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はてなキーワード: 研究授業とは

2019-05-17

川崎市立川小学校退職強要された結果退職に追い込まれた件

私は、管理職先生方に公の場で意見を具申してた。あまり長時間労働無意味会議、過剰に負担になっている研修、等々・・・。そんなものに常々苦言を呈してた。何度も何度も。「これでは先生方の健康を害しますよ」と。それが管理職にとっては邪魔以外のなにものでもなかったのだろう。

その日は、5時間目に唐突大矢教頭教室に来た。「これから教育委員会に行くから、6時間目は自習にして」え、6時間目あるんだよ、自習にさせる用事ってなんなのかな。

「吉新校長と私も行くから

それから教務の先生に任せて、バタバタ学校を出た。

ここから地獄の始まりだった・・・。

吉新校長大矢教頭と私の3人で学校から教育委員会に向かう間の会話はぎこちない。ふたりとも「なんで呼ばれるんだろうねえ」なんて話している。

教育委員会会議室に着いた。

だれもいない。

吉新校長が下階に人を呼びに行く。

担当者が4人も出てきた。

3人は以前も話した人たちだ。

ここから、彼らの尋問が始まった。

あなた素行が悪いと聞いているがどうなんだね」

「いや、それはどういう意味ですか」

「しらばっくれるな!他の教員との連携はやっているのかね」

「やれる範囲でやっていますが・・・」

「それがやれない理由か!」

「いや・・・時間がなくて」

教員時間なんていっていられる仕事じゃないんじゃないかな」

「ですが、体力的に無理でした」

「よく言うな」

わたしにだめなところがあるなら直します、教えてください」

学校現場で今のまま職務をつづけてもらうのは難しい。退職真剣に考えてほしいのだが」

「残って今の仕事を続けたいです」

 (このやりとりが数時間続いた)

「この話し合いをやめていただけませんか」

「ただの話し合いだ。拒否するなら職務専念義務放棄したととらえるがいいかな」

「辞めろと言われることが普通の話し合いなんですか」

「もう残れないよ」

可能性はあると思っていました。話し合いの場だとばかり思っていましたから」

「とにかく、今の学校で今のまま教壇に立ってもらうことは難しいだろう」

「・・・」

「繰り返しになるけど、川崎学校はいられないよ」

学校にもういられないということですか?」

「そういうこと。自分から辞めた方がいいよ。」

「ではどうしたらいられるんですか?」

「答える必要はない。これ以上粘ると、分限免職になるよ」

「それは辞めろということじゃないですか」

こんな問答が続き、最後退職願が置かれた。

「君みたいな人は教員をやる資格はないよ。子どもたちもかわいそうだ」

担当の男は吐き捨てるように言った。

こうなってくると、こちらも正常な判断ができない。狭い部屋で、むこうは管理職も合わせて6人だ。

つい、震える手でサインをしてしまった。

3月某日、その場で退職

明日から学校に近寄らないように言われた。

しかに吉新校長はいろいろ意見を言っていた。何度も何度も訴えてきた。学校の勤務時間がめちゃくちゃなのでなんとなしてほしい。対外的研究授業をやるくらいなら、負担を減らしてほしい。わたしは家庭の事情残業があまりできない等々・・・。

吉新校長大矢教頭とうまくいっていなかったのは事実

けれども、こういう対応で終わりというのは、理解できない。

しかに言ってきたけれど、学級崩壊を起こしたわけでも、保護者から信頼回復不能クレームを受けたわけでもない。信用失墜行為にあたるような不法行為をおこしたわけでもない・・・。

それに明日から子どもたちはどうするのだろう。通知表も書きかけだし。

せめて、3月末までは働きたかったけれど、そんなことは許される空気ではなかった。

それ以前、吉新校長はいさいこの件に関して、面談もなにもなかった・・・。

わたしの言い分が気に食わなければ、事前に話し合いの場を設けてくれればよかったのに。

「これから時代は話し合って解決していくことが大切です。議論できる子どもを育てます」っていつも子どもたちや教師たちに言っていたあなた議論しようともしないで、こんな場を用意して・・・。

あなたの言ってた「ハンドサインで誰もが意見を表明」「フリートーク自由闊達意見を」「児童相互指名で思いやり」ってなんだったの?

