僕にとっては親愛なる「友」と呼べる人が2人いる。
彼らにとって僕は友人なのかどうかは定かではない。
彼らとの出会いは中学時代にさかのぼる。かれこれ10年前の話だ。
それからは、3人で同じ高校に進学したものの、大学からは3人ともばらばらになった。
けれども夏休みなんかには、3人で集まって、誰かの家に泊まったり花火なんかもした。
僕は、あの大学1年の夏に友人の家で食べたスイカと花火の臭いを忘れることができない。
本当に愛しいと思った。下手したら恋愛感情に変わるんじゃないかってくらい、大好きな友人である。
月日は流れ、僕は故郷に帰り就職した。大学4年のころには、彼らと連絡は取らなかったかな?おそらく。
ふと、思い立って友人の名前と趣味で検索をかけた。我ながら何とも趣味の悪い最低な人間だと思う。
電話やメールで連絡を試みたが、返事が全く無かったからだった。
ここで、潔く友と距離を置くべきことを受け入れるほうが良かった。
検索をかけているうち、彼ら2人が共同のホームページを作っていることがわかった。
其々が目標に向かって頑張っている様子が綴られている。それに比べて僕はどうなんだろう。
それと同時に、なぜだか寂しさというか吐き気とうか、出てこない涙がこみ上げた。
きっと、僕は鈍感で、彼らにとって何か嫌なことでもしたのかもしれない。
あるいは、彼らの成長にとって僕は必要ではないとうことなのかもしれない。
これから先、きっと彼らと会うことは、よっぽどのことが無い限り、無いだろう。
仮に、彼らと再会したとき、僕は彼らの友人として対面することができるだろうか?
元気でいてくれれば、それでいい。だけど、何故か寂しくてつらい。
もう、会うことが無いのなら、どうにかして伝えたい。
友人の性別がわからないように書いてあるのがイヤらしい。 一人でも女のいる組合わせなら、なるべくして疎遠なったと言わざるを得ない。 女々しい男のジェラシー。
村上春樹の1Q84を思い出した。