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はてなキーワード: 夏休みとは

2016-11-18

久保帯人探偵ナイトスクープへの依頼を強く薦める理由

話題ツイートにリプ欄を覗くとナイトスクープへの熱い信頼(ほぼ関西人だと思われる)が寄せられていた。

ネタ不謹慎番組普段見ない人はそう思うのかもしれない。

しかしあの番組を見て育った関西人として、「本気で薦めている」ことがよくわかる。

そこで探偵!ナイトスクープの信頼と実績一覧(本年度分)をご覧いただこう。

尚、番組アーカイブを使わせていただいた。

先月結婚式福岡に。独身親族にいじられ、べろべろになるまで飲み、居酒屋で見知らぬ人たちに励まされた。

気付くとホテルの自室で、肩にホークスユニフォームがかけられていた。

→結果:返却成功

メキシカンバー開店の日、シェフが「ゴミ箱を買いに行く」と言って失踪

あれから10年。探し出してもらえないか

→再会。10年前の当日、急に体調が悪くなった。その後難病指定の病が発覚し戻ることもできず。4回目の結婚をしていることも発覚。

広島県男性(56)から。私には50年来「実のお兄さん」のように慕い続けてきた方がいる。50年前に放送されていた「なかよしリズム」という子供番組の「初代・歌のお兄さん」の中山克己さん。

発見。74歳と56歳おじさんたちの初々しい対面。

20年前の夏、大型トラックの僕のトラックの後ろにベッタリとつく大型トラックがいた。気持ち悪いので無視していると、横に並走してクラクションの嵐。恐る恐る見ると、運転手さんが身振り手振りで僕に何かを伝えていた。それは僕のトラックの後輪タイヤパンクしているという内容だった。そして一緒にパーキングに入り、真夏炎天下の中、タイヤ交換を手伝ってくれた。そのまま走っていたら大事故に繋がっていたかと思うと本当に命の恩人。お礼がしたくても、自販機すらないパーキングだったため財布から5千円を取り出して「これで飯でも食ってください」と渡したが、「そんなものが欲しくて手伝ったんじゃねえ」とブチ切れ出した。押し問答の末、最後運転手さんが折れてくれ「次に会ったら一緒に飯を食おう。その時はご馳走になるから」と言ってくれた。そして「次はお前が困っている運転手を助けるんだぞ。それがトラック野郎からな」

→再会

東京都女性(29)からアメリカボストン出身留学生代理で依頼をする。彼は10年前におばあちゃんから譲り受けた、沖縄の人が書いたであろう日記帳を、持ち主の家族に返したいと願っている。それは1928年・昭和3年の日記で、300ページ以上にもわたってぎっしり文字で埋め尽くされている。達筆すぎて内容はよくわからないが、持ち主であろう方の名前沖縄の住所が書かれていた。なぜ、アメリカの彼の家に保管されていたのか、はっきりした理由はわからない。彼の推察では今は亡きおじいちゃんが、第2次世界大戦の時に沖縄に行ったことがあるので、その時に持ち帰ったのではないか、ということだ。彼は日本語が少ししか話せないが、日記帳を返せるように協力してもらえないか、というもの

子供たちを発見子ども12人いた。子供は存命で、日記の持ち主は70歳で亡くなっていた。「日記をつけろ」と子どもたちにも伝えていたそうです。

33年前。中3の夏休みに友人たちと3人で大阪から自転車琵琶湖一周の旅をした。雨風が強くなったので、田んぼの中にポツンと現れたバス停横の小屋避難した。そこで雨風がおさまるまで寝ることにしたが、目が覚めると激しい暴風雨。民家を見つけたが、何軒も断られて諦めかけた時にようやく受け入れてくれるご夫婦出会った。寒さに震える僕たちを風呂に入れてくれただけでなく、豪勢な晩ご飯とふかふかの布団まで用意してくれた。本当に涙が出るほどうれしく、子どもながらに人の温かさに心が震えた。大阪に帰ったらきちんとお礼しようと、住所が書かれた表札の写真を撮ったがその写真を失くしてしまった。

→結果夫婦と再会。思い出話に花を咲かせる。

2016-11-16

7限目の現代文授業中に考えている進路のこと

11月ももう中頃になってしまったが、なにかと不安定芸術系の進学を希望してきて頑張ってきたけど、なかなか自信が持てない。し、ここ1ヶ月作品の案が全くもって思いつかなくなった。なんで美術なんか始めたのだろうかと考えてる。わたしが、勉強運動も得意じゃなくて、唯一残されたのが美術だっただけなんだけど。美術は好きで、人間しかできないことだ(と思ってる)から美術をやっていることに誇りを持っている。まあ、それにしてもやりたい理由、やる理由わたしがやる理由は分からなくなった。英語系の高校なので、周りがみんな就職を見据えて進学する中浮いているからかもしれないけど、最近お金のことも考えるようになった。食べていけるのか、というよりは生きれるのかな、って感じで。

制作が進まなくなったのは何でだろう。

心当たりにあるのは、遊ばなくなったからかな。と思った。

ずっと、フットワークが軽いのは長所だと思ってて、休みの日は電車で出かけた。夏休みまでは美大予備校の夏期講習に通いながら廃墟に行ったり、駅名で気になる駅に降りて、適当に歩いたりした。その出かける趣味の中でも、廃墟散策17年間生きてきて中で最も自分らしい趣味だった。そのワクワクというものは、写真、絵、映画を作っているかなり近い感覚。遊び、楽しい事が自分制作に繋がっていたんだなーと、何も出来なくなった今感じられた。

今は英語に力を注いでいる。きっかけは、写真仕事で、日本に住んでる外国人と会うことが多くなったから。実際に英語が伝わるのは嬉しい!いずれは自分作品世界的に見てもらい、日本だけでない人に意見をもらいたいと思ってる。でも、見せるものがなれけばどうしょうもない。本当に自分美術がやりたいのかもわからない。でも美術をやめたらなにやるの?という気持ち写真仕事を続ければいいのか。ああ、それもやだなあ。どうしようなー

そろそろ7限目の現代文が終わる。センターまではあと2ヶ月ないあたりまで来てる。

2016-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20161114092833

かつてスタジオジブリは、いまのピクサーのように、毎年夏休み家族で見られる良質なアニメーション映画提供するスタジオだった。

そして、ジブリにおいて宮崎駿という個人存在が内外どちらにとってもとてつもなく大きかった。

この二つが理由で、大衆業界にとって「ジブリ=宮崎駿」ということになってしまっている。

本当は「毎年夏休みに良質なアニメーション映画提供する」役割として「ポストジブリ」となりうる才能集団を求めるべきところを、「ポスト宮崎駿」なる才能ある個人を探すことに躍起になっている。

日本人の苦行主義根性論、あれなんなの

よく言われることかもしれないけどさ、

日本人の苦行主義根性論、あれなんなの。

先日、ある就活関連のイベントに参加したんだけどさ。

そこで、就活生が特技は寝ないことです!とか得意気に言ってて、女性社員がそれ大事!とか言ってたんだよね。

それ聞いた時点でこいつらダメだと思った。

スキルや成果を評価するなら分かるけどさ、ただ体に苦痛を与えること自体に何の価値があるの?

会社って修行寺なの?

それ大事!とか褒めてた社員、もし妊娠出産育児でこれまで通り働けなくなった時、はじき出されるのはお前なんだぜ?

