小学校の頃だ
授業の一環か何かだったと思う
その頃から、やはり何もやる気が起きず
水なんか上げなかった
もしかしたら、クラスの真面目で几帳面で強迫観念に煽られた同級生が、夏休みにせっせと他の子の分も水を上げていたのかもしれないが
それを褒めてくれる人も居るけれど、ぼくにはいまいちピンとこなかった
ぼくは、本当に何もしていなかったんだから
後ろめたい
バケツで育てた稲は、バケツの底の底まで水を求めて、土の殆どを根に変えてしまった
それを自宅に持ち帰れと言われ、10kgもあるバケツごと、炎天下、夏の盛りに持ち帰った覚えがある
いまのぼくなら、「水を求めて、生き汚くその手を伸ばして地下に潜る植物の浅ましさよ」とでも言うのだろうか
人は、独りにならなきゃいけない時がある
殺す勢いで降り注いでくる日差しに、何もかもを焦がして台無しにしてしまうような熱に
望んでも望んでも癒やしなど与えられず、潤わない、満ちない乾きに
いつまで待っても誰も来ない、昼も夜も夕方も、圧倒的な孤独、声も出せず出す方法もなく、救いなどないのに地下に潜っていく絶望を
根を見たのだから、きっと収穫をしたのだろうか
死を以って実らせたそれは、誰かの救いになれたのだろうか、稲自身の救いは永遠に断たれたと言うのに
ぼくは、他の植物や動物を一方的に搾取できる人間で良かったと、心底思う
ぼくも、いつかは誰かに食べられるのだろうか
それとも、もう既に誰かに食べられているのだろうか
きっと、もしかしたらもう齧りかけなのかも知れない
食べられた方が良いだなんて、言ってやらない
インディオスのあるむらでは、 「おまえなんか死んでも誰も食べてくれないよ!」 というのが、 最大の侮蔑の言葉なのだそうだ。 たしかに、惨めだろうな。