その日のうちに段ボール荷物をつめて学校をあとにした。

事務の方からはあとから退職手続き書類を送るから、と言われた。

子どもたちにお別れのあいさつができなかったことも心残りだけれど、せめてなんであと2週間も待ってくれなかったんだろう。

よくわからないまま川崎市を離れることになった。

いろいろあったけど、子どもたちとは楽しいことばかりが思い出される。

ありがとうクラスのみんな。

ありがとうございます保護者地域のみなさん。

ありがとうございます、お世話になった先生方。

2018-03-25

小学校担任業務を圧迫する要因ベスト

首都圏 担任5年目 男

まじでどうにかしてくれよ

教育仕事は素晴らしいが、今の公教育は劣悪な労働環境にあるので、春休みの今ここで愚痴る。

我々に必要なのは就業時間内で授業準備をする時間だ。

まり子供が下校してから5時くらいまでの間のおよそ2時間である

ここで翌日の準備をして帰宅できるのが理想である

時間的拘束がキツイものを上位にしてみたが、精神負担感となるとまた別である

とりあえず上位のものが解消されれば負担減になると個人的に思う。

1位.部活動

部活は控えめに言ってとにかく最低最悪で、今すぐどうにかするべきである

朝1時間夕方時間、時々土日、部活に関する事務処理、これだけ時間を奪って担任仕事をパーフェクトにやれというのは馬鹿げている。

基本的部活を受け持つのは若手で、ベテラン教員は知らぬ顔で優雅パソコンを打つ。

若手のほうが授業準備に時間がかかるだろ・・・どう考えてもフェアじゃない。

コーチを雇って担任部活から解放するべき。

2位.会議

週に2~3回、職員会議から学年の集まりなど、実にいろいろな単位での会議がある。

人が多い会議ほど無駄時間を過ごしやすい。

学校でこの先行うことを一つ一つ確認しながら決めて、疑問があれば誰かが発言してみんなで考えながら(だれか一人は寝てる)

決めていくスタイルだ。避難訓練の経路をめぐって多くの時間を使ったりもする。

つの会議スムーズに終わることは少ない。

この会議の積み重ねが、ボディブローのようにじわじわと我々の時間を奪い去る。

ものすごい無駄

3位.研究授業

これは最高の茶番だ。そして、どの教員もこれは茶番だと心の底だと分かっていても抗うことができないところが最高である

研究授業が何かわからない方が多いと思うが、要するに

「こういう現状があるからこういう授業を展開してけば子供能力は伸びるんじゃね」ということを超真面目にやっていくことである

指導案を何回か書いて、たくさんの先生に見てもらって終わりである。だいたい年間に一人一授業行う。

この研究授業で得をするのは誰もいない。理由

学習指導案自体問題がある。

 学習指導案を完成させることは、学習指導案を完成させる力が付くだけであって、子どもに対する理解教育技術が進むわけではない。

研究授業は豪華ディナーなようなものなので、事前準備が大変すぎて基本的普段の授業に応用は不可能

 授業に応用できなければ意味がない

もっとフランクにできれば良いと思うが、組織が固すぎて無理だ。

4位.保護者対応

この仕事は実に保護者に気を遣う。怪我すれば電話、いじわるが発生すれば電話である

我々が癒やすのは子供なのか、大人なのか?