自分自分の首を絞めてるんだよ。

朝30分前には出社すべきとか言ってるそこのお前、精神論は分かるけどさ、お前がそう言うことでお前自身も朝早くから眠い目をこすって出社しなきゃいけなくなるんだぜ。

みんなでそういう空気を作ってる。馬鹿らしいと思わないのかな。

でさ、苦行積んでさ、金貰えるならまだ分かるぜ。例えば外資系投資銀行とか激務だけど給料異次元レベルだしさ。

けど日本企業なんて出世競争激しいし、給料だってクッソ安いじゃんww そんなとこのために忠誠誓って苦行積むのwww うっはwwww

それで誰が得をするか。上の経営層だよ。電通ニュースを見てても分かるけど、残業代出ないのに匍匐前進でゲート潜ったり、せっかく22時消灯まで漕ぎ着けたのに仕事が回らないーとか嘆く社員がいる中、経営層は人件費を不当にカットしてますます富んでゆく。なぜ上にはヘコヘコして、本来なら団結して戦うべき仲間に向かって根性論押し付けようとするのか。電通の痛ましい過労死も、そうして起こってしまった。

老害ガー、バブル世代ガーとか言うけど、若い世代にも責任あるよ。

実際それ大事!とか朝30分前には出社すべき、とか言ってた社員、若手だぞ。

一人一人が今すぐそういう思考を止める、根性論他人押し付けない。そういう心構え一つ変えるだけで、みんなが気持ちよく働ける世の中になるのにな。

大体学校教育も悪いわ。(特定避けるため大学名は言わないけど)俺東大京大レベル卒なんだけどさ。大学受験の時とかみんな必死になって長時間机に向かってるの。

よく1日◯時間は机に向かおう、みたいなこと先生に言われたりするよね。

その時点でダメなんだよ。まず目標があって、それを達成するために今日勉強すべきことを決めて、やるべきことが終わるかどうかが評価されるべきなんだよ。

ちゃんと終わるなら10分の勉強でもいいし、終わらなきゃ10時間勉強してでも終わらせる。それが正しい姿なはず。

けど特に受験の時なんか、みんないかに長時間机に向かったか目標になっててさ。俺は適度に遊んでて、夏休み家族旅行もしたけど、周りによくそんな余裕があるねと言われたわ。けど現に俺受かったし、俺よりはるかに長時間勉強しても落ちるやつもいた。

けど結局得をするのは、長時間勉強したそいつより受かった俺の方なんだよ。

今となっては結果よりも勉強した時間いかに苦行を積んだかが評価される学校教育社畜思考に繋がってるんだなと実感する。

まあ背景はどうあれ、その手の精神論が何の個人的幸福にも繋がらないことは歴史証明している。戦前軍国主義、「欲しがりません勝つまでは」の言葉象徴されるような根性論、そして今の社畜精神。今も昔も、そう言った精神論根性論、苦行主義によって何か良いことがあっただろうか。

愚者経験に学び、賢者歴史に学ぶとか言うけど、そろそろ気づいたらどうかな。

だって幸せに働きたい。

2016-11-09

降りられない。電通過労死を見て思うことがあったので。

電通過労死を見て思うことがあったので。

・370時間/月。17日連勤。土日は自主的に出社。

・出先で21時まで残業23から自社で翌日朝5時まで仕事、出先で9時出社して自分のやった仕事受け取る。

・自社の部署自分以外いなかったから、自分作業するしかない。上司もいないか相談も何もない。相談時間も惜しい。

これが24歳のときでした。それから7年間うつ病です。

珍しくも無い仕事のやり方だと思います

東大電通には及びませんが、早稲田からいわゆるクリエイティヴ(笑)メディア仕事就活がんばって入りました。

給料新卒で400万円だったので、多いと思って、激務でもクリエイティブだしやりがいのあるものだと思っていました。

残業つけるのは、半人前のくせに申し訳ないという気持ちでした。

部署空気もそんなかんじで、給料もらうのが申し訳ないと思っていました。

ぼろぼろになってることが、成長の証だと思って、満足感があるんです。

業務時間と体力のすべてを打ち込んでいることがカッコイイと思っていました。

でも、体はついていきませんでした。ダメでした。

自殺2、心筋梗塞1、脳溢血で死亡1、脳溢血で半身麻痺リタイア1、失明1、難聴精神疾患で辞めていく人間はたくさんいました。

みんな落伍者だと思っていました。

能力相応のルートじゃないから、体を壊すのだと思っていました。ただの落伍者です。

落伍者いるから、エリートの気分でいられました。

うつ病で2日だけ休んで病院に行き、そのままずるずる会社に6年いました。

周りにそんな精神病の出戻り人間たくさんいるんで、やってこられました。なんだかんだで大企業で、日本的会社ですよね。

給料は当然下がりました。残業してないから。

残業できない人間は、戦力外です。

見捨てられています

前は、自分は見捨てる側でした。

この人生から降りてしまうことは、できないんです。

早慶出て、就活してまで頑張ってきたことはなんだったのか、自分人生全否定して下流になることなんです。

落伍者になる決断できません。

追い落とされるまで続けてしまいました。

その後転職してもっと給料減って、35で250万円契約社員なんですが、これまで元電通という人にはたくさん会いました。

意外でもなんでもなく、業界下請けには、精神病んで電通なり博報堂なりリクルート辞めた人間がたくさんいました。

想像を絶するバカ共が同僚です。バカ日本地図も覚えてないし、割り算もできません。小学生のようないじめ蔓延しています

みんな落伍者です。私と同じように。

ただ生きているだけでいい、というところに価値を置かないと、生きていけません。

今、生きる支えはありません。うつ病結婚もできないまま34になりました。この10年が嘘のようです。

目が覚めたら夏休みだったというAAを見ると涙がこぼれます

早稲田卒なんで、仕事サクセスしてる友達仕事そこそこで家庭を持った友達NPO趣味で楽しそうな友達Mixiで見て、いいねボタンを押すだけです。サークル学部10同窓会には行きませんでした。

降りるとと落伍者としての人生が続くだけです。いつ死んでも同じだと思っています

2016-11-08

労働時間について

友達が勤めてるだれもが知ってるSIerグループ会社

・定時は17時半だが残業代を減らすために18:00まで休憩がある(もちろん誰も休憩してない)

・18:00~18:59の間に帰宅すると残業がつかない。そのせいで残業が多い人は18:50ぐらいにタイムカードを押す。

・22:00~22:30も休憩(もちろん仕事している)

夏休み廃止されたが夏休み間中に必ず5日有給を取得しなければならない(消化率アップをお国に報告するため)

プロジェクト燃える残業時間が100以上突破する。(最高180Hを聞いたことがあるらしい)

有給をとって仕事に来ることを自慢している人がいる。

タイムカードがない職場では労働時間自己申告のためやりたい放題。(もちろん過少申告)

・時々上司の怒鳴り声が聞こえる

・でも仕事は定時後に頼まれ

・こんなんでも一番ましな部署らしい・・(もっとひどい部署があるとのうわさ)

上司長時間労働に耐えれる人か、口が強い人しかいない

そもそも休憩時間のおかげで18:50に帰宅すると毎日1H20分サビ残ですよ

ちょっとググったら法律には違反してないみたいだけど・・

誰もが聞いたことがある企業でこのレベルなのに下請けに行くともっとひどいのかな・・

ある下請け土曜日隔週で研修らしいし(残業代研修内容による)

ワークライフバランス(笑)

