異質なままだったように。長崎大学が君を見限ったように。君が同級生を見捨ててきたように。

そもそも世界は既にフラット化している。情報は誰でも大抵の情報無料で公開されており、ググれば出てくる。SNSを使えばどういうやつが、どういうことをしているか顔写真も見つかるしコンタクトも取れる。

フラット化した世界では東京長崎の間には境界情報格差存在しないと見なされているし、対等に競争しなくてはならないし、残酷だがそれが可能時代だ。可能である以上、これは魂の問題だ。

少なくとも東京の敵が長崎から討てる今、あなたの失敗を「周り」や地域格差帰着させるべき道理はない。

親の資本同級生社会階層を東京金持ち学校の生徒の持つそれと比べたときに有利不利は発生したかもしれないが、それも地域格差問題ではない。

情報が無いなんて甘えだ」とでも言うのか?

そうでしょ。それこそ『甘えwww』でしょ。スマホあんじゃん。学校パソコンあんじゃん。執着があったんでしょ。ならそれを実現する手段を探すなんて当然の行動じゃん。っで君も最初は当然の行動したじゃん。最初だけ。すぐに悲劇のヒロインぶって話を逸らしたけど。

君が現実逃避して望んだように、誰しもが受動的に機会や情報が与えられるようになった世界存在するならば、君はきっと英語地方大会予選落ちだろうし、君が見下していたクラス内ですら君は上位を取れなくなるかもしれない。

君が享受した意欲的な人限定教育リソースの配給量は減り、凡人間の差が消え帰国子女文化資本の持ち主だけが圧倒的優位を築くことになるかもしれない。まぁでも君がそれを望むなら、どうか人の邪魔にならない世界の片隅とかでそれを祈っていてくれ。

あと「人の努力環境のお陰で、帰国子女じゃない私の英語努力正義」ってよく言えたね。「格差言い訳思考停止してるの甘えwww」だし「クラウドファウンディングかめっちゃくちゃ甘えwww」だよ。

東京人間は君と違って地方予選の一回戦から格上との対決も避けられない。その状況下で上を目指すなり、優位性を見つけるなり、撤退するなり、貧困に落ちつくなり自身のあり方が規定される。残酷だね。

一方、半端な君は自分より出来る人間観光先に見つけては「アイツらは卑怯なだけ」と悪態を付いては逃げ出す。競争による規定から逸脱した上で、地元他人責任なすりつける。幸福だね。

他人競争するスタートに立ててないし、本当は参加資格もないよ。ヌルさが許容される土地に生まれたことを幸せに、そして誇りに思うべきなのに。

この袋小路の不幸は、君が自身のあり方を君自身決断する重要な機会を奪った、あの「国連職員」が招いたものだ。

不幸の種

国連職員の方に会った瞬間、涙が止まらなかった。こんなにちっぽけな自分に、雲の上の存在の方が目を合わせてくださっている。

頭を撫でてくださっている。その事実だけで嗚咽が止まらなかった。「遅くとも大学から、できるなら高校から海外に出たほうがいいよ。」その一言で、心は決まった。

はい、皆さん。これが不幸の種です。希少な現物です。高級品です。粉末にして牛乳に混ぜてコネクリまわすと国連憲章を暗唱する小学生とか作れます。地面に植えたら不幸の木が育ちます

これはただの社会的地位を悪用した生き方の押しつけだ。どうしてこんな酷いことを言うのだろう。中学校教師が生徒に「君の実家の都合は知らないし興味ないけど、高校アメリカ学校に進むと英語が得意になるよ。大学からでも良いよ。でもそれしか君の夢は叶わないから。」と言うだろうか。

国連職員は確かに海外生活問題なく送れる程度の語学力修士号必要だが、現実的方法として国内大学長期留学するか、成績取って海外大学院に進学すれば良いじゃん。

この国連職員フィリピン少年院訪問しても言えよ。『遅くとも大学から、できるなら高校から海外に出たほうがいいよ。』と。

東京まで行って参加したコンペに関して、受賞歴数バトルしてる世界観なら勝った数だけが大事だが、(もし)執着があったなら心の傷とか言って逃げてないで君は何もわからないなりに参加し続けるべきだったよね。

勝ち方は選べないが、負け方はそれなりに選べる。観光気分で参加した「なんとかチャレンジ」は負けれてよかったね、恥かけてよかったね。次はもっと本質的な醜く哀れな負け方ができたら良いね、そしたらそのうち勝負スタートに立てたかもね、だ。もう手遅れだが。

