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はてなキーワード: 設計思想とは

2021-04-20

テスラ企業倫理がクソなことがハッキリした

テスラ死亡事故自動運転中に運転手「不在」か 』ウォール・ストリート・ジャーナル日本版(2021/4/19)https://jp.wsj.com/articles/fatal-tesla-crash-in-texas-believed-to-be-driverless-11618792045

テスラは人の命を何だと思っているのだろうか。上のニュースを目にしたときイーロン・マスクが「イノベーション地球環境のための尊い犠牲となった」と考えていたとしてもまんざら不思議ではないと思った。

テスラのオートパイロットがまた事故引き起こした。運転席にドライバーは座っていなかったとみられる。事故原因は定かではないが、ドライバーテスラ運転支援技術『オートパイロット』を過信しすぎていたのが原因だろう。自動運転レベル2では、ドライバーはすぐ運転に復帰できるような状態でなければならないし、テスラもそのように呼びかけてはいる。

しかし、テスラがそのように呼びかけているから、レベル2はドライバー責任があるから、100%ドライバーが悪いのかと問われれば、それは嘘。まちがってる。

たとえドライバー責任があったとしても、それを強制、もしくは強く促すような設計をするべきであるハンドルを握っていないと警告を出す機能テスラもついているが、テスラ以外の自動車メーカーは、それ以外にも仕組みを盛り込んでいる。

例えば、スバル日産カメラドライバー監視し、よそ見や居眠りを検知すると警告を出したり、自動で路肩に緊急停車する機能をつけている。今月はトヨタも似たようなシステムを一部車種に導入する。全ての車についているわけではないが、ドライバー監視するシステムを搭載するモデルは増えていくだろう。

しかし、テスラの車にそのような設計思想は稀薄だ。数年前からドライバーが居眠りしているにもかかわらず車が走り続ける事件が起こっているが、それを引き起こしているのは、専らテスラの車である運転支援技術の過信によって引き起こされる事故も、他社に比べてテスラは圧倒的に多い。このような事実を考えると、ハンドルを握っていなかったら警告する機能さえ、きちんと動いているのかすら怪しい。

レベル2なんだからドライバー責任テスラは何も悪くない」

と、考える人いるかもしれない。

しかし、たとえドライバー責任があったとしても、テスラの甘ったるい設計思想が事故引き起こし、人の命を奪っていることは紛れもない事実である。オートパイロットに対するユーザーの誤解や、ドライバーレベル2相応の振る舞いを強制する機能が貧弱であることは、数年前から分かっていたはずだ。しかし、一切の改善を怠ったことにより、死ななくて済んだはずの人たちが死んでいる。

車が奪うのはドライバーの命だけではない。テスラとは全く無関係な人や、テスラのやり方に全く賛同しない人たちの命をも、理不尽に奪いかねないものである。何千人という交通事故犠牲者の数からしたら、オートパイロット犠牲者の数なんて大したこといかもしれない。しかし、一企業の怠慢によって人の命が奪われているということは、社会的に重大な問題だ。

なぜ、「空飛ぶタイヤ」の時のような非難からテスラが逃れられているのか、僕は不思議でならない。

レベル2の運転支援技術に『オートパイロット』などという紛らわしい名前をつけ、誤解を招く誇大広告を打ち、ドライバー問題ある使い方をしてもほったらかし。そして、事故が起きたら後出しジャンケンのように「レベル2なんでドライバーちゃん運転できる姿勢じゃないとダメですよ」と言い張る。技術倫理として、企業倫理として、こんなことは受け入れられうるだろうか。

