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はてなキーワード: 入学式とは

2021-03-20

卒業式イメージが舞い散る桜で入学式イメージが満開の桜なのおかしくないですか?

なんで散ったはずの桜がまた咲いてるんですか?

2021-03-16

anond:20210316233035

しろ被災を知らないにわか勝手クレーム入れたんじゃないの?とすら思った。

当時、自粛ってことであらゆる卒業式入学式といっためでたい行事(奇しくも今のコロナ禍下の色々と似ているが)すべて中止になった。

もちろん行事だけでなく、とにかくイベントごとがとり止められて、経済にどれだけの打撃があったか

本来被災地以外の地域バンバン金使って経済回して盛り上げて、なんとか復興の金を捻り出すべきだったのにね。

被災してもいない子供たちの祝い事が犠牲になったことについて何らの反省もないのはおかしいよ。

何月何日だろうが、その子たちにとっては一生に一度の祝い事なんだから

2021-03-11

知的障碍者が嫌いだ

軽度知的障碍者が嫌いだ。社会的弱者の振りした卑怯者だと思っている。

生後7ヶ月から児童福祉施設で育った僕は、比較知的障碍者と多く関わる環境にあった。

僕のいた福祉施設は、家庭の事情で入所する0歳から18歳までの児童がいて、その3割は軽度知的障碍者だ。

僕が入所したのは生後1歳未満。5歳の頃に同い年の知的障碍者Mが入所してくる。Mの障碍については詳しく知らない。中~重度の知的障碍者対応しない施設だったので、軽度であることは間違いない。

Mは、日常会話はできるしコミュニケーション能力もあるが、ただ人前で発言ができない。教室のような数十人の面前では以ての外、5~6人以上の前で発言となっても頷くくらいしかできなくなる。多数決で手を挙げることすらできない。会話もできるし、意思もあるのに。ただ、出会ったばかりの5歳の僕はそんなこと気にする由もない。物心がつき始めた時期だし、当然だ。Mの障碍を意識し始めたのは小学校入学以降。入学式で名前を呼ばれても返事ができなかったり、自己紹介担任が代わりにしていたり。入学当初こそ、緊張しているものだと思いきや、授業中も終わりの会でも、6人程度の班会議であっても、人前だと一切発言しない。一人ひとり全員と仲が良くてもそれが複数名となると何も話さなくなる。そうこうしているうちに、Mは3年生の夏以降、国語算数理科社会の授業は特別支援学級たんぽぽクラスへ通うようになっていた。

僕はMの世話を焼くのが好きだった。帰宅先が同じなので毎日Mを迎えにいって下校していたし、なにか意見を発表しなければならない場面では、施設でも学校でも僕がその代役を務めた。Mも僕にべったりで、行事ごとの班分けは同じに、席も隣に配置された。

喧嘩をすることもあったが、何かある度にMは僕を頼りにしたし、僕もMには僕がいないとダメだと思っていた。

障碍者に対する優越感あっての行動と言われれば、そうだと思う。小学生なんて、差別偏見よりは「周りから褒められるから、頼られているからやってる」が最大の動機だし、それが優越感だと言われれば間違いないと思う。

前置きが長くなったが、事が起きたのは小学5年の春。

福祉施設は1部屋6人に施設職員1人の担当制でグループ分けされている。総勢60人程度の施設になるのだが、年齢で分かれているわけではなく、一部屋に0歳~18歳までの同性の児童が振り分けられる。当時は、18歳の高校生H・僕・M・小学2年生の軽度知的障碍者N・中学3年生2人というメンバーだった。

小学生は9時に就寝なのだが、僕は大体毎日こっそり夜更かしをしていてカーテンで仕切られたベッドで読書をしていた。ある日、高校生のHが担当と話しているのが聞こえる。かいつまんで話すと、Hが友人からもらった地域限定版おっとっとが盗まれたそうだ。僕を完全に寝ていると思い込んでる二人は、お菓子の空き袋がNのロッカーから見つかっているのにも関わらず、犯人を僕という前提で話していた。理由簡単で「中学生2名は修学旅行中でアリバイ有。ゴミ自分のところに残すようなことを犯人はしないだろう。かといって他人ロッカーに入れることも、障碍者にはできない」という理由らしい。本来就寝時間のため、その場で違うと否定できず、眠れないまま朝を迎えた。学校へ行くと僕はさっそくNを問い詰める。「知らない」とNは即答した。Mの元へ向かう。答えは同じだ。もちろん他の部屋の人が盗んだ線もあるが、僕は長年Mといた経験から、Mが嘘をつくときの癖を知っている。Mは、そんなことつゆ知らず目を泳がせながら知らないという。本当のことを話してとお願いしても知らないの一点張り詰んだ。まぁ僕じゃないことを証明できればいいと帰宅した。

だが、一度「犯人」と思い込まれ人間は、その濡れ衣払拭できない。もちろん日頃の行いは影響するだろうが、僕は学校児童役員を務め、成績も悪くなく、大人からは好かれていた。はずだった。

部屋で正座をさせられ、施設長・担当高校生・N・Mが僕を囲む。鼻からお菓子を盗んだのはお前だろう」と決めつけられ、否定しても「もう一回聞くぞ、犯人はお前だろう」の繰り返し。どれだけ否定しても「わかってる」「お前しかいない」と話しすら聞かない。その上、知的障碍者Nが「今日学校で私が盗ったことにしろと言ってきた」と嘯いた。知的障碍者小学2年生がだ。は?

施設長が嬉々とした顔で「Mもそういわれたんじゃないか?」と聞いた。Mは人前で発言できない都合のいい能力者だ。「盗ったことにしろとは言われていないが詰問はされた」と話せず、首を縦に振った。施設長が怒鳴る。頭に入ってこない。最初こそ「なんで最初から僕だけを疑うのか」と聞いたが、「障碍者純粋からそんなことをしない」との一点張りバカか。MもNも通常クラス勉強にはついていけないし、九九も言えないが、そこまで馬鹿じゃないぞ。嘘もつくし施設であるいじめだって加担する。人の陥れ方も媚の売り方も知っている。

想像してほしい。小学5年生が頼れる親がいない状態で、最初から人を疑い話を聞かない大人3名に囲まれ怒鳴られる3時間。感じたのは恐怖よりも、呆れと絶望だった。

気が付いたら僕は、「僕がやりました」と言っていた。心が限界だった。土下座しろと怒鳴られ、頭を下げる。これで解放されるという清々しさがあったが、頭を挙げた瞬間にバツが悪そうに目をそらし、でも口元は笑っているMが視界に映り、舌を噛み切ってやろうかと思う。

後日、Mに聞いた。やはり、Mがお菓子を盗みNとともに食べたそう。僕に濡れ衣を着せるつもりはなかったが、人前で発言ができなかったため結果的にそうなってしまったと言った。僕が自殺する素振りを見せると泣きながら謝ってきた。

Mを同席させ担当に伝えたが、一度目を見開いて驚いた表情をした以外では、謝罪もなく「そうなんだ、じゃあ肯定しなきゃよかったじゃん」と言っただけだった。すでに大人へなにかを期待しなくなっていた僕は、その対応に驚きもしなかった。

未だに、社会的弱者知的障碍者応援しよう的なフレーズをみると虫唾が走るシャワーを浴びる瞬間、頭を下げると、卑怯知的障碍者2人の前で土下座させられた事実を思い出して吐き気がする。たくさんの人の支援を受け、福祉的に優遇されている知的障碍者を見ると反吐が出る。あいつらは、世の中が想像しているほど純粋でも馬鹿でもないぞ。

母親コロナ重症化しちまったよ

実家用事があるのに携帯にも家電にも全く出ないし、同居の兄貴も同じだし。

また2人が大ゲンカでもして内側にこもって外界を遮断している(母と兄はそういうところが似ている)のかと思っていたら、今朝兄貴から電話がかかってきて

「母さん、コロナ入院した。軽症病棟にいたんだが、血中酸素濃度が低いとか食欲がないとかで、昨日経過観察から投薬治療に入った。人工呼吸器は、これ以上悪化したらつけるかもしれないってところだ。お前には知らせるなって言われてたが、こうなっちゃ、なあ…」

自分は遠方に住んでいて、帰省するのに半日かかる。

それにだ。

今月下旬には、長男卒業式次男卒園式、4月には2人の小学校中学校入学式がある。

頼むから式の写真家族写真見てくれよ。

いつも写真を送った時みたいに、長男のことイケメンだねって、次男のこと可愛いねって言って欲しいよ。

逝ってしまうのはそりゃあ仕方ないさ。

でもお願いだから孫の晴れ姿見てからにしてくれ。

頼むから

2021-03-09

社会が怖いか専業主婦になりました

まれからずっといじめられてきて、結婚してみたらDVモラハラ夫だったので実家に戻って、ネットで知り合った人と再婚しました。

家計が厳しい時はパート派遣しましたが、何をやってもうまくいかず、上司には怒られて同僚には冷たい視線を送られて、それで不眠や嘔吐を繰り返したので働くことも無理でした。