これで『私は運命の流れを変えた。』と自称しているのは非常に片腹痛い。君のその薄っぺら努力で変わる運命ってなんなんだよ。

鞭とわずかな餌で踊りを仕込まれた一匹の動物には、面白おかし運命の綱渡り芸くらい見せて欲しかった。それが派手に失敗して落下したなら滑稽だった。でも残念ながら差し込んだ光明にも目を背ける君の主体性植物未満だった。

これから格差の話をしよう

ヒッピーもどきには難しい話になるかもしれないが、「ある種の」格差是正の担保の仕組みとして公正性・透明性ってあるじゃんクラウドファウンディングって結構な歪みだよね。あれは君の大好きな格差社会が生み出した富める者の道楽だよ。

他人人生を、雲を挟んだ安全からラジコン操作する道楽より悪いのは相続税100%ではないことかもしれないし、ソクラテスの『国家』が未だ実現されていないことかも知れないし、共産主義革命が実現されてないことかもしれませんが。

クラウドファウンディング資金は、カンボジアの人跡未踏の山奥の誰にも見つからないところに井戸を掘ったり学校を建てるのに使うのがよい使い道なのではないでしょうか。

へぇ~、コロナは君にとって前向きに作用したんだ。そうなんだ、よかったね。「ふつう」の人はコロナ所為教育格差が広がって苦しんでるよ。

格差についてもっと言うなら、君が戦うべき、憎むべきは東京謙虚さの足りないあのおぞましい連中なのだろうか?

声なき声を上げても助けてもらえなかった「君の同級生」は君が主張するように社会当事者全員で憐むべき対象だったのだろうか?

どうして英語勉強してるの?

EFチャレンジという動画スピーチコンテストで何故か決勝に勝ち進み、東京へ母と向かった。

結果は惨敗だった。発音の悪さから能力を見限られたのか、審査員から質疑応答でも聞かれたのは"Why do you study English?"の1問だけだった。

"Why do you study English?" この質問が全てで、君にはそれ以上の質問必要ないだろう。っていうかこの質問はあまりに高尚すぎる、勿体ない問いだ。

それに君の周りの「ふつう」はこの質問まで辿りつかないらしいじゃないか。君はこの質問の答えを準備出来ていたのかい

英語民間試験大学受験必須英検受験料が皆払えると思ってるんですか? 思考力や文章力が重視される? 現代文得点が、触れる情報量の差から圧倒的に地方のほうが低いのをご存知ですか?

留学プログラム書類。今まで「自分アピールする」経験なんて一度もしたことない、本当にいちばん海外から遠い子たちは応募書類を書くのもままならないこと、知っていますか?

あなたが見ている社会は、本当に「社会」ですか?

大好きな統計を持ち出すなら長崎県の大学進学率は45%だ。50%未満だ。(クラウドファンディングを抜きにしても)君は君が所属していると思っている世界の分断の象徴になるのは本当は相応しくないのかもしれないし、君自身の「ふつう」のポジショニング見直し検討するべきではないだろうか。

君は格差問題当事者ではなく明確に加害者側だよね。

あなた社会を、本当に「見ています」か?

その分断の壁って本当に越えられないものなんですか?

その壁って誰もが越える必要があるものなんですか?

あなたに越えられてあなた同級生が越えられない程度の壁ってなんなんですか?

あなたが出来なかった理由は分断の壁のせいなんですか?

全ての原因は地方東京の壁のせいなんですか?

どうして平然と英語なんて学んでいられるの?

『どうせ地元英語先生をするくらいが限界なんだろうな』と思っていた。でも外国の『不条理のせいで牢獄に囚われている恵まれない子ども達のために、人生を捧げようと思った。』

しかし、周りのサポートのお陰で「大好きな人に囲まれてここまで来た自分」にアイデンティティを持てるようになった。ようやく、「未来自分の手の中にある」と思えるようになった。』

いや~流石、雲の上の存在から目をかけてもらえる人間はやっぱ違うわ。選択肢も目のつけどころも「ふつう」とは異なるんだね。きっと雲の上にいる自分自身の明るい未来けが想像出来ているのだろう。その格差から降って湧いたその貴重なお金で是非フィリピンジャニーズ少年とお友達になって来てほしい。

でも地元英語先生する方が私は向いてると思うよ。東京私立高の高層ブルジョアジーと戦う長崎自由の女神像を無理なく演じられているようだし、その役回りを続ければよいのではないでしょうか。

あの記事がそうだったように駄目な大人子供はそれで騙くらかせる。(ついで次世代呪い継承出来るかもしれない。)