40歳大学准教授

40歳になったのを記念に、「不惑からはほど遠いが、自分語りする。

幼稚園前後から自分記憶ははじまっている。

自分のことがよく分かっていなかった。

自分のことをバカだと思っていた。

あとから聞かされたのだが、幼稚園にはじめて行った時、まったくしゃべらなくなったらしかった。

毎晩UFOがうちに来ていると思い込んでいた。

自分が男なのか女なのか分からなくなっていた。

恥ずかしさというものが何なのか分からなくなり、なぜかパンツをずり下ろして登下校していた。

しょっちゅう小便をもらしていた。

身体の動かしかたが分からなかったため、ぎくしゃくとロボットのように身体を動かしていた。

自分のことをロボットだと思い込んでいた。

幼稚園から小学校の低学年まで、泣いて帰らない日はなかった。

特殊学級があるのを知り、そこに自分がいないのはなぜかといぶかしんだ。

いつも親は、泣いている自分明日はいいことがあると言い聞かせていた。

あくる日になったらなったで明日はいいことがあると繰り返す親の言動に、混乱はさらに加速した。

やはり自分バカなのだと思った。

自分のことを指さして笑う同級生教師を見て、確信は深まるばかりだった。

人形遊びにはまり、何時間でも独り言をつぶやいているのを見た親から人形をとりあげられ、泣き叫んだことがあった。

小学校3年生の時、親友が一人できた。

転校生だった。

家族以外の誰かと、はじめて意志疎通できたような気がした。

性格が明るくなった。

中学生になり、強制的に体育系の部活に入部させられた。

同じ目標を共有できるスポーツが、さら性格を明るくした。

高校生になるともう一人の親友ができた。

また性格が明るくなった。

やはり転校生だった。

もし親友に恵まれなかったら、自分人生はまったく違っていたと断言できる。

いっちょまえに、幼稚園小学生と恋はしていた。

やさしい女の子が好きだった。

自分を受け入れてくれるかもしれない可能性を思うことが、すなわち恋だった。

高校3年生になった時に女の子がどうでもよくなった。

そのかわり勉強に恋した。

度を過ぎて打ちこめば、やっていることがなんであれ、それを勉強と言ってしまえると思った。

だとすれば勉強することが、あるがままの自分でいることにつながる道だと思いこんでいた。

寝ている時と食事している時、風呂に入っている時以外のすべての時間勉強に費やした。

母はついに気が狂ったと思ったらしかった。

成績が偏差値40台から70台まであがった。

それなりの大学合格して、田舎から上京した。

大学生になって間もなく、猛烈に女の人を好きになった。

間もなく、男二人女一人のよくある三角関係にはまりこんだ。

自分が好きになったそのひとは、友人のひとりと出会ってすぐに付きあっていた。

今でも理由が分からないのだが、なぜか二人から付きあっていることを隠されていた。

そうとは知らずに告白しつづけ、ふられつづけた。

大学3年生の時、友人にふられたそのひとが自殺未遂を起こした。

血で染まった畳を清掃したあと、睡眠薬で眠りこんでいる女性の様子を見に隣室に入った。

枕元に置かれた手帳が目に入り、いけないと思いつつも手帳を開いた。

手帳に友人の写真が収められていた。

ようやく、最初からめがなかったことを悟った。

その年の夏休み、どうしようもなくなって東京九州間を自転車縦走した。

当時大阪にいた親友のひとりに電話し、大阪で合流して3週間かけて九州実家に帰った。1500キロの道のりだった。

もうひとりの親友は、大工として上京していたが、たてつづけに失踪した母親と兄を追いかけるように行方知れずになっていた。

余談だが、この親友とはそれから10年してようやく再会した。

そうこうするうち、大学留年していた。

勉強することの意味が分からなくなっていた。

なんとか大学卒業してそこそこの会社入社企画仕事にたずさわった。

特許をいくつか取るほどにはがんばった。

が、結局丸3年勤めたところで退職した。

仕事意味が分からなくなっていた。

働くことの意味も分からないのに5年、10年先が見通せる会社生活がうとましくなった。

会社退職後、大学院に入りなおして修士課程博士過程と6年間を大学院生として過ごした。

結局また勉強に頼った。

大学院で恩師に出会い、人生が変わった。

家財を売り払ったお金学費にあてていたが、実家が困窮してこちから仕送りする必要が生じ、苦学せざるを得なくなった。

それで大学時代からフリー仕事をした。

この間に、嫁さんになる人があらわれた。

自分人生でこのようなことが起こりえたことを思うと今でも驚かされる。

博士号を取得する前後からいくつかの大学非常勤講師を勤めた。

博士号取得後、1年をへだてて結婚した。

結婚した翌年に母が死んだ。

明日はいいことがあるといいつづけてくれた母だった。

通夜の日に、大学採用面接があった。

誰になんと言われようが面接を受けようと思った。

面接から帰った夜、こっそり棺桶の隣で寝た。

母の前では子供になれるのだと自覚した。

翌年、専任講師として採用され、ようやく生活が安定した。

大学院に入学してから10年が経過していた。

それから3年で、准教授になった。

自分大学教員にふさわしいかどうか考えると、向いていないと思えることのほうが多い。

からこそすくなくとも教室の中だけでも、学生に対してだけでも、真人間として振るまいたいと思う。

自分にはそれくらいしかできないし、きっとそれで充分だ。

2016-11-04

本当に集団ストーカーされている

統合失調症!?の男性リンチするニコニコユーザー

http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2016/08/31/113000

自分も同じような目にあっている。

統合失調症で引きこもっていると近所の人たちが騒ぎ出す。

田舎なのですぐに噂が広まる。

中学生高校生面白がって家の前に定期的に来る。

田舎精神病院は限られているし、誰がいつどこへ行ったというのも知られる。

ましてや近所からマークされているといつ病院へ行くかも知られる。

病院へ行くと診察を装って後をつけてくるものがいる。

どこでかはわからないが病院への行き帰りで写真を取られて、見た目やら何やら噂される。

幻聴区別がつかなくなる。

どうも家を直した時に盗聴器を仕掛けられた気がする。

噂されている事自体家族も聞いているので間違いない。

自分にはさらには部屋にいるとか、寝ているとか、ネットで何を聞いていた見ていたなど、噂の内容が聞こえている。

幻聴と違ってその時の自分がしていることや見ていることが反映された声ではない。

あとになってから、こんなことがあった、あいつは部屋でこんなことをしていたなどという噂が聞こえてくるのだ。

自分にはそれは幻聴ではないと思える。

また薬を飲んでも消えない。

自分にとっては本当のことなので消えないのは当たり前なのだが。

しかし、壁に盗聴器を仕掛けられたなど、家族には信じられるわけがないので、どうにもならない。

話したことは話したが当然、病気が悪くなったと判断された。

当然、病院でも同じだ。

今はネットで盗聴器を安く簡単に買えるし、LINEなどで写真情報を共有できる。

四六時中、家を見張るような暇な人はいないというのもあるが、完全に切れ間なく人がいるということはないし、入れ代わり立ち代わりいろんな人が来ているので嫌がらせ目的では十分ありうる頻度だと思う。

LINEなどで人を集うこともできる。

写真取って共有して、こんなやつがいると書き込んでやれば面白がる人間が集まってくる。

最初はショックだったが、最近では慣れてきて言い返している。

これが幻聴であれば部屋の外までは聞こえないし、仮想人間なので誰も傷つくことはないはずだ。

幻聴だと言い返すとかえって聞こえる頻度が増え、はっきりと聞こえるようになったりするようだが、自分場合、言い返していたら少し落ち着いてきた。

イメージする引きこもりと違っていたこともあるし、長くやっていて根負けしたのだろう。

イメージする通りなら嫌がらせで追い詰めて自殺するようなことになっても良いのだろうか?と思うし、実際、そう言い返してやった。

引きこもり犯罪ではないが、盗聴は犯罪だとも言ってやった。

毎日毎日のぞき見して盗聴という犯罪行為をしてよく人の顔していられるな、など思いつく限り罵ってやった。

言い返されて意外だったようだが、気分が悪いのであちこちに吹聴して回っているようだ。

一時のピークは去ったが夏休み冬休みになるとひどくなる。

これも幻聴と違うところだ。

こちらの都合ではなく、あちらの都合で幻聴がひどくなることはないから。

このまま。数年はこの状況が続くのだろう。

これまでにも多くの障害者とりわけ精神障害者が同じような目にあっていたのだろうと思う。

嫌がらせに耐え切れずに暴力に訴えて捕まった人もいるだろうし、実際にあったのに全て妄想のせいにされて無罪という名の強制入院を余儀なくされた人もいるだろう。

周囲の人の罪は包み隠される。

どうにもならないなこの国は。

昔、幼女連続誘拐殺人事件宮崎勤コミケにたくさんいるというようなことをいったレポーターがいたという都市伝説があるが、相模原植松聖のような予備軍の方が全国に遥かに多く存在しているんじゃないだろうか?