そして、これを肯定するということは、「法的に責任がないのならば、人がバンバン死んでも問題ない」ということを認めることにほかならない。

少なくとも俺は、こんな野蛮で憎たらしいアイデアは、死んでも認めたくない。

2021-04-11

factory_botのソースコードを読んでいるんだけど、レシーバコロコロ変わって読むのがむずい。

どうすれば、クラスの責務や設計思想を読み取ることができるようになるんだろう。全然わからん

2021-03-14

ソシャゲデフォルト放置ゲーにして、自分マクロ的な感じで条件設定して自動操作チューニングする機能を標準装備にしてくれればそのアルゴリズムを練ることがゲーム性になって非常にいい感じだと思いますし、面倒な人はテンプレの汎用マクロスクリプトなんかをユーザーフォーラムとかで拾ってきてゲーム内の設定欄に貼り付けて使ってもいいし、もっと面倒な人というかそういうのに蕁麻疹が出るタイプの人はスクリプトなしでもゲーム上で簡易な周回設定を画面上でポチポチチェックつけたりするだけで大雑把には問題なく進行できて、そうやって高度に放置可能にすることで誰もがゲーム存在を2,3日くらいは忘れていても致命的な取り逃しとかは発生しないようにしてくれたら理想的だと思うんですけれども、イメージとしてはマビノギってMMOペットAIなんかがまさにそんな感じだったんですけどね、まあそれはゲーム自体カスタマイザブルな放置ゲーなわけではなくあくま随行するペット操作に関してそんな感じだったというだけですけれどもね、そういう設計思想ゲーム全体に広げるといいますか、ソシャゲの周回をそんな感じでオートメーション化すればそれ自体ゲームになるんじゃないかと言うことが言いたいだけなんですが、ただここで一点、懸念される最大の問題がありまして、オートメーションにしてゲーム存在を忘れてもいい設計にするとガチャが回らんでお亡くなりになってしまうことが確定的に明らかなわけで、そこんとこをいい塩梅にそれでもガチャを回すインセンティブが発生するようにしていかないといけないんですが、そもそも従来のガチャというのは、強くなる、とか楽になる、という体験を得るために回されていたわけですよね、もしくはキャラを愛でるため、というのもありますが、いずれにしろそれらはオートメーション化済のゲームを見なくてもいいゲームとなった場合には当然のように無意味となりガチャの魅力がスポイルされてしまうわけですよ、つまり根源的に「なぜガチャを回すのか?」というところから設計しなけりゃならんわけですが、まあこの際ガチャでなくても、その人の懐具合と欲深さに応じてバリアブルな課金を引き出せさえすればいいんですが、そうですねこ形態場合もうゲーム内での利益供与に囚われてたらいかんのじゃないかと思うわけで、というのもですね、いくらガチャで強いキャラやより便利なマクロパラメータの利用権なんかを付与したところでゲーム自体に触れる時間が短くて済むということは愛着が湧かないということですからそのゲームを生き急いでプレイする必要性がナッスィングなわけで、そうなるともうこのゲームをいついつまでにこのくらい進めている人には現実で何々が貰えますよとか、そういうゲーム外での、ともすればゲームとまったく関係ない報酬を与えることでしかインセンティブにならなくなってくる蓋然性が高いわけで、これはもうRMTというか投資と知恵比べによって資産を勝ち取るマネーゲームに他ならないわけで、ゲームというのは結局そこに行き着いてしまうことになるんですよ、言ってること分かりますかね、そんな感じで何か作って下さい、頼みましたよ、ではまた10年後にお会いしましょう。

2021-03-01

anond:20210301011548

非エンジニアだとシステムは誰が書いても同じようになる(COBOL時代か)と思ってる気がしたから書いた。

設計思想大事よ。

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

2021-02-15

anond:20210215083253

社員の人はフツーなんだろうけど経営反社的な設計思想だった場合

やはりそういう「におい」が魅力だと感じて入社する人が多いのではないかな?元記事主より

2021-02-14

都市の衰退の特徴メモ

価値創造の土台としての都市

都市の過密化は、日本を売る、生産力に背景があったとすると

グローバル化した社会において、それは、いつの間にか意味を失って空洞化した。

都市という箱があるのに、価値を生み出せないジレンマバブル崩壊後に経験し、その後やがて

箱がなくても価値を生み出せることに気が付かないまま、箱のある日常価値を生むと信じる時代がつづいた。

箱のなかにいることで感染が広がるコロナになって、狭苦しい箱のなかで3密回避を強いられ、ようやく都市という過密な箱の価値見直し始めた。

満員電車に乗って、都心高層ビルに通う価値がわからなくなってきた。

おそらく古今東西都市というのは、本来、そういう閉塞的なものではなくて

外に開かれ、多様な価値交錯する場所だっただろう。路地裏があり、道を外れれば新たな発見があった。

しかし、日本都市にはそういう機能は失われていて、

たか中学校教室空間のような状態になっている。

巨大だけども、同じ箱のなかで似たような人が似たようなことを考えている。

どこにいっても似たようなものを売っていて、郊外イオンがある景色が同じだ。

どんな価値創造するか

何を売るか。その命題もまたモノからサービスへとテーマが移っていった時代に、あいまいになり

明確にとらえることを怠ってきた。ブランドとして売るべき価値をしっかりとらえるようになってきたのは

ここ10年の話。しかし、それでも「日本すげー」的なナルシシズムへの囚われから脱却できないどころか、ますますまり込んでいる傾向がある。

価値創造動機

かつての日本プロダクトアウトの発想でモノを売れた。市場価値グローバルスタンダードは自社が確立し、人々を自社製品をとりこにさせる意気込みがあった。

70年代後半ウォークマン世界を席巻したソニー典型だ。

このマインドが亡霊のように世代成功体験として引き継がれ、さまよい続けた結果、マーケットイン(あるいはゼロベースから

スタートする設計思想がはぐくまれない世代が全世代蔓延した。

明治期には世界とりわけ西洋文明に対する学びの動機付けは強烈なものであったが、それによる成功体験財産となるにつれ

徐々に失われ、渋沢栄一時代の渇望はもはや存在しない。世界で何が起ころうと関心がない。先進国コロナワクチン占有され、途上国必要インフラリソースもなくあえいでいるというのに、オリンピック開催にまい進しようとしている姿は森元というより、日本社会自体老害化を象徴している。