まぁ君が見捨てようとしている君の地元、「世界の片隅」はその地方消滅まであと何年間猶予があるかは知りませんが。

かに地元に残るのが良くないのもわかる。きっと君はただの社会被害者で、君の言うところの「社会を創る」側に値しないのだ。これまでも「周り」の友人、「周り」の社会、「周り」の不条理すら変えられなかったのだから。 (そういう「運命ww」だったのだろう。可哀想に。)

ならば君は「選ばれし側に立つ、想像力が不足した遠くのご友人」とやらに一生祈り続けていれば良い。

ふつう」なんてわざわざ背負うものではない

「君」と二人称を使ったが、この文章に作者を中傷する目的はない。ただ、あの未熟な文章を読んで世の中をわかった気になってる大人が許せなかった。

人には人の執着、才覚、生まれがある。他人意見や「周り」にしばられる必要なんてないし、不平等な世の中ならば好き勝手に生きてなんぼだ。

「身の丈に合わせてもらえれば」この言葉が生まれる背景には、「社会を創る層」「そうでない層」の分断があるのではないでしょうか。

地元が恋しいなら君は「国連職員呪い」とジャニーズ男子を忘れて地元に残って「社会を創る層」になればよい。

そうでないなら、これまで周囲の不条理に目をつむり地元という鉄格子の中で暮らす人々の苦労に沈黙し続けてきた君は帰属意識も捨て、地元未来も見限って「そうでない層」として海外救世主を演じればよい。誰しも、お好きな方を「自由に」選んでよいのだから

ただそこに迂闊に何か大きな意味を背負おうとしてはいけない。君は日本不条理と戦う、清く正しき人口の半数を代表する「ふつうの」正義の味方ではない。

まず、そんな大層なものは背負う必要はない。それこそ誰の身の丈にも合わないものだ。奨学金という「ふつう」の努力競争を踏みにじって得たそのあぶく銭で自分のことだけ考えていればよい。

人口の大半が持つであろう「ふつう」の感覚があるというのはどうやら貴重だそうだ。

どれだけしつこくても、「この社会には分断がある」ことを主張していかいかぎり、分断は見えないもの扱いされるんだと思う。

そもそも何が大多数だ、何が日本の「ふつう」の感覚だ。東京圏に人口の三割が住んでいるんだぞ。三大都市圏で5割超だ。それに長崎佐世保も中核都市であり「ふつう」の田舎町ではない。

地方間の貧富格差改善より地方都市消滅が先で、情報格差インターネット活用すればネックにはならない時代だ。東京に住んでいれば、全員が英語を話せるようになる訳でもないし貧困都市にも存在する。

都市部で行われる資本投下による激しい教育リソースの奪い合いに敗北した先の安定した貧困に落ち着くより、地方ぬくぬく運良く進学校に進めたことを幸せだと思えないのだろうか。

君は大多数の代表ではないし、そもそも一体、何を代表するんだ?君がちゃらんぽらんな態度で東京に目を向け見放した、(端から見捨てていた)生まれから死ぬまで「ふつう」と日常(地元)の牢獄に縛りつけられる人達と君はもう既に別の視点価値観を有してるだろう。

君が「地方で苦労している大多数である私達を東京人間は憐め」「地方で苦労した私の努力を人は重んばかれ」と語るのははっきり言って不快だし、そんなのにシンパシー感じてる大人反省しろ。お前も「国連職員」、ラジコン観劇趣味かよ。

彼女に理性と人生を取り戻させてやれよ。あんなクソ以下のつまらない押しつけられた呪われた"社会的な"生き方を本当に演じるなら、祈祷室に籠って一生祈り続けるだけの方がまだマシだ。出て来ないで欲しい。

きっと彼女大学で学ぶ間に、悲劇のヒロイン役を辞めて自分自身と向きあえれば目が覚めるだろう。社会個人は違うのだ。覚められればよいが。

この割れ切った世界谷底

「この割れ切った世界の片隅で」

https://note.com/__carpediem___/n/nba61eb70085a

この記事拝読して少し思うところがあったので初めて記事を書いてみる。

先に言っておくが、筆者を批判する意図もないし、世の中に何か伝えたいわけでもない。

ただ、自分境遇を書き殴り、あわよくば共感してくれる人が現れることを期待しているだけだ。

ちょうど増田なら周囲のノイズ情報から人間性邪推されることもないし、純粋ぼやきを書くのに最適だろう。

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筆者は田舎一般家庭という途轍もないギャップ必死努力とそれを土台とした更なる努力の積み重ねで乗り越えようとしている。このまま突き抜けて欲しい。

