2016-12-06

昔、バケツ稲とオクラを育てていたことがある

小学校の頃だ

授業の一環か何かだったと思う

その頃から、やはり何もやる気が起きず

水なんか上げなかった

しかしたら、クラスの真面目で几帳面強迫観念に煽られた同級生が、夏休みにせっせと他の子の分も水を上げていたのかもしれないが

ぼくの育てていたオクラは、クラスで一番大きくなった

それを褒めてくれる人も居るけれど、ぼくにはいまいちピンとこなかった

ぼくは、本当に何もしていなかったんだから

後ろめたい

バケツで育てた稲は、バケツの底の底まで水を求めて、土の殆どを根に変えてしまった

びっしりと絡みつく根を見て、心底気持ち悪いと思った

それを自宅に持ち帰れと言われ、10kgもあるバケツごと、炎天下、夏の盛りに持ち帰った覚えがある

いまのぼくなら、「水を求めて、生き汚くその手を伸ばして地下に潜る植物の浅ましさよ」とでも言うのだろうか


人は、独りにならなきゃいけない時がある

殺す勢いで降り注いでくる日差しに、何もかもを焦がして台無しにしてしまうような熱に

望んでも望んでも癒やしなど与えられず、潤わない、満ちない乾きに

いつまで待っても誰も来ない、昼も夜も夕方も、圧倒的な孤独、声も出せず出す方法もなく、救いなどないのに地下に潜っていく絶望

バケツ稲が、最後にどうなったかは覚えていない

根を見たのだから、きっと収穫をしたのだろうか

死を以って実らせたそれは、誰かの救いになれたのだろうか、稲自身の救いは永遠に断たれたと言うのに

ぼくは、他の植物動物一方的搾取できる人間で良かったと、心底思う

人を食べる、食べることが許された動物殆ど居ないのだから

ぼくも、いつかは誰かに食べられるのだろうか

それとも、もう既に誰かに食べられているのだろうか

きっと、もしかしたらもう齧りかけなのかも知れない

食べられた方が良いだなんて、言ってやらない

  • インディオスのあるむらでは、 「おまえなんか死んでも誰も食べてくれないよ!」 というのが、 最大の侮蔑の言葉なのだそうだ。 たしかに、惨めだろうな。

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