子どもが産まれ保育園に入ると、今度は運動会お遊戯会でお母さんたちに混じるのが怖くて、子どもを見るどころではなく、変な汗と胃液があがるのをがまんしてその場にいることが精一杯でした。

さすがにこれがずっと続くとまずいと思い、精神科の門を叩くと、生育歴にかなり問題があるし、二次障害も起こっていると言われ、今も服薬し定期的に通院しています。薬の調整は定期的にしていますが、効果の実感はありません。

子が小学生入学すれば、入学式前日からご飯が喉を通らず、式そのものはつつがなく終わりましたが、帰宅したらば胃液を盛大にぶちまけました。

今も授業参観PTA運動会は行くと震えが止まらないし、当日は何も食べられません。

夫はそれを見ながら

「わざわざ行かなくていいんだぞ?」

といたわってくれますが、子どもは私が行けば喜んでくれるし、専業主婦なのにPTAとか学校活動に行かないとか、まるっきり社会性を手放すみたいで、できずにいます

そういうのの積み重ねで、今はほとんど外に出ませんが、ネットはてなTwitterを見る限りにおいて、私は理解のある彼くん(夫)がいるメンヘラで、働かなくていい立場揶揄や叩いて良い対象のようで、私は再びいじめ嘲笑の的なんだなと思って、でもそれが現実社会だと思うから、目を離してはならないと思いながら閲覧しています

この春は子ども卒業式入学式があり、今、式にでる服を選ばなければならないのですが、やらなきゃいけないのに体が動かなくて辛い気持ちになって、最近ずっと眠っています

多分、多くの人たちが持つ感想

「考えすぎ」

「こんな母親に育てられる子どもがかわいそう」

だと思います

2021-03-08

小学生の時にいじめられた経験を振り返ってみると

俺が通った小学校は誰も彼もが、学年をこえていじめいじめられるがある超荒れたところだった。

そしに赴任してきた、熱血教師ではないがいじめ偏見を許さなタイプ教師が隣のクラス担任になって学級崩壊を止めようとあれこれ言ったり対策したところで、学年関係なくスクールカーストがあるような学校通用する筈がなかった。

ある時学年の保護者向けの月報で、この学校には互いを認め合う力が弱いように感じます。人を認めるのは親と子が認め合うことからまります。もう一度親子や家族関係を考えてみて下さい。子は大人を見て成長します。と、今でいう多様性みたいなことを書いたら、PTA

私たち問題があるというのか!!」

激怒しちゃって、その先生を囲んでの話し合いと言う名の吊し上げをした。

子も子なら親も親だけど、今だって子の問題の根源には親の態度や振る舞いがあると指摘したら狂う親は沢山いると思う。

あと小さいネタ2つ。

俺を増田菌!呼んで、寄らない触らない、俺に暴力を振るうのには上履きや靴で蹴ったりボールを投げつけたりしてくるのが、コロナ対策にすごく几帳面なことに反映されてるなと去年感じた。

あと、入学式転校生が来たりクラス替えがあった時とか俺がいじめられてることを知らない奴が出た時。

前々からいじめてる奴がそういう奴に凄くフランク

「やあ!君も増田を殺そう友の会に入らないかい?」

と呼びかけて、言われた側は最初はキョトンとしてるけど、呼んだ奴が親切とか優しくしていくにつれて俺に侮蔑するような目で見て最後には蹴り飛ばすようになるの、あれは完全にカルト洗脳の手口だわ。

2021-03-03

AI, VR, 仮想通貨, IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」

当時高校生だった私は3.11のその年に福島県大学(会津大学)に入学しました。あれから10年も経ってしまったので、私のごくプライベートなことについて書きます

あと、匿名性は低いです。匿名ダイアリーなのにごめんなさい。

3月11日

2011年3月11日に、私は茨城県博物館の中にいた。高校卒業式が終わって、車の免許を早々にとったらしい友人と二人、車で博物館にきていた。地震とき、私は吹き抜けの空間の中心にいて、長い振動の間、博物館全体のガラスは轟々と鳴り響いていて、「ああ、私は、今日が命日なのだなぁ」と人々の動揺の中、思った。

実際にはガラス耐震性能が高かったので、館内にはけがはいなかったようだった。

信号機の止まっている、徐々に昏れていく道を、車中でほとんど会話もなく急いで帰った。急いで帰ったけれど、通常の2倍以上もかかって家についた。

私は地震の直後、2ちゃんねるに張り付いていた。「福島原発やばいらしい」そんな書き込みを見て、いよいよ日本は終わったんだ、と私は思った。

私が高校生の頃、世界原発事故ドキュメンタリーが大好きだった。チェルノブイリスリーマイル島東海村。「原子力」という尋常ではないエネルギーが生身の社会に取り込まれて、人間の内側におとずれるということに私はなんとも言えないグロテスクさを感じて、親や友達気持ち悪がられながらも読んでいたのだった。

当時、特にJCOの臨界事故NHKドキュメンタリーは何度も読み返したものだった。事故が起きた時、「出奔した原子力」に対しての(政治的・肉体的・精神的)人間の無力さ、弱さのコントラストがあまりにもどぎつく、生々しく顕れていたからだった。

私は地震が起きて、一、二日後にはリビングこたつ占拠して、こたつのど真ん中にデスクトップPCを置いて、情報官気取りで気象シミュレーションをみたりしていた。そして、家族にも協力してもらい家中シャッターを閉めた。それくらい、当時私は怖かったのだと思う。

震災直後、福島県大学入学した

私は震災の年、福島県大学入学した。私の地元同級生にも福島県大学入学する予定だった子がいたが、辞退したらしかった。大学入学式は遅れて執り行われた。ガイガーカウンターを買った方がいいかな、とか、「あそこには近づかない方がいい」とまことしやかな噂を聞いては少し怖いな、という思いが常に頭にあった。

しかし、入学してみると、その話はなんとなくしてはいけない話に思えてきたのだった。それはその土地に長く住んでいて動くことができない人たちには、惨い話であるからである。私もいつの間にか、放射線の話はしてはいけない気がして、話題にするのをやめた。すると、怖いという感情もいつの間にか薄れていった。

しかし、時々、放射能汚染される夢を見ていた。これはつい福島県を離れる少し前まで見ていたのだった。

私の当時住んでいたアパートには窓の近くにベッドがあって、その窓の外には何年も取り込み忘れたバスマットが干してあった。私の覚えている夢では、実はそのバスマットは大気中のチリや雨に放射性物質たっぷりまれていて、そのバスマットの線量が高くて、実は私の身体が蝕まれていて……という夢であった。何年もそのバスマットを干しっぱなしにしてしまったのは、もしかしたら、そういうことに対する無意識的な恐れから触りたくなかったのかもしれない。

長年大学でくすぶっていた

私は、大学特にパッとした研究もできないでいるのに何年も何年も大学にいた。でもそれが良かったのかもしれない、と今では思う。福島県という土地に「土着」して、私なりの感覚放射能の感じ、特にその怖い感じの中に居たということが。

私はもともと怖い思想の持ち主だと思う。正しいと思ったら、それに突き進んでしまう。人の感情も、中学生くらいから読まないように生きてきてしまったため、無視する癖がついてしまっている。だから原子力という「科学技術コントロールから外れた状態」の中に当事者として生きた、というのは私が、私の歴史にとって重要ことなである。もちろん、日本にいたら誰だって当事者なのだが、私は福島県に住まわず当事者と思えるほど賢くない。

核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」= 「AI, VR, 仮想通貨, IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」

3.11から10年が経って、私は福島県から遠い場所に住んでいる。今は遠くから考えることしかできない。

最近原子力、ひいては(科学技術についての論考を読んでいる。1950年台、まだラジオな世の中で、近未来的なもの技術とか科学が大きな期待を背負っていて、すごくキラキラしていたであろう時代、人々は核の技術に対して、今でこそ信じがたいが「核兵器の利用は良くないが、核の平和的利用こそ人類幸福につながる」と本気で思っていたようなのだ。多分、今でいうところの、テレビCMIT系企業がたくさん広告を打っていて、IT企業に勤めていることが一種ステータス少女漫画に出てくる男性IT企業勤め!)になっていて、AIすごい!VRすごい!仮想通貨すごい!IoTすごい!みたいなイケイドンドンな感じだったのだろうと思う。そんな時代、「核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」と指摘した人、ハイデガーがいた。今でなら、「AI, VR, 仮想通貨,IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」と言うのと同じことなである。今でなら炎上やむなし発言なのであるしかし、このアナロジーを単なる面白おかしアナロジーとしてだけで捉えていいか。彼は世の中の潮流とは全く違う発想を省察によってしたからこそ、核の平和利用危険性をかなり早く認識できた。