どうしてこんなひどいことができるのかと理解に苦しむ。

この状況が本当であることを他人に信じてもらうために証拠を残そうなどとすると結局、冒頭の記事の男と同じような状況になってしまう。

どうしたものかな。

二ヶ月を軽視しすぎ

まだ今年二ヶ月あるのにすでに2016年は終わったみたいに大騒ぎしてる人ってなんなんだよ。10月終わりぐらいからいるけどそういうの。

二ヶ月って結構時間だぞ。7月のはじめにも夏休みも終わりだと叫ぶのだろうか。

2016-11-03

きっと東京就職たかった

高校舞台で、何故か俺は夏休みの2ヶ月+1ヶ月間を東京で過ごしていて、それなのに急にまた地元高校に帰ってきて、無断で1ヶ月消えていた俺と高校の連中は普通に接してくれるのに、俺は3ヶ月前も馴染めてなかっただろ、って返したら、やっぱり東京がいいんだ、って言われて、18歳になっても馴染むこともでにないのかよ、ぼっち、とも言われるんだけど、俺は内心でまあ高校3年間を2回繰り返す以上に実年齢年上なんだけどな、って夢であることを自覚しているかのような態度だった。

2016-10-28

残酷さを描ききらなかったTVアニメ響け!ユーフォニアム2』#4

エロゲー批評空間https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/)には“なりそこね”というタグがある。名作になりそこねたという意味だが、それに倣うなら神回になりそこねた4話だった、ということになろうか。

映像演出は本当に素晴らしかった。みぞれの頬に落ちる優子の涙、みぞれを暗がりから光の射す場所へとすくい上げる優子、希美の「きゅーん、としてさあ」に撃ち抜かれるみぞれなど判りやすい箇所は言うに及ばず、心情を映し出す表情や、そんな顔をあえて映さず手元の動きで表現するカットなど、画面からにじみ出る感情の豊穣さに圧倒されっぱなしの30分だった。

が、それでもなお神回には届かなかったという結論は変わらず、そしてそれは原作横溢していた残酷さが意図的オミットされていたからに他ならない。

以下、原作ネタバレを含んで感想を書きつける。

 

残酷コンクール

一期からアニメを見てきた視聴者には明白だが『ユーフォ』は残酷さを多分に含んだ物語だ。努力してきたのにパート演奏を外れるよう指示された久美子に、後から入ってきた一年最後コンクールソロパートを奪われる香織。特に香織は、かつての“楽しい思い出づくり”という部の方針によって実力上位にも関わらず上級生へとAメンバーを譲ってきた過去があり、最後コンクールには期するところがあった。しかし新顧問の滝と決めた“全国大会出場”という目標に従って新入生の高坂麗奈ソロパートを吹くこととなった。

どんなに努力をしても席には限りがある。それに自分が座れるとは限らない。『ユーフォ』はそういう物語だ。

そして原作2巻、アニメユーフォ2』では「コンクールってなんだろう」ということを通してソレを照射する。

2巻のメインキャストのひとりである鎧塚みぞれコンクール否定的な考えを持っていた。

「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」

「でも、そういうのなんとなくしかたないかな、って……思っちゃってます

しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」

すみません……」

「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」

はたまた吉川優子は「納得いかないことが多いのは確かなんじゃない。でも、結果がよかったら納得できる。今のあたしたちみたいにね」と前置きして言う。

「みんな夏休みを潰して練習してる。けどコンクールは優劣をつける。(中略)努力が足りなかった、劣ってたってことにされちゃう。超理不尽でしょ。(中略)ただ、去年みたいにみんなでのんびり楽しく演奏しましょう、っていう空気がいいかというとそんなことはなかった」

そして高坂麗奈はこう言う。

「よく音楽は金銀銅とかそんな簡単評価できないって言うひとがいるけど、あれを言ってもいいのは勝者だけだと思う。下手なひとが言っても負け惜しみしかないと思うし。だからけっきょく上手くなるしかないと思ってる。それに、たくさんのひとに聴いてもらえる機会ってそんなにないから。……わたしは好き」

三者三様ではあるが、ここで浮き彫りになるのはコンクール演者の積み上げてきた努力感情に対し残酷に優劣をつける場ということだ。それに傷つく者もいれば、上手くなるしかないと思う者もいる。どちらが正しいとかではなく向き合い方の違いだが、いずれにせよ久美子たちが立ち向かっているコンクールはそういう残酷さを孕んでいる。

 

もっと残酷友情の不均衡

ユーフォ』における残酷さの表現はそれだけにとどまらない。むしろ#4に関してはこっちが本論にあたる。それが鎧塚みぞれと、過去部員大量退部事件の際に吹部を辞めた傘木希美軋轢だ。

軋轢といってもみぞれ一方的感情をこじらせているだけで、希美はそれに気づいておらず今も仲の良い友人だと疑っていない。しかしここではそれに気づかれてさえいないというところがみぞれ絶望をより深くする。

オーボエ奏者である鎧塚みぞれ内向的性格で友人がほとんどいない。そんな自分に声をかけ、吹部へ誘ってくれ、日々を楽しいモノに変えてくれたかけがえのない友人が傘木希美だ。だが希美中学ときに吹部の部長をやるだけあって友人が多く、みぞれはその中のひとりにすぎない。だから上級生と揉めて吹部をやめるときみぞれ相談はおろか報告もしなかった。希美が辞めたことを、みぞれ上級生に訊ねて初めて知った。みぞれ希美の中における自分存在の小ささに酷く傷ついたのだ。しかし、そのことはどこまでも希美に伝わらない。原作から引用する。

もしかして、それでハブられたとか思わせちゃった? ちゃうねんで、そういうんと全然みぞれのこと嫌いとか、そんなんじゃまったくないから! ごめんな、勘違いさせちゃって」

(中略)

 べつに、大丈夫。そう、みぞれが小さく首を横に振った。

勘違いなんて、してない」

この断絶!

みぞれ自分の中の希美と、希美の中のみぞれの大きさの違いに傷ついている。その差の大きさに泣きそうになっている。しかしそんなみぞれ感情は、これっぽっちも伝わらない。

「ほんまに? わたしやばいことやってへん?」

「うん。大丈夫

 みぞれはそう言って、わずかにその目をすがめた。よかったー、と希美がはにかむような笑みをこぼす。その光景に、久美子は静かに目を伏せた。きっとこれから先、みぞれの抱える想いを希美が知ることはないのだろう。そう考えると、舌の裏側がざらりとした。

そばでそれを見守っている久美子には、ふたりの温度差が見えている。が、この歪みはアニメ版からオミットされてしまっていた。

理由はいくつか考えられるし、興味もあるが、ここでそれは論じない。この残酷なシーンには何の意味があるのかということについて考えたい。

 

残酷さの果てに報われるということ

ところで原作を読めばこの場でもっと残酷なのはみぞれだ、というところにだいたい落ち着くと思う。

アニメでもがっつり描かれたが、暗闇でひとり膝を抱えるみぞれを光の射す場所にすくい上げたのは他でもない優子だ(ちなみにみぞれ希美、優子、夏紀は同じ南中出身で、前者の3人は吹部だった。最後の府大会まさかの銀賞を取ってしまい、高校では絶対に金賞を取ろうと約束している(いちおうアニメ版でも僅かに入る回想でそれが判るようにはなっている))。

優子はみぞれに友人として強い好意を持っていた。しかし「だって、私には希美しかいないから」と言われてしまう。「そしたら何! みぞれにとってあたしは何なの!」と優子は怒るわけだが、原作は一歩進んでえげつない

「きちんと話してみ」

「え、でも、」

大丈夫、うちがついててあげるから

 優子は力強く断言すると、ずいとみぞれ希美のほうに差し出した。みぞれがうろたえたように視線をあちらこちらに巡らせる。彼女の細い指が、落ち着きなさそうに優子のセーラー服の裾をつかんでいる。希美はそれに視線を落とし、一瞬だけ切なげに目を細めた。

(中略)