長電話スタイル保護者となれば最悪である

学校電話回線なんて2つくらいしか無いことをまず念頭に置いておけ。

もちろん大部分の保護者はまともだが、1学級30人在籍とすると、父母の数は単純計算で60人いるわけで

そのうちおかしい親が1人紛れている可能性は十分にある。

大人教育はしたくない

5.行事

小学校は間髪入れず何かしらの行事が待ち構えている。

大きなやつでも入学式運動会音楽会・6年生送る会・卒業式くらいはあるだろう。

その他、自分でもこの一年間のことを全て思い出せないくら大中小いろいろなイベントがある。

子どもはそのイベントに乗っかるだけだ。

ただ我々教員は、始めから終わりまでの流れをぬかりパーフェクトに考える。

子どもの動きなどを事前に計画しておかないと、収集がつかなくなるからだ。

でも私は行事は嫌いじゃない。

ただ、数が多すぎる。

6位.事務

子どものための仕事ではなくて、仕事のための仕事が多い。特に報告関係が多い

相手が求める当たり障りのない文章をサクッと書くことが肝である

書く側も読む側も、誰も得しないので削減するべき


その他

子ども対応

我々の本分なのでこれは良い。ただ保護者学校に協力してほしい

丸投げママは最低だ。

・丸付け・ノートチェック

工夫すると子供を家に帰す前に終わらせることもできる。

圧迫感はあるが、これこそ担任仕事なのでやるっきゃない

・学級だより

親の教育をするわけではないので基本的には出さな

暇なベテランや、熱血マンは毎週発行したりしている

2017-01-20

教師お仕事

教師をしている友人と飲む機会があったので、教師お仕事関係を聞いてみた。

死なない程度に手を抜いてくださいと伝えたのが精一杯だった。

2013-05-20

教育実習が辛い

コミュ障には辛い

生徒が話しかけてきてくれても話が続かない

  

腋臭には辛い

生徒は思春期から匂いに気を使わないと

ていうか自分でも自分がくさいとわかる

生徒の近くに行くと鼻声になる

デオナチュレとAg+の重ねがけをしてるのに臭い

  

あがり症には辛い

教壇に立つだけで緊張する

声が小さくなってしま

言おうとしたことを忘れてしま

  

言葉遣いが汚い人には辛い

つい生徒にタメ口とかフランク言葉で話してしま

「マジかww」とか使っちゃう

です、ます敬語先生相手に使えない

  

遠イケ近ブサには辛い

朝礼で挨拶をすると遠くにいるのでイケメンイケメン言われるけど

先生ー」って言いながら近づいてくると「あっ(察し)」って顔になる

中学、高校、大学女友達に「○○は遠くから見るとイケメンなんだよね遠くから見るとね」と言われ続ける

  

礼儀を知らない人には辛い

「お先に失礼します」←他の先生より早く帰るとき使わないといけないなんて知らなかった

「○○してよろしいでしょうか」←意味がわからない

電話にて「・・・」←電話でなんて言えばいいかからない

  

人見知りには辛い

同じ教育実習生との距離の測り方がわからない

しかけられても面白い返しが出来ない

  

立場をわきまえない人には辛い

調子に乗って「あの先生○○だわー」とか

他の教育実習生は敬語も身なりもピシッっとしてるのに俺だけ学生気分

  

  

  

  

  

あー死にたくなってきた

授業疲れるし、わかりにくいって言われるし

教材研究大変だし、研究授業かいろいろな先生がくるとか地獄だし

何より生徒と上手くコミュニケーション取れないのが痛い

打ち解けられないから授業も発問とかうまく繋げられないし

  

お前教師にむいてないだって

あーそうなんだよ

でも学校の教師になりたいんだよ

  

  

教育実習の失敗談、成功談なんでもいいか

他人の教育実習がどんな感じなのか知りたい

2009-02-15

そいつは教育じゃない。勉強だ。

歴史理科国語は小中学校で教える必要がない

http://anond.hatelabo.jp/20090215141559

これを読んで、何だかなあ…と思ったけど、同時に多くの人が誤解していそうな部分だとも思ったので。

ツッコミどころだらけだけど、片っ端からやってると多分訳が分からなくなるので、

今回は「学習過程の無駄」について話をしぼるよ!

学校は「知識を教えている」(だけという)わけじゃない。

さて、元のエントリにはこんな「良くありそうな誤解」が出てくる。

総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。

こういうクレームあるよね~。

「算数の公式なんてつかわねえよ!」とか「理科の知識なんて役に立たない!」とかも実はこれと同じだ。

だけど、例えば理科で石の勉強とかするのも、実は石の種類の名前覚えるのが重要なんじゃないんだ。

いや、「理科の知識」の習得も重要だよ?でも、そこにはもう一つ、隠された使命がある。

学習指導要領を元に見てみよう。

小学校学習指導要領平成10年12月告示、15年12月一部改正)-第2章:各教科-第4節:理科文部科学省

http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122601/005.htm

…文字多い?読みたくない?