が、世の中にはそう上手くいく人ばかりではない。

たまたまちょっと頭が良かった田舎者が、分断された世界を乗り越えようとするも、中途半端努力のツケが回ってきて手前の谷底に落ちて沈むこともあるのだ。

私も北関東の片田舎公立中を卒業し、そこから紆余曲折あっていわゆる高学歴である東京大学に進学した。が、それは努力放棄の結果でしかない。

成功率1割未満の綱渡りを何度も繰り返して辿り着いた先には、そこが『スタート地点』の奴らがゴロゴロいた」なんて経験彼女からすると慣れたものだろう。

だが、私はそれを高校進学で体験し、そこでまさしく「人生を賭けた」努力放棄してしまった。スタートラインが高い奴に勝つには一点集中しかない。一点集中は苦手だ。

中学校地元公立だった。この手の記事で紹介されている事実に相違ない。付け加えるとしたら同級生暴行少年院に入り、卒業生がバイク学校に乗り込んでくるし、喫煙率は中学生の時点で1割ぐらいだったということぐらいだろうか。

そんな中学校だが、3年時の学年主任にまさに世界の分断を教えられ、県内でも都会の子供たちが通う私立高校への進学を勧めてくれた。(彼の息子さんがその高校の先輩で、今は東大卒業して超大手メーカーで働いているらしい。息子さんは分断を乗り越えた。)

受けてみたら運良く特待生になれた。当時好きだった子が先に同じ高校へ進学を決めていたし、修学旅行海外だったので親の許可をもらって進学を決めた。

(ちなみに中学の時一番勉強ができた奴は地元公立高校から東大に進学し、今頃は公認会計士試験に通っているだろう。彼も分断を乗り越えた。)

高校に進学していきなり衝撃を受けた。

まず、ブルーカラーの家庭が我が家しかない。みなホワイトカラーで高給取りの子供だ。余談だが私はそれを嫌だと思っていないしむしろ世の中の為になる仕事で稼いで育ててくれたことに感謝している。だが、どうしても育ちの違いはある。言葉表現するのが難しいが、見た目・行動・趣味の全てに清潔感があり、上品さがある。

なるほど育ちの違いとはこういうことかと初めて身を以て理解した時だった。そして同時に思った。「こんなに育ちが良くてなおかつ才能もある人間に勝てるわけがない」

当時私はITエンジニアになりたいと思っていて、理系に進んで情報科で院進して…なんていう未来を思い浮かべていた。しかしおそらくこのまま理系に進んでも中の上ぐらいにはなれるが秀才天才の類にはなれない。

そんなことを思って文系に進んだ。これが1つ目の努力放棄だ。

文系でもSEとしてIT世界に入る道はあったから、最終的に同じような結果になる以上他の選択肢も広い方がいい。そう思って文系高学歴を目指した。

そして大学受験。ここで2つ目の努力放棄をした。

といっても受験勉強はそれなりに頑張ったつもりだったし、結果的にはよいものだった。が、東大を受けなかったことはその後の努力放棄することに繋がる。

東大に入ればもっと育ちの違い・地力の違いを認識させられる。しか大学に入ってから受験勉強のような厳しい勉強が待ち受けている。受験勉強で懲り懲りだ。そう思って東大以外の大学を受けた。

(ここでも自分が勝てなかった奴は東大合格し、今頃は官僚になっているだろう。彼も片田舎から這い上がった。分断を乗り越えた。)

結果として受験は上手くいき、予想通り合格した。そして大学に進学した。まあ、そこも世間一般的には優秀とされている大学なのでありえんエグい育ちの違いを見せられるのですが…。

就職活動を通して思ったことだが、田舎から生産されるべきは理系秀才であり、文系エリートははっきり言って求められていない。というよりかは結局育ちの良さとコミュ力の高さとある程度の頭の良さと整った顔面が求められているので、そんな遺伝子ガチャ田舎成功させることがまず無理に等しい。遺伝子ガチャ成功しても育ちの良さをカバーするための努力尋常じゃない。冒頭の記事の筆者はそれを実現しそうなところまで来ている。本当に頭が上がらない。

https://anond.hatelabo.jp/20130809115823

そういえば高学歴世界低学歴の世界なんて言葉もあったな。どうも田舎公立中を卒業して必死努力して都会の旧帝大早慶に何とか入った人間には、こうやってエリート層と底辺層との分断が実感を持ってのしかかるものらしい。