科学は考えない」

ハイデガーは「技術」について『放下』の中で、(科学技術に対して「その価値を認めつつ、それに対して否、と言う」 ―ーこの本のタイトルにもなっている、「放下」という態度が大事なのではないか、と言っているらしい。(まだ『放下』は直接読めていないので、「らしい」でごめんなさい。)

そして、彼は思考について、「計算する思考」と「省察する思考」とに分けて考えており、彼は「科学は考えない("Wissenschaft denkt nicht")」、科学計算する思考であって省察ではない=「考えていない」、というしかたで核の平和利用について否、と言ってみせた。

科学は考えない」

これは、理系立場仕事している者にとっては「耳が痛い」ことなのではないかしかし、耳が痛いからこそ考える価値があるのではないか

彼の言っていることを私は理解できる気がするのだ。科学進歩的に進んでいく。その「ひたむきに進んでいく」ということが「科学は考えない」と彼が言う理由なのではないかと私は思う。何か、ある方向に、引っ張られるように「進んでいく」。立ち止まる者は厄介者として排除される(Publish or Perish)。ハイデガー技術批判するだけではない。もちろん価値を認めつつ否定するという態度を彼は実践している。私も技術がなくなったら困る。方向音痴の私はGPSが無くなったら、地図が無くなってしまったら、とても狭い世界を生きることになってしまう。だから難しい、ある意味矛盾の中を生きなければならない。

私について

私は、実は博士過程を休学した。プライベートも荒れてしまったし、閉塞感でいやだったし、どうしても、論文が書けなかったのだ。

私は小さい頃から哲学が好きだったらしい。「最近哲学系の本を読んでいるよ」と昔の友人たちにいうと、みんな「よく哲学的な話してたもんね」と言ってくる。

でも、私が文系に進学しなかった理由が、「確かなものが何もないと怖い」という恐れからであったし、国語がとても成績が悪いし、理系ってなんかかっこいいとか思ってたのもあって、ずっと理系研究室で研究していて、哲学とか諸々の教養ほとんどないのだ。

哲学最近やってる」と言うと大半の人に苦い顔をされる感じがする。「中二病が抜け切っていないな、こいつ」と言いたげなそんな感じ(笑)。おそらくそれは哲学に「生産を止める」作用があるからなのではないだろうか。無意味で、ある意味破壊的な作用が。

以前、こんなことがあった。課外活動で何人かで集まってスマホアプリを作ろう、となったときに、誰かが「xxさん(有識者らしい)から教えてもらった方法で、xxという仕方でブレーンストーミングすると良いらしい」と言った。私は「なんでその方法でなければならないの?」と、ある意味チームの士気を下げるようなことを言ってしまったのだ。こういう「そもそも論」(哲学)というのは「生産を止めてしまう」。イヤな感じに水を差す。だからまれる。

しかし「生産を止める」という行為が実は重要なのではないか。世の中的に、「生産的=いいこと」という認識がある。生産を止め続けないことがそれほどいいことなのだろうか。これこそが、ハイデガー批判するところの「考えない」態度ではないか。「より幸せに、より便利に」を目指すために科学技術を信じて、生産生産生産、とひたむきに努力してきた末の原発事故ではないか

昔の時代原子力は「兵器として利用されることはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられていた。

今の時代も同様に、情報技術生命科学が「非倫理的に利用されるのはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられている。「再生可能エネルギーでなら、持続可能社会が実現できる」とも信じられている。

もし、「なぜ地震大国原発つくったらヤバイという今ではあたりまえの認識を持てず、当時誰も水を差す人がいなかったのだろう?」と考える人がいるならば、なぜ、現代においてもその人が水を差す人にならないのかが不思議なのである。だから、私はあえてこうして水を差す、ということをしてみたい。

ということで、私の全然論文を書けていない「生産しなかった」大学時代も、この哲学的態度の実践とみなしてこの文章を締めくくることにする。

2021-02-10

息子が大学を退学する。

一年生の終わりのこの時期に、退学を決めた。

決めたのは親だ。

コロナに振り回された一年だった。

入学式もなく、オンラインでの授業に戸惑い、ろくに単位を取得できなかった。

こじんまりとした大学で、世話をしてくれる教授や先輩に恵まれていたはずなのに、それでも彼は単位を取得できなかった。

多分、大学に向いていなかったんだと思う。

夏が終わった頃から生活習慣が乱れ、昼夜逆転生活を送るようになったようで、ろくに授業も受けられていなかったらしい。

初めての一人暮らしで心細かったのもあるんだろう。

旧友と夜な夜なオンラインでのゲームに興じたのが原因と思われる。

コロナのせい。

そういう言い訳があることにホッとすることを許してほしい。

彼が進学するにあたり、いろんな人が期待し、応援してくれたことを反故にしてしまうことが心苦しい。

在学中、彼は一度も一人では散髪に行けず、バイトを見つけることもで出来なかった。

その生活力のなさに愕然とした。

彼にはなんとか世の中を生きていけるチカラがあるのだと信じていたから。

退学の手続きを終えた後の進退は全くの未定だ。

2021-02-05

上野千鶴子東大入学式でぶちかました件は忘れてないぞ。

ぶっちゃけ今回の森の発言とどっこいな事を公の場でジェンダー学を掲げてるおばさんが言ってたんだし、

あれが許されてるのがジェンダー学の現状なら今回の発言別にいいだろ

2021-02-02

女の子馬鹿な方が可愛いと言われて生きるの嫌すぎる

女児の頃から賢い賢い言われて育った。別に賢かったというよりただ他に褒めるところがなかったんだろうが、乳幼児の私を見た大人はみな口を揃えて「あら賢そうね」と私を褒めた。