 みぞれの瞳が小さく揺らめく。その唇が、安堵したような息を漏らした。優子の制服から、伸ばされていた手が離される。

みぞれ希美との話し合いの最中、優子にすがっていた。しか希美との和解成るや優子から手を離すのだ。アニメ版あすかが穿ったことを言うのはこのことを指している。

さらみぞれは「もしよかったら、練習付き合ってくれる? 私のソロ、聞いてほしい」と希美に言う。希美から言い出すアニメ版とは逆なのだ

手を伸ばさな希美に、気を良くしたみぞれ自分から手を伸ばす。

この時、自身をすくい上げてくれた優子の手を、みぞれがもう片方の手で握るなんてことはない。優子はどこまでも置いてけぼりにされる。

「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」

しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」

「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」

かつてコンクールが持つ残酷性を批判希美が持つ無邪気な残酷さに涙したみぞれは、希美との形ばかりの和解に舞い上がり、かつて自分が受けた傷を優子につけるのだ。

香織の一番にもなれず、みぞれの一番にもなれない優子。彼女がこんどは残酷さの犠牲となるのか。いや、違う。

「でもさ、みぞれにはあんたが居てよかったと思うよ」

夏紀のひとことが優子を救う。

https://i.gyazo.com/7f157970e8ac9305555ba6c672244440.png

希美に向けてみぞれが満面の笑みを見せたとき、その後ろで優子はどんな表情を浮かべていたのだろう。

おそらく。

おそらく夏紀はそれを見ていたはずだ。優子の胸のうちに想いを馳せたはずだ。だから優子の行動をちゃんと報いたのだ。

残酷さの果てには哀しみだけが待っているんじゃない。心でつながっている友人が、あるいは神様がちゃんと見ていてくれて報いてくれることだってあるはずだ。残酷さの先にあるのは希望なのかもしれないのだ。

原作が描ききった残酷さの向こう側。それを零してしまったTVアニメ響け!ユーフォニアム2』#4。

できれば攻めきってほしかった、そう思った。

 

ユーフォ感想一覧

2016-10-26

友達不倫をしている

もやもやするのが嫌になってきた。

先日同じ大学友達4人でバイト後に飲みに行った。

全員大学4年生で就活も終わり学生生活最後の時期をそれぞれ謳歌している。

女が4人も集まって話すことなんて大体バイト人間関係の話か恋バナしかない。

4人のうちの1人(Aちゃん)はだいぶお酒が弱くて二杯目あたりからだいぶぶっちゃけた話をし出した。

話によるとAちゃんは習い事出会った社会人(多分27.28歳くらい?)の人と現在不倫関係にあるらしい。

Aちゃんは今年の初めくらいに2年付き合った彼氏と別れてからずっとフリーだった。

夏休みにその不倫相手出会い、2人でご飯に行くようになって関係を持ってしまったようだ。

しかも奥さんは現在妊娠であるにも関わらず、Aちゃんと週一くらいで会っている。

私は不倫が大嫌いだし、まさかおもしろくて明るいAちゃんがそんなことになっているなんて想像もしなかった。

本当に本当にAちゃんが大好きだし、これから就職して社会人になる可能性に溢れた今、

そんな自分幸せにしてくれるかもわからない人は絶対やめた方がいい。

すぐにCOするのは無理でも少し冷静になって距離を取ってった方がいい、と私は説得した。

でも他の2人の友人たちは私とは違って、好きになったらしょうがないよね。

会えるだけでも幸せなんだもんね、と擁護した。

Aちゃんは幸せそうに、そうなんだよね〜!もうこの人以上の人なんて絶対にいない!とニコニコしだした。

結局女子会で求められるのは常識とか正論じゃなくて、共感なんだなぁって悲しくなった。

不倫相手はAちゃんに奥さんの話とか家庭の話は一切しないらしい。

そんな人がわざわざ奥さんとわかれてAちゃんと結婚してくれるのだろうか。

どんなにおもしろくてAちゃんをその場では楽しませてくれる人でも、奥さんがいながら大学生と遊んでるような人が

本当にAちゃんを幸せにしてくれるのだろうか。

Aちゃんのことは大好きな友達だったけど、もう今はそういう風に見られなくなってしまった。

きっと私がAちゃんを思って何を行っても彼女には届かない。

そもそもAちゃんの決めたことなんだから私がとやかくいう資格はない。

でもこのままAちゃんが残りの人生で1番若くて楽しい時期に

時間お金若さ搾取されていくのを見るのは辛い。

2016-10-21

夏休みの宿題を前半に終わらせる奴は不器用

夏休みギリギリになって慌ててやって、でも結局終わらなくて先生に叱られて、それでもやっぱり全部やらないまま全部なかったことにするのが一番世渡りが上手だというか、DNAレベル人生最適化入ってるような気がした。

2016-10-13

[] #1-1「石の水切り」

簡単」なんてものほどアテにならない言葉はない。

もちろん、そんなことを言う人間もだ。

例えば石の水切り。

川原とかで石を投げて跳ねさせる、なんてことはない遊びだ。

けれども夏休みの一幕において、精神的優位に立つ程度には大事でもある。

弟のマスダも、今年の夏はこの通過儀礼が待ち受けていた。

よく一緒にいる仲間たちと、近々キャンプに行くらしい。

指南を俺が断れないよう、ゴールデンアイ007でオッドジョブ防弾チョッキを譲るという涙ぐましい接待をしてきた。

プロフィール欄の特技や苦手の項目どちらにも、石の水切りなんて書いていない程度の俺に頼んでくるほど、弟は切羽詰っていたのだ。

仲間の中で最も上手いとまではいかなくとも、下手くそだと思われないレベルにはなりたいというのが要望だった。

意外にも身の程をわきまえた依頼に感心した俺は、サクマ式ドロップスに入ったハッカ味だけを食べる役を、弟が引き受けることを条件に了承した。

結果として弟は安定して2桁いけるようになり、俺は石の水切りを教えるのが上手い兄として認知されるようになった。

俺のプロフィール欄の特技にも、直に「石の水切りを教える」と書かれることだろう。

後にキャンプでの話を聞くと、川原がなかったので石の水切りはやらなかったらしい。

(#1-おわり)

2016-10-08

企業向けセキュリティ研修ビデオを小中高生徒の親に見せた結果

夏休み自治会の催しか何かで、スマートフォンセキュリティリテラシーに関する映像を上映していたらしい

そこで素材として選ばれたのがIPAのセキュリティ啓発映像だと知って嫌な予感はしていた

その結果現在起きているのが以下

その他いろいろな問題が噴出しまくりで学校から保護者に「子供に何の相談もなく無理矢理スマホを取り上げるのはやめましょう」と通達が来る始末

どうしたものかね

一家心中をはかる父親と夜通しの会話

スポットライトという映画をみた。

見終えたあと思ったのが、ずいしょさんが言っていた「複雑な世界」のお話だった。

宗教が生まれて数千年も続いていることから考えるに、人間が生きて行く上で不可分な領域なのだと思う。

からといって、作中のような行為が許されるわけではないけど、短絡的に宗教廃止していいわけもない。

どこかで折り合いをつける必要はあるけど、単純に0か100かにはできないんだなあ。


とかなんとか綺麗事を書こうと思ってたんだけど、

途中で眠くなって寝たら、とびきりの悪夢を見てしまった。

小学生の頃に義理の母にオチンチンを触られたことを振り返る夢だった。

夢だけど、本当にあったことなので、ただただ思い出がフラッシュバックしただけなんだけど、

ただただ気持ち悪くなってきた……

こう、昔の記憶が蘇ると連鎖的に色々思い出してくる。

ただ、この連鎖の終わりは、結局いつものアレになる。

いい感じに眠れないし、匿名日記だし少しだけ書いてみよう。

僕が小学四年生の頃。(小学五年生ときに両親が離婚して、その原因になった事件がこれだから、という推測)

まだ生物学上の父親母親と弟の四人で暮らしているときの話だ。

未だに事の始まり因果を知らないけど、どうやら父親商売がうまくいっていなかったらしい。

はいえ、2016年の今でも商売が続いているので、この話の後なにかしらの巻き返しがあったのだと思う。

はっきりいって興味がないので、誰かに尋ねた事はない。

(断片的な会話で、父親母親(僕から見たら祖母)が土地を売って何とかした、的なことを聞いた記憶があるので、そのおかげかもしれない)

いまいまの話はともかく、当時はうまくいっていなかったらしく、父親はとにかく荒れてた。


それが遂に爆発した。

何月のことかの記憶はないんだけど、

休み祖母宅でも父親は荒れていたこと、

正月休み祖母宅でこの事件母親父親を見切り離婚の話をしたこと、

から推測するに、夏休み冬休みの間の出来事だったと思う。

おお、つまりしかすると、ちょうど今頃の出来事なのかも、なんか気持ち悪いなあ。


で、なにがあったかだけど、

夜中に父親が酒を飲んで暴れ出して、

家族全員を車に押し込んで「もういい全員で死ぬ」と言い出したのだ。

一家心中というやつだ。

弟はまだ4歳で、よくわかってないし(誕生日付近から5歳かも、ってか僕と弟は誕生日が三日違いなのだけど、もし上の推測があっていてこのぐらいの時期だとしたら、兄弟誕生日付近にあった出来事可能性があるのか……)