かりにもSDGsオリンピックを謳うのであれば、途上国へせめて超低温冷蔵庫無償プレゼントくらいしてアピールしてやるべきだが、外務省国際協力実態としては

インフラ輸出などさまざまな分野においてここにきて、世界各地で中国オセロの白黒をひっくり返されているのが実情だ。

端的にいって、日本国際協力ニーズのつかみ方が根本的に間違っている。日本式ありき、であり、自分が思い描いた「日本すげー」「日本式」が売れることがとにかくプライド

それがいかにも押しつけがましい。しかもそんな態度が煙たいのに本人気が付かない鈍感さがセットで。

それは無自覚プロダクトアウトであり、状況の変化に鈍感でニーズを何も学ばない老害だ。

都市というのは、そういう老害ウイルスにあふれていて、都市にいればいるほど、人間ダメになる気がするほどだ。

コロナ危機が立ち止まらせたもの

コロナ危機というのは、幸いなことに、過密への忌避都市への忌避を通じて、都市がこれまで生んできた価値への反省を呼び起こす、とてもいい機会になった。

郊外地方、あるいは場所を選ばないグローバル社会バックグラウンドとしての価値、ということだけではなくて、

何を価値創造するか、売るか、ということにも立ち止まって考える機会を与えたと思う。

また、東京という超過密な箱のなかで行われるオリンピックというイベントをめぐって、さまざまな欺瞞矛盾が浮き彫りになった。

なにより浮き彫りになったのは、都市の箱の価値無自覚に信じつづける自分たち自身日本社会全体の老害化だったと個人的には思う。

森元っていうのは、その意味で、象徴しかなくて。

メモなので。適当におわります

2021-02-11

anond:20210211235036

増田子供も見る場なの、設計思想考えたらその可能性十分ありましたわね…

あと海外のあのエロVは本当ガチさがすごい

2021-01-31

anond:20210131000642

昔の私もそういう考えだったよ。でも、うんざりする気分もある。

若い頃は私はいろんなフレームワーク簡単Webアプリ作ったり、あとゲームを深夜まで作ったり、言語処理系実装したりしてどんどん新しい刺激が増えていくんだよ。それは楽しかった。でも、そういう感じが今は無くなっていることを話そう。

しかに新しいことを学ぶのは今でも楽しい。私もガンガン知識を吸収していったし、いまも継続している。けれども、吸収していったものがどんどん使えなくなってしまって、新しいことを「覚えなおし」がつらかったりする。(たとえば、言語ライブラリフレームワークを熟知したとしても、別の設計思想を持つ言語ライブラリフレームワークを学ぶ機会は何度もやってきた)。

また、家庭を持ったり、新しい趣味をもったり、あと体力とかなくなったりして、「自分時間」がどんどん少なくなっているんだ。若い頃は今ほど交友関係なんて無いし、子育てや家のことなんて考えなくていいし、歳をとって深夜まで勉強なんて体力的にも家庭的にもつらかったりするんだ。

また、スキルが上がっていって、責任も重くなって、そうじゃなくても体力とか無くなっていくから、家に帰って勉強の気力じゃなくて、もっと仕事のこと以外のことを家ではしたくなくなるなるのよ。体力とかなくなるから筋トレしたりスポーツとかジムを始めるけどそういうのもプライベート時間を削っていく。いや運動楽しいのだけどね。

そんなこんなで、業務時間外で勉強したくなくなってくるという感じなんだよなぁ。

2021-01-29

anond:20210129203651

うそ

実際、京は世界一位を取ったけど幅広い領域で利用されたかどうかという点では問題があった。その反省を生かし、「1位にこだわらない。使えるスパコンを創る」という設計思想で開発されたのが富岳なんだよ

事業仕分け問題があったことは認めるけど、スパコン予算に関しては蓮舫議員は何も間違ってなかったと思う

ちなみに、富岳が世界一位を取ったときに「蓮舫さん、2位じゃダメなんですよwww」って煽ってた人がたくさんいたけど、まあ物事を知らない人が多いもんだと驚いたよ

ちょっと調べりゃわかることなのに、それすらしない人がこんなにも多いんだって

2020-12-29

anond:20201229152114

そうかgithubにもCloneしておいて

AWSがまるごと死んでいても GCPで復旧するか テスト

正直 GCPでは一瞬だったことが AWSではめんどくさかった どっちがいいかはしらん まぁ 設計思想の違い

あぁGCPインスタンスさなきゃもったいない

2020-12-25

anond:20201225022330

システムエンジニアだと年収1000万円超えはいるのに。

昔はSE=設計士、PG=大工みたいなイメージ脳裏にあって書いたのかもしれんけど、今はそういう垣根はあまり無いきがする。

エクセルしか使えないSIer技術力のある外注に頼るか、ローコードツール(キントーンとか)使わないと仕事にならないし。そもそもSIerはすごく嫌われるw

あと、PG設計できないてのも古い固定観念

今は設計思想も大抵デザパタに収まるし、フレームワークによっては複合キー認めないのも多いから、ウォーターフォールの上流下流じゃなくてセールスエンジニア要件定義からPGが直接仕様策定するなんてよくある話だよ(アジャイル)。

