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はてなキーワード: 夏休みとは

2017-02-11

記憶を共有できないことがいちばんつらい

わたしは人よりちょっとだけ、記憶力がいいらしく、どうでもいいことをよく覚えていたりする。

今日久しぶりに会った人に、昔その人が言ったことを話したら、覚えていなかった。

わたしにとっては大好きな言葉だったけど、その人は「そんなこと言った?」と言って笑った。

昔その人に「君にぴったりの本だから」ともらった本がある。

大島弓子短編集の「ロストハウス」。

その中の「8月に生まれ子供」が大好きで、何かあると読み返したくなる。

大学生の種山びわ子は、夏休みはいったころから急速に老けてゆき、たった2週で老人と見間違うばかりとなる。

週に一度の恋人との約束も忘れ、姉の存在も忘れ、最後自分のことも忘れてしまう。

この話を読むと、呆けてしまった祖母のことを思い出す。

祖母はまず、死んだ祖父を忘れ、嫁である母を忘れ、わたしのことを忘れ、最後には最愛の息子だった父親のことも忘れてしまった。

たぶん、わたしが人に忘れられるのが嫌なのは、きっと祖母のことがあるからだ。

人と記憶を共有できないことは、何よりもつらい。

きっとあの人は、わたしに本を渡したことさえ、忘れてしまうんだろうけど。

2017-02-07

子供のころ実写が怖かった

から戦隊ものとかライダー枠のやつはほぼみなかった

でも一時期シュシュトリアンってやつを母親と妹が見ててそれを一緒に見てた

戦隊ものよりもめっちゃこわかった

トラウマになった

でもせんたいものロボットが出てくる段階になったらそれは好き

勇者シリーズ見てたし

実写こわいのせいだと思うけど、きぐるみショーもこわくて嫌いだった

からショーを見に行った記憶はほぼない

ディズニーランドにいってもきぐるみは恐怖だったかアトラクションけが目的だった

小学校高学年の夏休みの平日午前中にやってたウルトラセブンとタロウは見れた

でもそれだけでは低学年時のトラウマはぬぐいきれなかったのか今では立派な二次元オタクです

どうもありがとうございました

すごく優秀な後輩がいて、先日辞めた

理由の1つは休みがなかったから、らしい

優秀だからこそ仕事の切れ目がなかった

会社都合で現場をたらい回された挙句

休みの取れない会社だと彼は辞めた

私はなんだかんだでここ最近夏休み冬休みともに2週間とるペースだ

役職は彼と同じであるにも関わらず

理不尽だよなあ

そんな私にも理不尽に感じる存在がいる

辞めるだけの自信があるなら辞めた方がいいのかもしれない

2017-02-06

中学受験体験

小6の息子がめでたく中学受験を終えたところ、通っていた塾から受験体験記」の執筆依頼が来たのだが、1200字程度で収めないといけないらしく、思いの丈の全ては到底書ききれないので、その下書き代わりにこちらに字数制限なしで書こうと思う。

それに、どれだけうまく1200字に収めようと、自分がこれから書く内容はきっと塾の受験体験記集には採用されないので、せっかく書くのに日の目を見ないのも切ないという事情もある。

公立派 vs. 私立

そもそも自分中学受験必要性を何ら感じていなかった。気軽に通える範囲私立中学などない田舎で育ったし、気合を入れて遠距離私立中学に通わせようとなどという教育熱心な家庭でもなかった。

通った近所の公立中学は荒れていた。不良な上級生が授業時間中に教室外にたむろして騒ぎを起こし、先生一同でそれに対処するために授業が中止になることや、校内を卒業生バイクで走り回るなんてことはザラにあった。

力の強いやつが偉い、という暴力的世界ではあったし、自分クラスで一番のチビというハンディもあったが、それでも気の合う友人もできたり、部活に精を出したりと、自分なりに楽しく過ごせた3年間だった。

その後も地元では一目置かれる県立高校に進学できたし、大学東大京大ほどではないが、世間的には高く評価されるところに現役で合格することができた。

自分自身がこのように特に不満のない経歴をたどることができたので、公立中学に対するネガティブイメージもなく、息子についても近所の公立中学への進学で何の問題もないと考えていた。

しかし一方で妻は私立派であった。

私立派と公立派は基本的には分かり合えるものではないと思ってる。何しろ、1人の人間私立中学と公立中学の両方に通うことは基本的にはないのである公立中に通い、そこでの生活に満足した人は公立派になるし、不満足ならアンチ公立派=私立派になる。私立中に通った人も同様である。両者を公平かつ客観的比較するのは難しく、どうしても主観が入り交じる。

塾に通うきっか

4年生の終わりくらいに中学受験のための塾に通う話が持ち上がってきた。自分公立派ではあるが、それでも塾に通うことに反対はしなかった。

先に述べた通り自分田舎の狭い世界で育ち、教育熱心な家庭でもなく、例えば東大のような高い目標を目指したりすることもなかった。

息子は幸い勉強の才能に恵まれ、昔の自分よりは頭が良さそうなので、ぜひ広い視野と高い目標を持ってもらいたいと願った。中学受験塾は、頭の柔らかい小学生のうちから高度な勉強をして脳みそを鍛えたり、世の中には自分よりも頭の良いやつがたくさんいることを知るのには良い場所だと思ったのが、塾通いに反対しなかった理由だ。

最終的に私立中受験するかどうかは自分にとって重要ではない。勉強するだけ勉強して、受験せずに近所の公立中に進んだって何の問題もないと本気で思っていた。

そして中学受験

しかし息子本人はやはり段々と私立派に感化されていった。母親絶対私立派、父である自分公立肯定派ではあるが私立別に否定はせず、そして当たり前なことに塾に通う友達はみな私立派。塾の先生は...言わずもがな

仕方ない、分かった。私立に行くのは構わない。で、どの学校に行きたいんだ?

息子は御三家と呼ばれる男子校一角名前を挙げた。

受験方針

当時の息子の塾での成績からすると、その学校ちょっと高望みであった。一方、自分が見込んでいる息子の潜在能力からすれば、合格レベルに達することは可能だし、追い込んで勉強させれば御三家を超える最難関中学すら可能性はあるという思いもあった。

しか偏差値の高い学校に入ることに何の意味があるだろう?

聞くところによると私立中学の人気というものは、どうやら併設の高校東大合格者数の増減に大きく影響されるらしい。しか自分の考えでは、東大合格者数に大した意味はない。難関私立中高の東大合格者数が多いのは、教育力が高いからではなく、東大合格できる素質を持った生徒を選抜するからである。それにどれだけ多くの同級生東大合格しようとも、その中に本人が入ることができなければ、その指標には何の意味もない。逆に、素質があって、実力を高める努力を怠らなければ、どの学校に進学しても東大は狙える。

何はともあれ、私立受験が不可避となった段階で、自分

  • 「無理はしない」
  • 学校選びには口を出す」

という2つの基本方針を立てた。

無理はしない

中学合格した直後が自分人生ピークでした」という話しをいくつか聞いたことがある。親が積極的に介入して受験勉強に追い込み、より難易度の高い学校合格させることはできたとしても、それで燃え尽きてしまっては何の意味もない。

勉強というものあくまでも自主的にやるものである

本人がやる気になるような声掛けや仕掛け作りはしたが、無理に勉強させることはしなかった。そもそも教育熱心な母親というもの一般的に「勉強しなさい!」と口うるさく言わずはいられない生き物なので(偏見)、そこで父親まで同じことを言ってはいかんだろう、という思いもあった。

人生ピークはもっともっと後に来なければならない。そのためには中学受験とき限界まで追い込む必要はなく、いくらかの余裕をもって終えるくらいがちょうどいい。

学校選びには口を出す

いや、まあ、普通の親は口を出すものだとは思うけれども。

息子が御三家校に行きたいという理由は、本人に言わせれば「文化祭見学して自由雰囲気が気に入った」ということらしい。しか文化祭体育祭というのは「特別な日」であり、それだけ見てその学校のことを理解するのはほぼ不可能である

だいたいその理由すら本当かどうか怪しい。たまたま一番最初見学に行ったのがその学校だったので、一番強烈な印象を受けたのかもしれないし、母親が勧めたのを鵜呑みにしたのかもしれない。あとは塾の同級生である。親から刷り込まれ学校観を友達披露するような子もいたのではなかろうか。

いずれにせよ、中学受験において男女御三家というのは正義である

しか公立に行けば払う必要のない大金を払わされるこっちの身からすれば、偏差値ステータスなんてものには何の興味もなく、払うからには最も高い実利が得られる学校を選びたいと思うのは当然である

息子本人が言う志望校なんぞ当てにならん。行く価値のある学校自分で見極めることにした。

学校説明会に通う日々

6年生の春になってから候補となりそうな中学学校説明会にはことごとく足を運んだ。普通はもう1年くらいは早くこういうことをするらしいが、まあその時は自分中学受験に興味を持っていなかったので仕方ない。

学校説明会では目から鱗が落ちる思いをした。

正直言うと、それまではどの学校も大した違いはないと思っていた。しか校長の話しからは教育に対する信念や熱い思いが伝わってきたりこなかったり、個性的カリキュラムを持つ学校があったりと、それまでの自分の考え方は誤っていたことに気付かされた。

なるほど、これが私立か。

確かに高いお金を払ってでも通わせてやりたいと思う魅力的な学校がいくつかあった。難易度も低くはないが、届く範囲。そして息子の志望する御三家校は、魅力的ではあるが上位ではなかった。

学校選択プレゼン

さあ、本人を説得だ。

仕事クライアントを説得するかのようなプレゼン資料を作り、リビングテレビに映して、自分の気に入った学校誘導するプレゼンを行った。

学校選びに関する様々な観点提示し、各候補校のメリットデメリット説明した。内容を正しく理解すれば、自然自分の勧める学校第一志望になるはずの渾身のプレゼンである

そしてプレゼン終了後に改めて息子に志望校を尋ねたところ、あっさりと従来から御三家校の名前を挙げた...。自分プレゼンは何の効果も発揮しなかった。

説得を諦めるわけではないが、気分良く勉強してもらうために、ここはいったん退くことにした。最後最後に説得が成功すればいい。

勉強の日々

夏休みが明けると生活受験一色になった。1年生から続けていたスポーツクラブは休部した。塾通いはそれまでは平日2日+土の週3日だったのが、日曜も加わり週4日になった。

しかし、塾以外での勉強時間特別に多いわけではない。多くのアドバイスによると、朝は早起きして勉強すべし、と書いてあるが、それは結局無理だった。息子はどうやら夜型人間で、夜は11時、12時まで勉強して、朝は学校に行くギリギリ時間まで寝るというスタイルに落ち着いた。自分も夜型だから理解はできたし、それも個性だと割り切ることにした。

テレビマンガもちょこちょこ見ていたが、それこそが必要な「余裕」だと思い、特に勉強に追い立てるようなことはしなかった。(自分は。妻は別。)

ちなみに中学受験は親子の二人三脚、とはよく言われるが、生活面はともかく、こと勉強に関して言えば完全に塾と本人任せ。机に向かっている間、何の勉強をしているのかも知らない有様。

しかしそれが功を奏したのかどうかは分からないが、塾での成績は徐々に上昇してきて、10月から御三家校を完全に射程に捉えた。

その後は概ね合格圏内キープ、上昇ペースが予想よりも2ヶ月ほど早かった以外は、ほぼ自分見立てた通りのシナリオだった。

そして本番

第一志望は相変わらず御三家校だったが、第二志望は父に義理立てしたのか、自分お勧め校ということになった。加えて第三志望群に何校か。

この中で最も試験が早いのが第二志望の学校。定員が2つに分割され、試験は2回実施される。1月中に行われる1回目で合格することができれば、後はもう第一志望を受けるだけでよくなり、その後のスケジュールが非常に楽になる。

が、残念ながら不合格

さすがに本人も多少はショックだったようだ。しかしここは切り替えが大事

「失敗というのは、そこから学びがある限りは失敗ではなく、次の成功必要過程ひとつになるのだ。この不合格をそうできるかどうかは、この後の頑張り次第だぞ。」

そして迎えた2月1日からは怒涛の試験ラッシュ

2月1日

午後に受けた学校は当日夜にインターネット合格発表があり、めでたく合格!この学校自分評価は高く、本人もかなり気に入っていたので一安心である

なお第一志望校合格発表は2日後の2月3日午後。

2月2日

お勧めの第二志望校に二度目のチャレンジ合格発表は翌日朝。

午後校は当日夜の合格発表で、こちらは合格

2月3日

受験会場まで息子を送り届けてから少し経った頃に、前日の第二志望校合格発表時間がやってきた。緊張しながらホームページを開く...息子の受験番号を探す...