地元公立中を出た人間が、初めて都会の人間高校で交わり、そこで夢に向かって成り上がる努力放棄した。次に大学進学でも妥協し、やはり頂点を目指す努力放棄した。

周囲の「普通」を見ると出生ガチャの時点で勝ち目がなさすぎるし、一方で同じような境遇人間は信念に裏付けられた本物の努力で分断を乗り越えている。

どちらもない自分はそんな分断を乗り越える人間ライバルとして花を添えることしかできなかった。

一方でたまたま周囲の人間には恵まれ人生のものコスパよく楽しくやっている。結局はずっと興味があったIT世界に入れることになったので(結局のところ分断は乗り越えられず大手の子会社だ)、これからトップを目指さずに成功とも失敗ともつかない谷底人生を歩んで行こうと思う。

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最後に、「この割れ切った世界の片隅で」の筆者はまだ高校生らしい。これからも私には想像できない、耐えられないような苦労をたくさんするだろう。我々のような屑の屍には目もくれず頑張ってほしいです。最後最後まで勝ち残った時にはきっとその境遇が誰にも負けない強さとなって味方してくれるはずだから応援しています

この割れ切った世界谷底より

2020-08-08

anond:20200807231408

めっちゃわかる〜〜〜けどマジでスマホでダラダラして明日から本気出す毎日繰り返してるならスマホの充電0にして放置した方がいい。

学校の連絡とか無くてもどうにかなるしそのスマホ置いてお金かかるけどカフェとかサボれない環境に身を置け。

一時期スマホやり過ぎてネットの受サロとか見て鬱になってた。ネットは見ない方がいいよ。勉強のことでわからなかったら先生に聞け。

課題プリントアウトスクショしてPCに入れてカフェWi-Fi入れずにやるといいと思う。

大学大学受験から解き放たれて自由を手にしたとき同じ様になるだろう。そう思え。

2020-08-07

こんなになるはずじゃなかった、高3の夏

気持ちを整理するために書きます

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僕は高校3年生(男)だ。

今日も、昨日も、一昨日も、ここのところずっと、自発的勉強ほとんどしていない。

代わりに、大量のネット上の記事ブログ無料音楽漫画ヤフコメはてなブックマーク増田摂取してはひり出し、少し休んで親のいる時だけ勉強のふりをし、摂取してはひり出ししてどうにか生きている。何の知識も身につかず、自分関係ない人や物を消費していく毎日。正直、虚無感しかない。

僕は普通に大学受験をするつもりで、今のところ京大理系学部を目指している(という事になっている)。しかし、現在体たらくを続ければ、京大どころかどの大学にも落ちるレベルだ。自分の現状とその先にある未来は見えているが、理想との間にある暗い穴から僕は顔を背けている。その逃避の一環としてネットサーフィンがあり、というか増田に書いている時点でこの行為もまた逃避だろう。

起きて朝飯を食べて親が仕事に出かけたらソファーChromeを開いてネットを漁りオナニーして親が帰ってきたら夜飯を食べて寝る日々。こんな状態を望んでいない自分ネットを見る以外に何もしたくない自分綱引きをしていて、多少の誤差はあれど後者が常に勝っている状態現実からの逃避。

どうしてこうなったのか、時間を遡ってみる。

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僕が中学受験の末に今いる男子校に入ったのはだいたい6年前だった。(本命には落ちたが)東京男子御三家の一つに入れたのは嬉しく、自分の中では今でもある種の成功体験的な地位を占めている。

それから5年間やりたい放題好きに過ごしてきたのだが、特に高校生になってから、学年が上がるにつれ同級生大学受験意識する様子が目立ってきた。

高2の後半になると、東大合格を至上とし進学校の生徒のみが入れる中規模のカルト的人気を誇る塾に学年の1/4以上が入塾し、授業を聞かずに塾のテキスト自習する奴の割合も増え、英単語帳やら青チャやら重問がクラスに溢れるようになった。つまりみんな勉強を始めていた。

ここら辺から勉強していない自分と、みんな勉強しててヤバい俺も勉強しなきゃという規範齟齬が生じてきて、その齟齬を上手く埋めることができず、長じて今の状態に至るのかなあと推測したりもする。でもこの頃はその規範通り、効率が悪いにせよちゃん勉強していた。

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そうしているうちにコロナ流行りだし、安倍(どう表記するのが適当かわからない)によって休校宣言が出された。3/1くらいか