2020-12-10

蓮舫さんww、やっぱり1位じゃなきゃダメなんですよwwwww」

少し前の話だし、同じような話を既に散々してる人もいると思うけど、思った話なので書く。

2020年11月中頃、スパコン「富岳」が二期連続世界一を達成した。そこで思い返されるのは、「2位じゃダメなんでしょうか?」という蓮舫議員発言であった。この喜ばしいニュースに対して、「2位じゃダメなんです」といったものや、「今振り返ってみても、恥ずべき発言であった」などの意見が相次いだ。

民主党政権当時、事業仕分けの名のもとに様々な研究開発予算が削られることとなった。例えば、iPS細胞研究費150億円は、事業仕分けによって3分の1に減らされる危機に瀕し、危機感を感じた山中教授趣味マラソン大会を通じてカンパを募るほどだった。そして、当時研究開発が行われていたスパコン「京」研究開発においても例外ではなかった。

そんな渦中に飛び出した「2位じゃダメなんですか?」の発言批判が多いこの発言の本意とは何だったのかを今一度おさらいしたい。

当時の事業仕分け議論に実際に立ち会った人物が、その時の流れを解説している記事がある。少し長い文章であるが、引用したい。

では、事業仕分けの際にはどのような議論がされたのか。

○2社の撤退によって大きくハードが変更になった中で、ソフト開発を同時に行う意味があるのか。

スピードだけを求めるのではなく大事なのは利用者研究者)の使いやすさ。例えば、1台のスパコン10ペタを搭載するよりも、1ペタのスパコン10台作って実際に利用する全国の若手研究者のいるところに置くなどの考え方もあるのではないか10ペタのスパコンを開発すること自体目的化していないか

10ペタのスパコンに対する産業界ニーズが本当にあるのか。

アメリカ2012年までに10ペタのものを作ろうとしている中で、仮に一度日本スパコン世界最速になったとしてもいつまで世界一でいられるのか。

○「サイエンス」には費用対効果がなじまないことは理解するが、1000億円以上もの税金が投入されることの成果がまったく見えてこない点は、改善すべきではないか

このような議論過程で、蓮舫議員から世界一になる理由は何があるんでしょうか? 二位じゃだめなんでしょうか?」という言葉が出た。

要するに、スピード世界一になったところで利用者の使い勝手が悪ければ使われない、しかもすぐに抜かれるだろうという予測もある、なぜそれなのにスピードばかりにこだわるのか?という趣旨だった。

スパコン「京」運用終了。「2位じゃダメなんですか?」は何だったのかを改めて整理する』-https://news.yahoo.co.jp/byline/itoshin/20190909-00141136/

まり蓮舫議員発言の本意は、「1位でも役に立たないスパコンを作るくらいなら、2位でも役立つスパコンを開発すべきだ」というものだったのである

そして、富岳は「世界1位をもぎ取るための圧倒的なスピード」ではなく、「使いやすさ」を重視した設計思想で開発された。

後継機「富岳(ふがく)」の開発に携わる理化学研究所計算科学研究センター長の松岡聡さん(56)は、京の足跡に敬意を表しつつ「富岳(の演算速度)は世界2位でも全然かまわない」と話す。

ーー(中略)ーー

一方、松岡さんは「特殊ソフトしか動かせないなど汎用性(はんようせい)に乏しく、商業的に京が成功したとはいえない」とみる。富岳では、世界的に普及するマイクロソフト社製の文書作成ソフトワード」でさえ動かせる汎用性を重視。性能は京の最大100倍を目指すが、それ以上に、富岳用に開発した技術が広く社会に普及することを重視しているという。

 松岡さんは「世界ランキングは、結果的に1位を取るかもしれないが、われわれは気にしていない」とし、「国民の関心が高い医療防災産業エネルギーなどの分野で成果を挙げることを重要目標にしている」と話す。

スパコン「京」電源ダウンへ 後継「富岳」使いやすさ重視』-https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201908/0012646505.shtml

まり何が言いたいかと言うと、富岳は蓮舫議員発言の本意と全く同じ理念で開発されたスパコンであり、蓮舫議員発言は全く間違っていなかったのだ。演算速度世界1位を優先した結果、「京」汎用性には問題があったし、使いやすさを重視して開発された「富岳」は、演算速度が早いだけではなく、様々な分野での活躍が期待されている。