小学校では勉強しなくても1番だったし、中学校でもちょっと勉強したらすぐ一番になった。

高校入学式では新入生代表に選ばれた。まあ、だからって何もないけど。


高校でできた彼氏はいつも「○○は頭いいね、俺は馬鹿から」と言っているつまらない男だった。

一緒の大学に行きたいと言うので、私は担任の勧めを蹴って志望大学ランクを一つ下げ、彼は一つ上げた。

もちろん彼だけ落ちた。


落ちたからって別れたりしないけど、「さすが○○大生~」と事あるごとに言われるのが不愉快だったし、最終的に「自分より賢い女は無理」とか言って振られた。

普通に浮気してただけだろ死ね


でも彼の言う通り女は馬鹿の方が可愛いのかもしれない。

そう思って相手よりもちょっと馬鹿を演じるようにしたら、今まで見向きもしなかった男から声をかけられるようになり、すぐに新しい彼氏もできた。

そうか、女は馬鹿の方が可愛いのか。


それまで今どきそんなこと言うやつが同年代にいると思ってなかったけど、馬鹿で~~~~~すって言って生きた方が断然生きやすいことを知った。

なんでも教えて貰えるしね。


でもなんでも教えてくれる親切な男は、私が彼の教えを受けて成長して彼を超えるとめちゃくちゃ敵視してくる。

好かれたくて頑張ったのに嫌われて振られるとか理不尽すぎる。

つの穴の小さい男だな。


そうやって女は馬鹿の方が可愛いって価値観迎合して得をして、でもたまにガワが剥がれてしっぺ返しを食う。

無理すぎる。

ありのままの私を愛してくれ。

男のプライドをうっかりへし折って振られる女とか馬鹿以外のなんでもないだろ。

馬鹿の方が可愛いって言うならそんな馬鹿の私を愛してくれ。


という毒を吐きながら今日馬鹿を前面に出して男に媚びてる。

この前母に電話で「私馬鹿から~」って自虐したら、「あなたは賢いよ。とっても賢い。あなた問題馬鹿なことじゃなくて性格が終わってることだよ」みたいなことを言われた。

私もそう思います

2021-01-18

大人はもうちょっとがまんしなよ

子どもたちがどれだけ我慢しているとおもっているのよ。

修学旅行運動会音楽会文化祭も中止。

入学式卒業式は縮小して開催。

昼食の時間一言も話さず前を向いて黙々と食べる。

大人の今の行動は恥ずかしくてとてもじゃないけど子どもたちに見せれないよ。

2021-01-12

はてな匿名ダイアリー2019 【学び編 TOP50】

順位全体順位ブクマタイトル日付備考
181597「皆がこれ読んでたら読んでたら世の中もっと良くなるのに」本07/16
2141498シンプルにオススメの本教えて(ただし自身の立場から)03/19
3301191自己肯定感のなさというのは02/03
4381113出版業界の最近について現役編集者より02/28
5531013イエーーーーーイ皆、熱の伝わり方3つ言えるかな~~~????09/12
669956 女性の名前に「○子」が多く四音の名前が少ない理由07/04
781889 昨日、目黒女児虐待事件の傍聴をしてきた。09/06
8110791 文系の学問において資料の実在を証明するものとは何か05/10
9125749 悲しいなあという話09/15
10133741 現役東大生だが上野千鶴子の祝辞はゴミだと思う04/13
11144709 亻工一一一一一亻!!!皆、NMRの用途や原理、知ってるか~~~~~?!...11/05
12145707 近い将来、東京都民は負け組となるだろう01/23
13167671 お箸の持ち方がだめなのなんでそんなにダメなん?(追記16:20)06/14
14235592 アートに関するよくある勘違い10/12
15236591 anond:2019022017401402/21こんばんは、猫です
16245587 《追記あり》コミュ障が婚活マッチングアプリで出会い別れるまでの一部...01/06
17259578 【追記あり】古市憲寿さんが芥川賞選考委員にいろいろ言われちゃってる...08/12
18299544 こういう人たちの呼び方ってありますか?11/15
19319532 グレタさんはCO2が見えない09/26
20333524東京の予定ほぼ決まらないままになってしまった。07/08
21335523「睡運瞑菜」を実践して1年が経った01/19
22383500 自己肯定感09/05
23397492 anond:2019012917293801/30博物館法の矛盾
24425478 彼氏がちんぽを入れてくれない04/10
25437471 遺書06/13
26456464 anond:2019112108080711/21猫猫猫猫ウルセーーー!!
27464461 大学について友達に見下されてどうしていいか分からなくなってきた01/14
28473458 数学で「公式を覚える」という言葉に抵抗がある01/10
29487454 【追記】みんなの「シュレティンガーの猫」は何処から?09/08
30502449 anond:2019070522043307/07
31503449 一見、外国語だけど実は日本語な会社名って12/12
32513442 京都造形芸術大学が京都芸術大学と改称する気だそう09/02
33515441 「や」の前後は揃えてほしい07/10
34548429 22時以降に東京を起って行ける場所(追記しました)01/29
35574421 平成31年度東京大学学部入学式祝辞は名文か04/13
36588417anond:2019032021005303/22
37606410下着を売っていたJKのブスが前向きになった話07/03
38626404 「文章が下手ですみません」にいらっとする12/18
39660396 海外でネトウヨになるという事03/26
40666395 正しいヴィーガンだけど正しいから死ぬことにした05/22
41676391 電卓使ってるやつってアホだよね08/02
42688387 6年ぶりに会った大学時代の親友がウザくなっていた10/01
43696385 京大の博論を元にした本が東大紀要の書評でフルボッコされてる件11/14
44697385 ○○△△を○○って略すなって言葉06/07
45707381 自己肯定感をどう増やせばいいのか02/05
46741371 ベッド→ベット、バッグ→バックみたいな※追追記07/19
47748368 うちの市の図書館に、クソゴミ老害クレーマーがいるんだが、対処法はあ...05/10
48753367 犬を安楽死させてやればよかった。06/14
49810352 ネトウヨだが安倍の愚かさに目が冷めた09/22
50840345知識人の読書量・知識量ランキング01/27

2021-01-04

逃げ恥における森山みくりの進路についての所感

「逃げ恥」心理学を学んだことがある人たちは内容がリアルでいかにも…と思っているという話(togetterより)

心理院生がやりそうなダメっぽい研究」という指摘があったので、少し情報を整理して感想を述べる

1.原作での描写について

原作冒頭において、こんなやりとりがある

黒●徹子(妄想)「あなた 大学では心理学をお勉強なさってたんですって?」

みくり「はい それで」

徹子「それで就職人事部企画 商品開発なんかを志望していたと」

徹子「だけどあなた ウフ ごめんなさい 全滅だったんですって?」

みくり「そうなんです 今思えば もっと業種を広く」

徹子「それで就職浪人するよりも と大学院進学をしたけど 文系大学院は就職さらに大変だったらしいじゃない」

みくり「文系の院全てがそうとは言い切れないとは思いますが 院で臨床心理士資格を取ったのでそれを生かせる仕事ができればと」

徹子「でも 心理カウンセラーとかスクールカウンセラーは中々就職がなかったと」

――海野つなみ逃げるは恥だが役に立つ 第1巻」より




臨床心理士指定された大学修士課程を修了後に「受験資格」が得られる

そして、臨床心理士資格認定試験は毎年10月に開催され合格発表12月となる

修了後の4月無資格なので、資格取得見込みでも受け入れてくれる仕事を探さないとならない

同じ大学院・研究室の先輩や指導教官に紹介して貰ったり、非常勤で週2~3日の仕事自力で見つけて応募することが多い

作者である海野つなみがどこまで知っているか不明だが、みくりは大学院修了後にそうした仕事もつけず、資格取得後も就職先が見つからなかったことになる

ストレート卒業・修了・資格取得をしたとすると、この時点で24である


心理学部・学科卒業人事部企画商品開発を志望すること自体には問題がないが

仕事がない」という理由だけで、より狭き門であるはずの心理職に進む所に見通しの甘さが感じられる

専門職である心理職は、何かの代わりに選んで成れるような進路ではない

(正直、指導教官や周りは大学院進学を止めなかったのか。それと、こんなにふわっとした見通しの甘い人間に、臨床心理士試験面接官はよく合格を出したな)



2.ドラマ描写

ドラマでは1話にて森山みくり(25歳)の経歴が紹介される

2.1インタビューセリフおよび入学式写真

「元は企画商品開発の仕事を探してて でも全滅で」

就職浪人するよりはと思って大学院に進みました」

「甘く見てましたね。まさか文系大学院卒がこんなに就職できないとは」

大学院では心理臨床コース選択卒業後に臨床心理士資格を取得した上で再び就職活動に臨んだ(ナレーター)」

2013年度 青明大学大学院入学式(大学時代写真より)」

2.2履歴書(一部抜粋および組換え)(出典はhttps://twitter.com/i/events/868751617960443908:title=こちから)

【提出先(※推測)】

ニチスイ株式会社(※内容からして食品メーカーだと思われる)

【提出日】

2014年12月15日(※大学院2年(最終学年)の12月に提出したものであると思われる。つまり物語開始より1年前ほどのものになるか)

【生年月日】

1990年9月8日

【住所】

神奈川県横浜市都筑区黒沢5-5-6(※黒沢架空の地名とのこと)

学歴

2006年4月入学2009年3月卒業   県立みなと第一高校

2009年4月入学2013年3月卒業   青明大心理学

2013年4月入学2015年3月卒業見込 青明大学大学院

資格

2009年11月 日本漢字能力検定 2級

2012年6月  実力英語検定2級(※いわゆる英検は、正式名称が「実用英語技能検定であるので誤記可能性がある)

2014年12月 臨床心理資格(取得予定)(※ナレーションでは「臨床心理士」と言っているため、誤記可能性がある)


趣味・特技・サークル部活

趣味カフェ巡りです。特技は整理整頓です。サークルはお散歩サークルに入っていました。


現在行っている卒業研究論文の内容について】

テーマ等:青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について

具体的な内容:上記テーマを「幼少期の両親の養育態度」と「甘え」の観点から分析しています。この研究青年期になっても対人関係コンプレックスを強く持つ者は、幼少期に両親から否定的イメージを受けており、「甘え」という行為が成立していなかった場合に多く見られた。これによって「甘え」の形成は対人関係を育てることが分かったが「甘え」の感覚を得るには両親との幼い時の関係性が重要であることが学びとれた。

あなた長所

真面目なところと思いたったらすぐに行動するところです。

私の長所は真面目な所です。頼まれ仕事はきっちりこなす性格です。短所でもありますが、突拍子もないことを考え、思い切り突っ走ってしまい、びっくりされてしまうことも多いですが、その新しい発想のおかげで上手く運んだこともあったので、長所としてとらえています

学生時代に打ち込んだこと】

心理学研究です。私は人の役に立つことが好きで、人が何を求めているか察知できる人間になりたいと思い、心理学を専攻しました。心理学で学んだことをアルバイトでの接客でも発揮され、お客様が求めていることを先回りして提供することができるようになりました。今後も、会社というチームの一員として自分に何ができるのか、お客様には何を提供できるのか、心理学を生かして察知していきたいです。