学校休校になっても、春休みが終わるまでは塾の春期講習に行ったりで勉強モチベはわりあい高く保てていた。実際に一日6~9時間くらいは勉強していたと思う。

しかし、そこからが辛かった。学校では友人と愚痴を言い合ったり馬鹿話をしたりバトミントンをしたりして、ある程度勉強ストレスが和らげられたと思うのだが、コロナの巣籠もり下では誰も話し相手がいない。

日中誰とも喋れず家で勉強をするのは、精神衛生上かなりキツかった。ちょくちょく友人とはLINEしたり電話したりしていたが、それも焼け石に水だった。

学校Google Classroomを使い始め、zoom配信動画を見ることで出席をつける形式になり、ここを先途とばかりに大量の数学演習やら長文読解やら共通テスト対策問題やらの課題を出すようになったのもキツかった。

ネット上の課題は対面で「この課題、やっとけよ~」と言われるよりも課題やらなきゃという義務感が生じにくく、タブを一つ消すだけで存在ごと消えてしまうため、期限を忘れた課題が大量に溜まり、その多さを見てやる気がなくなるという悪循環が際限なく生じてしまった。

更に、zoomGoogleClassroomを使うためにパソコンスマホを手に取る機会が増えた。それは僕の場合ネットを開きはてブ増田やアルなどの他のサイトを見る機会の増加に繋がってしまった。

こうなるともう爆発の一歩手前だった。ただし、それでも5月の初めまでは自制してなんとか勉強できていた。

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5月6日から8日の間、僕は虚無の中にいた。勉強ブッチし、カーテンを閉めて照明を一つだけ灯した薄暗い部屋の中パソコンでひたすらソク読みはてブ増田とpornhubを巡回していた三日間。それまでも週一くらいで勉強サボる日はあったが、三日連続でのそれは初めてだった。仕事をしていて日中家にいない親には特にバレず、小言を言われることもなく、要するに僕は手軽に快楽に浸って現実逃避する道を知ってしまった。

この三日間がぶち抜いた綻びから生活が徐々に崩れてきた感覚がある。

最初勉強をしないことに対する罪悪感もあったが、ネットに頭を占領されていくにつれて、頭の奥が靄がかかったようにぼんやりとしてきて物事を深く考えるのが辛くなり、そういった感情も段々と消えていった。

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6月になってリアルの登校が始まったが、コロナ前の登校に比べて頻度も授業のコマ数も内容も悪い方向に変化してしまったので、状況は大きく変わらなかった。

かに久しぶりにする生身の友人との会話は話すネタも尽きずめちゃんこ楽しかったし、3時間くらいしかない授業が終わった後は勉強モチベも高まった。

しかし、長期の家籠りで重度の出不精コミュニケーション不精と化していた僕にとっては、登校日は楽しいであると同時に疲れる日でもあり、その疲れと怠さはだいたい翌日以降も続き、勉強のやる気を阻害した。

登校日は月に数えるほどしかなかったので、リアル登校の再開によって逆に僕は勉強ができなくなっていた。

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6月後半~7月に入ると、本当に幸運なことに、友人の一人が学校のない日に一緒に勉強しようと誘ってくれるようになった。彼は通っていた中規模塾の自習室がコロナのため空かず、かといって家で勉強はできないから一緒に外でやろう、そしたらお互い良いんじゃね?とLINEしてきた。これは絶好のチャンスと思った僕はホイホイ乗っかり、感染防止対策を取った上で一緒に自習する日々が続いた。

友人と一緒にいるときは(体面を良くしたいというのもあって)だいたい6時間くらいは集中して勉強できた。そんなこんなで最初順風満帆だと思っていたのだが、段々と状況は悪化してきた。

7月2日のことだった。前日の7月1日もその友人と勉強していて、明日も午後から勉強しようぜ!と話していた。しかし、2日の朝起きると体がだるく、親が出て行った後に心の中で言い訳をしながらソファーに寝転んで午前中いっぱいスマホブログやら何やらを見てしまった。

当然ずっと寝ていると体が重く、長時間ネットを見たとき特有の頭がぼうっとする感じにもやられ、僕の頭はどこからともなく湧いてきた「今日だるいから外出は無理だな・・・」という考えに完全に支配された。まあ、事前に連絡をしておけば別に一日くらい行けない日があっても問題はないだろう。

・・・・・・問題なのは、僕が友人に夜8時まで連絡しなかったことだった。早めに「すまん。ちょっと今日は無理そうだ・・・」とLINEしておけば良かったのに、僕は夜までそれを意図的にサボってしまった。連絡しなければいけないことはわかってる、連絡せねば、という思いは強くあるのに、なぜかLINEを開いて連絡するのがひどく億劫で、僕はそれよりもソファーで丸まって現実逃避することを選んだ。