そして、蓮舫議員発言に対する、批判とも言えないようなお粗末な意見は、まったく物事の芯を捉えていないことは明白である。「蓮舫さんww、やっぱり1位じゃなきゃダメなんですよwwwww」などという発言は、非常に短絡的でブッ飛んだ発言なのだ

少し調べれば分かるような事実すら知ろうともしないで、適当に何かを褒め称え、何かを叩き、悦に浸る。そこには何の知的活動存在せず、あるのは「自分気持ちよくなりたい」という欲望だけ。昔のドラマに「好奇心や、探究心のない人間人間じゃありません。猿以下です。」というセリフがあったが、まさにその通りかもしれない。

そして、忘れてはならないことがある。それは、日本という我らの国を、誰が動かしているのかということだ。

政治家官僚が国を動かしていると思われがちであるが、それは全くの間違いだ。民主主義国家である日本において、本質的には、日本という国のハンドル日本国民が握っている。

そして、そのハンドル人間の手から、猿以下の存在に渡ってしま危機を、この出来事は暗に示している。政治の動向や議論の内容を全く理解できない国民は信じられないほど多く、その連中が政治積極的に介入したらどうなるのか。

もし、そうなったら日本という国は、中長期的な利益や、少し考えれば分かるような事実リスクを鑑みず、「国民欲望短期的に満たしてくれるかどうか」のみを判断基準にして突き進もうとする国になってしまう。日本が誇る技術文化は全て消えさり、過去の栄光にすがるだけの悲惨な国になってしまう。もしくは、ナチス・ドイツのような悲惨な結末を辿るようになるのだろうか。

猿以下の存在大船ハンドルを回す日は、もうすぐそこに迫っている。もしかしたら、もう既にそうなっているかもしれない。

...いい加減目覚めなさい

いや、なんとしても目覚めなければならない。もし、辛く苦しい暮らしではなく、心から素晴らしいと思える暮らしををしたいと思うのなら。自分親族や、孫やひ孫、そのまた更に遠い世代の事を想うのなら。そして、日本という国が大好きで、もっとこの国をより良くしたいと願うならば。

本当に目覚めなければならない。

最近ドコモソニーが良いところを突いている

ドコモだと直近で話題になったahamoとギガライトの上限固定オプションの2つだけれど、今までの迷走からは考えれないほど、良いところを突いた戦略だと思う。

対するauは、対応してますよー感を出すだけの戦略的には何も変わらないプラン。まぁ、ahamoが12月に出て急に戦略を変更するのは無理なんだろうけれど、対抗の意識なしに、もう少し頑張ってほしかった。

このドコモの動きにちょっとデジャブがあって、それはソニーエクスペリアシリーズ。正直XZ2と3の時代の背面が膨れているスマホを出してたとき、あー終わったなって感じがしてた。あれ、平面においてたら固定されてなくて、コマみたいに回転もできたんだぜ。

んで、そのXZ2と3の頃には、あーこのままジリジリと売れずに、遠から撤退してまうんやろなー、って思ってからエクスペリア1だから驚いた。スマホトレンドで大型化があるんだけど、その分持ちにくくなってる。しかエクスペリア1以降の端末は細長さを特長としていて、大画面ではあるが持ち易さも確保している。

そしてエクスペリア1mark2になると、他端末の流行?には逆行するけれど、支持している人が多いであろうイヤホン端子の復活。本当に、エクスペリア1mark2は、良いところを突いたバランスの良い端末だと思う。あえて言うなら、格安スマホに比べれば当然高いくらい。

この2メーカーの復活というか、戦略方向性自体は喜ばしいのだけれど、本来その役目を担っていた2番手3番手メーカーがだらしないのが、正直残念。ソフトバンクの対抗に燃えてた時期のプラン京セラの(設計思想が)尖っている端末とか、結構好きだったんだけどなぁ。

2020-11-21

ソースコード品質を保つために真に効果的な手段は3つしか無い

  1. バージョン管理システムを使う
  2. 静的型付け言語およびlintを使う
  3. テスト駆動開発をする

どんなに優れたツール設計思想などがあっても、使う奴がダメだと全く無意味。弊社もWebアプリを作ってて、RESTだのFluxアーキテクチャだのいろいろ導入を試みたが、ほとんど無駄に終わった。

どんなクソ組織でも効果があると確信持って言えるのは上の3つだけ。1つ目は初歩的すぎると思われるかも知れないが、筆者の想定するダメ組織ダメプログラマというのは、このレベルの連中を含む。