母親暴力を振るわれたせいでもう茫然自失だった。

というか、この二人はこの車に押し込まれた後、特に登場シーンはない。


なぜか、僕が助手席に乗せられ、弟と母親は後部座席に、

そして父親運転飲酒運転だが今はそこをつっこまれても困る)を始めた。

父親は、その当時気に入っていた「山師が使うナイフ」(何を言ってるのかわからないが、今でもよくわからない、なぜか山師が使うナイフ収集していたのだ)を取り出し

「お前たちをこれで殺してから、俺は崖に向かって車で飛ぶ」的なことを言い出した。


そこからは、ただひたすらに、父親を説得するために喋り続けた。

会話が止まると本当に殺されるのだと思って、ずーーーーーーっと喋り続けた。

どれぐらいずーーーっとかというと、途中休憩所によりながら、

住んで居た三重県から、なんと四国に車で渡るまでの間、ずーーーっと喋り続けた。

いやおまえ、心中しようとしてるときに、なに悠長に休憩所よってるんだよって感じだけど、

その休憩所の間も含めて、朝になって四国に渡るまで、とにかく喋り続けた。

ちなみに、なぜ四国に行ったか理由は覚えてない。

とにかく何かしらの会話を続けるのに精一杯だった記憶しか今はなくて、

きっと何かしらの流れで四国に行くことになったのだろう。

具体的に何を話したかは、これまで書いた「出来事」とは違い、

父親との「会話」のため、あまり記憶に残っていない。

よく体験談とか過去の思い出話で「会話」を鮮明に覚えている人がいるけど、あれはすごい能力だと思う。

なんていうか、僕にとって会話は瞬発力がいるうえに、相手の考えとか理屈も加味しないといけないから、脳内再現ができないんだよね。

その、自分が喋ったことはまだ思い出せるけど、相手が何を喋ったかは、絶望的に思い出せない。

ただ「相手が何を喋って、自分が「どう思ったか?』」は思い出せる。

から、耳で聞いた音声ファイル再生はできないけど、僕の脳みそ解釈した相手の言い分みたいなもの自分言葉として再現できるかなあ。

あれ、なんか話が一般的な話になってきたから、戻すけど。

とにかく

「死にたくない」こと

「なにかしたいことがある」こと

など、とにかく自分の話をひたすらにした記憶がある。

今にして思うと、自分のことしか考えてない自己中人間のような気がするが、

小学生が、父親商売がうまくいっていない話を聞いて啓蒙かませられるわけがないので、しょうがなかったのかなあ。

この「なにかしたいこと」というのが何だったのか、今ではあまり思い出せないけど、

後の記憶から推察するに「プレイしたいゲームがある」と「読みたい本がある」の二つは最低でも伝えたのだと思う。

うーむ、僕は変わらないなあ。

で、橋を渡る頃には、父親は酔いも覚め憑き物が落ちたようだった。

そこで、朝ごはんだか昼ごはんだかわからない食事をして、そこの近くの商店で、たまごっちみたいなドラクエスライムおもちゃを買ってもらった。

メニューをなぜか覚えているな、卵焼き定食かいう、だし巻き卵とご飯と味噌汁だった)

その後本屋さんに行くぞ、と本屋さんを探し出したんだけど、徳島では本屋が見つからず、さっさと本州に戻った。

唐突徳島ディスることで、cider_kondoさんのブクマを誘いたいわけではない。当時はスマホもナビもなかったから仕方ない)


とまあ、記憶を辿るとこんな感じだ。

この後小学生徹夜はきつかったらしく、ぐっすり寝てしまい、そこから特に記憶に残っていない。


うーむ、こうして文章に書き出すと、冷静に見れるんだけど、

やっぱり、自分気持ちとしては、いまだに決着がついていないのかもしれないなあ。

別に今更父親謝罪して欲しいなんて気持ちは一切ないし、なぜああなったのか? を聞くつもりもないから、

自分自分のためにこの思い出に何かしらの点を打たないと、すっきりしないのかもしれない。


ただ、なにをどうしたら、この思い出に点がつくのかさっぱりわからないなあ。

冒頭のずいしょさんの言葉じゃないけど、

この複雑さを抱えて生きていけるよう頑張るぞいやなのかなあ……

はややんむきゅむきゅはてなにちわですわ。

2016-10-01

[]

今回はとなりのヤングジャンプ

きみ×××ることなかれ 第6話

前回、解散危機というところで、社長はひとまず近々ある握手会をやってから考えてみろと言う。

場面は変わって風呂場での隼人と忍が、仮に解散したらどうするかと話す。

忍はデビューしていなかったころ、とある先輩アイドルファンから話を聞き、アイドルという仕事は人々に活力を確かに与えているということを知る。

それに胸を打たれたから今もアイドルを続け、これからも例えグループ解散しても続けると語る。

仮にアイドルじゃなくなっても、それに携わる仕事に就きたいってあたりに意志の強さを感じるね。

まあ、もちろん側面的な話であって、滋郎のケースと対比して描かれているわけではないが。

それにしても、最後とうとう面と向かって隼人告白していたが、メタ的にどう落とし所を探るんだろうかね。

なんだか、今の状態でその言動はさすがに迂闊というか無頓着に感じられるが、次回にそこらへんも描かれるんだろうか。

竜と勇者配達人 第8話

先輩奮闘。

アウトローな奴らにも顔が知られてて、情報を得ていくあたりに要領のよさが出ているね。

吉田吉田で、捕らえられながらも出来ることをやって成果をあげているのがよろしい。

ともあれ、今回の見所はやはり合法軍団による制圧かな。

圧倒的な強さで蹂躙していく様は爽快感がある。

ゴテゴテとした見た目で並んでいる絵は壮観だ。

で、コラム

兜などのデザインはちゃんとモチーフがあるらしく、それが語られているんだが、滅茶苦茶長くなってボツくらったらしい。

というわけで紹介されていた作者ブログで読んでみたが本当に長くて、そりゃボツになるわ(笑)

読み応えは確かにあるけれども。

ひゃくにちかん!! 24

表紙の女子高生コス、なんだか新鮮かもしれない。

大抵フィクションだと、このテのコスプレって年増キャラが着ていることのほうが多いイメージからかな。

今回、さらっとサブキャラの相関が語られたが、恐らく今後掘り下げられないのが残念だ。

そうかあ夏休みの途中あたりでお別れなんだよなあ。

タイトルにもなっているのに忘れていて、秀人と気持ちが軽くシンクロした。

秀人がふと思い出す程度ってのは、ちほと生活にそれだけ慣れたってことで、余計に寂しさを覚えるな。

それにしても、作中ではまだ全然だが、連載はもうすぐ一周年になるのか。

このあたりも含めて、長いようで短い、短いようで長いっていう感覚で、ちょっとセンチメンタル気持ちに。

2016-09-30

浪人生です

今年の3月高校卒業し、現在大手予備校に通っています

昨年度は、東北大学法学部入学しようと頑張っていましたが、二次試験不合格でした。

併願として、早慶中央法学部受験しましたが不合格でした。

今年度も同じ大学受験すると思います

夏休みに、現役で大学に進学した友人たちが地元に戻ってきました。

数か月ぶりに会う友人たちは、大学生活のことを色々と話してくれます

東京に進学していった友人は、地下鉄の何線が混んでいるとかなんとか言いながら、地元馬鹿にしていました。

この話を聞くのが4月であったなら、悔しくて悔しくて友人に悪態をついていたと思います

しかし、さすがに落ち着いたのか、話を聞いても悔しいという気持ちはなく、逆に、「来年はお前より良い大学に行くしなぁ」という感じで内心何故か優越感に浸っていたのでした。