うーむ、残念!父の目論見はここで潰える。

実のところこの学校偏差値的には第一志望の御三家校よりも高いのである。ここを第一志望にして対策してきている受験生がたくさんいることを考えると、こっちは過去問ちょっと問いたくらいの準備で、まあ仕方のない結果ではある。

そして第一志望校合格発表

午前の試験終了後、息子と昼食を取り、気を取り直して向かうは第一志望校合格発表。これまでの合否確認はすべてインターネットだったので、実際に掲示板を見に来るのは本人も自分も初めてである

緊張の一瞬。

遠くから掲示板を見つめていた息子の顔が一瞬ハッとする。あれは自分の番号? 遠くてよく分からない。人混みをかき分け掲示板に駆け寄る。そして歓喜の瞬間。

合格

総括

父としては御三家校に合格したことよりも、息子が自分で立てた目標に向かって努力し、見事それを達成したことこそが喜ばしい。この成功体験はきっと今後の成長の糧になることだろう。

そして望外に嬉しかったのは、息子が「僕を塾に通わせてくれてありがとう」と言ってくれたこと。最近は塾で鍛えた脳みそをひねくれたことを言ってみたり、屁理屈こねることにばかり活用していたので、こんなにも素直な感謝言葉をもらえるとは思ってもみなかった。

また、自身合格を喜びつつも、残念ながら不合格だった塾の友人たちの気持ちを慮る言葉もあり、そこにも成長を感じとることができた。

自分としては第二志望校(父の第一志望校)不合格で、息子を説得する機会さえなかったのは少し残念ではあるが、合格した第一志望校も実のところ非常に魅力のある学校であり、本人の喜びようも見れば、きっと説得には耳を貸さなかっただろうし、自分もあっさり諦めたことと思う。

それに何より、自分がこれまで全ての場面でそうしてきたように、息子にも自分人生自分で決める権利があり、これはその第一歩だったのだ。

自由校風を大きな特徴とするその学校で、大いに自由を謳歌したまえ。

(ただし高い学費の元は取ってもらわないと困る。)

アドバイス

来年以降受験するご家庭へのアドバイスなんてものほとんどない。

息子の受験成功裏に終わったが、自分の立てた受験方針戦略あくまでもその息子が前提のものである。下の子が数年後に受験することになるかもしれないが、その子はまた違う個性を持っているので、同じ戦略は使えないと思っている。

あえて言うなら、

くらいなものである

以上、長文乱筆失礼致しました。

2017-02-03

統合失調症の母をついに入院させた話

先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。

発症から入院までおよそ四半世紀程かかった。

ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。

そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族同意により強制的入院を行った。

「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、

自分気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書く。

母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。

興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。

日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、

時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。

母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。

父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、

「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。

たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。

夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、

母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。

そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃

別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、

「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。

しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、

母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。

専業主婦だった母は別居後、販売員仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。

そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。

余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。

ある日、私の学校開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?

という話になり、離婚調停最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。

再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め

自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。

中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に

なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。

対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。

私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。

しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。

母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。

仕事上での人間関係トラブルの話は祖母しょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。

その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、

次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。

しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、

しばらくは家族親族の誰もが病気可能であることを疑う事はなかった。

就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、

近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからいか一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが

自分性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家生活費を払う事をしなくなった。

近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。

母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。

しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり

まり会話をすることもなかった。

しかし、あれは確実に症状が進行し言動おかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。

私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、

落ち着いて説得することができず感情的しか対応できなかった。

その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。

弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。

おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障体育大学中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、

アルバイトをしながら、母の生活費もまかなっていた。

兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。

そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、

弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。

彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。

その頃私は都内仕事好調彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。

その後も自営業再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると

上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。

幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由さらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。

しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。

この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。

何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。

普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。

しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、

支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人しかなかった。

徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。

ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は

しょっちゅうだった様だ。たぶん地域警察官の中でもやっかい有名人であったと思う。

その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。

仕事はい私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。

ラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。

母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。

彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。

そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。

これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、

本人に自分病気だという意識病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。

そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」

という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。

入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。

私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活可能しかし治療を拒む状態だと、

いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間お金が無いとどうにもならない状態だった。

そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。

いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。

また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。

そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。

はらはらしながらの受診だったが、精神科医統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。

母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、

回復はほとんど見込めない旨。どこも満床ベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。

入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。

今ならわかるが、この医師からケースワーカー存在を紹介されることもなく、国立や県立病院可能性を教えてもらう事もなかった。

自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。

それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。

薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。

僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。

飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、

毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。

同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。

取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費対象であること。

医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担対象者であること。

そして手続きが煩雑という事を事前情報として聞いていたこと。

これらの判断から通院ができない母には不要であった。

今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。

という免罪符程度のものしか無い。という結論になった。

また、通院と同時に市役所への相談介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、

ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。

まず、加齢により体の不調があることも理由介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患介護認定の判定要素に

大きく加味されることが無く、介護度2となった。

ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。

母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。

そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。

そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、

実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)

そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。

結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。

そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。

過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、

今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。

どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女人生で登場した嫌な奴をののしったり、

幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。

以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察通報したり、私たちに電話をし、

一方的にしゃべり続けたりする大事必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。

近隣のトラブルはついにアパート不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパート契約更新一方的拒否され、退去を迫られた。

ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を

入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。

要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。

親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。

さら警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。

これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである

しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。

トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ

この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間

長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、

家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。

長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。

母が病気になってから知り合った人間名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。

この支援センターセンター長さんには感謝しきれない思いだ。

センター長さんの案で母を健康診断に連れ出す事ができた。

そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科受診させることもできた。

しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、

かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、

入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。

でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイ提案してくれた。

何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。

まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。

けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。

怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。

老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。

しかホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。

また、本人の意思尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。

また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。

ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能

正直にいうと少しだけ真剣完全犯罪を考えた事もある。

しか殺人容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。

こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、

母のきょうだいである叔母に当面の入院費を工面してもらった。

その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から

県立の精神病院存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。

アパート引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産アパートの引き渡しを済ませた。

殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。

翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。

事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。

状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。

そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。

電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日入院キャンセルになった関係で、

母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。

正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。

最初に誰かが県立の精神病院存在制度費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、

こんな苦労はしなかった。私自身、最初問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性

間違っている事に気付けなかった、しかし、役所介護福祉医療警察、の現場であった人も親類も、

これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。

正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、

自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。

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あと少しだけ以下に続きます

http://anond.hatelabo.jp/20170203210406

2017-01-28

内定取り消しにされた過去

もう忘れて生きてきたけどやっぱりムカツクから増田に書く

数年前、大学4年だった俺

憧れの企業採用試験をどんどん通過していった(結構選考が多かった)

その企業夏休みを利用してまるまる1ヶ月インターンシップを行うところだった

地方在住だった俺は社宅を貸してもらいそこに住んで会社へ通った

インターン採用試験の一部で、通過すれば最終面接だった

1ヶ月後、俺は通過した

やったな俺!あと一息だ!

インターンでは1ヶ月もいたし部署の皆さんにかなりお世話になった

ここで一番お世話になった人をMさんとしよう

Mさんはかなりいい人で俺のことを気にかけてくれていた

インターンの結果も、部署人間全員が俺の評価を記入して提出するんだそうだけど

Mさんちょっと偉かったし声が大きかった(発言力という意味)のもあって、部署のみなさんが協力してくれて俺の評価はほぼ全員が最高点をつけていたらしい

これはもう相当なヘマをしない限り受かるだろうと思ったが結果はダメだった

最終面接で落ちた

まぁ就活なんてこんなもん…凹んだけど切り替えた

その後大学卒論に集中した

なんとか卒論も終わらせ無事卒業したが就職先が決まってない

卒論に集中しすぎて何も就活していなかった

さすがにやべえと思い卒業式の翌日にハロワに行って地元企業を紹介してもらいすんなり採用となった

東京に出たいという思いはあったけど就活で破れてしまったし働かないとまずいしということで働いていたある日

Mさんから連絡があった

東京にこないかという内容だった

インターンで俺を見ていてくれた

最終で落ちるとは思ってなかった、もったいないから是非うちに来い

1年遅れだけど大丈夫と言ってくれた

ありがたかった

そのまま話はトントン拍子に進んだ(がスピード自体ゆっくりだった)

ついに面接してくれるという話になった

冬だったか2月くらいだった気がする

東京面接を受けに行った

Mさん役員も呼んであるからと言われた

面接自体は30分位で非常に砕けた感じのものだった

合否はどうなりますかと聞くとその場で「内定だよ」と役員から言われた

やったー!俺!ついに東京で働ける!