とにかく最低限の品質保証強制する仕組み以外は無意味

静的型付け言語サーバーサイドならJavaC#フロントエンドならTypeScript)を使わせれば、少なくともコンパイル時に分かるエラー修正させられる。

というか、ダメプログラマに動的型付けの言語は触らせてはいけない。必ずそのプロジェクト半年後には保守できなくなる。

テスト強制的に書かせるし、テストのないクラスや、通らないテストあったらコミットできないようにする(それは容易にできる)。

番外編: ものすごくマイナー言語を使う

もう一つの方法は、そもそも優秀なエンジニアしか参加できないようにすること。たとえば、ScalaHaskellErlangCommon Lispなどで書かれていれば必然的にそれが分かるエンジニアしか開発できないし、こういう言語自主的学習しているエンジニアは優秀である可能性が高い。

2020-11-20

PS5の故障原因と対処方法考察

PS5が故障しまくりって評判が出ていてなんか中古市場転売市場が大荒れのようなので調べてみた。一応私見レベル

今回はPS5の分解映像動画が数多く出ているかXBOX設計思想と見比べると、確かにこりゃ故障するわって内容だった。

根本的な原因は、旧世代ゲームハード比較すると熱源が一気に増えたにつきる。

PS5の熱源は次の5種類

①旧世代GPUの排熱

SoCオーバークロック

③高排熱のSSDオンボード

④GDDR6メモリが高温

⑤電源ユニットの冷却不全

①は従来から発熱対象であり、しっかり対策が取られている。 だが②については増加温度対応できているとは言い難い。

問題は③以降のメモリ発熱で、特に超高速なSSDを搭載するPS5はその発熱無視できない。高速通信で常時ストリーミングなんてやればSSD温度だって70度前後にはなってしまう。

そのためSSDにはヒートシンクを搭載して、排熱を行っているのだが、PS5はヒートシンクあくまCPUにつけられていて、メモリ回りの排熱系にはスチールプレートでの排熱で対応している。

さらにGDDR6はCPUの裏に設置してあり、どう見ても温度の影響を受けやすいのだがこれまたスチールプレートでの冷却が図られている。一応メモリからスチールプレートへの熱伝導性向上のために

グリスが塗られているのだが両面基盤の表裏が両方熱源で、CPU側だけにファンがある状態でまともに冷えるかって言われたら。 後はわかるな。

オーバークロックすれば、高電圧必要で電源ユニットXBOXよりも高容量を突っ込んでいるけど、個体差とはいえコイル泣きが起きている時点で相当あっぷあっぷなんだろうなと。

その証拠コントローラー充電系は変な制御がかかっている。コントローラー充電は別コンセントでやったほうがいいだろうと思う。電池まりもたんのに。

しかオーバークロックしている割にコンデンサが周りが貧弱なのよね。いや普通コンシューマーハードなら十分なのだけど、オーバークロックはやっぱり駄目だ。

で、これどうやったら治るんだろう。

2020-11-01

ドミノピザweb注文サイトを作ったエンジニアは腹切手死ぬべき

なんだこのクソ使いづらいUIは。

ピザが食いたいとき我慢して使ってきたけどよ、パスワード変更のUXまでクソなのは擁護しきれん

マイページという概念存在しないせいで、パスワード変更するにはログイン前画面の「パスワードを忘れた方は」こちからしけいけないらしい。この時点で大分カス仕様なんだが、百歩譲っていったん目をつぶろう。


パスワード変更申請画面にメールアドレス入力するとパスワード変更用URLメールで送られてくるんだが、ここはまあいいとして。

だがそのURLクリックした先で、何が表示されたと思う?

秘密質問入力しろだって???

それになんの意味があるんんだ?????一要素認証を何度やってもマルチ要素認証にはならないだり?????第一いつ設定したかもわからない出生地なんかたった3回のチャンスで入力できるわけねーだろ!!!!!!都道府県は含めるのか?合併する前の市名か?後の市名か?自由記述の欄なんかいろいろ考慮したら10回でも足りねーよボケ


一体全体なんなんだこのクソゴミ設計思想!!!

webサイトを見たことも使ったことも作ったこともないど素人が作ってるのか?


うっかりミスパスワードが危殆化しちまったから変更したいのに、これじゃ一向に変更できん。

早くしないと知らない誰かに勝手ピザ送られちまうよ〜😭

2020-09-10

anond:20200910183218

キャッシュカード暗証番号の4桁や、スマホパスフレーズの6桁とか、物理的な媒体と結びついてるからその程度でいいという理屈らしい。

それを設計思想理解しないでネットで使えるようにしたのが間違いってことかな。

2020-08-26

あのスパムまさか手動じゃないとは思うけど

コピる文字数中途半端ランダム性持たせてる感じで設計思想が謎すぎる。

ただ自動化してるとすると1日中延々動いてそうなもんだけど

1日の中でも稼働してるときとしてないときメリハリがある

まさか

2020-08-08

anond:20200807171013

CADオペとかどうだろう?