【志望理由

私は貴社で、新商品の開発や企画に携わりたいです。貴社はもぐもぐ蕎麦という今までこの世になかった新しい商品で、世界食文化を変えた会社であり、私ももぐもぐ蕎麦のように世界文化インパクトを与えるような商品を開発したいと思っています大学では色彩心理学や希少性の原理などを学び、消費者心理についても研究してきました。大学院まで心理学勉強してきたことを生かして、消費者がついつい買ってしまいたくなるようなアイデア提案したいです。

自己アピール

世界中の、とくに栄養の不足に悩まされている地域の人々に、自分の開発した商品を伝え、健康改善してくことが夢です。栄養不良に悩まされている人は8億人以上いるといわれていて、普及するには手軽さ・価格の安さ・おいしさの3つが必要だと私は考えます。そのまま食べられる、あるいは水やお湯などをかけるだけで簡単に作ることができ、安価ながらもおいしい食材で作られた商品を開発し、世界に広めたいです。

2.3.履歴書から言える事

「青明大舞台」で調べた所によると、ロケ地自体は「日本大学経済学部7号館の前」との情報がみつかった

(逃げるは恥だが役に立つ 逃げ恥 ロケ地情報より)

「青明大学」と同名の大学は勿論ないが、名前の響きからして「青山学院大学」や「明治大学」「明治学院大学」が近いと思われる

いずれも第1種指定大学院である

何となくこういうリア充的な雰囲気学生青学じゃねえのかという偏見がある。というか、青学児童系の心理に強いイメージがある。なんでそんな大学院を選んだんだこいつ。何も考えないで生きてんのか


この場合大学院修了後の2015年12月臨床心理士資格は取得見込みとなる筈である

履歴書には「2014年12月 臨床心理資格(取得予定)」となっているので、資格名もしくは取得時期については現実制度とは違いがある

ナレーション説明とも乖離が起きているので、作成したスタッフ誤記勘違い可能性がある

他の資格について、大学1年生の11月漢検2級を、大学4年の6月英検2級を取得している

2.4.個人的結論

全体的に、こんな薄っぺらいやつ採用試験で落ちて然るべし。もっとちゃんと考えて進路決めなさい

漢検英検くらい高校で取っておけよ。というか、色彩心理研究したというなら、「色彩検定」とか「カラーコーディネーター検定」とか、色彩計の資格を取っておきなさいよ。

商品開発したいなら、日本商品開発士会資格でも取りなさい。合格率も低くないみたいですよ

他国に自社の商品を売り出したいと思うなら、TOEICTOEFLくらい受けておく発想には至らなかったんでしょうかねえ……

履歴書とは関係ないが、人事に行きたいなら産業カウンセラーを取りながら就職活動をしても良かったのでは……

臨床心理コースなので仕方がないが、「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」と志望部署の関連が薄い。本気で商品企画・開発したい人の選ぶ心理ではないよねえ

大学院在籍中に、一般商社受けるとかどうなってんだこいつ

青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」は手垢が付いたような薄い研究なんよ。青年期を対象にした研究室でよくある、質問紙を都内大学生に沢山配ってやるような量産型研究なんですよ。土居健郎の「甘えの構造」とかを理論的支柱にして、適当尺度を組み合わせて因子分析とか重回帰分析掛けるとそれっぽいデータが出るんですよ。そこらの大学卒論発表会レベルのものを、大学院でやってはいかんのですよ。指導教官何やってんの。きっとこれじゃ、修論審査会でボコボコにされますよ、本当に(ry)

2020-12-03

NIKECMで思い出した事がある

NIKECMを見て思い出した事がある。

それは学生時代に聞いた在日三世の子入学式での新入生代表挨拶だった。


動かしつづける。自分を。未来を。 The Future Isn’t Waiting. | Nike

https://youtu.be/G02u6sN_sRc


CMの内容は在日の子ハーフの子いじめ被害者の3人の少女たちが、サッカーを通して差別いじめといった日々の苦悩や葛藤と向き合い、自分生き方を選んでいく、というような内容だ。

このCMについてはSNS上で色々討論されているらしく、YouTube評価からも見て取れるように賛否両論である


自分特に問題を感じる事なく見ていたので、ここまで大きな話題になると思っておらず驚いている。それよりも、はじめに述べた学生時代に聞いた新入生代表挨拶の事を思い出していた。



自分は幼少の頃から在日と呼ばれる人たちが近かった。

まれたのは田舎に片足を突っ込んだような地方都市の外れ、治安もあまりよろしくない場所で娯楽なんてないような場所だった。

あるのはカルト区分されている宗教地方本部とされる教会、あとヤクザ事務所ラブホテルくらいだった。


そんな場所に住むのは訳アリの人間が多く、例にもれず我が家も絵に描いたような機能不全家族だった。

多重債務者でありながら定職につかず、家族暴力だけは振るう父親。何事においても被害者意識が高く、必要以上に他人に対して攻撃的すぎる母親

怒鳴り声が響かない日はまずなく、幼少時何度泣き叫んだだろう。物理的に命の危険を感じた事は多すぎて思い出せず、都市部であれば児相警察通報されていたのだろう。そんなレベルに酷かった。

だがそんな我が家日常が許される程に、また我が家と同じよう怒号や女の金切り声が響く家が集まっている場所だった。



隣家に住む老婆がいた。お孫さんが定期的に遊びに来ていて、周囲に同年代の仲がいい子がいなかった自分は一緒によく遊んでもらっていた。

簡単料理を教えてもらったり、花札や株札の遊び方を教えてもらった。その老婆の所に遊びに行くのが楽しみで、お孫さんは今週くるのかなぁなんて毎週楽しみにしていた。

そして老婆が施設に入る事になり退去した数年後、あの人は在日一世だからね、と両親がこぼしたのを覚えている。その発言意図は未だにわからないが、確かに彼女が教えてくれた料理韓国料理に近いものが多かったような気がする。

その老婆は通名を名乗っていた。両親から民族名を聞いたような記憶があるが覚えていない。



通っていた小学校の近くには朝鮮学校があり、三年生になるとそこの生徒と交流会のような物定期行事としてあった。それにあたり韓国という国が日本の近くにある事、そこに国籍を置く人々が通う学校が近くにあるという事、簡単にそれらを数か月にわたって学んだ。

学んだ内容については覚えてないのだが、チマチョゴリを着た彼女たちが(少年もいたのかもしれないが記憶にない。それほどまでにチマチョゴリを着た彼女らの印象が強すぎるのだ)日本生活している為、自国である韓国を知らない。だから韓国を知るために、そして韓国という国を忘れない為に専用の学校に通い、言語も含めて学んでいるのだと言っていたのを強烈に覚えている。

彼らの胸にはハングルで書かれたネームプレートがつけられていた。



そんな幼少時を送ったからか、韓国という国に嫌悪感を抱く事なく、自然と私は韓国という国、文化に興味を覚え英語とは別に韓国語を選択し、学ぶ事となった。進学先を決める強いファクターにもなった。

学ぶにあたりそこで出会った人達は全員が民族名を名乗っていた。ネームプレートハングルではなく我々が読めるように漢字だったけれど、漢字文字のそれをつけていた。



そして高校に進学し、例の新入生代表挨拶を聞く事となる。


私が進んだ高校は内部進学を選択できる高校だった。

中学からの内進生であった自分は、中学の頃から高校での授業を睨んだ進学コースにいた為、入学式特別感情を抱く事なくただの年間行事の一つとして参加していた。

国歌斉唱校歌斉唱、式辞、祝辞とつつがなく進んで新入生代表挨拶。去年も見た光景あくび交じりに見ていれば、壇上には知らない子が立っていた。

正直なところ、代表挨拶は内進生の子もっと言うと中学時代生徒会長あたりだろうと踏んでいたので外部入学生がするのが意外だったのだ。

「私には名前が二つあります

そう言って始められたそれは、彼女の生い立ち交じりの自己紹介だった。

在日三世である彼女民族名と通名を持っている事。日本で生まれた為母国とされる韓国を知らない事。そして中学までは通名生活をしていた事。

自分の正しい名は通名である、だが中学までは通名でいたためにそれを名乗る事ができず、また名乗らなかったが故に民族名を誰にも呼ばれる事がなかった事。


自分は何なのか、日本人ではないというが韓国語は離せないし韓国にいた記憶もない。日本で生まれ日本で育ち、日本語を第一言語として話している。だが国籍韓国籍で、知らない場所母国として両親からは語られる。

それに実感は伴わず、ただ強い疎外感だけが常につきまとうのだと語る彼女に、どれだけの苦悩があっただろう。言語韓国内の文化は学んでいたけれど、在日コリアンという問題を、更に在日三世と呼ばれる人たちが抱えている問題について無知だった自分は、彼女言葉に頭を殴られたかのような衝撃を受けた。