しかった

Mさんも喜んでいた

地元に帰った俺は勤めていた会社上司に打ち明けた

実はこうこうこういう経緯で~辞めたいのですが…

上司応援してくれた

1年も働いていない俺のことを気遣ってくれた

俺の苦手なことをわかりやすくまとめた資料もくれた(今も大事に持っている)

そして退職願を提出、無事受理されて退職日も決まった

退職願を出した翌週末、Mさんから連絡があった

「ごめんやっぱナシで!」

いつもの明るい感じで軽く言われた

固まった

理由を聞いたところ

最終面接で落ちた人間は以後2年間採用できないルールがあるとのこと

流れはこうらしい

Mさんは俺が欲しい

外資なので色々ややこしいがなんとか面接までいった(ここすげー恩着せがましかった)

内定出した

人事に上げたら「この人去年最終で落ちてるのでNGですよ」と一蹴された

とのこと

意味がわからなくて泣いた

色々考えて更に泣いた

・俺が原因じゃなかった事

・誰もがそのルールを知らなかった事

面接や事前の顔合わせなどすべてがそもそも無駄だったという事

会社を辞めてしまった事

・勤続1年(365日)未満だったので失業保険がおりない事

・転居するつもりだったので部屋を解約手続きをしてしまっていた事

・出るとこ出て訴えると言ったら「お前この先この業界で働きたいなら目立ったことすんな、あとで痛い目見るぞ」と脅された事

・そっちまで行くからせめて謝罪してくれと言ったら「仕事差し支えからやめてくれ」と言われた事

まじでクソだと思った

3日間位ボーっとしていた

何もかも嫌になった

そのうち訴えるのも嫌になった

法テラスも行ったけどよくて五分五分ですよねって言われた

何がどういう五分やねん

こっち完全に被害者やろ

そのうち何もしたくなくなってもう忘れることにした

色んな人に忘れて次に行ったほうがいいよと言われた

まだ若いんだからこれからのことに時間を使ったほうが有意義だと言われた

しかにそうだと思った

その後紆余曲折を経て俺は東京に来た

Mさんとは違う会社だが同業の会社に入った

そこでガンガン成績を出した

あんな事があったから俺は極度に人間不信になった

プライベートではそうでもないが仕事はまず他人を信用しなくなった

どいつもこいつもMさんみたいな調子の良いことばっかり言うクソみたいなやつばっかりだと思って働いている

実際そんなことないけどそう思ってないとこっちの気合いが切れてぬるくなってしまいそうで怖かった

また裏切られるんじゃないかと思って今でも怖い

今も怒りはある

済んだ事だと笑っていいのは俺だけだと思う

向こうが地面におでこ擦りつけて謝っても絶対さな

人生狂わされたか

でも結果的には今は望んだ仕事に就けたからよかったけど

あの人が俺にやったことは変わらない

今は別の会社でかなり偉いポジションになってるらしい

本当にあの事件は腹立たしい

未だにちゃんとした謝罪はもらえていない

面接依頼顔も見ていない

会ったら殴られるとでも思ってんのかな

んなもんで済むわけないじゃん

失ったものは返って来ない

※ちなみに最後面接までに何度か東京に来ていたし、課題のようなものを出されて真面目に取り組んだりもしていた。

内容は言えないけど、俺が提案したやつがそのまま実際に採用されてたことがあった。

気のせいかもしれないけどまじで怪しいと今でも思ってる。

http://anond.hatelabo.jp/20170127224355

しかし家庭で用意してほしいものは入学式以降にお知らせしますとか言い出すんです。もうねあほかとばかかと。色鉛筆とかさ何色用意すればいいのか。明日持って来いって言われても用意できないぞ。

鉛筆とか入学直後から使うわけないだろ。入学直後なんて1週間はまともに授業しないぞ。

2日後に廃材(例えばサランラップのシン、トイレットペーパーのシン)を使います、用意しろとか言い出すとかあるらしいじゃないですか。

うちの子学校夏休み前に「夏休み後に使うから休み中に用意しといてね」とかだったけど。

ネットに流れるああいう話は、先生の要領が悪いというケースもあるだろうけど

親には事前にお便りで知らせてあるのに、子供がそのお便りをちゃんと親に渡していない&親もお便りがあるか確認しない

→前日になって親が初めて知る、というケースも多い模様。

子供ちゃんと躾けとけば。

知ってる子供に連絡帳渡してくださいって近所の子しらねぇよ。

最初集団登校・下校とかするんじゃないの?その時に近所の親に挨拶して連絡先交換しとけば?

連絡帳って何が書かれるの?親と先生のやりとりだけ?やりとりしてる間に機微情報ポロリとかしないよね。

他人に見られたくない情報は別紙に書いて封筒入れて渡すのが常識学校からの連絡もそうやって来る。単に風邪休みますとかは見られてもどうでもいいだろ。

メールを使わないのは、子供勝手に欠席届出して学校行くふりをしてサボるのを防ぐためってのもあるから

(連絡帳なら親の自筆かどうか字で分かる)そうそう変えられないかと。

共働きなら学童行くんだろうが、学童の欠席連絡システムメールだとよくある話らしいんで気を付けとけ。

そしたらあんの子供にプリント配られないかイベント参加できないか卒業式紅白饅頭配られないからとか言い出すんです。会員の子供、非会員の子供で差別するサークル、それがPTAやばい

会費払わないのにイベント参加すんなよ物をタダで貰おうとすんなよ

部会から出てんだから金払わなきゃ貰えないのは当たり前だろうが。

2017-01-20

教師お仕事

教師をしている友人と飲む機会があったので、教師お仕事関係を聞いてみた。

死なない程度に手を抜いてくださいと伝えたのが精一杯だった。

2017-01-17

看護学生

看護学生してて思ったこと。

もちろんプライバシー保護は大切なので、掘りいったことは書きません。

ひとつの例として受け取ってもらえればと思います

わたし

看護大学4年、もうすぐ国家試験

教員陣は怖い人が多い

・なんとかなるから大丈夫と思ってる

ヘタレ

・きらいなことは行動計画発表

まず、大学でのこと。

1年の頃からフルコマでびっしり勉強が始まり医療ことなんてちんぷんかんぷんながらも頑張って覚えた解剖生理学

途中に挟まれ技術演習。血圧測定のテストではダブルステートで教員と聴いた。よくできていた人にも粗探しをされ、文句しか言えないのかと思った。

2年くらいになると文系大学で現れる〝全休〟。そんなものはなかった。「起きたら2限始まってたあ〜」なんて有り得ない。1限すら落とせない。絶対に、這ってでも1限に行く。単位を落とすことさえ許されない。実習が始まるから授業どころではなくなってしまう。わたし大学ナース服を着る時は黒髪でなければいけなかったので、大学生活はほぼ黒髪夏休み染められるのが嬉しかった〜。

3年から始まる領域別実習。(2年生からのところもある?)

教員が鬼に見えた。

病棟へ行き、行動計画指導者に見せる前にまず教員チェックが入る。

「なんで?」

「は?」

あなたは昨日の夜何をしてきたの?」

教員言葉が痛かった。わたしを見る視線も痛かった。逃げ出せるもんなら逃げ出したかった。

毎日2時間くらいしか睡眠時間が取れないくらい、必死に受け持ちさんの疾患と症状を見比べて立てていた行動計画。こんなに必死にやっても褒められることはなかった。

それがやっと終わっても次にやってくるのは指導者への行動計画発表。指導者2人+教員2人VSわたし、なんてこともあった。実習の中でいちばん嫌いな時間だった。グループメンバーがズタボロに言われてるのを見て、ああ……わたしもこうなるんだ……と毎日思ってた。

アセスメント看護計画教員からコメントが心に刺さるものが多くて毎日泣いていた。甘えかもしれないけど、もっと言葉の棘をなくしてほしいと思った。

唯一実習で癒されるのは患者さんとの時間。本当にありがとうと言いたい。ベッドサイドが病棟いちばん落ち着く場所かもしれない。まあそれでバッ!とカーテンが開いて教員が現れた時はもう\(^o^)/こんな感じだけど。

そんな患者さんだけど、アセスメントして計画を立てるためにこんなこと聞くの?みたいなことまで聞かなければいけない。根掘り葉掘り聞かれて患者さんは嫌じゃないかな?とか、わたしだったら聞かれたら嫌かもしれないな、、なんて考えながらお話をしていた。聞いてきたことをアセスメントに加えても、不足があって指摘される。ここ聞かなきゃ!って思うけど、どうやって聞けばいいんだろう…とかなり悩んだ。病態よりもコミュニケーションに悩むことが多かったかもしれない。御家族から聞けることは御家族が面会に来られた時しかチャンスがないからもう必死(笑)きっと変な言葉になってただろうな〜。

指導者への報告の仕方とか、ケアの手順とか、調べてきてもやっぱり実際の病棟とは違う。仕方ないけど悔しかった。

あとは、ナースステーションの居心地の悪さ。記録部屋を用意してくれる病院ならまだいいけど、それがないところはナースステーションにいるしかいから頑張って看護師さんたちの邪魔にならない場所(隅の方)を探して居るけど、邪魔じゃないかな?ここ使うかな?といつもら気にかけていてナースステーションは好きな場所ではなかった。実習に来てごめんなさいといつも思ってた。

あと、やることがなくなる、もしくは何をやればいいかも分からなくなると始まる病棟散歩(笑)教員指導者に見つからないように病棟をうろうろした。だって何したらいいかわかんないんだもの。聞くにも「なぜ私に聞くの?」って言われるから1度聞いたらもう聞けない。うろうろするしかない。

領域別実習が終わって卒業研究。いわゆる卒論のようなもの。3年生の2月とかから始めて、国試勉強とか就活しつつ10月に完成させる。文系大学と比べるのもおかしいけど、わたしは同時進行でやることが多いから、卒論くらいでなんであんなに文系大学は騒いでるんだろうって思った。

最後に。

鬼の教員だらけで大変だったけど実習は休まず行ったし、単位ひとつも落とさなかった。普通のことだけど。なんとかなるもんだと思った。寝れなくても、病棟で泣いても、怒られても、なんとかなる。大学生だけどあまり大学生らしい生活はできないからそこだけ覚悟必要かな。

で、今は国試直前。

こんな時間に起きてることも、こんなの書いてることもあまりよろしくないです。でもなんとかなることを信じて頑張ります

追記です。

なぜ度々患者さんへ許可をとるのかについて。

インフォームド・コンセント(事前に説明許可を得ること)ぜったい!と教えられているので、何をするにもまずは「次にこれしたいのですが、いいですか?(簡単に言うと)」と聞かねばなりません。

それもきっと患者さんからしたら、いちいちうるさいなあってなりますよね。でもそれをしないと、教員指導者(学生指導看護師)から「え?許可とってないの?ならできないよ」と言われてしまます。なかなか難しいことばかりで……。

受け持ち患者さんに受け持ち開始の時に「毎回許可をとらねばならないため、何度も聞いてしまますすみません」と聞いたりしたらいいのかもしれません。ただ、全く余裕もなく毎日焦って不安でぐちゃぐちゃになっているので、できないだろうなっていう思いもあります。もうわたしは実習が終わってしまったので、就職してから学生を受け入れる側になったときに気をつけていきたいと思います学生が受け持たせていただくとき患者さんへの説明が、「嫌なことは断っていいです」スタンスなのであまり説明のことは説明されてないと思うんです。やらなければいけないですね。

2017-01-15

無能な下利便上司(上流企業元請け)は10日の夏休み取って、俺は2日間のみ

https://www.google.co.jp/amp/www.asahi.com/amp/articles/ASJ8M5Q0YJ8MULFA00S.html?client=safari

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/187490

はー(クソデカため息)

17日の夏季休暇をもらい、毎日6時間は寝て、年収4000万円。

一方の俺は夏季休暇は2日間、毎日14時間労働(これでも楽なほう)で睡眠は3~4時間

年収は300万円で残業代なし。

はー(糞で固めた息)

2017-01-06

学校を休んだ

仮病で学校を休んだ。

私が上手いのか祖母が気づかないのか、あるいは気づかないふりをしてくれたのか分からないけど見破られなかった。

中2から中3にかけても数回やってしまった。

今回もまたやってしまった。良心の呵責で本当に決行しようかすごく苦悩するのに、いざやると決めてしまえば躊躇なく全力で演じられる。

ごめんねおばあちゃん

今回は課題が終わっていなくて、休み明けテスト勉強全然してなかった。

昨日の夜ずっとやっていたが寝落ちして、6時に目が覚めて諦めた。

先生が優しいから、提出物は持ってくるのを忘れたっていう理由でなんとかなるけど、それは夏休みにも使った。別に嘘ついただろうって指摘されることはないけどなんとなく嫌だ。