単純に言われるままCAD図面引くのではなく、設計者の理系男子と対等に設計意見交わせるとカッコいい。

事前知識があると入り込みやすい。

設計思想の意見を言い合う理系男子に囲まれてそれぞれの(設計思想への)熱い想いを横から聞くのも楽しそう。

2020-07-17

中古マンション買うかも

しがないソフトウェアエンジニアしてるけれども、今の会社含めて業界全体的でリモートワークが定着しそう。というか、今の賃貸がク○過ぎて、自宅作業苦痛引っ越しを考えるも、「新建築」に載るような集合住宅に住んだ時期を想起しても、この国の賃貸クオリティーはあまり高くなさそうであり、人生で初めて不動産購入を検討中

現在都内でも比較的小さな店が多い中央線沿いの街住みで、引越し先は賃貸ベースならば1年ぐらい前から中目黒検討していたが、物件を買う=10年ぐらい住むとなるともっと自然が多い街に行きたいみたいなところ。

ひとまず中古マンションの購入を検討をしているが、驚くほど非効率作業を強いられるので誰かにこの不満を共有したい。

マンション内装部分はいくらでも変更可能なので、正直部屋の写真とかはどうでも良い。寧ろ、「マンションの躯体・構造」「管理組合」そして「街の将来性」に関する情報を知りたい。これらは相当程度データ表現出来ると思われるところ、suumoなりhomesなりを見ても絶望的にそれらの情報記載されておらず、なんとなく良さそうな物件を見つけては不動産仲介業者との膨大でかつ不必要コミニュケーションを強いられる。そのわりに不動産仲介業者提供する新しい情報殆ど皆無だったりする。

例えば、このようなデータを見たいが(意外と)標準的に容易に閲覧可能となっていない。

◎「マンションの躯体・構造

◎「管理組合

↑ 一部のマンションではこれらの大部分の情報が [マンション管理ネット](https://www.mirainet.org/) で見られる

◎「街の将来性」

...

...

etc

正直これぐらいのデータがあれば、今すでに標準的に表示されているデータと合わせ、知らない街の知らないマンションでも短時間で相当程度その価値を見極めることが出来ると思う。

とはいえ、なんだかんだ解体計画管理組合電子化に関する情報住民のnpsが分かれば良い気もしている。

解体計画そもそもスクラップアンドビルドのノリで作っているのに解体計画が無いのが良く分からないが、これがあれば竣工時の情報・修繕の想定・リスクの想定などマンションの躯体・構造に係る必要情報が組み込まれている可能性が高い。また、物件評価するときに、解体計画に基づいて実質的な経過年数を評価出来る手法もあり得る。

管理組合電子化に関する情報 → 結局知りたいのは管理組合コミニュケーションのあり方。区分所有法に基づき総会議事録を電磁的記録で作成するのは難しそうだが、議決権行使は電磁的方法OKだし、その他管理組合アプリみたいのも幾つかあるので、ある程度管理組合電子化していて欲しい。ここが電子化されていないと、老人が多いかコミニュケーションコストが高そうなイメージを持ってしまう。 あと、国交省が言うような100年マンションがあったとして100年後に紙資料が保存されているのか、疑問がある。

住民のnps → npsを細かく取ればその自治体についてある程度は分かりそう。特に、街の中長期的な発展には新陳代謝重要そうなので、若い世代のnpsを知りたい。「住みたい街ランキング」とかどうでも良い。appstoreでアプリダウンロードするときに知りたいのは、ダウンロードした人のレビューであって、これからダウンロードするかもみたいな人の意見ではない。

ただ、この3つが明示的に分かる場合は少ない。なので、結局仲介の人に連絡をし、実際に物件を見に行かなければならない。そしていろいろコミニュケーションするが、結局良く分からないままになりがち。契約交渉をすると分かることもあるらしいが、ただ情報を知りたいためだけに毎回契約交渉したくない。

一方で、これらの情報が今のマンション価格には組み込まれていない可能性もあり、知識時間があれば良い物件を探せるような印象もある。今の日本マンションの中長期的に支配的な価格決定条件=「駅近xx分」と「ブランド」に収斂しているように見受けられるので、諸外国マンション価格決定を想像するに、多分価格に組み込まれていない情報は多いのだろう。不動産テックの人ってどんなことをしているのだろう。

その他雑感:

・鉄鋼の強度が上がったからか、最近東京新築マンションファサードの曲線やコーナーサッシが大胆だったりしてカッコ良いの増えてきた。駅・商業施設直結系も良い。けど絶望的に手が届かない。イギリスではマンチェスター再開発成功しているらしく、日本地方都市にもこのような流れが普及することを期待したい。

中古物件データがより可視化され、中古物件の売買が容易になることで、仲介業者手数料収入は多くなる筈だが、何故日本仲介業者はその方向性ロビイングをしないのだろうか。結局ここが分からないということは、まだ自分不動産の闇を知らないのだと思う。