全くだね。そこで、まずは「目標」の部分だけ見てくれるかな。例えば、岩石についてやる6年生ならこんな感じだ。

(1) 生物の体のつくりと働き及び生物環境とを関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,生命を尊重する態度を育てるとともに,生物の体の働き及び生物環境とのかかわりについての見方や考え方を養う。

(2) 水溶液,物の燃焼,電磁石の変化や働きをその要因と関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究したりものづくりをしたりする活動を通して,物の性質や働きについての見方や考え方を養う。

(3) 土地のつくりと変化の様子を自然災害などと関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,土地のつくりと変化のきまりについての見方や考え方を養う。

さあ、キーワードは何だろう?

そうだね、「見いだした問題を多面的に追究する活動」「見方や考え方を養う」辺りがキーになりそうだ。

実は小学校理科で求められていることは主に3つある。

自然の事物・現象について感じる」「問題解決能力を獲得する」「科学的な見方や考え方ができる」

知識はその一部でしかない。むしろ岩石を観察して、そのデータを元に系統別に分類したり、

その過程で生じた疑問に対し、調査したり理論的に考えられる事が重要だ。

一輪車だって同じだ。

体力というのは大雑把に「筋力」「持久力」「調整力」に分けられる。

このうち「調整力」という言葉は耳慣れないと思うけど、これは「出力調整の能力」つまり「体を上手に使う能力」だ。

調整力はさらに平衡性(バランス感覚)、柔軟性(体の柔らかさ)、敏捷性(運動速度変更の正確さ、すばやさ)、巧緻性(動作の巧みさ)

に分けられる。

もう分かったよね。一輪車や竹馬は、なにも子ども大道芸人に仕立てるために練習していたんじゃない。

じつは平衡性強化訓練だったわけだ。

もっと言うと「総合的な学習時間」でやっているからには、

体育とは別の、もっと複数の教科横断的な目的があってやっているはずだけど、そこまでは分からないや。

研究授業とかの一環だった可能性なんかがあるかな。

あ、意外と知られてないけど、学校って研究機関的な側面もあったりするんだぜ?

教える+育てる=教育

勉強として知識を詰め込むだけが目的なら、学校での教育はとんでもなく無駄だらけだ。

だけど「勉強」は学校に課せられたミッションの一部でしかない。

「集団での共同生活の基本」だとか「心身や情緒の育成」だとか、まあそういうことも考えてるのよ。と。

だから、「数字を覚える歴史」じゃなくて、もっと教え方考えなきゃな。

まあ、教養としてのそういう知識も、それはそれで重要だけどな…。頭いてえな。

2008-02-26

もんじゃ焼き屋と彼女写真

昔,行きつけの店を出禁になったことがある。近所のもんじゃ焼き屋。帰りしな,店を一人で切り盛りしてたおばちゃんに,「悪いけどもう来ないでくれる?」と言われた。必死に平静を装って「え・・・なんで?」と聞いた僕に,彼女は「んー・・・なんか好かん」と答えた。

出禁になったのは高校の頃。その店には中学時代よく行っていて,高校に入ってからはあまり行ってなかったが,ある日なんとなく行ってみたら中学時代の友人が何人か常連になっていて,それから通うようになった。

ただ,実は僕は招かざる客だったような気はする。昔よく行っていたということでおばちゃんには「こうちゃん」などと呼ばれ,受け入れられているという思いがあったが,常連連中からはそれほど受け入れられてなかったと思う。彼らは当時の僕からしたら少しヤンキーっぽかったし,常連同士の絆のようなものがあった。僕はそれに憧れて,無理矢理参加しようとしていた。そういう僕の下心を彼らは見抜いていただろう。しかし表面上は受け入れてくれていた。

常連の1人に,Hという女の子がいた。中学時代,Hとは同じクラスだったことがあった。Hは,クラスで少し浮いていた。意識の高い子だった。それが裏目に出たんだろう。あるとき,研究授業やらで,道徳の授業で討論会をやることになった。彼女は議長に立候補し,僕は副議長になった。彼女気合は相当なもので,何度か居残って討論会の練習をしたように思う。