テスト勉強はしてなくて、今日行って受けるより後日受けた方がまだ点数高いんじゃない?って考えて、提出物も終わってないし、憂鬱だし、休んでもメリットは多いだろうと逢着した。

休み明け初日しかテストと授業付きの日だから、分かる人にはズル休みだって分かるだろうなぁ。

昨日友達と励まし合いながら終わらせていたわけだし、少なくともその子はわかる。

脱落してすまない。あとでなんて言われるかなぁ。まだ高校では今回が初だから本当に具合が悪かったと言えるけど。

冬休み時間はたくさんあった。でもやりたくなかった。こんな失敗を春休みにも夏休みにもした。

平時の小テスト定期テストときもそうだ。

どうしてもやりたくないしいつもギリギリだ。いや、間に合ってないか

いつもまあいいやって思ってしまう。実際は駄目なのに。

こんなのでも成績はトップグループから、そんな権利はないのに成績を気にしてしまう。休んでしまったらやっぱり響くかなぁ。

でもこれから落ちていくだろう。昔からだらけ人間だったが、最近輪をかけて酷くなった。

過去自分も十分クズだが、今の自分を見たら驚くと思う。

そんなことないって言ってもらいたいわけでも謙遜しているわけでもなく、自分は本当にクズダメ人間だ。

多分このあとも課題をせず、ギリギリになってしまうと思う。

今は登校したとき不安と仮病の演技が怪しくないか不安と、クズから来る罪悪感でいっぱいな気もするけど今日1日安心していいんだっていう安堵もある。

変わりたいけど無理な気しかしない。

学校行きたくないなぁ。

学校を休んだ

仮病で学校を休んだ。

私が上手いのか祖母が気づかないのか、あるいは気づかないふりをしてくれたのか分からないけど見破られなかった。

中2から中3にかけても数回やってしまった。

今回もまたやってしまった。良心の呵責で本当に決行しようかすごく苦悩するのに、いざやると決めてしまえば躊躇なく全力で演じられる。

ごめんねおばあちゃん

今回は課題が終わっていなくて、休み明けテスト勉強全然してなかった。

昨日の夜ずっとやっていたが寝落ちして、6時に目が覚めて諦めた。

先生が優しいから、提出物は持ってくるのを忘れたっていう理由でなんとかなるけど、それは夏休みにも使った。別に嘘ついただろうって指摘されることはないけどなんとなく嫌だ。

テスト勉強はしてなくて、今日行って受けるより後日受けた方がまだ点数高いんじゃない?って考えて、提出物も終わってないし、憂鬱だし、休んでもメリットは多いだろうと逢着した。

休み明け初日しかテストと授業付きの日だから、分かる人にはズル休みだって分かるだろうなぁ。

昨日友達と励まし合いながら終わらせていたわけだし、少なくともその子はわかる。

脱落してすまない。あとでなんて言われるかなぁ。まだ高校では今回が初だから本当に具合が悪かったと言えるけど。

冬休み時間はたくさんあった。でもやりたくなかった。こんな失敗を春休みにも夏休みにもした。

平時の小テスト定期テストときもそうだ。

どうしてもやりたくないしいつもギリギリだ。いや、間に合ってないか

いつもまあいいやって思ってしまう。実際は駄目なのに。

こんなのでも成績はトップグループから、そんな権利はないのに成績を気にしてしまう。休んでしまったらやっぱり響くかなぁ。

でもこれから落ちていくだろう。昔からだらけ人間だったが、最近輪をかけて酷くなった。

過去自分も十分クズだが、今の自分を見たら驚くと思う。

そんなことないって言ってもらいたいわけでも謙遜しているわけでもなく、自分は本当にクズダメ人間だ。

多分このあとも課題をせず、ギリギリになってしまうと思う。

今は登校したとき不安と仮病の演技が怪しくないか不安と、クズから来る罪悪感でいっぱいな気もするけど今日1日安心していいんだっていう安堵もある。

変わりたいけど無理な気しかしない。

学校行きたくないなぁ。

学校を休んだ

仮病で学校を休んだ。

私が上手いのか祖母が気づかないのか、あるいは気づかないふりをしてくれたのか分からないけど見破られなかった。

中2から中3にかけても数回やってしまった。

今回もまたやってしまった。良心の呵責で本当に決行しようかすごく苦悩するのに、いざやると決めてしまえば躊躇なく全力で演じられる。

ごめんねおばあちゃん

今回は課題が終わっていなくて、休み明けテスト勉強全然してなかった。

昨日の夜ずっとやっていたが寝落ちして、6時に目が覚めて諦めた。

先生が優しいから、提出物は持ってくるのを忘れたっていう理由でなんとかなるけど、それは夏休みにも使った。別に嘘ついただろうって指摘されることはないけどなんとなく嫌だ。

テスト勉強はしてなくて、今日行って受けるより後日受けた方がまだ点数高いんじゃない?って考えて、提出物も終わってないし、憂鬱だし、休んでもメリットは多いだろうと逢着した。

休み明け初日しかテストと授業付きの日だから、分かる人にはズル休みだって分かるだろうなぁ。

昨日友達と励まし合いながら終わらせていたわけだし、少なくともその子はわかる。

脱落してすまない。あとでなんて言われるかなぁ。まだ高校では今回が初だから本当に具合が悪かったと言えるけど。

冬休み時間はたくさんあった。でもやりたくなかった。こんな失敗を春休みにも夏休みにもした。

平時の小テスト定期テストときもそうだ。

どうしてもやりたくないしいつもギリギリだ。いや、間に合ってないか

いつもまあいいやって思ってしまう。実際は駄目なのに。

こんなのでも成績はトップグループから、そんな権利はないのに成績を気にしてしまう。休んでしまったらやっぱり響くかなぁ。

でもこれから落ちていくだろう。昔からだらけ人間だったが、最近輪をかけて酷くなった。

過去自分も十分クズだが、今の自分を見たら驚くと思う。

そんなことないって言ってもらいたいわけでも謙遜しているわけでもなく、自分は本当にクズダメ人間だ。

多分このあとも課題をせず、ギリギリになってしまうと思う。

今は登校したとき不安と仮病の演技が怪しくないか不安と、クズから来る罪悪感でいっぱいな気もするけど今日1日安心していいんだっていう安堵もある。

変わりたいけど無理な気しかしない。

学校行きたくないなぁ。

2016-12-31

1985年まれの「21才」タイムスリップ経験者だけど?

1985年2月27日誕生 大阪で過ごす。当時の両親兄姉の5人だった。

今住んでいる家族とは遺伝子関係がない(話の味噌

迷子から誘拐からタイムスリップで1987年から1997年に来た(タイムスリップ横浜市内に)←これ重要

現在の家庭は両親と妹(1年違い)の4人家族

高校学力テストパンフレットで常に表紙に名前が載ってたのになぜか情報系の短期大学

タイムスリップ後の両親は大手企業関係者だった。

つのまにやら広い部屋の家に

高齢化による定年でジリ貧

卒業独立し、まもなく私塾を開いて教育デビュー

作家志望←now!!

タイムスリップ

父親オタクになり、母親サブカルにはまる。

兄は公立大学鉄道研究にはまる・姉がヤンキー漫画走り屋漫画の影響でバイク乗りに目覚めた。

私は最後まで邪険に扱われていた。

タイムスリップ

帰省のために家族京都に行くことがあるが、その際に両親にタイムスリップ前の実家のあった場所に連れて行かせた

・改造コードを使って2Pプレイときにずるを良くする

カメラを借りてビデオを撮りまくっていた

・当時駅前でよく見かけるようなギャルのまねをしていた

小学生時代

・初めてオタクにはまる、9歳違いの先輩にさそわれたか

ラノベエロ漫画を読むようになった、夜更かしして読んだ

・親に隠れて深夜アニメを見た

中学生時代

エロ小説を書くようになり、小説ラノベの応募で母親におねだりした(テーマは学園もの)

絶版になるまで、母親が書いたことにさせた。原稿料印税母親持ち

高校生時代

自分PCプログラミングをして宿題の回答でずるをした

・高1の夏休みときに友人ら3人と一緒に自転車で長距離移動し、宿泊ではネカフェで過ごした

・高2のとき私利私欲のために自宅の自室を使って小中学生用の私塾を開いて学校問題になった

高校卒業

・夏冬休みは、アルバイトか休む。アルバイトのない日は5日間かけて友人のバイクに二人乗りして地方都市を回った

短大卒業までメールマガジン生活費を稼いだ

私塾での評判はあまりよくない

私塾仕事をサボって、何度もギャンブルやってるうちに生徒にみつかって言い訳したら通じた

年末年始ネットで生配信

2016-12-27

思い出と共にそこにあった当たり前の存在

物心ついた時から彼らは毎日のようにテレビに出ていた。

スマなどスマスマ内で彼らがやっていたゲームは次の日から学校流行った。

ダブルダッチを彼らがやれば、翌日の休み時間には二本の縄跳びを回し、そこに入っていく生徒達の姿が校庭のいたるところにあった。。

年代人達と話すと、ほぼ全員が『私の所もそうだった』と盛り上がる。

少なくとも、私が出会った同世代たちの間でスマスマ学校へ行こうラブラブ愛してる、めちゃイケあたりのバラエティー番組は見てて当たり前だった。夏休みはいれば、ここに笑っていいともが加わる。

年を重ねるにつれてテレビ番組を見る時間は減っていき、当時の定番番組は次々と終っていった。

でも、何故だろうか。この番組は続いていくものだと勝手に思っていた。

昨夜の最終回を見ながら『ああ、この時はこんな事があったな』と幼い頃から現在に至るまでの思い出があふれ出し、同時に終ってしまうのかと切ない気持ちになった。

ファンではないし、ライブに行ったりしたわけでもない。それでも彼らの曲はいくつか知っているし歌える。

夜空ノムコウライオンハート世界に一つだけの花は実際にCDを買った。いつ聞いても良い曲だと思う。

ファン人達とのイメージ格差はあるかもしれないが、テレビの中でそれぞれがどんなイメージ人物だったかも大体分かる。

自分が生きている間、こんなに世間に浸透しきっているグループはもう他に出てこないかもしれないなと改めて思った最終回だった。

ただ、最後世界に一つだけの花を歌うメンバーを見、この人達は本当に解散を望んでいたのだろうかという疑問が残る。

総集編の中で森さんの脱退や稲垣さん、草なぎさんの逮捕等の対応を見ていて、やはり何だか今までと違っているように思えてしかたがない。

昨夜の放送を見るかぎり、グループの存続を揺るがす何かがあったとき、彼らは自分達の口から直接、実際に目の前にいるファン達へと言葉や思いを伝えてきた事が窺える。

同様に放送された記者会見の様子を見ていても、自分達の非を認め、反省し、責任を負う覚悟が見えた。

からこそ、今回の一件はどうにも腑に落ちない。

何が真実かも分からないし、誰が悪いというのもファンではない自分には言う資格はない。

そこは彼らと共に歩んできたファンけが言う資格があるのだろうと思う。

しかしながら、これがもし本当に彼らの長い歴史の終わりなのだとしたら、この注目を受けている中であえてはっきりとした終わりを見せない終わり方と言うのもまた、逆に新鮮だなぁと思ってしまった。