・築40~50年で誰が買うのだろう?みたいな物件でも管理費・修繕費が毎月数万円掛かる。これを誰も買わなかったらどうなるのだろう。ただ、同築年数で自分が手が届かないような金額帯の物件も案外ある。しかデータがあるここ5年ぐらい価格が下落していないことが多い。ババ抜き怖い。

新国立競技場建設時に立ち退きを迫られた築40~50年物件住民を思い出す。確かに、良エリアなところには昔の人が何も考えずに建てた中途半端マンションがありがち。そしてそのせいで街の流れが悪くなっているし機会損失が発生している可能性もある? 住民間の公平性観点から東京オリンピック関係なく、良エリア中途半端マンション住民には躊躇なく立ち退きを迫るべき。

・つくづく新幹線は凄いと思う。初期の設計思想が優れているから、次の時代でも進化を遂げている。それに比べて日本マンションはどうなのだろう。あと、新幹線満州国での経験が色々生かされているらしいが、同様の経験が活かされているらしい〇〇ニュータウンは。。。

・結局税金解体されるマンション増えてきそう。責任を次の世代にまわす日本人の思考回路を感じ始めている。もうこういうゲーム自分たちの世代で止めたい。

・幾つか物件を見たが、中古マンションをどんなにリノベしても数年後の販売価格シビアになりそう。まして、金融機関担保評価はリノベに掛けた費用など考慮しなさそう。数年後に残債以上の販売価格で買主と合意できても、買主にローンつかないこともありそう。欧米金融機関担保評価ってどんな感じなのだろう。

都市計画を定めるとき地権者意見の強すぎ。x年後にその土地で住む人、働く人は潜在的に皆利害関係者なのでは。x年後に地権者はそこに土地を持っているのだろうか。今すぐ土地を高く売りたい人による、今すぐ土地を高く売りたい人のための、今すぐ土地を高く売りたい人の都市計画作りましたみたいな街が多すぎ。

自分生活都心を思ったほど必要としていなかった。結局都心毎日行っていたのは仕事必要性が90%ぐらいだったようだ。ロンドンハイドパークやリージェントパークみたいのが都心に無いのが残念。南池袋公園とかもっと頑張ってほしい。

・というか、リッチモンド公園みたいな公園郊外にあって欲しかった。〇〇ニュータウンはそのような公園に出来る可能性はあったのでは。となりのトトロを見て何故か作成者の静かな怒りを感じた記憶がある。だからこそ、これまで〇〇ニュータウン出身であることを恥じていたのだろうか。

ミラノのBosco Verticaleみたいな建築家駆動マンションプロジェクトってどうやって調べたらよいのだろう。日本マンションは基本デベロッパー駆動なのだろうか。六甲集合住宅とかは建築家駆動っぽいが。

中古自動車の購入も検討しているが、ここまでババ抜き感は無い。というか、細かい性能やデータが分かるし、価格妥当性・説得力がある。この違いは何?

・2軍の試合で良いので、車で球場に行ってみたい。何かアメリカ映画っぽい。あと、コストコが凄いらしい。一回も行ったことがないけれど。

・ひとまずこの苦難を乗り越え、沢山の知識をつけて、x年後に眺望の良いエリア一人暮らし用の注文住宅発注したい。

追記 2020/7/17 12時頃】

書いて寝て起きたら、書き忘れた不満が幾つかあったので、ちょっと追記しました。

2020-07-15

anond:20200715102451

AWSだとマニュアル読んで30分でできる作業が GCPだともう3日なやんでる。

激しく同意する

GCPに限らずGoogleってプロダクトデザインが下手すぎる気がする。

コンパネであっちでコレを設定、そっちでコレを設定て手順に「一貫性」が無いからピンと来ないんだと思う。

例えばGCPGoogleMapの設定をしようと思っても具体的にどうやったら良いかUIから見えてこない。

結局チュートリアルみたいなサイトの手順のままやってやっと出来る。まだチュートリアルがあるなら良いけど、時間が経ってUIが変更されたら迷った挙げ句からなくなる。

Firebase Cloud Messaging(FCM)を使いたいな〜て思っても、Firebaseのページから設定するのが正解っぽいがGCPにもFCMの選択肢があってどっちで設定していいのか迷う。

きっといろんな人がいろんな思惑で設計してて、それを無理やりくっつけてるからそうなってるような気がする。

AWSは横のサービス連携を重視しているからこそ設計思想の一貫性はかなり保たれている気がする。きっとこの差なんだろうな。

2020-06-29

anond:20200629125031

まあAppleは全体として「この美しい内部構造勝手に触れることは許さん」的な設計思想だけど

プロ向けのデスクトップなら容易に内部にアクセスして拡張できるよう設計されてることが多いぞ。

2020-06-27

anond:20200626151740

クリップボードには、他のアプリ内でユーザコピーしたパスワードだの、クレカ番号だのが残っている可能性もある。

これが本当ならそれができてしまう事の方が問題

まりそのアプリ問題というよりOSや他アプリ設計思想問題がある

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