罪悪感はすごかったが、一方でなぜか「ああ、こんなもんなのか」と思っている自分もいた。

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そこから堕落は早かった。いや、その前から堕落していたのかもしれないが、もうよくわからない。友人との勉強約束は3回に1回くらいすっぽかすようになり、昼飯でも奢ってちゃんと謝ろう、と決意した頃には友人の塾の自習室が解放され、結局うやむやなまま僕と彼の勉強は終わってしまった。学校が再開したらきちんと謝りたい。

その他、自分やらかしたことを列挙してみる。

学校の登校日を2回サボる

学校課題を大量にやり残し、入学してから初めてある科目の学期成績で白点をとる

▼塾の一学期通常授業の最終講をサボる

▼塾の夏期講習(5日間)のうち3日サボる

▼親と交わした「勉強する」という約束を守らない

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こうやって家に籠って自堕落生活をある程度の期間続けていると、だんだん自分思考言い訳の仕方がわかってくる。僕の場合、「○○からやるぞ症候群」が顕著に表れた。

今日はだらけていてもしょうがないが、明日から毎日10時間勉強するぞ。そしたら受験にも間に合う。・・・から、今スマホを見てもいいんだよ」

みたいな感じだ。○○には「明日」が入ったり、「6月」とか「7月」、はては「15時」が入ったりする。

言うまでもなくこれは未来責任押し付け現実から逃避するだけで、実際に実行できるなら良いが、実行できないのなら全く意味がない。

僕は、ほとんど実行できなかった。5月には「6月からちゃん勉強する」と言い、6月には「だらけすぎた。7月からマジでやるぞ」と言い、7月には「たるんでる。8月から毎日10時間やろう」と言った。

8月7日の今も、勉強は全くしていない。

あとは、ネット断ち・スマホ断ち・ゲーム断ちも考えたが、これもほとんど続かなかった。昨年12月アンインストールしたみんはやはついこないだインストールしてしまった(またアンインストールした)し、同じく12月に押し入れに封印した3DS今日開けてしまった。マリオテニス楽しい~~~~~~~~~~~~~~~

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こんな感じで酷い暮らしをここ3ヶ月くらい送っています。高3の夏をこんな風に過ごすとは去年には考えもしなかった。こうなった要因の一つは間違いなくコロナがあって、確かに休校がなく毎日登校していたら精神もっと健全勉強ももっとできていただろう。でも、どんどん堕落の坂を転げ落ちていったのは間違いなく自分の弱い性格のせいだと思うので、あんまり環境のせいにしないようにしたい。

他にも気が滅入るようなことは沢山あって、けん玉のこととか昭和42年まれ司法浪人さんのこととかオナニーのこととか書きたいことも色々あるんだけど、疲れたのでここらで止めておきます

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よくわかんねえものを垂れ流してしまってすみません。やや自分気持ちの整理ができた気はします。「勉強しなきゃな」と。何だかんだ自分はやればできるという妙な自信はあるので、それを現実にすべく明日からコツコツと勉強を始めたいです。要するにこれも「○○からやるぞ症候群」の一種ですが、劇的な物を望みすぎると失敗するということは身に染みたので、あんまり負荷をかけないように少しづつ少しづ

やっていきたいです。どれだけの人に読まれるかわかりませんが、もう投稿したら入試終了まで見ないことにするのでブコメトラバも返せません。入試が終わったら(たぶん3月下旬)結果を書くかもしれないです。

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これ時間が経って読み返したら自意識まみれでバイアスかかりまくりで恥ずかしくなるやつだろうな。まあいいや。

頑張りますさようなら

車輪の下

都内私立男子校入学したあと、ヘルマンヘッセ車輪の下を読んであまりにも悲しかったな。大学受験勉強をしていて思い出した。

会社を無断欠席していつまでバレないかやってみる

新卒でこの会社入社して、正社員として働き早三年が経った。

しょぼいと思われるかもしれないが、

自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。

なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。

中学生ときバスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方から練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。

私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。

そのときのことは、正直昔すぎてあまりよく覚えていない。

単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。

ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。

今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしま出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。

それ以前もちらほらと、小学校読書クラブや、公民館児童クラブ友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。

それより象徴的なエピソードは、大学受験ときのものだろう。

私は県外の国公立大が志望で、地元私立大学も併願していた。

二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大学の前期試験に挑んだ。

父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。

そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。

だけどそれはおかしい、と同時に思う。

結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学合格し、結局実家を離れることになったのだから

前期試験あの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?