しかしたら、彼らの中には『一人ひとりがSMAPである』という意識があるのかもしれない。

『五人での活動は終ってしまうが、それでも一人ひとりはSMAPだ』

この曖昧な幕引きは、もしかしたらそんな彼らの声なき主張なのかもしれない。

2016-12-22

専業主婦の嫁が、自分想像以上に何もしていない事を知った

私 会社員 45歳 年収840万

嫁 専業主婦 40歳

結婚10年子なし(不妊治療経験ありだが、子宝に恵まれず)

大きめなプロジェクトが終わり、3週間ほどの長期休暇をもらえたので、

最近家に居るんだが、嫁が洗濯ぐらいしかしていないことがよーくわかった。

ここ最近の二人の1日のパターン

起床

オレ:8:30

嫁:その後に起床(ゴミ曜日寝坊

朝イチの行動

オレ:二人分のコーヒーを入れる

嫁:ソファに座ってぼーっとし、スマホゲームやりだす

朝飯

オレ:嫁が動き出さなければパンを焼き二人分の朝飯を作り始める

嫁:たまに朝飯を作るか、オレが動き出したら作る

午前中

オレ:読書または、英語学習

嫁:洗濯1回まわして、頭が痛いだのダルいだの言って寝室で就寝

昼飯

オレ:13時過ぎても動き出さなければ、オレが外食するか、嫁が作ってくれるのかを聞く

嫁:しぶしぶ作る(週に3度は外食

午後

オレ:録りためたテレビ番組を見る、読書趣味など

嫁:録りためたテレビ番組を一緒に見つつスマホゲーム。「スーパー買い物いかなくちゃぁ」と連呼。頭が痛いだのダルいだの言って寝室で就寝その2

日々の買い物(スーパー等)

オレ:仕方がないのでスーパーに一緒に行こうと行って連れ出す。

嫁:手伝わせるの悪いからいいよぉと言いつつ、ひとりで行ったのは3週間で1度だけ

夕方〜夜

オレ:英語勉強

嫁:基本スマホゲーム「夕飯何にしよう...」を連呼。しぶしぶ晩飯を作る



飯や洗濯には感謝している。

すべて自分でやることを考えたら慣れるまではしんどいだろう。

でも、あまりに暇そうな毎日なので、パートなり趣味なりしないのか聞いてみた。

彼女の言い分は、子供が出来る事を見越してパートをするのを控えていたとのこと。

10年専業主婦からパートがつとまるかも不安とのこと。

しまいには、私を責めるのかと泣き始めた。


こんな怠惰な姿を見ていると、こっちの不満がたまるので、

最近日中外出するようになった。


とにかく、「偏頭痛だぁ、風引いたかもぉ」を毎日のように繰り返し、

やがて生理がやってきて「2週間はしんどい」という。彼女別に鬱でもなんでもない。


こうして日記を書いている11:30、彼女は寝室で寝ている。


休み明けに仕事頑張るの、アホらしくなってくる。

<追記 12/23

ただの愚痴日記にお付き合いいただきありがとうございます

病気病気だと騒がしい感じ、また勝手に無関心とか不仲と決めつけておられるかたも多いので「落ち着いてくださいよw」というのが率直な感想です。

また、「増田が叩かれている、フルボッコにされている」とありますが、全くそういう感覚はありませんのでご自由にどうぞ。

いくつかコメントにお返事させていただきます

最後の行で自分でも書いてるじゃないか人間、がんばって働いても感謝されてないなと感じると努力するのもアホらしくなってくるのだ。彼女努力スルーしていた時代があったんだろう。

不妊治療していたころは、逐一状況と情報の共有、どのレベルまでやるかなど相談もしていましたし、

私も検査に参加しました。スルーなどしていません。


>男女逆なら穀潰しヒモ燃えるんだけど、はてな村では専業だろうが共働きだろうが主婦批判的に言うことは許されない。不倫などごく一部の例外を除いてな/妻の体調生活態度が悪いのは夫の無関心が原因が模範解答

主婦批判しているのではなく、生産性のある行動を起こさない妻への不満を書いているつもりです。

また、無関心だとしたら、パート趣味を持つことの提案をするでしょうか


>長期休暇取れたのに、夫婦旅行とか行かないの?

このようなコメントはいくつかみかけましたが、今年旅行には何度か行っています

また休暇前・休暇中に妻にも提案していますが「特に行きたいところがない」という回答がありました。



>具合がわるいのはほんとに具合が悪い可能性があるので医者に行ってみたほうがいいか

>寝過ぎだし頭痛いって言ってるし、だるいのも鬱の症状の可能性ある。本当に詰む前に、一度病院行った方がいい。それに働くことに自信がないのなら発達障害あるかも。

頭痛については頻発しているので、そろそろ医者に行こうかと話していました。


>なんで休暇を取るまで実態を知らなかったんだろ。土日も似たような生活してそうだけど。お互いに無関心過ぎない?


ある程度は分かっていました。洗濯が好きで、掃除はそこそこ好き、炊事が嫌いなんでしょう。

平日に関しては、朝食を自分が作ること、夕食を私が買って帰ったり外食することが度々ありました。

土日は夫婦で買い物に出かけたりしています。平日にここまで生産的なことをしていない姿を見て驚いたのです。



>どういう相手結婚するかで人生わっちゃう一例。

うちの母は専業主婦だけど、梅干しから味噌豆腐蒟蒻果実酒まで手作りしてて、暇な時は畑を耕している。主婦業を本気でやろうと思ったら一日じゃ全然足りない

人生わっちゃう」どういう意味でしょうか?あなたのお母様のような主婦像を求めてはいません。主婦業を完璧にして欲しいわけではなく、行動してほしいのです。


>こんな愚痴記事ひとつ読んで「鬱」なり「代謝系の病気」なり診断できる名医たち、WELQライターとか向いてるんじゃない?

同感です。話が飛躍しすぎています


>嫁も専業だけど子どもまれるまでは人生夏休みだったって言ってたなw それにしても家事しない男はボコボコにされるのにろくに貢献しない専業女が援護されるはてな最高だなw

感覚として自分が叩かれているとも、妻が擁護されているとも感じません。女性が過剰に反応している感じは受けます



もっと早く気が付いて、奥さんの気晴らしやライフサイクル心配してあげればよかったのに…。

たらればです。まるで私が、妻の心配をしていないような言い回しですが、決めつけです。


英語学習についての批判をされている方に少しカチンときましたが、おそらく英語学習をしている人)が嫌いか英語学習されたことがない方なんでしょう。

英語仕事で使っており、3週間も触れなければ、メールや会話のレスポンスが遅れるなど支障をきたします。

40過ぎているからこそ、学習必要なのです。

<追記 その2 12/26>

よくもまぁみなさん評論家ヅラでいろんな事を言うもんですねー。正直何も響いてきません。

こういう傾向があるから、こういう病気かもとか、お互い話し合えとか、奥さんを理解しろとか…

人にそんなアドバイスができるほど、ご自身パートナーを思いやれているのでしょうか?

話し合えているんでしょうか、信頼できているんでしょうか。

トラバコメントは、ただの雑音でしかなく、結果何の役にも立ちませんでした。

そもそも、この休暇期間の1週間ほどを切り取って書いただけの事。

後日話し合って妻も反省し、行動は改善し、良いコミュニケーションも取れはじめています

グサリと突き刺さるようなお言葉を頂戴したかったですね。残念です。

人生夏休み

現在35歳。

夏休みでいえばお盆に入ったくらいだろうか。

お盆があけたら、夏休みはあっという間だからなあ。

2016-12-19

親の虐待発言、行動の備忘録

親のことでしんどい

http://anond.hatelabo.jp/20161215004851

元増田です。親から逃れるべきだという意見が多かったので、虐待記憶を辿ってみます虐待だと認められれば、逃れられる確率が上がるそうです。公開することを許して下さい。


暴言

・「血がつながってないっていうのは忘れるなよ」

【状況】引き取られた当初、小学校低学年時

【補足】この後、血がつながってないという言葉を知った増田は、妹に「でも血がつながってないし」という発言をする。母から教わったとおりに振る舞っただけなのだが、この後、ここで増田が妹に言ったのが全ての発端という扱いを受け、事あるごとに「お前、血がつながってないって言ったよな?ヒドいやつ」となじられる。小学校低学年に「血がつながっている」という概念があるわけないのだから、親世代から教わらない限り、発言が出てくるはずがない。

・「私の娘と恋愛状態になったら殺す。お前も殺すし、娘も殺す。一方的恋愛感情を抱いても殺す」

【状況】引き取られた当初、小学校低学年時

【補足】ちなみに、姉に関して父が「年齢の割に色気がある」と言ったことを発端にして、母は自分の娘が美人だという誇りを得ていた。そこでやってきた義理の息子によって貞操が脅かされる危機を感じたようである。どう考えても警戒すべきは父の方だった。(実際、父は性的虐待をしていた)

・「屁理屈ばっかり言うよな。『違うよ、豆電球だよ』とか」

【状況】事あるごとに、増田発言するたび

【補足】増田アスペルガー気味なので、変な訂正を入れることがよくあった。来た当初も、妹が「豆球」と言ったのに対して「豆電球だよ」と言ってしまった。それ以降、「豆電球とか言ったけどな、そんなのどうでも良いんだよ。屁理屈ばっかり」としつこく言ってくるようになる。それこそどうでも良いだろうが。まあ、エピソードとしてはまだ笑える方だと思う。

・「こっちがこんなにやってんのに、お前は心を開こうとしない!!」

【補足】やはり増田アスペルガー気味なので、相手との距離感が分からない。それを心を開こうとしない、と取られてしまった。なお、「こんなにしてやっている」という発言は子に対しては基本禁句だと聞いている。

・「感謝しろよ。お父さんはお前を引き取るつもりはなかった。私が可哀想だと言ったから引き取ったんだ」

・「お前算数しかできんよな。算数とか、答えが一つしかないんだから、出来ても何も偉くない」「私は子供の時、国語が出来た。国語は解答が一つじゃないから、国語が出来るのは凄いことなんだ」「娘達は国語が得意だから凄い。お前は国語が苦手だから凄くない」

【補足】ぶっちゃけた話、別に兄弟国語を得意としていたわけではない。なお、国語基本的に解答は一つにしかまらないということを高校受験の辺りで知る。

・「お前だけ、生まれた年が偶数だな。やっぱお前仲間はずれじゃん。血で見ても仲間はずれだし、どうやってもお前は仲間はずれ」

【状況】居間テレビを見ているとき、何かが発端で

【補足】この後、泣いてしま増田に対して、「何泣いてんの?事実を言っただけじゃん」と続く。

・「この猫は3年前から飼ってるのよ。お前がこの家を出ていったのは2歳のときから、お前はこの家にいる年数が猫よりも短いことになるな。自覚しとけよ。お前はこの家においては猫以下」

・「もう出て行けや!今やってる母をたずねて三千里みたいに本当のお母さん探しに行っとけや!!」

【状況】怒られるときに。母をたずねて三千里の再放映期間中

【補足】このときに出ていった方が良かったのかもしれない。

・「何でお前、お父さんが帰ってきたらすぐに居間に来るわけ?お父さんがいないとき居間に来ないの何なん?」

【状況】父がいない状況で増田の部屋にて

【補足】引き取られて半年ほどで、父がいる前では上記のような人格攻撃がないことに気づいた増田が取った行動。ちなみに母はこの言葉の後、「お前がお父さんとずっと過ごすわけじゃないだろ?私が一生過ごすわけ。」と続ける。

・「お前が家に来たせいでな、姉に一人部屋が与えられんようになったんだけど。分かってるの?」

【状況】増田が一人部屋になってから半年以上は継続的

【補足】子供用に出来る部屋は2つ、同性同士じゃないと同部屋には出来ない、18歳で家を出ていかないといけないという約束(これは実子も)によって、姉は一人部屋が得られないと母が気づいた結果出た言葉しかし、この4年後に姉は一人部屋になり、増田と妹が共同で部屋を使うことになる。もちろん謝罪発言撤回は一切なし。

・「お前は私の実家には連れていけない。後から引き取ったなんて、恥ずかしくて言えるわけない。だから、お前は私の実家から見ると存在してないの」

【補足】なぜ「存在してない」という言葉を使う必要があるのかは不明。なお、実家に言っていないのだが、祖母には伝わっていて、彼女はいつも小遣いを実の孫でもない増田にくれた。何度か会ったが、この人は良い人だった。

・「こっちはあんたに対してな、腫れ物触るみたいに接しないといけない!!」

【補足】上記を鑑みる限り、外科手術で取り除く方の腫れ物である

・「こっちが親切心からお菓子買ってやってるっていうのに、兄弟に渡すなボケ!!!