どのような過程があてその結論に至ったかは覚えていない。

ただ高校から民族名で通い、今日からその名と共に胸を張って生きていくのだと語っていたのは覚えている。

自分は『(通名)』ではない、『(民族名)』です。よかったら。『(民族名)ちゃん』と、呼んでください」

そう結んで壇上を降りた彼女の強い目を、意思希望に溢れた目を思い出す。


外部生には彼女と同じ選択をした三世の子が多くいた。聞けば民族名を名乗る為にこの学校を選んだ、というような子もいた。

そしてその全員が、壇上で生い立ちを語った彼女と同じ目をしていたのを覚えている。



CMの話に戻そう。

CMの中で女の子山本(YAMAMOTO)とプリントされているユニフォームの部分を、金(KIM)と黄色テープかなにかで修正したのを着て歩くシーンがある。

これは誰かによるいじめによってなのか、それとも彼女が己で修正した物なのかは不明だが、自分は「彼女修正した物なんだ」と受け取った。

チマチョゴリを着て怯えるように通学していた彼女は、きっと自分が何者なのかがわからなかったのだろう。だが、彼女民族名を名乗る事を選んだのだ、彼女彼女である為に。

CM意図としては、それはサッカー(=スポーツ)が切っ掛けなのだろう。そしてマイノリティとされ虐げられる人々が、ありのまま生きる事ができる未来を、進もうとする努力応援していますというメッセージと共に。



CM彼女年代在日4世だろうか、5世だろうか。

3世の時点で強かった国籍からくる自己への戸惑いは、更に強い物だろう。

その恐怖を想像するしかできないが、その世代の彼らが納得のできる選択ができる事を、自己に胸を張ることができる人生を送れる事を願ってやまない。

2020-11-30

かわいそうだね

コロナ流行して、卒業式入学式様々な大会遠足修学旅行運動会学校行事全般中止になった。運良く何かの行事を開催出来た学校もあるらしい、でも我慢を強いられている学校が多い。

成人式が中止になった地域もある。

Twitterでは、GOTO延期?!大人ばっかり得して!子供がかわいそう!と書き込みしているが、本当のことを言うとそこまでかわいそうとは思わない。

なぜなら気持ちが分からいから。

学校行事には参加出来た世代であり、たまに体調悪くて休んだ子が一人二人いたけど、へーくらいにしか思わなかった。

リア充じゃないから悩んだけど成人式も結局行った。前撮りもした。

高卒から大学生オンライン授業で孤独になることについて、気の毒とは思う、でもそこまで大学生気持ちにもなれない。

コロナウイルスはどこの誰が持ってきたんだよ!とは思う。迷惑だなとは思っている。

2020-11-25

anond:20201125145316

次は京大卒の上野さんあたりを関大入学式に呼んで祝詞をあげてもらいたい

関大生がいか下駄を履かされてきた特権層なのかを上野さんに喝破していただく

関大生もさすがに京大卒に叱られたら立つ瀬もないだろう

2020-11-08

子どもごみかぶせて黒染めスプレーの件

そしたら何かぶせたらええんや・・・困惑

ごみかぶせ髪に黒染めスプレー | Reuters

https://jp.reuters.com/article/idJP2020110601002546

について、あまりにも恣意的だなと思ったので今の現場の話をちょっと聞いてほしいと思った地方公務員増田です。

タイトルセンセーショナルに”ゴミ袋”を全面に出してるけど、弁護士会の主張は黒染めスプレーの方ですよね。

以下、ブコメ引用させていただきつつ、上の記事では足りない現場雰囲気を知ってもらった上で判断してもらえると幸いです。

まだこんな学校があるのかよ

はい、たくさんあると思います

記事で3月となっていることから卒業式での頭髪指導の話だと考えられます

卒業式限定で”このような方法をとっている学校は多いと思います

染毛だったとしてそれが校則違反なら停学とかそういうやり方でやるべきで…

という意見もありましたので、最近一般的だと思われる頭髪指導の前提を説明します。

大前提として、”頭髪を加工してはいけない”という校則があります

加工してはいけないというのが大前提ですので、地毛は基本スルーします。

(このご時勢無理できんでしょ、やってる学校もあるみたいだけど…

(髪の毛ぐらい自由にしたらええやん、という意見があると思いますが、校則を変えるには色んな手続きがあって、まぁ校風がどうのこうのとか、割れ窓理論も実際にあると思うしで、なかなか大変なのです。。。ちなみに私も「一回自由にしてみたらええやん」派です。)

なので、教員校則をもとに指導を行うのですが、だいたいこんな流れだと思います

ここで、髪がもともと明るいですよーという話を保護者から聞きます

うちは地毛申請の紙を書いたりはしてないですね。相談に行くこと自体人権侵害だと言われてしまうと・・・ですが、本当に気をつけて柔らかく対応していますよ。もちろん、ここで聞いた話はデータに残しておいて教員間で共有して今後の指導に活かします。

  • 普段生徒を見ていて急に髪の毛の色が変わった生徒への頭髪指導

まずは事情を聞きます。実際に多いのは、「長期休暇に染めて、黒染めしたが落ちてきた」とかですね。その上で、いつまでに染め直すかという相談します。

  • 長期休暇明けなどに一斉に頭髪指導

長期休暇明けが一番変化があるときなので、一斉に頭髪を確認します。長期休暇中に触って、それがきれいにもとに戻ってれば良いのですが、不十分なためもう一回やろうかという話になることもありますね。その場合も、一度努力してきているのですぐにはやり直させず時期を相談してということが多いと思います。基本は”話を聞く”なので。

これが問題になっている部分ですね。

前提として3年生は、卒業式前になると受験のために自由登校となり学校にきていません。なので、上で述べた頭髪指導を行っていない、いわば長期休暇と同じ状態になっているんですよね。受験が続いている生徒はそういうことは無いのですが、進路が決まった生徒は長い休みなので髪の毛をいじります

そして、久しぶりの登校となる予行のときに髪の毛明るいね、式には直しておいてね、その状態じゃ式には出れないよという話をするわけです。(今は触っていなくても、当日にやってくる子もいると思われるので全体にそういう話をします。)

そして迎える卒業式当日。「怒られてもいい!自己表現したい!」と思って髪の毛をいじってくる子、「なんとか自分でやったけど・・・」と髪の毛がまだらになっている子、「どうせ先生がやってくれるから」と予行のまま明るい髪で来る子。この子達を「約束通り式には出せないよ」と言って、出させませんか?

ごみかぶせて黒染めスプレー』は卒業式だけの苦肉の策なんです。

実際、やってる現場に立ち会ったこともありますが、意外に和やかな雰囲気で(3年間の付き合いがあるからだと思います)、なんとも言えない複雑な気持ちになると担当した教員は言っていました。

ってかごみかぶせてってのは自分の子もの髪切るときにやるでしょ。

何人いるかからない生徒対応のために、ちゃんとしたケープ買うお金がどこにあるのか・・・

(ちなみにごみ袋にハサミで切り目を入れて頭を出すスタイルですね)

教員が過労で死にそう。という話と、こういう話が並んでるのを見ると、どうでもいい仕事なくせばいいんでないの?と言わざるを得ない。

私もそう思います

でもなかなか変えられないんですよね。。。

ただ、昔よりはちゃん子どもたちの話を聞くようになったのが変化かなと思っています

このご時勢、なんでも体罰SNS行きなのでまずは話を聞いてっていうのはほとんどの学校で徹底されてきていると思いますよ。

それでまた指導にかかる時間が増えるのですが、こういう職業を選んだので子どもたちのためになることはいくら時間をかけても良いと思っていますが、その他のいらない仕事が多すぎて大変しんどくなっています

こういう指導をやめてしまえば簡単なんですが、子どもの心の変化ってまずは見た目に現れることが多いので、なくなってしまえばそういう変化があった子に話を聞く機会がなくなってしまうのではという危惧はありますね。(警察さんの職務質問も実はこれだったり?)