今思えば残念なことだが,そういう一所懸命な様子を,否定的に捉える風潮があのクラスにはあった。彼女のやる気は空回りしていた。討論会はそれなりに進んだが,終わったあと彼女は泣いた。クラス全員の前で。みんなちゃんとやってくれないと彼女は泣いた。それで周りが反省するかと言うと,むしろ白けていた。正直言って,当時の僕も少し白けた。そういう時代だった。そういう学校だったのかもしれないが。

もんじゃ焼き屋で彼女と再会したとき,少し驚いた。可愛くなっていた。女子高生になると変わるんだなと思った。

彼女は,僕と好んで話をしてくれていたように思う。もんじゃ焼き屋でも愛想が良かったし,学校からの帰りに電車で一緒になったときとかも,笑顔で話しかけてくれた。あるとき,高校の友人と一緒に電車で帰っていたとき,彼女が話しかけてきたときは,鼻が高かった。もてない僕らみたいな人種にとって,女子高生が話しかけてくるというのは相当なものだった。高校の友人はもう少し先の駅だったので,僕と彼女が先に降りた。これほどの優越感はない。

彼女どんな話をしていたのかは全く覚えていないが,それなりに楽しく話していたように思う。彼女常連の中でも居場所を築いているように見えたので,彼女と仲良くできているというのは,僕にとって有利なことだった。関係性のアイデンティティというやつだ。僕は「Hがやつを気に入っているらしい」という居場所を獲得しているような気がしていた。

それがどん写真だったかよく覚えてない。とにかく,ある日いつものようにもんじゃ焼き屋に行った僕に,彼女写真を見せてくれた。どこかに行った記念の写真だったと思う。10年ぐらい前の話で,写真というのは今よりも貴重なものだった。携帯写メとかと違って,ちゃんと金を出さないと写真というものを手にすることができない時代だった。だから,僕はわくわくしながら写真を見た。

彼女恋愛の話になったことがある。彼女は,常連の中に好きな人がいるという。そういう話が大好きな年頃だ。誰だろうと言いながら,それらしい人物の名を挙げると,彼女は「違うー」と言った。これは,一通り挙げれば分かるかもしれないと思い,次々と常連の名を出していくが,彼女は違うと言い続けた。もう誰も思いつかなかった。僕自身しか。しかし僕のわけがなかった。当時の僕は不細工で,自信がなくて,女の子と喋るのに汗をかくような気持ちの悪い男だった。少なくとも当時の僕は僕のことが嫌いだった。だから,そのとき,僕は僕の名前を彼女に聞かなかった。

彼女の写った写真は輝いていて,僕はその写真をじっくり眺めたくなった。家に持ち帰って何度か見たかった。それで,悪いことだという意識は少しあったが,かばんに入れて持ち帰ってしまった。家で見る彼女写真はやはり素敵だった。

次の日,店に行くと,写真がなくなったという話をしていた。そのとき初めて,やっちゃったという気持ちがわいてきた。そこで自分が持ち帰ったと白状する勇気はなかった。おばちゃんに「こうちゃん,知らない?」と聞かれ,僕は「知らない」と答えた。完璧演技のはずだった。しかしその日の帰りしな,おばちゃんから,出禁を言い渡された。

それ以来おばちゃんにも,Hにも会っていない。店の前は何度か通ったし,入ってみようかと思うこともあったが,勇気がわかなかった。笑顔で入ってみて,「何しに来たの」ともし言われたら,返す言葉が思い当たらなかった。Hはもしかしたら当時の僕を好きでいてくれたのだろうか。それとも僕が思い当たらなかった誰か他の人のことが好きだったのだろうか。今ではそれは分からない。おばちゃんは当時常連母親存在だったから,Hの恋愛相談も受けていただろう。そのおばちゃんが僕を出禁にした以上,Hの好きな相手は僕ではなかったのだろうとも思う。

そのときの写真はもうない。多分,出禁になったあとに,泣きながら捨てたような気がする。情けない時代だった。気持ち悪い僕がいた。しかし,なぜかあの頃のことを思い出すと,その映像は,妙に綺麗だ。

 
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