【状況】買ってもらった4個入りのお菓子兄弟に分けていたとき

【補足】以降、どんな他人に対してもおすそ分けをするのが怖くなる。

・「紅白饅頭をなんで一人で食ったんじゃ!!常識がないのか!!姉はちゃんと私らに配ったぞ!!!

【状況】小学校卒業式から帰って割りとすぐに

【補足】上記の発言と完全に矛盾するがお構いなし。もちろん、殴られながらである。この後、増田は「饅頭でそんなに言われるのはおかしい!」と泣きながら抗議したが、「食い物の恨みは恐ろしいんじゃ!!!」とまた何発も殴られる。恨みって、饅頭もらえると思ってたのが裏切られたってことだろうけど、別にあげる宣言もしていなかったし、紅白饅頭によって飢えたわけでもないので意味不明。以降、紅白饅頭が苦手になる。

・「こないだのフラワーアレンジメント教室あんたのお母さん来ていたよ。女の子連れてて新しい人生歩んでるみたい」

【状況】母がフラワーアレンジメント教室講師をしていたとき、家に帰ってきてから

【補足】実母は他に子供がいないし、隣の県のフラワーアレンジメント教室に参加して、寄りによって元夫の現妻が講師をしているところに遭遇するわけがない。増田支配たかったのだろう。

・「お前が修学旅行で家を空けてるときに、皆で一つの部屋で雑魚寝したの。お前も、こういう家族の絆を確かめること、したいよな?」

【補足】別に雑魚寝をしたいと思ったわけではないが肯定してみた。以後、母が父に雑魚寝提案したということはなかった。ただの嫌がらせである

・「お父さんには私が蹴ったって言うなよ。階段で転んだと言え」

【状況】模様替えで服を運んでいた際、増田が母に「遅いんじゃ!!もっと早く歩け!!」と後ろから不意に蹴られる。そこで勢い良く倒れた増田が犬歯で口腔内の肉をえぐってしまい血が思い切り出たとき

【補足】その口腔内の肉は今も少し盛り上がっていて、舌で触ると自分では分かる。ちなみに、母はもちろん謝らなかった。

・「私とか姉はな、皆に注目されてるから転けて怪我したら絶対にみんなが大丈夫!?って心配してくれる。お前は誰も注目してないから転けても誰も気付かない」

【補足】確か、ここで妹の名前は出ていなかった。

・「お年玉まだあるだろ?家計が苦しいから全員お年玉の残り出せ」「隠してた場所に無い?無いって言ったらくれるとでも思ってるんだろ?」

【状況】中学生の時の2月くらい

【補足】増田自分で隠し場所を移したことを忘れていた。この時は増田は意地汚ったため、母からこの手の発言が多かった。

・「テレビ見たら分かるけど、料理人は全員男だろ?だから男は料理できないとダメ弁当自分で作れよ。私はしんどいから毎日起きるのは無理」

【補足】専業主婦発言である自分存在意義はありませんという宣言とも取れる。

・「ブサイク」「なんでお前そんなブサイクなん?」「ブサイクで応募とかやめてくれない?姉なら良いけど」

【状況】前二つは事あるごとに、三つ目は、姉が芸能プロダクションに応募したいと言ったとき増田が便乗したことに対して

【補足】自分でも送って受かってたとは到底思えない

・「お前の習い事大会がある度に隣の県に連れて行かないといけない私の身になってみて」

【状況】父の一言で始まった習い事大会試験)に対する愚痴

【補足】妹の習い事は同一県内で完結していたので文句を言わない。父にはこの愚痴を言わない。

・「模試とか受けるな。塾から勧誘電話かかってくるだろうが。迷惑考えろ」

【状況】高校入試県内模試を受けたいと言ったとき

【補足】母は専業主婦である

・「お前は本当にご飯のおかわりをよくするよな。メシ代考えろや」

【補足】ご飯を2杯食べることが多かった。いくらでも食えと言ったのは母である

・「お前、背低いよな。チビモテないよ。顔もブサイクだし」

【補足】小学校の時は低かった。中学で平均より少し低い程度になった。

・「お前クサい」「この部屋クサいわ」

【状況】中学に入ってから事あるごとに

・「お父さんに聞いたら、あんたのお母さんワキガなんだってさ。だからお前がクサいのも納得だわ」

・「私は子供の時に入院してて、病弱なんだ。娘も私に似てか弱いところがある。本当に心配しないといけないし、お父さんも心配してる。可哀想に。お前は健康のものだな。可哀想でも何でもない」

・「○○をしたら100万円払えよ。誓約書書けや。拇印も押せ。よし、これは私が保管しておくから

【状況】小学校とき。○○の内容はよく覚えていない。何か、行動が制限されるものだったと思う

【補足】半年ほどしてから、内容を破らなかったということで、誓約書が破棄された。「社会勉強になっただろ?」なんて言ってきたが、こんな脅迫関係を知りたくはなかった。

・「お前は血液型O型から自己中心的」「私たちは全員AB型から、気配りがあって几帳面で~~~~」

・「お前は一人っ子から自己中心的

・「お前は上(姉)も下(妹)もいるか自己中心的

【補足】小学生相手大人レッテル貼りをすると反論できない。

・「またポコポコ言わせる」

【状況】食事の時、ほぼ毎日

【補足】母によると、増田食事の時には「ポコポコ」という音がするらしい。空気の音だとか。どう気をつけてもポコポコ音がするらしい。なお、自分では一切聞こえない。咀嚼ときに口の中から空気を出来る限り追い出しても全く変わらないらしい。母は、毎日ポコポコ言わせる」と言ってくる。しまいには、わざとその「ポコポコ」音を自分再現する。それを毎日毎日毎日繰り返す。ポコポコ音とは一体何なのか、どうすれば消えるのか、それが一切わからないまま、ポコポコ言わせている自分テーブルマナーのない非常識人間だということを自覚させられるため、夕食は苦痛だった。

・「私は出かけるけど、一人で遊んでたら裸にして手足縛ってベランダ放置してやるからな」

【状況】真冬小学生増田が熱を出して学校を休んだとき

・「この疫病神!お前が関わると全部が台無しになる!」


暴力

・クシで股間を何度も突く

【状況】何かで「お前それでも男か!!!」と怒鳴りながら

竹刀で何度も叩く

・家の中で父の前科馬鹿にしていたのに、増田が外でそのことを話したのに対して「家の者の恥を他人に言うな!!!!」と折檻

【補足】増田イジメをした(本当はしていない)のに対して、母には「増田が傘で殴ると脅しつけた」というように改変されていた。その話を母は友人その他に電話で何度も言っていた(部屋が隣なので聞こえた)。その度に、「卑怯だろ?やるなら自分の手でやれよな」などとコメントを付けていたが、上記二つはこの言動と完全に矛盾する

・殴りつけた上で水を入れている途中の浴槽に叩き込で怒鳴りつける

【状況】小学生である増田風呂掃除が甘く、水垢が一部落ちきっていなかったため

【補足】母は専業主婦であるが、風呂掃除子供がローテーションで行っていた。

子供食事が遅いと、その子供の箸と茶碗を掴んで、口の中に無理やり掻き込む。子供は噛めないまま口の中に次々と入ってくるので、反射的に吐きそうな動作をしてしまう。そうすると、また怒鳴る。

【補足】これは増田だけではなく兄弟全員


奇行

毎日馬鹿みたいに酒を飲んでいる父親に腹を立てて、栓を開けたビール缶を逆さに持って廊下を往復する。

【補足】そのまま不貞腐れるので、濡れた廊下を拭くのは子どもたちの役目

夏休み日記をつけていなかった増田を叱る(これは普通)→増田夏休み日記帳に「毎日付けるのが面倒だからって先に書くのかボケ!!」と殴り書きをする

【補足】ちなみに、「先に書いた」のではなく、前年の夏休み日記帳であった。もちろん、自分勘違いに関して謝罪しない。消しゴムでは消えないレベルの強い痕だったが、あれを提出させるつもりだったのだろうか

増田に贈られてきた「実母から誕生日プレゼント」と、母が買った誕生日プレゼントを「どちらか」選ばせる

【補足】この手の踏み絵好きな人である

増田の実母から届いた年賀状を破り捨てる

【補足】増田も扱いが全く分からなかった。年賀状に罪はない(お年玉キャンペーンもあるわけで)。



投稿し直しました。また書き足していきます

2016-12-16

学生権利

労働者権利があるなら学生権利というのもあっていいだろう。

学生権利というのは軽視されすぎている気がする。

例えば大学生権利というのは非常に弱い。自分工学部卒なのでどうしても理系の話になってしまうが容赦してほしい。

実験をすっぽかしたりすると一発で留年実験に1回遅刻しただけで留年場合も。

・必修科目落とすと場合によっては1科目落としただけでも一発で留年確定。再試験が無い場合、ぶっつけ本番のテスト一定の点を取らないと一発で留年する。

・そこそこの病気になると留年学校休んで葬式行くのが許されるのは親など極限られた親族が死んだ時のみ。

選択科目は当然のように再試験がない。

実験拘束時間のぶんだけ単位がもらえない。

研究室ではこき使われる。アホみたいに拘束されて夏休みほとんどもない。

学費が高い。しかちょっと滞納するとすぐ除籍。

留年すると奨学金を打ち切られる。

特に奨学金を打ち切る指定暴力団学生支援機構が悪質だ。奨学金経済的に困窮している学生教育資金を援助(貸与)する仕組みだ。では、経済的に困窮している学生が、なんらかの事情でコロッと留年して、奨学金が打ち切られたらどうなるか?経済的に困窮している学生経済的に困窮しているから、当然大学をやめざるを得ない。経済的に困窮している学生だった無職は、高卒肩書と数百万円の借金を背負ったままどうやって生きていけばいいというのか。留年するやつが悪い、と思うかも知れないが、大学生というのはがんばっていても留年するときは本当にあっさりと留年するものなのだ理系なら学生の4割が留年する学科も珍しくない。