我々もいろいろ考え悩みながらがんばってるので、あまり罵倒しないで・・・

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.reuters.com/article/idJP2020110601002546

2020-10-26

日本から捨てられた土地で生まれ

この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。

私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。

私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。

そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。

家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段テレビ新聞学校図書室だけだった。町には本屋もなかった。

私は決して学校勉強から遅れることはなかった。地元中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまり偏差値が違いすぎたため、バス電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。

あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領アカウントフォローした時には、テレビ新聞世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。

同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強したことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォン参考書自分朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。

その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学限定した。仕送り必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビしか見れないものだった。運良く私の家はBS契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画テレビYoutube予告編しか見れないものだった。アカデミー賞カンヌを取るような映画は大抵東京最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷ミニシアターヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。

私はどうにか大学受験をして東京とある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。

初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供ときに見ていた日曜日昼の番組中吊り大賞などというのがあって週刊誌記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。とき週刊誌卑猥コピー小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京最初に印象に残ったことだ。

私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。

そこである東大慶応学生たちと出会たことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業渡り歩いているらしかった。全員都内実家があった。

私は、自分と彼らの家庭環境のあまり格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンド仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。

他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校カリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校テキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかやす説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。

私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大合格できた。

私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちからまれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語勉強のために夏休みカナダ語学留学をさせて、ネイティブ発音などを身に着けさせていた。私は英語勉強が好きだったが、流暢な発音馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3ダウンロードした英語スピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれ環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。

私は自分人生を激しく呪うことになる。生まれ場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。

私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。

私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴武器にこの後は一流企業就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間そもそもいらないのだと。だから勉強する環境手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。

私が大学卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣大学試験について「地方学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ地方土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。

また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネット地方で使うインターネットはまるで別物であるインターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCプログラミングというもの存在を私の田舎認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供プログラミング教室などに通って小さいころからそういうもの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態インターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場人間発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親からまれ子供だけである田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。

話が脱線してしまったのでもとに戻す。

私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎もの必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。

とにかく必死だった。帰る場所必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去日本が課した呪縛から逃れられていない。

こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かにまれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定いいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。

追記1

めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。

高校には社長の息子とか医者ゴロゴロいたでしょって話について。

同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子もっと都会の私立学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方公立の方がレベルが高いので。

同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。

友達床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。

でもみんなよく勉強してました。

同級生殆ど地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebook検索したときインターネット系の大手で働いている人はいました。

追記2

追記を書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20201027203138

2020-10-15

自衛隊みたく国立大学教授や国から補助金を受け取っている民間研究施設助手も宣誓させた方がいい

anond:20201015134150

入学式

「私は、日本国及び自衛隊を忠実に擁護し、上位者命令を遵守し、

軍事研究に優先して科学倫理に従うべきことを要求する団体又は組織に加入せず、

ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、

自民党のみに従い、

不偏不党且つ公平中正に大学職務遂行に当ることを固く誓います。 」

教授も毎朝これを復唱してもらおう

2020-10-05

冬の匂いがする。冬の匂いというのはその実、鼻先で感じる秋口の寒さのようなものだ。しかし思い浮かべるのは夏のキャンプ場の朝露まみれの草原だ。それでいて桜が舞う入学式のようなワクワクを感じる。

化粧が楽しいなって話

最初に、こういったものは初めてなので読みづらいかもしれません。暇だしやってみっか!!ってなっただけなので暖かい目で読んでやってください。

今年から女子大生になって堂々と化粧ができるようになった。高校自称進学校で化粧なんてしようものならハチャメチャに怒られる。なので小心者の私はせいぜい休日友達と遊ぶ時にちょっとリップアイシャドウを塗るくらいだった。なので高校生の時は「大学生になったら好きなようにオシャレしたりできるの楽しみだな~~」と思っていた。

受験でひいひい言いつつもなんとか私は大学生になれた。が、コロナのおかげで今日までほとんど登校していない。入学式もなくなり授業もオンラインやらオンデマンドやらで同級生ともまだ数人としか知り合ってない。小学生の頃から筋金入りの出不精アニオタなので自粛ライフもそれなりに楽しんでいたがさすがに暇。ということで化粧の練習をすることにした。

最初はもう酷いものだった。濃すぎたり、眉毛おかしなことになったり、アイラインも全然引けなかった。美容YouTuberの皆様の動画死ぬほど観たりTwitter美容垢を死ぬほど見たり母親に「変じゃない!?どう!?」と死ぬほど聞いたおかげでやっと人並みにはできるようになった、と思う。インターネットの発達した時代死ぬほど聞いても怒らない母のもとに生まれて良かった。

さて化粧にそれなりに慣れてきた今、化粧が結構楽しい。これから今までの生活に戻って毎朝するようになったらどうなるかわからないけれど、自分の顔が少し華やかになるのはやっぱり気分がいい。ちょっとつり目気味なのが気になっていたけれどアイラインを跳ね上げて描くとなんかカッコイイし。ラメを瞼にのせると全人類に勝てる気がする。気がするだけだけど。「メイク武装」と誰かがツイートしているのを見たけれどまさにそんな感じ。元々どちらかと言えばポジティブなので「今日のわたくし最高ですわよ!!!!!」とツイートする日が増えた。楽しい。何が言いたいかよくわからなくなってきてしまったがとりあえず私は今化粧が楽しいのだ。

ルパン三世を観ながら化粧をしたらなんかいい女になれた気がする!楽しい!!と思ったので文章化してついでにインターネットに晒そう!!と一気に書いたらものすごい長文になってしまった。こんな中身もないただの長文を最後まで読んでくれた方がいたらありがとうございました。

2020-09-22

友達がいない30代

いつまでこの寂しい生活が続くのかって考えると夜も眠れない。

自分毎日一人。

ホント精神科行かなきゃいけないんだけど行きたくない

何処に行くのも一人。

今日図書館

ずーっと独りだと、殆ど会話しないよな。

そうすると、頭の回転が鈍くなってくる。

そうすると、いざ人と話さないといけないとき、思っていることが表現出来なくて、とんちんかんなことを言っちゃう

今、それで苦労している。

この先、一生、友達彼女も出来ない。

寂しい人生・・・

私は悩み事や心配事を他人に話すってことがない。

また楽天家なので他人の支えになってあげる事も出来ない。

一人でいるのが丁度よい人だと思う。

自分ネット友達

テレビ無いし新聞取って無いし。

もう人は信用しない。酷く裏切られた事があるから

金と自分しか信用しない。

腕を絡めてるカップル

駅改札前でキスしてるカップル

コンビニで仲良くコンドームを選んでるカップル

・・・そしておれはあいかわらず独りなわけで。母さん。

休みなのに普段通り起きてしまった。

天気がいいので、早々に洗濯やって、お昼からは、散歩がてら、買い物に行ってきます

ちょっとした買い物なのになんか充実感あるよね。

自分は近所のスーパーまわって食材安く買えたときかな。

あと晴れた日に布団干したり洗濯するのも気持ちいい。

結構主婦向けな性格だと思うんだけど独りなんだよねえ。

いい天気だったが、ペットの猫が具合悪くて心配で看病してた。

何とかご飯も食べられるようになってちょっと安心

もう高齢から、この先を考えると激しく鬱に・・・

今日は散髪に行ってきた。

そこはオサーンが一人でやってる床屋さんで、漏れにとって、数少ない世間話ができる場所なのだ

ひとり暮らしをしてきました。

ひとりで旅行もしてきました。ひとりは楽です。気楽です。

でも、現在ウツになっています

部屋に戻ってきても、誰も話相手がいなくて。

会社にも同じような境遇の人がいなくて。

うつぶれそうです。ダメかもしれない。

一人ってことに最高の充実感を得ています

休日は好きなだけ読書してネットして、絵と文が書けて・・・

もう、異性や友人に時間を裂くなんて絶対にイヤ。

こんな私はオカシイですか?

天気がいいので、外を歩いてみたら、今日って入学式なんだね。

年代のパパママが、うれしそうにおめかしした子供と歩いてた。

何か鬱になった。

三十代になってからは、筋トレサイクリングで体を作りこんでいる。

あとは知性も磨かなきゃとおもって、英語勉強目標はTOEIC850点だけど、

2年がかりで何とか760点まで持ってきた。

それもこれも「何であの人、独り者なんだろう?」と周囲から言われるような人間になりたいから。

中年太りのブヨブヨで「あぁ・・・あれじゃぁ、独り者だよね(笑」と陰口たたかれるのは悲しすぎる。

もっとも俺の自己研削の想いが強すぎるらしく、

周囲からは「軍人だ」とか「修行僧」だとか散々な言われようだが・・・(泣

やっぱ30過ぎるとひとりあそび多くなるよねー。

まわりがどんどん結婚して誘うのも気が引けるし。

しか漏れは夜仕事してるから、週末の飲み会とか、仕事で断り続けてたら誘いもこななっちゃった

なんかこのまま一人で一生終わっていきそう・・・

悲しいことや辛いことは他人とわかちあわなくても一人きりで耐えることは出来る。

しか楽しいことなどは一人では分かち合うことは出来ない。

それはとても寂しくて辛いことだな。

天気がいい日に用も無く、家にこもってると、焦燥感に囚われるのはなんでだろう。

気候が良いので、マターリサイクリングに行って来ました。

適当場所で休憩、携帯コンロでお湯を沸かしてラーメン簡単調理おにぎりで昼食。

それにしても景色の良いところ、川沿い、公園は、何処もに言っても、親子連れカップル、仲間同士ばかり・・・

なんか居たたまれなくなって(軟弱)早々に引き上げちゃいました。

不審人物通報されるのもそう遠くない日の予感。

一人で部屋にこもってても仕方ないんで、買い物に行ってきた。

ブックオフで本を買い、スーパー商店食材を買い、ふらふらして帰宅

もちろんカップルグループ家族連ればかりだったが、一人でいるやつって、たいてい携帯メール打ってない?