振り返ってみると、どう考えても強がりしかなく、悔しい悔しいと机に向かう方が健全であるように思います

しかし、頭の中ではわかっているのに、そして事実浪人しているにもかかわらず、俺の方が優秀だという気持ちがぬぐえないのです。

浪人したことのマイナスを補う価値が俺にはあるという気持ちがあるのです。

この気持ちとどう付き合っていけば良いのでしょうか。

何か勉強以外で自分価値を高めていく努力をすべきでしょうか。

2016-09-29

夏休み後は地獄

清純だった女の子日焼けして男慣れしてるし、屑男はセックス自慢してるし最悪だ。

夏休みの楽しかった思い出を楽しそうに友達と話している。

寝取られ女の子容姿に優れた男と遊んだ自慢をしてるし最悪だ。

まれた健常者は夏休み中にセックスしたりセックスしたり夏の楽しい思い出を沢山作ったのだろうな。

その経験をもって成人して生き生きと社会活躍できるのだろうな。


アトピーゾンビ夏休みはひたすら孤独でつまらなかったのに。

周りの恵まれた健常者は人生楽しそうだ。健常者がよかった。

夏休み中にいろいろやってみたけど何にも得られなかった。

しろ何もしないほうが不幸な経験や嫌な経験をしないで済んだ。

痒みや醜い容姿やガサガサの肌に耐えただけの無意味な夏だった。

新しい出会いはなかったし、ずっと一人でつまらなかった。

まれた健常者は友達恋人と楽しく過ごしていたのだろうな。あと家族

アトピーゾンビの親は虐待するだけだ。家族旅行なんて言ったことないし、誕生日を祝ってもらったこともないし、何かをほめてもらったこともない。

アトピーゾンビウイルスキモイから友達恋人もできない。

優れた容姿をもって生まれて、高知能であらゆる才能をもっていたら楽しかったんだろうな。

総資産数千億の実業家になれたんだろうな。

夏休みがある世界は最悪だ。

http://anond.hatelabo.jp/20160929100134

夏休みに行った鳥羽小涌園にあって息子とやったよ。

でも残念なことに鳥羽小涌園明日で50年続いた営業が終了して閉館してしまうんだ。

2016-09-26

親が集落出身 子供の頃連れてかれた

集落ヘンデルとグレーテル魔女とか山姥とかそれ系の怖さがあった。

行きはよいよいで歓迎してくれて、帰りは怖いで帰してくれない。

夜中に集落民が寝てる俺を見張って寝顔を覗き込みにくるのが怖かった。

 

夏休みの里帰りってはずだったのに休み終わっても帰ってこないから、父方の人が心配して集落まで来た。

叔父さんが話しつけて両親と共に連れて帰ってくれた。

母は集落にいる間は目が死んでて終始真顔、感情が消えたようだったけど、集落離れたら普通になった。父は殆どどっか行ってた。

 

怖かったのは、両親も本気で帰らそうとしなかったこと。

洗脳というより、なんか電波でも受信してるような感じで、一定距離離れたらパッといつも通りの2人に戻った。

 

それ以来話にもでないけど、たまに集落っぽいことが垣間見えて怖い。

2016-09-20

夏祭りは最悪だった


夏休み学校の近くにある夏祭りに行った。

なぜかというとアトピーゾンビ寝取られ女の子浴衣姿を見たかたからだ。

田舎祭りは規模が小さいから、すぐ見つかった。NTR女子は、浴衣姿で男女複数人祭りエンジョイしていた。アトピーゾンビからNTR女子を寝取った容姿のいい奴も一緒にいた。

奴らが部屋で乱交している映像脳内に浮かんできた。死にそうで危なかった。女の子浴衣は可愛かった。


しばらく眺めて癒された後、「つまんないな。容姿が優れていれば女の子と一緒にこれて楽しいんだろうな。一緒に射的やったりたこ焼き食べたり金魚すくいやったりしたら楽しいんだろうな。まぁNTR女子浴衣姿は拝めたしいいか」と思い帰ることにした。

その時、NTR少女と目が合った。やばいと思いすぐ目をそらして、早足で逃げるように帰った。

「あの人いつも一人だよねw」と後ろからNTR女子の声が聞こえた。泣きそうになった。



NTR女子彼氏浴衣のまま公園セックスして、そのあと運動部容姿に優れた彼氏の部屋で朝までセックスするんだろうな。

容姿がよければ浴衣着れたんだろうな。アトピーゾンビ不細工で肌もキモイからグロ画像のようにしかならない。


もう夏祭りには行かない。

海外が凄いという風潮が嫌い

僕は京都大学に通っている.元々東京で育っていたがその大学への憧れと京都に住みたい実家を飛び出したいという気持ち京都大学への受験を決めた、そして何とか拾ってもらい今京都に住んでいる。

大学生になって実感したのは周りの人間がどんどん海外に行くということ。高校同級生と久々の同窓会で再会したときも、夏休みに数カ月留学してたんだとか、今度どこどこの国に行くとか、そういう話ばっかだった。

そういう人間は多かれ少なかれ海外に行ったことを示すためにTwitterFacebook写真投稿する。どんな人もまあそうするよね海外風景なんて珍しいんだから

でも行って何をしたかって言ったらサバイバル力磨いただけじゃないの?正直海外に行くことで何を得ているのかよく分からない。

単純に海外旅行に行って遊んできました~ならうわ羨ましいなお前でいいんだけど、留学、これは本当に何をしているんだ?

例えばサッカー選手海外に挑戦するみたいに、よりレベルの高い環境自分の力を試すなら分かる。自分の専門についてその本場で学びたいと言うのならよく分かる。「○○先生のところで勉強したくて!」って理由なら「おお頑張れよ!」って思える。

でも、大抵の留学に行く人間ってそういう理由で行ってないだろ?他人とは違う経験がしたいから、その場にあった留学に飛びついたんじゃないの?お前は何しに海外に行ってんだ?

1回気になって留学に行く人に「なんで留学に行くの?」って聞いたことがある。そしたらそいつは「なんでだろうね。でも行きたいんだ。君は留学行きたくないの?」って答えやがった。ふざけるな真面目に考えてくれよ。

正直に言って俺は英語が苦手だ。文章を読むことは出来るけど会話は絶望的に出来ない。これはまあ中高の英語教育が(喋ることを重視し始めているとは言っても)読み書きに偏重しているから、そういう訓練を積んでいない、それだけだ。

京都という土地外国人に道を聞かれることは多い。そういう時「OK」「there(指差し)」「I don't know」ぐらいしか言えないぐらいにはクソな英語力だ。しかも超キョドってる。我ながらひどい。

から、そういう英語弱者コンプレックスから海外に行く人間を妬んでいるのかもしれないって自分でも思うよ。でも、だからこそ海外に行くメリットをちゃんと教えてくれよ。英語の出来ない俺を見捨てて海外に行かないでくれ。

海外に行くのは凄く怖いことに思える。



http://www.suzutaro.net/entry/2016/09/18/174626

でもこういう記事を読むとやっぱり本当にムカつくんだよな。大学に通っていても勉強してないのはお前だろ。そういう留学に行く人間の方が授業を真面目に聞かないんだろ。ふざけるな。

俺は今京都大学で凄く授業が楽しいよ。そりゃ眠くなったり、全然集中出来ないときだってあるけど、それでも授業受けるだけでどんどん自分の中で知が広がっていく。特に哲学の授業なんかはこれまで考えもしなかったことを考えるんだ。俺はデカルト認識論観念論現象学講義を受けたけど今まで知らなかったことしかなくて本当に面白かったよ。でも友人はLINEで突然「○○の授業ってレポート課題出てたっけ?」とか試験直前に「○○の授業取ってるー?」とか聞いてきやがる。

今まで授業で一回も見なかった人間だ。他にも、授業後に「今の授業聞いてた?笑」とか聞いてくるやつだっている。興味ないなら来ないでくれよ。興味ないのに来るならもう少し申し訳なさそうにしてくれよ。。。

大学は授業出てるだけで面白いことはたくさんある。最初からそれを無視して勝手大学講義はつまらないとか行く価値がないとか言い切らないでくれよ。

上に貼った記事でも「ただ大学卒業して、」って書いてあるけど、それ自体面白いだって

他にも日本楽しいことはたくさんある。怪しげな地下イベントとか行ったことあるか?テレビタモリ倶楽部見たことあるか?展覧会は行ったことあるか?