お金の話は置いておくとしても、アホみたいに課題を出してくるのも問題だ。課題が多すぎて土日はほとんど休めないという学生は少なくない。

高校生中学生権利の状況は更に悪いかもしれない。

・朝から晩まで馬車馬のように勉強させられる。課題も山ほど出る。

部活もある。朝早く出て朝練放課後は遅くまで練習部活強制かいう謎の制度を持つ学校も多い。

休日部活がある。

・それだけでなく、休日に授業がある。たまになら別にいかもしれないが、毎週土曜日に必ず補習がある学校地域存在するらしい。

教師主観評価を付けられる。中学校場合評価が悪いとろくなところに進学できない。

服装髪型規定が異常に厳しい。染めるのはもちろん、ちょっと髪が長いだけでアウト。中高生には基本的人権すら認められていないのか。

・なぜかバイト禁止

これでは中学生高校生は死んでしまう。冗談じゃない。日本ブラックなのは企業皇室だけではない。なんと学校までもがブラックなのだ

こんな調子では勉強部活以外のことができないではないかいくらなんでも学校の束縛が強すぎる。あれはするな、これはするなという調子私生活制限しまくった上で学校勉強ばかりさせているか大学生になった途端何していいのかわからなくなったり、「学校人生のすべて」みたいな固定観念ができて、ちょっといじめられたくらいで自殺してしま子供が出て来る。悲しいことだ。

アホみたいに勉強するのが尊いと思っている人は多いが、そんなことはない。学生もっと自由時間があれば、やりたいことや趣味や生きがいが見つかるかもしれないし、将来やりたいことが見えてくるかもしれない。その結果として、将来やりたいことを実現するために勉強するのは確かに尊いしか勉強しか知らないか勉強をするというのはただの思考停止だ。尊くもなんともない。

そもそも学校勉強特に中学高校勉強というのは進学先、就職先によっては本当に糞の役にもたたない。理系に行くなら古文漢文100パーセント無駄だ。教養大事とか言う奴は居るがそんなことはない。教養がなくても幸せに生きている人はいくらでもいる。教養があって良いことといえば少し悦に浸れるということくらいだ。クソつまらないし99パーセント受験以外で役にたたない古文漢文のために、最も頭脳が柔らかくて、最も体力があって、最も感受性が豊かな10代の後半に、死にそうになりながら学校と自宅を往復をすることに意味があるだろうか。しかしそれでも学生たちは古文漢文勉強しなければならない。なぜなら受験必要からだ。

最近でこそマシになってきたが、一昔前は、教師というただの小汚いそのへんのオッサンが、か弱い小学生中学生高校生をぶん殴るという異常事態が全国規模で発生していたし、それが当たり前のこととして受け入れられていたから周りも何も言わなかった。そのくらい学生というのは「勉強して当たり前」「親や教師の言うことを聞いて当然」という考え方に迫害されて生きている。我々はもっと学生権利を考えるべきではないか

2016-12-14

今年はふるさと納税3DS、自腹でvita買ったけど、vitapsplusはいい買い物だったな

3DSは一か月脳とれして秋田が、vita半年くらいずっとやってる

psplusはもっとはやくはいってフリプおさえるだけでもやっとけばよかったなー

ps3も4もヴぃたももってなかったかpsplusなんて意味ないと思ってたけど、月500円でこんだけコンテンツをためとけるなら、ハードなくてもやっときゃよかった

まあ今更だけど

vitaPSアーカイブスvitaソフトDL版にお世話になりっぱだったな

夏休みセールで買ったのをいまでもやってる

DL版の便利さに気づかせてくれたのもvitaだったな

vitaの次の新型出るまで待たずに買って正解だった

やりたいときにやるのが一番だな

ディスガイアみたいなやりこみげーとも相性抜群だし

買いためたDL版のソフトはたくさんあるし、psplusで思いがけないソフトも遊べる可能性もあるし、いつ死んでもいいわ

3DSポケモンゼルダアビスとやってみたいのあるけど、当分手でないだろうなー

据え置きはまったく意識してない自分でも今年は虜FFP5といろいろ出ててやりたいと思わせられた

あー仕事やめてゲームだけやりたいなー

久しぶりにゲームやりたいなんて思えたなー

2016-12-09

21歳大学生、心気症になった話

すごく前の話

大学に入って初めて好きになった人がメンヘラっぽい人が好みと言っていた。

でもリスカしてるほどは嫌いって言ってた。

メンヘラ的要素を一切持っていなかった私は必死メンヘラになる事にした。

とにかく精神的に悪いものをたくさん考えて自分の心を病ませるようにした。

昔の辛い出来事を思い出して夜寝れなくなったりした。

それをTwitterで呟いて見せつけたり日常会話で相談して距離を縮めていた。

私はそれでも物足りなさを感じた。物足りなさというか自分の負の引き出しに限界を感じ始めてきた。

そこで目をつけたのが、「自分が何か死に至る病気にかかってるんじゃないか」って不安になる事だった。

自覚はなかったけど、きっとそのとき、心のどこかで、病気不安って事ならネタが尽きないって心の何処かで思っていたんだと思う。

実際かかってる人がいるのに、それなのに、死に至る病気が不安って騒いで相手してもらおうなんて最低なことをきっと心の何処かで考えていたんだと思う。

騒いだきっかけの9割は、その人に構ってもらうためだった。でも騒ぐうちに本当に自分病気なんじゃないかって思い始めてきた。強い不安と共になんだかんだで自分病気じゃないだろって自信の2つがあった。

実際に、検査をたくさんして病気には何1つひっかからなかった。

でも本格的な検査をして、たくさん緊張した。たくさん病気知識が頭に入ってしまった。

どんどん混乱していった。

最初は構ってもらうために騒いだのに、日が経つごとに本当に病気不安で仕方なくなっていた。

その後、その人に怒られることをして縁は切れた。

でもそのとき発症し始めた、病気不安一年以上経った今も続いてる。

今は構ってもらうために不安になってるんじゃなくて、ただただ不安になってる。

まだ21歳なのに病気が怖くて仕方がない。毎日体を触って確かめてる。ちょっと何処か痛いだけで死ぬ病気に結びつける。

ネットでふと見たけど、これを心気症って言うらしい。私は心気症だと思う。

たからみたら健康なのに騒いでて馬鹿みたいだから、誰も真面目に聞いてくれない。

内科に行っても血液検査で以上なしばかり。腹部エコーを撮って以上なしばかり。でもいつもどこかしら痛い、辛い、今はお腹が痛い。

医者すら信用出来なくなってきて、色んな病院へ行く。そしてたまに精神科に行けと言ってくる医者がいる。精神科に行ったら軽いうつ状態ですねって言われて精神安定剤を渡される。精神安定剤を飲んでも涙が止まらなく不安で仕方ない。

お金けが無くなっていく。

頭では他人から見たら馬鹿みたいなんだろうなって分かってる。

でもそれと同時に毎日自分死ぬ病気なんじゃないかって不安不安で仕方ない面もある。

早く寝なくちゃいけないのに、またネット病気のことを調べてこんな時間になってしまった。大学入る前までは健康診断サボるくらいだったのにね。

最近夢は死ぬ病気記事がずっと流れて行く夢を見る。毎日怖い。

助けてほしいけど、どうやったらこから抜け出せるか分からない。

誰かが酷いことをしてくるとかではなく、自分自身が悪いんだ。調べなきゃいいし少しの痛みなんて気にしなきゃいいんだ。全部頭では分かってるはずなのに心が動かない。

人生夏休みのはずの大学生活がこんな形で辛くなるとは思っても見なかった。

病気が怖くない人達が羨ましくて仕方ない。ここから出してほしい。助けてほしい。終わりが見えない。幸せなはずなのに幸せじゃない。

どこにもこんなにたくさん書けないからここに書いた。

Yahoo!知恵袋を見ると私と同じ心配性が沢山いる。でも回答には不安を煽るか、検査した方が良いですよっていうのばかり。

検査しても、ネットで見た闘病ブログ医者の誤診の記事が頭の中にずっとあって、医者すら信じられない。

どうしたら良いかからない。お金がどんどん無くなって行く。

最近知り合いに言われたこと。

そんなに検査して、もし本当に検査必要ときお金が無くなってたらどうするの?

本当にその通りだ。でも、いつも本当に検査必要って思って検査してるのも事実なんだ。

真っ暗の道をずっと歩いてる気がする。

夜更かしは体に悪いのに寝れなくて結局こんな時間になってしまった。今日も沢山泣いた。昔みたいに寝れるようになりたい。頑張って寝ます、お休みなさい。

2016-12-06

SIer出版社は似ているか

エンジニアから見たSIerがクソな理由 - 負け犬プログラマーの歩み

↑の記事を読んでいて、SIerってそんなにヤバいのかなぁと思い、衝動的に書き連ねている。

旧帝の大学院を出て、出版社就職して1年半が過ぎた。

SIer出版社中心で就活していて、それぞれ1社ずつから内定をもらい、出版社のほうを選んだ。

SIerSE職で内定をもらっていて、出版社では入社以来編集者をしている。

SIerの方(仮にA社とする)は社員数4ケタの元請けSIerで、毎年新卒100人ほど入るらしい。

一方、弊社はA社の数十分の1の社員しかいない専門出版社で、新卒が入らない年すらある。

はてなにいるとSIerの話がよく出るので、就職した後もA社を気にかけることがあるのだが、果たして自分がA社に入っていたら、どんな人生が待っていただろうか。

給料

大手SIerの給与ランキング。平均年収は800万円前後か : IT速報

ここのランキングに載ってるのが正しければ、あまり変わらなさそう。

ちなみに出版社と言えば三大(小集講)の給料バカ高いことで有名だが、弊社含むそれ以外の中小出版社は大したことないことが多い。

(同規模の会社比較すれば高いのだろうけど)

労働時間休日

残業時間はA社のほうが弊社より若干多いだろうか。

出版社は、一般刊行周期が短いほど激務になる傾向がある。週刊誌編集部はそれこそ過労死レベルの激務と聞くが、弊社のような書籍メインのところはそこまででもない。

所定労働時間はA社は7時間半、弊社は7時間なので、時給換算だと弊社のが若干有利かもしれない(出版社は実働7時間のところが多い)。

あと、A社だと夏休み有休で取ることになってるらしいから、有休消化率は高くなったかも。

弊社は有休とは別に夏休み(=ひと夏で消える有休)があるので、本来有休までなかなか消化し切れない。

仕事内容

新人研修めいたものはA社でもあるはずだし、弊社でもあった。

期間はA社のほうが長そう。さすがに2年目の今頃には現場にいるだろうが。

A社だと多少コーディングに携わって、その後は進捗管理クライアント折衝が中心だろうか。

いきなりということは無いだろうが、やがて何十人以上のプロジェクト管理やることになりそう。多数の協力会社はてな用語では下請け)の人と共に……。

出版社現場に入って最初にやったのは、校正校閲(本の誤字脱字・内容チェック)。

そこから先輩の指導で本を1冊担当し、編集プロダクション編プロ)の人と共に本を完成させた。今は、何冊かを同時並行で制作しているところ。

編プロはうちの業界場合ライター編集者が集まった会社で、編プロに書いてもらった原稿自分出版社人間がチェックする。

まとめると、↓に書いてあるのと近いが、編プロが筆者を兼ねている場合がままある。

http://anond.hatelabo.jp/20150212124233

SIerと違うっぽいのは、SIer人月仕事を投げているのに対し、出版社は1ページいくら編プロ原稿料を払っていること。

なので、出版社編集者が、編プロから出てきた原稿に何度ボツを出しても、出版社が払う原稿料は変わらない。

優秀な編プロならボツも少なく、彼らにとっても割がいい仕事となる。

一方、そうでない編プロだと「今回のボツで、先方の時給が最賃以下になったな」と同情することもしばしば。

でもボツ原稿出版するわけにはいかないので、頑張ってもらうしかない。それを応援するのも仕事ひとつ

まりにひどい原稿が出てきて、かつ時間がない場合は、自分らで原稿に手を加えざるを得ない。たまに「自分赤ペン先生かな?」と思う時がある。

裏を返すと、技術力(文章力や専門知識など)は日常的に磨かれるので、フリーライター編集者として独立する元同業者は割と珍しくない。

やりがい

動くカネの量や成果物を使う人の多さは、A社のほうが大きいと思う。実際「大規模プロジェクトを動かすプロマネ志望!」と言いまくって内定をもらった。

自分プログラミング能力は皆無に等しいが、技術力を活かすより多くの人に影響を及ぼせる仕事がしたい気持ちの方が強かったので、A社でもそれなりに楽しめるのかもしれない。