「今は一人だけど、友達がいないわけじゃないんだよ!」って、必死アピールしてるみたいで何かなあ・・・

人並みに見栄張って生きていくのも大変だ。

一人で寂しい・・・

メッセだけのつながりなんて儚いもんだな。

友達なんていらないと思ってたのに、気づいたら、ネット繋がりに依存してた。

また孤独に慣れる事、できるかなぁ。

昨日も仕事が遅くなって独り焼き肉してしまいました。

独りなのに調子に乗って肉を乗せすぎて焦げ放題でした。

店員女の子は、「あっ!またあのおじさん来てる!悩むふりして結局同じメニューじゃん!」

って思ってるのでしょうか?

そりゃ君みたいな可愛い女の子に、「もう焼けてるよ」と言われながら食べたいさ。

海外旅行に行くといっても、まだひとりだと言っても、

何で子持ちの知人は、「気楽でいいねえ」とかぬかしやがるんだ?

自分ら既婚者で子供もいて、ちゃんと家庭をかまえて世間体保ててるじゃねーか!

たとえ夫婦間不仲でも子供不細工でも、孤独シングルに嫌味言うな!

中年独身というだけで不審者として見るバカもいるのに。

さて、寝るか。

休日外出すると自分よりより年下の奴が子供をつれて歩いているのを見かける・・・俺は孤独

20代自分友達いるかどうかなんて気にした事なかった。

いない・・・と骨身に沁みたのは30になってから

連休あったら素直に嬉しいけどね。

就職してから3連休以上とった事ない・・・

一人の状態が長かったせいか、この生活にすっかり適応している。

一人でつらいとか寂しいという気持ちがよくわからない。

10代の頃はそんな気持ちにもなったかもしれないけど、忘れてしまったな。

一人で買い物にいくと、気楽でいいことはいいんだが、時々頓珍漢なものを買ってしまう。

やっぱアドバイスしてくれる人がいたほうがいいな。

店員じゃダメだ。それに店員と話すの大嫌い!!

俺の趣味サイクリング

仕事が終わった後にトレーニングしていたら、

ポリさんに職務質問を受けたよ・・・トホホ

誰もいない夜中に黙々とペダルを漕ぎつづけて頭の中を真っ白にするのが、

俺の最高のストレス解消法なんだけど、ポリさんからすると不信人物に映ったんだろうな。

丁重対応したんで、とっとと解放されたけど、なんか寂しくなってしまったよ。

2020-09-18

現実問題として女性管理職を目指すとモテなくなるよね

男女平等をさまたげている「モテ問題

https://cakes.mu/posts/31601

男女平等理念がなかなか浸透しないのは、「男女平等を目指すとモテなくなる」と男女双方が考えているからという問題点を漫画でうまく表現できている。

この記事に対するブコメとして

社会的男女平等恋愛は分けて考えるべき」

公共の場での役割と、プライベートでどのように振る舞うかは別の話」

かに社会的男女平等を目指すことと、恋愛において男女が双方に何を求めるかは別だから恋愛にまで男女平等ジェンダーレスを持ち込む必要はないのかもしれない。

しかしよく考えてみると、企業役所社会における男女平等と、個人プレイベートの恋愛の間には明確な境界存在していない。

例えば表題に書いている通り、一般的高学歴高収入女性モテにくい傾向があるのは事実だろう。

昨年の東大入学式の式辞で上野千鶴子氏もそんなことを言っていたよね。

男性よりも優秀な女性モテにくいので、女性社会進出をしたがらない、なので女性活躍は進まない。

いくら社会女性差別を是正して、男女の賃金格差を解消しようとしても、女性がそれに乗ろうとしないのは「女性が強くなるとモテなくなるから」と無意識のうちに考えているからではないか

男性側もそう。

男性の家庭進出が進まないのも、「家事育児志向男性モテいから」という暗黙の了解があるから

本気で社会男女平等を目指すのであれば、個人恋愛志向にも介入するのは必要だと思う。

2020-09-13

ひきつる笑顔呪い

写真を撮られるのが嫌いだった。

幼い頃の写真はたくさんあるが小学校に上がってから写真はかなり少ない。





小学校入学入学した。

ピカピカのランドセル可愛い洋服

長い髪の毛をハーフアップにして一番可愛いのは私だった。


1年1組出席番号は20

隣の席の出席番号21番はやんちゃそうな男の子だった。


デメキン


顔を合わせた途端言われた。

驚きすぎてまさしくデメキンのように口をパクパクさせるしかできなかった。

私は目が大きくむしろそれが私のチャームポイントだとすら思っていたのに、横の席の彼はいたずらに笑いながらそう言ったのだ。

褒めているわけではないのは明らかだったし、「ブス」と暗に言っているのもよくわかった。

他人からそんなストレートな悪意をぶつけられたことのない私にはとても衝撃的な小学校デビューの日だった。





その日の夕食時デメキンからかわれたことを家族に話した途端


「アッハツハッハッハッハッハ!!」


と大きな声で母親が笑った。


デメキン! デメキン! アッハッハ!」


何なら慰めてもらうつもりだった私は呆気にとられた。


あんた目が大きいもんね、確かに似てるわ」


一通り笑い終えてから母はそう言った。





その日から学校でも家でもデメキンと呼ばれる日が続いた。

そのうちに学校では隣の席の男の子デメキン以外にもストレートに私をなじるようになり、家ではまだ幼い弟までもが私をデメキンと笑いながら呼ぶようになった。


私はブスだった。

父は毎日のようにカメラを構えて私達姉弟写真を撮っていたが、ブスな私を撮られたくないのでそのレンズからも逃げるようになり次第に父はカメラを構えなくなっていった。





そんなことをしているうちに思春期となり、ますます自分の顔が嫌いになっていった。

クラス可愛い子と比較していか自分がブスかを考えるようになっていた。


ブスだから写真は集合写真以外に写ろうとしなかった。

その結果『カメラの前で笑う方法』がわからなくなり、集合写真にはひきつった顔の私がいた。





小学校卒業して中学校入学した。

ブスだから着ていなかったスカート制服から着ることになった。

ヒラヒラのプリースカート可愛いな。

でもブスが可愛い格好したいなんて滑稽だ、恥ずかしい。


入学式に1枚だけスナップ写真を撮った。

親友とのツーショット彼女の親が撮ってくれた。





しばらくしてその写真親友が焼き増ししてくれた。

家に帰って封筒を開けると満面の笑みの親友の横にブスがひきつった笑顔とも言い難い顔で立っていた。


その写真を見た母親


あんちゃんと笑えないの? いつも引きつってるよね」


と冷やかした。





極力写真を避けて生活し、大学生になった。

学生証についている証明写真は目も当てられない程にひどかった。

学内では学生証に電子マネーを入れて買い物をするのだが常に学生証は裏返しでピッと決済していた。





大学生4年生の春、彼氏ができた。

こんなブスのことを毎日可愛いと言ってくれた。


髪の毛を切れば「その髪型も似合ってるね、可愛い


メイクを少し変えただけで「メイク変えた? 可愛いね」


服を買いに行けば「これが好み! 絶対可愛いよ」


何をしてもしなくても可愛いと言ってくれた。

毎日のように私を撮って、笑って笑って! この顔可愛いよ、と写真を見せてきた。





次第にブスは勘違いしてメイクファッション勉強し始め、自撮り彼氏に送るほどになった。


スマートフォンに写る自分の姿は可愛かった。





大学卒業にあたり、せっかくだから記念写真を撮ろうと母親提案してきた。

プロメイクしてもらって袴を着た。

美容院の大きな鏡に写る私は可愛かった。



「こっち見て笑ってくださーい!」


写真館でアンティーク調の椅子に座り、カメラの前でニッコリ笑顔を作った途端


「無理して笑わなくていいのに」


と笑いながら母親が声をかけてきた。

撮影が進む中、引きつってるよ、自然自然に! と常に母親声援が聞こえていた。


卒業記念の写真にはブスが写っていた。





それから10年以上経った。

私の膝にはようやく首の座った娘とイヤイヤ期真っ只中の2歳の息子がいる。


「みんな可愛い!」


そう言ってスマートフォンを構えて連写をしているのが夫だ。





毎日のように家族写真共有フォルダには可愛い笑顔の私と子どもたちがアップロードされている。

そして時々、いい笑顔の夫の写真も。

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