本を読んだことはあるか?京都古本屋がたくさんある。古本屋で棚から棚へ視線をじっくり動かして掘り出し物探したことあるか?映画は行ったことあるか?ただあてもなく散歩したことあるか?何も考えずに路地裏を探検したことあるか?

毎日生きているだけで精神的に充実させることが出来てしまう。インターネットいくらでも面白い記事が読める。YouTubeMVを見てるだけで一日が終わったことがある。毎日生きるだけで楽しい。なあ、日本ってそんなにつまんないのか?

別にそんなことないだろ?京都にいるだけでも毎日を充実させようと思ったら出来てしまう。だから特別日本がつまらないって俺は思わない。

日本の文化面白さって言ったらなんか薄っぺらいけどさ、でも面白さはあるんだよ。日本の文化っていうよりもうそ自体面白い価値はよくわかんないけど好きだってものが。

から日本を軽く見て海外に目を向ける大学生はまずもっと毎日生活を見つめてみようぜ。音楽でも文学でもアカデミックでもスポーツでもゲームでも何でもいいからハマれるものにハマってみようじゃんか。

意外と面白いものって視界のすぐ外側とか隅っこにあったりするんだって。だから安易日本を捨てて海外に行くなんて言うなって。海外に素晴らしいものもたくさんあるだろうけど、日本で生きていたって十分面白い

2016-09-19

なぜ手書きにこだわる?

自分不器用なせいかグラフ手書きが致命的に遅かったので、2年前期の実験危機感を感じた自分は2年の夏休み中にpythonを覚え、今まで苦労していたグラフプロットなどをパソコン上で全部自動化しようと考えた。日本語情報が少ないため(あっても多少古かったりすることが多かった)、情報をかき集めるのに相当苦労したが、夏休みが終わるころにはjupyter notebook(名前通りノートブックのような実行環境セルごとにコードを実行するという形をとっている)上で統計処理をしたりそのデータを基にグラフプロットするのはある程度できるようになっていた。

早速2年後期の実験pythonを試してみたが、その威力は凄まじく、今まで時間のかかっていた作業が劇的に効率化した。pythonモジュールであるpandas,numpyを使えばデータ列を文字式のように扱えるので(例えば実験データをdataとして、そのデータをすべてcos関数に代入したかったらnumpy.cos(data)と書けばよい、Excelと似たようなものだがこちらは変数として扱っているので使いまわしが容易である)、Excelでちまちま関数セル入力して列全体に引き伸ばすという操作もしなくていい。グラフコマンドで出力するので当然だが今まで苦労していた手書きプロット作業はなくなった。GUIありきのExcelと違ってコードひとつグラフの罫線の調整などもかなり簡単にできる。高級言語だけあってコードは組みやすく、実験中に即興プログラムを組むことも割りとできる。しかコードさえ組んでしまえばあとは実行するだけで計算グラフの描画を一気にやってくれるので、実験結果確認が極めて素早く行えるようになった。しかもjupyter notebookはmarkdown形式文章を埋め込めてメモ書きも残せるし、mathjaxに対応しているのでlatex形式の数式も途中に挟むことが出来る。最高の環境だと思った。しかし良いことばかりではなかった。

パソコンで全部やろうとする自分を見た一部のTAはなぜか自分グラフ手書きしろ要求してきた。自分反論した。「グラフならパソコンですでに出力できているのになぜわざわざ手書きにする必要があるのか?」これに対するTAの答えはだいたい「平等性を保つため」、「他のみんなは手書きでやっている」、「理解を深めるため」、「他学科手書き必須から」というような感じである自分にとっては、これらすべてが理解できなかった。そもそも手書きにすることによって実験に対する理解がどう深まるというのか?自分はむしろ手書きを徹底的に排除することによって、煩雑作業をする時間を考える時間に充てた。そのおかげで実験に対する理解は以前と比べ物にならないくらいに深まった。手書きじゃなければ理解が深まらない理由はない。そもそもパソコンのほうが厳密にコードを組まなければならない分だけ理解力要求されるはずである。「理解を深めるため」といっている本人だって結局その言葉意味もわからず言っているにすぎない。

平等性」に関しては全く別のTAから複数回言われた。「パソコンを使って効率化しようとするのはずるい」と言いたいのか、このTAは?pythonだって1ヶ月間死に物狂いで情報をかき集めて覚えたのに、それのどこがずるいというのだろう。平等性を掲げて効率化を否定し、全員に同じ作業強要させ、「成績」をちらつかせて脅すのはずるくないのか?みんな一緒に抑圧されましょうということか?これを言われたときに感じた何とも言えない吐き気のようなものは今でもうっすらとだが覚えている。正直なところ、プログラミングが出来るというだけでむしろ褒められると思ったのだ。パソコンが使いこなせるほうが印象はいいに決まってると思っていたのも、結局は自分勘違いだった。

pythonを使い始めてからの2年後期、3年前期を通して4,5回ぐらいTA(全員別の人)に「手書きしろ」と言われたが、言われるたびに反論するのもいい加減に疲れてきた。なぜ手書きにする必要があるのか、自分は聞かれるたびにこう聞き返した。まともな答えを返したTAは一人もいなかった。大学先生担当する実験PCは駄目なんて言われたことは一度もなかったし、どうもTA勝手に「手書きしろ」と言っているだけらしい。「他学科パソコン禁止から」とかいう非論理的ルール鵜呑みにしてそれを適用しようとする姿勢にも無性に腹が立った。

TAがいうには手書きコピペ防止の意味もあるらしい。本当に手書きにしたらコピペが減るのか?パソコンにしたらコピペが増えるというが、それは果たして本当に「増えた」のだろうか?確かにコピペするのは手書きと違って簡単だが、コピペするやつは手書きだろうがパソコンだろうがコピペする。そもそも自分の頭で文章を書く能力がないかコピペするのであって、パソコン制限たかコピペがなくなるという理屈おかしい。そんなにコピペが嫌だったらむしろ最初からコピペをチェックしやす電子データに限ってしまえばいいと思う。パソコン有りにしてコピペが増えたというのは、手書きレポートでは見逃していた分のコピペがばれて、それで数が増えたように見えたという可能性もある。むしろパソコンからこそコピペを見破れるのではないだろうか?

自分は、手書き不正の温床ぐらいに思っている。手書き場合見かけ上はコピペしたことがばれにくいし、グラフもそれっぽく適当に書いても適当プロットしたことはほぼばれないし、そもそもアナログデータ機械検閲にかけにくいためどの程度コピペなのかを判定する労力だって膨大過ぎる(別のTAに話を聞いたところ、採点する側から言わせるとコピペしたこと自体結構分かるものらしい)。手書き強制するということは、すなわち不正ごまかす余地を与えているに過ぎない。本気でコピペをなくそうとするならば、いっそのことすべて電子化してしまったほうがよいとすら思う。

pythonを使い始めてから1年経ち、「手書きにしてください」と言われるたびに反論していったが、元々自己主張の弱い引っ込み思案なタイプのために、自己主張してちゃんと言い返すというのは精神的な負担が大きかった。「パソコンではなぜ駄目なのか」を強く主張するたび、ものすごく疲れがたまってしまい、実験がない日でも「なぜこんな当たり前のことをわざわざ言わなければならないんだろう」と思い返してしまうせいでどんどんやる気を無くしていった。

なぜ大学の一部にはパソコンを使わせたがらない空気があるのだろう。この人たちは、手書きが苦手な自分にとっての最後の砦すら壊すつもりなのだろうか。なぜ手書きにこだわるのだろうか。

アトピー女の子

すんごいクソ田舎夏休みに共同生活しながら創作活動をするっていう

まりがあったんだ。

一緒に参加してたアトピー女の子、その土地マッチしたのか、数週間で

アトピーがすっかり治っちゃって、結局その土地に暮らすことにしたんだって

元気かなーあの子。今もあの山奥で暮らしてるのかなー。

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