弊社は専門出版社なので、想定読者数がそもそも少なく、動くカネも少ない。ただ、読者にとっては確実にニーズがあって、人様の役に立っているという実感は味わいやすい。

専門の人らのブログとかで、自分らが携わった本を褒めてくれていると素直に嬉しい。

会社の将来性

A社はじめSIerは受注産業なので、仕事していれば食いっぱぐれることはないが、逆に言うと仕事し続けないと儲けられない。

一方、弊社はじめ出版社メーカーの側面があり、成果物著作権は自社にあるので、当たれば労なく稼ぐことができる。

(逆に言うと、どんなに頑張って商品を作っても、売れなければ儲からないということだが)

それなりに続いている専門出版社場合、その道の人が必ず買ってくれる本というのがあって、そういうのが利益を下支えしている。

自分の将来性

A社のほうが業界的に転職が多そうだが、プログラミング能力がないまま転職できるのかという不安がありそう。

弊社はフリーになる道もあり得るが、原稿料商売では弊社にいるより稼げないのは目に見えている。

起業して編プロ社長になれば儲かるかもしれないが、社員をこき使うことによる良心の呵責で死にそう。

元請けSIer出版社プロマネがメインという点では共通しているし、磨けば他社でも通用する汎用的なスキルだと思うが……業界知識の壁があるか。

出版社に入って「自分らが権利を持ってるって強いなぁ」と実感しているので、将来独立するならば、自前のコンテンツでご飯が食べたいと思う次第。

昔、バケツ稲とオクラを育てていたことがある

小学校の頃だ

授業の一環か何かだったと思う

その頃から、やはり何もやる気が起きず

水なんか上げなかった

しかしたら、クラスの真面目で几帳面強迫観念に煽られた同級生が、夏休みにせっせと他の子の分も水を上げていたのかもしれないが

ぼくの育てていたオクラは、クラスで一番大きくなった

それを褒めてくれる人も居るけれど、ぼくにはいまいちピンとこなかった

ぼくは、本当に何もしていなかったんだから

後ろめたい

バケツで育てた稲は、バケツの底の底まで水を求めて、土の殆どを根に変えてしまった

びっしりと絡みつく根を見て、心底気持ち悪いと思った

それを自宅に持ち帰れと言われ、10kgもあるバケツごと、炎天下、夏の盛りに持ち帰った覚えがある

いまのぼくなら、「水を求めて、生き汚くその手を伸ばして地下に潜る植物の浅ましさよ」とでも言うのだろうか


人は、独りにならなきゃいけない時がある

殺す勢いで降り注いでくる日差しに、何もかもを焦がして台無しにしてしまうような熱に

望んでも望んでも癒やしなど与えられず、潤わない、満ちない乾きに

いつまで待っても誰も来ない、昼も夜も夕方も、圧倒的な孤独、声も出せず出す方法もなく、救いなどないのに地下に潜っていく絶望

バケツ稲が、最後にどうなったかは覚えていない

根を見たのだから、きっと収穫をしたのだろうか

死を以って実らせたそれは、誰かの救いになれたのだろうか、稲自身の救いは永遠に断たれたと言うのに

ぼくは、他の植物動物一方的搾取できる人間で良かったと、心底思う

人を食べる、食べることが許された動物殆ど居ないのだから

ぼくも、いつかは誰かに食べられるのだろうか

それとも、もう既に誰かに食べられているのだろうか

きっと、もしかしたらもう齧りかけなのかも知れない

食べられた方が良いだなんて、言ってやらない

2016-11-23

友人との疎遠 

僕にとっては親愛なる「友」と呼べる人が2人いる。

彼らにとって僕は友人なのかどうかは定かではない。

彼らとの出会い中学時代にさかのぼる。かれこれ10年前の話だ。

それからは、3人で同じ高校に進学したものの、大学からは3人ともばらばらになった。

けれども夏休みなんかには、3人で集まって、誰かの家に泊まったり花火なんかもした。

僕は、あの大学1年の夏に友人の家で食べたスイカ花火臭いを忘れることができない。

本当に愛しいと思った。下手したら恋愛感情に変わるんじゃないかってくらい、大好きな友人である

月日は流れ、僕は故郷に帰り就職した。大学4年のころには、彼らと連絡は取らなかったかな?おそらく。

それから僕は今年で社会人2年目が終わろうとしている。

ふと、思い立って友人の名前趣味検索をかけた。我ながら何とも趣味の悪い最低な人間だと思う。

電話メールで連絡を試みたが、返事が全く無かったからだった。

ここで、潔く友と距離を置くべきことを受け入れるほうが良かった。

検索をかけているうち、彼ら2人が共同のホームページを作っていることがわかった。

其々が目標に向かって頑張っている様子が綴られている。それに比べて僕はどうなんだろう。

彼らが頑張っている様子を見て、応援したい気持ちになった。

それと同時に、なぜだか寂しさというか吐き気とうか、出てこない涙がこみ上げた。

きっと、僕は鈍感で、彼らにとって何か嫌なことでもしたのかもしれない。

あるいは、彼らの成長にとって僕は必要ではないとうことなのかもしれない。

これから先、きっと彼らと会うことは、よっぽどのことが無い限り、無いだろう。

仮に、彼らと再会したとき、僕は彼らの友人として対面することができるだろうか?

元気でいてくれれば、それでいい。だけど、何故か寂しくてつらい。

もう、会うことが無いのなら、どうにかして伝えたい。

から今日ここに書こうと思った。

出会えて良かったと思う。本当に。ありがとう

2016-11-18

中高生の君たちに言いたい。自己分析なんかしなくていい、自分気持ち肯定するだけでいい。

中学生っていろいろ拗らせやすいから、

下手に自己分析とかし始めると

自分は何やってもものにならない不必要存在なんだ」

無気力になって、貴重な10代を蔑ろにしてしま可能性もあるよ。

まあ自分のことだけどね。

俺は友達もおらず運動もろくにできなかったか

休み時間に突っ伏しているようなスクールカースト底辺だった。

ルックスは、良くて三浦春馬(14歳の母とか出てて影のあった時代全然顔は似てないよ)で、

大抵は実写版ちびまる子の藤木だとか言われるような陰気な感じ。

もう学校に関連するもの全てを家で思い出したくなかったので

教科書なんて絶対開かなかったし、同級生に会うのが怖くて外出は極力避けた。

から再三「不登校になると社会からドロップアウトする」と言われたからか通学はやめなかった。

でも唯一ポテンシャルを感じられたのは学力で、

進研ゼミ暇つぶしに解くだけで平均点+10点ぐらいは最低でも取れるというレベル

学年順位で言えば240人中30位以内。増田と比べるとちょい下くらいかな?

本気出せばもうちょっといけるはずでそれが強みになると思ってた。

から2年生の2学期からテスト対策だけはそれなりにするようになった。

目標偏差値65以上の学校に進学すること。

それ以上あれば文句なしに頭が良いと言えるはずで、当時の俺にとって絶対的指標だった。

でも公立ばかりの田舎は内申点が重要なんだよね。

提出物を全くといっていいほど出さなかった俺の評価はズタボロだ。

若さ故にそんなもの気合で打ち砕いてみせると思っていた俺も

三者面談を重ねる中で偏差値60以上の学校はまず無理だという現実を突きつけられた。

3年生の夏休み明けにはもう俺は全く勉強しなくなった。

自分の決めたあの偏差値ラインは、俺が頭が良いという長所を有するための最低条件だったのだ。

それをクリア出来ない以上、唯一の長所を手に入れることは叶わない。

その時はそうとしか思えなかった。

なんの取り柄もないゴミである為、誰からもまともに相手にされずぞんざいに扱われるのが相応な人間なのだ

そんな人間努力したところで何もなさないことぐらいは俺でもわかる。

そんな風に考えていた。

自分なりに分析してアイデンティティを探求した結果

俺は自分がなんの取り柄もないゴミであることが確定してしまったと思い込んだのだ。

勉強もろくにせずに挑んだ受験でちょうど偏差値60の高校合格した。俺は嬉しいはずもなく、周囲のねぎらいは嫌味にすら感じられた。

高校受験自分を開花させることができなかった俺は、自分に降りかかる不快体験は全て自分のせいなのだとし、終始無気力情緒不安定鬱屈した高校生活を過ごした。

高校地元からそう離れていないので同じ中学からの進学者は二桁以上になる。

彼らが中学時代の俺について有る事無い事広めてくれたことおかげで、中学時代に塾や部活動に関わることが少なく他校生との交流がなかった俺は瞬く間に孤立した。

幸い部活や学外で友人はできたが、終始教室内では嘲りの対象で、「こいつがいるとその場が陰気臭くなる」「こいつさえいなければいいクラスなのに」と後ろ指をさされながら十代後半の3年間を過ごした。

ゴミだなんだと卑屈になった俺はやはり勉強に身が入らず、先生の助力のおかげで留年もなく、なんとか大学への進学を決めて卒業した。

今思えば入学時にそこまで卑屈にならなければいけない所以などなかった。馬鹿にされるところはあったにせよ、こんな俺にも魅力となるところもあったろう。

そんな自分を愛する心を、おぼつかない中学生の思慮で排斥してしまったのだ。

俺が中学生に何か言えるとすれば、下手に自分分析なんかするなと言いたい。

自分が思っている以上に社会には様々な価値観世界があって、君たちが見て来たものだけで自分規定してしまうのは勿体無いと。

君たちの間でまかり通っていることが必ずしも正しいわけでないとも言いたい。

今の俺は正直いって自己分析なんて馬鹿馬鹿しいとすら思うよ。

分析ということは他人にわかるよう簡潔にまとめあげるということだ。

自分のことは自分しかからないし肯定もできないのにそんなことしていいのか?

分析なんかしなくていい、ただ自分気持ち自分否定することがないよう努めればいい。

中学生ができることは、今じゃなくでもいいから、自分気持ちに素直に行動できるように、卑屈にならないように、前に向かって進んでいくだけなんだ。

そして大人10代の初々しい感性を傷つけないよう、挫けそうなときに優しく彼らの気持ちを受け止めてあげなければいけないのではないだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20161116142444

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