自信はあった。

試験範囲勉強計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。

今でも思う、あの日あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。

第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。

もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。

就職先も今の会社ではなかったかもしれない。

そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。

前期試験の日、私は試験会場の前までたどり着いた。

しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。

受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。

大学の正門前最後横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。

駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。

それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。

駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。

県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日からまり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。

好きなアーティストライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。

少しだけ後悔している。

きっと母親ホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから

私はやってしまった。

ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。

感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。

同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。

受験発表の日、ネットで番号がないのを先生確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。

月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。

結局、受験していても受かっていたかどうかはわからない。

長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。

それくらいしかあんなことをした理由は考えられない。

思い当たることがあるとすればあと一つだけ。

学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。

いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。

短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。

大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。

さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。

その最後の週だった。

作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。

いわゆる機械の非常停止ボタンだ。

大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。

他の停止ボタンと違って、プラスチックカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。

この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンス必要になり、その間はラインを停止させることになる。

一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。

そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。

これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。

班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。

からストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。

それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。

私はそれを班長そばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。

そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。

もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。

プラスチックカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。

班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。

その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。

その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。

私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。

流石に外までは追いかけてこなかった。

そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。

掛かってきた電話も全て無視して逃げた。

いわゆる「飛び」だった。

最低最悪なことをしてしまった。

その事件の後、私は罪悪感と共に、大きな不安に襲われていた。

それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。

理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。

ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。

怖かった。

とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。

実際は、適性検査タイミング不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのとき自分にはそれが奇跡に思えた。

そうして入社したのが今の会社だ。

入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。

こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。

何よりこの会社に入るとき、心に決めていたことがあった。

自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。

きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。

何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。

そして今年の四月で、見事それを達成した。

ああ治ったんだ、と私は思った。

私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。

その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってから毎日が楽しかった。

そうだ、毎日が楽しかった。

今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。

それなのに、私はまたやってしまった。

はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。

会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。

私は時間になっても、家の机に座ったままだった。

一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。

会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。

申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。

11時を過ぎて、まずい、と思った。

遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。

私は静かに時計の針が回るのを見ていた。

父親就職祝いに買ってくれた時計だ。

それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。

ほんの数時間前までは。

私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだ気づき始めていた。

怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているもの台無しにしてしまう癖。

治っていなかったのだ。

三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。

ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。

この病気は一生治らない。

発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。

たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。

ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか

ああ怖い。

恐ろしい。

いっそ死にたい

会社からはまだ連絡が来ない。

上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。

明日からお盆休みから休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。

しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。

私が「そういう人間」だということに変わりはない。

私は

私は……

若い頃(っていうと老人みたいだが)

大学出りゃ人生なんとかなるとは全く思ってなかったし

結婚もしないだろうと思っていた

いつまで持つだろうなと思ってた

高校受験はも大学受験も体の弱さと家族ウツで失敗

とにかく大学らしきものには行ったが

高い学費の割に弱小ブランド

研究員の道もなかった

世間不動産と金融のバブル時代なんてものもあったが

関係ない業界ではイイことは全くなかった

軽い親からはさっさと見放され

怪しげな傷害事件さらに体を壊して生活保護も受けた

その後はどうやら介護の職につき一部の高齢者はかなりの高額年金者だと知る

振込め詐欺がある理由理解はできるようにはなったが

一体どっちどっちに振り込んでいるんだろうな?と思うだけだ

2020-08-06

怠惰

中学まで一切勉強しなくても地方地元公立学校ならトップクラスの成績が取れて、調子づいて県下一、二を争う進学校に入ったらみるみるうちに落ちぶれ、それまで地頭でどうにでもなった経験に加えて学習習慣など一切確立していなかったこから一向に勉強せず、高3のあるとき学校へ行くのがたまらなく億劫になり欠席を重ねた結果中退して母親を泣かせ、通信制高校編入してどうにか高卒にはなるもの大学受験は散々な結果で浪人しかしやはりろくに勉強せず、それでも模試では稀にまぐれ当たりの良い成績が出るので予備校担任と親への最低限の面目は保ち、一浪の末どうにか中堅公立大学滑り込み合格、ところが一人暮らしを始めた大学では今まで以上に怠けるので1年次で修得できた単位は30にも満たず、2年前期の期末試験明日に控えながら半年以上片付けられていないゴミ溜めのような部屋でこれを書いている。人生間違えた。死にたい死ぬのは怖いので死にたくないけど今の部屋を引き払って学歴労働も一切求められない全く別な環境で全く別な人間として生きたい。

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